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「緯度0大作戦」はレトロB級っぽさが懐かしい味わい、まあ懐かし映画ですけど


今回は、古い日本のSF映画「緯度0大作戦」がテレビ放映されていたのを録画で観ました。1969年ということなので、私が小学生の頃の映画です。東宝チャンピオン祭りで短縮版上映された際は「海底大戦争」のタイトルになっていましたが、ともあれ今回が初の鑑賞となりました。

太平洋のど真ん中、海洋調査のため、潜水球でもぐった田代博士(宝田明)、マッソン博士(岡田真澄)、記者のロートン(リチャード・ジェッケル)の3人。ところが調査中に近くで海底火山が噴火し、ロープは切れ、彼らは海中深く沈んでいきました。しかし、そこへ謎の潜水艦が現れて、3人を救出します。その潜水艦はα号といい、船長のマッケンジー(ジョセフ・コットン)や女医のバートン(リンダ・ヘインズ)が乗り込んでいました。そこへ現れたのが、悪者マリク(シーザー・ロメロ)の配下にある潜水艦黒鮫号。追跡魚雷やレーザー砲で攻撃しますが、α号はそれをなんとかかわして、緯度0と呼ばれる場所にやってきます。そこは、海底なのに、人工太陽があり、自然があふれるユートピアでした。そこには、行方不明になっていた科学者が集まっていて、平和利用のための研究がされていて、時にはその成果が情報源を伏せられたままリークされてもいました。放射能免疫の研究者岡田博士(中村哲)も緯度0へやってくるはずだったのですが、マリクにもマークされていて、緯度0へ向かう途中の船から誘拐されてしまいます。そこで、田代たちは、マッケンジーと一緒にα号で、マリクのアジトであるブラッドロック島へと向かいます。しかし、島には大ネズミやコウモリ人間や人間の脳を持つ怪物グリフォンが彼らを待ち受けていたのです。

日本映画ながら、ジョセフ・コットン、シーザー・ロメロ、リチャード・ジェッケルといった外国人俳優を招いた、怪獣映画ではないけど特撮をフルに使ったSF映画です。脚本はゴジラシリーズの関沢新一とテッド・シャーマンが共同で執筆し、特技監督にはこれが最後のSF映画になる円谷英二が参加し、東宝SFで実績を重ねてきた本多猪四郎がメガホンをとりました。

α号と黒鮫号という潜水艦同士の戦いを中心に、明快な善玉悪玉との対決ものになっています。どっちもそれなりの組織力を持っているらしいのですが、あくまで潜水艦での戦いがメインになっていますので、「眼下の敵」のような限定戦争みたいな趣があります。善玉悪玉ともに、その他大勢の皆さんがあまり登場しないものですから、全体にこじんまりした印象の映画に仕上がっています。α号なんて、船長、副長、女医さんに地上からの客人3人の全部で6人しか乗組員がいないのですから、戦争映画のような緊迫感はほとんどありません。それでも、全体を流れるどこかのんびりとした感じは時代を感じさせ、こういうSF映画もあったんだねーという発見があります。

島に渡ってからも、マリクは彼らの動向をモニターで観ているのですが、たいした攻撃も仕掛けません。その一方で、マリクの愛人でもある黒鮫号の女船長をつかまえてきて、その脳をライオン移植し、さらに鳥の羽も移植して、怪物グリフォンを作り上げて大満足。放射能免疫の研究成果を語らない博士の脳と取り出そうというマッドサイエンティストぶりなんですが、シーザー・ロメロがこういう映画にふさわしい大仰な芝居で映画を盛り上げています。いわゆるB級SFのツボを押さえた演技ということになるのでしょう。

しかし、マッケンジーたちを待ち構えていたのは、大ネズミの群れでした。この大ネズミとかグリフォン、さらにライオンまでが、いわゆる着ぐるみでして、その造形もB級臭ぷんぷん。人間が四足動物の着ぐるみに入るとどうしても後ろ足に無理がでちゃう(長すぎるし、膝で立っちゃうとおかしいし)のですが、この映画では、連中の下半身ができるだけカメラに写らないようにして、何とか乗り切ろうと健闘しています。マリクに改造されたという設定で、コウモリ人間も登場するのですが、こちらの着ぐるみもなかなかのクオリティで、仮面ライダーの蝙蝠男といい勝負です。それでも、ゆるーい気持ちで観てみればそれはそれでありかもって気がします。緯度0というユートピアの設定、何だかわからないけどとにかく悪い人のマリクの存在など、奇想天外なSFということになるのですが、本多猪四郎のマジメな演出がその設定を生かしきれなかったように思います。もう少しケレン味とかハッタリがあった方が物語が弾んだのではないかしら。円谷英二の特撮は、ブラッドロック島のセットですとか、その大爆破シーンなどは大画面で観たらかなりの迫力があっただろうことが伺えますが、潜水艦同士の対決は地味すぎて盛り上がりませんでした。もう少し見せ方を工夫すれば何とかなっただろうにと思ってしまいました。

ブラッドロック島に乗り込んだマッケンジーたちはさほどの危機もなく、マリクがいる部屋までたどり着いちゃいます。そこで脳を取り出されそうになっていた岡田博士とその娘を救出します。そして、α号にもどったところ黒鮫号が攻撃してきます。危機一髪のα号が新装備を使って何と空を飛んじゃいます。それをレーザー砲で撃ち落そうとするマリクですが、何とグリフォンが黒鮫号を襲ってきます。自分を怪物にされた愛人の怨念とでもいうのでしょうか、でもって黒鮫号は沈没、爆発、その爆発に誘発されたのか島ごとドッカンドッカン吹っ飛んでしまうのでした。



で、この先にまだある結末に触れますのでご注意ください。(一応)



緯度0に無事帰還した、マッケンジーたち。田代博士は、岡田博士の娘と仲良くなり、マッソン博士も女医のバートンとラブラブになって、緯度0に残ることになります。記者のロートンは緯度0の写真を撮りまくり、さらには緯度0に山のようにあるダイヤのおこぼれをもらって、自分は帰ると緯度0を去ります。マッケンジーもそれをあえて止めませんでした。そして、太平洋上で救助されたロートンなのですが、救助された船の船長が田代博士と瓜二つ、しかもフィルムには何も写っておらず、ダイヤも跡形もなく消えてしまっていました。必死に自分が緯度0にいたことを説明しようとするロートンの前に現れた軍人はマッケンジーに瓜二つ、そしてマッケンジーのそっくりさんに呼び出された軍人さんが何とマリクに瓜二つ。どうなってんのと呆然となるロートン。でもって、おしまい。

ラストだけ、とってつけたような小洒落た展開になるのが面白かったです。ロートンの夢オチなのか、パラレルワールドなのか、そのあたりを曖昧にした結末は悪くありません。でも、それまでの展開が本多監督のマジメな演出のせいで、それなりに重みがあるので、最後にちゃぶ台ひっくり返されちゃうのは、何だか居心地の悪い後味でもありました。

演技陣では、シーザー・ロメロの絵に描いたような悪役ぶりと、リチャード・ジェッケルのコミカルな味わいがよかったです。ジョセフ・コットンは、まだこの頃はメジャーなスターだったのかしら。この翌年に「トラトラトラ」でビリング二枚目の陸軍大臣を演じてましたから、それなりのポジションだったのでしょうけど。

