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クールな見応え「グッドナイト&グッドラック」

新作のお話です。TOHOシネマズ川崎6で「グッドナイト&グッドラック」を観てきました。川崎と言えばチネチッタが有名なんですが、ここもプレミアシートつけたりして頑張ってます。

時はマッカーシーの赤狩り時代のアメリカ、CBSのニュースキャスター、エド・マロー(デビッド・ストラザーン)は、ディレクターのフレッド(ジョージ・クルーニー)と共に、マッカーシズムに反旗を翻す企画を圧力にも屈せずに次々と放送していきます。そして、最終的にマッカーシズムの終焉を見ることになります。しかし、その後、彼らの作るリベラルな番組はゴールデンタイムから追いやられていくのでした。

ジョージ・クルーニーが監督、出演していて、アカデミー助演男優賞を取った作品でして、赤狩りの時代のアメリカで、正論を語り続けたエド・マローの姿を描いた実録ドラマです。映画としては、マッカーシズムが吹き荒れる状況下で、そのやり方に疑問を呈する番組を作り始めるところから、その終焉後、視聴者とスポンサーの意向から、彼の番組がゴールデンタイムから追いやられるところまでを描きます。モノクロの画面に、バックには当時の流行のジャズナンバーが流れます。(ボーカルが全部ダイアン・リーブスってのは洒落てると思ったら著作権料の節約のためだそうで。)このような演出で、現代とは異なる時代の雰囲気を意識的に表現しているようで、そこで描かれるドラマの異世界感が、今にダブってくることで現代に異常な状況を余計目に強調しているようです。

映画は全編テレビ局の中だけで展開するのですが、それでも、当時の時代の重苦しい空気を的確に表現しています。それは恐怖による支配だとわかってくるのですが、例え気心の知れた者同士の会話でさえ、自由にできないという空気は、9.11以降のアメリカにも共通して感じられるものではないでしょうか。そして、日本に転じれば、大東亜戦争の開戦前の空気のようなものかもしれません。自分の発言で、自分一人がその意図するところを問われるのならまだしも、その意図するところと無関係に憶測や邪推によって、さらには友人や家族にまで迷惑をかけてしまう、そんな時代が、自由の国、アメリカにもあったという事実をもっと学ぶべきだと思います。日本だったら、個人の基本的人権よりも、集団の和が重んじられる文化ですから、一度、こういう空気が出来上がってしまうと、赤狩り時代のアメリカ以上に市民の自由な言動が抑圧されることになるでしょう。弱い者イジメはどこにでもあることだけど、それを「弱い者イジメ」だと指摘することができなくなる社会にならないように、我々は自分たちの行動を律しなければいけないのです。

主人公のエド・マローは見るからに冷静沈着でして、そこには自分がやっていることへの信頼と自信があります。また、メディアというものは国民のために正しい情報を伝えるのが仕事だと言う信念があります。果たして、本当にそうなのかという点では客観的には疑問がないわけではないのですが、この映画の作り手はそれを正しいこととする視点でこのドラマを描いています。きちんと作り手の視点が見えるドラマ作りというのは、ある意味潔さを誠実さを感じさせます。その誠実さ故に、赤狩りにおける政府側の施策は誤りであったということが明確になっていると思った次第です。

今のテレビというメディアは、マローが語るような、人間を教育し、啓発し、情熱を与えるものなのかというと、私、個人にはそうは思えません。スポンサーと政府の顔色を伺い、人間を誘導し、消費と無知に導くもののように思えます。マローの理想は果たして高すぎるのか、それとも、現状のメディアが低レベル過ぎるのか、一概には判断できないのですが、この映画には、その理想をもう一度見直そうという語りかけがあります。そして、全体主義に流れがちな、このご時世、メディアは理性の歯止めとして機能し続ける必要があると、再認識させてくれるのです。

でも、映画はドラマチックな要素を極力排して、エピソードを淡々と積み重ねる構成をとっています。本当ならドラマチックなエピソードも静かに描き、その静かな展開の背後に強い意志を感じさせるあたり、クルーニーの演出は見事だと思います。演技陣も、地味目ながら豪華でして、ロバート・ダウニーJr、フランク・ランジェラ、フィル・ダニエルズといったメンツがドラマをクールに支えています。

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二本立ての記憶

今度は昔の静岡の話題で一つ

私が学生の頃の静岡は、「ジョーズ」「スター・ウォーズ」のような特別興行でない限り、基本的に二本立てでした。「エクソシスト」でさえ「おかしかおかしな大冒険」と2本立てでしたからね。そこにはやはり二本立ての妙ってのがあって、アクションとホラー、恋愛モノとコメディといった組み合わせの面白さ、番組の妙ってのがありました。でも、時にはそれとは全然想像もつかないような奇妙な二本立てってのがありました。私の記憶している番組のベストというと以下のものがあります。

1、「チャイナタウン」と「オリエント急行殺人事件」(アートシアターミラノ)
これはもう、映画そのものが素晴らしかったんですが、それを二本立てにしちゃうってのが、贅沢の極みという感じでした。どっちが併映かなんて聞くだけヤボでしょうね。

2、「パニック・イン・スタジアム」と「シャーロック・ホームズの素敵な挑戦」(静岡東映パラス)
これも、映画がどっちも面白かったし、また、組み合わせの妙という点で、現代サスペンススリラーと、時代劇コミカル冒険ものというのが娯楽映画のペアとして大変贅沢な取り合わせでした。

3、「ピンクパンサー3」と「ロッキー」(静岡有楽座)
これは、もともとは「ピンクパンサー3」がメインで、「ロッキー」が併映ということで、最終回は「ピンクパンサー3」だったのですが、「ロッキー」が大評判になって、最終回が「ロッキー」に入れ替えられました。豪華な2本立てではあります。

一方で、この取り合わせってどうなのってのも記憶に残ってまして。
1、「キャリー」と「トリュフォーの思春期」(アートシアターミラノ)
共通点は学園モノってところなんですが、モノがあまりに違いすぎ。ラストのショックが今でも語り草になってる「キャリー」ですが、一方の良心的佳作である「思春期」が語られる機会もあまりないってのはちょっと気の毒でもあります。

2、「プロジェクトA」と「猛獣大脱走」(静岡東宝スカラ)
ジャッキー・チェンの痛快アクション映画「プロジェクトA」に対して、イタリアの残酷動物パニック映画「猛獣大脱走」。ジャッキーアクションですごくいい気分のところで、人が豹に食われたりゾウの踏み潰されたりするのを見せられるのは、かなわないです。小さい子にはトラウマになるかも。こんな番組組やがって、東宝東和め。

3、「シンデレラ」と「アドベンチャー・ファミリー」(静岡有楽座)
  「シャイニング」と「チェーン・リアクション」(アートシアターミラノ)
  「ワイルド・ギース」と「刑事マルティンベック」(静岡オリオン座) 
これらは、番組というよりも、その時に上映されたフィルムの問題でして、「シンデレラ」「シャイニング」「刑事マルティンベック」が、東京公開版よりも短縮版だったのです。二本立てのために短くしたのかどうかはわからないのですが、そんなことしてたんですよねえ。ところが、今、Webの映画データベースを検索すると、その短い方が公称値になってるものもあります。うーん、映画の上映時間ってのはかなり流動的なのかしら。

上記以外でも、二本立ての見応えを感じさせるものは結構ありまして、「鬼火」「ローマに散る」(アートシアターミラノ)、「ザ・カー」「センチネル」(静岡東映パラス)、「天国から来たチャンピオン」「ファール・プレイ」(静岡東映パラス)といって番組が印象に残っています。

「ピンクパンサー」は定番コメディとして面白い

またまた、新作の話です。109シネマズみなとみらい横浜シネマ5で「ピンクパンサー」を観てきました。ここは、スクリーンと最前列との間にそこそこのスペースがあるので、混雑して、前から2、3列目になっても、それほど苦にならないで映画鑑賞ができるという点で気に入ってます。ただ、シネコンの中ではキャパの割にはスクリーンが小さいという印象もあります。

