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「ラビット・ホール」は深刻な題材なのに、不思議な静けさに味わいがあります。


今回は新作の「ラビット・ホール」をTOHOシネマズシャンテ1で観て来ました。ここは、まだフィルム上映が中心で、上映前にドルビーデジタルのロゴが出ます。このロゴもいつまで見ることができるのやら。

ベッカ(ニコール・キッドマン)とハウイ(アーロン・エッカート)の夫婦は静かな暮らしを営んではいましたが、八ヶ月前に4歳の息子を交通事故で失った心の傷はまだ癒えてはいませんでした。できるだけ家の中から息子の気配を消そうとするベッカと、失った息子をまだ身近に感じていたハウイは、時として喧嘩になることもありました。同じように子供を失った親たちの集まりに出席した二人でしたが、「すべては神の意思だ」という告白にベッカは耐え切れなくなります。そんなある日、車を運転するベッカは、スクールバスの中にある少年を見つけ、バスを追いかけて、その少年の家をつきとめます。その高校生ジェイソン(マイルズ・テラー)は、息子を轢いた運転手だったのです。犬を追いかけて道路に飛び出した息子をよけそこなってはねてしまったジェイソンに、話をしたいと声をかけるベッカ。二人の間には、不思議と静かな時間が流れます。それは、心が揺れているベッカにとっても、ある意味安らぎを与えるものでした。ハウイは集会で一緒になった同じ境遇のギャビー(サンドラ・オー)と親しくなります。同じ心の傷を抱えた二人は意気投合するのですが、男女の関係にまではならないのでした。ジェイソンは、「ラビット・ホール」というコミックを描いていました。ラビットホールを通して様々なパラレルワールドを行き来する少年の物語です。でも、現実はそう簡単に別の運命を選択することはできません。息子の思い出の残る家を売る決心をするベッカとハウイですが、二人の心が昔のように戻ることはあるのでしょうか。

デヴィッド・リンゼイ・アベアーが自身の戯曲を映画用に脚色し、俳優出身のジョン・キャメロン・ミッチェルが監督した一編です。息子を失った夫婦の物語ながら、舞台劇とは思えない淡々と静かな展開で、ドラマチックな展開にならない不思議な味わいのドラマに仕上がっています。高校生が運転していた車にはねられたのですから、その当事者に対しての怒りとか恨みつらみが出てきてもいいと思うのですが、あえて、そういう部分を切り捨てて、悲しみといかにそれを乗り越えるかに焦点を絞ったドラマづくりになっています。92分という短めの映画なのですが、その中で、ストーリー的な山場を作らないまま、静かに物語が始まり、そして物語は収束しないまま、映画は終わってしまいます。

主人公も、加害者も、子供の死に対して嘆いたりわめいたりすることはしません。それは、もう動かし難い事実として、受け入れています。ベッカは、息子の服やおもちゃを処分して、息子の影を家の中から消し去ろうとします。一方のハウイは、元気だった息子の映像を見ては悲しい笑みを浮かべるのでした。悲しみに対する立ち向かい方は、明らかに違います。そして、それは二人の間の諍いの種となります。加害者であるジェイソンは、謝罪の気持ちはありますが、それによって自分の未来を封じ込めてしまうことはしません。実際、飛び出したのは息子の方で、ジェイソンの過失はほとんど問われなかったようです。だからこそ、ベッカもハウイも彼を責めることはしません。でも、彼が自分の描いたコミックをベッカに届けにきたとき、ハウイは怒りにまかせて「出て行け」と怒鳴ります。理屈では、彼を責められないのは、わかっていても、受け入れることはできない。ましてや、彼がベッカと会っていたというのは、ハウイにとってはショックでした。でも、ドラマはそこで盛り上げることはしません。物語の中の一つのエピソードとしてクローズさせています。それは、ハウイとギャビーが仲良くなる過程でも、同じでして、それによって、大きな変化が起きるわけではありません。ベッカの母親(ダイアン・ウィースト)や妹(タミー・ブランチャード)のエピソードもそれなりのドラマをはらんではいるのですが、映画全体を大きく動かすものではありません。

ジョン・キャメロン・ミッチェルの演出は、息子の死を物語の中心からずらすことで、愁嘆場をクライマックスにしないドラマに仕上げました。とはいえ、ベッカとハウイの再生のドラマかと言われると、そうとも言えませんで、たまたま息子の死というイベントにぶつかってしまった夫婦の有り様を淡々と描いたという感じなのです。いくらでも、ドラマチックになる要素はあるのに、同じく息子(ベッカの兄)を失っている母親との葛藤も、さらりと流し、妊娠している妹のエピソードもベッカにとっては心境の変化をもたらすものではありません。夫婦の間でも、様々なエピソードが登場するのですが、それが次のシーンでは、何事もなかったような日常になっているのです。この題材で、こういう静かな展開を見せるというのは意外性がありました。唯一、印象的なのが、タイトルにもなっている「ラビット・ホール」でして、もしもパラレルワールドがあるとしたら、もっと違う人生が歩めたかもしれないとベッカが感じるところに、ドラマチックな要素があったように思います。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



ハウイは、ギャビーに電話をかけて会いに行きます。そこにはお互いに何かしらの期待があったのでしょうけど、ギャビーに会ったハウイは彼女に「すまない」と謝って、そのまま帰ってきます。一方、その時、ベッカはジェイソンに会いに行っていました。卒業式で着飾って友人たちと車に乗り込むジョナサンを見て、なぜか車の中で泣き崩れる彼女。いつしか時間が経って、気がついてみるとそこにはジョナサンがいました。ベッカとジョナサンは公園で自分たちの境遇と未来について語るのでした。ハウイは家に帰ったとき、ベッカがいないので、家を出て行ったのかと思ったのですが、帰ってきた彼女を見て、一息つきます。そして、これからどうしようと語り合う二人、パーティをやって、みんなを楽しませようと言い出す二人、画面は実際に二人が友人や家族を呼んでホームパーティをしているシーンになります。そして、パーティが終わり、みんなが帰った後、椅子に座って、手を握り合う二人のカットから暗転、エンドクレジット。

結局、何かが起こりそうで起こらない、でも二人は何とかやっていこうとしているところを見せて映画は終わります。劇的な変化はないけれど、それでも、人生乗り切っていかなきゃいけない。でも、そういうことを大きな声で言えるほど強くはない二人を、ニコール・キッドマンとアーロン・エッカートは抑えた演技で演じきりました。いつものような華もなければ、女優としての見得を切るシーンもないキッドマンでしたけど、そういうリアルな役どころを演じられるようになったということなのでしょう。スター性が後退した分、女優としての円熟味が増したということができると思います。アーロン・エッカートはどんな役柄を演じてもうまい人ですが、この作品では、存在感を控えめにすることで、あえてドラマ性を抑えた演出に応えて好演しています。

高校生の車に轢かれて、4歳の息子を亡くした両親の物語としては、意外なほど淡々としています。当の加害者と遺族のやりとりにも、どこか静謐というか、おだやかな印象さえ感じるほどです。事故から8ヵ月が経って、憎しみはおろか悲しみさえもが、枯れてきているような感じさえしてくる展開は、観る人によって様々な解釈ができると思います。ラストシーンは、今そこには、自分の夫、妻しかいないのだと気付いたように見えました。悲惨で残酷な話ではあるのですが、どこかに説明し難い安らぎを感じさせてくれるのが、不思議な後味を残します。いつもなら、ちょっとの出番でも存在感をアピールするダイアン・ウィーストもドラマの流れの中で、控えめにドラマに溶け込んでいるのが印象的でした。
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Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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