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「イーグル・アイ」は敵方がむちゃくちゃ強い組織力で迫ります

今回は新作の「イーグル・アイ」を川崎チネチッタ1で観てきました。相変わらず傾斜が急で、かつ一番後ろがベストポジションという変な映画館。スクリーンをもう少し下げればいいのに。

ジェリー(シャイア・ラブーフ)はコピー店で働いているものの、家賃も払えない金欠病。また、双子の兄弟で優秀な成績で海軍に所属していたイーサンが自動車事故で亡くなり気分的にも元気出ません。そんなある日、自分の口座に大金が放り込まれているのを見てビックリ。アパートに帰れば、部屋の中が荷物で一杯、それも銃や軍用機マニュアルといったヤバそうなものばかり。そこへ電話がかかってきて女性が「30秒以内にそこを逃げないとFBIがくる」と言います。何のことかわからないうちに、ジェリーは踏み込んできたFBIに逮捕されてしまいます。その一方、子持ちのシングルマザーレイチェル(ミシェル・モナハン)は、息子が大統領の前で国家を演奏するというので、駅まで送りに行きます。その後、謎の女性から電話がかかり、指示に従わないと息子を殺すと脅してきます。この女性はジェリーやレイチェルをどこからか監視しているらしく、指示に従わないととんでもない手段で彼らを従わせにかかります。指示通り、レイチェルの運転する車に乗り込むジェリー、果たして彼らを動かしている女性とは何者なのでしょうか。そして、それにはイーサンの死がかかわっていたのです。

予告編を観た時は、謎の電話に指示されて、シャイア・ラブーフがその通りに動くという展開に、久々のサスペンスを期待しました。ただ監督が「ディスタービア」のD・J・カルーソで、前作では設定の面白さをサスペンスにつなぎきれなかった感があって、そこはちょっと心配でした。そして、本編を観てみれば、設定の面白さは十分なのですが、サスペンスを盛り上げきれない分を派手なアクションで埋めたという出来になっていました。基本設定は他の映画でも観たもので、新鮮味としてはイマイチなのですが、敵側のパワーがすごいので、主人公たちに勝ち目がなさそうなのがなかなかうまくできていると思いました。

オープニングは米国秘密軍事指揮室です。あるテロ容疑者を暗殺しようとしているのですが、どうやらそこは葬儀の場所らしく、また容疑者の識別精度もあまりよくありません。コンピュータは作戦中止を進言するのですが、大統領は国防省長官の作戦中止の意向をくつがえし、攻撃命令を出します。葬儀の最中、そこはアメリカ軍によって空爆されてしまいます。

そこから、話がまるで飛んでジェリーの日常が描かれるのですが、すぐに謎の電話がかかってきて、おかしなことが立て続けに起こります。FBIに逮捕されてからも、強引な方法で脱走させちゃいます。一方でレイチェルも電話に脅され、車を走らせジェリーを乗せて走り出します。パトカーが群れをなして追跡するのですが、車の行く方向の信号機が全て青になっちゃうなど、例の女性は並々ならぬパワーを持っています。また、彼らに接触してくる人間も出てきて、それも謎の女性の電話で脅迫されて動いていることがわかってきます。いわゆるサイバーテロ犯のすごいのに巻き込まれちゃったみたいです。このあたりの演出はアクションシーン中心で、怖さがあまり前面に出てこないのが、カルーソ監督らしさなのかしら。さて、謎の女性は、他に関わった人間が逆らうと、殺してしまうほど、非情なのですが、ジェリーとレイチェルに対しては指令は出すものの直接手は出さないのには理由があるようです、



この先は結末に触れていますので、ご注意ください。(未見の方はホントに読まない方がいいです)




謎の女性はジェリーをどうしても自分のところに連れてくる必要があったのです。それは、兄のイーサンが声で封印した作戦を再開させるためでした。彼女の正体は、イーグルアイと呼ばれる監視用のでっかいコンピュータだったのです。彼女は全ての監視カメラを操って、彼らを監視し、全てのコンピュータに入り込み、さらに人間を脅迫することで、アメリカを思うように動かすことができるのです。そして、彼女は、自分が中止させた作戦を実行させた政府高官を暗殺しようとしていました。兄のイーサンは彼女の監視役だったのですが、そのことを知って、暗殺計画を中止させたのですが、国のために抹殺計画を実行させようとする彼女は、イーサンを殺し、ジェリーの声を使ってその計画を再開させようとしているのでした。まあ、中止されている割には、暗殺計画そのものも進行させてるじゃんという突っ込みはあるものの、とにかく、ジェリーとレイチェルは国防総省の地下36階にある、彼女のいるフロアまで導かれ、ジェリーはイーサンが中止させた暗殺計画を再起動させてしまいます。

一方で並行して、彼ら二人を追うFBI捜査官トーマス(ビリー・ボブ・ソーントン)と、イーグルアイの秘密を知る空軍捜査官ゾーイ(ロザリオ・ドーソン)の動きが描かれます。それぞれが少しづつ情報を個別に持っていて、それを統合できないために、3者ともきちんとした動きが取れないのですが、ジェリーがトーマスに逮捕され、そこで、事の全貌が見えてきます。そして、今、暗殺対象とされている12人の政府高官がケネディセンターに集まっていました。そこで、レイチェルの息子たちが国家を演奏するのですが、その中に特殊な音波によって爆破するクリスタルが持ち込まれていたのです。一つはレイチェルの息子のトランペットの中、そして、レイチェルがイーグルアイの指示でつけさせられたネックレスに、仕込まれていたのです。クリスタルは国家演奏の最後の部分で爆発するようになっていました。

現場に急ぐトーマスとジェリー、そしてイーグルアイを停止させようとするゾーイたちが並行して描かれ、イーグルアイは無人爆撃機を操作してトーマスたちの車に攻撃を仕掛けてきます。ゾーイたちは、イーグルアイを停止させることには成功するものの、爆発の危機は迫っていました。トーマスは爆撃で死亡し、ジェリーが単身乗り込んで銃を発射して、間一髪、演奏を止めることに成功しました。

とまあ、でっかいコンピュータが怖ろしい事を企むというお話でした。イーグルアイは街角や店の中のカメラなどを全部押さえていて、ターゲットを思うように操ることができます。その怖さや強さは圧倒的なものがあるのですが、最後まで観てみると、何でこんなに手の込んだことをやったんだろうという疑問は残りました。無人爆撃機を追跡した軍用機のパイロットを非常脱出で空に放りなげることができるのだったら、この作戦の始動するもととなった確度の低いテロ犯暗殺も止められたのでないかと思わせますし。こんな手のこんだことを抜きにして、無人爆撃機で政府高官を一発でしとめることができたでしょうに。折角の怖さが、リアリティを欠いているように思います。

ホントにイーグルアイにこれだけの力があるのなら、行動にあいまいさを持つ人間なんか使わないでももっと確実な方法があったでしょうに、彼女がまるで映画の脚本家みたいなことを考えてるのが、なんかへんなの、っていう気分にさせます。アクションシーンはなかなか見応えのあるものでしたが、コンピュータが作戦計画するなら、もっと単純で確実な方法を選ぶでしょう。ジェリーの声が必要だとしても、もっと楽に連れてこられたのではないかしら。リアリティのある設定の怖さをストーリーをこねくり回して薄めてしまったという感じでした。前半はかなり期待したのですが。

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「その土曜日7時58分」はヘビーだけどエンタテイメントしてます

今回は新作の「その土曜日7時58分」を恵比寿ガーデンシネマ1で観てきました。ここはゆるい傾斜の劇場なのですが、スクリーン位置が高いので、割りと見やすい作りになっています。

アンディ(フィリップ・シーモア・ホフマン)とハンク(イーサン・ホーク)の兄弟はそれぞれ金に困っていました。そして、アンディはあるプランを提案します。それは彼らの両親が経営する宝石店に強盗に入るというものでした。実行はハンクで、店番だけがいる土曜日の朝を狙います。ところが、ビビったハンクが自分一人では無理だということで、ワルのボビーに相談をし、結局、ボビーが一人で店を襲うことになります。しかし、ボビーが店の女性に撃たれ、彼もまた女性を撃ちます。その時に店にいた女性は店番ではなく、彼らの母親だったのです。彼女は意識を回復しないまま二人の父親チャールズ(アルバート・フィニー)の決断で生命維持を止めます。チャールズは激高し、犯人への復讐を誓うのですが、アンディとハンクはそんな父親の前で平静を保つことができなくなっていきます。さらにアンディは会社の不正経理がばれ、ハンクはボビーの義兄から金をゆすられ、二人とも悪い方向へ身動きがとれなくなっていくのでした。

名匠シドニー・ルメット監督の久々の劇場映画です。物語はアンディ夫婦のセックスシーンから始まります。このアンディの奥さんがマリサ・トメイでしたが、このシーンがあったらからなのか、日本ではR18、いわゆる成人映画になってしまいました。とはいえ、成人映画なら、もっと見せろくらいの尺しかないのですが。しかし、リアルなセックスシーンから、この映画が生の人間に肉薄しようとしていることが見えてきます。この映画は、アンディ、ハンク、チャールズの各々の時間軸のドラマを並行して描いていきます。時制が遡ったり、先へ進んだりと交錯する構成になっていますが、ケリー・マスターソンの脚本と演出のうまさで、物語は淀むことなくラストへとなだれ込んでいきます。

観ていてわかることは、アンディは弱気なところがあること、そしてハンクは何をやらせてもダメな奴だということです。アンディはヤク中で、会社の金を横領しています。今回、会計監査が入るということで、是非とも直近の金を必要としていました。一方のハンクは離婚した妻と子供への養育費が滞納になっていて、妻にも子供にも見放されていました。負け犬のハンクも金を必要としていたのです。最初はアンディが思いついた強盗計画を、ハンクが単独実行する予定でした。郊外の小さな宝石店なら警備も不十分だし、そこそこの金と宝石が手に入るという算段でした。ところが実行の段になって、ハンクが怖気づき、ホンモノの悪党ボビーをまき込んだことで、全ての歯車が狂い始めます。ボビーはビビってるハンクを置いて、一人で店に入って行きますが、ところが店にいたのが母親で、かつ気丈にも彼女が先に発砲し、ボビーも本物の銃を持っていて撃ち返したことで、最悪の事態になります。ハンクはそれを見て、どうしていいかわからずに逃走します。結局、ボビーは死亡、母親は病院へと運ばれますが、息を吹きかえすことはありませんでした。

アンディはハンクからの失敗の電話を聞いて呆然としますが、とにかく、監査が入ると全てが終わってしまうので、何とか時間を稼ごうとしますが、強盗で死んだのが母親だと知ることになり、病院へと向かいます。チャールズは頑固そうな老人として登場します。そして、彼と二人の息子との間に何か確執があったと示唆されます。

アンディは、物腰がおだやかで、妻にも優しい言葉をかけるのですが、その一方で多くの秘密を抱えており、ストレスがかかると麻薬にたよざらるを得ない体になっていました。さらに、自分の両親の店に強盗に入ろうと思い立ったり、時として感情が爆発したり、いざとなると何をするかわからない怖さも持っていました。フィリップ・シーモア・ホフマンはこういう色々な側面を持った人間を控えめに、でも感情豊かに熱演していまして、彼の演技のおかげで、この悲劇のドツボ一直線の展開から目が離せなくなります。

一方のハンクは、何をやってもダメな男です。あれこれ考えた挙句、強盗に合意したのに、いざとなると一人じゃできない、失敗するとどうしていいかわからない、何とか事実を隠しとおすこともできそうにない、すごく意志が弱い男です。それだけでなく、強盗前に自分名義でレンタカーを借り出し、強盗当日は、ボビーの家に迎えに行って、彼の奥さんにも面が割れてしまいますし、やってることがすごく頭が悪い。確かに並の男が強盗するのですから、プロのようにスマートにはいかないのは仕方ないことなのですが、何だか自分で傷口を広げていくハンクはあまりにドン臭くて、哀れにも思えてしまうのです。でも、全然同情の余地がないところが、ハンクのダメさ加減の証明とも言えます。イーサン・ホークが一見して、ダメキャラとわかるハンクを好演していまして、そのドン臭さがかわいそうにも見えるように演じているのが見事でした。父親から偏愛されているのが何となくわかりましたもの。

父親のチャールズは、どうやら兄のアンディよりも、弟のハンクをかわいがっていたようで、そのことにアンディは不満でした。チャールズは事件後、何度も警察に捜査状況を聞きにいくのですが、それらしい進展がないことを知ると、自分で共犯の男を捜し出そうとします。アルバート・フィニーは、怒りとそれをこらえる演技で、チャールズの強烈な意志を見せます。

この映画はこの3人を中心に人間の奥底をえぐりだすような展開を見せます。それは、心地よいものではありませんが、目を離さずにいられない説得力と見応えがあり、濃いコーヒーを飲むような、苦味とコクがあります。



この先は結末に触れますのでご注意ください。




そして、アンディの横領が会社に露見し、ハンクは脅迫されて、お互い身動きが取れなくなってきます。一方、チャールズは宝石の故売屋を訪ね、最近何かあったか聞き出そうとしますが、そこで、アンディの名刺を見せられ、愕然とします。そして、チャールズはアンディを尾行します。そのアンディは、ハンクの窮状を知り、何かを思い立ったように動き出します。一緒について行くハンクには、もう何がなんだかわからなくなっています。二人は、麻薬の売人を訪れ、アンディはそこにいた客と売人を射殺し、金と麻薬を奪います。ハンクが殺さなくてもいいのにと言っても、一度火がついたアンディは止まりません。今度は、ボビーの妻とその兄のところへ行き、アンディが兄を射殺します。あまりのことに、そこで、ハンクとアンディが言い争いになっているすきに、ボビーの妻がアンディを撃ち、なす術のないハンクはその場を逃げ去ります。尾行していたチャールズは、ハンクを見失い、救急車で運ばれるアンディを見つけ、病院まで尾行します。

重傷ながら病院の個室に横たわるアンディのもとをチャールズが訪れます。謝罪するアンディにもういいというチャールズ。そして、チャールズはアンディに枕を押し付けて窒息死させ、その場を去ります。どうして、話が悪い方法へ行くのか、その最悪のところで映画は終わります。果たして、チャールズは、ベッドにいたのがハンクだったとしても、殺したのでしょうか。ハンクはどうなったのでしょうか。色々なことを考えさせる映画ですが、すべてを突き放したように終わる演出が悲しみに満ちた余韻を残します。しかし、ドラマは最初から最後まで、目を離せない展開で、エンタテイメントとしてもきっちり成り立っているというのが、ルメットのうまさかもしれません。

音楽を担当したのは、カーター・バーウェルですが、ドラマをストレートに描写する音楽をこういうドラマにしては、かなりたくさん書いており、エモーショナルな部分をきっちりと音でも表現しているのが、ちょっと古風な音作りに思えました。

この映画の主要人物にもう一人、アンディの妻ジーナがいます。アンディから疎外感を感じ、ハンクと週1の密会をし、結局は、アンディについていけなくて、実家へ帰ることになります。マリサ・トメイがあまり聡明でない女性をリアルに演じて、ドラマを支えました。彼女が実家に帰る段になって、タクシー代がなくて、アンディにもらうところが、何だか切なくて印象的でした。

「アイズ」は秋口ひっそり公開のホラーとしては及第点

今回は久々に新作「アイズ」を109川崎シネマズ9で観てきました。ちっちゃい劇場のくせに、ど真ん中横2列が特別席ってのは、なーんか納得いかんというか、でも川崎で「アイズ」やってるのがここしかないので。それにしても、この映画の宣伝文句「悲しみと感動のスピリチュアルスリラー」って胡散臭すぎではないかしら、スピリチュアルってなんやねん。

5歳の時、事故で視力を失ったシドニー(ジェシカ・アルバ)は今はバイオリニストとして日々頑張っています。そんな彼女が角膜移植手術を受けます。手術は成功ですが、最初のうちはまだ視界がぼやけています。夜になって隣のベッドの老婦人のところに誰かがやってきて彼女を連れ出そうとします。それを追いかけたシドニーは不気味な表情の影を目撃し、老婦人が姿を消してしまいます。翌朝、彼女が目を覚ますと隣のベッドは空で、老婦人は昨夜亡くなったと知ります。それから、病院を退院してからも、彼女は現実にはないものが見え始めます。部屋の景色が突如変わったり、火の海を見たり、死んだ人間が見えるようになり、彼女はだんだん追い詰められていきます。角膜手術のアフターケアのための精神科医ポール(アレッサンドロ・ニヴォラ)はシドニーの言うことを信用してくれません。さらに、色々なものが見えるので、部屋にこもりっきりになるシドニー。彼女が鏡を見るとそこには別の顔がありました。そして、彼女がたどり着いたのが細胞記憶という臓器移植によって提供者の性格や記憶が移ることでした。そして、彼女は角膜の提供者を探し始めるのですが......。

タイのオキサイト&ダニーのパン兄弟が監督した「the eye アイ」というホラーをハリウッドがリメイクしました。どういうわけか監督がこっちも二人でフランス出身で「THEM ゼム」というホラーを手がけたダヴィド・モローとサヴィエ・パリュがメガホンを取りました。いわゆる、怪談に属するお話なのでして、ラスト近くまで、どーだ怖いだろうというお話になっています。こういうホラーは嫌いではないので、トータルとしましては結構楽しめました。

ホラー映画らしい仕掛けは、他の人に見えないものがヒロインには見えてしまうということ。これは、非常につらいことです。視覚というものはあくまで本人の文字通り主観であり、その体験を誰かと共有できないことで、孤立してしまうのですから。そんなヒロインをジェシカ・アルバは熱演しているのですが、あまり目が不自由な感じがしないのは、見えないことより見えることが主体の映画だからかしら。この映画には死んだ人が彼女の前に幽霊として現れるのですが、どこかウェットな感じのする日本の幽霊に比べると、かなりドライな印象を受けます。予感も余韻もないって感じなのです。特に前半は幽霊とか、死人をあの世に連れ去る死神とかが、やたらとビックリ演出でどっかーんと登場するので、ちょっと心臓に悪い展開になっています。ひらたく言うとクドいってことなんですが、観客の呼吸に合わせないショック演出の多様はやっぱり若い監督なのかなーって気がしました。

この映画は結末に向けて、一応論理的な(超自然現象を前提として)展開をするのですが、シドニーが目にするものの幾つかは、何でそんなものが見えるの?と納得いかないものもあります。ヒロインを追い詰める手段としては有効かもしれませんが、手当たり次第に色々なものが見えるヒロインと、その原因となっている角膜の提供者の関係をきっちりまとめようとしている後半の展開とは、整合性がとれていません。前半でお話をとっ散らかしたせいで、ラストのインパクトが弱くなったようなのが残念です。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



最初は全然シドニーの言うことを信じていなかったポールですが、彼女の様子を見かねたのか、それとも下心が出たのか、門外不出の角膜提供者の情報を手に入れてくれます。どうやら、提供者はメキシコの女性だとか。そこで二人はメキシコのとある町に向かい、存命である母親に会うことができます。(これがお懐かしいレイチェル・ティコティン)彼女の顔の半分は火傷でつぶれていました。彼女の娘アンナは死神が見え、死人が出そうな家がわかったと言うのです。そんな彼女は住民から魔女呼ばわりされていました。ある夜、アンナは母の仕事場である工場が火事になるのを察知して、工場に駆け込むのですが、魔女呼ばわりされて追い返され、その直後に工場が爆発炎上、魔女とののしられ、家にも石を投げられ絶望した彼女は首を吊って自殺しました。つまり、シドニーに死神や死人が見えるのは、アンナの能力を継承したからなのです。

シドニーはアンナの部屋で一人になって彼女に語りかけます。部屋の景色が変わり炎の海が見えます。そして、地下室の物音に気付いたシドニーが地下へ降りると、アンナが自殺しているところでした。彼女はロープを釣っているパイプを叩き壊して何とか彼女を救おうとするのですが、間に合わず、アンナは「みんなを助けたかった」という言葉を残して息を引き取ります。これで全てが終わったと二人はアメリカ国境へ車を走らせるのですが、国境封鎖されていました。そして、シドニーには多くの死神があたりをうろうろしているのが見えました。その時、彼女は自分が見た炎の海の意味を理解したのです。ここで爆発事故が起きて多くの人が亡くなるということを。

アンナはこの事故をシドニーに見せて「みんなを助けてくれ」というメッセージを送っていたのです。シドニーとポールは自分の前のバスに乗り込んで、爆弾がしかけられていると言って、みんなを避難させようとします。とまっている車にも爆弾があると伝えて、全員が車の列から離れるように指示します。最後に取り残された女の子を助けだした時、暴走車がタンクローリーを直撃、大爆発を起こします。その時、ガラスの破片を目に受けてしまうシドニー。彼女は盲目に戻ってしまうのですが、オーケストラをバックにバイオリンを演奏しているシドニーの姿がありました。

シドニーの見ている映像に、アンナの能力を引き継いだ映像(死神、幽霊)と、アンナが彼女に知らせようとしている映像(未来の事故)の二つ存在したというのが、ちょっとわかりにくい展開になりました。ラストはそれなりに盛り上がる見せ場になっていますが、これもそれまでの布石がわかりにくいので唐突な印象になってしまいました。やはり、前半のショック演出の連打が、お話のメインストーリーをわかりにくくさせてしまったのか、それともラストの仕掛けは後からとってつけたのか。ショックシーンに大爆発とにぎやかに見せ場をつないでいるのですが、総合してはまあまあの出来に仕上がっているのが残念です。ただ、この類の映画を映画館で観られるのはうれしい話です。劇場で観たことでこの映画の点数がずいぶん上がりましたもの。

ジェシカ・アルバは孤立したヒロインを熱演していますが、タフ系現代女性のキャラが持ち味だけに、運命に虐げられるのには不似合いかなって気もしてしまいました。秋の正月映画の前はこういう作品がさらっと公開されてしまうので、チェックが必要です

「落下の王国」はちょっといい話に圧倒的な風景描写

東京では先行公開されている「落下の王国」を横浜シネマジャックで観てきました。東京公開から結構日時が経っているのですが、ロードショー料金なのはどーなのって感じちょっとして。

とある病院で、木から落ちて腕を骨折した5歳の女の子アレクサンドラ(カティンカ・アントルー)は、小児病棟でじっとしてるのが嫌いで病院のあちこちを歩き回って、寝たきりでいる青年ロニー(リー・ペイス)と知り合いになります。ロニーは彼女に冒険の物語を聞かせてくれます。スペイン総督オウディアス
への復讐心に燃える6人の男たちのお話です。弟を殺された元山賊、妻を殺されたインド人、爆破得意のルイジ、ダーウィン、元奴隷、霊者の6人が世界を渡って、オウディアスのもとを目指します。でも、ロニーはお話のいい所で切り上げてしまうので、アレクサンドラは毎日彼の病室を訪れるようになります。するとロニーは彼女に病院の本館からモルヒネを持ってくるよう頼むのです。アレクサンドラは薬品棚からモルヒネを見つけ出しロニーのもとへ持っていきます。でも、彼女にはモルヒネがどういうもので、ロニーが何をしようとしているのか、まるで知らなかったのです。

CM監督として有名な「ザ・セル」のターセムの劇場映画第二作です。青年の語る冒険物語のために世界中をロケーションして、幻想的で、スケールの大きな映像が見ものになっています。映画の中で語られる物語という二重構造の中で、現実と物語が交錯していきます。

アレクサンドラはロニーの語る物語に魅せられていきます。元山賊が彼女の亡き父親の顔をしていたからかもしれません。それとも、彼らは立ち塞がる事件を次々と快調に解決していくところが、女の子には魅力だったのかもしれません。先を聞きたくて仕方ない彼女にロニーは、モルヒネをこっそり持ってきてくれと頼みます、話の続きはそれからということにして。アレクサンドラはそういうお話をするロニーに好意を抱くようになっていましたから、彼のために訳もわからずにモルヒネを持っていきます。でも、モルヒネの末尾のEを3と読んで、3錠しか持って行きませんでした。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



もともとロニーは、映画のスタントマンでしたが、失恋のショックから、スタントで無茶をして橋から転落したのです。自暴自棄になっていた彼は、死ぬためのモルヒネを手に入れようとしていたのです。今度は筋向いの患者のロッカーにあるモルヒネを持ってこさせます。それを飲んでまたお話が始まります。6人は奴隷たちの引く山車を襲撃して、奴隷たちを解放し、山車の中にいたエブリン姫を連れ出し、山賊の住処へと向かいます。山賊の顔はいつの間にかロニーに変わっていました。山賊と姫はお互いを愛し合うようになり、結婚式を執り行うのですが、式の司祭が総督に通じていたため、彼ら全員が捕らえられ、灼熱の砂漠に鎖でつながれてしまいます。しかし、ダーウィンの飼っていたサルと、仮面の女の子が窮地の6人を救います。女の子はアレクサンダーでした。そんなお話の中で、ロニーは眠りについてしまうのでした。

今度こそ死ねると思ったロニーでしたが、それはモルヒネではなく砂糖でした。目覚めて大暴れのロニーは看護師たちに取り押さえられます。彼女はもう一度お話を聞きたいと思い、薬品棚のモルヒネを取ろうとしたのですが、背伸びしたときにバランスを崩して、棚から落ちてしまいます。目を覚ましたアレクサンドラの前にやつれた顔のロニーがいました。彼は自分がモルヒネを取ってきてもらうために彼女を気を引こうとして、あんなお話をしたんだと謝るのですが、アレクサンドラにはそんなことより、お話が続きが気になって仕方ありませんでした。

6人はとうとう総督のいる城にたどりつきました。しかし、そこには黒鎧兵が山のように立ちはだかり6人の中で一人また一人と殺されてしまいます。死を望み自暴自棄になっているロイにはハッピーエンドの物語は語れないと言います。そんなお話いやだと泣きじゃくるアレクサンドラ、泣き崩れるロイ。最後に生き残った山賊も、総督の前に、プールの底へ沈んでいきます。しかし、アレクサンドラの叫びに答えるように、水の底からよみがえるロイ。そして、物語はハッピーエンドを迎えることになります。

ロイの精神状態と物語がシンクロすることで、ロイにとっては立ち直るきっかけとなり、アレクサンドラには至福の時を与えるのです。絶望の底にいてモルヒネを欲しがっていたときのロイの物語は大した苦難もなくとんとん拍子に進むのですが、後半で後悔と絶望の底に追い込まれた彼の物語はリアルでそして悲惨です。でも、アレクサンドリアにはその絶望をはね返す力があったのです。それに彼女はロイが大好きだからです。病院で映画のスタントシーンを観て楽しそうなアレクサンドラ、だってスタントをしてるのはみんなロイだから。ドラマチックなクライマックスに比べて微笑ましいラストが暖かい余韻を残しました。

このアレクサンドラを演じたカティンカ・アンタルーが5歳なのに見事な演技を見せました。太めで美人じゃないけど、人としての魅力を感じさせるキャラクターになっており、後半の盛り上げにもきちんとついてきていました。ターセム監督の演出の妙かもしれませんが、大熱演という感じでしたもの。

ロイのお話は虚構の産物でしたけど、最後にはロイとアレクサンドラの心の共有物となりました。そして、映画も虚構なのだけど、アレクサンドラにとっては、ロイそのものだというのはちょっといい話だなーと思う一方、圧倒的な視覚描写は虚構と本物を見事に重ね合わせるのに成功していました。

「緑の海平線」は身近でも知らないことがあったんだと意外に感じまして

東京では、先行公開されているらしい「緑の海平線」を横浜シネマジャックで観てきました。上映の後、プロデューサーの藤田修平氏の挨拶があり、監督の郭亮吟共々、30代だと知ってびっくり。質疑応答で台湾人の方が挙手され、映画で語られなかった事実も知ることができました。知らないことがまだまだあるなあって実感させられます。

大東亜戦争中の1943年、日本政府は台湾の少年達を日本に送り込み、勉強をさせながら飛行機工場で働かせる計画を実行に移しました。もう50年近く日本の領土となっていた台湾では、日本語が公用語となっており、日本のことを本土と呼んでいました。多くの少年、小学校の卒業生や高等小学校の生徒たちに志願を募り、6700名の台湾の少年達が日本へとやってきたのです。神奈川県の鶴間に彼らの宿舎がありました。そして、彼らは全国の飛行機工場へと移され、技術工としても現場で腕を磨くことになります。しかし、日本の敗戦とともに、彼らは見捨てられて、また元の宿舎のある鶴間へと集まってきます。彼らは自治会を作って日本やアメリカとの交渉を行い、1945年12月から彼らの台湾への帰還が始まります。一方で日本に留まったり、台湾の政情不安から日本へ戻ってくるものもいました。しかし、彼らの存在は日台両国の間であまり知られることがなかったそうです。

監督の郭亮吟(女性だそうです)は自分の祖父の記録映画を撮っているときに、この台湾少年工の話を聞いて、この映画を撮ろうと思い立ったのだそうです。そして、元台湾少年工だった人やそこに関わった日本人へのインタビューを中心に、合間に当時のフィルムが挿入されるという構成になっています。大東亜戦争当時、台湾は日本の領土であり、(日本の)お国のために、奉公しようというキャッチフレーズの台湾の少年たちが日本に連れてこられたのだそうです。日本のために何かやろうという少年もいましたし、貧乏だったから仕方なくという少年もいました。当時の台湾の公務員よりも高い日当がもらえたそうで、それはかなり魅力的だったのかもしれません。しかし、まだ13歳くらいの子供ですから、海を渡ってまでのご奉公にみんながみんな志願したわけではないそうです。

最初の台湾少年工たちが、神奈川県大和市にきたときは、宿舎しかなく、工場はまだ出来上がっていませんでした。最初の頃は、軍事教練ばかり、工場ができてからは、これまた厳しい技術訓練の後、彼らは各地の飛行機工場へと技術者として送られていきます。実際、少年工たちは愛国心を鼓舞され、お国の為にご奉公するのだと者もたくさんいたようです。しかし、戦局は悪化し、本土の各地が空襲を受けることになり、軍事工場はその標的となりました。少年工の中にも爆撃の犠牲者が出てきます。彼らは工場で頑張る一方、飛行機の機材が不足している中、思うような数の飛行機を作れない状況になります。そんな中での終戦、少年工の中には、希望を失い呆然とする者、台湾へ戻れるのを喜ぶ者と反応は様々でした。そして、各地に散らばっていた少年工たちも、大和市の宿舎へと戻ってきたのですが、彼らは行き場も仕事も失っていました。そこまでの状況について、日本人の元教官や元将校もインタビューされているのですが、何か核心をはずしたようなところがあります。わざとそういう編集をしているのかもしれませんが。

そして、彼らは自治会を作って、日本やアメリカとの交渉を始めます。日本の敗戦の結果、彼らは戦勝国の国民となり、宿舎には中華民国の旗があげられました。1945年の12月から、少年工たちの台湾への帰国が順次行われましたが、自分の意思で日本に留まるものもいました。留まった者はいわゆる第三国人の扱いになり、ヤミ屋で財を築こうとした者も少なくありませんでした。台湾に戻った少年たちの待っている運命も過酷なものでした。中国から逃れてきた蒋介石政権は北京語を国語とする教育を行い、知識層への弾圧もありますた。大陸は渡れば、台湾と日本の両方にいたころから糾弾され、台湾にいても北京語が話せないことで仕事につけない。(彼らの言葉は台湾語と日本語だったのです。)そんな状況下で日本へと再度渡ってくる者、英語を身につけてアメリカ関係の仕事につく者もいました。この映画では、昔を語ってくれる何人かも元台湾少年工にインタビューしているので、そういう人間が多数いたのか、稀な存在だったのかははっきりとしないのが今一つでしたが、歴史を客観視しても、彼らが相当過酷な運命にさらされていたのは確かなようです。

少年工が帰国の際に教官と泣いて別れたエピソードや、教官へ残した心のこもった手紙も登場します。ああ、それでも、彼らと日本人の間は良好な関係だったんだなあって思ったのですが、上映後のプロデューサーとの質疑応答で、台湾人の老人(彼は少年工ではなかったそうですが)が、横浜の中華街にも何人か元少年工がいるのですが、彼らは昔のことはあまり語らない。聞いた内容も何かあるたびに、木の棒でお尻を叩かれたといったものでした。ここは、「陸に上がった軍艦」でも出てきた海軍の精神注入棒と同じでした。結局、軍隊の文化は軍事工場にも反映されているんだろうなって納得してしまいました。日本でもそういう辛い目に遭っているというところが、映画ではサラリと流してしまっていました。ただ、この映画全体が非常に淡々とした語り口になっていまして、誰かを非難するような内容になっていないので、そこは匂わせるに留めたのかもしれません。

映画の後のプロデューサー藤田氏の挨拶があり、この映画が台湾の若い観客を集めたとのこと、また、今の台湾では、若い人は北京語、老人は台湾語と日本語を使うので、世代間に壁があるということでした。同じ言葉で語れる日本人は幸せなのかもしれません。シネマジャックのお客さんは年配者が多く、若い人はいませんでした。でも、舞台挨拶と質疑応答が成り立つくらいのお客さんが入っていたのはよかったと思います。多分、30代だというプロデューサーが一番若かったのではないかしら。

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einhorn2233

Author:einhorn2233
Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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