サッカー、フランス対中国戦で衆人環視の中で、フランスの監督が殺害され、さらに彼のしていたダイヤ、ピンクパンサーが盗まれてしまいます。フランス警察のドレフュス警視(ケビン・クライン)は犯人捜査にあたってマスコミの目をそらすために、ドジで有名なクルーゾー(スティーブ・マーティン)を警部に昇格させ、事件の捜査をせよと命令します。クルーゾーは独自の捜査を始めるのですが、行くところでトラブルばっかり起こしてしまいます。果たして犯人を捕らえることができるのでしょうか。

ピンクパンサーシリーズは、2,3,4を劇場で観ています。ピーター・セラーズ扮するクルーゾー警部がムチャクチャやってるうちに事件が解決するというドタバタコメディでして、特に、3のスパイ映画のパロディから、スケールの大きなナンセンスコメディに展開していくのがお気に入りでした。セラーズ亡き後、今回はスティーブ・マーティンがクルーゾーに挑戦すろというので興味でました。最近のマーティンの映画はどちらかというと受けのキャラが多かったので、クルーゾーという攻撃的なボケをどう演じるのかに期待がありました。また、最近、劇場にかかるコメディが少ないので、コメディというだけで食指が動いてしまいます。

そこで、この映画はどうだったかというと、過去のピーター・セラーズのクルーゾーとは別ものだけど、結構笑えて楽しいコメディでした。演技とかを比較しても私には説明しきれないのですが、今回の大きな違いは、クルーゾーにペーソスを感じさせ、ラストでホントにヒーローになっちゃうというところ。要はダメな奴が最後で大逆転というパターンをクルーゾーでやっちゃってるのですよ。その違いを許容できれば、笑える箇所はたくさんありますし、かなり楽しめる映画に仕上がっています。クルーゾーのくどい映画になりそうなところをショーン・レヴィの演出がうまくまろやかにまとめたというところでしょうか。ただし、強烈なキャラで登場した主人公が最初は調子よくて、中盤挫折して落ち込むけど、後半盛り返してヒーローになるというのは、ハリウッド映画の定番なんですよね。ラブストーリー、学園もの、アクション映画などは大体このパターンにはめてしまうので、せっかくのクルーゾーをそのパターンに入れてしまうのはキャラの矮小化だと言われても仕方ないかも。

ギャグとしては、クルーゾーの無神経さ故に周囲が振り回されるドタバタと、実際にクルーゾーが意識的に行動して笑いをとるという、2パターンがあります。芸達者なマーティンとしては、後者をたくさんやりたかった節があって、時として、それがくどく見えることがあります。とはいえ、そのくどい部分のおかしさも捨てがたいものがありまして、アメリカ行きが決まった後の英会話教室のシーンなど、くどくやるから面白い。取調べシーンでいい刑事と悪い刑事を一人でやるというのも後者のパターンのおかしさでしょう。一方、シチュエーションとしてのおかしさでは、クライマックスの謎解きが大笑いでした。(謎解きの伏線があったってところに爆笑)全体として、まっとうなコメディをきちんとやってるって感じがいいのですよ。

脇のケビン・クラインは控え目に好演という感じでしたが、クルーゾーの部下役のジャン・レノが意外なおかしさを出しました。この人、アメリカ映画に出るとロクな役が来ないのですが、今回はいいポジションをゲットしたと言えるのではないでしょうか。また、秘書役のエミリー・モーティマーのメガネ美人ぶりがよかったです。もっとコメディで見たい女優さんです。歌姫役のビヨンセは、まんまのキャラなんですが、劇中で歌うナンバーがなかなかに魅力的でした。後、特別出演に近い形で登場の、ジェイソン・ステーサムとクライブ・オーウェンがきちんと映画の中でキャラが立ってました。こう並べると結構豪華キャストですね。

オープニングはまず20世紀フォックスのロゴが出て、コロンビア映画のロゴ、さらにMGMのライオンが出て、そのライオンに、アニメのピンクパンサーが割り込むというもの。最近の映画は始まる前の会社のロゴが多くてうっとうしいのがよくあるんですが、フォックス、コロンビア、MGMの3連ロゴというのは初めて見ました。映画のタイトルバックはピンクパンサーとクルーゾーがアニメで競演というもので、アニメのクルーゾーがちゃんとマーティンのキャラになってました。

