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「地球が静止する日」情に逃げるのはやめにしましょうよ

2008年の大晦日、映画の見納めということで、静岡オリオン座で「地球の静止する日」を観て来ました。静岡のシネコンじゃない最大の劇場です。シネコンの方が設備がよくても、シネコンと一線を画す映画館として生き残って欲しいです。日比谷スカラ座みたいに、作りそのものがシネコンと同じになっちゃうってのは、映画館をハレの場であると思っているオヤジには、やはり残念なものです。収容人数の多い少ないに関係なく、シネコン、ミニシアターとは一線を画す映画館というものがやっぱりあるんですよ。

地球に迫る謎の飛行物体、生物学者のヘレン(ジェニファー・コネリー)も政府の非常招集で他の科学者たちと一緒に呼び出されます。その飛行物体は地球に衝突するかと思いきや、減速してセントラルパークへ軟着陸します。そして、そこから現れた謎の生物、一発の銃弾が響き、生物は病院で手術されることとなります。すると、ビックリ、生物の表面の粘膜を一皮剥いたら人間の姿が、彼は目を覚まし、自分をクラトゥ(キアヌー・リーブス)と名乗ります。国務長官(キャシー・ベイツ)の指揮下、監禁状態にされるクラトゥは不思議な能力を使って脱出、ヘレンに協力を求めます。一方、謎の球体が世界各地に現れ、世界は大混乱になります。クラトゥは、人類が地球にとっての脅威であり、地球上から人類を排除するために現れたといいます。ヘレンはそれに気付いている、まだやり直せると訴えますが、その計画は実行に移されてしまいます。次々と破壊され廃墟と化していく人間の文明、果たして、ヘレンはクラトゥを説得し、人類の排除を止めることができるのか。

滅多にフツーの人を演じたことがないキアヌー・リーブスがやっぱりフツーじゃない宇宙人を演じているSF映画です。これは1951年のロバート・ワイズ監督「地球が静止する日」のリメイクなのだそうです。ホラー映画「エミリー・ローズ」で人物描写に巧みなところを見せたスコット・デリクソンが監督しています。オリジナルは友好的な宇宙人が、地球上の無益な戦争をやめるように警告に来る話だそうで、当時の東西の冷戦状態を踏まえた映画になっていたようです。新作は、人類の環境破壊を題材に、地球の敵となった人類を排除するためにやってきた宇宙人という設定に変わっています。この題材は、1970年代の世紀末的ペシミスティックSF「地球爆破作戦」「ノストラダムスの大予言」を思わせるものがあり、一方で、現代的な視点からの「不都合な事実」を寓話化したものと申せましょう。

主演のキアヌ・リーブスは演技力の有無がわかりにくい役柄をラストでヒロイックな行動をとる説得力を見せましたので、なかなかの力演だったのでしょう。また、ヒロインのジェニファー・コネリーは演技的な見せ場がなかったのですが、物語全体の狂言回し的な存在としてドラマを支え、キャシー・ベイツは最終的にこの映画の中で人類全体を一人で背負い込む役どころを熱演しています。意外なところで、ジョン・グリースが人類の知性を代表する役柄で少ない出番ながら印象的な演技を見せてます。ディッカーソンの演出はこれらの演技陣をきちんと奥行きを持ったキャラとして描くことに成功しており、大仕掛けな映画ですが、大味にならなかったことは評価できると思います。



この先は、結末に触れ、かなりけなしていますのでご注意ください。



クラトゥはヘレンとその義理の息子ジェイコブと行動をともにします。地球を滅ぼしにきた宇宙人として、敵対心を顕わにし、政府機関へタレこんだりするジェイコブの幼さ、地球人が幼い存在だという暗喩のようです。クラトゥはヘレンやジェイコブとのやり取りの中で、地球人の中に何かを見出したようです。その何かは、彼の心(あるのか?)を動かし、回り始めた人類排除計画を自分を犠牲にして停止させようとするのです。そして、彼により、人類排除計画は中止され、謎の球体は宇宙へと帰っていくのでした。で、地球の危機は去ったことになるのですが、この経緯はアメリカの国家機密として闇に葬られることが示唆されるエンディングです。これじゃ、人類は何も変わらないし、クラトゥのヒロイックな行動も何の意味も持たないということになります。オリジナルは国連に戦争の停止を訴えるというものでしたが、これでは、人類におきた天変地異でしかなく、そこにあるメッセージは人類の誰にも届かないということになります。

そもそも、この話の発端である「地球が生き残るためには、人類を排除しなければならない」という基本設定に対して、人類はどうしなくちゃいけないのかというのは、この映画のテーマであるべきはずです。そこのところを、この映画はどうしたかというと、「情に訴える」ということで、問題と直面することを避けてしまったのです。こういう問題をマジメに考えるなら、やはり、人間の「理性」こそがその解になって欲しいと思うのですよ。人間という種の存在意義を問うときに、人間の中でしか通用しない「人情」に逃げ込むのは、人間が一番だという傲慢さが見えます。

いやー、そう言っても、我々は人間だから、やっぱり人間のひいきしちゃうよねえ、って理屈は人間の中ではありなんですが、それにクラトゥまでが、へこたれちゃってもらっては困るのですよ。そこんとこは、ここまで「人間」って書いてきたのを「アメリカ人」って置き換えると明快になると思います。つまり、情に訴えて、「人類の地球破壊をもうちょっと見ぬふりしてくんない?」というのは、「アメリカのイラク爆撃や利権誘導をもうちょっと許してね、アメリカ人にもいい人いるんだから」というのと同じなんです。情に訴えるというのは、メディア操作、プロパガンダ方法としては、一番よく使われる方法ではあるんですが、それをうまいことやってるアメリカでこういう映画が作られちゃうと、やっぱりなあというか、反感感じちゃうのですよ。

というわけで、2008年はこれが最後の書き込みとなりますが、更新さぼっているにもかかわらずブログ覗いて下さった方、どうもありがとうございます。また来年もよろしくお願い致します。しかし、最近、映画けなしてばっかだなあ。

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「デス・レース」は面白い、これは拾い物です。

新作の「デス・レース」を川崎チネチッタ3で観てきました。前作に続いてまたも小さなスクリーンでちょっとがっかり。

近未来、世界は犯罪が多発し、刑務所の数も足りなくなって、民営化されるようになりました。で、お金儲けに走ったターミナルアイランド刑務所では、武装したゴツイ車のカーレースを行って、ペイ・パー・ビューで世界に配信していました。そんなところへ送り込まれてきたのは、妻殺しの濡れ衣を着せられて有罪になった元レーサーのエイムズ(ジェイソン・ステイサム)です。彼は所長(ジョアン・アレン)に呼び出され、前回のレースで爆死したフランケンシュタインに成りすまし、レースに出ろと持ちかけられます。一回レースに勝てば釈放してやると無理やり彼をレースに参戦させるのです。フランケンのメカニックであったコーチ(イアン・マクシェーン)が彼にマシンを提供します。そして、3日に渡る死のレースがついにその火蓋を切るのでした。

1970年代にロジャー・コーマンが製作した「デスレース2000年」のリメイクなのだそうです。オリジナルは私も観たのですが、ドライバーはカリスマ的な存在になっていて、レースのルールは人をひき殺すとポイントゲットというものでした。B級っぽさ満載でおねえちゃんの裸のちょっとだけ出るなど、安いエンタテイメントとしてはよくできた映画でした。今回のリメイク版にもロジャー・コーマンが製作に参加しているのですが、こっちは予算たっぷりのアクションに仕上がっています。ただ、人をひいてナンボの設定はなくなり、囚人たちのレースということになって、オリジナルの風刺性は弱まっていますが、民間刑務所の金儲けのためのレースというのが、今風な味付けになっています。これは、アメリカの新自由主義に対するアンチテーゼなのだ、という難しい話はなしで、カーアクション中心の娯楽映画に仕上がっています。全編がほとんどレースシーンなので、退屈する暇もなく、100分余があっという間に過ぎてしまいます。

オープニングはまだフランケンシュタインが生きてる最後のレース。とにかく機関銃やらロケット弾やら様々な武器でお互いに攻撃しあうのですから、車自体もそうとうな防御システムがついてて、それが刑務所内を走りまわるのですから、それはもう重量感あふれるものです。とにかく、徹底して見せることに重点を置いた演出が決まっています。監督は「イベント・ホライズン」「バイオ・ハザード」など怪作SFで有名なポール・W・S・アンダーソンでして、この映画もある意味SFと言えないこともなく、ハッタリと見せ場をたっぷり盛り込んで、徹底して頭使わないで楽しめるエンタテイメントに仕上げています。レースシーンにかなりの尺を取っていながら、退屈させないのは見事な演出と申せましょう。武器や防御を使うためには、そのマークの上を通らないといけないなど、ただのレースにゲームのルールを持ち込んでいるのが面白かったです。



この先は結末に触れますのでご注意ください(オリジナルほどぶっ飛んではいません。)



エイムズは自分の妻を殺してその罪を着せた張本人が所長であることを知ります。死んだフランケンシュタインの代わりが欲しくて、こんな手間のかかることをしたらしいのです。ジョアン・アレンが鉄面皮の女所長を余裕の貫禄で演じきっていまして、エイムズはレースに出場するということで、首根っこを押さえている所長が断然有利なのです。そして、所長はわざとシステムをオフにして、エイムズに武器や防御を使わせないような嫌がらせをします。そして、巨大武装トレーラーをレースの中に持ち込んでレースカーにむちゃくちゃな攻撃をしかけたりもします。この状況下でエイムズは所長に一矢報いることができるのかというのが、後半の見所となります。

所長は3日目のレースの前にエイムズの車に爆弾を仕掛けます。要は視聴率をとって稼いでくれた後、エイムズには派手に事故死していただくという算段だったのです。3日目は、出場選手のほとんどが死亡。エイムズ=フランケンシュタインとマシンガンジョーの一騎打ちとなります。所長はシステムを思うように操って、エイムズに不利なレースを展開させます。しかし、エイムズは、その前夜マシンガンジョーと打ち合わせてある作戦を立てていたのです。マシンガンジョーの発射したミサイルはエイムズの車の上を通過して、刑務所の壁をぶち破ります。その破れたところから、外へ走り抜けたエイムズとマシンガンジョーはまんまと脱獄してしまいます。ちょっと、無理あり設定でもそこまでの展開から、このシーンはカタルシスを十分に与えてくれます。さらに、エイムズの車にあった爆弾はコーチが見つけて外しておいたのです。その爆弾は、所長への贈り物として届けられ、ふたを開けたところで、所長も見事に爆死します。

人が死ぬ描写も結構エグイものがありますし、とにかく殺しの連続の映画なんですが、陰にこもらない演出のせいか、コミカルにも見えてきます。全編に渡って、やったれやったれという映画なんですが、そこの盛り上げが大変うまくて、細かいところを気にしないで楽しむことができます。観る人によっては、殺し合いだけの映画に映るかもしれませんが、私なんかはかなり楽しんでしまいました。オリジナルよりも、描写も演出も上出来でした。これはいわゆる拾いものかも。

「ブラインドネス」って、やな映画なりの見応えはあります

新作の「ブラインドネス」を川崎チネチッタ3で観てきました。ここも、後ろ側がベストポジションになる段差が急な映画館で、前に座ると画面をドカンと見上げることになります。

ある日、車を運転していた男(伊勢谷友介)が視力を失い、交差点のど真ん中に立ち往生してしまいます。彼の妻(木村好乃)が医者(マーク・ラファロ)のところへ連れていきますが、見た目は正常で、何が原因なのかわかりません。と、そのうちに、医者の目が見えなくなってしまいます。街には、その病気が蔓延し始め、どうやら伝染性のものとわかってくると、政府は増え続ける患者を隔離しようとします。患者は強制的に収容施設に送り込まれてしまいます。医者もその例外ではありませんでした。彼が連れていかれるときにその妻も盲目のふりをして、一緒にかつて精神病院だったという施設についていきます。そこは、盲目の人間だけで、外部からは食料が送られてくるだけ、でかい門の上に監視塔があり、銃で武装した兵士が彼らを見張っているのでした。次々に病棟に送られてくる患者。医者が中心となって、そのコミュニテイを人間として暮らせるように改善していくのですが、その中の一人が銃を持って、全体を王のように統治し始めたのです。

予告編を観たときは、昔のSF映画「地球SOS」を思い出したのですが、こっちは何やらマジメな映画らしいので、どうしようかなーって思っていたのですが、「シティ・オブ・ゴッド」「ナイロビの蜂」のフェルナンド・メイレレスが監督ということで食指が動きました。

映画はのっけから、ある男が盲目になってしまいます。視界が真っ暗になるのではなく、真っ白になってしまうというもので、恐ろしいことにそれは伝染性を持っていたのです。と、こんな感じになるのですが、実際には、この映画で、盲目になる原因については描かれていません。発病の仕方が感染らしいということだけで、それ以上は語られません。政府が行ったことは、患者を隔離するだけで、その後、治療も何も行われません。その設定からして、寓意的であり、舞台劇を思わせる閉塞された空間で物語は展開します。

まず、最初に収容施設に送られてきた医者夫婦や日本人夫婦などは、理性をもって、お互い助け合おうとします。病棟間やトイレまでのロープを張ったり、配給される食糧を分けてそれなりの生活空間を作って、それを後からきた連中と共用しようとするのです。しかし、人数が増えてくると、その中で銃を持った男が自分の病棟が食料を独占し、他の病棟の連中には、金目のものと交換と言い出します。目の見えない人間の集まりの中で、彼の言葉に逆らうことはできません。金目のものが尽きると、今度は他の病棟から女を差し出せ、それと食料と交換だと言う事になり、医者の妻や日本人の妻も最終的に自らの判断で、その病棟の男たちに体を差し出すのでした。

映画はこの収容施設での暮らしが中心に描かれています。この映画のヒロインというべき医者の妻だけが目が見えるという設定で、視覚を失ったという共通点だけの烏合の衆が、その環境でどうなるのかということが描かれています。視力を失った人だけを施設に押し込めて、食料だけ届けるという政府のやり方がまずムチャなのですが、その強引な設定の中で、人間の本性が剥き出しになっていくさまをややデフォルメした形で描いていきます。その中で、悪意なり善意を持った一部の人と、そうでない大半の人に分かれてしまうのが、興味深いと思いました。最初は、少数の人間でお互いに自己紹介しつつ平等に動こうとするのですが、人間が増えてしまうと、そこに力を持った少数の人間が自分の思い通りに、全体を動かそうとします。そして、普通の人間が集まれば、必然的にそうなるという描き方になっているのです。確かに集団は声のでかい人間の勢いに引っ張られることが多いのですが、その極端な形が描かれ、権力を持った人間には逆らえないのです。ああ、そういうことってあるなあって、やな共感ができてしまいます。確かに目が見えないことからくるあきらめなんだなとも思えるのですが、実際、自分たちの行動も大きな力に押さえ込まれているのだなって気付くと、その収容施設は、実際の社会を濃縮して反映させたものだということがわかってきます。



この先は結末(意外性なし)に触れますのでご注意ください。



そして、暴君によって支配される多くの人々という図式が出来上がるのですが、その中で、目が見えるヒロインだけは微妙な立場になります。彼女は、その暴君に立ち向かう力を持っているのです。そして、その暴君に従う人々の姿も直視することになります。最初は、暴君に逆らう行動を取らず、自らも体を提供することを進んでやっているのです。最初は他の皆と同じ視点から行動しているのですが、とうとう堪忍袋の緒が切れて、その集団の中では特殊能力である視覚を使って、暴君への攻撃を始めるのです。これは、圧政下のテロであり、(特殊能力を持った)選ばれし人しかできない行動です。その攻撃は、暴君たちを死に至らしめ、虐げられた人々を解放したのです。これは過去に繰り返されてきた歴史を語っているのか、今の状況を打破するためには、誰かが立ち上がらなければならないことを伝えようとしているのか、判断に困ったのですが、どちらにしても、私のような並の人間ではできないことは確かなようです。

いつの間にか、施設の監視者はいなくなっており、人々は施設から外へ出ることができます。しかし、外もやはり目の見えない人々だけの、混沌とした世界でした。ヒロインは自分の身近な人を自分の家へ連れて帰ります。すると、最初に発病した男の視力が戻ってきます。これは、時間とともに視力が回復することを意味し、他のみんなもいずれ回復するのだという喜びの中で映画は終わります。ただ、ヒロインだけは、その浮かれ気分の中で沈み込んでいます。彼女は自分が特別な人間ではなくなって、普通の人になったとき、自分のしてきたこと(殺人など)の罪の意識にとらわれているのでしょうか。それとも、今度は自分が盲目になる番だと気付いたのでしょうか。そこの余韻の受け取り方は観る人にゆだねられています。

ここまで書いたように、私はこの映画から、政治的なメッセージを感じたのですが、もっと人間の本能的なものを感じ取った方もいるかもしれません。その他の受け取り方もあると思います。色々な内容を盛り込んであるようでいて、とっ散らかった印象がないのは、メイレレスの演出のうまさだと思いました。

この映画では、伊勢谷友介と木村桂乃がお互い日本語で会話するのですが、その日本語にも日本語字幕がついています。何でかなーって思ったのですが、耳の不自由な方への配慮らしいです。また、この映画のプログラムが何と900円もしました。確かに分厚いし、92ページあるというのですが、写真が多くて読むところはそんなにありません。まあ、普通のプログラムに比べれば、記事は多いですが、それなら、分析採録くらい付けてくれればいいのにと思いました。

「ヤング@ハート」には素直に感動

今回は新作の「ヤング@ハート」を109シネマズ川崎10で観てきました。小さい映画館なのにスクリーンが右に寄ってるので、うかつに座席表の真ん中あたりを買うと、やけに左側の席に座らされてしまいます。

アメリカのノーサンプトンには、平均年齢80歳のコーラス隊、ヤング@ハートがあります。歌うナンバーは昔のものばかりではなく、ソニックユース、ザ・クラッシュといったロックもどんどん取り入れています。海外コンサートの実績もあるという24人のメンバーをまとめるのは彼らの子供くらいの年のビル・シルマン。彼はコンサートのための新曲を決めたり、指導したりで、なかなか大変。でも、彼の厳しい指導のおかげで、なんとか楽曲が完成していきます。今回、特別に参加依頼した前のメンバー、ボブが練習途中で亡くなったりといったこともあるのですが、いよいよコンサートの日がやってくるのでした。

お年寄りばかりのコーラス隊、平均年齢80歳というのですから、ホントにおじいちゃん、おばあちゃんばっか。それが新しい歌から懐かしい歌まで合わせて元気に歌ってしまおう、そして、それにお客さんが集まるってのがアメリカなんだなあって気がしました。それもこれも、ビルの選曲と厳しいレッスンがあってのことなのです。老人会の仲良しコーラスと違うのは、きちんと人に聴かせる歌に磨き上げるというところ。私の個人的な偏見かもしれませんが、頑固で扱いにくい年寄りをなんとかまとめて、コンサートに仕上げるってのは大変なことだと思います。しかし、このレッスンの中で、お年寄りは息子ほどの年のビルの言うことに従います。本気でコンサートをやるつもりなのが伝わってきます。

ビルはかつてのOBにも声をかけます。病気療養から復帰したばかりボブと心不全で呼吸器を離せないフレッドです。彼らのデュエットはこのコンサートの要になるものでしたが、ボブはコンサートの直前に亡くなってしまい、彼らのナンバーはフレッドのソロに変更になります。また、ヤング@ハートの顔ともいうべきジョーも続いて亡くなってしまいます。しかし、それでも、コンサートは中止になりません。いるメンバーが亡くなった二人のためにも、やろうということになります。そのあたりの展開はドラマチックというには、あまりに淡々としたものです。平均80歳の彼らだからこそ、死と向き合えるのかなと思わせる展開は、生きてるってことは死んでいくってことなんだなあって改めて実感しました。死を意識せざるを得ない年齢だからこそ、死に対して強くなれるのかしら。いや、強くなるというよりは、生きることの中に死も取り込んでいる感じなのかも。

コンサートの前に刑務所への慰問に出かけるヤング@ハートの面々ですが、ここでも大喝采を受け、最後はメンバーと受刑者がハグしあう場面があります。受刑者、看守、ヤング@ハートのメンバーが横並びになる、その一体感は、音楽の持つ力強さを再認識させるシーンでした。実を言うと、ここまで音楽が力を持っているということは、若干怖い気もするのですが、それが人をつなぐかすがいになっていることは認めざるを得ません。

そして、本番のコンサートの日を迎えます。満員の客席から大歓声が飛びます。観ていて、いくつかのナンバーでは、なぜか涙が出てくるものがありました。それは、彼らがお年寄りだからというのを超えて、音楽そのものの持つ力に打たれたのかもしれません。とはいえ、デュエットの相方を失い、ソロで歌う呼吸器をつけたブレッドのナンバーにはある種の感動がありました。そこには、音楽の奥にある人間、その人間のドラマを垣間見ているからこその感動だったのです。

途中で、メンバーを使ったプロモーションビデオ風画像が登場するのですが、これは要らなかったんじゃないかって気がします。彼らの存在自身がリアルな存在であり、リアルなドラマであるのですから、そこに音楽に合わせて演出を施すと、かえって、彼らと音楽の両方の魅力を半減させてしまうように思えたのです。

それにしても、音楽を扱った映画って泣かせるものが多いです。私が音楽ネタに弱いからかもしれませんけど、カラオケとは違う、想いを込めた歌声には、心揺さぶる何かがあるようです。それは現実から離れた芸術という領域に入ってしまうのでしょう。音楽には、現実のドロドロとした人情、悪意、善意を取り払い、さらに研ぎ澄ましたような、純粋な想いの結晶があるように思えるのです。だからこそ、心の琴線に触れるのではないかと。

「トロピック・サンダー 史上最低の作戦」はハリウッドのパロディではあるのですが

新作の「トロピック・サンダー 史上最低の作戦」を静岡有楽座で観て来ました。静岡の映画館ではあまり観ることのなかったドルビーデジタルのロゴが出たのでちょっとびっくり。しかし、DTSはどこへ行ったのかしら。

ベトナム戦争を舞台にした原作を映画化することになりました。落ち目の俳優ダグ(ベン・スティラー)、黒人に扮したオーストラリア出身の名優カーク(ロバート・ダウニーJr)、お下品コメディアンのジェフ(ジャック・ブラック)などの5人、でも、監督の言うこと聞かないし、撮影もなかなか進みません。プロデューサーのレス(トム・クルーズ)に脅された監督は、原作者のジョン(ニック・ノルティ)の提案で、主演の5人を実際のジャングルに送り込んで、本気でサバイバルさせて、その模様をカメラで撮影しようというのです。そして、実際にヘリでジャングルに置いてかれた5人と監督、ところが監督が地雷を踏んで爆発。これも演出だと思う者もいれば、こりゃ何か変だと思う者もいるのですが、そこへ突然の銃撃。彼らは、麻薬生産地帯のど真ん中に降りてしまったのです。重武装した麻薬組織にマジで命を狙われることになるのですが、果たして、5人は無事生き延びられるのでしょうか。

「メリーに首ったけ」「ナイト・ニュージアム」などで有名なコメディ俳優ベン・スティラーが主演・監督しました。この人の作品では、ナンセンスとシュールの狭間をいくような「ズーランダー」が大好きなのですが、今回は、あれほどぶっ飛んだものではなくて、映画製作の裏話を見せるという設定で、ブラックな味のドタバタコメディになっています。なかなか豪華なキャストを組んでいるのですが、ちゃんと役もあってタイトルに名前も出てるトム・クルーズやマシュー・マコナヒーをカメオ出演だというプログラムはどーなのって思うのですが。確かにサプライズなキャスティングではあるのですが、カメオ出演じゃないよなって気がします。

