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「ゼロ・ダーク・サーティ」は面白くできてるけど、ヒロインへの作り手の視線がなじまなくて


今回は新作の「ゼロ・ダーク・サーティ」を静岡シネシティザート9で観てきました。グッズのところに行列ができていたのはアニメ関係なのかなあ。アイドルコンサートの関連グッズと同じ商法なんだろうなあ、きっと。

2003年、CIAの情報分析官マヤ(ジェシカ・チャスティン)はパキスタンで調査活動を行っていました。9.11同時多発テロの主犯であるオサマ・ビン・ラディンの居場所をつきとめるため、着任してすぐに捕虜の拷問の場に立ち会うことになります。チームのリーダーであるダニエル(ジェイソン・クラーク)と共に何とか捕虜の口から、ビン・ラディンの側近の連絡係アブ・アフメドの存在を聞き出すことに成功します。しかし、彼の居場所を特定することができず、一方でサウジアラビアやロンドン、そしてタイムズスクエアでもテロが発生します。ビン・ラディンの居場所を知るという男とコンタクトを取った同僚のジェシカ(ジェニファー・イーリー)はその男の自爆テロによって命を落とします。一度はアブ・アハメドは死んだという情報が流れ、意気消沈するマヤでしたが、アブ・アハメドには兄弟がたくさんいて、当初出回ったアブ・アハメドの写真が別人と気づいて、彼がまだ生存し活動している確信します。携帯電話の発信トレースからアブ・アハメドがパキスタンの郊外の要塞のような豪邸に住んでいることをつきとめます。そして、そこにビン・ラディンも一緒にいるに違いないというマヤの信念は、軍による奇襲作戦へとつながっていきます。

「ハートロッカー」でオスカーを獲ったキャスリーン・ビグローの最新作です。前作では、イラク戦争における爆発物処理班の主人公を描いていたのですが、今回は、オサマ・ビン・ラディンを追い詰めるCIA調査官にスポットライトをあてています。プログラムによると特定の人物をモデルにしているのではなく、ビン・ラディン探索に関わった何人かの女性のドラマをマヤという女性に集約させて描いているのだそうです。CIAの情報分析官というのが、どういうランク、どういう権力を持っているのかは知らないのですが、チームのリーダーは捕虜に拷問を加えていますし、捕虜から情報を聞き出すのも彼らの仕事なようです。映画の冒頭では、ビン・ラディンの金の運び屋から情報を聞き出すために、彼を監禁して拷問にかけるところが描かれます。なるほど、手段を選ばないCIAというのは、ハリウッド映画によく出てくるパターンなのですが、ビン・ラディン探索のためには、色々とやってるんだなあって納得しちゃいます。

ビン・ラディンを探すためにたくさんの人力と時間を要する様子を丁寧にそしてスリリングに描いています。どこにいるのかどこから手をつけていいのかわからないビン・ラディン探索ですが、堀を埋めるように手間をかけて、じわじわと核心に近づいていくプロセスは、ビグローの演出のうまさもあって、見応え十分。その途中で自爆テロに遭遇したり、宿舎の前で銃撃されたりという生命の危機と隣り合わせのサスペンスも盛り上がります。2時間半を超える映画なのですが、高いテンションで最後までだれることなくぐいぐいと引っ張っていきます。娯楽映画の職人としてのビグローは確かな腕を見せてくれています。

ヒロインのマヤはアブ・アハメドという存在すら確認されていなかった男にこだわり、そこからビン・ラディンへつなごうとするのは、はっきりいって雲をつかむような話です。しかし、マヤはそこに最後までこだわります。その姿勢に、上司やCIA長官(ジェームズ・ガンドルフィーニ)まで一目置かれるようになります。友達も恋人もいない孤独なマヤですが、仕事に関して確かな信念を持っています。そんな孤高のヒーローぶりは「ハートロッカー」の主人公にも通じるところがあります。「ハートロッカー」の主人公は、イラク戦争の是非については触れずに戦争の爆発物処理の仕事に憑かれたように取り組んでいましたが、この映画のヒロイン、マヤも拷問や一般人を巻き込むことの是非に触れずにひたすらビン・ラディンにとりつかれたように彼を追い続けます。ビン・ラディンにたどりつくまでの過程は、かなり偶然と勘にたよっているところはびっくりなんですが、そこに客観的な判断が入り込んでこない、信念というか気力の捜査みたくなってくるのが怖いです。善悪の判断とか良心とかをどこかを置いてしまい、自分の仕事に憑かれたようにのめり込んでいくことで、ある意味、行動が純粋化されてしまい、そこに不思議なヒロイズムが発生してくるのです。「ハートロッカー」でも、事の善悪を超えて主人公をヒーロー視しているところがあるのですが、この映画でも、マヤの行動がいつの間にかヒーロー化されているのです。ビグローの演出は、何かにとりつかれた人間をヒーローとして描く節がありまして、ある意味憧憬とも思える視線をマヤに対して向けています。特にラストの処理は、彼女の行動の善悪とか意義とかを超越した、思い入れの入った視線でマヤを描写しています。その思い入れというか、極端なヒロイズムにどうもなじめないところがあって、「ハートロッカー」と同様、この映画を堪能するまでには至りませんでした。

とはいえ、リサーチに基づくドラマの展開はアメリカのやり方の非道な部分もきちんと描写していますし、一方で爆弾テロの恐怖も描いています。そういう意味ではフェアであるとも言えるのですが、あくまでアメリカ目線のフェアということで、なぜアルカイダがテロ集団になったかですとか、なぜ反米テロが起こるのかという部分への言及はありません。その客観的な視点の向こう側に、作り手のヒロインへの思い入れが、そういう政治とか戦争とは別の次元で描かれているところがこの映画の特徴になっています。決して、アメリカを美化したり、非合法な拷問を肯定している映画ではないのですが、不器用なまでにビン・ラディンに執着するヒロインへの賛美の視線が感じられるのです。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



アブ・アハメドと思しき人物を特定し、その人物を備考したところ、彼の向かった豪邸は、要塞のような作りになっており、そこに存在を極端に隠蔽された男性がいるところまで確認できます。その男がビン・ラディンかどうかは、CIAの中でも、確率は40%だ、60%だ、いや80%だと意見が分かれます。マヤは100%彼がビン・ラディンだと言い切ります。100日以上、邸を監視するのですが、決め手を欠くまま、ステルスヘリによる奇襲作戦が実行に移されます。奇襲部隊は夜間にパキスタン領空に侵入し、その邸に乗り込み、そこにいた男全部と一部の女性を射殺、そしてビン・ラディンと思しき男性の死体を基地に持ち帰ります。マヤはその死体をビン・ラディンのものだと確認。任務を終えて輸送機で帰還するマヤの頬に一筋の涙が流れて、暗転、エンドクレジット。

アブ・アハメドの携帯電話の発信箇所を追跡して、本人の居場所を探すあたりのスリリングな展開は見応えがあるのですが、本当にこの男がアブ・アハメドなのかどうか、映画での見せ方はかなり曖昧です。その後、要塞みたいな豪邸までたどり着いたときも、そこに本当にビン・ラディンがいたという確信を持っていたのはマヤだけでした。そんな半信半疑の状況下で、兵士たちは奇襲作戦に駆り出され、そこで民間人も射殺してしまいます。それが戦争の現実だと言えばそれまでなんですが、CIAって、軍に対してすごい権限があるんだなあとか、米軍って他国へ無断侵入してムチャやるんだなあってところを再認識しました。ラストの奇襲作戦は見方を変えればテロ行為ですが、そこんところは結果オーライになっちゃうあたりが、アメリカ映画なのでしょう。

見終わってふと思ったことは、これはうまく行った作戦がたまたま映画化されているけれど、あやふやな情報に振り回されて失敗した作戦が他にもあったんじゃなかろうかということでした。無駄死に、無駄殺されの人々がもっといたんじゃないのかって。少なくとも映画の中で描かれた範囲だけでは、特定されたアブ・アハメドが本人かどうかはすごく怪しいですし、彼がビン・ラディンと一緒にいるという点も根拠は希薄だったように思います。

ラストシーンのマヤの涙で、この映画は彼女をヒーローにしようとしていると感じました。言い方は悪いけど、現実から逃避して、彼女の行動を持ち上げているって感じでしょうか。彼女がビン・ラディン探索に執着する動機(モチベーション)というのがよくわかりません。テロの抑止なのか、CIAで実績を上げたかったのか、それとも仕事中毒だったのか、そこのところを明確にしないまま、マヤの涙で映画を締めるってのは、情緒に流れすぎではないかしら。ビグロー監督の意図がビン・ラディンを仕留めるまでよりも、調査官のドラマを描きたかったのだとすれば、ヒロインのメンタリティへの突っ込みが足りないように思いますし、ビン・ラディンを追った実録映画を作りたかったのだとしたらヒロインをもっと突き放した視点から描いて欲しかったなって思いました。

私の初めて知ることばかりで、そういう意味では興味深く、そして娯楽映画としての面白さを十分に持った映画でした。でも、「ハートロッカー」と同様に、仕事中毒、戦争中毒になった主人公を賛美している(と私には見えました)ような描き方は、何か納得できないものが残ってしまいました。同情すべき人物ではありますが、持ち上げる対象ではないような。
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「ダイ・ハード ラスト・デイ」はバカアクションとしてはよく出来てる。でもあのシリーズの一作としてはどっかなー?


