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「ミス・ポター」はどこか浮世離れした展開が楽しい

今回は新作の「ミス・ポター」を川崎チネチッタ9で観て来ました。ここは座席表を見せて指定券を買うのですが、窓口のおねえさんが違うスクリーンの座席表を見せたらしく、真ん中の座席の番号を指定したのに、劇場に入ったら端の方の席になっちゃってました。これからは、座席表と上映劇場の両方を確認しないと。

20世紀初頭のロンドンの裕福な弁護士ポター家の娘ビアトリクス(レニー・ゼルヴィガー)は絵を描くの好きで、いくつもの縁談を断ってきていました。今は36歳にして、動物たちをやさしいタッチで描いた絵をウォーン兄弟に売り込みに行き、出版の約束をもらいます。ウォーン兄弟は子供扱いの末弟ノーマン(ユアン・マクレガー)にこの仕事を任せて失敗することを期待したのです。そして「ピーター・ラビットのおはなし」をなんとか出版にまでこぎつけると、これがベストセラーになります。そして、いつしかビアトリクスとノーマンの間に恋愛感情が芽生えていき、クリスマスのパーティでノーマンが告白し、ビアトリクスは「イエス」と応えます。でも両親は、身分違いな商売人との結婚はゆるせないと言います。父親の出した条件は、夏の湖畔の別荘で過ごした後も気持ちが変わらなかったら、結婚を許そうというもの。そして、ポター家は湖畔の別荘に向かうのですが...。

子供のための描かれた楽しいイラストとお話「ピーター・ラビット」の原作者ミス・ポターの半生(といってもごく一部ですけど)を描いています。動物の絵を描いてそれが友達だと思っていた元お嬢様が、初めて現実の世界の男性に恋するというお話ですが、ファンタジーの世界に生きる中年女性をレニー・ゼルヴィガーが軽やかに演じきっています。36歳にもなって、動物イラストばかり描いて、そのイラストと会話をしてるなんて、何だか、電波系の人みたいですが、家が裕福なのもあって、好き勝手な暮らしをしているようです。そんな日々が変わるのは、自分の絵物語を出版社に売り込みに行った時でした。経緯はともあれ自分の本が出版されることになり、その担当者としたノーマンと会う機会も増え、お互いに魅かれあうようになります。

本の売り上げも伸びて、いつの間にかお金持ちになっちゃっていたというビアトリクスですが、彼女は次々と絵物語を発表してきます。ノーマンからのぎこちないプロポーズに有頂天で「イエス」と応えて応えます。36歳のおばちゃんが、キャピキャピ大はしゃぎなのが、ゼルヴィガーの演技で微笑ましいエピソードとなりました。ところが両親が商人と結婚するのは身分違いということで大反対。これまで幾つもの縁談を断ってきたのに、今度は身分違いの男と結婚したいとは、ご両親のお怒りもごもっともという気がします。しかし、36年間動物の絵で埋もれたていた感情が急に目を覚ましたのですから、しょうがないよなあ。変な娘だなって思えちゃうもの。とにかく募る乙女の恋心。ならば、しばらく時間を置いても気が変わらなければという条件を父親が出します。母親と娘の間で揉め事があって、父親がそれをとりなすというのは、ある意味、パターンですが、定石をきちんと押さえてコミカルな味にまとめているのはうれしいところです。日本だとその逆になるんですけど、これは文化の違いでしょうか。

この後、映画は二転三転して、デッドエンドになりかかるのですが、最後はベアトリスは、避暑地の別荘の周囲の土地を買い取り、周囲の自然を守ることに専心します。この避暑地が湖畔の景色が素晴らしいのです。競売の時に破格の値段をつけて開発業者を出し抜くあたり、何かオバさんパワーを感じてしまいます。お金持ってるからできることなんですけど。ちょっと世間離れしたお嬢様のメンタリティが映画の中でやや強調されすぎているのが気になってしまいました。まあお嬢様の心を持ったおばさんでして、だからこそ、ピーターラビットを生み出すことができたのでしょう。

理屈っぽいことを書いてしまいましたが、この映画には、観ていて楽しい映画に仕上がっています。まずビアトリスの描く動物たちのかわいいこと。そして、その動物たちがベアトリスの前では動いてみせるのです。また、湖畔の風景も美しく、それらがベアトリスの心象風景を表してしてるようです。監督のクリス・ヌーナンは子豚の奇蹟物語「ベイブ」を監督した人ですが、どこか、目線の低い演出をする人のようで、「ベイブ」は動物の世界、そしてこの映画では、可憐な少女のような視点を温かい目で見つめているのです。映画の最後までベアトリスは少女のような心で周囲の世界を見ています。一種ファンタジーの趣もある映画なんですが、それは、悪役が登場してないということと、演技陣の好演があると言えましょう。もっとリアルな人間ドラマかと思っていたのですが、こう言う展開は意外で楽しいものに仕上がったように思います。

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後味が微妙な「題名のない子守唄」

今回は新作の「題名のない子守唄」を109シネマズ川崎3で観てきました。映画の冒頭、「この映画は結末のある秘密があるのぢ、口外しないでね」というメッセージ字幕が出ます。こういうのは以前の「シックス・センス」の時にも見たことあるんですが、この映画には良くも悪くラストに驚くべき結末があるようなんですが?

冒頭、何人もの女が下着姿で品定めをされているオープニングですが、その後は舞台はイタリアのトリエステに移ります。冒頭に品定めをされた女の一人イレーナ(クレオナ・ラパポルト)がアパートを借りて、斜め向いのアダケル一家を監察するようになります。アダケル家のあるアパートの掃除婦となり、さらに、アダケル家の家政婦を階段から突き落として全身不随にして、その後釜としてアダケル家の家政婦となり、アダケル家に入り込みます。そして、彼女の狙いは、娘のテアにあることがわかってきます。テアは自己防衛本能に障害があるようで、ちょっとしたことでも怪我をしてしまうのでした。イレーナは時にやさしくそしてある時は鬼のように厳しく彼女に接していきます。一方ではイレーナの過去を知る男が彼女やアダケル家にまで魔手を伸ばしてきました。果たしてイレーナの本当の目的は何なのか、そして、彼女にはどんな過去があったのでしょうか。

冒頭のシーンから、イレーナが過去に人身売買された娼婦だったらしいことがわかります。その後、要所要所で過去のイメージがフラッシュバックされ、ひどい仕打ちを受けていたことが分かります。でもそれだけでは、テアへの執着と、そのためには何でもやるというイレーナの本意はわかってきません。でも、イレーナはアダケル家の中をあちこち探し回って、ある書類を見つけて満足げな様子です。一方テアはだんだんとイレーナになついてきます。


ここから先は映画の結末に触れますのでご注意ください。


ここまで来ると、テアの実の母親じゃないかと、観客も思い始めます。では、どうやって彼女を探し出したのかがよくわかりません。でも、テアはイレーナのいじめとも思えるトレーニングによって、学校で何かされても、自分の力で立ち上がって、逆襲にでることができるようになりました。そこへ黒カビと呼ばれる男(ミケーレ・プラチド)が現れます。イレーナは彼を刺して逃げ出した筈なのに、そして黒カビは、その時に持ち出した金を返せと迫ってきます。手段を選ばぬ黒カビは、アダケル夫人の車のガラスを割ったりとイヤガラセを始め、とうとう車に細工して、アダケル夫人を殺してしまうのです。一方、イレーナは金の隠し場所をウソをついて、深夜の公園に黒カビを呼びつけて黒カビを殺してしまうのです。

アダケル夫人殺害容疑で警察に呼ばれたイレーヌは、自分の過去を全て話します。人身売買で娼婦を強要されたこと、そして何度も妊娠してはその子供はどこかへ連れ出されていること、テアはアダケル夫妻の実子ではなく養子であること、黒カビが口走ったアダケルという名前。そして、彼女が知らなかったもう一つの事実(これが映画の秘密と思われ)が判明して、彼女は刑務所送りになります。映画のエピローグは、出所したイレーナにちょっとしたサプライズがもたらされるのですが、暗い展開だったドラマのささやかな救いになっています。

主演のクセニア・ラパポルトは、際立った美形ではないのですが、その常に思いつめた瞳にちょっとぞくっとくるものがありました。何というか鬼気迫るという感じでしょうか。また、他の役者に彼女の目力にかなう人がいなかったようで、他の助演者でヒロインを盛り立たせているという印象でした。

監督のジュゼッペ・トルナトーレh「ニュー・シネマ・パラダイス」「記憶の扉」「海の上のピアニスト」「マレーナ」などの作品で知られていますが、この映画も含めて色々なジャンルを手がけているなあという印象があります。ただ、似てると思えるのがエンディングがハッピーエンドなのかデッドエンドなのか微妙だというところでしょうか。また、トルナトーレの映画の音楽を何度も担当しているエンニオ・モリコーネが音楽を書いているのですが、最近のモリコーネには珍しく、前半は陰鬱な不協和音が続くスリラー音楽をかなりのボリュームで聞かせてくれます。後半になってやっといつものやさしいストリングスが聞こえてくるのですが、前半だけだと彼の作品だと気付かないかも。

ちなみにこの映画で使われた金はユーロなので、そんな昔ではない、ついこの前か、今を舞台にしているのです。どういう経緯で彼女が売られていったのかは詳細は語られないのですが、こんなことが現代に行われているかもしれないというところに重い後味が残る映画でもありました。

「アンドロメダ」は地球侵略SFの傑作。リアルさが見事

「宇宙戦争」を侵略モノSFの東の横綱とするなら、西の横綱は今回DVDで観た「アンドロメダ」になるのではないでしょうか。

人工衛星が墜落したアメリカの田舎町でみんながほとんど即死状態で発見され、未知のウィルスが発生したということで、極秘事項となっているワイルドファイアが発令され、科学者4名が緊急招集されます。人工衛星を回収のために、現地に調査に赴くと、町民の血液が砂上に凝固しているのを発見します。さらに、アル中の老人と赤ん坊の2人が生き残っていたのです。砂漠の地下の調査施設に衛星と2人は運び込まれ、科学者たちによる分析が始まります。そして、衛星から、何か結晶の形をした生物のようなものが発見されるのですが、その間にも、細菌と思しきものは拡散し、一方、なぜ2人の生存者がいたのかは解明されません。発見された細菌のコードネームはアンドロメダ。果たして地球の運命は如何に。

「ジュラシック・パーク」のマイケル・クライトンの原作を、「たたり」のネルソン・ギディングが脚色し、「ウエストサイド物語」「たたり」のロバート・ワイズが監督した、地球侵略SFの傑作です。人工衛星が運んできた細菌が地球人の血液を砂上にしてしまう、恐ろしい設定なのですが、それによるパニックを描くのではなく、物語はほとんど研究室の中で展開していきます。

その描き方はドラマチックというよりは、むしろドキュメンタリーに近いものがあります。町に入ってからあちこちに死体が転がっている描写や、科学者たちが研究施設に至るまでにいくつものレベルの殺菌処理を行うシーンなど、危機感をあおるというより、冷静に淡々と描いているところがこの映画のすごいところです。一方、研究施設の外では、現場近辺を飛んでいた軍用機がおかしな無線を残して墜落しています。どんどん、細菌による汚染は広がっているようです。しかし、科学者たちは冷静にチェスの手を打つように調査を淡々とそして確実に進めようとします。

研究室の中の設備は今の目で見ても見劣りするものではなく、ホストコンピュータと端末という仕掛けをきっちりと見せるあたり、その時代の最先端のリアリティがあります。検査された内容がコンピュータにとりこまれ、それが色々な場所の端末から、要求に応えた形で参照可能というのは、コンピュータを知ってる人間でないと、なかなか描き得ないリアリティだと言えます。

そして、その結果、細菌と思しきものは、空気感染し、どんどん自己増殖する結晶体だということがわかってきます。地球内には存在しない細菌の繁殖を止めることは人間にはできない、だが、2人の生存者がいるというサスペンスが研究施設の中で静かに展開するところはゾクゾクさせるものがあります。細菌の拡大写真や構造のグラフィックなどに、視覚効果としてダグラス・トランブルとロバート・ショートが担当し、ミクロの世界の映像化に成功しています。

この映画の面白さは、得体の知れないものから少しずつその特性がわかってくるところを、淡々と描いた演出にあります。ドカンバリバリの描写が一切なくて、地球の危機が迫っていることを描いているのは、「宇宙戦争」とは正反対の展開でして、ミクロの世界へ入り込んでいくほどに、地球的危機が迫っていることが実感されるのです。

そして、研究室内に細菌がもれ、自爆装置のスイッチが入ってしまいます。それを阻止するため解除装置にたどりつけるかどうかが唯一動的サスペンスの見せ場となりますが、結末はあっけないところに落ち着きます。そのあっけなさは「宇宙戦争」と似ているのですが、最後の締めで、「今度、同様の事態が発生したら、我々は何をすべきか。」という問題提起をするあたりにぞっとする後味が残ります。

未知の細菌が地球上で繁殖を始めたらどうなるかを科学的な視点からサスペンスドラマに仕上げている映画は他に見あたらないですし、その面白さは今見ても古さを感じさせません。また、それをサポートしている、美術、視覚効果、コンピュータディステレイなどが素晴らしいのです。特にジル・メレの不安な電子音楽がサスペンスを大いに盛り上げています。

「殯の森」は小難しいところもあるけど、映画としての見応えもあり

今回は東京では公開を終えている「殯(もがり)の森」を静岡シネギャラリー2で観てきました。隣に変な子供連れのオヤジが座って、案の定、子供が退屈して、ゴソゴソしたり懐中電灯つけたりしてるのをオヤジは注意もしないし、靴脱いだ足をこっちへ放ってくるので、映画の印象を半減させられてしまいました。こういう映画にガキを連れてくるな、と声を大にして言えなかった自分が情けない、トホホ。

認知症ケアハウス「ほととぎす」に新しく介護人真知子(尾野真知子)がやってきます。彼女は自分の不注意で息子を亡くしたという過去を持っていました。だんだんと仕事になれてきた、彼女はいつも突拍子もなことをしでかすシゲキさん(うだしげき)とも打ち解けあうようになりました。シゲキさんは33年前に亡くした妻の真子さんのことが頭から離れないようです。そんなある日、真知子が車を運転して、シゲキさんの奥さんの墓参りに行くことになります。途中で、車が脱輪してしまい、それを連絡しに真知子が車を離れた隙に、シゲキさんがどこかへ行ってしまいます。彼を追って、何とか合流することに成功するのですが、その後、シゲキさんはどんどん森の奥へと進んで行ってしまいます。夕立になり森の中で一晩を越すことになる二人。そして翌日、シゲキさんは森のある場所へとたどり着くのでした。

河瀬直美が脚本、監督し、カンヌ映画祭でグランプリをとった作品だそうで、タイトルの「殯」というのからして何だか難しそうな映画の予感。殯の意味はエンディングで字幕で語られるのですが、それなら、映画の最初に出せよと言いたくなりました。改めて説明が必要になるキーワードを頭に提示しないで、映画のラストに持ってくるのは、お客に予習しとけよと言わんばかりのある種の傲慢さを感じます。それにこの意味がわからないと、シゲキさんがやろうとしてることが見えてこないのですよ。

前半は認知症のケア施設の普段の日々が淡々と描かれます。そのなかでシゲキさんは、どこか変人っぽいところがあります。和尚さんの説法に「生きてるってのはどんなことか」と尋ねるシゲキさん。また、習字で自分の家族の名前を書くとき、「真子」をいくつも書いて、隣の真知子さんの「真知子」の「知」の字をぐしゃぐしゃにしてしまうシゲキさん。真子さんを失った後の33年間という時間はシゲキさんにとってどんなものだったんだろうかというところに思いが行ってしまう展開ですが、その一番の身近な理解者が子を亡くしたばかりの真知子であるという設定を自然な語り口で見せていくのがうまいと思いました。また、真知子自身もシゲキさんによって癒されているようにも見えます。

このケア施設は一人一部屋があてがわれ、古い民家を改造したということで、お年寄りにも落ち着けるような作りになっています。あまり、介護関係にはくわしくないのですが、鉄筋のきれいな建物よりも、生活感が感じられるのがいいところだなあと思わせられました。ちょっと出来すぎの自然の中のケア施設ですが、年を取ったらこういうところで余生を送りたいと思わせる場所になっていました。


ここから先は結末に触れますのでご注意ください。


真知子の運転で真子さんの墓参りに行く途中で脱輪してしまうという偶然が、二人を森の中へと引きずりこんでいきます。どこかわからないようなところを彷徨っているようにも見えます。滝のような雨、冷え込む夜、二人は正気とは思えないように、森の中へとさらに進んでいくのです。シゲキさんは真知子は眼中になく、真知子には、シゲキさんしか見えていないような状態。そして、ついに森の中のとある場所にたどりつきます。この場所がどういうところなのか、人のお墓のようには見えませんが、真子さんがシゲキさんを呼び込んできたように見えます。そして、穴を掘って、身を横たえるシゲキさんは至福の表情を見せます。ひょっとしてこれがシゲキさんにとっての殯の儀式なのかと思わせるのですが、その辺の解釈はお任せなのか、ラストでの「殯」の意味説明で、これがシゲキさんにとっての殯なのだと念を押したいのか、最初に述べた意味説明の見せ方に納得できなかったので、ちょっと判断に困るところです。

むしろ、この儀式に立ち会わされた真知子さんにとってのシゲキさんによる感情の変化が気になります。映画の中で「こうしなければならないことはない」という言葉が何度か語られるのですが、その言葉が彼女をシゲキさんに付き添わせ、殯の場所に導いたように見えます。そして、最後にはシゲキさんと同化しているようなのです。彼の望むところを理解し、それを手助けしてやる存在が彼女であり、シゲキさんを理解できるのは彼女だけだったのです。そして、失った魂を身近に感じることができるということが、真知子にとっては、天からの授かりモノに思えたのではないかしら。

森の空気感と光の美しさを捉えた中野英世のキャメラが素晴らしく、音響効果も見事でした。(ちなみに私の観た劇場はドルビーステレオ装置での再生ですが)他のHPで退屈すると書いてあったところもあるのですが、そんなことはなく、97分が程よい長さに感じられました。こういう映画はその映画空間に飲み込まれることで、何かを感じ取れる映画ですので、できれば劇場での鑑賞をオススメします。

昔の「宇宙戦争」は面白くて観始めると止まらない

久しぶりという感じで、DVDの「宇宙戦争」を観ました。それもスピルバーグのではなく、1952年のジョージ・パル製作、バイロン・ハスキン監督のものです。原作は両方ともH.G.ウェルズです。

死の惑星となりつつある火星では火星人が移住先を物色していました。そして近くて環境のよい地球
白羽の矢を立てました。ある夜、アリゾナの小さな町の山に隕石が落ちました。たまたま居合わせた物理学者のクレイトン(ジーン・バリー)に調査依頼されるのですが、どうやら隕石にしてはクレーターが小さすぎると疑惑を抱いた間もなく、町でのダンスパーティの最中、突然停電し電話も時計も止まってしまいます。隕石のもとへ向かった保安官やクレイトンは、見張りの男たちが灰にされ、隕石から不気味な飛行物体が熱線戦砲を発射するのを目撃します。軍への出動を要求し、攻撃態勢を整えたのですが、隕石が後2つ落ちて、そこからも飛行物体が現れ、3機編隊で熱線砲と緑の中間子破壊光線で攻撃され、手も足もでません。そして、世界各国にこの飛行物体が現れ、世界中がこの3機編隊が通った後は何も残らないという状況。ついに原爆による攻撃をするのですが、それでも飛行物体はびくともしません。果たして地球の運命は如何に?

スピルバーグの「宇宙戦争」は、主人公のトム・クルーズの視点からドラマが進行していくのですが、こちらは、クレイトンとシルビア(アン・ロビンソン)というヒーロー、ヒロインを設定していますが、軍部の動きや世界状況をナレーションで説明したりして、世界全体が大変なことになっているという状況を説明しつつ、主人公たちの周囲でも様々な事件が起こるという見せ方で、ストーリー展開が大変わかりやすくなっています。どこをどう見せれば世界中が危機だと納得できるのは、脚本のうまさでしょうか。

また、出てくる人間のキャラが丁寧に演出されます。最初に熱戦砲にやられてしまう見張りの3人とか、保安官とかがリアルないい味をだしているのですよ。普段の生活から、異常事態へと流れていくのが自然で、普通の市民は異常事態に鈍感で、そこが生活感を感じさせ、ユーモラスでもあります。、一方で軍部のお偉いさんたちの描写も無駄がなく、よくできているのです。観始めるとやめられない、85分というコンパクトな時間にまとめているせいかもしれませんが、無駄のない展開は、最近の映画も見習ってほしいと思います。


この先は結末に触れるのでご注意ください。


この映画の面白いのは、人間がどんどん追い詰められていく様の見せ方です。原爆がダメだとわかると、地球の滅亡まで後6日という計算になってしまいました。クレイトンやシルビアも避難して火星人の血液分析をしようとするのですが、避難トラックは暴徒たちに奪われ、最後の望みも絶たれてしまいます。火星人の飛行物体が街を焼き尽くしている中、クレイトンはシルビアを探し回るのです。そして避難できなかった人々が教会に集まって祈りを捧げている中にシルビアを探しだすのですが、その時、熱線砲が教会のステンドグラスをぶち割り、ようやっと抱き合うクレイトンとシルビア。このカップルの死とともに世界も終わるかのような見せ方はうまいと思いました。すると、外が静かになります。外にでると飛行物体が墜落しています。ドアが開いてそこから火星人の手が這い出してくるのもスリリングですが、それが死んだとわかるところで、物語は終わります。ナレーションがなぜ火星人が死んだのかを語ってくれるのですが、その理由は呆気ないものではあるのですが、それまで人類の危機をこれでもかと積み重ねたせいで、何となく納得しています。

世界中が危機にさらされ、世界中が救われるという展開は、撮影時の世界情勢から、反共の映画で、火星人は共産主義国の反映なのかなとも思ったのですが、火星人の圧倒的な強さと弱点はどうもそうではなさそうです。米軍に華を持たせるわけでなく、何の攻撃も受け付けない火星人という脅威はむしろ自然現象の脅威のように思えます。

私の生まれる前にできた映画で、テレビ(ゴールデン洋画劇場とかサンデー洋画劇場で何度も放映済み)で観ているのですが、観るとやっぱり面白い、ディティールも丁寧に作られています。飛行物体や都市破壊の描写はSFXというより特撮と言った方がよいミニチュア主体のものですが、出来栄えは素晴らしく、当時のレベルでは最高のものと言えましょう。スピルバーグ版に物足りなさを覚えた方にはこっちの「宇宙戦争」をオススメします。1時間半弱の長さもオススメのポイントです。

「シッコ」は私にはいい勉強になりました

新作の「シッコ」を川崎チネチッタ9で観てきました。ここはやけにスクリーンがでかい映画館で、劇場後方が鑑賞のベストポイントになります。

アメリカの保険医療制度は保険会社が何だかんだ言って、なかなか医療費を払ってくれない。そして、貧困層は医療保険に入れないという状態にあります。保険会社に前もって届け出ないまま救急車を呼ぶとその料金には保険が使えないとか、新薬の適用が保険会社から拒否されることも稀ではありません。結局、膨大な医療費を全額負担して、自宅を売り払って、子供の家に間借りする老夫婦もいます。保険の掛け金だけを集める一方、できるだけ医療行為を行わないようにする保険会社、医者がよいとされているのです。そして、皆国民保険制度は社会主義の道だとして拒否されているのが現状です。隣のカナダやイギリス、フランスでは、医療は税金でまかなわれていて、市民が医療行為を受けることは基本的に無料です。カナダもイギリスも勿論社会主義国ではありません。でも、アメリカでは、弱者が踏みにじられることが常識になっているのです。「華氏911」のマイケル・ムーアが現代のアメリカ医療に一石を投じます。

「ボウリング・フォー・コロンバイン」「華氏911」で面白いドキュメンタリー映画を作ったマイケル・ムーアが、今回は、アメリカの医療制度を題材にまたしても観て面白いドキュメンタリー映画を作り上げました。重いテーマをコミカルに描くことで、観る人のハードルを低くするという手法は今回も有効に作用していまして、わかりやすさと説得力は相当なものがあります。

指を2本切断した時、2本とも結合可能だったのに、その医療費の高さから、1本しか結合できなかった事例、ガンの手術をうければ直った可能性大だったのですが保険の適用を拒否され、亡くなった事例。ずいぶんとひどい話だと思います。特に、救急車で子供を病院に搬送したところ、その病院は該当する保険会社の関係がないという理由で診察もされず、病院をたらい回しにされた子供の話はこれがアメリカという国なのかと驚かされました。うかつに入院でもしようものなら百万円の出費になるのでは、保険に加入できなかった人は、うかつに怪我や病気になれません。

なぜ、そんなことになってしまったのかというと、今に医療制度は、保険会社という私的企業によって運営されていることになります。そして、保険会社にとっていいことは、医療行為を行わないこと、つまりコスト削減なのです。そして、医師もできるだけ医療行為を行わないことで保険会社からボーナスが出るというのです。さらに、保険の適用については、厳しい、というよりあら捜しのようなチェックがされ、過去に似た症例が発生していたという事実を洗い出して保険の適用を拒否するのです。さらに、保険会社は政治家に献金することで、会社に有利になる法律を成立させてもいるのです。

ムーアは外国の状況を調べます。カナダ、フランス、イギリスに行って、そこでの医療制度を取材します。結果、それらの国では医療費は無料なのです。その分、税金は高いのかもしれませんが、医療行為をうけるために面倒な申請をしてえげつない審査を受けて、結果、保険金が下りずに、家屋敷を売りに出すといったことにはなりません。どこの国にも一長一短があるものですが、こと医療に関しては、他の国々に比べて劣っていると言わざるをえません。

9.11同時多発テロのとき、多くのボランティアが捜索、遺体の運搬などを行ったのですが、そのボランティアが粉塵で後遺症が残ったケースでも、保険金は下りないのです。一方、グアンタナモ基地に収監されている容疑者は完璧な医療ケアが施されているのです。こういう事実を多くのアメリカ人が知らされていないとすれば、この映画はドキュメンタリーを超えた問題提起をすることになります。
ムーアと保険金をもらえなかった人々は、グアンタナモ基地を訪れた後、敵国キューバで病院へ向かいます。そこは、社会主義国ですが、医療はアメリカより充実していて、そこで検査やアフターケアの方法まで教わります。さらに、薬もキューバの方が格段に安いのです。このあたりは、ちょっとヤラセっぽいところもあるのですが、怪我人や病人が駆け込めば、すぐに医療行為をしてもらえるというのは、どうやら本当らしいのです。

「ボウリング・フォー・コロンバイン」を観たとき、アメリカという国に住む人々は、恐怖感に支配されてるのではないかと思ったのですが、うかつに病院にかかれないという恐怖もまた抱えていることが見えてきます。仕事も簡単にクビになるかもしれない、誰が銃を持っているかわからないかもしれない、病気や怪我で入院しても保険金がおりなくて借金地獄に落ちるかもしれない。こんな日常的な恐怖にさいなまれながら生活してるということは、市民に恐怖を植え付けて支配するという社会主義国と大差ありません。そして、一部の金持ちと政治家だけがいい思いをしているという現状は、正直、革命が起きてもおかしくないように思えます。それを作られた恐怖が封じ込めているように見えます。

この映画は、テーマを絞っていて、保険に入っていない人のことにはあまり触れません。製薬会社にも触れていません。保険に加入していながら、保険金を受け取れなかった人々を中心に話を進めています。要は、保険会社は儲けるためには何でもするというのが実態で、そのせいで病人が治療を受けられなかったり、亡くなったり、膨大な金額を支払わされているのです。そして、それが民営化という民主主義のなかで行われているのです。民営化というキーワードは去年よく耳にしましたが、公共サービスを民営化するというのは、こういう恐ろしいリスクを持っているのです。そのことがわかっただけでもこの映画は一見の価値があります。

プロフィール

einhorn2233

Author:einhorn2233
Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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