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「007慰めの報酬」は、絵に厚みがなくて007らしくない

今回は新作の「007慰めの報酬」を丸の内ルーブルで観てきました。去年まであった劇場名の「サロンパス」がいつの間にか取れてました。これって、年季奉公が終わったってことなのかしら。当然、劇場入り口にあったサロンパスの陳列ケースもなくなってました。

ヴェスパーを殺した黒幕を追ったボンド(ダニエル・クレイグ)は、組織の幹部であるホワイトを拉致しますが、情報部内の裏切りによって、彼を逃がしてしまいます。その組織の関係者がハイチにいることをつきとめたボンドは彼のもとに向かいます。そこで接触してきたのがカミーユ(オルガ・キュレリンコ)という謎の女。彼女のバックには慈善団体グリーンプラネットのドミニク(マチュー・アマルリック)がいまして、こいつがどうにも怪しい。特にボリビアの元独裁者と何やら接触をしていて、ボリビアの砂漠に何かの利権を手に入れようとしているようです。オーストリアからボリビアへドミニクを追っていくボンドは行く先々で死人を出すもので、MI6にもCIAからもマークされてしまいます。果たして、ボンドはヴェスパーの敵討ちをできるのでしょうか。

007シリーズは娯楽映画としては安定した面白さを持ったシリーズです。過去の作品は多少の出来不出来はあっても、娯楽映画としてお客さんを楽しませてきましたから、それに対して、ある程度の期待はありました。前作の「カジノ・ロワイヤル」では通常のアクションに加えて悲劇のヒロインのドラマがなかなかに見応えがあったのですが、まずは豪華なアクション映画としての土台がしっかりしていた上でのドラマだったと言えます。今回は、「チョコレート」「ネバーランド」といった静かなドラマで実績のあるマーク・フォースターがメガホンを取っていまして、その分、ドラマ部分に力の入った映画に仕上がっています。

今回のボンドは、追った相手は必ず死体にしてしまうという捜査官としては困ったキャラになっています。恋人を失って仕事が荒くなってるのかもと、Mは心配しているんですが、ボンドはそんなことにはおかまいなく、我が道を行くのでした。そんな彼の前に巨大な組織がおぼろげながら姿を見せ始めます。一方、彼の前に現れた謎の女カミーユの正体はボリビアの諜報員なんですが、実は個人的な復讐を果たそうともしている、ボンドとよく似た境遇だったのです。ボンドは自分の任務も遂行しながら、彼女の復讐も助けることになります。実際には人を殺したことのないカミーユが復讐を果たすまでの過程が丁寧に描かれていて、彼女のドラマへ比重が高い展開になっています。それと並行して、復讐心にとらわれているボンドが諜報部員として成長する様も描かれてしまして、人間ドラマを追った脚本をフォースターがきちんと映像化していると言えましょう。

じゃあ、この映画はよくできているかというと、私の感想としては、ノーということになります。それは、私が期待する娯楽映画としての007の部分の出来がよくないのですよ。一番、感じたのが、映像に厚みというか奥行きがないのです。シネスコの画面でやたらにアップが多くて、引きの絵がきちんと撮れていないのです。フォースターとずっと組んできたロベルト・シェイファーのキャメラによる絵は、007らしい豪華さに欠け、何だか狭苦しい絵ばかりなのが、最後まで気になってしまいました。アクションシーンは特にそれが顕著で、アップの短いカットをつなげば迫力が出ると思っているのか、シーン全体を捉えたカットがないので、娯楽映画らしい絵に欠けることになりました。007シリーズは、シネスコサイズの画面を隅々まで豪華に見せることに、イギリスの娯楽映画としての厚みがあったのですが、今回は、最近のハリウッド映画の悪しき影響を受けてしまったかのような絵作りが、非常に不満でした。また、美術も、今回が007初めての人らしくて、全体的にリアルなスパイ戦争らしい冷たい色彩設計でして、いつもの娯楽アクションとしての華やかさがありません。

せっかくのボートチェイスのシーンも、単にバラバラに撮影したカットを短くしてつなげただけのようで、アクションとしての畳み込み感に乏しいのです。その結果、派手なアクションに華がなくて、エンタテイメントとしての厚みといったものが感じられませんでした。アクションシーンの多くを自身で演出したとフォースター監督はインタビューで答えてますが、結局この人は、アクションは不得手なのではないかと思います。人間ドラマでいいところを見せる人でも、娯楽アクションをうまく撮れるとは限らないと思うわけです。

また、映画にユーモアの要素がまるでないのも、007らしからぬという印象でして、シリーズの中では1時間46分という短めの時間に収まっていても、むしろ娯楽映画としての余裕を欠いてるような気がしてしまいました。脇役のジェフリー・ライトやジャンカルロ・ジャンニーニの扱いの悪さも気になりましたし、結局、ヴェスパ殺しの黒幕まで迫れなかったまま終わってしまうのも、娯楽映画としてはどーなのって気がします。脚本としては、前作の後日談として、それほど悪くないのかもしれませんが、娯楽アクションに不向きな人が作ってしまった結果、何だか物足りない映画になってしまいました。ハードなスパイサスペンスだというのなら、もっとリアリティが必要ですし、007の設定やキャラに頼った作りになっている以上、シリーズを楽しみに観ている観客へのサービスは必要なのではないかしら。

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「帰らない日々」一言で言うと「地味」だけど、やっぱり地味かな

今回は、東京では昨年公開された「帰らない日々」を静岡ミラノ1で観てきました。ここはドルビーデジタルの設備のある映画館なんですが、音のボリュームをメチャメチャしぼっているので、ドルビーのロゴもステレオに聞こえませんでした。どーなってんのかしら。(ブーイング)

息子の出たコンサートの帰り道、大学教授イーサン(ホアキン・フェニックス)はガソリンスタンドで車を停めて一息ついていました。そこを通りかかったのが、息子と野球の試合を見た帰りの弁護士ドワイト(マーク・ラファロ)です。奥さんからの電話を受けて前から目を離したドワイトの車はガソリンスタンドに入り込んで、イーサンの息子ジョシュをひいてしまいます。一度は車を停めるドワイトでしたが、結局、その場を走り去ってしまいます。ジョシュは死亡、イーサンの一家は絶望の底に追いやられてしまいます。この轢き逃げ事件、警察はあまり気を入れて捜査しているようには思えません。イーサンの妻グレース(ジェニファー・コネリー)は息子の死を受け入れることで悲しみを乗り越えようとするのですが、イーサンは犯人憎しの気持ちにとらわれてしまいます。彼は弁護士に調査を依頼するのですが、その弁護士こそ、息子を殺した犯人ドワイトだったのです。そして、あることから、イーサンは自分の息子を殺した犯人が誰かを知ることになります。

「ホテル・ルワンダ」のテリー・ジョージの監督作品です。ある交通事故に端を発して、二つの家族が描かれていきます。交通事故というのは、割と身近な事件であり、全部が報道されることもないくらいニュース性もありません。そんなありがちな事件ですが、人に理不尽な死を強いることになるのですから、当事者にとっては大変なことで、人生の根幹を揺るがす事件なのです。私が幼いころは、交通遺児とか交通地獄という言葉がポピュラーであり、交通事故に対する意識が高かったように思います。今は、車が一般化しすぎて、交通事故も日常に埋没してしまっているのかもしれません。

でも、一たび事故の当事者になってしまうと大変です。イーサンは息子の死に向き合うことができないまま、犯人への憎しみに全ての感情を向けてしまいます。確かに轢き逃げ事件で、犯人がわからないということは遺族にとっては怒りの感情の持って行き場がない状態です。何としても犯人を見つけたいと思うのはもっともなことでしょう。一方で、彼には妻も娘もいました。憎しみに心奪われている夫を見て、グレースは死んだ息子との別れを告げて、新しい人生への一歩を踏み出そうとします。ずっと、そのことだけに心をとらわれていては生きていけない、グレースにとって、気持ちの整理をつけることは、それ自体が辛い決断でもありました。しかし、イーサンは自分の感情をどこにも着地させることができないでいます。

一方の、轢き逃げ犯であるドワイトは、最初は恐怖から現場から逃げたように見えます。自分のしたことへの後悔もあり、息子宛に自分の心境を綴ったビデオを作ったりもするのですが、自首することができません。警察へまで足を運んだりもするのですが、自分から言い出せないのです。人を殺してしまったというよりも、とにかくえらいことをしてしまってオタオタしている様は見てとれるのですが、子供の命を奪ったことへの後悔のようには見えないところがなかなかリアルな描写になっています。彼は、離婚した妻との間に息子がいて、その息子が生きがいのように見えます。そんな息子との関係が壊れてしまうのを一番におそれているようで、あまり共感を呼ばない一方で、実際にその立場になったらそんなもんだよなあという説得力があります。

ストーリーは設定の意外性に比べると、あまりにも淡々と展開していくので、ドラマとしては物足りないという印象も持ってしまいます。その分、描かれる人々のリアルな存在感は十分にあるので、変な巡りあわせは不要で、二つの家庭のドラマを単純に並行して描けばよかったのにという気もします。それじゃあ、あんまりにもドラマとしての芸がないということになるのかもしれませんが、芸に走れば、説得力を失うというバランスは難しいところです。

クライマックスは、ドワイトが犯人であることを確信したイーサンが銃を持って彼の家を訪れます。そして、ドワイトを夜の公園まで連れて行き、彼に銃口を向けます。しかし、引き金を引けないまま二人はもみあいになり、ドワイトが今度は銃を手にし、そして、自分の頭に銃口を向けます。「引き金を引けと命令してくれ」と叫ぶドワイトを置き去りにして、その場を去るイーサン。ドワイトは、「あの夜以来、ひいた子供の姿が頭から離れない」と泣きながら告白します。でも、それって心の叫びなのかしらという気もしてしまったのです。ここまでの描写で「そうかな?」と思わせるのは、狙った演出だったとしたらかなり鋭いと思いました。人間って、命を奪った相手にそこまで心を奪われるものなのかしらという気がしたのです。幸運なことに私はまだ他人の命を奪ったことがありませんから、そのあたりの気持ちは想像するしかないのですが、やはり、ドワイトの心の中心にあったのは、自分の息子のことではなかったのかなって気がするのです。自分が轢き逃げ犯として逮捕された後、息子がどんな目に遭うのかということが一番の心配事ではないのかな。それでも、銃を突きつけられて逆上すれば、そして、死を覚悟すれば、何でも言えちゃうのではないのかと。ちょっと意地の悪い見方ですが、それもまた人間の真実の姿ではないかしら。

映画は、二人の父親の心に一区切りがついて、一筋の希望を感じさせるエンディングとなっています。子供の命は帰ってこない状況下で生き残った人々はどういう生き方をしていくべきか、この映画はその解答を見せてくれませんが、生きていくには、一つのハードルを乗り越えなくてはならない、そのまま流れにまかせることはできないということを見せてくれます。地味なキャストの静かなドラマではありますが、そこにリアルな人間の息遣いを感じさせることに成功しています。

演技陣は全体的に控えめに好演しています。ドワイトの元妻を久しぶりのミラ・ソルビノが演じていて、いい感じに年を重ねているのを確認できたのがうれしかったです。ジェニファー・コネリーが華のない母親役をぐっと抑えた演技で役者ぶりを発揮しているのも見事でした。

「レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで」実はブラック風味のホームドラマ

今回は新作の「レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで」を静岡ピカデリー1で観てきました。大劇場の作りに映画館です。その昔、静岡大映としてガメラを観て、静岡松竹として寅さんを観た映画館ですが、こういう映画館がいつまで生き残れるのかなあって気になります。

運命的な出会いをしたフランク(レオナルド・ディカプリオ)とエイプリル(ケイト・ウィンスレット)は結婚して子供ができたことを契機に郊外のレボリューショナリー・ロードに引越し、2人の子供をもうけます。フランクは車と電車でニューヨークの大企業へ通うサラリーマン。女優志望だったエイプリルは市民劇団に参加し、舞台で主演を演じるのですが、出来栄えは散々で何だかがっかり。そんな2人の関係は最近ぎくしゃくしています。そこで、エイプリルは半年くらいパリで暮らそうと提案します。パリではエイプリルが働き、フランクは人生の再設計をしようというのです。最初は「何それ?」みたいなリアクションだったフランクでしたけど、これまでの人生は何だったんだろうという思いがあったのか、だんだんその気になってきます。周囲の反応にちょっと優越感も感じるいい調子の2人だったのですが、思わぬところからそのプランに障害が生じてくるのでした。

「アメリカン・ビューティ」「ジャーヘッド」でちょっと斜に構えたシニカルなドラマを作ったサム・メンデス監督の新作です。1950年代の郊外に暮らすそこそこ裕福な夫婦。周囲から見ても一目置かれる存在でありました、理想の夫婦という感じでしょうか。でも、関係はぎくしゃくしたところがありました。女優志望だった奥さんが、市民劇団に参加するというのはありがちな展開ではあるんですが、公演の結果は散々で、持ち続けていた夢にとどめをさされてしまいます。まあ、夢と現実の折り合いは誰もがつけざるを得ないのですが、こうはっきりと突きつけられるのは気の毒ではあります。そこで何か吹っ切れたのか、エイプリルはダンナとの関係を修復する意味も含めて、パリ行きを提案するのです。

予告編では、ドラマチックな愛の物語であるような売り方をしていたのですが、実際に観てみれば、人間の中にある夢と現実の折り合いを描いたブラックコメディのような映画でした。「燃え尽きるまで」なんて大仰な副題も当たってない感じでした。「ワールド・オブ・ライズ」でもそうでしたけど、最近のディカプの映画ってまっとうな宣伝がされてないようなんですが、それだけ彼がメジャーっぽくない意欲的な題材に取り組んでいるってことなのかも。

さて、パリで人生の見直しをしようと決めたフランクとエイプリル。そのことは、会社の同僚とか、ご近所に知られることになります。「何考えてるんだろう、この夫婦は」という視線に対して、2人は優越感を感じているみたい。他の連中とは違うというのが、この夫婦のプライドになっているようでして、パリで人生見直しプランは、他の連中には理解できない特別な人間がやることみたいです。そんな2人と同じ目線で話をする人間もいます。不動産の斡旋業者ヘレン(キャシー・ベイツ)の息子ジョン(マイケル・シャノン)は精神を患って長いこと入院してましたが、ジョンは2人の価値観に共感しているというか、その自己特別感を見抜いているのです。誰だって、自分は周囲の連中より特別で価値のある人間だと思いたいときはあると思います。フランクとエイプリル(特にカミさんの方)はそんな気持ちが人一倍強いようで、周囲からはそれが「特別な夫婦」として一目置かれるときもあれば、「変わり者夫婦」に見えることがあります。そういうくるくると変わる世間の視線もきちんと描いていることでドラマとしての面白さが加わりました。その中で本質を見抜いて揺るがないジョンが、実は社会不適合者として阻害されているのは、「裸の王様」の子供を思い出させます。

ダンナのフランクの方は、まだ俗人っぽいところがありまして、会社の女の子と浮気もすれば、つまんない仕事をこなしている自分の価値も認めています。それでも、エイプリルが「フランク、あなたは特別な人なのよ」と説得されるのは悪い気持ちはしません。このあたりの夫婦のやりとりに、あるある的な面白さがありまして、どこか優柔不断なフランクというリアルなキャラクターが浮き上がってきます。一方のエイプリルは自分の存在は絶対のものとしているようで、それを揺るがすものは排斥しようとします。自分の存在が揺らぐようなものは見えない、そういう決断はしたくないという強い意志が感じられました。思い込みの強い人ってのは、周囲にとっても、当の本人にとっても大変なんだなーって実感させるのは、ウィンスレットの演技力によるものでしょう。そして、彼女にとって、対処しかねる不測の事態が起こってしまうのです。




この先は結末に触れますのでご注意ください。



エイプリルは妊娠していたのです。それは彼女の中では晴天の霹靂であり、一家のパリ行きプランを根底から覆す可能性を持っていました。子供を堕ろせばいいという考えも浮かぶのでしたが、今まで2人の子供を育ててきて、ここでその選択をしなくても、という想いは彼女の中にありました。ここで、夫婦2人が相手のことを思いやることで、どういう決着にしろ、2人の関係が悪化することもなかったのでしょうが、フランクは妊娠を知って、パリ行きへのやる気がへなへなと失せてしまいます。むしろ、現実的にもっと収入のよい仕事への転職を本気で考えるようになります。一方、エイプリルは自分の人生プランが自分自身によって破壊されていくような閉塞感にさいなまれることになります。自分の望んだ人生が、自分自身の手で挫折させられいくのに耐えられそうもありません。そんな彼女の気持ちを誰も理解してくれないですし、そもそも誰も知らないのです。

自分の望むものを、フランクは望んでいなかった。何のプライドも人生の尊厳も知らないダンナに、エイプリルは愛想をつかしたように見えました。ラスト、ダンナを会社に送り出したエイプリルは、自分の手で子供を堕ろそうとして、出血多量で死に至ります。その死が意図されたものだったのかどうかは映画の中では言及されていませんでしたけど、自分のために最後に選択した行動が、子供を堕ろすことだったとすれば、それはあまりにも痛々しく、一方でマヌケでもあります。誰も望まない行動に自らを追い込んでしまったのは、彼女自身ですし、その奥には、自分の人生への過大評価があったのです。結果、フランクとエイプリルは人がうらやむような夫婦にはなれませんでした。

ラスト近くで、ヘレンが自分のご主人との会話で「あの夫婦は結局レボリューショナリー・ロードにふさわしい人間ではなかった、彼らはこの土地の汚点だ」と言うシーンが印象的でした。それを聞いてたようだったご主人は自分の補聴器のスイッチを切ります。そんなことは聞きたくもない、どうでもいい話だったようです。でも、そのどうでもいいような話が、エイプリルにとってはどうでもよくなかったところにこの悲喜劇の根っこがあるような気がします。

予告編では、まるで愛のヘビー級ドラマのような見せ方をしてましたけど、実際、この映画の中で愛が語られることはありません。エイプリルは、フランクに「あなたなんか愛していない」ときっぱりと言い放ちます。彼女にとってフランクは「自分を愛する」に値しない人間だったようです。パリ移住は、フランクを価値ある存在にまで高めるための手段だったのかもしれません。少なくとも、自分の提案について、心底から価値を認めてくれるようなフランクだったら、この悲劇は起きなかったのかもしれません。でも、フランクは俗人の凡人でした。にも、かかわらず、エイプリルは自分の理想とする自分、家族のあり方にこだわりました。現実の自分やダンナの姿から目を背けて、かくあるべき姿に自分をいびつに変えようとしているように見えました。正直言って、「やめときゃいいのに」ってのが多い映画でしたが、自分の値踏みは分相応にしましょうという教訓はあったように思います。きっとエイプリルのような奥さんは、日本にもいるでしょうし、いたら、ご近所の噂話の種として笑われているに違いありません。

「その男 ヴァン・ダム」は彼の映画を知ってる人には物足りないというか気取り過ぎ?

今回は新作の「その男ヴァン・ダム」を川崎チネチッタ6で観てきました。初日の一回目、配給会社の人らしき男性が3人、隅っこに立ってましたけど、お客さんの入りはパラパラ。観客のターゲットがものすごく限定されちゃう映画だけに、これは銀座シネパトスで公開すればよかったのではないのかしら?

1990年代に「ハード・ターゲット」「タイム・コップ」「サドン・デス」などの大作アクションに主演して大スターとなったジャン・クロード・ヴァン・ダムなんですが、最近はメジャー映画への出演もめっきり減って、映画に出ても劇場公開されずにそのままDVDで発売されちゃうとか不遇の日々を送っています。そんな彼は今、娘の親権問題で裁判中なんですが、弁護士代を払うにも一苦労。生まれ故郷のベルギーで、弁護士への送金をすべく郵便局へ行ったら、そこには強盗が人質をとっていて、ヴァン・ダムは警察に犯人だと間違われてしまいます。強盗もヴァン・ダムを警察との交渉窓口にしちゃうものですから、世間はすっかり彼が銀行強盗したんだと思い込んでしまいます。彼の両親も説得にかりだされちゃうし、弁護士は親権裁判から手を引くと言い出すし、とにかく、踏んだりけったりのヴァン・ダムですが、果たして、強盗事件の結末はいかに。

この映画の予告編を観たときは、ものすごく期待してました。何しろ、ジャン・クロード・ヴァン・ダムが落ち目のアクション俳優である自分自身を演じる映画というのですから。実際、私はこの俳優さんにはそこそこの思い入れがありまして、この設定は大変面白いと感じたのです。その昔、チャールズ・ブロンソンというアクションスターがおりまして、この人、一時期は大スターのポジションをキープして、公開される映画は大劇場にかかるのが普通でした。しかし、段々と集客力も弱くなって、映画も小規模公開しかされなくなり、それでも演技派脇役には転向せず、アクション映画の主演オンリーで晩年も頑張った人です。晩年の映画では、銀座シネパトスで公開されてすぐビデオ化というパターンを定着させた人で、好きな人には、コアなファンが多いです。

ジャン・クロード・ヴァン・ダムも、日本での扱いを見ている限りはブロンソンの後釜というポジションになります。アクション映画オンリーで、映画は主演作ばっか、銀座シネパトスか新宿ジョイシネマ、それも2週間、ビデオ販売の格付け(一応、劇場公開作品になるから)のために劇場公開。確かにこのままアクションスターとして生き残るのはしんどそうな感じはしますし、かと言って、脇役に回って味の出るタイプには見えないし。そんな彼が彼自身を自虐的に演じるってところがかなりユニークな視点の映画になりそうでした。ちなみに、ヴァン・ダムの後を着実に歩んでいるスターに、スティーブン・セガールがいます。

彼の映画の中では、ジョン・ウーと組んだ「ハード・ターゲット」、職人ピーター・ハイアムズと組んだ大予算B級アクション「タイム・コップ」「サドン・デス」あたりがメジャーなピークではないかしら。その後、「マキシマム・リスク」「コヨーテ」「レプリカント」など大作ではなくなりましたが、楽しめるB級アクションに主演していたのですが、この頃だと日本でも拡大公開はされず劇場も限定されるようになりました。さらに「ファイナル・レジェンド」「ディレイルド」「HELL ヘル」あたりになると、ブルガリアのスタジオで撮影されているらしく、スタッフの名前も~V、~VAで終わる皆様ばかりで、映画の出来栄えも、メジャースタジオのそれとは明らかに一線を画してしまってる感じ。昔から最近の彼の映画を観続けている人には、相当興味深い一本だと言えます。

確かに映画の中で、「ジョン・ウーに裏切られた」「セガールに役をとられた」「メジャースタジオの映画に出たいんだ」「ブルガリアの映画工場ではいやだ」などというセリフが登場して、彼のフィルモグラフィーと照らし合わせて、笑えることは笑えるのですが、そういう自虐ネタが映画の中心ではないところが、ヴァン・ダムのファンとしては、残念な出来栄えになってしまいました。

銀行強盗に間違えられて、でも、犯人に手も足も出ないってところが、シチュエーションコメディとして面白いのではないかと思わせるのですが、マブルク・エル・メクリ監督の演出はテンポがよくないというか、この題材で、アート系フィルムを狙ったようなところがあって、自らを自虐的ネタに投じたヴァン・ダムをきちんと扱えていないようなのです。リアルな、というか実在するからリアルなんですが、実在キャラをシニカルに描いた映画のようでありながら、むしろ、普遍的な映画スターにイメージを拡大させて展開しているドラマなのが、ヴァン・ダムファンとしては物足りないものになりました。昔から最近の彼の映画の変遷を知らない、ヴァン・ダムビギナー相手の映画としては、これもありかもしれないんですが、それなら、ここまで自虐ネタを言わせる必要もなかろうにと思うわけです。ドラマとしては、銀行強盗事件は、犯人側の自滅で決着がついちゃうのですが、その余波をくらって、ヴァン・ダムは刑務所に入れられてしまいます。そこまでしなくても、もっとスマートに処理できそうな気がするんですが、この映画の作り手は、アクション俳優としてのヴァン・ダムに敬意を払ってないように見えてしまいます。じゃあ、シリアスな演技派ヴァン・ダムという見せ方をしてるのかというと、そうでもないのですよ。映画の後半で、主人公が、映画の主人公と実在のヴァン・ダムの垣根を越えて一人語るモノローグのシーンがあるんですが、これが何というか、妙にシリアスな分、リアリティを欠いてるのですよね。彼をどんどん実像から遠ざけているような感じ。

題材としては、B級アクションスターが落ち目の自分を演じるということで大変ぶっとんでるんですが、映画が吹っ切れてないというか、なーんか気取ってるので、娯楽映画として弾まなかったという印象でした。スターと言っても、ピークを過ぎて、お金のことでも大変だというのはわからなくもないのですが、それじゃ、これからの彼のアクション映画をどんなふうに観たらいいのかあって思ってしまうのです。徹底的に自虐ネタ満載で、「落ち目でも、金なくても、それでも映画に主演していくんだぜえ」というところを見せてくれたら、彼の次回作にも、また性懲りもなく劇場へ足を運ぼうという気持ちになるのですが、この映画での彼の立ち位置が、過去を清算したい大スターのように見えてしまうのは、映画にとっても、ヴァン・ダムにとってもマイナスのように思えてなりません。この先、彼がメジャースタジオで映画を撮れるのかどうかは、あまり期待できそうにありません。やっぱり、ブルガリアでB級アクションに主演する方が可能性としては高そうです。それでも、彼をアクションスターと思ってる人、彼の映画を観ようと思ってる人がいるわけですから、そういうお客さんへのメッセージが欲しいところでした。もし、彼が、以降、B級アクションから足を洗って、性格俳優とかバイプレイヤーの方に活躍の場を広げようとしているのであれば、この映画もありなんですが、そんなことを期待している人はどこにもいないように思えるわけでして。

「ヘルボーイ2 ゴールデン・アーミー」はおとぎ話の絵本みたいな展開を下世話な会話で見せます

今回は新作の「ヘルボーイ2 ゴールデン・アーミー」を東宝シネマズ川崎2で観てきました。シネコンとしては、キャパの少ない劇場なんですが、キャパの割りにスクリーンサイズが小さいのがシネコンらしくありません。

超常現象捜査防衛局は、人間とは異なるヘルボーイ(ロン・パールマン)や水棲人エイブ(ダグ・ジョーンズ)、超能力を持つリズ(セルマ・ブレア)たちがエージェントとして働いてます。ヘルボーイとリズは恋人関係ではあるんですが、最近ちょっとうまく行ってないって感じ。そんなとき、古美術のオークション会場で超常現象の事件が発生、ヘルボーイたちは捜査に乗り出します。事件の犯人は、エルフ族の王子ヌアダでした。大昔、人間と妖精族が交わした休戦協定を破棄し、残忍無敵の黄金軍団をよみがえらせ、人間に宣戦布告しようというのです。黄金軍団をよみがえらせるための3つに分かれた王冠のパーツのうち、2つを手に入れたヌアダは最後の一つを持つ自分の妹ヌアラを追います。トロール市場で、エイブはヌアラを保護するのですが、彼女に恋をしてしまいます。ヌアラを追って、ヌアダが現れ、ヘルボーイに傷を負わせ、彼女を連れ去ってしまいます。黄金軍団の眠る北アイルランドで、最後の対決のときがやってきます。

私が観に行く映画を選ぶときに、好きな女優さんが出てる映画を基準にすることが多いです。ドリュー・バリモア、ケイト・ブランシェット、サンドラ・ブロックの出る映画は、ジャンル、ストーリーを問わず観に行っちゃいます。他にもそういう女優の一人にセルマ・ブレアがいます。まあ、彼女のファンだということなんですが、前作の「ヘルボーイ」も彼女が出ているから観に行きました。映画としては面白かったですが、彼女の出番が少なかったなあという印象でした。コメディで実績のある彼女に、発火能力を持った孤独な少女という設定はもったいないとも思ってしまったのです。しかし、今回は、超常現象捜査防衛局から始まって、全体にコミカルな展開で、ヘルボーイとリズの恋人同士のケンカとか、笑えるシーンもあり、彼女の出番も多くて、ファンとしてはうれしい映画に仕上がっていました。

もともとはコミックの映画化なんですが、「パンズ・ラビリンス」のギレルモ・デル・トロ監督が異形のクリーチャーの世界を前面に押し出したひねったファンタジーに仕上げています。人間社会から正当に認められることもなく、人間のために頑張っても報われないヘルボーイたちを主人公に据え、敵対するエルフ族も人間と相容れない存在として描いています。そんな、人間以外の皆様(リズはもともと人間なんですが、その特殊能力により人間社会から阻害されています。)のドラマが、独特なビジュアルの中で展開していきます。

この世界には、人間界と妖精界が共存していて、それは大昔の戦争の後の和平協定によってもたらされたものだったのですって。ところがそういう歴史を忘れて世界の覇者のように傲慢に振舞う人間の存在に我慢ならなくなったヌアダ王子が、人間に宣戦布告をしようというお話はものすごいスケールのでかさなんですが、どこか辺境でのこじんまりしたお話に収束していくのが、どこかおとぎ話のようでもあります。人間以外の皆様が特殊メイクやCGでいっぱい登場するのが、ファンタジー感をさらに高めています。クライマックスでは、黄金軍団が復活して、なかなかの見せ場になってはいるのですが、お話の流れは、おとぎ話の絵本を読んでいるような味わいになっています。

ヘルボーイやエイブという異形のキャラがユーモアたっぷりにやりとりするところのおかしさが笑えます。普通の人になりたいというあたりは、へえー、やっぱり人間社会では、人間志向になっちゃうのかなあって気がしました。確かに人間社会の中では、異形の者になっちゃうわけで、そういう存在でつっぱるのはしんどいのかもしれないです。でも、トロールら妖精たちからすれば、人間の方が異形の皆様なわけなんですが、彼らはそういう意識を持ってないみたいなのが面白いと思いました。差別して排除するのは人間側の文化なのだという見せ方には、ちょっと納得できるものがありました。

前作では、内にこもったキャラだったイブが、今回は魅力的な女性として描かれていまして、ヘルボーイとのやり取りが、生身のヒロインとしていい感じを出しています。この人の出る映画は当分要チェックみたいです。素顔を見せないけど、エイブを演じたダグ・ジョーンズや、上司のヨハン・クラウスを演じたジョン・アレグザンダーが、キャラを立てて好演しています。

今回は音楽を「シザーハンズ」のダニー・エルフマンが手がけていまして、彼のファンタジックな音作りがドラマにやさしい味わいを加えています。中盤、最後の緑の妖精が、ヘルボーイによって倒されるシーンでやさしく切ない音をつけていまして、この映画の空気を見事に支えています。久しぶりの彼らしいファンタジーな音が聴けました。

「ブロークン・イングリッシュ」は30代女性の恋愛事情から、オヤジのグチになってしまった

今回は新作の「ブロークン・イングリッシュ」を銀座テアトルシネマで観てきました。割と観やすい劇場ではあるんですが、座席の配置がちょっと特別です。全席指定になってから、あまり足を運ばなくなっちゃっていた映画館ですが、今回は、この映画を上映してるところがあまりなくって。

ホテルで働くノラ(パーカー・ポージー)は30代の独身女性。結婚する気もあるし、本気で誰かと愛し愛される関係になりたいと思っています、かなり切実に。ホテルのお客として知り合った映画俳優とデートして、その気になるノラなんですが、向こうには別のラブラブの相手がいると知って、またしてもダメージを受けてしまいます。そんなときに、職場の同僚のパーティでジュリアン(メルヴィル・ブボー)という青年と知り合います。フランスから恋人を追いかけてアメリカへやってきたものの、結局ふられてしまったんですって。二人は、なんとなくいい雰囲気になるのですが、どこかジュリアンに距離を置いてしまうノラ。そして、ジュリアンは自国フランスへと帰っていきます。心の中にモヤモヤが残るノラ、それを見た親友のオードリーは、彼女を連れてフランスへと飛んでくれます。しかし、連絡先の電話番号をなくしてしまったノラには、彼を見つける手立てはありませんでした。果たして、この恋は実らずに終わってしまうのでしょうか。

ジョン・カサベテスとジーナ・ローランズの娘、ゾエ・カサベテスの監督第一作で、彼女は脚本も書いています。30代の普通の女性をヒロインが、本気で愛したいと思う運命の人に出会うまでを、意外とシリアスにそして淡々と描いています。テンポのよいラブコメタッチを予想していたのですが、きちんとリアリティのある女性を描こうとしているようです。

ノラは仕事のできる女性として登場しますが、なかなかこれという人と巡りあえていないのか、いまだに独身、母親は年を取るにしたがって女性が結婚することのハードルが高くなるのを気にしています。ノラ自身は、いい人がいれば結婚したい、心から愛する人に出会いたいと思ってはいるのですが、自分が恋愛する男はダメなのばっか。なんか、あたしって男運の悪い女、って思っている節があります。ホテルでのクレーム対応で知り合った映画俳優と最初のデートでベッドまで行っちゃうってのは酔った勢いもあったにしろ、なんか本人が意識している以上に軽いというか、自分を安売りしているような気もします。そんな彼女を見てると何だかずっと独りでいるってのも、さもありなんという気がしてきます。

そんな彼女が知り合ったのがフランス青年ジュリアン、年下だけど誠実そうな感じがします。ノラは彼とデートして、この人ならという気になってきます。でも、そんな彼の前で不安症の発作が出ちゃうノラはやはり難しいお年頃なのか、どこかで、感情がぐるぐるとまわっているような気がします。それまで男性と付き合ってきた過去の実績から、自分に自信がないというか、自分を信用できてないというか、これでは、いい出会いがあっても成就できないなあって感じ。私も、いい年こいてシングルのオヤジなので、ノラの気持ちに若干共感できちゃうところもあります。自分に愛する愛される価値を見出すことができないまま年齢が重なっていけば、どんどんそういうことに臆病になっていくのかも。(私がそうだとは言いませんよ。いい年したオヤジが、私って恋愛負け組なんですぅって自分で言ってたら、それはかなり気色悪いというか、ドン引きでしょうからね。)

恋愛なんて、勢いで行っちゃうところが大ですけど、ノラみたいに自分に負い目のようなものを感じてしまうと、勢いが途中でへなへなって腰砕けになっちゃうのかもしれません。それでも、ノラはジュリアンとの関係に何かの運命的なものを感じたらしくて、親友の後押しもあって、パリに出かけてしまいます。連絡先もわからないまま、パリを散策したところで、ジュリアンが見つかるわけでもないのですが、それでも、パリの街、パリの人々が彼女に何か気持ちの整理をさせてくれたようです。一つの恋に幕を引くのに、パリという街は、ノラをやさしく受け入れてくれたようです。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



まー、意外な大ドンデン返しというわけではないのですが、自分の気持ちに整理がついた彼女が空港へと向かう地下鉄の中で、何とジュリアンを見つけちゃうのですね。おー、感激の再会でございます。カフェへ入った彼女の表情はうれしさよりもびっくり、だけど、ジュリアンがまだ彼女のことを想っていたことを知って、じわじわと幸せの実感が......ってところで、映像は暗転、エンドクレジット。

これはどう見ても、ハッピーエンドなんですが、これまで自分に照らし合わせて(←気持ち悪いよ)ヒロインに肩入れして観てきたこちらとしては、なーんか物足りないというか、安っぽい結末に思えてしまったのでした。だって、このタイミングで出会っちゃうってのは、リアリティがゼロなんですもの。実は、これは30代ヒロインの恋愛ファンタジーだったってことになっちゃうのかしら。それにしては、それまでがリアルなヒロインが好感度高かったんだけどなー。頑張るヒロインへの最後のごほうびにしても、ドラマとしては安直に思えてしまったのが残念でした。

ノラを演じたパーカー・ホージーがリアルな30代女性として大変魅力的でした。映画の主演女優というには、地味で押し出しのないルックスではあるのですが、実際にこういう女性がいたら、応援したくなるような、お友達になりたいような、そんな女性に描かれています。日本でもアラフォー世代が去年は話題になりましたが、どこへ行っても似たような事情があるってことかもしれません。生活レベルや結婚の自由度の高さが同じアメリカと日本では、同じような境遇の女性が出てくるのでしょうね。ただ、個人的に不満なのは、そういう女性がなぜ年下男性とばっか仲良くなっていくのかというところでして、その上のオヤジ世代にも、まだシングルはいるんだぞと声を大にして言いたいです。まあ、言ったところで、アラフォーの皆様からすれば、オヤジは男性のうちに入らないのでしょうけど。(←自虐的だなあ、我ながら)

2008年のベストテン作ってみました。

2008年は例年ほど映画館に足を運べなくて後悔の1年でもあったのですが、少ないながらもその中からベストテンを組んでみました。世間のそれとはだいぶ違うのですが、2008年を私なりに総決算してみました。

第1位「ミスト」
極限状態の人間の姿を、最近の映画には珍しいペシミスティックな視点から描いたハードSFホラー。正義と悪、知性と無知、そんな対照が全部チャラになってしまうラストの衝撃は見事。神ならぬ人間、どうあがいても、大差ないじゃんという見せ方には、人間の驕りを蹴散らす破壊力がありました。そこに至るまでのドラマも見事でしたし、もっと評価されていい映画だと思います。

第2位「ラースと、その彼女」
ラブドールを恋人にする内向的青年のお話、と言っちゃったら元も子もないお話なのに、なぜ、この映画はこんなに感動的なのか。普通の人の善意をこんなに自然に描いた映画ってないんだもの。2008年で一番泣けた映画なので、これ。でも、ラブドールを一途に愛する青年に泣かされたわけじゃないんですよね。説明するより、観て欲しい映画。

第3位「ある愛の風景」
戦争から帰ってきた夫はまるで別人のようだった。ヘビーで見応えのある戦争後映画の傑作です。戦争がなぜいけないことなのかを正面からきちんと描いていて、戦争から帰ってきた兵士を人殺し呼ばわりすることも許さない、その真摯な姿勢には心を打たれるものがありました。戦争は悪、希望は愛、そんなストレートなメッセージを持った骨太な映画。

第4位「その土曜日 午前7時58分」
人間ドラマとしての面白さ、見応えが素晴らしく、映画としての満足度の高さは一番かもしれません。運命に翻弄される人間の弱さ、そしてその最悪の状況下での人間の愚かさ。映画館でこういう映画を観るのが久しぶりだったのですが、昔はもっとこういう映画がたくさん劇場公開されていたような気がします。

第5位「JUNO ジュノ」
妊娠しちゃった女子高生の日々の暮らしをコミカルに描いたドラマなんですが、ヒロインの身の丈にあった頑張りがすごく愛おしく思える佳編でした。ほのぼのしたドラマの中で、ヒロインや彼女の周囲の人物の人となりを丁寧にすくいとった演出のうまさ。なーんかいい感じの味わいは捨てがたく、したたかじゃないけどしなやかなヒロインを応援したくなるのですよ。

第6位「つぐない」
正直言ってヒロインには全然感情移入できなかったのですが、ドラマの構成、語り口が面白いなあって思ったので、このランキングになりました。映像的な見せ場とか、ちょっとした仕掛けの妙など、映画で表現可能な面白さがいろいろと入っているのが、心にひっかかる佳作という感じでしょうか。

第7位「ダーク・ナイト」
DCコミックの原作を大予算、豪華キャストで映画化したのですが、大味にならない、細やかな作りに感心した一編です。2008年のハリウッド映画の大作って、みんな大味で、見終わった満足感が足りないのが多かったのですが、本作は、コミックのキャラでヘビーなドラマを作るというやり方が成功していまして、ドラマを観たなあって満足度の高い映画に仕上がっていました。ヘビーな展開の割に説教臭くないのがよかったのかも。

第8位「MR.ビーン カンヌで大迷惑」
「俺たちフィギュアスケーター」とか「トロピックサンダー」などコメディ映画は結構あって、それぞれ笑わせてはくれたのですが、コメディ映画として一番ちゃんとできてたのは何かなあって思ったら、結局、MRビーンにたどり着いてしまいました。子供連れのロードムービーとしての構成も丁寧で、ビーンにキャラがないのに、ちゃんと主人公になっているあたり、うまさを感じさせるコメディとして、この映画を推します。

第9位「ドラゴン・キングダム」
ジャッキー・チェン、ジェット・リーの共演が話題になった(ならなかった?)アクション巨編です。この映画は、最新のSFXと人間のアクションの両方を丁寧に見せることに成功している点を高く評価したいです。最近のチェンのハリウッド映画ってCGばっかで生身のアクションを感じさせないものが多かったのですが、この作品はファンタジーとしてSFXをフルに使いながら、人間のアクションでも手に汗握らせる迫力がありました。これからのアクション映画のあり方に希望を持たせたという点でも、記憶しておきたい映画です。(忘れたいのは「ラッシュアワー3」かな。)

第10位「接吻」
これ、日本映画なんですが、インパクト強くて、ベストテンに割り込ませちゃいました。小池栄子扮するヒロインのぞっとさせる存在感がモンスタームービーのようであり、いびつな恋愛映画でもあり、観ていて「おおぅ」と引き込まれるものがありました。ヒロインで見せる映画としては、ベストワンかも。



今回は日本映画はベストを組めるほど観ていないので、パス。その割に記録映画を観る機会に恵まれましたので、記録映画でベスト5を作ってみました。記録映画を劇場で観ることができたのは、横浜シネマジャック&ベティが通常興行の枠で上映してくれたおかげですが、こういう映画を観ると色々と勉強になること多いです。

第1位「おいしいコーヒーの真実」
自分にとって身近な存在であるコーヒーにひそむ意外な真実。フェアトレードという言葉を知ったのもこの映画のおかげでしたし、支援物資は受け取る国民のプライドを挫いてしまうというメッセージには、目からウロコの思いでした。強いものが弱いものを支配する国際関係、そして、「強さ」とは金の力なのだということを再認識させる映画でもありました。

第2位「オオカミの護符」
今も日本に生きている御山の民間信仰を題材にした映画なんですが、まだまだ信仰が形を持って残っているんだなあっていうのが、自分にとって大きな発見でした。信仰に縁がない私もこういう場に自分がいたら、やはり御山へお札をもらいに行くのかなって気分になりましたもの。

第3位「いのちの食べかた」
人間が食物を得る方法は、いまやシステム化していまして、その食物取得の流れを映像だけで見せる映画です。自分たちが口にする、野菜や肉がどうやって作られているのか、意外と初めて見る光景もあって、そっかー、この映画の内容くらいのことは知っておいたほうがいいよなーって気分になりました。

第4位「いまここにある風景」
オリンピックで一気に世界の注目を集めた中国を題材に、急速な産業化が持たされた中国で今、何が起こっているのかを描いたドキュメンタリーです。何しろ、とにかくでかい国でかつてないスピードで変化が起こるってのはすごいことだと再認識させられます。でも、多くの国がたどった産業化から環境破壊という同じ道をたどっているのを見ると、何とかならないのかなあって気分にもなります。

第5位「花はどこへいった」
ベトナム戦争から40年、散布された枯葉剤は、当時生まれていなかった世代にまで、影響を及ぼし続けています。戦争で、アメリカはおぞましい人体実験をしたのです。きっと、今のイラク戦争でも、新しい兵器で同じことをしているのでしょう、誰もそれを止めないから。記憶すること、知ることから、始めることに、意味があるのかしらと思いつつ。語り伝えるべき歴史がここにあると思いました。


2009年はもう少し、劇場へも足を運びたいと思いますので、今年もよろしくお願いいたします。




この記事をリライトさせるにあたり、いただいた3つのコメントが消えてしまいました。下記に記します。


2009/1/7(水) 午後 10:06
「凪」さんからのコメント
あちこちでこういう記事を見るので、やってみようと思うのですが、
順位はつけられずに新年も1週間になりました。
【ミスト】が1位とは凄い!確かにインパクトはありましたね。

→ なぎさん、コメントありがとうございます。「ミスト」はインパクトもすごいのですが、
  そのお話が人間の傲慢さへのしっぺ返しみたいなところがあって、面白さでも一級品でした。
  偉そうなこと言う人間も、神の前ではみな平等というお話にも思えましたし。また、凪さん
  のベストテンも拝見したいです。


2009/1/7(水) 午後 10:47
「hiromtb2007」さんからのコメント
第1位が「ミスト」ですか!レンタル屋でパッケージは見てても、まったくノーチェックでした^^;!今度レンタしますっ!

→ hiromtb2007さん、 コメントありがとうございます。この映画、ちょっと見はゲテモノホラーで、中身も確かにその通りではあるんですが、登場する人間の描写が見事で、その中から、人類の思い上がりのようなものが浮き上がってくるのが圧巻です。


2009/1/7(水) 午後 10:56
「じゅり」さんからのコメント
お~洋画1位は「ミスト」できましたか~
これも凄い作品でしたねぇ。過程で描かれた伏線が活きてて、ラストの展開で傑作に押し上げられたように思います。
鑑賞は洋画で半分、邦画で全滅でした(^-^;

→ じゅりさん、コメントありがとうございます。「ミスト」が1位というのは、そんなに意外性ありましたかしら。2008年は多くの映画を見逃してしまいましたから、かなり偏ったベストテンになってしまいました。昨年はラブコメが今一つ振るわなかったように思います。ドリュー・バリモア嬢の映画がなかったからかも。

「ラースと、その彼女」は設定が変態チックでも人々のやさしさが泣かせる(大泣き)

今回は新作の「ラースと、その彼女」を川崎チネチッタ1で観てきました。ミニシアター系の映画をシネコンで観られるのがありがたい限り。結構お客さんも入ってました。とりあえず、この映画までを2008年分として、ベストテンを作ってみます。

アメリカの田舎町、兄夫婦の家のガレージに住むラース(ライアン・ゴズリング)は内気な青年、同僚の女の子マーゴ(ケリ・ガーナー)がモーションをかけてきても、それに応えることができません。そんなラースが新しい友人ビアンカを兄夫婦ラス(ポール・シュナイダー)とカリン(エミリー・モーティマー)に紹介します、って、それ等身大のラブドールじゃん。でも、ラースは彼女とお話ができるみたい。ドン引きの兄と義姉はラースを町のダグマー医師(パトリシア・クラークソン)に連れていきます。もちろん、ビアンカも一緒です。町中のうわさになっちゃうラース。でも、ラースって意外と町の人に好かれているし、病気なら仕方ないよなあって、みんなが彼に話を合わせてくれます。彼とビアンカの関係はより親しさを増し、ラースはビアンカにプロポーズするのですが、彼女はそれを断ります。実際にそういう会話があるのではなくて、あくまでそういう態でということですって説明するほど、アッチの世界に行っちゃいそう。一方で、ビアンカは町の人気者になっていき、彼女がみんなに愛される存在になっていくのです。

2次元キャラと妄想の恋に落ちるというのなら、日本にもいそうなんですが(いるのか?)、ラースの恋人は等身大リアル質感3Dフィギュアで、設定は外国から来た看護婦さんなんですって。優しい感じの青年だけど、普段から内気で、自分の世界に閉じこもりがちだったラースがついにくるところまで来てしまったというところからお話は始まります。アカデミー脚本賞にノミネートされたナンシー・オリバーの脚本を、CM出身のクレイグ・ギレスピーが初めてメガホンを取りました。

どう考えても正気じゃない弟ですが、ダグマー医師の助言もあって、兄夫婦はその妄想に付き合ってあげることになります。町の人々も最初はラースの彼女に度肝を抜かれるのですが、彼のことを好いてくれている町の人々は、おっかなびっくり、でも暖かく彼に話を合わせていくことになります。近所のおばさん連中も、会社の仲間も、ラースのことを好きなマーゴも、正気とも思えない彼の恋愛物語に話を合わせていくうちに、ビアンカを本当の女性のように、扱うようになります。発端は、変態チックな人形マニアな話なのに、私はこのあたりから、この映画にすっかり取り込まれてしまいました。兄夫婦も町の人も普通の日々の営みの中で、この境界線上の(というよりは、その向こうに行っちゃってる)青年に、どうしてこんなにやさしくできるんだろう。普通なのにいい人過ぎる、そんな町の人々にボロボロ泣かされてしまいました。普通なら排斥されてしまう変な人をコミュニティの中心に受け入れる、それも同情や慈善じゃなくて、すごく自然な形で。特に兄夫婦を演じた、ポール・シュナイダーとエミリー・モーティマーが大変魅力的で、弟への真摯な愛情が感じられる名演でした。変態チックな出だしに引いてしまうとその先の展開について行けない方もいるかもしれませんが、それで、この映画を見切ってしまうのは、もったいないです。



この先は結末に触れますのでご注意ください。(でも、読んでください。)




ビアンカとの関係が深まっているラースなんですが、その一方で会社の同僚の女の子マーゴのことが気にかかるようになってきます。あくまで、友人としてのやさしさで接するラースなんですが、会社の後、二人でボーリングに出かけて、ちょっといい雰囲気になります。でも、ラースにはビアンカがいるということをお互いに認め合っていますから、それ以上の関係には発展しない。ケリ・ガーナーが好演しているマーゴはとびきりの美人じゃないけど、やさしくてかわいい。この映画に出てくる人々はみんな尋常でなくやさしいのです。でも、そのやさしさが、普通の人間の生活感の中で描かれているので、ファンタジーには見えないのです。リアルな人間の息遣いが聞こえるからこそ、余計目になぜこんなにやさしくなれるのだろうという感動があります。

そして、段々と、ラースとビアンカの関係に亀裂が生じるようになります。何かと口論になる二人を義姉はけげんそうに見つめます。ある日、ビアンカは重い病に倒れます(という態で、って説明するときりがない、全部、その態で展開するのですから)。ダグマー先生のところへ連れていきますが、先生にも手の施しようがありません。ビアンカを家に連れ帰り、ずっと看病するラース。ふと、家の外へ出れば、町の人々からのビアンカへのたくさんのお見舞いの品が並べられていました。ラースとは関係が悪くなってしまったビアンカですが、彼女は、町の人々から愛される存在になっていたのでした。そして、ついに、ビアンカは息を引き取ります。教会で、彼女の葬儀が営まれ、多くの町の人々がそれに参列します。ビアンカのお墓の前にたたずむラースにマーゴが声をかけます。「もう、みんなのところへ行かないと」「ちょっと歩かないか。」と、二人の目があうところで、暗転。エンドクレジットとなります。

あー、これは、ラースのマーゴへの恋物語だったのか。「その彼女」ってビアンカじゃなくて、マーゴのことだったのね。そっかー、最初からラースはマーゴのことが好きだったんだなーってわかると、何て、不器用で遠回りな恋愛物語だろうって気がしてきます。単に不器用というよりは、アブノーマルな気もするし。だから、やっぱり、ラブドールと恋を語る男ってのは変態だよなあって。そんなメインストーリーなのに、当のマーゴも含めて、ラースを取り囲む人々がみんなやさしくて愛おしい。愛する愛されるに値する人々の営みにやっぱり泣かされてしまうのでした。こんなに愛すべき人々がいるなんて信じられない、でもそのやさしさのリアリティがうれしくて感動させられる映画でした。こんなに大泣きした映画は久しぶりです。

ギレスピーの演出は、登場人物の細かいセリフのやりとりの中で、完全じゃない人々を丁寧に描く一方で、その不完全な人々の他人へのやさしさ(愛情と言ってもいいかも)をこれでもかと見せつけました。私が普段やさしさ慣れしてないからかもしれませんが、この映画に出てくる人々が信じられないような、でも、こんなやさしさにあふれる世界があったらすっごいよねーってところで、心の琴線に触れる映画になっていました。心の首根っこおさえられたって感じです。「キッズ」以来のファンである、エミリー・モーティマーもいいですし、パトリシア・クラークソン演じるお医者さんがステキなんですよ。チョーオススメの映画。

「ワールド・オブ・ライズ」は、中東さすらいCIA純情派って感じかしら

2009年元旦の映画初めは、新作の「ワールド・オブ・ライズ」を静岡有楽座で観て来ました。元旦は映画1000円均一ですから、もっと人がたくさん入ってると思ったらそうでもなくって、初詣の神社にはかなわかったようです。HPからの要望で、ドルビーデジタルのロゴが上映されるようになりました。映画館のこういう細かい対応はうれしいものがあります。

テロ組織のリーダーのアル・サリームの行方はようとしてつかめていません。CIA局長のエド(ラッセル・クロウ)は現地工作員ロジャー(レオナルド・ディカプリオ)を指揮して、テロリストを捕らえようとするのですが、一方のロジャーは現地のことをよく知らずに情報を隠したり、裏取引をしたりするエドを苦々しく思っていました。ヨルダンの首都アンマンにテロリストのアジトがあるという情報をつかんだロジャーはヨルダンの情報局長ハニ・サラーム(マーク・ストロング)に協力を求め、ハニは組織にスパイを送り込みます。しかし、エドが裏で工作員を送り込んだせいで、作戦失敗の危機に及び、ロジャーはアンマンから退去させられてしまいます。そして、エドとロジャーはアル・サリームのあぶり出しのために架空のテロ組織をでっちあげる作戦に出ます。一方、アル・サリームはロジャーを再度ヨルダンに招き、両者は協力することで合意するのですが.....。

リドリー・スコット監督の最新作です。「プロヴァンスの贈り物」では、ラブコメだけどライトじゃない味わいで独自の世界を作っていた彼ですが、今度は中東を巡る政治サスペンスを描きました。CIAと言っても、現地工作員と中央の人間はやってることはかなり違うみたいでして、現地では義理や地縁を大事にしたコネクション重視の仕事をしているみたいで、中央ではどっちかというとクールでドライな指令を出しています。でも、やってることはCIAですから、標的を追うためには手段を選ばない、と言いたいところなんですが、ディカプ演じるロジャーはCIAのイメージとは違う「人情派さすらいCIA」という感じ。情報提供者を使うだけ使って見捨てることは潔しとせず、あの中東という場所で義理と友情を重んじるという、映画のマフィアみたいなキャラクター。一方のクロウ演じるエドは目的のためには手段を選ばず非情な決断を簡単にこなす他人の命も義理も人情もないような組織を代表するような男。この2人を並行して描くことで、個人と組織の関係をスコット監督はわかりやすい形で描きました。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



後半の展開はサスペンス色が濃くなりまして、ニセ過激派組織をでっちあげ、アル・サリーム側から接触させようとします。このやり方がえげつなくて、全然テロとは関係ない人間をピックアップして、彼がテロリストであるような情報を流し、アメリカ基地内に狂言爆破事件を起こすというもの。テロリストに仕立てられた人間はどうなろうと知ったことはないという、いかにもアメリカチックなやり口です。しかし、その結果、ロジャーはプライベートで付き合っていた看護婦を誘拐され、アル・サリームに拘束され、指を潰される拷問の果てに殺されようとする間一髪のところで、ヨルダン情報局によって救われます。それは、ロジャーがハニ・サラームに協力要請したときに、サラームが敵に送り込んだスパイのおかげだったのです。ハニ・サラームの非情でありながら、情を駆使するやり方はえげつないこともやる一方である意味、目的を達するための有効な方法であったのです。

テロ、諜報活動という、人の命の価値なんて微塵も感じさせない世界でありながら、そこで人間の心を操る人間、操られる人間を描くことで、その人間の懐一つで、多くの命が左右されてしまうことを改めて実感させてくれます。その昔のトロイのヘレンで恋愛一つで国同士の戦争に発展していたころから、人間の心一つで多くの命が振り回される様が歴史に刻まれてきました。人間の心は欲やカネで動くものですが、そこをうまく操ることで人間を動かすハニ・サラームみたいな人間がいるのです。戦争ってものは突き詰めると人の心、特に欲につけこむことで動いていくんだなってことに気付かされます。聖戦とか言ってイデオロギーで動く兵隊の向こうでは、ムチとアメのそろばん勘定がちゃんと動いていることを皮肉なタッチで描いています。

アメリカから見れば、テロリストの巣みたいな中近東でも、アメリカと同じく善人と悪人がいて、義理と欲望で人が動いている、なーんだアメリカと大した違いないじゃんという見せ方は、アメリカ人からすれば、ちょっと不愉快に感じさせるのではないかしら。見下してた筈の相手が自分たちと似た価値観で人として日々を暮らしているんですからね、そこをボカボカ爆撃してるのに後ろめたさを感じるのが人としての情ではないかしら。

ラストで、ハニ・サラームは巧みに人間のコマを操り続け、エドは冷静なそろばん勘定に徹しようとし、エディはそんな商売から足を洗うことになります。戦争中の中東というと、人間として忌み嫌うべき悲惨な戦場というイメージがありますが、それでも、そこには人の営みがあって、よくも悪くも、我々とそう根っこの違わない人間が右往左往しているのだというところが見えてきます。それでも、遠くの金持ちが自分の利権のために戦争を仕掛けてくるのですから、現場にいる人間はたまらんよなあっていう不思議な余韻の残る映画になっています。そして、日本人は遠くの金持ちサイドの人間なんだよなあって気付くと苦い後味が残ってしまうのでした。

この映画の予告編は「ディカプのウソとクロウのウソ、どっちのウソが世界を救うのか」というものでしたけど、映画の内容は、全然そんな話ではありません。「ウソが題材の映画だから、宣伝もウソなんだよー」って、客なめてんじゃねえぞ、こらあ。

というわけで、2009年もどうぞよろしくお願いします。去年よりは更新頑張るつもりではおりますので、オヒマなときに覗いてやってくださいまし。

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Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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