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「コンテイジョン」はパンデミックを扱った、クールなエンタテイメント


今回は新作の「コンテイジョン」を、静岡ザートシネシティシネマ9で観て来ました、ここはできたばかりのシネコンでして、座席数の割にかなり大きなスクリーンの映画館。ただ、スクリーンはビスタサイズ上映でもシネスコサイズのままで、スクリーンサイズに合わせて幕が移動することはありません。これが今風の合理的なのかもしれませんが、映画館のスクリーン前の幕がなくなり、上映サイズのフレーム区切りもなくなるってのは、何だかつまらないぞ。

物語は2日目から始まります。香港から帰国したベス(グウィネス・パルトロウ)は咳きが止まらず何だか様子が変。立っていられなくなった彼女を、夫のミッチ(マット・デイモン)が病院に運び込みますが間もなく死亡。そして、その間にミッチの息子も発症して亡くなります。潜伏期間が短く発症すると脳に炎症を起こして死に至る病気は、香港のウェイター、東京のサラリーマンたちに感染していました。東京のサラリーマンが死亡する映像をチェックしたジャーナリストのアラン(ジュード・ロウ)はネットのブログ上でこの事件を書きたてます。一方、疾病予防管理センター(CDC)のチーヴァー博士(ローレンス・フィッシュバーン)は部下のエリン(ケイト・ウィンスレット)を発症者の出ているミネソタに調査のために送り込みます。ジュネーブのWHOではレオノーラ(マリオン・コティヤール)はベスの感染経路を調べるために香港へと向かいます。この病気のワクチンを一刻も早く開発する必要がありましたが、それは思うように進んでいませんでした。CDCのアリー(ジェニファー・イーリー)は何匹ものサルを使って有効なワクチンを見つけようと尽力していましたが、アランはワクチンなんか効かない、レンギョウが特効薬だというデマを流していました。ワクチンが作られても世界中に行き渡るには時間がかかることから、優先的にワクチンを得るために、レオノーラは拉致されて人質状態。伝染性の高いこの病気のために世界はかつてない混乱に落とし込まれてしまうのでした。

「トラフィック」「エリン・ブロコビッチ」などで知られるスティーブン・ソダーバーグ監督の新作です。マット・デイモンやジュード・ロウなどのスターを使って、ある病原体によって世界中が危機におちいる様をドキュメンタリータッチで描いています。特に、誰が主人公というわけではない、群像ドラマとなっているのは「トラフィック」と同じ趣向なのですが、「トラフィック」のような強いメッセージ性を持った映画ではありません。もし、パンデミックが発生したら、何が起こるのかをリアルに描いたシミュレーション映画としての趣がありました。

その日の朝は元気だった妻が突然亡くなってしまったミッチは驚きで感情がコントロールできなくなります。そして、息子も失い、残った娘を何とか守ろうとします。アランは東京の映像から、不安を煽ることで、自分を世界中に売り出そうとします。エリンは調査に向かった先で発病してしまい、チーヴァー博士は恋人に封鎖される前に街を出るようにと情報を漏らしてしまいます。街では略奪が起こり、街の機能はマヒしていきます。こういったエピソードを積み重ねることで、パンデミックの恐怖を見せていきます。特に誰かのドラマに焦点をあてることはしておらず、病原体が世界中に広まったらどうなるだろうということを絵解きした映画と言えましょう。

ドラマチックな部分をさらりと描いているので、なかなか感情移入しにくいのですが、それでも、面白いエンタテイメントとしてまとまっているのは、演技陣にいいところをそろえているのもあるのですが、パンデミックにまつわるエピソードをうまく抽出したスコット・Z・バーンズの脚本によるところが大きいでしょう。レンギョウが効くというデマが飛んだり、ワクチンは作られたものの、一度に全ての人には行き渡らないことから、抽選で特定の誕生日の人からワクチン接種を受けられるというのも、どこかコミカルだけど、実際にはあり得そうで説得力のあるシーンになっていました。登場人物の割り振りでは、市民の視点をミッチに集約させ、それ以外は、病原菌と戦う人々を描いています。その結果、わかりやすいドラマに仕上がってはいますが、病原菌の恐怖を描ききれていない部分も出てしまいました。特に、情報不足やデマに振り回される人々の姿がもっと描かれていたら、映画としての視野が広がったのではないかと思いました。

そんな中で、特に印象的だったのは、ワクチンの優先順位を上げさせるために拉致されるWHOの職員レオノーラのエピソードでした。中国側職員の実家の村に連れ去られ、彼らのためのワクチンと引き換えに解放されるのですが、病原菌が蔓延しつつある中で、生産量に限界があるワクチンを入手するためには、様々が不正な行為が行われるであろうことは想像がつきます。ワクチンがアメリカとフランスで生産されているという事実が広まれば、アジア、アフリカが後回しになるだろうことは予想がつきますし、保健機関の人間や家族に優先的にワクチンが接種されるであろうことも想像がつきます。それを手段を選ばず横取りしようという人間の行動には納得できるものがあります。そもそも、国によって、従事する仕事によって、ワクチンの優先度が変わってしまうことはフェアじゃないのですから、それを横取りしようとすることも同じことだと言えます。自分一人のワクチンならあきらめがついても、家族や大事な人の分を確保したいと思うのは人情ですもの。映画自体はそこにあまりこだわることはないのですが、観る人によって、強い印象を受けるシーンは異なっているように思います。できるだけ、思い入れの入らない演出で、パンデミックを様々な切り口から見せるという構成になっているからです。

豚インフルエンザとか鶏インフルエンザなどが、騒がれたことを思いかえすと、この映画で描かれていることは、非常にリアルな近未来映画ということが言えましょう。日本映画だと、誰が死ぬか、どう死ぬかというところを情緒的に描いて泣かせの映画にするところを、この映画では、死を非常にクールに扱っています。子供の死をあっけらかんと見せるあたりとか、死体を穴を掘って埋めていくシーンを淡々と描くくだりなど、死を一人一人の人生の集約点というよりは、生態反応の止まった死体として扱っています。しかし、この病原体の死は、簡単に感染して、あっけなくもたらされるものなのです。冒頭の、ベスの突然に死に、どう対応してよいかわからなくなる夫のミッチの姿に、生と死の紙一重の差が見事に表現されているように思いました。

映画は、2日目から始まるので、おかしいなと思っていると、ラストで、病原菌がコウモリからブタ、そしてブタを調理したコック、そのコックと握手するベスの姿が映るところで、感染の1日目が描かれるところで、暗転、エンドクレジットとなります。映画の中盤で、ベスは香港のカジノで色々な人に接触することで、病原菌を広めてしまったことが、カジノの監視カメラからわかってきます。実際、彼女に接触した人々が発症して亡くなっているのです。その一方で、ベスの夫であるミッチは、接触しているのに発症しません。どうやら、感染しても発症する人としない人がいるようなのです。それでも、世界の2600万人の人がこの病原菌のために亡くなってしまいます。それが、多いのか少ないのか、そして、発症する人と発症しない人はどこが違うのか、一般市民の視点からすれば、そういうことがすごく気になるのですが、そのあたりは、この映画では描かれません、というより、誰にもわからないようなのです。そのわからないというところに、不安、そしてデマの入り込む隙ができてしまいます。ネットの普及で、情報の蔓延する速度がどんどん加速しています。時として、それは世界的規模のデマを生んでしまうこともあると思うと、情報化社会で、情報をどう取捨選択すればいいのか考えさせられるものがありました。

クリフ・マルチネスの音楽が、ドキュメンタリーのような、ミニマル音楽を中心に、リアルなサスペンスを盛り上げるのに成功しています。

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einhorn2233

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Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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