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「僕が結婚を決めたワケ」は、コメディの小品としてうまくまとまりました

今回は新作の「僕が結婚を決めたワケ」をヒビヤ有楽座で観て来ました。3週目に入ったら、1日1回の上映になっちゃってまして、他の3回は「ノルウェーの森」やってました。まあ、こういう映画はお客が入らないとは予想がつくのですが、なら、もっと小さい映画館でやればいいじゃんという気がします。

ロニー(ヴィンス・ボーン)とニック(ケヴィン・ジェームズ)は大学時代からの親友です。ロニーは車のエンジンを作る小さな会社を経営し、ニックはそこのエンジニアです。ニックには、ジェニーヴァ(ウィノナ・ライダー)というきれいな奥さんがいて、彼女が紹介してくれたベス(ジェニファー・コネリー)とロニーは恋人関係。ロニーも40になって、そろそろロニーと身を固めなくちゃなあって思っているのですが、なかなかプロポーズを切り出す機会がありません。新しいエンジンをクライスラーに売り込むためにニックの開発部隊は大変な状態なんですが、ある日、ロニーはジェニーヴァが若い男とイチャついてるのを目撃してしまいます。ロニーはニックにそのことを伝えられないで、ジェニーヴァを問い詰めると、彼女は浮気をあっさりと認めてしまいます。でも、それをバラしたら、ロニーに口説かれてるって言うぞっておどされちゃいます。それなら、証拠をつかむぞって、ジェニーヴァを尾行して浮気の現場写真を撮るのに成功するのですが、浮気相手に見つかっちゃって大乱闘。そんなことしてて、ちゃんとベスにプロポーズできるのかしら。

「バックドラフト」「ダヴィンチ・コード」などで知られるロン・ハワード監督の新作です。最近は大作の監督みたいなイメージがありますが、B級映画出身で、「スプラッシュ」や「バックマン家の人々」などのコメディの実績も持っています。そんな彼が、いわゆるシチュエーションコメディを作りました。邦題はラブコメみたいなんですが、これ実はラブコメではありません。結婚は確かにドラマの中の大きな要素ではあるのですが、メインのお話は、親友の奥さんの浮気を知ってしまったけど、それをどう処理していいのかっていうドタバタの方です。とはいえ、ラブの部分もなかなかいい味わいになっています。ヴィンス・ボーンとジェニファー・コネリーのカップルがいい雰囲気ということもあるのですが、サブプロットとしてサラリと流したセンスのよさが、いい感じにほっこりとさせてくれます。

もう一つのプロットとして登場するのが、ニックの開発するエンジンをクライスラーに売り込むというお話。いわゆるエコな電気自動車に昔ながらの振動音のつけようというんですが、これ、デジタル放送のテレビに手回しチャンネルをつけるようなもので、いわゆる無駄だけど、気分だけノスタルジーな企画です。その経緯で、ロニーとニックの親友としての関係が見えてくるのですが、お互いに敬意を持っているという感じがいいんですよ。アクの強さのない役者が演じているので、リアルな人間関係の部分での深みが出ました。そんな中では、小悪魔なオバさんを演じたウィノナ・ライダーが点数を稼ぎました。「ルーカスの初恋メモリー」以来の彼女のファンとしましては、最近、彼女をスクリーンで見ることができてうれしい限りです。一方のジェニファー・コネリーが誠実な女性をストレートに演じていまして、ちょっと出来過ぎヒロインなんですが、プロポーズのシーンがすごくよかったです。

一方で、浮気現場目撃をめぐるドタバタは、地味なキャスティングのせいで、あまりはずまなかったのはちょっと残念。浮気相手の男が変な奴なのが、ちょっとおかしかったですが、変なキャラの部分よりも、むしろ普通の部分の方が笑えたのが印象的でした。キャラの突出したところよりも、リアルな普通さのところの方がおかしいのは、ハワードの演出によるところが大きいです。ハワードの演出は手堅く、ドラマとしての作りがきっちりとしているので、最後まで楽しむことができます。2時間弱のドラマを引っ張るには、ネタの数が少ないような気がするのですが、それでもていねいな展開には安心して楽しめるものがありました。

ロニーが真実を語れない状況で、ベスの両親の結婚40周年パーティで暴走したスピーチをしちゃうシーンが印象的でした。要は、長い結婚生活で何よりも重要なのは正直なことだと言い張って、場の空気をおかしくしちゃうんですが、アメリカ人って真実にこだわるんだよなあってのを思い出しました。真実を語ること、正直であることがすごく重要らしいのですよ。日本人だと、ウソも方便ですし、本当の事を語ることにそれほどの重きを置いていないことがあります。真実よりも、場の空気の方が大事なので、必ずしも正直であることが良い事ではないのです。ロニーが本当のことを言えて悩むところがドラマの要になるのですが、日本人の私には、そこまで悩む話じゃないよなあって気がしました。そういうところに、文化の違いを見つけられるのも、外国映画の面白いところです。アメリカ人がみんな正直だとは思いませんけど、正直の重さは、アメリカと日本では違うようです。

クライマックスは、ロニーが全てをぶちまけるシーンで、ジェニーヴァの浮気や、ロニーとジェニーヴァが関係を持っていたことをニックが知ることになります。結局、ロニー夫婦は別居になっちゃいますが、ロニーとニックの関係は一発殴ってなんとかおさまり、ロニーとベスは結婚することになってめでたしめでたし。最近のアメリカのラブコメとはちょっと違う古きよき味わいがありまして、ちょっとローなテンポで、キャラのよく描き込まれたドラマに仕上がっています。

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「イップ・マン」は奥ゆかしい主人公とアクションが見事に融合した娯楽映画の逸品

今回は新作の「イップマン」を横浜ブルグ13シネマ3で観てきました。ここは当日券は自動販売機で買います。映画と時間と座席を指定できるのは、対面式よりも好きな席を選べるメリットがあります。ただ、お年寄りや何人も一度に席をとるときは窓口の方が便利ではないかしら。

1950年の香港、詠春拳の達人イップ・マン(ドニー・イェン)はビルの屋上に武館を借り受けますが、なかなか生徒が集まりません。息子と身重の妻を養うことも大変なのに、かつての知人を助けたり、人のいいイップは貧乏暮らしで家賃を払うこともままなりません。それでも、若いシャン(ホァン・シャオミン)が最初の生徒になると、だんだんと弟子が集まってきます。ある日、シャンが洪拳の師匠ホン(サモ・ハン・キンポー)との弟子といさかいを起こして、魚市場で乱闘になってしまいます。そのことから、イップは香港で武館を開くためのテストを受けることになります。線香が燃え尽きるまでテーブルの上で他の師匠の挑戦を受けること。師匠たちを倒したイップにホンが挑戦し、最後は引き分けとなり、イップは師匠として認められます。中国人を蔑視していたイギリス人の警察署長は、彼らから金を吸い上げ、ボクシング大会を開きます。チャンピオンのツイスターが、中国拳法の演武を侮辱したことから、サンがツイスターと試合をすることになりますが、激闘の末、サンは命を落とします。イギリス側は、試合の再戦を提案、その相手としてイップが名乗りを上げます。そして、ツイスターとイップの闘いの火蓋はきって落とされたのでした。

ブルース・リーの師匠と呼ばれる実在の人物イップ・マンを主人公にしたドラマの続編です。第一作である「イップ・マン 序章」は日本では未公開で、この続編が初めての公開となります。第一作は日本軍が悪役であることもあって、日本公開が見送られたようです。この映画では、イギリスが悪役になってますが、その描き方は徹底的に悪になってますから、前作の日本軍の描き方も想像がつきます。監督は前作から引き続いてウィルソン・イップが担当しており、前作から引き継がれた登場人物の説明はされないので、人物関係がわかりにくいところがあります。

イップは詠春拳の達人ながら、大変温厚な人物として描かれています。いわゆるギラギラとした殺気とは無縁のキャラクターであり、人情に厚く、清貧という言葉が似合うキャラクターになっています。お金がなくて奥さんに苦労をかけてばかりいるのですが、門弟から授業料を要求するのも躊躇しちゃうという、奥ゆかしさを持った人。これが中国人として人格者ということになっているのが、ちょっとした発見でした。奥ゆかしさというのは日本人だけの美徳ではないようです。そんなイップですが、いざ格闘となると、これが強い。最小限の重心の移動で、防御と攻撃を一度に行うという詠春拳は見た目は地味なんですが、派手なアクションシーンに盛り上げるのに成功しています。これはアクション監督のサモ・ハン・キンポーの功績でしょう。細かくカットを割ってはいるのですが、編集がうまいのか、アクションとしての歯切れがいい絵になっているのも印象的でした。

ストーリーとしては非常にシンプルで、前半は武館を開いて、弟子を集め、他の武館の師匠たちのテストを受けて、一人前の師匠として認められるまでが描かれます。後半は、イギリス人ボクサーとの闘いが描かれまして、後半の王道の盛り上げぶりが見事でした。展開は「ロッキー」みたいなんですが、イップはロッキーのように感情を露わにすることなく、常に平常心で対処するのですが、それでも盛り上がるのは、イップの演出のうまさでしょう。最後まで、殺気を封印したドニー・イェンの演技も見事でした。その彼の姿から、「何のために闘うのか」という彼の姿勢が見えてきて、敬意を表すべき人間としてイップが描かれているのですよ。でも、ドラマとしてはきちんとカタルシスを感じさせてくれるので、娯楽映画としての点数は高いです。

前半の見せ場は、武館を開くためのテストを受けるシーンで、不安定なテーブルの上での、イップとホンの闘いです。もう60になろうというサモ・ハンとドニー・イェンのアクションは、動きそのものと見せ方の両方に迫力がありました。カメラのポジションが引きのポジション、テーブルの上、テーブルの下とくるくると変わるところが見事でした。後半のツイスターとの試合のシーンでは、オーソドックスな撮り方で迫力を出すなど、映像的にもよく計算されています。

脇役の扱いもうまく、最初の弟子になるウォンとの師弟関係もきちんと描かれてますし、かつての仲間、新聞社の編集長、刑事といった面々が主人公をきちんと盛り立てています。悪役側のイギリス人はひたすら悪い奴として描かれていますが、特にツイスターを演じたダレン・シャラヴィの徹底したワルぶりが見事で、静のイップとは対照的なパワーと殺気が後半のドラマを盛り上げました。

音楽を日本の川井憲次が担当していまして、全編に渡って、フルに音楽を鳴らしています。静かなシーンから、格闘シーン、クライマックスのツイスターとの試合のシーンなど、和太鼓やオケを中心にした厚い音作りで、伝説のヒーローの物語を支えています。

「ソーシャル・ネットワーク」のエリートやお金持ちの世界って、縁がなさすぎてピンと来ない

今回は新作の「ソーシャル・ネットワーク」を川崎チネチッタ12で観て来ました。ここはでかくてTHX仕様の劇場で、THXのロゴが見られます。しかしTHXってそんなにすごいのかなあ、他の劇場と一線を画すものが今イチ見えてこなくて。それは私が鈍感だからかしら。

2003年ハーバード大学の学生であったポール(ジェシー・アイゼンバーグ)はそのタカビーで気難しい性格が災いしてガールフレンドのエリカに振られてしまいます。腹立ち紛れに大学の全女子の比較サイトを立ち上げるとその夜のうちにハーバード大の回線をパンクさせるほどのアクセスを得ます。ポールは、ボート部のウィンクルボス兄弟から、学内の交流サイトを立ち上げる手伝いを要請されるのですが、それを無視しておいて、友人のエドゥアルド(アンドリュー・ガーフィールド)の支援を得て、自分で新しいソーシャル・ネットワーク・サービス、フェイス・ブックを立ち上げます。これが大ヒットとなって、他の大学、さらには海外の大学にまで規模を拡大し、100万人以上が登録することになり、ポールは一躍大金持ちとなります。しかし、ウィンクルボス兄弟やエドゥアルドから訴訟を起こされてしまいます。しかし、ポールってどういう人間なのかしら。

「セブン」「ゾディアック」などで知られるデビッド・フィンチャー監督の新作です。実在するSNS、フェイスブックの創始者であるポール・ザッカーバーグを描いたドラマです。伝記と呼ぶには現在進行形の主人公であり、今も会員を増やしているフェイス・ブックが題材だけに、スキャンダラスな匂いもする企画ではあるのですが、あえて焦点を絞らないドラマ作りで面白い映画に仕上げています。

ポールはすごく頭が切れるんですが、人とのコミュニケーションをとるのが苦手なようです。でも、自尊心は強いみたいで、あまり関わりになりたくないタイプなんですが、その彼にも親友とも呼ぶべきエドゥアルドがいます。彼の家は金持ちで、フェイス・ブックの立ち上げのための金を工面してくれるんですが、実直でまじめなタイプ、一方の天才肌のポールとはあまりウマが合うと思えません。フェイス・ブックが会員数を増やし始めると、ナップスター(音楽無料ダウンロードのサイト)の創始者ショーンが、ポールに接近してきます。結局、ショーンがポールに取り入って、ショーンはエドゥアルドを切り捨てることになります。

でも、映画の中での人間関係って、日本の人情ドロドロの世界に比べると、どこかクールです。訴訟に至るハードルが低いってこともあるのかもしれませんが、日本的な感覚だと、もっとショーンとポールの間にはもっと人間的な葛藤があったんじゃないかって気がするのに、あっさりと切り捨てられてしまうのですよ。特に興味深かったのは、フェイス・ブックそのものへの言及、思い入れといったものがなかったこと。この他とは違うコミュニケーションツールについて、夢なり希望なりを語るといったシーンがないのです。そうなると、フェイス・ブックって、ポールやエドゥアルドにとっては、単なる自己満足の道具であり、後から入ってきたショーンにとっては金儲けの道具でしかないように見えてきます。言い方を変えると、フェイス・ブックに対する評価を映画が放棄しているとも言えます。確かに現在進行形で進化しているフェイス・ブックを今の時点でまっとうな評価ができるとは思えません。ある程度、時間を置いて、廃れたくらいになってから、「あれって、何だったんだろうなあ」という感じで評価するのがベターだと思います。だって、今だとトレンドに乗ってるものを誉める、けなす、どちらにしても、評価する方に変なバイアスがかかってしまいそうですもの。

しかし、フェイスブックを切り離して、このドラマをながめると、そこにあるのは、変なやつとお金の二つに集約されてしまいます。でも、この映画はそもそもそういう視点で作られているようにも思えます。ポールは、変なやつだけど、才能はある、でもその変なやつの部分で、訴訟を起こされてしまったように見えるのです。確かにポールは偏屈な人間ですが、偏屈だから才能があったのでしょうか。人柄がよくて、才能がある人間だっているのではないのかなあ。それとも、天才と呼ばれる人はどこか人格的な欠点は必須なのかしら。天才で変人だから、ドラマにする価値がある、ドラマにすると面白いのかもしれませんが、人格円満な天才ってのも見てみたいという気もします。

お金の部分は微妙です。最初、フェイス・ブックを始めた時点では、単なる学内コミュニティツールであって、金儲けの要素はありませんでした。その後、規模が拡大するにつれて、お金が絡んでくるようなのですが、そこのからくりは映画では見せてくれないので、ポールにとってお金がどの程度の価値を持っていたのかはわかりません。金に興味がないわけではなく、エドゥアルドが資金援助を止めたことに腹を立てて、彼を切り捨てちゃうわけですから、金勘定をしない人間ではありません。もともと金持ちでなかった人間が金持ちの金銭感覚を持つに至るにはどういう感情の流れがあったのか、その辺を映画は見せてくれなくって、ちょっと残念。

映画は、二つの訴訟と回想を行き来しながら、ポールと関係者のドラマを浮き上がらせていきます。フィンチャーの演出は、ドラマチックな要素を入れずに、淡々と物語を運んでいきます。色々な要素の入っている映画なので、観る人によっては、実録暴露ものにも、変人のドラマにも、青春ドラマにも、ビジネスドラマにもなります。そこのところをあえて曖昧にしているのは、フィンチャーの計算ではないかと思わせるところに、この映画の面白さがあると言えましょう。私にとっては、変人だけど大富豪ってのが面白かったのですが、やっぱりこいつ金儲けがうまかったんだなってのが、観終わっての感想でした。訴訟なんて、彼にとっては瑣末なことでしかなく、ラストで見せる昔の恋人への未練もやっぱりちっちゃいことなんだろうなって思いました。すべてのことが、ちっちゃくて重要じゃない、彼にとって大事なものなんてないんじゃないのかな。

ジェフ・クローネンウェスの撮影は、シネスコ画面で映画館の大画面で観るにふさわしい絵を切り取ることに成功しています。また、トレント・レズナーとアッティカス・ロスによる音楽は、アンビエント風な電子音楽の要所要所にビートを織り交ぜた音作りでして、監督のさめた視線に合わせたかのようなクールなサウンドを聞かせてくれています。

ちなみに、私はフェース・ブックはやってませんが、ミクシィには一応名前を登録しています。ただ、ミクシィの方も、あまりアクセスしていません。あまり、自分を前面に出すのが苦手なので、こういうSNSは向いていないようです。何となく、書いて上げておくだけで済むブログの方がお気楽で続けられます。

「愛する人」の絆へのこだわりは、オヤジな私にはちょっと発見。

今回はTOHOシネマズシャンテ2で「愛する人」を観てきました。この映画館はフラットなつくりで、前に座高ハイな人が座ると画面が欠けちゃうという、全席指定には不向きな映画館。自分が、中肉中背(やや肥満)で場所を取らない人間でよかったなあって、ちょっと自画自賛。デブだけど。

14歳で妊娠した娘を養子に出したカレン(アネット・ベニング)は母親との二人暮らし。母親との関係も今イチでした、、家政婦ソフィア(エルピディア・カリーロ)や彼女に好意を持っている職場のパコ(ジミー・スミッツ)との関係もうまくいってません。一方、カレンが母親であることを知らないエリザベス(ナオミ・ワッツ)は優秀な弁護士で、新しく入社した先の上司ポール(サミュエル・L・ジャクソン)といい仲になってしまいます。一方で、彼女は隣家のダンナとも関係を持ってしまう性に奔放なタイプのようです。さらに、登場するのが子供ができなくて養子縁組を希望しているルーシー(ケリー・ワシントン)夫妻。妊娠中の実母と面談し、養子縁組はまとまりかけていました。そんな、カレン、エリザベス、ルーシーに人生の転機が訪れるのでした。

「美しい人」「パッセンジャーズ」などで知られるロドリゴ・ガルシアの脚本によるヒューマンドラマで、ガルシア自身がメガホンを取っています。原題は「Mother and Child」。親と子の絆をテーマにしたお話なんです。カレン、エリザベス、ルーシーという3人の女性のドラマが並行して描かれていきます。そこで見えてくるのは、親と子の絆、いや、もっと具体的な血のつながりへのこだわりでした。カレンは14歳の時産んだ娘を里子に出し、今はどうしているのかは知りません。でも、彼女は娘への手紙を書き続けていました。エリザベスは孤独な人生から築き上げた実力主義の女性、キャリア志向と性に奔放というのは、彼女の中では自然に同居しています。ルーシーは、ダンナとの間に子供ができないので、養子が欲しくて仕方がありません。そんな3人のドラマは前半は接点がありません。

カレンは自分の母親との関係がぎくしゃくしていました。家政婦の親子の方に母親が心を開いていることにショックを受けるのですが、確かに常に防御の姿勢を取ってしまうカレンはとっつきにくいタイプです。職場で、彼女の好意を持ってくれるパコに対しても不必要につらく当たってしまいます。どこか不幸そうに見えるカレンですが、家政婦の娘やパコが彼女の心を少しずつ溶かしていきます。前半の彼女は、いわゆる怖いオバサンでして、あまりお近づきにはなりたくないタイプ。孤立しちゃうだろうなあと思わせるキャラなんですが、家政婦の娘やパコが彼女の心を開いてくれる、すごく運がいい人。ここが映画のマジックなんでしょうけど、こういうオバサンが実際にいたら、誰からも相手にされないのが現実でしょう。そして、パコと結婚し、パコの口ぞえもあって、自分の娘を捜そうと思い立ちます。

一方のエリザベスは避妊をしていたのに、予想外に妊娠しちゃいます。父親が誰かもわからない子をお腹に抱えて、彼女は仕事をやめ、ポールの前から姿を消します。堕胎しちゃうのかと思いきや、どうやら産んで育てる気のようです。そんな彼女も生き別れた母親が気になり始めます。自分の写真と手紙を、養子縁組してくれた教会へと送るのでした。

ルーシーは、養子の実母の承認を得る必要がありました。今は、実母が養母を選ぶようなスタイルになっているようです。この実母がちょっと変わってるというか、正直言って子供みたいなタイプ。でも、ルーシーとしては何とか自分の子供が欲しいと思っています。ところが、ダンナが養子縁組に難癖をつけるようになっちゃって、怒ったルーシーは自分一人で子供を育てると決心。

三者三様のドラマから見えてくるのは、みんな、会ったことのない母や娘との関係にこだわっているということ。父親なんて立場ないんだなあってしみじみしちゃうのですが、これが母と息子だったら、どうなっちゃうのかなって興味が出ました。この映画は、基本的に女性の立場で物語が作られていまして、男性は絆に対してすごく淡白です。自分の体からへその緒を引きずって出てくる子供に対して持つ感情は、男性のそれとは生理的に違うんだろうなとは思わせるのですが、オヤジの身では、その違いの部分を感じ取れないのが残念。注意しておきたいのは、3人とも結構面倒くさいキャラクターであるということ。感情移入するには、ちょっと距離を置いてしまうところがミソでして、ドラマ全体を客観的に一つの流れとして捕らえることができる作りになっています。私のようなオヤジ目線からしますと、親子の間にこういうこだわりがあるんだなあっていう発見がありました。血は水よりも濃いってのは、その通りだとは思うのですが、私としては「氏より育ち」だという気持ちが強いです。ひょっとして、「育ち」にあたる身近な人間との関係が希薄だと、「血」のつながりの方に思いが行ってしまうのかしら。そう考えると、この映画の3人はあまり幸せではないのかも。その幸せでない人生の中に救いが見えてくるドラマと言うこともできましょう。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



エリザベスが送った手紙は、教会の手違いで埋もれてしまいます。そして、産気づいた彼女は女の子を出産、しかし、自然分娩にこだわっていたこともあったのか、エリザベス自身は亡くなってしまうのでした。ほぼ、同じ頃、ルーシーが養子縁組する予定の子供が無事に生まれてきます。しかし、実母の気が変わっちゃったせいで、養子の話はおじゃん。落胆するルーシーに、シスターは、エリザベスの遺児を養子にしないかと提案し、ルーシーはその申し出を受け入れます。その1年後、エリザベスの手紙が発見され、クリスは、娘の手紙と写真を見ることになります。クリスは、自分の孫に会いたいと申し出ると、ルーシーはそれを承諾、実はほんの数軒先のご近所さん。ルーシーは、娘の実祖母を暖かく受け入れ楽しい時間を過ごします。めでたしめでたし。

ラストは一応のハッピーエンドとなります。ルーシーとクリスはこれから幸せな人生を送っていくだろうという予感を見せて映画は終わります。一方で、エリザベスとクリスの母親は、幸せを実感できないまま人生を終えてしまうので、人それぞれ、幸せも不幸も様々だねってことになります。そんな色々な人生の中の母と子供の関係にスポットを当てたドラマとして、なかなか面白かったです。邦題の「愛する人」ってのは、大雑把すぎて、配給会社のやる気のなさを感じてしまうのですが、この映画の中身をうまく言い表したタイトルってのは難しそうです。

演技陣では、アネット・ベニングのリアルおばさんぶりが印象的でした。元は美人なんだけど、気難しい分不細工に見えちゃうヒロインぶりを見事に演じています。ナオミ・ワッツは、キャリア志向だけどどこか心を閉ざしている女性を熱演しています。主人公の3人は、どこか、欠けたところのキャラクターとして生身の息遣いを感じさせることに成功しています。一方で、ジミー・スミッツやサミュエル・L・ジャクソンといった男性陣は、いい人というレベルに収まっていて、それ以上の存在感を出さない脇役に徹しているのがいいと思いました。

「白いリボン」は色々な解釈ができそう、でもうまく誘導されてる気も。

今回は、ヒューマントラストシネマ有楽町1で「白いリボン」を観てきました。ここでも、「キック・アス」が1日2回上映されていてびっくり。でも、「DLP上映なので、画質が荒いです」って注意書きが貼ってありました。フィルムで上映してくれればいいのに。

ドイツの小さな村、その町の医者が落馬事故で重傷を負いました。誰かが彼の家の前に細い針金を張ったのです。翌日、小作人の妻が男爵の木材作業場の床が抜けて命を落とします。さらに、秋の収穫祭の日、男爵のキャベツ畑が荒らされ、さらに男爵の長男ジギが誘拐され、棒で殴られて逆さづりにされるという事件が起きました。キャベツ畑を荒らした犯人は妻を亡くした小作人の息子だとわかるのですが、ジギに暴行を加えた犯人は結局わかりませんでした。いくつかの事件の真相がわからないまま、今度は男爵の荘園で不審火が発生、直後あの小作人が首を吊って死んでいました。堅信礼の日、助産婦の息子で障害のあるカーリという子供が姿を消し、大怪我をした状態で発見されます。その傍らには、呪いの言葉が連ねられた手紙がありました。一方、村には第一次大戦の影が忍び寄ってきていました。そんなある日、カーリの母親がカーリと共に姿を消し、最初に負傷した医師の家ももぬけのからになっていました。そんな出来事を回想していたのは、当時の学校の教師でした。彼は、子供たちが何か知っているのではないかと思うのですが、それを確認できないまま、村を去っていたのです。

ミヒャエル・ハネケが脚本、監督を担当し、2009年カンヌ映画祭でパルムドールを受賞したという話題作(まあ、一部の人が話題にしているということで)です。私は、彼の作品は「ピアニスト」しか観ていないので、彼の作風といったものはよく知りません。たた、この映画の予告編を観たとき、ドロドロした僻地ホラーを予感したのですが、それはいい意味で裏切られることになりました。

モノクロ画面で描かれる村の風景は美しく、建物、草原、麦畑といったビジュアルが大変見事です。そんな美しい背景のもと、静かな村に不可解な事件が次々に発生していきます。そして、この村を覆う重苦しい空気感が、何か嫌な予感を運んでくるのです。牧師の子供たちは、厳しい父親のもとで抑圧されているように見えます。医者は妻を亡くして隣家の助産婦と関係を持っていますが、14歳になる自分の娘にもちょっかいを出しているみたいです。男爵家の家令の息子たちは、幼い弟をよく思ってなかったり、男爵の息子を川に放り込んだりしている問題児です。ドラマは、ある時は大人の視点で、そしてまたある時は、子供の視点を通した事件の様子を見せていきます。

物語が進むに連れて、大人にも子供にも裏の顔があるように思えてきます。まあ、人間、一皮剥けば色々な顔が見えてくるのですが、それが、だんだんと事件に不気味な影を落としてくるのです。クライマックスで、若い教師は、一連の不可解な事件に子供たちが一枚噛んでいるのではないかという疑惑を抱き、子供たちを詰問するのですが、結局わからないまま、映画は終わってしまいます。でも、子供たちが何かを知っているのは間違いないと観客にもわかってきてますから、これは、謎を振るだけ振っておいて、「後はよろしく」パターンだと言えます。しかし、謎をそのまま明らかにしないことによって、底知れぬ不気味な後味を残すことに成功しています。大人の間にある歪みは、そのまま子供たちの間にも反映されているに違いない、保守的文化の中で抑圧されている子供たちの歪みは、時として予想できない形で暴発することがあるのではないか、そう思わせるシーンが要所要所に出てくるのですよ。

暴発する危険性を示す一方で、子供たちを抑圧する村のパワーのようなものもきちんと描かれています。男爵と牧師の絶対的な権力は、身近な存在であるが故に、余計目にそのパワーが誇示されます。そして、子供が成長する過程で発見する「死」の存在の描き方もうまいです。時代背景としてファシズムの足音も聞こえてきます。映画は様々なパズルのピースを見せながら、そのパズルを完成させないで終わるので、「ここはこうかもしれないね」と観客がパズルを並べて楽しむことができます。それが合ってるのか合ってないのかなんてのは、どうでもいい話で、観客が好きなように解釈して(パズルを完成させて)楽しむのがいいのではないかしら。



この先は結末に触れますのでご注意ください。(といっても、お話は決着つかないんですが)



村全体の空気感と異質の存在なのが、この映画のナレーターである教師です。ナレーションの声は老人ですが、画面の中の彼は若く、この物語が遠い昔を回想して語られているという見せ方をしています。彼のよそ者の視点は、ドラマのカギとなっています。また、彼は、若い娘に恋をするという重いドラマの中での、箸休め的な役どころでもあります。相手は、17歳の男爵家の乳母なんですが、この娘がすごくかわいいのです。でも、この娘は、子供から丁度大人になりかけているところの存在だというのがなかなかに意味深でして、この映画で、対立的に描かれている、大人の世界と子供の世界の両方に片足づつ突っ込んでいる感じなのです。教師から見て、その時として理解できない言動、行動の中にも事件のカギが潜んでいるのかなって思わせるところがありました。まあ、そこまで考えるのはうがち過ぎなのかもしれませんが、散りばめられたパズルのピースとしてはこれも数のうちかもしれません。

ラスト近く、助産婦と医師が子供ごと行方不明になってしまうというミステリーが突如登場するのですが、このことから、教師は、子供たちが何か知っているに違いないと確信します。助産婦は、暴行されて目が見えなくなっている息子を抱えていますし、医師にも子供が二人います。でも、みんな消えてしまった。さらにその前に助産婦は教師に向かって「犯人がわかった」と口走っているのです。その後、助産婦の家の横には子供たちがいたのです。医師は、助産婦と関係を持ち、さらには彼女を捨てようとしていました。さらに自分の娘にもちょっかいを出すようなかなりのワルです。そもそもの発端は、彼が重傷を負ったことにあるのですが、その動機は、なきにしもあらずなのですよ。その後の展開も、子供の視点に立ってみると、裏のドラマが垣間見える、かもしれない?というレベルの見え方が面白く、その誘導の仕方に映画的な興奮がありました。「恐るべき子供たち」なのかもしれない、でも、その種は大人が蒔いてるんだなってのは、私の個人的解釈なのですが、他にも色々な見解が導ける内容の映画です。2時間半とかなり長尺の映画なんですが、それを感じさせない演出はお見事です。

「メッセージ そして、愛が残る」はテーマが美しい、名曲です。


超自然ホラーに信仰と愛の物語をブレンドした不思議な映画「メッセージ そして、愛が残る」は、死の扱い方に今一つしっくり来ないものがありました。そんな映画の音楽を担当したのは、「スズメバチ」「記憶の棘」「ジュリー&ジュリア」やさらにハリ・ポタ最新作など、フランスからハリウッドへも進出してきている才人アレクサンドル・デスプラです。デスプラとジャン・パスカル・ベインタスが編曲し、デスプラがオーケストラを指揮しています。また、デスプラ自身がフルート、ピアノ、シンセのプログラミングを担当しています。

アルバム1曲目の「The Wonder of Life」で流れる美しいテーマが大変印象的です。弦のリフをバックにピアノソロが美しくも不安げなメロディを奏でて、そこへストリングスが重なっていきます。音が厚くなると同じ旋律がやさしい味わいに変わっていくところが面白く、さらにストリングスがサビのメロディを奏でると、美しい愛のテーマとなります。2010年に聞いた映画音楽ではベストスコアではないかと思ってますが、ホント、映画とか関係なくいいのですよ、この曲が。

ドラマをサポートする音楽は、映画の展開に合わせた、ミステリアスで、ちょっとホラー風味が入ったものです。映画の中では、何だか陰気な曲だなあって思ったのが多かったのですが、アルバムで聴き直してみると、意外といい曲が多いので驚かされました。単なる雰囲気描写だけでなく、音楽としての奥行きがあるもので、言い方を変えると、かなり勿体ない使われ方をしているとも言えます。でも全体としての音は、テーマ曲を除くと地味な作りと言えましょう。ドラマチックな展開にも音楽は抑制の効いた抑え目の音作りになっています。

「ハーブ&ドロシー」は面白夫婦のお話だけど、美術のドキュメンタリーじゃないです。

今回は、横浜シネマベティで「ハーブ&ドロシー」を観てきました。DLPによる上映なんですが、ここのDLPは、コントラストが強い画面では画面に横ノイズが出るんですよ。何とかして欲しいわあ。ところで、この映画、エンドクレジットでドルビーデジタルのロゴが出たんですが、元はフィルムの映画だったのかしら。

舞台はニューヨーク。郵便局員だったハーブと図書館司書だったドロシーは、1962年に結婚しました。二人とも美術が好きで自分も絵を描いたりしていたのですが、そのうち、好きな作品を買うことを始めます。アパート暮らしの二人が買うのは、自分の気に入ったもので、安くて、持って帰って、アパートに置けるもの。二人は、若手アーチストを中心に、自らアーチストのもとに足を運んで、作品を買っていきました。いつしか、アートの世界で有名人になっていったハーブとドロシー。二人は、自分のコレクションの展覧会を開くことはあっても、決して自分が買った作品を売ろうとはしませんでした。そして、彼らはコレクションをナショナル・ギャラリーに寄付することにしました。二人のコレクションは、ナショナル・ギャラリーだけでは保存しきれず、全米の美術館に展開しつつあるのです。

日本人の佐々木芽生が監督したドキュメンタリーです。ハーブ&ドロシーのヴォーゲル夫妻の紹介ビデオといった趣の映画に仕上がっています。美術好きの二人が色々なアーチストから気に入った作品を買い集めていったところ、ものすごいコレクションになっちゃったというお話です。しかし、美術収集家としての二人は、すごく普通で、でも普通じゃなかったというのが、この映画の面白さになっています。普通というのは、二人が裕福じゃないアパート住まいだということ。普通じゃないってのは、実際にアーチストと仲良くなって作品を買うということと、それを絶対売らないってこと。1960年代からコレクションしていて、今は相当の値段がつくらしいのですが、お金のために売る気は一切ありません。でも、それらのこと以上に二人の人懐っこい人柄が印象的です。彼らは作品だけでなく、アーチストそのものに興味があり、単なる売り物以外のものにも興味を持ってゲットします。それが、他のバイヤーとの違いを、アーチストに感じさせるようで、アーチストからしても、二人は特別な存在となっていたようです。

彼らの買っていた作品のジャンルは、ミニマルアートやコンセプチュアルアートと呼ばれているものです。当時の先端を行くものであり、その分、新進のアーチストが多く、お値段のお手ごろ感もあったようです。プログラムによると、ミニマルアートというのは、単純な線や面によって描写されたアートだそうです。美術館の、現代美術のエリアで、マス目に色塗って並べただけの作品を見たことあるのですが、どうやらああいうのをミニマルアートというらしいです。一方、コンセプチュアルアートというのは、コンセプトを前面に出したもので、どうやら「思うところをやりたい放題」って感じらしいです。(この解釈はむちゃくちゃ怪しいので真に受けないでください)従来の技巧が良し悪しの判断基準にならないジャンルらしくて、そうなると、いい悪いが、ほとんど好き嫌いの世界に入っちゃいます。そういうジャンルだからこそ、作品だけで評価するだけでなく、アーチストとのコミュニケーションによって製作のプロセスやコンセプトを知ることも重要になってきます。ハーブ&ドロシーは、アーティスト本人に迫るアプローチを取っていたので、そのやり方と、コンセプチュアルアートが相性がよかったということが言えます。

ハーブもドロシーも、作品を語るボキャブラリーは多くありません。いわゆる学芸員的な解説はしないで、「それ、いいね」とか「素敵だ」とかそういう表現で作品を語ります。私は、美術のことにはまるっきりくわしくないのですが、それでも認められちゃうってのは、すごいことだなあって思います。二人の美術についてに知識は、普通の人以上にはあるみたいなのですが、映画の中では、専門用語は使っていません。ひらたく言うと、好き嫌いしか語っていないのですが、これは本当なのかなって気がしました。目利きというには、語る言葉が少ないのですが、それでも美術界で評価されてしまう、そのあたりのからくりの部分が見えてこなかったのは残念でした。そのあたりは、二人の企業秘密なのかもしれません。演出も二人の人柄に焦点を当てているのですが、アートとの関わり方の部分はどこかぼかしているところがありました。

ミニマルアートとかコンセプチュアルアートって、どこかとっつきにくいところがあります。正直言って「それが何なの?」って思わせるところがあるからです。技巧の部分が少ない分、万人が納得できるものじゃないんですよ。「うーん、これはすばらしい」って言われても、その言葉よりも、言った人の権威で推量するしかないんですもの。四角いマスが並んでるだけで、アートって言われりゃそうかもしれないけど、その優劣の根拠を言葉で語りきれないように思えます。言葉にできないってことは、思考で導けない、つまり感性、つきつめると好みってことになっちゃうのかなって、美術素人の私は思ってしまいます。そこに、ハーブとドロシーがどう切り込んだのかは、映画の中では描かれないのですが、そこが知りたいなあって思った次第です。

「442 日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍」から見えてくる、普遍的な戦争の実像

今回は、横浜ニューテアトルで、東京では公開を終えている「442 日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍」を観てきました。この映画はHVCAMによるものでして、この映画館もDLPによる上映でした。映像はクリアなのでノープロブレムでした。

第二次大戦中、日本による真珠湾攻撃の後、アメリカの日系人は収容所に集められました。彼らはアメリカ国民でありながら、敵性国民と見なされ、望んでも軍務につくことはできない状況となりました。特にハワイの日系軍人の扱いに苦慮したアメリカ軍は、彼らを本土に送り、本土の日系人も合わせて、日系部隊が編成されます。さらに収容所からも兵が集められ、日系人の442連隊が作られます。彼らはフランス戦線へと送られ、多くの戦果を上げるのでした。彼らの働きは、フランスの町では今でも語り継がれています。さらに、442連隊と一緒に行動していた522野砲部隊は、ドイツ戦線へと送られ、ダッハウ収容所の解放にも立ち会うこととなります。収容所に送られていた日系人部隊が、ユダヤ人収容所を解放するという皮肉な歴史も刻みつけられました。戦後は、442連隊は大統領から迎えられた唯一の部隊となりました。彼らの勇敢な行動が、アメリカにおける日本人への偏見をやわらげることになり、日本人の地位向上にも貢献したのです。一方で、442連隊は大変多くの死傷者を出した部隊でもあったのでした。

日活ロマンポルノから監督のキャリアを始め「女帝」「秋桜」などを撮った、すずきじゅんいちが監督したドキュメンタリーです。第二次大戦時の日系人部隊を、当事者の証言を中心にして描きました。442連隊の兵士たちも80台後半から90台ということで、この映画を撮る最後の機会だったとも言えましょう。442連隊は単にドイツ軍と戦っただけでなく、自国の偏見とも戦ったのだと語られます。アメリカ市民なのに、敵国人と見なされて収容所に入れられたのですからひどい話です。今は、その政策の非をアメリカ政府は認めていますが、当時の状況では、有色人種の敵国人ということで相当な差別を受けたのではないかと思います。しかし、日系人で組織された442連隊は、その優秀な働きによって差別していたアメリカ人を見返すことができたのです。そして、映画の中では、その勇猛果敢な行動の根源に、父母からの日本人としての教育があったからだとしています。特に家族に恥をかかせないという教えが彼らを動かしたというのです。日本人だから442連隊は頑張れたという部分は、話半分に聞いておくとしても、差別される側として、差別する連中を見返してやろう気持ちが彼らを動かしていたという点は確かにあったのかなって気がしました。

彼らの口から語られるのは、主に戦場での体験です。仲間がバタバタと死んでいく、一方でドイツ兵を殺していく、そんな悲惨な体験が元兵士の口から語られます。また、彼らの中には戦争後遺症で苦しんだ人もたくさんいたのです。戦争体験を語り継ぐための一つの手段として、この映画が作られたということは確かなようです。それらの体験談は、あまり語られることがなかったものでした。元兵士にとっても進んで語ろうとは思わなかったことだったのです。若いドイツ兵を銃で撃ち、後で見たら手榴弾で自殺していたというエピソードが印象的でした。戦争は人を変えてしまい、人を不本意な死に追いやっていく、ちょっと考えれば当たり前のことがこの映画の中から見えてきます。

一方で、日系人として、彼らがどういう差別を受けたのか、その差別に対して、442連隊はどういう行動をとったのかといった部分はあまり語られません。収容所に送られた日系人の一部が、政府の政策に抗議して徴兵拒否をして刑務所に送られたという話は出てきますが、あくまでそれはサブエピソードの扱いでしかありません。映画のメインは、442連隊がどういう戦果を上げて、どれだけ多くの人々から認められていったのかという部分にあります。しかし、戦争の悲惨な状況が元兵士の口から語られるので、単なる英雄の物語にはなっていません。そういう意味では、442連隊を中心に戦争というものを様々な切り口から描いた映画だと申せましょう。

特に、日本人から見ると複雑な感情が湧いてくるところがあります。アメリカ人からすれば、第二次世界大戦は正義の戦争であり、そこであげられた戦果は全て賞賛される対象となります。ベトナム戦争やイラク戦争とは違って、そこで勇敢に戦って敵を倒し、敵に占領されていた土地を解放すれば、それは明らかに正義の実践になっていました。その戦闘で、命を失うことは名誉の戦死となることは、誰もが認めるところです。だからこそ、勇猛果敢な442連隊の評価は今も高く、多くの人々から感謝されているのです。一方、日本軍に対する評価は良くも悪くも一枚岩と言えません。(この話を始めると映画の本題から外れるので深入りはパス) 442連隊の行動が世界の平和への礎となり、かつ日系人の地位を高めることにもなったのは、戦勝国側だったからという事実は大きかったと思うわけです。

日系人の軍隊が、連合国の勝利に貢献したという事実は知っておいてよいことだと思います。ただ、その事実から、何を学ぶべきなのかというところが、大変微妙だと思わせるところがあります。自分が日系アメリカ人であれば、先達の功績として受け止めるべきものでしょう。でも、一歩引いた視点から見たとき、そこからは、戦争の悲惨さがやはり浮き上がってきます。多くの勲章と死傷者を出した442連隊は、優秀な軍隊だったのか、確かにその通りだとは思うのですが、そこには様々な当事者、関係者の視点があって、一概には言えないものがあります。

そういう意味では、戦争について考えさせられる映画ですので、観て損はないと思います。また、多くの元兵士をカメラの前で語らせたという点でも価値のある映画だと言えましょう。とっつきとしては、日系人による優秀な442連隊があったということが目を引くのですが、映画を観ていると、とっかかりの部分だけでなく戦争になるとどういう差別が生まれ、戦場では何が行われ、戦争の後、兵士はどう評価されるのかといったことが見えてきます。また、日本とアメリカの間で、第二次世界大戦という戦争の持つ意味が違うという点に気付かせてくれるという点でも一見の価値があります。

スタッフは皆、日本人なのに、ナレーションが英語だったのが不思議でした。日本映画として作ったのなら、日本語のナレーションを入れればいいのに。また、音楽は喜多郎によるシンセサイザー音楽だったのですが、これが情緒的に流れすぎたのは、失敗だったように感じました。冷静に事実を語っていく映画の流れと合っていないのですよ。

「アンストッパブル」は定番王道の展開、若干粗っぽさはあるけれど。

今回は、「アンストッパブル」をTOHOシネマズ小田原4で観てきました。初めての映画館だったのですが、座席表を見ても、どの席がスクリーンの中央にあたるのかよくわからないのは困りものです。出入り口の位置によっては、座席の中央がスクリーンの中央にあたるとは限らないので、そこがちゃんとわかる座席表を作って欲しいものです。(いや、マジで、これは。)

ペンシルバニア州のフラー駅で、大編成の列車が運転士が目を離した隙に動き出し、暴走し始めました。その貨物には危険な科学物質があって、人口密集地で脱線、爆発でもすれば大惨事になるという代物。フラー駅の司令室では操車場長コニー(ロザリオ・ドーソン)が事態の収拾を図ろうとしますが、列車はどんどん加速していきます。同じ線上を暴走列車に向かって走っていたのは、勤続28年のベテラン運転士フランク(デンゼル・ワシントン)と勤続4ヶ月の新米車掌ウィル(クリス・パイン)のコンビが走らせる貨物列車でした。暴走列車を間一髪で避けて引込み線に逃げ込んだフランクとウィルでしたが、後ろから機関車を連結させて引っ張れば止められるかもしれないと考え、暴走列車を追跡し始めます。脱線装置を使って転覆させようという作戦が失敗、このままでは、街のど真ん中の大カーブに入って脱線、大惨事になっちゃう。フランクとウィルの操る機関車に最後の望みがかけられるのですが.....。

デンゼル・ワシントン主演のトニー・スコット監督作品、予告編を観た時、大体のお話がわかっちゃって、それ以上のものがあるのかなあって思いつつスクリーンに臨みました。タイトルバックから、トニ・スコ節、全開という感じでして、細かいカット割りで寄りのカットの連続、回り込むカメラなど、彼の刻印入りの映像は、昔は狙いすぎだなあって思っていたのですが、今や定番としての安定感を持っています。ただ、普通に機関車を運転しているだけのシーンにスリリングな音楽を流して、それがすごいことのように見せるハッタリ演出も、わかっちゃいるけど乗せられちゃううまさがあります。マーク・ボンバックの脚本は、ムダがなく一直線でドラマを進めていまして、そこに映像派のトニー・スコットの演出が視覚的なメリハリをつけたという印象でした。

フランクとウィルの家族模様も深く突っ込まない程度に描いて、そこから先は、列車の暴走だけでドラマを見せきった結果、期待以上のものはなかったのですが、期待するものは全部見せてくれました。変に捻りを入れなかったので、キャラクターに奥行きは出なかったのですが、その分、99分を飽きさせることなく一気に見せてくれました。演技陣もみんな手堅く、悪役として登場する会社側の人間ケビン・ダンですとか単純キャラですが存在感を見せてくれますし、その他の脇役も何となく印象に残るようにうまくさばいています。ニュース映像を要所要所に挿入して実況感を出すのも、定番とは言え、きちんと機能していまして、クライマックスで奮闘する二人を報道ヘリが追い、ヘリの映像を二人の家族が固唾を飲んで見守るというシーンも盛り上がりました。

視覚的な点では、暴走する機関車のでかさが印象的でした。向こうの列車は、日本のそれよりも二回りくらいいかつくて大きいので、それほどのスピードが出てなくても視覚的な迫力は満点。列車を追うヘリをうまくフレームインさせたり、線路沿いに待機する警官隊などの、絵作りのうまさも見事でした。ただ、いわゆる色補正したような色彩設計が、「これCGじゃないの?」って思わせるのが残念。色彩補正することで、世界観の統一ができるのですが、それが実写もCGっぽくしちゃうのですよ。プログラムを読むと本当に列車を走らせたと書いてあるので、実写がほとんどなんでしょうが、それが作り物に見えちゃうのは、最近の映画すべてが抱える問題点ではないかしら。特に、クライマックスのカーブを曲がるシーンでは、「それはないやろ」って言う動きをするもので、そこは多分CGなんだと思うのですが、そうなると、他のシーンもCGだよねえって気分になっちゃうのです。実際、エンドクレジットで視覚効果のチームがたくさん出てくるので、「やっぱりCGなんだ」と思ってしまうのは、映画にとっては、もったいない話です。

本当は人命救助の話なんですが、主人公二人のヒロイズムの方が前面に出ちゃうあたりは、トニー・スコットらしい演出と言えましょう。暴走列車の貨物が爆発したら、周囲は大変なことになるのに、カーブを群集が見守ってるシーンなど、「ちゃんと安全なところに避難させろよ」という突っ込みが入ってしまう大雑把さもありますし、ラストは結局自動車で併走して機関車に飛び乗って止めるという、「それができるなら先にやれよ」と思う詰めの甘さもあります。それでも、映画を観ている最中はそれなりに楽しめるから、娯楽映画としてはマルなのでしょう。

ハリー・グレグソン・ウィリアムスの音楽は、ほとんど画面をつなぐ効果音みたいなもので、音楽と呼べるものなのかとも言えます。まあ、映画音楽として、そういうポジションの音もありなのでしょうし、映画音楽を限定する気もないのですが、音楽として評価の対象になるのか微妙な音になっています。(これはサントラ盤で再度聴き直してみます。)

「キック・アス」は美少女萌えと一捻りヒーローの展開で見せます

2011年の映画初めは、TOHOシネマズ川崎2で「キック・アス」を観てきました。今年のお正月映画は本当に観る映画がなくて困っちゃいました。「トロン」も「ハリポタ」も「シュレック」も、なんと言うか観たいという気にさせるものがないんですよ。「バーレスク」? うーん。

デイブ(アーロン・ジョンソン)はいわゆる普通のオタク高校生、コミックのヒーローに憧れる彼は通販でヒーロースーツをゲットして、本気で「キックアス」というヒーローやっちゃおうって気になります。自動車泥棒を成敗しようとしたら、あっさり逆襲され、さらに車に轢かれて重傷を負ってしまいます。しかし、その結果、骨には金属板が入り、痛みの神経も鈍って、ヒーローの素質がアップします。今度は通りがかったギャングと格闘になり、なんとか相手をやっつけ、その様子がYouTubeにアップされるに及んで、彼は一躍ホントのヒーローになっちゃいます。なぜか彼をゲイだと思って心を開くケイトの悩みに応えるために、ヤクザの家に赴いて格闘となり、危機一髪となるのですが、それを助けたのは、かわいい女の子ヒットガール(クロエ・グレース・モレッツ)とビッグダディ(ニコラス・ケイジ)のヒーロー親子でした。一方、マフィアのボス、フランク(マーク・ストロング)は、自分の縄張りを荒らす謎の人物に頭を悩ませていました。その人物がキックアスだと信じ込んだフランクは、キックアス殺害指令を出します。果たして、キックアスの命は? そして、ビッグダディとヒットガールの目的とは?

アメコミと映画が同時進行で作られた作品だそうで、なるほど「バットマン」や「スパイダーマン」の世界観が盛り込まれている一方、パロディ的なおかしさもある、一捻り感のあるヒーローアクションに仕上がっています。ガイ・リッチー監督作のプロデュースや「レイヤー・ケーキ」の監督として知られるマシュー・ボーンが共同脚本と監督を兼任していまして、英国出身の監督らしい、シニカルな味わいがいい意味でこの映画に影を落としています。ところどころで登場するリアルなバイオレンスのせいで、R15指定になっちゃっていまして、少なくとも少年少女向けの映画にはなっていません。

デイブの日常からお話は始まるのですが、これはいわゆる普通の学園ものの味わいです。ダメっぽい人生に達観しつつあるデイブとその友人たち、でもデイブは自分がヒーローになれることで何かを変える、世の中のためになることができるような気がしていて、それを実行に移しちゃうあたり、すでに平凡な高校生ではありません。バットマンには大金、スパイダーマンにはクモの能力という外部要因がまずあってヒーローになったわけですが、キックアスは普通の高校生が、自分の意志を奮い立たせてキックアスを作り上げるのです。最初の活躍となるはずの事件で重傷を負ってしまうものの、それが怪我の功名となって、かえってスーパーヒーローに近づいちゃいました。ギャングに追われた男を助けるために3人の大男と格闘するキックアスは痛々しいけどかっこいい。これが、YouTubeにアップされちゃって有名人になっちゃうのですから、ネットの時代になったものです。彼は困っている人を助けたいという気持ちで行動します。

一方、ヒットガールとビッグダディの過去はかなりややこしい。有能な刑事だったダディがマフィアの罠にはまって麻薬警官にされてしまい投獄、妊娠中の妻は自殺、彼女は娘に命を託しました。ダディが服役中は同僚が娘を育て、出所後はダディは娘と暮らすようになります。フランクへの復讐を誓うダディは、娘をミリタリーオタクのヒットレディに育て上げたのでした。正義を行おうとするけどヘタレそうになるデイブと、むっちゃ強くて復讐に燃えるビッグダディ親子は、ちょっとした偶然で知り合うことになり、ビッグダディの方からデイブに接触してきます。このあたりから、学園もののオフビートなコメディタッチがシリアスな方向へと動き始めます。「バットマン」や「スパイダーマン」に出てくる過去の因縁ですとか、宿命といった、いわゆるドロドロしたものがドラマの中で重みを帯びてくるのです。アメコミの映画って大体そういう展開になっちゃうので、それがドラマチックでいいと思う一方で、何だか面倒臭いなあって感じてしまうのも事実です。前半はヒーローもののパロディっぽい展開だったので、余計目に「うわあ、そっちへ行っちゃうの?」って気がしてしまって。前半のギャングの登場の仕方やブラックな描写に、その昔のサム・ライミの「ダークマン」のイメージを重ねていたのですが、意外や王道なお話に持っていくのですよ。



この先は、結末に触れますのでご注意ください。



マフィアは、デイブとは別の人物の存在に気付き、デイブを使っておびき出そうとします。ボスの息子クリスは、自らをレッドミストというヒーローに仕立ててデイブに接近、ビッグダディをおびき出すことに成功します。そして、デイブとビッグダディはマフィアに拉致され、処刑の様子がネットで配信されることになります。危機一髪のところでヒットガールがマフィアに逆襲するのですが、ビッグダディは大火傷を負ってそのまま亡くなってしまいます。ヒットガールは母親と父親の敵を討つべく、マフィアの本拠に乗り込もうとし、デイブもそれに協力します。ヒットガールが本拠に乗り込み、銃撃戦から肉弾戦となり、フランクに追い詰められたヒットガールをデイブが救うのでした。朝、ビルの屋上でお互いの本名を名乗りあうデイブとヒットガール、エンドクレジット。

リンチされるデイブとビッグダディのところにヒットガールが単身殴りこみをかけるシーンは、10歳の小娘に大の男がバッタバッタとやられるカタルシスがあって、かなり盛り上がりました。そして、クライマックスで、マフィアに乗り込むヒットガールの奮戦ぶりには、悲壮感があって、これはまた別の意味で盛り上がりました。とにかく、かわいいヒロインの頑張りぶりはなかなかに見応えありまして、最後、フランクにボコボコにされちゃうあたりの見せ方はうまいと思いました。そして、それまで自分では何もできないと思っていたデイブが、ラストでヒットガールを救うあたりも見事な王道の展開になっていました。

とは言え、後半の盛り上げは、ヒーローものの制約に縛られていることも否めませんでして、そういう意味では、この映画の持ち味は前半に盛り込まれているようです。特にインパクトあるのは、主人公が不正を見て見ぬふりをする人間への怒りを抱えているというところでして、街のギャングと大立ち回りをしている彼を見て、携帯のカメラを向けてる連中に対する怒りをあらわにするシーンは、説得力がありました。また、ヒットガールが殺人に対して何の感情も示さない人間になっているという設定は、ギャグとして笑えませんし、キックアスがリアルにボロボロになっちゃうあたりの展開もかなりビクっとさせられました。それらが後半の盛り上げの中で、どっかに忘れられてしまうのはちょっと残念でした。

ヒーローものとしては、主人公がヒーローになるまでの過程が面白く、また、美少女バイオレンスという見せ場もあって、かなり楽しめる映画に仕上がっています。どこかブサイクヒーローなキックアスに対して、バットマンのロビンをよりカッコ良くしたヒットガールとのコントラストも楽しかったです。

音楽をマリウス・デ・ブリース、イアン・エシュクリ、ヘンリー・ジャックマン、ジョン・マーフィの4人が担当しており、様々なジャンルの音でドラマを支えていますが、シリアスな部分で、ロンドン・メトロポリタン・オーケストラを使った音楽がインパクトありました。クライマックスでマカロニ・ウエスタンの音楽を使ったりしてるあたりはタランティーノの二番煎じみたいで笑っちゃいましたけど。

2010年のベストテン(観た本数少ないけど無理やりひねり出しました)

2010年は例年になく映画館に行けてなくて、ベストテンを作るのもおこがましいのですが、それでも、何もないのも寂しいので、強引にベストテンに仕立ててしまいました。映画としての良し悪しよりも、見せ方の面白さとか娯楽性が先に立ったベストテンになってます。

第1位「彼女が消えた浜辺」
イランのアスガー・ファルハディ監督作品が今年の1位になりました。友人たちの旅行に連れて来た知り合いの女の子が行方不明になっちゃう、その後の気まずい雰囲気が妙にリアルで、いいとこついてるなあって感心。ものの感じ方、文化といったものが、日本もイランも意外と同じじゃんってところに発見がありました。

第2位「コララインとボタンの魔女」
人形アニメなんですが、これがイメージの宝箱みたいで観ていて楽しい。パパとママは目がボタンになっちゃうとか、ネズミのサーカスとか、ちょっとダークな感じもまたマルでした。イメージてんこ盛りということでは「ミック・マック」と競ったのですが、こちらのヒロインの妙にリアルな女の子ぶりに軍配が上がりました。

第3位「ぼくのエリ 200歳の少女」
スウェーデンの寒々とした空気の中で展開するバンパイアの少女といじめられっ子のラブストーリー。どこか切ないようで、でもその底にあるかなり怖い世界観が見事でした。ラブとファンタジーとホラーのさじ加減が素晴らしく、映像と音楽の美しさも絶品でした。

第4位「(500)日のサマー」
サマーというちょっと変わった女の子との恋愛模様を描いておいて、実はサマーの成長物語になっていたという、ヒネリの効いたラブコメが4位に入りました。ヒロインを演じたズーイー・デシャネルの魅力もさることながら、不思議ちゃんなヒロインに共感できた演出が見事な一編でした。

第5位「グリーン・ゾーン」
イラク戦争の初期の頃を舞台に描くアメリカの陰謀。昔なら、マジな政治サスペンスにしちゃうところを、派手なアクションバリバリの娯楽エンタテイメントに仕上げているところが見事でした。「ユナイテッド93」で、マジメな題材を面白く作り過ぎてると思わせたポール・グリーングラス監督による、正面切ってアメリカを悪役にした映画です。

第6位「プレシャス」
16歳の少女、プレシャスの状況はまことに悲惨でして、それをこれでもかと見せる展開は結構しんどいものがありました。それでも、この映画を推すのは、教育への希望が描かれているから。勉強したい子供がいて、学ばせたいと思う大人がいる、そんなことがすごくうれしく思える映画でした。

第7位「リミット」
棺おけに閉じ込められて土に埋められた男、その棺おけの中だけで展開するサバイバルサスペンス。設定だけの出オチ映画かと思いきや、展開の面白さで見せる映画になっていました。ラストの盛り上がりなんて「おおぅ」と思わせるものがありましたもの。見せ方のうまさの勝利でしょうね。

第8位「シルビアのいる街で」
街のスケッチをえんえんと見せる、その映像と音を楽しむ映画でして、そこにはまるとかなり面白く、はまらないと何じゃこりゃってことになっちゃいます。ああこういう映画もあるんだなあってのが、新鮮で楽しかったです。一度限りの手だとは思うのですが、やったもの勝ちってのはありますよね。

第9位「すべて彼女のために」
冤罪で刑務所に入れられちゃった奥さんのためにダンナが何をするのか。ええー、そっちかよーって突っ込みが入る展開なんですが、これが面白くて見応えのある映画に仕上がっていました。こういうドラマが珍しかったってこともあるんですが、これはもっと評価されていい映画だと思いましたです。

第10位「ローラー・ガールズ・ダイアリー」
ドリュー・バリモア監督第一作ということだったんですが、これが大変手堅く作られた青春映画だったのが意外でした。ヒロインの成長ぶりを素直に描写していること、脇役を丁寧に描いているところなど、ホントによくできてる映画でした。友人とケンカして和解したり、親との葛藤があったり、ライバルとのやりとりがあったりと定石をきっちり積み上げているのも点数高かったです。


後、ベストテンからはみ出てしまったのには、ジェットコースタームービーの作りだけどちゃんとキャラが立っていた「ソルト」、リアルにオヤジが壊れていく「ストーン」などがありました。


この他にも、毎度のピンポイントベスト5を挙げておきます。

第1位「超強台風」の特撮
中国製のディザスター映画なんですが、その災害シーンがCGじゃなくて、ミニチュア中心の特撮になっているのが楽しかったです。人命救助中心の展開で、人が一人も死なないドラマってのも印象的だったのですが、ミニチュア特撮にわくわくしちゃったのは、私がゴジラ世代だからでしょう。

第2位「ニューヨーク・アイ・ラブ・ユー」の岩井俊二編
オムニバス映画として、よくできてたとは思うのですが、やはり好き好きが出てしまいまして、その中でよかったのがこのエピソード。行き詰った作曲家が監督のアシスタントと電話で会話していくうちに恋が芽生えるという、とてつもなく素敵なお話でした。ここ数年のラブコメの中でもベストではないかしら。

第3位「パラノーマル・アクティビティ」のよく研究してる度
映画としては、反則なつくりではあるのですが、フェイクドキュメンタリーとして、よくできていました。「本当にあった呪いのビデオ」などの怪奇実録ビデオを研究した後がありまして、リアルな間のはずし方や、異常現象からのカメラワークなど、既視感ありありなんですが、それを隅々まで作りこんでいるのはお見事だと思いました。

第4位「川の底からこんにちは」の満島ひかり
2010年の映画のヒロインというと「(500)日のサマー」のズーイー・デシャネル、「バレンタインデー」のジェシカ・ビール、「恋愛遊戯」の深田恭子、「インセプション」のエレン・ペイジなどが印象的でしたが、そんな中でとにかくインパクトが強かったのは、「川の底からこんにちは」の満島ひかりでした。映画の出来栄えとは別格に、かわいいけどある意味不気味な存在感を示していて印象的でした。

第5位「NINE」の映像の圧倒的迫力
映画館で観るための絵を作っていたと思うのが、この「NINE」でした。シネスコの大画面をフルに活用したディオン・ビープの絵作りは、奥行きと迫力が見事でして、この映像はテレビじゃなくて映画館だよねという説得力がありました。

そんなわけで、2011年もよろしくお願いいたします。

「メッセージ そして、愛が残る」は主人公に共感できても、作り手に共感できない

今回は、東京での公開は終わっている「メッセージ そして、愛が残る」を横浜シネマベティで観てきました。この映画館では珍しいフィルムの上映でした。お客さんが私も含めて2人しかいなかったのがちょっと気の毒で。

幼い頃、交通事故に遭って臨死体験をしたネイサン(ロマン・デュリス)は、今や敏腕弁護士です。妻クレア(エヴァンジェリン・リリー)と娘とは別居状態。仕事に忙しいネイサンの前に、病院の医局長ケイ(ジョン・マルコビッチ)が現れて、わけのわからないことを言い出します。どうやら、ケイには、死が近い人がわかる能力があるようなのです。死の近い人は光に包まれて見えるんですって。で、ネイサンにも死が近いと、とんでもないことを言い出すのです。ケイの病院を訪れたネイサンは、そこに死を宣告された患者たちを見ます。病院で検査してみて、悪いところはないのを確認して一安心したネイサンですが、ケイの人の死を予知する能力はホントのようです。学生時代の友人だったアンナと再会するネイサンですが、彼女と父親は最近誰かによって引き合わされていたのです。そして、アンナに死が近いとケイはネイサンに言います。それは運命であり、回避することはできないのだとも言います。何とか迫り来る理不尽な死を回避させてあげたいと思うネイサンですが、結局、父親は電気の事故で死に、アンナ自身も銀行強盗の巻き添えになって命を落としてしまうのでした。こうなると、ネイサンも自分の死と向き合わざるを得なくなってきます。果たして、彼の死を回避することはできるのでしょうか。

ギョーム・ミュッソの原作小説を元に、ジル・ブルドスが監督と脚本を兼任した超自然もの一編です。誰かの死が見えてしまう能力をテーマにしているのですが、主人公がその能力を持っているのではなく、それによって死を予告されてしまうというのがなかなか面白い設定です。映画の前半は思わせぶりなイメージカットやおどろおどろしい音楽など、全体がホラータッチで展開するので、いったいどういう映画なのかわからないのですが、後半はストレートな展開となってラストはちょっとした感動もあるというお話に仕上がっています。
 
ネイサンの前に現れたケイは、わけのわかんないことを言いつつ、彼を地下鉄の駅へ連れていきます。そこに居合わせた若い男がケイの予言とおり、自殺するのを目撃し、何かとんでもないことに巻き込まれたらしいってことがわかってきます。ケイは本当に死ぬ人が見えるみたいなんです。それが見えるけど、実際にその死を回避することはできない、ただ、その人が死を安らかに迎え入れられるようにすることだけができることなのだそうです。実際、ケイは医師としてホスピスで働いていまして、死と向き合う人々を助ける仕事をしているのです。

でも、死ぬとわかってるのに何もできないってのはいらいらする話でして、ケイの言葉に従って再会したアンナももうすぐ死ぬと言われて、それでも何もできないってのは、ネイサンにしてみれば腹立たしい限り。結局、アンナの命を救えなかったことを自分のせいだと思ってしまうネイサンには同情できるものがあります。さらに、彼には死が迫っているというのですから、かなり大変な状況です。だんだん弱気になってくる彼は、妻子のもとに向かいます。

ネイサンは、自分の息子を原因不明の急性疾患で失っていました。彼が妻子と別れて暮らすようになったのもそのせいだったのです。息子の死の原因を自分のせいだと責め続けてきたのです。それは、一方で、息子や弟を失った妻や娘への思いやりを欠いた行動でした。全体にネイサンの行動は、共感はできないものの同情の余地があります。それに比べると、ケイの行動は、ネイサンをもてあそんでいるようにも見えます。

人間の死をドラマの中でどう扱うか、これはなかなか難しい課題だと思います。この映画の中では、死を運命づけられたものとして捉え、さらに、死を見通す人間を登場させています。死のメッセージを読み取るからメッセンジャーというのだそうですが、考えてみれば、大きなお世話のような気もします。人間、いつ死ぬかわからない中で日々生活しています。事故、病気、自殺など死に方は様々ですが、結局は死ぬのです。それを誰かが知ったとしても、それを知りたいとは思わないですし、誰かの死を知ったとしても、それが運命だとしたら、それ以上何もできないでしょう。ホスピスは、死を迎える人の残された人生をどう生きるかをヘルプする場所でして、死そのものをどうこうする場所ではありません。そう考えるとこのメッセンジャーという人は、神の領域に踏み込もうとしているようにも見えます。じゃあ、そのメッセンジャーってのは、いかほどのものなの?いうところにドラマは踏み込んでいくのですが、そこで作り手の神の視線が見えてきまして、「何かやだなあ」って方向へ話が行くのですよ。



この先は結末に触れますのでご注意下さい。



ネイサンは、自分の死が本当に近いことを悟って、妻と娘に会いに行きます。娘は父親に会えてうれしそう、でも妻は、息子が死んだとき、夫に見捨てられたと思っていますから、そうは簡単に彼を受け入れることはできません。それでも、家族が3人寄りそったとき、静かに和解の時が訪れます。ネイサンとクレアの心が一つになった時、ネイサンは、クレアの体が光に包まれているのを目撃します。ケイは、ネイサンが死ぬとは言ってなかったのです。ネイサンは死ぬ運命ではなく、メッセンジャーになる運命だったのでした。そして、メッセンジャーになるには、最愛の人間を失っている必要があるのだと、ケイは説明します。ケイも若い妻を失っていました。そういう心の痛みを理解できる人間こそがメッセンジャーになれるのだと。そして、家に帰ったネイサンはクレアを背後から抱きしめます。暗転、エンドクレジット。

ラストシーンは、妻の死を知って、自分の運命を受け入れるネイサンの姿にホロリとさせられる余韻がなかなかいい感じになります。でも、その一方で、「メッセンジャーになる人は最愛の人を若くして失う」というルールが妙に不愉快なのですよ。ここまで、人間の生と死をそれなりに真面目に描いてきたのに、ここにきてゲームのルールを持ち込むかあって突っ込み入ってしまいました。死ぬのは当人の運命だから避けられないって話をしてきたのに、それ以外の要因(メッセンジャーになる)で人の死が決まるってのはおかしいですもの。身内が死んだ人間がメッセンジャーになるという、因果関係が逆のルールだとしても、やっぱりどこか釈然としないのですよ。主人公には共感できるんですが、こういう設定を作った作り手に対して不快感を感じてしまいました。

人の死が見えるということを、ホスピスの医師を登場させることで、実際にあり得ることとして見せようとしているのはわかるのですが、死のメッセージでネイサンを振り回す展開は、どこか不遜なものを感じさせます。人の死に人間が何らかのちょっかいを出すってのは、やはりまずいよなあって思うのですよ。死が見えちゃうのは罰ゲームみたいなもので、それ見えても黙ってて何もしないでもらえません?ってのが正直なところです。こういう死を描くことによって、生の尊さを見せようというお話って、「バトルロワイヤル」みたいで、命を安く扱ってるその作り手の傲慢さみたいなのが気にいらないのです。

と、映画の根本のところは不満が残るのですが、役者の演技は上々ですし、リー・ビンビンのキャメラによるシネスコ画面が美しく、また、アレクサンドラ・デスプラの音楽も聴き応えがあり、テーマ曲は今年の一番の名曲でした。

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Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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