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「M:I:3」はドラマ重視で成功

新作の話です。今回は先行上映の「M:I:Ⅲ」をワーナーマイカル海老名シネマ7のTHXスクリーンで観てきました。音響が珍しくDTSでしたので、ちょっと得した気分でした。この劇場では、「スターウォーズ」のリニューアル版を観たのですが、その時の音楽の素晴らしさが大変印象的でした。オーケストラの楽器の一つ一つが明瞭に聞こえてきて、エンドクレジットまで聞き入った記憶があります。

イーサン・ハント(トム・クルーズ)が一般市民の女性と恋に落ちて結婚することになりました。そんな彼が、が武器ブローカー(フィリップ・シーモア・ホフマン)に捕らわれているかつての教え子を救出するミッションで、ベルリンに向かいますが、最終的に救出に失敗してしまいます。彼は、逆にブローカーを誘拐して、大きな取引をつぶそうとするのですが、どうやら、組織に内通者がいて、彼らの行動は筒抜けみたい。教え子は死の直前にそれをイーサンに伝えようとしたらしいのです。そして、イーサンの恋人にまで敵の手はのびてきたのです。

アバンタイトルは、主人公が椅子に縛られていて、フィリップ・シーモア・ホフマンが猿轡の女性に銃を突きつけて、何やらカウントダウンしてるというもので、のっけから大ピンチじゃんと思っていると、おなじみのテーマ曲がかかってメインタイトル。しかし、タイトル明けは、主人公の婚約発表パーティということで、「あれ?」という展開になります。イーサン・ハントのプライベートな描写が結構あって、そこから、ベルリンのミッションに呼び出されるという展開でして、今回はミッションのサスペンスよりも、イーサン・ハントの周囲で起こる事件に主人公がどう立ち向かうのかという構成をとっています。巻き込まれ型ヒーローという感じでしょうか。一方で彼は常に自分の部下を使って行動しているので、チームワークで行動しているようにも見えるあたり、なかなか巧みな作劇といえそうです。この彼のクルーの動きとか、変装の仕掛けを織り込んだミッションなど、オリジナルのテレビ「スパイ大作戦」を彷彿とさせるものになっていました。これまで、無視され続けてきたオリジナルのファンへの目配せもあるというサービス精神は買いです。特に女性クルーのマギー・Qが大変魅力的でして、ハントを外したこのチームを使って、別の映画も作れそう。

テレビ出身のJ・J・エイブラハムズの演出は、クルーズのキャラに重きを置いてまして、ミッションの部分は意外とサクサクとドラマを展開しています。その結果、アクションシーンは派手な割には今一つインパクトが弱くなってしまいました。でも、その分キャラは立っていまして、映画としてのまとまりは感じさせるものでした。まあ、アクション部分が荒唐無稽すぎるところがあって、それが前面に出てしまうと映画がコメディになってしまったかもしれませんから、うまい采配だったと思います。


ここから先はネタばれも入ってますからご注意下さい。


今回の敵は、国際的な死の商人でして、これを、フィリップ・シーモア・ホフマンが演じることで、ドラマにかなりの厚みが出ました。前作では、悪役の影が薄くて、主人公の危機が今一つ盛り上がらなかったのですが、今回はとにかく悪くて根性が座っているので、その徹底したワルぶりがはっきり言って主人公を食っていました。さすがに、主演を食っちゃ娯楽映画としてまずかろうと思ったのか、ラストの意外な展開で彼のポジションがグレードダウンしちゃうのは残念でしたけど、タイトル前から登場して強烈な印象を残してるだけに、まあ、バランスを取ったというところなのでしょうか。でも、ラストでゲームの駒におとしめてしまうには惜しいキャラでした。

ハントのいるIMFって組織は、しょっちゅう内輪もめばっかしているみたいで、自分の家族にも身元を明かせないという割には、人事管理はいい加減です。それで、まあドラマが作られるというところもあるのでしょうが、善とか悪とかでは、割り切れない世界のありようがこんな娯楽活劇にも影を落としているのは、やはり、9.11テロ以降のアメリカを反映しているのかなとも思ってしまいました。そんな、ややこしい設定を、最後は、犯罪と私怨として結着つけてしまうのは、うまく逃げたという気もするのですが、「ステルス」のような能天気な正義を振りかざさないだけ、良心的かもしれないと思ってしまいました。今回の敵には一切の政治的なイデオロギーはなく、黒幕の論理ですら、アメリカの国益というのですから、スパイ映画も変わったものだと思います。

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「親密すぎるうちあけ話」みたいな恋愛の形ってあり?

