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「僕らのミライへ逆回転」は発想は面白いけど物語にのりきれなくて

今回は、TOHOシネマズ川崎4で、新作の「僕らのミライへ逆回転」を観てきました。一見カッコ良さげな邦題なんですが、これが内容とまるっきりシンクロしないのはどういうこと。受けようとして、大スベリっていう感じ。原題の「巻き戻し返却に深謝」の方がまだドラマ世界を現しているような。

DVDのご時勢なのに、この街のレンタルビデオ店はVHSばかりを置いてます。店の主人によるとこの店は伝説のジャズ・ピアニスト、ファッツ・ウォーラーの生家なんですって。とはいえ、お役所の都市開発に引っかかってこのままでは取り壊される運命。そして、ウォーラーの跡をたどる旅に出て、店員のマイク(モス・デフ)は何とか店を守ってやっていこうと大マジメ。しかし、マイクのダチのジェリー(ジャック・ブラック)は何かと店にたむろってます。そんなジェリーが発電所に忍び込んで感電し、そのまんま店の中を歩き回ったら、テープが全部ダメになってしまいます。それでも、借りにくるお客さんのために、自分たちで映画のビデオ作りを始めちゃいます。「ゴースト・バスターズ」とか「ラッシュ・アワー2」とか作ってみれば、これが町内で大評判。次々に新作を作っていくと、店には行列ができるようになりました。客のリクエストに答えるべく、客をビデオに出演させちゃいます。そんな楽しい日々も都市開発の立ち退き期限が迫っていました。

「恋愛睡眠のすすめ」「エターナル・サンシャイン」のミシェル・ゴンドリーが脚本・監督を兼任したコメディです。上記の2本、どちらも発想は面白かったのですが、後の展開が今ひとつついていけないところがありまして、あまり乗り切れませんでした。今回は設定はすごく面白そうだったのですが、展開がどーなんのかなーってちょっと不安でスクリーンに臨みました。

冒頭で、ピアニストの生家として歴史的建築物のレンタルビデオ屋が都市開発のために立ち退きの危機に瀕しているのが説明されます。そこからちょっとしたドタバタがあって、ジェリーの体が電気を帯びたために店のビデオが全部壊れてしまっていることが判明。ごひいきのおばあちゃん(ミア・ファローでした、失礼)から「ゴースト・バスターズ」が映らないと苦情を持ち込まれ、夜の閉店時間までに何とかしなくちゃということになって、マイクの発案で、マイクとジェフが自分たちをお手製ゴースト・バスターズに仕立て挙げて、1日でリメイク版「ゴースト・バスターズ」を作り上げてしまいます。このあたりのドタバタはかなり笑わせてくれまして、ジャック・ブラック扮するジェリーがハイテンションなボケをかましてくれます。たくさんの数をこなさなくなった二人はクリーニング屋の店員アロマをスカウトして、ご近所の人も出演させ、次々と作品を作り上げています。

とりあえず、ビデオを貸し出して一息ついたところにコワそうなお兄さんたちがやってきて、今度はリメイク版「ラッシュ・アワー2」を作ることになり、公園とかで大ロケーションを敢行、これも1日で作り上げてしまいます。そして、これもまた好評となり、店の前には行列ができ、ジェリーはご町内のスターになってしまいます。



この先は結末に触れます、かつ若干ケナしてるとことありますからご注意ください。




すると、ハリウッドから弁護士が乗り込んできて、障害賠償を要求し、そしてビデオは全てローラーにひき潰されてしまいます。あちゃー、現実はきびしい。そして、帰ってきた店の主人は事情を話して、もうこれでこの店はおしまいだと言います。実はピアニストの生家というのもウソ。しかし、町の人々は最後の映画を撮ろうと言い出します。町中の人が参加して、手作りながらも、伝説のピアニスト、ファッツ・ウォーラーの生涯を撮影し、立ち退きとなる前日、店の窓にスクリーンを張ってプロジェクターで上映会が始まります。そして、ラストで、ジェリー達が店の外へ出ると、町内の人たちがみんな集まって、彼らを拍手で迎えるのでした。(要はスクリーンの裏から外でも映画は観られたということで)

なーんか、ほのぼのしていい話だなーと思ったのは映画を観ている最中だけで、エンドクレジットの後、劇場内の明かりがついたら、はて、これは何の話だったんだろうと急に冷めてしまいました。結局、レンタルビデオを自力で手作りするという出オチだけの映画だったんじゃないかという気がしてきました。その行動自体は笑える面白さがあるのですが、そんなもんで商売するのも変だし、オリジナルより面白いというのも、何だか説得力がないのです。さらに、結局、ビデオ店は取り壊される運命にあることに変わりはなく、映画の最初と状況はまったく変わっていないのです。要はお手製ビデオという行動は笑えるのですが、それ以上のハートというか思いというのがそこから伝わって来ないので、ジェリーやマイクの行動に共感できないのですよ。このネタを志村けんのバカ殿様でやったら、そうとう面白いと思うのですが、それはあくまで着想の面白いコントとしてのネタでしかないように思います。一本の映画としての物語にはなっていないように思えるのです。

私には相性の悪い監督さんとして、コーエン兄弟がいまして、彼らの映画はどうにも乗り切れないところあるのですが、ミシェル・ゴントリーも同様に相性の悪い監督さんのようです。これは、好き嫌いの問題になるので、どうしようもないところです。

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「フツーの仕事がしたい」はあなたの隣にある搾取を描いています

東京ではほぼ同時公開している「フツーの仕事がしたい」を横浜シネマ・ジャックで観てきました。「おいしいコーヒーの真実」「女工哀歌」と搾取される人々を観てきたら、今度はいよいよ日本にもある労働者搾取の映画です。弱い人間がとことん搾取される図はどれも同じです。牛丼屋で隣で食べてる人がそういう境遇にあるかもしれないと思うとホントに他人事じゃないです。

皆倉さん36歳、車が好きで、運転手の仕事をずっとやってきました。今は、セメントを運ぶ毎日ですが、労働時間は月552時間にもおよびます。彼の給料は従量制で、運んだセメントの量のぶんだけ給料が出るというものですが、その単価はどんどん下がっていきます。きつい仕事で体がもたないところに今度は償却制という、セメント車のメンテ代まで運転手もちになると言われて、とうとうやっとれんということになりました。そして、組合(全日本建設運輸連帯労働組合)の門を叩きます。そうすると、会社は会社関係者と名乗る男を使って彼を脅し、組合を脱退させ、辞表を書かせようとします。そこで、組合は会社と交渉の場を持ち、そこへビデオカメラを持ち込みます。そこに呼ばれたのが、フリーランスの映像作家、土屋トカチ監督だったのです。

21世紀の蟹工船というキャッチフレーズのドキュメンタリーです。皆倉さんというセメント車の運転手があまりに過酷な業務から組合に駆け込みます。月552時間というと、一ヶ月30日として、1日18.4時間になります。毎日働いても、1日に自分の時間が5時間半しかないという状況です。仕事は主として夜中から夜中までの勤務で、一週間家に帰れなかったこともあります。当然、労働基準法は守られていません。そんな状況では体にガタが来るのも無理はありません。その上、従量制の給料が単価がどんどん下げられて、今度は償却制というもっと収入が減ってしまうというのではやっとれんということになります。そして、全日本建設運輸連帯労働組合(通称 ユニオン)に加入することになります。

労働組合というと最近はほとんどメディアでも取り上げられないご時勢で、労働争議とかストライキなんてのは死語になってしまいます。私が就職した1980年代には、組合は形骸化というか御用組合化していましたし、バブルの時も会社はそれでも苦しいからって理由でベア(ベースアップのことです。これも死語かな。)を押さえつけにかかりました。それでも、生活できる数字が出ていましたから、結局は会社の都合だけで給料は決まるんだなあって思ってました。でも、バブル崩壊の後は様子が変わってきました。大会社は仕事を切り分けて子会社孫会社へマル投げするようになり、発注価格を値下げにかかります。そして下請けは更にその下請けに発注するという図式になり、末端の労働者は、健康保険もないような環境で薄給でこき使われているのです。皆倉さんの場合も、トップに住友大阪セメントがいて、その下請けで運搬を仕切るフコックスという会社がいて、その下に東都運輸というのが、皆倉さんの所属する会社です。

皆倉さんの家のファックスに仕事の指示が出て、皆倉さんはセメント車で工場へ向かい、セメントを積み込んで運ぶのです。夜中の2時前から工場にはセメント車が集まってきます。給料は従量制なので、法定積載量を超えて積み込んでいるのが多いとも言います。

さて、組合加入を会社に通知した皆倉さんの前に会社関係者を名乗る工藤という男が現れ、皆倉さんと一緒に組合事務所に行って、彼の組合脱退を告げ、さらに無理やり辞職させようとします。そこで、組合のメンバーと皆倉さんが一緒に東都運輸に向かって、それは脅しであり、これから給与待遇についての交渉を始めると宣言します。すると工藤は毎日皆倉さんの家を訪れるようになり、遂には、皆倉さんの母親の葬儀の場に若い連中を連れて乗り込んできます。皆倉さんや組合メンバーを小突き回し、2人に怪我をさせるという現場をカメラは撮り続けています。カメラに対しても脅しや暴行が加えられたのがわかる映像はなかなか迫力があります。に、しても、組合に入るとここまでやられるというのは、ドラマみたいですが、それが実録だと思うと恐ろしいものがあります。

組合は、フコックスの本社前で街宣活動を行います。配車スケジュールはここで作っているので、彼らも労働基準法破りの一端を担っているのです。しかし、フコックスは組合とは一切話しをしないという態度をとります。組合はさらに住友大阪セメントの前での街宣活動を行い、それまでに撮りためたビデオをスクリーンに上映します。それに対して住友大阪セメントは下請けに対して法令順守の指導をするという回答を出してきます。フコックスからも前向きな回答を得ることに成功します。しかし、その間に皆倉は病に倒れて入院してしまうのでした。

最終的に別の会社でセメント車の運転をすることになった皆倉さんは、地獄のような勤務から抜け出すことができたようです。でも、もし彼が組合の存在を知らなかったら、事態は最悪のまま、彼は搾取され続けたことになります。ここで、映画は、組合の必要性を啓蒙するメッセージを訴えてきますが、確かに実際の事例を見れば説得力があります。「女工哀歌」の女子工員たちには組合を作ることは認められていませんでしたが、日本には労働組合法があり、2人以上の人がいれば組合を作れると明記してあるのです。それを知らないで法令外の労働環境、賃金に甘んじている人々はまだいるのではないでしょうか。マクドナルドのオーバーワークが表沙汰になったのは、氷山の一角のように思えてなりません。

しかし、会社側はこう言って労働者に無理強いをしてきます。「会社が赤字だから」「会社の世話になってるのに」。でも、そんな理由で不当な労働条件に甘んじてはいけないと映画は訴えかけます。一見、押し出しの弱そうな皆倉さんですが、どたんばでの強さは、組合の支えがあったとはいえ、すごいものがあると思いました。そして、もっと弱い人間だったら、ここまでのことは成し得ないだろうという気もしてしまいました。

高度成長期はある意味、モノの値段が上がり続けた時代でした。そして、一億総中流化と言われた時代と言われ、ほとんどの人がそれなりの暮らしができたのです。しかし、なんだかんだと言っても、ここ20年は物価はあまり上がっておらず、一方でコスト削減ばかりが言われてきました。会社は福利厚生や保険の負担がかかる正社員を採らなくなり、何でも安く下請けに出し、その下請けがさらに下請けに出すという構図から、末端の労働者ほど搾取される時代になってきました。しかし、組合活動は高度成長期に下火になってから、そのままです。だからこそ、この映画が組合活動の必然性を説いているといえます。まず、組合に加入するところから始めないと何も動かないという図式、会社はありとあらゆる手段を用いてコスト削減をはかってくることを改めて認識しなければいけないと思いました。

「女工哀歌(エレジー)」は知ることから始めようという映画です

東京では先行公開している「女工哀歌(エレジー)」を横浜のシネマ・ジャックで観てきました。ビスタサイズでプロジェクター上映でしたが、この映画館のすごいのは、車椅子用のスペースが劇場の真ん中付近にあること。シネコンだと申し訳程度に一番隅っこのスクリーンを見上げるような位置にあるのが多いのですが、ここは、真ん中付近の列の半分の席を撤去してその場所にあてています。

中国は四川省の農家の娘ジャスミン・リーは、家族のために都会へ働きに出ることにしました。二日がかりでやってきたやってきた都会のジーンズ縫製工場。そこで彼女は他にも出稼ぎにきている同年代の子と一緒に、ジーンズ工程の中の糸きりの作業を始めます。工場内に宿舎があり、12人一部屋の暮らしが始まります。仕事は8時からで、注文が多いときは、2時3時まで残業、時には徹夜になることもあります。食事は宿舎で食べられますが、それも給料から天引き。そして、驚くほどに彼女たち(彼たち)の給料は安いのです。それに、給料の未払いが続いて、スト騒ぎも起こります。元、地元の警察署長であった社長のラム氏は、労働者は無能で、何かあるとすぐ給料を余計目にかすめとろうとすると言います。そんな中で工場では海外向けジーンズが作られていくのです。

世界のドキュメンタリー映画祭で高い評価を得たという、ミカ・X・プレド監督によるドキュメンタリーです。最近では資本主義化が進んで、もっとも大きな労働人口を抱えていると言われる中国、確かに私たちの身の回りの製品にも中国製がたくさんあります。最近の中国産食品の混入物問題も、輸入される量が多いから問題が大きいのだとも言えます。そんな、中国の片田舎から都会へ出てきたジャスミン、彼女は農家の次女(一人っ子政策の頃でそれだけ大変だったようです)で、姉のように学校に進むのは無理だとあきらめて、都会へ就職することにしました。就職先は、ジーンズの縫製工場です。

ここで見えてくるのは、やはり中国における貧富の差でしょうか。田舎から出てきた若い女の子は、労働力として最も安いとみなされています。よく働き、残業や安い賃金でも文句を言わないから扱いやすいというのがその理由のようです。工場の賃金は法で決まった最低基準を満たしていないのですが、この工場はまだマシな部類なようです。そうでなければ、社長のラム氏も取材を受け入れなかったでしょう。それでも、撮影には政府の役人がついていて、何度も警察に拘束されたりテープを没収されたりして、映像の中にはゲリラ的に撮影されたものもあるそうです。ただ、映画全体を観ていると、1シーンが細かくカット割りされていたり、会話のシーンでも切り返しのカットがあったりして、それなりの編集と演出(同じことを繰り返しやってもらうような)が入っていますから、かなり自由度の高い撮影ができた部分もあったと思われます。また、この映画には、女工がメインに扱われているのですが、工場には男性工員もたくさんいます。ここで、男性が女性よりも優遇されているのか、それとも同様に搾取されているのかは描かれないのが、ちょっと気になってしまいました。

さて、彼女の生活が始まるのですが、朝8時までにタイムカードを押して職場につかなくてはいけません。遅刻は罰金の対象で、どんどん給料から差し引かれてしまうのです。そして、ノルマがあって、残業もあります。しかし、23時半以降は残業手当はつかず、それでも2時3時まで仕事が続くのしょっちゅうです。トイレにも2回ほどしか行けず、私たちが考える工場勤務よりは厳しいものになっています。食事は宿舎に帰ってします。それも質素なもので、それでも、外食するほどの給料は彼女たちにはありません。休日もないまま、毎日の過酷な労働に、彼女たちは気力で頑張っているように見えます。それはたくさん働くことで、給料が上がって家へ送金できるからなのでした。というのも、この工場の給料は歩合制なのです。何本のジーンズを仕上げたらいくらになるという勘定で、仕事のできる人間は給料も高くなります。それでも月に200元~500元(3120円~7800円)程度でして、食事代、住居代、罰金などが天引きされています。

最初はわけもわからずに頑張っていたジャスミンですが、9週間たっても、給料がもらえません。ついには女工一丸となってストライキを起こす(ここに男性工員が出てこないのが不思議でした)に至ります。その時、納期寸前だった大口の仕事を仕上げることを条件に給料が払われることになりました。しかし、ジャスミンには給料が渡されません。最初に一ヶ月分は、即退職しないように工場が預かるという制度なのだそうです。がっかりのジャスミンですが、ここで、彼女がどうすることもできないことに、観客は気付かされます。工場をやめて実家には帰れない、でも、不当な扱いをされていることを訴える場所もないのです。

ラム氏はいい車に乗り、高級料理を食べ、小平の資本主義化政策を賛美しています。しかし、そんな彼もバイヤーのご機嫌を損ねると大変なことになります。結局は小売業者が利益の大部分を持って行ってしまうので、工場からの出荷価格はそれほど高くはないのです。また、バイヤーから納期が遅れがちと言われれば、その場は言い訳して、工場に帰って工員たちにハッパをかけねばなりません。要は安く早くものを作らないといけないので、もっとも安い労働力をさらに安く使って利益を上げようとしているのです。とはいえ、資本主義化は価格競争でもあり、その意味ではラム氏も心穏やかではいられません。法なんか無視した賃金で彼女らを搾取する構図が少しずつ見えてきます。カナダやホンコンからバイヤーが視察に来るときは、工員たちに受け答えのメモを渡したりしています。そして、その工場が工員を搾取している構図は外には出てきません。そして、安価なもとを求める欧米の大企業が搾取の状況をよく知らないまま、中国製品を買い叩いていれば、末端の工員たちはますます搾取されることになるのです。この映画はそこを映像化しているのがすごいと言えます。中国製品があふれる日本にとっても地続きの話であり、知っておくべきことだと気付かされるのです。

睡眠時間も足りない、病気や妊娠で働けなくなったらクビになる、そんな過酷な日々の中でジャスミンは、ビッグサイズのジーンズをはく人ってどんな人なんだろうって思いを馳せます。その思いを手紙に書いてジーンズに忍ばせて、買った人に読んでもらいたいと考えます。その思いがこもったジーンズは米国の有名なディスカウントストア、ウォルマートの特売品になっているのです。ディスカウントストアや100円ショップがたくさんある日本でもそこの商品に中国製品が多く入っていると思います。単に安いからという理由で購入している私たちの向こうに、正月の休みにも電車賃がなくて帰省できないジャスミンのような女工さんがたくさんいるのだということは知っておくべきでしょう。だから、何かできるのかと言われると、何もしてはあげられないのですが、でも知るというのは、何かが変わる根源になることだと思います。

先日観た「おいしいコーヒーの真実」といい、この「女工哀歌」といい、製品や労働原価が安く買い叩かれてしまうのが、資本主義社会なのかと思うと、消費社会は搾取の上に成り立っていることになるのでしょうか。

「おいしいコーヒーの真実」は新しい視点を与える映画です

東京で先行上映されているドキュメンタリー「おいしいコーヒーの真実」を横浜シネマベティで観て来ました。もともとビデオ作品でして、この劇場では、プロジェクター上映を積極的にやっているので、色々な映画を楽しむことができます。

エチオピアはオロミア州のコーヒー連合会代表であるタデッセ・メスケラは、あちこちの農場を回って、コーヒーの正当価格での販売をよびかけています。それは、バイヤーたちの言い値どおりに売っていた農家にとっては、新しい意識を呼び出すものでした。一方でメスケラは、世界各国をまわり、正当な価格で買ってくれるバイヤーを探し続けています。実際、コーヒー豆の価格はニューヨーク市場で決定され、そこでは、投機筋によって、ブラジル中心に価格が設定され、それはコーヒー農家を多数抱える小国の意向なんか全然反映されず、どんどん下がり続けているというのです。そんな中から発展途上国の有り様が見えてくるのでした。

イギリスのニック・フランシスとマーク・フランシスが製作・監督したビデオドキュメンタリーです。コーヒー豆を生業とする農家の比率が高いエチオピアのオロミア州から映画は始まります。彼らは不当に安く買い叩かれているため、破産の危機に直面しています。メスケラ氏は、彼らにバイヤーの言い値で売らないよう指導し、一方で高品質の豆を作らせ、それを正当価格で買ってくれるバイヤーを探して世界を巡っているのです。しかし、コーヒー農家の中には、コーヒーだけでは食べていけないので、コーヒー農地を覚醒効果のある植物に切り替えて、日銭を稼ぐものも出てきます。それは、産地で買われるので、中毒になってしまう人々もいるというのです。さらに若者は、コーヒー栽培に見切りをつけ、家業を継がず、都市に出て就職しようともしているのです。なぜ、コーヒー農家がこんな目に遭わなければならないのかというと、その大元が大国にアメリカにあったのです。すべてのコーヒーの価格がニューヨーク市場で決まってしまい、産出国にはお構いなしの価格設定がされているのです。世界中の人間が飲むコーヒーは巨大な市場で成り立っているのですが、それとは別の世界で小国のコーヒー農家は貧困にあえいでいるのです。最上の品質を誇るコーヒーを作りながら、彼らはなぜ貧困の中に置いてきぼりになっているのでしょうか。

一方で、エチオピアには、アメリカら大国から大量の救援物資が送られてきます。もし、コーヒーの価格が正当なものであるのなら、救援物資にたよる必要はなくなるのです。救援物資によって、大人はプライドを、子供は未来への希望を失うのです。そんな状況から抜け出したいと思うメスケラ氏ですが、そのためには経済的な自立が必要なのです。それは、コーヒー栽培によって、生活が安定することを意味していました。しかし、実際には、生産者たちが国際的に価格を上げるということには、大きな困難がありました。目先の市場価格を優先しているうちは、生産者へ正当な利益は落ちないのです。

小国にとっては、各国が連帯して、正当価格への動きを進めることが大きな力になるのですが、一方で、アメリカで行われた価格会議では、小国の各々と大国が秘密裏に会談をするという方法で、小国の期待は裏切られてしまいます。大国というのは、巨大コーヒー会社4社と同等なものと言えます。つまり大企業が小国を搾取しているという構図も見えてきます。それでも、各国の心ある人々は、コーヒーの適正価格化のために活動を続けています。

プログラムに載っていた1杯のコーヒーの原価比率によりますと、小売・焙煎・輸入業者が90%を占め、輸出業者・出荷業者が7%を占め、残りの1~3%がコーヒー農家に手元に入るのだそうです。これを見て、何がどう不当なのか、どんな比率な正当なのかは、正直言って私にはよくわかりません。ただ、コーヒー栽培で生計を立てている農家が貧困にあえいでいるのは事実なのです。だとするなら、この価格に10円上乗せするだけで、農家の取り分は2倍になるということは、知っておくべきだと思います。

実は、私もコーヒーが大好きで1日に1~2杯飲んでいるのですが、その原産国を意識したことはありませんでした。そこで、試しにエチオピア産のコーヒーを買って飲んでみました。コクのあるおいしいコーヒーでした。他にも困っているコーヒー産出国はあるのでしょうけど、やはり、救援物資に頼る国から経済的に独立した国になるためには、産出物の適正価格をある程度、原産地が決められ、価格が投機筋によって大きく左右しない仕掛けが求められているようでした。

ある農場で、やっと少しながら利益が出たとき、農家が集まってこれをどう活用すべきかという会議が開かれました。その結果、そのお金で学校を作ろうという結論が出たとき、私は不覚にも泣いてしまいました。発展途上国にとっての学校が、どれほどまでに大きな期待と希望になっているのかが、わかっただけでも、この映画を観てよかったと思いました。

「ゲット・スマート」は笑いとアクションがよく盛り合わせされていてマル

今回は川崎チネチッタ4で新作の「ゲット・スマート」を観て来ました。この題名よりは、昔のテレビシリーズと同じ「それいけスマート」の方が受けがいいように思うのですが。

アメリカの諜報機関、コントロールの有能な分析官マックス(スティーブ・カレル)は早く諜報員になりたくて仕方ありません。そんなとき、秘密結社カオスによって、本部が襲われ、諜報員の情報が持ち去られてしまいます。カオスを追うため、誰かをロシアに送らなければならなくなり、チーフはやむなくマックスを諜報員に格上げ、整形直後のエージェント99(アン・ハサウェイ)と組ませて、本部を襲った爆弾の出所であるクリスティックという男の調査をすることになります。でも、分析官としては有能でもマックスはドジばかり。なのに、なぜか結果オーライの大奮闘。しかし、カオスはアメリカで核爆弾を爆発させようとしています。タイム・リミットが近づいてくる中マックスはどう出るのか?

その昔、メル・ブルックスとバック・ヘンリー(豪華な取り合わせですが、コンサルタントとしてもクレジットされています)が創り出したテレビドラマ「それいけスマート」の劇場版リメイクです。「裸の銃を持つ男3」「50回目のファーストキス」などを手がけたピーター・シーガルが監督しています。

私はテレビシリーズを観た事がないのですが、私の田舎では民放のチャンネルが少なかったせいかなって思ってます。ですから、まるっきりおニューの映画としてスクリーンに臨みました。分析官として有能だけど、他はマヌケなマックス、一方では、有能なエージェント23(ドゥウェイン・ジョンソン)がいます。ところが、敵方にエージェント(=諜報員)の情報を盗まれた結果、顔を知られていない、マックスと99が選ばれるのです。ここまでで、細かい笑いがあちこちに仕掛けられていて、「裸の銃を持つ男」の監督らしい展開になっています。特に何千万ドルもかけたハエロボットですとか、仕掛けをたっぷりつけたナイフ、飛行機の中で脱出しようとして、縄を切ろうとする矢で自分がサボテン状態になっちゃうといったところで多いに楽しませてくれます。マックスが常にマジメで、おどけないところがミソでして、後半のシリアスのところでドラマが軽くなりません。このあたりで、ビル・マーレーが奇妙なエージェントの役て顔だけ見せて、文字とおりのカメオ出演しているのには、笑ってしまいました。

とは言っても、前半から中盤にかける展開は、何だかまぐれ当たりみたいに、マックスと99が調子よく敵をやっつけるので、主人公のピンチに落ちることはまずありません。一応、スパイ映画の定番とも言うべき趣向は盛り込んでありまして、タキシードに着替えてパーティに行ってダンスとか、通路に仕掛けられた探知レーザーを体操選手の如くよけて移動するですとか、パラシュートなしでのスカイダイビング、爆破するビルからの脱出など、きちんと見せ場になっています。スカイダイビングは3人が落下するシーンでかなり手の込んだ格闘シーンを空の上で演じてみせています。

カオスは核兵器を世界各地の対米諸国に売りつけて、2000億ドルを要求してきます。そのエキジビジョンとして、大統領も列席する演奏会に核爆弾を仕掛けます。チーフも大統領に危険を訴えるのですが、証拠もないのにということで、相手にされません。一方、カオス側は会場のホールに爆弾を仕掛けます。そして、意外な人物がカオス側の人間だとわかって99を人質にして自動車で逃走。マックスも車で追跡するのですが、一度は見失ってしまいます。でも、チーフが飛行機から自動車を発見、マックスは飛行機から飛び降りて、大格闘となります。

このあたりはスタントチームも頑張っていて、かなり盛り上がる見せ場になっています。車の追跡や車内のアクションなど、丁寧でハラハラさせるものになっており、そのハラハラに飛行機も絡ませているのが見事でした。このアクションがきっちり見せ場になっているので、観終わってただのコメディ以上の満足度がありましたから、かなり豪華な内容と言えるかもしれません。

役者陣では、アン・ハサウェイが派手なメイクでボンドガール並みの活躍をするのがお楽しみです。アラン・アーキン扮するチーフが単に指示出し係りでなくて、ラストの追跡に1枚噛んでくるのもうまいと思いました。ただ、スティーブ・カレルはマジメにバカを演じるという役柄にしては、特に前半、調子よくヒーローになりすぎてるなあって気もして、このあたりがコメディの難しさなのかなという気がしました。一番、面白かったのは、旅客機のトイレで矢で手錠を切ろうとして自分がどんどんハリネズミみたいになっちゃうところ、このあたりは、メル・ブルックスらしい考えない笑いがありました。

「宮廷画家ゴヤは見た」は波乱万丈で重厚なドラマ

今回は新作の「宮廷画家ゴヤは見た」を静岡ミラノ2で観ました。相変わらずの小さい劇場なんですが、もう少し、席の前後の幅を広げて欲しいです。椅子は前よりよくなっているのですが。

時は18世紀末のスペインのマドリード、ゴヤ(ステラン・スカルスゲールド)は宮廷画家でありましたが、一方で教会を批判する絵もたくさん書いていました。それでも、ロレンソ神父(ハビエル・バルデム)はゴヤに自分の肖像画を発注する一方で、異端審問を強化するように進言していました。裕福な商人の娘イネス(ナタリー・ポートマン)が濡れ衣で異端審問会に出頭させられ、過激な拷問を受けていました。父親はゴヤのつてを頼ってロレンソに肖像画と教会の寄進を申し出て娘を救い出そうとするのですが、言下に拒否され、ロレンソを縛り上げて娘と同じ拷問をして、彼に屈辱的な文面にサインさせます。しかし、ロレンソが教会に相談かけても、イネスを釈放することはできませんでした。ロレンソは屈辱的な文書を公にされて、彼は姿を消します。その頃、フランスでは革命が起こっていました。そして、15年後、フランス皇帝ナポレオンはスペインに進軍してきて、異端審問は廃止され、イネスはやっと釈放されますが、家族は皆殺しになっており、変わり果てた姿でゴヤの前に現れました。半分、正気を失ったような彼女は自分の娘を探しているようで、ゴヤも彼女の力になろうとします。そんなところにフランスからの検察官としてロレンソがマドリードにやってくるのです.......。

「アマデウス」の巨匠ミロシュ・フォアマン監督の最新作です。ゴヤについてはあまり知識はないのですが、この作品はゴヤを描いたものではなく、ゴヤを狂言回しにした、時代に翻弄される2人の男女のドラマです。しかし、ゴヤは時代の傍観者として重要な役回りをしています。原題が「Goya's Ghost」というもので、ゴヤを家政婦みたいに扱っている邦題よりも全然かっこいいのですが、その邦題は映画の内容を表すものとしては大変的確なものと言えます。

当時のキリスト教の異端審問って、ほとんど言いがかりに近いものなんですが、一度睨まれたら、その嫌疑を告白するまで拷問されてしまうという恐ろしいもの。異端審問をもっと強化するというロレンソという男、登場シーンから、正体不明な不気味さがあります。その方針に基づいて告発を強化したことから、美しい娘イネスが異端審問にかけられてしまうのです。酒屋でブタ肉を食べたか聞き、食べないということからユダヤ教だろうと因縁をつけられ、先祖が異教からカソリックに改宗したことに因縁をつけるなど、もうムチャクチャです。こんなことを平気でやっている宗教なんてロクなもんじゃないのでしょうが、当時はそれだけ宗教や信仰が大事にされていたようです。そんな彼が、イネスを救えなかったことで、自分自身がスペインに居られなくなってしまうのです。彼が姿を消したために、ゴヤの描いた肖像画が教会に持ち去られ、市民の前で燃やされて、その存在を亡き者にされてしまいます。

ゴヤは宮廷画家という身分でありながら、その一方で、教会を悪魔の如く描いた版画もたくさん作っており、ヨーロッパ中で読まれていました。彼は、時代の流れを鋭く突いた作品を多数残しました。スペインにナポレオン率いるフランス軍が侵攻してきたときも、彼らのことを侵略者、略奪者として描きました。そして、異端審問会が閉鎖され、囚人たちが解放され、ゴヤのもとをイネスが訪れます。15年の拷問と牢獄生活によって、彼女は昔の面影が見出せないほど変わり果てていました。彼女は自分が牢の中で産んだ娘を探していると言いますが、どこか正気を失っているようにも見えます。この時のナタリー・ポートマンのメイクがものすごくて、それが理由か、プログラムにも、美しかったときの彼女の写真しか掲載されていません。彼女の容赦ない壊れっぷりだけでも一見の価値があるかも。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



さて、ゴヤは彼女のために何か役に立とうとして、フランスからの検察官としてマドリードに赴任してきたロレンソに相談をかけます。イネスはロレンソを見て、自分の娘の父親だと言い出します。ゴヤはそれを半信半疑で見つめるのですが、ロレンソは父親であることを否定して、イネスを引き取ると言い出すのでした。しかし、ロレンソが牢にいる間、何度となく牢内の彼女のもとを訪れ、彼女と一緒に祈るなどして、彼女の心の支えになっているのも事実でして、彼女がロレンソに処女を捧げたのもうなづけます。ロレンソは自分の娘が修道院に収容された後、そこを脱走して行方不明だと知ります。

一方、ゴヤは公園でイネスに瓜二つの娼婦アリシアを見つけ、それをロレンソに告げます。翌日、ロレンソは彼女を公園で見つけて、金をやるからアメリカへ行けと言うのですが、怪しんだアリシアに逃げられてしまいます。一方、イネスを連れて、彼女のいる酒場へ出かけるゴヤですが、一歩早く、ロレンソの命令で、娼婦たちが一網打尽にされて、アメリカへと移送されてしまいます。しかし、その混乱の中に取り残された赤ん坊をイネスは自分の子供だと思い込んで連れてきてしまいます。

しかし、今度はイギリス軍がスペインへ進軍してきて、逃げ遅れたロレンソはスペインの農民たちに捕らえられます。一時は死刑を言い渡されていた異端審問会もその地位を回復し、ロレンソに対して、改宗すれば命だけは助けてやると言います。しかし、彼はそれを拒否し、民衆の前で処刑されてしまいます。それをスケッチするゴヤと自分の子供を一目見せようとするイネス。処刑された死体は荷車で運ばれ、死体の手をとるイネスとそれを後ろからついていくゴヤの姿がありました。

というわけで、波乱万丈の展開はものすごく中身の詰まった内容になっているのですが、要所要所をきちんと押さえたフォアマンの演出は単にあらすじをたどっただけでない重厚なドラマに仕上げました。善悪を超越して時代を渡り歩くロレンソをハピエル・バルデムが表情を変えない熱演しています。また、イネスとその娘アリシアを演じたナタリー・ポートマンが見事に演じきりました。特に後半の別人のようなメイクで、数奇な運命をたどるヒロインを狂気と情熱を持って演じているのが印象的でした。また、物語の傍観者として、絵を描きつづけるゴヤを演じたステラン・スカルスゲールドが演技的見せ場の少ない中で、芸術家としての天才だけでなく、時代を生き抜く才能を持った人間を見事に演じています。ドラマ的見応え度からすれば、今年のトップかもしれません。チェコのバルファン・バウアーの音楽がその場面に応じて適切な楽曲を書いているのですが、こういう波乱万丈のドラマだからこそ、ドラマチックなメインテーマを書いて、このドラマにもっと一本の太い筋を通して欲しかったような気がしました。

何でサントラCDが出ないの? その2

何でサントラLPが出てうるのに、サントラCDがでないのかの続編です。よく見るとやっぱりマイナーな映画はなかなかCD化されないようです。でも最近の発売ラッシュでリチャード・バンドの「ダンジョン・マスター」や「SFソードキル」がCDで聴けるようになったのですから、ものすごい時代になったものです。以下はサントラLPが出ていてCD化希望の作品ですが、もし既にCD化されているものがあれば教えていただくとうれしいです。(いわゆる海賊版CD-Rはサントラ盤からは除外しています。)

「レーサー」
ポール・ニューマンが主演しているレース映画の音楽はデイブ・グルーシンの手によるものです。もともとは関光夫さんのラジオで聴いて、おお、何だかかっこいいなあって思っていたら、中古店でサントラLPをゲットすることができました。コピーライトは1969年でしたから、あまりジャズしばりもなく、オーケストラでヒロイックなテーマを華々しくうたい上げています。日本版のLPケースに「作曲デイブ・グルーシン」ではなく、「デイブ・グルーシン指揮管弦楽団」と書いてあったのが、時代を感じさせます。とはいえ、「愛すれど心さびしく」にも劣らないグルーシンの佳品だけにCD化されないものかしら。とは言え、彼のジャズレーベルGRPからは出そうもないアルバムですけど。

「フォーミュラ」
マーロン・ブランド、ジョージ・C・スコット主演という刑事ものドラマは、監督がジョン・G・アヴィルドセンということもあってか、ビル・コンティが音楽を担当しました。コンティの音楽は「フィスト」のようなオーケストラをフルに鳴らす力技を見せる一方でドラマのうねりをオケで見事に表現していました。この1番脂の乗り切ったころのコンティの音楽は、意外なほどCD化されていません。「グロリア」「大都会でスローダンスを」がCD化されたその後が続かないのが残念です。「探偵マイクハマー」とか「ノーマッズ」なんて是非サントラ化してほいしのですが。LPがVarese Sarabandeレーベルなので、ひょっとしてCD化されているのかも、「フォーミュラ」。

「プリズン」
監督レニー・ハーリン、主演ヴィゴ・モーテンセンがどっちもメジャーじゃないころに撮った刑務所怪談映画。ありそうでない設定が目新しくて、快調な演出もあって、ホラー映画の佳品でした。製作にエンパイヤ・ピクチャーズが1枚噛んでいるだけに、音楽はリチャード・バンドとクリストファー・L・ストーンので、バンドが指揮をしています。音楽はまるきりメロディを持たないおどろおどろな音をシンセサイザーと少人数のオケで作り出しています。こういう音がサントラLPになっちゃうこと自体ものすごいことではあるんですが、監督主演のメジャー入り記念ということでついでにCD化されないかしら。バンドには後「ドールズ」という佳品もあるのですが、これも一緒に何とか陽の目を見せて欲しいです。まあ、こういうCDがミリオンセールスになっちゃったら世も末なんですが、好きな人は必ずいるというジャンルです。

「悪魔の受胎」
ひょっとして原題の「インセミノイド」の方が有名かもしれないですね。Z級映画で有名なノーマン・J・ウォーレン監督が、彼にしては有名俳優と予算を大目につかったそうです。私は未見ですが、日本で映画館にかかった作品でもあります。そして、音楽が何と「ファイナル・カウント・ダウン」「グレイ・ストーク」などでその名も高き(いや、ホントに)ジョン・スコットによる、オール・シンセサイザー音楽なのですよ。彼の他のオケ中心の映画音楽と比べてまるっきり共通点がない、ある意味実験的な音楽です。このころゲテモノホラーバブルでもあったのでしょうか。ビートを利かせたサウンド自体は安っぽくない重みを感じさせるものがあります。その安っぽさにどっぷりはまるのが次の作品です。

「XTRO」
日本劇場未公開ながら、1980年代のホラーバブルの時代にあって、意外とエクストロというタイトルは今のオヤジ年代の方には覚えてらっしゃる方もおいでだと思うのですが。(いないかな、さすがに)イギリス製のこの趣味的ケッタイさに満ちた映画は観た人を遠くに置いてきぼりにする恐るべき放置映画。音楽は監督のハリー・ブロムリー・ダヴェンポートが兼任しているのですが、シンセを薄くならしているだけのほとんど効果音状態に、同じシンセの高音が割り込んでといった、即興シンセというか安ーいキース・ジャレット状態。一応、物悲しげなテーマ曲はあるんですが、曲と呼ぶにもせつなくなる感じ。これは、CD化しなくてもいいかな。

「クロール・スペース」
これは記憶に自信なくて、CD化されてる可能性大です。女の子のいるアパートの大家さんが、換気口の中をウロウロしながら、女の子を殺しまくる映画。音楽は「キャリー」のピノ・ドナッジオが作曲し、ナタレ・マッサラが指揮しています。換気口の中を蛇のようにのたくる主人公の一人称カメラをバックにうねるように流れる主題曲がまず魅力的です。また少年のソロをメインにした、大家さんのテーマも不気味で聴き応えあります。ホラー映画の王道を行く音作りで全体に気品を感じるのがドナッジオのうまさなのでしょう。この映画の監督デビッド・シュモーラーがこの作品の前にドナッジオと組んだ「デビルス・ゾーン」もサントラLPは持っているのですが、CDを見かけません。どちらもホラー映画の佳作であり、音楽としてもよくできているだけに、CD化を節に希望。(でも、なんとなく、既にCD化されている予感)

最近、昔のサントラCDとかが盛んに発売されているのをよく見かけますけど、ああいうのって大体、限定XXX枚とかって枚数をケチって、その結果、オークションで稼ごうって連中が大人買いしているそうです。ファンの期待を裏切ることはやめてほしいですが、一方で、もっとあの映画のCDがなぜ出ないんだろうと思うこともしょっちゅうです。(「シスターシスター」とか「リーインカーネーション」とか「ゾンゲリア」.......って、お里が知れちゃいますね。)

「ベガスの恋に勝つルール」は軽い気持ちで楽しむのがベター

今回は新作の「ベガスの恋に勝つルール」を有楽座で観て来ました。ニュー東宝シネマが有楽座に改装されてから初めての鑑賞でしたが、昔の縦に長い劇場からかなり変わっていました。座席数も広さも減っていまして、それはいいのですが、スクリーンを見易くするためか、スクリーンを上に上げているので、劇場規模に比べて、スクリーンは小さめなのが、シネコンに負けてるかなって感じで。

ぞっこんだった彼氏に振られたジョイ(キャメロン・ディアズ)と、父の工場をクビになったジャック(アシュトン・カッチャー)はそれぞれの友人と一緒にラスベガスにやってきます。そこで意気投合した二人は酔っ払った挙句に結婚式を挙げてしまったのです。目が覚めて二人ともああバカなことしたと反省モード。ところが別れ際にジョイのコインでジャックがスロットで300万ドルを当ててしまうのです。ジャックはガッツポーズなのですが、その彼の目の前にジョイの結婚指輪が。そう、まだ二人は夫婦だったので、離婚時には妻と財産分与をしなくちゃならないのです。そんな酔った勢いで結婚したのにと、裁判沙汰になるのですが、判決は6ヵ月間夫婦として同居することになります。定期的に精神分析医のもとを訪れる羽目にもなり、二人はいやいやながら同居生活を始めるのですが、と、なーんとなく結末が読めるようなお話が展開していきます。

キャメロン・ディアズとアシュトン・カッチャーというラブコメ実績のあるコンビによる一品です。監督のトム・ヴォーンは、でテレビを中心に活躍してきた人のようで、日本では初お目見えとなります。いわゆるシチュエーションコメディのジャンルに入るお話でして、300万ドルという大金を巡って、好きでもないのに同居することになっちゃう二人を笑いをたっぷり盛り込んで描いています。

ジャックは父の会社でもまじめに仕事しなくて、ついにクビになっちゃうダメ男。一方のジョイはその几帳面な性格から彼氏に振られてしまうキャリア・ウーマン。そんな二人がラスベガスで一夜のうちに盛り上がって結婚までしちゃうという設定がかなり変なんですが、そこんところを勢いで納得させちゃうあたりは主演二人の演技力なのでしょう。特にキャメロン・ディアズのメリハリのある演技が快調で、最後までそのテンポを落としません。

とりあえず同居を始めるのですが、お約束のいがみ合いがあって、そして、双方とも考えることは同じで、相手に浮気させて離婚時の財産分与を有利にしようというもの。お互いに美女と色男を用意して浮気の事実を作ろうとするのですがどちらも失敗、そんなこんなしてるうちにお互いのいいところが見えてきてしまいます。そして、何となくいい感じになるというお約束の展開。

というわけで、ストーリー的にはありがちで、演出もテンポよくまとめているという印象なのですが、結局、この二人、結婚してうまく行くのかしらと思ってしまうのもまた事実です。お互い、お金に執着が強いし、その為には手段を選ばないのですもの。ちょっと、関係がまずくなったら、また、相互にえげつないことやりそうな予感がぷんぷんです。まあ、そこまで考えることもないのでしょうけど、嫁さんの方6歳年上だし、ダンナ今一つ頼りないので、先行き不安なハッピーエンドではあります。

「最後の初恋」に野暮なツッコミは不要だけど、でも、どうかなー?

新作の「最後の初恋」を有楽町のサロンパス丸の内ルーブルで観てきました。サロンパスの看板劇場になってせいでサロンパス製品を劇場内で販売しているのですが、どれも安くないのですよ。お金払って劇場に来てるんですから、サロンパス製品は半額に負けてくれたらいいのに。

二人の子持ちの母エイドリアン(ダイアン・レイン)は別居中の夫が急に復縁を言い出したので、ちょっと動揺。友人の海辺のホテルで留守番を申し受けます。シーズンオフで予約も一人だけということでエイドリアンもお気楽な気分です。そこへ客としてやってきたのは、家を売り払った医師ポール(リチャード・ギア)です。一つ屋根の下、二人きりということで、何となくお互いの事を話し始める二人。ポールは医療ミスで裁判中で自分のミスで死なせた女性の夫から、手紙で呼び出されてこの地にやってきたのでした。そして、それを済ませて、息子のいるエクアドルへ向かう予定でした。エイドリアンは彼の境遇に同情し、ポールはエイドリアンに好意を持つようになっていました。そして、祭りの夜に二人は結ばれ、再会を約して二人は分かれました。別居中のまま、エイドリアンは家に戻り、ポールからの手紙に心ときめかせていました。

テレビ出身のジョージ・C・ウルフ監督の劇場デビュー作です。熟年カップルの恋の成り行きをストレートにラブストーリーとして描いていまして、観た感じはハーレクインロマンスってこんなのかなあという印象でした。いわゆるベタなラブストーリーというのでしょうか。主人公がどっちもいい年しているのが意外性でしょうか。ラスト近く、ラブレターのやりとりで盛り上がっちゃう二人には、同年代としては微笑ましいものがありました。

出だしは、別居中のダンナが子供を連れにくるところ、元は、ダンナとエイドリアンの親友ができちゃった結果の7ヶ月の別居でした。ところが、ダンナは急にヨリを戻そうと言い出すのですが、彼女にしてみたら急にそんなこと言われても、すぐにダンナを許せません。まあ、このダンナが子供の事を言い出して、子供のためにヨリを戻そうなんて言い出す、男としては、かなりサイテーな奴なんですが、子供を持ち出されると何だか心が揺れてしまう、よき母親のエイドリアンなのでした。それでも、一週間の予定で約束したホテルの留守番に行くことで回答を先延ばしにします。

このホテルが海辺というか、波が届くところの砂浜に建っているのが、なかなか魅力的というか、土台はどうなってんのかと思うような佇まい。ここで静かにこれからのことを考えようとしているところへやってくるのがポールです。最初は双方ともに悩み事持ち状態なので、相手のことを気にしてないのですが、食事を一緒にキッチンでとることで、なんとなく気分がなごみます。

ポールは自分が死なせた女性の夫に会いにいくのですが、その息子に門前払いを食らってしまって、お怒りモード。ホテルまで会いに来た女性の夫に「自分には手落ちがなかった」ことだけを言い張って、夫を傷つけ、そこに居合わせたエイドリアンも怒らせてしまいます。これが若造なら思いやりのなさも許容範囲なのですが、初老と言ってもいい大人がやると、ぐっと引けてしまいます。そして、その晩ハリケーンがやってきて、停電して風雨は窓を破って入ってきます。そんな、思わず唇を重ねる二人、という展開は出来過ぎですが、ベタなメロドラマではやむを得ないのかしら。そして、ハリケーンが去った後の祭りの夜、二人は結ばれるのでございました。(まあ、ベタな)



この先は結末に触れますのでご注意ください。



ポールは改めて患者の夫を訪ねて、その死についての謝罪をするのでした。そして、ポールはホテルを去り、息子のいるエクアドルの診療所へと向かいます。エイドリアンも家に帰って、あらためて夫に別れを告げます。最初は母親を非難する子供たちですが、それでも姉の方が母親への理解を示します。そして、エイドリアンはポールとの手紙のやり取りに生きる張りを取り戻していきます。また、この手紙が赤面ものというか、いい年してこんなやり取りを字に書いて伝えるものかという代物なんですが、まあ、そこがベタなメロドラマたる所以でもあります。

そして、いよいよポールがアメリカへ帰ってくる日が来ました。でも、彼は現れません、心穏やかでないエイドリアンのもとをポールの息子がやって来ます。そして、ポールが土砂崩れに飲まれて亡くなったことを伝えます。呆然とするエイドリアンはそのダメージで放心状態、何日も気が抜けたようになっている彼女を娘の言葉が救います。そして、改めて子供を連れてホテルを訪れ、海に向かって投げキッスをするエイドリアン、で、ジ、エンド。

キャストでは、リチャード・ギアが見た目かっこいい割りにキャラにいいところなくて、年相応の落ち着きが欲しいなと思ってしまいました。一方のダイアン・レインは年相応の老け具合でも、魅力的に見えました。きれいな人だなーって思いました。でも、お話としては、メロドラマの死別パターンとしてはそこそこの出来栄えで、ウルフ監督は、年長者の子供のような恋愛をうまくまとめ損ねた感がありました。とはいえ、何というかメロドラマの幕の内弁当みたいな映画でして、それなりの満腹感はありました。

出会いからして生活感がないのですが、そこが恋愛というよりはロマンスの香りが漂います。恋の舞台は海辺のホテルと砂浜ですもん。そのリアリティのなさにのめり込んで楽しむ映画なのでしょう。ツッコミ入れようと思えばいくらでも突っ込める(既にもう突っ込んじゃいましたが)のですが、それをしちゃうのは野暮なのかもしれません。邦題にしても、これは.......ないなあ。

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einhorn2233

Author:einhorn2233
Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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