最初は日米合作のつもりで始めたプロジェクトだったのが、結局日本側の全額出資に変わったのだそうです。それがよく出たのか悪く出たのかわかりませんが、全体的にこじんまりとした展開、1950年代を思わせるチープなモンスターとマッドサイエンティストという設定がB級感ただよう映画に仕上がっています。
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「アルゴ」はウソみたいなホントの話をサスペンスと笑いで描いた娯楽作品


今回は、新作の「アルゴ」を丸の内ピカデリー3で観て来ました。ここは、フラットな場内、大きめのスクリーンがやや高いところにあるという映画館で、その高さのせいでやや後ろの方ベストポジションになります。

1980年のイランのアメリカ大使館人質占拠事件が起こったとき、大使館員の6人が脱出に成功していました。彼ら、カナダ大使の私邸にかくまわれていましたが、大使館内の人質と同様大変危険な状態にありました。大使館を占拠した皆さんはシュレッダーにかけられた書類を人海戦術で復元し、大使館員が足りないことに気付くのは時間の問題です。国務省は6人を脱出させるために、計画を練るのですが、どれも実現性のないものばかり。オブザーバーとして会議の場に居合わせたCIAの人質救出のエキスパート、トニー(ベン・アフレック)は、6人を映画のロケハンにきたカナダ人になりすまさせて、空港からの正面突破を提案します。バカげた案だと最初は一蹴されるのですが、他のダメ案の中では一番マシということになり、ゴーサインが出ます。まず、映画プロデューサーのレスター(アラン・アーキン)と特殊メイクのジョン・チェンバース(ジョン・グッドマン)に協力をもとめ、イランをロケ地に使えそうな脚本を探し出し、ニセのキャスティング、製作発表をしてタイム誌に映画の記事を載せることに成功します。その映画のタイトルが「アルゴ」でした。そしてトニーは現地に行って、6人に接触し、この作戦を伝えます。最初は懐疑的だった6人も他に選択肢のないことを知り、割り振られた各々の役どころ、監督、脚本家などを演じることになります。アメリカ人であるとばれたら公開処刑が待っている。そんなぎりぎりの恐怖と闘いながら、脱出作戦が開始されるのでした。

実際にあった事件に基づいたサスペンス映画の一品でして、「ザ・タウン」でもうまさを感じさせたベン・アフレックが監督・主演しています。テヘラン、CIA、ハリウッドを並行して描くことで、生と死のぎりぎりのせめぎ合いとホラ映画作りのお話を同一次元に置いて、娯楽映画としての面白さも十分に、当時のイランの状況をリアルに描いています(ように、私には見えました)。カナダ大使の私邸にかくまっておくのも限界となっているぎりぎりの状況で、アメリカでは何をしているかというと、クズSF映画の脚本を買い取り、映画事務所を立ち上げ、映画のストーリーボードを描き、衣装も作って俳優に着せて、マスコミも招いた公開本読みをしています。何だかノンキにも見えて、現地とのギャップがすごいのですが、この映画の存在をイラン側に信じさせるためには必要なことだったのです。6人の大使館員をカナダ人の映画スタッフということにしてイランを出国させるため、その作戦の中で映画の存在をリアルに見せるためだけに、遠いハリウッドで大ペテンを仕掛けるというウソみたいな話が実際にあったというところがこの映画の面白さになっています。

この事件が起きて、日本でもパーレビ国王とかホメイニ師といった名前が知られるようになったのですが、政治に疎い私はその経緯はよく知りませんでした。この映画は、冒頭でアニメと記録映像を使って、なぜこういう事件が起こったのかを絵解きしてくれます。イランで新たにできた政権がそれまで米英に牛耳られていた石油を国有化したのですが、裏で米英が動いて政府を転覆させ、親米派のパーレビ国王がトップに立ちます。彼は贅沢三昧、かつ国民を抑圧する政策を行ったため、国民は貧困状態でした。そして、反パーレビ派が国王を追放、一方亡命していたホメイニ師が帰国しました。反パーレビ、反米の嵐がイラン国内に吹き荒れていたとき、反米デモの暴徒がヒートアップしてアメリカ大使館になだれ込み、大使館は革命防衛隊に占拠されてしまったのです。そこから先はニュースで知っていたのですが、その前を知らないと狂信的なイスラム信者の暴挙にしか見えないところがありました。映画では、そこのところをきちんと描いていて、アメリカのイラン人が暴行されるシーンなども挿入されています。パーレビ政権下で、大使館の人質以上の人間が犠牲になっていたのではないかと匂わせて、できるだけこの事件をフェアに描こうとしているようです。

フェアに描く一方で、かくまわれている6人の状況はリアルに死の恐怖と隣り合わせになっており、全編に渡ってピリピリとした緊張感があります。トニーは何としても6人を救出しようと心に決めている一方で、100%の勝算はありません。それでも、彼は6人の大使館員に自分を信じて行動すれば必ず生きて帰れると説得し、この作戦への協力を納得させます。ベン・アフレックの演出は、6人の大使館員やカナダ大使夫妻、そしてその家の家政婦までを丁寧に描いて、ドラマに奥行きを与えています。ドラマのポイントは、大使の家から6人を連れ出して空港まで行って飛行機に乗るというシンプルなものなのですが、そこにきちんと人間ドラマが描かれているので、映画としての見応えは十分です。

一方のハリウッドでのニセ映画でっちあげ作戦の方はコミカルに描かれていまして、レスターというプロデューサーの狸ジジイぶりですとか、イランをロケ地に選ぶ説得力を出すために砂漠の惑星を舞台にしたSFを選び、イランをイメージしたストーリーボードをでっち上げてくだりなどは、バカバカしくてかなり笑えます。しかし、このクズ映画に6人の命がかかっているというのが、この映画の不思議な味わいになっています。このニセ映画作戦にたどり着く前には、自転車で300キロ以上走破して脱出する作戦とか、農業ボランティアに化けさせて脱出させるといった作戦が検討されるのですが、その実現度から一蹴されてしまいます。そして、最悪の作戦の中のもっともマシなものとしてこのニセ映画が選ばれるのです。その発案のきっかけが、トニーが息子と一緒にテレビで観た「最後の猿の惑星」だっというのがおかしく、その当時「スター・ウォーズ」が大ヒットしてその亜流SFがたくさん製作されていたことがこの作戦の現実度を高めたようです。

トニーはトルコでイラン大使館に挨拶した後、イランの教育省に向かい、イランで映画を撮影したい旨を伝え、6人の映画クルーとともにロケハンに来ていると説明します。一方、カナダ大使の私邸の周囲にもイランの革命防衛隊がローラー作戦を展開していて、ちょっとでも怪しい素振りを見せたら、即家捜しから強制連行が入る危険な状態でした。トニーはカナダ大使の家へと行き、6人の大使館員に各々の役どころを説明します。尋問されてもいいように架空の人物の設定を頭に叩き込む必要がありました。すぐに空港へ向かえる算段だったのですが、教育省からロケ地の説明という名目でテヘラン市内の市場バザールに来るように言われます。それは人ごみの中で6人の顔をさらすことになり、大変な危険なことだったのですが、教育省の指示には従わざるを得ません。そこで、美術監督の設定で店の写真を撮っていたのがトラブルになってしまうのですが、何とかその場を乗り切ります。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



トニーのもとにCIA本部から連絡があります。アメリカ大使館の人質に対してアメリカ軍の救出作戦が進められているということから、ニセ映画作戦は中止という命令でした。カナダ大使の私邸から連れ出されて殺されるのであれば、国際世論は反イラクに向かうだろうが、ニセ映画作戦が露見して殺されでもしたら、大使館の人質救出作戦にも差し障るというのです。トニーは、悩んだ末、彼らの脱出作戦を決行するむねを本部に告げます。既に作戦は中止となって、航空券もキャンセルされ、映画事務所の電話待機も解除されていました。本部は大急ぎで航空券手配、事務所への連絡をとろうとします。トニーと大使館員6人は行動を開始し、空港に向かうのですが、キャンセルされていた航空券は寸手のところでゲットでき、出国管理も教育省のスタンプで通過、搭乗入口前での革命防衛隊の尋問の受けることになります。それまで、脱出作戦に消極的だったジョーがペルシャ語で彼らを説得、ストーリーボードを使って映画の内容を説明します。その頃、米大使館では、シュレッダー屑から復元した大使館員の写真が、映画のロケハンスタッフと一致することが判明、カナダ大使邸に兵士が向かいますがそこはもぬけの空。空港に手配の連絡がいきます。その頃、搭乗入口では、防衛隊兵士がトニーの名刺の電話番号(映画事務所)へ電話をかけていました。ギリギリのところでレスターが電話にこたえて、今、海外でロケハン中の旨を伝え、トニーと6人は飛行機の搭乗に成功します。しかし、連絡を受けた革命防衛隊の兵士たちがトラックとパトカーで離陸中の飛行機を追跡しますが、何とか飛行機は離陸、無事にイラン国境を越えることに成功します。当時の実際の関係者の映像が入り、そのあとトニーが別居中の妻と子供のもとを訪れ、息子とのツーショットから、息子のおもちゃの棚の中に置かれた「アルゴ」のストーリーボードのアップとなり、おしまい。

クライマックスの空港のシーンはサスペンスたっぷりの展開となりますが、ぎりぎりタッチの差で間に合うってのを3回連続してやるのは、でき過ぎな感じがしてちょっと残念でした。ウソみたいな作戦が「ホントに」ウソみたいな展開になっちゃったと言ったら通じますかしら。そういう難点もありますが、それでも無事イラン国境を通過したときは大変なカタルシスがあります。このことで、トニーがCIAの最高の賞を受けるのですが、極秘作戦のため、クリントン政権がこの作戦を公開可とするまで、賞は彼の手には渡りませんでした。当時は、カナダの人道的な行為として報道されていたのだそうです。

演技陣はハリウッドコンビを除いて、地味なメンツをそろえていますが、みな個々のキャラを好演しています。お久しぶりのクレア・デュバルがいい味を出していたのと、カナダ大使のヴィクター・ガーバーの毅然とした演技が際立って印象的でした。カナダ大使が、脱出の前日、作戦中止となったことを知り、自分の命も危ない時に、トニーに向かって「みんなが気付く前に消えろ、君はよくやった」というシーンは、この映画の唯一泣かせるシーンになっていました。

実際にあったことを娯楽要素を交えて描いているのですが、対イラン、対イスラムというイデオロギーには触れずに逆境における人間の行動にフォーカスしてドラマを組み立てているので、見終わった後味がいい映画になっています。ハリウッド側のコミカルな描写や、クライマックスで作戦中止を告げた本部がみんなでトニーを助けようとするシーンなどを入れることで、主人公単独のヒロイズムのお話にならないようにしているあたりはうまい作りになっています。

「エクスペンダブルズ2」はセガールが団体で攻めてくる映画、強すぎる!


今回は新作の「エクスペンダブルズ2」をTOHOシネマズ川崎4で観てきました。まだ、映画の予告編前にバカップルのミニドラマやってるんですよ。CMにしては長いし、ドラマにしてはウザすぎ。川崎はシネコン激戦区なんだから、こんなことやってると、チネチッタにお客持ってかれちゃうぞ。

バーニー(シルベスター・スタローン)率いる傭兵軍団エクスペンダブルズは、ネパールで反乱軍にとらわれている中国人を救出するために、正面突破で乗り込んで大暴れ。そこにはターゲットの他に傭兵の同業者トレンチ(アーノルド・シュワルツネッガー)も捕われていました。ターゲットの救出に成功したバーニーにCIAのチャーチ(ブルース・ウィルス)が新しい仕事を持ち込んできます。バルカン半島に墜落した飛行機に積んであるケースを回収すること。マギー(ユー・ナン)というお目付け役とともに現地に向かうバーニーたちは、飛行機を発見、ケースも見つけるのですが、そこに現れたのが、ディラン(ジャン・クロード・ヴァンダム)率いる悪者の皆さん。チームの若い狙撃手ビリー・ザ・キッド(リアム・ヘムワース)を人質にとられてしまい、バーニーは仕方なくケースを渡すのですが、キッドはディランに殺されてしまいます。ケースの中にあったのは、旧ソ連が隠していた5トンのプルトニウムの地図でした。ディランはそれを掘り出して稼ごうというのです。バーニーはキッドの敵を討つべく、仲間とともにディランを追うのでした。

アクションスターを集めて、派手な見せ場を盛り上げた「エクスペンダブルズ」の続編です。ジェイソン・ステイサム、ジェット・リー、ドルフ・ラングレンといった前作からの面々に加えて、今回は、悪役にジャン・クロード・ヴァンダムを迎え、さらにチャック・ノリスも参加し、前作ではカメオ出演だったブルース・ウィリスとアーノルド・シュワルネッガーもきちんと活躍するという、アクションファンにはかなりの豪華版の映画です。ケン・カウフマン、デビッド・アゴスト、リチャード・ウェンクの原案を、ウェンクとスタローンの脚色し、「コン・エアー」「将軍の娘」「ストレンジャー・コール」などアクション、ミステリー、スラッシャーと様々なジャンルを手堅く仕上げてきた職人サイモン・ウェストが監督しました。

お話はものすごくシンプルで、まずオープニングでバーニー達の大暴れを見せて、その次の仕事で、仲間を殺されたバーニーがその復讐戦で、敵地に乗り込んでいくというもの。味方の弾丸は全てヒットするけど、敵の弾は全然かすりもしないというのは前作からの同じお約束ごとなのですが、今回はそれに加えて、スタローンやステイサムの肉弾戦をきっちりと見せています。前作のことを集団セガールだと書いたのですが、今回は格闘シーンもちゃんと見せているので、よくできた集団セガール映画に仕上がっています。冒頭の派手なアクションから、今回は、見せ場をとんとんと調子よくつないでいまして、サイモン・ウェストの演出は緩急自在のうまさを発揮して快調です。悪役を徹底的に悪く憎憎しげに描き、スタローン側は愛嬌あるキャラクター設定になっているという単純明快さもマルでして、徹底的にわかりやすい善悪の対立の構図、そしてさらに男気を見せる主人公のかっこよさと活劇の定番を押さえつつ、見せ場は物量で攻めてくるサービス精神がお見事。

ただ、役者の使い方がちょっと変というか、何だか大雑把。ジェット・リーはオープニングのミッションでそれなりのアクションシーンを見せてくれていますが、何とそこで退場。メインストーリーには絡んできません。シュワルツネッガーとウィリスは前半ちょっとだけ登場して後半は結構出番があるのですが、ほとんどセルフパロディみたいな立ち位置で、最初からこの脚本だったのだろうか、現場で適当に脚本書き直したんじゃないのかと思えるくらいのお気楽な登場になっています。すっかり好々爺と化してしまったチャック・ノリスもとってつけたような登場で、確かにバーニーを2回助けにやってくるおいしい役どころなんですが、ノリスの出演が決まってから、後付けしたような役なのがおかしく、そのユルさのようなものが、映画全体に感じられるのですが、そこをご愛嬌として楽しめてしまうところにこの映画のよさがあると言えましょう。また、スタローンとステイサムが一応小洒落た会話をしているようでいて、どこかイモっぽいのは、狙ってやっているのか結局そうなっちゃったのかはわかりませんが、そのダサさがいい感じにこの映画にマッチしています。悪役の方が主人公たちよりも悪そうだけど、スマートに見えるってのは、このての映画の逆パターンなんですが、そういうひねりが、たまたまそうなっちゃったように見えちゃうのが、この映画の妙なおかしさにつながっています。また、紅一点のユー・ナンが色々な知識に長けているけど、実は拷問のプロだったという意外性も楽しく、彼女が美女じゃないってところは、過去のスタローンの相手役のパターンを踏襲していて面白かったです。さらに、映画の冒頭で「おれ、この仕事をやめて国で恋人と暮らすんだ」という典型的死亡フラグなセリフを吐いていたリアム・ヘムワースが、やっぱりお約束どおりに死んじゃうという律儀な展開もバカ正直な定番ぶりでした。

戦闘シーンは特殊効果とCGを使って派手な見せ場になっていまして、バーニーたちの弾丸に蜂の巣にされたり、頭を丸ごと吹っ飛ばされる皆さんなどが登場するのですが、全部クイックショットにしているので、残酷さより爽快感があるのは、こういう映画のツボをよく押さえていると思います。クライマックスは空港での銃撃戦になりまして、一般人もいっぱいいるなかで、派手に撃ち合うのですが、主人公側に弾は一発も当たらず、敵側は100人以上殺されちゃってるのですが、そもそもそんなにいたっけなんてことにはおかまいなしの大らかさがこの映画の持ち味なのでしょう。シュワルツネッガーとウィリス、さらにノリスもこの銃撃戦に参加するのですが、単に銃をぶっ放してザコ敵を蹴散らしているだけという、別にいてもいなくても大差ないようなポジションなんですが、それでも、彼らができるだけ長い時間画面に映っていれば、それだけ映画に箔がつくわけでして、スター顔見せ映画の典型なんですが、それが結構有効に作用しているから、この手に映画はあなどれません。まあ、細けえことはいいんだよってノリですね。

ドラマのアクセントとして、敵のアジトに向かう途中の村が、男手を全てヴィランにプルトニウム堀りの人足として刈りだされてしまって、女子供だけになっているというエピソードがあります。村の女性陣は慣れない武装をして、バーニーたちを出迎えるのですが、結局、彼らに村を守って欲しいと訴えます。バーニーはやることがあるからとそこを立ち去るのですが、アジトを襲ったときに、捕われていた村人たちを救出しようとする男気を見せます。それでも、地下に閉じ込められてしまうのですが、そこに救出に現れるのが、シュワルツネッガーというところはかなり笑えました。臆面もなく「I'm Back!」なんて言ってるし、「ターミネーター」のテーマが1フレーズだけ流れるというお遊びもあって、何と言うか、全体的にお祭りっぽいのですよ。その後、プルトニウムを積んだヴィランのトラックを先回りして、空港で真正面から待ち構えるあたりもよく考えるとすごい。オープニングもそうなんですが、この傭兵部隊はゲリラ戦が嫌いなのか、やることが正面突破ばっかり。自分たちには弾が当たらないという確信があるとしか思えない、出たとこ勝負ぶりは、見事を通り越してある意味バカ。

どこを切ってもやり過ぎ感、いきあたりばったり感満載な映画ではあるのですが、ちゃんと1本の映画としてまとめあげているところが、サイモン・ウェストの職人芸なのでしょう。また、映画の内容とは関係ないのですが、この映画の製作に、アヴィ・ラーナーのヌー・イメージ社が入っているせいか、主要なシーンはブルガリアで撮影されているようです。(エンドクレジットのスタッフ名を見るとそんな感じ。VFXスタジオもブルガリア。)「その男ヴァン・ダム」で「もうブルガリアの映画工場での撮影はいやだ」なんてボヤいていたジャン・クロード・ヴァンダムが、またブルガリアに戻ってきて、スタローンと競演しているのがおかしかったです。やはり、こういう無国籍映画で、派手な破壊やアクションをやろうとしたとき、ブルガリアの方が安くあがるのでしょうね。ブライアン・タイラーがヒロイックなアクション音楽をお約束のように鳴らしていたのも映画を盛り上げるのに貢献していました。演奏をスロヴァク・ナショナル・フィルハーモニック・オーケストラが担当しています。最近の映画音楽でよく聞く名前のオーケストラなのですが、アメリカのオケを使うよりも安くあがるのでしょう、多分。

ともあれ、アクションとヒロイズムに徹して、愛だの社会性だの、細かいところをオミットしている、単純さ(ある意味潔さ)が、この映画をよくできた(バカ)娯楽映画に仕上げていると思います。B級アクションの豪華版という感じは、スティーブン・セガールの映画を太くでっかくした感じと言えば、ご理解いただけでしょうか。セガールの映画を何本も手がけているアヴィ・ラーナーがプロデューサーということからして、本気でそういう線を狙っていたのかなって気がしてます。

「ボーン・レガシー」は連続ドラマの紹介特番みたいな感じなのが何とも


今回は、新作ですがそろそろ上映終了前の「ボーン・レガシー」を109シネマズ川崎3で観て来ました。この映画、あまりいい評判は聞いていなかったのですが、レイチェル・ワイスの新作ということで、劇場に足を運びました。げに女優の力ってのは大したものだと自分に感心。

雪山にの特殊作戦訓練基地で、一人の男アーロン(ジェレミー・レナー)が狼に追われながら、山岳地帯を移動していました。一方、CIA本部では、CIAの実行してきたトレッドストーン計画やアウトカム計画が公になりそうな状況に危機感を感じていました。CIAのマーク・ターソ(ステイシー・キーチ)はリック・バイヤー(エドワード・ノートン)を召喚して、事態の収拾にあたらせようとします。バイヤーは機密が公になりそうな作戦全ての中止を決定しますが、それは関係者を皆殺しにするということを意味していました。アウトカム計画のエージェントが次々に薬物による不審死を遂げます。そして、アーロンもアウトカム計画のエージェントでした。彼は薬物による人体改造をほどこされ、それを維持するために2種類の薬の定期的な摂取と血液サンプルの提出を求めれらていました。その血液はマルタ・シェアリング博士(レイチェル・ワイス)のいる研究所で分析されていました。山越えをした先の山小屋にいたアーロンは無人機によるミサイル攻撃を受けますが、何とか逃げ切ります。マルタのいる研究室の職員が突然狂って所員を射殺して自分も命を絶ちます。一人だけ生き残ったマルタは、家にやってきたFBIと称する連中に殺されかかるのですが、間一髪のところでアーロンが現れ、マルタはアーロンと一緒に逃亡することになります。アーロンは、薬が必要なので知り合いであったマルタを訪ねたのでした。そして、マルタからアウトカム計画の概要を知り、薬物が不要になる活性ウィルスを得るためにフィリピンのマニラへ向かうのでした。

ジェイソン・ボーンシリーズ3部作の脚本を手がけたトニー・ギルロイが、原案、共同脚本、監督を担当した、ジェイソン・ボーンシリーズの続編です。ギルロイには「フィクサー」「デュプリシティ」といった監督作があるのですが、どちらもストレートな娯楽映画というよりは、ちょっとひねった作りになっているのが印象的でした。「ボーン・アルティメイタム」の後日談に位置づけられるので、前作の登場人物も出番が少ないながら、顔を見せていまして、スコット・グレン、アルバート・フィニー、ジョアン・アレン、デビッド・ストラザーンという面々が前作との世界観を引き継ぐ役どころで登場します。

2時間15分という長めの作品なんですが、情報を小出しにしながら、CIAの陰謀の全体像が徐々に見えてくるという構成になっています。それがサスペンスを生んでいまして、またCIA側の追跡がリアルなのも見応えがありましたし、クライマックスのマニラでの追跡シーンの迫力も見事でした。で、映画として大満足だったかというと、残念ながら、ジェイソン・ボーンシリーズの満足感は得られませんでした。まず前半が長いという印象がありまして、何が何だかよくわからないまま話を引っ張りすぎなんですよ。それで、後半にサプライズが待っているのかというと、それほどのタネ明かしもなく、物語としての厚みが出ませんでした。また、続編を意識してのことか、キャラを描ききっていない部分があり、キーとなるアーロンとリックの人物像が浮かび上がってこないのは、この映画の弱点ではないかしら。

特に困っちゃったのが、感情移入できる人間がいないということ。主人公のアーロンからして、後半まで何を考えているのかわからないですし、CIAのために何でもやるリックには強い信念は感じられませんし、巻き込まれヒロインのマルタもあまりかわいそうに見えないのです。その結果、ラストでのカタルシスがない映画になっちゃいました。結末の呆気ない幕切れには、「???」ってな感じでしたし、リックを放置状態の決着ってのはドラマとして完結してないよなあって気がしちゃいましたもの。シリーズもののプロローグ、起承転結の起の部分だけで映画を作っちゃったみたいなところは、私、個人的には何だかだまされたような気になっちゃいました。大掛かりなロケや凝ったアクションシーンなど、お金がかかっていることはわかりますし、各々のシーンは見応えがあるのですが、それを大雑把につないでしまったという印象なのです。

ロバート・エルスウィットの撮影は人物をアップでとらえたシーンが多く、ジェイソン・ボーンシリーズが、引きの絵をきちんと押さえて、落ち着いた絵作りで大作感を出していたのに比べると、見劣りがしちゃったのは残念。また、ジェームズ・ニュートン・ハワードの音楽もこの人にしては、メロディラインのないドコドコ音楽になっています。同じアクション映画でも、彼の「ソルト」に比べると潤いがなくてこれまた残念。

演技陣は揃っているのですが、ジェレミー・レナーはハードなアクションを頑張っている割には華がなく、その上キャラが曖昧だったのが今一つになっていました。これは、レナーのせいというよりは、ギルロイの采配の責任のように思います。同様にエドワード・ノートンもキャラに奥行きがなくて、冷酷な悪役としても、任務に忠実な愛国者としても中途半端になってしまいました。レイチェル・ワイスもあいかわらず魅力的ではあるのですが、ファンの私にも何か物足りない感じになってしまいました。登場人物の中で、自分の持ち場を全うしたのは、最後に主人公たちを追跡する、エージェントNo3だけだったような。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



マニラに着いたアーロンとマルタは、薬品の工場の地下にある研究所に潜入に成功、そこにある活性ウィルスを接種します。工場の守衛たちを倒しながら、工場を脱出する二人、アーロンはこれで錠剤の呪縛から逃れることができたのですが、ウィルスの副作用で朦朧としたアーロンを連れてマニラの街を逃げ回るマルタ。一方ニックは、二人を殺すために、タイから別作戦の人間兵器No3を呼び寄せます。一晩、ホテルで明かした二人ですが、朝には指名手配になった二人を追って警官隊がやってきます。二人はマニラの街に逃げ出すのですが、警官に加えてNo3も追ってきます。オートバイで逃げるアーロンとマルタを追ってくる警察とNo3。アーロンも撃たれてしまうのですが、何とかバイクを運転し、追いすがるNo3をマルタが蹴り落として、何とか逃げ切ります。マニラの海で船の上で地図を眺めるアーロンとマルタにタイトルがかぶさっておしまい。

え、結局、アーロンとマルタが殺し屋から逃げ切っておしまい? アーロンがCIAに一矢報いるんじゃないの?それは続編を待てってこと? というわけで、何だか尻切れトンボな結末にがっかり。CIAは衛星の画像を使ってまで追跡してきたのですから、ラストの居場所だってわかっちゃうんじゃないかしら。とにかく、強引に終わらせましたって感じなのが、何とも。レイチェル・ワイスに惹かれて映画館に足を運んだのですが、彼女の魅力だけではカバーしきれない出来栄えでした。

「死刑弁護人」非常に面白い題材を扱った社会的に意義のある映画だけど、突っ込み不足が気になる。


今回は新作の「死刑弁護人」を静岡シネギャラリー2で観てきました。この映画、ドキュメンタリーなのですが、製作が東海テレビ、配給も東海テレビなんですって。でも、ちゃんと商業上映として劇場にかかったのは何より。

安田好弘弁護士は、いわゆる死刑案件と呼ばれるような事件の弁護を多数手がけてきました。「和歌山毒入りカレー事件」では林真須美被告を弁護し、冤罪の可能性があることを訴え続けています。「新宿西口バス放火事件」では、自供もしていた丸山博文被告を、心神喪失状態であったことを裁判で訴え、死刑の求刑を無期懲役にすることに成功しています。「光市母子殺害事件」では、母子を殺害強姦した少年を殺人罪ではなく、傷害致死であると弁護しました。このとき、少年の幼い理屈をそのまま法廷に持ち込んで世間の大顰蹙を買い、極悪弁護人と言われます。さらに、「オウム真理教事件」の麻原彰晃の弁護も引き受け、一連の事件の真相に迫ろうとしましたが、その裁判途中で、まるっきりの別の事件で安田は逮捕されてしまいます。それは、安田の弁護活動に対する、権力側の横槍のようにも見えます。世間からは悪魔だ鬼だと言われつつも信念をもって弁護し続ける安田の根本にあるのは「更生しない人間なんていない」という確信でした。そして、彼は死刑反対を訴え続けています。ラストで光市母子殺害犯の死刑が確定してしまいます。しかし、安田はまだこれからやることがあるのだと言います。

東海テレビでドキュメンタリーを撮ってきた齊藤潤一が監督した、劇場用ドキュメンタリーの一編です。安田好弘弁護士の姿を描くことで、犯罪事件、特に殺人の絡んだ事件における裁判における現代の日本のゆがみを示そうとしているようです。その視点は、なかなかに面白く、発見もあります。扱っている事件が有名なものが多いだけに、それらの被告に対して、自分が知らなかったこと、あるいは自分が持っていた偏見を再認識できたことは、この映画からの収穫でした。ひどい殺人者を弁護するということで、批判の矢面に立つことも多い安田弁護士ですが、その批判を承知でやっているところの動機は何なんだろうという興味もつきません。

ただ、安田弁護士の行動の動機は、一つでありません。冤罪に対する権力への反抗があり、死刑そのものへの嫌悪から、死刑判決を避けるための弁護があり、事件の背景も含めた真相を追求するために弁護を行うという、いくつかの顔を持っています。齊藤監督の演出は、安田弁護士の担当した事件ごとにエピソードを連ねていくという構成を取っています。それにより、事件の持つ問題点が明快になりましたが、いろいろな切り口で事件にかかわる安田弁護士の行動や動機が並列的に描かれることで、その論点があっちこっちに飛ぶ構成になってしまい、筋道立った問題提起にならなかったところが惜しまれます。

最近の事件で、裁判員裁判で、決定的な証拠がないまま、状況証拠だけで死刑の判決が出たケースがありました。基本、裁判は推定無罪だと思っていたので、素人裁判員の裁判でこういう判決が出たというのは驚きであり、また恐ろしい世の中になったと感じました。私自身は死刑制度には反対です。それは、今の警察、検察、マスコミの動きからすると冤罪が発生することがあり得るからです。死刑確定者への再審の動きを先んじるように死刑執行された(ように見える)事例もあります。それでも、オウム真理教のやったことは、死刑に値するべきもので、終身刑があればなあくらいに思っている、いわゆる凡人な感情の持ち主です。そういう私からすると、安田弁護士の行動は、ある意味大変納得でき、こういう人がいてくれるのが心強く感じられます。その一方で、「それはどうなの?」と思わせるところもありました。前者は、証拠捏造の疑いが強い林真須美被告のケース。後者は、光市母子殺害事件のケースです。

毒入りカレー事件では、決定的な証拠がないまま、カレーの近くにずっといて、家に砒素を持っていた林真須美被告が殺人容疑で起訴され、死刑が確定した事例です。確かに林真須美被告は、詐欺師であったことは事実らしいのですが、この一件に関しては毒を入れる動機がなく、また犯人を彼女に特定する証拠も彼女が殺人を犯したことを証明するものではありませんでした。さらに、その証拠も捏造された可能性があることを安田弁護士は指摘します。この映画を観ている限り、この事件は冤罪の匂いがぷんぷんするのですが、そのことをメディアはきちんと取り上げてこなかったように思います。その一方で取材陣に水をかける林真須美被告の映像は何百回とテレビで放映されていますから、メディアが印象操作して事実を隠していると言われても仕方ないでしょう。ここでは、弱者に守り、権力側と闘おうという意思が感じられます。

一方の光市母子殺害事件というのは、母親と幼い子供を惨殺した少年が母体回帰衝動でやったとかドラエモンがどうこうとかを後出しで持ち出してきて、顰蹙を買った一件です。この事件の弁護に21人の弁護団がついたという記事を読んで、つくづく加害者は守られ、被害者は虐げられるんだなあって思いました。この一件では、少年は殺害を認めていますから、冤罪とはちょっと様子が異なります。安田弁護士は、少年の罪を殺人ではなく、傷害致死だとして上告します。その動機は事件の真相に迫るためのものだと言います。彼は、否定していますが、死刑反対のプロパガンダを実際の裁判に持ち込んでいるようにも見えます。この裁判で、一体彼は何を守り、何と闘おうとしているのでしょう。

映画の後半で、彼の根本にある考えが語られます。それは「全ての人が更生できる」ということ。彼を動かしている信念のようなものなのですが、ここでも私は「それはどうなの?」という突っ込みが入ってしまいました。彼の視線は常に加害者である被告に向けられています。そういう立場の人間がいないと裁判は成り立ちませんし、社会としてもバランスを欠いてしまうことは理解できます。でも、その有り様は、徹底的に被告を貶めて重刑に導こうとする権力やマスコミの持つ歪さと同様に、ある種の歪さを持っているように思います。相手側が歪なので、それに対抗する方も歪にならざるを得ないという構図が見えてくるのです。安田弁護士は、死刑にしてしまった被告へ対する思いを涙を流して語ります。その一方で、事件の被害者へ対する想いやコメントは一切ありません。齊藤監督がそういうコメントを全てカットしたのかもしれないというのはあります。インタビュアーとして、殺人事件の被告に対する真摯な想いが語られたら、一方の事件の被害者をどう思うのかという質問は出てもおかしくないのですが、それが一切出てこなかったのは不思議でした。

他にも、なぜ死刑を廃止すべきだと思うのか、麻原彰晃の弁護で何をはっきりさせようとしたのかなど、もっと突っ込んで語って欲しいポイントがありましたが、齊藤潤一の演出は意外とさらりと流してしまいました。確かに扱っているネタがたくさんあって、どれもヘビーであるのですが、このつくりではどこか消化不良な印象を持ってしまいます。死刑弁護人という、現代を切り取るとてもいい題材を扱っている割には、そのやり方は表層的だったかなという気がします。ラストでまた裁判に臨む安田弁護士の姿が描かれているのですが、全体を情緒的に描いている演出は何か違うような気がします。きちんと理由と論理を積み上げて描かないと、安田弁護士の行動までもが情緒的というか衝動的に見えてしまいます。死刑弁護人というキャッチーな言葉と安田弁護士という強力なキャラクターに作り手が満足してしまって、その先を見せることを手抜きしちゃったというのは酷な言い方かしら。

社会正義とか、弱者の救済という意味では、この映画の持つ意義は大きいと思います。また、マスコミの偏向報道が、市民の目を曇らせているという構図が見えてきて、自分が知らないことがまだ多いことに気づかせてくれますので、観る価値がある映画です。でも、その映画そのものに、どこか描ききらない、隠蔽されたものがあるような印象があるのは、作り手にとっては不本意かもしれませんが、この映画も現代の構図の一部であることを再認識させて、面白いと思いました。

「白雪姫と鏡の女王」は白雪姫のライトなパロディとして楽しめます


今回は新作の「白雪姫と鏡の女王」を、銀座丸の内ルーブルで観て来ました。最近のハリウッド映画の大作にはめずらしくビスタサイズの映画でした。

ある国の国王は後妻に迎えた女王(ジュリア・ロバーツ)がとんでもない悪い女。前妻の娘スノー・ホワイト(リリー・コリンズ)は、国王が森で行方不明になってから、お城の部屋に軟禁状態。そして、18歳になったある日、メイドにすすめられて、今の村の様子を見に行くことにします。するとその途中で、身ぐるみはがれて木に吊るされた王子様発見。その王子様がお城へ助けを求めたものだから、女王がこれはお婿にとモーションかけまくり。一方、民の窮状を目の当たりにした白雪姫は、やっぱり私が国王の後を継がねばと目覚めるのですが、王女は先んじて、姫を森へ連れ出して殺すように腹心の部下に命じます。ところが、そいつも根は悪人になれない小心者で、姫を殺せず、森の中に逃がします。森をさ迷う姫が行き着いた先は、そう、7人の小人の家でした。彼らは、元々は様々な仕事についていたのですが、人々から差別を受けて森に追いやられ、今は山賊となっていたのです。姫は彼らの仲間に入れてもらい、剣術やら山賊スキルをマスターします。一方、例の王子様が森の山賊退治にやってきて、そこで白雪姫と奇妙な再開をします。出会いの時から、お互いに惹かれていた二人ですが、今は対立関係。結局、王子様は再び身ぐるみ剥がされてしまいます。女王は、王子様に惚れ薬、白雪姫には呪いをかけて、王子と結婚、姫を葬ろうとするのですが、やはりおとぎ話のお約束として悪が栄えた試しはなかったのでした。

「ザ・セル」「落下の王国」などで、凝った映像を見せてくれたインド出身のターセム・シン監督の新作です。おとぎ話の世界をコミカルに描くという、これまでの映画とはずいぶんと違うタッチの題材にチャレンジしていまして、主演にジュリア・ロバーツというネームバリューのあるスターを使っていて、シン監督のタッチはどうなるのかなあと気にはなったのですが、ともかくも映画として面白くまとまっていまして、白雪姫の変化球ストーリーとして楽しめました。私が知っている白雪姫というと、父をなくした白雪姫が継母に疎んじられて、森で殺されかかるのですが、その刺客が姫を殺せず、姫は森の7人の小人のところに転がり込み、そこで暮らすようになるというもの。白雪姫が生きていることを鏡の言葉から知った継母が、老婆に化けて姫に毒入りのリンゴを食べさせます。眠りについたまま目を覚まさない姫に王子様がキスしたら、白雪姫復活。と、大まかに言うとこんな話だったように思います。しかし、この映画では、白雪姫は単なる弱いお嬢様ではありません。むしろ、王子様の方が頼りないですし、悪役である女王は、コミカルなキャラになっていまして、オリジナルとのズレを笑えるようになっています。

また、ドラマの中で、7人の小人の出番が多く、戦闘能力高い皆さんがなかなかの活躍を見せてくれます。登場人物の中で、人間味のあるキャラとして一番丁寧に描かれているのが、小人の皆さんなのですよ。一方、主要な3人、姫、女王、王子は、意外と浅めの描き方になっているのが意外でした。白雪姫は、一見、かわいい勇ましキャラでありながら、どこかスゴ味を感じさせる部分があり、ラストに見せるしたたかな笑みがこいつ只者じゃないなと思わせるところがおかしかったです。太眉毛のリリー・コリンズは、一見天然そうでいて結構裏では計算高そうなところが、白雪姫にうまくはまった好演でした。一方、女王の方は、コミカルなキャラ以上の肉付けがなく、悪の凄みとか、逆にもののあわれといったものは感じさせてくれませんでした。スターを使ったことで、あまり極悪非道にもできなかったのかもしれませんが、悪に徹しなかった分、全体がライトな味わいになりましたから、それは演出としてありだったのでしょう。もう一人の王子様は徹底的なマヌケキャラになっていまして、すぐ身ぐるみはがされちゃうし、犬用の惚れ薬を飲まされて、女王様をベロベロしちゃうとか、徹底的に三枚目の扱いです。

ターセム・シンの映画というと、視覚的に凝った演出を見せるという特徴があるのですが、この映画では、あまり派手な見せ場は作っておらず、CGによると思われる王国の概観であるとか、宮殿のセットなどにちょいと不思議感を出しているという感じでしょうか。唯一、女王が入っていく鏡の世界のイメージに面白いものがありまして、鏡の向こうに水にうかぶ丸いきのこのような建造物があって、その建物の中の鏡にもう一人の女王が写っているというのが、ユニークでした。その鏡の中の女王は、本人とは違って、シワも一切ないのっぺりとした顔で、自分は女王のもうひとつの顔だと言います。私が知っている童話の世界では、鏡の中に鏡の精がいて、「世界で一番きれいなのは白雪姫だよー」とホントのことを言っちゃうという設定だったのですが、この映画では、単に本当のことを言うだけでなく、白雪姫に魔術で呪いをかけるなんてことを請け負っちゃったりもします。でも、魔術を使ったらそれだけの代償を払わなければならないことになっているらしく、ラストは女王がその代償によって、敗者になってしまうのです。

白雪姫は18年間、城の部屋に軟禁状態だったという設定なのですが、その割には元気でアクティブ。世間知らずっぽさもなく、(悪い意味での)深窓のお嬢様なのに、7人の小人から武術とか習ったり、なかなかにご活発。呪いのかかった操り人形が小人たちの家を襲撃したときも、剣をふるって逆襲に出ますし、かなり強めのキャラ設定がドラマをうまく弾ませるのに成功しています。いわゆるツンデレではなくて、結構腹黒そうなところもあるのがおかしく、普通のお姫様の定番(おしとやか系とかツンデレ系)をうまくはずしているのが、映画全体の面白さにつながりました。惚れ薬でおかしくなっちゃった王子様を白雪姫のキスで元の戻すといった展開のおかしさも、定番をうまくはずして成功しています。

クライマックスは、女王が竜のようなモンスターを使って、白雪姫の息の根を止めようとするのですが、父の形見の短剣で立ち向かった姫が、モンスターの胸のペンダントの紐を切ると、森中に光が走り、モンスターは、国王(ショーン・ビーン)に変身します。森の中で行方不明になっていた白雪姫のお父さんは女王の呪いでモンスターに変身させられていたのでした。女王は呪いの代償でどんどん年老いていき、宮殿に戻った国王は、姫と王子の結婚式を挙げるのでした。そこへ、毒リンゴを持って現れた老いた女王に、白雪姫が「あなたの負けでしょ」の一言を浴びせます。そして、白雪姫がボリウッド風ミュージカルナンバーを歌って、みんなが踊って、めでたしめでたし。

全体として楽しくまとまっているのですが、その分、ターセム・シンらしいこだわりといったものは、あまり感じられませんでした。それでも、イメージ豊かな童話のパロディとして、かなり点数高いと思います。音楽を「美女と野獣」「ポカホンタス」などのディズニーアニメのマエストロ、アラン・メンケンが担当し、動きに合わせて音をつけるアニメ風音作りをしています。この音楽が映画のカラーとマッチして映画を盛り上げています。

「エージェント・マロリー」は娯楽なのかアートなのか、シャレなのマジなのか、軸足決めて欲しかったな。


今回は新作の「エージェント・マロリー」をヒューマントラストシネマ有楽町で観て来ました。ここは、有楽町の駅の真ん前という最高のロケーションの割には、それほど混雑していません。上映する映画が地味なのかしら。

政府の諜報活動を下請けする企業の発注をうけるフリーエージェントのマロリー(ジーナ・カラーノ)は有能なエージェントとしてその名を知られていました。バルセロナから中国人記者を救出するというミッションを企業のトップ、ケネス(ユワン・マクレガー)より発注され、同じくフリーのアーロン(チャニング・テイタム)と共に現地に乗り込み、銃撃戦になってしまうものの、ターゲットの保護に成功します。続けて、ケネスからダブリンへ飛ぶように命じられたマロリーは、そこでポール(マイケル・ファスベンダー)というエージェントと合流し、ターゲットであるスチューダー(マシュー・カソヴィッツ)と接触します。招待されたスチューダーの邸で、マロリーはバルセロナで保護した記者の死体を発見します。その手の中には自分が目印としてつけてきたブローチが握られていました。ホテルに戻ったマロリーとポールは格闘となり、最終的にマロリーがポールを射殺します。どうやら、罠にはめられたと知ったマロリーはケネスに接触しようとしますが、そこに現れたのはアーロンでした。格闘の末、逃げ出したものの、警察に逮捕されてしまいます。しかし、そこへも追っ手がやってきます。この一件の真相にマロリーは近づくことができるのでしょうか。

総合格闘技の選手であるジーナ・カラーノの映画初主演作です。「オーシャンズ11」や「ソラリス」などのスティーブン・ソダーバーグがメガホンを取り、ソダーバーグ作品にも参加したことのあるトム・ドブスが脚本を書きました。ソダーバーグは色々なジャンルの映画を撮る人ですが、「オーシャンズ11」を観る限りは、純粋な娯楽映画を撮るのはあまり得意じゃないなって思っています。この映画は、新人俳優を主演にして、スパイアクションを撮るというかなりハードルの高いプロジェクトなのですが、やはり娯楽映画というには、趣味的な作品に仕上がっています。007とかボーンシリーズのテイストを盛り込もうとしているのはわかるのですが、その一方で、ハードなスパイもののようなクールな味わいを入れたり、どこかオフビートな雰囲気を交えたりと、あれもこれも取り込んだ感じで、今一つ落ち着きのない映画になってしまったように思います。007のような明るい娯楽アクションに徹するとか、ハードなスパイドラマで全編通すとか、路線を決めて作ったほうが安心して観ていられる映画になったのかも。

それでも、成功しているところもありまして、それは新人のカラーノの周囲をいわゆる渋めのスターで固めたというところ。マクレガー、テイタム、カソビッツ、ファスベンダーという国際的キャスティングの他にも、マイケル・ダグラス、アントニオ・バンデラス、ビル・パクストンが脇を固めています。役者のランクを下げてしまうと、WWEのプロレスラーの主演するB級アクションのような軽い味わいになってしまうのですが、例えば、ユワン・マクレガーがヒロインの過去の恋人役で出てくるだけで、カラーノがマクレガーと同等の役者であるかのような錯覚を与えるのですよ。マイケル・ファスベンダーとタイマンの格闘を演じたり、マイケル・ダグラスと五分に渡り合うといった見せ方をすることで、カラーノの格を1ランクアップさせ、それによって、映画の格も上げることに成功しています。

とはいえ、格闘家が本業であるカラーノに映画スターとしての華が足りないのは事実でして、彼女の存在感でドラマを支えるのは難しかったようです。見た目がきつめのキャラなのですが、それ以上の人間的なキャラの肉付けができなかったのは惜しかったように思います。その結果、彼女の心境の変化をドラマの軸にできなかったので、ひたすら無表情なヒロインによるハードボイルド路線で行こうとしたのですが、彼女の演技力がそれについてこなかったというのは言い過ぎかしら。せめて、彼女の体技をもっと見せてくれたよかったのですが、全体的に暗めの画面で、カットを細かくしてしまったので、カラーノのアクションの素晴らしさがよくわからなくなってしまいました。意図的に彼女の顔を押さえるカット割にして、実際に彼女がアクションしていることを強調してくれればよかったのですが、細かいカット割りと暗めの画面で、カラーノの顔がよくわからない絵になってしまい、スタントと本人の区別がつきにくくなっちゃいました。ビル街の屋根を軽やかに逃げ回るシーンでは彼女の運動能力がよく表現されていましたから、きっと色々なことができるのでしょうが、ハードな格闘シーンでは、彼女の体全体を押さえたカットがないので、ホントにこれカラーノがやってるのかなところが気になってしまって。ホントにやってるのならかなりもったいない。

マロリーは、有能なエージェントではあるのですが、いわゆるヒーローなヒロインではありません。殺人にもためらいはありませんし、まるで笑わない氷のようなキャラは観客から、「すごい」と思わせるものはあっても、なかなか共感は呼びません。そういうキャラがハードなスパイものという印象を与えるのですが、ヒロインにそういう重いドラマを支えるパワーが足りなかったようで、強力な脇役陣にかすんでしまったのが残念でした。

決してつまらない映画ではありませんし、見せ場の迫力もあります。豪華キャストもうまく働いていますし、きちんとモトの取れる映画には仕上がっています。それだけに、この妙な後味が不思議なのですが、ソダーバーグがこの映画をどういう映画にしようとしているのかが曖昧のかもって気がしちゃいました。ラストにカタルシスが感じられなかったのも、娯楽度という点では残念でしたし。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



なぜ、ケネスはマロリーを罠にはめたのか。政府側のコブレンツ(マイケル・ダグラス)は、彼女に政府直属のエージェントにならないかと持ちかけてきますが、マロリーはまずケネスを追うと言います。ケネスはアーロンとともにマロリーの父親(ビル・パクストン)のもとを訪ね、彼を脅してマロリーの居場所を聞き出そうとしますが、既にマロリーは先回りしており、銃撃戦となります。アーロンはケネスがマロリーを罠にかけたことを知り、逆にケネスに射殺されてしまいます。そして、ケネスはその場から逃亡します。事件の真相は、バルセロナのミッションに関わったスペイン政府のロドリゴ(アントニオ・バンデラス)とケネス、そしてスチューダーが結託して、邪魔な記者を殺し、その罪をマロリーに着せて、彼女も抹殺しようとしたのです。なぜマロリーを殺すとうれしいのかわかりませんが、ともかく関係者のほとんどが彼女の敵だったわけです。逃亡先のケネスを急襲したマロリーは、彼の息の根を止めたあと、ロドリゴのもとに向かいます。目の前に姿を現したマロリーを前に、ロドリゴの「クソッ」という一言で暗転、エンドクレジット。

観ている間はそこそこ楽しめるのですが、全体的にすっきりしないのは、全体的に画面が暗いせいと、マロリーを手の込んだ罠にはめる理由がよく見えないからでしょう。また、デビッド・ホルムズがジャズタッチの音楽をつけていまして、音楽そのものは往年のラロ・シフリンを思わせるかっこいいタッチなのですが、画面をフォローするというよりは、距離を置いて鳴っているので、そこも娯楽映画とはちょっと違う味わいになっちゃっています。
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Author:einhorn2233
Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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