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「ファンタスティック!チェコアニメ映画祭 アニマルプログラム」は時代色が感じられ

年の瀬のシネマ・ベティで「ファンタスティック!チェコアニメ映画祭 ガーリープログラム」を観た後、スタンプが5回分たまって、一回タダということになったので、その続きのプログラム「ファンタスティック!チェコアニメ映画祭 アニマルプログラム」を観てきました。今度はさらにお客さんが少なくなって、4人くらいになっちゃいました。

チェコアニメ映画祭のBプログラムは、「アニマルプログラム」というわけで、動物の登場するアニメ短編集です。Aプログラムの「ガーリー」よりコンセプトがわかりやすいです。動物ネタは、人間ドラマよりグローバルで通じやすいので、中身もとっつきやすいのではないかしらという期待もありました。9本のアニメーションが上映されます。

「ネコの学校」
ガーリープログラムでも、人間と合成されたネコのキャラが楽しかったのですが、今回は、二匹のネコが学校へ行くというお話。ネコにしては上から目線じゃない健気キャラ、でも結構イタズラもの。他のアニメとは一線を画す洗練されたキャラは日本でも受けるかも。

「失敗作のニワトリ」「かしこいウサギの話」
うーん、この2本、観た記憶がないのは、寝てたのかしら。

「イラーネク超短編集」
短い3本のアニメ、鼻眼鏡おじさんのナンセンスアニメなんですが、これもあまり印象になくって。

「鳥になった生活」
お母さんが催眠術にかかって鳥になったままもとに戻らなくなっちゃったというナンセンスなお話。でも、結末が読めるというかありがちなのが残念。でも、絵の大人のマンガ風たっちがなかなか面白い一遍。

「グレイキャットの物語」
酒場に住んでた酒飲みのオヤジ猫。酔っ払って病院に運び込まれたら、アル中患者の体を這い回るネズミをやっつけたもので、貴重な研究材料になるのですが、酒の飲みすぎで自分もアル中になってしまい、体中を這い回るネズミにギャアとなるという、なかなか面白い一遍なんですが、これは子供にはわからないぞ。

「ラブラブラブ」
売れない作家と彼の部屋に住むクモが仲良くなるんですが、作家に彼女ができたことから、作家とクモの関係に溝が入ります。クモが自分は愛のために死んだと自己紹介するところから始まる映画でして、アニマルシリーズは動物を擬人化した皮肉っぽい話が多いので、ガーリーよりも大人向けの作品が多いですね。

「劣等感」
とにかくすごく賢い犬がいて、飼い主の奥さんのお気に入りなんですが、ダンナはそれを気に入らない。ダンナは犬を殺そうとするのですが、犬の方が一枚上手だったというもの。ダンナもダンナなら、犬も犬だという、ブラックな笑いで、今どきのアニメならもう一捻り加えるところでしょう。

アニマル・プログラムといいながらも、動物がかわいいのはネコちゃんだけで、あとは、何だか人間臭い動物たちが生臭い話を展開するので、動物系というより、生臭ケモノ系のアニメという印象でした。昔の深夜番組「11PM」で観たことあるようなアニメ、って、あれは久里洋二だったかしら。どの作品にもヒネリが入っているんですが、それが一昔前の印象を与えてしまいます。プログレ系アニメともいうのでしょうか。ガーリー・プログラムの方が時代色を感じさせないのは、ターゲットを子供にする方が時代を超えたアニメができるのでしょう。

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「ファンタスティック!チェコアニメ映画祭 ガーリープログラム」で「へー」

年の瀬のシネマ・ベティで「ファンタスティック!チェコアニメ映画祭 ガーリープログラム」を観てきました。こんな時にチェコアニメなんてお客が自分一人だったらどうしようと思ったのですが、それでも10人弱のお客さん、カップル一組あり、私ではない。

1989年以前の社会主義国だったころのチェコでは、アニメは国営で製作されていました。国営アニメスタジオで製作された短編アニメにはチェコの国独特の味わいがあり、今回は、4つのプログラムに分かれた中で、Aプログラム、ガーリーコレクションを観てきました。ガーリーって少女向けのって意味があるらしいんですけど、はてさて、それって何のこっちゃろう? これは、チェコの「きらりんレボリューション」なのか。

6本のアニメーションからなるプログラムです。ひょっとしてプロジェクター上映かしらと思ったのですが、ちゃんと35ミリ、スタンダードサイズの映画上映でした。

「リトル・アンブレラ」
真夜中におもちゃが動き出すという設定の人形アニメ。ありがちかな?と思う展開なんですが、シャボン玉をふくと、いくつものシャボン玉がつながって一つの人形になるというのが見事でした。

「ネコのお絵描き」
実写キャラのネコの飼い主と手描きアニメによる二匹のネコのファンタスティックなドタバタを描いた作品。ネコのキャラクターが大変洗練されていて、アメリカのカートゥーンと東洋風な筆のラインがオリジナリティがあって、そしてかわいいネコになっています。ナレーションがおじさんの一人語りで、ネコの声までやっちゃうってのは「まんが日本昔話」みたいですが、それでもなかなか雰囲気がありまして、ちょっとこれはファンになるかもって感じ。

「けしのみ太郎 病気ってどうやってなおすの」
主人公のけしのみ太郎が病気になってしまうというお話でして、けしのみ太郎というそれらしい名前の主人公なのに、病気になりっぱなしで全然活躍しないという妙にすかされたようなお話。物語よりも絵のカラーを楽しむ作品のようなんですが、で、なぜ「けしのみ太郎」? みたいな。

「迷子のカシタンカ」
飼い主にはぐれた犬のカシタンカが拾ってくれらおじさんから新しい名前をもらってサーカスに出るというお話なんですが、毛玉みたいで犬が死んだ鶏の代わりにサーカスの舞台に上げられ、そこでかつての飼い主と再会するというもの。ドラマチックでもなく、それほど笑いもなく、淡々とした展開が不思議な味わい。

「魔法の水」
前編をお菓子で作ったアニメーションです。ビスケットやクッキーを使ったアニメは珍しいです。病気の王様を治すという魔法の水を探す3人の息子、というストーリーから、なぜか、別の国のお姫様が運命の王子を探すお話になってしまうという強引なぶっとんだ展開の方が面白かったです。魔法の水より、男と女はやることやってハッピーって、妙に外したお話になるのはなぜ?

「真夜中の大冒険」
またしても、夜中に動き出すおもちゃのお話。駅員の人形と汽車のおもちゃは、どちらも楽しくやってきたのですが、新しくて立派な汽車のおもちゃが出てきたら、駅員のおもちゃは古い汽車は見向きもしなくなるのですが....というお話。これは日本人にもわかりやすい感性で、ほのぼの系アニメの典型でした。駅員と汽車のおもちゃの各々に微妙に感情が表現されてるってのがおかしかったですね。

正直言って、「へー」という感じで観てしまったのですが、アニメといっても、人形アニメ、お菓子アニメ、人間との合成など色々と趣向があるんだなあって、「へー」って、やっぱり「へー」かい!

「ダーウィン・アワード」はウィノナ・ライダーちゃんの映画です、悪い?

これってお正月映画だったかしらの「ダーウィン・アワード」をイブイブの夜、川崎チネチッタ10で観てきました。8時半の回なのにそこそこお客さんが入ってるのですが、外の雑踏ほどカップルは多くないようで、私もぽつねんと一人で鑑賞。

あまりにマヌケな死に方を集めたダーウィン・アワードというのがあるそうなんですが、主人公マイケル(ジョセフ・ファインズ)はマヌケな死に方の行動分析が趣味の警察のプロファイラー。でも、血を見ると気絶する病気のせいで、連続殺人鬼を取り逃がして職を失います。そこで、自分の趣味を生かせる転職をということで保険会社に売り込みをかけます。本人のバカが原因の事故に保険料を払う必要がない、自分は最高の調査員だと。そこで、4週間の試用期間が与えられ、ベテラン調査員シリ(ウィノナ・ライダー)と組んで、アメリカ中を保険調査にまわることになるのです。そして、大学の卒研でドキュメンタリーを作ろうというカメラも一緒にマイケルを追いかけていくのでした。

ちょっとヒネったブラックコメディを新鋭マイケル・フィンが脚本・監督を担当しました。ダーウィン・アワードというのは実在していて、アホな死に方をして、その係累を絶ったことを賞賛するというやらしいアワードなのですが、それに執着する主人公が、保険調査員として、アホな事件のアホの正体を暴いていきます。その死の事故や死の原因が本人のアホによるものであれば、保険会社は保険金の支払いを拒否できるのです。うーん、これって「シッコ」で見たぞ、何だかんだ難くせつけて保険金がを払わないという保険会社のカラクリじゃない。そういうのにものすごく向いてますって自慢のタネにはならないんでないかい?