見応え十分「ナイロビの蜂」

今回は渋谷シネパレス1で「ナイロビの蜂」を観てきました。かつて、1館のシネパレスの頃にはよく来たのですが、2館編成になってからは初めてでした。シネパレス1はかつてのシネパレスと同じ広さスクリーンサイズで座席数だけが減ったという感じで、昔と同様フラットながらスクリーン位置が高くて観易い劇場でした。

ケニヤ駐在のイギリス外交官ジャスティン(レイフ・ファインズ)の夫人テッサ(レイチェル・ワイス)が無残な死体で発見されました。テッサはそれまで、アフリカの貧しい人々への支援行動を続けてきていて、過激な言動が政府関係者からもにらまれていました。さらに、ジャスティンにも黙って、何かを調査していたようなのです。ジャスティンはテッサの足取りを追っていくのですが、そこで、製薬会社がアフリカの貧しい人々を使って人体実験を行い、その結果を隠蔽しているという事実に突き当たります。テッサはそれを公にしようとして命を落としたことを知り、ジャスティンはテッサの自分に対する愛情を知り、そして、彼女への愛を確信するのでした。

「シティ・オブ・ゴッド」という映画で一躍国際的に有名になったフェルナンド・メイレレス監督の新作です。ジョン・ル・カレの原作をもとに、社会派ミステリーという形をとりながら、一つの愛の物語を描いています。オープニングでヒロインが死んでしまい、前半は、生前の彼女の回想シーンがメインとなります。リベラルで、正義感の強いテッサとおっとりした外交官ジャスティンが恋に落ちるのですが、テッサはジャスティンに自分の正義への熱情を隠しながら、彼の妻となります。ジャスティン自身もテッサの行動を深く詮索することはしないでいたのですが、彼女の死によって、彼は彼女のことをほとんど知らなかったという事実に直面することになります。まじめで有能な外交官であったジャスティンですが、妻が何を感じ、何を考えていたのかということに無頓着でした。そして、彼は彼女のやろうとしたことを彼女の後をたどることで追体験しようとするのです。

メインストーリーは二人の愛の物語なんですが、その展開の中で浮き上がってくるのは、アフリカの貧困と企業側のやりたい放題です。新薬の実験で、何人もの人が命を落としても、製薬会社は痛くもかゆくもないという実態にはぞっとさせられるものがあります。人体実験というとおどろおどろしいものがありますが、むしろ、経済的な観点から、安いコストで新薬のテストができるという発想ですから、その考え方は、例えば人口密度の低い田舎に核廃棄物処理施設を作るのと大差ありません。また、もう一つ、おぞましい話として、アフリカの人々を使ってテストした薬を、アメリカやヨーロッパの製薬会社は、自国での値段よりもうんと高い値段でアフリカに輸出しているという話が出てきます。本当だとしたらずいぶんとひどい話です。

さらに、事実の告発にあたって、イギリスの外務省アフリカ局長が彼女の口封じに一枚噛んでいたとわかります。製薬会社はイギリスに工場を作り、失業者に職を与え、国益に貢献しているのです。だったら、何してもいいのかというわけではないんですが、金の力は絶大なものがあります。とはいえ、この映画では、単純に正義と悪に二元論を振りかざすことはしていません。むしろ、部外者が目を背けたくなるそんな現実の中で、生活する人々を描いていますので、観ているこちらの方が後ろめたい気分になります。

ドラマは、テッサの足跡を追うジャスティンが最後に自分の居場所を見つけることになるのですが、これが最近の映画には珍しい、一種の心中ものみたいな展開になります。物静かなジャスティンに秘められた愛情の深さが、ホロ苦い後味を運んできます。ラストは、社会派ミステリーではなく、究極の愛の物語になるのですが、その流れが極めて自然なのは演出の力なのでしょうか。観終えて、映画としての見応え、満腹感が感じられ、お金を払って映画館に入ったら、こういう映画を観たいよねという一本に仕上がっています。

主演二人がすばらしくよくって、レイチェル・ワイスがアカデミー賞受賞も納得の大熱演でした。独善的な匂いも残しながら大変魅力的な女性になっていまして、彼女の出る映画はこれからも要注意のようです。また、セザール・シャローンのキャメラワークも印象的で、わざと人物より背景にピントを合わせたり、うーんと寄ることでインパクトを出したりする一方、引きのカットでアフリカの美しくの厳しい自然環境を切り取っています。

