FC2ブログ

「ウィッカーマン」は展開も面白いし、珍しいビジュアルも見もの

今回は、カルト扱いされているスリラー映画「ウィッカーマン」を廉価版のDVDで観ました。過去に色々な経緯があって、カット版で公開され、ネガ紛失、発見を経て、ディレクターズカット版が公開され、DVD化もされているのですが、今回の廉価版は最初に公開されたカット版でした。とは言え、それはオリジナル版でもあります。

ハマーアイル島へハウイー警部(エドワード・ウッドワード)が飛行機でやって来ます。彼のもとに、匿名の郵便が届き、そこにローワンという娘が行方不明になったと書いてあったからです。しかし、島の人々はそんな娘は知らないと言います。その島に泊まることになった警部なんですが、その島は土着の宗教に支配されているらしく、性についてはオープンで生殖のシンボルを祭っているようなのです。猥褻な歌を平気で歌う村人に閉口しながら、敬虔なクリスチャンでもある警部には、この異教の島で、何かが起こっているのではないかと疑いだします。最初は、そんな娘は存在しないと言われていたのが、聞き込みによって、ローワンは存在し、死亡していることがわかってきます。彼女はなぜ死んだのか、その島の領主サマーアイル卿(クリストファー・リー)は何かを知っているらしいのですが、それを語ろうとしません。それどころか、島全体が警部に何かを隠しているようなのです。応援を呼ぼうとした警部ですが、飛行機が故障しているようです。その日、メーデーの祭りが行われ、そこでいけにえが捧げられるということを警部は知るのですが....。

「フレンジー」や「探偵スルース」で知られるアンソニー・シェーファーが脚本を書き、ロビン・ハーディが監督したスリラーです。最初はひっそりと公開されていたのが、後になって高い評価を得て、今はカルト映画にランクさせられています。ニコラス・ケイジ主演でリメイクもされました。ホラー映画で有名だったクリストファー・リーが新機軸を求めて製作にも携わった映画だそうで、基本的にはスリラー仕立てになっていますが、超自然現象は登場しませんが、それ以上の不気味さを持った映画になっています。

美しい空撮から映画は始まりまして、警部の操縦するセスナがある島の港に着水します。上陸した警部はそこにいる連中に少女のことを聞いて回るのですが、誰もそんな娘は知らないと言います。娘の母親と思しき女性を訪ねても、そんな娘はいないと言い切るのです。辺鄙な島での少女失踪事件として物語は始まるのですが、それ以上にこの島の様子がおかしいことがわかってきます。パブでは男たちが卑猥な歌を歌い、外では男女がセックスに興じ、宿の娘は全裸で警部を挑発します。翌日、学校へ行けば、祭のために、子供たちが男性のシンボルであるタワーの飾りつけをしているし、授業では、生殖のシンボルを崇めることを教えたり、少女たちは全裸で歌いながら踊ってるし。どうやら、この島全体は、生命の再生を信じる原始宗教によって支配されているようなのです。

いないと言われていた少女はいつの間にか死んだことになっているし、その死は役場の記録にないのです。島の領主に話を聞けば、この島の人々を調査を続ける警部には、この島全体に何か異常なものを感じ始めます。メーデーの祭りにいけにえが捧げられることを知った彼は、少女が祭りのいけにえとして捧げられようとしているのではないかと考えます。この島は邪教と迷信によって蝕まれているという確信が、彼の中で芽生えてきます。応援を呼んで捜査隊で島ごと調査しようとするのですが、セスナが故障して飛びません。彼は自分一人でも事件を解決しようと意気込んで、島の家、一軒一軒調べて回るのですが、行方不明の少女を見つけることはできません。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



いよいよ祭りの儀式が始まります。さまざまな衣装や仮面をつけた島民が集まってきます。警部は、宿の主人から、その祭でも重要な役であるパンチというおどけ者の衣装を奪って、パンチになりすまして祭の行列に加わります。行列が海岸に着くと、そこには行方不明だった少女が連れられてきました。警部は少女を連れて逃げようとします。少女の言う方向に逃げると、そこは断崖絶壁で、領主たちが待ち構えていました。実は、これまでの不可解な出来事はハウイ警部をいけにえとして儀式の場所へおびきよせるために、全ては仕組まれたことだったのです。愚か、信仰が厚くて、童貞のいけにえとして、ハウイ警部が選ばれたというのです。これは殺人だ、神はこんなことを許すわけがない、島民たちを説得しようにも信ずるものが異なる彼らには通じません。いけにえをささげるためのウィッカーマンと呼ばれる巨大な人形に閉じ込められる、警部。そこにはやぎや羊も閉じ込められていて、ついにそこに火が放たれました。燃え上がる人形を囲んで歌い踊る島の人々。聖書の言葉を唱えながら死を迎える殉教者ハウイ警部。巨大な人形が燃え落ちると、その向こうには美しい夕日が輝いていて、エンドクレジットになります。

これという疑いを抱かずにキリスト教を信じる文化圏の人には、かなりショッキングで恐ろしい物語と言えましょう。自分たちの身近なところに、邪教の人々がおぞましい文化を持っていて、人間をいけにえに捧げているのですから。これが反キリストの悪魔信仰だったりすると「悪魔の追跡」のようなストレートなホラーになるのですが、島民は血に飢えた悪魔ではありません。この島の風景はのどかで、そこに宗教は根付いていて、人々はきちんと体系だった文化を持っているところに、単なる邪教と切り捨てられないところがあります。善悪で分断できない文化の違いを感じさせるところに脚本のアンソニー・シェーファーのうまさがあると言えましょう。

確かにこの映画の公開された1973年当時は、それでも邪教の罠にはまったクリスチャンの恐怖を描いたホラー映画として見ることが普通の見方なのかなという気がします。そもそも、いけにえの文化とは、自分たちの文化圏の中で通用する儀式ですから、異教のクリスチャンを改宗させることなく、いけにえとして殺しちゃうというのは、あきらかにルール違反です。そこに、悪の秘密結社的な味付けはされていますから、クリスチャンもまあ安心して怖がることができるホラーにはなっています。でも、一歩退いて、二つの宗教を並べて見れば、そこに善悪は存在せず、自然を崇拝し、再生を信じる彼らを邪教として退けることはできない、そんな文化の違いを、スリラーの形で描いた映画だとも言うことができます。キリスト教が全てに勝るという時代ではなくなってきた現代からすれば、ある意味先駆的な映画かもしれません。クライマックスで、警部は、キリスト教の立場から、島民を糾弾しようとするのですが、ここで、きちんと、キリスト教と自然宗教との対立を見せたことでドラマに見応えが生まれました。警部が敬虔なクリスチャンであることは、ドラマの必然ではあったのですが、そのことで、異文化の対立に説得力が加わりました。

