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「MR.ビーン カンヌで大迷惑?!」はCM,予告編よりずっと面白い

今回は予告編を観たときに今イチだった「Mrビーン カンヌで大迷惑?!」を川崎チネチッタ11で観てきました。後ろに席に子供のグループがいて、「うわー、やだなー」という気分になったのですが、映画が始まると、後ろでキャッキャ笑っているので、こっちもつい面白い気分になってしまいました。

ミスタービーン(ロウワン・アトキンソン)が教会のチャリティくじ引きで、南仏ですごす1週間の旅行とビデオカメラが当たっちゃいます。そこでロンドンから高速列車でフランスへと渡ります。いつもビデオカメラを持って、周囲や自分を撮影して楽しそうな彼なのですが、リヨン駅で自分を撮影してくれと頼んだら、その男はカンヌ行きの列車に乗り遅れてしまいます。まずいことに列車には彼の息子がいたのです。次の駅でとりあえず二人とも降りたのですが、父親の乗った次の列車はなんとその駅を通過してしまいます。はてさて、少年と変なオジサンの珍道中、行き先は映画祭中のカンヌなんですが、無事にカンヌに着いて、少年を父親のもとに帰せるのでしょうか。

MR.ビーンはくどいオジサンのドタバタコメディとしてテレビで放映されていたのを2,3回観た事ありますが、あまり面白いとは思えませんでした。この映画の予告編も、やたら奇妙な動きをするMR.ビーンのカットをつなげているだけなので、全然期待していませんでした。ともあれ、チネチッタのスタンプがたまってタダで1本観られるということで、この映画をチョイスしてしまいました。

実際に観てみれば、これが面白いのですよ。予告編では変な顔や動きをするMr.ビーンだけしか見せないのですが、その変な動きにきちんと前後があって、最初に振りがあって、Mr.ビーンがギャグを見せて、その先にちゃんとオチがあるので、ちゃんと笑える筋道(表現が変ですが)ができているので、観客も安心して笑えるようにできているのです。また今回は、MR.ビーンが悪意のないキャラになっているので、変な顔をしても、不気味に見せないあたりがうまいと思いました。

とは言え、あのキャラだけで1時間半をどう持たせるのかと思ったのですが、MR.ビーンと子供とのロードムービーになっているので、一種のシチュエーションコメディになっていまして、物語の展開がなかなか面白いのですよ。リヨン駅までの道を方角で確認して、後は車道だろうが建物の中だろうがまっすぐ歩いていくとことか、カンヌまでのバス代を稼ぐためにCD屋の音楽に合わせてケッタイな踊りをするシーン、カンヌへ向か車を運転しながら睡魔と闘うシーンなど、MR.ビーンの一人芝居で笑わせるところももちろんあります。彼の表情のおかしさを見せるためか、終始ビデオカメラを回して自分や周囲を撮影しているので、彼の変顔ギャグが一杯見られるということもありました。でも、それ以外で、彼が受けのリアクションで笑わせるところもたくさんあります。それらの笑いのツボがいっぱい散りばめてある構成が大変うまいと思いました。隅から隅まで笑いのネタにしてるコメディってのは、最近ではなかなかお目にかかれないだけに、こういう映画も結構いけるじゃんという気分になってきます。

MR.ビーンは、今回はフランスへのおのぼりさんという設定で、ほとんど、ウィ、ノンだけで会話し、感情が爆発するところでは「○△※□▽~」ってわけのわかんないことを口走って、それでもなんとなくコミュニケーションが取れちゃうところがまた笑いを呼びます。端役女優のレビーヌ(エマ・ドゥ・コーヌ)の車にヒッチハイクして、結構いい感じ(勿論、色気抜き)になるところが不自然でなく、旅の相棒の少年とも仲良くなるなど、ブラックでない、心地よい笑いが最後まで続きます。MR.ビーン自体は、あんまり善人じゃなくて、いたずら好きの変な人になっていますが、ラストで彼がやっぱり主人公であることがわかるのが見事だと思います。

監督のスティーヴ・ベンデラックは、MR.ビーンがカンヌまで行くという単純なプロットで、こまめに笑いを入れて、1時間半を間延びしないで見せきっていまして、なかなか見事な演出を見せてくれます。濃いコメディアンをシチュエーションコメディの中に入れたらどうなるかという不安を見事にクリアして、両方のバランスのよい、楽しい映画に仕上げています。

脇役でなんとウィレム・デフォーが映画監督役で登場し、MR.ビーンにコケにされる役どころを大マジメに演じています。バズ・アーヴァインの撮影は全てのシーンで明るいさわやかな味わいの画面を切り取ってコメディらしい絵になっています。

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「迷子の警察音楽隊」はタイトルから期待しない方が楽しめます

年が明けてからあまり映画館に足を運べていないのですが、川崎チネチッタ1で「迷子の警察音楽隊」を観てきました。

エジプトからイスラエルへやってきた制服姿のアレキサンドリア警察音楽隊8人。彼らはアラブ文化センターでの演奏のためにやってきたのですが、迎えの人がいません。自力で目的地へ行こうと、バスに乗ったのですが、着いたところは何もないような田舎町ベイト・ティクバ。どうやら行き先の違うバスに乗ったようです。リーダーのトゥフィーク(サッソン・カーベイ)はどこへ行くあてもありません。バス停近くの食堂の女主人ティナ(ロニ・エルカベッツ)が親切にも、8人を3人3人2人に分けて一晩泊めてくれることになりました。トゥフィークと若くて生意気なカーレド(サーレフ・ヴァレリ)の二人はティナの家に泊まることになります。さて、このイスラエルの田舎町で一晩過ごすことになった8人はどんな朝を迎えることになるのでしょう。

イスラエルのエラン・コリリンが脚本、監督をしているイスラエル映画です。かつては敵対していたエジプトとイスラエルの間にあるのは冷やかな平和と呼ばれているそうですが、そういう微妙な関係になっているときに、エジプトから来た警察官たちがイスラエルの中で文字通り迷子になってしまうというお話です。そして、来たこともない土地で、他国の人の世話になり、一晩お世話になるのがメインストーリーで、特に8人のうち、トゥフィーク、カーレド、シモン(カリファ・ナトゥール)の3人を中心にドラマが展開していきます。冒頭の字幕で「とるに足らない事件が起きた」と出るのですが、実際にドラマチックな展開はなく、とるに足らない事件として描かれます。

トゥフィークは堅物で頑固なオヤジ風でして、その分、言いたいことを相手に伝えるのが苦手です。一方の若いカーレドは、女の子にも声をかけるのがうまいし、時として反抗的でもあります。シモンは早く指揮者になりたいと思っているクラリネット奏者で、途中まで作曲した協奏曲を持っています。音楽隊の面々とイスラエルの気のいい人々の一晩を小さな事件としてさらりと描いているのは、好感が持てる反面。警察の音楽隊という設定は、出オチみたいなもので後半のドラマに絡んで来ないのはちょっと不満でもあります。

夜になって、ティナはトゥフィークを町へと連れ出します。ティナは実直そうなトゥフィークにモーションをかけてくるのですが、彼はそれを困ったような顔をしながら受け流すだけです。威厳の裏にあるもろさを見透かされたトゥフィークですが、ティナはそんな彼に好意を抱きます。一方カーレドは、食堂で一緒だったパピという若者に無理やりついてって、初デートにまでついて行っちゃいます。そして、女の子をどう扱っていいのかわからないパピを助けて、なんとかデートを成功させようとします。さらに一方のシモンは、失業中のイツィクの家に3人で押しかけて、息苦しいような雰囲気で食卓をかこむのですが、最後には音楽とイツィクの赤ちゃんが空気をなごませてくれます。

トゥフィークは日本人目線でいうとやたら威張ってる職場の嫌われ部長みたいな感じで登場します。ティナのアプローチにはどうしていいのかわからない、できるのは自分の子供と妻について話すことだけ、威厳の下はかなりもろいキャラになっているのがちょっと意外でした。これじゃあ、人の先頭に立てるのかよと思わせるところもありまして、あまり共感を持てませんでした。若いカーレドの方がまだわかりやすいキャラで、いるよねどこにもこういう奴と思わせるところがありました。何で、こんなことをクドクド書いてるかというと、物語らしい物語がないのです、この映画。なんとなく夜が更けて、そして翌朝には音楽隊は目的地へと旅立っていきます。何かを残していくというよりは、存在が幻であったかという見せ方は面白いと思いました。音楽隊はアラビア語で話し、ティナたちはヘブライ語で話し、相互の会話は英語で行われるのが「おや」と思う発見でした。英語くらい話せないとヤバイのかなあって。後、世界の有名な音楽も知っといた方がいいみたいで、「サマー・タイム」とかチェット・ベイカーといったキーワードが意思疎通のきっかけになるようです。

また、知らなかったのですが、イスラエルのテレビでかつて多くのエジプト映画が上映されていたのだそうです。その映画の内容を、ティナが自分の人生と照らし合わせて語るシーンが印象的でした。敵だったけど他人じゃないという距離感は、日本人の私には理解できないのですが、世界のありようの一つとして、勉強になりました。

一本の映画としては佳作というところに収まるのでしょう。1時間半弱でまとめているのも、ストーリーのシンプルさからすれば賢明だったと思います。とはいえ、ドラマチックなところがまるでない映画なので、好き嫌いがわかれると思います。「迷子の警察音楽隊」というタイトルに惹かれて観に行くと若干物足りないのですが、「イスラエルで迷子になったエジプトから来た制服のみなさん」と思えば、この静かな展開もありなのかなって気になれると思います。

「乱気流 グランドコントロール」にたまたま入って大泣きさせられました

ちょっと昔の映画ですが、「24」でおなじみのキーファー・サザーランドが意外にもいい人を演じた映画がありました。1998年、銀座シネパトス2で観た「乱気流 グランド・コントロール」がそれです。今は亡き松竹セントラルで「ウィっシュマスター」というゲテ物映画を観た後、ちょうど時間が合ってたので入ったのですが、これが大当たりでした。

過去に自分のミスで航空機の事故を起こしたことのあるジャック(キーファー・サザーランド)が、大晦日のフェニックス空港に是非手伝って欲しいと頼まれ、しぶしぶながら航空管制官としての仕事に出向きます。レーダーを画面を見ると事故の時の記憶がよみがえるジャック。でもその日の管制官室は、研修明けの新人まで管制業務にかりだされるほどの人手不足状態。さらに電源が落ちたり、ストレスで切れちゃう管制官が出ちゃうなどのトラブル続き、果たして無事に新年を迎えられるのでしょうか。

もとはテレビムービーらしいのですが、日本では劇場公開(と言っても銀座シネパトスなんですが)された一品でして、予算はあまりかけらないのか、ドラマはほとんど航空管制室で展開します。ここで言う航空管制官というのは、空港の周辺の空の整理屋みたいなもので、旅客機の高度や方位を修正させつつ、着陸順に並べて、誘導し、実際の着陸については、管制塔に制御を渡すという仕事のようです。大変なプレッシャーにさらされる仕事です。その上、この夜は飛行機がラッシュ状態です。

監督のリチャード・ハワードは、そのあわただしい航空管制室の一晩を細かいところまで気を配った演出を見せ、時に対立し、時に協力しあう航空管制官たちの姿を控えめだけど、リアリティのある演出で見せています。管制室にベテラン(ブルース・マクギル)中堅(ロバート・ショーン・レナード)新人(クリスティ・スワンソン)そして新任チーフ(ケリー・マクギリス)という面々をそろえて、キチンとキャクターが与えられているのに感心してしまいます。

ジャックは最初は不安で仕方なかったのが、だんだんと昔の調子を取り戻してきます。新人と何となくいい感じで恋愛未満を演じたり、中堅管制官と対立したりもしますが、彼も自信を取り戻していきます。しかし、最後に管制した旅客機が行方不明になってしまい、彼に過去の悪夢がよみがえってきます。ここで管制官が色々な形でジャックをサポートするのが泣かせます。特にジャックがブライドと自分への不信に葛藤するところが、ぐっとくるものがありました。管制室のみんなが、彼の誘導が間違っていないようにと願っているところにもホロリとさせられました。

この映画を取り上げたのは、その頃に一番泣かされた映画だからです。キーファー・サザーランドがやさしさと不安を抱えた主人公を熱演していまして、そこがまた泣かせるのですよ。脇役に悪人を設定していないところが、またリアリティを運んでくるという展開が見事でした。地味な公開で、お金もかかっているようなところはないのですが、映画としての満足感の高い映画でした。一部では「グラコン」の略称で評判になっていた映画です。

[ラスト・レター」は美しい絵と音楽とヒロインにひたれます。

若い頃は今ほど涙もろくなかったのですが、それでもホロリとさせる映画はありました。1981年に観た「ラストレター」もそんな一本です。静岡ミラノ(現ミラノ1)で、「クリスタル殺人事件」の添え物の扱いでした。

山の中の障害のある子供たちの施設に新しい教師として赴任したヒロイン(デボラ・ラフィン)は、子供たちとすぐに仲良くなります。しかし、いつも一人でいる車椅子の少女(ダイアン・レイン)に気付いたヒロインは彼女から少女に語りかけるようになります。そして少女がプレスリーのファンだと知って、ファンレターを書くように勧めます。でも、返事がなかなか来なくて、「あー、悪いこと言っちゃったかな」と思うヒロインなのですが、....というお話です。

この映画、ラジー賞の脚本賞と主演賞をとっているのですが、そんなの関係なく、この映画は大好きです。まず、ヒロインのデボラ・ラフィンがきれい。泣きそうになる顔がまた絶品(←言い方下品)で、透明感のある美しさが、バックの自然とうまくマッチします。ダイアン・レインはまだ十代前半だろうと思うのですが、障害のある子供を地味に演じています。

この映画は、ぶっちゃけ死病映画なんですが、それを感じさせない展開が見事なのです。彼女が施設の子供たちと打ち解けるあたりも、ごく自然でした。また、厳しい院長、やさしい先輩教師、人懐っこい同僚教師といった脇役がヒロインを暖かく見守るポジションを好演していて、みんな好感度大なんですよ。

プレスリーファンの少女に、ファンレターを書かせるのですが、返事はなかなか来ません。そこでもドラマチックな展開は一切ありません。プレスリー側の人間を描くこともできたのに、ドラマを山の中の施設に限定しています。また、ヒロインに好意を抱く先輩教師のエピソードをふくらますこともできたのに、あくまで、大自然をバックに、ヒロインと少女だけの映画にしているのがいさぎよい演出だと思いました。監督のガス・トリニコスはよく知らないのですが、ひたすら二人のドラマにこだわった演出で、悪く言えば善意の人間ばかりのきれい事の映画だとも言えるのですが、それを勝る美しさを感じさせる映画に仕上げています。リチャード・H・クラインの撮影、ジョン・バリーの音楽がまた美しく画面をささえ、死病映画なのに、死病映画のお約束を全てとっぱらって、ひたすら美しい映画に仕上げたのです。心の洗濯になる映画もまた珍しいです。観る人によっては、上っ面だけの中身のないドラマだと思われるかもしれないのですが、私は見事にはまってしまいました。

たまにはこういうのに当たりたいなと思わせる映画でした。

昔の映画情報は新聞広告から





私は静岡で育ちましたが、映画に行く情報は、HPや情報誌などない当時は、地方紙の静岡新聞に載る映画広告が頼りでした。全国紙の何段も重ねた大きな映画広告ではなかったのですが、毎週金曜日の夕刊には必ず掲載されていました。今は、シネギャラリーの広告がちっちゃく載るのとたまに話題作の広告が載るくらいで、映画の広告を見かけなくなったのは残念です。

私が学生だった頃は、通常の映画の広告と並んで、ポルノ映画の広告も出ていました。寅さんと洋ピン(ピンク洋画)が並んでいるってのも妙な取り合わせです。でも、地方新聞の映画広告は全国紙ほど垢抜けていませんし、2本立ての広告を出すので、それはそれで見ていて楽しいものがあります。ピンク映画の広告なんかは、子供心に「お、おぅ」と思うところありました。

静岡には、まだシネコンに乗っ取られていない映画街があって、バラエティに富んだ劇場が並ぶ一角があります。新聞広告が楽しかった私としては、HPだけでなく、新聞広告を出して欲しいなあと思います。

子供の頃は「まつり」が楽しみで





自分が子供の頃、映画を観に行くと言えば、「東宝チャンピオンまつり」「東映まんがまつり」の何れかでした。主に東宝のゴジラシリーズを観に行った記憶があります。大映のガメラシリーズも上映されていたのですが、劇場で観たのは「ガメラ対ギャオス」だけで、長い休みの時は、東宝のゴジラを観に行くというのが習慣になっていました。その理由の一つに終業式近くになると、校門の前で、東宝チャンピオンまつりの割引券を配るおじさんが出没したからでして、その割引券のゴジラの写真に子供なりに胸ときめかせていました。東映まんがまつりの方はどちらかというと女の子の好きそうな映画が多いのと、割引券を配ってないという理由でスルーすることが多かったです。まあ、私の通っていた学校は静岡の市街地から安倍川を渡った先にあって、そこまでサービスが行きとどかなかったのかと思います。

添付されているのは、私が大学生の頃の新聞広告なんですが、こういうの見ては、親に連れてってとせがんでいたわけです。大体5本~7本立てくらいで、メインとなる長編が一本と後はテレビアニメの流用か、もしくは劇場用に製作された短編が数本というラインナップでした。私が本当に映画館で観た頃は、まだカラーテレビの普及率(これは死語ですね、もはや)がそれほど高くなかったので、白黒でしか観たことのない「ひみつのアッコちゃん」がカラーというだけで結構感動しました。ガメラシリーズの場合、通常の2本立て上映だったので、東宝や東映に比べて華やかさに欠けていたという印象もありました。

今は、こういうお子様番組が単品長編アニメとして、休みの時期にたくさん上映されます。「コナン」「しんちゃん」「ポケモン」などなど、どれを観ようか迷うくらいです。逆に言えば、昔はそういうお子様番組の期間だけしか子供が映画館に行く機会がなかったように思います。ですから、本編前に、次回上映する作品の予告編を見せられると、血しぶき飛んだり、裸になったりというシーンに「うわぁ」となってしまったこともありました。

また、東宝チャンピオンまつりの新聞広告に左下に上映劇場が書いてあるのですが、当時はまだ焼津や磐田、袋井、藤枝、伊東にも映画館があったことがわかって、時代の流れを感じさせます。

2007年のサントラベストテン

映画のベストテンを作って、後、何かないかなと思ってたのですが、2007年に観たサントラのベストテンを挙げてみました。映画のベストテンとは全然観点が違うので、あまりかぶってないのはよかったかなという感じです。ただ、映画のベストテンよりも順位は曖昧でして、1位も10位も大差ありません。

第1位「ブラック・ブック」
第二次大戦当時のオランダを舞台に、運命に翻弄されるヒロインを中心に人間の悪意をエネルギッシュに描いた、ポール・バーホーベン監督作品です。音楽は、アート・オブ・ノイズにも参加していて、映画音楽家としても「フル・モンティ」でアカデミー作曲賞をとっている実績のあるアン・ダドリーが担当しています。物語も波乱万丈なのですが、ダドリーの重厚なオーケストラ音楽は、その映像を見事にサポートしていました。オーソドックスな音作りながら、力強さを感じさせる音が印象的です。

第2位「ファウンテン 永遠に続く愛」
永遠の命の樹を求める主人公が3つの世界を行きかうという映画は正直言って私にとっては手に余る代物でしたけど、音楽も映画の哲学っぽい雰囲気に合わせた、アンビエント風現代音楽になっています。 クリント・マンセルの作曲した曲を、クロノス・カルテットとモグワイというグループが演奏しています。ミニマルミュージックかと思うと、じわじわと音の盛り上がりを見せていき、スケールの大きな曲になっていく様が圧巻です。映画の暴走に音楽もめ一杯大風呂敷を広げたという感じでしょうか。音楽だけ聴いてもなかなか面白い作品です。

第3位「ローグ・アサシン」
ジェイソン・ステイサムとジェット・リーが主演のマフィア抗争ものアクション編です。映画自体が派手なアクションシーンが多いのですが、音楽も激しいアクションに負けないように大盤振る舞いしています。音楽を作曲指揮しているのは、最近公開作がやたら多い、「コンスタンティン」「ワイルド・スピード3」のブライアン・タイラーです。テンポのいい部分は打ち込みサウンドのようですが、バックのオーケストラにロンドン交響楽団が参加しているという豪華サウンドは聴き応え十分です。普通なら打ち込みだけで済ませるアップテンポの部分もオーケストラがきっちり旋律を鳴らしていて、他のアクション映画の音楽と一線を画す出来栄えです。

第4位「題名のない子守唄」
ジュゼッペ・トルナトーレ監督が数奇な運命に弄ばれる女性の半生を描いた異色人間ドラマに、映画音楽のマエストロ、エンニオ・モリコーネが音楽を描きました。美しいけどどこか陰のあるメインテーマから、全体的に不安な音を鳴らしていまして、映画の縁の下の力持ちに徹しているのですが、それでも音楽として聴き応えがあり、アルバムで再度聴きなおしても、その素晴らしさを再確認できてしまうあたりに、マエストロの底力を感じてしまいます。

第5位「ボビー」
ロバート・ケネディが暗殺される一日を描いた群像劇の音楽を、「クラッシュ」「ネル」のマーク・アイシャムが手がけました。トランペットをフィーチャーしたアメリカらしいテーマが静かに流れるメインテーマから、群像ドラマを控えめに支える音作りが見事でした。

第6位「パンズ・ラビリンス」
ギレルモ・デル・トロ監督による、戦時中のスペインを舞台に描く哀しいファンタジーです。音楽はギレルモ・ナバロが担当し、マリオ・クレメンス指揮のシティ・オブ・プラハ・フィルハーモニック・オーケストラが演奏しています。メインテーマの哀しげな子守唄が大変美しく、全編にこのメロディが流れていまして、ストリングスやピアノ、コーラスで何度も演奏されます。その他の曲もドラマチックに鳴り響きながら、最後にテーマ曲にまとまるという音作りになっていて、テーマ曲によって映画のカラーを決定づけていると言えましょう。

第7位「約束の旅路」
エチオピア難民の子供が、ユダヤ人と偽ってイスラエルへ里子に出されるもの、いつか母親に再会することを夢見ていたのでした、という感動のドラマの音楽をアマンド・アマールが担当しました。オーケストラに女性ヴォーカルが重なって、感動的な音楽になっています。

第8位「ゾディアック」
連続殺人なのに地味な味わいだった映画に音楽をつけたの「サブウェイ・パニック」「カンバセーション 盗聴」などのベテラン、デビッド・シャイアです。全体に場面の空気感を描写するような音楽で、静かに流れる音作りが映画の淡々とした展開を見事に支えています。何と言うか、非常に説得力のある音楽になっていまして、そのシーンにパズルのピースのようにフィットするところがベテランの味を感じさせます。

第9位「マリア」
キリストの生誕の物語の音楽を「ロンリー・ハート」「リトル・ミス・サンシャイン」のマイケル・ダナが担当しました。聖書劇らしくコーラスやオケーストラを重厚に駆使してドラマを盛り上げているのですが、既成曲も中に交えているらしく、ラストは「きよしこの夜」のメロディが使われています。

第10位「ブレイブ・ワン」
ジョディ・フォスターの自警市民を描いたドラマの音楽をダリオ・マリアネリが担当しました。ドラマチックな展開とは別に、ヒロインの心情を控えめに描写した音楽が多く、地味な音作りと言えます。ヒロインの揺れる心理をピアノソロやストリングの不協和音とシンセサイザーで描いているところがなかなかに聴き応えのある音楽になっています。ピアノの響きで彼女の孤独感が伝わってくるところが印象的でした。


ベストテンからこぼれた中ではガブリエル・ヤードの2作「こわれゆく世界の中で」「善き人のためのソナタ」、J・ピーター・ロボンソンの「世界最速のインディアン」、ジョン・パウエルの「ボーン・アルティメイタム」、ダニー・エルフマンの「キングダム 見えざる敵」などが印象的でした。

「再会の街で」は微妙な味わいがリアルに感じられて

2007年の映画初めは「再会の街で」を横浜ニューテアトルで観てきました。横浜の数少ない単体映画館でこういうミニシアター作品をかけてくれるのはあり難い限り。

歯科医のアラン(ドン・チードル)は、街角でかつてのルームメイト、チャーリー(アダム・サンドラー)を見かけます。チャーリーは、アランと共に歯科医になり、奥さんに子供もいたのですが、9.11同時多発テロによって、家族を失い、一人暮らし。資産はあるらしいのですが、精神的なショックから未だに社会復帰できず、見るからに情緒不安定。そんなチャーリーを気の毒に思ったアランは彼の友人として、彼の奇行にも付き合い、そして、彼を知り合いの精神科医アンジェラ(リブ・タイラー)に連れて行き、何とか立ち直らせようとするのですが、チャーリーは心を閉ざしたままです。ついに、彼は警察沙汰まで起こしてしまい、彼の扱いについての審問会が開かれることになります。

9.11同時多発テロの後日談と言える映画です。主人公の家族はあの飛行機に乗り合わせていたのです。妻と子供3人そして愛犬を失ったチャーリーは仕事もやめて、自分の中に閉じこもってしまうのです。脚本兼監督のマーク・バインダーは、最初、変人だった友人という形でチャーリーを登場させ、その攻撃的な性格も見せた上で、彼の心の傷を描いていきます。チャーリーは70年代の音楽をいつも聴いていて、家に帰ればTVゲームに夢中、どこか心ここにあらずの様子です。

友人として再会を喜ぶアランは、できる限りの彼のために行動してあげるのですが、チャーリーはそれを理解できません。それでも、友情と善意でチャーリーに付き合う姿を見ていると、チャーリーはアランの善意を食い尽くそうとしているようでもあります。ラスト近くになって、二人の関係は対等になっていくのですが、それまでは、チャーリーが心の傷をネタにアランの善意にたかっているように見えます。他の人間は、各々の分をわきまえて、チャーリーに接するのですが、アランはさらに踏み込んでいこうとします。チャーリーの態度に怒りを感じることはあっても、彼を見放さない態度はあっぱれと思う反面、どこかリアリティを欠いてるようでもあります。

チャーリーを巡る人々の思いはそれぞれ違っているようで、チャーリーの義父母は彼らなりに、チャーリーを助けようとしているのですが、チャーリーにとって義父母は失った家族を思い出させるだけの悪魔のような存在になっているのも興味深かったです。一方、アランの前に現れる変な患者ドナ(サフロン・バロウズ)も印象的なんですが、バインダーの脚本は、彼女をドラマのピースとして使いきれなかったようで、何かの圧力でもう一人キャストを追加したようにも見えました。逆にもっと存在感があったのを諸般の事情でカットしてしまったのかもしれませんが。

アランに勧められて精神科医のところへ通うところがこのドラマのクライマックスになります。何週間もほとんど何も話さないチャーリーに対して精神科医のアンジェラは辛抱強く彼の口から自分の家族について話すのを待ちます。何週間後、彼の気持ちが揺らいだところを突いて「誰かに考えたくないことを話すべきだ」と言います。そして、ようやく彼は自分の家族のことを語り始めます。それで全てがうまくいったわけではないのですが、それでもチャーリーがいい方向へ向かいつつあることを示して映画は終わります。バインダーの演出はハッピーエンドにまとめていますが、ホントに大丈夫なのかと思わせる結末でもありました。そして、アランの善意はまだまだチャーリーにむしりとられていくのかなあって不安にもなるラストでした。とはいえ、アランはこれまでチャーリーに使っていた気持ちや時間を家族へ向けるようになると思わせるエピソードをつけ加えています。

このような設定のドラマでは、最後に二人は双方向に助けあい想いあうようになるのですが、この映画は最後までアランの一方的な善意がチャーリーを助け続けるというのが、ちょっと不満であり、一方それが現実なんだろうな思わせるものがありました。チャーリーの周囲には色々な人が色々な想いを持って行動するのですが、結局は他の誰でもないアランの想いが、チャーリーを救うきっかけになったという見せ方になっています。たまたまそうだったと思わせるところに、人間、善意だけではうまくいかないというもどかしさも描いているようです。

演技陣はそれぞれみな好演でして、アダム・サンドラーは前半の変な人の部分がややオーバーアクトなのかなという気もしましたが、クライマックスで泣ける演技をみせてくれます。また、アランの奥さん役のジェイダ・ピンケット・スミスが、チャーリーにどんどん首を突っ込んでいく夫をやさしく見守る妻を見事に演じきっていました。また、ドナルド・サザーランドがいつまでも出てこないのでどっかで見落としたかと思いきや、ラスト近くでおいしいところをさらっていきました。

ラス・オルソーブルックの撮影はニューヨークの夜間シーンでシネスコサイズの美しい絵を切り取ることに成功しています。プログラムによるとHDデジタルカメラで撮影されたそうで、夜景の遠くまではっきり見える画像を作り出すことに成功しています。また、この映画は70年代の音楽がキーワードになっていまして、その内容が主人公の心情を表すのにも使われているようなのですが、70年代の音楽にも英語にも疎い私には理解できなかったのが残念です。

「クラス・オブ・1994」は、痛快SFバイオレンス映画、かな?

1990年の作品で「クラス・オブ・1999」と言う映画を横浜の相鉄ムービル4で観ました。この頃になると大きな映画館のほとんどにドルビーステレオの装置が設置されていました。

この映画は「処刑教室」という学園バイオレンスドラマの続編にあたります。前作はあまりの非行生徒に我慢ならなくなった教師が逆襲に出て皆殺しにしちゃうという、ある意味、痛快アクション映画でした。でも、物語そのものは前作とはつながっておらず、前作よりもさらに暴力がエスカレートしている学校が舞台というところだけつながっています。

1999年、高校の周りは無差別発砲地区になっていて、校内も荒れ放題。そんな高校に3人の新任教師がやってきます。この教師たち、校長が呼び寄せたロボット教師で、体中に武器を仕込んでいたのです。不良グループは次々に血祭りにあげられ、はぐれ狼の主人公は生き残った不良たちと一緒にロボットと戦うのですが、果たして勝ち目はあるのか?

前作の「処刑教室」の原題は「Class of 1984」でして、この前作では、教師が善玉で生徒が悪者、でも最後は先生堪忍袋の緒が切れちゃって、大逆襲という展開だったのですが、1999年になると、もう生徒も先生も悪党揃いで、悪玉同士の大戦争になっちゃいます。1984年はまだリアルな学園ものバイオレンスという趣もあったのですが、今回は、機関銃などを体内にしこんだ重装備殺人ロボット教師が生徒を殺しまくるという、もうSFバイオレンスになっちゃています。そして、バイオレンスの部分がさらにショーアップされているのですよ。まあ、一応、不良グループが非道な教師に立ち向かうという設定ではあるんですが、正直言って、「どっちもやれやれ」状態で、子供の頃不良にビクビクしていた私としては、ロボット教師に肩入れしながら観てしまいました。どんどん、暴力がエスカレートするのが妙に興奮させる映画なのです。クライマックスは「ターミネーター」をパクッていて、骨組みだけのロボットが追いかけてくるというサービスぶりです。

また、脇役が意外に豪華で、校長がマルコム・マクダウェル、ロボット設計の責任者ステーシー・キーチ、殺人ロボットの一人がパム・グリアで、校長が敵役の総元締めかと思いきや、設計責任者のほうが余計目に狂っているってのが、意外性もありました。

もちろんB級ではあるのですが、派手な爆発、アクション、血糊と見せ場を連ねて飽きさせない面白さは、監督のマーク・L・レスターによるものでしょう。この人「小さな恋のメロディ」のマーク・レスターとは全然別人なのですが、前作「処刑教室」や「コマンドー」「炎の少女チャーリー」などで娯楽映画職人の腕を見せてきた人で、この映画でも、ムチャクチャな設定、展開をきっちり娯楽映画として楽しませることに成功しています。まあ、大人目線だと、クソガキどもを皆殺しという痛快アクション映画になりますし、最後は主人公の生徒が勝つから、少年ヒーローものという見方もできるという、うまく考えた映画だと思いました。同じ、学園バイオレンスでも「バトル・ロワイヤル」は設定が胸くそ悪くて大嫌い(なので未見)なのですが、こっちの方は楽しめてしまうのでした。

「地獄のモーテル」はブラックコメディ風変態ホラー

80年台というのは、結構ホラー映画が公開されていまして、ホラーブームとか呼ばれていたのですが、基本的には「13日の金曜日」タイプの連続殺人鬼モノが多かったです。生意気な若者が犠牲者になるというのもお定まりのパターン。そんな中でもへんてこだったのが、この「地獄のモーテル」でした。私は、この映画、千葉県は本八幡駅前にあったビルの中の小さな映画館、八幡シネマ1で観ました。

アメリカは田舎町にあるモーテルHelloでは自家製ベーコン、ハムが評判でした。しかし、そのベーコンの材料は人の肉だったのです。モーテルの主人とその妹は、その町を通りがかる人をつかまえて土の中に埋めて、食べ頃になると刈り取りをしていたのです。しかし、主人の弟である保安官が不審を抱いて調査を始めるのですが.....

この映画を紹介するとき、ホラーものかカニバリズム(「食人族」の類)ものか微妙になっている本を見かけるのですが、直接の人食いシーンはありませんし、人の肉はさばいた後の肉塊がロングでちょっとだけ見えるだけですから、カニバリズムというよりは、ブラックコメディ風変態ホラー映画というのがふさわしいと思います。

この当時「恐竜の島」「地底王国」「アトランティス7つの海底都市」といったB級特撮ファンタジーを演出していたケビン・コナーが監督しています。実際にあったらかなり怖い話なんですが、映画の中身はどこかのどかでコミカルです。モーテルの主人の妹がデブで甘いもの食べまくりの変なキャラだったり、主人と保安官で恋のさやあてをしたりという具合です。しかし、中盤以降に出てくる人間牧場の描写は結構怖いものありました。畑の中にいくつもの布袋がありまして、それがモソモソと動いているのです。そして、袋を外すと声帯を切られた人間の頭が現れて出せない声で「ガアガア」言うのですよ。文字とおりの人間ペキンダックというわけで、さらに変な光で催眠状態にして畑から引っこ抜くという場面もあり、かなり悪趣味な見せ場になっているのです。

そして、最後は、チェーンソーを使った殺し合いになるのですが、その時、片方が豚の仮面を被っていたりして、これもどこかおかしいんですが、モーテルの主人がラストでまた変なこと言うので、笑っていいのか悪いのかという気分にさせられます。

とはいえ、こんなストーリーをそこそこ面白い映画にまとめたコナーの演出は評価されていいと思います。直接描写が少ない分、想像させるグロになっているのは、映画としてうまくできてると思いましたし、後にも先にもこれと似た映画はないという意味でも面白いです。実際、旅人がへんな町に迷い込んで酷い目に遭うというのはよくある設定なんですが、それを酷い目に遭わせる方を主人公にしているという点が面白さのポイントなのではないかしら。グロが行き着く先で笑いをとるのではなくて、登場人物がおかしくて笑いを取っているという点でも、なかなか類似品がないのですよ。

「ある日どこかで」はすごくロマンチックな映画です

「アイ・アム・レジェンド」の原作者リチャード・マシスンが、原作・脚色を担当した「ある日どこかで」を静岡ミラノ(現在の静岡ミラノ1)で観ました。同時上映は、オリビア・ニュートン・ジョン主演の「ザナドゥ」でした。

これは知る人ぞ知る、恋愛映画の一本なんですが、ただの恋愛映画ではありません。主人公(クリストファー・リーブ)を謎の老女と出会います。そして、気晴らしのために宿泊したホテルでそのホテルのギャラリーに展示されていた1枚の写真に目を魅かれます。かつて、このホテルを訪れた女優なのだそうです。そしてつかれたように彼女をことを調べ始めるうちに、60年前の宿帳に自分の名前を発見するにあたって、主人公はある仮説にとりつかれ、この仮説を実現してしまうのです。

彼は彼女に時空を飛んで逢いに行ってしまうのです。おー、タイムスリップものかと思う間もなく、60年前の世界に飛んだ主人公は、彼女と出会い、彼女もそれを運命の出会いと感じます。そして束の間の愛しあう時間があって、ある偶然が二人を引き離してしまうのです。現在に戻された彼はそのまま彼女を思いながら命を燃え尽きさせ、過去に取り残されたヒロインは悲劇女優として名を成すことになり、最後で二人は天国で結ばれるというお話です。



この先はネタばれがありますのでご注意ください。



この映画は恋愛ドラマとしてのテンション高いのですが、それよりも、過去へ旅立つための方法がとんでもなくロマンチックな方法でした。私は、その時間旅行の方にロマンを感じてしまいました。

過去へ旅立つためにすることは、上から下まで60年前のものをそろえて、それらを身に着けてベッドに横たわること。それだけで過去へ行けるというのは、これまでのタイムマシンというのとは概念が全く異なる、大変ロマンチックな時間旅行です。このやり方で過去へ行くことに成功するのですが、ズボンのポケットに現代のコインを持って行ってしまいます。主人公がそれに気付いたとき、彼は現代へと引き戻されてしまいます。思わず「あーっ」といってしまうショックシーンなのですが、そこから、この時間旅行は道具ではなく信じる心で成り立っているということがわかって余計目に泣ける設定になっているのです。

恋愛映画の部分が運命的な恋という感じで当時学生だった私にはピンと来なかったのですが、この時間旅行の方法には、なんかいいなあって思わせるものがありました。こんなロマンチックな時間旅行は他で見たことないですもん。この映画、二人の純愛、美しい音楽(作曲ジョン・バリー)とかが話題になったのですが、もう一つ注目したいポイントがこの時間旅行だと思いました。

「夕暮れでベルが鳴る」はリメイク版とはかなり違う

昨年公開された「ストレンジャー・コール」の元ネタとなっている「夕暮れにベルが鳴る」は、1981年の公開で、私は、まだ東京楽天地があったころの江東リッツで鑑賞しました。かなり大きめの映画館でしたけど、私が観に行く映画のときはいつもガラガラでした。

オープニングは、子守をしているヒロイン(キャロル・ケイン)のところに「子供の様子を見たかい」という電話がかかってきます。それが何度もかけてくるので、ヒロインが不審に思って警察へ電話すると「それは、家の二階からかかっている、すぐに逃げろ」と言ってきます。その時すでに2階の子供は惨殺されていました。ヒロインは外に逃げ出して無事であり、犯人は逮捕されます。ここまでの冒頭部10分を1時間半に広げたのが「ストレンジャー・コール」です。

ヒロインをすんでのところで助けた刑事(チャールズ・ダーニング)は7年後に私立探偵を開業していたのですが、惨殺事件の犯人が精神病院を脱走したと知り、犯行の再発を止めるために、彼を殺そうと追跡を始めます。一方の犯人は行くアテもなく、救世軍の世話になったり、娼婦の家に転がり込んだり、ミジメな中年男にしか見えないのです。そして、ヒロインは結婚していて2児の母になっているのですが、犯人は再びヒロインの家を狙ってやってきます。

この映画は、冒頭のインパクトの後、逃げ回る犯人とそれを追う探偵のドラマがかなりあったように記憶してます。ヒロインよりも、チャールズ・ダーニング扮する探偵が錐を持って、犯人を追い詰めていく件の方が印象に残っています。脚本・監督のフレッド・ウォルトンはこれ以降の評判は聞かないのですが、この作品は、オープニングをサスペンスフルにまとめ、中半は登場人物のキャラをうまく見せて、ラストでまた冒頭の再現になるのかというサスペンスをつなぎます。

当時はこういうノースター、ローバジェットの映画が映画館チェーンの枠で拡大公開されていました。この映画はその中でよく出来た面白い映画だったのですが、あまりヒットはしていないのが残念です。批評的にはあまりよくなかったのですが、私は好きな映画です。

「オーメン」は怖い娯楽映画でした

「オーメン」を劇場で観たのは中学生の時で、朝8時半の回をねらっていったのですが、既に静岡オリオン座の前には長い行列ができていました。

アメリカ大使のロバート・ソーン(グレゴリー・ペック)は、妻(リー・レミック)が死産した子供の代わりに養子をとります。その子ダミアンがすくすく成長するにつれて彼の周囲で様々な事件が発生し、ロバートはダミアンの出生の秘密を探り始めるというお話です。とびっきり怖い映画というのではないのですが、展開の面白さに引っ張られて最後まで一気に見せられてしまいました。リチャード・ドナーの演出は見せ場を押さえて、職人芸的なうまさを見せて、恐怖の見せ場をうまく割り振って、退屈させません。悪魔の聖歌隊というべきジェリー・ゴールドスミスの音楽も素晴らしかったです。

物語としての面白さは脚本によるところ大でしょう。脚本のデヴィッド・セルツァーは、「ルーカスの初恋メモリー」の脚本・監督を担当した人ですが、黙示録や666といったアイテムを示しながらも、明確に悪魔の正体を見せずに、破滅へ向けての予兆という位置づけで恐怖シーンをつないでいるのがうまいと思いました。キャスティングからすれば、地味なスリラーかと思われる題材を恐怖の見せ場をつないで見せた、というのが画期的だったと思います。とはいえ、画面は沈んだ色調でまとめられていて、ギルバート・テイラーの撮影が見事でした。全体に寒々とした空気が画面から伝わってくるのもテイラーの功績と言えましょう。また、グレゴリー・ペック以下の俳優陣もみな適役適所でして、主人公と一緒に謎を追うカメラマン役のデビッド・ワーナー、ソーン家の乳母になるビリー・ホワイトローが映画の怖さに一役買っています。

「エクソシスト」で日本でも、オカルトブームが盛り上がり、その勢いに乗る形で公開された映画ですが、内容的には、手堅い娯楽映画に仕上がっていまして、そのタイトルが、西川のりおのギャグになっていたことも記憶にあります。また、当時のテレビで映画のシーンが紹介されることが多かったのですが、その紹介番組で一番の見せ場を見せてしまっていたので、驚いた記憶があります。テレビで映画のCMを積極的に流すようになってきた頃でして、そのTVスポットが大変よくできていまして、まさにそそるCMになっていました。

このころの静岡では、まだ2本立てが普通だったので、この映画にも同時上映がついてました。それは、ジェームズ・コバーン主演の「スカイ・ライダーズ」というハングライダーを使った冒険アクションでした。こっちは、まあまあの出来だったという記憶しかないです。

「ブレードランナー」ってそんなすごい映画なのかしら

最近の映画ではなく、昔観た映画の記憶を書き留めていきたいと思います。

「ブレードランナー」は私が大学生だったころに公開された映画で、評判は高かったのですが、あまり食指が動かなくて、その後出たビデオをレンタルして鑑賞しました。レンタル料が800円くらいしていた時代です。

オープニングはまず時代設定を説明する字幕が出て、その後、ブレードランナーであるデッカード(ハリソン・フォード)のモノローグで物語が始まります。脱走した4体のレプリカントを追っていくという話なんですが、ラスト、最後の一人ロイ(ルトガー・ハウアー)と対決するシーンが素晴らしいという評判でした。でも、私の観た印象では、女性レプリカントを容赦なく殺すデッカードのハードボイルドタッチの方が印象に残りまして、ラストの理屈っぽいのは、どーもなあ...って気分でした。確かに美術や視覚効果は素晴らしいと思いましたし、追跡シーンも迫力あったのですが、それだけでは、並のSFアクションだよなあ。でも、当時はこういうSF映画はなかったので、先駆者としての価値は十分あると思いました。

それから10年後「ブレードランナー ディレクターズカット 最終版」という映画が劇場公開されました。今度は劇場で観ようと、今は亡き銀座セントラルへと足を運びました。中身はオリジナルと大きな違いはなかった(私の尺度では)のですが、オープニングのデッカートのモノローグがなくなっているのと、ラストの飛行シーンが、黒地に白文字のシンプルなエンドクレジットになっていたくらいが相違点と言えそうでした。実際に最終版を観た感じでは、やはり女性レプリカントが殺されるシーンの方が印象強くて、特に雑踏の中で射殺されるジョアナ・キャシディ扮するレプリカントがインパクトありました。ラストのロイとの対決は何だかグズグズしているようで「ふーん」てな感じでした。一方、大画面で観るSFXは見事でして、手の込んだ美術も含めて、映画館で鑑賞するための絵になっていまして、視覚的には大満足でした。

そして、昨年、「ブレードランナー製作25周年記念 アルティメット・コレクターズ・エディション」という5枚組のDVDが発売されましたが、その中には、何と5バージョンの「ブレード・ランナー」が収録されているというのでビックリ。特に買う気も起こらなかったのですが、ちょっとだけ違う5バージョンを買って観る人がいるのかなあって気がしてしまいました。買う人よりも、売る方がいい度胸していると言うべきでしょうか。最初のオリジナルを劇場まで足を運んでくれた観客に対してずいぶんと失礼な話じゃないかと思ってしまいました。

「光の六つのしるし」は、こじんまりファンタジーとして丁寧な仕上がり

最近のこれでもかと公開されているファンタジー映画の中で、どうもマイナーっぽい印象の「光の六つのしるし」を、静岡県駿東郡のシネプラザサントムーンシアター4で観てきました。劇場入口で入場記念品の不思議ペンをもらったのですが、観客は私一人だけ、なーんか、テンション下がるよなー。

アメリカからイギリスの片田舎に引っ越してきたスタントン一家。六男坊のウィル(アレクサンダー・ルドウィッグ)はあんまり目立つやつではないんですが、町のお金持ちミス・グレイソーン(フランセス・コンロイ)と執事のメリマン(イアン・マクシェーン)は彼をマークしていました。実は、驚くべきことに、今、世界の闇と光が全面戦争をすべく力を蓄えているんですって。メリマンたち光側の老子の皆さんは、光のパワーを増大させる6つの印を探していました、そして、ウィルは印を探すために選ばれた捜索者だったのです。一方、闇側の親玉、黒騎士(クリストファー・エクルストン)はそんな光側の動きを察知して、あの手この手でウィルの邪魔をして、印を奪おうとします。ロンドンの片田舎で繰り広げられる世界の存亡をかけた闘いの結末はいかに?

このところファンタジー映画が百花繚乱状態なんですが、その中でも、この映画はノーマークでした。タイトルもカタカナが一文字もないってのが地味だし、出演者も知ってる名前はイアン・マクシェーンとクリストファー・エクルストンという渋いところ。テレビで実績のあるデヴィッド・L・カニンガムが監督しました。物語は世界の存亡をかけた光と闇の闘いなんですが、それがイギリスの田舎町という狭い空間の中で行われるという設定をうまく納得させることに成功しています。変にスケールアップしないで、常に主人公ウィルの視点からドラマを描いているので、ウィルがプレイヤーのロール・プレイング・ゲームのような味わいがあります。そして、世界の滅亡がかかっているわりには、登場人物にあまり切迫感や悲壮感がないのが、いい方向に作用しました。

ストーリーの中心は、光の世界のパワーをあげるための印(アイテム)を6つ、光と闇の全面戦争が始まる前に見つけるということにあります。その為には、時空を超える旅もするのですが、基本的にウィルの住む町に印を見つけるカギが隠されているので、ウィルは世界中をまわって印探しをすることにはなりません。へえー、世界の存亡を賭けた印探しって、そんな手近なところで済ませちゃっていいのかしらと思うのですが、敵対する黒騎士もこの町の中をうろうろしているだけなので、なるほどこの戦争は現地調達なのかとなんとなく納得してしまうのです。

黒騎士はウィルの兄を仲間に引き入れたり、スパイを送り込んだりして、ウィルが手にしている印を奪おうとしますが、ことごとく失敗します。このくだりも、黒騎士が直接に手を下せないというゲームのルールみたいのがあるらしく、ある意味正々堂々としているおかしさがあります。戦争のリアリティから離れたこじんまりした闘いが、イギリスの田舎でひっそりと行われているのをそれにふさわしいスケールで描いているというのがこの映画のいいところです。

では、映画が安っぽくなっているかというと、意外に手がかかっているのが驚かされます。城や橋などのセットが重厚にドラマを支えています。CGで景色全部作ったりとか、怪物を動かしたりというのではないのですが、デジタルドメイン始め数社のSFXチームが参加しています。クライマックスの館を水が襲うシーンなど、視覚効果を実写のように見せるという使い方が、他のCGバレバレのファンタジー映画とは一線を画しています。特殊メイクもちょっとだけ、CGのカラスの大群も少しだけという使い方をしているのが、逆に贅沢なSFXに見えてくるところが不思議です。

クリストファー・エクルストン扮する黒騎士がどこかオチャメで悪の親玉にしてはユーモラスなキャラになっているのが面白かったです。エクルストンは、難しい役どころを最後はきっちり悪役として演じきって演技派俳優の実力を見せてくれました。アレクサンダー・ルドウィックの演技は、世界の命運を背負っているには、最後まで子供っぽいかなとも思いましたが、演出のよさに助けられてラストはヒーローとして見得を切ります。

ジョエル・ランサムの撮影はシネスコサイズの画面を落ち着いた地味な絵で切り取っています。映画が派手なハッタリで見せる映画ではないので、寒々とした幻想的画面がこの映画の空気にマッチしていました。

最近のファンタジー映画は話をでかく、SFXは派手に、という傾向があるのですが、この映画のような至近距離のファンタジーというのも悪くありません。ちょっと前なら「グレムリン」とか「スモール・ソルジャーズ」を思い出すのですが、最近はこういう映画が少なくなりました。光と闇の世界を賭けた闘いなんて、字面では想像つかないものを、主人公の少年の宝探しに転化することで、わかりやすいドラマに仕上がりました。「少年ドラマ、運命のお宝探し編」といったところで、うまくきっちりまとめた点は評価したいところです。

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Author:einhorn2233
Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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