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「キャプテン・アブ・ラーイド」はヨルダンの映画ですが、日本人にもわかりやすい共感できるお話

今回は恋さんのブログでご紹介のあった「キャプテン・アブ・ラーイド」を衛星放送で観ました。ヨルダンの映画だそうで、監督はアメリカ育ちのヨルダン人だとのこと。

空港の清掃員をしているアブ・ラーイド(ナディム・サワラ)は妻を亡くして一人暮らしの定年間近の老人です。仕事を終えて帰ると妻の写真に話しかけ、アンマンを一望できるテラスでお茶をするのが彼の日課でした。ある日、空港のゴミ箱で機長の帽子を拾います。家までの帰り道にそれを子供に見つけられ、「おじさん、機長なんでしょ? 旅の話を聞かせてよ。」と言われちゃいます。次の日は家の前に子供たちが押しかけてきます。彼も悪い気はしなかったのか、子供たちに色々な話を聞かせてやるようになります。子供たちの中には問題のある子もいます。ターレクは勉強ができるのに父親が彼に物売りをさせるので、学校にもろくに行けません。隣家のムラードの父親は子供や妻を虐待する暴力夫です。そういう現実に、アブ・ラーイドは子供の視点から何とかしてやりたいのですが、なかなか思うようにはいきません。ムラードが父親に火傷させられたのを知ったアブ・ラーイドは、友人の女性機長ヌール(ラナ・スルターン)に相談をかけ、ある決心をするのです。

2008年のサンダンス映画祭で賞を取った作品で、ヨルダン映画では、海外で上映された珍しい作品だそうです。タイトルクレジットは英語併記で、プロデューサーにも英語名の人が入ってますので、アメリカ資本が入っているようです。監督、脚本のアミン・マタルカはアメリカ生まれのヨルダン人でアメリカで映画の勉強をした人だとのこと。

アブ・ラーイドは、清掃員をやっていますが、フランス語を話せるし、読書好きのなかなかのインテリみたいです。子供たちを相手に世界各国の話をしてやれるくらいの知識もある男。そんな彼が、子供たちから、アブ・ラーイド機長(キャプテン・アブ・ラーイド)と呼ばれ親しまれるようになります。その中で、彼の隣の家のムラードだけは、彼の正体が機長じゃなくて清掃員だと知っていて、子供たちにもそれを教えようとするのですが、相手にされません。そんな反抗的な態度をとるムラードにもアブ・ラーイドはやさしく接します。彼はある日、困っていたフランス人の荷物を見つけてあげたのがきっかけで、女性パイロットのヌールと知り合います。彼女は、30過ぎても仕事優先のバリバリキャリアウーマンなわけですが、両親は早く結婚させたくて仕方がない、そんなお仕着せの結婚なんてごめんだわと言ってはみたものの、やはり周囲と自分を比べるとこれでいいのかなとも思っているようです。ヌールは、アブ・ラーイドのやさしくて知的な人柄から親しく接するようになります。

マタルカの演出は、素直にエピソードを積み上げていくもので、カメラアングルとか編集のテンポは普段見慣れたハリウッド映画のそれと変わりません。特に音楽がちょっと前のハリウッド映画のドラマ音楽になっていて、大変抑制の効いた音楽設計になっていたのが、気になりました。音楽を担当したのはオースティン・ウィントリーという人で、エンドクレジットで確認すると音楽はハリウッドで作られたようです。(ハリウッドのオケがハリウッドで録音しています)サントラ盤も限定盤ながら発売されています。

この映画で、主人公であるアブ・ラーイドが、どういう過去を持つ、どういう人柄の人物なのかというのをあまり見せません。観客としては、このおっさんがどういう人なんだろうというのを、今の彼の姿から想像することになります。インテリのように見える彼がなぜ清掃員の仕事をしているのか、また、なぜ彼が気の毒な子供に深入りしてしまうのか、映画はそこのところを語らずに彼の行動だけを見せます。そして、アブ・ラーイドは、大変思い切った行動に出てしまうのですが、そこに至るまでの葛藤も映画は見せません。最終的な行動だけを見せるのですが、その結果、「昔、こういう人がいてねえ」という感じの「お話」に収束します。でも、人としてのアブ・ラーイドはリアルな存在感を持って描かれているので、ちょっと不思議な後味を残します。



この先は結末に触れますので、ご注意下さい。



アブ・ラーイドが特に気にかけた子供は、ターレクとムラードの二人でした。ターレクは勉強ができるのに親からウェハース売りをやれと言われて、学校に行けません。たまたま、ターレクを街で見かけたアブ・ラーイドは、彼のウェハースを買ってやるようになるのですが、それが、結局は、彼のノルマを増やしてしまい、ついには、アブ・ラーイドが買いきれない量を売らされるようになってしまいます。アブ・ラーイドは、ターレクの親にも直談判に行くのですが、「ウチの教育方針に文句つけるのか」と言われてしまうと、それ以上何も言えなくなってしまいます。昔の日本でも、農家の子が学校に行かせてもらえなかったという話があったようですから、ありえない話ではないです。結局、ターレクを助けられないのです。

一方のムラードの父親はいわゆる酒飲んで家族を虐待するDV亭主のひどい奴。アブ・ラーイドは警察にも話をするのですが、結局警察は父親に言いくるめられてしまいます。酔いつぶれて道端に寝転がってる父親を見かけたアブ・ラーイドは、彼を殺そうと石を振り上げるのですが、寸でのところで思いとどまり、ヌールに相談をかけます。彼女の家は金持ちなので、ムラードと母親、そして弟を一時的にかくまってもらうことになります。彼らをヌールの車に乗せると、アブ・ラーイドはムラードの家で父親が帰ってくるのを待って直談判するのですが、そんなのを聞く耳持たない父親は、アブ・ラーイドをボコボコにしてしまいます。ここで、映画は、アブ・ラーイドが実際に殴られる様子を見せず、ただ父親が「家族の居場所を言わなきゃ、おまえをたたき殺してやる」というセリフの後に、音だけで暴力の様子を聞かせるのみです。そして、一気に時間が経過して、空港にたたずむ男に、後ろから「ムラード機長」と声をかけるというラストになります。たぶん、アブ・ラーイドは父親に殺されちゃったんだろうなあ、で、結局、父親が逮捕されて、ムラードたちは自由になったんだろうなあとか、色々と想像はつくのですが、そのあたりは一切見せません。

この映画で描かれる家庭の問題は、どれも日本でもあり得る(あり得た)もので、その意味では、理解し、共感しやすい話になっています。年を取って独身のキャリアウーマンのヌールが両親から早く結婚してくれと迫られている話、ターレクが仕事をさせられて学校へ行かせてもらえない話、ムラードと家族が父親から暴力を受けている話、それらの問題は、ヨルダンでも日本でも時代的な差はあれども、まるっきり他人事ではありません。それに対する、アブ・ラーイドの行動は、結果的には、どれも丸く収めることはできないのですが、最後、自分の身を犠牲にすることで、ムラードの未来を救ったということが映画では示されます。なぜ、彼がそこまで思い切ったことをやったのか、映画の中では説明されません。ターレクのことを救えなかった後悔があったのかもしれませんが、それとて想像の域は出ません。ただ、彼は自分のできることを自分の望む形で行ったのだということもできます。でも、どこか腑に落ちない、一人の人間の行動としてのリアリティが見えてこない、そんな後味もあって、映画は最終的に「昔、こういうことがあった」お話に落ち着いたように見えました。これは「キャプテン・アブ・ラーイド」という老人の半生を描いた映画ではなく、昔いた「キャプテン・アブ・ラーイド」のお話なのです。(表現が拙くて、うまく伝えられなくてすみません。)

ヨルダンという国の、「キャプテン・アブ・ラーイド」のお話として、この映画は見応えがあります。主演のナディム・サワラは、映画の中で語られない彼の人となりをうまく補って、存在感を見せ付けます。ヌールを演じたラナ・スルターンは朝のテレビ番組のキャスターで演技は初めてだったそうですが、その本人の持ち味であるリアルなキャリアウーマンぶりが好印象でした。普段、知ることのできない、ヨルダンについて、日本とそんなに違わない様子を知ることができると、ほっとするところがあります。この映画だと、悪いところが似てるってことになるのですが、それでも、お互いに悩みや苦しみを共有できる近しい人間だと感じられるのです。そういうことを感じられる意味でもこういう映画を観る機会は大事にしたいと思います。

後、この映画のエンドクレジットの先頭で、「マイケル・ケイメンとベイジル・ポレドゥリスの思い出に」と出るのがちょっとびっくり、で、かなりうれしかったです。ケイメンもポレドゥリスも骨太の力強い映画音楽を書く作曲家でした。この映画の監督がファンなのか、音楽担当者がファンなのか、どういう関係なのか、気になりました。この映画のオースティン・ウィントリーの音楽は静かに品よくドラマを支えるタイプのもので、ケイメンやポレドゥリスのタッチとは明らかに違いますから、監督がファンなのかなあ。

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Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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