今回は、新作の「ダイ・ハード ラスト・デイ」を川崎チネチッタ8で観てきました。これまでの「ダイ・ハード」シリーズは全てシネスコサイズだった記憶があるのですが、今回はビスタサイズなのがちょっと意外。

息子ジャック(ジェイ・コートニー)と音信不通だったジョン・マクレーン(ブルース・ウィリス)のもとに、息子がロシアで拘束されていて裁判にかけられるという情報が舞い込んできます。息子が心配なジョンはモスクワまで出かけて、ジャックのいる裁判所の前までやってきます。ジャックと一緒に裁判にかけれらるのは、政治犯コマロフ(セバスチャン・コッホ)。ところが、裁判が始まるとまもなく裁判所の壁が爆破され、重装備の連中が押し入ってきます。ジャックはロマノフを連れ出してトラックで逃走しようとしますが、その前にジョンが現れ、その結果、敵と思われるみなさんに見つかってしまいます。逃げるジャックのトラック、それを追う装甲車、さらにそれを追う盗んだ車を走らせるジョン。渋滞の道路をぐっちゃぐっちゃにしながらのカーチェイスの末、ジャックとジョンは追っ手をまくことに成功します。実は、ジャックはCIAのエージェントで、コマロフが握っている情報を得るために、彼を亡命させるという作戦だったのです。ジョンがちょっかい出したばっかりに作戦は失敗。無人飛行機と合流できずに隠れ家へとコマロフを連れ込むのですが、そこもまた敵のみなさんに襲撃され、やっとこさ逃げ出します。コマロフの持っている情報とは、兵器用ウランにまつわるもので、それによって、指導者層にいるチャガリンを失脚させるものでした。チャガリンの部下がコマロフを追っていたのです。果たして、コマロフの情報を無事に手に入れることができるのでしょうか。

シリーズも第5弾となると、お話のスケールが大きくなったというべきか、今回の舞台はロシアです。「ソード・フィッシュ」のスキップ・ウッズが書いた脚本を、「エネミー・ライン」のジョン・ムーアが監督しました。派手な見せ場を連ねて、98分という時間にまとめているのは、うまいと思いました。カーチェイスとか爆破シーンを出し惜しみしない作りは、のんびり眺める娯楽映画としてはかなり点数高いです。とはいえ、「ダイ・ハード」シリーズとして面白いかと聞かれたら、そうもいかないのですよ。予算をたっぷり注ぎ込んだスティーブン・セガールの映画という感じです。そもそも「ダイ・ハード」シリーズの面白さは、とんでもない事件にいやおうなく巻き込まれたジョン・マクレーンが文句言いながらピンチの連続を切り抜けていくというところにあります。(これは、あくまで私見。私がこのシリーズに期待するのがそういうところなのです。)でも、今回はお国を離れてタガが外れちゃったのか、ジョンのやることがムチャクチャ過ぎる。それに今回は何にも頭使っていない、行き当たりばったりの出たとこ勝負。さらにほとんどピンチにすら陥らない、少なくともジョン危ないってハラハラするところは一箇所もなし。ですから、無敵のジョン・マクレーン大暴れをのんびりと楽しむのならありなんですが、スリルやサスペンスとかキャラの味わいを楽しもうとしても、それは無いものねだりになっちゃうのです。セガールの映画で、元CIAがルーマニアあたりで無敵大暴れを見せる映画と大差ない作りになっちゃってます。

一応、マクレーン親子の珍道中という新趣向はあるのですが、それにしても登場する皆さんがみんな行き当たりばったりなので、何というか、まぐれのつるべ打ちみたいなんですよ。ジャックを6分差で見限っちゃうCIAもそもそも敵方トリガーの作戦にバックアップもしてないなんてノープラン過ぎますし、追っ手の皆さんもコマロフを生かしときたいのか殺したいのかわからないドンパチぶりがものすごく頭悪そう。一応全部知ってるはずのジャックも意外と頼りないし、ジョンは事情をよく知らないくせに暴れすぎ。あんだけ市街地で暴れたり、車壊したり爆破したりとやりたい放題しても、警察は何の役にも立っていないという、ロシアは無政府状態なのかと思わせる展開。さらに、ジョンとジャックの行く先々で、銃とか弾薬がなぜか手に入るという不思議。娯楽映画のご都合主義は嫌いじゃないけど、作り手側がノーテンキというか頭悪過ぎないかって思っちゃいました。

特に、政治家を悪役にしたのは、企画の失敗ではないかしら。ジョン・マクレーンは元々そんなに頭よくないので、政治関係のゴタゴタは知ったことではないのですが、敵味方のからくりもよくわからないまま「ぶっ殺してやるぜ」なんてタンカ切ってるあたりバカが目立ってしまいました。やはり敵はわかりやすく設定しないと、ジョンのキャラが生きないんだなって再認識しちゃいました。ジョン・ムーアの演出は、とにかくテキパキとさばいているので退屈はさせないのですが、主人公が無敵の暴れ者になっちゃっているので、共感しようがないのがつらいところです。正直、役者としてのブルース・ウィリスをこういう使い方は勿体ないと思います。



この先は結末に触れますので、ご注意ください。



コマロフはアメリカに情報を渡す代わりに娘も一緒に亡命させたいと言い、ホテルのダンスルームで娘のイリーナ(ユーリア・スニギル)と合流したとたん、追っ手の皆様が現れます。イリーナも敵の一味だったのです。殺される寸前でマクレーン親子は逆転に成功しますが、コマロフやイリーナと一緒に連れ去られてしまいます。そして、情報の入ったファイルを取り出すため、イリーナたちはチェルノブイリの施設にやってきます。しかし、そこにはもとからファイルはなく、あったのは爆薬用核燃料。実は、コマロフとイリーナは最初からグルで、この燃料で一儲けしようとたくらんでいたのです。コマロフを追っていた有力者のチャガーリンは、コマロフの刺客によって殺されます。そこへ、追いついたマクレーン親子がコマロフを救出しようとしますが、ジョンが様子がおかしいのに気づき、全てのからくりが露見します。ヘリが核燃料を積んで飛び立とうとして、マクレーン親子とコマロフ一味が銃撃戦になり、ヘリに積まれたトラックをジョンが落下させることで、ヘリの操縦をできないようにさせ、ジャックがコマロフの息の根を止め、逆上した娘のイリーナがヘリごと突撃してくるのを何とかかわすことに成功します。政府の特別機でアメリカの地に帰ったジョンとジャック、それを迎える娘のルーシー(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)。何となく大団円でエンドクレジット。

コマロフが最後に寝返るところは意外性があるのですが、それじゃあ、これまでのゴタゴタは何のためだったのって突っ込みが入ってしまいます。そもそも、アメリカがロシアの政治抗争に首を突っ込むのは何のためかってところがすごーく謎。キーとなる情報がチャガーリン失脚の役にしか立たないのに、内政干渉もはなはだしいというか、作り手はロシアをバカにしてるでしょ。そんな作戦にジョンが首を突っ込んでさらにあちこちに被害者を増やしていくという構図は正直ひどいなあって思いましたです。追っ手として登場する無名のみなさんも、最初はチャガーリンの部下だと思ってたら、ラストではコマロフの部下みたいで、さっぱりわけがわからない。派手な破壊やアクションをバカになって眺めていれば楽しめる映画ではあるのですが、何だかバカにされっぱなしみたいで、あまりいい後味は残りませんでした。これがセガール映画だったら、ご愛嬌みたいなところもあって、まあ、セガールオヤジったら、今回もお茶目さんね、で済むところなんですが、「ダイ・ハード」シリーズでこれをやられると、「トイ・ストーリー」のみなさんが「テッド」のネタをやっているみたいな違和感が残ってしまうのですよ。シリーズで築いてきた屋台骨をがらがらと崩していく映画だよなあ、これ。