「小さき勇者たちGAMERA」は子供ならOKなのかな

新しい映画の話です。静岡ピカデリー2で「小さき勇者たちGAMERA」を観てきました。ここは劇場の広さの割りにスクリーンが小さくて、しかもやや見下ろす位置にあるので、一番前から3~5列めあたりがベストポジションになります。かつて名画座だった劇場ですが、ロードショー館とわざと一線を画したような作りになってます。まあ、今はロードショー館なんですが。

伊勢志摩の食堂の一人息子透少年は母を亡くし、やっと食堂も営業を再開したところです。そんなある日、島で光る石と卵を見つけます。そして、卵が割れてそこから生まれたのはちっちゃなカメ。透はそのカメに自分の幼い頃のあだ名トトと名付けて、自分の家に連れて帰るのですが、これが、1日でぐっとでっかくなるわ、空を飛ぶわ、何だコイツ、只者じゃないぞ。そして、海亀くらいに大きくなったトトはどこかへ姿を消してしまいます。一方、怪獣ジーダスが海から現れて人間を襲い始めます。志摩にも上陸して、透少年も襲われるのですが、そこへ、さらに大きくなったトトが現れて、彼を救いました。どうやら、トトはガメラらしいんですが、まだ、完全には成長しきれてない子供の状態で、ジーダスと真っ向から戦っては勝ち目がなさそう。果たして、ジーダスを倒すことができるのか、そして、トトの運命は?

「ガメラ大怪獣空中決戦」以降の平成ガメラシリーズと微妙に接点がある設定でして、1973年、ギャオスの群れとガメラが闘うシーンから物語が始まります。そして、その33年後、ガメラの存在を前提として物語は進んでいきます。正確な続編というよりは、似た設定ということになるのですが、まあ、そのあたりを細かく突っ込むのはヤボというものでしょう。とにかく、少年の掌の中で生まれた小さなトトが急激に大きくなって、人間を襲う怪獣ジーダスと戦うというお話です。お約束としては、ガメラは人類に対して献身的で、自己犠牲を厭わずに、血を流しながら闘うということ。そのお約束に対して、大人は徹底的にそれを利用とし、子供たちはガメラを友人として扱うというところにドラマのポイントがあります。そして、ガメラを助けるべく、お守ともいうべき赤い光る石をガメラのもとに届けようとし、透以外の子供たちがそれに協力するというところでドラマ的には盛り上がります。今回のガメラは子供だし、それほど強くないので、単体だとジーダスに勝てない、透たちの協力でやっと力を発揮できるという設定なので、昔のガメラに近い展開になります。その昔の「ダイゴロウ対ゴリアス」のガメラ版リメイクということもできます。

この類の助け合いドラマは嫌いじゃないですし、田崎竜太監督の演出は、なかなかに盛り上げることに成功しています。前半で主人公の家庭のようすを丁寧に描いてるところも好感が持てましたし、エキストラを一生懸命走らせたあたりも点数高いです。また、精巧なミニチュア特撮は最近の怪獣映画の中でもよくできていまして、あまりお金がかかっているように見えないけれど、シネスコ画面を丁寧に切り取った画面作りもあって、ガメラとジーダスの戦いは見事な出来栄えになっていました。(本編の絵が特撮に比べて狭苦しいのが今イチでしたが)

ただ、手放しで絶賛と行かないのが、怪獣映画としてのハッタリが、ラストで息切れしちゃうってことでしょうか。ガメラの赤い石を、見も知らぬ子供たちがリレーするという、ウソみたいな展開を、勢いで見せちゃうあたりはなかなかよかったのですが、エピローグに入ってから、その子供たちが自衛隊の前に立ちはだかるあたりで、失速してしまったのが残念でした。子供の視点なら、これは許容範囲なのかなあ。私は映画としてのウソみたいな展開には、結構許容範囲が広いつもりなんですが、ウソにはやっぱりハイテンションな勢いが必要だと思った次第です。

プロフィール

einhorn2233

Author:einhorn2233
Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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