また、新作の話です。今回は「親密すぎるうちあけ話」を日比谷シャンテシネ1で観てきました。ここは、指定席にすると段取りに若干難ありなんですが、朝1回目は自由席なので、そこが狙い目と言えます。4階のシャンテシネ1は傾斜がたっぷりある映画館で、前の人の頭が気になることはありません。また、昔は非常口の明かりが画面に入っていたのですが、今は上映時は消灯するので、これも大丈夫。

税理士のウィリアム(ファブリス・ルキーノ)の自宅兼オフィスをある日アンナ(サンドリーヌ・ボネール)という女性が訪れます。そして、自分が夫と上手く行ってないことを語りだしました。どうやら、同じフロアの精神科医と間違えたらしいのです。でも、事実を言い出せないまま、2回の訪問を受け、彼女の夫婦関係の話まで聞いてしまいます。そして、彼女に会いたいと思うようになります。ウィリアムはもともと自分から積極的にアピールするタイプではなく、妻とも離婚したところです。そして、ついにはアンナも事実を知るのですが、なぜか彼女は、ウィリアムのところにやってきてセラピーみたいなことをするようになります。でも、彼女の望みは今の夫との関係修復。それと知ってて、ウィリアムは彼女の話を聞いてあげるのですが、何だか気持ちすれ違ってないかい....?

私にとっては「仕立屋の恋」「髪結いの亭主」のパトリス・ルコントなんですが、一捻りした設定の愛がドラマチックな結末を招くドラマの人というイメージがあります。近作の「フェリックスとローラ」では、そのドラマチックなところを迂回させたあたりにある意味でのまろみを感じたのですが、今回はポスターとか予告編はどこかコメディ仕立てで、どんな映画になっているのか大変楽しみでした。ところが、オープニングはサスペンス映画を思わせるような重厚な音楽に道を急ぐ女の足だけが映るというもの。「え、これコメディじゃないの?」と気付いたときにはドラマに引き込まれていました。

部屋を間違えられたウィリアムは、アンナに魅かれるようになります。アンナは夫と何とか関係を修復したいと思っているので、いわゆる片思いの状態。でも、アンナは彼を挑発するかのように自分の夫婦生活を彼に語り続けます。ウィリアムにしてみれば、アンナが自分をどう思っているのか気にかかって仕方がないのですが、それを問い詰めることができません。でも、彼女の話を聞く時間は彼にとっては待ち遠しい至福の時間。アンナはまるで、自分を男性だと思ってないみたいなのに、なぜ毎週自分の話をしに足を運んでくるのだろう。このどっちつかずの状況をウィリアムは自分から打開することはできません。そうすることで全てがチャラになってしまうような気がするからでしょうか。ファブリス・ルキーノの感情を押し殺した演技が見事でして、ほとんど自分の事務所兼住居から出たこともなく、ブリキのアンティーク玩具が趣味で、いつもネクタイを締めているという、普通なら女性から何の魅力も感じさせない男なんですが、そんな男にささやかな心の揺らぎが起こり、それが大きなうねりになっていく過程を見事に表現しています。

一方のアンナは、境遇は耐える女性のようでありながら、ウィリアムの前では奔放な女のような態度をとります。彼女の心はいつも不安定で揺らいでいるように見えます。本心はどこにあるのかよくわからない、彼女自身も気付いていないというキャラクターをサンドリーヌ・ボネールがちょっと神経質そうに演じています。確かにミステリアスな部分もあって魅力的な女性ですが、本音のところは最後まで曖昧で、また、それがウィリアムとミョーなバランスをとっているのがおかしかったです。でも、段々と服装がセクシーになり、彼を挑発するような態度をとるアンナの本気度ってどんなものだったのかしらん。

ドラマはほとんど一方的に翻弄される中年男の姿をリアルに描いていまして、最後の最後で恋愛ドラマとしての顔を見せるという構成をとっています。そして、一応のハッピーエンドとなるのですが、まだまだヒロインはウィリアムを翻弄し続けているのでした。こんな恋愛の形もありなのかな?と思いつつも、それって女性からするとどんな幸福につながるのかなって考えさせられるものもありました。片方にとっては、メインディッシュなのに、もう片方にとってそれはデザートでしかないとしたら、それは双方が食事を共に楽しんだと言えるのかしらって感じです。双方が幸福なら、そんなボタンの掛け違いのまま続く愛もあっていいのだと言われれば、返す言葉ありません。でも、私からするとちょっと不思議な恋愛の成就の仕方だと思った次第です。色々な人と、「この映画の結末、どう読む」という話で盛り上がれるかも。でも、三十代以降の人向けの映画かな。あまり、若造に語って欲しくないような。

シネスコ画面が、誰かの視線となって揺れ動くあたりがなかなかにエロチックでした。また、不安なストリングスを鳴らしたパスカル・エステーブの音楽も見事にドラマをサポートしています。

「ポセイドン」は災害映画です

これまた、新作でして、今回は藤沢オデオン2番館で「ポセイドン」を観てきました。藤沢オデオンは座席数は264席とそこそこですが、作りがミニシアターではなくて、昔ながらの映画館をコンパクトにまとめたというところがお気に入りです。デジタル音響も入ってますし、

豪華客船ポセイドン号は、航海中に新年を迎えて、ニューイヤーパーティの真っ最中。ところが、突然、大津波が船を襲いポセイドン号は180度転覆してしまいます。パーティ会場に留まるのは危険と考えたギャンブラー(ジョシュ・ルーカス)は船底の方へ上ろうとします、娘を探す元NY市長(カート・ラッセル)や実業家(リチャード・ドレイファス)たちも彼と一緒に上っていくことになるのですが、水と炎によって船は死体だらけ、そして、船自体もそう長くは持たないみたいなんです。果たして、彼らは生き残ることができるのでしょうか。

「Uボート」「ブレイクアウト」など骨太アクション映画を撮る職人ウォルフガング・ペーターセン監督の新作です。30年以上前の映画「ポセイドン・アドベンチャー」のリメイクですが、基本設定以外は登場人物とかドラマ展開はかなり違っています。オリジナルでは、信仰を失いかけてる神父が主役だったりして、人間の内面の葛藤の比重が大きかったのですが、今回は、とにかく危機また危機の連続によるサバイバルものに仕上げています。その分、1時間38分という大作にしてはコンパクトにまとまった映画になりました。

映画はニューイヤーパーティの船内からすぐに転覆し、展開はまことにスピーディでして、手際よく段取りを見せる演出は上手いと思いました。その一方で、要所要所はきっちりと引っ張りまして、狭いダクトに閉じ込められるシーンとか、水に潜るシーンなどは、かなり怖いものがあります。死の恐怖が伝わってくるあたりの演出は見事でして、その直接的な描写は、劇場でこそ実感できるものになってます。潜るシーンは観てるこっちも思わず息を止めてしまいましたもの。死の恐怖に比べたら、人間のドラマなんてちっちゃいというのも一つの割り切りとしてアリだと思いました。そういう意味ではまっとうなディザスター(災害)映画だと言えましょう。(それ以外の何物でもないという意味も含めて)

ただし、登場人物になかなか感情移入できない設定は娯楽映画としてどうなのかなあとも思ってしまいました。ギャンブラーや元市長という面々が、最初はエゴで動いていて、段々とヒーローになっていくという展開ではあるのですが、そこにリアルなキャラクターづけをしてるので、ラスト近くまで登場人物を応援する気分になれないのですよ。生きるか死ぬかの現場では、他人の死に躊躇してるひまはないってことはわかるんですが、そこにドラマとしての厚みが出なかったのは、主人公たちがずっと烏合の衆という設定にあったように思った次第です。とはいえ、それでも、痛い自己犠牲によって、生還者も何人かはいるのですが、その生き残った連中がこれから背負うものについても一切言及がありません。まあ、サバイバルという一点にドラマを絞り込んでいることは観ていてわかるのですが、単純娯楽映画としては、もう少し、登場人物に肩入れしたくなるような見せ方をして欲しかったと思ってしまいました。

SFXはCGを多用しているようなのですが、オープニングの昼間のポセイドン号がいかにもCGですって感じなのは減点でした。船のセットは豪華でしたし、転覆する船のシーンも迫力がありましたけど、CGの限界を感じさせる映画でもありました。クラウス・バデルトの音楽が、テーマ曲は悪くないのですが、劇中流れる曲が妙に軽くて、生きるか死ぬかの瀬戸際にアクション映画風の音をつけてるのは、かなりの減点でした。テレビ映画の音みたいに安いんですもの。大体、映画音楽はCDで聞きなおすと安っぽかったりすることがあるのですが、少なくとも劇場では大迫力で聞こえてくるものです。それが映画観てる最中に安く聞こえてしまうのは、かなりなものではないかしら。ペーターセンの映画というと、モリコーネ、ゴールドスミス、ジャールなどがいい音楽をつけていたのですが、今回は予算と時間がなかったのかな。

70ミリ映画の記憶

私が静岡にいた頃は、70ミリ映画を観る機会はありませんでした。大学に入ってから、東京に出てきてからは、70ミリ映画を観られるようになりました。新聞広告で70ミリと書いてあっても、それがどんなものなのかは想像がつきませんでした。

初めて観た70ミリ映画は、渋谷パンテオンでの「1941」でした。とにかくスクリーンがでかいという印象でした。この時は、6チャンネルステレオ音響でしたが、ドルビーは入っていなかったように思います。その後、初めて70ミリ6チャンネルドルビーステレオで観たのは、日劇での「スター・ウォーズ帝国の逆襲」でした。大画面、大音響の迫力はこういう映画にこそふさわしいという印象で、大満足だった記憶があります。その後、最初で最後のテアトル東京で、70ミリシネラマ方式で「ブラック・ホール」を観たのですが、映画のパワー不足もあって、「ふーん、こんなものかあ」という記憶しかないのが残念です。そして、渋谷東急で「アルタード・ステーツ」を観たときは、あまりの音のでかさに辟易した記憶があります。この時、上映にあたり、ドルビー・メガ・サウンド・システムという方式で上映されたそうで、通常の中低音だけのトラックにも普通の音を録音したのだとか。また、渋谷東急のスクリーンは70ミリの時、画面が上下に広がらないで、シネスコの横が狭くなった画面だった記憶があります。これは劇場の作りによるものなのでしょうけど。

デジタル音響が出回る前は、まだまだ大作は70ミリ上映されることが結構ありました。横浜に住むようになってからは、相鉄映画で「アンタッチャブル」、横浜ピカデリーで「007 リビング・デイライツ」、横浜東宝で「スター・マン」などを観ています。横浜の映画館は、70ミリになると画面が上下左右にでかくなるので、それだけでもワクワクしたものです。最後の70ミリ映画「遥かなる大地へ」は横浜東宝で観ました。

もう、この先、70ミリの映画を観る機会はないのでしょうね。シネコン、DLP,デジタル音響と、70ミリの入る余地はなくなってしまったのが残念です。技術の進歩は映画館の設備の底上げしてきているのですが、その分、映画館の華がなくなっているような気がします。例えば、私のようなオヤジ世代は、映画が始まる前に緞帳が上がる、幕が開くってのは、それ自体がハレのイベントでした。シネコンには、スクリーン前の幕はありませんし、従来の劇場でも、幕の開閉をしなくなったところが結構あって、寂しく感じることがあります。映画館でしか観られなかったニュース映画も最近は見かけなくなりました。割と最近まで、神奈川ニュースは上映されていたのですが、もう作っていないのかな。

「ダヴィンチ・コード」ってどこがダヴィンチ?

またまた、新作のお話です。今回は出張先の松山の大街道シネマサンシャイン4という映画館で「ダヴィンチ・コード」を観てきました。松山市内のビルの中のシネコンです。一番大きなスクリーンが144席というところなんですが、フラットな座席でもスクリーンや天井が高いので見易い映画館でした。ただ、音響がドルビーステレオだけで、あまり立体感もなかったのはちょっと残念でした。

ルーブル美術館で、館長が惨殺されるという事件が発生します。彼は死ぬ前に名指しでダイイングメッセージを残しています。指名されたのは、大学教授のロバート・ラングトン(トム・ハンクス)。現場で捜査を指揮しているファーシュ警部(ジャン・レノ)はロバートを疑っているようです。そして、さらに現場に現れた暗号解読班のソフィー(オドレイ・トトウ)は死んだ館長の孫だと名乗り、ロバートの逃走を助けます。どうやら、ある秘密を巡って、館長が殺されたことがわかってくるのですが、その裏には、キリスト教内部の権力闘争が絡んでいるらしいです。その秘密とは何なのか、そして、それを隠し通すために次々と殺人を犯す連中の正体とは?

原作はベストセラーだそうで、最近はこの映画の公開に合わせて、テレビでも様々な番組が放送されています。物語の核となる、キリストの秘密について、宗教団体から抗議も出ているそうで、まあ話題を集めるほど、映画はヒットしますし、上映中止運動のおかげで余計目に観客を集めた映画と言えば「エクソシスト」とか「スナッフ」とかもありましたから、驚くにはあたらないのですが。

ともあれ、映画は殺人事件を発端にサスペンススリラーとして展開していきます。最近の大作職人ロン・ハワードは、主人公二人がどんどん追い詰められていく演出にうまみを見せて、2時間半を一気にみせきります。出てくる連中が誰もが怪しくて、主人公たちが孤立しちゃってるという見せ方は成功しています。連続殺人の黒幕がわかってくるあたりは勢いで見せすぎてわかりにくいところもあるんですが、キリスト教を知る人には、犯人の動機や組織関係はある程度、自明のものなのかもしれません。また、キリストの秘密については、映画の中盤でかなり丁寧に説明されるんですが、実はそれがドラマの柱ではないってところがミソというか、商売上手という印象でした。

その秘密の説明で、ダヴィンチの「最後の晩餐」を使っているので、この映画は「ダヴィンチ・コード」という題名になっているのですが、これが、別にダヴィンチだけが知っていたというわけではないので、題名はかなりハッタリ入ってると言えます。ダヴィンチの視点からすれば、ある人々が言ってることで、世間的に言うとヤバイようなことを自分の絵に織り込んだというところでしょう。映画でも、ダヴィンチの絵は、あくまで秘密をもっともらしく見せるための道具として、説明の時に使われるだけです。それも、ダヴィンチが本当にそういうメッセージを込めたのかどうかは、確信がなくって、「ま、多分そうでしょう」というレベルなので、珍説の一つになってしまうかも。きっと、この秘密というか仮設には別にきちんとした根拠がありそうなんですが、ダヴィンチ・コードにその鍵を持ってきたことで、かえって胡散臭くしているという印象があります。ひょっとして、リアルに見せないための一工夫なのかもしれません。

ダヴィンチ云々よりも、この映画で描かれるキリスト教ってかなり悪役なんです。上は権力闘争していて、そして末端の人間を騙して、人殺しや不正なことをそそのかす。それを、神の意志だなんて、平気な顔で言い切るものですから、キリストがいくらいい事したって、後継者に恵まれないとロクなものにならないという現実が見えてきます。特に、自分らに都合の悪いことはなかったことにするとか、記録を抹消するなんてのは、歴史の中でも色々な人がやってますし、今だって、ヤクザからお役人まで皆さんやってることですから、聖職者だけがその例外になるとは思えません。この映画に出てくる聖職者のみなさんはロクなもんじゃないのですが、それはキリスト教を冒涜していることにはならないでしょう。9.11のテロをやった異教徒もキリスト教徒も根っこのところ、つまり人間というところでは変わらないのです。この映画は、自然な人間のネガティブな側面を描いているのですから。ただし、権力者が末端の人間を騙して食い物にしてる図というのは、非権力側から見ればかなり不愉快ではあります。

でも、この映画はそういう人間のドロドロしたところではなく、もう少しロマンチックなところへ物語を着地させてくれますから、嫌な後味が残る映画ではありません。

演技陣が豪華でして、ハンクスやレノの他にも、イアン・マッケラン、アルフレッド・モリーナ、ポール・ベタニー(好演)などがドラマに奥行きを与えています。ですが、何と言っても、この映画では、オドレイ・トトウのヒロインが光っていました。「アメリ」の不思議ちゃんのイメージが強いですが、「堕天使のパスポート」や「ロング・エンゲージメント」など色々なキャラを演じています。特に今回は、映画の展開に沿って、キャラが変わっていくという難役を見事に演じて、大変魅力的でした。ラストにいい後味を残すことに成功したのも彼女あってのことでしょう。

音楽を担当したのは、ハンス・ツィマーでして、今回は本人がプロデュースだけでなく、全面的に作曲しています。コーラスとオケにシンセという音づくりは、シャープさよりも、スケールの大きさを感じさせる音作りになっていました。ただ、映画の主たる展開であるサスペンススリラーの部分を盛り上げる音楽でなかったのは、ちょっと残念でした

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einhorn2233

Author:einhorn2233
Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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