FC2ブログ

丁寧な作り「16ブロック」に共感

今回はまた、川崎チネグランデで「16ブロック」を観て来ました。チネチッタが全面改装されたときに唯一残った独立した映画館でして、800席の広さと大スクリーンは大劇場にふさわしいスケールを誇っています。ここで「ダンス・ウィズ・ウルブス」を観て感動したことを思い出します。ただ、今回は音量がやけに絞られていて、ドルビーデジタルの音の迫力が感じられないのがちょっと残念でした。

酒浸りの警官ジャック(ブルース・ウィリス)が、夜勤明けに、ある証人を裁判所に送り届ける仕事を仰せつかります。気の進まないジャックですが、その証人エディ(モス・デフ)を車で送り届けようとしたとき、エディが何者かに銃で撃たれそうになります。何とかジャックはエディを連れてなじみの店に逃げ込みますが、そこに現れたのは、かつての同僚フランク(デビッド・モース)でした。どうやらエディは悪徳警官を告発するための証人であり、彼の証言により、フランクやその同僚たちもまずい立場になるのです。エディに銃口を向ける刑事たち、その時、ジャックは刑事に向かって発砲、エディを連れて逃げ出すのです。しかし、警官を敵に回して果たして逃げおおせることができるのでしょうか。そして、裁判所のタイムリミットは刻一刻と迫ってきているのでした。

「オーメン」や「リーサル・ウェポン」など娯楽映画の職人として知られるリチャード・ドナーがブルース・ウィリスを使って、娯楽サスペンスアクションをつくりました。設定はシンプルでして、裁判の証人を裁判所まで届けることができるかどうかというお話です。敵は警官なので、どう転んでもこの勝負、主人公に不利なんですが、果たして無事に当初の目的を果たせるかというのがサスペンスとなります。さらに、この映画には、酒浸りだった主人公が何とか人生をやり直そうと思い始める経過も並行して描かれまして、単に善玉悪玉の戦いだけでない人間ドラマの部分も丁寧に描かれています。このあたりに、娯楽職人の腕を感じさせる、よくできた佳作に仕上がっています。

やたらと口数の多いエディと寡黙なジャックのコンビの逃亡劇は、一種の時間限定のバディムービーと言えます。その逃亡の経過の中で、二人の過去が見えてくるという展開の手際のよさはなかなかにお見事です。特に、ジャックの過去を小出しにしていくあたりの脚本のうまさが光りましたし、エディとジャックが意表を突いた行動をとるあたりもそれなりの説得力を見せて、荒唐無稽にならないあたりは、ドナーの演出によるところが大きいと思いました。

この映画の中では、人は一度道を踏み外してもやり直しができるというテーマがかなり前面に出てきます。果たして本当にそうなのかどうかはわからないけれど、「過去にとらわれていて、今、正しいと思うことができなくなるのはまずいよね」、という描き方には共感を覚えました。時として、それが愚かな行為に見えたり、自爆行為になっちゃうことがあったとしても、今の良心の声に従うべきだというのは、現代に置いて、かなり身近なテーマなのではないかと思います。ただし、過ちを犯した人がやり直すためには、本人だけが頑張ってもダメで、周囲の人々がやり直そうとしている人を受け入れてあげないと実現できません。この映画では、その可能性をきちんと描いていまして、バスに立て篭もった時、ケーキの絵で人質の子供の気持ちをやわらげようとするシーンや、主人公と妹のやりとりなど、単なる娯楽映画以上のドラマの細やかな書き込みが見事でした。娯楽映画だからこそ、小さなエピソードを大事に積み重ねるべきなのでしょうけど、最近のジェットコースター型の映画は、そういう脇道へそれることは観客を退屈させるとでも思っているのかのごとく、ばっさりと切り捨てる傾向があります。この映画は、登場人物に厚みを加えるための手間を惜しまずに、きちんと見せてくれていますので、主人公に共感できますし、後味も単なる事件解決以上の余韻を残すことに成功しています。

ドラマの肉づけがきちんとしてるということになるのでしょうが、悪役側のデビッド・モース演じる刑事の描き方も単なる悪党以上のキャラになっています。彼は、善玉から悪役まで、何でもこなせて、説得力のあるキャラを作れる人なのですが、今回も、有能な悪徳警官というキャラをきちんと演じきっていまして、冷酷な悪役に血を通わせることに成功しています。この人の出る映画は必ずチェックしてまして、どの映画もはずれがなく、最悪でも彼を見ているとモトが取れる貴重な役者さんです。

スポンサーサイト



色々な見方ができて楽しい「心の棘」

今回も振作で、藤沢キネマ88で「心の棘」を観てきました。身近にある快適な映画館、シネコンとは一味違う、こういう町の映画館で、こういう映画を観ることができるってのはある意味贅沢なのことなのかもしれません。

アナ(ニコル・キッドマン)は夫ショーンを失って10年、新しい恋人ジョゼフ(ダニー・ヒューストン)のプロポーズをようやっと受け入れます。そんな矢先、彼女の前に10歳のショーンという少年が現れ、自分は10年前に死んだ夫のショーンであり、ジョゼフとは結婚するなと言い出します。そんなバカなことが思ったアナですが、少年は夫と自分の秘密まで知っていました。そして、だんだんと彼女は少年が夫のショーンであると信じる気持ちが強まっていきます。果たして、少年は本当に10年前に死んだ夫の生まれ変わりなのでしょうか。

生まれ変わりを題材にしたミステリーの一編です。MTV出身のジョナサン・グレイザー監督が、ニコル・キッドマンをヒロインに、ダニー・ヒューストン、ローレン・バコール、アリソン・エリオット、ピーター・ストーメアにアン・ヘッシュという一癖ある面々が顔を揃えて、あり得ないお話を見ごたえのあるドラマに仕上げました。超自然スリラーのような、ミステリーのようなメロドラマのような、色々な切り口を持ったストーリーは、観る人によって、様々な顔を見せてくれます。グレイザーの演出は解釈の余地を残してドラマをしめくくることで、さらに奥行きを感じさせることに成功しています。ただ、私にとって、この映画は悲劇と苦い後味を残しました。


この先はドラマの結末に触れますのでご注意下さい。


このヒロインが最初の夫の死から、なかなか立ち直れず、新しい彼氏との結婚にも踏み切れなかったらしいことが冒頭で示されます。ニコル・キッドマンは繊細で壊れやすいヒロインを演じきりました。アップの長回しも多い映画でしたけど、彼女は見事にその演出にこたえていました。それだけに、段々と、少年が夫のショーンに見えてくるところが痛々しいものがありました。最初のうちはまともに取り合っていなかった筈のアナがいつの間にか少年と離れられなくなってしまう、それは少年がショーンに似ているからではなく、死別した夫が10年間で彼女の中で必要以上に大きな存在になってしまったからではないでしょうか。少年にとっては、運命的なめぐり合わせがあったものの、基本的には、思春期の揺らぎの一つの形として、若い未亡人への恋愛感情になったのではないかと思うのです。そして、少年が本当に亡夫の生まれ変わりなのかどうかは、実はこの映画の中であまり重視されていないのです。一応の説明はされるけど、ホントのところ疑問の余地もあるという見せ方をしています。夫であるショーンは果たして生前どんな人間だったのか、本当にアナを愛していたのか、でも、映画はそんなことにはほとんど興味がないように進んで行き、アナがどのように壊れていくのかを追っていくのです。

10年前に死んだダンナの亡霊に振り回されるヒロインは正気を失っているように見えます。亡霊が彼女に付け入ることができたのには、新しい彼氏、ジョゼフに対してアナが漠然とした不安を感じていたからではないかと思わせるところがあります。ダニー・ヒューストンが大変細やかに演じたジョゼフというキャラは、どこか観客を不安にさせるような一面があり、ショーン少年が「ジョゼフと結婚するな」と言い出すと、何だか少年の方に肩入れしたくなります。そして、それは実はアナが望んでいることではないのか、マリッジブルーで気分的にローになっている彼女の背中を押すかのように現れた亡夫の亡霊は、見事に彼女の望むツボを突いてくるのです。ところが、亡霊はいいところでその姿を消し、アナの心は宙ぶらりんのまま放り出されてしまいます。ラスト近く、ジョゼフに謝罪し、もう一度やり直したいと訴えるアナの姿はあまりにも痛々しく、心が冷めかけていたジョゼフも、同情半分で彼女の謝罪を受け入れたように見えます。

しかし、彼女の心に憑りついた亡夫の亡霊は、彼女を簡単には手放さなかったのです。何の罪もないヒロインが最後までその呪縛から逃れられないラストは恐ろしいものがあります。そして、ジョゼフもそんな壊れかけのアナを一生看取ることになるのではないかと思うと、これは悲劇のデッドエンドだと言えましょう。そもそもの原因をたどると、やはりショーンという少年に行き着くことになり、こいつがある女性の人生を壊した(幸福の可能性を摘み取った)とも言えます。子供が大人の世界に首を突っ込んで純真な善人ヅラして全てを破壊してしまうというと、昔のイギリス映画「落ちた偶像」を思い出します。「落ちた偶像」の少年にはむちゃくちゃ不快感を持ったのですが、今回のショーン少年に対しては、むしろ運命に翻弄される被害者のようにも見えたのが不思議でした。超常現象というオブラートが少年の行動の恐ろしさをうまくカバーしたのかもしれません。

アメリカ映画にしては曖昧な決着が珍しく、色々と空想の余地がある映画だと思います。また、キッドマンを初め、演技力に頼るところの大きい物語に演技陣は見事にこたえています。クローズアップの長さや音楽の使い方に才気走ったものも感じられるのですが、リアリティを度外視してヒロインの壊れっぷりをドラマチックに見せたところが、この映画の面白さだと思った次第です

ゲテモノ定番の味「地獄の変異」

今回は、また銀座シネパトス3で、「地獄の変異」を観てきました。シネパトスの3館の中でも一番小さい劇場ですが、でも、ここでやる映画は劇場で観ておいてよかったと思えるものが多いです。本作は、予告編が傑作でして、昔の川口浩探検隊のパロディで、やたらと思わせぶりな字幕と大仰なナレーションで大いに期待させるものでした。そして、最近のゲテモノホラーにしては、R15でも、PG12でもなく、誰でも観て大丈夫なレベルの映画になっています。

ルーマニアの教会の跡から、地下の大洞窟が発見されました。巨大な水をたたえた鍾乳洞です。ニコライ博士は、プロのダイバーチームを呼んで、内部調査を行うことにします。そして、ジャック(コール・ハウザー)をリーダーとするチームが召集され、博士を含む一行は洞窟調査を開始します。しかし、先行隊の一人が行方不明になり、その後も何者かがこの洞窟にいるらしいことがわかってきます。人間大の怪物、それは以前に洞窟に閉じ込められていた人間が寄生虫によって変化した姿だったのです。襲ってくる怪物に犠牲者は増えていきます。果たして一行は無事に地表に帰りつくことができるのでしょうか。

オープニングはルーマニアの山々の雪に覆われた風景でして、なかなかいい雰囲気で始まります。いわゆる秘境ものっぽい感じは、予告編の川口浩探検隊の雰囲気に近いものがありました。物語が始まってからも、その期待は裏切られませんで、怪物以外にも、地下で脱色したモグラやらサソリ、そしてウナギもどきなどが探検隊の前に現れますし、そして、お約束の探検隊内の内輪揉めもあります。まず、何キロもアクアラングで潜った先にベースキャンプを張り、さらにそこから水中を移動しながら調査するというハードな探検という設定でして、そこから、映画は洞窟の中だけで展開していきます。

「マトリックス」の第二班監督だったというブルース・ハントの演出は恐怖をあおるより、活劇風の演出を心がけているようで、本当なら真っ暗な洞窟内をかなり明るく見せて、テンポよくわかりやすい展開になっています。水中シーンもリアルな迫力がありましたし、特に中盤、洞窟内でロッククライミングの見せ場を作るなど、洞窟内だけが舞台という設定でも様々な工夫を凝らした後が見られます。ただし、その割には、半人間の怪物がなかなか全体像を見せず、かつ見せたあともそれほどのインパクトを持ってなかったというところでしょうか。「ゴジラ」「インプラント」「サイレントヒル」などどうもB級モンスター屋のイメージがあるパトリック・タトポロスによるクリーチャーは、ガーゴイルの首にエイリアンをくっつけたようなモンスターでして、クイックショットで見せる演出はOKなんですが、その怪物に見得を切らせるタイミングがあってもよいと思いました。

こういうゲテモノ映画は最近は少なくなってきてまして、あってもグロを強調した血みどろモノだったり、やたらビックリさせるだけの刺激中心の映画だったりします。この映画は、B級のセンスではあっても、モンスター映画の王道を押さえていまして、また、洞窟のシーンも美しく撮られていて、ビンボ臭さのない娯楽映画としてきちんとまとまっているところが好感が持てました。ラストで不気味な余韻を残すというのも定番ですが、きちんとやってますし、それをショック演出ではなく、じわじわと来る不気味な余韻で見せるあたりのセンスは好きです。何年か前に観た「ジーパーズ・クリーパース」と似た拾い物感のある映画でした。(「ジーパーズ・クリーパーズ」の方はもっと生理的に気色悪い刺激的な映画でしたけど。)

演技陣はメジャーな人はいないのですが、それでもコール・ハウザーやモリス・チェスナットといった面々がタイプキャラを好演しています。お久しぶりパイパー・ペラーボも殺され要員かと思ったらちゃんと彼女の見せ場が用意されてて、一番インパクトのある役どころでした。ジョニー・クリメックとラインホルト・ハイルによる音楽はオーソドックスなホラー音楽ですが、手堅い音作りは今後に期待したいです。

大真面目恋愛映画「イルマーレ」

今回は藤沢オデオン座で「イルマーレ」を観てきました。藤沢で、一番の劇場になるのでしょうか。建物のつくりもそうですし、比較的高い天井も含めて、260席ながら、大劇場のたたずまいをそのままコンパクトにしたような作りになっています。ミニシアターとは一線を画すその作り、ゆるやかなスロープながら見易い設計、キャパの割りには大画面と、自分の近所にあってうれしい映画館の典型と言えましょう。

アレックス(キアヌ・リーブス)は、湖の上に建つガラス張りの家に引っ越してきます。郵便受けには、前の住人からと思われる引継ぎの手紙がありました。でも、その文面がちょっと変、手紙を書いたケイト(サンドラ・ブロック)がその家から引っ越したのは2006年、でも、アレックスが引っ越してきたのは2004年なんですもの。どうやら、その家の郵便受けは2つの時間をつないでいるようです。そんな妙な文通をしているうちに二人は惹かれあうようになります。そして、2004年のケイトをアレックスは確認することができ、ますます募る恋心。しかし、同じ時間にいない二人が果たして本当に結ばれる日が来るのでしょうか。

韓国映画「イルマーレ」のリメイクだそうですが、残念ながら未見です。ただ、時間が離れた二人の恋なら「ある日どこかで」ですとか、親子なら「オーロラの彼方へ」といった映画があります。今回は、時間が2年ずれていることから、なかなか逢えない二人という設定でして、この距離感が純粋な恋愛感情を生むというのが、なかなか目新しい(古風なのが目新しいのか)と思いました。物語も妙に横道にそれることなく、二人の募る想いを淡々と積み重ねていきます。その結果、40前後のいい大人の純愛物語として成立しています。でも、ファンタジーな設定の中で、登場人物はみな大人の分別で行動しますから、そのあたりの流れはなかなかリアル。主演の二人も恋愛ドラマのヒーロー、ヒロインを大真面目に演じています。

アレックスの方が過去にいるものですから、2年前のケイトに遭う機会もあります。当然、彼女はアレックスを知らないですが、知ってるアレックスの思いはますます募っていきます。キアヌ・リーブスの押し出しの弱いキャラがこのドラマにうまくはまりました。そして、一応付き合っている男もいるケイトのリアルな存在感をサンドラ・ブロックがこれまたキャラに合った演技で、説得力のあるヒロインとなりました。2年という時間のギャップを埋められない、そんなファンタジーにどっぷり浸りきれないヒロインを好感も持てる形で演じきって、女優の底力を見せました。

タイムパラドックスを扱っているので、ある種、ドラえもん的な展開をするのですが、それはお話の彩り程度の扱いになっています。むしろ、逢えない二人の心の動きを追った映画として楽しむのが正解だと思います。惹かれあう二人には何か障害がないとドラマにならないのですが、その障害がたまたま2年という時間のギャップだったということ。だからこそ、ラストの時間のトリック(?)はあまりドラマチックにはならず、二人が抱き合うところは、ほんわかとした味わいになりました。宿命とか運命とかということではなく、たまたまおかしなシチュエーションで出会った二人がお互いを自分の意思で選択したという後味が心地よい映画になりました。むしろ、イルマーレで待ち合わせをしたのに、すっぽかされてしまうケイトの踏ん切りの部分が一番の山場になっていたように思えます。実際に本気の人生を生きようとしたら夢物語にすがりついているわけにはいかない。そこをきちんと見せているので、この映画、好きです。ラストのハッピーエンドもこのヒロインの分別ある決断のエピローグというか、最後のごほうびみたいなのですよ、これが。

ほとんと主演二人で成立するドラマなんですが、脇に「砂と霧の家」のショーレ・アグダシュルーや、名優クリストファー・プラマーといった面子を置いて、ドラマに奥行きを作っています。アラー・キヴィロのキャメラはシネスコの画面に湖畔の家の美しい絵を切り取っています。また、こういう「ファンタジーのような」味わいに、レイチェル・ポートマンの音楽はよくマッチしていました。「ショコラ」「サイダー・ハウス・ルール」などのリアルとファンタジーの中間のような作品で彼女の音楽は、軽やかにそして暖かくドラマを支えてきていますが、本作でも、ファンタジーとリアルな恋愛ドラマの中間をうまく押さえた音作りで、でも、最後は恋愛ドラマとしてまとめあげることに成功しています。

プロフィール

einhorn2233

Author:einhorn2233
Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR