「桃さんのしあわせ」は人生の幕引きを淡々とみせる映画です。


今回は静岡シネギャラリー2、東京では公開済みの「桃(タオ)さんのしあわせ」を観て来ました。ここは会員になると、ウィークデーは1000円、週末でも1400というレディースデーのないオヤジにはうれしい映画館です。後はDLPの画質がもうちょっと上がるといいのですが。

桃さん(ディニー・イップ)は広東省出身で、香港の梁家の使用人として、60年も勤め上げてきました。今、梁家で香港に残っているのは、映画プロデューサーのロジャー(アンディ・ラウ)だけでしたが、食事から何か全て家のことは桃さんが仕切っていました。そんな彼女がある日脳卒中で倒れてしまいます。退院後もリハビリが必要で、もう家の仕事を十分にできないと、桃さんは自分の蓄えを使って老人ホームへ行くと言い出します。桃さんの施設探しをするロジャーは元俳優のバッタ(アンソニー・ウォン)の紹介で香港の家の近所を紹介してもらい、そこへ桃さんは入所することになります。そこは、きっちりと暮らしてきた桃さんにはあまりにも雑然としたところではありましたが、彼女はそこの暮らしに慣れようとつとめ、友人もできていきます。そんな桃さんのもとに息子のように通うロジャー。日々が過ぎ、リハビリを耐えて杖なしでも歩けるようになる桃さん。しかし、老人施設の時間は、いくら過ごしよくても時の流れは残酷です。友人だったガムさんが急に倒れ帰らぬ人となり、桃さんも胆管の炎症で入院、手術は無事に乗りきったものの、老いは桃さんの体の自由を奪い、言葉の自由を奪い、それはロジャーにもどうすることもできなかったのでした。

実在の映画プロデューサー、ロジャー・リーの実話をスーザン・チャンが脚本化し、「女人四十」の女流監督アン・ホイがメガホンを取りました。ロジャー・リーとアン・ホイはプロデューサーとしても参加しています。私は、アン・ホイという名前は聞いたことはあったのですが、彼女の映画は観たことがなくて、今回が初めての鑑賞となりました。桃さんという老女の晩年を描いたドラマなのですが、その描き方はまことに淡々としたもので、細かいエピソードを紡いでいくという構成で、ドラマチックな山場を排してしているのですが、そのドラマの密度は濃く、映画としての見応えは十分でした。英語題が「Simple Life」というのですが、こちらの方が素直に受け止められる内容になっています。「桃さんのしあわせ」という邦題だと、「しあわせ」の意味を考えさせる映画なのかと思われそうですが、そんな主観的な問題よりも、よりシンプルな一女性の人生の幕引きを描いているのです。

桃さんという人がきちんと生身の人間として描かれている点がまずこの映画の大きなポイントだと思います。決して我が強いわけじゃないけど、どこか頑固なところがある、気難しくなっちゃう時もあるけど、人にやさしくなれる時もある。そんな、よくいるオバちゃんの人生を、ほんの少しの時間に垣間見せるあたりは演出のうまさなのでしょう。ドキュメンタリータッチではあるのですが、人情コメディのようでもある、そのあたりのさじ加減が見事だったと思います。演者であるディニー・イップという女優の存在を少しも感じさせない演技もすばらしかったです。一方のアンディ・ラウはどこかお坊ちゃん風でとても映画プロデューサーには見えないロジャーを控えめに演じています。実は、アンディ・ラウもこの映画が初めてなのですが、桃さんとの関係を説得力ある演技で見せてくれています。でも、海千山千の映画プロデューサーのいかがわしさはあまり感じられませんでしたので、そこはリアルよりドラマを優先したのかも。

香港における老人ホーム事情が垣間見られるのも面白かったです。桃さんの入った老人ホームは、通りを隔てて入ってすぐのロビーが食堂でもあり、歓談室でもあります。個室というふれこみですが、大部屋に仕切りがついただけの作りで、食事もあまりよくなさそう。人口密度もかなり高くて、ゆったり快適な老後というわけにはいかないようです。でも、お金が払えない人には政府からの援助が出るようで、身寄りのない老人が見捨てられることはないみたい。それでも、出せるお金によって、部屋とか介護人のランクが決められていて、そのあたりの格差はシビアなようです。老人ホームのシーンで登場するお年寄りはかなりリアルで、元気な人もいれば、ただそこにいるだけの人もいます。入った当初は、桃さんも元気な人の一人だったのですが、映画のラスト近くで、言葉のろれつがまわらない人になっちゃっていまして、痛々しくもあるのですが、最後に誰も通るところなんだなあって納得しちゃうところもありました。自分もこれから通る道だとして、どういう通り方ができるんだろうって考えてしまいます。

脳卒中で倒れ、体がうまく動かなくなり、老人ホームに入り、リハビリしながら、毎日を過ごしていくというのは、それまでバリバリ働いてきた人にとっては、ものすごいカルチャーショックでしょう。リハビリを頑張って、体が動くようになっても、今度は別の病気で手術をしなくちゃならなくなる。手術を乗り切っても、老いは止められない。そんな残酷な過程をリアルに描いているのですが、そんな人生に対して作り手の視点は肯定的です。肯定的というと大げさかもしれませんが、少なくとも、誰もが通る道として描いています。特別じゃない人の晩年ってのはこんな感じなんだろうなあって感じなんです。桃さんは家族もいない孤独な人なんですが、そこを前面に出しては来ません。ロジャーの家はすごい金持ちで、映画界という華やかな仕事もしているのですが、それも前面に出してはきません。特別な部分をできるだけ背景に押しやることで、普遍的な女性の晩年のドラマに仕上がったのだと思います。

桃さんの状態が悪化して、ロジャーは延命処置を止めることを決断します。桃さんが息を引き取るシーンは描かれず、桃さんの葬式になるのですが、そこへ施設で彼女に金をたかっては風俗通いしていたキンさんが現れ、花束を置いて深々と頭を下げるのがラストシーンとなります。ロジャーとの関係とは異なる、キンさんとの関係というか縁が示されることでドラマに奥行きが出ました。この映画は、人の縁を描いたドラマなんだなって気づかせられる結末でもありました。ロジャーと桃さんの関係は、ロジャーの生まれた時に既に決まっていました。その当たり前の主従関係が、何のご縁か、親子みたいな関係になっちゃいます。ロジャーにしてみれば、特にドラマチックな展開があったわけではないのに、桃さんのホームでの費用を支払ったり、しょっちゅう訪問しては彼女の様子をみてあげたり、そうなっちゃうことがすごく自然な流れの中で描かれていまして、ロジャーはその流れに身を任せているように見えます。その関係ってのは、やっぱり縁なんだろうなって思いました。でも、その縁を大事にするに越したことはないよねっていう見せ方に、この映画のメッセージがあるような気がしました。

脳卒中で倒れる前の、桃さんとロジャーの関係は必要最低限のコミュニケーションで成り立っていたようなのですが、老人ホームに入ってからの、桃さんとロジャーの会話はどこか楽しそうで屈託がありません。実際の母親よりもずっと親しげで、旧来の友人のようです。この映画には、アメリカに住んでいるロジャーの母親も登場するのですが、ロジャーと母親の会話と、ロジャーと桃さんの会話を対比させることで、二人がまるで恋人同士であるかのようにも見えてきます。どちらかが或いは二人が望んだ関係ではなく、なぜかそんな感じになっちゃった、それが縁ということになるのでしょう。

色々なことを考えさせられる映画ではあるのですが、その語り口はきわめて穏やか。そして、施設に同居する老人たちや、スタッフのチョイ主任(チン・ハイルー)、ロジャーの友人たちといった面々の描き方が細やかで、全体に丹精さが感じられる作りになっています。特に、正月、行き場がなくて施設で年越しすることになった桃さんとチョイ主任がテレビを見ながらまったりしている感じ、桃さんに家族のことを聞かれて、その質問を無視するチョイ主任の感情の揺らぎが印象に残りました。また、友情出演として、ツイ・ハーク、サモ・ハン、レイモンド・チョウといった香港の映画人が実名で登場していまして、そのさりげない扱いも好感度上がりました。ロー・ウィンファイの音楽が、フランス映画に中国的音を交えたような音作りで、控えめな鳴り方ではありますが印象的でした。
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Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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