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「ウォンテッド」は派手なアクションの後、かなり引きます。

久々に封切直後の新作「ウォンテッド」を日劇1で観て来ました。座席の一部の白いカバーがなくなっていたのですが、もう特別席はやめたのかしら。まあ、全席指定の一角だけ値段が高いってのは、はっきり言って奇妙な風景ですもの。

何だかさえないサラリーマンのウェスリー(ジェームズ・マカボイ)は、ある日ドラッグストアで買い物していたら、隣にきれいなおねえさんフォックス(アンジェリーナ・ジョリー)が立ち止まり、彼女はウェスリーのことを知っているみたいなんです。と、思う間もなく、謎の男とフォックスが店の中で撃ち合いを始めます。何が何だかさっぱりわからないウェスリーですが、フォックスの車に連れ込まれて、何だか倉庫みたいな場所にたどりつきます。そこにいたのはスローン(モーガン・フリーマン)という男、彼は紡績業者の秘密組合であり暗殺組織でもあるフラタニティのリーダーで、ウェスリーの父親が最近クロス(トマス・クレッチマン)という組織の裏切り者に殺されたと言い、ウェスリーも暗殺者の素質があるから仲間に入るようにと言われます。厳しい訓練の末、彼は一人前の暗殺者に成長します。しかし、クロスはウェスリーを標的として襲ってくるのですが.....。

「ナイト・ウォッチ」「デイ・ウォッチ」といったロシア映画で評判をとったティムール・ベクマンベトフ監督がハリウッドで初めてメガホンをとった作品です。フラタニティという歴史ある暗殺組織を舞台にある若者が組織に巻き込まれていくのを描いたアクション映画です。派手なカーチェイスや銃撃戦を随所に織り込んで見せ場をうまくつないでいるのは、職人的なうまさを感じさせますが、その割にはストーリーが今一つで、登場するキャラにも感情移入しにくいってのはなぜかなあって思ってしまいました。特に、主人公であるはずのウェスリーが、ヒーローとして立っていないのは、脚本のせいでしょうか、全体にカタルシスが希薄なので、娯楽映画としての満足度はそこそこということになってしまいました。

暗殺の対象が、由緒ある織機の織り出す布の濃淡から0か1を読み出して、それをアルファベットにすることで浮き上がってくるってのは、かなりひっかかる設定です。そんな偶然な神頼み的なことで暗殺の対象が決まるってのは、特殊な宗教団体の暗殺専用部隊もみたいです。でも、そこで殺すことをためらうともっと悪いことが起こるって話らしいのですが、殺される方はたまったものではありません。実は、そこのところが後半の伏線になってはいるのですが、後半では、その根本設定が全否定されちゃうのですよ。

一方、暗殺者の特殊能力が気合で発射された弾丸の軌道を変えられるってのがなかなかすごい見せ場になっていまして、これを取得すれば、影に隠れた人間を狙撃できますし、うーんと離れたところにいる人間も狙撃できるのだそうです。正直、ありえねー話なんですが、これがフラタニティという組織の神秘性につながっているのも事実です。




この先は結末に触れますのでご注意ください。




映画の前半は組織の裏切り者クロスが、フラタニティのメンバーを次々に殺していくのと、ウェスリーがだんだんと殺人者として腕を上げていくのが並行して描かれます。そして、クロスとの追跡中に撃たれた弾丸から、その弾丸作成者がわかり、ウェスリーは弾丸作成者を訪ねるのですが、その帰途、彼の乗り込んだ列車にクロスも乗り込んできて、車内で銃撃戦になり、列車は鉄橋から落下してしまいます。そして、ウェスリーはクロスが自分の父親であり、クロスこそがフラタニティの掟を守ろうとしていたことを知ります。実は、スローンの名前は既に布に織り込まれていたのですが、それを握りつぶしたことを知ったクロスが組織を敵に回すことになっていたのです。

