FC2ブログ

「愛を読むひと」という甘いタイトルだけど、中身はむちゃくちゃヘビーです。

新作の「愛を読むひと」をTOHO川崎シネマズプレミアスクリーンで観てきました。ここは、普通は特別料金なんですが、結構通常料金ってことが多い。で、どこがプレミアかというと椅子がゆったりしていてリクライニングついてるところ。座席数が少ない分、スクリーンも大きいわけでなく、どこがプレミアなのかなーって微妙なスペック。

1958年の西ベルリン、15歳のマイケル(デビッド・クロス)は猩紅熱で気分悪くなってるところを通りかかった女性に家まで送ってもらいます。3ヶ月後、病気の回復したマイケルはその時のお礼を言いに彼女の家を訪問します。彼女はハンナ(ケイト・ウィンスレット)という電車の車掌で、年上の女性の魅力にマイケルはメロメロになっていまい、そんな彼をハンナは坊や扱いしながらも、彼女はマイケルにとって初めての女性となります。二人の関係はしばらく続くのですが、そこでの奇妙なお約束事、それは会った時、まずマイケルが本を読み、その後でセックスという段取りでした。しかし、彼女はある日姿を消します。マイケルにとってはひと夏の経験でした。そして、大学の法学部に進んだマイケルは、ナチに協力した罪を裁く裁判を傍聴する機会がありました。すると、そこに収容所の看守だったという6人の女性の中にハンナの姿を見つけて愕然とします。どうやら、彼女がナチの協力者であることは事実のようです。しかし、マイケルは彼女に対して何もすることができませんでした。そして、さらに時がたった時、マイケル(レイフ・ファインズ)はある行動を起こします。

ベルンハルト・シュリンクの原作を、「めぐり合う時間」のコンビ、デビッド・ヘアが脚色し、スティーブン・ダルトリーが監督しました。

前半はいたいけな少年が一回り以上年上の女性に夢中になるという、昔の「青い体験」系列のお話みたいです。マイケルがハンナに夢中になっちゃうってのは、その年頃なら無理もないことだよなあって納得の展開です。しかし、そこに本を読むっていうイベントが入ることによって、どっか文学的な香りがしてくるから不思議です。でも、ハンナって、こんな若い子をたらしこんじゃうってのはどうなの?というのは下司の突っ込みでしょう。ハンナは、他のもの全てをうっちゃって自分にのめりこんで来る少年の前から姿を消します。ここまででも、ハンナという女性の存在感がすごくて、ケイト・ウィンスレットの演技に圧倒されるところがあります。

そして、8年後、マイケルは大学の法学部へ進学するのですが、そのゼミで元ナチ協力者の裁判を傍聴することになり、その被告席にハンナの姿を見つけて愕然とします。彼女は自ら進んでナチの協力者となり、アウシュビッツへ送るユダヤ人の選別作業も行っていたのだと証言します。ある時、移動中に捕虜を教会に閉じ込め、そこが空襲で焼かれた時に300人のユダヤ人を見殺しにしたという事実が明らかにされます。ここで、大学のゼミという形で、実際に戦時中の行動がどう裁かれるのかということが丁寧に語られるところが見ごたえがありました。彼らは当時の法でしか裁けない、ナチを告発することは正義だ、連中を殺してやりたい、様々な意見が飛び交う中で、マイケルはハンナのことが気になって、裁判を冷静に見ることができません。



この先は、結末に触れますのでご注意ください。



裁判で、他の5人の看守が結託したのか、ハンナがまるで責任者であったかのようにされてしまいます。当時の報告書も彼女が書いたもので、それが証拠だと。しかし、マイケルは彼女が文盲であることを知っていました。そのことを自分から言い出さないハンナを思うと、彼はどうしてよいのかわからなくなります。文字の読めない教育レベルの者がナチに手先に使われ、ユダヤ人迫害の先頭に立たされていたという歴史の事実にぞっとさせられる一方、ここまで、彼女が文盲であることを隠し通して来れたというところには、ホントかなという疑念も浮かんでしまいました。とにかく、他の看守は同じ立場でありながら、懲役4年3ヶ月という刑だったのに、彼女だけ無期懲役を言い渡されてしまいます。それから、一度はハンナのことを忘れたかのようなマイケルでしたが、離婚を機に自分の実家に帰って過去を振り返り、ハンナのために本をテープに吹き込んで贈ることを始めます。獄中の彼女にとって、それはある意味生きる希望となり、文字を学ぶきっかけともなりました。そんな彼女から、手紙をもらうようになるマイケルですが、ついに自分の言葉で返事を書くことはありませんでした。

私は、ここに、マイケルがハンナに対して持つ微妙な距離感を感じました。やはり、ユダヤ人を迫害、殺害したナチだったことは、彼にとって大きな重荷になっていたのではないのかしら。さらに、彼女が文盲で、彼女が看守の責任者であったという根拠はウソだということも知っているのに、何もしてやれなかったという自責の念。そんな複雑な思いは彼女に近寄りがたい壁を、マイケル自身が作ってしまっているように見えました。自分の人生にとって大きな存在である彼女が、多くの人を殺した罪人だというのは、大ショックでしょう。にも、かかわらず、本のテープを贈るあたりは、偉いねえこの人って思いました。でも、どこかで割り切れない思いは常にあったのではないかしら。正直なところ、マイケルは本気で彼女を愛していたのかどうかもわかりません。美しい思い出として、遠くに置いてあった宝物が突然どす黒い現実として目の前に現れた、という言い方は残酷かもしれませんが、現実にはそれに近いものがあったのではないかと思ってしまいました。(こういう風に思うこと自体、私の心が汚れてるってことなのかもしれませんけど。)

そして、20年の服役期間を経て、彼女は釈放されることになり、マイケルは刑務所の依頼で、彼女の出所後のことについて面倒を見てあげることになります。ところが出所の日、彼女は自殺してしまいます。その前に、刑務所で、マイケルとアンナが面会するシーンがあります。25年ぶりの再会なのですが、どこか二人の会話はぎこちなく、「自分の過去についてどう思うか」というマイケルの質問に「死んだ人はどうにもならない」と答えるあたりに、リアルな人間の存在感を感じます。戦争の犠牲者ということでいくらでも美化できるヒロインをあえてそうしなかった作り手のセンスを感じます。特にエピローグとして、マイケルが過去に収容所にいて、裁判でも証言した女性に会うシーンでも、決して、ハンナの行動が許されることではないと、改めて念押ししてきます。でも、一方で、許されざる彼女の行動を誰が止めることができたのだろう点では、この映画は、それは無理だという見せ方をしています。人は戦争や迫害の被害者に望まないのになってしまう、その一方で、加害者になってしまうことも不可避なのではないかという考え方は、被害者にとってものすごい残酷な話です。でも、現実には、そうなのかもしれないと、マイケルの視点から描くことで、戦争の持つ罪を糾弾しているようでもあります。

ケイト・ウィンスレットの演技は、あまりつかみどころのないハンナという女性に、リアルな存在感を与え、人間としてあり得ないようなひどいことをする人間が、それほど普通の人とは変わらないところを実感させました。彼女が文盲だけど本を読んでもらって聞くのが好きだったという設定には、リアリティを感じなかったのですが、裁判のシーンでの毅然とした態度、最後にマイケルと話すシーンの凄みなどには、生き方の選択を誤った人間のどうしようもない苛立ちと悲しみを感じ取りました。アカデミー賞の主演女優賞を取るだけのことはある名演技だと思います。

この映画を観て、「グラン・トリノ」のセリフが再び思い出されました。戦争での殺人について、「何より恐ろしいのは、それが命令されたのではなく、自発的にやったいたことだ」と主人公が語るシーン。ハンナも300人のユダヤ人を教会に閉じ込めて見殺しにしたのは、誰に強制されたのでもなく、自分の判断だったと証言します。そして、判事に向かって「あなたならどうしますか」と反問するのです。戦争だったから仕方がないという言葉も無力化してしまうような怖さは劇場でご確認ください。

プログラムによると、文盲であることを本人が隠そうとするプライオリティはかなり高いそうです。

スポンサーサイト



サントラ盤のないホラー2作

新作の「ターミネーター4」を観て思ったのですが、最近のこの類の映画の音楽ってなかなか耳に残るのが少ないです。この映画では、「スパイダーマン」のダニー・エルフマンが手がけて、活劇シーンなどではそれなりに盛り上げているのですが、第一作のテーマ曲のワンフレーズのインパクトには勝てません。そう考えると、1980年代の映画音楽って結構いいものが多かったなあって今さらながらに思います。

当時からずっとサントラオタクだったせいもあって、最近のホラー映画の音楽なんてのも、観ていないのもマメに購入しているのですが、効果音みたいのばかりで、怖さというよりはショック効果しかないように思います。このブログでもご紹介させて頂いた「遊星からの物体X」ですとか「オーメン最後の闘争」「屋根裏部屋の花たち」といった名曲(と、私は思ってます)はCD化されているのですが、もっと地味なところは当時もサントラ盤は発売されませんでした。

ところが最近、YouTubeを検索すると、そういう音にヒットすることがあります。CDでは紹介しきれなかったものをここでご紹介します。

まずは、「エンティティ 霊体」というホラーもの。女性が霊にレイプされるという実話に基づくお話で、主演のバーバラ・ハーシーが熱演している割には、シドニー・J・フューリーの演出がさえなかった一編ですが、「エルム街の悪夢」のチャールズ・バーンスタインが音楽を手がけ、大変テンションの高い音を作っています。下記をご参照ください。


そして、「ゾンゲリア」というゾンビ風のスリラー。スタン・ウィンストンによる特殊メイクがすごいかなりグロいホラーなんですが、「ポルター・ガイスト3」のジョー・レンゼッティの手がけた音楽、特にオープニングがすごくいいんですよ。静かなタッチで始まる、ちょっとエリック・サティ入った音楽は、そこから始まる殺人劇と好対照を成しており、そのテーマが再度エンドクレジットで流れると、おぞましい物語が一種の悪い夢のような余韻に変わるのです。ただのゲテモノ映画が音楽によってそのイメージが変わるというよいサンプルでもあります。(音楽だけでなく効果音も入ってますが、そこのところはご容赦のほどを)



上記の2曲は映画を観たときに大変に音楽が印象に残ったものです。最近の映画は、メインタイトルがないものも多くて、タイトルでインパクトのある音楽を入れようがないってことはあるかもしれませんけど、やはり最近の映画音楽って物足りないような気がしちゃいます。

「ターミネーター4」は過去シリーズにあったB級SFのセンスが皆無

今回は新作の「ターミネーター4」をTOHO川崎シネマズ8で観てきました。別に体調が悪いというわけでもなく、過大な期待もしてなくて、面白ければめっけものの位の臨んだのですが、残念ながら、最近観た映画の中では珍しくよくない評価になっちゃいました。以降、辛めの文章になります。そうそう、エヴァンゲリオン初日ってこともあって、ロビーの一部がエヴァグッズ売り場になって結構な賑わいでした。エヴァは観た事ないんですが、シカトすると世間からズレてしまうのかしら。

自我に目覚めたコンピュータ、スカイネットは人類を滅ぼそうと核戦争を起こします。そして、2018年、抵抗軍とスカイネットのターミネーターたちとの戦いが続いていました。ある日、抵抗軍がターミネーターを無力化するシグナルを発見、これを使ってサイバーネットに総攻撃をかけようということになります。一方、サイバーネットの抹殺リストのトップにカイル・リース(アントン・イェルチン)があるのを知って、ジョン・コナー(クリスチャン・ベール)は愕然とします。過去へ行ってジョンの父親となるカイルが死んでは歴史が変わってしまいます。一方、スカイネット基地の破壊された後から、マーカス・ライト(サム・ワーシントン)という男が現れます。彼は元死刑囚だったのですが、某研究に献体していたのです。自分のいる場所も記憶も曖昧なマーカスはカイルと出会い、彼と行動を共にすることになります。ターミネーターはカイルを狙って襲ってきます。果たして、カイルの運命は?そして、抵抗軍のスカイネットへの反撃は成功するのでしょうか。

「ターミネーター」シリーズももう4作目でして、私はこのシリーズ結構好きです。世間であまり評判のよくない「3」も、SF短編小説を読むような味わいがなかなかお気に入りです。このシリーズがうまいと思うところは、核戦争とかコンピュータ対人類の戦争といったすごい題材を扱う一方で、それを直接描写せず、時間軸をずらして、小さな闘いを目一杯面白く見せて、本題の部分は観客のイマジネーションに委ねてきたことです。もともとB級映画として作られた第一作ですが、その脚本のうまさで、予算以上に面白さを持ったSFアクション映画になっていました。続く、2、3作も予算は格段にアップしましたが、それでも、第一作の「嵐が来るわ」という名ラストシーンと同様、その先を想像させる見せ方になっており、それは、いわゆるB級SFのテイストをうまく映画の中に盛り込んでいたと思います。

そして、本作となるのですが、冒頭の荒地みたいなシーンや、都市の廃墟といった描写からして、どっかで見たことあるなあって絵が多いのですよ。ひらたく言うと「マッド・マックス2」の焼き直し。もう30年近く前の映画で、この世界観をパクった低予算B級アクションがアメリカやイタリアでたくさん作られたことは、今は昔の話になっちゃうのですが、こういうのを21世紀の大作でやるというのがどうもしっくりと来ません。そして、展開もどっかで見たことあるなあってのが多くて、前作も手がけたジョン・ブランカトーとマイケル・フィリスの脚本は正直言って、色々な映画のネタを切り貼りしたようにしか見えません。

さらに、オリジナリティはさておいても、突っ込みどころが多すぎです。これまで、イメージ風に見せることはあっても、実際の戦争状態までは見せなかったのは正解でした。核戦争まで起こせるスカイネットなんですから、人類を絶滅させるのなんか簡単な筈ですもの。ところが、スカイネットの戦闘ロボットの皆さんは、何故か人間側と同じような銃火器を使うし、何の意味もない捕虜を取ったりと、全然合理的でないのです。ターゲットであるカイルを何度も確認しているのに殺さないという手抜きぶりはアホとしか言いようがありません。

人間側の行動も行き当たりばったりというか、偶然の要素が多すぎです。カイルを救うことは、抵抗軍全体の問題じゃないのに、それを理由に、ジョン・コナーは全軍に命令を拒否せよとアナウンスします。それが結果オーライになっちゃうのは、娯楽映画のお約束の範囲内なんでしょうけど、その時点で、彼はヒーローじゃないよなあ。監督のマック・Gは、過去の映画の切り貼りした脚本を無難に演出しているのですが、世界観もよく見えないし、ジョン・コナーがヒーローたりえておらず、マーカスがヒーローになっちゃってるのは、狙ったものだとしたら、映画としてはずいぶんとバランスの悪い演出だと思います。クリスチャン・ベールのジョン・コナーは初お目見えなのだから、きちんとキャラ紹介してくれないと、感情移入のしようもないのですよ。これまでの、ジョン・コナーは明らかに脇の扱いで、今回初めて主役に昇格したのですが、過去3作では、彼はヒーローとしての顔は見せていないのですから。



この先は結末に触れますのでご注意ください。(でも、シリーズ中、もっともどーでもいい結末でもあります。)



マーカスは抵抗軍の女パイロットを助けて、基地まで戻るのですが、そこで彼が人間ではなく、改造されたサイボーグであることがわかってしまい、「お前、スカイネットの回し者だな」って拘束させられちゃいます。本人にしてみれば、自分が人間でなくなっていること自体、身に覚えのないことなのでびっくり。でも、彼の人間性を信じる女パイロットが彼を脱出させ、マーカスはジョンにカイルの居場所へ案内すると約束します。そして、うまいことスカイネットの基地に潜入し、そこのコンピュータと同期を取ることで、カイルの居場所を探知します。一方、抵抗軍はターミネーターを無力化するシグナルを使って、スカイネットの中枢へ総攻撃をかけようとしますが、実はそれはスカイネットの罠で、抵抗軍本部の潜水艦は敵の攻撃をうけてあっけなく爆発しちゃいます。シグナル発信元だから検知されたって言うんですが、それまであらゆる手段で位置を不明にしていた筈の本部が、自分でシグナル発信するってのは、マヌケすぎないかい?細かいところにあれこれ突っ込むのは野暮なんですが、それにしても突っ込みどころが多すぎです。

一方、スカイネットの中枢にきたマーカスに、スカイネットが語る話を聞いてまたびっくり。実際は、カイルを探して、彼を連れてくることがマーカスの役目だったというのです。えー、なら映画の冒頭で、カイルを殺せたじゃん、そうすれば、ジョン・コナーも消えるし、一石二鳥でないかい? 何て言ってるところへ、ジョンが潜入してきて、捕虜を逃がして、カイルを探そうとしますが、そこへシュワちゃん型ターミネーターが登場して、格闘となります。負けそうなジョンを、マーカスが救い、一度は心臓を止められたマーカスをジョンが電気ショックで蘇生させ、何とかターミネーターを倒し、基地の燃料電池を使って核爆発を起こして、スカイネット基地を粉砕します。

でも、その時、ジョンは瀕死の重傷を負っていて虫の息状態。基地に連れ帰ったものの、もうこれまでという時、マーカスがジョンに自分の心臓を提供すると申し出るのです。ええ?そんなに誰でも心臓移植のドナーになれるの?という突っ込みは置いといて、マーカスの心臓でジョンは復活。これって、マーカスを人間扱いしてないよなあ。すごーくやな感じの人種差別だと思うけど、それを咎める者も止める者もなし。ジョンのナレーションで、今回は勝利したけど、サイバーネットとの闘いはまだまだ続くよってところでエンドクレジット。

クライマックスのターミネーターとの格闘シーンはそれなりに盛り上がるのですが、そこだけという感じになってしまいました。その一番の見所さえ、第一作の怒涛の畳み込みには到底かなわないというレベルでした。ドラマとしては、ジョン・コナーがほとんど活躍していなくて、ヒーローとして立っていないというのが一番の難点でしょう。ラストで、マーカスが自分の命を託すほどの人間じゃないよね、こいつって思いましたもの。

こんなロジャー・コーマンのB級ゲテモノ映画レベルの脚本を、メジャーの大作に仕上げるというセンスはどうにもいただけないというか、全体にSF映画としてのセンスが感じられないのはやっぱりダメ映画ではないのかな。スカイネットの基地に溶鉱炉があるってのも、いまだに「鉄は力なり」みたいで、コンピュータ頭悪そうですもの。人類滅亡させたいなら「ハプニング」くらいの仕掛けをひねり出して欲しいものです。生物兵器が現実世界で使われようという時代に、砂漠でゲリラ戦をしてるSF映画って何なの?って思いますもの。同じ話をインデペント系が低予算映画で作りましたというのなら、微笑ましいところもあるのですが、メジャーなスタジオで作るのなら、もう少し脚本を何とかしろよと思ってしまうのでした。

「デュプリシティ」はライトなスパイコメディ、それ以上の期待は不要

今回は新作の「デュプリシティ」を銀座シネパトス2で観てきました。ヒットしなかったせいでしょうね、日比谷みゆき座を追われてここに来ちゃったって感じでしょうか。女性からはあまり評判のよくない映画館ではあるんですが、新橋や浅草のオヤジ映画館とは一緒にして欲しくないわあ。一応、銀座だし、歌舞伎座のそばだし。

トイレタリー企業のバーケット&ランドル社とエクイクロム社はライバルというよりは犬猿の仲。お互い相手を出し抜いてやろうとスパイを送り込もうとしています。そんなエクイクロム社のスパイチームの雇われたのは、もとMI6のレイ(クライブ・オーウェン)でして、初仕事で、B&R社に送り込まれているスパイと接触することになります。接触したスパイ、クレア(ジュリア・ロバーツ)を見て、レイはびっくり。だって、かつてMI6時代にひどい目に遭わされたCIAのエージェントだった女です。まあ、過去のいきさつは置いといて、エクイクロム社のために働くことになるわけですが、今度、B&R社はでかい新製品を発表するという情報を得ます。果たして、それは何なのか、その製品情報を盗み出そうという、エクイクロム社のスパイチーム。ところが、ちょっと時計の針を遡らせると、レイとクレアは、割と最近に再会してたってことがわかってきます。こいつら、ちょっと怪しいんじゃないの、って、出てくる人みんな怪しいって言えば怪しいのですが。

スパイものというと「ボーン・アイデンティティ」みたいのを思い出すのですが、この映画は基本はコメディでして、扱う情報もトイレタリー企業の新製品情報なので、あまり血生臭い展開に展開になりません。脚本、監督のトニー・ギルロイはボーンシリーズの脚本ですとか、「フィクサー」で、人の命なんて何とも思わない皆様を描いてきたのですが、今回はライトに産業スパイサスペンスをコミカルに描きました。ドラマは新製品情報の攻防戦をメインに据えて、要所要所で、過去の事実が時間を遡ってインサートされるという構成を取っています。こういう構成だと、過去が出てくるたびに新事実がわかるので、作り手と観客の間でフェアな関係にならないことがあるんですが、ギルロイの脚本はかなりうまく観客をイラつかせない工夫がされていて、でっかいどんでん返しに頼らない、小出しにするネタの積み重ねの面白さを感じさせます。オープニングはB&R社の社長(トム・ウィルキンソン)とエクイクロム社の社長(ポール・ジアマッティ)が飛行場でつかみ合いのケンカをするシーンです。単に企業戦争というよりは、個人的に仲悪いみたいでして、意外やこれが後半の伏線にもなっています。

クレアはB&R社の情報部門に属していまして、会社の機密情報に触れるチャンスも多いし、社長からの信任もなかなか厚いのですよ。一方、レイは色仕掛けでB&R社のハイミスをたらしこんで、旅行部門のデータを入手してチーム内でも認められるようになります。B&R社の子会社の技術者がバハマのホテルで贅沢三昧している事実をつかんで、こいつが何かとんでもないものを開発したに違いないとにらみます。一方、ドラマの展開と共に、クレアとレイの過去がインサートされてきます。実は、この二人エクイクロム社に関わる前から恋人同士で、前の仕事のノウハウを生かして一発当てようと狙っていたのです。B&R社、エクイクロム社、さらにレイとクレアという三者の思惑が絡みあって物語は展開していきます。ギルロイの演出は、両社の情報チームの動きを丁寧に見せ、その中で、結構マトモに情報戦をやってるなと思わせ、何だかホントのスパイものみたいに見せることで、ドラマを盛り上げていきます。コンピュータにハッキングをかけるのはもちろんのこと、通信回線を使って、相手会社のコピー機をモニターしてるなんて、マジかしらって思うくらい徹底しています。




ここから先は結末に触れますので、ご注意ください。(ラストまでバラしてます)




さて、いよいよ新製品は、発毛剤というところまで見えてきます。後は、その中身がわかれば、B&R社を出し抜けるというわけで、何とかその情報に接触しようとします。そんな時、B&R社でのクレアの同僚が、極秘情報を持ち出して守衛につかまったのです。会議室に縛られている同僚と新製品の化学式。このチャンスを見逃すわけにはいかないということで、クレアは守衛や上司が連絡している短い時間を使って、化学式をエクイクロム社に送ろうとします。ここはなかなかにスリリングに盛り上がりまして、モニタリングされているコピー機をさがして、そこから化学式のデータを送ろうとします。受け取る側にはレイがスタンバイしていまして、ここで一度送信失敗に見せかけてコピーをかすめとるのに成功します。その事実は株主総会の真っ最中だったエクイクロムの社長のもとに届き、株主総会で大見得を切っちゃいます。一方、発毛剤の化学式をかすめとったクレアとレイは、スイスの企業にそれを売り込むんですが、中身をチェックされたら、これがハンドクリームだったのです。B&R社の社長の陣頭指揮で、エクイクロム社に送り込んだスパイも使って、大芝居を打ったのです。ニセの新製品データをつかませてやって、してやったりのB&R社、そして、呆然となるクレアとレイのロングショットで映画は終わります。

よく考えてみると、こんなに手の込んだことやって、何がうれしいかというと、どうもエクイクロム社の社長に大恥かかせたいってのが一番大きいみたいなんです。相手にニセ情報をつかませて、どーだ、ざまーみろってのがうれしいみたい。そして、着々とプランを進めてきた筈のクレアとレイも結局いいカモになっていたのです。なるほど、コメディ重視の舞台劇みたいな展開は、リアリティから距離を置いて楽しむもののようです。細かく考えると、コピーをかすめとっても、データのログから二度送信したのはバレちゃうだろうし、化学式の裏も取らずに、株主総会でベラベラしゃべるなんてのもありえない。そんなディティールに突っ込むよりも、オープニングで示されるような、大企業のガキのケンカレベルの戦いを面白がるのが正解のようです。

最後にクレアとレイが笑うんだろうなと期待させておいて、B&R社の一方的勝利というのは、意外性がありまして、ギルロイの脚本は意外な展開重視のドラマ作りをしています。回想シーンを随所に織り込むことで、クレアとレイが相当な下準備をして、行動に出ているのがよくわかるのですが、それらをB&R社の仕掛けた盗聴器で全部チャラにしてしまうというのも、普通のドラマのセオリーからいくと、邪道、でも意外、ってことになります。演技陣も、全体に妙にシリアスにならないで、軽いタッチでドラマが進むところも、この映画のカラーをよく表していますし、結末が納得できるものになっています。

「フィクサー」で組織と個人のシリアスな葛藤を見せたギルロイですが、この映画では、マンガチックな展開をテンポよく面白くまとめています。

「レスラー」は恋愛映画として切なく、プロレス映画としてうまい

今回は新作の「レスラー」を川崎チネチッタ9で観てきました。前評判はいいとはいえ、地味な映画に結構お客さんが入ってました。これって、三沢が試合中の事故で亡くなったことも関係してるのかなって、ちょっと不謹慎。

80年代にプロレスラーのトップを張っていたランディ(ミッキー・ローク)ですが、今は地方で週末の小さな会場での興行が中心、それだけでは食べていけるわけもなく、近所のスーパーでバイトをしています。彼のささやかな楽しみの行きつけのクラブ、そこの中年のストリッパー、キャシディ(マリサ・トメイ)にちょっかい出したりして。そんなある日、デスマッチをやった後、心臓発作で倒れてしまい、手術を受けて何とか命は助かるのですが、医者からハードな運動は止められてしまいます。そこで、思い立って、長い間放っておいた娘ステファニー(エヴァン・レイチェル・ウッド)に会いに行くのですが、ケンもほろろの扱い。そのことをキャシディに相談すると、彼女は娘のプレゼントを選ぶのに付き合ってくれて、そこで二人はちょっといい感じになります。でも、子持ちのステファニーは、ランディと客以上の関係にいくことは望んでいませんでした。プレゼントのおかげもあって、ステファニーとも和解したランディですが、その後、娘の信頼を裏切ることをして絶縁されちゃいます。もう、何も残っていないランディは心臓に爆弾かかえてるのに、久々の大試合に出ることを決意します。

ヴェネチア映画祭で金獅子賞受賞とか、主演二人がオスカーノミネートとか、ミッキー・ロークのカムバック作とかかなり評判のよい映画です。確かに80年代のロークは二枚目スターとして、一世を風靡していました。「ホーム・ボーイ」とか「ジョニー・ハンサム」なんてスター映画以外の何物でもなかったです。(なぜか両方とも劇場で観てます。)それが「ダブル・チーム」の悪役で出てきたときは「わっ、きっついなあ」と思ったものです。でも、私の興味を惹いたのは、プロレスラーを扱った映画だからです。昔はテレビのプロレス結構観てました。中でも、国際プロレスという地味な団体がありまして、マイナーっぽさが好きでした。監督がダーレン・アロノフスキーというのも「π」と「ファウンテン」の人がリアルなドラマを作るのかしらって、不安材料でした。

ランディというレスラーは20年以上現役なんですが、かつてのトップレスラーも今は地方回りの大ベテラン。週末の試合も小さな会場でやってます。それでも、彼はいわゆるベビーフェイス(善玉)でして、メイン・イベントで勝利を収める役どころ。相手はヒール(悪役)ですが、試合前に基本的な試合の組み立てを打ち合わせます。試合を盛り上げるために段取りを作るわけですが、それでも、試合は体を酷使するもの。反則、凶器ありのデスマッチも、相手とそれなりに打ち合わせはするものの、試合になれば、血だらけ、傷だらけ。そんな生活を続けているランディですが、クラブのストリッパーにちょっかい出したり、スーパーでサラダ売ったりといった普通の人の顔を持っています。でも、娘との関係に代表されるように、この人、ダメなんです。いわゆるダメな人なんですよ。アロノフスキーの演出は、彼をリアルなダメな奴として見せるのに成功しています。プロレスやってるときはそれなりのオーラを出しているんですが、リングを降りるとダメな人。でも、決して荒んでいるわけではないってところが、ランディという人間に奥行きを共感を与えているのです。場末のストリッパーと話をするときも決して偉そうな口を聞かないですし、近所の子供に対するときも、スーパーでバイトする時も基本的には笑顔。押し出しが強いわけでもなく、プロレスラーの後輩に対する態度も紳士的です。

そんな彼が、キャシディにアプローチしていく様子はなかなか微笑ましくもあります。キャシディから拒否されてプツンと切れても大暴れするわけではなく、むしろダメさ加減が痛々しいくらい。娘との約束を忘れていて弁解しつつ許してもらえないところが切ないのですが、でも、こいつダメじゃんって感じ。そんな、彼がスーパーの惣菜売り場でブチ切れてしまうところは、初めて感情が爆発するんですが、そこで、彼は現実の世界と折り合いをつけられないことを確信するのです。決して、悪い人じゃない、むしろいい人なんだけど、でも、ダメさが常につきまとうランディをロークは見事に演じきりました。かっこつけたり、変にプライドを振りかざさないところが共感度高い一方で、でもダメだなあっていう人をリアルに描いているのがこの映画の見所と言えましょう。

その微妙なキャラつくりは、相手役のキャシディにも言えることでして、もう若いものには適わないところはあるけど、ストリッパーとして頑張るヒロイン、ランディに好意を感じつつ、それでも、あくまで客だと割り切ろうとする、そのリアルな息遣いをマリサ・トメイが見事に演じていました。ステファニーへのプレゼントを買った後、ランディとキャシディがビールを飲むシーンがあるんですが、ここでの二人の演技が素晴らしく、ぎこちないやり取りにマジ泣かされてしまいました。最近の映画の中でも屈指の名シーンではないかしら。好意はあるけど、お互いいい人なんだけど、でも、近寄れない切なさは、恋愛映画としても、胸を打つものがありました。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



心臓発作で一度は引退を決意したランディですが、キャシディともうまくいかないし、娘からは完全に離縁されちゃって、もう何もなくなっちゃった、というより、後、残っているのはプロレスのリングだけです。彼は、20年ぶりの名勝負の再試合という久々の大きな企画に出場することになります。キャシディが彼の家を訪れたとき、クラブでの気まずい別れ方を謝るんですが、それに笑顔で応えるランディ。そして、試合するから観に来てくれと言って、試合場へ向かうのです。クラブで踊っていても、彼が気になって仕方ないキャシディは、仕事をほっぽり出して試合会場へ向かいます。そして、入場直前のランディを呼びとめ、その体で試合に出るのをやめさせようとしますが、ランディは「外の現実は耐えられない。自分の生きる場所はここだ」と試合に向かいます。そして、試合の途中で胸の痛みで倒れそうになるのですが、最後の力を振り絞って、トップロープに上って、必殺技ラム・ジャムを出します、と、そこで暗転して、ブルース・スプリングフィールドの歌が流れてエンドクレジット。

ラストで、キャシディが止めるのも聞かずにリングに向かうランディって、「グランブルー」のパクリじゃねえ?とも思ってしまったのですが、あっちがストイックな求道者だったのに比べると、こっちはリアルなダメな人なので、その分、リアルに痛い結末になっています。ラストのブルース・スプリングフィールドの歌はランディを伝説のヒーローのように歌い上げているのですが、私は、そういうヒロイックなものは感じませんでした。むしろ、何をやってもダメな人が最後に静かに自分の選択をしたという、静謐なものが感じられました。これは、観る人によってそれぞれの感じ方なのでしょうけど、私にはランディってダメな人なんだけど、でも、静かに生きようとした人だなっていう印象だったのです。確かに一度はトップを極めた人です。人生のピークもなかった私には、決して理解できない部分があるんですが、突っ張らない、穏やかな生き方を望んだ人ではなかったのかなってところで、共感できてしまったのです。

プロレス裏話の部分もよくできていました。最後の試合は20年ぶりの相手なのに、相手は打ち合わせなんかいらないぜってランディに言います。ああ、二人は手が合うんだな、お互いを生かす試合を自然に作れるんだなってわかるところがいい感じでした。試合中に、相手がランディを気遣うところ、それに対して「オレにまかせろ」と言うランディ。プロレスは八百長のドラマ(ギミック)とわかってそれを楽しむところがあります。そして、お客にそういう楽しみ方をさせるために、頑張るレスラーという構図が結構感動させるのですよ。確かに、ランディを傷ついた孤高のヒーローとして謳いあげるこの映画自体が一つのギミックなのかもしれません。そういうプロレスの構造を映画の中で再構築しているのだとしたら、これはよくできたプロレス映画なのでしょう。

昔の話、静岡の映画館のカラーについて

静岡の七間町の映画街がもうすぐなくなっちゃうらしいというお話をのびたさんから伺って、私がよく静岡で映画を観たころの記憶を記録しておこうと思います。最近、発刊された「映画館」という本の中でも、静岡の映画館の思い出がたくさん語られていて興味深かったのですが、私が静岡でよく映画を観た頃の印象は、何より映画館のカラーがあったなということです。今の七間町映画街は、上映プログラムでお客の集まりそうなものを映画館のキャパに合わせて割り振っていくシネコン形式になってしまって、映画館のカラーというものはなくなってしまいました。しずちゃんの映画関係書き込みを拝見すると、昔ながらの映画館はケチョンケチョンな言われようでして、古い映画館のよさ云々なんて、じじいのノスタルジーにしかならないのかなあ。

私が静岡で一番映画を観たのは中高生の頃で、1970年代の後半にあたります。この頃には、いわゆる二番館、三番館というものはなく(そもそもそういう言葉も知りませんでした)、いわゆる映画は斜陽産業だったのですが、それでも「エクソシスト」「ジョーズ」といった大ヒット作が生まれた時期でもありました。古いオリオン座は既になく、「静岡松竹」がその名前を引き継いでいました。そして、大映倒産後、「静岡大映」が「静岡松竹」と名前を変えていました。

そんな中で映画館にはまだそれなりのカラーが残されていました。

1、静岡オリオン座
洋画専門の静岡で一番でかくて格上の劇場。当時は1000席近くを有する劇場でしたが、椅子も他の劇場よりちょい上のものでしたし、傾斜十分で見易さも静岡一でした。(今もそうですが)「ジョーズ」「キングコング」などの大作は1本立て上映でしたが、普通の番組は2本立てが基本。東京での日劇、パンテオン、新宿ミラノ座に相当する大劇場でした。ただ、東京に比べると映画館の層が薄いせいか、いわゆるB級映画もときどきかかることがあって、こんなのオリオン座にかかるんだと思いながらガラガラの劇場で観た映画もありました。「マダム・クロード」「ジャクソン・ジェイル」の2本立てとかですね。

2、静岡有楽座
洋画専門の映画館で、地下にあるというのがちょっと洒落た感じがする映画館です。オリオン座よりは格が下というイメージはありましたから、東京で言うなら、日比谷映画、ニュー東宝シネマ1、渋谷東急クラスでしょうか。当時で600席くらいの規模だったでしょうか。やはり基本的に2本立てで、オリオン座に比べると娯楽性の高い映画を上映していたというイメージがあります。場内がフラットなのがオリオン座の作りと一線を画していました。昔は、前の人の頭でスクリーンが隠れたという印象があって、混んでるとやだなあっていう映画館でした。後、オリオン座に比べて画面が暗いと思ったこともよくありますが、洋画の封切館としてお世話になりました。

3、静岡松竹、静岡東宝、静岡東映、静岡並木座
松竹、東宝、東映、日活の封切館です。どの映画館も古いけどちゃんとしてるという印象がありますが、中高生の頃は邦画をほとんど観なかったので、あまりお世話になっていません。作り的に昔風の映画館だったのが静岡東宝でして、コンクリートの床がむき出しで、キップ売り場で上映中の映画の音を流していたり、路地に直接つながる非常口があっても締め切りだったりと、昭和の映画館の雰囲気を大変感じさせました。自主的に番組を組むことはあまりなかったようですが、映画斜陽の時代でもあって、静岡松竹ではしょっちゅう寅さんまつりをやっていたという記憶があります。
静岡東宝と静岡東映は立て替えられて現存せず、静岡松竹は静岡ピカデリー1となり、静岡並木座は、1階が静岡ミラノ3、静岡ミラノ2になっています。

4、アートシアターミラノ(現静岡ミラノ1)
名前からして洒落た感じのする映画館で、ビルの4階にあるというのも、奥まった映画館という印象で、ちょっと敷居の高さを感じるところがありました。アート系の映画、フランス映画なんかを中心に番組を組んでいまして、基本的に2本立て、時に長い映画「ドクトル・ジバゴ」「ナザレのイエス」なんていう3時間級の映画を上映するときは1本立て興行になりました。他の劇場と違っていたのは、椅子の背もたれがすごく高くて、頭まで納まるような感じだったこと。ただ、段々と普通の映画も上映するようになりまして、特にホラー系の映画「キャリー」「ポルターガイスト」「サスペリアPART2」「炎の少女チャーリー」なんてのをここで観たのが印象に残っています。また、当時、インターナショナル・プロモーション(IP)という配給会社が昔の映画を積極的に上映していまして「カバー・ガール」「ギデオン」「バルカン超特急」なんてのをここで観ました。アート系というなら東京のスバル座、有楽シネマあたりのポジションになります。

5、静岡東映パラス
幼い頃は、ニュー東映という劇場だったように思うのですが、静岡東映の2階にある洋画封切館。劇場の格としては、オリオン座や有楽座より落ちる感じ、上映ラインナップを見ても、やや格が下かなという感じでした。劇場も前3分の2がフラットでそこで急に段差があって、後ろがやや傾斜、さらに2階席もありました。ポルノ映画も上映していたことがあり、その一方で、ディズニーの非アニメ映画をなぜか律儀に上映してました。今はなき東映洋画やジョイパックフィルムの映画をよく上映していたような記憶がありまして、「ドラゴンへの道」「続・ラブ・バッグ」の2本立てという正月番組にお客さんが一杯入っていました。ここは、スクリーンの壁が縦に長くて、シネスコサイズの上映では上下が詰まるつくりでした。静岡東宝とここは昔の映画館のいかがわしさを感じさせるところがあって、よく行きましたけど、他とはちょっと違うぞという印象を持っています。東京で言うなら、丸の内東宝、新宿東映パラスみたいなポジションかしら。「センチネル」「デモンシード」といったホラーが印象に残ってます。後、映画観ながらオヤジがタバコ吸ってた記憶もここが一番。

6、静岡カブキ
ここは洋画のポルノ、いわゆる洋ピンの専門館でした。ですから私よく知りません(きっぱり)。でも、400席以上あるちゃんとした映画館でした。それでも時々ディズニーアニメを上映したり、たまに普通の映画を上映することもあって、「セント・アイブス」「暁の7人」の2本立てをここで観ました。当時は洋画ポルノの専門館があったってことで記憶に値すると思います。

7、静岡南街劇場
当時、唯一駅南に残っていた映画館。邦画ピンクの専門館だったんですが、一時期、洋画3本立て(後期は2本立て)の名画座に突然変貌して、びっくりしたことあります。おかげで「続・荒野の用心棒」とか「グリズリー」「続・青い体験」なんてのを劇場で観ることができたわけですが、その後、またピンク映画館に戻った末に閉館したような記憶があります。ここは当時の他の映画館に比べてもいかがわしい雰囲気がありまして、ああ、これがロードショー館との違いかと思ったことあります。浅草中映みたいな感じでしょうか。

8、静岡名画座(現 静岡ピカデリー2)
私が映画を観始めた頃は、ここは純粋に名画座でした。基本は洋画で、1本立て。もとアイスパレスだったところを名画座にしたそうですが、その時点で、明らかにロードショー館じゃない映画館を作ったように思います。まずスクリーンが小さくて、奥まったところにあり、座席はゆるい傾斜になっていて、スクリーンを見下ろすという感じになります。一番前に座って、やっと映画の画面の迫力を実感できるという作りでして、座席数は400ほど、明らかに名画座としての作りになっているのです。ここで初めて観た映画は「海底2万哩」で、200円でした。その後、料金が倍になって2本立てで名画を上映するようになりました。学生にとっては封切興行で見逃した映画を安く観られるというのはうれしい限りでして、結構足を運んだものです。そうこうしているうちに今度は特別興行と銘打って、封切興行をはさむようになり、いつしか、邦洋画封切館になってしまいました。位置づけ的には、いわゆるB級もしくはマイナー系映画の上映が多かったです。「ハロウィン」「ゾンゲリア」「ドッグ」などのゲテものをよく上映していたという印象があります。でも、やはりそもそもの作りは名画座であって、ロードショー館のつくりじゃないと今でも思っています。

9、静岡小劇場
今回、七間町の映画街がなくなるという話で一番動向が気になるのがこの小劇場です。何しろ、日本でも数えるほどの邦画ピンク映画の専門館なのですから、静岡の隠れ文化遺産みたいなものです。でも、私が学生の頃は、封切公開後の邦画を1本立てで上映する映画館でした。ここもスクリーンの小ささ、キャパの少なさは明らかにロードショー館とは違う作りです。私はここで「東京湾炎上」「君よ憤怒の河を渡れ」なんてのを観ました。ビルの屋上にポツンと立つ映画館には何か不思議な味わいがありました。また、普通に映画を封切公開することもありまして、「ゆかいな風船旅行」「星になった少年(イタリアのお涙頂戴映画)」の2本立てをここで観たんですが、正直、あれは何だったんだろうという記憶として残っています。

こうして見ますと、洋画封切館があり、邦画の封切館あり、アート系の劇場あり、洋ピン専門館と和ピン専門館があり、名画座も邦画と洋画の両方があったという大変バランスよく映画館がそろっていたことに改めて驚かされます。斜陽産業と言われた時代ながら、映画街は、東京の映画館の縮図みたいにメニューを揃えてお客さんを待っていたのだと思うと、ある意味いい時代だったのかもしれません。こういう映画館のカラーがはっきりしてた頃を思うと、今のシネコンがただお客の数でスクリーンの大小を決めているのが、すごく合理的だと思う反面、映画館のカラーを楽しむという一つの娯楽が消えていったように思います。上記のような映画館が様々な顔を持って町にあったということは、その映画館群が一つの文化を形成していたと言えます。最近のシネコンが、家のホームシアターの拡大版的な感じがしてしまう私には、まず映画館ありきの映画の見方がなくなっていくのは残念なように思います。

話がちょっと違うんですが、私が子供の頃、静鉄のバスってサイズ、タイプがすごくバラエティに富んでいまして、一つドア、二つドア、三つドア、ボンネットタイプ、エンジンが運転席の隣にあるタイプ。ウインカーがランプじゃなくて、棒が横に出るタイプ、などなど、色々なバスが走っていまして、そのバリエーションが大変楽しくて、駅前で色々なバスを見るのがすごく好きでした。乗り心地がいいものは新しいものって決まってるんですが、古いタイプのバスを見て、あれ乗ってみたいなあって思ったことがよくありました。路線バスに新旧ピンキリがあってそれがごっちゃになって走っている状態が楽しかった時代がありました。映画館のカラーがあった時代ってにはそのバリエーションの楽しさに通じているような気がします。映画を観るためだけなら、きれいで大きなスクリーンがいいに決まってるのですが、この映画をこの映画館で観たという思い出の残り方もまた楽しいかなと思うわけです。合理的じゃないけど、その非合理性にある楽しみというか遊びという感じなんですが、生まれた時からシネコンで映画観ている人には伝わりにくいかもしれないです。

「フロスト×ニクソン」はアメリカンプロレスの世界ですね。

今回は新作の「フロスト×ニクソン」を日比谷シャンテシネ2で観て来ました。何で「×」なんでしょうね。「ゴジラ×メカゴジラ」なら対決だし、相思相愛なら「ロミオ×ジュリエット」ですね。この映画の場合、どっちもありかなって気もして。

ウォーターゲート事件が発覚して、大統領を辞任したニクソン(フランク・ランジェラ)がホワイトハウスを去りました。それをテレビで観ていて、彼にインタビューしたら相当いけるんでないの?と思ったのがテレビ司会者のフロスト(マイケル・シーン)。60万ドルという法外なギャラを受け入れて、金策とインタビューの準備を始めるフロストは、ブレインとしてジャーナリストのセルニック(オリバー・プラット)と作家のレストン(サム・ロックウェル)を取り込みます。インタビューは3日に分けて行われ、最初の2日は老獪なニクソンの前に、フロストは全くいいところがありません。彼の番組が打ち切られることにもなって、もう後がないフロスト。そんな時、ホテルのフロストの部屋にニクソンから電話がかかってきました。さて、フロストはニクソンに一矢報いることができるのでしょうか。

ロン・ハワード監督の新作ですが、この人、「スプラッシュ」「バックマン家の人々」「エドtv」といった単純に面白い映画を撮る人なんですが、その一方で、「バックドラフト」「ウィロー」「遥かなる大地へ」など、いい映画なんだろうけど、どこか足りないというか楽しみきれない映画も撮ります。エンタテイメントの上を狙ってる映画を撮るとどっか物足りなさを残してしまうという感じでしょうか。この映画も、実在したニクソンとフロストのインタビューを題材にした舞台劇を映画化するというもので、色々とチャレンジを感じさせる題材と言えましょう。舞台の台本を書いたピーター・モーガンが映画の脚本も書いています。

オープニングは記録映像を見せるような感じで、ニクソン辞任までの流れを要領よく見せます。その中でインタビューに答えているのは、実在の人ではなくて、映画の登場人物なので、「おや?」とも思ったのですが、この関係者へのインタビュー映像は、映画の途中にも挿入されまして、なるほど、全部劇映画として見せたいのだなと気付きました。

既に大統領職を退いた時点のニクソンへの取材をするというのは、ある見方をすれば泣き面に蜂みたいな話ですが、一方、ニクソン本人は地に堕ちた自分のイメージを回復するチャンスでもあったようです。相手はポっと出の若造なら、オレの経験とパワーで一捻りだと思ったのかもしれません。ある意味、ディフェンディング・チャンピオンの立場です。一方のフロストは知名度はあれど、世界中に名を知られたニクソンに比べたら若い子供です。この勝負に持っていくためのファイトマネーはフロストが払うことになるわけですが、その高額なこと、金策に窮するフロストですが、大手テレビ会社はそのインタビューに大きな価値を感じず、安い値段しか提示してきません。映画の前半は、インタビューの前に、このインタビューがマスコミからそれほどの興味を持たれていなかったところが描かれます。そして、フロストはブレインを二人雇うことになるのですが、野心はあるけど、実際のところあまりインタビューに期待してないみたいなのが面白いと思いました。このあたりの展開で、脇にケビン・ベーコン、オリヴァー・プラット、サム・ロックウェルといった曲者役者を並べているのですが、あまりうまく使いこなされていない感じなのが残念でした。

それでも、インタビューは始まります。2時間のインタビューを3日に分けて収録するというやり方です。一回目のインタビューでは、フロストが一言質問すると、ニクソンがその後質問の答えを置いといて一人で喋りまくるというパターンで、インタビューというよりは、ニクソンのフリートークみたいな感じで時間が過ぎてしまいます。インタビュー前にフロストはブレインとともに、色々なこと調べていて、下準備は大丈夫みたいなことを言っていて、このていたらくは何なの? ブレインの二人にしてみれば、アホかフロストということになります。ニクソンはすっかり自信を持ってしまい、こんなインタビューちょろいぜってなもんです。

2回目もそんな感じで、フロストにいいところまるでありません。ホテルの部屋でかっくり落ち込んでいるフロストに何とニクソンから電話がかかってきます。ニクソンは、フロストが健闘していると称え、自分の人としての弱さにも触れる一方で、それでも君とオレの格の違いを語るのです。そこで、一念発起したフロストはブレインとともにさらに追加調査をかけて、3回目のインタビューに臨みます。そして、3回目のインタビューでフロストは、ニクソンを追い込んで、ついには彼が悪事に関与したことを認めさせるのでした。パチパチパチ。

ここの展開は、いわゆる土俵際に追い込まれての大逆転なんですが、会話の上っ面だけ聞いてると、何でそれでニクソンがくじけてしまうのかよくわかりませんでした。また、何を調べた結果がインタビューにどう反映したのかもよくわからず、バックで色々な情報を調べたのは何だったのって思ってしまいました。確かに会話のツボを押さえて逆転するところは、それなりにスリリングな勝負の面白さがあるのですが、それって芸能インタビューと同じレベルの会話じゃないのって気がしてしまって、何だかニクソンなめられてるみたい。

プログラムの記事によると、ニクソンはフロストのインタビューから謝罪を導かれたのではなく、インタビューが売れないと金にならないことから、一芝居うったのだと言うのです。ああ、なるほど、それなら、2回のインタビューであれほど老獪だったニクソンが、たかがフロストの言葉で追い詰められちゃうのも、演技のうちなら大納得です。

そこまで事情がわかってくると、これはアメリカン・プロレスの世界だと気付かされます。アメリカのメジャーなプロレスは善玉悪玉に様々なドラマ(設定、ギミックともいいます)が設定されていまして、リングの上での闘いはそのドラマの一部として位置づけられ、単なるレスリングの試合以上のドロドロのドラマを観客は堪能することができます。善玉であるベビーフェイス(フロスト)と悪玉であるヒール(ニクソン)がいて、二人の因縁対決が設定されます。でも、実際は別に構成作家がいて、段取りは作られているわけです。とはいえ、そんな出来レースではお客さんは納得しませんから、スポーツ新聞は、因縁の対決、前半はフロスト不利だが、最後の逆転技で大勝利という記事にまとめるわけです。この映画はスポーツ新聞みたいなもんです。いわゆる本気の試合(セメントマッチといいます)ではないので、そうはリアルな攻防を書けないので、誰にでもわかるように、前半、ニクソン強い、フロスト危ない、でも逆転勝利みたいなわかりやすい描き方をしているのです。そうすることで、プロレスは多くのファンを得ることができますし、この映画を見た観客は、やさ男のくせにあの老獪なジジイをやっつけるとはすごいじゃないかと、カタルシスを感じることができます。しかし、プロレス的に言えば、前半、圧倒的有利な試合展開から、最後に逆転一発でダウンして見せたニクソンのヒールとしての腕前が素晴らしかったということになります。

実際のこまかい裏取引をカットして舞台化したというのも、単純なのが好きなアメリカらしいやり方と言えますし、映画もそのアメリカらしい作りを踏襲しています。監督のハワードは「ニクソンは複雑な男で、彼をもっと深く理解しよう」ということでこの映画を作ったとインタビューで語っていますが、それはあくまで、ヒールをどう演じているかというレベルでの理解であって、リングを降りたニクソンの人となりに迫ったものではないようです。ただ、ニクソンが腹心のジャック(ケビン・ベーコン)という会話するシーンで何となく人となりが見えてくるという作りにはなっています。これはプロレスでいうと、レスラーとマネージャの会話みたいなものですね。

ロン・ハワードの映画としては、純粋娯楽のジャンルに入る作品なんですが、実録モノという体裁を取ってしまった分、立場が曖昧になってしまいました。彼の映画ですと、「ダビンチ・コード」は虚実の混ぜ方が曖昧で娯楽映画に徹しきれていなかったのですが、「天使と悪魔」では、虚実曖昧の部分を全部ハッタリにして、純粋娯楽映画になっていました。ですから、もっとハッタリ聞かせて、調査メモの中からとんでもない新事実が浮かび上がって、それを突き付けたらニクソン、気分悪くして倒れちゃうくらいのドラマをやればよかったのにって思ってしまいました。どうせウソなら、ウソらしく盛り上げてちょーだい。

「天使と悪魔」は勢いとハッタリで盛り上がるけどよく見りゃ大味ハリウッド映画

今回は、新作の「天使と悪魔」を静岡ミラノ1で観て来ました。昔ながらというか、昔からある映画館なんですが、静岡で今建設中のショッピングセンターにシネコンができると、なくなっちゃうらしいという話もあって、気になる映画館。かつて「ルードウィヒ」「鬼火」といったものから、「サスペリアPART2」「炎の少女チャーリー」まで色々な映画をここで観て、結構好きな映画館なんですけど。

ローマ教皇が死去し、新しい教皇を決めるための会議が行われることになったバチカンで、その新教皇の候補である枢機卿4人が誘拐され、脅迫状が送られてきます。犯人は秘密結社イルミナティのマークを使い、1時間ごとに1人ずつ殺し、最後はローマごと破壊すると言うのです。その爆薬として反物質が盗まれていたのです。バチカン警察は宗教象徴学の権威ラングトン(トム・ハンクス)と反物質の研究者ヴェトラ(アイェレット・ゾラー)に協力を仰ぎ、犯人を捕まえようとします。脅迫状の文面からイルミナティの4つの意匠に関わる教会で殺人が行われることを予見したラングトンはガリレオの文書をもとに調査を開始し、最初の犯行が行われる教会を特定し、現場に向かうのですが、間一髪間に合わす、そこで誘拐された枢機卿の死体を発見します。果たして、この予告殺人を止めることをできるのか、そして、反物質によるローマ破壊を防ぐことができるのでしょうか。

前作「ダビンチ・コード」の監督ロン・ハワードによる続編です。と言っても主人公がのラングトン教授が別の事件に遭遇するというもので、原作も同じダン・ブラウンで、前作の脚本を書いたアキヴァ・ゴールドマンがデビッド・コープと共同で脚本を書いています。教会の偉い人を誘拐して、次々に殺していくというお話は前作よりはサスペンス色が濃いですが、その分、お話そのものがハッタリだった前作よりは、素直にドキドキハラハラできる内容になっています。

教皇の死後、新教皇が決まるまで教皇の側近のカメルレンゴという役職にいるパトリック(ユアン・マクレガー)が教皇の権限を持っていて、彼も捜査に協力し、イルミナティや教皇の情報を提供します。、教皇を警備するスイス衛兵隊の隊長リヒター(ステラン・スカルスゲールド)はあまりラングトンをよく思っていないようですが、捜査の陣頭指揮にあたります。教皇の選出会議のまとめ役としてシュトラウス枢機卿(アーミン・ミューラー・スタール)は有力候補不在のまま会議を進めます。マスコミは新教皇決定を今か今かと待ち構えており、そんな中で、5時間後にはローマが吹っ飛ぶかもしれないというとんでもない状況になっているわけです。

イルミナティというのは、神をあがめる教会に対して、科学崇拝の秘密結社だそうで、かつて教会は、彼らを弾圧し、かなりひどいことをしたそうなんですが、その組織が現代にまで連綿と受け継がれ、そして、ついに教会に対して復讐の牙を剥いたということらしいんですが、何で今なのかってのがよくわかりません。でも、誘拐犯はイルミナティの古文書や遺物に忠実に場所を選んで殺人を実行していきます。その律儀さは、「ダビンチ・コード」の持って回ったダイイング・メッセージと同様、何だかゲームっぽいんですよね。ラングトンが次の殺人現場を特定するんですが、時間的にぎりぎり間に合わないってのも出来過ぎの感があるんですが、ラングトンたちがローマの教会めぐりをするところは、テレビの「ふしぎ発見」みたいな面白さがありまして、虚実取り混ぜた展開は退屈させません。

反物質ってのは名前を聞いたことあるんですが、実際に生成が可能というのは始めて知りました。微量でローマまるごと吹き飛ばす破壊力があるというのはウソらしいんですが、これをどうやら神と対立する科学の象徴にしているらしいんですが、イルミナティvs反物質を胡散臭いもの対決の図式にしちゃうってのはどーなのって気がしました。信憑性のレベルの違うものを似たようなもんだみたいな見せ方なんですもの。

殺人の実行犯は割りに早く顔を出しますが、反物質を盗んで、4人の枢機卿誘拐から手の込んだ殺人まで全部一人でやってるみたいで、こんなにマメな犯人は珍しいです。どう見ても、組織だってやってるような仕事には見えないのですが、イルミナティって個人営業なのかしら。しかし、死んだ教皇が病死ではなく、殺人らしいとわかってくると奥の深い陰謀らしくなってきます。



この先は、結末に触れますのでご注意ください。



ロン・ハワードの演出は、1時間ごとに教会の偉い人が殺されていくという設定の割りには、どっかのんびりしてるところがありまして、若い女の子じゃない、ジジイが殺されるという設定では、あまりテンション上がらないのかな。また、一刻を争う割りには、謎解きのテンポが優雅なんですよ。その結果、4人の枢機卿のうち3人が殺されてしまい、おまわりさんも何人も殺されちゃいます。一方、新教皇を投票で決めようとするんですが、有力候補がいないのでなかなか決まりません。でも、4人目の犠牲者が噴水に沈めらたのをラングトンが助け出し、そして、第5の教会も見つかって、犯人のアジトを押さえることができます。そして、実行犯は金で雇われていて、真犯人は内部にいると実行犯はほのめかして逃走しますが、車に仕掛けられた爆弾によって爆死してしまいます。

次の標的がカメルレンゴだと判断したラングトンは、教皇の執務室へ向かうのですが、何とリヒター隊長がカメルレンゴに銃口を向けているではありませんか。リヒターはその場で射殺され、反物質は執務室の地下にあることがわかります。反物質を容器の中に浮かせている磁力の電池がもはや限界で、爆発を回避できそうもないとわかり、カメルレンゴは容器を持って外に飛び出し、そこに停めてあった避難のためのヘリコプターに乗り込み、一気に上昇して、空で反物質を爆破させローマを救います。パラシュートでヘリから脱出した彼は一躍ヒーローとなり、新教皇は彼にという空気が巻き起こります。一方、ラングトンは、リヒターの席で執務室のモニター画面で、リヒターがカメルレンゴを襲う前の様子を発見します。実は、カメルレンゴが反物質の存在に寛容だった教皇を殺し、さらにイルミナティをでっちあげて、教会内に危機感を煽ろうとしていたのです。事が露見したと知ったカメルレンゴは油をかぶって火をつけて自殺。そして新しい教皇が決まります。

後半は二転三転する展開が意外性があってなかなか盛り上がります。とはいえ、偶然が重なりすぎるのは、脚本が弱いのか、神の意思を言いたいのか、勢いで畳み込んだのはわかりますが、結構大味な話だと後で気付かされます。そもそもイルミナティを持ち出して、そのルールに沿った殺人を律儀に実行する必然性ってあまり感じません。教会の事情に詳しい枢機卿たちを陰謀論に巻き込めるかどうかというところもあまり説得力がないんですよ。でも、前作では教会はひたすら悪役だったのですが、今回は、科学と神の両輪を説くなかなか話のわかる理性的な教会が登場します。今回は教会にも花を持たせてるのは、前作で教会ともめたからかしら。

ローマの教会や広場を使った群集シーン(CGもあるようですが)がスケールの大きさを感じさせ、全体としてハッタリは上々なんですが、理詰めの部分で大味になっちゃったのがちょっと残念でした。よく見りゃハリウッド映画の典型なんですよ。ハンス・ツィマーの音楽が、一昔前の彼に戻ったようなシンセとオケをぶん回してコーラスで厚みをつけるハッタリ音楽になっているのが興味深かったです。ジェリー・ブラックハイマー風映画というと感じ伝わりますでしょうか。

「チョコレート・ファイター」はすごいアクション、すごい痛そう。

今回は新作の「チョコレート・ファイター」を川崎チネチッタ6で観てきました。ここは座席数は多くないものの天井の高い劇場風の作りのスクリーンで、近所にこういう映画館があるといいなあという感じ。

タイマフィアのボスの愛人ジン(ソム・アマラー・シリポン)と恋に落ちた日本ヤクザマサシ(阿部寛)。二人は結局別れることとなり、マサシは日本へと帰るのですが、その時、ジンは妊娠していました。生まれた娘ゼン(ヤーニン・ウィサミタナン)は、生まれながらの障害を持っていましたが、その一方で、人並みはずれた記憶力と身体能力を持っていました。つましく暮らしていたジンですが、病に倒れ、そのための薬代にも困っていました。ゼンの幼なじみのムンは、ゼンの能力を使って大道芸でお金を稼いで薬代にあてたりもしていたのですが、ヤクザな頃のジンの帳簿を発見し、ゼンと二人で集金にまわり始めるのですが、みんな返す気のないヤクザな連中ばっか。しかし、母の病気にお金が必要という思いから、ゼンが大暴れ。大の男たちがみんなやられてしまいます。ゼンのことはボスの耳にも入り、ついにはマフィアの連中がやってきます。一方、ジンからの手紙で現状を知ったマサシもタイにやってきます。果たして、ゼン親子の運命はいかに。

タイの映画というと、その昔、悲恋幽霊もの「ナン・ナーク」を見に行ったきりです。「ナン・ナーク」はグロシーンが自然に出てきて「うわぁ」って思って結構引いた記憶があります。今回は「マッハ」のプラッチャヤー・ピンゲーオ監督の新作で、新人のヤーニン・ウィサミタナンを別の映画のオーディションでスカウトしてから、彼女のための企画を作り、4年かけてトレーニングしたという何とも力の入ったアクション映画です。冒頭に、阿部寛の日本語のナレーションが入るので、え?と思ったのですが、これは日本版スペシャル仕様らしく、エンディングも彼のナレーションで物語が終わります。

ストーリーはシンプルですが、ヒロインの両親のなれそめ(?)から、彼女が生まれて、障害を持ちながらも育っていくところをテンポよく見せていきます。それでも、マフィアのボスからはにらまれているみたいで、母親がえげつないリンチを受けるシーンもありますが、不思議な演出のリズムがあって、母親の病気のくだりなど、軽いテンポでさばいていくのがうまいというか、これがタイ映画のタッチなのかなって思ってしまいました。映画デビューのヤーニン・ウィサミタナン(愛称はジージャーですって)は、障害者という設定もあって、「お母さん」「金返せ」くらいしかセリフがないのですが、日本人とのハーフというのが納得できるルックスで、なかなかにかわいく、彼女のアクションシーンの本気の表情がまたいいです。文字とおり体を張ったヒロインぶりがチャーミングでした。それでも、映画の前半から後半に進むに連れて、表情が変わってきて、クライマックスは殺気まで感じさせるあたりは演出のうまさかもしれません。

ドラマがシンプルな分、アクションシーンは派手にたっぷり見せようとしてまして、大雑把に言って、5ラウンドありまして、その各々の設定が違っていまして、場所や小道具の使い方に工夫がこらされているのには感心しました。製氷工場でのアクション、倉庫での隙間を駆使したアクション、肉屋での刃物を使ったアクション、日本間でのムエタイやチャンバラを交えたアクション、そしてクライマックスのビルの壁伝いのアクションと、サービス精神あふれる見せ場は、テレビの宣伝で観たときよりも、映画館でじっくり見た方が堪能できます。細かくカット割りはしているのですが、複数カメラで捉えた絵を編集しているようで、流れはスムースですし、迫力もあります。スローモーションのカットもあるのですが、キックやパンチがモロに入ってるのがわかって、「わ、痛そう!」なシーンになっています。また、クライマックスのビルの外壁でのアクションでは、やられた方が2階3階から下へ落ちていくのですが、これがまたリアルに痛そう。看板や屋根にぶつかりながら落ちて行くシーンはワイヤーアクションも交えている(当然、デジタルSFXも入ってる筈、ワイヤ消すのに最低限必要なので)のですが、それでも演者の体の張りっぷりは只事ではありません。

その一方で、ドラマ部分で、母親のジンとか父親のマサシが印象に残るシーンをきちんと要所要所につないでいるのが、娯楽映画として、きちんとキャラの立つようになっています。また、阿部寛がタイのアクションチームを相手にきちんとチャンバラアクションしているのには感心してしまいました。プログラムのインタビューによるとアクションチームの受けが大変うまかったと書いてありましたけど、結構かっこいいヤクザになっているのですよ。

ラストで、ヒロインと父親が生き残るというのは、続編を意識してるのかもしれませんが、なかなかいい感じの結末になっています。ラストであどけない少女に戻ったヒロインが、それまでの血生臭い展開の一服の清涼剤にもなっています。そして、こんな女の子がきっついアクションこなしてたんだなあって改めて感心しちゃいます。実際は24歳なんですが、お色気よりボーイッシュなヒロインにしているのは、感情移入しやすいというか、これってアニメのツンデレヒロインじゃん。

エンドクレジットでは、メイキングが出てくるのですが、これがジャッキー映画のNGシーンみたいなものじゃなくて、ほとんど事故シーン。ヒロインも怪我してるし、落下シーンで救急車呼ばれるし、うーむ、みんな無茶してるんだなあって改めてびっくり。とにかく、映画としてはテンション上がるし、面白くできてます。変にヒロインが語らないところも、娯楽映画としての面白さにつながっていまして、有無を言わせぬエンタテイメントぶりが見事でした。1時間半に無駄なく刈り込んでるところも買いです。

「消されたヘッドライン」は面白いけど、欲張った内容にちょっと物足りなさも

今回は新作の「消されたヘッドライン」を日比谷スカラ座で観て来ました。かつての大劇場も今やシネコンの作りになっちゃいましたけど、画面が大きくて観やすいところはかなり点数高いです。でもシネスコサイズでスクリーン一杯になってるってことはもう70ミリを上映することはないんでしょうね。

民間軍事企業のポイントコープ社の調査委員会の委員であったソニアという女性が地下鉄に飛び込み自殺をします。査問会の委員でもあった連邦議会議員スティーヴン(ベン・アフレック)は大ショック。実はスティーブとソニアは愛人関係にあり、それも公になってしまったことから、スティーブは窮地に立たされます。彼の昔の友人であり、スティーヴン夫妻と三角関係だったこともある新聞記者のカル(ラッセル・クロウ)は、この事件に裏があると思い始め、国会のブログ記事担当のデラ(レイチェル・マクアダムス)と一緒に事件の調査を開始します。自殺事件の前の日に起こった銃撃事件も担当していたカルは、被害者の携帯電話履歴からソニアの電話番号を見つけ、二つの事件が何らかの関係があるとにらみます。そして、事件の背後にポイントコープ社の存在が見えてきます。元軍人で構成されたポイントコープ社は、国の軍事活動の独占を狙っており、その利権を妨害するものには手段を選ばないというのです。果たして、カルは真相を暴き、その記事はヘッドラインを飾ることができるのでしょうか。

もとはイギリスのテレビシリーズだったものを映画化したそうで、「ラストキング・オブ・スコットランド」のケヴィン・マクドナルドがメガホンを取りました。オープニングで、男が道路を走って逃げるシーンで結構びっくりなスタントを見せてくれるのですが、その後、銃による殺人シーンとなって、何やらスリラーっぽい予感がしてきます。次に女性が家を出て地下鉄まで向かって、地下鉄がホームに入ってくるまでを見せるのもスリラーっぽい演出で、全編、この調子で行くのかと思っていると、主人公のカルが登場してからは、ポリティカルスリラーから、人間ドラマの方に重心がシフトしていきます。

特に、スティーヴンとカル、そしてスティーヴンの奥さんアン(ロビン・ライト・ペン)の間で、過去に何やらあったらしいということがわかってくると、お話が2時間ドラマっぽくなってくるのですよ。一方で、謎の殺し屋めいた男はウロウロしていますし、ポイントコープ社が怪しいってこともわかってくるのですが、カルとアンが会うシーンなんてのが出てきまして、メロドラマ風展開にもなってくるというかなり欲張った内容の映画になっています。そんな中で、死んだソニアの素性がだんだんとわかってくるあたりにミステリーの面白さがあり、巨大な金と力に立ち向かう新聞記者の野心とかも絡みあってなかなか先の読めない展開になっています。若い記者デラが初の大きなヤマで張り切るというサブプロットも丁寧に描かれていまして、色気のないレイチェル・マクアダムスがいい味を出しています。




この先は結末に触れますのでご注意ください。




死んだソニアの金の動きに不審な点が判明し、がどうやらポイントコープ社から送り込まれたスパイらしいということがわかってきます。そして、彼女が本気でスティーヴンに惚れて情報漏えいを渋りだしたことから、口封じのために殺されたのではないかというストーリーが見えてきます。カルはソニアの男友達だったドミニクという男を半分脅してソニアとポイントコープの関係を聞き出します。その中から、調査委員会の中にもポイントコープの内通者がいたことまで突き止めます。しかし、編集長は裏づけが不足だとして記事にはできないと言います。そこへ、スティーヴンとアンが現れ、ソニアとポイントコープ社に関する証言をし、その内容が明日の朝刊のトップを飾ることになります。

しかし、スティーヴンが、知らない筈のソニアへ渡った金額を証言していたことに気付いたカルは印刷を待てと告げて、スティーヴンのもとへと向かいます。ソニアがポイントコープ社からのスパイであることを、スティーヴンも知っていたのです。そして、それまで殺し屋として登場していた男は、実は、ポイントコープ社の人間ではなく、スティーヴンの指示で動いていた元軍人でした。彼は精神を病んでいてポイントコープ社への憎悪もあって、先走ってソニアを地下鉄に突き落としたのです。結局、ポイントコープ社は政界にも入り込んで、スパイを送り込んではいたのですが、一連の殺人事件には関与していなかったのでした。

ラストのどんでん返しの後、記事は修正され、印刷に回され、カルは記事の署名をデラと連名にします。そして、カルとデラがオフィスを去っていくところで映画は終わるのですが、うーん、ポイントコープ社とはまだ終わってないんじゃないのって突っ込みたくなりました。結局、ドラマはカルの個人の人間関係のレベルで完結しちゃうのは、若干物足りない結末ではありました。戦争請負会社が、軍事を全て請け負うようになれば、会社の収益のための戦争が公然と行われるようになるのですが、そっちの怖さを半端に匂わせただけというのは残念でした。ポイントコープ社の人間にインパクトのある人間が登場しないこともあって、社会派サスペンスっぽい展開がミスリードみたいに見えちゃうのですよ。実際のところ、ポイントコープ社も無実なわけではないんですけどねえ。

それでも、2時間余を展開の面白さで見せるミステリー映画としてよくできています。演技陣も見事で、特に殺し屋を演じたマイケル・ペレッセがクールなプロのようで、実はかなりイっちゃってるキャラを演じきって、ドラマの意外性に貢献しています。ロドリゴ・プリエトがシネスコ画面をうまく使って、特に新聞社の引きの絵がかっちりと決まっていました。(アナモフィックレンズのフィルムカメラとデジタルカメラの両方を使い分けているそうです。)ただ、豪華な面々が使いきれていないところも感じられまして、ヘレン・ミレン、ジェフ・ダニエルス、ロビン・ライト・ペンといったいい役者さんがもったいないかなって思わせるところもありました。そういう意味では色々な意味で欲張った映画でして、いいところも物足りないところもそこから来ているように思います。追加撮影の撮影監督がダンテ・スピノッティってのも贅沢だなって思いますもの。また、新聞社のオフィスのセットも豪華でしたし。

プロフィール

einhorn2233

Author:einhorn2233
Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR