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これもドキュメンタリー「狩人と犬、最後の旅」

今回は横浜シネマリンで「狩人と犬、最後の旅」を観て来ました。その昔は洋ピンを上映していたイセザキシネマですが、その後、普通の映画も公開するようになり、名前も横浜シネマリンに変わりました。シネマリンになった直後「ハリウッドに口づけ」といった洋画ロードショーを観に行った記憶があるのですが、コンクリートむき出しの床で、ステレオ設備もなく、非常に場末感の強い映画館でした。それが久しぶりに行ってみれば、カーペット敷きの場内はかなり小奇麗になっていて、スクリーンは小さいものの、ちょっとしたミニシアターという作りに変わっていました。関内に2館だけ残る映画館ですから、なんとか存続して欲しいものです。

カナダのロッキー山脈で狩を営むノーマン・ウィンター(本人)はそろそろ引退を考えています。大手企業の森林伐採が進み、生態系は崩れつつあり、彼の狩猟方法である罠を仕掛けることも難しくなってきていました。冬の狩猟シーズンに向け、町に買出しに出かけたノーマンですが、そこで、長年の相棒であった猟犬のナヌークを交通事故で失います。ナヌークは犬ぞりを引く犬たちのリーダー格でした。友人が代わりの犬としてメスのアパッシュを彼にプレゼントします。ノーマンはアパッシュにあまり期待していなかったのですが、氷の湖にはまった彼を助けたことで、アパッシュは一躍ノーマンにとっての特別な犬となります。そして、冬が終わり、春がきます。次の冬にノーマンは再び狩猟のために山に入ることになるのでしょうか。

冒険家としての名前もあるニコラス・ヴァニエがある時知り合ったノーマン・ウィンターという猟師に感銘を受け、彼自身を主人公にした映画を作ったのだそうです。ヴァニエが脚本・監督を担当していて、これはドキュメンタリーではなく、実際にあったことをベースにしたドラマなのだそうです。ちょっと考えるとややこしいですが、その昔、力道山や稲尾投手の本人が主演する映画があったそうですから、それと同じ類のものかも。さらにさかのぼれば、ドキュメンタリーと言いながら、相当演出の入っていたロバート・フラハティの「アラン」までたどり着くかもしれません。ともあれ、こういう作りの映画はまったくなかったわけではないです。

映画はノーマン・ウィンターの日々の生活を淡々と綴っていきます。犬ぞりを使って移動し、罠を仕掛けて狩をする彼の日常はそれだけで、映画的な興奮があります。さらに、新しい犬アパッシュをめぐるエピソードが挿入されますが、ドラマチックな展開にはなりません。ノーマンは自分たち猟師の存在が生態系の維持に貢献しているという自負がありますが、企業の森林伐採による生態系の崩壊によって、その役割も終わろうとしているという達観もあります。もう、彼のような猟師はほとんどいないのです。監督のヴァニエは、その失われつつある生活や文化というものを映像に残そうとしているのかもしれません。

ドキュメント風な作りではありますが、その映像の作り方は完全にドラマとしての完成度を持っています。特にティエリー・マシャドのキャメラはシネスコのフレームを最大限に生かして、かつリアルな移動ショット、俯瞰ショットを切り取っており、極寒の山岳地帯の撮影ながら、素晴らしい映像になっています。山の急斜面を登っていく犬ぞりですとか、氷の張った湖のたたずまい、春の清流で鮭を狩る熊、狼の群れの夜間ショット、大自然を切り取るその視線は画家のそれに近いものがあります。ありのままというには、あまりにも美しい構図は必見と言えましょう。

また、主人公のちょっと饒舌なナレーションが気になったのですが、、主要人物(全て実在する人)は声を俳優によって吹き替えているのです。事実の映画化から始まった企画ながら、その映画化にあたって、最大限の創意工夫がされているのです。その結果、観ている方はあたかもそこにあることのように感じることができるのです。当初、本人が主演する映画ということである種の胡散臭さを感じていたのですが、実際に本編を観ると、なるほど、これがドキュメンタリーの一つの作り方なのだな、と納得させられるものがありました。