映画の冒頭、タイトル前に主人公たちの関わったCMや映画の予告編が登場します。これがなかなか凝ったもので、かなりキャラ設定が作りこまれていることがわかります。ニューラインシネマのロゴが出たりするのですが、本編前には、ドリームワークスのロゴが出て、ベトナム戦争のシーンになります。はらわたが出て、手がちぎれるという描写があって、二人の兵士のやりとりとなって、片方がごねだして、それが映画の撮影だとわかります。スター級の役者をなかなかコントロールできない監督は、原作者の提案に乗ってしまいます。そして、ヘリでジャングルの真ん中に舞い降りて、主演5人にこれから君らの本気のサバイバルを撮影するんだと言い出すのですが、その途端に地雷を踏んづけて爆死。監督の生首を掲げて、これは特殊メイクだ、いや本物だと言い合うところがブラックな笑いを誘います。そこへ彼らを見つけた麻薬組織のみなさんが銃撃してくるのですが、あらかじめ仕掛けられた特殊効果用の爆薬が爆発し、5人は命拾いします。でも、まだ自分たちがどういう状況にあるのかは呑み込めていませんでした。

これはフィクションだと硬く信じているタグは、引き返そうという他の4人と離れて、一人進んでいくうちに、麻薬組織にとらわれてしまいます。組織のアジトへと連れて行かれたのですが、そこにはすでにジョンとこの仕掛けを仕組んだ特殊効果マンが捕まっていました。一方、4人は組織のアジトを発見して、そこにタグがつかまっているのを知り、彼を救出しようと作戦を立てるのですが。



で、この先、結末に触れますのでご注意ください。



麻薬組織は自分らが捕まえた男がハリウッドスターだと知り、プロデューサーのレスに身代金の要求をしてくるのですが、レスはこれを一蹴。しかし、4人は、麻薬組織のアジトを襲撃し、タグら3人の救出に成功します。そして、その顛末が映画化され、タグはオスカーを受賞し、プロデューサーのレスは一人ご満悦なのでした。

大筋を言うとこんな感じなのですが、細かいネタは、戦争よりもハリウッドもののパロディ。タグはアクションヒーローがマンネリ化していたのですが、知的障害者を演じた「シンプル・ジャック」が大コケ。ところが、それが麻薬組織の中では大ヒットしていたというのが面白く、「ただの白痴では、オスカーはとれない」とオスカー常連のカークに言われてシュンとなっちゃうのがフムフムと納得してしまいます。また、クライマックスは、アジトに閉じ込められているうちに別人格の演技から抜けられなくなってしまうという、「ディアー・ハンター」もどきのお笑いもあります。とは言え、この映画、戦争映画を核にしながら、戦争そのものについて、或いは戦争映画を作る思想的なものには一切言及してません。何でも、貪欲に取り込んで金儲けするハリウッドが笑いの対象となっています。トム・クルーズが怪演しているプロデューサーがいるおかげで、そこが明快になるのですが、彼がいなかったら、核が不明なドタバタになっていたかもしれません。

後でプログラムを読んで知ったのですが、スティラーがこの映画の構想を得たのは、ベトナム戦争に行ったこともない連中が知ったようなことを言って、戦争映画を作っていたことに対する腹立ちからだそうです。ところが、出来上がった映画には戦争の現実とのギャップというものは描かれておらず、ひたすらハリウッドを肴にした映画に仕上がっているので、ストーリーと映画の印象が何だかミスマッチになってしまったようです。何だか、戦争の扱いが中途半端なのですよ。実録モノと思っていた原作が全くのデッチ上げだったというネタも小ネタの一つにしかなっていませんし、ベトナム戦争でブラックコメディは作りにくい時代なのかも。思うにこれ、ベトナムに行った人が観たら、ものすごく不愉快になる映画かもしれません。ベトナム戦争と麻薬組織との抗争が同じレベル扱いですし、ベトナム戦争に毒を吐いてるわけでもありませんし、ましてや肯定もしてない。ハリウッドが戦争をその程度にしか扱ってないんだよっていう毒も感じられない映画だからです。

発想の面白さは買うベン・スティラーですが、それを消化しきれない題材を選んでしまったのかなって気がしました。

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einhorn2233

Author:einhorn2233
Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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