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「エルム街の悪夢」のサントラはB級ホラーの基本形になってます


ホラー映画の音楽というと、ジェームズ・バーナードの「ドラキュラ」、バーナード・ハーマンの「サイコ」といった、オーケストラでカバー盤が出るような名曲もあるのですが、その一方で、有名だけど、どっかチープな味わいなのが「エルム街の悪夢」のテーマでしょう。低予算ホラーながら、夢の中で暴れまわるフレディという強烈なキャラのおかげで、メインのシリーズだけで5本、さらにスピンアウトされたり、最近もリメイクされたりもしている人気シリーズです。

メインの5作品は音楽担当者がそれぞれ異なるのですが、第一作目でフレディのテーマを決定づけたのは、チャールズ・バーンスタインです。B級アクションの「マジェステック」「トラックダウン」などで、シャープなアクション音楽を書く一方で、「デッドリー・フレンド」「エンティティ」「クジョー」といったホラー映画でも印象的なスコアを残している人ですが、「エルム街の悪夢」は彼の代表作になるのではないでしょうか。シンセサイザーによる恐怖音楽ですが、「エクソシスト」とは違う、ドヨーン、ビヨーンという不協和音を中心にした音で、それに印象的なテーマフレーズがかかるというもの。このおどろおどろしいフレディのテーマは大変インパクトがありまして、よくテレビの再現映像などで使われています。

ドラマの中で使われている音楽は、シンセサイザーによるサスペンスの典型とも呼ぶべきもので、日本の2時間ドラマでは、この音楽のパターンがよく使われています。全ての原点がこの映画だとは思いませんが、サントラ盤を聴いてみると、最近のサスペンス映画のパターンが網羅されていて、感心させられます。この音楽が古臭く感じられないのは、今でも、この音楽パターンが聴かれるからと言えます。サスペンスが盛り上がる部分のアップテンポの部分のメリハリも見事です。

このアルバムには続編の「エルム街の悪夢パート2」もカップリングされています。こちらは、「ヘルレイザー」「スピーシーズ」などのホラーで実績のあるクリストファー・ヤングが担当しています。前作のシンセサイザー音楽とは変わって、オーケストラによる不協和音中心の音作りになっています。オーケストラを使っているだけあって、重厚さはこちらの方が上なのですが、音のインパクトとメリハリでは、第一作にかないません。とは言え、この1枚のアルバムで「エクソシスト」の亜流外のB級ホラー音楽のパターンがカバーできてしまうというところで、お買い得な1枚ということができます。

しかし、それは、最近のこのジャンルの音楽が停滞しているとも言えます。近作の「フォース・カインド」の音楽もそれはそれで健闘しているのですが、エルム街の第一作の延長線上の音であることは、ある意味物足りなさも感じてしまいます。


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双葉十三郎氏にはお世話になりました。

おくればせながら、双葉十三郎氏の訃報を聞きました。

色々の業績を残している方ですが、私の視点からすれば、やはり私の映画の
バイブルである「ぼくの採点表」の筆者の双葉さんということになります。
学生映画ファンであった、私が映画雑誌「スクリーン」を買って、必ずチェック
するのが、「ぼくの採点表」でした。「ロードショー」や「キネマ旬報」では
一人の筆で、全ての映画を的確に評することはできなかったのですが、双葉氏を
擁した「スクリーン」ではそれが可能でした。後年、単行本にまとまった
「ぼくの採点表」は全てゲットしていますし、時々、読み返しています。

いわゆるB級ゲテモノ映画も批評しているのですが、これが駄作だと罵倒する
ような表現になっていなのがいいところです。「生理的にやりきれない」「グロテスク
なシーンは心臓のヨワい僕などには有難くない」といった表現になってるんです。
決して、映画を高いところから貶める表現をしていない。この人の文章表現は、
パソ通やブログに映画の批評を書くときにずいぶんと参考になっています。

また、自分にとって新しい趣向だ、発見だと思えるようなことが、実は昔の映画から
の引用やオマージュになっていることを教えてくれる文章でもありました。さらに、
映画にツッコミを入れるところがすごくまっとう、変に入れ込んだ文章になっていない
ので、双葉氏の文章を初めて読んだ人にも大変理解しやすい内容になっています。

「ぼくの採点表」から映画に興味を持つと、色々な映画を観たくなります。アートよし
恋愛よし、アクションよし、ホラーもきちんと文章で評してあるってのは、実は
すごいことなんですよね。こんなのどうにも書きようなないよなあっていう映画も
あるんですが、そこをきっちり映画の輪郭がわかる文章にする、双葉氏の職人芸は
見事でした。

私のブログに映画について書く文章は、双葉十三郎氏と阿刀田高氏に影響を受けています。

99歳とのことですから、大往生になるのでしょうけど、双葉氏のおかげで映画の
面白さ、楽しみ方を見つけた人も多いと思います。。心よりご冥福をお祈りします。

「ハロウィン」の音楽は恐怖のみを切り出したクールなサウンド


ホラー映画の音楽ということでは、「エクソシスト」の「チューブラー・ベルズ」は一つのエポックと言えます。以降、シンセサイザーによる反復音楽は、みんなこの映画の亜流と呼ばれちゃうのですから、ちょっと気の毒なようにも思えます。オーケストラの使えない低予算映画の音楽で、安価になったシンセサイザーを使うのは、ある意味時代の必然だったように思えるからです。ただ、シンセサイザーの音で、オーケストラ向けの音楽を演奏するということを映画でやっているのは少なく、アルペジオによる反復音楽が主体になっているのは事実で、ある意味、「エクソシスト」の亜流と呼ばれるのも致し方ない方部分もあります。

1970年代以降、低予算ホラーで大ヒットした映画の中で「ハロウィン」は、後続のホラー映画に大きな影響を与えていますが、その音楽もまたインパクトのあるものでした。この映画の脚本・監督であるジョン・カーペンターは、ほとんどの監督作品の音楽を、自分で手がけている才人です。シンプルなピアノによるメロディの反復に、シンセの低音が絡んでいくというテーマ曲は、今やホラー音楽の古典になっちゃっています。

そして、メインテーマと別の、サスペンスを描写する音楽では、どちらかというと静かな反復音楽を使ったという点でも注目されました。恐怖を煽らないで、ショック場面まで引っ張っていく音として、有効なアプローチでして、ショック映画のための音楽としても画期的だったと言えましょう。

明確に歌い上げるメロディがないことから、効果音的な音楽という扱いを受けていますが、それでも、このテーマ曲は見事だと言えます。非常にクールで、潤いのない音ではあるのですが、研ぎ澄まされた恐怖を描写するのにはうってつけの曲でもあります。ただし、このタッチが模倣されすぎて、ホラー映画の音楽が、安いハッタリ系に走ってしまったとも言えまして、功罪相半ばするといった感じでしょうか。

ジョン・カーペンターは、これ以外の映画でも、印象的な音楽を作っていまして、「ニューヨーク1997」「フォッグ」「ゴースト・オブ・マーズ」などシンセ中心の反復音楽ですが、「ハロウィン」よりずっと出来がいいのです。その中で、音楽的に最もチープな「ハロウィン」が一番有名なのは、個人的には納得できないものがあります。

この映画のサントラLPが、映画の日本公開時にも発売されたのですが、これは、テーマ曲2曲に、映画のシーンをそのままいくつか収録した不思議なサントラ盤でした。また、テーマ曲自体も、ピアノによる反復部分が、よりシンセっぽい音になっており、以前どこかで「日本版の上映では、東海林修がシンセサイザーで再録音した音楽が使用された」という記事を読んだことがあるのですが、確かに、LPのテーマと、サントラCDのテーマは音が違うように思います。もともとは、モノラル音響であった作品が、日本では4チャンネルステレオを駆使した音(スペースサイザー360方式と呼称)になっていましたから、何らかの音の追加、差し替えはされた可能性があると思います。

ちなみに、サントラLPには、左右のスピーカーと正三角形を作るような位置で聞くと、音が回るという説明がありました。実際、そのポジションで聞くと、ピアノ風シンセサイザーの反復する音がグルリと周囲を回るような感じがしました。

「フォース・カインド」のサントラは再現フィルムにまっとうなドラマの音をつけてます


2009年の終わりに公開された「フォース・カインド」は今になっての宇宙人拉致再現フィルムとしてなかなかうまく出来ていたように思います。そんな映画の音楽を担当したのは、「バンデージ・ポイント」のアトリ・オーヴァーソンです。「バンデージ・ポイント」では良くも悪くもハンス・ツィマー以降のアクション音楽を踏襲していたのですが、今回の実録(?)ホラーでは、怖がらせ音楽もあるものの、意外とがっちりした音にまとめています。

まず、女性ボーカルの入った印象的なメロディがテーマになっていまして、そこから、シンセとストリングスによるサスペンス音楽になります。得体の知れない状況を描写するのに、ドキュメンタリー風の音作りになっているのですが、ドヨーンとした効果音にならない、厚みのある音楽に仕上げているあたりに職人的うまさを感じます。要所要所にヒロインの孤独を描写するテーマのメロディが挿入されたり、きちんとドラマを盛り上げるためのサスペンス音楽になっていて、ただの実録映画以上のドラマを感じさせることに成功しています。ちょっと中東風な音が入るあたりもマルです。舞台となっているアラスカのノームという町の空気感も伝わってくるのもうまい音作りだと思います。

これといった決着のつかないエンディングなのですが、音楽は単に不安な余韻を残すだけでなく、ヒロインの悲しみの音楽にまとめているあたりも見事です。音楽だけ聴いた方が、きちんとドラマとしての骨格を感じさせるものになっていまして、映画の意図するところのウソかマコトかというハッタリ部分とは別のところで、物語をきちんと支えています。

最近のホラー映画の中では、異色作ともいうべきものですが、音楽的には直球勝負をしているという気がします。いわゆるジェットコースタータイプの映画ではないので、単に勢いで煽る音楽では、味も素っ気もなくなってしまうのを、ドラマを支える音楽をつけることで、映画としての厚みが増したと言ったらほめすぎかしら。


下のYouTubeでテーマ曲が聴けます。

「夏時間の庭」ってタイトルですごく得してるような気がする。

今回は、新作の「夏時間の庭」を横浜シネマジャックで観てきました。ここも色々な企画で知名度が上がっていますけど、こういう地味な作品だとお客さんの数が今一つなのが残念。でも、この邦題でフランス映画というと、何か期待させるものがあります。ちょっと、アート心をくすぐるって感じ。

パリから電車で1時間くらいのところにある自然に囲まれたお邸には、フレデリック(シャルル・ベルリング)、アドリエンヌ(ジュリエット・ビノシュ)、ジェレミー(ジェレミー・レニエ)の3兄弟の母エレーヌ(エディット・スコブ)が住んでいます。エレーヌの叔父が芸術家だったこともあって、家の中にはお値打ちものの家具や美術品がいっぱい。誕生日に息子に向かって、自分が死んだら家をお金に換えて処分するようにと言いエレーヌ。そして、彼女の死後、遺産をどうしようかということになるのですが、アメリカに住みデザイナーをしているアドリアンヌと、中国の工場で技術者として働くジェレミーは、もうこの家に帰ってくることもないから、家を処分してお金に換えたいと言います。フランスに住んでいるフレデリックにしてみれば、思い出のある家もみんな残したいところですが、家具とか美術品に価値ありすぎで相続税も大きすぎ、結局、家具や美術品はオルセー美術館に寄贈し、家も売り払うことになるのでした。

オリヴィエ・アサイヤス監督作品です。この人の映画は観たことがないのですが、この邦題と予告編に魅かれるところがあって劇場に足を運びました。フランス映画らしいフランス映画という期待感とでも申しましょうか。

冒頭は森の美しい画面から、エレーヌのお邸へとカメラが移動していきます。エレーヌの誕生日の様子から、母親と子供たちの状況がだんだんとわかってきます。母親の叔父が有名な芸術家らしくて、その家にある家具とか絵が相当のお値打ち品らしいのですが、あえて母親は子供たちにこの家を守る必要はなく自分の死後は売り払えと告げます。子供たちには子供たちの人生があって、この家に縛られる必要はないというのですが、その意味が物語が進むに連れてわかってきます。フレドリックはフランス国内で経済学者をしているのですが、後の二人はそれぞれに海外で仕事をしています。誕生日の話題でも、アドリアンヌは高島屋のためのデザインをやっていて、ジェレミーは中国の工場で指導的立場にあるみたいです。私には、3兄弟ともに成功者のように見えるのですが、それでも、アドリアンヌとジェレミーの方がより成功しているような見せ方をしています。フランス国内に留まらない生き方が新しい時代のようなのです。

エレーヌの死後、3兄弟は遺産の整理をすることになります。膨大な相続税の軽くするためには、美術品は国家に寄付した方がよいという弁護士の提案を受け入れます。さらに、フランスに帰ってくる見込みのないジェレミーとアドリアンヌは、家も処分してお金にしようと言い出します。全てをそのまま残そうと考えていたフレドリックは、不満ではありますが、妹弟の希望にそうことにし、家には鑑定士が入って、家具や美術品の値踏みが始まります。一方で描かれるのがフレドリックの娘が盗みでつかまり、薬もやってるらしいことがわかります。親子の会話から、フレドリック自身も何かやましいところがあるみたいなんです。家具とかが運び出された家で娘やその友人たちがパーティをしているところで映画は終わるのですが、娘はおばあちゃんの家にそれなりの愛着を持っているらしいことが示されます。でも、映画全体から感じるのは時の流れは変えられないってことでした。

冒頭で家を守って子供たちに伝えていくのは当たり前ということを、フレドリックは言うのですが、実際はそのようにはなりません。そして、母親のエレーヌも家に縛られた女性ではないことがわかってきます。夫よりも芸術家である自分の叔父の方を深く愛していたというのがわかってくると、結局は人は現在の中で生きてるんだなあって気がしてきます。結局、自分の夫よりも叔父の方を愛していたというかなりの「困ったちゃん」だったらしいです。世間でも評判の「あそこの奥さん」だったって感じでしょうか。夫も叔父も亡くなって、今は平穏な暮らしをしてますが、子供からすれば、昔はかなりおかしな母親であっただろうことは想像つきます。まあ、自分もその時々の自分に忠実に生きてきたからこそ、子供にも思い出の家にとらわれた生き方をして欲しくなかった、そんな希望する権利などない、と思ったのではないかしら。

家のものを美術館へ寄贈するあたりですとか、幼い頃にドガの彫刻を壊したのが思い出だとか、この一家のハイソな感じがちょっと鼻につくところがありますけど、そんな時が止まったような優雅な暮らしが、今風の人生ではないという見せ方は、なるほど納得できるところがあります。ラストでも、フレデリックの娘はこの家に対してのノスタルジーを語るのですが、それはあくまでおばあちゃんとの思い出、つまり過去の記憶の残骸でしかないのです。時は流れていく、その中で家はあくまで人生の宿り木に過ぎないという描き方は、面白いと思いました。美術館の展示品になっている机を見て、フレドリックは、机は使われてこそ意味があって、ここでは死んでいると言います。それは、一理あるのですが、そのまま朽ち果てていくだろうものを、死に化粧して保存しておくという意味で美術館の存在意義を思い出しました。

2009年のベストテン

2009年も終わりということで、今年のベストテンを作ってみました。観た映画の本数が例年より少なかったので、邦画洋画ドキュメンタリーひっくるめて、一つのベストテンにまとめてみました。上位5本は、何かと考えさせられたもの、下位5本はエンタテイメントとしてよくできてるものが並びました。

第1位「愛を読むひと」
人はその環境に順応していく、その中で人としてひどいことをしてしまうことがあり、時として、それを過去に葬ることで生き続けなければならない。若い男の子が年上の女性にメロメロになっちゃうお話から、歴史の中で変わる価値観、歴史をどうやって自分の事として受け入れるか、自分の罪を認識したとき何ができるのか、などなど様々な問題提起をしてきます。色々と考えさせられ、恋愛ドラマとしてもよくできていたので、これはやはり1位です。

第2位「この自由な世界で」
グローバル化とか言われるご時世ですが、その実態は、弱い者がより弱い者を食い物にするという、すごくやな構図の再生産だったというお話。監督の突き放したような視点は、救いのないドラマのように見えました。でも、それを冷静に事実認識しないと世界はよくならないなあって気もしました。

第3位「エレジー」
初老の男と若くて美しい女性の恋愛ドラマですが、その中で男女のあり方の本音と建前が大変よく描かれていたように思います。年の差があるからこそ、その絆の中から、純粋な愛の形が見えてくる展開がすばらしいと思いました。

第4位「冬の兵士」
イラク戦争に従軍した兵士が、自分は国を愛しているが、この戦争はやめるべきだと語ります。彼らは戦争の最前線にいる人間だけに言葉に説得力があります。イデオロギーや自国批判でない形で、反戦を描いたという点で記憶されるべき映画だと思います。愛国者で反戦意識を持った人間が黙って出撃して死んでいく日本の戦争映画に納得できなかった私には、腑に落ちる映画でした。

第5位「台湾人生」
日本統治時代に生まれて、日本人としての教育を受けた台湾人の証言による、日本と台湾の歴史。大東亜戦争前後の歴史について、日本人以外の視点から語られると、意外な発見がありました。そして、人は歴史の積み重ねの上に生きているというより、生まれた時から今までの切り取られた歴史の中で生きているのだと気付かされました。

第6位「チェンジリング」
行方不明になっていた自分の息子が見つかったと思ったら別人だった。実録ものだというのが恐れ入りましたというお話。クリント・イーストウッドがストーリーを語る達人だということを証明しました。映画としての作りが豪華で丹精。映画館で観るのにふさわしい、骨太エンターテイメントでした。

第7位「ナイト・ミュージアム2」
ハリウッドは、ファミリー向け映画を作るのがうまいなあって改めて感心させられた映画。同じくファミリー向け映画では佳作「ウィッチ・マウンテン」も捨てがたかったのですが、ベタなお笑いで点数を稼いでいる点で、こっちをとりました。SFXをこれ見よがしな使い方をしていないのも好感度大です。

第8位「ジュリー&ジュリア」
フランス料理のカリスマであるジュリアに憧れるジュリーが料理ブログを始めるというお話。イコンとなっているジュリアが、ジュリーの心の支えとなり、自分への自信と信頼を取り戻していくというお話は出来過ぎの感もあるのですが、メリル・ストリープとエイミー・アダムスの演技が楽しく、娯楽映画としてよくできていました。

第9位「わたし出すわ」
お金が人を狂わせることが多いけど、でも、人間の行動の動機って意外とお金以外のところにあるよねっていう見せ方が面白かったです。お金の力ってすごいなあって思わせておいて、でも、人はお金で動くってわけじゃないんだよってのが見事にはまりました。

第10位「ビッグ・バグズ・パニック」
今年はあまりゲテもの系映画は観てなかったのですが、観た中で楽しかったのがこれ。どっか妙にツボをはずしたオフビートな感覚がおかしくて、それでも、巣の大ボスをやっつけるという大筋がきちんと描かれているのがよかったです。なぜ巨大昆虫が現れて人間を襲うのか、最後まで説明しないってのは、「ゾンビ」の設定のパクリなのか?って後で気付きました。


この他には、好きな映画で「扉をたたく人」「ダイアナの選択」「ダウト」などがありました。ドキュメタリーの「嗚呼 満蒙開拓団」は見応えがありましたけど、観ていて痛すぎる内容でした


後、映画のベストテンには入らなかったけど、映画の一部、ピンポイントがお気に入りというピンポイントベスト5を挙げます。

第1位「しんぼる」のくだらないことにお金かけてます度
私は結構好きなんですよね、「しんぼる」。そして、そのくだらないことにかなりのお金を費やしてるなってところも好きです。手の込んだCG使って、やってるのは「チ○コ押すと何か出てくる」の繰り返しですからね。「大日本人」のように大きく構えたところのない「しょもなさ」が何とも楽しいのですよ。

第2位「ヘルボーイ2 ゴールデン・アーミー」の異形の人々に描き方
現代社会のちょっと裏には、妖精の皆さんがいて、社会を営んでいるという世界観がきっちりと描かれているんですよね。人間サイドにいる主人公がやたら人間になりたがってるのに、そっちの世界の皆さんは人間だから妖精だからという意識は一切ないのですよ。人間の世界には差別があって、そこで主人公たちはやな思いをしちゃうという展開は、寓意に満ちたもので、ギレルモ・デル・トロはただのオタクじゃないぞと感心させられました。

第3位「レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで」のみんな人の噂が大好き
ブラックな笑いを底に秘めたドラマも面白かったですが、この映画の主人公の住む高級住宅地は、みんな人の噂が大好き。だから、自分がどんな噂をされているのかもすごく気になっちゃう。日本人にはすごくわかりやすい心理なんですが、アメリカでも似たようなもんだなあってところがおかしかったです。住んでる国、地方によって気性が違うってのはよく言われますが、一方で大差ないなあってのがわかるのは、相互理解の上でも大事なことなのかも。

第4位「ダウト」のエイミー・アダムス
今年の映画の好きなヒロインというと「ヘルボーイ2」のセルマ・ブレア、「愛を読むひと」のケイト・ウィンスレット、「パリ」のジュリエット・ビノシュ、「そんな彼なら捨てちゃえば」のジェニファー・コネリー、「イエスマン」のズーイー・デシャネル、「Dear Doctor」の井川遥などが印象に残っていますが、その中でも筆頭は「ダウト」のエイミー・アダムズでした。善意と信仰と現実逃避の狭間に揺れるシスター役は脇役とはいえ見事だったと思います。

第5位 3Dの映画だからって3Dで観なきゃいけないわけじゃない
今年に観た3Dの映画は「モンスターVSエイリアン」と「カールじいさんの空飛ぶ家」でした。前者は話が腹立たしいところあってバツ、後者はお話も映像も美しくて、3Dで観る必然性はありませんでした。なるほど、3D映画が増えてくるみたいですが、何でも3Dで観なくてもいいじゃんってことに気付きました。2D画面、3D画面の各々に長所短所があるなあって気付いたのは収穫でした。

というわけで、2010年もよろしくお願いいたします。

「フォース・カインド」はキワものらしさという点では買います

2009年の大晦日、帰省先の静岡ミラノ2で「フォース・カインド」を観てきました。この映画館、デジタル音響の設備はない筈なんですが、ドルビーデジタルのロゴが上映前に出たんですよ、何か変じゃね? ちっちゃさが好きな映画館ですが、ウソはだめくない?

アラスカ州のノームは、白夜になるような北の果ての町。そこに住む心理学者アビゲイル・タイラー博士がオスンサンミ監督のインタビューを受けています。そして、彼女の証言に基づく再現ドラマが展開していくのです。タイラー博士(ミラ・ジョヴォヴィッチ)は、夫が何者かに殺され、そのショックで娘が失明してしまって、自他共に大変な状況。彼女は心療科の医師でもあり、不眠に悩む人のセラピーもしているのですが、患者の話に「白いフクロウが見ている」という共通点があるのが気になっていました。そして、患者の一人を催眠状態にして、眠れない時点まで記憶を逆行させてみました。すると、彼はフクロウではないとんでもないものを見たことを思い出したようです。何を見たのか語らないまま、彼は家に帰ると、家族を射殺した後、自殺していまいます。この事件で、保安官(ウィル・パットン)はタイラーが催眠で何かの暗示を与えたのではないかと疑いを持ちます。もう一人、不眠症の患者を催眠状態にして記憶を逆行させてみると、尋常でない何者かが部屋に入ってきた記憶を思い出します。博士はエイリアンのアブダクション(拉致)が行われているのではと疑いを持ち始めます。そして、彼女が口述記録していたテープに悲鳴と不思議な言葉が録音されていることを発見、その言葉は古代シュメール語だというのです。彼女自身に何者かの魔手が伸びてきているようなのです。

この映画の予告編を観たとき、ものすごい怖い映画じゃないかという予感がしました。実際のビデオ映像が不気味感たっぷりでしたもの。でも、観た人の評判はあまりよくないってのが微妙な期待になっていました。冒頭で、ミラ・ジョヴォヴィチがカメラに向かって、これは実際に起きた事件の記録と再現フィルムだと宣言し、「信じるも信じないもあなた次第だ」と言います。おお、これは都市伝説の決めセリフではないですか。これっていわゆる「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」とか「ノロイ」(この2本はどっちもよくできてました。)の類、いわゆるフェイク・ドキュメンタリーではないかという期待が出てきました。脚本・監督のオラトゥンデ・オスンサンミは初めて聞く名前ですが、どんな感じなのかしら。

ミラ・ジョヴォヴィッチの前口上の後、タイラー博士本人が、オスンサンミ監督にインタビューを受けています。このご本人が結構いっちゃってる感じの人なんですよ。ミラ・ジョヴォヴィッチ演じるタイラー博士がちゃんと映画のヒロインになっているのに、これが本人ってのはギャップでかすぎです。これは怖いかもって、気がしてきました。彼女は隣のベッドで寝ていた夫が何者かに殺されたってことが結構トラウマになっているそうです。そして、不眠症の患者を診察してるうちに、彼らがエイリアンに拉致されたんじゃないかって疑いを抱き始めます。映画は、再現フィルムと、患者の催眠状態にあるときの実写記録ビデオで展開していきまして、再現部分と実写ビデオの映像を並べて画面に置くといった演出は成功していまして、再現フィルムのドラマ部分にリアリティを与えています。

自分の声を録音してあったテープに何者かの言葉があってまたびっくりのタイラー博士。死んだ夫のもっていた本の中にシュメール文化に関するものがあり、著者に連絡をとってそのテープを聞いてもらうと、これが古代シュメール語だというのでビックリ。エイリアンがシュメール語を話すみたいなんです。彼女の催眠治療を受けた患者二人ですが、一人は無理心中、一人はその後、ベッドでおかしな言葉を叫んで下半身不随になっちゃいます。(どっちも記録映像あり)警察はタイラー博士が何かやったに違いないと逮捕されそうになります。このあたりは、なかなかスリリングな展開で、タイラー博士の知人の心理学者が彼女を心配しつつサポートするのですが、事態は悪い方向に進んでいきます。何と、彼女の娘が行方不明になってしまいます。彼女は、UFOが空中へさらって行ったと言うのですが、警察は信じてくれません。要所要所に挿入される実写ビデオ映像が結構不気味でして、エイリアンアブダクション(宇宙人による拉致)があったんだという見せ方は強引ではあるのですが、それなりのリアリティが感じられました。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



娘を取り戻したいタイラー博士は、さらった連中とコンタクトを取るべく自らを催眠状態に置きます。その状況の実写ビデオも登場するのですが、シュメール語が録音された夜の記憶が蘇った彼女は複数の何者かに連れ去られ、体に手術をされた記憶を取り戻します。彼女は体が浮き上がり、シュメール語を口走ります。「娘は帰らない」「我は神なり」なんて言葉が語られるのですが、そういう肝心なところになると画面が乱れてしまいます。二日後に病院で目覚めた彼女の前で、友人の心理学者と保安官が、彼女の夫は殺されたのではなく、拳銃自殺をしたのだと伝えます。そして、タイラー博士は夫が自殺したらしいという事実を受け入れた上で、それでもエイリアンアブダクションは現実のものであり、娘は見つからないといい、映画は終わります。字幕で、彼女以外の関係者からは協力を得られず、彼女の娘はいまだ行方不明だと語られて、エンドクレジット。

これはフェイクドキュメントでしょう。単に記録映像だけで勝負した「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」に比べると、情報量は多く、その分、作りこみが透けて見えるところはあります。パトカーの記録映像にUFOが出てくるところとかにツメの甘さは感じられる(ホントなら、警察は協力するか、映像の隠蔽をするでしょうから)ところもありますが、テイラー博士本人として登場する女性のアブない人度で、大抵のアラはカバーしてしまいました。要は正気じゃないように見えるのですよ、このオバちゃん。そして、再現フィルムの中でもこの人は狂ってるのかもしれないって周囲から見えるのです。ですから、タイラー博士なる人物の脳内妄想ストーリーかもって気がするのですが、一方で、ビデオ映像があり、実際にノームで自殺や失踪者がたくさん出ているらしいのです(と、映画では、前提の事実ように見せていますがホントのところはわからない)。

このテの映画の面白さは冒頭で語られる「信じるも信じないもアナタ次第」にどの程度乗れるかにかかってきます。そういう意味では、映画のラストでヒロインが正気じゃないという見せ方をすることで、逆に「ウソかなあ?でもひょっとして...」と思わせることに成功しています。つまり、ウソかもしれないということをあえて見せちゃうことで、でもビデオ映像があるからホントかもっていう気分を煽るというやり方なんですが、そのさじ加減がかなりうまい。見方によるとこの映画、結局、でかい話を振っておいて、結論を見せないので、普通の映画を期待しちゃうとものすごくつまらなく感じるかもしれません。私はこういうハッタリ映画が好きなので、どこまでホントっぽく見せるかで、評価してしまいますから、その意味ではこの映画面白かったです。ミラ・ジョヴォヴィッチは、普通にヒロインを好演していまして、本人とのギャップが映画の面白さに貢献しています。

この映画は、カナダでロケされて、ブルガリアのスタジオで撮影されています。(クレジットに、VとかVAで終わる名前が多い。)これまで、ジャン・クロード・ヴァン・ダムの低予算映画などがブルガリアで撮影されてきましたが、だんだん、外国で撮影される映画が増えているのかも。その昔はカナダで撮影される映画が目立ちましたが、それがブルガリアへシフトしているのかな。

プロフィール

einhorn2233

Author:einhorn2233
Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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