ということは、結局、この物語はフラタニティの内輪もめだったのかということになるのですが、その割には関係ない人間が死にすぎです。オープニングで殺される女性ですとか、落下した列車に乗り合わせた乗客など、要はヤクザの内ゲバの巻き添えになっちゃったわけです。観ているこっちはその事実にドン引きです。フラタニティ自体に世界や正義を守るという大義名分がないので、殺されるカタギの皆様は、犬死にで、余計目にかわいそうな限りです。

そして、事実を知ったウェスリーはフラタニティの本部に乗り込むのですが、ここで、フラタニティのメンバーみんなの名前が布に織り込まれていたことが判明します。そして、スローンは他のメンバーにウェスリーを撃てと命じるのですが、フォックスが放った銃弾は、スローン以外のメンバーの頭を撃ち抜き、最後にはフォックスの脳天も撃ち抜くのでした。うーん、ここも簡単に死ぬなあって感じ。フォックスはそれまでかっこいい女スナイパーとして登場して、色々とウェスリーを助けてきたのですが、布のご指名に従って、自殺することはないじゃんと思わせる決着で、どうもすっきりとしません。この映画の作り手は、ハリウッド的カタルシスを否定しているのかもしれませんが、その割には、ラストでウェスリーがかっこつけてるってのはどーなの?と突っ込み入れたくなります。主人公は、ヒーローというよりは、無様な生き残り野郎なのに、オーラスで急にヒーロー面されると、観ている方はさらに引いてしまいます。

というわけで、アクションシーンの迫力は認めるものの、スカっとしたところのない展開は娯楽映画としては今イチというか邪道というか。それとも、最初から邪道の線を狙ったのだとすれば、その割には悪役がちまちましていて、やっぱり乗り切れないんだよなあ。今年、観た映画の中では、「リボルバー」に匹敵するケッタイな映画でした。

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「いまここにある風景」は静かですが重く響く警鐘です

今回は横浜シネマ・ベティで「いまここにある風景」を観て来ました。プログラムを読むと16ミリとHDカメラの映像からの変換された35ミリフィルムの上映のようなのですが、劇場ではプロジェクター上映でした。この邦題は映画を正確に表現しておらず、原題のまま「マニュファクチュアド・ランドスケープ」とするか直訳して「工業化された風景」くらいにした方がよかったように思います。

エドワード・バーティンスキーという写真家がいます。彼は、鉱山や採石場の状況を定点観測したり、工業の発展に伴い、世界の風景が変わっていく様を撮影し続けています。今、彼の興味は中国にありました。ものすごく多くの人口を抱えたものすごく大きな国がものすごいスピードで工業化しているのです。向こうが霞んで見える巨大な工場、資源再利用のために輸入されている産業廃棄物の山、猛烈なスピードで都市化しつつある上海、世界最大の三峡ダム。これらによって、中国の風景は急激に変わりつつあるのでした。

エドワード・バーティンスキーという写真家の名前は初めて知ったのですが、工業化する人類が自然をどういうふうに変えていくのかを撮り続けているそうです。鉱石採集の後は、地形そのものが変わってしまい、工業排水は川を毒々しい色に変えてしまいます。工業の発達に伴って、自然も都市もその姿を変えていきます。特に、今、発展途上の真っ只中にある中国でその状況が顕著に現れているとバーティンスキーは語り、中国で写真を撮り続けるのです。

工業化に伴う自然界の変化というは、日本だって他人事ではないわけでして、過去に大きな爪あとがのこされているのです。イタイイタイ病や水俣病などの工業排水による公害病、四日市ぜんそくに代表される大気汚染、また、多くの産業廃棄物が未処理のまま投棄されているのは現在進行形の社会問題です。中国がまったく同じ道を歩んでいるのかというと、そういうわけではないのですが、何かが起こる予兆は既に始まっているようなのです。

巨大工場の長い工程をものすごい多くの人が働いているシーンから映画は始まります。一体、この工程はどこまで続いているのだろうという工場の中をカメラが淡々と横移動していきます。工場の全貌を映し出そうとすると、遠くがかすんで見えるくらいの大工場。ここで、多くの工業製品が生産されているのです。日本でも巨大ラインの工場があった(今もある?)のかもしれませんが、中国のデカさを実感させる風景でもありました。

ある意味整然としている工場に比べて、もっと劣悪な作業環境もあります。それは世界から集まる産業廃棄物の中から、有用な資源ゴミのみを選別する作業です。リサイクルと言えば聞こえがいいのですが、それを人間様がやっているのを見るのはつらいものがあります。また、ある地方では、テレビのブラウン管から、ガラスを取り出す作業をしていて、その時に出る汚染物質により、大地や地下水が汚染されていくのです。そういう作業をするのはいかにも貧しい人々であり、ひょっとして汚染の事も知らされないまま作業させられているのではないかと思ってしまいます。

また、石油のみならず、石炭もまだ重要なエネルギー源として位置づけられているようで、石炭流通センターの大規模な施設には目を見張らされます。そのスケールの大きさが自然にも大きな力を持っていそうなところが不気味でもあります。三渓ダムも登場しますが、その中で、水没する街の住民が自分たちの住んでいた街を破壊している姿が印象に残りました。航行する船のために、建築物は取り除かなくてはいけないらしいのですが、その仕事を当の住民が行っているというのには、何とも形容しがたい気持ちがしました。その破壊の後をバーティンスキーは被爆地のようだと表現しますが、確かにそんな感じの破壊の跡なのです。

そして、今、大変なスピードで都市化しつつある上海のようすも映し出されます。ここには、雑然とした旧住宅街があるのですが、それが大資本によって地上げされ、高層ビルが乱立するようになってきました。旧住民を立ち退かせるためにずいぶんと手荒なことが行われているそうですが、これはバブル期の日本とイメージがだぶるところ多いです。ただ、その規模が日本のそれよりでかいということ。何にしても中国ってのはでっかいなあって実感させられるのですが、その大規模な変動がものすごいスピードで進んでいるというところに進歩への希望と不安が同居しているのです。同じような道を通ってきた先進国から見れば、不安の方が大きい変化ではあるのですが、それを勢いで押し切っているところが共産主義国家である中国のすごさなのでしょう。バーティンスキーは様々な風景を撮りまくるのですが、あくまでメッセージは控えめにすることで、イデオロギーから離れた皮膚感覚の警鐘を打ち鳴らしているようであります。

「グーグーだって猫である」のキョンキョンになごんでしまうオヤジってどーなの?

最近、更新が滞っているのは映画観る機会が少なくなってしまったからなのですが、そんな中でシネカノン有楽町2丁目シアター1で「グーグーだって猫である」を観てきました。小さくてフラットな映画館なので、全席指定はしない方がいいのにと思う映画館。有楽町駅の真ん前という地の利は抜群なんですけどね。銀座お出かけマダム向け映画館って感じかしら。

舞台は東京の吉祥寺、人気漫画家の小島麻子(小泉今日子)が15年飼ってきた猫サバが病気のために亡くなりました。その後、なかなか新作にとりかからない先生に、アシスタントのナオミ(上野樹里)たちはハラハラ。そんな先生もペットショップで一匹の猫を見つけてきてから、生活が回り始めます。猫の名前はグーグー。そして、グーグーが縁で沢村(加瀬亮)という若者と知り合い、ちょっとラブラブの予感。先生やナオミ、ナオミの彼氏のマモル、アシスタント連中のなんとなくほのぼのな楽しい日々が続き、新作の構想もまとまってきます。でも、そんなある日、先生の卵巣に腫瘍が見つかり、手術のために入院します。抗がん剤の副作用で辛いとき、彼女は不思議な夢を見ます。彼女の前に死神と称する男が現れて、彼女をある人に逢わせてくれます。そして、体力の回復した彼女はついに新作を完成させ、グーグーとの穏やかな日々に戻っていくことになります。

漫画家の大島弓子のエッセイ漫画を原作に、犬童一心が脚本監督を担当しました。私は大島弓子については思い入れも何の予備知識もない状況でこの映画に臨んだのですが、それはそれで、この映画を面白く観ることができました。

漫画家の小島麻子先生は独身のアラフォー。彼女は漫画を描くという才能に恵まれており、多くの信奉者やファンを持っていました。あまり、男っ気のない先生には、猫が一匹というのは、ありがちな設定かもしれませんが、そんな彼女の15年来の友人である猫サバの死から物語は始まります。若手だったころからの旧知の仲であるサバの死は、先生にとってはかなりのダメージのように見えます。映画はそこから、先生の周囲をスケッチ風に軽いタッチでエピソードを切り取っていきます。特に物語の語り部となっているナオミの視点から描かれていく世界は、どことなくリアリティがないけど、豊かなイメージに満ちています。その世界は、小島先生の世界なのかもしれません。でも、彼女の作品は生と死についての考察に満ちているようで、先生は、天賦の才能を持ってして、それを漫画というスタイルで人々に発信し続けています。それは現実世界のしがらみからはあまりにも自由、それゆえ、先生には生活感というものがあまりありません。そういう空気を小泉今日子は見事に表現しています。彼女自身の持つ、世界観とオーラがこの小島麻子という役に反映されているのではないかと思うほどの適役適演だと思いました。猫もいいけど、むしろ小泉今日子を観ているだけでモトの取れる映画になっていました。

先生のお母上は、娘に男っ気がないのをハラハラして見ています。沢村という青年の登場は先生の世界に新しくて古臭い恋愛観を持ち込むことに成功しかかるのですが、年の離れた若い子とのラブラブには発展しそうでやっぱり無理があるみたい。このあたりの大人の女性のかわいさがまたキョンキョンにはまるのですよ。いいオヤジをなごませる彼女の魅力は劇場で確認していただきたいものです。



この先はささやかに結末に触れますのでご注意ください。



そんな彼女に突如突きつけられるリアリティのある死との対決はなかなか見応えがあります。卵巣腫瘍という病気が彼女にもたらすものは、それまでの自分の死と再生であるかのように見えます。彼女の新作がそういう物語だからということもあるのですが、彼女が夢の中で、女の子の姿をしたサバと語り合うシーンにそれがよく現れています。昔、こういうことがあったねとサバと語り合う先生は、それまでの自分の人生を客観視しているようでもあります。ただ、人生を語り合う相手が猫だったというのが、小島麻子の小島麻子たるゆえんになっているのですが、そこでサバとあらためて決別した彼女は別の自分として再生してくるのです。

と、書くとものすごくドラマチックみたいですが、結末は極めてこれまでと同じ日常が戻ってくるというものです。そして、サバのいた場所には、グーグーがちゃんと鎮座ましましているのです。サバも先生にとっての(特別な)猫だったのですが、グーグーだって、そんな猫であるというわけです。先生の世界は彼女の才能によって紙の上に表現され、当分、他の世界が割り込んできそうもないので、先生のお母上のお悩みも当分続きそうです。普通のアラフォー女性にこんな結末はあり得ないのですが、小島麻子先生だからあり得る、キョンキョンが演じることでそこに納得させられてしまうのです。

先生の世界に心酔するナオミは、結局は先生の才能は持ち合わせていないので、自分の落としどころを見つけるべく、絵の勉強にアメリカに旅立っていきます。でも、それはナオミにとっては希望のある未来を選択しているわけで、彼女のハッピーエンドも祝福したいところです。上野樹里のナチュラルな(ある意味毎度おなじみの)演技が、ちょうど先生と好対照を成していて、そして両者ともに好感のもてるキャラになっているのは、演出のうまさだと思いました。この人はきれいな人なんですが、この作品はむしろフツーの女の子をリアルに演じていまして、先生のようなある種神秘的なキャラとは相容れないってところが面白いと思いました。むしろ、他のアシスタントを演じた森三中の方が先生との一体感が感じられましたもの。

吉祥寺という実在する街を舞台に、ちょっとつかみどころのない物語を、ファンタジーとコメディの要素で彩ったという感じでしょうか。人によっては、猫の視点で楽しむこともできましょうが、私は特殊な才能をもったアラフォーの女性の息遣いに興味を惹かれました。小泉今日子という魅力的な個性があっての映画だとことなのでしょう。大島弓子と小泉今日子に共通する「行き方も才能」という点がこの映画を心惹きつけるものに仕上げているのでしょう。ラスト近くに流れる主題歌のキョンキョンの歌声がまたいいんですよ。マジ心なごんでしまった。

何でサントラCDが出てないのかしら

最近は色々な映画のサントラCDが発売されるようになりました。まさか「大統領の陰謀(デビッド・シャイア)」「無限へのパスポート(チャールズ・バンド)」「密殺集団(マイケル・スモール)」なんてのまでが、CDになるなんて、本当にいい時代になったものです。そんないいご時世でも、まだCD化されていない映画音楽があります。特に上映時にサントラLPが発売されたのに、CDにならないものは何とかならないのかしら。ということで、是非CD化希望サントラを挙げてみます。

「コンコルド」
「食人族」のルッジェロ・デオダードが監督した、B級パニック映画で、音楽はステルビオ・チプリアーニが担当しています。美しいメロディを書く人で、この映画でも美しい愛のテーマを書いています。ほとんどの曲はそのテーマのバリエーションですがストリングスの美しさが印象的です。タイトルとクライマックスにはテンポの速いパニック映画らしい曲も入っていますが、アルバムとしてはしっとりとした甘いテーマにまとめられています。チプリアーニの同傾向の「テンタクルズ」「殺人魚フライングキラー」はCDが出ているのに、なぜこの映画だけ発売されないのかしら。

「グリズリー」
「ジョーズ」の二番煎じの動物パニックもので、でっかい熊が森林公園で人を襲うというもの。音楽はロバート・O・ラグランドが書いて、ナショナルフィルが演奏しています。オープニングの雄大な自然をバックに流れるテーマ曲はなかなかの聞き物です。この人、あまりメジャーな作品は手がけてなくてチャールズ・ブロンソンの「トップレディを殺せ」「殺人鬼」「メッセンジャー・オブ・デス」や怪獣映画「空の大怪獣Q」といった作品があります。この人の作品では、誰も知らないと思われる「ジャガーNo.1」というアクション映画がありまして、これもなぜかサントラLPが出てるのですが、当然CDは出てません。ともあれ、彼の作品の中でも傑作の部類に入る「グリズリー」は是非CD化して欲しいものです。

「ヒッチハイク」
フランコ・ネロ、コリンヌ・クレリー主演のエロチックサスペンス。倦怠期を迎えた夫婦が車で旅行中にヒッチハイクで乗せた男がとんでもないやつだったというお話。音楽を担当しているのが巨匠エンニオ・モリコーネで、エロい映画だけに、艶かしい女性ソロも交えて、ちょっと中東風の音が印象的です。これもサントラLPは出ているのですが、CDは出ていません。海賊盤らしきものが出ているようなんですが、残念ながら正規盤は出ていません。伊BEATレーベルなので、この先、「ビッグマグナム77」のように思い出したように発売される可能性もあり、ちょっと期待状態であります。


「白い家の少女」
若きジョディ・フォスター主演の美少女スリラーの逸品です。クリスチャン・ゴベールによる音楽は、物悲しいテーマとサスペンスタッチのギターサウンドの2つのモチーフで成り立っていて、サントラLPもその2曲のバリエーションで成り立っています。一時期、お昼のワイドショーの再現フィルムのBGMとしてよく使われていました。シンセによるメインメロディのソロに、ストリングスが加わっていく哀愁を帯びたメインテーマは名曲でして、何でこれがCD化されないんだと思います。


この他にもサントラLPがあっていい音楽なのにCD化されていないものに、ポール・チハラの「プリンス・オブ・ザ・シティ」、ブラッド・フィーデルの「Nowhere to Run」、デーブ・グルーシンの「チャンプ」、クリストファー・ヤングの「The Power」とかあります。と、言いつつも、既にCD化されたものがあるかもしれませんね。特に上に挙げた4作については、もし正規盤が出ているのをご存知の方いらっしゃればご一報頂けるとうれしく思います。

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einhorn2233

Author:einhorn2233
Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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