当然、そこには、作者の明確な視点が含まれていまして、ノーマン、そして猟師たちへの想いが映像に込められています。しかし、ヴァニエは彼らの生活をできる限り淡々と描くことで、そのメッセージに説得力を与えるのに成功しています。自然の中で、その一部として生きることは、確かに素晴らしいことかもしれないですが、今、全世界の人間がそんな生活をできるかというと、それは無理。人間が増えすぎたために、自然もいつかは淘汰されざるを得ないだろうという視線がこの映画には感じられます。ノーマンはもう今年が最後の狩りになるだろうと考えています。そして、町へ下りて職探しをしなくてはとも言います。人間と自然との共存なんてかっこいいことを言っても、実際の当事者たちはその限界を知っている、そんな切ない思いを感じさせておいて、ラストで、それでもノーマンの猟師としての暮らしはまだまだ続くという見せ方をして映画は終わります。それを希望と見るか、現実の先送りと見るか、色々と考えさせるものがありました。

でも、その一方で、あの美しい風景を一度、直接見てみたいものだという観光気分にもさせられる映画でした。ただ零下50度の世界にまで出かけて、死ぬ思いをするのだろうと思うとなあ。

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問題作じゃない「太陽」

またしても新作なんですが、川崎チネチッタ5で、昭和天皇を描いて話題の映画「太陽」を観てきました。銀座シネパトスでは整理券入場の行列ができてますが(さらにシネパトスで指定席ですって、ウソみたい)、こっちはさほどの混雑もなく、地下鉄の音が聞こえない環境で、静かな鑑賞ができました。

昭和20年、敗戦まぢかの昭和天皇(イッセー尾形)の朝食シーンから、映画は始まります。朝食を終えた彼は御前会議に出席し、ヘイケガニを観察し、自分の言行を記録させます。戦争が終わると、彼はマッカーサーと会見し、米軍のカメラマンの前に立ちます。そして、ついに、彼は自分を人間だと宣言し、それによって彼の魂は解放されるかのように思えるのですが、彼は周囲の日本人からすれば神であるようなのです。皇后(桃井かおり)はそれを全て見透かしたようで、彼を守ろうと強い意志を垣間見せるのでした。

映画で昭和天皇を扱うのは一種のタブーになっていまして、今までも「日本の一番長い日」などに登場しましたが、そのキャラクターを描いたものはなかったように思います。それを、ロシアの監督アレクサンドル・ソクーロフがロシア、イタリア、フランス、スイスの合作映画として作ってしまったのですから、これは一つの事件とも言えます。大東亜戦争終結前後の昭和天皇の人となりを描こうというのは、日本ではなかなかできることではありません。ただ、なぜ、そんなにもタブーなのかってところが曖昧になっていたので、外国映画としてこの映画を観てみれば、へえ、やればできるし、それってどうってことないよねえという気分にさせられます。客観的に観れば、「ヒトラー、最後の十二日間」をドイツ以外の国の資本で作ったようなものです。(実際、これはドイツ映画でしたけど)

内容的には、まず昭和天皇の日常がまるで舞台劇のような重厚さで描かれます。イッセー尾形が演じている昭和天皇の姿が、かなりデフォルメされた(と思われる、何しろ、天皇の人となりなんて見たことも読んだこともないので)キャラクターで描かれています。現人神という枠の中で汲々としながらも、その一方で見せる科学者としての天皇。基本的には王様みたいなもんですから、下々の事まではわからないし、いわゆる世間とは隔絶された世界に住んでいるわけです。情報が遮断された環境にいる天皇が何を思ったのだろうかというところを好奇心に満ちた視点でドラマは語られていきます。朝食から着替えをして、閣議に臨むまでを異様な時間間隔でじっくりと描いていまして、その沈殿しているような存在は、まるで牢獄に軟禁されているようでもあります。

しかし、日本が敗戦を受け入れ、進駐軍と関わるようになって、そのこう着状態が破られるのです。米軍のカメラマンは、天皇をチャップリンのようだと言い、無遠慮にレンズを向けます。マッカーサーは、この映画の監督と同様に、大きな好奇心をもって昭和天皇に接します。このあたりの描写は重厚でコミカル。天皇をとりまく空気は大変重苦しいのに、当の本人は普通にしてるという、そのギャップが妙なおかしさを運んできます。庶民は、価値観の大変換で大変な思いをしている(この映画では庶民の描写は一切ありません)のに、天皇本人は台風の目のように飄々としているのです。天皇はある意味、歴史そのものであるのですが、ここで描かれる天皇は歴史とは切り離された存在でして、その人となりは、歴史とは無関係だとも言いたい見せ方が、日本人にはある種のタブーを感じさせるのだと思いました。

昭和天皇という人物への敬意を伴った好奇心がこの映画のあちこちから感じられます。その好奇心は、日本人である私にとっては結構新鮮でして、だんだん観ているうちに「今まで、あまり考えたことなかったけど、昭和天皇ってどんな人だったんだろう」という興味がわいてくるのです。歴史、特に戦争とか軍部との軋轢などと切り離した、ヒロヒトという人物はあまり語られたことがなかったように思います。(例えが悪いですが、「ヒトラー、最後の12日間」では、ヒトラーの人物像は描かれていませんし、それへの興味をかきたてる見せ方はしていません。)人間なら、長所も短所もあり、時として滑稽で、時として悲しい。そんな、当たり前な人間の姿に迫るとき、一歩間違えるとその人を貶めてしまう可能性があるのですが、そこを前衛舞台劇のような構成で、リアリティと一線を画して、肉薄しているようで距離感を置いているという離れ業を見せてくれています。これなら、天皇に対して特殊な感情を持つ日本人にも(右にも左にも)ハードルの低い映画になります。

クライマックスで、昭和天皇は人間宣言をすることで、自分の呪縛から解放されたごとき表情を見せます。その後、皇后との会話で、それで全部片付いたわけではないという見せ方をして映画は終わります。イッセー尾形は、一人芝居の過剰な舞台演技を持ち込むことで、この映画の空気と見事にマッチした昭和天皇を演じきりました。また、ラスト近くワンシーンだけ出演の皇后を演じた桃井かおりの存在感が見事でした。彼女は、いつものリアルな演技を見せ、二人のやりとりがうまく噛み合わないあたりの演出は見事だったと思います。

「幻遊伝」はアイドル映画としてマル

また、新作ですが、今回は平塚シネプレックス5で「幻遊伝」を観てきました。ここは典型的なシネコンでして、劇場のつくりは縦長のものが多く、傾斜は劇場の後半から立ち上がっていて、スクリーンは高めという作りなので、ベストポジションはかなり後ろの方になるという映画館です。大きなスクリーンの7.8は縦長感もなく、大劇場の風格があります。他のシネコンに比べて、壁面のスピーカーがよく鳴っているという印象があります。

日本人ながら台湾で漢方薬店を営む父と折り合いの悪いシャオディエ(田中麗奈)は、友人と遊びに出かけて、映画の古いセットに入り込んで、そこで落ちてきた額に頭をぶつけて意識を失います。気がつくと彼女は昔の台湾にいて、義賊に間違われて役人に追われる羽目になります。彼女は、脱獄したハイション(チェン・ポーリン)とアーゴウという若者、そして、キョンシーを故郷へ連れ帰る途中の百鶴道士と知り合います。帰るところもないシャオディエは彼らに同行し、ハイションといい雰囲気になります。しかし、浄心道士の陰謀に巻き込まれた彼らは散り散りになり、シャオディエとハイションは何とか、ハイションの故郷に帰り着くのですが、そこへも追っ手がやってくるのです。果たしてシャオディエは現代に帰ることができるのでしょうか。そして、シャオディエとハイションの恋の行方は如何に?

日本のアイドルを主演に、現代の台湾から時間を超え、そこで、キョンシーやらカンフーアクションを盛り込んだ、ごった煮のような娯楽映画です。撮影当時でも25歳の田中麗奈をつかまえてアイドルはないだろうと言われそうですけど、実際、これは明らかにアイドル映画の作りになっています。大筋は、父親と仲違いした生意気な小娘が、冒険を通して成長して、父親と和解するというものなのです。そして、どう見ても、この映画の彼女は、17,8の小娘なんです。ちゃんとそう見えるように撮ってあるから文句はないんですが、日本での今の田中麗奈のイメージからするとギャップがあるのは事実です。とは言え、彼女のかわいさがこの映画の中でかなりポイントを稼いでいるのは事実でして、前半の生意気ギャルのところは、化粧も濃いし、何だか無理してんのかなあって思っていたら、後半、衣装替えをした後の彼女はまさに可憐なヒロインになっていました。意外(?)なことに、25歳の田中麗奈がきっちり萌えの対象になっているのですよ。そういうふうに見せる作りになっている映画は、やはりアイドル映画ということになるのではないかしら。彼女に本格的なアクションは無理だとしても、それなりに殺陣をやらせたり、後半は不自然に衣装替えをして、そのかわいさを際立たせようというあたりは大変マジメな作りのアイドル映画ということができます。

そして、キョンシーやら、悪霊みたいのが出てくるのは、その昔の「霊幻道士」とか「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」を思いださせてくれます。昔に比べれば、視覚効果は格段に進歩してるのに、ワイヤーアクションはあまり変わってないなあとか、相変わらず死人にムチャさせるなあといった感想を持ってしまうのですが、そう言えば、これらの映画にはかわいい女の子がお約束で登場してたなあってことも思い出しました。ムーン・リーとかテンテンちゃん、女幽霊ジョイ・ウォンとかですね。でも、彼女たちはアイドル的な存在か、まっとうなヒロインのどっちか片方の役割しか担っていませんでした。今回の田中麗奈は、アイドルであり、ヒロインでもあるという描かれ方をしてまして、ラストの時間を超えた恋を携帯電話で締めるあたりは、韓流映画のような、ベタだけど憎めないという味わいがあります。そして、そのドラマを支えているのは、田中麗奈の演技力がきちんとドラマに筋を通していたからだと後で気付きました。冒頭のキャピキャピの小娘が、時代劇に放り込まれて、段々とシリアスなヒロインになっていき、ラストは現代の女の子、でも以前よりちょっと成長しました、という流れをきちんと演じきっているのです。

実際にタイムスリップしたのは、ヒロインの魂だけで、彼女の体は現代で死線をさまよっています。また、現代の漢方薬店の店員がハンションと瓜二つという設定や、魂を呼び戻す儀式をヒロインの父親(これを演じているのが大杉漣)が知っていたり、輪廻や前世がこの映画のキーワードになっています。また、このヒロイン、日本人の両親のもと台湾で生まれ育ったという設定なんですが、映画の冒頭では、早く日本に帰りたいとキンキン声でわめいていたのが、ラストでは、台湾に留まる決心をします。どうやら、日本人だけど前世は台湾の人だったみたいなんですね。このあたりをアジアは一つと見るのか、製作国へ敬意を表したと見るのか、微妙なところです。

脇役では、百鶴道士を演じたリー・リーチュンがコミカルだけど頼りになるオヤジを好演し、またアーゴウ役のホン・ティエンシャンがいい味を出しました。お話の展開が唐突で「え?」と思うシーンも結構あるのですが、チェン・イーウェンの演出は、お話の無理っぽさを感じさせない独特のテンポでなかなかのうまさを感じさせました。

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einhorn2233

Author:einhorn2233
Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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