後、細かいところですが、編集がアクションシーンをやたら細切れにしているので、何がどうなってるのかよくわからないシーンが結構ありました。どうもそれをスタイリッシュだと思ってやっている節があって、何か違うよなあって感じでした。 また、マルコ・ベルトラミが前作に続いてオーソッドクスなオーケストラ音楽をつけているのですが、これも印象に残るところがなく、「ダイ・ハード1,2」のマイケル・ケイメンのフレーズが流れると「あ、音楽だ」と気づかされる程度の音だったのが残念。

「殺人鬼」はブロンソンの刑事ものとしてヒネリの効いたサイコスリラー


チャールズ・ブロンソンの晩年の映画をまた一本、1983年の「殺人鬼」をDVDで鑑賞しました。実も蓋もない放題ですが、これはマイナーメーカーからビデオソフトが発売された時のタイトルで、テレビの日曜映画劇場で公開された時は「真夜中の野獣刑事」のタイトルで、こっちの方が知られているのではないかしら。

ある男が映画館に入って女の子二人連れにちょっかいかけます。そして、トイレに入って、窓から抜け出し、公園でカーセックスのカップルを全裸で襲い、ナイフでメッタ刺しにした後、また服を着て映画館に戻り、ちょっかいかけた女の子にまた声をかけます。これでアリバイは成立、全裸殺人鬼ウォーレン(ジーン・デイビス)はいわゆる粘着質の変質者で目をつけた女の子にしつこく声をかけたり、振られると逆恨みするような男。ケスラー刑事(チャールズ・ブロンソン)は若手のマッカーン刑事(アドリュー・スティーブンス)と共に捜査にとりかかり、被害者の日記に出てくる男を一人ずつ確認するうちにウォーレンに尋問することになります。ケスラーは、ウォーレンの様子からこいつが犯人だと確信するのですが、決定的な証拠が見つかりません。そして、被害者の血液を鑑識から盗んで、ウォーレンに服につけるという証拠捏造をしてしまいます。ウォーレンは殺人罪で逮捕され、裁判にかけられることになりますが、証拠捏造かもと疑いを持ったマッカーン。果たしてウォーレンは有罪になるのでしょうか。

「荒野の7人」のウィリアム・ロバーツが脚本を書き、「キングソロモンの秘宝」「愛はエーゲ海に燃ゆ」のJ・リー・トンプソンが監督しました。チャールズ・ブロンソンが刑事を殺人鬼を追う映画なのですが、アクションシーンは皆無で、サスペンス主体のサイコスリラーになっています。銃撃すら、一発しかありません。いかれたサイコな殺人鬼と、法を逸脱する刑事の闘いを描いた異色編として記憶に値する映画に仕上がっています。

女性にねちねちと絡んで、邪険にされると、それを根に持って殺人に至るというキチガイぶりを他の映画では見たことないジーン・デイビスが熱演しています。タフガイでもなく、知的でもない、リアルなサイコっぷりは、どこかにいそうな怖さがあります。その一方で、ブロンソンの刑事っぷりはベテランらしいところはあるのですが、スターらしさのない普通の役どころなのですよね。そんなブロンソン演じるケスラー刑事がウォーレンが犯人だと確信して何とか有罪に追い詰めようとするのですが、やることが証拠捏造だとか、彼の職場に嫌がらせの写真を貼るとか、かなりえげつない。映画の冒頭で、犯人がわかっているので、ある意味安心して観ていられるのですが、これが冤罪だったらたまらんよなあという刑事ぶりです。ケスラーには看護学校に通う娘ローリー(リサ・アイルバッヒャー)がいまして、ウォーレンが彼女に目をつけて、変態チックなイタズラ電話をかけてくるので、娘を想う親心として、まあその気持ちはわからなくもないと思わせるところはあります。

トンプソンの演出は、両者のキャラを丁寧に演出し、102分のドラマを飽きさせずに見せてくれます。犯人が痕跡を残さないために殺人現場に全裸で現れるというところが新趣向でしょうか。後、無造作に裸のシーンが多いのですが、これもリアルな演出と納得できちゃうところがあります。最近の映画のような派手な見せ場はありませんが、それなりに楽しめる映画に仕上げていまして、ラストの処理の一捻りもあって、見終わって一本の映画を観た満足感はあります。主人公の刑事が証拠捏造しちゃうという展開もかなり意外性がありましたし。



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マッカーンに証拠捏造を問われたは、法廷で自分が証拠捏造したことを告白し、ウォーレンは不起訴処分となり、釈放されてしまいます。刑事をクビになったケスラーは、ウォーレンをつけまわし、職場にもいられないようにしちゃいます。それに怒ったウォーレンはケスラーの尾行をまいて、ローリーのいる女子寮に全裸で現れます。部屋に押し入ってローリーのルームメイトを次々に殺害、何とか部屋を脱出したローリーをさらに全裸で追跡するウォーレン、追ってきたケスラーに間一髪助けられるローリー。そこへ駆けつけてくるパトカー、銃口を向けるケスラーに向かってウォーレンは「俺は精神異常なんだ、俺の中で声が聞こえるんだ。いつかまた戻ってきてやる」とうそぶきます。警官に拘束され、連れて行かれそうになるウォーレンが「そうはさせん」とズドンと一発。両手を挙げて立つケスラーを警官たちが取り囲むロングショットから暗転、エンドクレジット。

ローリーのルームメイトが次々に殺されていくところはなかなかテンション高い演出で見応えあります。クライマックスでケスラーに向かってウォーレンが「俺は異常者だから、罪には問われない」というあたりもリアリティがあり、そんなウォーレンに対して、最後の最後に銃を発射するというのは、なかなかよくできたドラマだと思います。しかし、ルームメイト3人が殺されているので、苦い結末でもあります。ウォーレンを犯行へと追い詰めたのはケスラーだと言えるあたりも、ケスラーは単なるヒーロー刑事ではありません。そんなキチガイを野放しにする法と、その法を破ることで、傷口を広げた刑事と考えると、意外と社会派の香りもしてきます。トンプソンの演出はそういう問題提起よりも、サイコスリラーとしての部分に重きを置いているようですが、ひねりの効いた刑事ドラマとして、なかなかいい線いってるのではないでしょうか。

「必殺マグナム」はかっこ悪いブロンソン映画として結構面白い。


古いDVDからさらに、チャールズ・ブロンソンの1986年の「必殺マグナム」をチョイスしました。ビデオ化のためのお披露目公開みたいにちょっとだけ劇場公開されました。ちょっと一捻りした刑事ものの一編です。

刑事マーフィ(チャールズ・ブロンソン)はこのところついてません。嫁はよそに男を作って家出、その男の店でストリッパーをしている嫁を見てため息ついてるマーフィ。酒屋で買い物していると、小娘に車を盗まれ、車は大破、泥棒娘には急所蹴られて逃げられちゃう。そんな情けない状態のマーフィをジョーン(キャリー・スノッドグレス)という謎の女が狙っていました。車で嫁をストーキングしていたマーフィは後ろから殴られて失神。その隙に、嫁と間男がマーフィの銃で殺され、彼の車が現場で目撃されて、マーフィは逮捕されてしまいます。罪を認めて4年くらい服役すればとか弁護士に言われてさらにがっくり。そんなマーフィですが、留置場で看守の隙をついて脱走することに成功。ただ、その時、彼の車を盗んだアナベラ(キャスリーン・ウィルホイト)と手錠でつながれていたものだから、親子より年の離れた二人が一緒に逃避行ということになっちゃいました。最初は、お互い毛嫌いしていた二人でしたが、一緒に逃げた先のマーフィの元同僚の家で、ちょっとだけいい感じになりますが、その元同僚がジョーンによって殺され、アナベラも殺人の共犯にさせられてしまうことで、一緒に行動せざるを得なくなります。濡れ衣を着せたのは、マーフィに弟を殺されたアフィアのビンセンツォ(リチャード・ロマナス)だと思いこんだマーフィは、ビンセンツォを脅しまくったところ、どうやら彼ではなさそう。でも、これでマフィアにも追われることになっちゃいます。同僚刑事の情報でマーフィを狙っているのはジョーンらしいという情報を得て、彼女が逮捕されたときの検事を訪ねたところ、検事は既に殺されていて、さらにアナベラが誘拐されてしまいます。ジョーンの指定場所へと向かうマーフィは、その場所を警察に告げるのですが、その場所へやってきたのはヴィンセンツォたちでした。中ではジョーンがボウガンで待ち伏せしています。果たして、マーフィとアナベラの運命は?

ピークを過ぎたブロンソンが当時の新興勢力キャノンフィルムで主演した刑事アクションの一編です。ゲイル・モーガン・ヒックマンの脚本を、「ナバロンの要塞」「リーインカーネション」「猿の惑星 征服」など、どんなジャンルでもきっちりこなすJ・リー・トンプソンが監督しました。いわゆるタフガイイメージの強いブロンソンですが、今回はものすごい冴えない役柄でして、逃げられた奥さんがストリップしてるクラブでため息ついてる、酒びたりの刑事です。奥さんのことを同僚にからかわれて殴りあいになっちゃうとか、いわゆるダメキャラを演じて、これが結構はまっているところがおかしいです。普通のヒーローだとダメキャラで登場しても、どこか筋が一本通っているところがあるものですが、このマーフィにはそんな感じがありません。生意気な小娘がちょっと健気なところを見せても、それを邪険にあしらっちゃうあたりは、まさに偏屈なじいさんなんですが、そういうキャラをリアルに見せるあたりが、トンプソン演出の妙なのでしょう。

ブロンソンの敵はジョーンというサイコキラーとビンセンツォというマフィアです。ジョーンは映画の冒頭から登場しているのですが、クライマックスの直前まで主人公は彼女の存在を知らず、ビンセンツォにはめられたと彼のマンションの乗り込んで脅しまくるんですが、どうやら当てが外れたらしいと気付きます。そうところも普通のサスペンスものの常道をはずしている変なリアリティがあります。マーフィは映画の主人公でありヒーローでもある筈なのですが、どうにもカッコよくないし、事件の解決へ向けてもドタバタしてばかりです。映画の冒頭でかっこ悪い主人公というのは、よくあるパターンなのですが、マーフィの、ほぼずっとかっこよくないってのは珍しいのではないかしら。一つ味わいを変えたらコメディになっちゃうところを、スターとしての顔を立てたいブロンソンと、マジメにサスペンススリラーを演出するトンプソンが、不思議な味わいの映画に仕上げています。



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クライマックスでは、アナベラを助けるためにジョーンの待つホテルへ乗り込み、そこへ警官隊がやってくる手筈だったのですが、電話に出た刑事がビンセンツォの手先手だったせいで、マフィアのみなさんがやってきます。そこを何とか返り討ちにして、アナベラを助け出すことにも成功したかに見えたのですが、アナベラはジョーンのボウガンに撃たれてしまいます。ここで、マーフィが逆上、ジョーンとの一騎打ちになるのですが、斧で腹を切られちゃいます。で、もみあってタックルしたら、ジョーンがぶっとんでエレベータの先にぶら下がって「助けて」と言うジョーンに、マーフィは不敵な笑みで「レディ・ファースト」と言って、ジョーンは地上に叩きつけられるのでした。救急車に収容されたマーフィの横で、もそもそと動き出したのがアナベラ。彼女は何と生きていたのです。お互いに憎まれ口を叩き合う救急車が去っていくところでフェードアウト、エンドクレジット。

いわゆるB級アクションということになるのですが、小娘と冴えない刑事のバディムービー的なおかしさもあって印象に残る一編となりました。ブロンソン映画の中でも、もっともかっこ悪い主人公の映画ということになりますが、トンプソンの丁寧な演出によって、とびっきりじゃないけど、結構面白い作品になっています。ちなみに原題は「Murphy's Law(マーフィの法則)」でして、必殺でもないし、マグナムも出てきません。

「ムーンライズ・キングダム」が何か気取って見えちゃうのは、私が下司なオヤジだからかしら。


今回は、新作の「ムーンライズ・キングダム」をTOHOシネマズ川崎2で観てきました。シネスコサイズの画面のままで、予告編から本編までビスタサイズの上映。スクリーンサイズくらい調整しろよ、夏休みの野外映画会じゃないんだからって思っちゃいました。

1965年、全長26キロのニューベンザンス島で、ボーイスカウトの少年サム(ジャレット・ギルドマン)がキャンプを脱走します。時を同じくして、弁護士ウォルト(ビル・マーレイ)の娘スージー(カーラ・ヘイワード)も荷物をまとめて家出します。ボーイスカウトのウォード隊長(エドワード・ノートン)や警察のシャープ警部(ブルース・ウィリス)が彼らの捜索を始めます。サムは両親のいない変わり者の子供で里親からも見捨てられた存在で、一方のスージーも親から問題児扱いされていました。サムとスージーは草原で落ち合います。二人は教会の劇の夜に知り合い、何度も手紙を交換して愛し合うようになっていたのです。二人の愛の逃避行の行き着く先は?

「ダージリン急行」「ザ・ロイヤルテネンバウム」のウェス・アンダーソン監督の新作です。脚本もアンダーソンがロマン・コッポラと共同で書いています。実は、この人の映画「ザ・ロイヤルテネンバウム」を観ているのですが、何が面白いのかさっぱりわからかったです。予告編だけ観て、劇場に足を運んだのですが、監督がウェス・アンダーソンと出て、「え、この人だったの? やっちまったかな?」って不安になってしまいました。

オープニングでスージーの家族の様子が描かれるのですが、これがもうアートしてます空気を全開にしていまして、ちょっとフランスのジャン・ピエール・ジュネみたいな感じなんです。仏頂面のヒロイン、スージーが双眼鏡で外を眺めているなんてのは、現代アートの絵みたい。バックに流れるのは解説のナレーション付きのオーケストラ音楽ももうアート感満載。そして、ボーイスカウトの朝の風景となりサムが消えたということで騒ぎになります。どこか斜に構えたオフビート感とでもいうのでしょうか。そういう空気に乗れれば楽しいのかもしれませんが、リアルな人間模様というよりは、飛び出す絵本のページをめくっていくようなお話の見せ方には慣れるまでに時間がかかってしまいました。飛び出す絵本というのは、映画の舞台が箱庭的に限定されているということもあります。舞台劇ともちょっと違うどこか閉鎖的な空間で繰り広げられるドラマはリアリティとは隔絶された世界で進んでいきます。

お話としては、子供同士が好きあっちゃって結婚しようというもので、「小さな恋のメロディ」(若い方はご存知ないかもしれませんが、中高年には懐かしの映画です。)の21世紀版ということになりましょう。「小さな恋のメロディ」の二人は、親とか学校という体制に反発して、自由に生きたいという行動のベクトルがあったのですが、今回の作品では、そういうドラマチックな要素は一切なく、淡々と二人の逃避行が描かれ、その合間合間にオフビートな笑いがはさまるという趣向になっています。逃避行といっても、島の中を二人で探検して回るという図なので、愛のドラマを描こうとしているようではありません。12歳の少年少女が初めてフレンチキスしちゃうという趣向にも、青春映画の酸っぱさ生臭さはありません。サムの斜に構えたオタクっぽいキャラと、スージーのどっか面倒くさそうな不思議ちゃんぶりが、ストレートなラブストーリーを見せてはくれません。むしろ、島の景色だとか、人間の配置とか、映像を楽しんでねみたいな感じなのですよ。何かケッタイな映画だなあって眺めていると、クライマックスになぜか人間ドラマ風になってくるのですよ。

カリカチュアされたキャラクターばかり登場する映画なのですが、その中で、ブルース・ウィリス演じるシャープ警部だけが、マトモっぽい人間として、際立っています。他の面々が書割りみたいなキャラづけしかされていないのですが、ウィリスだけ血の通った人として、飛び出してきます。シャープ警部はウォルトの奥さん(フランセス・マクドーマンド)と不倫している独身男で、彼だけがサムに同情的なのです。そこがラストの展開への伏線になっているのですが、その妙なアンバランスさといい、この映画には常に妙な気分が流れています。犬が矢に刺されて死んじゃうとか、サムが雷に打たれてピンピンしているという趣向も、ブラックとファンタジーの狭間をゆらゆらと漂っているというか、どこか落ち着きがありません。ヒロインの持つ本の表紙とかサムの描く絵、電気蓄音機から流れる'60年代の歌など、アートな気分は満載でして、そんなビジュアルと小洒落た少年少女ラブストーリーを好きになれれば、この映画は相当楽しめると思います。心の汚れたオヤジな私は「作り過ぎなんじゃね?」って映ってしまって乗り切れませんでした。もっと素直に作ってもいいじゃん?って気がしてしまって。そういえば「ザ・ロイヤルテネンバウム」を観たときもそんな感想を持ってしまいましたから、この監督さんと私は相性が悪いのかもしれません。



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結局、サムとスージーは大人たちに見つかってしまいます。スージーは両親の家に連れ戻されます。養親から絶縁宣言されてしまったサムは、福祉局のお世話になることになり、役人が迎えにくるまでは、シャープ警部がサムを預かることになります。その夜、ボーイスカウトの仲間たちが、スージーを連れ出し、サムを迎えにやってきます。海の向こうの島へと逃げようということになります。向こうの島にもボーイスカウトの大きなキャンプがあって、仲間の甥に連絡をとって、逃がす算段をすることになります。おりしも未曾有のハリケーンが島に迫ってきていました。彼らを追ってスージーの両親やシャープ警部、福祉局の役人(ディルダ・スタウントン)たちがやってきます。サムが福祉局に渡されてしまうと、少年収容所というひどい施設に入れられてしまうのです。スージーとサムは結婚式を挙げ、新しい隠れ家に向かおうとするのですが、他のボーイスカウトたちが彼らを追ってきます。逃げ回った挙句、教会の屋根まで追い詰められてしまう二人でしたが、土壇場でシャープ警部がサムを養子にすると宣言し、サムもそれを承諾し、サムの少年収容所送りは回避されるのでした。島にはもとの生活が戻り、スージーの家では、サムがスージーをモデルに絵を描いてるようです。「ご飯ですよー」の声がして、サムは窓から出て行き、その向こうでは、シャープ警部がパトカーでサムを出迎えるのでした。めでたしめでたし。

どこかふわふわした展開だったお話が少年収容所のくだりになると妙に生々しくなり、クライマックスは、サムの少年収容所送りをどうやってやめさせるかというお話になります。そして、ドラマに登場する大人の中で、シャープ警部が唯一の意思表示と決断を見せるのですが、ここだけ素直に普通のドラマになっているところが面白かったです。ふわふわしたドラマのサブキャラとしての顔と、思慮分別のある大人としてのキャラの両方を演じきったブルース・ウィリスの好演が光りました。この人は、小品でも脇に回ってもいい味を出す人ですが(「ルーパー」は例外、でもあれは監督のせい)、この作品でもきちんと役者としての旨味を見せてくれています。

「小さな恋のメロディ」は自由な未来へと旅立っていく二人というラストがすがすがしかったのですが、こっちはそういう絵に描いたような結末を選びませんでした。見せ方は絵物語なのに、落とし方はリアルというやり方は今風なのかもしれません。ここも何だか素直じゃないような気がしちゃいました。もっとストレートに情感を前に出して表現してもいいように思うのですが、登場人物全員がどこか屈折したところがあって、喜怒哀楽をまっすぐに出すことができないのです。そこに小洒落た面白さが出たと言えなくもないのですが、人間の情感も、舞台となる空間にも閉塞感を感じてしまい、そこが物足りなく思えてしまいました。

「ted テッド」はバカコメディ風だけど、丁寧な作りが楽しいラブコメ


今回は新作の「ted テッド」をTOHOシネマズ有楽座で観て来ました。この類のコメディとしては珍しく日本でもお客さんが集まっているようです。R15指定というのは子供は見ちゃダメな映画なんですよね。

8歳の友達のいない少年ジョンは、クリスマスプレゼントにもらった熊のぬいぐるみのテディが本当の友達になればいいなあってお星様に祈ったら、それが実現しちゃいます。しゃべるテディベアとして、一時は時の人になるテディ。それから27年が経過して、ジョン(マーク・ウォルバーグ)はレンタカー会社のあまりぱっとしないサラリーマン。テッド(セス・マクファーレン)もおっさん化して、二人でハッパやってます。そんなジョンにも、キャリアウーマンのロリー(ミラ・クニス)という恋人がいて、彼女に家に同棲中。ロリーとしては、いい年こいてテディ優先の生活を送っているジョンに不満。それも理解しているジョンはテッドに別れて暮らすことを提案し、テッドは別にアパートを借りて、スーパーのレジ打ちの仕事につきます。テッドはそこでレジの女の子とねんごろになっちゃったりしながら、仕事をこなしていきます。そんなテッドが家でパーティを開いたら、そこに「フラッシュ・ゴードン」のサム・ジョーンズがやって来ます。ジョンとテディにとって「フラッシュ・ゴードン」は幼い頃からの憧れの的だったのです。ロリーと一緒に来てたパーティをすっぽかしてテッドの家に行って、ヤクとアルコールで盛り上がるジョン。そこへやってきたロリーに、とうとう愛想を尽かされて、別れを告げられてしまいます。それでも、ジョンもロリーもお互いに嫌っているわけではなさそう。テッドが間に入ってヨリを戻しかけるところで、テッドがサイコな親子に誘拐されてしまいます。果たしてテッドの運命やいかに。そして、ジョンとロリーはハッピーエンドになれるのかしら。

TVアニメ「ファミリー・ガイズ」で有名なセス・マクファーレンが、原案、共同脚本、監督に主人公の声まで担当した、ファンタジックコメディの一編です。子供のクリスマスプレゼントのテディベアが言葉を話すようになった27年後を描くという設定が面白く、そのテッドの下品なオヤジっぷりでゲスに笑える映画になっています。下ネタ以外にも映画ネタ音楽ネタをいっぱい盛り込んでいまして、そのオタクな切り口も含めて笑いは大盛り。106分をずっと笑いで盛り上げていて、でもメインプロットはラブコメというあたりが娯楽映画のツボをきちんと押さえていてうまい映画になってます。

R15指定になっているのは、下ネタしゃべりまくり、女の子ともいたしちゃう下品なテディベアという部分と、やたらハッパとかコカインが登場するあたりが引っかかったのだと思います。そういうオトナのネタをテディベアがやるというのがおかしく、また相当えげつないネタをやってるのに、テディベアだからソフトタッチにおさまるというあたりもうまく計算されています。一見やりたい放題やっているようで、マクファーレンの演出は緻密に計算されているようで、ラストへ向けての矛の収め方が見事でした。特に、一見暴走しているように見えるテッドがきちんと分をわきまえているところがミソでした。ジョンがテッドに引きずられてロリーとの関係がまずくなっちゃうように見せておいて、実のところ、大人として成長していないジョンがダメなんだよというところをきちんと描いているのですよ。ジョンを、しゃべるテディベアに振り回される被害者みたいなポジションにしていないのは、よく考えられています。マーク・ウォルバーグは、いい年こいてテディベアとハッパふかしてるというありえないキャラと、優柔不断で恋人に振られちゃうありがちなキャラの両方を均等にこなして達者なところを見せています。彼の好演のおかげで、ファンタジーとラブコメの両立ができていると言えましょう。ミラ・クニスもラブコメのパートで共感できるヒロインぶりが好印象でした。この人は「ステイ・フレンズ」でもえげつない話をまろやかに見せてくれていましたが、この映画でも、彼女の存在がラブコメをさわやかに着地させています。

映画ネタでは大ネタとしての「フラッシュ・ゴードン」がおかしかったです。当時は大作として公開されたダメ映画ですが、その主役のサム・ジョーンズを登場させるというのは正直狙ってるツボが理解しかねるのですが、とにかく笑えました。その他にもトム・スケリットやノラ・ジョーンズが登場して笑いをとりますが、そういうネタメンバーを本筋に絡ませずお笑い要員として使いきったところにこの映画のセンスを感じました。クライマックスでテディを誘拐する屈折サイコな男を演じたジョバンニ・リビジも達者なところを見せてくれますが、本筋とは直接関係がありません。ドラマの本筋を、ジョン、テッド、ロリーの3人に絞りこんでいるところにこの映画のうまさがあります。ラブコメの結末として、この決着で万々歳なのかどうかは微妙なところもあるのですが、その物語の組み立てのうまさで、手堅い作りのコメディ映画に仕上がっていたのは意外な発見でした。ネタのテンコ盛りなのに、とっ散らかった感じがしないのは、演出のうまさなのでしょう。

テッドは、エンドクレジットで視覚効果チームが多数参加していて(ティペット・スタジオも)、パペッターのクレジットがなかったところから、全てCGで処理しているようです。プログラムによると声の出演であるマクファーレンのモーションキャプチャーをしていたそうですが、体型が人間と大きく違うテディベアを動かすのにどう役立っているのか気になりました。テッドの下品なオヤジキャラが、かわいい筈のテディベアにマッチしているのはアニメーターの手腕なのかと感心でした。



この先は結末に触れますのでご注意ください。(と言ってもお約束なんですが)



ジョンに別れを告げたロリーですが、テッドに説得されて、もう一度ジョンと話し合おうということになります。一方、テッドはそれまでにも売ってほしいと言ってきた胡散臭い親子に拉致されてしまいます。幼い頃にテッドのニュースを聞いて、自分もくまのぬいぐるみを親にねだったのを拒否されてトラウマになったらしいんですけど、デブの息子もどこか歪んだ感じ。ジョンは、テッドのかけてきた電話から、車にテッドを積み込んだ親子とのカーチェイスの末、スタジアムまで追ってきます。しかし、テッドは体が真っ二つになって、もう言葉を発さなくなってしまうのでした。そして、その夜、今度はロリーが星に祈ると、翌朝、テッドは息を吹き返します。これで、3人は元の生活に戻り、ジョンとロリーは結婚するのでした。めでたし、めでたし。

ファンタジーもラブコメもきれいに丸く収めていまして、映画職人的なうまさを感じさせる結末になっています。でも、最後まで、隙間なく笑いを作りこんでいるので、そのおかしさを楽しめると、コメディとして、この映画を堪能できます。笑いのネタの密度が濃いので、それがストーリーの邪魔になっていないのは演出のうまさだと思います。こういうコメディ映画が日本でヒットするのは珍しいのですが、単にテディがかわいくてキャッチーなだけではなく、映画としての丁寧な作りこみがあったからでしょう。基本はバカコメディとして楽しむ映画なのですが、ドラマ部分がきちんと作られていることで点数が上がりました。

「パーカー」はステイサム映画じゃない犯罪ドラマとして面白い、オススメ。


今回は新作の「パーカー」を川崎チネチッタ5で観てきました。なぜかプログラムは販売されてません。うーん、セガール並みの扱いだけど、大丈夫なのかステーサム?

強盗のプロ、パーカー(ジェイソン・ステイサム)は、恋人クレアの父親ハーレイ(ニック・ノルティ)から仕事を紹介されます。4人の強盗と一緒にステートフェアの売り上げを強奪しようというもの。陽動作戦に失敗して死人を出してしまいますが、5人は100万ドルを手に入れます。4人から、次の仕事も一緒にやろうと持ちかけられ、これ1件で手を引くと言ったパーカーは4人から銃弾を食らって道路に捨てられます。通りがかった農夫一家に助けられて一命をとりとめたパーカーは警察が来る前に病院を脱出。この一件の落とし前をつけようとします。4人は既に次の仕事をするためにフロリダにいました。そのうちの一人がシカゴの大ボス、ダンジガーの甥っ子だったことから、パーカーやクレアまでもがダンジンガーの送り込んだ殺し屋に命を狙われることになります。パーカーもフロリダで連中のアジトをさがすべく、不動産会社のレスリー(ジェニファー・ロペス)に接触し、最近売れた物件を探し回ります。どうやらアジトらしい家を探し当てるのですが、レスリーはパーカーが偽名を使っていることを知って、何か一山あてることを企んでいるのなら、自分も一枚噛ませて、その分け前にあずかりたいと言い出します。4人組は、大富豪夫人の宝石のオークションを狙っていました。ホテルへ戻ったパーカーは殺し屋の襲撃を受け、何とか相手を窓から突き落とすものの、またしても重傷を負ってしまうのでしが。果たしてパーカーは4人組に一矢報いることができるのでしょうか。

リチャード・スタークの「悪党パーカー」を原作に、「ブラックスワン」のジョン・マクラクリンが脚本を書き、「愛と青春の旅立ち」「ディアボロス・悪魔の扉」のテイラー・ハックフォードが監督しました。ジェイソン・ステイサムというジャンルの映画の一本ということができますけど、そんな中では、原作がしっかりしていて、骨太ドラマを作ってきた実績のあるハックフォードが監督しているだけに、これまでのステイサム主演映画の中では、別格の味わいを持った映画に仕上がっています。悪党は容赦なくぶち殺すけど、カタギの人間には手を出さないというポリシーを持った主人公の復讐譚となっています。

今回のジェイソン・ステイサムは一本筋の通った悪党ぶりが大変かっこいいです。殺しても死なないタフぶりも、時折見せるユーモラスな部分も、きっちりと作りこまれたキャラがぶれないので、悪党ヒーローの映画ですが、安心して見ていられます。お話の中盤から割り込んでくるジェニファー・ロペスに色目を使われても、恋人一筋なところとか、その恋人も、パーカーに対して愛情と達観を併せ持った懐の広い女性として描かれているところなど、キャラが丁寧に描きこまれています。また、ところどころに笑いを放り込んでくるハックフォードの演出は、いい意味での余裕が感じられ、ノンストップアクションとは異なる、キャラ重視の犯罪ドラマに仕上げています。

途中から登場する不動産会社のレスリーをジェニファー・ロペスが演じていて、アラフォー女性の焦りを感じさせつつ、魅力的な女性になっています。これは、ロペスのスターバリューによるところが大きく、無名の女優だったら、単なる厄介者になっていたところですが、彼女が演じることで、そのキャラクターに奥行きが出ました。まあ、ロペスを無理やり復讐劇に押し込んだようなところもあるのですが、彼女抜きでは、物語がストレート過ぎて淡白になっちゃうところでしたから、彼女の存在で救われている部分もあります。ハードなドラマの中で、レスリーのコミカルなキャラが映画の娯楽度をアップさせたことは確かですが、全体に甘い印象になってしまったので、原作では彼女の扱いはどの程度のものだったのか気になります。一応、アジトを割り出したり、4人組のターゲットを割り出したり、負傷したパーカーをかくまったりと役には立っているのですが。

オープニングは、ステートフェアの会場での現金強奪でして、実際のロケとセット撮影をつないでいるようで、サスペンスが盛り上がるあたりも快調です。途中で、床に伏せさせた警官がパニックになってしまい、撃ち殺されそうになるところを、パーカーが落ち着かせるあたりも、いつものステイサムより1ランク上の貫禄を見せ、そのキャラが最後までぶれないのはお見事でした。その一方で、銃撃戦や肉弾戦などのバイオレンス描写もなかなかの迫力でして、満身創痍なのに敵に立ち向かうパーカーのダイハードぶりも見ごたえがありました。決して、派手なアクションをしているわけではないのですが、銃で撃たれたり、ナイフで刺されたりとかなり痛そうで、これまでのステイサムのアクションに比べるとヘビーな仕上がりになっています。とはいえ、娯楽映画としての出来栄えは上々として、細かい作りこみと骨太ドラマで、楽しめる一編になっています。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



4人組は、宝石のオークションに花火を仕掛けて、消防隊に成りすまして、現場に入り込み、宝石を奪うことに成功します。一方、連中のアジトでは、パーカーが潜んでいます。4人組が戻ってくると、パーカーを心配したレスリーもやってきてしまい、結局見つかって、彼女は囚われてしまいます。しかし、パーカーはナイフで一人を殺害、そして、パーカーがあらかじめテーブルの下に仕込んでいた銃で、レスリーも一人をやっつけ、最終的に後二人もパーカーに射殺されます。パーカーは、彼らの奪った宝石を隠すように、レスリーに指示し、姿を隠します。そして、シカゴの悪ボス、ダンジンガーのもとにパーカーが現れ銃弾を撃ち込みます。その後、レスリーのもとに札束が届きます。さらに、瀕死のパーカーを助けた農夫のところにもお金が届いたのでした。めでたしめでたし。

クライマックスの前に、パーカーがアジトに忍び込んで、テーブルの下に銃を仕掛けたり、4人組の銃に仕掛けをしたりしていまして、クライマックスはその一部だけが役に立つという、スマートじゃないけど、リアルな展開になっています。映画の中盤では関係者がバタバタ殺されるシーンもあるのですが、悪党同士の殺し合いなので、血生臭いけど陰惨な感じにならないのは、演出のさばきがうまかったからでしょう。ステイサムとしても新境地の役どころになったように思います。それは、いつもならもっと前面に出てくるギラギラとしたステイサムキャラが控えめで、きちんとドラマに即したキャラクター設定がされているからです。

「メッセンジャー・オブ・デス」は1980年代のブロンソンのB級映画として楽しめます。


さらに古いDVDの中にチャールズ・ブロンソン主演の「メッセンジャー・オブ・デス」を見つけて久々の鑑賞となりました。いわゆるブロンソンが落ち目になってから作られたアクションスリラーの一編です。

アメリカはデンバー。敬虔なモルモン教一家に何者かが銃を持って現れ、主人を除く家族全員を射殺します。警察署長ドイル(ダニエル・ベンザリ)は市長選挙に出馬すべく、参謀のフォックス(ローレンス・ラッキンビル)とともに選挙活動を始めようとしていました。新聞記者のガー(チャールズ・ブロンソン)は事件を記事にして、さらに調査を進めていきます。生き残った一家の主人は、父親への伝言をガーに託します。彼の父親ウィリス(ジェフ・コーリー)は、モルモン教徒のコミュニティのリーダーで、殺したのは自分の弟ゼイナス(ジョン・アイアランド)だと言います。別の州に住むゼイナスの農場を訪ねたガーは、ゼイナスから殺したのは自分ではないといいます。ウィリスたちは復讐のために武装した、ゼイナスの農場へ向かいます。先回りしたガーは、このことをゼイナスへ知らせると、ゼイナスの子供たちと、ウィリスたちの間で銃撃戦になってしまいます。一度はガーが間に立って戦闘をやめさせるのですが、何者かがゼイナスを撃ち、再び銃撃戦となりウィリスも撃たれて死亡。その帰り道ガーは、コロラド水道会社のトラックに襲われ、間一髪のところで車から脱出します。どうやら、ウィリスとゼイナスの兄弟に殺し合いをさせようという連中がいるようです。果たして、事件の黒幕は?

1970年代のマネー・メイキング・スター、チャールズ・ブロンソンも1980年代は往年の集客力はなくなっていましたが、それでも主演映画は製作されていました。イスラエルのメナヘム・ゴーランとヨーラム・グローバスが率いるキャノンフィルムで何本か作品を残しました。そんな1本がこの「メッセンジャー・オブ・デス」です。レックス・バーンズの原作を、ポール・ジャリコが脚本を書き、J・リー・トンプソンが監督しました。トンプソン監督はもともとはイギリスの人ですが、晩年はブロンソン映画の監督として「セント・アイブス」「ホワイト・バッファロー」「太陽のエトランゼ」などの作品を残しました。トンプソンは、スリラー、アクション、スペクタクルにSFまでさまざまなジャンルを手がけていまして、どんなジャンルも手堅くまとめる手腕はもっともっと評価されてよいと思います。

1980年代のブロンソン映画はどれも高い評価を受けたものはないのですが、それでもトンプソンの手堅い演出のおかげで、それなりに楽しめる娯楽映画には仕上がっています。今のセガールのような感じなのですが、映画としてのクオリティはこちらの方に軍配があがります。また、相手役の女優に愛妻ジル・アイアランドのほかに、1970年代に活躍した女優を連れてくるという特徴があり、「太陽のエトランゼ」ではドミニク・サンダ、「スーパー・マグナム」ではデボラ・ラフィン、「地獄で眠れ」ではテレサ・サルダナ、「バトルガンM16」ではケイ・レンツ、そして、この作品では、「あの空に太陽が」のマリリン・ハセットと「イルカの日」のトリッシュ・バン・ディーバーがブロンソンの相手役を演じています。アクションものの常として、これらの映画での女優の扱いはあまりよくないのですが、それでも当時のレベルで懐かしいと思える面々が顔を並べているのは、なかなか楽しかったです。

この映画は、オープニングは田舎の家に謎のトラックがやってくるというもの、家の前では子供たちが遊んでいるのですが、トラックの様子がおかしいので、家の中へ入って異常を母親に伝えます。すると、トラックから降りた男が散弾銃を構えてゆっくりと家に入ってきて女性3人を惨殺。そして、子供たちが逃げ込んだ部屋のドアを開けた男は中に向かって散弾銃をぶっ放す。このあたりの展開のスリラータッチはなかなかにお見事。トンプソンのリアルな演出がなかなかに怖いシーンに仕上げています。この後、この一家がモルモン教の一派であることがわかり、一家の主人の父親にガーが会いに行くと、そこはモルモン教徒のコミュニティで、父親は預言者と呼ばれるコミュニティのリーダーだったという展開は、モルモン教を扱ったシリアスなサスペンススリラーを期待させるのですが、モルモン教という設定は前半しか登場せず、その先は、ものすごいもってまわった金儲けが動機の殺人だったことがわかってきます。

もうブロンソンの60代後半で、派手なアクションはできないのですが、にもかかわらず、このガーという新聞記者がやたら強く、銃を持った殺し屋に反撃してボコボコにしちゃうというのはちょっと無理しているかも。それでも、中盤の主人公たちの乗った車が山道で2台のタンクローリーにはさまれるシーンはかなりがんばっていて、迫力ある見せ場になっていました。こういうところをしっかり見せてくれるセンスは買いです。

大した結末でもないので書いていまいますが、ゼイナスの持っている土地には豊富な水源があり、コロラド水道会社がその土地を買収しようとしていたのですが、ゼイナスは土地を売ろうとはしなかったことが発端だったのです。犯人は、ゼイナスの仲の悪い兄ウィリスの子や孫を殺し、兄弟を仲違いさせて土地を掠め取ろうとしていたのです。何で、土地買収にそんな手の込んだことをやってるのかは不明でして、原作があるんですけど、そっちもこんな話なのかしら。そして、兄弟同士の銃撃戦の後、殺し屋コンビの片割れガーに情報を買えと持ちかけてきます。しかし、ガーが新聞社に電話しているすきに姿が見えなくなり、トイレで刺されて死体となっているのを発見します。そこへ、もう一人の殺し屋が現れ格闘となるのですが、ガーの方が強くてそのまま逃亡。コロラド水道会社のオーナー夫婦も呼ばれた署長の市長選出馬パーティが開かれ、ガーも招かれます。すると、そこに殺し屋が現れガーに銃を突きつけますが、ガーはあっさりと殺し屋をボコボコにして、パーティの招待客の前に突き出し、黒幕は誰か言えと脅します。殺し屋が黒幕だと指差したのは、水道会社のオーナーではなく、署長の選挙参謀のフォックスでした。彼は、水道会社のもとのオーナーであり、売値で会社を買い戻せるという契約をしていたのでした。署長の持っていた銃を奪ったフォックスはもはやここまでと自分の頭に向けてズドン。一同唖然、ガーがカメラ目線の決め顔して暗転、エンドクレジット。

モルモン教にはくわしくないので、どこまで偏見入ってるのか、フェアに扱っているのかわからないところもありますが、いわゆる邪教的な扱いになっているのは事実です。前半のスリラータッチとか、モルモン教といった設定は後半で全然生きてこないというお話なので、何だかなあって後味になっちゃうのですが、それでも、1本の娯楽映画としてはまとまってるってところで及第点のレベルになっているのは、トンプソンの手堅い演出のおかげなのでしょう。こういうジャンルの映画が劇場公開されることが少なくなってしまいましたが、派手さそこそこ、見せ場あり、サスペンスありのスター映画ってなかなか作られなくなっちゃいました。今では、スティーブン・セガールがそのポジションになるのですが、作品のクオリティがC級レベルなので、物好きの観る映画になっちゃっているのが残念。ニコラス・ケイジもサスペンスもののスター映画に出ているのですが、映画に大作感が出ちゃうところに、ブロンソンとはまた別の味わいになっちゃうのですよ。

1988年の「邪願霊」はJホラーの源流の一つとしてかなり面白い


今回は古いDVDの棚を見ていたら「邪願霊」を発見したので、久しぶりに観てみました。オリジナルビデオの50分の作品です。内容的にはいわゆるJホラーの源流に位置づけられるもので、その後の映画に与えた影響もあると評価されています。

アイドル佐藤恵美のキャンペーンプロジェクトをレポートすることになったテレビスタッフの記録映像を再編集したというテロップが出ます。レポーターの沢木恭子がプロジェクトメンバーに取材していきます。プロデューサーの川西、作詞家、ボイストレーナー、そして恵美自身へのインタビューから、アイドルの売り出しの取材テープが紹介されていきます。「ラブ・クラフト」という曲を売り出そうとしているのですが、その作曲家が不明ということで、沢木はその裏話をレポートしようとしますが、関係者はそのことをあまり語ろうとしません。そして、恵美の宣材写真に霊のようなものが写っていたり、ジャケット写真撮影中に照明が落ちてきたりと不可解な事件が発生していきます。沢木に、作曲者の情報を渡すと言ったディレクターは、彼女にビデオを渡した直後に乗った自動車が爆発して死亡。渡されたビデオにはホテルのベッドの女性の姿と川西の声が入っていました。「ラブ・クラフト」はあるコンクールへの参加曲で、その作曲者の女性は自殺していたことが判明します。そして、プロモーション撮影の現場で恐ろしい事件が発生したのです。

1988年の作品でして、当時のファッションやサウンドが妙に懐かしい気分にさせる冒頭です。何本ものホラービデオ、テレビのウルトラマンシリーズを監督した石井てるよしが演出し、その後の学校の怪談(OV)やウルトラマンシリーズなどの脚本を書いた小中千昭が構成(脚本)を担当しています。冒頭で、レポーターの沢木がヌードモデルやグルメレポートをしている映像が入り、入院中の彼女を望遠でとらえた映像に「あの事件は霊の仕業だと思いますか」という電話インタビューの声がかぶさり、彼女に何かが起こったことが示されます。登場するアイドル佐藤恵美は実際にレコードも出していたアイドル歌手でして、これは本当にあった話として進んでいきます。




この先は、このビデオが、心霊フェイクドキュメンタリーであるという前提で話を進めていきますのでネタバレが嫌いな方はパスしてください。



取材時に撮影したビデオには謎の女性があちこちにフレームインしているし、録音中の恵美の背後に不気味な影が見え隠れしたり、どうも尋常でない事態が発生しているようですが、関係者は何かを隠しているみたいです。レポーターの沢木には何か霊感があるようで、他の人に見えないものが見えているみたいです。作曲者の女性がプロデューサーの川西に捨てられたらしいってことが見えてきます。そして、プロモーションビデオの撮影を倉庫で行うことになるのですが、撮影中の恵美に異常が起こり、彼女の体があり得ない方向に曲がって絶命。機材が倒れてきたり、火が燃え上がったり、現場は大混乱。プロデューサーの川西はその場を逃げ出すが見えない力によって悶死。そんな中で、沢木は誰かに向かって話しかけているみたい。

その後、謎のビデオテープが発見されます。そこには、プロモビデオの撮影現場での映像が入っていたのですが、カメラが存在し得ない視点から撮影されていました。そして、現場の映像と謎の映像を編集した映像が流されます。そこでは、倉庫の中を飛び回っている視点の映像が入っていて、最後に沢木が謎の視点に向かって「もう、これ以上はやめて、子供だって川西さんの子じゃないでしょ?」。そして、現場のカメラの視点に戻ると、取材ディレクター(竹中直人)が沢木をカメラの前から抱きかかえるようにフレームアウト。そのまま回っているカメラが倉庫の映像の2階の隅の映りこんだ女の映像がアップになっておしまい。

このJホラーの源流であり、フェイクドキュメンタリーとしてもフロンティア的存在だったそうで、確かに今のJホラーにつながる要素があちこちに散りばめられています。以下に列挙してみます。

1、実在するアイドルを使うことでリアリティを出す。これは、「ノロイ」や「POV」などでも使われている手法です。その他の登場人物も全て実在するという設定で、リアルな演技を見せています。


2、取材VTRを再編集しましたという構成で、それが別番組のために撮影されたものだという設定。これは、フェイクドキュメンタリーでよく使われる手法で、「スナッフ」「食人族」から、「パラノーマル・アクティビティ」まで使われています。心霊ものでこの方法を使ったのは当時としては目新しかったのかも。

3、撮影したVTRに不可解な人影が写りこんでいた。最初は、スルーして流して後で、ここにいたと再度見せるという趣向。これは、心霊写真では使えなかった手法で、心霊動画だからこその新機軸。「もう一度ご覧いただこう」のパターンです。この作品では、真昼間の映像に霊を映りこませている点がユニークで、それまでの心霊映像は夜というパターンをくつがえすことで、余計目に怖さを運んでくるところが面白かったです。

4、実在するアイドルを殺しちゃうという設定。ここがフェイクドキュメンタリーならではなんですが、「え!」と驚く一方で、フェイクだと気付く人は気付くポイントになっています。

5、どこからか出てくる謎のビデオテープ。「リング」とか「本当にあった呪いのビデオ」など、こういう設定は非常に多いです。誰かが撮影したとか、どこからか送られてきたテープとか、出自の不明な映像媒体に異様なものが映っていたというのはあちこちで使われている定番になっています。

6、ありえない視点からの映像。いわゆるPOV(point of view)ってやつですが、この映画でも、謎のビデオの映像がそういう視点で取り込まれています。これは遡れば、5人で遊びに行ったときの写真で、5人写った写真が出てきたというものの延長線にあります。「邪願霊」では、空中を飛び回る霊の視点という映像になっていますが、昨年の映画「POV」でほぼ同じ映像が登場してびっくり。

7、登場人物の中に霊感が強い人間がいて、その人の行動が実際の霊現象に向けての伏線になっているという構成。この作品では、主人公であるレポーター沢木がその役割を担当しています。

8、クライマックスで、ドキュメンタリーから逸脱するという趣向。この作品では、クライマックスの大混乱がとても1台の取材カメラで撮影しているとは思えないこと。それまでは、リアルな取材映像の作りをきちんと守ってきたのが、クライマックスではあえてそのリアリティをはずして、ドラマの映像に変えるという演出をしています。最後までリアルでやりきれとは思うのですが、実在するアイドルを殺しちゃったりしているので、あえてネタばらししているのかなって思ってます。前半、声とか後姿だけで登場するディレクターが、クライマックスで画面の正面にきて、竹中直人だったというオチも、意図的にやっているようです。

その後のJホラーや心霊ビデオで見られる趣向がいろいろと盛り込んである点はすごく評価高いです。構成の小中千昭が、ホラー映像でよく使う趣向をまとめて、小中理論と言ったりするそうですが、その中のかなりのパターンがこの作品には盛り込まれています。幽霊の画像がぼんやりとしていて、口がわかる程度で目鼻がわからないのが、急にアップになるところとかはかなり怖い。こういうのに慣れてない人が見たらかなりトラウマもの。具体的にグロテスクというのは違って、わけのわからない怖さをもってこられると、耐性のない人にはかなりこたえるのではないかしら。特殊メイクを使って、アイドルの腕があり得ない方向に曲がるシーンも初めて見たらかなりショック。車に人が乗り込んでから爆発するまでを1カットで見せるのも見事。前半を見せない怖さで引っ張っていって、クライマックスで一気に見せる恐怖に転ずる演出もうまいです。

「エクソシスト」を今観てもそんなに怖くないのと同様、同じような趣向の映画やビデオを観た後では、恐怖のインパクトはそれほどでもないのですが、それでも、結構怖いですし、よくできてるビデオだと思います。ドキュメンタリーをリアルに見せるために、アイドルのプロモーションを前半で丁寧に見せたり、一方で霊の正体を説明しきらないあたりのさじ加減など、こまやかな作りが光ります。

後、怖さとは関係ないのですが、出てくるアイドルの佐藤恵美がいかにも80年代のアイドルとしてかわいいのと、「ラブ・クラフト」がなかなかの佳曲であるのが、ホラーにリアリティを与えています。
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Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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