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「のんちゃんのり弁」は細かいところが気になる

今回は新作の「のんちゃんのり弁」を横浜シネマベティで観て来ました。この映画館はお年寄りの固定ファンをつかんだようで、平日というのにかなりの入りでした。映画自体が集客力があったのかしら。

永井小巻(小西真奈美)31歳、一人娘ののんちゃんは幼稚園の年長さんですが、ダンナ(岡田義徳)が小説家志望のニートのダメ男だったので、愛想をつかして、のんちゃんを連れて、母親(倍賞美津子)のもとに帰ってきちゃいます。とにかく働かなきゃって職探しを始める小巻ですが、離婚に応じてくれないダンナがその辺ウロウロしてたりして、仕事もなかなか見つかりません。学生時代に好きだった写真屋の川口君(村上淳)と何となくいい雰囲気になりかけるのですが、なかなか進展せず、彼の配達についていった先の料理屋でごちそうになった鯖の味噌煮に、何だか目覚めちゃいまして、あたしお弁当屋やるって思い立っちゃいます。料理屋の主人(岸部一徳)に頼んで店の手伝いをさせてもらいながら、ティッシュ配りする日々だったんですが、幼稚園ののんちゃんをダンナが連れ去って、大騒ぎになり、料理屋で小巻とダンナが大立ち回りをして店を壊しちゃいます。果たして、小巻は望むようにお弁当屋を開くことができるのでしょうか。

小西真奈美さんって好きなんですよね、犬系の顔がかわいいなあって。こういうジャンルの邦画を観に行くことはめったになかったのですが、ヒロイン見たさに足を運んでしまいました。監督は「いつか読書する日」の緒方明という方なんですが、全然知らなくて、どんな映画になっているのかなという期待はありました。

物語は、朝、お弁当を作る小巻の姿から始まります。彼女の得意なのはのり弁当、のりをちぎってご飯に乗せるのがミソだそうで、「おお、なるほど」とちょっと感心。五層構造でものすごく手間かかっているんですが、おかずのないかやくご飯ってどうなのってちょっと突っ込み入れたくなります。実は、こののり弁当への印象がこの映画全体への印象になるのですよ。実家があるのは、東京の下町で、職探しを始めるのですが、9時から13時までなんて調子のいいこと言ってるものですから、どこの面接でも断られてしまいます。どうやら、彼女は結婚前に働いた経験もないみたいで、貯金もあまりありません。どっか、足元があぶなっかしいふわふわしたヒロインみたいなんですが、一応元気はあるみたい。彼女のお母さんも着付け教室と年金でやっとの状況で、パラサイトする余裕もないみたい。ダンナはニートで時間のある分、しょっちゅうヒロインや娘のまわりをウロウロしていてうっとうしい限り、自分はしつこいよって言い切る確信犯ぶりは結構イラつくキャラクター。

現実的に考えれば、かなりシリアスでヤバい状況ではあるんですが、全体のトーンはある意味のんきで、生活の悲壮感は感じられず、偶然に食べた鯖の味噌煮から、ヒロインの自分探しのような展開になっていきます。彼女の取り柄の弁当が好評で、幼稚園の先生に食べてもらうようになり、そこでいくばくのお金をもらって、プチ感動しちゃうあたりは微笑ましくもおかしかったです。でも、お弁当屋になるんだってことで、彼女の目標ができて、生活も充実しかかるところで、ダンナがのんちゃんを幼稚園から連れ去ってしまうことで、ヒロインとダンナが大喧嘩、師匠の料理屋で大暴れすることになります。まあ、落ち着くところへ物語は収束するものの、全体的には正直なところ、小西真奈美さんがかわいいから付き合えるかなって印象でした。



この先は結末と突っ込み入れまくりですのでご注意下さい。



大喧嘩の果てに、やっとダンナは離婚に同意。あこがれの川口君は写真屋をたたんで、田舎に引っ込むことになります。料理屋の主人の申し出に甘えて、料理屋の昼間を弁当屋として使わせてもらうことになります。そして、弁当屋の初日、母親や娘が様子を見に来てくれます。店の前で娘を見送るヒロインに近所のおばさんが声をかけて、彼女が振り向いたところで暗転、エンドクレジット。

人生の経験値の少ないヒロインが彼女なりのがんばりを見せるというお話は、小西真奈美さんの明るさとうまくマッチしていたと思います。それでは、すごく面白かったのかというとそうでもないのですよ。まず、ヒロインのキャラに一本筋が通っていなくて、シーンによって人が変わったように見えてしまうので、なかなか感情移入できません。何だか情緒不安定な人に見えちゃうのは狙ってのことなのかしら。。岸部一徳さんが出てくると、画面が落ち着いて、さすがだなあって思ったのですが、それだけ映画としてもふわふわしてたのかな。このふわふわというのは、個々のエピソードがそれぞれは面白く作っているのに、まとめると一つの流れになってないという感じです。ダンナとの離婚話、川口君とのプチ恋話、弁当屋の話、それぞれを別のドラマとして、別々のヒロインが演じるオムニバスにした方がとっつきやすいという印象だったのですが、この表現で伝わりますでしょうか。

また、細かい突っ込みどころも多くて、冒頭で、ヒロインと娘が電車で移動するのですが、立ってる人がいっぱいいるのに、のんちゃんランドセルを横の席に置くのはダメじゃん、ってそこでまず引いちゃいました。その後も、保育園の先生にその厚化粧はないでしょうとか、金ないくせに他人の弁当作る余裕はないだろうとか、料理屋の主人が店を貸してくれる時に出した条件を放り投げて映画終わるなよ、などといろいろ出てくるのですよ。さらに、致命的なのは(あくまで個人的感想ですが)、タイトルロールののんちゃんがかわいくないのです。のんちゃんが画面に登場している時間は結構長いのですが、自分の演技の番が来るまでスイッチオフみたいに存在感がないのですよ。これは演出の問題なのかなあって気もしたのですが、特にクライマックスの登場人物が勢揃いしての会食シーンで、彼女が泣き出すシーンが山場になるのですが、それまでの大人のやりとりの間に、画面の中にいるのんちゃんの感情を全然拾ってないので、突然泣き出すのんちゃんに共感できないのです。他のシーンでも、演技のオンオフが見えてしまうので、リアルなのんちゃんというのが感じられないのが残念でした。

この映画も、いわゆる製作委員会方式なんですが、その中に中部日本放送の名前がありました。ここは、昼の1時半からの連続ドラマを製作してきた局なんですが、この映画は、ちょうどその連続ドラマのパイロット版みたいな感じでした。おっとりとした展開とかも含めて、昼ドラにまとめたら(広げたら?)結構面白いのではないかと思ってしまいました。その方がヒロインの成長というか変化を丁寧に描けたのではないかしら。

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「男と女の不都合な真実」は、下ネタ多いけど、実は典型的ラブコメ。

今回は新作の「男と女の不都合な真実」をシネプレックス平塚5で観てきました。ここはメインスクリーン以外は、縦長の小さなスクリーンが多いです。その割に前方の席だと相当見上げる位置にスクリーンがあるので、シネコンの作りとしては今イチの感もあります。というより後発のシネコンがその辺どんどん改善してきてるってのもあるんですが。

地方局のテレビプロデューサー、アビー(キャサリン・ハイグル)は、なかなか彼氏ができません。何でも仕切りたがる性格のせいかも。そんなアビーの情報番組は視聴率で苦戦中、上司が視聴率のテコ入れとして、連れてきたのがテレビで怪しげな恋愛カウンセラーをやっていたマイク(ジェラルド・バトラー)でした。こいつが、また下品でエロい話で結構人気がある奴でして、番組のコメンテーターとして登場させたら、放送禁止用語連発の際どい話で、アビーとしては憤懣やる方なし。さらに、そんな下ネタトークのおかげで、視聴率はグーンとアップして、マイクに頭が上がらない状態に。そんなアビーの家の向かいにハンサムドクターのコリン(エリック・ウィンター)が引っ越してきました。最初はお互い嫌い合っていたエリックとアビーですが、エリックがアビーに色々と恋のアドバイスをするようになって、関係はやや軟化。じゃあ、コリンをモノにできたら、あなたに協力するわって約束するアビー。そこで、エリックの指示とおりにやってみると、エリックと急接近。ところが、エリックが恋の指南役に専念できない雰囲気になってきまして、後は推して知るべしの展開へとなだれ込むのでした。

「幸せになるための27のドレス」のキャサリン・ハイグルがいわゆるキャリアウーマンに扮したラブコメです。この映画、R15指定で、宣伝の方法も恋愛とセックスの優先度を扱ったかなり際どい映画という売り方をしていましたが、まず、実際のところは、下ネタは多いですが、アメリカの典型的なラブコメの定番を踏んでいまして、エッチというよりは、「クダラネー」という笑いをいっぱい盛り込んで楽しめる映画に仕上がっています。監督のロバート・ルケティックはコメディの快作「キューティ・ブロンド」の人で、近作の「ラスベガスをぶっつぶせ」は今一つでしたが、今回は「キューティ・ブロンド」の脚本チームが参加しているせいでしょうか、快調なテンポのラブコメに仕上げています。

マイクは自信家で、実際に言うことが単純でえげつないから、そこがウケるし、何だか当たってるような気にさせるキャラクターです。テレビに向かってエロいことを平気で言うのも、それなりの芸になっています。そんな彼が、アビーの恋の指南役をすることになるのですが、これが結構うまくいくのですよ。いわゆる本性を隠してコリンに接近して、うまいこと彼の気を引くことに成功するわけです。このあたりのアビーのキャピキャピぶりが結構かわいいのですが、それを見ているエリックの表情がだんだん曇っていきます。まあ、恋の指南役がその当人と恋に落ちるというシラノ・ド・ベルジュラック以来のラブコメの定番(「そんな彼なら捨てちゃえば」にもありましたな。)になっていきます。まあ、シラノとは違って、こっちの定番は恋が成就しちゃうんですが。

そんな展開にエロチックなエピソードを交えて、そんなシーンをキャサリン・ハイグルが気を入れて熱演しています。バイブ付パンティの件など相当にくだらないんですが、笑いを前面に出していまして、カラリと仕上がっています。上司との会食にバイブ付パンティを履いたまま行っちゃって、そのリモコンを子供が拾っちゃったもんだから....って文章で書くと、すごーくいやらしい展開なんですが、ルケティックの演出センスのおかげか、クダラネーの方が先行するのですよ。ハイグルがこういう身を削ってます風演技をしつつ、製作総指揮として参加しているところを見ると、どうやら、彼女、ドリュー・バリモアのラインを狙っているのかしら。

おかしかったのが、初めてマイクがテレビが登場した時に、メインキャスター夫妻をネタにしてムチャクチャやって、ヒロイン以下皆がドン引きしている中で、マイクを雇った上司だけ一人で大受けしているというところ。このあたりの笑いのセンスが私にははまりました。全体に散りばめられた笑いも呼吸で見せるおかしさがあって、コメディの定番をきちんと押さえているあたりが好印象でした。ヒロインの助手の女の子のリアクションを毎回拾ったりする細かさもいい感じでしたし。

恋愛モノとしては、男と女の違いを描いているとは言い難く、これは宣伝を真に受けない方がいいです。セックスを前面に出しているような宣伝の仕方をしてますが、ヒロインがそうなるシーンはラストのラストですし、最初は仲違いしていた男女がだんだん惹かれ合うようになるという、王道の展開です。そこにエッチな味付けはしてあるものに、結局、相手を好きになるのは理屈じゃないってところに落ち着くあたりは、内容があるようで実はないという、娯楽コメディの典型と申せましょう。



この先は結末に触れていますのでご注意下さい。



さて、マイクが全国ネットに引き抜かれそうになって、その引き止め役として、アビーは彼氏とのデートも振り切って、ロスへ飛びます。そこで、マイクと何となくいい雰囲気になり、エレベーターでの濃厚キスの後、お互いに相手への気持ちに気づくのですが、タイミングいいのか悪いのか、そこへ彼氏のコリンが現れたもので、二人の盛り上がった気持ちはしぼんでしまい、アビーはそこでコリンに見せていた偽りの自分を痛感して、彼に別れを告げてしまいます。そして、少なくとも仕事には引き止めたつもりのマイクがテレビ局をやめてしまい、アビーは、だから男はダメなのよ、肝心なところで逃げ出すしとカンカンです。そして、アビーがロケに出かけた熱気球祭りに、マイクと遭遇、そこで、マイクみたいな男は最低とぶち上げたので、マイクもアビーの番組に割り込んできて、お互いに言いたいことを言い合ううちに、マイクがアビーに愛の告白。恋愛なんて、理屈じゃないよねってことで、カメラの前で抱き合う二人。エピローグは、ベッドで愛し合った後、「ステキだったわ」という彼女に、「ホント?」「さあ、どうかしら」というところで暗転、エンドクレジット。

マイクは最初はただのセクハラ野郎として登場するのですが、だんだん、別のキャラが見えてくるという展開は定番ながら、ルケティックの演出は手堅く、エロな仕掛けに振り回されない恋愛ドラマになっているあたりはうまいです。ストレートに恋愛指南モノにしちゃうと、個性がなくなっちゃうから、下ネタをひねりとして加えたという印象でした。ラストも熱気球の上でのラブシーンとなるのですが、横に案内のおじさんがいるというあたりの小ネタもおかしく、エピローグでちょっとひねりを加えているとはいえ、まっとうなコメディとしての点数は結構高いです。

「しんぼる」は○○触ると××になる話、って面白い?

今回は新作の「しんぼる」を静岡ミラノ3で観てきました。ここは劇場後ろの扉が開くとスクリーンに目一杯光漏れするという構造なのが今一つ。それより気になったのが、ドルビーデジタルのロゴを上映したこと、この劇場はデジタルの設備入ってない筈ですし、映画聴いててもデジタルの音ではなかったような。

メキシコのどっかの田舎町、覆面プロレスラーのお父さんは今日の試合が若い連中が相手なのでちょっと不安、息子や娘はお父さんのことを応援してるんですが、果たしてお父さんレスラーは試合に勝てるのかしら。一方、主人公(松本人志)は、気がつくと、白い部屋に閉じ込められていました。どうやったら出られるのか見当がつきません。すると、壁や床から、天使の像のみなさんがわらわらと登場し、消えるんですが、壁や床には、天使のチンコがあちこちに残っています。それを押さえると、壁から色々はものが出てくることがわかります。色々と試すうちに、床のあるチンコを押さえると壁に出口ができることがわかります。お、これで出られると思いきや、すぐ出口が消えてしまうのでなかなか出られない、じゃあ、何かを使ってチンコを押さえときゃいいじゃん、あ、でもダメだ、という一人ドタバタが繰り広げられるのでした。

「大日本人」に次ぐ、松本人志の脚本・監督作品です。前作では、日本、アメリカ、北朝鮮をヒーローの世界に盛り込んだりしてたのですが、ラストでコテコテのテレビバラエティにしちゃうのが、「へぇー」という印象でした。本作はキネマ旬報の評価では、みんな最低をつけているので、ちょっと興味出ました。まあ、普通の映画じゃないでしょうからね、その昔のテレビ「ごっつええ感じ」のコントを観ていた私としましては、やりたい放題やなあって感じ。面白いというより、面白そうなことをやってますって感じは嫌いじゃないです。密室脱出一人コントだけでは、間が空いてしまうと思ったのでしょうか。メキシコの覆面レスラーのエピソードを交えて、このレスラーの話は何なんだろうという興味を引いていきます。

密室脱出コントでは、なかなかテレビの予算ではできないであろうCGをふんだんに使って、面妖な世界を作り出すことに成功しています。とはいえ、緻密さとは違うユルい演出になっていまして、突っ込みどころ満載の展開は、狙っているのだとすれば、結構な算盤ずくだと思いました。でも、単に手抜き、能力不足のように見えない(見せない)あたりに、松本人志の面白さを感じることはできます。何で一人しかいない部屋で、そんなにオーバーリアクションやねん、とか、寿司バクバク食ったらしょうゆよりもお茶が欲しくなるやろ、といった突っ込みをヤボと思わないのがこの映画の楽しみ方のように思えました。一方でメキシコのエピソードが全然着地点が見えないところがあって、ミステリーっぽい興味で観客を引っ張るあたりは、割と普通の娯楽映画しているとも言えます。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



主人公が悪戦苦闘の末、部屋の出口にたどり着くまでは結構笑えるお話になっているのですが、主人公のキャラが説明しきれていないので、いわゆるダウンタウンの松本がやってますという印象になるのは、もう少し見せ方考えてくれよと突っ込んでおきます。そして、部屋を脱出して、走って走って走りまくった末、また、天使の像のチンコに囲まれた部屋にたどり着いてしまいます。またかよ、って感じになるんですが、今度はそこらへんのチンコを押しても、何も出てきません。しかし、チンコを押した瞬間、メキシコのプロレス会場では事件が発生します。あのお父さんレスラーの首が亀みたいに伸びて相手に頭付きをかましてノックアウト。主人公がチンコを押すたびに首が伸びて、相手だけじゃなくて、レフリーや自分の息子までノックアウト。へぇー、こういう風につながっていたんだって、前振り長すぎじゃん。そして、主人公は、壁のチンコをつかんで上へ上へと登り始めます。チンコをつかむたびに世界中のあちこちで色々なことが起こります。どんどん上と登るにつれて、世界のあちこちで、歌手が火を吹き、花が咲き、自動車がクラッシュし、氷が割れるなどの事象が起こっていきます。要は、主人公がチンコつかまって壁を登っていくに連れて、記録映画みたいのがインサートされるという見せ方です。

壁を登っていくにつれ、主人公がヒゲがのび、衣装も変わって、オウム真理教の麻原みたいなルックスになっていきます。そして、登りつめた先にあったのは、でっかい天使のチンコ。主人公がそれに対峙したところで暗転、エンドクレジット。うーん、チンコ触ってると神になるという深いお話だったようです。というより、全然深くない、チンコ触ると神になる話なのかな。

何がしかの内容を期待すると大きくスカされたような気分になります。単にくだらない話をいわくありげに見せたというのが当たっているのではないかしら。主人公が麻原に変身するのは、さあ突っ込んでくれと言わんばかりなんですが、素直に突っ込み入れるのは、作者に対してあまりに迎合してるというか親切すぎるという気もします。むしろ、「はいはい」って近所のバカ扱いするのが似合ってる映画なのではないかしら。だって、チンコ触ると神になるって話だもの。そこに、松本人志ってすごいと感じるか、バカじゃないの?と突っ込み倒すかは、観客の判断にゆだねられています。どうすれば、この映画を面白いと感じられるかというところで選択すればいいように思います。

曖昧な表現になってしまうのは、これはキネマ旬報でけなされているほどのひどい映画じゃないのですが、だからと言って、ほめる映画でもないなってのが正直なところなのです。でもやってることはそこそこ面白く、表現手段として映画じゃないとコスト的に無理だろうとも思うからです。物語で見せる映画ではありませんし、人間を描いてるわけでもないです。きちんとしたテーマを包含している映画でもありませんから、あるべき映画の姿からは離れていると言えます。でも、こういうネタをやりたいと思ったときに映画という手段を選んでしまったと考えれば、まあ、くだらないことを似非インテリっぽく描いているのは結構ありなんじゃないかと思いました。面白そうなことを、あふれる才能風に表現してますってところが好きです。

「大日本人」を観て、松本人志の映画に慣れたせいか、この映画の胡散臭い下らなさは私にとっては許容範囲でした。まあ、チンコ触ると神になる話だからなあ、そこをどう楽しめるかは観る方の好みでかなり微妙だと申せましょう。

「縞模様のパジャマの少年」はホロコーストを知ろうとするきっかけになる映画

今回は新作の「縞模様のパジャマの少年」を静岡シネギャラリー1で観てきました。最初にここに来たときは何て小さな映画館、何て小さなスクリーンと思ったのですが、何度も通ううちに慣れてきて、こういう映画館もありかなって思うようになってきましたからですから、不思議です。どう転んでも、これはないなって映画館は渋谷に2つほどあるんですけどね。

1940年台のドイツ、軍人の父親(デビッド・シューリス)を持つ8歳の少年ブルーノ(エイサ・バターフィールド)は、母(ヴェラ・ファーミガ)と姉と共にベルリンからドイツの片田舎に引っ越してきました。学校にも行けず、友達もできないブルーノは元気がありません。そんな彼の部屋から見える農場が気にかかって仕方ありません。あそこの人はなぜ皆縞模様のパジャマを着ているのか。家の裏に出ることを禁じられていたブルーノは物置の窓から森に抜け、気になっていた農場へとやってきます。そこは、有刺鉄線で囲まれていて、その鉄線の側にパジャマを着た同じ年の少年と知り合いになります。少年はシュムールという聞いたこともない名前で、お腹を空かせていました。ブルーノは食べ物を持って行ったりして、有刺鉄線越しに2人は友達になります。家に帰ったブルーノは、父親や家庭教師から、パジャマを着ているのはユダヤ人でドイツ人の敵で悪であると教えられます。なるほどと一度は納得したブルーノですが、ある日、自分の家でグラスを磨くシュムールを見つけます。彼にお菓子を与えたとき、ドイツ将校に見咎められ、ブルーノは「そんな子は知らない、友達なんかじゃない。」と口走ってしまいます。翌日、有刺鉄線のところに出かけたブルーノですが、シュムールに会うことはできませんでした。そして、何度か通ううちにシュムールと再会したブルーノは彼に謝罪し、改めて友人としてつきあおうとするのですが。

「ブラス」「リトル・ヴォイス」のマーク・ハーマン監督の新作です。「ブラス」では雇用問題を扱い、「リトル・ヴォイス」では、音楽によって心を閉ざすヒロインを描いたり、意表を突いた切り込みが印象的な映画を作る人です。今回は、ジョン・ボインの小説「縞模様のパジャマの少年」を原作に、ハーマンが脚本も書いています。ナチスドイツが行ったホロコーストをドイツ少年を主人公に描いているというのが新機軸で、プログラムによると原作者はこの物語が、ホロコーストへの興味につながればよいと書いてます。確かになさそうでありそうもない話なんですが、その展開の「あるある」感は、リアルで哀しい、そして恐ろしい映画に仕上がっています。

少年ブルーノは8歳で、まだナチズムには染まりきってはいないものの、軍人の父が自慢で尊敬もしていました。そんな彼が、父親の転勤でベルリンから片田舎へ引っ越すのですが、実は父親はユダヤ人強制収容所の所長だったのです。母親は夫の任務や、収容所で行われていることを知らなかったのですが、それを知ってからは、夫への信頼が薄れ、沈み込みがちになります。当時のドイツ人のナチズムへの傾倒度は、明確には描かれないのですが、ブルーノの姉(12歳)がガチガチの愛国少女になってしまい、ユダヤ人は自分たちとは違う悪の存在だと弟に語ります。でも、ブルーノはそれが何だか納得できません。有刺鉄線の向こうにいたシュムールがそんな悪い人間とは思えないから。でも、自分の家で将校に問い詰められたとき、彼の目の前で「そんな子は知らない、友達なんかじゃない」と言い切ってしまうのです。その結果、シュムールは折檻されたようで顔を怪我していました。有刺鉄線をはさんで、すまないと詫びるブルーノにシュムールはうなづき、2人は以前よりも仲良しになります。このあたりはブルーノの視点で物語が進み、彼に見える世界での展開は大変リアルで説得力がありました。ナチスドイツの軍人の息子という設定とは関係なく、8歳の少年の感覚が実感を持って伝わってくるので、どんどんドラマの中に取り込まれていきます。

家では、軍の関係者が集まって映画が上映されていました。収容所では、ユダヤ人が十分な食料を与えられ、趣味も自由で、手厚く扱われているというもので、それを盗み見たブルーノはほっとして、父親を抱きしめます。父親に対する不信が高まってきていた彼にとって、その映画はうれしい知らせだったのです。でも、母親は子供たちをよそへ移そうとします。姉はうれしそうでしたけど、ブルーノはシュムールに会えなくなるので浮かぬ顔です。



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ブルーノはシュムールに会いに行き、自分が明日引っ越すことを告げます。一方、シュムールは父親がいなくなったことを心配しています。ブルーノはシュムールのために父親探しに協力することを約束し、そのために収容所の中に入り込むことにします。翌日、彼は引越しの隙を見て、有刺鉄線の前にやってきます。シュムールから受け取った番号のついた服を着て、有刺鉄線の前に穴を掘って、収容所に入り込みます。そして、シュムールに連れられて収容所の中を歩き回るのですが、これが家で見た映画とは様子が違います。ちょっとビビり始めたブルーノですが、シュムールのためにも後には引けません。そこへ、行進命令が出て、2人は大人たちと一緒に収容所内を行進させられ、ある建物の中に誘導されていきます。

一方、ブルーノがいないことに気付いた母親は、彼を探して、彼が収容所の方に向かったことを知ります。父親がドイツ兵を伴ってブルーノ探しを始めるのですが、既にブルーノはガス室に閉じ込められていました。そして、父親が収容所にたどり着いた時、既にガスは放出された後でした。絶叫する父親、ガス室の扉のアップからだんだんと引いて行ってフェイドアウト、エンドクレジット。

何とも救いのない結末でして、ラストのブルーノが収容所に潜り込んでからの展開は悪夢のような恐ろしさがあります。ハーマンの演出は、この最悪の結末をまるで何か必然の如く描いていまして、ラストに残る余韻は狂気の沙汰のおぞましさなのです。ブルーノは冒険好きな少年ですが、自分のやっていることには、冒険ごっこ以上の認識はなかったように見えます。父親との関係がうまく行ってない男の子が、ちょっとだけやってしまった逸脱行為は、その重みを最後までブルーノは知ることができませんでした。だからこそ、彼の行動には、時代や国境を越えた普遍性があります。彼に共感する一方で、「ああ、そっちへ行っちゃダメだ」と思わせるシーンを積み重ね、もはや、彼の行動を支持することも否定することもできなくなる結末へ導くあたりはドラマ作りのうまさを感じさせました。愉快でも楽しくもないけど、ホロコーストやナチスドイツを受け入れる市民感情への興味は生まれてきます。

映画の前半で、ブルーノの家で下働きをしているユダヤ人を演じたデヴィッド・ヘイマンが大変印象的でした。元医師で、ブルーノに全てを語らないまま哀しそうな視線を向けるシーンには胸がしめつけられるものがありました。そんな彼を大声で一括する父親や将校に恐怖と反発を感じるブルーノに、思想に振り回されない人間の純粋さと中立さを感じました。彼の判断は間違ってはいなかったのですが、その判断に基づく行動が彼の命を奪うのです。これは戦争の怖さとは違う、もっと根源的な人間の善悪の問題を扱っているように感じました。人間は基本的には善なんじゃないの? それが教育とか意識操作によって悪意が生まれてくるんでないの?という視点です。人間は弱いところがあって、恐怖や刷り込みによって、あるいは自己保身のために悪に対して鈍感になります。でも、人が自由を持っていたなら、基本的に善意で行動するんじゃないかしら? でも、その善意が最悪の結果になることもある、それは自由な善意に対して、私も含めた世界が鈍感になっているからかもしれません。

「花と兵隊」から感じる、語り伝える歴史の重要さ

今回は、新作のドキュメンタリー「花と兵隊」を横浜シネマベティで観て来ました。この映画館はこういうドキュメンタリーを通常興行の枠で上映してきたのですが、最近はこういう映画のお客さんが増えてきているのがうれしい限り。昔は2,3人しかお客さんがいないってこともありましたから。

タイのメーソットで日本人の坂井勇さんの葬儀が行われました。そこから1年ほど遡り、カメラは存命中の坂井さんへのインタビューをとらえます。坂井さんは、大東亜戦争の終戦時、ビルマにいた元日本兵で、ビルマのカレン族に身を寄せ、そこの女性と結婚して、ビルマの情勢不安からタイへと移り、そこで精米所を経営しています。彼のようにビルマで終戦をむかえてそのまま日本に帰国しなかった元日本兵は他にもいました。彼らのインタビューから、戦争の語られない顔が見えてくるのでした。

今年30歳になる松林要樹監督の第一回作品です。終戦後、軍隊と行動を共にせず、現地に留まり、そこで家族を作った人がいます。この映画では、特にビルマで終戦をむかえて、そのまま帰国しなかった人にインタビューしています。もうみんな80歳を越えたご高齢の方々ですが、人生それぞれのようで、子供や孫に囲まれた人もいれば、奥さんに先立たれて一人暮らしの人もいます。機械技術や医療で現地に貢献した人もいます。彼らは軍を脱走したことになるのでしょうか。日本に帰ることよりも、現地で生き延びることを選択したのには、日本に帰るところがなかったとか、自分が生き残れないかもといった判断、或いは日本人に対する絶望から、軍を離脱して現地で生きることを選択したというのです。全てを言葉としては、採りきれていないので、そこは察するしかないとは言え、言語を絶する事実があったのではないかと思わせるものがありました。よく軍に対する忠誠はなくても、戦友との絆は絶対とか言うのを聞くのですが、それもまたケース・バイ・ケースのようです。戦争のことは、語られないことが多くて実相がなかなか見えにくいということを再認識させられます。そして、記録されない記憶は歴史の中でないものにされてしまうということを改めて感じます。

ショッキングだったのは、彼らが軍隊にいた頃に市民を虐殺したことを認める件でした。上官からの命令は、天皇陛下の命令であり、天皇陛下の命令で、シナ人の子供を皆殺しにしたというのです。また、極限状態で人の肉を食べたという話も出てきます。また、彼らは死の行軍と呼ばれるインパール作戦の生き残りであったこともわかってきます。彼らは戦場で地獄を見た人々でもあったのです。これらの証言を映像として記録したということだけでもこの映画は価値があると思いました。終戦から60余年も経過した今だからこそ語れるものもあったのではないかしら。それでも、言えないことはあると、きっぱり言う方もいましたから、永遠に語られない事実もあるのでしょう。そして、一方で彼らは遺骨収集活動も行っているようで、その人生に戦争は大きな影を落とし続けていることが見えてきます。

人生も晩年に入ったこともあるのでしょうけど、彼らは日本へ帰らなかったことを後悔してはいません。自分の家族がそこにいることが、彼らの存在を支えているようにも見えました。老夫婦のありようを丁寧に追っているので、そこに微笑ましさを感じます。彼らの姿は、戦争とは一線を画す穏やかな日々のように見えます。

彼らの話を聞いて思うことは、全てのことが過去の記録(記憶なのかな)として素直に聞けるということです。その理由は、彼らが人生の晩年をむかえているからだと思いました。もし、彼らが40歳前だったら、彼らのこれからの未来のことに想いが及んでしまい、さらに自分のイデオロギーのバイアスがかかってしまって、素直に彼らの話を聞けなかったでしょう。彼らの言っていることは全てが事実なのかどうかはわからないです。人間の記憶の限界もありますし、言いたくない事実を歪めていないとも言えないからです。

でも、過去の語りべの言葉として、抵抗なく耳に届いてくるのです。お年寄りの話は聞くもんだって、昔はよく言われたものですが、私にはあまり実感がありませんでした。でも、この映画を観ると、人生の晩年に差し掛かった人の言葉だから、素直に聞けることがあるんだと、改めて感じました。変な言い方ですが、今の歴史を未来に伝えるためには、今書き残すのではなく、あと数十年たってから、振り返って記録する方が全体像をつかめるんじゃないのかなって、気がしたのです。

「今」という時間を記録した映像や、その時に書かれた日記などは、もちろん歴史の重要な資料です。ただ、そこには、その時代(時間)のバイアスがかかっているので、どっか偏向しているようにも思えます。少し、時間的に距離を置いて、でも、時代の当事者が語る言葉の中に、記憶としての歴史があるのではないかしら。そういう時、お年寄りの若い頃の話ってのは、大変参考になると思うのです。その話に共感したり反感を感じることもあるでしょうけど、文書や映像だけに頼りすぎると歴史って見えなくなるなあって気づかせてくれる映画でした。語り伝えることの大切さ、そして、語り伝えるってのは、聞き伝えるってことですから、その意味で、こういうインタビューによる記録映画が作り続けられるって大事なことだって思いました。

「ナイト・ミュージアム2」にハリウッドの底力を感じる

今回は新作の「ナイト・ミュージアム2」をTOHOシネマズ日劇3で観てきました。しかし、前日のチケットを一階の切符売り場で売ってくれなくて、9階まで上がれってのはひどくないかい?マリオンの日劇はシネコン化してから、シネコン以下のサービスになっちゃってるぞ、他のシネコンでこんなのないぞ。

「ナイト・ミュージアム」で不思議で楽しい体験をしたラリー(ベン・スティラー)は、夜警をやめて、アイデアグッズを当てて、今や大会社の社長です。そんな彼が元働いていた自然史博物館を訪れると、何だか様子が変、展示物が箱詰めされいるのです。博物館の路線変更でそれまでの展示物は魔法の石版ともどもスミソニアン博物館の地下倉庫にしまわれてしまうそうです。友人である展示物に何もしてやれないラリー、そんな夜、ジオラマのカウボーイから電話がかかってきて何やら大変なことになってるみたい。意を決してスミソニアン博物館の地下に潜り込むと、そこでは、アクメンラーの兄カーメンラー(ハンク・アザリア)が動き出し、石版を手に入れて、世界を破滅に導く軍団を蘇らせようとしていたのです。それを阻止しようとするラリーに、展示物だった女性飛行士アメリア(エイミー・アダムス)が協力して、夜の博物館での大騒動が始まるのです。展示物がみんな動き出しちゃってもう大変。

前作「ナイト・ミュージアム」は博物館の展示物が動き出すというバカバカしい設定をお金をかけてリアルに見せて、親子の情愛とか細かい笑いを散りばめて、家族揃って楽しめる佳作になっていました。その続編ということでちょっと期待がありました。要は博物館の展示物が動き出すというのがポイントなんですが、そこにプラスアルファの面白さを盛り込むことで単なる見世物以上の映画に仕上がっています。変に気負ったところのない素直な作りなので、観ている方も素直に楽しむことができます。まあ、その分、お話がユルい展開をしたり、危機状態なのに妙にノンビリしていたりというところもあるんですが、それが映画全体の雰囲気になっているので、最初からこういう世界観、時間感覚の映画だと思えば、まあマジで突っ込むのも野暮だよねって気分になってきます。最近の映画は、いかにもCGで作りましたという映像(特にアクション映画)が多いのですが、この映画はあくまでリアリティ優先のCGになっていまして、マジメに不思議な世界を見せようとしているところに好感が持てます。ジョン・シュワルツマンのキャメラが全体をクリアに見せる絵を作っているので、そこにCGをはめこんでも不自然にならないあたり、よく考えられてるなあって感心しちゃいました。これはCGをメインに使う映画では結構大事なことなんではないかしら。CGが気にならないですもん。

今回は悪役にカーメンラーという古代の王様を据えて、世界滅亡の危機なんて展開になりかかるのですが、それがシリアスに盛り上がるのではなく、どっかツボをはずしたノンビリムードなのがおかしいです。カーメンラーは、イワン雷帝、ナポレオン、アル・カポネなんて面々を部下に従えるのですが、全然脈絡がないのが、かなり変。アメリアとラリーが恋仲風になるんですが、これもかなり強引な展開。それでも、前作や「ピンクパンサー」のショーン・レヴィの演出はドラマを停滞させずにトントンと運んでいきます。石版の魔力で、写真や絵の中の世界も実体化して、主人公たちが写真の中に逃げるという趣向もあって、こんなことがあったら面白いんじゃない?という世界を丁寧に映像化しています。小ネタも色々盛り込んであって、笑い主体で妙にシリアスにならないところがいいです。



この先は後半の展開を書いていますので、未見の方はご注意ください。



石版の効力を増すためのパスワードを解読するように、脅迫されたラリーが奔走して、最終的に向こう側の世界につながり、そこから悪魔の軍団がやってくるのですが、何だかお話はノンビリムード。あの世からやってくる軍団が、巨大リンカーンの像にちょっとやられた途端に、すぐ逃げ出してしまうのは、正直唖然。そして、ラリーの友人(展示物の皆様)とカーメンラー軍団(これも展示物)との乱闘になって、最後は、向こう側の世界にカーメンラーを押し込んで、朝が来て、世界の危機は守られたのでした、めでたしめでたし。はっきり言って、このメインストーリーはかなりバカ。でも、バカなことしてるのをマトモに撮っているので、結構面白いです。暴走してない落ち着きある展開が、お気楽に観るのに心地よい映画になっているのです。スカスカなお話を勢いで見せきっちゃえという最近のハリウッド映画に比べると、そのまっとうな作りは、ツッコミどころもたくさん見せちゃう一方で、なんだかゆったり気分で安心して映画を観ていられます。脇役もきちんと立てるところがあるのも、マルです。

サブ・プロットとして描かれるのが、ラリーとアメリアの恋模様です。住む世界の違う二人が惹かれあうという設定は、「ローマの休日」的、大悲恋ものにもなりうるネタでもあるのですが、そこをサラリと描いていて、深くはないけど、ちょっとしたアクセントになっています。石版が他の場所に移れば、夜中に展示品が動き出すこともなくなるわけで、彼らが動き出すのは一時のはかない自由なわけです。そういう設定をきちんと物語に取り込むことで、映画としての厚みが出ました。

ラストは、石版とラリーの友人である展示品が、元の自然史博物館に戻って、夜間の展示品になっちゃうというオチになります。子供が「すげえCGだ」というのがおかしく、それは、CG然としてない視覚効果だろ?という作り手の自信になっているあたりは微笑ましいものがありました。演技陣では、エイミー・アダムスがチャーミングなヒロインになっているのと、ナポレオンを演じたアラン・シャバ(あんた、こんな映画で何してるの?って感じ)がおかしかったです。また、ジョン・シュワルツマンの撮影が、CGを合成しても不自然にならないよう隅々までライティングした絵を作っているのが印象的でした。ラリーが社長から夜警に戻るという結末は続編への目配せなのでしょうね、きっと。後、タイムスリップネタのおまけも楽しかったです。主人公が昔の写真の世界で落とした携帯電話を、若いモトローラが拾うというのは、完全に蛇足なんですが、サービスとしては、OKって感じでした。

どうも、最近のアメリカ映画、ハリウッドの映画がつまらなくなったような印象があります。大人のための映画がないというのも理由ではないです。そんな時、「ナイト・ミュージアム1&2」を観て、ああこれがハリウッド映画の底力だなって感じました。最近は、勢い優先の映画が多くて、いわゆる乗ってる感(ライド感)が映画の面白さなのだと錯覚させられてるような気がするのです。映画の面白さってのは、役者の演技であったり、細かいエピソードだったり、お話の豊かさとか色々あるんだよねってのを、この映画は気付かせてくれます。この映画は、満点かって言うとそうでもなく、映画史に残る映画でもないのですが、映画の色々な面白さを映画の中に盛り込もうとしてるってところは評価したいです。映画を観た後の満足感ってのは、案外とそんなサービス精神から感じられるのではないかって気がするのです。
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Author:einhorn2233
Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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