それでも、本人はいたってマジメに事件を調査して、統計的データとプロファイリングを駆使して事件の実相に肉薄していきます。その町で起こったものすごく久しぶりの銀行強盗が実は、氷に魚釣りの穴を開けようとしてダイナマイトを使ったときのドタバタの結果だったとか、タイヤ跡だけ残して消えた自動車の謎は「ちょっとした」男になろうとした結果の自爆だったとか、マイケルの調査はなかなかに優秀です。「そいつが死んだのは、マヌケだったからさ」と論破してしまうのは、日本でやったら、ムチャクチャ不謹慎とバッシングされ、ブラックな笑いを誘うこともできないでしょう。でも、アメリカは大らかなのか、「人間はアホである」「生きててアホな奴は死んでもアホ」という前提が世間隅々まで行き届いているのか、ダーウィン・アワードやこういう映画が存在できるのは、日本とは大きく違うところです。

そういうアホの実相を追い詰めていくマイケルもかなりのアホ。ユニットバスでセッケン踏んでコケるのがやだからって、ベルトで自分の体を吊るしてシャワー浴びてて動きがとれなくなっちゃうし、自分に気がありそうな女の子を前にして結局何もできなかったり、見た目いい男なだけにかなり痛いキャラなんです。若干昔ですが「マーサ・ミーツ・ボーイズ」でもダサめの二枚目を快演したジョセフ・ファインズはこういう役をやるとうまいです。彼の相棒になるのが、お久しぶりのウィノナ・ライダーちゃん。これまた昔の「ルーカスの初恋メモリー」で健気系美少女を演じて以来のファンなんですが、アル・パチーノ主演の「シモーヌ」で痛い女優役を演じて以来の感動の再会。とは言ってもちょっと仕事やつれの保険調査員、でもリアルなキュートさが、ジョセフ・ファインズのボケにうまくツッコミ入れてくれるので、それだけで、映画のランクが(あくまで個人的に)上がってしまいます。変なキャラ同士の割れ鍋に綴じ蓋的カップルがいい感じでした。

クライマックスは、プロファイラー時代に自分が取り逃がした連続殺人鬼がまたしても犯行宣言し、その実行を阻止しようとするドタバタ。ここは、斜に構えたところ一切なしのコテコテのコメディになってるのがおかしくて、ヘタレなマイケルのドタバタでまた笑いをとります。これで自分が死んだら絶対ダーウィンアワード入りな、マイケルの行動がおかしくて、ラストをブラックコメディにしないでベタな笑いにしたことで、映画の後味がまろやかになりました。このあたりは、マイケル・フィン、結構商売人かもしれません。

また、この映画、脇に何気に豪華なキャストを揃えていまして、ちょっとずつ出てくるケビン・ダン、デビッド・アークエッド、アレッサンドロ・ニボラ、ジュリエット・ルイス、D・B・スウィーニー、クリス・ペン、ロビン・タニー(お久しぶりの狸顔チャーミー)などの面々が、アホなドラマに微妙な華を添えています。

ま、ウィノナ・ライダーちゃんはこの先にも新作が控えているようなので、先のお楽しみが増えました。とはいえ、今の若い人は「ルーカスの初恋メモリー」なんて知らないだろうから、単なる熟女趣味のオヤジにみえちゃうんだろうなー。

2007年邦画ベストテン

今年は初めて、日本映画のベストテンを作ってみました。観た本数は少ないのですが、どれも珠玉の作品揃いだったので、ちょっと無理やりですがベストテン。


第1位「紙屋悦子の青春」
封切は2006年ですが、2007年の最初に観た映画がこれ。黒木和雄監督の遺作ですが、敗戦間近い九州の一軒の家を舞台に、涙と笑いと反戦の物語を作り上げました。リアルな生活感と同居する戦争の影を見事に描いています。主演の原田知世さんの凛とした美しさが素晴らしかったです。


第2位「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」
両親の死を契機に、兄、兄嫁、妹の前にとんでもない自己チュー姉が舞い戻ってくる。人間ってのは面白くてしぶといもんだと思わせる、ブラックコメディ風味のパワフルなホームドラマ。サトエリ、佐津川愛美嬢、永作博美さんという女優陣の演技が圧巻。特に儲け役ながら、底抜けの善意の下に無限のパワーを秘めた兄嫁を演じた永作さん萌え。


第3位「天然コケッコー」
生徒が7人しかいない田舎の小中併設校を舞台に、夏帆ちゃん演じるヒロインのおかしくて、ヘタレで、でも真面目な日々が、共感を呼ぶ形で描かれます。子供たちのやんちゃな善意に「これはこれでいいんだよね」って励まされる大人のためのファンタジー。2006年の泣かせてんこ盛りの青春映画が幅を利かせる中で、涙ゼロでも心の琴線に触れる映画は作れることを実証してくれました。うまい、ホントによくできている娯楽映画の逸品。


第4位「陸に上った軍艦」
監督としても有名な新藤兼人氏の戦争体験をインタビューと再現ドラマで構成しました。暴力と弱いものいじめの横行する軍隊を、「二度とごめんだ」という視点で描いたドラマは、戦争が人間を醜く変えてしまうことを見事に表現しています。一番弱い立場のものが虐げられる様は、実は時代、場所を超越した人間の本性なんだと実感します。だからこそ、理性と思いやりが本性に流される自分を制御しなきゃいけないんですよね。


第5位「キサラギ」
火事でなくなったアイドルの一周忌に集まった5人の男。彼らがアイドルへの追悼の意を捧げているとそこから現れてくる新事実。5人という登場人物と限定された時間と場所の中で、二転三転どころか五転も六転もするドラマが高いテンションを維持しながら展開する脚本の面白さ。主演の5人の好演をうまく捌いた演出の妙。面白さの密度が高くて、笑いあり涙ありという娯楽のツボを押さえた逸品でした。


第6位「あしたの私のつくり方」
鳴海璃子嬢扮するヒロインの小学6年から高校生までの成長を描いた青春ドラマです。小学生のときの友達に正体を偽ってメイル交換しているヒロインが「偽りの自分」に悩むのですが、でも「偽りの自分も自分のうちじゃん」ということに気付いたとき、改めて自分に信頼を置けるようになります。ヒロインの成長を的確に演じた鳴海璃子嬢の演技力に驚かされました、この子すごい。そして友達を演じた前田敦子嬢はAKB48のメンバーですって。48人中の1人、紅白で識別できるかしら。

第7位「ひめゆり」
沖縄のひめゆり部隊のドキュメントであり、当時ひめゆり部隊にいた人々のインタビューと、記録フィルムで成り立っています。2007年は、沖縄戦で市民に日本軍が自殺を強要したかどうかということが争われていました。しかし直接の指示を出さなくとも、死という選択肢しか与えられていなかった人々が追い詰められて自らの命を絶って行ったのです。そして、そういう教育、洗脳をしたのは日本国、日本軍です。この映画は、主義主張を控えて、生き残った方々の声に真摯に耳を傾けようとしているのですが、それでも、本土決戦とか言って、日本人をできる限り生き残らせることを放棄した国の中枢の人々への怒りを感じてしまいます。


第8位「殯の森」
認知症のシゲキさんとそれに振り回されるケアハウスの介護人の真知子さんの物語です。奥さんの墓参りということで出発したシゲキさんがどんどん山の中へ入って行っちゃうもので、真知子さんはそれに振り回されて、山の中で一晩明かすことになっちゃいます。シゲキさんが最後にたどり着いた場所は奥さんを殯る場所だったのですが、真知子さんはそれをどう受け入れたのかなあってところが気になる映画でした。ロケーションの美しさ、音響のリアルさは素晴らしいのですが、さて?


第9位「花の夢 ある中国残留婦人」
17歳のときに満蒙開拓女子義勇隊に参加した栗原貞子さんは、満州へのソ連侵攻時、身重の身で難民として中国を逃げ回り、帰国するタイミングを逸したため、日本から見捨てられてしまいます。彼女の証言を通して、歴史が目を背けてきた事実を記録しようとするドキュメンタリーです。シネマベティでの上映後、わずか4人の観客の前で東監督がご挨拶してくれました。私の的はずれの質問にも真摯に答えてくださってありがとうございました。


第10位「選挙」
川崎市議会選挙に自民党公認で急に立候補することになった山内さん。42歳で選挙なんて初めての山内さんの演説会からビラ配りなど全ての選挙活動をカメラがずっと追いかけたドキュメンタリーです。選挙では、政策なんか関係なくてひたすら「人脈、地縁」に「支援者の善意」で事が運んでいきます。日頃から胡散臭い存在でしなかい、選挙と立候補者をコミカルにそしてシニカルに追っていくのがなかなか面白い映画です。


と、いうわけでドキュメンタリーの目立つベストテンですが、日本映画って食指の動く映画が少ないのですよ。他には堀北真希さんがかわいかった「恋する日曜日 私恋した」もあったのですが死病映画なので圏外です。

2007年の洋画ベストテンを

毎年映画のベストテンを作っているのですが、今回は割と多めに観ることができたので、まず洋画だけのベストテンを作ってみました。まあ印象に残って好きな映画です。

第1位「ルワンダの涙」
ルワンダ虐殺の実態を、英国人教師という第三者の目を通した映画なんですが、彼も当事者の立場から逃げられなくなるとき、どういう行動を取れたのか。最近、映画で泣きたい若い人が多いそうですから、そういう人たちに是非観て欲しい映画です。痛い涙ってのもあるんだなって実感できます。なぜ、彼らは殺されなければならないのか、なぜ彼らは虐殺者になってしまうのか、同じ人間なのに。

[http://blogs.yahoo.co.jp/einhorn2233/28370557.html 「ルワンダの涙」]

第2位「ラブソングができるまで」
ラブコメ好きで、ドリュー・バリモア好き。彼女の出る映画は面白いのが多いのですが、この映画は、80年代ミュージックに覚えのある人には大ハマリだと思います。とにかくまず笑えて、その後ホロリとさせて、音楽で愛を伝えて、ラストはチャーミングな満面の笑顔。幸せな映画でございます。

[http://blogs.yahoo.co.jp/einhorn2233/31743706.html 「ラブソングができるまで」]

第3位「ナショナル・トレジャー リンカーン暗殺者の手紙」
役者がよくて、お金たくさんつかって見せ場多くて、でも笑えて、ストーリーも楽しくて、子供からお年寄りまでみんなにオススメできる、娯楽映画の逸品。家族そろって楽しめるドキドキハラハラエンタテイメントを作った、ジョン・タートルトーブ監督偉い。日本映画もこういうの作って欲しいとマジに思いますです。

[http://blogs.yahoo.co.jp/einhorn2233/39081298.html 「ナショナル・トレジャー リンカーン暗殺者の手紙」]

第4位「あなたになら言える秘密のこと」
海底油田採掘サイロを舞台に描かれる重傷者と看護婦の数日間。そこから見えてくる彼女の過去、それはヘビーな歴史の1ページでした。しかし、物語はただ事実をそこに並べるだけでなく、その先の希望と不安を語ります。同情や愛情を超えた人間としての衝動が、ヒロインの心に届くところが圧巻でした。泣かせる映画なんですが、「泣かせる映画」というくくりでは語りきれない重厚なドラマでした。

[http://blogs.yahoo.co.jp/einhorn2233/28451006.html 「あなたになら言える秘密のこと」]

第5位「麦の穂を揺らす風」
英国軍に蹂躙されるアイルランド。義憤にIRAに志願した医師志望の主人公。しかし、理想と現実の確執がIRA軍の中を二分し、主人公と兄の絆も裂いてしまうのです。命がけで戦っている相手、守るべきものにズレが生じてくることによって起こる悲劇は救いがありません。ですが、歴史はこういう悲劇を何度も繰り返していることから目を逸らしてはいけないと思わせる映画です。

[http://blogs.yahoo.co.jp/einhorn2233/30817463.html 「麦の穂を揺らす風」]

第6位「パラダイス・ナウ」
パレスチナの青年2人が自爆テロ要員に選ばれるという物語。イスラエル目線では自爆テロでも、パレスチナ目線では聖戦なのだということを思い知らされる映画。そして、イスラエルによるパレスチナ爆撃も、イスラエル目線では戦闘行為でも、パレスチナにとってはテロ行為に他ならない。この映画はメッセージ性は控えめですが、私にとって知るところの多い映画でした。

[http://blogs.yahoo.co.jp/einhorn2233/31867362.html 「パラダイス・ナウ」]

第7位「ドリーム・クルーズ」
ホラー映画は今年はあまり観に行けていないのですが、「リング0」の鶴田法男監督が木村佳乃をヒロインにした怪談映画は、よくできた怖いドラマでした。これがアメリカ映画なのが、ちょっと残念なような、納得できないような、でも、木村佳乃がいいなあってことでベスト7。

[http://blogs.yahoo.co.jp/einhorn2233/33133014.html 「ドリーム・クルーズ」]

第8位「ツォツィ」
南アフリカのストリートギャング、ツォツイが強盗した車の中には赤ん坊がいたのです。オープニング、ケダモノの目をしていたツォツィが、その赤ん坊を親のもとに返そうと思ったときに、彼の目に宿る人間の少年の瞳。そこに生まれる人間の信頼。奇跡のようであり、ファンタジーのようであり、だから人間あなどれないという映画でありました。

[http://blogs.yahoo.co.jp/einhorn2233/32974665.html 「ツォツィ」]

第9位「TOKKO 特攻」
特攻隊を描いた記録映画が、日系アメリカ人リサ・モリモト監督によって作られたことは意義のあることだと思います。日本人の間では語りにくいことも、第三者的視点で語られることによって、今まで見えないことが見えてくるのではないかという期待もありました。そして、この軍事行為そのものが気狂い沙汰であり、軍上層部の責任回避の先送りによるものだということがわかるだけでも、この映画の存在意義がありましょう。

[http://blogs.yahoo.co.jp/einhorn2233/35585118.html 「TOKKO 特攻」]

第10位「ヒロシマナガサキ」
これまた原爆を扱ったドキュメンタリーなんですがアメリカ映画。広島、長崎の生存者と、爆撃した元アメリカ兵士の証言を記録したものです。この怖ろしい新型爆弾によって本土決戦が回避され、日米両国の多くの命が救われたという事実。一方で、この爆弾が多くの一般市民の命を惨たらしい形で奪い、蝕み続けているという事実。どちらかの事実にだけ目を向けたり背けたりしてはいけないということを再認識させる映画でした。

[http://blogs.yahoo.co.jp/einhorn2233/38746109.html 「ヒロシマナガサキ」]

上記以外では、人間ドラマの視点の面白さで「イカとクジラ」「リトル・チルドレン」「あるスキャンダルの覚書」、コメディとして面白かった「Gガール 破壊的な彼女」「ホリデイ」、スリラーの佳品「モーテル」「リーピング」、娯楽映画のパワーを感じた「ボーン・アルティメイタム」「世界最速のインディアン」、人間の悪のパワー満載の「ブラック・ブック」、ストレートなドラマの見応えで「クイーン」「こわれゆく世界の中で」といった作品が印象に残っています。


さらに、映画1本まるごとでなく、特定部分に注目したピンポイントベスト5をあげます。

第1位「ダーウィンの悪夢」の我々との地続き度
タンザニアのヴィクトリア湖に、お金になるナイルパーチという魚をたくさん持ち込んだことから始まる生態系の破壊、貧富の格差などを描いたドキュメンタリー。その魚の顧客に日本もあるのだとナレーションで語られるうちはピンとこなかったのですが、工場で加工された白身魚のパックを見たら「ああ、これスーパーで見たことある」とびっくり。このドキュメンタリーと我々の食生活が地続きなんだと実感したら、他人事に見えなくなってきました。

第2位「シッコ」「不都合な真実」のドキュメンタリーのケレン味
2007年はたくさんのドキュメンタリーが公開されたのですが、その中でメジャーだったのが、この2作だったのですが、マイケル・ムーアとアル・ゴア、どちらも語り慣れしてるので、うまく観客を自分の思うツボに誘導していきます。そのあまりに見事な語り口に、この話、真に受けていいのかなという気分になってきました。通販番組のような、見事な語りが、逆に嘘くせえーと見えてしまうのが不思議というか。

第3位「インベイション」のニコル・キッドマン
2007年の映画は女優陣が充実してまして、「カンバセーションズ」のヘレナ・ボナム・カーター(好き)「Gガール 破壊的な彼女」のアンナ・ファリス、「DOA デッド・オア・アライブ」のビキニ女性陣の皆様、「デジャヴ」のポーラ・パットン、「バベル」のケイト・ブランシェット、「ボビー」のメアリー・エリザベス・ウィンステッド、「愛されるために、ここにいる」のアンヌ・コンシニ、「アドレナリン」のエイミー・スマート(面白かわいい)、「モーテル」のケイト・ベッキンセール、「ストーン・カウンシル」のモニカ・ベルッチなどが印象的でしたが、侵略SF映画を「ニコル・キッドマンのインベイション」にしちゃった彼女が最強でしょう。汚れてもきれいなキッドマンにはインベーダーも勝てないよなあ。

第4位「ブレイブ・ワン」の結末
ジョディ・フォスターが自警市民を演じた社会派サスペンスのように、社会の歪を描いておいて、ラストで「情」に走る結末が「やりやっがたな」って感じでした。「フライトプラン」といい、最近、作品の選択を間違ってないか、ジョディ。

第5位シネマジャック&ベティのラインナップの充実
横浜のシネマジャック&ベティという庶民派ミニシアターなんですが、横浜日劇の閉館とともに一度は閉館していたのです。その後、細々と上映開始したのですが、2006年の「蟻の軍隊」あたりから、上映作品が充実してきまして、今年もミニシアター系映画の二番館上映とか、戦争関連ドキュメンタリーの積極的な上映など、横浜の文化の核になりつつあります。私も全番組をチェックできてはいないのですが、映画行くときはまずここで何をやっているかチェックします。ローカルな話で恐縮ですが、2008年もがんばって欲しい映画館です。

そんな感じで、2008年もよろしくお願いします。

「ナショナル・トレジャー リンカーン暗殺者の日記」は今年最高の娯楽映画

お正月映画の「ナショナル・トレジャー リンカーン暗殺者の日記」を日劇1で観てきました。日曜の寒空の初回は劇場は半分埋まっていませんでした。初回全席自由席ってのはありがたい、というより、あんな大劇場を全席指定するには窓口少なすぎ。

ベン・ゲイツ(ニコラス・ケイジ)の祖先トーマスは、リンカーン暗殺事件の直前に暗殺者ブースにある暗号の解読を依頼されたと代々語り伝えられてきました。そこへ、ウィルキンソン(エド・ハリス)という男が現れ、ブースの失われた日記の切れ端を持って現れて、その文面から、トーマスこそがリンカーン暗殺の首謀者だと発表し、ベンも父パトリック(ジョン・ボイト)も憤懣やるかたありません。何とか先祖の汚名を雪ぐべく、その日記から暗号部分を取り出して、トーマスがブースら南軍の残党たちから、伝説の黄金都市シボラをありかを守ろうとしていたことを立証しようとします。しかし、ベンやアビゲイル(ダイアン・クルーガー)の行く先々にウィルキンソンが追いかけてきます。ベンの母エミリー(ヘレン・ミレン)まで巻き込んでの宝探しが始まるのです。

どこかノンビリムード、でもお話は豪華な娯楽映画だった「ナショナル・トレジャー」の続編です。スタッフ、キャストは前作からの続投で、今回は、リンカーン暗殺事件に端を発する宝探しでして、アメリカからフランス、イギリスをまたにかける大作風の作りになっています。大作娯楽屋のジェリー・ブラッカイマーがディズニーと組んで製作し、「クール・ランニング」「あなたが寝てる間に」で人間を描いたコメディで実績のあるジョン・タートルトーブがメガホンをとりました。

今回ベンとパトリック父子の関係は円満になっているのですが、ベンとアビゲイルの仲が最悪というところから始まります。祖先の汚名を晴らそうと動き出したベンはまずトーマスが解読した暗号を探し出して、解読し、パリの自由の女神に刻んである文書より、バッキンガム宮殿とホワイトハウスにある対のデスクに何かあるらしいことを突き止めます。そしてバッキンガム宮殿の机から謎の木板を見つけることに成功します。一方、ベンの動きはウィルキンソンに知られていて、ロンドンでのカーチェイスの果てに、木板はウィルキンソンに奪われてしまいます。木板の写真をもとにそれが古代アメリカの文字であることがわかり、そのエキスパートのエミリーに協力を仰ぐことになります。そして、もう一つホワイトハウスの机にも同じような木板がある筈ということで、ベンとアビゲイルはホワイトハウスの執務室にまで忍び込むのですが、木板は取り去られた後でした。そこで、ベンはその木板の内容を知るために、大統領(ブルース・グリーンウッド)に直談判して、その木板の文字を撮影するのですが、それがウィルキンソンに先を越され、母親エミリーもウィルキンソンにつかまって、最後の鍵のあるラシュモア山のあるブラックヒルズに連れて行かれるのですが、ベン、パトリック、アビゲイルたちもその情報を手に入れ、そして、いよいよ黄金都市への道を探すことになります。

と、大まかな話はこんな感じなのですが、ウィバーリーズの脚本とタートルトーブの演出はどのシーンにも笑いを盛り込んで、二転三転するドラマにテンポ(ある意味軽さ)を与えています。それでも、物語の柱の部分はきっちりと押さえていて、物語の腰を折らないようによく計算されています。ベンや相棒のライリー(ジャスティン・バーサ)のコミカルなやりとりだけでなく、アビゲイルやパトリックといったメンツまで、きっちりと笑いをとります。一方で、ロンドンでのカーチェイスはすごい見せ場になっているのですが、大型トラックが追っかけてきてるのを歩行者が逃げていることで知るといった趣向がドキドキハラハラの中に常にコミカルな味を盛り込んで楽しませてくれます。登場する大統領がブッシュじゃない、知的で魅力的キャラになっているおかしさとか、パリのおまわりさんとのやりとりなど、どこかトボけた味わいがこの映画の特徴と言えます。

それでも、最後の地下の黄金都市探しに入ると、展開がシリアスになり、生きるか死ぬかのドキドキハラハラになるのです。そして、悪役のウィルキンソンがラストで泣かせるあたりは、見事なエンターテイメントだと思います。ウィルキンソンの行動が、映画の柱の部分ときっちりシンクロするあたりのうまさ、そして、ここへ名優エド・ハリスを持ってきたセンスは完璧だと言えましょう。一方で、ヘレン・ミレンに軽妙なキャラをゆとりで演じさせるあたりも娯楽映画のツボをきっちり押さえています。よくよく考えてみれば、親掛かりの宝探しなんですが、それでも主人公のベンがヒーロー足りえているってのにも感心しました。

最近の大作映画にありがちな、いかにもなCGエフェクツはほとんどなく、クライマックスも大仕掛けのセットを組んで、人間臭さを感じさせる冒険映画になっています。とにかく、隅から隅まで、趣向をこらして、お客さんを楽しませようという姿勢が一貫していて、ラストのエド・ハリスとヘレン・ミレンの分、前作よりよくできてるのではないかしら。今年、2007年の映画の中で娯楽性ではトップの映画だと思います。ハリウッドの底力を感じさせる映画でした。底力と言っても、大作というだけではなく、役者を揃えて、面白い展開を考えて、笑いを散りばめて、見終わって満足感を与えるということひっくるめての底力でして、日本映画に対する大きなハードルとして位置づけられる映画なのではないかしら。

「花の夢 ある中国残留婦人」は若い人に観て欲しいと、監督からメッセージ

東京では既に公開されたドキュメンタリー「花の夢 ある中国残留婦人」を、横浜シネマベティで観てきました。日曜日のモーニングショーで観客4人。ところが、上映が終わったら、サプライズで東志津監督ご本人の挨拶つき。たった4人の前でのご挨拶に、うれしいような、申し訳ないような。

栗原貞子さんは今年82歳、17歳のとき、彼女は満蒙開拓女子義勇隊の一人として満州へと渡りました。八ヶ月の訓練で帰れると聞いていたのですが、実は満蒙開拓青年団の花嫁として送り込まれたのでした。そんな筈ではと言えないまま、彼女は、50組の合同結婚式の花嫁の一人となります。子供を身ごもり、夫が兵隊にとられて不在の1945年8月9日、ソ連軍の満州侵攻が始まります。女子供に老人しかいない開拓団にも避難命令がでますが、移動中の列車がソ連軍の空襲を受け、中国の大地を歩きながら逃げ惑う間に、あるものは自決、あるものは病気などで、死んでいきます。若かった貞子さんはそこを生き抜きますが、収容所に入れられ、そこを脱走し、中国の農家の世話になり、そこで中国人の夫を持ちます。しかし、その結果、彼女は日本の歴史からも、日本国からも忘れられた存在となってしまいます。日中国交回復後、中国残留婦人として帰国した貞子さんですが、国は彼女の帰国を正式なものとして認めず、自費で帰国した彼女と娘たちは、日本でつらい日々を送ってきました。でも、今は、彼女と彼女の6人の子供、そして孫、曾孫たちは日本で元気に暮らしています。


いわゆるアメリカとした戦争、太平洋戦争は、映画やドラマに語られる機会も多いのですが、それ以前に、日本が中国に攻め込み、満州国を建国し、さらに中国内部へ侵攻していったころの話って、主たるメディアとして語られることは少なく、歴史の授業でもすっとばかされる時代です。満州国ができて、多くの若い人々が満蒙開拓の担い手として、満州に送られます。栗原さんも、軍国少女の一人として、お国のためになることだったらということで、自ら進んで満蒙開拓女子義勇隊の一員になります。しかし、その時、女子義勇隊が青年義勇隊の花嫁要員だったとは知らされていなかったのですから、だまされたようなものです。何しろ、行く先が零下30度にもなる極寒の地ですから、社員の花嫁要員の女子採用とはわけが違います。

結婚して子供を設けたら、夫は兵隊にとられ、ソ連の侵攻が始まるときには大きなお腹の栗原さんは、中国の中を足で逃げ回ることになります。歩けないものは取り残され、足手まといになる子供は見捨てられ、あるものは自決し、その屍をこえて、栗原さんたちは歩き続けます。この部分は栗原さんや、当時同じ境遇だったお婆さんたちによって、語られるのですが、今の私には、その惨状を想像することができません。そして、中国人と結婚することで、何とか生きながらえる栗原さんです。大きなお腹を抱えた彼女を見かねて、貧しいながらも夫となって、彼女に生きる途を与えてくれた長勝さんの話はホロリとさせるものがありました。その後も文化大革命の時は日本人だからということでスパイ嫌疑をかけられ尋問されたというのですから、過酷な半生だったのだと、おぼろげながら感じ取ることができます。日本へ帰ると決意したのですが、日本側から、なぜ引き上げ船に乗らなかったのか、なぜ中国人と結婚したのかという質問をされ、正式な帰国が認められませんでした。中国の親戚、友人のカンパもあって、栗原さんと娘2人だけ、やっと自費で帰国することができたのですが、その先の住むところや働き口まで自力で見つけなければならなかったのです。そんな国から見捨てられていた栗原さんたちに、同じ開拓団だった千野さんが色々と面倒をみてくれます。

それでも、帰国直後は、娘2人は日本語がわからなくてずいぶん辛い思いをしたそうです。未だに中国や朝鮮を見下したようなモノの言い方をする人もいますし、異文化に保守的である日本でそうとう苦労したのでしょう。それでも、母が望んだことを実現しようと子供たちはがんばったのだそうです。今や、子供、孫、曾孫までいて、自分は、小さなアパートで猫と暮らしています。ちょっと見た目は、いいとこのお嬢さんがそのまま年をとったようにも見える栗原さんですが、普通に生きてきた人には想像がつかない人生を歩んできたのです。

今年観た「蟻の軍隊」でも、日本から見捨てられた中国残留邦人を扱っていたのですが、結局これらの人々が正式な歴史の中からも存在が抹消されてしまっています。国としては、自分で勝手に中国に残ったんだから、日本としては知らないよという態度のようです。だからこそ、こういう人々のことを語り続けることが重要で、映画はそのための有効なメディアだと再認識しました。よく最近耳にする言葉で「知らないことも罪だ」というのがあります。私は、誰もが最初は知らない状態から始まるので、この言葉は好きじゃないのですが、知るためには、語る人と聞く人が必要だと思っています。特に、戦時中の中国の話って、南京虐殺の有無ぐらいしか語られていないし、実際に中国でやってきたことを語りたがらない人が多いと聞きます。栗原さんの話も、今聞き取ったということに意味があり、多くの人が彼女の言葉を聞き伝えていくことが重要だと思います。

映画を観る前は、中国残留婦人の話だとすると、結局、日本が戦争に負けたからこんな酷い目に遭った、日本が戦争に勝っていれば満州で幸せな日々を過ごせたのに、という見せ方をされたらいやだなあって思ってました。しかし、この映画は特に表立った主張を持っていません。こういう人生を送ったおばあさんがいますよという視点になっています。普通の戦争ドキュメンタリーに比べるとイメージカットの挿入が多く、冗長にも思えてしまうのですが、そこは知った上でメッセージ性を廃しているようにも思えます。しかし、その結果、ラスト、栗原さんがアパートの部屋で猫とまどろんでいるのを見せることで、彼女の体験した地獄は、私たちの住む時間と地続きであるということを思い知らされることになります。

東監督の舞台挨拶で、できるだけ若い人にも観てもらいたいとのこと。私はオヤジなので、監督のご意向には添えなかったのは残念ですが、12/21まで、朝10:00からの一回だけなんですが、足を運んでくださる方がいますように。

「マリア」は歴史?それとも原理主義者のテキスト?

東京ではシネシャンテでの公開ながら、シネコンでもあちこちで上映されている「マリア」をTOHO川崎シネマのプレミアシート(ゆったりシートでリクライニング付)で観てきました。プレミア料金ではなく、通常料金なのでちょっと得した気分。と、いうより、このくらいのシートの違いで別料金を取るのはいかがなものか、と。

ヘロデ王(キアラン・ハインズ)は、過酷な税にあえぐ領民たちの間で、旧約聖書にある救世主の出現が騒がれていることに内心、恐怖を抱いていました。ヘロデ王の領内のナザレでは、マリア(ケイシャ・キャッスル・ヒューズ)が、父親の意向で、大工のヨセフ(オスカー・アイザック)との結婚をさせられてしまいます。夫婦は1年間、床を同じくせず、その後、夫の家に妻が入るというのがしきたりでした。ところが、マリアが天使からの告知を受け、神の子をその胎内に宿してしまいます。まだ、1年たってないのに、みるみるお腹の大きくなってくるマリアに両親は大激怒、しかし、ヨセフは夢の中で天使からの言葉で、マリアの子が、救い主イエスであることを知り、世間の非難の視線にも耐えてマリアを守ろうとします。ヘロデ王より、戸籍作成を名目に、全ての民に元いたところへ戻るようにとお触れが出ます。そして、ベツレヘム出身のヨセフは臨月のマリアを連れて、ベツレヘムへと旅立つのでした。

世界一のベストセラー「聖書」の中のイエスの誕生にまつわる部分を映像化したものです。確かにクリスマスを舞台にした映画を観てると、子供たちがクリスマスの劇で、羊飼いや三博士に扮した劇を演じているのをよく見かけます。大人から子供まで、全ての世代にポピュラーなお話のようで、それをキャスリーン・ハードウィック監督がまじめに映像化しています。子供のようなマリアが、天使からの受胎告知を受けて神の子をみごもるってのは、ドラマチックというよりは、主の気まぐれさを感じてしまって...などと言うとバチが当たるのですよね、はい。

ヘロデ王の圧政に、領民の間で救い主が現れるという予言があちこちで語られているようなのです。統治者にとっては、これは風評被害に他ならないのですが、確かに旧約聖書にそういう預言があるものですから、ヘロデ王も怖気づいてしまっているのです。そして、その救い主が大きな力を得る前に殺してしまおうとするのですが、救い主がどこから、どんな風に出てくるのかがわからない。一方、星の観測をしていた東方の三博士は、三つの星が一つに重なるとき、何か神聖なることが起こると知り、その星の示すところを探して、西へと向かうのです。こんな物語はあちらの人にとっては桃太郎と同じくらいによく知ってる話なのでしょうが、キリスト教にも聖書にも縁遠い私からすれば、見るもの聞くもの新しく、主ってのもムチャするなあ、とか、三博士が「救い主は子供だ」とヘロデ王にチクったせいで、ベツレヘムの幼児皆殺しになっちゃうのでは、三博士ってどっちの味方やねんと突っ込みを入れたくなります。

厩での、キリスト誕生のシーンは視覚効果を駆使して、空の星から厩の中まで一目で見渡せる構図で祝福の絵を作っています。これが、小学校の講堂でやると、あんな劇になるんだなあって納得してしまいました。ヒロインを演じたケイシャ・キャッスル・ヒューズは「クジラの島の少女」のヒロインでしたが、今回は、冒頭の子供のようなマリアから、ラストに世界を背負う母の顔までを見事に演じ切りました。一方のヨセフを演じたオスカー・アイザックが普通だけど誠実な男を演じていまして、主が先に目をつけたのは、マリアじゃなくてヨセフかもしれない、ヨセフの妻だからマリアに受胎告知がされたのかもと思わせる好演でした。

救い主であり、神の子の誕生の物語を今日に描く意味を考えると、最近のアメリカでの聖書原理主義者が喜びそうな映画だなという気もします。もっと言うと、これがキリスト教でなかったら、新興宗教の布教ビデオだなとも思いました。時々、東映で公開される「幸福の科学」信者用のアニメーションに近いものがあります。なぜそう思うかというと、世界を救う救世主がこの世に生を受けるまでを描いたお話だからです。エル・カンターレの誕生とか、信仰に目覚める池田大作といったお話と似たところを感じてしまいました。一見、歴史もののように見せているのが曲者で、じゃあ、マリアは本当に神の子を身ごもったのかというところが、この映画では、「あり」として描かれているのです。そりゃまあ聖書に沿った物語だから、そうなるのは当たり前だと言われてしまえば、それまでなんですが、じゃあ客観的な歴史じゃないよね、ってことになります。マリアとヨセフが生身の人間として描かれているので、リアリティとファンタジーの境界が極めて曖昧になっているのですよ。この映画の見所は、マリアの母性の成長であるのは事実なんですが、さて、クリスチャンはこれをどう受け止めるのでしょうか。私だったら、ヨセフとマリアは1年も待てなかったんだなあって言うところです。

「天然コケッコー」は心の琴線に触れる映画

今回は、東京では夏に封切られた「天然コケッコー」をシネマ・ジャックで観てきました。封切後によい評判を聞いていたので、そこそこの期待をしていた作品です。

島根県の片田舎、木村町の学校は、小学生が3人、中学生も3人。中学2年の右田そよ(夏帆)はその中でも一番の年長さん。そんなところへ、東京の中学から大沢広海(岡田将生)が転校してきます。彼も中学2年で、そよは初めて同級生を持ったということになります。そよは、東京から来た転校生に邪険な態度をとったりしますが、彼がだんだん気になる存在になっていきます。彼の母親が男と別れて、里帰りした結果の転校だったのですが、そよの父親(佐藤浩市)は、そよが広海とつきあうのには大反対。それでも、二人は何だかいい感じなのです。冬が来て、春が来て、そよと広海は3年生になり、そよの弟が中学校に進学し、小学生2人、中学生5人の学校になり、中三の二人には、高校受験が迫ってきます。そよは、広海に自分と同じ高校を受けて欲しいと思うのですが、彼は東京へ進学したい様子。果たして、このカップルの行く末はいかに。


全校生徒7人しかいない学校、そしてその学校のある小さな町、そんな環境で、ヒロインそよは、中学生から高校生へとなっていきます。「リンダ・リンダ・リンダ」「松ヶ根乱射事件」などの作品で知られる山下敦弘が監督しました。原作はくらもちふさこの同名のマンガだそうですが、ほとんどドラマチックな事件も起こらないこの映画の原作ってどんなマンガだろうと興味をそそられます。

物語はそよを中心に、季節ごとのスケッチのような見せ方で、ゆっくりしたリズムで展開していきます。単にゆっくりというわけではなく、登場するエピソードに、人の営みが丁寧に描かれていて、そこに時間の積み重ねが感じられるのが見事だと思います。時間の積み重ねとは、子供たちの成長と言い換えることも出来ます。楽しいイベント、ちょっとした行き違い、ささやかな葛藤、それらは、人の営み、言い換えると日々の暮らしの中の1ページに、位置づけられているのです。

そして、視点はあくまでヒロイン目線になっていまして、彼女が成長するに連れて、見えるものが違ってくる、その受け止め方も変わっていくあたり、脚本、演出ともに、背伸びした子供が思春期を迎える様をていねいに描いています。そして、個々のエピソードが、その時期をずっと前に通り過ぎた大人の心の琴線に触れるのです。お涙頂戴の映画ではないのですが、あの頃、世界はどんなふうに見えていたのか、また、あんな気持ちになったこともあったなあって、ノスタルジックな気分にさせる映画でもあります。

しかし、ノスタルジーだけではないのものが、この映画には感じられます。なぜ、この映画をリラックスして、いい気持ちで観ることができるのか、そして、共感以上の感動を得られるのか。それは、そよや広海、その他の子供たちの視点から見た世界が、リアリティよりも、かくあってほしい世界として描かれているからだと思いました。この映画に、悪意を持った人間は出てきません。ちょっとしたいさかいはあるのですが、それらは結局、時の流れの中へ溶け込んでいきます。この今がずっと続いてくれたらいいのにと思わせる、ある意味、至福の時間が描かれているのです。でも、そこにいる間は、それが至福の時間だとは気付きません。でも、いつかはあの頃が一番だったなあと思うときが誰にでもあるのではないでしょうか。

こう書くと、言ってることが矛盾しているようなんですが、時が止まっているような中で、ヒロインや子供たちは成長していきます。それは至福の時間からの卒業であり、新しい世界への旅立ちであり、それは、全ての子供たちが体験することです。一方の大人たちは、変化や成長のない時間をゆっくりと積み重ねているように見えますので、子供たちと好対照をなします。この映画で、大人たちが、子供のドラマの背景のように見えるのは、大人は子供とは違う時間の中にいるからだと気付かされ、あの子供の頃の時間の流れに戻れたらなあと感じる、それが、大人の観客にこの映画を心地よく感じさせているのだと思います。

ヒロインのそよは、転校生の広海に心惹かれるところがありました。広海もそよを何となくいい感じに思っています。そよにとっては初恋になるのですが、その展開は、まるでドラマチックじゃない、どこかユーモラスで、ありがちな展開。しょーもない初キスから、バレンタインデー、修学旅行と、二人の関係は盛り上がるところまでいかないけど、「一緒にいれたらいいよね」という気分です。唯一、ドラマチックになるはずの、広海の進学先についても、ドラマはさくっと描いて、二人の微笑ましい関係を暖かく見守っているように思えました。

この映画は、島根県の浜田市でロケされたそうですが、田舎町の空気感と、四季の移り変わりが見事に描写されています。その中を7人の子供たちが歩いて登下校するところが、すごくいい絵になっていました。また、子供たちがきちんと挨拶するところや、学校での授業のようすなど、隅々まで細やかに描かれていたのも、好感が持てました。ヒロインを演じた夏帆が、しぶといけどやっぱり傷つきやすい女の子を演じて、かわいかったです。自分の中学生の頃、こんな同級生がいたらなあって、オヤジ心にも思わせる好演でした。他の子供たちも、単に純粋無垢というのではなく、きちんと善意を持ったキャラクターになっていたのも好印象でした。

「ヘアスプレー」は楽しい歌で一気に突っ走る

今回はロードショーが終了間近の「ヘアスプレー」を銀座シネパトス3で観て来ました。ここは、銀座シネパトスの中でも、一番小さい映画館で、フラットな場内ですが、スクリーンの位置が高いので、よほど座高のある人が前に座らなければ大丈夫。ただ、足もとから地下鉄の音は聞こえてきますけど。

1960年代のボルチモア、太めの女子高生トレーシー(ニッキー・ブロンスキー)はいつも元気いっぱい。学校が終わると一目散に家に帰って、テレビの「コーニー・コリンズ・ショー」を観て、テレビの前で踊りまくり、でもその一方「あんな人たちより、私の方がうまく踊れるのに」と思っていたら、オメデタメンバーが抜けた穴を埋めるため、ダンサーのオーディションが行われることを知って、ママ(ジョン・トラボルタ)に黙って受けたものの見事敗退。しかし、運が彼女に味方し、番組のダンスパーティで、コーニー・コリンズに認められ、テレビに出たら大反響。そして、ミス・ヘアスプレーのコンテストがちかづいてきます。トレーシーは居残り教室で知り合った黒人のシーウィードと知り合いになり、彼が月イチのブラック・デーに番組に出演していることを知り、黒人に対する差別意識を払拭しようとするのですが、番組部長のベルマ(ミッシェル・ファイファー)はそんなトレーシーが気に入らず、自分の娘をミス・ヘアスプレーにするために色々と画策してくるのでした。

カルト映画「ヘアスプレー」のミュージカル版を映画化した作品です。「ウォーク・トゥ・リメンバー」「女神が家にやってきた」などで、手堅い演出を見せてきたアダム・シャンクマンが監督しました。もともとは振付師だったようで、振付もシャンクマンが担当しています。また、ミュージカル版の作曲マーク・シャイマン、作詞スコット・ウィットマンが映画版でもその筆を振るっています。

オープニングから、トレーシーの元気のいいナンバーから始まります。何とも楽天的でポジティブなトレーシーが歌い踊りながら学校に行くまでを1曲歌っているのですが、ここでの勢いに乗れると映画の中に取り込まれてしまいます。テレビ番組「コーニー・コリンズ・ショー」での若い連中のダンスに合わせて、テレビの前で親友ペニーと踊りまくるトレーシー。テレビで踊っている女の子を観て「私の方がうまいのに」と思うあたりは、思い込み強いのかなという気がするのですが、シャンクマンは歌のつなぎをテンポよくさばいて、歌はたっぷりという演出なので、変なツッコミを入れる暇がありません。学校で、ダンサーのリンクに声をかけられて、夢と妄想が炸裂するナンバーもボリュームたっぷりで、「おいおい」とツッコム前に「はあ...」と説き伏せられてしまいます。で、ホントにリンクがトレーシーにぞっこんになってしまうのですから、もう一遍「はあ...」。

彼女が抜けたダンサーとして採用される経緯も、ドラマ部分をすっとばかして、踊りのナンバーで納得させるあたりは、まさに勢いとノリで楽しい展開になっています。彼女がテレビに出てセンターをつとめているのを見て、ママとパパはびっくり。そして、ダンサーのトップを観客の電話投票で決めるミス・ヘアスプレーの時期になってきます。人気では、トレーシーはトップなのですが、番組部長のベルマは娘のアンバーを優勝させたい一心で手段を選びません。ちょっと魔女がかったベルマを、ミシェル・ファイファーが、怪演しています。

その一方、テレビ局では、月イチのブラックデーすら廃止しようとしています。このボルティモアは、黒人差別がしぶとく生き残っていて、番組のダンスパーティでも、白人と黒人の間をロープで仕切っているのです。しかし、トレーシーは、学校の居残り教室で、ダンスを介して黒人学生とも仲良くなっていました。そして、テレビ局に差別反対のデモが行われることになります。黒人ばかりのデモに、トレーシーも参加し、プラカードで警察署長をポカリとやってしまい、警察から逃げ惑うことになります。その頃、テレビの生放送で、ミス・ヘアスプレーを決める真っ最中。そこで、トレーシーと友人たちは一計を案じて、何とか、トレーシーをテレビの電波に乗せようとするのです。

太めだろうと黒人であろうとみんな平等だという、メッセージを込めて、歌って踊る大団円となります。太めだからこそいいのだとか、黒人だからダンスがうまいというのでは、単なる逆差別になりますので、そこをうまく丸めた脚本と演出は見事だと思います。太めがいいのではなく、トレーシーだから魅力的なのだという見せ方なのです。ラストのナンバーも勢いで見せきるもので、そこで白人も黒人も一緒になってノリノリのダンスを披露します。最後まで勢いが止まらないで、歌と踊りで突っ走る楽しい映画になっています。トレーシーは一歩間違えると電波系の人に見えちゃうところを新人のニッキー・ブロンスキーが、明るくて前向きな女の子として演じきりました。自分の太めであることを全然気にしないで、同様に肌の色も全然気にしていません。人種差別のネタを扱っているのに、主人公が全然そういう政治的な意識を持っていないところが、ドラマを弾ませることに成功しています。

「ヒロシマナガサキ」は観て知る映画です。

東京では今年の夏に公開されたドキュメンタリー「ヒロシマナガサキ」をシネマ・ベティで観て来ました。こういう映画が普通の劇場で通常公開されるというのがうれしいです。ここで今年は「特攻」「ひめゆり」も通常公開されました。横浜にこういう映画館があることは自慢できるかも。

1945年の8月6日に広島にウラン爆弾が、8月9日に長崎にプルトニウム爆弾が落とされました。両方ともいわゆる原子爆弾です。広島では14万人、長崎では7万人の人がこの2発の原爆によって殺されました。あれから60年以上たった今、当時子供だった人も高齢化しています。生き残った人に当時の記憶をインタビューしていきます。この方々は地獄を見て、そして生き残ったのです。健康、精神の両方に大きな傷を負って、今も苦しんでいます。一方、原爆を投下した飛行機の乗務員たちへのインタビューもしています。彼らはその爆弾の威力に恐怖を感じる一方で、その投下自体には何の後ろめたさも感じていないようです。原爆は直接に被爆した人々以外にも原爆症による犠牲者が死に至らしめられており、投下後の生存者の命までもむしばんでいるのです。


アメリカのスティーブン・オカザキ監督によるアメリカ映画です。原爆の生存者にインタビューをしていくのがメインで、その合間にアメリカによる宣伝映画や、記録フィルム、生存者が描いた絵、さらには、原爆投下の当事者にもインタビューを盛り込んでいます。監督の視点は、大変クールで生存者に対する視点も一つ距離を置いているように見えます。生存者が登場するとき、彼らは自分の当時の写真を持っているところを、カメラは距離を置いて捉えています。カメラは彼らに感情移入することなく淡々と彼らの話を記録していきます。

生存者による原爆の惨状の物語は、聞いているのがイヤになるほど残酷で、観客の想像を絶するものがあります。私が子供の頃の少年ジャンプに、広島の原爆投下とその後日談を描いた「はだしのゲン」という漫画がありました。この漫画の作者、中沢啓治氏も原爆で家族を亡くしていて当時の状況を語ります。映画の中で、その漫画やアニメのシーンが挿入されるのですが、「はだしのゲン」の原爆投下直後の描写は壮絶なものがありました。映画ではその残酷な部分までは映しませんが、少年時代の私は相当なショックを受けたものです。

一方でアメリカ側はこの原爆で、戦争をより早く、より少ない犠牲で終わらせることができたという認識があるようで、原爆投下した飛行機の乗務員たちも、自分の行ったことは上官からの命令であり、結果について悪夢に悩まされることもないと言います。理論的には、戦争を早く終結させたということは事実だと思います。でも、目的が手段を正当化するとは限りません。多くの市民が殺され、生き残った人も、体の傷と生き残った負い目とに苦しめられているのです。

原爆の直撃から生き残った人々もバタバタと倒れていったのですが、当時の医師は原爆症なんて知らないので、どうしていいのかわからなかったそうです。生存者の中に一人、お医者さんがいたのですが、彼が「自分の看ている患者が何の病気なのかわからないことが一番恐ろしい」と語るのには、ぞっとさせるものがありました。そして、広島と長崎が新型兵器の実験場にされた事実に納得させられました。

また、被爆した女性25人がアメリカに渡って、形成外科の手術を無料で受けられ、原爆の悲劇がアメリカのテレビショーで全国に放送されたことがあります。そのショーには女性陣を代表して、被爆者でもある日本人牧師が出演し、さらに原爆投下した機の乗組員が招かれ二人が握手するシーンがありました。日本人として、このシーンをどういう気分で見たのか、何だか腹立たしくも思えるのですが、そうすることで、アメリカ人からのチャリティが行われたのです。その25人の女性はアメリカでの治療により、完治はムリでも、それなりの成果をあげたようです。

生存者の体は、完全に回復したとは言えず、傷ついた痛む体と共に60年余りを生きてきました。原爆の悲劇は21世紀になってもまだ残っているのです。しかし、残っているうちに悲劇を語り伝えないと、時と共に忘れ去られてしまいます。特に実際に被爆された方の言葉でないと、妙なデバイスがかかってしまう恐れがあります。この悲劇から、今度は戦争に勝てばよい、或いは、アメリカ許すまじなどのナショナリズムが導かれてしまうことになりかねません。しかし、被爆者の方々は当時のことをあまり話したがらないらしく、インタビューも大変だったようです。

もう一つ、忘れてはならないことがあります。原爆症に苦しむ人々が、日本人の間でも差別されていたことです。当初、原爆症の実態がわからないこともあって、原爆症が伝染すると思われたことによる差別がありました。さらに、原爆症の彼らの子孫にまで悪い病が引き継がれるということで、特に結婚においての差別が多かったようです。それら差別は無知がもたらすものかもしれません。我々の世代だって、エイズという言葉が聞かれるようになって間もない頃は、(私も含めて)エイズ患者への偏見、差別があったのですから、まだ、原爆から未来を学んでいるとは言いがたいのです。

この映画はスティーブン・オカザキ監督が普通ならあり得ないくらいに、バイアスをかけないで、日米の映像、証言を淡々と並べています。人によっては、アメリカって、何て非道なことをしたのかと憤る人もいるでしょう。8月15日に戦争を終わらせられたのなら、どうして後10日前にそれが出来なかったのかという思いを感じる方もいらっしゃると思います。この映画をどう受け止めようと観る人の自由にという作り方です。(マイケル・ムーアとは正反対です)ただし、この事実を知っていて欲しいというところは伝わってきます。知らなかったで済まさないための映画、無知でいることは許されないという映画なのです。映画の冒頭、渋谷の若者に、1945年の8月6日に何が起こったか、インタビューしても、みんな答えられないのです。その事実を、前提にして、この映画は、知らない人に対して、知らないことを知って欲しいという映画なのです。

この映画、私が観に行った時はウィークデーの夕方だったこともあってか、観客が私も入れてたった2人でした。シネマベティで、2007年12月21日まで上映されています。機会ある方には足を運んで頂きたいと思います。

「今宵、フィッツジェラルド劇場で」は生死が交錯する雰囲気が不思議な味わい

今年の春に封切られた映画「今宵フィッツジェラルド劇場で」を横浜シネマ・ジャックで観てきました。封切時に見逃した映画を近い映画館でみることができるってのはありがたいことです。

週末のラジオ番組に「プレイリー・ホープ・コンパニオン」はフィッツジェラルド劇場で公開生放送されています。しかし、この劇場も放送局が買い取られ、劇場は駐車場に変わることになりました。そして、今夜は番組の最終回です。出演する歌手やバンドマンがやってきました。司会のギャリソン(ギャリソン・キーラー)は今日が最終回であることを観客には告げずに放送をスタートさせます。保安係のガイ(ケビン・クライン)は、そこへ白いドレスの女性(ヴァージニア・マドセン)がいることに気がつきます。彼女は舞台裏や舞台までも入ってくるのですが、誰も彼女に気付かないみたいです。さて、「プレイリー・ホープ・コンパニオン」の最終回はどうなるのでしょうか。

名匠ロバート・アルトマン監督の遺作となった映画です。私は「プレイヤー」「ゴスフォード・パーク」「バレー・カンパニー」「相続人」くらいしか観たことないんですが、映画雑誌などで扱いが大きいので、多分すごい監督なのでしょう。彼への評価は70年代に公開された作品で決まったようなのですが、その頃の映画は未見なので、どんなふうにスゴい監督なのか、今一つ実感できないままスクリーンに臨みました。

映画は最後の公開放送の時間を舞台の上のショーと舞台裏を交互に見せながら展開していきます。ショーは次々に歌手が登場して、アメリカのカントリーソングを歌うというもの。ジョンソン姉妹(リリー・トムリン&メリル・ストリープ)や、ダスティ(ウディ・ハレルソン)&レフティ(ジョン・C・ライリー)のコンビたちが次々に歌を披露していきます。向こうのカントリーソングってのは、どこか日本の演歌みたいなものらしいです。3つくらいの伴奏パターンで全部カバーできそうな定型的なものなんです。アップテンポの曲はどれがどれだか区別がつきませんもの。演歌と同じく、その国の人にうまく馴染んだ歌のスタイルと言えましょう。映画の中では、放送中のシーンということもあって、ずっと歌がかかっています。主要キャラが歌うシーンは、大体一曲まるまる歌っていますして、アルトマンの演出は、物語よりも歌優先に構成しているように見えます。

歌がメインの分、ドラマのエピソードは意外とあっさりしたものになっています。特にこの日が放送最終回だということに、登場人物はあまり深く考え込んだりはしてません。豪華なキャストが、楽屋でおしゃべりをしている時よりも、舞台の方が輝いて見えます。そんな中で、劇場内を我が物顔で歩き回る白いドレスの女のエピソードが突出しています。彼女は、登場人物の中の特定の人間にだけ見えるようで、他の大多数の人間には、その姿は見えないようなのです。彼女はいわゆる超自然的な幽霊のような天使のような存在だそうですが、特別何かをするわけでないのですが、いつもとはどこかと違う生放送を愛でるかのように見て回るのです。

どうも、彼女を中心に死のイメージがこの映画から感じられます。楽屋で死んでいる老いた歌手(L・Q・ジョーンズがいい味を見せる)、ラストで取り壊されている劇場、ジョンソン姉妹の死んだ母へ捧げる歌、さらに会社側の人間(トミー・リー・ジョーンズ)を死に追いやるような彼女の言動、もちろん番組や劇場も死んでいくわけです。こう書くと彼女が天使ではなくて、死神のようにも思えてるのですが、そうではなく、天使として色々な死を見届けているようなのです。この番組の最終回はそうであることを観客には伝えずに終了するというのは、観客にとって、突然の不可抗力の死を暗示しているように思えました。

かと言って、この映画、どよんとした暗い雰囲気なのかというとそうではなく、いつも通りのにぎやかな番組、そして舞台裏が描かれていきます。字幕ではさばききれない言葉の応酬があるので、日本語版にした方がわかりやすいかなあと思ってしまうほど、言葉と言葉が重なり合い、さらに舞台での歌も重なって、字幕が誰のセリフを拾っているのかわからないシーンも多々ありました。ただし、全体に軽口を叩いているシーンがほとんどで、さらに歌が多い映画なので、登場人物に感情移入しにくい、群像劇の作りになっています。歌の歌詞をきちんと理解できれば、もっと色々なことを感じ取ることができたと思います。自分の英語力のなさが残念。

全体的に死のイメージがつきまといつつあるも、ラストでささやかな希望を見せてくれるところで、救われた気分になりました。ここでまた白いドレスの天使が登場するのですが、天使は死だけではなく、再生も見届ける役割も担っているようなエンディングでした。

エド・ラックマンのキャメラは、暗めの舞台と鏡がたくさんある明るい楽屋を、シャープにとらえて、シネスコ画面を美しく切り取りました。登場人物は皆好演でしたけど。特に脚本も書いてる司会役のギャリソン・キーラーと、狂言回し的な役どころのケビン・クラインが印象的でした。

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einhorn2233

Author:einhorn2233
Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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