この映画はお話の面白さもあるのですが、その見せ方も工夫がありまして、土着の文化らしい建造物や装飾品の美しいビジュアルに加え、島民たちの歌う歌がまるである種のミュージカルのような趣を与えています。ケルト風の味わいもある音楽は、それ自体もユニークなのですが、島の不思議な文化を描写するのに大きな力となっています。最後に歌い踊る島の人々から、狂気を感じることも可能ではあるのですが、それはお祭りの熱狂と変わらないですし、日本の道祖神だって生殖のシンボルですから、文化の違いとして考えることは可能です。ただし、いけにえ文化というのは、八百万の神々の日本人にもあまりなじまないような気がします。日本の場合、信仰が即契約という形をとらないせいかもしれません。ともあれ、意外性のあるスリラーである一方で、文化の比較という意味合いでも面白い視点を持った映画でした。マイノリティの逆転というシニカルな味わいは、ハリウッドらしくないイギリス映画ならではのものでしょう。

スポンサーサイト



「マルタのやさしい刺繍」はおばあちゃんの元気と風景を眺める映画かと

今回は新作の「マルタのやさしい刺繍」を横浜シネマベティで観てきました。

スイスのとある村、夫と死に別れたマルタ(シュデファニー・グラーザー)は元気がありません。夫の雑貨屋も処分しようかという気分。友人のリージ、フリーダらはそんな彼女をなんとかしてあげたいのですが思うようにいきません。合唱団の団旗の修繕を頼まれたマルタはベルンへ生地の買い物に出かけます。そこでたまたま立ち寄ったランジェリーショップ。マルタはかつて縫製をしていたこともあり難しいと言われる下着も縫ったことがありました。彼女は一大決心をして夫の雑貨屋をランジェリーショップに改装しちゃいます。最初は反対していた友人も応援してくれるようになるのですが、村の人々の風当たりは強く、牧師の息子には大反対されちゃいます。一度は店を閉めようと思うマルタなのですが....。

スイスで大ヒットした映画だそうで、女性監督ベティナ・オルベリの作品です。スイスというのは刺繍でも有名だというのはこの映画で初めて知りました。80歳のマルタを88歳のグラーザーが演じているのですが、彼女は映画初主演ながらテレビでは有名な人だそうです。

オープニングはくすんだ色調の画面で、一人で食事をとるマルタが映し出されます。ダンナと死に別れたらしくて、もう生きていたくないって感じのおばあちゃん。親友の3人もそんな彼女が心配です。でも、その親友たちの各々に問題を抱えていまして、マルタのランジェリーショップ開店のお話と並行して描かれます。そこには、老いた親と子供の関係、老人ホームでの行き方といった、老人の抱える普遍的な問題が描かれていまして、マルタのランジェリショップは、リアルな老いの問題の中の一つのファンタジーのように位置づけられています。日本語訳のせいかもしれませんが、マルタの行動に「夢を実現する」という表現が何度も使われるので、余計目に何か浮き上がった行動に感じられてしまいました。でも、マルタはかつて縫製をやっていて下着も作っていたのですから、突如湧き上がった大きな夢ではないところは強調しておきたいです。

とはいえ、なかなかランジェリーショップを開いたもののお客は来ません。また、息子は店の下着をまとめてゴミにしちゃうなど、かなりえげつないことをします。ここは、国民性の違いもあるので、一口には語れないのですが、いかに保守的な村での出来事とは言え、日本でやったら「あまりな親不孝」と言われることを、後ろめたさなしにやっちゃうのはいかがなものかと思ってしまいました。まあ、この息子が、教会で偉そうな説教たれて、母親をシュンとさせるシーンなんか出てきますし、親子の上下関係が希薄なお国柄なのかしら。とは言え、この息子が浮気していて、それを知ったマルタが「バカにしてる」って怒るシーンはおかしかったです。

ドラマはいわゆる定番の展開でして、ランジェリーショップに対する様々な障害が発生するものの、ラストで一気に大逆転ということになります。合唱コンクールの日にバタバタと展開するドラマはかなり強引でリアリティを欠くんですが、その無理矢理感を、マルタの笑顔で何となく納得させちゃうというのが、見事と言うべきか。マルタを演じたシュテファニー・グラーザーの元気なおばあちゃんぶりが、「何はともあれ、それは何より」と思わせちゃうのですよ。また、村からのけ者扱いのランジェリーショップに意外な支持者がいたというのもうまい展開でした。

年を取って、連れ合いをなくすと急に元気がなくなっちゃって、時間を経ずに後を追うというのは、正直よく見かけるパターンです。マルタの場合、友人がいたということもありますけど、それ以上に、自分のやりたかったことにもう一度トライしてみるという強さがありました。だからこそ、特別な事件であり、一種のファンタジーになっていると思うのですが、今や、それはファンタジーなままではいけない時代になってきていることも感じさせる映画でした。自分のしたいことをするってことが、それほど大したことじゃないって思えないと、長い老年期を幸福に生きていけないです。昔なら、余生という言葉で片付けられたのかもしれませんが、その余生が一生の3分の1を占める時代になってきたのですから、80歳で何かを始めることにもう少しリアリティがあってもいいかなという気がしました。

保守的な村にランジェリーショップを作るということが、どれほどの困難さを持っているのかは、よくわからないのですが、ホントにここまで排斥させられちゃうのかな?って言うところは気になってしまいました。でも、女性の支持が得られないというのは、日本でもそうだろうなあって思わせるところがあって納得しちゃいました。「女の敵は女」というのは、万国共通なのかも、って言ったら、女性の皆様に怒られちゃうかしら。

「エレジー」はドラマとして出来がよくて、その愛の姿が心を打ちます

今回は新作の「エレジー」を新宿武蔵野館2で観てきました。その昔、ミニシアターが渋谷に偏ってた頃に、新宿のミニシアター、シネマカリテとしてオープンしたのですが、今もそのままとにかく狭くてちっちゃい映画館。新宿武蔵野館というビッグネームからはちょっとイメージ違うかも。でも、新宿シネパトスというのもあんまりかしら。

著書もある大学教授のデヴィッド(ベン・キングスレー)が学生のコンスエラ(ペネロペ・クルス)にぞっこんになってしまいます。離婚歴もあって中年のセックスフレンド、キャロライン(パトリシア・クラークソン)もいるのに、ギラギラした想いにとらわれちゃうデヴィッド、ところがコンスエラもまんざらじゃなくって、30も年の離れた二人は深い仲になってしまいます。いわゆるラブラブの二人なんですが、デヴィッドはこの関係が長く続くものではないと思っていました。一方で、コンスエラの想いも本物でした。彼女の両親に引き合わせるという彼女の卒業パーティをデヴィッドはドタキャンしちゃいます。それっきり、二人の関係は終わってしまいます。深いダメージを負ったデヴィッドがようやく立ち直った頃、電話のベルが鳴り、そこから彼女の声が聞こえてきました.....。

「死ぬまでにしたい10のこと」「あなたになら言える秘密のこと」でちょっと変わった題材で普遍的な人の心を描いてきたイザベル・コイシュ監督の新作です。フィリップ・ロスの原作を、「シャーロックホームズの素敵な挑戦」「スタートレック6」など娯楽作品でもうまみを見せるニコラス・メイヤーが脚本を書いています。この二人の名前に期待するところあってスクリーンに臨みました。

地位も名声もある大学教授のデヴィッドと、若いコンスエラの恋愛模様の発端は、いわゆるエロオヤジの欲望から始まります。とにかく、いい年こいて、若者のような独占欲、嫉妬心にとらわれるデヴィッドの姿は滑稽ですらありますが、そこに老いの影がさすところにちょっとしたペーソスがあります。彼は自分の分相応からすれば、コンスエラには遅かれ早かれもっと若くて魅力的な男が現れるということを知っていました。それほどに、コンスエラは若くて美しく、魅力的でした。まあ、それだけなら、中年管理職が若いOLにちょっかい出した話で終わってしまうのですが、コンスエラが真剣にデヴィッドを愛しているところから話はだんだん切ない方向に進んで行きます。デヴィッドは単に遊びというには、彼女に入れ込み過ぎていましたし、コンスエラは不確かな未来への不安と期待を感じ取っていたのです。

最初は年の離れた男女の情事のように思えていたのですが、意外と女性の方がマジメで、刹那的欲望で動いていた男の方がたじたじになっていきます。デヴィッドは最初は年の差の引け目の裏返しもあって、彼女の過去の男性経験を事細かに聞きだそうとしたり、嫉妬のあまりストーカーみたいなことまでしちゃいます。そのあたりは「男ってしょうがないわねえ」という視点で描かれていまして、オヤジの私には苦笑させられるところがありました。しかし、そこに大人の分別が入ってくると、男としては切ない展開になってきます。成就することのない関係と知りつつも欲望というか募る思いは止まらないのです。しかし、女性の方からこの関係に終止符が打たれることになったのは、デヴィッドにとっては幸運だったのかもしれません。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



結果的に音信不通になってしまったコンスエラに、デヴィッドはかなりのダメージを与えられます。そして、彼のことを親身に思ってくれた親友ジョージが脳溢血で亡くなってしまいます。自分の老いと実感として向き合うことになるデヴィッド。そして、形ながらも平穏な日々を送れるようになった彼のもとにコンスエラから電話がかかってきます。自分に伝えたいことがあるという彼女に、デヴィッドは別れのダメ押しなのかと恐れも抱くのですが、実は、彼女は乳がんにかかっていたのです。コンスエラにとって今でもデヴィッドは特別で、そしてかけがえのない存在だったのです。彼女の告白にどうしていいかわからなくて泣き崩れるデヴィッドを、コンスエラは笑って抱きしめます。そして、彼女はデヴィッドに手術前の体の写真を撮ってくれと頼みます。

手術を受けたコンスエラをデヴィッドが見舞いに訪れます。彼女のベッドに添い寝して彼女を抱きしめるデヴィッドの姿で映画は終わります。彼女の死にドラマを落とさないあたりは原作がそうなっているのかもしれませんが、暖かくて切ない余韻が残りました。お互いを愛しいと思う心の寄り添う姿は心の琴線に触れるものがありました。コイシュ監督、やはりうまいなあって感心しちゃいました。最初は何だか生臭い情事のような関係が、最後に普遍的な愛の姿に昇華する物語は、大変見応えと共感を感じさせるものでした。

このドラマを支えているのは何といっても演技陣の素晴らしさです。ベン・キングスレーはどこか落ち着ききれない男の気持ちを細やかに表現していましたし、ペネロペ・クルスは美しいヒロインにけなげなキャラをリアルに演じきりました。また、脇を支える面々も素晴らしかったです。主人公の友人を演じたデニス・ホッパーはちょっと遊び人っぽい初老の男をスマートに演じました。キャロラインのパトリシア・クラークソンは体を張って、女性としての艶と老いの両方を演じていまして、ある意味、恋にうつつを抜かすデヴィッドと対照的な現実を表現しているのが素晴らしかったです。また、特に印象的だったのが、デヴィッドの息子を演じたピーター・サースガードで、デヴィッドを憎んでいるようで、何か父親との絆を求めているキャラを熱演しています。愛人と妻と両方を愛していると宣言してはばからないちょっと変なキャラなんですが、この変なところが父親譲りなのかなと思わせるところが面白かったです。これら脇のキャラが主人公を対照的に際立たせているところにドラマのうまさがあります。

お話としての作りも見事でして、その中から浮かび上がる男女の愛は心を打つものがありました。ドラマが変に重くならないのもよかったと思います。後半で死病ドラマになるのかと思いきや、未来をクローズしない余韻の付け方が娯楽映画としても大変よくできています。

「ザ・ムーン」はオーケストラによるニューエイジサウンドがちょっと新鮮


ドキュメンタリー映画というのは、その題材をリアルに追うスタンスのものと、テーマにそった緻密な編集構成がなされるものとがあります。後者の方には、音楽がつくことが多くて、古くは「世界残酷物語」「グレート・ハンティング」、最近では「WATARIDORI」「ディープ・ブルー」などが美しい音楽を聞かせてくれています。宇宙を扱ったドキュメンタリーの音というと、前衛的なブライアン・イーノのサウンドを思い浮かべたりもするのですが、この「ザ・ムーン」は神秘の宇宙ではなく人間を中心に据えたドキュメンタリーということで、どういう音楽がつくのか興味がありました。映画音楽は初めてのフィリップ・シェパードが作曲・指揮をしています。

オープニングに流れるオーケストラによるゆったりとした静謐なテーマは、冷たく蒼く光る月の神秘を短い曲の中に見事に表現していて印象に残ります。映画の半分は、元宇宙飛行士へのインタビューなので、音楽の出番は少ないと思いきや、サントラ盤にはたくさんの曲が収録されていまして、音楽が映画の重要な要素になっていることがわかります。要所要所はオーケストラをかなり鳴らして盛り上がる音作りにしていますが、全体的にはニューエイジ風現代音楽という印象です。映画音楽で言うなら、マーク・アイシャムかトマス・ニューマンの音に近いという感じでしょうか。宇宙的スケールの大きさよりは、人間の宇宙への想いを汲み取るような音作りになっています。

旋律だけ聴くと、ニューエイジ系のシンセサイザー音楽に近いものがありまして、それをオーケストラの音に置き換えているようなところが面白いと思いました。シンセサイザーが定着しかけの頃は、ファンタジックなオーケストラ音楽をシンセサイザーで置き換えることでより神秘性を増していたのですが、シンセサイザーで耳馴染んだ音を逆にオーケストラで聞かされると、また新鮮な感じがして、新しい音楽のように感じられます。その気になれば、全編、シンセサイザーで作れる曲なんですが、そこをあえてオーケストラをメインにして、シンセを補足的な扱いにしているところが、シェパードのオリジナリティなのではないかしら。

「reel chill vol 2」は映画音楽のサンプルとしては面白いラインナップ


映画音楽はサントラ盤で聴くのがベストではあるのですが、実はサントラ盤と銘打ってあっても、再録音盤だったりもしますし、色々な映画のテーマを聴きたいという需要もあります。今回の「reel chill vol 2」というアルバムは色々な映画のテーマを28曲2枚組のアルバムにまとめたものです。アルバムのコンセプトとしては、映画のチルアウト音楽というものです。ジャケットには「崇高で至福の映画音楽」と書いてありますが、チルアウトという言葉にこだわるなら、心を静めるといった意味合いになります。どっちにしても、勇ましいマーチや派手なアクション音楽ではない、心を癒すような映画のテーマが28曲入っています。

もちろんサントラではないのですが、そのほとんどを、シティ・オブ・プラハ・フィルハーモニック・オーケストラ(最近では、プラハ市響という略称もあるようですが)が演奏しています。このオケは、映画音楽のカバーCDを相当出してまして、豊富のストックの中から、テーマに合わせて、色々な組み合わせのアルバムを出してます。(言い方を変えると、重複して収録してるアルバムが何種類もある)演奏の上手下手は素人の私には、まあ、そこそこかなあくらいにしか言えないのですが、編曲がかなりオリジナルに近いというところが点数高いオケです。

今回の聴きものとしましては、近作の「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」(ジョニー・グリーンウッド)や「つぐない」(ダリオ・マリアネリ)が入っていますし、変り種としまいしては、「ファウンテン 永遠に続く愛」(クリント・マンセル)、「ディア・フランキー」(アレックス・ヘッフェス)なんてのがあります。また、オーケストラの音として聴き応えのあるものとして「ミュンヘン」(ジョン・ウィリアムス)、「エニグマ」(ジョン・バリー)、「バットマン・ビギンズ」(ハンス・ツィマー、ジェームズ・ニュートン・ハワード)が挙げられます。さらにマニアックな選曲として「クラッシュ」(マーク・アイシャム)、「ジョー・ブラックによろしく」(トマス・ニューマン)、「黄昏」(デーブ・グルーシン)なんてのまで、よくこれだけ並べたものだと感心してしまいます。

昔の映画音楽のベスト盤というと、いわゆるスタンダードナンバー、名曲と呼ばれるものが多かったのですが、このアルバムは、曲自体がメジャーかどうかは置いといて、アルバムのコンセプトに合ったものを集めているという点がなかなか面白く、CDとして聴き応えがあります。このアルバムは、vol 2とありますように、vol 1というのもあるのですが、そちらは既成曲が多かったので、映画のために作曲された曲の多い、vol 2をあえて紹介させてもらっています。

「アルファ・インシデント」はC級未満の迷作、でも観てしまった

久々のDVDで映画鑑賞は、「アルファ・インシデント」というC級映画。780円の廉価版DVDなんですが、監督があの珍作「ジャイアントスパイダー大襲来」のビル・レバンだったので、これは一つお試しというつもりでゲットしてみました。C級映画というのは、B級より下の映画全部を指してます。D級かもしれないし、Z級かもしれないってところで。

火星探査機が持ち帰ったのは謎の病原菌でした。NASAではラットによる実験で、直接感染によって死をもたらすことまではわかっていましたが、軍の意向でそれをコロラド基地で調査することになり、何と鉄道で輸送することになりました。しかし、列車の機関士が病原菌を何かのお宝と勘違いして開封してしまいました。機関車を入れ替える田舎の駅に停止したとき、そのことが判明し、輸送に同乗していた生物学者ソレンソンは、軍上層部の指示で、機関士と彼に接触したと思われる人間合わせて5人を駅事務所に監禁することになります。NASAでは、必死の研究が続いていますが、病原菌の解毒剤は見つかりません。駅に監禁状態の5人にも疲れの色が濃くなってきました。果たして病原菌の蔓延を防ぐことはできるのでしょうか。

その昔「ジャイアントスパイダー大襲来」というゲテもの映画がありまして、これが日本でもそこそこのヒットをしたんですが、観た人はみな失笑というなんともすごい映画でした。作り物の巨大蜘蛛がのどかな田舎をウロウロして、人々は笑って逃げ回るという内容は、今なら劇場公開されずにビデオスルー必至なのですが、1976年という時代がおおらかだったのか、ちゃんと劇場にかかったのでした。私は、この映画を藤枝のシネマゴールという今は亡き小さな映画館で観ました。

また、その後、当時の東京12チャンネルで「地底からの侵略」という、SF映画が放映されたのですが、この映画のITOなる監督が実はビル・レバンの変名でして、映画の内容はさらにメチャクチャなものでした。突然、人間が赤い煙を出して消えてしまう、街はパニック状態、ところが雪山の数人の男女に話が飛んでしまって、そこで、この事態は火星人の仕業だとか唐突に語られて、ラストは生き残った二人の男女が子供のアダムとイブになっちゃうというお話。(ちなみに音楽は「デアボリカ」のテーマに差し替えられていました。当時の映画のテレビ放映では音楽の差し替えはよくあることでした。)キネマ旬報のTV解説欄でも、ITOなる監督は高校の映画サークルのメンバのイニシャルじゃないのか、とりあえずSFだからどっかの興行主が買ったんじゃないの、とか散々な言われよう。まだ、学生だった私も、映画にも、下には下があるもんだと初めて認識したのが、この映画でした。

前置きが長くなりましたが、そんな映画を作っていたビル・レバンの1978年の作品が「アルファ・インシデント」でして、DVDのケースの解説では、「本作は一本筋の通ったストーリーで最後の衝撃のラストまで退屈せずに鑑賞に堪える出来ともいえる」って、そんな宣伝文句もないだろうと思うのですが、彼の前作を思えば、それってすごい誉め言葉に聞こえてくるのが何とも。

で、実際にDVDを観てみたのですが、廉価版なのもむべなるかな、画質が大変悪いです。フィルムの質が悪いというよりは、ビデオのコピーによる画質劣化のようでして、それでも商品化したのは、こんなのを購入する私のような物好きがいるからなのでしょう。オープニングは二人の科学者が何だか深刻そうに病原菌のことを語り合っているのですが、それを科学者一人お守りにつけて列車で運ぶというところでもうズッコケ(死語ですが、お似合いの表現)ちゃいます。この二人の科学者は、お話の展開のところどころに登場して研究してますよってところを見せるのですが、これが結局、何の役にも立たないってのが、この映画ならではの味わいであります。

映画の中盤からは、駅事務所に監禁された5人の極限状態がこれまたゆるーいテンポで描かれていきます。ソレンソンは軍の司令らしき男に電話して指揮をあおぐのですが、ただ単にそこから人を出すなということと、眠ると病原菌が活性化するらしいという情報しか与えられません。閉じ込められた機関士、駅長、事務の女の子、別機関車の機関士がだんだんと追い詰められていくさまが描かれていくのですが、まあ、宣伝文句に嘘はなく、お話の筋は一貫して通ってますし、それほど退屈することなく観ていられるのですが、ドキドキハラハラの展開にはなりませんし、話がちっとも進展しません。機関士と事務員がねんごろになっちゃうとか、彼女の着替えシーンがあるとか、小ネタは盛り込んであって、そこはマトモな作りになっているので、とりあえず鑑賞に堪えるって感じかしら。



この先は結末に触れますので、万が一、このDVDを観ようとなさっている方はご注意ください。



結局、病原菌に対するこれといった対応策も得られないまま時間がたってしまいます。最初に病原菌に接触した機関士は徒歩で脱出を試みますが、足を銃で撃たれて逃げ損なって、結局死に至ったらしいです。死んだかどうかは画面に登場しないので、まあ、そんなところかと。そして、日が変わり、睡魔に襲われた駅長がうとうとしてしまい、その結果、頭痛を訴えて死亡、死体の頭部が腫れ上がって脳みそドッカン状態になっちゃいます。ここだけ、律儀に特殊メイクやってまして、ちょっとだけ微笑ましい気分になれます。それを見た、女事務員は絶望して自殺してしまいます。そして、生き残ったソレンソンともう一人の機関士のもとにヘリが解毒剤を落としていきます。これで助かると機関士が薬を飲んで、喉を通るか通らないかのタイミングで苦しんで即死しちゃいます。この薬を飲んで即死のシーンはかなり笑えちゃうのですが、ともあれ、軍は生存者を殺すつもりなのです。

そして、いつしかソレンソンも眠りについてしまい、そこへ防護服を来た武装兵士がやってきます。ふと、目を覚ましたソレンソンは眠ってしまった自分がまだ生きていることに大喜びするのですが、窓の外から兵士の銃口が彼に照準を合わせていて、無慈悲にも発砲。ソレンソンが蜂の巣にされるところでストップモーションとなってエンドクレジットになります。このあたりの、ペシミスティックな展開は、1970年代のSF映画らしさが感じられますが、衝撃のラストと言われるほどのものではないです。それまでの展開でも、ソレンソンは、病原菌にも、感染した機関士にも触っていないので、助かっちゃうことにさほどの意外性もないのですよ。ちなみにタイトルのビリングのトップは「巨大生物の島」「爆発ジェットヘリ500」に出ているB級俳優のラルフ・ミーカーでして、彼が特殊メイクで頭ドッカンになっちゃいます。後の俳優さんは名前の知らない人ばかりでした。

ともあれ、「ジャイアントスパイダー大襲来」に比べるとお話の展開は一貫してますし、「地底から侵略」よりはずいぶんとまともな出来栄えなのですが、その2本を知らないでこの映画を観ると、「何じゃこりゃ」ということになると思います。今だったら、テレビ東京の「午後のロードショー」にもかからないクオリティの映画なんですが、当時の東京12チャンネルの「火曜名画劇場」なら放映されてたかもしれないという感じ、40過ぎの方なら、ご理解いただけるかもしれません。

まあ、マニア向けにこういうDVDを廉価版で発売してくれることはうれしいのですが、できることなら、もう少し画質のよいものを売って欲しいものです。

「ザ・ムーン」は現代史の中で記憶すべきイベントです。

今回は新作の「ザ・ムーン」をTOHOシネマズ川崎6で観てきました。朝1回だけの上映のせいか意外とお客さんが入っていました。ドキュメンタリーだし、題材は地味な月なのになあ。

1960年代初頭、ケネディ大統領は、60年代中に月に人を送ると宣言しました。ソ連との政治的緊張状態の中で宇宙開発競争が行われていた頃です。その中で、アポロ計画は進められ、まずは月の周回飛行を行い、そして、ついに1968年、アポロ11号が初めて月に着陸したのでした。それから、1972年のアポロ17号まで、全部で12人、たった12人の人間が月に自分の足跡を残したのです。そして、以後、誰も月に行った人間はいないのです。

私は、アポロ11号の時は小学生でして、学校から家に帰ったとき、テレビで月面の様子を放映していたのを見た記憶があります。録画だったのか、生中継だったのかは記憶にないのですが、人類が月へ行ったというのは、大ニュースだった記憶は今も鮮明です。漫画雑誌でもアポロの特集記事が組まれていましたし、雑誌の工作付録で紙で組み立てるアポロ11号が付いてきましたし、宇宙がブームだった時代でした。今、考えると人間が月面を歩くことがなぜそんなすごいことだったんだろうって思うのですが、当時の熱気はすごかったように思います。

この映画は、アポロ計画に関わった宇宙飛行士の現在のインタビューと、当時の記録フィルムを編集して、月へ行くってどんなことだったんだろうなあって追体験できるドキュメンタリーになっています。あちこちの映画祭で賞をとっているのですが、アメリカ映画でなく、イギリスの映画というのがちょっと意外でした。でも、タイトルにロン・ハワード提供と出ますから、どういう資本で作られたのか、気になります。イギリスのデヴィッド・シントン監督は、アポロ計画の詳細な中身を描くというよりは、月へ行くってことの雰囲気を汲み取ろうとしていまして、かつての宇宙飛行士の表情を淡々と追っていきます。

当時のアメリカは泥沼化したベトナム戦争のせいもあって、宇宙開発は国威発揚の大きなイベントでした。政治的なことを抜きにして、素直に全世界に誇れるプロジェクトとして宇宙開発は位置づけられていました。今、同様に位置づけられるものは世界に存在しないですから、それは特別な時代だったとも言えましょう。元宇宙飛行士は、アポロ計画に参画できたことを幸運と表現する一方で、ベトナムで戦っている同胞に対して後ろめたさも感じていたようです。とはいえ、月着陸は単なるアメリカの国威発揚イベントにとどまらなかったという点はすごいと思います。「アメリカ、月に立つ」ではなく「人類、月に立つ」というニュース見出しからもわかるように、このイベントは国家の枠組みを超えた世界的イベントとして位置づけられていたのです。月の軌道に入ってから発生した事故により、着陸を断念して、それでも無事に地球に帰還したアポロ13号のケースは世界中が固唾を呑んだ世紀の偉業とも呼べるものでした。

この映画で面白いのは、ものすごいお金がかかっているようで、その精度が結構あやしかったということがあります。直接語られてはいないのですが、言葉の端々に、アポロ計画が人間依存のプロジェクトだったことが読み取れます。99.99%の精度ってのは、1万個の部品の一つは壊れてるというレベルなので、そのあたりは人間の知性と根性でカバーして、最終的には運を天に任せていたようなところがあります。そういう意味では、チャレンジであり、冒険であったのです。

でも、アポロ計画も1968年のアポロ11号がブームのピークでした。1972年に終了してから、有人宇宙飛行はスペースシャトル計画なので進められてきたのですが、それは世界を一つにするほどの求心力を持ってはいません。宇宙空間を一つの実験室のように位置づけて、科学の進歩を図るというのは、大変意味のあることですが、あくまで宇宙へ飛ぶこと自体が目的ではなくなっているのです。

アポロ計画の後半も、科学的研究の色合いが濃くなるのですが、それでも、月へ行くこと、そして、月から地球を見るということは、個人の体験として、特別の意味があったと映画の中では語られます。宗教的な悟りとも言うのでしょうか。自分たちが世界の全てと思い込んでいる地球が、ものすごくちっぽけではかなげな存在であることを実感するというのは、人間の価値観を変えてしまう力を持っているようなのです。地球上の争いとか差別とか私欲といったものは、何てつまらないことなのか、そして、この地球に生きることがどんなに幸せなことなのかを再認識した、と彼らは言います。そういう経験のない私には、「ふーん」というしかないのですが、視点を変えて物事を見ることで、新しい発見があるというのは、なんとなく納得できます。東京タワーの展望台から、東京を眺めてみても、何となく気分が変わりますもの。

この映画は、宇宙開発、特に月着陸を中心に据えたアポロ計画を現代の歴史の中で、見直してみようという意図が感じられました。現代の歴史を書き残すという意味では大変意味のある映画だと申せましょう。あれから40年もたった今、アポロ計画というプロジェクトを見直してみると、月着陸がそんなにすごいこととは思えないのも事実でして、これって「○○とニワトリは高いとこへ上る」って話だよねって言えなくもないなって気がします。でも、世界中が一体となって注目したポジティブなイベントがあったんだよってのは、記憶しておく価値があります。もっともっと先の時代になって、この映画を見直した人は、昔の人はこんなことで盛り上がってたんだねーって、また新しい発見をするのではないかしら。人間って、面白いなあっていう一つのサンプルではないかと。

「ザ・クリーナー」は役者もネタも豪華に盛り付けた幕の内弁当みたいな

今回は新作の「ザ・クリーナー」を銀座シネパトス1で観てきました。デジタル音響が映画館の標準となっている中で、ロードショー館でありながら、アナログ音響(ドルビーSR)しかないってのは、今や希少価値になりつつある映画館です。いや、イヤミでなくマジで。

犯罪事件や不慮の死の後の現場を掃除するステリクリーン社の社長トム(サミュエル・L・ジャクソン)が、あるお屋敷の掃除の依頼を受けます。誰もいないお屋敷に着いた彼は指示通り、植木の下の鍵を取って、中に入り、殺人の後と思しき血痕をきれいに片付けます。鍵を持ってきてしまった彼は翌日、その家を再度訪れるのですが、そこにいたアン(エヴァ・メンデス)は、清掃の依頼なんかしたことがないと言います。その後、アンの夫であるジョン・ノーカットが失踪したというニュースが流れます。彼は元市警本部長の収賄事件の証人で、ある意味、警察を敵に回している存在だったのです。誰かがジョンを殺し、その後始末をトムにさせたのです。トムは元警察官であり、彼も妻の死に関係して収賄に関与していました。下手に後始末のことが警察に知られれば、殺人犯にされかねないことから、かつての相棒エディ(エド・ハリス)に相談をかけます。警察はあてにできない状況下で、果たしてトムは自分の潔白を証明できるのでしょうか。

サミュエル・L・ジャクソン、エド・ハリス、エヴァ・メンデスという豪華な顔合わせのミステリーサスペンスでして、「クリフハンガー」「ディープ・ブルー」などのパワフルな大作で有名なレニー・ハーリン監督作品です。ハーリンの演出はハッタリの利かせ方がうまい一方、やや大味なところもあって、こういう題材にはどっかなー?というところもありました。

まず、死の現場の掃除人という設定がなかなか面白くて、出だしはブラックコメディ風なので、その線でトントンと話が進むのかと期待したのですが、無人のお屋敷の清掃に行くところからは、シリアスなミステリー展開となります。ドラマ的には、なかなか盛りだくさんの内容でして、主人公の娘の亡くなった母への想いですとか、賄賂まみれの不正の警察ですとか、元相棒との関係ですとか、全部取り込みかねているところもあるのですが、サブプロットも含めて、正面から人間ドラマを作ろうとしている節がありました。上映時間が90分と今時の映画にしてはコンパクトにまとめていることもあって、全体的には、幕の内弁当みたいな、こじんまりと、でもそんなに悪くない味の映画に仕上がっています。

トムは事実を警察に話すわけにはいかないのですが、警察の捜査はトムの会社にまで伸びてきます。ジョンの死体が発見され、彼を殺す動機が汚職警察側にあるもので、トムはますます八方塞りになってきます。事の真実を知りたいアンもトムに協力し、ジョンの持つ贈賄帳簿を渡してくれます。トムはその中に自分の警察官番号を発見して愕然となります。それまで疎遠にしていた元相棒のエディに協力を求めるトムなのですが、エディは警察全部を敵に回す帳簿は処分して、この件から手を引けと忠告します。



この先は結末に触れますので、ご注意ください。



ミステリーとしては、それほどのびっくりもないのですが、そもそも、最初にトムがお屋敷に入れた合鍵の存在から、アンに愛人がいることがわかってきて、その愛人の正体がエディだということが判明するのです。アンは一度はエディの子供を身ごもるのですが、その後、流産してしまいます。それを、ジョンが堕胎させたと思い込んだエディが、その恨みから、ジョンを殺害し、その後始末をトムに依頼したのでした。トムが、ジョンが警察汚職の証人であることを知れば、自分も関与していた事件だけに、事を公にせずに口をつぐむだろうという読みがあったのです。ところが、トムが真犯人探しに深入りしてきたので、エディにとって想定外の事態となります。トムは警察に帳簿を渡して取引しようとするのですが、エディがトムの家で娘と一緒にいることを知って、トムとエディは対決することになります。トムに銃を向けて発砲しようとするエディですが、間一髪、娘のローズがエディを射殺するのです。

トムの娘のローズは6歳のとき、強盗に殺害された母親を見つけたという過去を持っていて、同じことが父親にも起こることを怖れていました。そんな彼女が、父親の命を救うために自分の名付け親でもあるエディを射殺するのは、相当ドラマチックな展開なんですが、ハーリンの演出はクライマックスの畳み込みを割りとあっさりと流していまして、このあたりは、テレビの2時間ドラマレベルのテンションになっています。それもまた、全体をこじんまりとまとまったという印象にしています。それなりのアベレージは押さえていまして、決して嫌いではないのですが、昔なら、2本立ての添え物の方に位置づけられる映画になっちゃうのかな。

ヒロインのエヴァ・メンデスも魅力的ですし、主演の二人も頑張っていまして、その他、ルイズ・ガスマン、ロバート・フォスター、娘役のキキ・パーマーといった脇役陣も好演していますので、映画として、安っぽい作りにはなっていないのですが、ネタを盛り込み過ぎて、全体としてこじんまりとまとまってしまったようです。派手なアクションもなく、どんでん返しもないミステリーって、つい「2時間ドラマみたい」って表現しちゃうのですが、こういうジャンルの映画も昔からあるわけでして、その中では、アベレージの出来ではないかしら。しかし、「2時間ドラマみたい」って言うのは蔑称になっちゃうのですよね、なんとなく。

「レボリューショナリー・ロード」は幻想的でクールなニューマン節が聞きもの


「タイタニック」の主演コンビが贈る大ロマン映画みたいな宣伝が実は大ウソだった「レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで」の音楽を手がけたのは、「グリーン・マイル」「ウォーリー」「ファインディング・ニモ」などで有名なトーマス・ニューマンです。この人、厚みのあるオーケストラスコアを書く人なのですが、一方で、彼独特のタッチを持った音楽も多数書いています。「アメリカン・ビューティ」「リトル・チルドレン」などは、一聴してニューマンだとわかる個性的(ある意味、前衛的)なサウンドでして、今回の「レボリューショナリー・ロード」もそのいわゆるニューマン節が全編に渡って流れます。

ピアノのソロがどことなくファンタジックな味わいで流れて、そこにストリングスがかぶさってくるメインテーマは、まさにニューマンサウンドというべきもので、サム・メンデス監督があえて「アメリカン・ビューティ」のタッチを指定したのかと思うほどです。同じようなファンタジックな曲を書く人にマーク・アイシャムがいるのですが、アイシャムがどこか暖かみのある音になっているのに対して、ニューマンの音楽はどこかクールなのです。幻想的なピアノの音がどこか異世界を感じさせる一方で、映画から一歩距離を置いているので、そこにクールな視線を感じさせるのです。単にそれだけだと、映画のサントラになりにくいのですが、人間ドラマの部分には、バックに厚めのストリングスを鳴らしてエモーショナルな描写をしています。また、時にはシンセサイザーをバックに使うことで、より幻想的なイメージを作り出してもいます。全体的には、どこか醒めた視点から、人間ドラマを描写しており、シリアスな展開をブラックユーモアに変えてしまっているのも、この音楽があってのことと思います。

アルバムには、途中に昔のスタンダードナンバーを3曲入れてあるのですが、ニューマンの音楽に囲まれてしまうと、これらナンバーもどこかシニカルな味わいになるのが面白いところです。それだけ、音楽の力で映画を支えていると言えますし、映画のカラーをきちんと押さえたサントラということができます。ニューマンの音楽だけ聴くと、現代音楽のCDのような気がしてくるアルバムです。

「007 慰めの報酬」のサントラは、映画そのものの印象を継承してます


007らしからぬ作りが娯楽大作として今一歩だった「慰めの報酬」の音楽を担当したのは、「トゥモロー・ネバー・ダイ」以降の007を一手に手がけているデビッド・アーノルドです。今回は映画の雰囲気がこれまでとは異なるのですが、音楽としては、大きな変更をしていないようです。

アクションシーンは、画面の厚みの足りない分、かなりブラスセクションを使って、重厚な感じを出しています。テンポの早いアクションを描写するときも、ブラスとストリングスを交えて、単にパーカッションが先走らない音作りになっていまして、007シリーズの定番だったジョン・バリー風サウンドを交えて、上滑りしないアクション音楽はさすがにシリーズとしてのツボは押さえています。世界中を舞台にする映画だけに、舞台となる国、都市を表現する音楽も抜かりなく入っていますし、要所要所にモンティ・ノーマンの007のテーマを入れていて、それが全体の流れとうまくマッチしているあたりに職人的うまさを感じさせます。

一方でドラマ部分が少ないせいか、ラブテーマとかドラマチックな盛り上げというのがなく、シリアスなシーンは静かなピアノとストリングスでやり過ごしているという感じでして、アクション一辺倒の音作りになっているのが、全体的なスケール感に欠ける印象になってしまいました。これは音楽のせいというより、映画そのものがハードアクションの作りになっているので、仕方のないことかもしれませんけど。ともあれ、ハリウッド映画の娯楽アクションのサントラと言われれば、かなりよい出来だと言えますが、英国の007の音楽というにはもう少し潤いが欲しかったような気がします。まあ、それだけ、私は、007=ジョン・バリーという先入観が強いということなんですけど。

今回の主題歌は、アリシア・キースとジャック・ホワイトによる「アナザー・ウェイ・トゥ・ダイ」なのですが、アレンジだけ007風にしても、メロディラインがスカスカという印象なので、何か物足りない音になっていました。前奏、間奏と歌の部分がこれほどギャップのある歌も珍しいのではないかしら。

「シャッフル」のサントラはホラータッチの渋めサウンド


映画そのものの出来栄えとしては、メロドラマなのかホラーなのか、腰が据わっていないのが残念だった「シャッフル」ですが、その音楽を手がけたのは、「16ブロック」「ポセイドン」などのクラウス・バデルトです。メロディアスな旋律を書くタイプではないのですが、映画を盛り上げるための縁の下の力持ち的な音楽を得意とする、いわゆる職人タイプの作曲家です。ただ、鳴らし過ぎると「ポセイドン」みたいに、妙に軽くなっちゃうところもあります。代表作としては「パイレーツ・オブ・カリビアン」があるのですが、ハンス・ツィマーとの共作で、テーマは彼の作品と言われています。

オープングから、オーケストラによる不安を煽るサウンドで始まります。オーケストラにピアノのアルペジオがかぶさって、これから怖い話が始まるよーという宣言音楽とでも申しましょうか。しかし、ドロドロした恐怖音楽ではなく、流麗に流れるストリングスがあくまで、品の良いレベルで、不安を募らせていきます。そのトーンは全編に渡って統一感があって、ホラーになったりメロドラマになったりする、やや落ち着きを欠いたドラマの押さえ役になっているようです。原題が、予兆とか警告という意味なのだそうで、音楽も不気味な予感を表現したものが多いです。ヒロインの愛のテーマとも呼ぶべき曲もあるのですが、地味な音楽で、メロディラインは前面に出てきません。ラストで愛のテーマを再度流して、未来への希望を見せはするのですが、全体としてはホラー映画の音としてまとまっています。とはいえ、ストリングスの鳴らし方、ピアノの使い方など、ホラー映画の定番の音作りをしっかりと押さえていますので、映画音楽としての出来はかなりいい線いってるのではないかしら。

「ラースと、その彼女」のサントラは、音楽だけ独立しても癒し系


変態チックな設定なのにメチャ泣かせるという変な映画だった「ラースと、その彼女」の音楽を手がけたのは、ギタリストとして有名らしいデビッド・トーンという人で、映画にも何回か関わっている人で、「悪霊喰」なんてオカルトホラーのサントラも手がけています。今回は、ギター、ピアノ、クラリネットを中心に、小編成のストリングスを交えた、カントリー風でもあり、ウィンダムヒルのニューエイジ音楽を思わせる音の作りになっています。

メインタイトルに流れるギターとクラリネットによるテーマは、ラースのいる街、その冬の風景を表現したものになっていまして、静かな導入部から、音楽はドラマに沿った形で、展開していきます。情景を描写するというよりは、一歩退いた視点から、画面についていくという感じの音作りでして、音楽だけ聴くと、クールな味わいもあるのですが、画面と一緒になると不思議な暖かさを運んできます。ちょっとファンタジックな味わいが、フランスのクリンペライというアーチストの音を思わせる部分がありまして、そこもお気に入りでした。特に、主人公ラースを描写するピアノの曲が切なげで印象的でした。映画は、ドラマチックというよりは、ほのぼのと展開するのですが、音楽は、その穏やかなドラマにちょっとした陰影をつけているようでした。ドラマを盛り上げようというオーソドックスな映画音楽とは一線を画す音作りなのですが、こういうのも映画音楽なんだという、いいサンプルではないかしら。

サントラとしてだけではなく、独立したアルバムとしても、ちょっと癒されたい時にオススメできます。映画を追体験しようとするよりも、聴く人のイメージが広がる音になっています。

「シャッフル」は思いつきから話を膨らませそこなったような

今回は新作の「シャッフル」をシネプレックス平塚シネマ2で観てきました。2007年のスリラーを今頃公開というのもちょっと不思議ですが、こういう映画って正月映画前に公開されることが多いので、去年の秋に公開しそこなったのを今やってるのかなって気がします。冒頭で、トライスターのロゴが出たのが久しぶりだなーって気分でした。まだ、あったんだ、トライスター。

夫、娘2人の4人家族で幸せに暮らすリンダ(サンドラ・ブロック)のもとに、夫のジムが交通事故で死んだという知らせが届きます。呆然とする彼女、子供のことは母親にお願いしたものの、抜け殻状態です。そして、翌日、目が覚めてみれば、なんど死んだ筈のジムがコーヒーを飲んでいるではありませんか。うーん、何だか変だけど、ジムが無事なら、と思ったら、その次の日、目が覚めたら、何とジムのお葬式やってるではありませんか。娘の怪我を自分のせいにされたリンダは病院に強制収容させられちゃいます。そこで、薬を注射されて眠りについた彼女が目を覚ますと、夫のジムはシャワーを浴びてます。どうやら、ここ一週間の日の順番が入れ替わっているようなのに、リンダは気付きます。そして、ジムの死んだ日はまだ来ていません。ひょっとして、ダンナの死は回避できるものなのかしら。

サンドラ・ブロックは好きな女優さんなので、出る映画は大体チェックしています。華やかな美人ではないので、温かみと愛嬌のあるヒロインを演じた「あなたが寝てる間に」「トゥー・ウィークス・ノーティス」といった作品が好きです。今回は、彼女には珍しい超自然スリラーということで、どういうヒロインになっているのかが興味ありました。ドイツ出身のメナン・ヤポという監督さんのハリウッドデビュー作品でもあります。

のっけから、ダンナが死んだという一報を受けてダメージ重大なヒロインです。そのショッキングなオープニングから、日が変わるたびにますます変なことになってくるという展開は、かなり不思議です。プログラムを読むと、この物語のできた発端は、死んだ筈の夫が次の日に生きてたらどうなるだろうって思いついたからだそうです。なるほど、そこから、話を膨らませたのか、と言いたいところなんですが、ビル・ケリーの脚本は、お話をあまり膨らませてくれないのです。なぜ、そんな不思議な事態が起こって、それをどう解決するのかっていうお話を期待すると肩透かしを食わされることになります。そういう異常事態に対して、ヒロインがダンナへの愛を取り戻すという展開は、お話の軸をそっちへ持っていくかーって意味で、意外性がありました。

一方でミステリーとしての、伏線みたいのが山のように張られていまして、過去から未来に向けて色々なものが残されているので、それを前後して入手することで、リンダは今起こっていること、これから起ころうとしていることを探ろうとします。このあたりは、正直、伏線ネタが多すぎて、全部掌握するのは、大仕事という感じです。ネタのほとんどは本筋とはからまないので、何だか、アソビが過ぎるのではないかしらって気がしちゃいました。特に、中盤のホラー演出は、後半の展開に向けては明らかにミスリードでして、



この先は結末に触れるのでご注意ください。



朝、目が覚めるたびに、夫のジムが生きてたり死んでたりするのですから、リンダは精神的にかなり参っちゃいます。でも、その一方で、いかに自分がジムを愛していたか、そして、そのことに鈍感になっていたということに気付き始めます。一見、幸福なようで、実はその幸福を実感できていなかったリンダ。なるほど、意外とありがちな、中年主婦の幸せ探しのような展開に持ってくるかとちょっと感心もしたのですが、それまでに、超常現象でヒロインを振り回し過ぎました。結局、曜日の順番が変わってしまうことの原因なり意味の説明を一切しないっていうのは、思いつきで作った物語を放り投げてしまったような印象が残ります。後半で取ってつけたように登場する教会のシーンで、愛と希望というキーワードが唐突に登場するのですが、それこそ、前半で伏線を張っておいて欲しかったです。

クライマックスはあらかじめ事故を知っているリンダが、何とか事故を起こさないように走り回ります。出張に出た夫を追いかけて、彼を引き止めることに成功します。しかし、彼が車を止めた場所こそが事故現場だったのです。結局、リンダは事故を食い止めることができませんでした。でも、彼女の体には、ジムの3人めの子供が宿っていたのです。

リンダはジムを救うためにギリギリのところまで頑張るのですが、結局ハッピーエンドにはなりません。最後にヒロインが大きなお腹を見せたところで、運命(というか、作者の思いつき?)に振り回されるヒロインは報われないように思えました。普通にダンナが事故死したら、このヒロインのように自分を振り返ることもダンナへの愛情を再認識することもなかったのかもしれません。それでも、何だか気の毒なヒロインでありました。そういう、カワイソー的なキャラは、サンドラ・ブロックにはちょっと似合わないような。

前半では超自然スリラー、後半では中年夫婦の愛情再確認、とドラマの軸が変わってしまうので、映画全体の印象が散漫になってしまったのは残念でした。ケイト・ネリガン、アンバー・ヴァレッタ、ピーター・ストーメアといった曲者脇役も、もったいないなあって感じでした。クラウス・バデルトの音楽が最近の映画には珍しくオーソドックスなドラマ音楽になっていまして、ドラマの押さえ役になっていました。押さえた方がよかったのかどうかは、微妙なところなんですけど。

プロフィール

einhorn2233

Author:einhorn2233
Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR