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「バレンタインデー」キーワードをうまく散りばめてきれいにまとめています

今回は、新作の「バレンタインデー」を静岡ミラノ2で観てきました。もともと、静岡日活の2階席を独立させて一つの映画館にしたという、横浜東宝エルムのような映画館。静岡にシネコンができたら、真っ先になくなっちゃうであろう劇場ですが、私は結構好きです。2chではボロクソ言われてますけど、まあ、それは仕方ないのかな。

年に一度のバレンタインデー、花屋の店員リード(アシュトン・カッチャー)は、恋人モーリー(ジェシカ・アルバ)にプロポーズしたら、OKの返事に有頂天。この日は、花の配達で忙しいけど、気分はハッピー。彼の女友達ジュリア(ジェニファー・ガーナー)も医者の恋人ができてハッピー。ところが、その恋人は妻帯者だったのですが、彼女はそんなこと知らないからまだハッピー。一方、スポーツキャスターのケルビン(ジェイミー・フォックス)はバレンタインデーの町を取材しろって、上司(キャシー・ベイカー)に言われてアンハッピー。ジュリアの友人カーラ(ジェシカ・ビール)は「バレンタインデー大嫌いパーティ」を企画するけど参加予定者ゼロでアンハッピー。会社の女の子リズ(アン・ハサウェイ)と一夜を共にできてハッピーなジェイソン(トファー・グレイス)。でも、リズには秘密があるみたい。飛行機でとなり合わせたホールデン(ブラッドリー・クーパー)とケイト(ジュリア・ロバーツ)。ケイトは軍人で愛する人とたった1日会うためにロスに向かっているのでした。こうして、ちょっと特別なバレンタイデーは悲喜こもごも、いや、悲ちょっと喜たっぷりで過ぎていくのでした。

バレンタインデーの1日に起こった様々な愛のエピソードを、幕の内弁当のように並べて見せた映画です。「プリティ・ウーマン」のゲイリー・マーシャル監督は、さすが恋愛映画のベテランだけあって、見た目にもきれいで、味も上々の幕の内弁当に仕上がりました。幕の内弁当のおかずはどれも少しずつですから、単品よりはちょっと味は濃い目にしてるのですが、全体としては、胃にもたれないやさしい仕上がりになります。でも、後半でテーマらしいものが見えてきます。それは、その人を好きなら、いいところも悪いところも好きにならなくちゃ、ってこと。この人のここがどうしてもダメって、意地を張って別れちゃうんじゃなくて、そのダメなところもひっくるめて好きなんでしょ? ある意味、大変、楽観的。でも、そのテーマがエピソードの隅々まで行き届いているのかというとそういうわけではありません。そのあたりのあっさりした味わいがお気楽に観るデートムービー(とはいうものの、私が観た回の観客は6人、カップルはなし)に仕上がっています。破局や、不倫のエピソードもあるんですが、最後には、それなりにまるくおさめる構成ですので、映画としての仕上がりは悪くないのですが、そのうまくまとめ過ぎなところに物足りなさも感じてしまいます。どのエピソードも起承転結の転の部分が薄味なのです。まあ、そこを濃くしないところが、マーシャルの演出の味というところになるのでしょう。出来すぎとか作りすぎの感じがしないのはマルでした。

お話の中でアクセントになっているのは、リズがエロ電話のバイトをしていたということくらいなんですが、考えてみるとラブコメも保守化しているのかもしれません。同じ、ゲイリー・マーシャルのヒット作「プリティ・ウーマン」はヒロインは娼婦でしたからね。この映画で、登場する職業で一番不安定っぽいのが花屋の店員で、後は教師、マスコミ関係、スポーツ選手(スタープレイヤー)、医者、社長、軍人といった堅い職業のみなさん。ビンボ臭いラブコメなんて、確かに望むところではありませんが、海の向こうもこちらも所帯じみたラブコメってはやらないのでしょうね。まあ、複数人の1日のドラマを描くのですから、あまりリアルな人間像まで踏み込んでいたら時間も足りなくなっちゃうでしょうけど。

エピソードの中心となるのは、花屋の店員リードと女友達ジュリアが、お互いのパートナーとうまく行かなくなって、結局、親しい友人こそが愛する人だったというお話。これまた、ありがちなパターンではあるのですが、ジェニファー・ガーナーがこういう学校の先生いそうだなって感じをうまく出して好印象でした。また、「バレンタインデー大嫌いパーティ」をしようというジェシカ・ビールが脇役としてのコメディエンヌぶりがうまくはまっていて、この人、こういう役もやるんだってちょっと発見でした。全員主役みたいな映画で、脇のサブキャラのポジションをきっちりと演じてるのは達者なんだなって感心。

子供から、じいちゃんばあちゃんのカップル、ゲイカップルのエピソードも交えて、まあ、気配ってるなあって感じで、ドラマはまるくまとまっていきます。告白、不倫、再会、仲直り、出会い、夫婦愛とキーワードをくまなく散りばめているのは、脚本原案のキャサリン・ファゲイト、アビー・コーン、マーク・シルバースタインの功績でしょう。広く浅く作っているのですが、その「広く」の部分の刈り取りがうまく、文字通りに普遍的なラブストーリーになっています。ゲイリー・マーシャルの演出がコミカルに全体のバランスを取って、しんみりさせずに2時間ちょっとにまとめている点は見事でした。

アメリカでも、バレンタインデーは、花屋が繁盛する愛情を確認しあう日だとわかったのは、収穫でした(知らなかったのは私だけかもしれませんが。)。チョコレート屋の戦略で流行った日本では、他のプレゼントをキャンペーンしにくくなっているような気がします。景気の悪い昨今は、義理チョコという言葉は影を潜め、友チョコとか逆チョコとか視点を変えて何とか消費拡大を図ろうとしているようです。私の姪っ子も、友達とチョコレート交換してるようですし、私も職場や保険のおばさんからの義理チョコもなくなりましたから、バレンタインデーも様変わりしているようです。ホワイトデーの縛りがなくなると、バレンタインデーの自由度も上がるのになあって気はするのですが、私にはその相手がいないから、どうでもいいって言えば、どうでもいい話なのでした。

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「アバター(3D字幕版)」のキモはその「わかりやすさ」にあります

今回は遅ればせながら、「アバター(3D字幕版)」を日劇1で観てきました。指定席の位置を真ん中にこだわったら、後ろの方に席になっちゃって、立体感は今一つ。でも、観終わったら、すごく目が疲れちゃいましたから、別に3Dじゃなくてもよかったかな?

元海兵隊員のジェイク(サム・ワーシントン)は、死んだ兄の代わりに、惑星パンドラでのアバター計画に送り込まれます。資源会社が高価な鉱石を採掘するにあたって、そこに住むナヴィという先住民が邪魔でした。彼らを懐柔し、移動させるために、ナヴィにそっくりな人工生命体アバターを作り出しました。兄のDNAによって作られたアバターを遠隔操作することで、ジェイクは完全にラヴィの肉体を手に入れます。ナヴィの言語や文化を学んで、平和的な外交を試みようとするのです。ナヴィに入り込んだジェイクは、彼らの一員となるべく頑張って、信頼を勝ち取っていきます。しかし、一方で会社側は重装備した軍隊を送り込んで、邪魔なナヴィを追い出そうとしていました。ナヴィの文化に触れ、部族の娘と愛し合うようになっていたジェイクは、パンドラの自然と文化を破壊しようとする会社と軍隊に対して反旗を翻すことになります。しかし、圧倒的な武器と火薬で攻撃してくる地球軍に急襲されたナヴィは集落を追われてしまいます。そして、ジェイクが中心となり、パンドラに住む先住民を総動員して、地球軍に戦いを挑むことになるのですが.....。

世界で大ヒットしているということで、まあ、観てみようかという気になったのですが、予告編を観て、これは、「もののけ姫」と「ラスト・オブ・モヒカン」を足したような話なのかな?と思ったのですが、まさにその通りで、期待を裏切らないものでした。地球人はいわゆるヨーロッパ人で、ナヴィは、南洋の先住民の皆様と思えば、わかりやすいでしょう。パンドラには豊富な自然があり、先住民は自然と共存し、精霊の棲む世界なのです。そこへ、やってきたヨーロッパ人が武力にものを言わせて土地や資源を奪おうとしているとき、そのヨーロッパ人の中から救世主が現れるという展開です。これって、キリスト宇宙人説とも通じるところがあるかもしれません。

異星の大地というのに、自然の美しさは地球のそれに近く、植物が一杯あって、モンスターみたいな動物が一杯いて、自然をつかさどる精霊がいるのです。先住民は、地球人の形に限りなく近く、自然崇拝の文化を持ち、愛情表現でキスしちゃったり契りを結んじゃうというのですから、ものすごくわかりやすい。お話の構造がわかりやすいから、感情移入がしやすいです。2時間42分という長さにもかかわらず、一気に観ることができるのは、すんなりと世界に入り込めること、そして、視覚的な見せ場が豊富で活劇シーンが多いからでしょう。

脚本監督のジェームズ・キャメロンというと、ロジャー・コーマン門下から、「ターミネーター」のヒットから、「タイタニック」まで登りつめた人ですが、この人はお話を盛り上げるのが大変上手です。要は語り手として、お客さんを引っ張るのが大変うまいのです。そして、この映画は、SF映画という体裁をとってはいるのですが、実は中身は「もののけ姫」をさらに単純化したもので、善悪を単純に分けて、悪い方を徹底的に悪く書いて、最後に奇蹟の大逆転が起こるという、まさに絵物語というか、紙芝居の世界です。CGを駆使した絵は大変美しく、そこに登場する動物やら、異人種である先住民の自然な動き、大破壊スペクタクルと見せ場は、山のようにあります。

この映画には、様々な技術とお金を山のように使っていますから、そのモトを取らないといけないでしょう。その時、製作者からすれば、これが「2001年宇宙の旅」になって、お客を選んでしまうようでは困る。「スターウォーズ」のように子供から大人まで観に来てくれる映画にしないといけない。そう考えると、この映画のSF的なセンス・オブ・ワンダーをくすぐるよりは、「わかりやすさ」の方が重要になります。ラヴィのデザインは人間型でないと、感情移入できないし、彼らの文化は、紀行もののケーブルテレビで放送されている南洋やネイティブアメリカンのそれと近いものにしないといけない。ナヴィがゴキブリ型で、愛情表現がお尻を擦り合わせるんじゃ、感情移入できないし、そもそも何考えてるのか、何してるのかわからない。わかりやすい構造のお話に、さらにわかりやすいデザインが必要だったのです。ですから、SFという切り口から見れば、突っ込みどころ満載なんですが、突っ込み入れる隙を与えない演出が見事なのです。2時間42分をダレどころなく突っ走るパワーはすごいものがあります。登場人物も絞り込んでいて、主人公、恋人、善玉(シガニー・ウィーバー)、悪玉(スティーブン・ラング)の4人を中心に据えて、後、数名を脇に置くことで、人物に奥行きをつけない単純な構図にしています。ラスト前に善玉が退場し、クライマックスは主人公と悪玉の一騎打ちになり、恋人が主人公を助けるというのは、もうわかりやすさの極致ではないかしら。

わかりやすさということで、特筆したいのは、ジェームズ・ホーナーの音楽です。「エイリアン2」「タイタニック」などで、キャメロンの映画に参加しています。この人は、他人のパクリとか、自作の再利用を目一杯やるので、映画音楽ファンには今一つ評判がよくないのですが、それでも、画面を盛り上げるための音楽を的確にはめ込む職人であることは認めざるを得ません。毎度のブラス、毎度のパーカッション、毎度のコーラスが聞こえるのですが、彼の音楽が場面を明確に描写するので、観客の感情を見事に引っ張っていくのです。彼の音楽もまた、映画のわかりやすさに最大限の貢献をしています。

エンドクレジットを見ると、アニマトロニクスやCGのチームにものすごい人数が投入されています。これだけの人間をコントロールして、力技の演出を見せたジェームズ・キャメロンのパワーはすごいと思います。自分の作りたい絵を映画にして、モトが取れるようにするために、観客に対して徹底したわかりやすさを提供するという手法は成功していると思います。マニアにおもねるようになった「スターウォーズのⅠⅡⅢ」なんかより、こっちの方がシンプルでわかりやすくて、誰が観ても面白いですもの。最近の「ロード・オブ・ザ・リング」や「ハリー・ポッター」に比べて、明らかにお話がシンプルで活劇シーンは盛り上がりますもの。壮大な自然破壊シーンを描いて、エコを訴えるというのも、破壊シーンが全部CGなら、偽善的な感じがしなくていいですから、テーマ性にも統一感があります。

と、いいつつ、この「わかりやすい」ってのは、「どっかで観たことある」にもつながるわけです。誰も見たことのない世界ではなく、過去の映像の記憶を呼び起こすのがうまいということになるのではないかしら。作り手は、「ダンス・ウィズ・ウルブス」「ポカホンタス」などのイメージが喚起されることを期待しているのではないかと思うのです。あー、でも、映画も歴史も知らない人だと、これが初めての世界観になっちゃうのかな。まあ、この映画がヨーロッパ人の太平洋側への進出の歴史を学ぶきっかけになれば、それなりに意味のある映画かもしれません。

でも、こういう映画はたまーに観ればいいかなってのが正直な感想です。3Dに疲れちゃいましたし。この映画、2Dで観ても、それほど大差ないんじゃないかなって気がしたのですが、画面の真ん前で観るとまた違う印象になるのかしら。

「恋するベーカリー」は女性監督の強みが面白さにつながりました

今回は新作の「恋するベーカリー」を静岡ピカデリー2で観て来ました。もともとは名画座だった映画館だったせいか、奥まった小さなスクリーンを見下ろすような感じになるので、スペクタクル大作を観るのにはやや不向きです。うんと前に座ればいいのかな。

ジェーン(メリル・ストリープ)は10年前にジェイク(アレック・ボールドウィン)と離婚、レストランを経営しながら、3人の子供を育ててきました。元ダンナは子供のいる若い娘と結婚して、今は不妊治療中。末っ子が大学卒業するというので、向かったニューヨークのホテルで二人は意気投合。久しぶりにベッドを共にして、何だか焼けぼっくいに火がついたみたい。特にジェイクが入れ込んじゃって、ジェーンとしてはこの不倫状態を何とかしたいけど、元ダンナの押しの強さに逢瀬を重ねてしまいます。一方、ジェーンは家の建て増しをしようとしてまして、建築家のアダム(スティーブ・マーティン)と知り合いになります。何となくいい感じになる二人ですが、そこに割って入るジェイクの存在も捨てがたいジェーン。果たして、この三角関係の行き着く先は?

メリル・ストリープ主演のラブコメです。「え、またメリル?」と最初はパスしようかなとも思ったのですが、脚本・監督がナンシー・マイヤーズということで食指が動きました。彼女はかつてダンナだったチャールズ・シャイアと一緒に映画、それもコメディ中心に脚本・監督してきたのですが、別れてから単独の仕事になって生身のヒロインを巧に描く映画で何本もの佳作をものにしています。監督作としての「ハート・オブ・ウーマン」「恋愛適齢期」あたりがお気に入りです。「恋愛適齢期」でも、初老の女性のセックスを結構大胆に扱っていたのですが、この映画も、男と同じように、年いってもなかなか枯れないリアルな女性が描かれていて面白かったです。メリル・ストリープと同じ年齢だからでしょうか、そんな生臭さを盛り込みながら、ライトなコメディにまとめてしまうあたりに、職人的なうまさを感じてしまいました。

ヒロインのジェーンは、いわゆる成功した女性になるのでしょう。立派な家に住んで、子供もきちんと成長して、いわゆるキャリアウーマンなんですが、まだまだ女性として枯れていません。そんな、彼女が、既に別の女性と結婚している元ダンナとお酒飲んで盛り上がって、一夜を共にしてから、様子がおかしくなります。どうやら、ジェーンにも寂しさという引け目があるので、ぐいぐいと押してくるジェイクを拒めません。でも、それって不倫だよねという意識もあるもので、困ってしまいます。妻子のいる元ダンナとの情事なんて、思いながらも、どっかワクワクしちゃうあたりのヒロイン像はおかしくもリアルです。こういう役も軽々とこなすあたりが、さすがメリル・ストリープだなあって感心。

暑苦しいオヤジのアレック・ボールドウィンが、若い妻とその連れ子に四苦八苦している図というのもおかしいのですが、彼の描き方も、情熱と優柔不断の間の微妙なところを大変細やかに見せてくれます。スティーブ・マーティンが、いつもとはうって変わって、マジメで静かな男として登場しまして、これは何かブラフなのかと思わせるところもあり、ドラマの着地点がなかなか見えません。それでも、物語は二転三転して、一応のハッピーエンドを迎えることになります。いい年して、色恋沙汰に右往左往するヒロインはおかしくもあり、共感できるところもあるのが、ナンシー・マイヤーズのうまさなのでしょう。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



一度は元ダンナに心なびいたジェーンなのですが、夜のデートの約束をすっぽかされて目が覚めます。ジェイクが奥さんの監視下にあって、連絡もとれなかったからなんですが、やはり本妻に隠れながら続ける関係なんて、ジェーンとしては納得いきません。アダムとの新しい関係を大事にしたいと思うようになるのでした。一方、末っ子の卒業パーティで、二人の関係はジェイクの奥さんに知られてしまい、ジェイクは家を追い出されてジェーンの家に転がり込んできます。そして、ジェーンとアダムがパソコンでテレビ電話中に、ジェイクが全裸で夜這いにきちゃったものだから、これまでのことが、アダムにも子供にもばれちゃいます。翌日、子供とアダムのもとを訪ねて、許しを請うジェーン。子供たちは納得してくれたのですが、アダムからは別れの宣告をされちゃいます。ジェイクからの謝罪の言葉を受け入れるジェーンですが、もう再びよりを戻すことはないと告げて、元夫婦の数日間のヒートアップにも決着がつきます。家の増築工事を始める日、ジェーンはそこにアダムの姿を見つけます。彼に言葉をかけるジェーン、何となくこれからだね、ってところでエンドクレジット。

結局、元ダンナとのよりを戻すことはなく、新しい恋をスタートさせるという結末には、ほっこりし気分になりました。勿論、ジェイクが暴走したことは間違いないのですが、それにジェーンの心がなびいちゃったのもまた事実。でも、やっぱりダメだったねというとき、ジェイクはがっかりしながらも大人の分別で身を引きます。子供みたいな元ダンナだけど、悪役にしなかったあたりに、監督のセンスを感じました。でも、元ダンナとは死んでもヨリは戻さないってあたりは、監督の実経験が反映しているのかなって思えて、そこはおかしかったです。一方、スティーブ・マーティンの最後までおとなしくていい人キャラにはびっくり。新境地の開拓なのか、監督のいやがらせなのか。

とにかく、隅々まで、女性の目線が感じられる作りは、なかなか面白かったです。ヒロインのおばさん友達が集まってする下ネタ全開の会話ですとか、元ダンナに抱きつかれてメロメロになっちゃうヒロインですとか、作り手のためらいのない描写にかなり笑えました。男性監督だったら、そういうヒロインの逸脱をある意味見せ場にするんでしょうけど、マイヤーズはいやらしいけどサラリと流すという演出で、「あるある」感を出すことに成功しています。日本でも、50代の女性にこういう恋愛願望があるのかしら。特に、ヒロインが年下じゃなくて、同年代の男性と恋に落ちるという展開は、私のようなシングルオヤジに一縷の希望を与えてくれるものでした。そうだよね、男も女も若けりゃいいってもんじゃないですよね。(← 誰に念押ししてるのか?)

この映画の原題は「It's Complicated それって複雑よね」というものなんですが、邦題の「恋するベーカリー」ってのは映画の内容と全然合ってないです。ヒロインはベーカリー・レストランの経営者ではあるのですが、レストランが舞台となってる話じゃないですもの。「アバター」に「森の妖精さん」って邦題をつけるようなもので、配給元のやる気なさげな感じが伝わってきます。映画そのものは面白いのですから、ツボを押さえた題名をつけて欲しいものです。

「(500)日のサマー」はヒロインの物語として見ると面白い

今回は新作の「(500)日のサマー」を日比谷シャンテシネ3で観て来ました。ここは全席指定なんですが、傾斜がゆるいので、前に座る人の座高によっては画面が欠けちゃう可能性がある、かなりリスキーな映画館です。もうちょっとスクリーンの位置を高くすればいいのに。

グリーティングカードのデザイナー、トム(ジョセフ・ゴードン・レヴィット)は、社長秘書のサマー(ズーイー・デシャネル)が気になってました。ある日、彼女の方から声をかけられて、カラオケパーティを機に急接近、コピー機の前でキスされて、ベッドインまでは一気呵成の展開です。ところが、サマーって恋愛否定主義者なんです。運命の恋とかは一切信じない、でもトムとはデートしてイチャイチャしてやってることは彼女以上。その行動と認識のギャップに、トムはいらいらしちゃうのですが、サマーにぞっこんのトムはどこか「いい人」ぶってしまいます。 そして、サマーに別れを告げられて、ダメージ大きなトム。そして、サマーと出会ってからの、500日めがやってくるのでした。

MTVの監督だったというマーク・ウェブの長編初監督作品です。トムとサマーの恋愛(?)模様の500日を時間を前後させながら描いたもの。場面ごとに「何日目」というタイトルが出ますから、観ていて混乱することはないのですが、そんな構成にする必要があったのかなって気がします。ところどころにアニメやコマ落としの絵を入れたりと、新人監督らしい才に走ったところもあるのですが、それでも、主演二人の好演もあって、なかなかに楽しめて、ちょっと不思議な余韻の残る映画に仕上がりました。軽いコメディタッチにまとめているのもうまいです。

要は、職場で知り合いになって、そのまま、交際が始まるという、職場恋愛のお話なんですけど、二人の関係について、お互いの認識に隔たりがあります。運命の出会いを信じるトムと、恋愛なんてしたくないから友達になってというサマー。トムにしてみれば、こんなラブラブな関係なのに、これを愛と呼ばずして。一方、サマーはそんな恋愛関係をはなから否定してかかっているのです。二人のやってることは、どう考えても恋人同士なのに、サマーは恋愛なんかに縛られたくないって言い切ります。そのズレが二人の間に溝を生み、結局、二人の関係はうまくいかなくなっていきます。トムの言うことはごもっともなんですが、サマーの言い分にも共感できるところがあります。トムとしては、お互いの愛情を確認しあいたいけど、サマーは未来を束縛するのもいや、そもそも未来なんて保証できないのだから、仲良くしているという今という瞬間で一杯一杯だというのは、それなりに説得力があります。そんな、サマーに振り回されていくうちに、トムは彼女との関係の中で一回り成長していくのです。と、表向きはそんなお話なんですが、これをサマーの側から見直すことで、別の物語が見えてくるのが、この映画の面白いところです。



この先は結末に触れますのでご注意ください。(とは言え、結末の意外性が眼目の映画ではありません。)



トムはサマーに別れを告げられて、メロメロになり、仕事もやめてしまうのです。それまで、グリーディングカードのセリフ作りに抜群の才を見せていたのですが、失恋のダメージは彼から「人に希望を与える言葉」を奪ってしまうのです。そして、かつての夢であった建築の世界に就職活動を始めます。かつて二人がデートしていた場所に来てみれば、そこにサマーがいました。彼女は既に結婚していたのです。未来を束縛する恋愛を拒否していたサマー、運命の出会いなんて信じていなかったサマー、でも、結局は、ある男性との出会いに運命を感じ、結婚までしてしまったのです。トムは、彼女に運命を感じさせることができなかったのですが、それは仕方ないことのように思えます。そして、トムは就職の面接に行くと、そこに同じ面接を受けに若い女性が来ていました。彼女と会話し、別れしなにトムはふと何かに気付いたようです。そして、彼女に面接の後にお茶でもどう?って誘いをかけ、彼女もOKを出し、お互いに自己紹介したところで「1日目」というタイトルが出て、エンドクレジット。

この映画はずーっとトムの視点で描かれています。ですから、見え方としては、サマーに振り回されるトムという図式になります。そして、500日たって、また新しい女性との出会いから、1日目が始まるという結末は、結局、男ってのは同じことを繰り返す生き物なんだなあって、オヤジ目線ではしみじみしちゃう締め方になっています。でも、サマーの視点に立つと、これは彼女の成長の物語なのでは?と思わせるところが、この映画の面白さだと気付きました。恋愛なんてものに、自分をゆだねるのはまっぴらと思っていたサマーに、運命を感じさせる出会いがあったのです。そして、それまで、もやもやとしていたトムとの関係はやっぱり恋ではなかったんだと気付くという展開が、トムの知らないところであったのだと思うと、トムには気の毒ですが、これはサマーの愛の物語ということになります。主役のトムが、実はサマーの物語の脇役だったという図式が見えてくると、この映画、なかなか深いかもって思わせるところがあります。

そう思わせるのは、やはりヒロインを演じたズーイー・デシャネルがうまいということになるのでしょう。「イエスマン」でちょっと変わった不思議ちゃんを演じたデシャネルですが、この映画でも、最初は、やはりつかみ所のない不思議ちゃんです。ところが、物語が進むに連れて、どんどんそこにリアルな女性としてのサマーが肉付けされていき、ラストできちんとした骨格をもったヒロインになっているのは見事だったと思います。とはいえ、彼女の不思議ちゃんオーラは大変魅力的でして、こういう女性が職場にいたら、そりゃお近づきになりたい反面、高嶺の花という気もします。そして、そんな女性が自分に関心を持っているとわかった日には、そりゃもう有頂天になっちゃうトムの気持ちも重々わかります。でも、失恋して、暴言吐いて会社やめちゃうトムには共感できませんでした。だって、所詮あんたには不釣合いなんだよ、この子は。そう思わせるジョゼフ・ゴードン・レヴィットの演技も見事だったのでしょう。気の毒だけど共感できない主人公を説得力ある演技で演じきったのですから。

「サロゲート」は1時間半の小品レトロSFとして面白い

今回は、新作の「サロゲート」を川崎チネチッタ9で観てきました。始まる前に「タッチストーンピクチャーズ」のロゴが出ました。80年代から90年代にかけてタッチストーンは、佳作のブランドとして、色々な映画で楽しませてくれました。

近未来、もともとは身体障害の人のために開発された人間そっくりのロボット、サロゲート。本人の脳神経とリンクさせることで、完全なる代行が可能となり、軍事に使用されるようになり、さらに日常生活にも使用が許可されるようになると、みんな、外での生活をサロゲートに代行させるようになります。サロゲートによって理想化された外観と身体能力を手に入れた人間社会から、犯罪や差別はなくなっていきました。ところが、ある日、そのサロゲートが破壊され、その本体の人間まで殺されるという事件が発生しました。被害者は、サロゲートの発明者であるキャンター博士(ジェームズ・クロムウェル)の息子でした。捜査に乗り出したFBIのトム(ブルース・ウィリス)とジェニファー(ラダ・ミッチェル)はこの事件にサロゲートメーカーのVSI社が関与しているのではないかと疑いを持ちます。二人ももちろんサロゲートで、トムは妻サロゲートの記憶映像から犯人は割り出され、警察が追い詰めるのですが、サロゲート反対者たちのエリアに逃げ込んでしまいます。そこは、予言者(ヴィング・レイムズ)という指導者によるいわゆる自治区で、サロゲートは侵入できません。追跡したトムのサロゲートも破壊されてしまいます。果たして、殺人事件の犯人は? そして、犯人の目的とは?

その昔の少年マガジンなんかでは、SF特集記事みたいのがあって、「未来はこうなる」みたいなイラスト記事があって、楽しかったです。空中都市とか、ロボットによる社会といった内容は、子供心にわくわくさせるものがありました。この映画で、思い出したのが、そんな少年マンガの特集記事でした。何というか、懐かしさを感じてしまったのです。この映画では、その設定をややペシミスティックな視点から描いているので、70年代SFの趣もあるのですが、「ターミネーター3」をうまくまとめたジョナサン・モストウ監督は、1時間半の中できっちりと職人芸を見せてくれました。よく見りゃお金のかかってる大作なのでしょうけど、そうは見えないところはご愛嬌、でも、お話のちょっとした面白さをうまく膨らませ、主人公のキャラもきっちりと描いているので、映画としての満足度は高いです。こういう娯楽SF映画をコンスタントに映画館で観たいよねって思わせる出来栄えでした。

サロゲートってのは、人間の見た目を本人の望むようにしてくれるので、みんなスマートで美形で若いキャラになっちゃっています。でも、本人は、自宅で寝たきり状態になっているので、あまり健康そうではありません。戦争は兵士の代わりにサロゲートが行っているし、スポーツするときは、それのうまいサロゲートにつなぎ変えて楽しむんですって。リアリティという点では、突っ込みどころ満載の内容なんですが、短編SFを読むような味わいの展開が、まあ細かいところは良いよねって気分にさせるのがうまいです。モストウの演出は、物語をてきぱきと進めていく一方で、主人公トムがかつて子供を亡くしていて、妻との関係もうまく行っていないというところがドラマとしてのサビの部分になっています。妻は子供の死のせいで、人生から逃げ腰になっていますが、トムは実体の妻と触れ合いたいと思っています。

捜査の経過で、最初の犠牲者は、キャンター博士の人違いで殺されたことが判明、そして、この博士が、サロゲート反対の立場にあることがだんだんとわかってきます。サロゲートに何かビームみたいのを浴びせるとそのサロゲートを破壊するだけでなく、その先にいる本人も死んじゃうのです。サロゲートメーカーのMVI社はそんなことあり得ないと言い張ります。確かにそんな危険があるのでは、サロゲートは使い物にならなくなっちゃいますからね。でも、その殺人機械を持った男は特定され、追跡するのですが、サロゲートを拒否する人々の自治区に逃げ込んでしまいます。このあたりの追跡アクションは見応えのあるもので、第二班監督のサイモン・クレーン(「タイタニック」や007のスタント・コーディネーター)がいい仕事をしています。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



トムの妻は、子供を失った事故で心と顔とに傷を負い、サロゲートで現実を回避することで何とか生きてこられたのです。一方、サロゲートを破壊する武器を持った男は、自治区のリーダー予言者に殺されて、武器は反サロゲートの手に落ちます。そして、捜査官のジェニファーのサロゲートが他の誰かに入れ替わり、その武器を持ってサロゲートの監視センターに潜入します。軍の幹部から、武器はMVIが開発したものだと聞かされたトムは、さらに調査を進め、武器を持った男が自分の上司の指示で動いていたことをつきとめます。上司はMVI社と通じていて、会社に反対の立場を取るキャンター博士を殺そうとして失敗したのです。ところが、今度はキャンター博士が複数のサロゲートを使い分けて、警察やFBIの目をくらまし、サロゲートとそれにつながる人間を皆殺しにしようとしているのです。何とか寸前のところで、監視センターに入り込んだジェニファーのサロゲート(中身はキャンター博士)にトムが接続し直して、本体への防御には間に合うのですが、サロゲートの破壊はあえて止めることをしません。そして、世界中のサロゲートが停止してしまいます。家に帰り、窓辺にたたずむ妻と抱き合うトム、で、エンドクレジット。

大企業の陰謀から、そのターゲットが逆襲に出て、大量殺人をしようとする展開はなかなか面白かったです。MVI社側をほとんど描写せず、トム中心に物語が展開して、ムダな部分をそぎ落としつつ、妻とのエピソードだけは削らないというやり方が、意外と成功しています。世界中のサロゲートが停止したら、社会機能がマヒするんじゃないかと思うのですが、そのあたりはうまくパスして、街の一角だけの描写で納めているあたりも、話をこじんまりとまとめきったという印象です。体に不自由のある人のためにキャンター博士はサロゲートを開発したのですが、それが戦争に使われ、一般市民も使うようになって、そこに人間性の喪失を感じて、全てをもとに戻そうとします。そのためには殺人も辞さないってのはやり過ぎなんですが、主人公はサロゲートを全部壊してしまうところまではやっちゃうあたりが、お気軽だけどわかりやすい展開になりました。結末をサロゲートという仕掛けの非人間性に持ってくるあたりに、70年代SFのペシミズムが感じられ、少年向けSFの味わいになっていますが、それでも短い時間でハラハラドキドキさせて、ちょいとホロリの展開は、娯楽映画として点数高いです。

細かいところに結構お金をかけているようで、サロゲートと本人の違いを際立たせるために特殊メイクを使ったり(KNBエフェクツの担当)、サロゲート工場のシーンなど、それなりのリアリティを出すのに成功しています。ブルース・ウィリスは、どっちかというと小品の部類に入るこのSFにうまくはまっていまして、単なる強いヒーローでないキャラを楽しそうに演じています。一方で、余分なものを削り落としたモストウの演出のおかげで、トムの相棒を演じたラダ・ミッチェルは、途中で殺されちゃうというもったいない使われ方になっちゃいました。少ない出番ながら、トムの妻を演じたロザムンド・パイクの方が印象に残りました。また、キャンター博士を演じたジェームズ・クロムウェルの力演が光り、創造者が作ったものを全部チャラにしようとする、ある種のテロなんですが、おもいきった後戻りをすることも必要なんだという信念は、ちょっとだけ理解できちゃうところもあるんですが、やっぱり狂気のテロ行為。「こんな世界なんかなくなればいい」という、ケツの青い革命感が、自分の子供の頃を思い出させてくれました。今の若い人には、アラばっかのSFモドキに思えるかも知れませんが、70年代の少年向けSFを知っていると、ちょっとレトロな味わいが楽しめる映画になっています。

反サロゲート自治区が、文明を拒否したようなコミュニティになっているという極端な描写ですとか、サロゲートから本人に戻ったトムが街中をうまく歩けないシーンなど、とにかく、わかりやすい見せ方でこじんまりとまとめている演出には、好き嫌いが出ると思います。私はこういうこじんまりとした味わいが好きです。リアリティを中途半端に追求するより、紙芝居のようなステレオタイプの描写でお話を単純化しちゃうっていう映画の作り方もありだと思うからです。そういう小品という位置づけで、この映画を高く評価しちゃいます。

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einhorn2233

Author:einhorn2233
Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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