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「ライフ・オブ・パイ」は確かに主人公の人生の物語になってると思います


今回は新作の「ライフ・オブ・パイ」を川崎チネチッタ7で観て来ました。3Dは意地でも観ないと決めているので、2D版デジタル上映の鑑賞。上映途中で、トビウオのシーン前後で、ビスタサイズの画面の上下が切れたり、左右が切れたりしてたんだけど、あれ何だったんだろう。メディアの作成ミスみたいなんですが。

カナダ人の作家(レイフ・スポール)が小説の題材を取材するために、インド系カナダ人パイ・パテル(イルファン・カーン)を訪問しています。パイの口から、彼の幼少のころからの物語が語られていきます。裕福な家庭で育ったパイの父親はインドで動物園を経営していました。しかし、経済的な理由から、動物園をたたみ、動物を船に積んでインドを後にします。その航海中に嵐に遭遇し、船は沈没。パイだけが生き残り、救命ボートにたどり着くのですが、そこには、シマウマ、ハイエナ、オランウータンに、トラのリチャード・パーカーまでが乗り込んでいたのです。リチャード・パーカー以外は死んでしまった結果、ボートにはパイとトラだけが取り残されてしまいます。ボートにいるとトラにやられてしまうので、イカダを作ってボートに並走させ、ボートの備品の水や食料で飢えをしのぐパイ。ボートに乗り込むと威嚇してくるトラですが、水も食料もないトラに対して水や魚を与えてやるパイ。いつしか、パイの中にトラに対して運命共同体のような意識がわいてきます。時には幻惑するような美しさと残酷さを見せる大海の真っ只中で、一人と一頭の行き着く先は....?

ヤン・マーテルの原作を「ネバー・ランド」のデヴィッド・マギーが脚色し、「グリーン・デスティニー」「ブロークバック・マウンテン」のアン・リーが監督しました。20世紀2000の提供作品です。セット撮影は監督の故郷である台湾で撮影されたのだとか。

冒頭で成年となっているパイが作家と語り合うシーンから始まり、パイの幼い頃のエピソードが語られていきます。名前の由来がプールからきているとか、初恋の話とか、学校時代のエピソードが登場します。そんな中で、彼が親から引き継いでいるヒンズー教の他に、キリスト教とイスラム教を信じているという話が登場します。ずいぶんと変わった子供なんですが、そんな彼が船で遭難し、父母兄を失い、大海原にトラと一緒に漂流する部分がメインのストーリーとなります。漂流での困難な状況は意外なほどあっさりとしていまして、どうやって生き残るかということより、どうやって船の上のトラと折り合いをつけていくかというところにドラマの主眼を置いています。そして、海の映像も荒々しさよりも、幻想的な美しさの方を前面に出してきていまして、嵐のシーンでさえ、神々しさを感じさせる絵作りになっています。また、壮絶なサバイバルであるはずの漂流シーンにもユーモラスな演出が施されていまして、まるで絵本を見ているような気分で物語は展開していきます。

パイ少年(スラージ・シャルマ)の物語はまさに奇跡のドラマであり、そこに描かれるトラとの不思議な一体感が楽しく、娯楽映画としての見ごたえがあります。漂流シーンはほぼセットで撮影されていて、そこに海や空を合成しているようで、トラも本物とCGの両方を使い分けたそうですが、どこがリアルでどこがCGか区別つきませんでしたから、最近の技術はすごいものだと感心しちゃいました。夜間シーンの幻想的な映像は、この映画にファンタジーの味わいを加えることに成功していまして、そのファンタジックな感じが実は伏線にもなっているという物語の構成は見事でした。

パイとトラの物語の中で興味深いのは、パイ一人では生き抜けられなかったであろうと本人が語っているところです。トラがいたから生き延びられたという視点はなるほどと納得しちゃいました。単に漂流の相棒というだけでなく、トラに常に注意を払う必要があって、それがパイを奮い立たせていたのでした。また、パイの中にある信仰が彼を支えているらしいというのも面白いと思いました。神への言葉が何度も登場するのですが、彼は極限状況にあっても、感謝の言葉こそあれ、神を呪う言葉は決して口にしません。いろいろな神に興味を持って信じてしまうパイというキャラクターが、彼自身を救うことにもなったようなのです。

パイはひたすら前向きで、その生き方のまっとうさを当たり前のように描いているところが、この映画に絵本を読むような味わいを与えています。ところが映画の後半に、もう一つの漂流物語が浮かび上がってくると、パイのまっとうさや前向きさが、ひょっとしたら後付けのものかもしれないと思えてきます。映画は別の意味でファンタジーの様相を帯びてくる展開は意外でしたが、ドラマにぐっと奥行きが出ました。トラがパイを支えたということが別の意味を持ってくるのです。映画は、このドラマにあえて決着をつけることをせず、大人になったパイが少年時の思い出話をしたというところで映画を終わらせています。それでも、この映画から「信じる」という言葉が浮かび上がってきまして、「信じる」ことの重みについて考えさせるお話になっています。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



何日もの漂流の末、パイとトラはある島にたどりつきます。そこにはジャングルがあり、その中央には池があって、その岸辺をミーアキャットが埋め尽くしていました。そこは、ある意味楽園のようでもあったのですが、その島は夜になると島全体が獲物を待ち受ける人食い植物の島だったのです。それに気付いて何とか脱出に成功するパイとトラ。さらに漂流の末、パイは岸に流れ着きます。トラはパイに背を向けたままジャングルへと去っていくのでした。そして助けられたパイなのですが、沈没した船の保険会社の人間から尋問されることになってしまいます。最初は、トラとの話をしたのですが、それでは彼らを納得させることができず、パイは別の物語を彼らの前で語ります。それは、パイと彼の母親、船員、コックの4人が救命ボートで生き残り、殺し合いや人肉食いまで登場する凄惨な物語でした。それを涙ながらに語るパイは、嘘を言っているようには見えません。果たして、パイとトラの物語は本当にあったことなのでしょうか。

後半で突然登場するもう一つの漂流物語は、かなりショッキングなものでして、それまで描かれてきた漂流物語にはなかった凄惨なサバイバルでした。でも、どっちが本当なのかと考えてみれば、パイとトラの話は嘘みたいで説得力はありません。でも、成年したパイはどっちが本当なのかといったことには触れません。そして、作家に向かって「ここから先は君の物語だよ」と言って、言明を避けます。でも、少なくともパイのとっての物語は、トラとの漂流物語であることは間違いなさそうで、彼がそっちの話を信じていることは伝わってきます。

もし、人間同士が殺し、食い合う物語が真実だとしたら、パイは神を信じきることはできなかったのではないかしら。人間を信じられなくなり、神をも信じられなくなったパイが最後に神に望みをつないだ物語が、このパイとトラの漂流物語なのかも。そう考えると、どこかユーモラスで、切迫したサバイバル感のない展開が腑に落ちてきます。トラは信じるものの象徴、希望すなわち神のことではないのでしょうか。トラがパイから離れていって漂流物語が終わることも象徴的です。ある漂流物語を他の物語に置き換えることができたから、パイは今まで生きてながらえてきたのではないかしら。成年したパイは社会的に意義のある仕事についていて、妻子もいて幸せそう。そういう普通の人生を送るためには、パイはトラと漂流する必要があったのです。でも、ホントのところはやっぱりなぞです。難破してから先の物語はパイにしか語れないのですから、ウソかホントかを客観的に判断することはできません。観客に見えている材料から推測するしかないのですが、凄惨な漂流生活を送ったパイが精神的に追い詰められ、壊れそうになった時に、自分を取り戻すため、トラとの漂流物語をでっちあげ、その中で神をたたえ、神に感謝し、信仰を取り戻そうとしているように思えました。ちょっと、うがち過ぎかもしれませんけど、美しく希望に満ちた漂流物語ができすぎに思えてしまった私には、この解釈の方が腑に落ちました。タイトルが「パイの人生」ということからしても、凄惨な漂流生活から生還したパイが、人生と信仰を取り戻す物語だったのではないかしら。

演技陣は有名どころは出てこないのですが、それぞれ好演しています。船のコック役でなぜかジェラール・トパルデューがちょっとだけ登場します。マイケル・ダナのインドっぽい音楽が映画にユーモラスな味わいをつけていまして、この映画の不思議なカラーをサポートしています。
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「ルーパー」はお話としてなら面白いのに映画としては今一つ


今回は新作の「ルーパー」を川崎チネチッタ3で観て来ました。ここは傾斜が急なやや縦長の映画館なのですが、シネスコサイズになるときは縦に画面が縮まらず、きちんと左右が広がる作りになっています。

2044年、貧困が幅をきかせ、社会は荒廃していました。2074年の犯罪組織からタイムマシンで送られた人間を殺すルーパーという商売が成り立っていて、主人公のジョー(ジョゼフ・ゴードン・レヴィット)はそんな腕利きルーパーの一人。やることは決まった時間決まった場所に送られてきた標的を出現した瞬間に有無を言わさず撃ち殺すことです。2074年では人間にチップが埋め込まれ、うかつに人を殺したり死体を残せない時代になっちゃってたんですって。未来からやってきたエイブ(ジェフ・ダニエルズ)は町ごと牛耳って、そんなルーパーたちにせっせと未来から遅れてくる皆さんを殺させていたのでした。しかし、ルーパーの掟の中に、未来の自分を殺すというものがあり、ついにジョーの目の前にオールドジョー(ブルース・ウィリス)が現れます。しかし、時間が数分ずれていたのと、いつものように袋をかぶっていなかったので、一瞬ためらってしまい、その隙をついてオールドジョーはジョーを殴って逃走します。オールドジョーは2044年の世界に何か目的があってきたようです。一方でジョーは未来の自分を殺さないと今の自分の身が危ないというややこしい立場に立たされます。オールドジョーを追うジョー、一方でジョーに死なれちゃ困るオールドジョー。そして、オールドジョーの狙いは自分を過去に追い詰めた、闇の大ボスであるレインメーカー、そいつを子供のうちに殺しておけば、自分、そして過去に送られる直前に殺された奥さんも死なない世界になると思ったわけですが....。

「BRICK ブリック」のライアン・ジョンソンが脚本を書いて監督もしているSFサスペンスの一編です。2044年という近未来でルーパーという妙な仕事をしているジョーという男を主人公に、タイムトラベルしてきた自分を追跡するというお話です。このルーパーというのが妙な仕事で、定時刻に未来から送られてくる標的を近距離から仕留めるというもの。その標的には銀のプレートが括り付けてあって、それがルーパーの報酬となります。それというのも、未来では個人管理が進み過ぎて殺人を行えなくなっちゃったから、組織にとって都合悪い奴を処分するために過去へ送っていたというものです。送り先の過去では、その場で殺しちゃうから未来への波風は立てないということらしいです。うーん、無理やりだけど、設定はかなりぶっ飛んでいるぞ。さらに、ルーパーのもとには未来の自分が送られてくることがあって、その時は銀じゃなくて金のプレート付になり、ルーパーは後30年の未来を楽しんで暮らすということになります。

そして、主人公が殺すはずだった標的を逃してしまい、それが彼自身だったことからお話は妙なことになってきます。さらに、過去から来たオールドジョーは自分をこんな目に追いやった大ボスを子供のうちに殺そうとしているのです。未来にいたときの情報から、大ボスの候補は3人いました。一方、ジョーはエイブとその部下たちから命を狙われていて、彼は未来の自分を殺そうとしています。オールドジョーが持っていた地図の切れ端にあった住所に行ってみれば、そこにはサラ(エミリー・ブラント)という女性が、息子のシドと暮らしていました。たぶん、ここにオールドジョーがやってくるだろうとそこの居座るのですが、だんだんとサラとうちとけ、シドとも仲良くなっていきます。

と、ここまで書いててもなかなか面白い展開を見せてくれるドラマなのですが、ストーリーほどには映画が弾んでこないのですよ。ライアン・ジョンソンが脚本と監督を兼任しているところが問題なのかな?って気もしちゃいました。全体に間延びしてるって印象でして、余計なエピソードが多すぎ。112分の映画なのですが、脚本をもっと叩いて、1時間半弱に刈り込んだら、もっと面白くなったように思います。いろいろと欲張ってあれやこれや盛り込んだ結果、このオチかい?という突っ込み入っちゃうのですよ。コンパクトにまとめてくれれば、いい感じに決まった筈の結末が、中盤のたるい展開のせいで、「ふーん」レベルのオチになっちゃったという印象なのです。また、主役でも脇役でも、悪役だってうまいところを見せるブルース・ウィリスにいいところなかったというのは痛いです。それもウィリスのせいじゃなくて、ウィリスのキャラを曖昧にしちゃった演出のせい。そもそも、主人公のジョーが共感を呼ばないキャラクターなのですが、それ以外でも登場する皆さんが共感できない人ばかりなので、誰にも感情移入できないままドラマが進むのが、結構退屈しちゃいました。悪党ばかり出てきて派手に殺しあうなんてのは嫌いじゃないのですが、共感できない連中に演出が妙に入れ込んでるので、娯楽映画の観客としては「そういうのいいから、とっとと先へ進め」と言いたくなってしまいます。

ストーリーだけ書き連ねるとかなり面白い映画のように思えるのですが、映画としては、それほどでもないってところに落ち着いちゃいました。近未来の描写とか設定とかに凝ったところを見せてくれるのですが、メインとなるストーリーは30分ドラマの1エピソードに収まるものでして、アイデアは悪くないんだけど、お話の膨らまし方がうまくいってないのかもしれません。タイムトラベルしてきた自分との追跡劇という設定は、ラストのオチでちゃんと生かされてはいるのですが、それだけならルーパーなんていうケッタイな設定は要らなかったように思います。短編SFのアイデアを「ブレードランナー」ばりの世界観で膨らませたかったようなのは伝わってくるのですが、仕上がりは上々とはいかなかったようです。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



サラもシドも超能力者でした。2044年には、人口の何パーセントかに超能力者が生まれていたという設定がありますが、その能力は知れたものでした。ところが何の因果かシドはものすごい強力なパワーを持っていて感情が高ぶるとそれをコントロールできなくなるのでした。どうやら、シドが未来のレインメーカーであることは間違いなさそう。捜索に現れたエイブの部下を逆上したシドがその能力で吹っ飛ばしてしまいます。一方、オールドジョーはレインメーカーの二人の候補である子供を殺し、その後、エイブの部下に逮捕され、警察署に連行されるのですが一瞬の隙をついて銃を奪い、警官やらエイブの部下、そしてエイブまで皆殺し。どうして、そんなに強いのかよくわからないまま、オールドジョーは、サラの住む農場にやってきます。将来のレインメーカーとなるシドに銃口を向けるオールドジョー。その前に身を挺するサラ。そこへかけつけたジョーは、シドの未来を見ます。母親を失い荒んだ人生を歩んで闇の組織のボスになっていくシドの姿を。オールドジョーを止めるにも、彼の手には射程距離の短いルーパー用の銃しかありません。そして、ついにジョーはその銃口を自分にあてて引き金を引きます。消えていくオールドジョー。これによって、シドが悪の道へ踏み出すことは阻止され、未来のレインメーカーもいなくなったようで、めでたしめでたし。

未来を変えるために何かする主人公のドラマはこれまでにもいろいろと見てきました。そこに自己犠牲が入る話もお初ではなく、特別突飛でないアイデアは、まあよくある結末の一つだと言えます。でも、その結末へ導くために、ルーパーなんていうぶっ飛んだ設定を持ち込んだことで、出オチ映画になっちゃったように思います。主人公のジョーが最初クズみたいな奴だったのが、最後に改心したかのような展開も悪くはないのですが、それならそれで、もっとキャラを明快に描いて欲しいという気がしました。「ブレードランナー」のデッカードはふがいないキャラを押し通して、SF映画史に名を残しましたけど、この映画のジョーは、若くても年とっても、キャラがあやふやとしてまして、そこがこの映画の弱さになっていると思いました。予告編を観たときは、かなり期待したのですが、娯楽映画としての畳み込みとカタルシスが物足りなくて残念。

「東ベルリンから来た女」は地味な題名、内容だけど、娯楽映画としてまず面白い、オススメ。


今回は新作の「東ベルリンから来た女」を川崎チネチッタ6で観てきました。こういうルシネマの映画を上映してくれるシネコンはありがたい存在です。予告編でもミニシアター系の洋画邦画を取り上げていて、今後も期待大。

1980年代の東ドイツ。田舎町の病院にバルバラ(ニーナ・ホス)という小児科医がベルリンから赴任してきます。彼女は出国申請を出しているようで、秘密警察の監視下にあり、ちょっと町から離れると家宅捜索から身体検査までされちゃいます。あえて孤立を好むバルバラに、病院の上司アンドレ(ロナルド・ツェアファルト)は好意的に接します。しかし、彼女には西に恋人がいて、実は西側への脱出を企んでいたのです。脱出の資金を入手し、恋人とは森や外国人用ホテルで逢瀬を重ねます。病院では、矯正施設から脱走してきたステラという少女の髄膜炎の治療やら、自殺未遂の少年マリオの脳障害の疑いといった事件が発生します。ちょっと冷たそうでとっつきの悪いバルバラですが、子供に対しては真摯な態度で接します。そして、ついに西側脱出の日がやってくるのでした。

ドイツのクリスティアン・ペッツォルトが脚本を書いて監督した一編です。1980年代、まだ東西ドイツが分裂していた時代の東ドイツを舞台に、女医バルバラのドラマが展開していきます。冒頭で登場するヒロインは、冷たい感じでとっつきが悪そう。新しい職場である病院でも、ぼっち上等の態度。上司のアンドレが親しくなろうとするのですが、素っ気ない対応。そんな彼女が電車に乗ってレストランに出かけて、そこで金を受け取るあたりから、彼女が何か秘密を持っていることがわかってきます。彼女の住むアパートは秘密警察の車がちょくちょくやってきては監視していますし、電車で遠出した日には、夜に秘密警察の連中がやってきて、家の中を捜索されてしまいます。

ペッツォルトの演出は、説明的なセリフを排して、寡黙なヒロインを追いながらドラマを進めていきます。その静かな展開に、ドイツの田舎のロケーションを配して印象的な絵を重ねていきます。ミステリアスな展開は、ドラマに常に緊張感を与えていまして、秘密警察の存在が、監視社会の当時の重苦しい空気を見事に描写しています。物語はゆっくりと進むのですが、その張り詰めた空気感に、観ている方は引き込まれていきます。バルバラという女性はどういう人なのかしら、何を企んでいるのかしら、そういう興味が、ドラマに目を離せなくなっていくのです。脚本と演出のうまさが、語り口で見せるドラマとしてこの映画を成功させています。

また、印象的な映像が積み重ねられているので、視覚的にも引き込まれてしまいます。殺風景な病院やバルバラのアパート。バルバラが自転車を走らせる道や、一両編成の電車が走る風景など、ハンス・フロムの撮影によって切り取られた絵がドラマに奥行きを与えているのです。見せ方のうまさになるのかもしれませんが、各々のシーンが印象に残るような演出が施されているので、静かに展開するドラマでも、だれたり退屈するところがありません。

ヒロインを演じたニーナ・ホスが素晴らしく、静かなドラマを引っ張っていくだけの力演を見せてくれます。愁嘆場は一切なく、演技の見得を切るシーンもなく、ほとんど表情を表に見せないヒロインで、濃密なドラマに仕上がったのは彼女の演技によるところが大きかったです。ラストへ向けては、ハードボイルドな展開を見せますが、きちんと地に足のついたドラマになっているので、観終わってからの満足感も高いです。当時の東側の空気を描写した社会派ドラマでもありますが、硬派なヒロインのエンタテイメント作品として、大変よくできています。何よりもまず面白いのですよ。最初から最後まで流れる静かな緊張感がハッピーエンドでない結末に大きなカタルシスを運んできます。

ヒロインの上司アンドレのキャラクターも面白いアクセントになっています。ヒロインに気があるみたいなんですが、それだけではありません。かつてベルリンにいたのですが、医療機器の事故を起こしたことをもみ消すという条件で、都落ち、当局への報告義務も持っている男ではありますが、それなりに誠実に東ドイツで生きようとしています。西側へ行きたいと思うヒロインとは対照的な存在なんですが、そんなアンドレにバルバラも若干心惹かれています。また、秘密警察の男が、末期ガンの妻を抱えた一人の家庭人の顔を見せるくだりもあり、ヒロイン中心のドラマながらも、脇にも細やかな気配りがされているのも、満足度の高さにつながっています。とにかく娯楽映画として面白い作品に仕上がっていますので、機会があれば一見の価値あると思います。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



いよいよ西側への脱出の日がやってきます。彼女が気にしていたマリオという少年は開頭手術を行うことになり、オペに彼女も呼ばれていましたが、それをすっぽかします。海岸で待っていて迎えに拾ってもらうという段取りです。ところが彼女のもとに矯正施設を再度脱走してきたステラが転がり込んできます。ステラのいる作業所は矯正施設とは名ばかりの実質は最終収容所ともいうべき過酷な場所でした。バルバラは、彼女を連れて海岸へと向かい、迎えの男に金とステラを渡します。そして、病院のマリオのベッドの傍らにいるアンドレのもとに彼女が現れ、彼女のアップから暗転、エンドクレジット。

彼女が姿を消したことは、秘密警察にも知られていました。ステラを逃がしたこともすぐに知れることでしょうから、戻ってくれば彼女はタダでは済みません。でも、ドラマはそこにあえて触れず、彼女の毅然としたアップでドラマを締めくくります。そういう意味では、静かに進んできたドラマのヒロインがラストで大見得を切ったと言い方もできましょう。そこに映画としてのカタルシスが生まれました。地味なタイトル(原題も「バルバラ」ですし)で、地味な展開の映画なのですが、ヒロインのキャラ設定から、細やかな描写の積み重ねがドラマとしての面白さにつながりました。

「レ・ミゼラブル」はずっとハイテンションで突っ走るから観ていて疲れちゃった。


今回は新作の「レ・ミゼラブル」をTOHOシネマズ日劇1で観て来ました。スクリーンをシネスコサイズにしたままビスタサイズでの上映。以前は、きちんと上映サイズに合わせたスクリーンにしていたのに、これも合理化なのかなあ。これから映画を観る人には当たり前のことになるのでしょうが、以前からの常連さんからすれば、手抜きにしか見えないのに。

パンを盗んだという罪で19年間服役したジャン・バルジャン(ヒュー・ジャックマン)は、釈放されたものの行くあてもなく、一夜の宿を与えてくれた司教の家から銀の食器を盗み出すのですが、司教は銀の燭台まで与えて彼を送り出します。生まれ変わったジャン・バルジャンは苦労の末、工場経営者として、そして市長として成功します。彼の工場で働くファンテーヌ(アン・ハサウェイ)はいじめに遭って工場をクビになり娼婦に身を落とします。彼女にとって気がかりなのは娘のコゼット。客とのトラブルの場にジャン・バルジャンが居合わせて彼女を病院に運びます。しかし、そこに彼を執拗に追うジャベール警部(ラッセル・クロウ)が現れます。ジャン・バルジャンは彼の手を逃れ、幼いコゼットと共に逃亡。9年後のパリ、王政に対して若者たちの革命への気運が高まっていました。そんな若者の一人マリウス(エディ・レッドメイン)と成長したコゼット(アマンダ・セイフライド)は一目で恋に落ちます。そして、若者たちは蜂起し、町の一角にバリケードを築いてたてこもります。一般市民のふりしてそこに潜入したジャベールはすぐに面が割れてつかまっちゃいます。そこへ、コゼットの愛する男が心配で、ジャン・バルジャンもやってきます。若者たちの蜂起に市民は応えず革命には発展しませんでした。そして、軍隊がバリケードに向かってきます。バリケードの中に捕われていたジャベールを、ジャン・バルジャンは逃がしてやります。そして、軍との戦闘の中から、マリウスを助け出すジャン・バルジャン。

ビクトル・ユゴーの小説「ああ無情」をアラン・ブーブリルとクロード・ミッシェル・シェーンベルクがミュージカル化して大ヒットした舞台の映画化です。舞台の作家二人にウィリアム・ニコルソンとハーバート・クレッツマーが脚本化し、「英国王のスピーチ」のトム・フーパーが監督しました。世間の評判も大変よい映画なので、そこそこの期待をしてスクリーンに臨みました。「レ・ミゼラブル」の映画は、以前、ピレ・アウグスト監督版を観たことがありまして、リーアム・ニーソンのジャン・バルジャン、ジェフリー・ラッシュのジャベールという顔合わせで、大変見応えがあったという記憶があります。

波乱万丈のストーリーは大変に面白く、ドラマチックな展開は見応えがありました。また、シェーンベルク作曲によるナンバーはそれぞれ名曲揃いと言ってよく、ミュージカルがヒットしたのもうなづける内容でした。映画は、ほとんどが歌で成り立っており、普通のセリフはほんのちょっぴり、会話の部分もミュージカル調でして、そこはまあミュージカルの映画化としては悪くはないです。でも、とにかく緩急の緩がない作りになっていて、それを2時間半以上ぶっ通しでやられるのは、正直疲れてしまいました。観終わったに思ったことは、これって「悪魔のいけにえ」みたいだなあ。

「悪魔のいけにえ」というのは、トビー・フーパー監督のカルトホラーでして、序盤で不安を煽っておいて、中盤からレザーフェイスという怪人が登場してからは、もうテンションマックスのままでラストまで一気に突っ走るという力技の映画。観客は、チェーンソーの唸り声に翻弄されつつ、恐怖パワーに追い詰められていくことになるわけですが、この「レ・ミゼラブル」も山場をだけをつないで展開していくところが似ているのですよ。で、観終わって疲れちゃうところも似てます。

「レ・ミゼラブル」でのトム・フーパーの演出は、リアリティを追求したとのことで、セットや衣装、メイクなどに、そのこだわりが見えます。そして、歌のシーンでは歌う俳優のアップを多用して、その歌う様をリアルに見せることに成功しています。実際にセットで歌わせて録音したそうで、そのリアリティは認めちゃうのですが、そもそもミュージカルって人間ドラマの中に無理やり歌を割り込ませているのだから、基本設定のところでリアルじゃないだろうって突っ込みが入ってしまうのですよ。死にそうな人間が声を張り上げて歌う様をリアルと呼ぶのかよーって感じ、伝わりますでしょうか。演技の組み立ては映画的というか、普段見ている劇映画と違和感はないのですが、普通の会話で腹から声出すやつなんているのかよって思ってしまうのです。舞台を観るというのは、映画でいう引きのカットで全編を観ているわけなので、そこにテンションの高い演技やドラマチックな歌唱が入ってきても違和感を感じることはないのですが、それを演技者のドアップでやられてしまうと、画面も音もやかましいって感じになっちゃうのですよ。それがずーっと続くと、「ちょっとは静かにしてくれよ」って気分になっちゃいます。劇場の音響のボリュームのせいかもしれませんけど、後半は「何かうるさい」って思っちゃいました。多分、アップのカットに圧迫感を感じたせいもあるのでしょうけど。

演技陣はそれぞれに熱演していますけど、ドラマのテンションが高いまま続くので、普通のドラマで目立つべき、ヒュー・ジャックマン、アン・ハサウェイ、ラッセル・クロウといったメインの皆様があまり目立たず、むしろ脇役でコメディリリーフを全うしたヘレナ・ボナム・カーターやサシャ・バロン・コーエンや、報われない愛を歌うサマンサ・パークスといった面々の方が印象に残ってしまいました。ひたすら歌い上げるメインの皆様より、緩急のある脇の方がインパクトがあるというのはねらってやったとは思えないのですが、この映画でサマンサ・パークスという名前を覚えましたし、サシャ・バロン・コーエンのよさも再認識できましたから、それはそれでありなんですけど。

マリウスを助け出したジャン・バルジャンの前に立ちふさがるジャベールですが、その前に命を救われているジャベールは結局彼を逃がし、自らを水路に飛び込んで命を絶ちます。マリウスとコゼットは結婚することになるのですが、ジャン・バルジャンは自分の過去でコゼットが傷つくのを恐れて身を隠します。その結婚式の日、自分の命を救ったのはジャン・バルジャンだったことを知り、彼の隠れ住んでいる修道院へ、コゼットと共に向かいます。そこには死を迎えたジャン・バルジャンがいました。そして二人にみとられてジャン・バルジャンは旅立っていくのでした。おしまい。

全編が歌で構成されているせいか、お話の展開がものすごい早く感じられて、もう少し落ち着いた見せ方をして欲しかったように思います。お話をある程度知っているからついていけるのですが、この物語を初めて見る人には、大河ドラマの総集編を見せられている気分になるのではないかしら。特にパリの若者たちが蜂起するくだりは、ミュージカルから逸脱しても丁寧にドラマとして見せて盛り上げて欲しかったところです。

この映画、すごく評判がいいだけに、こういうことを書く人は少ないのかもしれませんが、映画には映画のいいところがありますし、ミュージカルの舞台には舞台ならではのいいところがあります。映画ならではのリアリティ、舞台のお約束に基づいた楽曲の盛り上げ、それらのいいところを全て取り込んだら、詰め込みすぎになっちゃったという印象なのです。「悪魔のいけにえ」はホラー映画としてエポックになり得たのですが、こっちの方は「何もそこまでしなくても」という後味になっちゃいました。

「沈黙の監獄」は、これぞセガールクオリティの典型。お好きな人にはオススメ。


2013年のやや遅ればせの映画初めは、銀座シネパトス2で「沈黙の監獄」を観てきました。初日の初回ということもあって結構お客さんが入っていましたが、みんな私と同じオヤジばっかで、さすがはセガールの映画だなあって感心。でも、セガール映画を劇場で観られるのもこれが最後になっちゃうのかなあ。

軍の秘密刑務所はまもなく閉鎖予定になっていました。警備員のクロス(スティーブン・セガール)はは傭兵部隊のリーダーのリーダーでもあり、そのチームの相棒マニング(スティーブ・オースティン)も同じ任務についていました。閉鎖直前の若い女二人がそこに収容されます。そこへ、連邦保安官を名乗るブレイク(マイケル・パレ)が女二人を連行しにやってきます。一方、クロスは脱獄計画があることを知って、出先から急いで刑務所へ戻ろうとしますが、ブレイクは所長を脅して、二人の居場所を聞き出そうとしています。ゴミ処理トラックから武装した連中も現れ、刑務所はブレイクに制圧されてしまいます。クロスとマニングは武装した連中と戦いつつ、女二人を連れ出そうとするのですが、結局、二人はブレイクたちにとらわれてしまいます。なぜ女二人が逮捕されたのでしょうか。そして、セガールがピンチに陥ることはあるのでしょうか。

テレビ東京の「お昼のロードショー」でよく放映されている沈黙シリーズですが、今回も毎度の内容とクオリティでお気楽サスペンスアクションに仕上がっています。リチャード・ビーティの脚本を「沈黙の鉄拳」「沈黙の逆襲」のキオニ・ワックスマンが演出していまして、製作総指揮にスティーブ・オースティンが、製作にスティーブン・セガールが名を連ねています。今回は相手役に「エクスペンダブルズ」のスティーブ・オースティンを迎えているせいか、セガールのワンマン映画になっていないところが一応のミソにはなっていますが、まあ多くの期待をしないことが、セガール映画を観るときのお約束になっていまして、私も鑑賞のハードルは自然とぐっと低めに設定しちゃいます。

冒頭の人物関係がよくわからなくて、セガール演じるクロスの設定が飲み込めないのですが、まあセガールだからいいかなって思っていれば、やっぱりよくわからなくても困らない設定になっているところがこの映画のセガール映画たる所以でしょう。彼の部下らしい3人の傭兵部隊らしきものも登場するのですが、こいつらクロスの指示で重装備して刑務所に乗り込んできます。こいつら何なんだと思ってみても特に理由がわからなくても困りません。途中から観ても鑑賞の妨げにならない大らかさは、認めちゃうところがあります。

謎の武装集団が閉鎖直前の刑務所を襲って、囚人二人を誘拐しようとするので、一応なぜ女二人がマークされたかがミステリーということになるのですが、あまり本筋とは関係してきません。女の片方がCIAの運び屋で、ある機密情報を運んでいる途中につかまって、この軍の秘密刑務所に送られてきたのでした。その刑務所には他に数人の政治犯が収容されているという設定でして、このジャンルの定番は押さえています。ただ、相手がセガールですので、何が起ころうが、主人公のピンチにはならず、彼以外の人間はバンバン殺されていくという、セガール映画の定番も押さえているわけでして、厨房に逃げ込んだ兵士と調理師カップルとか、所長といった面々が呆気なく殺されていくのは、1990年代のアクション映画を思い出させました。

物語は秘密刑務所の中で展開しまして、ほとんどがクロスやマニングたちと悪者のみなさんが施設の中をうろうろするのがメインとなっています。キオニ・ワックスマンの演出は個々のシーンを無難にまとめることには成功しているのですが、登場人物のドラマが並行して描かれる部分はからっきしでして、登場人物のみなさんがすごくヒマそうに見えてしまうのは残念でした。セットもセキュリティが駆使された軍の刑務所というイメージとはまるで違う貧相なものでして、低予算感が見え見えなのはまあそこはご愛嬌かしら。ともかくも、ウロウロしていると時々銃撃戦になってというのが続くともっと他の展開はないのかなあって気になってきます。

そこで、アクセントになっているのが、女囚の二人のうちのケバい方のオネエちゃん。彼女は、もう一人の運び屋と違って狙われる理由がわからないのですが、実は敵側のスパイだったという設定なのですが、脱走した囚人と角材で大立ち回りやったり、マニングをボコボコにしたりとかなりの頑張りを見せてくれました。きちんとアクションシーンを見せてくれたのが、このオネエちゃんだけだったので、余計目に印象に残っちゃいました。セガールは相変わらずのアップのクイックショットで痛そうな打撃を見せてくれるだけですし、オースティンも大してアクションしていないのですよ。クライマックスでセガールとマイケル・パレの一騎打ちがあるのですが、これが体格差がありすぎて、ただの弱いもの苛めにしか見えないので、アクションシーンの盛り上がりようがありません。そう言っちゃうと沈黙シリーズは全部そういうことになっちゃうのですが、どのアクションも、御大セガールが三下チンピラをたこ殴りなので、まあセガール映画のお約束ということにはなっちゃうのですが。とはいえ、たまには、一度の10人くらい相手にしてボコボコにしちゃうくらいの見せ場は欲しいよなあ。

結局、特に主人公二人がピンチに陥ることもなく銃撃戦の末に、各々が敵ボスとナンバー2とタイマン勝負をして勝利という展開は、ボーっと観ているにはまあOKかなって感じ。ただし、なぜ女囚2人で閉鎖前の刑務所に送り込まれたのかとか、スパイがなぜ一緒に送られてきたのかといったことは一切説明なし。運び屋に仕込まれた情報がCIAの隠し資金2億ドルだったというのがわかるのですが、それ以外は、まあ、細かいことはいいんだよという展開です。低予算、大雑把、展開がヘタという、いいところなしの映画ではあるのですが、それでも観てしまうというところがセガール映画なのかもしれません。彼の主演映画がずっと作り続けられているってことは、実はすごい事なんだと思います。チャールス・ブロンソンやジャン・クロード・ヴァン・ダムだってこれだけ息の長い営業をコンスタントに続けてはいませんでしたもの。だから、映画のクオリティは低くても、それなりのお客さんがいるのでしょう。銀座シネパトスではこれが最後のセガール映画になりますけど、彼の映画はまだまだ作り続けられるだろうと思います。何なんでしょうね、この不思議とはまってしまう、これぞセガールクオリティって感じ。
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Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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