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「シングルマン」は私にはとっかかりどころがなくて難しい映画でした

今回は新作の「シングルマン」を横浜ブルグ13シアター9で観てきました。100席の小さなスクリーンは悪くないのですが、朝1回目の上映20分前になってビルの入り口が開くってのは、ちょっとハラハラしました。こういう細かいところが、チネチッタはよくやってるんだろうな。

時は1962年、大学で講師をしているジョージ(コリン・ファース)は、16年間一緒に暮らしたジム(マシュー・グード)を交通事故で失い、失意の日々を送ってきました。そんな人生に、今日終止符を打とうと決意します。銀行の貸金庫を開けて、中を整理し、そこから拳銃を取り出すジョージ、大学へ出かけてみれば、教え子の一人であるケニー(ニコラス・ホルト)が声をかけてきます。ジョージの授業に何か感じるところがあったようなのですが、ジョージはやや邪険に扱ってしまいます。そして、友人で未亡人であるチャーリー(ジュリアン・ムーア)に会いに行きます。モーションをかけてきた彼女をサラリとかわしてしまうジョージは、人生に思い残すこともなさそう。そんな彼に、再度ケニーが声をかけてきます。ケニーとのひとときにどこか救われた気分にもなるのですが。

ファッションデザイナーとして有名なトム・フォードが、クリストファー・イシャーウッドの小説を、脚色して、メガホンも取りました。監督本人もゲイだそうですが、この映画で描かれるゲイは、「ミルク」のように社会的抑圧も受けていないらしい、きちんと地位もある普通の社会人です。そんな主人公ジョージが自殺を決意してからの1日を寓話のように描いたドラマです。自殺前を描く映画というと、その昔のルイ・マル監督の「鬼火」を思い出してしまうのですが、この映画の主人公は、それほど追い詰められておらず、社会からも見放された存在ではありません。ドラマも淡々と流れていくので、大きなドラマチックな展開は見せません。主人公が死ぬ意思を固めているようにはあまり見えず、普通の一日を追っているようにも見えまして、正直なところ、つかみどころがない印象でした。

身辺を整理して、銃を用意して、自殺に向けての段取りを重ねていきます。寝袋にくるまる件など、印象的なシーンもあるのですが、死を意識している人間にしては、あまりにも優雅というか、死ななきゃならない説得力がないのです。冒頭で、主人公が隣家の朝のにぎやかなやりとりをながめるシーンがあります。普通の人の普通の生活に初めて見るような視線を投げかける主人公が、何かすごく時代がかった繊細さの持ち主のように思えてしまいました。繊細なのが悪いわけではないのですが、何か私のような庶民とは違うセレブというか金持ちのデリケート道楽みたいに思えてしまって、なかなか感情移入ができませんでした。主人公が水中に漂うイメージ画像であるとか、独特の色彩設計とか、意匠をこらした映像が、確かに見せ場となっているのですが、それが人生の生き死にを目前にした人間の切迫さと噛み合わないのです。

それに、主人公は、愛する人を失ったとは言え、孤独とは言えません。彼の講義に何かを感じ、彼に興味を持つケニーにような学生もいますし、チャーリーのような旧友がアプローチかけてくるし、彼を求める人がいるのですよ。本当の孤独ってのは、誰からも愛されない、必要ともされない、興味も持たれない、「プレシャス」のお母さんみたいな人間のことです。愛する人を失ったからといって、自殺するには、彼の人生は恵まれすぎています。これは、作り手であるトム・フォードがファッション界のセレブだということと関係あるのかもしれません。何というか、上から目線の人生の岐路なので、私のような並以下の人間は、共感しにくいのです。まあ、これは映画の内容というより、私個人の受け取り方の問題となるでしょう。

主人公がゲイである点や1960年代という設定も、視覚的な面白さ以上につながってこなかったという点もあります。ジョージとケニーのシーンも最初は、教師と生徒という関係から、全裸になって海に入ったりして、そういう雰囲気にもなるのですが、意図的に生臭い方向に持っていかない演出をしています。このさじ加減にも、どこかカッコつけた感じがつきまといます。ラストで、自殺を踏みとどまるのかどうかというところが、ドラマの山場になり得なかったのは、人間を描こうという姿勢が希薄だからではないかという気がしました。もともと、そういう人の生死の境を描くのではなく、人生がぶれかけた中年男が若い男の子と出会って、ちょっとだけ軌道修正をかけましたというお話ではないのかしら。生きるか死ぬかというほどには、ドラマチックな揺れ幅はないように思います。



この先、結末に触れますのでご注意ください。



ケニーもゲイだったようで、ジョージの恋人の写真を見ても動じるところはありません。ジョージは、自分が準備していた拳銃を、ケニーが抱えて眠っているのを見て、微笑みます。そして、銃を引き出しにしまって鍵をかけます。どうやら、ジョージは、一つの決着をつけたようです。しかし、彼の胸に痛みが走り、そのまま彼は息を引き取ってしまうのでした。おしまい。うーん、困ったな、最後までリアリティや奥行きをすっとばかされたような気がします。原作もこういうお話なのかしら。


主演のコリン・ファースはこの演技で、ヴェネチア映画祭で男優賞をとっているのですが、このつかみどころのないドラマの中で、唯一の存在感を示したことに対する受賞ではないかしら。ジュリアン・ムーアでさえ、独特な視覚設計の背景の一部のような存在でしたから、ファースの演技力はやはりすごいと言うべきなのでしょう。

まあ、リアルな生きるか死ぬかという話から離れて、ある種のファンタジーと考えれば、ケニーは、ジョージの前に現れた天使のような存在ですし、ゲイという設定は、登場する男女との関係の生臭さを消すために有効だったように思います。女性陣の60年代メイクもどこか別世界のような趣があります。正直、私にはとっかかりどころがなくて、難しい映画になっちゃいました。

この画面はシネスコサイズなんですが、最近の映画はシネスコサイズが多くなっているように思います。家のテレビがビスタサイズになって、それになじんでしまうと、映画館では、より広いくらいが、丁度よくなるのかもしれません。ただ、劇場の大画面で観る横長フレームを生かした絵作りになっているかというと、そうとも思えないところがあります。その昔、映画はテレビに対抗するために、シネマスコープを開発して、差別化を図ったのですが、ある時期、シネスコサイズよりもビスタサイズが主流の時期がありました。それが、1980年代以降、スーパー35というスタンダードネガから、シネスコサイズの絵を切り取るやり方ができてから、またシネスコサイズが盛り返してきました。そして、21世紀になってからは、シネスコサイズの方が多くなってきたような気がしてます。私はシネスコサイズの横長画面は好きなのですが、その大画面に似合う絵があってこその横長画面だと思ってます。人間のドラマ重視の映画なら、ビスタサイズの方が合っていますし、手持ちカメラ中心の絵で、シネスコサイズだと目がくたびれちゃいますもの。

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Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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