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「沈黙の奪還」は、うーん、話のタネにってところ?


また、新作です。銀座シネパトス3で「沈黙の奪還」を観てきました。小さいスクリーンにフラットな劇場で、地下鉄の音が聞こえてくるという普通の感覚なら最低の劇場なんですが、上映する作品のカラーとか銀座という立地条件からか、その場末感に捨てがたい味わいがある映画館です。それにここで観ておかないと劇場ではお目にかかれない映画も多くて、これもそんな1本です。

元CIAのジャック(スティーブン・セガール)は義父と娘を連れて亡き妻の故郷であるルーマニア旅行に出かけます。ところが、ブカレストの空港に着いた途端、義父の乗ったタクシーが爆発、娘は誘拐されてしまいます。何のことやらよくわからないジャックですが、どうやら義父が細菌兵器のデータを持ち出して、売りさばこうとしていたようで、それを追ってCIA、ロシアマフィア、ブカレスト警察の3者がジャックの命を狙ってきます。よく事態が飲み込めなくても、娘を探す、無敵のジャックの行くところ死体の山ができていくのでした。

ソニー・ピクチャーズ・ホーム・エンタテイメント提供とタイトルにでるところからして、アメリカではビデオスルーの作品のようです。スティーブン・セガールの主演映画の目印なのが「沈黙の」というタイトルなのですが、これの大もとが「沈黙の戦艦」だと覚えている人がどのくらいいるのかしら。一応メジャーな香りがあったのは「電撃」くらいまででしょうか。後は、マイナーアクション路線まっしぐら、ジャン・クロード・ヴァン・ダムを継承しているように、近作では、ボアズ・デビッドソンと組んで、東欧で撮影したりしてるようですが、今回もルーマニアでのロケが主体です。

彼の映画は、割と追いかけて観ているのですが、大体、セガールがムチャクチャ強くて、彼自身がピンチになることがほとんどないので、ストーリー的なバリエーションがつきにくいという弱点があります。今回は体技よりも銃撃戦が多いのですが、それもまた、絶対セガールに当たらないというお約束がまるわかりなので、ドキドキハラハラしないのですよ。だから、ダラダラ観るにふさわしいビデオスルーになっちゃうのかなあ。でも、お約束なら「水戸黄門」や「旗本退屈男」もあるんですが、セガールの場合、シンパシーやユーモアといったキャラの厚みに欠けるのかも。また、セガールのアクションは、彼自身が派手に動きまわるものでないので、痛そうだけど地味なのが特徴です。最近は、ますます動きがよくなくって、走るカットすらないので、そろそろ年齢的に難しいのかなって気がしてきました。晩年のチャールズ・ブロンソンの映画みたいな感じです。ただ、セガールはブロンソンほどに演技のバリエーションがないのがつらいところです。

今回も毎度のごとく、無敵のセガールの行くところ死体の山なんですが、娘が誘拐されたのに全然動じないあたりも毎度のごとく、そして、でかい体で繰り出すアクションは、悪役にもう少し強そうな奴を揃えて欲しいと、はっきり言って弱いものいじめに近いものがあります。また、悪役側に見せ場やキャラを与えきれないので、セガールに対抗できないってのが見え見えなんです。

セガール自身も参加している脚本は、展開が荒っぽくて、細菌兵器の決着もムチャクチャですし、とってつけたような意外な結末もなきもがなという感じ。ただ、それを外気功で切り抜けるってのは意外性ありましたが、かなり笑えるオチになっちゃっていました。「沈黙の聖戦」でも、僧侶と呪術師のまじない対決があったのですが、今回の外気功はそれより胡散臭くて、知らない人には何のことだかわからないかも。クライマックスの図書館での銃撃戦は限定空間ということもあってなかなかの迫力がありましたが、監督のミハエル・ケウシュはアクションがあまり得意ではなさそうで、悪役側の動きにそれなりのドラマを見せようとしたところもあるのですが、役者を揃えられなくて失敗してるという感じでした。なぜか場違いのように登場するイメルダ・スタウントンが、007のMみたいな役どころなんですが、せっかくの彼女も勿体ない使われ方でした。

ヒロイン的な役どころのエヴァ・ポープが、華はないけど、いい演技を見せたところが救いという感じでしょうか。まあ、セガール映画のヒロインは、大体において扱いが悪くて引き立てられることが少ないのですが、今回は彼女がセガールの相棒的なポジションになるので、きちんとキャラが立つようになっていました。

ジョフリー・ホールの撮影は最初からビデオスルーを意識しているのか、やたらとアップの絵が多いのと、細かいカット割りが気になりました。シーンの全貌がわかる引きの絵が少ないので、やっぱりテレビでダラダラ見るための映画なのかなあって思ってしまいました。それでも、劇場に足を運んでいる自分も物好きなのですが、スティーブン・セガールとジャン・クロード・バン・ダムの映画がシネパトスにかかったらまた観てしまうんだろうなあ。次は、もう少し役者を揃えて、もう少しセガールをピンチに追い込んで欲しいものです。

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「リトル・ミス・サンシャイン」は世間に背を向け過ぎでないかい?

新作の話です。川崎チネチッタで、「リトル・ミス・サンシャイン」を観てきました。いわゆるこういう地味めのいまにもミニシアター映画をシネコンで観られるようになったというのはありがたいです。これも、シネコンが増えて番組の競争が始まったからかもしれません。

フーヴァー一家の末娘オリーブは小太り眼鏡っ娘だけど、将来はミスコン優勝が夢。そんな彼女がたまたま出たリトル・ミス・サンシャインコンテストの全国大会に繰り上げ入選して、フロリダで行われる決勝大会に出場できることになりました。そして、パパ(グレッグ・ギニア)、ママ(トニ・コレット)、兄、おじいちゃん、さらに自殺癖のあるおじさんという一家総出で、ミニバスで一路フロリダへ向うことになるのですが、この家族、各々が問題抱えていて、まとまりがないというか、いがみ合っちゃってるし、無事にフロリダにたどり着けるのかしら。

あちこちの映画祭で賞をとってアメリカでもヒットしたという映画です。一言で言えば、ファミリー・ロード・ムービーです。ここのお父さんは、成功への9ステップという怪しげ(でもないんだけど)な理論をあちこちに売り込んで一山あてようとしてるのですが、なかなかうまく行きません。空軍パイロットになりたい息子は、友人もおらず無言の行に入っちゃってるし、おじいちゃんはヘロインがやめられずに老人ホームを追い出され、自殺未遂おじさんはプルースト研究の第一人者のつもりなんだけど、名誉も彼氏もライバルにもってかれて自暴自棄状態。みなさん、いわゆる負け組というか、世間から認めてもらえない人々です。そんな中でオリーブだけは、リトルミスコンの全国大会に選ばれたわけですから、まあ、一番マトモというか世間の認知度が高いわけです。

普通のロードムービーですと、旅の途中で色々な出会いがあって、そこで主人公が変わっていくというのが常道なんですが、この映画では、そういうのは一切なくって、家族の中でケンカと和解の繰り返しだけで物語が進んでいきます。オリーブとおじいちゃんの間だけは良好なんですが、それ以外はほとんどコミュニケーションがなかった一家に鬱積していたものが、旅の中で吐き出されていく過程はそれほど目新しい感じはしなかったのです。いわゆる、家族の解体と再構築を描いているのですが、そこは定番という作りになっていまして、現実と直面していくことで家族の絆は少しずつ強まっていきます。バスのブレーキが効かないので一度走り出すとなかなか止まれないなど、笑いもたくさん盛り込まれていて、役者のうまさもあって楽しい道中にはなっています。ジョナサン・テイトンとヴァレリー・ファリスによる演出はよく見ればデフォルメされているキャラクターにリアルな説得力を与えるのに成功しています。また、グレッグ・ギニアがやな奴をリアルに演じていて、こんな奴に「成功の秘訣」をレクチャーされたくないとマジに思わせますもの。また、問題家族にクタクタのママを演じたトニ・コレットは相変わらずうまいなあって感心でした。


この先は結末に触れていますのでご注意ください。


この一家に象徴的なのは、パパの勝ち負けへのこだわりです。誰が勝者であり、誰が負け犬なのかにやたらにこだわるものだから、一家の中でもヒンシュクをかってしまっています。まあ、勝者になるための秘訣を商売にしているのですから仕方がないのではあるのですが、その中で、一家の全員が負け犬であるということが浮き彫りになってきます。フロリダの道中で、彼らは決して負け犬ではないんだよという展開にはなるのですが、勝者になりそうもないなってところも見えてきます。

そして、何とかフロリダの美少女ミスコン会場にたどりつくのですが、そこからの展開がちょっと意外でして、この一家が美少女ミスコンをメチャメチャにした挙句、会場を追い出されて、さらに家族は一致団結してハッピーエンドとなります。せっかく、世間との架け橋となりうるオリーブを自分のファミリーに引き戻してしまう決着は、これがハッピーなのかと疑問に思えてきたのです。息子の外に向けての夢は色弱であることから失われ、おじさんも結局全てを失ったような境遇、パパも「人生成功プログラム」の売り込みに失敗しているし、世間的には負け組であることはエンディングでも何の変わりもありません。未来への展望がないまま、家族がまとまっただけでハッピーエンドでいいのかなあって気がしてしまったのです。さらにせっかく世間が認知してくれる場であった美少女ミスコンを自己満足のためにメチャメチャにするのはどうなの? アメリカの個人主義の限界を見せられてしまったような気がしました。確かに、おじいちゃんの仕込んだオリーブのダンスはえげつない振り付けで、美少女ミスコンにふさわしくないものなのですが、世間に認めさせず家庭内満足だけで終わらせる結末にはホロ苦い後味がありました。この一家の個々の世間との関わりはここから始まるのですが、その前途に希望を見出すことができないのです。

二階席の記憶

静岡の映画館って、それほど大劇場はないのですが、それでも二階席のある劇場がありました。今は、静岡ミラノ2(その前身が静岡カブキ)は、もともとは静岡並木座の二階席でした。元二階席の映画館ってやけに傾斜が急なんですよね。(今は亡き横浜東宝エルムもそんな感じでした。)また、ロビーの広さの割に中が狭いってのもあります。また、一階のミラノ3はスクリーンのサイズと位置の割りに後ろが狭いという印象になってしまいました。

その他ですと、昔の静岡東映にも二階席がありまして、ここは確か映写機が二階席の下だったのかな。二階席からゴミとか落とすと、スクリーンに映りこんでいたような記憶があります。また、その上にあった静岡東映パラスにも二階席がありましたけど、狭かったのと、スクリーンをかなり見下ろす位置になるので、ここで観ることはなかったです。その後ろが映写室になっていたので、上から下のスクリーンに映し出される絵がやや台形に歪んでしまっていたという記憶があります。(そんなに目立って台形ってわけじゃなかったですけど)

後、特別席の扱いで、有楽座とアートシアターミラノ(現静岡ミラノ1)にも二階席がありました。有楽座は昔は、階段を下りる前にところに切符売場があって、そこでチケットを買って下の劇場に降りていたのですが、その切符売場の左側が二階席(地下劇場だから一階席になるのか?)の入り口だったような記憶があります。二階席に入ったことはなかったのですが、追加料金を取られていたのではないのかな。アートシアターミラノも追加料金で観る二階席があったように思います。劇場に入ってすぐの螺旋階段を登ると二階席だったという記憶があるのですが、これもあやふやしています。でも、静岡の映画館の特別席というと、この2館の二階席を思い出します

「ラッキーナンバー7」は血生臭いドラマだけどラストの余韻でマル

さらに新作の話です。今回は川崎チネチッタ11で「ラッキーナンバー7」を観てきました。最近は本編の始まる時、日本の配給元のロゴ、本国の製作配給元のロゴがいくつも出てくるのでイライラさせられることが多いです。今回も、ArtPort、ハピネットピクチャーズとまず国内の2社のロゴが出て、その後、CapitolFilmとFILMENGINEと全部で4社のロゴが出てやっと本編になるというもので、何だかうっとうしい。

職と恋人を失い、友人の家に転がり込んだスレヴン(ジョシュ・ハートネット)は、その友人と間違えられて、街のボス(モーガン・フリーマン)のところに連れて行かれ、借金棒引きの代わりに、ボスの息子を殺した敵対組織のトップ、ラビ(ベン・キングスレー)の息子を殺せと命ぜられます。「ええ? 何でオレが」と思う間もなく、今度はラビに呼び出され借金の3万3000ドル払えと脅されます。友人の部屋の向かいのリンジー(ルーシー・リュー)は、スレヴンのことが気がかりで、色々と彼のためにしてくれるのですが、事態はどんどん悪い方向へと進んでいきます。この一件の裏にはスミス(ブルース・ウィリス)という男が関わっているようなのですが、彼の狙いは一体どこにあるのでしょうか。そして、対立組織の両方から追い詰められるスレヴンの運命や如何に。

結構、評判のよいサスペンスものです。初っ端から、3件の殺人が立て続けに起こります。どれも突発的で、誰がなぜ何のために殺しているのかもわかりません。3件目の犯人はスミスであり、そこで、いわくありげな物語が語られます。20年前に起こった八百長競馬に大金を賭けた男が家族ともども皆殺しにされた事件がこれらの殺人に関わっているようなのですが、そこから先はよくわからないまま、スレブンの災難の連続の方に物語は展開していきます。最初のネタ振りは何なんだと考えてる間もなく、物語はテンポよく進んでいきます。ただし、ブルース・ウィリスはその中でずっと登場し続け、何を考えてるのかよくわからないけど何か企んでいるらしいです。意外な展開をしそうな予感がぷんぷんですが、仕掛けよりも振りのシリアスさが後になって効いてきます。



ここから先は結末に触れますのでご注意下さい。


オープニングが かなり血生臭いので、どんな話になっていくのかと思っていたのですが、なるほど発端の事件の陰惨さにふさわしい謎解きと結末になっていました。そっかー、復讐譚だったのかー。でも、その伏線は山のようにあったわけで、なるほどの納得。この映画のサプライズは最初から出ずっぱりだけど正体不明のブルース・ウィリスの方でした。こういうどんでん返しを売りにする映画の場合、それだけに頼り切ってしまい、ドラマとしての潤いを欠いてしまうものが結構あります。今回は、ウィリスの他にも、フリーマン、キングスレーといった名優、スタンリー・トゥッチ、ダニー・アイエロ、ルーシー・リューといった曲者陣がいて、色々な意味でドラマに厚みを与え、観客をミスリードします。

特に、キングスレーとフリーマンのドラマにおけるポジションがよく見えないでいたので、こいつらが復讐の対象だとわかるあたりはなかなか見応えありまして、その復讐をじっくり見せるところで、二人の演技者を立てるポール・マクギガンの演出のうまさが感じられました。マクギガンの映画は、フランス映画「アパートメント」のリメイク「ホワイト・ライズ」しか観ていないのですが、サイコホラーをラブストーリーに作り変えた前作と同様、サスペンススリラーの題材をエモーショナルなドラマに作り変えて、不思議な後味の残る映画に仕上げました。特に復讐のストーリーに恋愛が割り込むのですが、その結末がそもそもの復讐の発端にダブるあたりはうまいなあって感心しちゃいました。これは脚本の功績ですね。

強いて難点を挙げるなら、最近の映画に共通して感じることなんですが、脇役が面白くないってのは今回もありました。ミケルティ・ウィリアムソンなんて結構達者な役者なのに、ここでは出てくるだけでしたし、スタンリー・トゥッチは重要なキャラなのに、それほどの印象を残すにはいたりませんでした。せっかく揃えた豪華キャストがもったいないなあって思ってしまうのです。そんな作りの中で、ブルース・ウィリスがおいしいところを全部さらってしまいました。「なぜか魔がさしてしまった悪党」というキャラと演技がうまくはまっていたからなんですが、実のところ「噂のヒットマン」でそういうキャラを演じたことがあるんですよね。あっちはコメディだったのですが、こういう役どころはシリアスなドラマの方が映えるようです。

「不都合な真実」はドキュメンタリーにプラスアルファ

新作の話です。TOHOシネマズ川崎6で「不都合な真実」を観てきました。時節柄、「不機嫌な果実」と混同しちゃうのは私だけ?「不具合な事実」とか、色々と間違いやすいタイトルだと思うのですが。

元アメリカ副大統領のアル・ゴアは、地球温暖化についての講演を世界各地で精力的に行っています。現在、極地の氷河が溶けはじめ、ヒマラヤ山脈の雪の領域が確実に減少してきました。実際に気温の上昇は進んでおり、その原因の一つに二酸化炭素の増加が挙げられています。大気中の二酸化炭素の増加が地球温暖化を招くということは1960年代から言われてきたことでした。今、私たちの未来の生活環境を維持するためには、二酸化炭素を削減する施策を実施し、地球温暖化を阻止することが必須なのです。

地球温暖化が言われるようになってかなり立つようですが、アメリカでは日本ほどの盛り上がりはないようで、京都議定書を批准してないですし、こういう映画が作られること自体、まだ米国内のコンセンサスにはなっていないようです。それでも、ゴアはあちこちで地球温暖化問題を啓蒙すべく各地で講演を行っています。ジョークやアニメまで交えて、地球温暖化の仕組みを聴衆に伝え、さらに多くの実例のスライドから、温暖化が身近で進行中であり、それを防ぐ手立てがあることを訴えます。特に、大気中の二酸化炭素の増加が問題であり、二酸化炭素は人間の文明により、ここ40年でかつてないほどの増加を示しているのだと説きます。

なるほど、プレゼンテーションのうまさはさすがは大統領選にも参加してきているだけあって、大変説得力のあるものになっています。ハリケーンカトリーナの原因も温暖化にあり、このまま、温暖化が進めば、海面は上昇し、世界の沿岸都市は水没し、雪解け水の元となる雪がなくなれば、大きな水不足が発生するのだと言われては、これは何とかしなければという気分になります。この映画のいいところは、ひたすら破滅の危機を煽って、観客を脅そうとしない点にあります。大変な未来が予測されるけど、行動を起こせば、事態は改善されるのだ、だから、みんな行動を起こしてくれというメッセージには大変説得力があります。ドキュメンタリーというよりは、地球温暖化防止キャンペーン映画だと気付かされます。エンドクレジットでは、この映画のメッセージが文字で示されます。要は「行動を起こしてくれ」ということです。車は燃費のよいものにし、クリーン発電を呼びかけ、節電をしよう、などなど、日本語で言うなら「もったいない」ことをするなとこの映画は語りかけてくるのです。

テレビドラマを多く手がけているデイビス・グッゲンハイムの演出は、ゴアの講演を忠実に再現することに力を傾注しており、後は彼へのインタビューを少しだけ交えるだけに留めています。ただ、ゴアの息子の死を地球温暖化に結びつけるのには無理があったようで、そのあたりから、観ている私の中にもある疑念が湧いてきてしまったのです。どこかに情報操作があるんじゃないかって。

この映画の論理の流れには、いくつかの仮定があるようです。まず、地球温暖化現象が進行しているということ。その原因は大気の層が厚くなり、太陽からの熱を大気内に留める比率が高くなっているからだそうです。大気の層が厚くなるのは、大気中のガスが増えているからで、特に二酸化炭素がここ20年著しく増加しているのです。そして、実際に高地の雪や極地の氷が失われているという事実はその通りだと思いました。でも、二酸化炭素の増加と大気層が厚くなるということの因果関係は語られていません。「地球温暖化」でインターネットを検索してみたのですが、確かに大気が熱を逃がさなくなるから地球温暖化が起こるというのは間違いことのようです。そして、大気中のガスの増加がその原因であることも事実のようです。しかし、私が調べたりないのかもしれませんが、そのガスの筆頭が二酸化炭素であるとは書いてなかったのです。何種類かの大気中の成分の一つであるという書き方でした。

この映画では、大気中の二酸化炭素の濃度がここ20年で、過去数十万年の間に見られなかったほど上昇しているというデータを示しています。そして、私たちの生活を変えていくことで、その二酸化炭素濃度を1970年代まで戻すことができると言います。うーん、確かにそうなのかなあって気はするけど、それで、地球温暖化が食い止められるとは誰も言ってないんですよ。ひょっとして因果関係があまり明白になってないのかなって気にもさせられてしまいました。確かに二酸化炭素の増加と地球温暖化が平行して発生しているのは事実らしいですし、大気層を厚くするガスの一つが二酸化炭素というのも事実のようです。でも、地球温暖化の主たる原因は他の要因、或いは他のガスがあるのかもしれないと気付いたのです。

私はこの映画のメッセージを真っ向から否定するつもりはないですし、「もったいない」ことはやめようとも思うのですが、この映画は、地球温暖化の記録映画ではなく、観客をある方向へ誘導しようという明確な意志を持ったメッセージ映画であることだけは、きちんと認識しておきたいと思います。作り方がうまいので、この映画の言うことには反論しにくい(ツッコミづらい)のですよ。そして、こういう反論することがタブーのように思えてくるものには要注意だと思うわけです。

とはいえ、この映画を観て、地球温暖化を検索したり、他の本も読もうかなという気分になったのですから、映画としては、一見の価値はあります。

「紙屋悦子の青春」は静かだけど心に響く映画

2007年の映画初めです。横浜のシネマベティで「紙屋悦子の青春」を観てきました。こういう地味で若者をターゲットにしていない映画を上映してくれるってのはありがたい限りです。

病院の屋上のベンチに老夫婦がいます。二人が出会ったのは、大東亜戦争も末期の昭和20年3月のことでした。鹿児島の片田舎で兄夫婦と一緒に住む悦子(原田知世)に縁談が持ち上がります。兄の後輩の明石少尉の紹介で、整備班の長与少尉(永瀬正敏)と見合いをすることになります。労働動員で兄夫婦が不在のまま、悦子は、長与と明石を迎えます。何だかぎこちないやりとりがあって、お見合いは無事に終了。でも、実は悦子は明石に想いを寄せていたのでした。

黒木和雄監督の遺作だそうですが、そもそも黒木監督の映画を観たことないですし、今回は原田知世がきれいだというにに惹かれて映画館に足を運びました。また、昨年から「蟻の兵隊」「硫黄島からの手紙」など大東亜戦争を扱った映画を観てきたこともあり、これも戦争を扱っているところが興味を引きました。

もともとは舞台劇ということだそうで、映画もその構成を踏襲しているようです。冒頭は病院の屋上のベンチに座る老夫婦の会話を長回しで延々と見せます。そして、「こんなことありましたよねえ」という話から、映画の舞台は、昭和21年3月の鹿児島へと移ります。兄夫婦(小林薫と本庄まなみ)の夕食シーンから始まるのですが、映画は日常会話の積み重ねで展開していきます。つましいけど、楽しく3人が暮らしているさまが丁寧に描かれていて、兄夫婦のやりとりのおかしさは、最近のホームドラマでもお目にかかれないようなおだやかなものです。そして、悦子への縁談の話が紹介されます。悦子はよく家に来る明石少尉にひかれているようなのですが、それは兄嫁の口から語られるのみで、悦子はそんな素振りも見せません。そして、お見合いの当日となるのですが、ここでは、長与と明石のコミカルなやり取りがかなり笑えます。堅物で融通の利かない長与と、おっとりした悦子の会話もおかしくて微笑ましいものがあります。

そんな穏やかな会話の中に、当時の人々の生活感、戦争の落とす陰がちゃんと含まれています。戦争、若しくは戦争反対を声高に語ろうとするのではなく、この時代の人々の姿を丁寧に描き残そうとしているような映画なんですが、そこから、普通の戦争映画では描き出し得ない戦争のありようが浮かび上がってきます。今に比べて、生と死が紙一重の状況にある人々ですが、つましくもどこかのどかな暮らしを描いていて、戦争のもう一つのリアリティが見えてくるのです。主人公は東京大空襲で両親を失ったばかりであり、沖縄はアメリカ軍におち、航空隊の明石少尉は勝ち目のない出撃に志願しているのです。でも、日々の生活の中で、「あー、このお茶おいしいわー」とか「駅長の話は長いから」なんて会話が交わされています。

この映画でもっともドラマチックなシーンは、兄夫婦のもとを明石大尉を訪れて、出撃前の別れを告げるシーンです。お互いに惹かれあう明石と悦子ではあるのですが、その想いを直接言葉にすることはできません。明石にとっては悦子を長与に託すことが精一杯の愛情表現であり、悦子は明石を笑顔で見送った後、彼女は泣きくずれることしかできません。そして、長与もまた、後日、明石の遺志を受けて悦子を幸せにすると伝えるのです。見せ方としては淡々と茶の間で語られる日常会話の延長なのですが、最近、観た映画に登場した人物の中で、明石と長与が最高に男らしいと思えました。男らしさ、女らしさということをあまり言いたくないのですが、この映画の軍人二人は「男らしい」という言葉がふさわしい二人でした。笑えるシーンであっても、戦闘シーンとか極限状態を描かなくても、男らしさってのは伝わるんだなあって、妙に感心してしまいました。

この映画に出てくる人々は皆控えめでつつましい生き方を良しとしています。戦争を舞台にした映画って、登場人物は、イケイケどんどんのベタ右翼か、やたら反戦を口にするマルクス史観の皆さんといった両極端が多くて、リアリティを感じさせないことが多いです。でも、普通に暮らしている人は、その真ん中あたりにいるのがほとんどだと思っています。この映画では、その中庸にいる人々を細やかに描くとともに、今、日本から失われつつある心を書き留めておこうという意図が感じられました。戦争というものが、その一部だけを拡大した歪んだ形で語り伝えられようとしている今、当時の人々のありようを生活の視点から残すことは重要なことだと思う次第です。

今の価値尺度からすれば、悦子は自己主張が足りない優柔不断な女性になってしまうのでしょうけど、彼女のあり方は、一人の女性としてまっとうなものです。古いからとか新しいとかということで善し悪しを決めることはできないのですが、彼女にある善き部分が最近の人からなくなってきているのかも、という気はします。それをノスタルジーと切り捨てることもできるのですが、これもまた語り伝えるべき歴史の一つではないのかしら。

でも、それだけじゃなくって、この映画は娯楽映画としても大変面白く仕上がっています。役者のよさ、セットのリアリティ、感傷的な描写を避けた節度ある演出によって、映画館で観る価値のある映画になっているのです。原田知世の悦子のしなやかで強い意志、本庄まなみのおだやかな元気と、各々異なるキャラが大変魅力的でした。軍人である明石と長与にも身近な誠実さが感じられ、その根っこにある善意を踏みにじる戦争に対しての嫌悪感が、映画の行間から伝わってきます。一般庶民にとっては、戦争というのは具体的な敵はなかなか見えないもので、メディアの作り出すイメージ(偶像と言ってもいいでしょう)に振り回されるということにも気付かされる映画でした。沖縄がおちたという知らせが庶民に届くとき、(「硫黄島からの手紙」で描かれた)手榴弾による自爆は伝わらず、大東亜共栄圏のための中国進出の報道で(「蟻の兵隊」で語られた)中国の一般市民を度胸試しで虐殺したことは伝わらないのです。

静かな映画だからこそ、色々なことに想いを馳せることができる、そんな映画でした。

「007カジノロワイヤル」は一品料理としてマル

今回は藤沢オデオン座で「007 カジノロワイヤル」を観てきました。ここは、260席というキャパに見合ったスクリーン、座席配置になってまして、少ないキャパでも豪華な感じの映画館は作れるんだなあっていう典型だと思います。

英国情報部のジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)はやり手ではあるのですが、自信家でその上、無鉄砲。上司のM(ジュディ・デンチ)も持て余し気味なんですが、それでも、彼の独自の調査でテロリストの資金源と思われるル・シッフル(マッツ・ミケルセン)が浮かび上がってきます。ボンドの活躍で資金を絶たれたシッフルは金持ちの集まるポーカーの大勝負に乗り出します。そこで、ボンドも乗り込んで彼を追い詰めようとするのですが、ここでもボンドの自信過剰が1500万ドルという国家予算を危機に陥らせるのです。果たして、ル・シッフルを倒し、テロリストの資金源を絶つことができるのでしょうか。

最近は、ピアス・ブロスナンが演じてきたジェームズ・ボンドですが、今回は007の称号を得るまでの物語という設定で、これまでのシリーズの前日談になっています。ブロスナンのボンドはスマートでシャープな感じがよかったのですが、スーパーヒーローという設定となっているため、人間的なキャラを出し切れず、また、お話も荒唐無稽になりすぎていたきらいがありました。特に前作はドラマよりアクション、アクションよりCGが目立っていて、それはそれで面白かったのですが、行き着くところまで行ってしまったという感もありました。今回、お話をリセットしてボンドの新しいシリーズにしようという試みは、それなりに意味あるものだと思います。まあ、それやっても行き詰ったゴジラの例もあるんですが、今回は時間軸は現代のままで007誕生を見せるという、過去のお話とはあえてつながない(まあパラレルワールドのような)設定にしていますので、この映画の出来次第で、続きを作ろうかどうしようか決めようって感じなのです。エンディングでも、毎度の次回作の告知はなく、次があるかもねーという見せ方になっています。

もともと、007シリーズは役者の個性で見せていたのは、ショーン・コネリーの時までで、それ以降は仕掛けとストーリーで見せる映画になっています。今回のボンド役、ダニエル・クレイグが今一つ華がないのも、計算ずくのことのようで、ドラマの中でのボンドは無茶やりすぎの若造って感じなのですよ。まだ、スパイのスターになる以前のボンドという感じでして、アクションシーンもスマートさよりも生の迫力に力を入れているようで、秘密兵器よりも生身のアクションを重視した演出になっています。また、悪役も影の大ボスではないので、直接対決が多く、これまでの組織犯罪というよりは、個人対個人の戦いとして描かれるので、ボンドの身近で事件が展開し、ボンドの感情や人格がそのままドラマに反映される構成になっています。また、マーティン・キャンベルの演出もボンドのキャラを丁寧に見せようというマジメな作りとなっており、その結果、国際スパイアクションというよりは、ボンドを主人公とする犯罪アクションという味わいになりました。

派手なアクションよりも、ホテルの非常階段での文字とおりの殺し合いですとか、ボンドが全裸で拷問されるといったシーンの方が印象に残るドラマ作りでして。クライマックスも大掛かりな屋台崩しの後の方が印象的なのです。そんな中で毒を盛られたボンドが本部の指示で蘇生しようとするくだりが浮いてしまったのは、この映画のカラーをよく表しています。

見せ場としての派手なアクションシーンは前半に集中させ、後半はドラマ中心の見せ場にした構成も成功しています。特にエヴァ・グリーンが演じたヒロインは、かなり悲劇性の高い設定になっていまして、美形でユーモアのセンスのある女性として登場する彼女が、ラストに見せるドラマチックな展開はまるで彼女が主人公であるかのようで、少なくとも、後半はボンドと彼女の比重が五分五分になっていました。こういう構成は007シリースでは珍しいと言えます。その結構重いドラマをエヴァ・グリーンがきちんと演じきっていて、ボンドの相手役以上にこのドラマの主役を張っているのには感心してしまいました。

今回は、ボンド、ヒロイン、悪役の3人にドラマが集中しているので、脇の面々が目立たなかったのはお気の毒という感じでしょうか。レイター役のジェフリー・ライトや、Mのジュディ・デンチですら、地味な感じになりましたもの。Qもマネー・ペニーも出てこない007なので、007シリーズとは別の一作品と呼んでも差し支えないかもしれません。それでも、1本の映画として観たとき、ドラマチックなアクション映画として、かなり点数高いです。

また、今回は、エンドクレジットで、CGのスタッフより、ミニチュアイフェクツのスタッフが多く出てくるのにはちょっと驚きでした。確かにCGは目立っていなかったのですが、いわゆる特撮シーンは少なかったように思います。ただし、これまでも007シリーズは要所要所で、ミニチュア特撮を使ってドラマの迫力を上げてきていて、その実績はあるのですが、SFチックな仕掛けのない映画でも、爆破、破壊シーンでミニチュアが活用されているというのには、ちょっと感心してしまいました。

音楽はこのところずっと登板のデビッド・アーノルドなのですが、アクションよりもドラマの描写音楽が多いこの作品で、ジョン・バリーかと思うようなストリングスを多用しています。アクションシーンは派手に鳴らしているのですが、これといった特徴がなく、これなら、ジョン・バリーがやったらもっとドラマチックになったのにと思わせる出来でした。オープニングのタイトルバックはCGを使ったアニメタッチがなかなかにカッコ良かったのですが、これに主題歌の日本語字幕をつけて台無しにしてしまったのには、大ブーイングでした。007のタイトルバックは全体のバランスを考えて、クレジットの文字も小さくデザインされているのに、その文字の10倍くらいの日本語字幕が無作法に画面をさえぎるセンスは最低です。タイトルの完全版を見たければDVDを買えということなのかもしれませんが、このメインタイトルは007を観る楽しみの重要なポイントなんですから、もっと大事に扱えと思ってしまいます。

「シャーロットのおくりもの」に素直に感動

新作のお話です。静岡ミラノ2で「シャーロットのおくりもの」を観てきました。この劇場は相変わらず小さくて座席の幅も狭いのですが、段差があって観やすいので、こういう映画館にも捨てがたい味があります。混雑しない映画はここでやってくれるといいなと。

農場で間引かれそうになった子豚はそこの娘ファーン(ダコタ・ファニング)に助けられてウィルバーという名前をもらい、彼女のおじさんの家の納屋に住まわせてもらいます。でも、新しいすみかの納屋ではなかなか友達ができません。そんなウィルバーにやさしい言葉をかけたのが蜘蛛のシャーロット。でも、クリスマスにはされちゃう運命のウィルバーです。そこでシャーロットはある奇蹟を起こそうとするのです。

原作は有名な童話で昔アニメ化されたこともあります。生命の輪を子供にもわかりやすい形で描いた小品ですが、その細やかな描き方は大人でもホロリとさせられるものがあります。納屋の中には、ガチョウ、馬、牛、羊といった家畜がいるのですが、ウィルバーとなかなか打ち解けることがありません。どこかシニカルな彼らは純真無垢なウィルバーを持て余し気味です。でも、普段、醜いと嫌われ者の蜘蛛のシャーロットが、子豚のウィルバーにクリスマスの雪を見せてあげると約束するところからドラマは大きく動き出します。

どうやってウィルバーを救うか、それはウィルバーが特別な豚であることを人間たちにアピールすることでした。そして、蜘蛛の巣にメッセージをつづるシーンが美しいのですよ。ダニー・アルフマンの音楽にのせて、シャーロットが巣を作るシーンはそのシーンだけ取り出しても感動モノでした。でも、単に美しいシーンとシャーロットの献身的な友情だけで見せる映画ではありません。人間たちの飽きっぽさ、そして、人間が子供の心を失いながら大人へと成長していくことを細やかに描いています。農場の娘にダコタ・ファニングを持ってきたのは大正解でして、少女から娘に変わっていくところ、それを見つめる両親の視線がサブプロットとしてきちんと描かれているのには感心してしまいました。このファーンの成長の部分では、この娘も少女から娘に変わっていくに連れて子供の心が失われ、動物の声も聞こえなくなるんだなあってしみじみさせるものがありました。ちょっとだけ出演のボー・ブリッジス演ずるお医者さんがうまくヒロインの成長をフォローしていて、子供の心をなくすことを否定的にとらえていない視点にも感心してしまいました。おとぎ話なんだけど、それに大人の視点から目をそらしていないところがこの映画のいいところです。

また、蜘蛛と同様に嫌われ者のネズミが何だかんだ言いながらシャーロットやウィルバーに協力するところが大変うまく描かれていました。結局は善意のキャラクターであるのに、ちょっと悪ぶって見せて、でも他人への悪意はないというネズミに対して、シャーロットが最後に「ありがとう」と言うあたりはなかなかに感動的でした。また、シャーロットの行動が彼女の寿命を縮めたわけではないってところも重要でして、あくまで彼女は生命の輪の中で生きて死んでいくところが、この映画に妙な感傷的な後味を残しません。特に、ラストでシャーロットの子供たちの旅立ちで、生命の輪をきっちりと見せるところにも感心しました。奇蹟でもない普通のことが奇蹟のように見えてくる、それくらい普通に生きることがすばらしいことだというメッセージの力強さには、頭が下がるものがあります。私はシングルですが、子供がいたなら、こういう映画を見せたいと思う一本です。

ダニー・エルフマンの音楽が、「シザーハンズ」を思わせるオケとコーラスによる音作りで、特にシャーロットが巣を作るシーンの音楽が素晴らしく感動的になったのも、彼の音楽のおかげです。でも、あまり感傷的にならないあたりの抑制が効いていて、泣きの音楽になっていないのがマルです。監督のゲイリー・ウィニックの映画は初めてなんですが、全体に淡々としたエピソードを積み重ねて、抑制の効いた演出には好感が持てました。動物は実物と、CG、そしてスタン・ウィンストン・スタジオによるアニマトロニクスを組み合わせたもので、擬人的な動きを見せないで、絵本のような味わいに見せたセンスを買います。声優では、儲け役ながら、シャーロットを演じたジュリア・ロバーツが抜群によかったように思います。この人、自分の年齢相応に色々な役柄にチャレンジしているところが好きなのですが、ここでも、ウィルバーの母親的キャラの部分と嫌われ者の蜘蛛としての部分をバランスよく演じきっています。

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einhorn2233

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Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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