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「陰謀の代償」は豪華キャストなのに、今一つなのが、シネパトス級映画


今回は、「陰謀の代償」を銀座シネパトス3で観てきました。72席のこの劇場でロードショーという映画にしては、アル・パチーノ、ケイティ・ホームズ、レイ・リオッタに、ジュリエット・ビノシュとやけに豪華なキャストが気になったのですが、実際に観てみれば、やっぱり、シネパトスクオリティと納得しちゃう一編でした。

2002年のニューヨーク、ジョナサン(チャニング・テイタム)は、妻ケリー(ケイティ・ホームズ)と持病のある娘との3人暮らし。ニューヨーク118分署に勤めるおまわりさんです。9.11無差別テロの傷が癒えておらず、クイーンズ地区の治安の改善に、警察は躍起になっていました。そこへ、地元紙が16年前の2件の殺人が闇に葬られたことを取り上げてきました。何者かが新聞社に投書してきたというのです。そういう記事を載せないよう圧力をかけろとジョナサンの上司マサーズ警部(レイ・リオッタ)は彼に命令します。しかし、ジョナサンは16年前の事件の当事者だったのです。刑事だった父を失った彼は当時、公営住宅に祖母と一緒に住んでいました。そこは治安が悪く、ある日、乗り込んできた麻薬常用者を彼は持っていた銃で射殺してしまいます。親友の黒人少年ヴィニーとその妹ヴィッキーがその現場に居合わせましたが、口をつぐんでくれました。ヴィニーは何度も精神病院に送られている、心の病を抱えた少年でしたが、ジョナサンのことを慕っていました。しかし、その殺人現場を別の住人に目撃されたジョナサンはその男から脅迫され、たまたま突き飛ばした時、階段から落ちた男は死んでしまいます。彼の父の元同僚であったスタンフォード刑事(アル・パチーノ)は、その2件の殺人をジョナサンが犯人らしいと知っていながら、彼を見逃したのです。そして、新聞社への投書は、その時に事件を隠蔽した刑事の名前を告発すると予告してきます。一方、ジョナサンのロッカーの鍵が壊されたり、妻のケリーに脅迫電話がかかってくるなど、彼の身辺にも危険が迫ってきます。果たして、16年前の殺人の事実が白日の下にさらされてしまうのでしょうか。

パンクバンドのボーカルであり、小説も書く才人ディート・モンティエルが脚本と監督の両方を兼任したポリスサスペンスの一編です。16年前の殺人事件を巡るミステリーの形をとっていまして、その中で警察内部の不正が絡んでくるというお話です。プログラムによると、2002年という時代に意味があるのだそうで、警察と市民との関係が良くないころのお話だそうです。ジョナサンが、2つの殺人事件の犯人であることは映画の前半の回想シーンで明らかになります。殺した相手は、どっちもクズのような奴、死んでも誰も悲しまないし、気にも留めないような人間として描かれています。スタンフォードが、ジョナサン少年を殺人で告発しなかったことは、ある意味正しいことのように思えます。しかし、何者かの投書がきっかけで、ジョナサンは窮地に追い込まれてしまいます。ところが、今のジョナサンには同情する気になれないのですよ。ジョナサン少年は、演じたジェイク・チェリーの好演もあって、すごく気の毒に見えます。ところが、今のジョナサンはただのデクの棒にしか見えないのです。事実を追うわけでもなく、娘や奥さんを気遣うわけでもなく、何もしないで、成り行きに身を任せているだけにしか見えません。これは、演じるチャニング・テイタムの演技力の問題ではなく、モンティエルの演出がそういう風にドラマをわざと作っているようなのです。その結果、何とも、感情移入できないまま物語は展開し、釈然としない、中途半端なバッドエンドを迎えることになります。

モンティエルの演出は、時系列をずらした編集をしたり、ガード下の新聞社の絵など視覚的な面白さを見せようとしている点は認めますし、脇役にいたるまでキャラが立つようにしている点は評価できます。ジョナサンの相棒プルデンティとか、警察署で警官の銃を抜き取って撃たれかかるドミニカ人とか、ジョナサンに殺される二人のクズ野郎といった面々が印象に残るのは、演出力によるものでしょう。ジョナサン・エリアスとデビッド・ウィットマンの音楽もシリアスにドラマを支えています。ブノワ・デロームによるシネスコ画面の撮影も悪くありません。ケイティ・ホームズやジュリエット・ビノシュは勿体無い使われ方でしたけど、曲者役者としてのアル・パチーノとレイ・リオッタは期待通りのものを見せてくれます。警察ファミリーが不正隠しのために、さらに悪いことをしちゃうという設定も、マフィアものの警察版という感じで、面白いと思いました。でも、映画を見終わったときの満腹感がなかったです。これは私だけかもしれないのですが、主人公ジョナサンのデクの棒ぶりにイラっときてしまったのです。少なくとも、観客に、何を思っているのか、考えているのかが伝わってこないのは、ダメなのではないかと。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



新聞社のブリッジス記者(ジュリエット・ビノシュ)のもとに、スタンフォード刑事が殺人を揉み消したという投書が届き、ジョナサンもそれを見せられます。記事にするのを待ってくれと頼むジョナサンを振り切っていくブリッジスですが、その直後、彼女は殺されてしまいます。翌日、ジョナサンはマサーズ警部に呼び出されて、倉庫の事務室みたいなところに行きます。そこには、マサーズとスタンフォードの二人がいました。彼らは、通じ合っていて、16年前の事件の発覚を揉み消そうとしていたのです。118分署の多くの人間がこの一件に関わっていて、スキャンダルから警察を守ろうとしていたのです。そして、二人はジョナサンに、後はこっちで片付けるから全てを忘れて家に帰れと言います。そして、家に帰るべく車を走らせる途中、あることに気付いて、車をUターンさせるジョナサン。彼の向かった先は、かつていた公営住宅、そこには親友のヴィニーがまだ住んでいたのです。屋上に上がると、スタンフォードたちが、ヴィニーを殺そうとしていました。そこで銃撃戦となり、結局、マサーズ警部が撃たれて死に、ヴィニーも撃たれてしまいます。ジョナサンはヴィニーの死を見取って、その場を立ち去り、また日々の生活に戻っていくのでした。そして、投書をしていたのは、ヴィニーの妹ヴィッキーであることが示されて、おしまい。

と、まあ、結局、ジョナサンは何もしなかったのと同じなわけで、何の役にも立ってないのですよ。それは、何もしていないというだけではなく、ドラマの中で何も機能していないのです。ジョナサン少年だけいれば、今のジョナサンがドラマに登場しなくてもお話が成り立ってしまうのです。せめて、過去の事件やヴィニーに対する想いが表現できていれば、それなりに存在価値が出たのでしょうが、周囲に流されるだけでは、ドラマのパーツとしては不十分で、それが主人公であることで、ドラマの座りが悪くなってしまったように思います。確かにリアリティということで考えれば、ジョナサンの行動もわからなくもないのですが、それなら、主人公に据えることはないよなあ。ドラマとしては悪くないのに、主役の立ち位置がおかしくて、見終わって、お話の結末のカタルシスも、ドラマを見終えたカタルシスも感じられないのは残念でした。このあたりが、シネパトスクオリティなんだなあと納得しちゃいました。

ちなみにこの映画、B級映画で有名なヌー・イメージが製作に絡んでまして、プロデューサーの中に、ボアズ・デビッドソンとかアヴィ・ラーナーといったB級アクションでおなじみの名前がありました。やはり、そのランクの映画なのかな。

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「ジェリー・ゴールドスミス 生誕80周年記念コンサートライブ」はCDとDVDで大盛り上がり


私が映画のサントラファンになったきっかけになった作曲家、ジェリー・ゴールドスミスの生誕80周年記念コンサートのライブ盤です。2004年に亡くなる前に、日本でも2回コンサートで神奈川フィルを指揮していたことを思い出します。今回はTENERIFE FILM ORCHESTRA AND CHOIR(発音がわからないので、そのまま書いちゃいました) による演奏で、マーク・スノウとディエゴ・ナヴァロが指揮しています。このアルバムのうれしいのは、CDと同じ曲目のDVDがついていること。曲だけでもテンション上がるのに、演奏画面付だと、もう盛り上がること。好きな人にはたまらない、興味ない人にはたぶん二束三文のアルバムと言えましょう。

1、「スタートレック:ファースト・コンタクト」 エンドタイトル
スタートレックの映画シリーズの新シリーズの映画版。有名な第一作めのテーマ曲が流れた後に、この映画のための厳かなテーマに変わり、さらに再度メインテーマに戻って終わります。こういう音楽が映画についた時代を知らない若い人がかわいそうと思える名曲。

2、「カプリコン1」 メインタイトル
映画はポリティカルサスペンスアクションの傑作でしたが、それについた音楽もまた傑作。ダンダンダンとはったりだけで鳴らすのかと思ったら、美しいテーマ曲に変わる、パワフルで繊細、メリハリのある音作りは見事。

3、「いれずみの男」 メインタイトル
映画は未見ですが、日本でのコンサートでも演奏されたSF映画の曲のようですが、女性ボーカルが入り、小編成による幻想的な現代音楽という感じでしょうか。

4、「猿の惑星」 クローズ・スナッチャーズ
「猿の惑星」は原始的な現代音楽ともいえる曲の宝庫なのですが、この曲は、服を盗んだ何者かを追跡するシーンの曲で、映画の前半で流れます。メロディラインはほとんどないに等しいのですが、そこに緊張感をみなぎらせるあたりが絶品です。

5、「猿の惑星」 ハント(狩り)
「猿の惑星」の中でも前半のクライマックスの人間狩りのシーンに流れる曲で、ピアノの連弾をバックにトランペットやパーカッションが絡みあい、そこへストリングスが入ってくる複雑な音つくりになっています。メロディアスじゃないけど、テンションが上がって盛り上がる音楽の典型。打ち込みのシンセでやったらこういうテンションは出ません。

6、「トータル・フィアーズ」 ミッション
女性ソロボーカルによる美しいメロディラインから、オーケストラがテーマを奏でて、さらにフルコーラスへつなぐ盛り上げが見事。日本でのコンサートでもこの曲を聴いたときは鳥肌立つような興奮がありました。政治サスペンス映画にこんな美しい曲を入れちゃうのもすごい。


7、「スウォーム」 エンドタイトル
蜂の大群がアメリカを襲うパニック映画「スウォーム」自体の出来は、それほどのものではなかったのですが、ゴールドスミスの音楽だけは、オーケストラで蜂の大群を描写して見事な音をつけていました。でも、このコンサートでは蜂を描写した曲ではなく、エンドタイトルの曲を演奏しています。これが、テンション高いフィナーレにふさわしい曲になっていまして、演奏的にもかなりの盛り上がりになっています。

8、「ポルターガイスト」 キャロル・アンのテーマ
ホラースペクタクル大作のテーマ曲にゴールドスミスは大変やさしいメロディをつけました。サントラは子供のコーラスがメロディを奏でていて、美しくてちょっと怖い音になっていたのですが、ここでは木管がメロディを担当し、ホーンセクションがテーマを盛り上げる編曲になっていまして、オリジナルとは印象が変わってしまったのがちょっと残念。

9、「グレムリン」 組曲
かわいいギズモから、おっかないグレムリンがどんどん増えて行くというホラーコメディ。ギズモを描写する愛らしいテーマと大暴れするグレムリンのラグが楽しい曲です。グレムリンのラグをもっとたっぷり聴かせて欲しかったなって思う編曲でした。

10、「オーメン」 組曲
ゴールドスミスがアカデミー作曲賞を受賞した作品。悪魔の聖歌隊がおどろおどろに歌い上げる「アベ・サタニ」は、主題歌の部門でもノミネートされました。このテーマ曲も素晴らしいのですが、嵐の中で神父が殺されるシーンの曲も入ってまして、これがまた盛り上がるのですよ。そして、中盤には、愛のテーマ「パイパー・ドリームズ」も流れて、最後はまた悪魔のテーマで大盛り上がり。


11、「トータル・リコール」 メインタイトル
シュワちゃん主演の悪趣味系、でも知的なSFアクションのテーマ曲は、よくドキュメンタリーでも使われる勇ましい曲です。サントラでは、シンセをオーケストラのパートとして音に厚みを出していたのですが、生オケだけだとちょっと印象が変わっちゃうのは残念だったかな。

12、「オーメン 最後の闘争」 エンドタイトル
ゴールドスミスの作品の中で、私が一番好きなのがこれ。オーケストラとコーラスをフルに鳴らして、悪魔のテーマを高らかに歌い上げるのが圧巻。このコンサートでは、エンディングの神の勝利を歌い上げる曲から、テーマ曲へと移っていきます。映画としての評判は今一つなんですが、音楽の評価は大変高い、コンサートの最後を飾るにふさわしい名曲です。でも、できれば、テーマ曲がもっと長く聴けるメインタイトルをやって欲しかったというのは贅沢な注文かしら。


彼の作品には、他にも名曲、それもコンサートで演奏するに足るだけの力を持ったものがいっぱいあります。このコンサートはオケをたっぷり鳴らす曲でまとめた感じですが、こういう企画はもっとやって欲しいと思います。最近の映画音楽に物足りないと思うものが全部入ってるって感じなんですよ。輸入盤でしか入手できないのが残念なんですが、映画音楽って、すごいんだぜえってのが、再確認できるアルバムでした。

「サンザシの樹の下で」は、絵ではかない想いを表現してます


今回は、新作の「サンザシの樹の下で」を横浜ブルグ9で観て来ました。いかにもシネコンの小さい方のスクリーンというつくりでしたけど、観心地はなかなかよかったです。ただ、音がでかいのがうるさかったな。これは、あきらかにシネコン側の設定が高いんですが、オヤジにはもっとおとなしいのがいいです。
 
時は1970年代、文化大革命の真っ最中の中国です。町の高校生ジンチュウ(チョウ・ドンユイ)は地方の農村実習でやってきた村で、地質学研究所のスン(ショーン・ドウ)と知り合い、お互い好意を抱くようになります。実習が終わっても、スンは休みをつくっては、ジンチュウに会いにくるようになります。スンは党の幹部の息子という恵まれた環境の生まれでしたが、母親が有産階級の反革命分子として糾弾され、最終的には自殺していました。一方のジンチュウは、父母とも反革命分子とみなされて、父親は投獄され、母親は党による再教育という名のもとに迫害されていました。家は貧乏で、内職の封筒が山と積まれていて、ジンチュウと弟と妹は時間があると封筒貼りをするという生活でした。二人の人目を忍ぶ逢引の至福の時間は、母親に発見されることで終わりを告げます。今、ジンチュウは学校の教職に残れるかどうかという大事なところにいたこともあって、二人はそれまで会わない約束をします。しかし、スンが入院したと聞いたジンチュウは矢も盾もたまらず、病院に出かけていきます。意外や元気そうに見えるスンにジンチュウは一安心します。そして、初めて二人は床を共にするのですが、何事もないまま想いが高まっただけでした。再び、病院へ行ってみると、もう彼の姿はありませんでした。実習先の村まで出かけて捜しても見つからず、教壇に立つジンチュウのもとに急な使いがやってくるのでした。

「HERO」や「王妃の紋章」などで、すっかり歴史大作監督というイメージがついてしまったチャン・イーモウが、「あの子をさがして」「初恋のきた道」のラインの映画を監督しました。アメリカ人エイミーの書いた大ヒット恋愛小説の映画化です。今回のヒロインは高校生で、時代は文化大革命でいわゆるインテリ系の人が差別されていた時代でして、ヒロインのお母さんも教員らしいのですが、党員にいじめられたりしています。暮らしも貧乏で体操服も一人だけ買えないという境遇です。それでも、弟妹らと一緒に元気に暮らしているという感じのヒロインをチョウ・ドンユイがリアルなかわいさで好演しています。「初恋のきた道」のチャン・ツィイーや「至福のとき」のドン・ジエのようなカリスマチックなパワーを持った女優さんではありませんけど、そんじょそこらにいそうな女の子のかわいさを華奢な体全体で表現しています。笑うと目が垂れるのがチャーム・ポイントかしら。

そんな彼女の純愛物語が静かなタッチで展開していきます。いつから、彼のことを好きになり、いつから、彼がかけがえのない存在になったのか、そういうドラマチックなイベントは一切排して、ひたすらお互いが好きな二人を映画はストレートに描きます。手を握るまでのもどかしさ、一緒の床に入ってもまともにキスすらもできない、そんな不器用な恋をイーモウの演出は丁寧に描いていきます。彼女にとって、文化大革命も恋愛もよく理解できていない周囲の出来事でしかないというあたりに、監督の見識を感じました。いろいろと大変なご政道だけど、もうすぐよくなるというスンの言葉をそのまま受け売りしてしまうジンチュウのかわいさを見ていると、こういうタイプが政治教育に染まりやすいんだろうなあってのがよく見えてきます。友人が実習先の若者の子供を妊娠して堕胎するというエピソードもその意味を半分くらいしか理解できてないように見えます。その若さというにはある種の幼さは、時には美しく、また時には切なく、そして痛々しく見えるときがあります。そんな彼女の純愛だからこそ、輝く、いや輝かせてあげたいと観客を思わせておいて、映画はハッピーエンドに背を向けるのでした。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



授業中に呼び出されて、ジンチュウが向かった先は病院でした。そこには、もう息を引き取る寸前のスンが別人のような姿で横たわっていました。ジンチュウが泣きながら声をかけても、もう彼には聞こえていないようです。でも、少しだけ目が動き、彼の目から一筋の涙が流れます。虚ろな彼の視線の先、病院の天井には、スンとジンチュウが二人で撮った写真が貼ってありました。画面は二人の思い出の木であるサンザシとなり、ジンチュウの後日談が字幕で流れてエンドクレジット。

最初に病院で会ったときスンはかなり元気だったのですが、その次は死の床であったという急な展開なのですが、ドラマはストレートにジンチュウの悲恋で物語を締めくくります。その割には湿っぽい後味にならなかったのは、チャン・イーモウの演出によるものでしょう。文化大革命というのは、現代の中国においては黒歴史になっているのかどうか、よく知らないのですが、日本映画の戦時中みたいに、自由が束縛されて、お上のご機嫌を伺う日々という描き方をされています。だからと言って、時代や政治への恨みつらみを描いたお話ではなく、そんな環境での素朴な恋愛ストーリーになっています。お互い好きなんだけど、おおっぴらな恋愛は許されない。普通の恋愛ドラマですと、当事者にとって恋愛が最優先な状況でお話が展開するのですが、ここはそこに職業、社会(正確には党)との折り合いが壁となって、恋愛に走ることへの背徳感があるみたいに見えます。さんざしの木が象徴的に登場するのですが、地味な木が燃えるような赤い実をつける、そんな秘めたる情熱を控えめに描いています。そのつつましさがこの映画を佳品と言えるものにしていると思いました。

ただ、ちょっと不満を言わせて頂くと、「あの子をさがして」「初恋のきた道」「至福のとき」にあった、未来への希望が感じられなかったこと。「あの子をさがして」「初恋のきた道」での教育へ託す想い、「至福のとき」の人間の強靭さへの希望、そういったものがなかったのは、残念でした。文化大革命のような時代はもうごめんだという想いは前面に出てきませんし、二人の愛情の素朴さは描いていても、その運命をも乗り越える強さも出てきません。そういう意味では、これまでの彼の映画とはタッチが変わっているのかもしれません。あるいは、観る私が映画を読みそこなったのかも。

そういうテーマ性よりも、募る想いを細やかに描くところに重点を置いた映画かもしれません。スンがジンチュウに万年筆をプレゼントするシーン、スンがジンチュウの足を洗うシーン、同じ床に入ったスンの手をジンチュウが止めるシーン、川を挟んで抱き合う二人など、印象に残るシーンがたくさんありました。シネスコの横長の画面が観ていて気持ちのいい絵を作っていますし、ドラマというより、絵を見せたい映画なのかも。

「マイティ・ソー」はキティちゃんのお弁当箱に会席料理を詰めちゃったような、妙な違和感が。


今回は新作の「マイティ・ソー」を静岡ミラノ1で観てきました。もうあと少しでなくなっちゃう映画館ですが、その古い佇まいが色々な事を思い出させてくれます。ちなみに、観たのは、2D版。3D版も別の上映してたのですが、全然興味湧かず。

天文物理学者のジェーン(ナタリー・ポートマン)は、恩師のセルヴィグ教授(ステラン・スカルスゲールド)とともにニューメキシコの砂漠地帯に発生するオーロラのような現象を調査しに来ていました。すると本当に空が渦を巻いて光りだしたではありませんか。車を走らせるジェーンは渦の中で人をひいてしまいます。それは、異次元の王国アスガルドの王オーディン(アンソニー・ホプキンス)の二人の息子のうちの一人次期王とされていたソー(クリス・ヘムズワース)だったのです。彼は、長年対立してきた氷の巨人の国ヨトゥンヘイムが、アスガルドに潜入してきたのに腹を立て、仲間たちと一緒に巨人の国で暴れまわった結果、王の継承権も特殊能力も剥奪されて、地球に追放されてきたのです。オーディンのもう一人の息子ロキ(トム・ヒデルストン)は、兄のためと言いながら、実は巨人国との間で裏工作をしていました。一方、ソーの武器、ムジョルニアも一緒に地球に送り込まれていたのですが、岩の埋まってしまっていて、ソーの力でも動かすことができません。ジェーンは、自分の研究対象として彼に興味を持つのですが、だんだんと彼に魅かれていくのでした。ソーの仲間たちは、オーディンにソーの追放解除を請いに行くのですが、王座にはロキが座っていました。オーディンは長い眠りの状態に入り、実権はロキが握ってしまったのです。ソーの仲間たちは、ソーを助けるために地球へとやってきます。しかし、そこへロキは刺客としてデストロイヤーというロボットを送り込むのでした。果たして、生身の人間になってしまったソーは、元の姿に戻ることができるのでしょうか。

マーベル・コミックの映画化でして、異次元の国のゴタゴタで、地球の皆さんもとばっちりを食ってしまうというお話です。監督がケネス・ブラナーというのがびっくり。バクチの借金とかお金に困る事情でもあったのかしらと勘ぐってしまうのですが、今回は俳優としては登場せず、演出に徹しています。地球人のジェーンからすると、空からマッチョ野郎が降ってきて、よく見ればいい男だったのが、さらに変な仮装のお仲間まで降ってきて、さらに破壊ロボットも降って来て、戦った結果、みんなまた空へと帰っていったということになります。地球サイドからするとそれくらいシンプルなお話なんですが、これが異次元の国のお家騒動は非常に複雑で、正直言って面倒くさい。この両者のお話が並行して描かれるのですが、正直、お話としてはそれほど面白いとは思いませんでした。それでも、ブラナーの演出が手堅く、間延びしないで、最後まで退屈しないで観ることはできました。

老王オーディンには二人に息子がいまして勇猛果敢なソーは血の気が多すぎて後継者には不向き、一方のロキは力はないけど魔術を使い、性格も冷静沈着でした。ところが、ロキはオーディンの実子ではなく、敵対する巨人国の捨て子だったのです。今は、巨人国のパワーの源である箱を、アスガルド側で押さえていたことから、均衡が保たれていたのですが、箱が巨人国の人間に狙われ、それに怒ったソーが巨人国に乗り込んで大暴れしたことから、両国の間は一触即発の危機的状態。さらに厄介なことに、王の座がソーに行く事になったことを知ったロキが嫉妬やら自分の出生やら諸々の理由で陰謀をめぐらし、ソーを亡き者にし、巨人国のリーダーを王の眠る間まで案内しようとするのです。

結構、波乱万丈なお話なのですが、ソーを演じるクリス・ヘムズワースにそれを支える魅力に欠けるというのは痛いところです。一見、WWEのプロレスラーが余技で映画にも出ましたという風貌と演技なのですよ。前半でヤンチャやらかしておいて、後半では反省して、王になる力を取り戻すという役どころは、もっと見た目にも奥行きのある演技派と呼ばれる役者か、うーんと華と気品のあるスターをキャスティングすべきでしょう。ナタリー・ポートマンと仲良くなるあたりはいい雰囲気なんですが、それは普通のマッチョなアンちゃんが田舎娘と恋に落ちるレベルというもので、宇宙を司る国の王様の後継者とはとても見えないのです。そういうキャラが脇役にいるならともかく、物語の主役というのには無理があるよなあって感じなんです。前半のヤンチャぶりは、正直見ていてイライラさせられたのですが、それが後半で、大きく「納得のキャラ」まで成長したのかというとそうは見えないのです。主人公以外は、豪華キャストがうまく機能していただけに残念でした。

ロキの方は屈折したキャラクターをそれなりに演じていていたのですが、ソーの能天気キャラと対立するにはバランスが悪いという印象でした。また、地球側のドラマ展開がコミカルなのに、異次元の国の方は大変シリアスで歴史劇のような感じです。映画の比重を異次元国の方に置けば、RPGみたいな味わいも出て、それなりの面白さを貫けたのかもしれませんが、地球と異次元世界をバランスよくさばいた演出の結果、異次元国のお家騒動のシリアスドラマが中途半端になってしまいました。ブラナーの演出が異次元国の部分でマジメ過ぎたのかなという気もしたのですが、地球と異次元のドラマを並行させて描いてドラマ部分をシリアスにしようというのに無理があったのかもしれません。「魔法にかけられて」みたいなノリの方がこういう設定を生かせているように思いました。地球側の展開のコミカルさは登場人物のキャラにもあって楽しめたので、こっちに全体のトーンを揃えちゃえばいいのにって思えてしまったのです。



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ロキは、破壊ロボットを地球に送り込んで、ソーとその仲間たちを殺そうとします。そのロボットはものすごく強くて、生身の人間のソーはもちろん、特殊能力を持つ仲間たちも歯が立ちません。そこで、ソーは、ロボットの前に立ちはだかり、ロキに向かって「俺を殺して、他の連中を助けろ」と宣言します。ソーはロボットの一撃を食らって息を引き取ってしまうのですが、その瞬間、岩に埋まっていたハンマーが光って、空に飛び上がり、ソーと合体すると、彼は勇者の姿で復活し、ロボットをやっつけて、自分の国へと急いで戻ります。一方、ロキは、巨人国のリーダーをオーディンの眠る間へ招くのですが、今度は巨人国を裏切って、リーダーを殺してしまいます。そこへ現れたロキとソーは、他の世界へつながる虹の橋の上で闘いとなります。ロキは、オーディンに認められ、ソーと同等に扱って欲しかったと言います。両者の戦いは魔術を使うロキが有利になるのですが、ソーが虹の橋を壊してしまうことで勝利し、ロキーは宇宙空間の向こうへと投げ出されてしまうのでした。目を覚ましたオーディンはソーを次の王と認めるのでした。虹の橋がなくなって、地球へ行く事ができなくなったソーですが、彼はジェーンのことが忘れられず、ジェーンもまた地球で彼のことを想い続けているのでした。おしまい。

と、エンドクレジットがでて、さらにおまけがついてまして、サミュエル・L・ジャクソンが意味深なことを言い、その影でロキがほくそ笑むというもの。あきらかに続きがありますよという宣言なんですが、まあどうでもいいって感じ。主人公に魅力がないのと、地球で事件が起こる必然性がない物語なので、興味がわかないのです。まあ、続編は、ちっとは地球側にも切羽詰った事態が起こるのかもしれませんが、期待度は、この最初のエピソードを観て、推して知るべしと言ったところでしょう。

パトリック・ドイルの音楽が、ロンドン交響楽団を使ってダイナミックな音を聞かせてくれるのですが、これも劇画調というか、ハンズ・ツィマー一派(RC)の音のように聞こえたのは残念でした。シリアスな歴史コスチュームプレイと現代風アクションの融合と言えばかっこいいのですが、結局、最近の映画にありがちなパターンになってしまっていたように思います。

ところで、この映画、2D版で観たのですが、3Dになって迫力が出そうなカットがまるでありませんでした。3D版ならではのサービスショットが入っているのかもしれませんが、この絵なら、3Dで観る必然性はまるでないと言っていいでしょう。いい加減、3Dで追加料金を取る商売はやめてもらいたいものです

「沈黙の宿命」はテレビシリーズものだからこその旨味が出た沈黙の佳品(あくまで「沈黙の」)


今回は新作の「沈黙の宿命」を銀座シネパトス3で観てきました。地下鉄の音が聞こえるシネパトス3館の中で一番小さな映画館。フラットな場内に小さなスクリーン。こういう映画館も少なくなりました。昔は新宿ピカデリー4とか新宿東映パラス3とか新宿トーアとか色々あったんですけどね。ミニシアターと呼ぶにはおしゃれ度ゼロの映画館。

シアトル郊外の中国人が経営する店の店主夫婦が惨殺されます。その捜査にあたることになったのが、麻薬組織を追っていた特別捜査隊SIU。ボスのイライジャ(スティーブン・セガール)の下に、冷静な黒人刑事メイソン(ウィリアム・ビッグスリープ・スチュアート)、血の気の多いブレット(ウォーレン・クリスティ)、タフな美女ジュリエット(ミーガン・オリー)、新人のサラ(サラ・リンド)の5人は、惨殺事件と麻薬事件に関係があることを突き止めます。麻薬の売人をつかまえて、そこから卸をするストリッパー、さらに元締めのドミオンという男が浮かび上がってきます。麻薬の取引現場を押さえようとして銃撃戦になりますが、ドミオンの部下を仕留めることに成功。一方、中国人殺しは娘の証言から、婦人警官ヤンコが犯人とわかりますが、彼女は何者かに狙撃されて死亡。その後、ドミオンとその手下たちが皆殺しにされているのが発見されます。犯人はロシアマフィアのニコライ(ギル・ベローズ)という男らしいことがわかってきます。中国人夫婦はニコライを目撃したために口封じに殺されたようなのです。そして、ニコライは大量の麻薬をアメリカ国内にさばこうとしていました。それを横取りしようとしたドミオンは報復に殺されたのでした。盗難車を使って、各地に麻薬を運ぼうとするニコライに対し、イライジャたちは、アジトの倉庫に乗り込んでいくのでした。

スティーブン・セガールの映画をシネパトスで観るのも何本目になるのかしらん。ジャン・クロード・バン・ダムの映画が公開されなくなったころから、コンスタントに公開され続けている「沈黙」シリーズですが、ビッグバジェットだったのは、第一作の「沈黙の戦艦」に「沈黙の要塞」くらいでしょうか。その後は、低予算アクションの典型として、銀座シネパトスの名物シリーズとなっています。このところ、ヨーロッパを舞台にしたバイオレンスアクションが多かったのですが、今回は、久々にアメリカが舞台です。そして、これ、実はテレビシリーズの1本目と2本目をつないだテレビムービーでした。脚本と製作総指揮にスティーブン・セガールが名を連ねていて、沈黙シリーズを手がけたこともあるキオニ・ワックスマンがメガホンを取っています。

テレビシリーズですが、派手な銃撃戦あり、アクションあり(と言っても、セガールの一方的タコ殴り)、いわゆるB級アクションのネタはそろえてあります。ただ、全体的にテレビ的にライトな味わいで、お話の展開もやたら早い。街の全景の駒落としショットの挿入など、いかにも刑事ドラマって感じで、悪役も残忍さは控えめなのは、これまでの沈黙シリーズとは一味違います。さらに、大きな違いは、セガール一人だけヒーローではなくて、特別捜査隊のチームが主人公だということ。セガールの部下の男2人、オネエちゃん2人がなかなか頑張っているのですよ。特に、女子2人が各々明確にキャラが分けられていて、どちらもチャーミングで、でもそれなりに強そうに見えるあたりのがよかったです。また一回り太ってしまったセガールもチームのボスという役どころが意外やうまくはまりまして、ぼーっと観るB級アクションとしては、悪くない仕上がりになっています。特に出てくる脇役陣にそれなりのキャラが与えられているのは、セガールの映画にしては珍しく、セガール以外の皆さんがちゃんと印象に残るようなつくりになっています。新人のサラの成長物語というサブエピソードもきちんと描かれていますし、ただ凶暴なだけではないブレッドのキャラつくり、際立ってかっこいいジュリエット、情報屋のヒロという東洋人の描き方など、テレビシリーズを意識しているからこそ、作り捨てでない丁寧な脇役の扱いになったのでしょう。

また、刑事ドラマの部分も、今時珍しい暴力刑事のドラマでして、日本で言うなら、「あぶない刑事」「大都会」のタッチでして、逆に新鮮に感じられます。70年代から80年代にこういう派手な刑事アクションは量産されたのですが、最近はシリアスタッチが中心でして、こういうお気楽ドンパチものはあちらでも日本でも少なくなっちゃいましたから、そういう意味でも、21世紀版ドンパチ刑事ドラマとして楽しめるのではないかしら。刑事がムダに容疑者をボコボコにしちゃうってのは、昔はよくあったのですが、最近はあまり見なくなりました。オヤジには懐かしさを感じさせる趣向なんですが、若い人には、目新しく映るかもしれません。

1時間ものドラマ2本をつないであり、かつ第1話と第2話ということもあって、主要キャラの紹介から、事件の発端、経過がテキパキと描かれているのはマルです。派手な銃撃戦も2エピソード分、2回ちゃんと入ってまして、それなりの見せ場になっています。異常に細かくカットを割ったりするのは、最近のテレビの定番で、劇場のスクリーンでこれをやられるのはうっとうしいところもあるんですが、それを除けば、ネイサン・ウィルソンのキャメラも及第点と言えるでしょう。

「BIUTIFUL」は心揺さぶる映画だけど揺さぶられただけみたいな後味が...


今回は、新作の「BIUTIFUL」をTOHOシネマズシャンテシネ2で観てきました。上映前にドルビーデジタルのロゴが出まして、フィルム上映でした。この映画、他のシネコンではデジタル上映なんですが、メイン館はフィルムなんですね。

スペインのバルセロナ、ウスバル(ハピエル・バルデム)は、不法入国者に仕事を紹介することで生計をたてていました。彼には別れた妻マランブラ(マリセル・アルバレス)がいて、二人の子供アナとマテオとの三人暮らし。また、彼には特殊な霊能力があり、死者の声を聞くことができました。それによっても収入を得てはいたものの、暮らしむきはよくありません。体調の不良から、病院へ行ったところ、癌で余命2ヶ月を宣告されてしまいます。一方、路上販売のアフリカからの入国者は、ウスバルからの警察への賄賂があったにもかかわらず、一斉摘発されてしまい、知り合いも強制送還の目に遭います。中国からの密入国者たちは、不法コピーや偽ブランド品でしのいできましたが、それも思うようにいかず、建設現場への仕事をウスバルが紹介し、そちらで働くようになります。ウスバルは、アフリカ人の一斉摘発の巻き添えで警察の厄介になってしまい、子供を躁うつ病持ちのマランブラに預けざるを得なくなります。でも、マランブラはうまく子供を扱えません。そんな中で、ウスバルの命は刻一刻と死に向かっているのでした。

「21グラム」「バベル」などで知られるアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥが、監督、原案、共同脚本、製作を担当した作品です。今や名優の域に入りつつあるハピエル・バルデム主演で、生と死のありようについて描いています。「21グラム」は物語はシンプルでしたが、時制をごちゃごちゃにしてとっつき辛い作りの映画でしたし、「バベル」では複数のドラマを並行して描いて、やはりドラマの核がわかりにくい映画でした。正直言って、芸術志向というのか、ハードルの高い映画を作る人です。今回も、核となる部分がよくわからない映画でして、上澄みだけをすくいとると、不法入国者の悲惨な状況が見えてくるのですが、それならケン・ローチ監督の「この自由な世界で」の切り口にはかなわないと思います。それでも、ドラマとしての見応えは感じますし、演技陣の熱演も光る、不思議な味わいの映画になっています。

この映画で描かれるのは、生と死の対比です。主人公ウスバルは、死に直面している人間ですが、一方で、死後の人間の声を聞き、姿を見ることができます。この映画の中で、死は必ずしも全てが終わるのではなく、別の世界への旅立ちのようなイメージで描かれています。ただし、死後の世界がどんなものかまでには、言及してはいません。一方の現世は、あまりにも悲惨です。生きていくことが一杯一杯な状況な人たち、彼らの問題はお金、言い換えると貧困ということになります。死んでゆくウスバルにとっての心残りはやはり子供二人のこと、でも最終的には元妻マランブラを頼らざるを得ない、でも、頼ってみれば姉弟の弟を虐待されちゃう。生きてゆくために貯めたお金を誰に託してよいやらもわからないし、それでは子供二人を養いきれない。そんなどんづまりにいる主人公なんですが、意外やこれが冷静というか、死とその先にある未来に、淡々と対峙しているのです。どう転んでも、最後には死ぬのは、誰にとっても同じことだと思っているのでしょうか。それとも、一寸先は闇にも何か希望を持っているかしら。そのあたりをこの映画は明快には語りません。ただ、死後の人間を描くことで、死は大きな流れの通過点であることを示すのみです。

この映画は、冒頭は、シネスコサイズで始まります。薄暗い部屋での父と娘の会話、そして雪の積もった森で、主人公と若い男の会話、正直なところ意味不明なんですが、その後は、画面がビスタサイズになって、ウスバルの日常が始まるのです。そして、後半、ある事件が露見するところを境目にまたシネスコサイズとなり、ラストまでそのサイズで展開します。そして、冒頭のシーンは実は物語のラストだったとわかるのですが、このあたりは、正直、意図が読みきれませんでした。特にビスタサイズの画面がシネスコサイズに変わるタイミングは何だったんだろうなあ。突然、シネスコサイズの画面で海の夜明けの美しい絵が現れるのですが、その前後で物語は大きな転換を見せるわけではないので、妙なひっかかりが残りました。



この先は映画の結末に触れますのでご注意ください。



ウスバルが仕事を紹介し、暖房機まで買ってあげた中国人労働者たちが、その暖房機のガス漏れでみんな死んでしまいます。中国人の元締めは、何とか事を隠そうと死体を運び出します。死体を海に捨てたのですが、それが岸へと流れ着いて、元締めの一家は警察によって逮捕されてしまいます。一方、マランブラに預けていた子供の弟の方が、彼女に虐待されているのを知ったウスバルは、子供を自分の家に引き取ります。そこには、強制送還されたアフリカ人の奥さんイヘと赤ん坊も一緒に住むことになります。ウスバルと子供たち、イヘ、赤ん坊の5人は仲良く束の間の平穏な日々を過ごします。子供たちがイヘになついているのを見たウスバルは彼女に金を預けます。でも、彼女はそれを持って、荷物をまとめて駅へ向かいます。ウスバルの命の灯が消えようとしているとき、娘のアナのベッドに横たわり、彼は自分のはめていた指輪を娘に渡します。そして、ベッドに横たわるウスバルを見つめるもう一人のウスバル。彼は、雪の積もった森の中にいました。そこには、若くして亡くなった彼の父親がいました。楽しげに語り合い、たばこの火を交換する父と子。そして、エンドクレジット。

と、書いてみたものの、正直なところ、ラストはよくわからないところがありました。本当にイヘはウスバルの金を持ち逃げしたのかどうか。なぜ、死を看取ったのが、娘のアナだけだったのか。私が見逃したのかもしれません。画面の背後に、死んだ人間と思われる人影が天井に張り付いているシーンもそれが誰なのかよくわかりませんでしたし、この映画を隅々まで読んだとは、とても言えない鑑賞になっちゃってますが、もう一度観るのは、結構根性の要る仕事です。とにかく、全編救いがないですもの。死んで救われるのかというと、天井に張り付いてウスバルを睨んでる死人も登場するので、死んだらみんな成仏するわけでもないみたいです。でも、ラストの雪の中のシーンは妙に救われた感がありましたから、そういう意味では、どうにでもとれるように描いているようです。観る人の死生観、或いはその日の気分、体調によって、救いが見えたり、地獄が見えたりする映画なのかもしれません。ある意味、人の心を映す鏡のような映画と言えるかも。そして、その鏡は、映像や演技によって、よく磨かれているのです。

私には、この映画から、救いや希望を汲み取ることはできませんでした。正直、救いはウスバルではなく、二人の子供たちに見せて欲しかったと思うからです。二人の子供の未来に何らかの希望を残してくれたら、映画の印象もだいぶ変わったでしょうが、そこを突き放したように見えるのがつらいところです。「ビューティフル」の綴りの間違ってるのがタイトルなんですが、そこに「形は違えども美しいものはどこかにある」と思うか、「本当に美しいものなんて現実にはない」と思うか、人それぞれの感じ方があるんだろうなあって思う反面、こういう悲惨なお話にこのタイトルをこの綴りをつけるのはあざといんじゃない?って気がしてしまいました。ただ、登場人物のリアルな演技は見事でした。特に、元妻マランブラを演じたマリセル・アルバレスのダメ母ぶりは、「プレシャス」のおっかさんに匹敵する名演でした。(あんなに凶暴じゃなくて、もっと繊細なダメ母なんですが)

「ラスト・ターゲット」は作り手のああこういうのをやりたいんだなってのが伝わってくる映画


今回は、新作の「ラスト・ターゲット」を角川シネマ有楽町で観てきました。初めての映画館ですが、やや縦長で、237席の割にはややスクリーン小さめかなという感じで、シネスコサイズの時は幅はそのまま上下が縮みます。有楽町駅前、ビックカメラの8階にあるミニシアター。

スウェーデンの雪原、恋人らしき女性と歩くジャック(ジョージ・クルーニー)を何者が狙撃してきます。彼は狙撃者二人を射殺し、女性も一緒に殺してしまいます。どうやら、彼は組織の殺し屋らしいのです。ローマにやってきたジャックは、仕事の連絡屋パヴェルと接触します。パヴェルはジャックに田舎町に身を隠すように指示をします。指定の町とは異なる山沿いの町カステルデルモンテに宿をとります。そんな彼にパヴェルからの連絡があり、直接の殺しではなく、銃の製作の依頼がきます。スルモナの町でマチルダという女性と会い、彼女から銃の詳細な注文を受けます。そして、銃の製造にとりかかるジャック。そんな彼が通う娼館の娼婦クララ(ヴィオランテ・ブラント)と町でばったり出会い、デートすることになります。彼女との時間に心の安らぎを感じるジャック。一方、夜、何者かに命を狙われるのですが、何とか相手を殺すことに成功します。スウェーデンで襲った連中が彼を追ってきたのか。ジャックは、この仕事が最後だとパヴェルに宣言します。そして、銃は完成し、銃と金の交換のためにマチルダに会います。これで、仕事は完了したのですが....。

オランダ出身のアントン・コービン監督作品でして、主演のジョージ・クルーニーがプロデューサーの一人に名を連ねています。イタリアの田舎町を舞台にした殺し屋の最後の仕事がクールなタッチで描かれています。冒頭で、何者かに襲われたジャックが、恋人らしき女性を躊躇なく殺してしまうあたりに非情な世界のクールな男という印象を与えます。そして、舞台が、ローマからイタリアの田舎町へ移っても、雰囲気はあくまでクール、何というか普通の活劇とは違う、ゆっくりとした間でお話は進んでいきます。イタリアの高台にある街は、家々の間を迷路のような石畳が張り巡らされていまして、絵としても美しいところなのですが、それをクールな絵として切り取っていまして、全体として、独特の雰囲気があります。実もふたもない言い方をすれば、気取った演出ということになるのでしょうか。ドラマとしての展開が少ない割りに、絵での雰囲気描写が多いという感じなのですよ。主人公が誰かに監視されているという疑念にとらわれちゃってるくだりを何度も、丁寧に見せてくれるあたりも、主人公の孤独さを描写していると言えば言えます。昔のアラン・ドロンの映画にこんな雰囲気があったような、そんな感じです。カフェのテレビでセルジオ・レオーネの「ウエスタン」を放送しているシーンがあるのですが、あの映画の冒頭のやたらと物々しい演出をそのまま全編に当てはめたとも言えまして、「ウエスタン」をお手本にしてますという監督の宣言だったのかもしれません。

また、前半は、やけに緊張感をあおるような演出がホラー映画っぽい味わいも出していまして、わざと視界を狭く捉えた構図にしたり、ホラー映画風な静寂なシーンを作ったり、とにかく普通のサスペンスとか、ドラマチックな盛り上げを拒否したような演出なのです。お話の進展が遅いので、正直、普通じゃない視覚演出を楽しめないと退屈するかもしれません。でも、監督も主演のクルーニーも、こういうことをやりたくて仕方ないというところが見受けられます。並の娯楽映画を拒否して、ちょっとクールにきめたいってのは、映像から伝わってきまして、そこはちょっと微笑ましくもあります。田舎町での主人公の友人として、神父が登場して、いかにも彼の人生を振り返らせるようなセリフを言うあたりも、正直狙いすぎなんですが、ジョージ・クルーニーが大真面目にクールな一匹狼を演じているので、まあまあという感じで、許容範囲に収まるあたりが面白いです。

ドラマとしては、暗殺用の銃を作り、それを依頼主の女性の前でテストして、若干修正して渡すというのがメイン。そして、並行して、ごひいきの娼婦の女の子クララと恋愛関係になってしまうというお話が描かれます。後者の娼婦を演じたヴィオランテ・ブラントという女優さんが、娼婦としての艶かしさと普通の女の子の両方の顔をうまく使いわけていて、そのギャップが魅力的でした。寒々と展開するドラマの中で一輪の花になっています。ジャックは、この稼業から足を洗い、クララと新しい人生をやり直そうと考えるようになり、パヴェルに、この銃作りが最後の仕事だと宣言するのでした。



この先は、結末に触れますのでご注意ください。



銃は完成し、人気のないカフェで、マチルダと待ち合わせをして、そこで銃と金の交換をします。このあたりもやたらと勿体つけた演出で、何か起こりそうで、結局何も起こらないまま、交換は終了します。マチルダはどうやらパヴェルから、彼を殺す指令を受けていたようなんですが、失敗しちゃいます。ジャックは、クララのいる町に戻ります。そこは聖体行列のお祭りで、多くの人でにぎわっていました。クララを探すジャック、一方、マチルダもジャックを見つけ、物陰からジャックの作った銃で彼に狙いを定め、引き金を引きます。しかし、銃には仕掛けがしてあり、銃弾が逆方向に飛び出して、マチルダの命を奪います。さらに、パヴェルもこの町に来ていました。町の中で、ジャックの姿を追うパヴェル。ジャックが立ち止まり、振り向きざまに発砲した銃弾にパヴェルは倒れます。そして、車を、マチルダとデートした場所へ走らせるジャック、しかし、彼もパヴェルの銃弾を受けて、息も絶え絶えです。二人の思い出の場所にたどり着いたとき、そこにはマチルダが待っていましたが、ジャックはそこで息を引き取るのでした。カメラが上に上がっていき、暗転、エンドクレジット。

と、クライマックスは意外なほどあっさりとマチルダ、パヴェル、ジャックが死んでしまって終わりということになります。前半で、やりたい放題やった演出は、ラストをあっさりとまとめてしまいました。それがハードボイルドだど、と言われてしまえばそれまでなんですが、前半で見せたい絵は全部見せたから、後はさくさくと流しましたという印象もありました。マチルダがジャックを狙撃する展開ですとか、そこにパヴェルがきているところとか、「なぜ?」と思わせる要素は満載なんですが、そこをあっさりと殺して、片をつけてしまうあたりが、雰囲気で見せきる演出と言うこともできますし、やっつけ帳尻合わせということもできましょう。ただ、この映画で見せたいのは、一匹狼の男の生き様と死に様なので、それ以外は、あえて脇へ追いやった作りになっています。原題が「The American」というのも、どこか気取った感じのするタイトルなんですが、そんなタイトルにふさわしい、徹頭徹尾カッコつけたスタイルを素直に受け入れられれば、楽しめる映画になると思います。でも、普通のサスペンスとか、いつものダンディなジョージ・クルーニーを期待すると、肩透かしをくいます。普通とかいつものとは違う映画として楽しむのが正解ではないかしら。

「127時間」はまず音楽と絵があって、後からドラマがついてきて、ちょいエグ


今回は新作の「127時間」を横浜ブルグ13シネマ2で観てきました。100席というキャパの割りにはスクリーンは大きくて見やすい劇場です。フィルムでなく、デジタル上映で、上映前にDLPのロゴが出ました。

2003年、アーロン・ラルストン(ジェームズ・フランコ)は車、マウンテンバイク、徒歩で峡谷地帯を進んで行きました。途中で、道に迷った女の子二人のガイド役を申し出たりして、道中は快調。しかし、谷間を抜ける途中で落ちてきた岩に右手を挟まれて動きがとれなくなってしまいます。何とか岩をどかそうとしますが、一人で動かせるものではないようです。水とわずかな食料は、底をついてしまいます。そして、彼の127時間に渡る過酷な戦いの結末は?

オスカー受賞作「スラムドッグ$ミリオネア」のダニー・ボイル監督の新作です。私はこの人の映画は「普通じゃない」と「サンシャイン2057」しか観ていないので、ちょっとどういうタイプの映画を撮る人なのか判断しかねていたのですが、この映画は実話の映画化で、話題作だということ、そして、1時間34分という短さに食指が動きました。

岩にはさまれて身動きとれなくなっちゃった若者のシンプルなお話なんですが、凝った映像で一気に見せる映画に仕上がっています。冒頭の雑踏の絵など、意図不明なものもあるんですが、分割画面やイメージショットなどを挿入することで、画面が単調になりません。舞台となる渓谷地帯も美しく、地底湖の幻想的な映像など、見せる映像もたくさんあります。また、撮影監督を2人使っているせいでしょうか。落ち着いたリアルな絵と、色彩豊かな絵が織り交ぜてあり、視覚的な趣向が凝らされています。同じ、谷間の絵でも、雰囲気が違って見えるのは面白いと思いました。

身動きできない主人公の心情をナレーションなどで説明しないことも成功しています。彼は、デジタルカメラを持っていて、それに自分の記録を残そうとするので、そこで若干の語りが登場するのですが、それ以外は、彼の回想と幻覚を積み重ねることによって、物語が進んでいきます。父親や母親との関係、恋人との関係などがそこで描かれます。そこで、彼がしごく普通の若者であることがわかってきます。母親との電話に答えておけばよかったとか、父親とご来光を拝むシーン、彼女と諍いを起こしてしまうくだりなど、ごくありがちな若者の姿が見えてきます。そして、回想から、自分への捜索が始まるまで持たないだろうということもわかってきます。デジタルカメラに向かって遺言を残し始めるアーロン。しかし、ここまでのボイルの演出は意外なほど、淡々としていまして、いわゆるサバイバルムービーのテンションをあえて控えているのが面白いと思いました。主人公が懊悩したり、死に怯えるといった描写をほとんど出さないで、普通の若者である主人公のイメージを積み重ねるだけなのです。じゃあ、彼に生への執着がなかったのかというとそうでもないことがわかってきます。でも、そこから先もドラマチックな要素は絞り込まれています。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



水も尽き、小便を飲んで、何とかつないできましたが、もう、死が彼の身近にまで迫ってきました。しかし、彼は自分の少年時代の幻覚を見て、ある決意を固めます。そして、自分の腕を十徳ナイフの鈍い刃先で切り始めるのです。「失神するな」と自分を励まして、彼は右腕を切り落とし、谷間から抜け出すことに成功します。水溜りに頭を突っ込んで、水を飲んで、歩き始めるアーロン。そして、彼の朦朧とした視界に人影が映ります。ハイカーに救われて、救助ヘリが呼ばれて、それに乗り込むアーロン。最後に本人が登場して、彼が今も登山を続けているという字幕が出て、おしまい。

それまでの淡々とした展開からすれば、自分の手を切り落とす描写はかなりショッキングで見せ方もかなり痛そう。スパナのようなもので、筋を切るシーンの「痛てて」感は、結構くるものがありました。そこで、ドラマのカラーが一気に変わるのかと思いきや、その後の谷間を抜け出してからの展開はやっぱり淡々としたものでした。もっとドラマチックに盛り上げるのかと思いきや、ボイルの演出は、あくまで主人公との距離感を取って、こういうこともありまして、的な、お話にまとめています。でも、普通の若者がそういうことしちゃうってのはやはりすごいことでして、人間っていざとなるとすごいことするもんだと感心させられます。それをさらりと見せるところにこの映画の味わいがあるのかなって気がしました。ドラマチックさを避けて、かつ単調にならないってところに、ボイルの演出のうまさを感じました。MTV的な凝った絵作りも、こういうドラマでは実験的な挑戦になるのでしょうけど、見せて、聴かせて、その後にドラマを持ってくるという作り方は、面白いですし、この映画では成功していると思います。

音楽に色々と凝っているらしいのですが、そっちの方はくわしくないのでパス。ただ、インドのA.R.ラフマーンによるスコアは、なかなかドラマチックに鳴っていたように思います。ただ、それ以外の歌の部分、冒頭のシーンなど、異常に音量がでかくてうるさいのが気になりました。全編に渡ってそういう音なら、劇場のボリューム設定の問題なのでしょうけど、ドラマの部分の音量は普通で、歌が入るときだけやたらうるさいので、これは狙ってやっているのでしょう。正直、歌部分がうるさかったです。音楽を強調したい意図がありそうなのはわかるのですが、普通のドラマなんだから、普通の音量でいいよと思ってしまいました。

「SUPER8 スーパー8」は面白くできてるけど、いろいろと盛り込みすぎかなあ


今回は新作の「SUPER8」をTOHOシネマズ川崎6で観てきました。250席ほどの劇場ですが、スクリーンが大きいので、大劇場で映画を観ている気分になれます。

1979年の鉄鋼所の町リリアンで事故があり、ジョー(ジョエル・コートニー)の母親がなくなります。父親のジャック(カイル・チャンドラー)は保安官補佐という硬い仕事してます。ジョーの楽しみは幼馴染のチャールズたちと8ミリで映画をつくること。今、撮影中のゾンビものの刑事の妻役にアリス(エル・ファニング)をスカウトしてきます。夜中の駅で、撮影をしようということになり、仲間が集まったのですが、そこへ走ってきた列車が脱線転覆して大変なことになります。実は、トラックが列車の前に立ちはだかったことによる人為的な事故でした。トラックの運転手は、学校の先生でした。大怪我をしていた先生を軍隊が現れて連れて行ってしまいます。軍は何か探しているようですが、それを住民には言いません。そして、町でおかしな事件が起こり始めます。保安官とガススタンドの店員が行方不明になり、車のエンジンやら電子レンジが盗まれる。人も何人か姿を消しています。ジャックは軍の行動を怪しんで、大佐にカマをかけたら監禁されてしまいます。一方、映画つくりが進むにつれて、ジョーとアリスは接近していきます。アリスの父親が、工場を休んで、その穴を埋めたジョーの母親が事故に遭ったので、アリスの父親はダメなやつなんですが、それでも罪の意識に悩まされていました。一方、事件を起こしているのは、人間ではないことがわかってきます。巨大で力を持った何かは、アリスをさらってしまいます。一方、軍は、森の火を放って、町の人間をみんな避難させようとします。でも、ジョーたちは、アリスを助けるために町に戻り、学校の先生の資料を探し出し、その何かというのは、宇宙からきた生物で、宇宙へ帰りたがっていることを知ります。軍は、彼を実験して苦しめていたのです。相手はなんとなくわかったんですが、さらわれたアリスを果たして救い出すことはできるのかしら。人間にひどい目に遭わされてきて、人間への敵意に燃えたやつですからね。

「MI:Ⅲ」「スタートレック」の監督実績もありますが、テレビシリーズのプロデューサーとしての実績も有名で、「クローバー・フィールド」なんてのもプロデュースしているJ.J.エイブラムスが脚本を書き、監督もしました。製作にスティーブン・スピルバーグが参加していまして、この二人の名前が売り文句になっています。予告編だと、列車転覆シーンしか出てこないのですが、これが、子供たちが主演の物語でして、大人は脇役でしかありません。映画好きの子供たちが自作のゾンビ映画を8ミリで撮影中に事件に巻き込まれてしまうのです。

主人公のジョーは工場での事故で母親を失って日が浅く、まだ心の傷が癒えきってはいない状態です。それでも、幼馴染のチャールズの映画づくりでは、俳優兼特殊効果兼メイクという立場で参加しています。チャールズがスカウトしたアリスという女の子は、父親が飲んだ暮れのろくでなしで、ジョーの父親も彼を嫌っていました。でも、ジョーとアリスがだんだんといい関係になっていくあたりを、エイブラムスはテンポよく見せていきます。キャメラが時にはジョーの視点になり、彼女をすごく魅力的に見せるあたりがうまいです。また、夜間シーンが多い映画ですが、絵を意識的に明るくしていまして、わかりやすい絵作りになっているのも印象的でした。

列車転覆シーンは、大変丁寧というか、これでもかというぐらいに描かれていまして、子供たちがよく助かったものだというほどの盛大な破壊シーンになっています。視覚効果はILMがメインで担当しているのですが、全編に渡って、CGっぽさを極力排して、爆破の炎など、アニメっぽさのないリアルな絵(本当の爆発かも)に仕上げるのに成功していまして、この映画のトーンを落ち着いたものにしています。列車転覆の後、その場に軍隊が現れ、子供たちはあわてて逃げ出すことになります。どうやらその列車の積荷が問題のようで、その後も軍は何か探し回っているようです。その一方で、町の人間が行方不明になったり、エンジンや電子レンジがまとまって盗まれたりとか、停電したりとか奇怪な事件が続発します。保安官も行方不明となり、ジョンの父親は代理として大忙しとなります。保安官が何か得体の知れないものに襲われるシーンも登場し、ホラー風な展開になってきます。

映画としては、前半は子供たちのドラマを中心に描かれ、中盤は、謎をはらんだサスペンス中心となり、後半は、その謎に子供たちが挑むという構成になっています。映画の宣伝文句に「E.T.」+「スタンド・バイ・ミー」というのがありましたが、確かにそんな感じがします。ただ、両者を足して2で割ったというより、割らずに2時間に押し込めたという感じで、長編小説のダイジェストみたいな印象になってしまいました。個々のエピソードは大変よく出来ているのですが、詰め込みすぎいうか、後半はやや駆け足になってしまうのが残念でした。テレビのミニシリーズにしてじっくり描いた方がよかったかもしれません。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



軍隊は、山火事を起こして、町の人間を基地へ避難させ、町を空っぽにしてあるものを探し出そうとしています。一方、巨大な何かによって、アリスが父親の目の前でさらわれてしまいます。エイブラムスの演出は、その何かの実体をなかなか見せず、襲われる人間の方だけの描写を重ねていきます。アリスの父親から、アリスがさらわれたことを知ったジョーたちは、避難場所から町に戻り、彼女を救い出そうとします。まず、学校に行って、列車転覆事故を起こした先生の物置から、その何かについての情報を探します。出てきたフィルムやテープから、それは宇宙から来た生物で、軍が実験用に虐待していたのでした。それは、宇宙船を復元して宇宙へ帰ろうとしていること、そして、軍の虐待によって人間に敵意を持っていることがわかってきます。先生は、それを救い出すために事故を起こしたのです。そこへ、軍の連中がやってきて、彼らは基地へ戻されるのですが、そのとちゅうで、それに襲われて、ジョーたちは何とか脱出して、町に戻ることに成功します。町の中は軍隊の兵器が、勝手に動き回って破壊して回っているというカオス状態。ジョーたちは、それがいると思われる墓地へと向かいます。

墓地の下には、それが作った基地みたいになっていて、何人かの人間は生きたまま吊るされ、その中にはアリスもいました。人間は、それの食料として蓄えられているようでした。ジョーは、アリスを救出することに成功しますが、それが、彼らを襲い、一緒に逃げ出そうした保安官たちもやられてしまいます。ジョーは、それに面と向かって、自分の敵意のない気持ちをそれに伝えようとします。それは、ジョーを捕らえて、顔の前に持って行きますが、その思いが通じたのか、彼を放してやるのでした。そして、脱出したジョーたちの前で、列車に積み込まれていた金属製のキューブが集まってきて、だんだんと宇宙船の形となっていき、最後に、宇宙船にそれが乗り込むと、空の向こうへと飛び去っていくのでした。おしまい。そして、子供たちの作ったゾンビ映画をバックにエンドクレジット。

子供中心にドラマ展開にしたせいで、もっとキャラを肉付けされてもよかった、ジョーやアリスの父親、事故を起こした先生、軍司令官などの扱いが雑になっちゃったのは残念でした。でも、ジョーを演じたジョエル・コートニー以下、子供たちの自然な演技は、好感が持てました。子供が変に泣いたりわめいたりしないので、あざとさが感じられないのがよかったです。また、宇宙から来たそれの描写は最後まではっきりとは見せず、クモとサルのあいのこのような形でして、テレパシーによって、人間と感情交換できるようです。

1979年という設定は、ノスタルジーを狙ったもののようで、当時のヒット曲が意図的にたくさん挿入されていますし、8ミリ映画というのも、時代を象徴するメディアとしての扱いになっています。そういう懐かしさを出そうとする演出は成功しています。ただ、そこを丁寧に描こうとして、宇宙からきた生物の方は説明から描写まで、あわただしくなってしまいました。それの形をはっきりと見せない演出は成功していましたが、モンスター映画としては、見切り発車的な展開になっちゃいました。二兎を追うのはあきらめたからかもしれません。映画として、面白く、子供たちの好演でいい後味の残る映画に仕上がっています。まあ、もう少し、笑いがあってもよかったかも。

ラリー・フォンのキャメラは、シネスコサイズに人物のアップを無理やり詰め込んだような圧迫感のある絵が今一つでした。引きの絵はフレームサイズに合っていたのですが。また、マイケル・ジアッチーノの音楽は、地味めに、かつ今風のガンガン鳴らす音楽ではないですが、それでもきちんとドラマを支えています。特に前半の子供たちを描写するやさしい音楽が印象的でした。

プロフィール

einhorn2233

Author:einhorn2233
Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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