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「未来を生きる君たちへ」は暴力の連鎖を描いていて、甘めのラストでも観る価値のある映画


今回は、東京では公開済みの「未来を生きる君たちへ」を横浜シネマベティで観てきました。DLPによる上映でしたが、最近はこちらもフィルム上映でないものに慣れてきたのか、あまり気にならなくなってきました。明らかに見劣りすることもなくなってきたのも事実ですし。

スウェーデン人の医師アントン(ミカエル・パーシュプラント)は、アフリカの難民キャンプで医師をしていました。彼の元には多くの患者が来ますがその中には、ビッグボスと呼ばれる男とその手下にひどい暴力を加えられた女性がたくさんいました。彼の離婚した妻マリアン(トリーネ・ディアホルム)と息子二人はデンマークで暮らしていて、仕事の合間にアントンは子供たちに会いに戻ってきていました。長男のエリアスは学校ではいじめられっ子でした。母親をガンで亡くして、ロンドンから引っ越してきたクリスチャンは、エリアスと仲良くなり、いじめっ子をメッタ打ちにして怪我をさせてしまいます。クリスチャンは、母親の死を望んだ父親に不信感を持っており、暴力にはそれを上回る暴力で仕返ししなくてはならないと考えていました。アントンが、クリスチャンやエリアスと一緒にいた時、自動車修理の男に絡まれて殴られてしまいます。報復することはいけないと諭すアントンですが、クリスチャンは、その男の車に花火で作った爆弾を仕掛けようとエリアスをけしかけます。一方、キャンプのアントンの前にビッグボスが現れます。彼の足の傷が化膿していて、その治療をしてくれというのです。医師の仕事として、彼を治療するアントンに周囲の視線は冷たいものでした。果たして、暴力と復讐の連鎖は止めることができないのでしょうか。

「ある愛の風景」「アフター・ウェディング」などで知られるデンマークのスサンネ・ビア監督の新作です。暴力と復讐をテーマに、その連鎖を断ち切れるかどうかについて描いています。ちょっとデビッド・クローネンバーグ監督の「ヒストリー・オブ・バイオレンス」と同じような視点を持った映画ですが、子供の世界に重心をシフトしています。映画の中で描かれる暴力は、かなりシビアで残酷です。それに対して、どういう態度をとるべきなのか。映画の中で語られる「やられたらやり返すの繰り返しで戦争が始まるんだ」という言葉は、確かにそうなんだけど、それが現実として存在します。その連鎖を断ち切れるかどうかに、未来はかかっているのですが、それを大人が子供に伝えているのかどうか、残念ながら、それがうまく伝わっていない現実として描かれています。

物語は、二つの世界が並行して描かれます。片方はデンマーク、もう片方はアフリカです。アフリカで難民キャンプの医師をしているアントンのところに、無残に腹を切り裂かれた妊婦が何度も担ぎ込まれてきます。銃で武装し子分どもを引き連れたビッグボスという男の仕業です。彼による理不尽な暴力で何人もの人が命を落としています。そんな彼が足の怪我で診療所にやってきます。銃で武装した部下をキャンプから追い出して、治療をしてやるアントン。看護婦も誰も手伝ってくれません。同僚からも、変わり者だと言われるアントンですが、仕事だからという理由でビッグマンを治療します。

一方のデンマークでは、クリスチャンがやたら過激な行動をとり、エリアスもそれに引きずられるようになります。アントンを殴った自動車修理工のオヤジの車に爆弾を仕掛けようというのです。アントンが実際に子供たちを連れて、オヤジに会いに行き、もうあんなバカにはかかわるなと諭しているのに、クリスチャンの暴走は止まりません。ナイフを持って学校に来たり、爆弾仕掛けようとしたり、クリスチャンって、いわゆる陰湿な不良少年ということになりましょう。彼には彼なりの心の傷があるのですが、だからって、花火で爆弾作っちゃうあたりは常軌を逸しています。

この二つの物語が並行して描かれるのですが、暴力の連鎖についての回答はこの映画では描かれません。多分、きれいな答えを導くことは不可能な問題なのでしょう。前述のクローネンバーグの「ヒストリー・オブ・バイオレンス」はそこを不快ながら正面から描いていて、ある意味見応えがありました。この映画では、土壇場で、問題点をすり替えることによって、娯楽映画としてのカタルシスをもたらすことに成功しています。どちらかに優劣をつけることはできませんが、問題提起という面では、どちらも重い題材に正面から取り組んでいると思います。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



ビッグマンは、おとなしくアントンの治療を受けていたのですが、ある日、やはり腹を切り裂かれた女性が運び込まれて命を落としたとき、とても人間とは思えないひどい事を口にします。アントンもさすがにブチ切れて、彼を診療所から追い出してしまいます。すると、キャンプの人たちが彼を引きずっていってリンチにかけてしまいます。それを黙って見ているアントン。でも、ビッグボスの後釜がまた現れて、同じことが繰り返されるであろうことは暗示されています。

一方、クリスチャンは父親からナイフを見つけられて、問い詰められると、「パパはママが死ぬことを望んだ」と逆に言い返します。彼の父親は、末期ガンに苦しむ母親を見て、彼女と合意の上で延命治療を止めていたのです。それが、クリスチャンからすると、父親が母親を殺したように映っていたのでした。いよいよ、暴力オヤジの車の爆破決行の日がやってきて、早朝、クリスチャンとエリアスは車の下に爆弾を仕掛けます。しかし、爆発寸前にジョギングの親子が通りがかり、それを止めよう飛び出したエリアスは爆発に巻き込まれ重傷を負ってしまいます。

警察に取り調べられたクリスチャンは、自分がエリアスを殺してしまったと思い込み、いつも二人で上った倉庫の屋上から飛び降りようとします。しかし、寸でのところで、アントンが駆けつけ、エリアスは無事だと告げます。翌日、入院中のエリアスをクリスチャンが見舞い、エリアスに謝ります。そんなクリスチャンを受け入れるエリアス。そして、アントンはまたアフリカに戻り医療活動を続けます。彼を乗せたトラックをキャンプの子供たちが追いかけてくるところで暗転、エンドクレジット。

というわけで、アフリカでは、復讐の連鎖を断ち切ることはできないことが描かれ、デンマークでは、復讐の連鎖の話が「身近な人の死をどう受け入れるか」という話に落ち着きます。正直、どちらも苦い結末なのですが、どちらにも希望の予感は持たせています。ただ、クリスチャンのやったことは、エリアスが許したことだけでは収まらないように思えて、そこに若干の甘さを感じてしまいました。

原題は「復讐」だそうで、英語題は「In a better world」と若干意味合いが変わっています。邦題は、英語題の意図を汲んでいるように思いますが、実際に映画の中で描かれるのは、暴力と復讐です。クリスチャンの復讐は一応の終結を見ることができますが、アフリカで日常化している暴力への復讐の連鎖は終わっていないように見えます。作り手の視線は、そのあたり、かなりシビアなように私には思えました。アントンが医師として父親として頑張っても、それでも、世界がよくなるのかは見えてきません。ただ、彼の行動の中に、「In a little better world」の空気を感じることができれば、それでよしというふうに見えました。でも、そういう思いや行動の積み重ねが、今よりはいい未来へとつながっていくという映画のメッセージは耳を傾ける価値があると思います。

シネスコサイズの画面で、アフリカとデンマークを統一感のある絵で切り取ったモーテン・ソーボーの撮影が見事でした。また、音楽を「ぼくのエリ 200歳の少女」のヨハン・セーデルクヴィストが担当しており、アンビエント風な音楽と、スロヴァク・シンフォニー・オーケストラによる美しい管弦楽とを組み合わせて印象的な音作りをしています。
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Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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