FC2ブログ

「この自由な世界で」を観て、久々に何だか困ってしまった

今回は、東京では昨年公開された「この自由な世界で」を横浜シネマジャックで観て来ました。ケン・ローチ監督二本立てだったのですが、時間の都合で1本しか観られなかったのが残念。

アンジー(キルストン・ウェアリング)は職業紹介の会社をクビになり、ルームメイトのローズ(ジュリエット・エリス)を巻き込んで、自分で職業紹介所を開きます。組織のバックアップもない彼女ですが持ち前のパワーで、外国人労働者を集め、商売を軌道に乗せることができます。11歳の息子は両親に預けっぱなしで、学校では問題を起こしています。彼女の父はポーランド移民で貧しい中でアンジーを育ててきて、息子の将来を気遣います。一方で、彼女の紹介した先で賃金不払いが発生というトラブルが発生、彼女は外国人労働者から泥棒呼ばわりされます。また、彼女は商売を広げるため、違法であることを承知で労働許可証を持たない外国人の斡旋も始めます。そして、労働者への賃金不払いのツケがとんでもない形で彼女に跳ね返ってくるのでした。

イギリスの有名な監督ケン・ローチの新作です。とは言え、私は彼の作品は最近の「麦の穂をゆらす風」しか観ていません。理不尽な政治のもとで暴力に身を投じさざるを得なくなる若者を描いて見応えのあるドラマだったので、同じ、脚本、監督コンビ作品ということで食指が動きました。

映画は、会社をクビになったアンジーが自分で職業紹介所を開業するところから始まります。それなりの人脈もあるし、職を欲しがっている移民は山ほどいるようです。彼女のガンバリが実を結んで商売は順調に進みます。貸家の又貸しもやったら、これも結構もうかる。アンジーとローズはたくさんのお金を手にすることができました。アンジーの父親はそんな娘を心配します。預かっている息子のことも気がかりなのですが、アンジーはなかなか親の言うことは聞かず、この先、仕事が拡大してラクになるまで待ってくれと言います。息子は学校で暴力沙汰を起こす問題児ではあるのですが、アンジーの前では母の愛を求める孤独な子供でした。

ある日、彼女は工場の社長に労働許可証のない連中を扱ってはどうかと言われます。不法就労の斡旋は懲役5年になることを知っている彼女はそれを拒否するのですが、実際にやったマフィアの連中におとがめはなかったことを聞き、彼女の心も動きます。何だか、花登筺の根性ドラマを思い出しました。貧乏だけど上昇志向のヒロインが持ち前の根性でのし上がっていく、そんな成り上がり物語なのかなとも思ったのですが、仕事先での賃金の不払いが発生して、彼女の前に暗雲が立ち込めてきます。道を歩いてたら、すれ違った男に殴られたりします。アンジーが悪いわけではないのですが、労働者からすれば彼女に憎しみの矛先が向くのも無理はありません。でも、アンジーはそれでも自分の取り分は確保しているわけで、既に彼女は労働者から搾取する側にまわってしまっていたのです。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



大きな仕事を請け負ったアンジーは、大人数の宿舎を早急に確保しなければならなくなります。すると、彼女は違法移民のいるトレーラーハウスに目をつけて、そこを入国管理局に密告して、住民を一掃しちゃおうとします。こうなると良心の向こう側の行動としか思えないのですが、毅然としてやってのけちゃうアンジーの非情さには、こういう仕事してる人間ならさもありなんと思える説得力がありました。そのことが原因で相棒のローズはアンジーと手を切ってしまいます。

そして、ある日、覆面姿の外国人と思われる男たちがアンジーの部屋に押し入り、持ち金を奪い、さらに追加に金を払え、さもないと息子の安全は保証しないと脅されてしまいます。そして、彼女はまたポーランドへと行って、労働者をロンドンへ送る仕事を続けると言うところで映画は終わります。アンジーは、弱い立場の移民を食い物にせざるを得なくなってしまうところが何とも言えない後味が残ります。自由な選択のできる筈の世界で、よい人であろうともしたアンジーなのに、結局、弱い人間が搾取されるシステムの中に取り込まれてしまいます。それによって、彼女は何がしかの金を手にすることができるわけなのですが、でも、こういう結末にならなくても、と思わせるものもあるのです。

アンジーの父はポーランドからの移民で貧乏で苦労した人、そんな父親を見て来ただけに貧乏はいやだと思うアンジーは確かに上昇志向だと言えます。単なる労働者に甘んじてしまったら、父親の二の舞にしかならないことをよく知っています。しかし、そのために労働者から搾取する仕事を選んでしまったのに、父親は不満です。考えていくと、「でも」「でも」が繰り返されてしまうような内容で、そのある種の閉塞感は、とても自由の国の出来事とは思えません。貧困と移民というキーワードから、社会の矛盾を描いていると言えば、何だかわかりやすい映画とも思えるのですが、実は矛盾してないんじゃないかと思わせるところにこの映画の深さがあると思います。久々に観ていて、困ってしまう映画、そんな感じでした。

スポンサーサイト



「ピンクパンサー2」は扱いは悪いけど、定番の面白さは押さえてます

今回は、新作の「ピンクパンサー2」を日劇3で観てきました。この映画、何だか扱いが悪くて夜の回しか上映してなくて、プログラムも作られていないのですよ。日本でのコメディの扱いの悪さは今に始まったことではないのですが、前作のパート1はもう少しマシだったような。(プログラムも出てたし。)

10年の沈黙を破って国際的怪盗トルネードが活動を開始しました。フランス警察がリーダーシップを取って、英仏日伊の警察官がドリームチームを組むことになりました。そしてフランス警察の代表に選ばれたのが、駐車違反の係に身を落としていたクルーゾー(スティーブ・マーティン)でした。それと時を同じくフランスの至宝ピンクパンサーがトルネードに盗まれてしまいます。イタリアのプランカレオーネ(アンディ・ガルシア)、イギリスのペパリッジ(アルフレッド・モリーナ)、日本のマツド(松崎悠希)、さらにトルネードに詳しいソニア(アイシュワリヤー・ラーイ)がチームに参加して捜査を開始します。でも、クルーゾーには事件よりも、気がかりなことがありました。恋仲になってしまった秘書ニコル(エミリー・モーティマー)がプランカレオーネと怪しい雰囲気なんですもの。捜査の方は、美術商のアロンゾ(ジェレミー・アイアンズ)が怪しいということで、ドリームチームはローマに向かうのですが、時を同じくしてバチカンで教皇の指輪がトルネードに盗まれて面目丸つぶれ。さらにクルーゾーのはちゃめちゃぶりがマスコミ報道され、彼はドリームチームから外されてしまうのでした。

クルーゾー警部と言えば、亡き名優ピーター・セラーズの当たり役ですが、この役をスティーブ・マーティンが演じた前作「ピンクパンサー」はマーティンのクドい演技をショーン・レヴィの演出がうまくコントロールしたという感じでなかなか楽しい映画に仕上がっていました。今回は、監督がハラルド・ズワルトに交代して、前作のようなバカバカしい笑いは少なめになって、定番を押さえたコメディとして手堅くまとまったという印象です。今回は、ストーリー重視という内容になっているので、お気楽に観るには楽しい映画ですが、前作と比べるとやや物足りないのが残念かしら。

今回はなかなかキャスティングが豪華で、捜査官のガルシア、モリーナに、ドレフュス役にジョン・グリース、さらにメインタイトルに名前が出ないジェレミー・アイアンズまで登場し、マジメに演技してるところが微笑ましいかぎり。これら豪華な脇役に比重がかかっている分、クルーゾーのインパクトがやや弱くて、彼にはもっと周囲を困らして欲しかったです。前作よりもクルーゾーのヒーロー度が高くなっちゃってるのは、個人的にはマイナス点でした。そんな中では、リリー・トムリン演じる礼儀教育係とのやりとりの中にマーティンらしいおかしさがありました。ここをもっと膨らませたら前作の「ハンバーガー」に匹敵する名シーンになったのにと、ちょっと惜しい感じ。前作からの続投は、マーティンの他は、ポントン役のジャン・レノと、ニコル役のエミリー・モーティマーでして、この二人がいい味を出して、ドラマを支えています。モーティマーは前作よりも出番多くてメガネキャラがなかなかにかわいかったのです。この人、「マッチポイント」「Dear フランキー」「ラースとその彼女」と色々な役どころを魅力的にこなす役者さんで、私は「キッド」以来のファンなのですが、この映画でも、脇役で地味だけど、きちんとコメディしているあたりが見事でした。

クルーゾーが捜査をかき回してしまう部分は定番ながら、きっちりと撮られていまして、美術商の屋敷での一人ドタバタから、ローマ教皇のカッコしてバカやったり、子供二人とのカンフーごっこまで、動きを中心にした見せ場になっているところは買いです。ただ、もっと下品にもブラックにもできたところをまろやかにまとめているのは、監督のセンスなのかもしれませんが、「もっとやれ」の気分になったのも事実でして、ここは好みの分かれるところかもしれません。



この先は結末に触れますのでご注意下さい。



トルネードの自殺死体が発見されて、事件は決着してしまいます。盗まれたお宝もピンクパンサーを除いては全て発見されます。一応、クルーゾー抜きのドリームチームの手柄となり、クルーゾーは駐車違反の係に戻ってしまいます。

しかし、ラストでは、意外な事実が判明して、またしてもクルーゾーが手柄を立ててしまうのですが、今回は、棚からボタモチではなくて、マジにクルーゾーが有能な警察官になっちゃっているのは、脚本が弱いのかな。ソニアがかつての恋人トルネードに罪を着せて、その上で自殺に見せかけて殺してしまったというのです。そして、換金できるお宝ピンクパンサーだけは持っていたというお話。彼女の車のナンバーを駐車違反でクルーゾーが控えていたために彼女の犯行がわかるというのは、ありかなあって気もするんですが、ピンクパンサーが盗まれるのを想定していて偽モノと取り替えていたというのは、ちょっとやり過ぎの感がありました。ともあれ、ソニアは逮捕されて、クルーゾーはニコルにプロポーズし、二人は結婚することになります。結婚式で、オープニングの笑いが繰り返されるあたりはうまいと思いました。

「俺たちフィギュアスケーターズ」「トロピック・サンダー」のような悪趣味系コメディも嫌いではないのですが、この「ピンクパンサー」シリーズのようなまっとうなコメディの良さもまた捨てがたいものがあります。「ピンクパンサー2」は、現代のまっとう系コメディの標準的なポジションになるのではないかしら。ドタバタあり、ラブストーリーあり、そしてハッピーエンドという娯楽映画としての王道を行ってるという感じでしょうか。と、言いつつ、最終的な感想は「もっとやれ」なんですよね。クルーゾーにはもっと大暴れして欲しかったなと。

「ザ・バンク」は金持った悪い奴が一番強いと念押しする映画、かな?

今回は、川崎TOHOシネマズ6で新作の「ザ・バンク 堕ちた巨像」を観てきました。ここはシネコンの中でも、普通の劇場タイプの作りになっている映画館で、シネスコになっても上下が縮まないのがいいです。

巨大銀行BCCIが違法行為を行っていることを、ニューヨーク検事局のエレノア(ナオミ・ワッツ)は、インターポールのルイ(クライブ・オーウェン)と協力して捜査を進めていました。内部告発者を探していたのですが、関係者は次々と変死してしまい、なかなか首根っこをつかまえることができないでいました。そんな二人が、イタリアで、BCCIと取引予定の武器商人と接触を持ったのですが、その直後、彼は演説会場で狙撃されます。犯人は警察に射殺されるのですが、実はその狙撃者は囮で、BCCIの息のかかった警察のせいもあって、テロリスト集団による暗殺として処理されてしまいます。一方、ルイとエレノアは、本当の狙撃者の存在を見つけて、その足取りを追って、ニューヨークへ。ニューヨーク警察の協力を得て、BCCIの殺し屋の存在をつきとめるのですが、その動きはBCCIへも知られていたのです。

「ラン・ローラ・ラン」「ヘヴン」「パフューム」などで知られるドイツのトム・ディクバ監督がヨーロッパとアメリカをまたにかけて撮影した全編英語のサスペンスもの。冒頭から緊張感のある展開で、死体検分など結構テンション高く見せるあたりで、どういう映画なのかなあって思っていると、巨大な悪であり、目的のためには手段を選ばない大銀行の存在が浮かび上がってきます。銀行というと、私には、押し貸しと貸しはがしをするロクでもないところというイメージしかないのですが、ここで登場するBCCIは、武器を仲介したり、国家とのコネで金もうけしようとか、逆らうものは殺しちゃうというやりたい放題の悪の権化。やり口が大変荒っぽいのは、悪の秘密組織そのもので、その上、政府や警察にもコネを持っていて、告発するのはまあ不可能に近い。そんな、巨悪に立ち向かうのがエレノアとルイなんですが、組織に属していながら、組織のバックアップがまるでない孤立無援の状態です。

特にルイは、ロンドン警察時代にBCCIを告発寸前までいきながら、証人を殺されたという過去もあって、執念でBCCIの尻尾をつかもうとしていました。その一方で、BCCIのえげつなさもよく知っていますから、普通のやり方では限界があるという認識がありました。そんな二人が、イタリアでの武器商人殺しの犯人を絞り込み、銀行のお抱え殺し屋の存在を突き止めて、ニューヨークで彼の姿を見つけ、尾行します。彼は、グッゲンハイム美術館に入ると、そこに銀行の顧問の男ウィルヘルム(アーラン・ミューラー・スタール)が殺し屋に接触してきます。ウィルヘルムは次の標的はルイだと殺し屋に告げて、その場を去ります。しかし、機関銃で武装した男たちが現れ、殺し屋の息の根を止めようとします。尾行していたルイたちも巻き込まれ、刑事は射殺され、成り行きから、ルイは殺し屋と共闘することになるのですが、美術館でのド派手な銃撃戦の末、殺し屋は死亡、BCCIを告発するための証人をまた失うのでした。

グッゲンハイム美術館のシーンはかなりの時間を割いて、実際のロケとセットをうまく使い分けて、迫力のある見せ場になりました。冷静に考えたら、殺し屋一人の口封じのために、機関銃装備した男を5,6人投入して、美術館の中で乱射させるってのは、荒っぽすぎて、リアリティがないのですが、ティクバの演出は、そのシーンがドラマの中で浮いてしまうことを承知の上で、見せ場として盛り上げています。美術館でのドンパチって展示品が吹っ飛ぶってのをやってみたかったんだろうなあ、きっと。結局、殺し屋と共闘して、証人を確保しようとしたルイですが、殺し屋は銃撃戦の末に殺されてしまいます。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



美術館からウィルヘルムを尾行した刑事が彼を押さえていました。BCCI逮捕のために、協力して欲しいと言うルイに、正義にこだわったやり方では連中には勝てないとウィルヘルムは冷静に説きます。ルイは法の力の外で決着をつけようと決意し、エレノアに手を引くように言います。そして、組織とは関係ない個人として行動を起こすのです。まず、BCCIによって暗殺された武器商人の息子に、父親を殺した犯人を継げ、BCCIの武器取引をダメにしてしまいます。頭取のスカルセンは、もう一人の武器商人と取引しようとします。ウィルヘルムはそのことをルイに伝え、現場での会話を録音することで、証拠を得ようとするのですが、会話が電波の届かないところで行われて録音に失敗。しかし、イスタンブールの町で、スカルセンを追跡したルイは、ついに彼を追い詰めて銃口を向けます。自分を撃ったところで次がいくらでも出てくるから無駄なことだとうそぶくスカルセン、その時、銃声がとどろいて、スカルセンは倒れます。あっけにとられるルイの前に、武器商人の息子の送り込んだ殺し屋がとどめをさします。

結局、ルイは自分の手を汚さずにBCCIの頭取を葬ることができたわけですが、そこに正義はあったのかというと、そんなことはなく。怨恨とパワープレイの前には、正義なんてなんか軽いというか空ろというか、リアリティを持つことができません。ルイの執念も巨大な悪の前には何か甘っちょろいものに思えてしまうのが怖い結末になっています。むしろ、巨悪に寄り添っていたウィルヘルムの言葉の方に重さを感じさせるものがありました。アーラン・ミューラー・スタールが貫禄の演技で、渋げに頑張ってはいるクライヴ・オーウェンを圧倒してました。二人が対峙するシーンをじっくり見せたことで、さらに悪に奥行きが出たのは、監督が狙ってやっているのでしょう。

銀行を絶対的な悪に据えて、その悪には個人の正義なんて痛くも痒くもないことを描いているのがなかなか見応えがあったのですが、後半、BCCI引いてはスカルセンの行動にアラが目立ってしまって、悪のパワーに底が見えてしまったのが残念でした。前半、絶対的な強さを持っていた悪役が後半で自滅に近いかたちでやられてしまうという、フツーの娯楽映画のパターンになってしまったのが残念です。プログラムでは銀行ってこれくらいの悪さは平気でするって書いてありましたけど、利権やお金のために戦争するわけですから、そこに銀行が一枚噛んでいても不思議ではありません。そんな悪い奴がお金で世界を牛耳っているってのはずいぶんと怖いことですが、どーにもならんってところが、この映画からも伺えるのが、余計目に怖いというか、何だか情けない世界なんだなあって気がしてきます。結局、そこへ落ち着いちゃうと、後味が悪いので、後半をフツーの娯楽映画に仕上げたのかもしれないです。本気で、悪い銀行を告発するという作りにはなっていませんし。

「冬の兵士」は戦争のおかしさに最初に気付くのは兵士なのだというドキュメンタリー

今回は東京でも通常興行での上映はされていない「冬の兵士 良心の告発」をシネマジャック&ベティのCAFEシアターで観てきました。こういう映画が、CAFEシアターという変則的な場所であるものの、通常興行の枠で上映されるということは、大変意義のあることだと思います。

2008年、全米労働大学にて反戦イラク帰還兵の会の集会「冬の兵士」が開催されました。イラクへ従軍した兵士たちがそこでの体験を語り、アメリカ政府に即イラクから撤兵を呼びかけようというものです。かつての兵士だった人々の証言から、イラクでいかに市民が犠牲になっているか、そして、兵士たちも精神的ダメージを受け、社会復帰も困難になっている実態があきらかになっていきます。

反戦イラク帰還兵の会があるというのは、この映画で初めて知りました。その集会のようすを、田保寿一が撮影、監督しました。彼らの証言から、イラク戦争でなかなかメディアに乗らない戦争の実相に迫ろうというドキュメンタリーです。

第1章の「戦闘モラルの崩壊」では、交戦規定という戦場でのルールがどんどん変わっていく様が語られます。基本的には、敵対行動を取ってきたものにしか攻撃しかけてはいけないことになっていたのですが、それがしょっちゅう変わっていき、双眼鏡や携帯電話を持った者、そして、停止しない自動車などへも発砲してよいことになっていきます。ひとたび、武装勢力との銃撃戦となれば、動くもの全てが発砲してよいものとなります。

基本的には、アメリカ軍は武装勢力から市民を守ることがたてまえでしたから、一般市民を保護するという意味からも交戦規定は遵守されることが必要でした。それでないと、占領に対する反感が大きくなり、近隣諸国からも非難の対象となるからです。ところが、今回のイラク侵攻軍は、それを無視したという証言が出てきます。確かに、イラクからのメディア情報はアメリカ軍によって規制されていましたから、イラク国内で、アメリカ軍のムチャなことをしても、それは世界に知られることがなかったという事実はありましょう。それにしても、市民と武装勢力の区別がつかないから、そこにいる人間をみんな敵と判断して殺してしまうということが、アメリカ兵自身が口を開かないと公にならないというのは、現代のメディア操作の恐ろしさを感じさせます。さらに、この集会そのものがメディアから黙殺されているのだそうです。日本でも、このドキュメンタリーができるまで、きちんと報道されていなかったのではないかしら。

また、結果的に無実の市民を殺してしまった兵士は罪の意識にさいなまれることになります。兵士たちは、怒りの発作がおきたり、うつ病になったり、PTSDに悩まされ、除隊後に職や家族を失うこともあるのです。彼らは自分たちを愛国者だと言います。でも、アメリカはイラクから撤退し、イラクに対する補償をし、兵士に対するケアをきちんとすべきだと、彼らは言います。そして、この問題は、個々の兵士の問題ではなく、軍上層部の戦略の問題であり、ひいてはアメリカ政府の政策の問題だと言い切ります。

第2章の「銃口の先に見たもの」では、戦争がいかに人間性を失わせるものかについての証言がされます。戦争をするにあたって、敵は自分たちと同じ人間ではないように思わせられます。そこには、メディアも一役買っていて、9.11の直後は、イスラム教圏の人間はみんなテロリストだと煽ったのです。それは、アフガニスタンやイラクへの偏見を生んだと言うのです。ハッジというメッカを巡礼したイスラム教徒を意味する言葉が軍隊のスラングでは、死んだイラク人のことを「あのヘッジのバカが」という使われ方をしていたそうで、そこには、イラク人に対する明らかな蔑視があり、彼らの死を何とも思わないメンタリティが存在していたようです。

ファルージャ掃討作戦のときは、夜動くものには何でも発砲してよいとされ、全ての市民が敵対しているとみなして、殺してもよいとされたという証言が出てきます。要は、アメリカ軍は、占領軍としてイラクへと行き、そこの治安を維持するために駐留していた筈なのに、守られるべき市民をすべて敵対する人間として扱うということをしていたというのです。そして、それは末端の兵士には上からの命令として指示されたというのです。にわかには信じられないような話なのですが、それが現実なのだと彼らは語ります。

第3章の「軍隊という監獄」では、イラクのサドルシティという地区では、市民がまるで戦争捕虜のような扱いだったという証言が出ます。劣悪な環境で、さらに夏の昼間は暑くてどこへも出られないようなところで、夜間は外出禁止令が出されていたそうで、市民の生活は監獄にいるとのと同じだったそうです。また、あるアメリカ兵は、イラクへの増援のために、軍をやめられず、精神をやられて自殺をはかって除隊したものの、もらえる筈の大学給付金をもらえずに、大学進学を断念し、病院通いが続く不安定な精神状態でなかなか職にもつけないと言います。

彼らは、自分たちのしたことの罪の意識をきちんと持ちながらも、それをさせた軍や国の責任を追及しようとしています。そして、そのことで、これ以上の犠牲者を出さないようにしたいという気持ちを持っています。なぜ、罪もない市民を殺してしまうのか、それは兵士のせいじゃない、そういう戦争をさせる国のせいなのだという視点は大変説得力がありました。この視点は、日本の大東亜戦争の戦争責任を語るときに欠けているものです。しかし、それはアメリカ政府にとっては愉快なものではないようで、メディアもきちんと取り上げていないようです。また、戦争が人間性を失わせるということは、殺された人間と殺した人間の両方を傷つけるのだということを明快に訴えてきます。

彼らは戦争は悪だとか、アメリカが悪だとかは言いません。でも、イラクのアメリカ軍の駐屯地に7歳の女の子が爆弾を体に巻きつけてやってきて、結局、アメリカ兵に射殺されたという証言は、戦争に対する猛烈な嫌悪感を感じさせるものでした。結局、少女を殺したことで、何人かのアメリカ兵の命が救われたという理屈になるのですが、それでは割り切れない嫌悪感がそこにはあるのです。戦争の当事者である兵士だから語れることを、この映画では知ることができます。アメリカには巨大なお金と力があるのですから、その気になれば色々なことができるのに、なぜ戦争という選択をするのでしょうか。政府とメディアはなぜ国民を戦争へと煽っていくのでしょうか。それはおかしいということに、最初に気付くのが、末端の兵士であること、その中で、良識と勇気のある人間が人々にその事実を伝えようとすること、そこにこの映画から学ぶものがあるように思いました。

政府のやるべき事は、戦争を起こさないこと。戦争を起こさないためには、国民の不満も、政府のメンツも、選挙の情勢も後回しにするという姿勢が大事なのだと再認識させる映画でした。

「リダクテッド 真実の価値」は、そこにあるままを見せるスタイルが怖い

今回は、東京では昨年公開された「リダクテッド 真実の価値」を横浜シネマジャックで観てきました。東京では渋谷シアターNでの公開だったようですから、上映環境としてはこっちの方がだいぶいいと思うのですが、夕方一回の上映であまりお客さんは入っていませんでした。(5,6人かな)

イラクに駐留するアメリカ軍のとある部隊。彼らはサマラの町の検問所を守っています。その中の一人、サラサールは映画学校に入学するという希望を持って、戦場でもビデオカメラを回しています。そして、フランスのドキュメンタリー映画のカメラが検問所での彼らの行動を記録していました。彼らは、検問所で指示に従わないイラク人に発砲して時には死に至らしめていたのです。その2000人の死者のうち本当の敵は60人だったと言います。ある日、白人のフレークが停止指示を聞かずに検問所に入ってきた車に発砲し、中の妊婦を殺してしまいます。それに対して、フレークや相棒のラッシュは「人を殺したがビビることもなかった。連中はゴキブリだ」と言い放ちます。ある晩、証拠もなく逮捕された男の家の娘をいただこうと言い出すフレーク。同僚のマッコイは止めるのですが、フレークとラッシュは逆に彼を脅し、サラサールは劇的瞬間をカメラに収めようと彼らと行動を共にします。家に押し入った彼らは家族を殺し、娘もレイプした後、殺して死体を焼くという恐ろしいことをします。しかし、良心の痛みにさいなまれるマッコイの行動、そして、イラク人の報復によって事件は多くの人の知るところとなっていくのでした。

サスペンス映画で多くの作品を作ってきたブライアン・デ・パルマが脚本と監督を担当し、イラクで実際にあったという米兵によるレイプ殺人事件を再現しました。と、言っても、彼がかつてベトナム戦争での兵士のレイプ事件を描いた「カジュアリティーズ」のようなストレートなドラマにはなっていません。まず、全編がフェイクドキュメンタリーの作りになっていまして、兵士の一人がビデオカメラを回しているという設定で、彼らの日常が描かれます。そして、フランスのドキュメンタリー映画として、彼らの検問所での日々が描かれ、さらに、YouTubeにアップされたサマラでの動画、さらには、監視カメラの映像に、イラクや欧米のニュース映像が編集されて、事件の全貌が浮かび上がるという構成になっています。

彼らの部隊が守る検問所での仕事は自分たちが武装している分、敵からの標的になりやすいということもあって、緊張を強いられるものです。すぐ近くでは、子供たちがサッカーをしているというのに、一方で、仕掛けられた爆弾によって、曹長はあっけなく爆死してしまいます。そして、敵の証拠探しという名目で家の中に武装して押し入って、そこの主人を証拠もなく逮捕してしまいます。そこには、従軍記者のカメラも回っているのですが、そこに映し出される映像は、どう見ても、因縁つけてムチャしてるようにしか見えません。そこの娘に目をつけたフレークたちが再度押し入って皆殺しにしてしまうのですが、フレークやラッシュには罪の意識はありません。彼らはどうやらプアホワイトと呼ばれるアメリカでも下層階級のようで、教育も十分でなく、刑務所か軍隊かという選択でイラクまでやってきたのでした。しかも、イラク駐留の目的や政治的なことにはまるで関心がないように見えます。実際に、イラク駐留の動機付けはされてないし、興味もないとようです。こういう連中が軍隊に入って、愚直に上層部の命令に従っているという図が見えてくるのですが、デ・パルマの視点は、戦場における犯罪行為にフォーカスをあてているようで、こんな形で、こんな連中を戦場に送り出せば、一体何が起こるのか、最初から見えてるんじゃないかという部分にまでは踏み込んでいないように見えます。フレークみたいな人間はアメリカにいてもロクなことしないような奴で、それがイラクへ来て、さらに狂気に走ったように見えるのですが、じゃあもっとマトモな人間を派兵すべきだったのかというと、そういう問題ではないような気がするからです。

一方で、死ななくても済んだイラク人が多数いたということはラストでは強調しています。アメリカ軍がイラク人をかつてのベトナム人と同じように恐怖と蔑視の対象として見ていることを糾弾しているように思えました。また、イラクでアメリカ軍が何をしているのかをきちんと伝えていないメディアに対する批判もあるようで、YouTubeの画面で流される映像から見えてくる戦争の実相は、通常のメディアでは語られないものです。ただ、軍の駐屯地の監視カメラの映像や、軍の内部記録映像なども登場して、そこから事実が見えてくる部分もあるというのは、この映画もある程度、神の視点からドラマを描かざるを得ないという限界を感じてしまいました。軍の管理している映像がオープンになるとは考えにくいからです。

それでも、映画は不気味な迫力を持って迫ってきます。イラクで、アメリカ兵の行った犯罪は、ベトナムの時と変わっていない、それを行う連中、止められない連中、隠蔽する連中がいるということ。これは、デ・パルマ監督の「カジュアリティーズ」と対にして観ることでより明快になります。この映画は通常のハリウッド映画よりうんと低予算で作られているようで、まず題材があって、予算がない状況下で、このスタイルで選択したようなので、仕掛けに引きずられて、主張が曖昧になるよりは、多少いびつな構成になっても言いたいことを伝えようという意思が感じられました。そして、アメリカでほぼタイムリーにこの映画が作られたということは、大変意味のあることだと思います。アメリカの正義をまるで感じさせない(見せない)あたりは、反米映画とも言えます。それでも、アメリカ映画として上映できるところに、まだアメリカの希望があるのかもしれません。でも、アメリカの下層階級の荒れた連中が、兵隊になって、世界に派遣されている構図が見えてくると、アメリカ軍って怖いぞと再認識してしまう映画でもありました。これってアメリカ兵に対する偏見だと言われればその通りなんですが、貧乏人が軍隊へ行くという図式は、事実あるんだろうなって気がしますもの。(他の本でも読んだので)

プロフィール

einhorn2233

Author:einhorn2233
Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR