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「ザ・ウォード 監禁病棟」はお話の意外性ではなく、カーペンターの職人芸を楽しむ映画です


今回は新作の「ザ・ウォード 監禁病棟」を銀座シネパトス2で観てきました。ここはスクリーンも小さいし、音響もデジタルじゃないのですが、ビビリな私がホラー映画を観るのには丁度いい映画館です。最近のシネコンは普通の映画でも音がでかすぎると思うので、こういう映画をシネコンで観る度胸なくって。

1966年、クリステン(アンバー・ハード)は下着姿のまま、森の中を走りぬけ、ある家の前に立つと、その家に火をつけました。そこへパトカーがやってきて彼女は逮捕され、ノースベント精神病院へと送られます。彼女には過去の記憶がなく、精神病院に送り込まれること自体、納得がいきません。彼女が送り込まれたのは特定の患者だけを収容する監禁病棟で、そこには、ゾーイ(ローラ・リー)、アイリス(リンジー・フォンセカ)、エミリー(エイミー・カマー)、サラ(ダニエル・パナベイカー)の4人の若い女の子も収容されていました。主治医のストリンガー(ジャレッド・ハリス)は何か秘密を隠しているようなところがあります。クリステンは脱走を試みますが失敗してしまいます。そして、夜、誰かが部屋の前を通るのに気づきました。シャワーを浴びていたクリステンの前に怪物のような女の子が現れて、彼女の首をしめようとしました。でも、他の女の子はそれを見ておらず、看護師たちも信用してくれません。絵を描くのが好きなアイリスがストリンガー医師との面談後、姿を消します。病室に戻ってこない彼女を心配するクリステンたち。やはり、この病院には秘密があるようです。車椅子にしばりつけられたアイリスは怪物によってどこかに運ばれていき、そこで目を突かれて殺されてしまうのですが、それは誰も知りません。やはり、ここを脱出せねばと、クリステンはエミリーを誘って、再度、脱走を試みます。後もう一息のところで、怪物に襲われて失神した彼女は病室に連れ戻されてしまいます。果たして、この病院で何が起こっているのでしょうか。そして、女の子たちを襲う怪物の正体とは?

ジョン・カーペンター監督は、「ハロウィン」以来のごひいきでして、ホラー系の題材を好んで映画化するのですが、どれもちょっと捻りが効いていて、でも手堅い職人芸を持った監督さんです。他の監督さんだったら、まとめきれなかったであろう「パラダイム」「イン・マウス・オブ・マッドネス」といった終末論ホラー、他の監督さんでは、あんなかっこよくまとめきれなかっただろう「ヴァンパイア 最後の聖戦」「ゴースト・オブ・マーズ」など、傑作とも佳品ともちょと違う、独特の映画を撮り続けている映画職人さんです。怖い映画を撮るんですが、エンタテイメントの枠から外さないので、飛び抜けた部分があっても、最後まで楽しめる映画に仕上げる人です。10年ぶりの新作ということで期待はあったのですが、今回は、脚本がカーペンターではなく、音楽もカーペンターではなく、「ツォツィ」のマーク・キリアンに替わり、撮影もゲリー・B・キッブから、ヤーロン・オーバックに替わってしまい、これまでの作品で縁があったのは、特殊メイクのグレッグ・ニコテロとハワード・バーガーくらいでした。過去とは違うメンツで作られるカーペンターの映画がどうなるのか、期待と不安が半々でスクリーンに臨みました。タイトルでちゃんと「John Carpenter's The Ward」と出るところは微笑ましかったです。

オープニングで、監禁病棟にいる女の子が夜一人で部屋にいると、背後に怪物が現れて、彼女を殺しちゃいます。お、これは何だ?と思っていると、タイトル(最近の映画にては珍しいちゃんとしたタイトル)が出て、その後は、逃げ回るクリステンの話になって、最初の殺人の話はどっかへ飛んじゃいます。そして、何とか病院を脱走しようとしては失敗する彼女の前にも怪物が姿を現してきます。最初は、彼女の幻影なのかという気もします。だって登場の仕方がドカーンというよりは、「ちょっとちょっと、どーもです」みたいな登場なのですよ。この見せ方もカーペンタータッチといえばその通りでして、普通のショック演出をちょっとはずしたようなところがあります。

また、カーペンターというとシネスコ画面へのこだわりがありまして、シネスコサイズの絵へのこだわりはこの映画でも感じられまして。音楽を聴きながら踊る女の子たちをとらえたロングのカットや、病院の廊下のショットなど、シネスコならではの絵を切り取っています。ただ、これまでのカーペンターと違うのは、女の子っぽいヒロインが主人公ということ。これまでのカーペンターの映画は、男の世界を扱ったものが多く、たまにヒロインが登場しても男顔負けというのが定番でした。でも、今回は、ホントの女の子が主演で、周囲にいるのもやっぱりあまり強そうでない女の子たち。明確な敵に闘いを挑む主人公たちというパターンが定番のカーペンター映画にしてはかなりの変化球と言えそうです。これは、マイケル・ラスムッセンとショーン・ラスムッセンの脚本によるものなのでしょう。可憐と呼ぶには結構タフなヒロインが怪物と闘うというのは、「ハロウィン」の新しいバージョンと呼ぶこともできるかな?と思ったのですが、意外な決着は、正直言って、「あ、その意外なパターンね」と呼ぶべきもので、映画そのものには、あまり貢献していません。

それでも、最後まで面白く見られるのは、カーペンターの手堅い捌きと、結局、闘うヒロインにしちゃう演出の妙にあります。映像の見せ方、ヒロインの追い詰め方、脇の女の子の立て方、それらがきちんとしているので、あの決着でも、映画が見劣りしないのです。意外な結末の映画ってのは、脚本勝負だと思っていたのですが、この映画を観て、決め手は演出なんだなあって改めて再認識しました。同じネタを扱った映画に決して見劣りしませんし、ホラー映画としてがっちりと作られているからこそ、このネタで楽しめる映画に仕上がっているんだなあって。特に、うまい具合に全編に張り巡らされた緊張感がいいのですよ。観客を不快にしないで、でもぐいぐいと引っ張っていくテンションの高さはさすが娯楽職人の仕事だと感心しちゃいました。ただ、彼の映画にしては、ショックシーンが多くて、シネコンの音のでかい映画館では、私にはしんどかったでしょう。銀座シネパトスで観たのは正解でした。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



クリステンとエミリーが連れ戻された後、アイリスのスケッチブックを見ていたクリステンは、アリスという女の子の不気味な絵を発見します。どうやらこいつが怪物らしい。みんなを問い詰めると、乱暴なアリスをみんなでよってたかって殺してしまったというのです。だから、アリスの亡霊が彼女たちに復讐しているのだと。でも、クリステンは自分まで襲われることに納得できない。その時、談話室で話をしていたサラが怪物を目撃、別の部屋へ逃げ込むのですが、結局怪物につかまり、誰も知らないところで、高圧電流で殺されてしまいます。クリステンは今度はおとなしいゾーイに、病院を脱走しようと持ちかけます。自傷癖のあるエミリーを誘うのですが、怪物がエミリーの喉を切り裂いて彼女も死亡。ゾーイを人質ということにして病棟を脱走するクリステンですが、その行く先々にも怪物が姿を現します。ゾーイも怪物につかまり、最後に襲ってくる怪物と肉弾戦となるクリステンですが、防火用の斧を怪物の胸にぶち込んで何とか倒すことに成功します。

彼女の行き着いた先はストリンガー医師の部屋で、そこにはカルテがありました。そして、クリステンは、自分がアリスなのだと告げられます。クリステンだけでなく、ゾーイ、アイリス、エミリー、サラも実態はアリスなのだと。アリスは幼い頃に誘拐され、それはひどい目に遭いました。その恐怖から、次々と別の人格を生み出していたというのです。そして、クリステンが火をつけた家は、彼女が誘拐されていた家だったのです。最初は、アリスという元の人格が優位に立っていたのですが、だんだんと他の人格が彼女を疎んじ、攻撃するようになったのです。そして、最後に現れたのがクリステンという人格だったのです。その時、再び怪物が現れ、怪物とクリステンは窓から落ちます。窓の下に倒れていたのは、アリス本人でした。これで、他の人格は全て淘汰され、アリスは回復の兆候が見えてきました。アリスの両親は喜び、ストリンガー医師も後2,3日の入院で退院できると言ってくれました。自分の部屋に帰り、歯を磨こうとしたアリス、その時、鏡の向こうからクリステンが襲いかかってきて暗転、エンドクレジット。

と、まあ、こうくれば、「ああ、あの映画と同じ、多重人格のやつね」ということになります。「あの映画」は1本ではなく、何本もありますから、新味はない、焼き直しのプロットと言われても仕方ないでしょう。そういう意味では、脚本は誉められたものではないのですが、でも、映画は面白くできてました。クリステンの頑張りが、逆にアリスの人格を圧迫しているという展開はなかなかうまいと思いましたし、怪物と化したアリスの暴れっぷりも、腑に落ちるところがありました。多重人格間の葛藤を、ホラータッチにすると、怪物の連続殺人ものになるってのは、脚本のうまみなのかもしれません。ともあれ、ありがちなネタを、見せ方で、きちんとホラーに仕上げた点は高く評価できるのではないかしら。マーク・キリアンの意外とオーソドックスなホラー音楽も、カーペンターの音楽とは別モノなんですが、映画を盛り上げるのに成功しています。子守唄風のメロディを入れたり、ストリングスを使ったり、単なる恐怖の効果音になっていない、音楽として聴けるところがマルです。

ただ、カーペンターのファンとして言わせていただきますと、ラストが不満なんですよ。ビックリショックで切って落とすというのは、彼らしくありません。彼の映画の結末は、ショックシーンがあっても、その後に必ず余韻を残してきたのです。ぐっと怖くなる後味(「パラダイム」「ハロウィン」など)、かっこよく盛り上がる後味(「ヴァンパイア 最後の聖戦」「ゴースト・オブ・マーズ」など)、思わず笑っちゃう余韻(「ゼイリブ」「ニューヨーク1999」など)といった観終わった後の面白さがあったのですが、今回は、それがショックシーンだけで、余韻が残らないのは残念でした。せめて、あのクリステンが幻覚で、不安げに立ちすくむアリスの絵で終わってくれたら、だいぶ印象が変わったのですが、カーペンターもそこまで手が回らなくなったのかなあ。総合点としては、ホラー映画として上々の出来栄えでして、さすがベテランの芸という感じでした。

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「レイン・オブ・アサシン」は、殺し屋が整形して足を洗おうというお話のチャンバラ


今回は新作の「レイン・オブ・アサシン」を銀座シネパトス3で観てきました。この映画、気になっていて、どこで上映しているんだろうと思ってたら、ここでもひっそりと上映されていたという次第。

達磨大師の遺体のミイラは上半身と下半身に分かれていて、それを両方とも手に入れたものは武術界のトップに立てるんですって。そこで、そのミイラの争奪戦が行われていた頃のお話。暗殺組織の黒石は、時の宰相張海端と息子を殺害し、ミイラの下半身を手に入れるのですが、黒石の一員である細雨(ケリー・リン)がそれを奪って逃走。黒石の狩猟転輪王(ワン・シュエチー)たちは後を追いますが、行方不明。細雨は、整形手術をして別の女性曽静(ミシェル・ヨー)として京城に家を構えてひっそりと暮らしていました。配達人の阿生(チョン・ウソン)が曽静を見初めて、何度となくアプローチをかけてきて、だんだんと彼女もその気になって、とうとう二人は結婚します。ある日、銭荘にお金を下ろしに出かけたとき、そこに現れた連中がいわゆる銀行強盗。殺されそうになった曽静は得意の武術で逆襲します。阿生はその強さにびっくり、でもそれ以上彼女を問い詰めることをしませんでした。その事件がもとで、転輪王は、曽静が細雨であることに気づき、黒石の刺客を送り込み、夫の命が惜しければ、ミイラの下半身を差し出し、かつミイラの上半身の強奪に加担せよと脅迫してきます。曽静はその条件を飲み、ミイラの取引現場を襲い、ついにミイラの全身を揃えることに成功します。しかし、黒石の刺客の一人彩戯師が黒石を裏切ってミイラを奪おうとします。そこで、乱戦となるのですが、彩戯師は殺され、曽静も負傷し、やっとのことで家までたどり着きます。阿生が彼女を介抱していると、そこに追手の刺客がやってくるのでした。

達磨大師のミイラがそもそもの発端なんですが、それを揃えると武術界を制するのみならず、何か不思議な力が得られるようなのです。その争奪戦が一応お話の中心ではあるのですが、実は別のドラマも入っていることがだんだんとわかってきます。単純アクションに2時間という時間は長いのですが、ドラマ部分がなかなか充実していて、時間を気にせず楽しむことができました。「ダブル・ビジョン」のスー・チャオピンが脚本と監督を兼任し、さらに「レッド・クリフ」のジョン・ウーが協力監督として参加しています。スティーブン・トンによるアクションシーンは、早回しとスローモーションを巧みに使い分けて、アクションを効果的に見せることに成功しています。

映画の冒頭で、宰相親子が殺された後、黒石を逃げ出した細雨は、陸竹という僧に出会い、彼からこの稼業から足を洗うように諭され、また、武術の指南も受け、自分の剣の弱点を指摘されます。しかし、改心させようとする陸竹と細雨は闘いとなり、細雨は陸竹を殺してしまいます。その後、顔を変えて、京城に隠れ住むのです。その後は、ちょっとコミカルな味わいで、曽静と阿生のラブストーリーが描かれます。一方で、黒石の首領、転輪王は細雨の行方を追っていました。整形手術によって別人となって、新しい生活を始めようとする曽静に、阿生は求愛してきます。過去の自分を思うと、幸せになることに不安になる曽静なのですが、彼女は最終的に阿生と結婚します。やさしいだけが取り柄の阿生と幸せになりかかるのですが、過去がまた彼女を追いかけてきます。転輪王の脅迫に、夫の命との引き換えにミイラを渡す曽静。ところがここで新しい登場人物がミイラを奪っていくのでした。

そのドラマの流れ以外にも黒石の刺客雷彬(ショーン・ユー)、ジャンチン(漢字が見つからず)(バービー・スー)のエピソードが結構丁寧に描かれています。妻子を愛する雷彬は針の使い手です。夫と義両親を惨殺して処刑されるところを転輪王に救われて刺客となったジャンチンは、男好きで、その美貌で男たちを挑発します。演技陣も印象に残る演技を見せていまして、映画全体をドラマとしての手ごたえのあるものにしています。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



曽静が床に臥せっているとき、雷彬とジャンチンがやってきます。すると、阿生は床の中に埋もれていた剣を取り出し、それを研ぎ始めます。阿生の正体は、最初に殺された宰相の息子でした。彼は虫の息だったところを救われて医師のもとに運ばれます。そして、彼も整形手術をして、阿生という別人となり復讐の機会を伺っていたのです。そして、曽静が細雨と見抜いた上で接近したというのです。阿生は、雷彬を殺し、ジャンチンは手傷を与えたものの逃がしてしまいます。そして、転輪王の家からミイラを盗み出し、彼を呼び出そうとします。転輪王の正体は、うだつの上がらない宦官でした。彼は、武術の達人でありながら、普段は下級役人の地位に甘んじていました。そして、達磨大師のミイラによって、男性としての能力を再生させようとしていたのでした。

眠りから覚めた曽静が、阿生を追うと、彼は彼女に正体を明かし、彼女を殺そうとします。それでも、阿生を愛する曽静は、転輪王に彼を殺させないよう、彼を仮死状態にして、転輪王を迎え撃ちます。転輪王は、曽静の武道の師匠でもあり、その剣法の弱点も知っていました。しかし、僧の陸竹との闘いで得た手を使い、最後には転輪王を倒します。しかし、曽静も転輪王により深手を負ってしまいます。仮死状態から目覚めた阿生は、そんな曽静を抱き上げます。「これからの人生まだ長いのだから」と言い、二人は心から愛し合うようになっていたのでした。めでたしめでたし。

阿生の正体の意外性はキャスティングからある程度割れてしまうのでしょうが、敵同士の主人公二人が両方とも整形して、出会って、最終的に愛し合うようになるというお話はなかなか面白かったです。前半の二人のコミカルなラブコメな展開の裏には、阿生の復讐心がふつふつとたぎっていたと思うと、あまりいい気持ちはしないものの、闘いの中に身を置いた人間が普通の人生を送るってのは、難しいんだというのがよく伝わってくるお話でした。日本で言うなら、足を洗ったヤクザが昔の敵に狙われるというお話ですから、まあハッピーエンドにはなりにくいのですが、この映画は、意外やすっきりと未来を感じさせるハッピーエンドに収めています。それまでには、ずいぶんと血生臭い闘いが繰り広げられるわけですが、その各々の闘いにドラマを感じさせることに成功していまして、うっそでぇーと思うような込み入った話を納得させて、映画を観たという満足感が残ります。手の込んだ話の部分がスー・チャオピンによるもので、登場人物の細かな肉付けがジョン・ウーによるものではないかなって気がしました。二人の共同監督のいい面が出た仕事ではないかと思います。

ミシェル・ヨーはもういい年なのに、こういうアクション込みのラブストーリーのヒロインを演じちゃうのですから、大したものです。スターの風格というものでしょうか。一方のチョン・ウソンはいい男なんですが、ちょっとやさ男風でもあり、この映画の阿生という男にはうまくはまりました。ワイヤーワークを多様したアクションは優雅さよりもスピード感を重視したものになっていまして、映像の華麗さよりも迫力が前面に出てくる映画になっていました。また、刺客の3人にドラマが与えられていて、一抹のペーソスが感じられるところも、ドラマに奥行きを与えています。派手なアクションドラマではありませんが、因縁めいたラブストーリーアクション風味として、かなり楽しめる映画に仕上がっています。日本だと、ここまで突飛なストーリーにすると、お話が浮いちゃいそうですが、これが結構落ち着いたお話になっているのですよ。

「くまのプーさん」のボケかましまくりの世界観はあなどれない、結構びっくり。


今回は、新作の「くまのプーさん」(日本語版)を静岡ミラノ2で観てきました。これが静活の七間町映画街の最後の鑑賞となります。ここも「紅いコーリャン」以来、色々な映画を観てきた、ちっちゃい映画館なんですが、最後だと思うとしみじみしちゃいます。周囲が子供連ればかりの中、オヤジ一人でこの映画を観ているのが私の他にも二人ほどいたのは、意外というか、なんかすごい。

本が開いて、そこには、ぬいぐるみのくまのプーさんのいる森の物語が始まります。プーさんは目覚めて、自分はお腹が空いていることに気づきました。ハチミツを探しに外に出ると、ロバのイーヨーがいつものように元気がありません。なぜかというと、彼の尻尾がどこかへ行ってしまったから。そこで、ブタのピグレット、ふくろうのオウル、カンガルーのカンガとルーの親子、ウサギのラビット、トラのティガーたちが集まって、イーヨーの尻尾を見つけてやろうということになります。見つけた賞品がハチミツだということでみんな張り切ってイーヨーの尻尾を探してくるのですが、どれもしっくりきません。プーさんがクリストファー・ロビン少年の家に行ってみると、そこに紙が貼ってあって、オウルに読んでもらったら「でかける。いそがしい。すぐもどる」、これはロビン少年が「スグモドル」という恐ろしい怪物にさらわれたということになっちゃいます。「スグモドル」をつかまえて、ロビン少年を助けるために、ぬいぐるみたちは、作戦を立てます。「スグモドル」の好きなものを並べて、その先に落とし穴を掘って、そこに誘い込もうというのです。でも、落とし穴の上に置いたハチミツの壺につられてプーさんが落っこちて、その後、なんだかんだでみんな落とし穴に落っこちて出られなくなっちゃいます。果たして、プーさんたちの運命は? そして、「スグモドル」ってホントにいるの?

ウォルト・ディズニー・アニメーション作品で、映画の冒頭に入る短編映画を入れても69分、長いエンドクレジットを考えると賞味1時間くらいの映画です。まず、実景のロビン少年の部屋が映ります。そこには色々な動物のぬいぐるみが置いてあります。そして、本が開かれて、そのぬいぐるみたちのいる森の物語が始まります。本の中のお話ですので、要所要所に本の活字が登場して、それが登場するぬいぐるみたちと絡むという趣向もあります。持ち主のクリストファー・ロビンもその中に登場します。と、まあ、設定としては、絵本を読むことを映像化したということで、その絵本の中の、くまのプーさんたちの物語を観客は読んでいくことになります。

その森の中で、何か大事件が持ち上がるのかというと、これが事件とも呼べないようなお話でして、登場するキャラクターのボケっぷりをながめているうちに、何となく、のほほんとした気分になる映画なのです。普通のアニメなら、敵対するものとか、ボケに対する突っ込みとかが登場するものなのですが、そういうものが一切登場しないのです。登場するキャラはみんな好き勝手やってるし、ボケかましまくるのですが、誰もそれに突っ込みを入れないのです。この不思議な感覚は、正直言って、意表を突かれました。こういうつくりのアニメもあるんだなあってびっくり。でも、ちゃんと面白いし、笑いもとるのですよ。それに、プーさん以外の面々もきちんとキャラが立っていまして、小心者のピグレット、知ったかぶりじいさんのオウル、無駄にテンション高いティガー、いつも悲観的なイーヨー、元気なルーと、マイペースなカンガ、元気なルー、そして、とにかくハチミツ大好きのプーさん。彼らのある意味不毛なドタバタに付き合っているうちに、観客も突っ込むことを忘れて、そのおかしさに笑っちゃう。実は、細かい小ネタもあちこちに散りばめられてはいるのですが、そのことよりも、おだやかな笑いの中に引き込まれてしまいます。空を飛べるふくろうのオウルが落とし穴に落ちて右往左往するのを、誰も突っ込むことなく、お話を進めてしまうあたりのおかしさが、全編を支配している感じなのです。落とし穴に落ちた6人を助けるために、ピグレットがロープを6本に短く切っちゃうという大ボケをかますのですが、それにみんなが強く突っ込むことをしないおかしさも同じ感じでしょうか。

ともあれ、落とし穴にみんな落ちちゃったけど、唯一残ったピグレットが森の中へクリストファー・ロビンを探しに行くのですが、そこへ変装したティガーと遭遇して、結局、ピグレットとティガーも落とし穴に落ちちゃう。でも、そのドタバタで、本の活字がバラバラ落ちてきて、その活字を組み合わせて梯子のようにして穴の外に出ることに成功します。何じゃそりゃ?という突っ込みは、やはり入りません。そして、クリストファー・ロビンと出会い、手紙の意味をちゃんと説明してもらってめでたしめでたし。そして、ハチミツを借りにプーさんが、オウルの家に行くのですが、オウルの家の呼び鈴のヒモがどうやらイーヨーの尻尾にぴったりみたい。クリストファー・ロビンがイーヨーにそのヒモをつけてくれたら、イーヨーはその尻尾が気に入ったようです。そこで、プーさんは、最初の約束だった賞品のハチミツを大きな壺にもらって大喜び。それを喜ぶ、森のみんな。これで、ホントのめでたしめでたし。エンドクレジット。で、エンドクレジット後、森の中に本物の「スグモドル」が現れます。落ちてるものを拾って、持ち主に返してあげようなんて、やさしいことを言ってるうちに落とし穴に落ちてしまいます。暗転。これでホントにおしまい。

ありゃあ、落とし穴へ落ちちゃった「スグモドル」はどうなっちゃうのかなあと思いつつ、でも、どうってことないよねって思わせちゃうあたりに、この映画の不思議なのほほんさがあります。これまでのアニメでは観た事ない不思議な感じです。物語性を排した短編アニメなら、ひょっとしてあるかもしれませんが、そこそこの長さ、それなりの物語を持ちながら、その雰囲気だけで満足させちゃう映画はこれまでなかったかも。プーさんの持つボケのキャラが心地よいのは、そのかわいいルックスとちょっと間抜けな言動によるところが大きいのですが、実は、こういうキャラは主役を張ることはまずありません。そんな、脇にいそうな雰囲気キャラを主人公に据えたというところがすごいのかもしれません。スティーブン・アンダーソンとドン・ホールの演出は、登場人物全員にボケかまさせることで、変な敵役や嫌われ役のいない世界を作り出しました。その世界観は、普通の映画にないものなので、観ていてびっくりというか、意外性がありました。

子供が観て、素直に笑える動きのギャグもたくさん盛り込んでありますし、大人には、新鮮な世界観にほのぼのと癒される、そういう子供も大人も楽しめる映画に仕上がっています。3Dでもないし、リアルなCGアニメとも違う、昔ながらのアニメですが、そういう技術的でない部分で、あなどれない一編に仕上がっています。これ、私の今年のベストテンに入れること決定です。だって、面白くて、ボケとのほほんに意表を突かれちゃったんだもん。

「世界侵略 ロサンゼルス決戦」はどっかで観た映画の集大成みたい、でも結構盛り上がる


今回は、「世界侵略 ロサンゼルス決戦」を静岡ピカデリー1で観てきました。この映画館も今月限りで閉館です。静岡の昔からの映画館街の映画館9館が今月で閉館し、新しいビルにできたシネコンがとって替わることになります。私にとっては、子供の頃、「ガメラ対ギャオス」を観て以来の付き合いの長い映画館ですが、大劇場らしい佇まいと内装がシネコンに引き継がれるのは難しいだろうなあ。

大量の流星群が大陸沿いの海に落下しました。そして、海中から武装した異星人の軍団が現れて無差別攻撃を始めたのです。事件は、世界中の大都市で同時発生しました。アメリカのカリフォルニアにある海兵隊基地の兵士も事態を掌握できないまま出撃していきます。ナンツ軍曹(アーロン・エッカート)のいる小隊も警察署にいると思われる民間人を救出するために向かうのですが、途中、敵の武装兵士の攻撃を受けて負傷者を出します。街の中は、死体がゴロゴロしていて、敵の兵士もあちこちに潜んでいました。警察署で、ミシェル(ブリジット・モナハン)、ジョー(マイケル・ペーニャ)と子供3人を発見、しかし脱出しようとしたヘリは敵の飛行体の攻撃を受けて爆破され、彼らは陸路で基地まで移動することになります。他の部隊からの生き残りと合流して、敵と遭遇しながらも、基地へと向かう一行。しかし、その中で犠牲者が出て行きます。異星人は圧倒的な武力で、ロスを壊滅状態へと追い込んでいきます。ナンツ軍曹たちは果たしてこの最悪の状態で生き残ることができるのでしょうか。

世界中が、異星人の攻撃を受けて危機に瀕している中で、ロスでの海軍の1小隊の行動を描いた一編です。「実験室KR13」や「テキサス・チェーンソー」で知られるジョナサン・リーベスマンの監督作品です。突然、宇宙人の襲来を受けた地球人の闘いを描くというとSF映画みたいですが、海兵隊の行動にドラマを絞り込んでいるので、戦争映画としてのカラーが強いです。むちゃくちゃ強い宇宙人の侵略と闘う陸戦隊というと「スターシップ・トゥルーパーズ」が思い浮かぶのですが、あれよりもSF色は薄く、ヘリから降りたら孤立して、戦場と化した市街を移動するというのは「ブラック・ホーク・ダウン」に近いと言えます。街の中のあちこちには異星人の兵士がいて、空には無人攻撃機が飛び回っているという絶対絶命の状況で、主人公たちは、前線基地へと向かうのです。

そもそもなぜ異星人が侵略してきたのかは、最後まで判明しません。ただ、突然、世界中の大都市に現れて、人間を攻撃し始めたのです。それを、海軍の1小隊の視点でのみ描いたというところは「クローバー・フィールド」の構成に近いものがあります。また、重武装した異星人ですが、人間の武器である程度はやっつけるところができるというさじ加減は「エイリアン2」を思い起こさせます。市街戦のシーンでは「第9地区」を思い出しました。また、ナンツ軍曹のヒーローぶりは、「ランボー」みたいでした。そんな感じで、色々な映画の要素をつまんで盛り込んだという印象が強く、オリジナルなのは、ロスを戦場にしたというくらいなのですが、それでも結構楽しめたのは、リーベスマンの力技ともいうべき、一気呵成な演出のおかげだと言えそうです。

兵士の一人一人に名前のテロップが出て、個々のキャラを立たせようとしているようで、登場する皆さんの中で、誰が生き残るのかというのがサスペンスとなります。リーベスマンの演出は、手持ちカメラを多用して、観客が戦場にいるかのような気分にさせるのに成功しています。シネスコ画面でこれをやられると目が疲れるのは事実なんですが、臨場感はありました。死にそうな敵兵士をつつき回して急所を見つけるシーンが、ちょっとグロSFっぽい感じがありましたが、それ以外は、市街戦を扱った戦争映画そのものと言っていいでしょう。前半は、リアルな戦争映画という印象でして、その中で、兵士同士の友情や葛藤といったものが描かれています。後半になると、ドラマチックな盛り上げがあり、ヒロイックな主人公の活躍がメインとなります。全体を通して、リーベスマンの演出は高いテンションを維持していまして、ベタなヒロイズムをストレートに盛り上げました。

主人公のアーロン・エッカートは、コメディからシリアスなドラマまで、主役も脇役もこなす器用な役者さんですが、ここでは、寡黙なヒーローを手堅く演じました。また、兵士を演じる演技陣もそれぞれリアルな好演を見せています。そんな中では、途中から主人公たちに合流するサントス曹長を演じたミシェル・ロドリゲスがおいしいところをさらっちゃいました。「アバター」で演じたキャラをそのままキャスティングしたような女兵士をかっこよく演じていました。(まあ、あまりにはまり過ぎのキャスティングではありますが)

テンション高いドラマが展開するものの、戦力的には人間側が圧倒的に不利なので、主人公たちは逃げ回るのが精一杯です。それでは、ドラマが終われないので、脚本はそこに一工夫を加えています。



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前線基地まで、やっとのことで逃げてきた一行ですが、そこも敵の攻撃によって全滅状態でした。作戦室の地図から、まだ機能している連絡ポイントがあるのを発見し、そこまで移動してヘリに救出してもらうことになります。装甲車の乗り込んだ一行は、何とか連絡ポイントまでたどり着いて、救出ヘリに乗り込みます。その移動中、ヘリが異常な動きをする場所があり、そこに異星人の司令基地があるようなのです。ナンツはヘリをそこへ戻して、単身、基地を破壊しようとヘリを降ります。すると、彼の部下たちも彼について一緒にヘリを降りてきます。彼らは、その敵基地があると思われるポイントに向かい、そこへレーザー誘導ミサイルを撃ち込むように自軍の基地に連絡します。敵兵士や戦闘機が攻撃してきて、小隊も何人か命を落としますが、レーザー照準をあてた敵基地にミサイルを命中させることに成功。無人戦闘機は全て機能不能となり、敵兵士の士気も鈍ります。生き残ったナンツと部下は基地にヘリで運ばれ、英雄と称えられますが、彼らは再度、装備を整えると戦場へと向かっていくのでした。暗転、エンドクレジット。

ラストのナンツの活躍により、異星人が無敵ではなく、司令基地を叩くことで、反撃が可能であることがわかり、それが全世界に伝えられ、人類が最終的には勝利を収めることを予感させて映画は終わるのですが、なるほど「ロサンゼルス決戦」という邦題は、うまく内容を表しています。異星人が割と人間と近いやり方で戦争しているあたりはご愛嬌です。全編をほとんど戦闘シーンのみで構成し、前半の絶対絶命から、後半のヒロイックな展開で反撃につなぐあたりは、娯楽映画としてのツボは押さえていると思います。ナンツの部下や民間人ジョーの自己犠牲のシーンで盛り上げたり、子供をうまく使ったり、あの手この手を凝らして映画を盛り上げているのもうまいと思いました。ただ、異星人側の意図や素性が不明なままで、SF的な興味を盛り上げる映画ではありませんが、戦闘シーンのライド感を楽しむ映画なのでしょう。乗れると結構興奮しますし、盛り上がれますので。

「スリ」は傑作だそうですが、盗癖の男の自己弁護の映画みたいで


今回は、企画もの「ロベール・ブレッソンの芸術」で「スリ」を横浜シネマジャックで観てきました。フィルムによる上映ですが、スタンダードの画面が意外と大きく見えるのは、映画館のせいかしら。

貧しい若者ミシェル(マルタン・ラサール)は、手先の器用さから、スリを始めます、最初は警察につかまってしまうのですが、証拠不十分で釈放されます。病気の母親に金を渡すために、アパートに出かけたとき、その階下の女性ジャンヌ(マリカ・グリーン)と知り合いになります。ミシェルは、本格的にスリ稼業を始めるのです。同業者と知り合い、彼の指導を受けて、チームプレイをとるようにもなります。そんなことは知らないジャンヌは彼に好意を持っているようにも見えます。ジャックや彼を逮捕した警部とバーで議論するミシェル。まるで、スリを肯定するような言動をとるのです。しかし、ついに彼の仕事のパートナーが逮捕されてしまい、彼はミラノからロンドンへと、スリで金を稼ぎながら逃亡生活を送ることになります。そして、パリに戻ってみれば、ジャンヌはジャックの子供を産んだもののジャックは失踪していました。そこで、彼女のために、まじめに働き始めたミシェルですが、競馬で稼いだ男のポケットに手を入れたところを現行犯逮捕されてしまいます。面会に来ていたジャンヌが来なくなったとき、彼はジャンヌの存在の大きさを思い知ることになります。子供が熱を出して面会に来れなかったジャンヌと再会したミシェルは、金網越しに抱き合うのでした。

ロベール・ブレッソンの映画は初めて観ました。ドラマチックな誇張を排して、素人の俳優をつかった独特の演出をする監督だという記事を読みました。1960年のモノクロ・スタンダードのこの映画でも、素人の俳優を使っているとのことで、その登場人物のセリフ回しなど、確かに淡々としていて、俳優らしい表情を見せるのはヒロインのジャンヌを演じたマリカ・グリーンくらいでしょうか。一応、彼の作品中でも傑作という評価を得ているとのことです。

主人公のミシェルがスリを働くようになるのに、それほど大きな理由があるようには思えません。生活が逼迫していて仕方なくという感じではありません。酒場でもっともらしい理屈をこねるあたりに、インテリのいやらしさが感じられ、遊び半分とも違う、どこか傲慢な態度で、彼はスリを重ねていきます。そこに罪悪感といったものは一切ありません。スリのシーンを丁寧に見せるあたりは、ドキュメンタリータッチということができますが、犯罪者のリアリティという点でも、そのタッチは踏襲されています。とはいえ、スリのシーンの見せ方はスリリングでして、特に駅で3人組でスリ行為を重ねるシーンは見事な芸を見ているようなテンションの高まりを感じます。ただ、それがドラマを盛り上げているのかというと、また別の話でして、ドラマそのものは淡々としたタッチで静かに流れていきます。

シンプルなお話をさらに省略などでムダなシーンを取り払っているのか、ミシェルとジャンヌの関係がどういうものなのかラスト近くになるまで見えてきません。ジャンヌの行動からすると、ミシェルのことを憎からず思っている節はあるのですが、ミシェルが何を考えているのかわからないのです。そこが素人俳優の演技の限界なのかもしれませんが、そこにあるものをそのまま撮っていくという作り方では、情感の流れというのは表現しきれないように思います。まあ、監督からすれば、あるがままに撮って伝わらないものは、伝えるに値わずなのかもしれません。

ジャンヌの存在がミシェルの中で大きくなったとき、ミシェルの中で何かが変わったように見えます。それでも、目の前に現金をちらつかせられると指が動いてしまうというのは、麻薬常習者のようなダメ人間ぶりです。そんなダメな奴であるミシェルなんですが、ドラマの流れが淡々としてて、その気取った立ち居振る舞いもあって、ダメさが伝わってこないです。それがリアルなのかどうかはわからないのですが、例えば、同じようなダメな若者をリアルに描いた「ある子供」というフランス映画では、もどかしいような感情のほとばしりがそこにはありました。それと似たような話なのに、主人公に何の葛藤が感じられないのです。感情表現の乏しさを補うかのように、一人称のナレーションが頻繁に登場するのですが、どこか気取った感じが拭えず、ラストで改心したように見せても、怪しいもんだという後味になってしまいました。これは、1960年代の表現を、2000年代の目で見るから、そう映るのかもしれませんが、ドキュメンタリータッチという部分は、現代の視点でも十分に通用するだけに、この主人公のポジションの曖昧さは気になってしまいました。生来の犯罪者でもなく、出来心からの過ちでもない、でも、犯罪に対しての罪悪感がない、こういう人間の存在感が今一つ実感できませんでした。

74分という短い上映時間ということもあって、一気に見せられてしまいましたが、インテリが万引きを自己弁護しているような話だなあってのが全体の印象でした。スリのシーンがカメラワークも見事なエンタテイメントになっていること、ジャンヌの存在感が素晴らしかったこと、など見所は多いのですが、主人公がやっぱり弱いのかなって気がしちゃいました。ブレッソンという人は「ドラマチックな誇張を一切排した」人なのだそうですが、スリのシーンやヒロインがドラマチックになっちゃったことで、そこが際立って、リアリティの部分が沈み込んじゃったのかも。(←映画史の傑作に向かって、何て言い草でしょう)

「ミケランジェロの暗号」はナチスものだけど、ドキドキハラハラの娯楽映画として面白かったです


今回は新作の「ミケランジェロの暗号」をTOHOシネマズシャンテシネ1で観てきました。この映画は最初はノーマークだったのですが、予告編がものすごくよくできていて、本編はどんなものなのかなと食指が動きました。

1938年、ウィーンの裕福な画廊経営者の息子ヴィクトル(モーリッツ・ブライブトロイ)は、使用人の息子であり親友でもあるルディ(ゲオルグ・フリードリヒ)と久々の再会を果たします。実はヴィクトルの父はミケランジェロの幻の名画を隠し部屋に置いていました。それをヴィクトルはルディに見せてやりました。しかし、ルディはナチスに入党していたのです。ヒトラーがオーストリアに進軍してくると、ナチスの親衛隊は、ミケランジェロの絵を押収しにやってきました。絵を渡せばスイスへ出国させるというルディの言葉に、隠し部屋の絵を渡すのですが、ルディの上官は絵を手に入れると、ヴィクトルと両親を収容所送りにしてしまいます。そして、その絵は、イタリアとの同盟を確たるものにするための贈り物として使われることになるのですが、イタリア側の鑑定家がその絵が贋物であることを見破ります。何が何でも本物を入手せよということになるのですが、ヴィクトルの父親は収容所で死亡しており、収容所のヴィクトルがベルリンに送られて尋問されることになります。しかし、その移送のための飛行機がアルチザンの攻撃に遭って墜落。負傷したルディをヴィクトルは助け出すのですが、そこで服を交換し、ヴィクトルがルディになりすまし、現地のドイツ軍もそれにだまされてしまいます。そして、彼が絵はスイスの銀行の金庫に入っていて出すためには、本人と母親の両方が必要だという話をでっちあげます。母親の移送のため、ヴィクトルの元恋人であり、今はルディの婚約者であるレナが呼び出されます。ドイツ軍服のヴィクトルを見て、彼女も芝居をしてくれます。今も彼のことを愛していたのです。かくして、ヴィクトルと母親のスイス脱出作戦が始まるのですが....。

ウィーンを舞台に、ユダヤ人画商の息子とナチスとなった友人との葛藤をサスペンスフルに描いたオーストリア映画です。邦題の「ミケランジェロの暗号」はほとんどドラマとは関係なく、ミケランジェロの絵が事件の発端となり、第二次大戦を通して、収容所送りになった主人公がナチスを出し抜きながら、どうやって生き残ったのかが波乱万丈のドラマとして描かれます。ユダヤ人とナチスとの対立を題材としながらも、ウォルフガング・ムルンベルガーの演出はユーモアを交えて、悲惨さをあえて前面に出さない冒険ドラマを作り出しました。前半は、使用人の息子だったルディがナチスに入ることで権力を持っていい気になってくる展開から、ヴィクトルの父が隠し持っていた絵が奪われ、一家が収容所に送られるまでが描かれます。ヴィクトルは、資産を一時的にヴィクトルの恋人レナに譲渡し、戻ってくるまでの管理を頼みます。レナは、ヴィクトルと一緒に行きたいと願うのですが、それはできない相談でした。

そこで、物語は、1943年に飛び、絵が贋物であることが判明し、イタリアとの国交に亀裂が入る危機的状況になり、是が非でも本物のミケランジェロを見つけなければならなくなります。収容所からの移送中の飛行機が墜落したどさくさで、ヴィクトルはルディになりすますことに成功します。前半の重苦しい感じから、サスペンスタッチになります。また、そこから要所要所にユーモアの間を入れてくる演出が意外性があって面白かったです。ユダヤ人とナチスを描いた映画に笑いを入れるとどこか不謹慎な感じがしてしまうところもあるのですが、この映画は、そこをヴィクトルの冒険譚のスタイルをとることで回避することに成功しています。生きるか死ぬかのギリギリのところを描いているのですが、直接の殺人シーンを見せない脚本、演出も、この映画にいい意味での軽さを与えています。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



ヴィクトルとルディは飛行機で、母親とレナは列車でスイスへ向かいます。しかし、ヴィクトルがチューリヒの知人モーリッツに向けて送った電文がバレてしまい、飛行機はチューリヒではなくウィーンへ着陸し、ヴィクトルはナチスの手に再び捕われてしまいます。一方、母親とレナはモーリッツのおかげで、チューリヒに入り、不正入国者として逮捕されますがナチスの手から逃れることに成功します。一方、ルディと上官は一刻も早く絵を取り戻す必要がありました。スイスの銀行に絵がなかったことを知った彼らは再度ヴィクトルの家を捜索します。そして、旅行かばんの中からミケランジェロの絵を見つけ出すのですが、その時、イタリアのムッソリーニが失脚したという知らせが入り、絵はもう不要となり、ドイツの戦局も怪しくなってきます。そこで、ヴィクトルは、全ての資産をルディに譲るという念書を書いて、生命の保証を取引します。そして、終戦、ルディのものとなった画廊では、ミケランジェロの絵も含めたオークションが行われています。そこへ、現れたヴィクトルと母親とレナ。ヴィクトルは、画廊の片隅に置いてあった父親の肖像画を買いたいと申し出て、ルディはそんなものなら只で進呈すると言います。その絵を持ち帰る彼らの後ろでは、鑑定家が「このミケランジェロは贋物だ」と宣言していました。本物は、父親の肖像画の裏に隠してあったのです。画廊の窓越しにその肖像画を掲げて去っていくヴィクトル、それを見送るしかないルディ。暗転、エンドクレジット。

後半は、二転三転する展開で結構ドキドキハラハラさせられました。ルディが戦後のことまで考えて、ヴィクトルを殺さないあたりが、それまでのナチスものとは違う展開と言えましょう。映画の前半で、ヴィクトルの父親が、モーリッツに複数の贋物を作らせているシーンがありますし、ヴィクトルが息子に残した「視界から私を消すな」という言葉もあるので、とんでもない意外性というわけではないのですが、そこに至るまでの、ヴィクトルとルディの駆け引きが面白くて、最後でスカッとする後味の映画に仕上がりました。ユダヤ人とナチスというよりは、金持ちの子と、使用人の子の葛藤という側面がドラマを支えているので、ユダヤ人差別がドラマの前面に出てこないのですよ。そのせいか、エンタテイメント度が高くて、娯楽映画として、面白かったです。ドイツ映画でなく、オーストリア製作で、オーストリアの監督が演出しているせいでしょうか。

主演の二人は、しぶといユダヤ人とナチスに密告したオーストリア人を好演していまして、絶対的な善玉悪玉になっていないのが、ドラマにゲームの面白さを与えていました。また、私にとってはお久しぶりのマルテ・ケラーがヴィクトルの母親を演じていまして、そっかー、彼女も60過ぎてるんだなあってしみじみしちゃいました。「マラソンマン」「悲愁」の頃はきれいだったですもの。

「イースターラビットのキャンディ工場」はニートがファンタジーに就職するお話です。ウソみたいだけどマジ。


今回は、新作の「イースターラビットのキャンディ工場」をTOHOシネマズ川崎プレミアスクリーンで観て来ました。ここはプレミアというには、椅子がいいくらいであまりプレミア感がないんですけど、通常料金での鑑賞。プレミアっていうなら、スクリーンの近くとか隅っことかに席つくらない方がいいのではないかしら。

イースターの朝、イースターラビットが届けるキャンディやチョコレートは、イースター島の工場でうさぎとヒヨコたちがせっせと作っていました。イースターが近づいて、工場は大忙し、でもイースターラビットの跡取り息子イービーはドラマーになりたくて、イースターラビットになりたくないって駄々こねてます。そして、ハリウッドに家出しちゃいます。そこにいたのは、30歳近くにもなって定職がなくて、家族からも説教されてるフレッド(ジェームズ・マースデン)。フレッドについてまわるイービーは、彼の就職面接を引っ掻き回したり迷惑かけちゃうのですが、一方、そのドラムの腕前をデビッド・ハッセルホフのオーディションで絶賛され、テレビに出ることになっちゃいます。そこへ、イービーを探しにやってきたピンク・ベレーが彼が殺されたと勘違いして、そこにいたフレッドを犯人としてイースター島に誘拐しちゃいます。そのイースター島では工場支配人のカルロスが、自分がイースターラビットの後釜になろうと反乱を起こしていました。果たして、今年のイースター、無事にお菓子を子供たちに届けることができるのかしら。?

「怪盗グルーの月泥棒」などの3Dアニメを作っているスタッフによる新作とのこと。ポスターやCMを観る限りは、3Dアニメのウサギやヒヨコたちのお話みたいです。これだけでは、別にどうってことないのですが、実写俳優との合成ということで食指が動きました。そういうネタでは、その昔「ルーニー・チューンズ・バック・イン・アクション」なんていう面白い映画もありましたからね。でも、役者の部分が全然宣伝されていないってのは、何かわけがあるのかしら。何てところも気にかかってしまったのです。別にAKB48が吹き替えしているとかそういう理由じゃないですよ。(← わざわざことわる必要もなく)観たのは日本語吹き替え版でしたけど。

フレッドは、もういい年なのに、妹や両親から、早く就職しなさいって諭されています。いろいろ面接を受けているみたいなんですが、やりたいことが見つからないという昔風にいうとモラトリアム人間、今風ならニート。あんまり共感を呼ぶキャラクターではありません。「魔法にかけられて」でアニメと共演経験があるとは言え、「X-MEN」「ヘアスプレー」のジェームズ・マースデンにしては汚れ役ではないかいと思ってしまいます。ラストで大逆転があるのかしら。そんな彼が出会ったのがウサギのイービー。こいつが結構図々しくて迷惑なやつでして、フレッドとイービーのコンビ両方とも、主人公キャラとしては弱いのですが、ラストはきちんとまるく収まるお約束ははずしておりません。

自分の天職であるイースターラビットの仕事を嫌って家出しちゃうイービーですが、こいつがフレッドにつきまとうあたりのドタバタは、まあお気楽コメディとして楽しめる感じにまとまっています。3Dアニメの監督として実績のあるティム・ヒルの演出は、人間とアニメキャラをうまく絡ませるのに成功していますが、フレッドがオーバーアクトになっちゃっているのは、人間をアニメに合わせて演出しちゃっているのかな。妹の学芸会に乱入しちゃうあたりは、人間とアニメキャラの絡みを見せたかったのかもしれないけど、ドラマ的にはやり過ぎ感が出ちゃいました。そうこうしているうちに、フレッドにやりたいことが見えてきます。それは、自分がイースターラビットになること。私は、アメリカの子供たちの間でのイースターラビットのステータスはわからないのですが、これって子供から観てOKなことなのかしら。それとも、大人から観ると苦笑いの展開なのかな。

それでも、イースター島にフレッドが拉致されてからの、ウサギとヒヨコのドタバタは楽しく観ることができました。現場監督のカルロスがイースター卵のステッキを奪って、自分がイースターラビットになって、ヒヨコたちのひく馬車に乗って飛び立とうとするのをイービーが阻止します。そのやり方が「キングコング対ゴジラ」だったのは大笑いでした(オヤジにしかわからないネタですみません)が、ともかくも、イースター卵のステッキは元の持ち主であるイービーのパパの手に戻り、パパは、イービーとフレッドの両方ともをイースターラビットに任命するのでした。イースターの朝、フレッドは、自分がイースターラビットになったことを家族に告げ、みんなと和解したハッピーエンドのところで、お菓子を積んだヒヨコ車は空へ飛び立っていくのでした。めでたしめでたし。ありゃあ、ホントにフレッドがイースターラビットになっちゃった(見た目がウサギになっちゃうわけじゃない、ルックスは人間のまま)。それで、喜んでる家族ってことは、一応これも就職したと認めてくれたということなのかしら。イースターラビットって季節労働者じゃないの?という突っ込みを置いといても、これがハッピーエンドになるんだなあってところに、ちょっとアメリカの文化をお勉強したような気分になりました。フレッドの両親に、ゲイリー・コールとエリザベス・パーキンスが懐かしい顔を見せてくれています。特に、パーキンスは好きだったんだよなあ「ビッグ」とか「ドクター」とかですね「ムーンライト&バレンチノ」はちょっとヘビーな役だったけど、とにかくきれいな女優さんでした。そういう彼女もニートの息子を持つ主婦を演じるようになるんだなあとしみじみしちゃいました。

イービーのウンコがゼリービーンズだといった小ネタも悪くないですが、たくさんのヒヨコをかわいく動かしたあたりのアニメーターのお仕事に拍手したいと思います。全体として、実世界とイースター島の割合が7対3くらいになっていまして、実世界の多い設定の中で、アニメキャラを実物の人間に絡ませる点では健闘していると思います。でも、アニメの世界に人間が寄りすぎというか、フレッドが結構変な奴のままラストで、ハッピーなイースターラビットになっちゃうってのは、ジェームズ・マースデンにとっては汚れ仕事になってないのかなあ。あとAKBの子はどこに出てたんだ?(← やっぱり気にしてる)

「ハンナ」のサントラは、映画との相性は今イチでも、音そのものはかっこいい


美少女殺し屋映画「ハンナ」の音楽を担当したのは、テクノポップで有名なケミカル・ブラザーズです。(と、今回、ウィキペディア検索して初めて知りました。)グリム童話をイメージさせるファンタジックな音楽(クリンペライみたいな感じの音)とビートの効いたアクション音楽が交互に入ったアルバムになっています。美少女殺し屋とテクノサウンドというとエリック・セラの「ニキータ」という先達がいるのですが、映像とマッチしていたかというとこれが微妙な感じでした。映画自体は絵が小奇麗で、ヒロインがまだ固い蕾のようなキャラなんですが、その割に、アクション映画の音が先走り過ぎているという感じでした。ビートを効かせた鋭い音作りが映像とマッチしていないのですよ。スタイリッシュな映像にしなやかなビートを絡めた「ニキータ」の方に一日の長があると言えましょう。

映画の中でも音楽が耳についてしまったので、映画との相性は今一つという印象だったのですが、1枚のアルバムとして聴いてみると、映画音楽の枠とは別にテクノポップのアルバムとしてなかなかいいのですよ。童話チックな音とアクションシーンの硬派なテクノサウンドが不思議な緊張感を生み出していて、聴き応えがありました。この音楽、もっとハードなアクションものに使われたら、その力を映画に貢献できたのかのではないかしら。何しろ、最近のアクション映画のバックに流れる音楽はワンパターンが多いので、こういう鋭い音で描写されると新鮮かも。ただ、映像も音楽にまけないシャープなものである必要があるのですが。


「アザー・ガイズ 俺たち踊るハイパー刑事」はバディものというよりは、女性が絡むシーンで笑いをとります


今回は、横浜ブルグ13シネマ10で「アザー・ガイズ 俺たち踊るハイパー刑事」を観てきました。ここは、開映10分前に開場するのですが、混んでる映画だとかなりあわただしい感じで、もっと早くあければいいのに。

ニューヨーク市警には、ハイスミス(サミュエル・L・ジャクソン)とダンソン(ドウェイン・ジョンソン)のスーパースター刑事がいて、派手に事件を解決して街の有名人だったのですが、宝石店強盗の追跡中に殉職。他の刑事たちは、その後釜になろうとやっきになっています。テリー(マーク・ウォルバーグ)も正義感に燃える刑事の一人だったのですが、相棒のアレン(ウィル・フェレル)は会計課出身でデスクワーク大好きで、事件が発生しても出動しようともしません。テリーはそれが面白くなくて、アレンにハッパをかけるのですが、アレンは全然動じません。そんなアレンが工事用足場の設置許可という小さな事件で、投資家アーション(スティーブ・クーガン)を逮捕しようとします。簡単にアーションを逮捕したテリーとアレンでしたが、屈強な連中に逆にアーションを拉致され、車も靴も取られてしまいます。アーションの警護がやったというのですが、どうもそうは思えない二人は、アーションの周辺を調べ始めます。しかし、調査先で爆弾が爆発したり、検事局から圧力がかかったりと、彼らの身辺にも危険が及んでくると、アレンは腰が引けてきて、テリーはイライラ。どうやら、アーションは自分の作った320億ドルの損失を補填するよう脅迫されているようなのです。しかし、証拠調査を依頼した弁護士が飛び降り自殺をしてしまったことで、テリーは交通課へ、アレンはパトロール係に転属されてしまい、これで事件はうやむやになっちゃいそうなんですが....。

ウィル・フェレルとマーク・ウォルバーグがコンビで主演の刑事コメディです。こういうコメディが日本で劇場公開されることは珍しいのもあって、劇場まで足を運びました。オープニングは街の中での派手なカーチェイスなんですが、追跡しているのがドウェイン・ジョンソンとマイケル・L・ジャクソンのコンビです。カーチェイスで街や車を壊しながらも犯人逮捕。記者会見でカッコつける二人、で、その一方でうだつが上がらないのが「アザー・ガイズ」のアレンとテリーのコンビ。テリーは大事件を解決したくてイライラしている一方で、会計課あがりのアレンは危ないことが大嫌い。ところがスター刑事二人がわけのわかんない殉職しちゃったものだから、みんなその後釜になりたくて仕方がありません。一方、損失補填を強要されているアーションの様子も並行して描かれます。アダム・マッケイの演出は、このあたりまでは、状況説明にモタついていて、笑いも今イチ、テンポも弾みません。マーク・ウォルバーグのブチ切れ演技も、ウィル・フェレルの控えめ演技もどこか噛み合わない。こんな調子でずっと続くのかなあってやな予感。

でも、アレンの奥さんシーラ(エヴァ・メンデス)が登場するあたりから調子が出てきます。超美人のシーラがアレンにベタぼれで、実はアレンはものすごく女性にモテるのですよ。元カノも美人だし、普段との落差にラリーもびっくり。アーションのバックにいるのは大手の投資会社で、その辣腕武装部隊がアーションを追い詰めていたのですが、そこまで知らずに、アーションを追いかけていた二人は、武装部隊のせいでひどい目に遭ってしまうのでした。このあたりは、ややシリアスというか、巨悪としての投資会社の悪辣ぶりが描かれていまして、悪役は徹底したワルになっています。

交通係とパトロールに格下げになってしまうラリーとアレンなんですが、アレンがスター刑事が殉職した宝石強盗を調べているうち、実は宝石強盗の裏で財務事務所の記録の改ざんをしていたことを突き止めます。ここで、アレンの人格が急にパワーアップ。交通係を満喫していたラリーにハッパをかけて、一緒にアーションの取引の場に乗り込んでいきます。損失補填のための資金集めの場に乗り込んでみれば、そこにいる投資者の中には、警察署の共済組合までいてびっくり。とりあえず、その場をハチャメチャにしてアーションを連れ出すのですが、明日の朝、銀行でアーションが振込みを取り消さないと、警察組合の保険金も含めてみんな送金されてしまうとのこと。そこで、翌日、銀行までアーションを連れて行こうということになるのですが、チェチェンの投資家とか、アーションを脅迫していた投資会社の連中とかが妨害をかけてきます。カーチェイス、ヘリチェイスの末、何とか銀行までたどり着くのですが、コンピュータの前では送金寸前、そこに追手もやってきて銃をつきつけられちゃいます。しかし、そこに警察の同僚たちが駆けつけて、悪党どもはお縄を頂戴し、ラリーとアレンは刑事に復職します。めでたしめでたし。

エンドクレジットで、アメリカのネズミ講事件の解説が出てきまして、それに絡む金額がいろいろと披露されます。どうやら、そういう投資詐欺事件を題材にしているつもりなのでしょうが、映画は投資のからくりを本筋で語っておりませんので、カッコつけてる感があります。映画の悪党である投資会社がほとんど傭兵部隊みたいに派手にぶっぱなす連中ばかりなので、ホワイトカラーの犯罪という香りがしてこないのですよ。有無を言わせぬ力技の悪党の前になすすべなしという展開でした。特にアーションの扱いが加害者なのに、被害者みたいに見えたりするのは減点でしょう。演じているのが「トロピック・サンダー」のスティーブ・クーガンだったので、すぐに派手に死ぬだろうと思っていたら、最後までしぶとく生き残っちゃうのは意外でした。

銀行に行く前日にアレンが妻に会いに行くシーン(見張られているので、おばあちゃんが愛の言葉を伝言ゲームするのが笑えます。)など、女性が絡むところに笑いどころが多く、なぜかモテるという設定のフェレルが面白かったです。ウォルバーグは前半のイライラキャラがやや空回りしちゃったのは残念というか、演出のせいなのでしょうが、きれいにヒーローに着地しそこなった感じで残念。その分、フェレルがおいしいところを全部持って行っちゃいました。後半の盛り上げで点数を稼いで、最終的に合格点のコメディに着地したという感じでしょうか。

撮影がアクション映画の実績の多いオリヴァー・ウッドでシネスコ画面で手堅く絵を切り取っていますし、「マグノリア」のジョン・ブライオンが要所要所でシリアスな音楽を入れているのが印象的でした。刑事コメディだからか、追跡シーンはかなりお金と手間をかけていたのですが、それが笑いにつながってこないあたりがコメディって難しいって思っちゃいました。

「光のほうへ」はドラマとして見応えがあるけど、後味は痛い


今回は、東京での公開は終わっている「光のほうへ」を横浜シネマジャックで観て来ました。DLPによる上映でしたが、絵は気にならなかったです。リアル人間ドラマで、絵のきれいさで見せる映画でなかったからかも。

アルコール依存症の母を持つ兄弟には、赤ん坊の弟がいました。二人はその子をとてもかわいがっていたのですが、二人が母親の酒を飲んで騒いでいるうちに死んでしまいます。それから、年月は流れ、母親は死に、意外と残っていた遺産は、兄ニック(ヤコブ・セーダーグレン)は辞退し、弟が受け取りました。さらに時は流れ、ニックは、暴力沙汰を起こして出所したところでした。宿泊施設で、酒とジムの日々を送るニックは、街でかつての恋人アナの兄イヴァンに出会います。イヴァンは精神に問題を抱えていて病院を出たり入ったりしているようです。ニックに好意を示す同じ施設のソフィーとニック、イヴァンが酒を飲んでいるとき、酔ったソフィーがイヴァンを挑発。席をはずしたニックが戻ったとき、そこには逆上したイヴァンによってソフィーは冷たくなっていました。一方、母親の遺産を手にした弟(ペーター・ブラウボー)は、それを元手に麻薬の売人を始めます。自分もヤク中で、妻は交通事故で亡くし、一人息子マーティンとの二人暮らし。金がないとマーティンをソーシャルワーカーに奪われると思っていた彼にとっては、母親の遺産でさらに金を増やそうと麻薬に手を出してしまったのです。商売は好調だったのですが、他の売人のタレコミにより、彼は逮捕されてしまいます。一方、ソフィー殺しの罪でニックも逮捕されていたのです。

デンマークのトマス・ヴィンターベア監督(共同脚本も)の作品です。悲惨な暮らしをしていた兄弟二人が大人になっても底辺から抜け出ることができない状況を描いた人間ドラマで、正直救いがなくて、観ていてつらいものもあるのですが、ドラマとしての語り口がうまいので、思わず見入ってしまいます。自制を前後させた構成もあって緻密なドラマづくりがされているのです。でも、人間どうにもならないって部分を正面から見せられるので、ドラマとしては面白いけど、正視するのはしんどい映画になっています。映画の冒頭は、主人公の兄弟の少年時代が描かれまして、赤ん坊のミルクを万引きするシーンが痛々しいですが、その兄弟と赤ん坊が一緒にいるシーンが白をバックに美しく描かれるのが印象的です。

映画の主人公はニックと弟(名前が出てこないんですよ、プログラムにも役名がない)の二人で、各々の生き様が別々の時間軸で描かれ、ラストで二人の時間軸が交わるところがクライマックスになっています。まず、兄のニックのドラマが描かれます。彼は刑務所から出たばかりで、仕事にもつかず酒を飲んでは、ジムで体を鍛える日々を送っています。そんな彼の友人が同じ宿泊施設の女性ソフィーを殺してしまうまでが描かれます。この友人のイヴァンというのが、精神を病んでいて衝動的に暴力を振るうような男、その上デブで、娼婦からも嫌われてしまう、でも力があるからすごく危ない。ニックが彼に対して気を使った結果、彼はかっとなって女性を殺してしまうので、ニックは自責の念にとらわれます。このどうしようもなさは、ニックにも、イヴァンにも言えることであり、二人とも感じているのにどうすることもできません。イヴァンの病気のせいなのか、そんな彼をお色気で挑発したソフィーが悪いのか。でも彼女は死んでしまいます。その死体の素っ気ない描写が余計目に痛々しさを感じさせます。どう見ても「光のほうへ」向かう展開ではありません。

ここから、お話は弟の方へと移ります。息子マーティンと二人暮らしで麻薬中毒者、子供の食べものさえ不自由させている状況は、のっけから最低です。子供への愛情はあるのですが、金はないし、クスリはやめられない。でも、そんな父親を息子マーティンは慕っています。そんな時に、母親の遺産が転がり込みます。それで、息子と一緒に家具を買い、高級な食べ物を買い、遊園地に行って、ささやかな贅沢をするあたり微笑ましい感じなのですが、その金で麻薬を買い込んで、街頭での小売りを始めるのです。自分がクスリをやめるつもりは毛頭なく、そのクスリを使ってさらに商売して金を増やそうとするのです。デンマークでの麻薬についての認知度がどのようなものなのかわからないのですが、日本よりは、クスリに対する嫌悪感が小さいのかしら。日本ならヤクザレベルの仕事を彼は選択するわけです。普通の生き方をしてこの人生を選択したのだったら、とんでもないダメ野郎だと思うのですが、彼の少年時代を思うと、そうなるべくしてなってしまったところも感じられるのが悲しいところです。

街頭での売人は、意外と儲かるようで、彼のブツはモノがいいという評判も立ちます。しかし、悪いことは続かないもので、警察へのタレこみから、彼は逮捕されてしまいます。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



ニックは、ソフィー殺しの犯人として逮捕され、ずっと何も話さずにいました。そして、ある日、刑務所の外に面したフェンス越しに弟の姿を見つけます。ここでやっと映画の二人の時間が一致します。二人は少しだけ言葉を交わします、息子が心配だということ、あの時自分たちは悪くなかったこと。ニックは、弁護士に弟を見かけたことを話し、会わせて欲しいと頼みます。しかし、弟は自殺していたのでした。それを機に、ニックは事件のことを話し始めるのでした。そして、弟の葬式の場に、ニックの姿がありました。マーティンが彼を見つけて、話しかけます。伯父と一緒に教会の席につくマーティン。ニックは彼にその名前の由来を教えてあげるよと言います。そして、画面は、ニックの少年時代となり、白いシーツの中でしょうか、兄弟が赤ん坊の弟に洗礼の儀式を行っています。そこで、赤ん坊に名前が与えられます、マーティンと。暗転、エンドクレジット。

ラストで垣間見せる希望の中で、ちょっとだけ「光のほう」が見えてきます。この先、マーティンが父や伯父と同じ道を歩ませてはならない、少しでも、光のほうへ向かっていかせてやりたいという気持ちになる結末でした。アルコール依存症や麻薬中毒者は実際にいるわけで、そんな人たちも家族を持っていると思うと、この映画は痛いところをついてきます。弟は、アルコール依存症の母親を見て育ったのに麻薬中毒となり、そこから抜け出す気もないのです。プログラムによると、この映画の原題は、「SUBMARINO」というもので、意味は、水の中に頭を押さえ込む拷問のことだそうです。この映画の登場人物は、みんな水に頭を押さえ込まれてもがいているようだということでしょうか。そうだとしたら、あまりに救いのない話です。「光のほうへ」という邦題は、せめて未来への光を感じたいという気持ちを込めたのかもしれないです。

ニックの元恋人アナは、結婚して子供もいて幸せそうに見えます。ニックとイヴァンが道路越しにアナを見るシーンがあるのですが、アナがまるで別の世界にいるかのような見せ方をしているのが印象的でした。また、友人イヴァンのデブで凶暴というのが怖かったです。そういう悪役は映画の中でいくらでも出てきますが、彼は精神を病んで制御が効かないのが、余計目に怖かったです。偏見と言われるでしょうけど、そういう人を街で見かけた時ってすごく怖いのですよ。主人公のニックには、健康な体と心が残っていましたから、甥っ子マーティンと一緒に人生をやり直す可能性を感じましたが、弟やイヴァンは、心も体も病んでいて、結局、水の中から頭を上げることができないと思うと切なくなります。でも、自分の身の回りにもそういう人がいるわけで、切ないと思うことが、現実逃避の偽善だと言われたら返す言葉ないです。やはり、痛いところを突いてくる映画です。

「メカニック」はリメイクというにはドンパチやりすぎでも、退屈しないで観られます


今回は、新作の「メカニック」を川崎チネチッタ5で観てきました。大劇場風の作りの映画館で、いすが背もたれがものすごく高い。座高の低い人は、前の席で画面が見えなくなるかも。

プロの殺し屋メカニックであるアーサー(ジェイソン・ステイサム)。手際よく麻薬王を仕留めた彼に次の仕事がくるのですが、ターゲットが古くからの友人で仕事での付き合いも長いハリー(ドナルド・サザーランド)だったのでびっくり。同じ組織のディーン(トニー・ゴールドウィン)が言うには、ケープタウンでの大仕事でハリーが相手に密通していて、チームが全滅したとのこと。断腸の思いで、アーサーは、ハリーに銃を向けるのでした。ハリーには、スティーブ(ベン・フォスター)というドラ息子がいたのですが、アーサーは彼に殺し屋の素質を見出し、自分の弟子として、殺しのテクニックを伝授してやるのでした。アーサーに来た仕事を、スティーブにやらせてみたのですが、スマートにはいかず、格闘の末、やっと仕留める始末。そして、今度は二人で仕事に臨むのですが、小さなミスから銃撃戦となり、余計な殺しもやる羽目になっちゃいます。そして、現場から逃げたアーサーですが、空港で同業の殺し屋を見かけます。彼は、ケープタウンの仕事でハリーの裏切りで死んだはずの男でした。どうやら、ケープタウンの一件には裏があって、麻薬関係の仕事から手を引きたがっていたハリーを葬るために、ディーンが仕組んだことだったのです。事実を知ったハリーに組織の手が伸びてきますが、ハリーはスティーブと共に組織に逆襲に出るのでした。

その昔、チャールズ・ブロンソン、ジャン・マイケル・ビンセント主演、マイケル・ウィナーが監督した同名の映画のリメイクでして、オリジナルの脚本家が原案、共同脚本に名を連ねています。オリジナルは、静かなタッチでプロの殺し屋をクールに、そしてやや病的に演出したのですが、今回は、派手なアクションを積み重ねて、まるで毛色の違う映画に仕上がりました。監督は、「将軍の娘」「トゥーム・レイダー」「ストレンジャー・コール」とミステリー、アクション、ホラーなどをそつなくこなすサイモン・ウェストが担当し、プロの殺し屋の話とは言い難いけど、とりあえず面白いドンパチ映画に仕上げています。まあ、主人公が本当にメカニック(プロの殺し屋)なのは、冒頭だけでして、後はプロとは思えない荒っぽい仕事ぶりになるというのは「トランスポーター」と同じパターンでして、ジェイソン・ステイサムには冷徹なプロフェショナルというのは似合わないのかもしれません。

友人であったハリーに銃口を向けたとき、彼は抵抗しませんでした。アーサーを殺したところで組織は次を送り込む、それならアーサーにということで、彼はアーサーの銃弾を受けます。そのことが彼にとっては負い目になったようで、ハリーのドラ息子であったスティーブを自分の弟子として殺しのテクニックを教えるようになります。このあたりの展開は、よく言えば「さくさく」、言い様によっては「強引」でして、プロの殺し屋というには、ガラも頭も悪そうなスティーブは不向きとしか思えないのですが、それでも、彼を一人前の殺し屋に仕込んでいきます。最初の仕事も、スマートに薬で殺す段取りが大格闘の末の九死に一生の勝利という仕事ぶり、それでも、次は一緒に仕事をすることになるんですが、ここでもチョンボして、殺した跡も残さないというプランの筈が、ビルの中で大銃撃戦になっちゃいます。これだけ派手に暴れまわる殺し屋もないもんだと思うのですが、派手なアクション映画としては、面白くまとまっていると言えましょう。

そのドタバタの後で空港で見かけた殺し屋の口から、ハリーは裏切っていなかったことを知って愕然とするアーサー。そこで、アーサーは組織全体を敵に回してしまうことになります。飛行場のバスの中での格闘シーンがなかなかの迫力で、殺しのプロ同士の闘いを見せてくれます。そして、アーサーの家にも組織の手が回ってきます。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



アーサーは組織の連中を返り討ちにし、スティーブと合流して、武器を揃えます。その時、スティーブは、アーサーの荷物の中に、父ハリーの銃を見つけ、父親を殺したのはアーサーだと悟ります。アーサーは、組織のボス、ディーンを仕留めるため、彼のボディガードの家を襲い、家族を人質にして、ディーンの居場所を聞き出します。そして、ビルの最上階にいるディーンに電話で揺さぶりをかけて、ビルから逃げ出させるように仕掛けます。車で出てきたディーンたちに、自動車をぶつけ、マシンガンをぶっ放し、乗っ取ったバスをさらにぶつけて、ディーンを仕留めます。これだけ、派手なカーアクションと銃撃戦をやっても警察が一切出てこないのはご愛嬌なのですが、この力技は、もはや殺し屋の域を超えています。正面勝負で、組織のボスをやっつけちゃうんだものなあ。

そして、アーサーとスティーブは、これからは別行動をとろうということになります。ガソリンスタンドで給油したとき、スティーブはガソリンをまいて、そこへ発砲。アーサーの乗った車をふっ飛ばします。そして、スティーブはアーサーの家へ向かい、彼の愛車に乗り込んで出かけるのですが、そこには「お前は死ぬ」というアーサーの手紙があり、どっかんと車が爆発して、スティーブは死亡。ところが、アーサーは間一髪で車を脱出しており、別の車でどこへともなく去っていくのでした。エンドクレジット。

アーサーとスティーブの力の差が歴然としすぎているので、二人が殺し合いになっても、勝負が見えてしまっているところは、オリジナルに劣るところでしょう。スティーブを演じたベン・フォスターが、主人公に似た容貌をしていて、いかにも、チビ・ステイサムみたいな感じなので、最初から力関係は明白と言えば明白なんですが。特に、スティーブのキャラづくりが十分でなく、オリジナルにあった自殺未遂女を黙って見ているといった、彼の冷徹さを示すエピソードが欲しかったところです。そういう、陰湿な部分をカットした分、今風の娯楽映画には仕上がっていますが、クライマックスのド派手アクションは、少々やり過ぎというか、荒っぽい展開になってしまいました。正面突破であっけなく殺されちゃうと組織のボスがすごく小物に見えてしまうのですが、それくらい、ジェイソン・ステイサムすごいんだよという映画だと言われたら仕方ないかも。

まあ、格闘シーンあり、銃撃戦あり、カーチェイスありと一通りのアクションを揃えて、サイモン・ウェストの演出は、娯楽映画として手堅いところを見せてくれています。でも、別にこれが「メカニック(殺し屋)」の映画である必要はないわけでして、オリジナルのディティールを削って、メインストーリーだけ残したら、リメイクとは別物の映画になっちゃったという感じでした。

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Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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