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「インポッシブル」に大泣きされられた後でラストに違和感が。


今回は新作の「インポッシブル」を、TOHOシネマズ川崎1で観てきました。公開2週目にして、1日1回の上映になっちゃって、こりゃ大コケなのかな。ところで、相変わらずTOHOシネマズは映画の始まりがダラダラしてて、変なミニドラマもやってます。他で上映していたら、そっちへ行くよなあ。

タイへ家族旅行へやってきたヘンリー(ユワン・マクレガー)、マリア(ナオミ・ワッツ)、ルーカス(トム・ホランド)、トマス、サイモンの一家。ルーカスは13歳という難しいお年頃でマリアとの関係も今ひとつ。しかし、海辺にきれいなホテルで大満足のみなさんだったのですが、突然、巨大な津波が発生し、一家ものまれてしまいます。津波の濁流の中で、マリアはルーカスを見つけて、一緒に津波の後を歩きだすのですが、マリアは胸と足に重傷を負っていました。二人は途中で幼いダニエルという子供を助けます。現地の人が彼らを助けて病院へと運んでくれますが、そこは多くの負傷者でごった返していました。マリアの傷の具合はよくなくて、病院のスタッフも頑張っているのですが、全ての人間には手が回らない様子。それでも、多くの人が協力し、ルーカスも家族を探す父親を助けたりと、たくさんの善意がこの天災を乗り切ろうとしていました。

2004年のスマトラ島沖地震は、タイのプーケットにも大きな津波をもたらしました。その中から、何とか生還したベロン一家の実話に基づいて、セルジオ・J・サンチェスが脚本を書き、「永遠のこどもたち」のJ・A・バヨナがメガホンを取りました。スペイン映画ですが、ハリウッドスターを使って、全編英語の映画になっています。ストーリー的には、実録ものらしい淡々とした流れなのですが、津波という災害のインパクトが大きいので、いわゆるディザスター映画としての味わいもありました。津波のシーンはCGにミニチュアまで使っているようで、かなりの迫力でした。YouTubeのメイキングでは、俳優の演技は水槽で撮影されて、その背景にCGが合成されているようでした。濁流の中を人が流れていくシーンを空撮の移動ショットで撮るなんてのも最近のVFXで可能になるのですから、技術の進歩は大したものだと感心しちゃいました。

映画のクライマックスは家族5人が再び再会するところでして、そこにドラマチックな盛り上がりがあります。病院の中で、ヘンリーとルーカスがお互いを見つけられるかというサスペンスから、5人が再
会するまでは、出来すぎの感もありましたが、なかなかに感動的でした。言葉も通じない場所で、家族が離れ離れになるという、ものすごい心細い状況がきちんと描写されていまして、その中で逆境に立ち向かおうとする人々の姿が非常に冷静な視点で描かれているのが見事でした。勇敢な人間も泣き言を言う人間もいない。でも、他人のことを思いやる姿が泣かせるのですよ。現地のおじいさんたちが、言葉も通じないマリアたちを助け、病院まで運んでくれるあたりは、マジ泣きしちゃいました。また、同じホテルで被災した者同士の助け合いのエピソードも感動を呼びます。実際に、そんなきれい事ばかりではなかっただろうってことはわかるのですが、それでも、普通の人が普通の人を助けるという、小さなそしてたくさんの善意があったんだろうなあっていうのが、大変説得力があり、観客の胸を打ちます。お互いの名前も知らないのに、自分だって大変な状況なのに、それでもお互いに助けられるところは助けるってところに泣けちゃうのですよ。こういうのにすごく弱いってのは、普段、よっぽど自己中な生活をしているってことかしら。

一方で、被災者の悲惨な状況も描かれます。ヘンリーもマリアも傷だらけですし、病院の中も血だらけです。津波の飲み込まれると、漂流物にボコボコにされちゃう描写もリアルです。あんな中に放り込まれたら、生き残る方が奇跡だと思ってしまいましたもの。映画の前半はずっとマリアとルーカスの描写のみで展開し、後半になってから、ヘンリー、トマス、サイモンが無事だったことが示されます。ドラマはあくまでマリア中心で展開していまして、原作がマリア・ベロンなので、そんな感じになったのかなという気もしますが、バヨナの演出はマリアのサバイバルを過酷にリアルに描くことに重点を置いているようです。ヘンリーやトマスに比べても、マリアの傷メイクは際立ってリアルで、死にそう感がたっぷり、その痛々しさが大変印象的でした。オスカーの主演女優賞にノミネートされたナオミ・ワッツの演技は生きるか死ぬかの逆境を熱演しています。ラスト近くで、マリアの夢で、濁流に飲み込まれた彼女の頭上に光が射して、その神々しい輝きに導かれるというシーンもあり、ラストではシンガポールへ向かう飛行機の窓から外を見て泣き崩れるマリアをかなり丁寧に見せます。

でも、ちょっと、そこまでやられるとなあって、引いちゃうところがありました。そこまでは、多くの被災者の中の一人、いわゆる one of them の扱いだったから、重傷を負いながらも生き残った子供を助けるシーンが感動的であり、彼女を助けるタイの人々に泣かされたりもしたのですが、マリアが何か特別な選ばれた人みたいに描かれると、そういう解釈もあるだろうけど、それだと感動が薄らいじゃうのですよ。たくさんの無名の善意が、多くの命を救ったというところにこの映画の見所だと思っていまして、実際、中盤まではそういう描き方をしていたのですが、ラストで何か違う方向へ行っちゃったという感じで、大泣きした涙も乾いちゃいました。マリアという主人公にフォーカスした映画なので、こうなっちゃうのもやむを得ないでしょうが、普通の人だったヒロインがラストで特別な人になっちゃうのには、違和感を感じてしまったのです。キリスト教圏だと「神に選ばれし人」っていう考え方がすっと入ってくるのかもしれませんが、私のような神と契約する文化のない人間には、「いやいや、それは周囲の人の善意と運のたまものでしょ」って思ってしまうのです。
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「ファインド・アウト」はサスペンススリラーの小品としてなかなか面白い、こういうの好き。


今回は、新作の「ファインド・アウト」を川崎チネチッタ2で観てきました。ここは、シネスコサイズの時、横幅はそのままで縦にサイズが縮むという昔風のシネコンです。最近のシネコンでは、画面が小さくて座席が縦長のシネコンってあんまり見かけないです。老舗のワーナーマイカル海老名とか、シネプレックス平塚にはご健在なのでしょうけど。

深夜のダイナーで働くジル(アマンダ・セイフライド)は妹のモリー(エミリー・ウィッカーシャム)と暮らしていました。ある朝、仕事から戻ってみると妹の姿が見当たりません。ジルの脳裏をよぎるのは1年前に自分が家で何者かに誘拐され、気づいたら森の中で発見されたという事件。きっとあの誘拐犯が戻ってきたのだと確信したジルは警察署に駆け込むのですが、事件当時の担当であるパワーズ(ダニエル・サンジャタ)は妹は自分でどこかへ出かけたのではないかと取り合ってくれません。実は1年前の事件で、ジルの言う誘拐の証拠は発見できず、彼女に精神上の問題があると認識され、入院していたという過去があったのです。しかし、彼女は自分一人でも妹を探すと銃を持ち出しちゃいます。まず、向かいの住人の証言から夜中に24時間営業のマークが付いたトラックが家の前に止まっていたことを知り、該当する鍵修繕屋のもとを訪れます。そこで銃を持ち出して相手を脅してしまうのですが、その結果、昨日の夜中、ディガーという男に営業車を貸したという証言を引き出します。さらに車の中にテープやロープを買ったレシートを発見し、その雑貨屋へ行って、昨日買い物をした男がロイヤルホテルに住んでいるところまで突き止めます。しかし、鍵修繕屋が警察に通報したため、銃を所持しているジルは指名手配されてしまいます。果たして妹は本当に誘拐されてしまったのでしょうか。そして、1年前のジルに何が起こったのでしょうか。

「マンマ・ミーア」「レ・ミゼラブル」などで知られるアマンダ・セイフライド主演のサスペンススリラーです。「ブラック・サイト」のアリソン・バーネットの脚本を、ブラジル出身でブラジルで映画の実績を積んで今回ハリウッドデビューとなるエイトール・ダリアが監督しました。セイフライドは明るく元気な役どころが多いのですが、一方で「クロエ」のようなミステリアスな役もこなす達者な女優さんです。今回は、妹が誘拐されたと思って、警察に訴えたけど相手にされず、自分で妹を探そうと暴走しちゃうヒロインをミステリアスに演じています。このミステリアスというのは、彼女が1年前に誘拐事件の被害者として森の中で発見されたものの、結局事件性を否定され、彼女の誘拐されたという証言は精神的なものとして、病院に入れられていたという厄介な設定からきています。彼女が妹を誘拐されたというのは本当なのか、そもそも彼女が1年前に誘拐されたというのは本当なのかが、観客にはわからないままドラマは進んでいきます。

ジルの記憶によれば、森の中の井戸に閉じ込められてそこに他の女性の死体があったのですが、それがホントにあったのかどうかが怪しいのです。そこで、彼女は森林公園の中を歩き回り、自分か監禁された場所を探し出そうとしていました。オープニングは彼女が森の中を歩き回って地図を塗りつぶしているというシーンでして、彼女がまだ自分の身に起こった事件が精神の病がもたらしたものなのか、本当にあったことなのかの回答が得られていないということが示されます。そんな時にジルの妹がいなくなってしまったものですから、かつての誘拐犯が戻ってきたのだと信じ込んでしまいます。妹が姿を消した事実なのですが、自分で出て行った可能性もあるし、警察も1年前のこともあって、彼女の話をまともに取り合ってくれません。孤立無援になってしまった彼女は銃を持って妹探しを始めます。かなり思い込みの強いヒロインでして、真実がどこに落ち着くのかがわからないまま、彼女の暴走は続きます。

彼女が精神病院に入っていたことがわかるところで、彼女の思い込みが妄想のように思えてきます。一方で彼女が調査を始めると、昨日の夜、誰かが家にやってきたらしいことがわかってきて、彼女の言うことは本当なのかもしれないという気になってきます。ダリアの演出は、主人公も含めて出てくる人物全てに胡散臭さを感じさせ、なかなか先の読めない展開で楽しませてくれます。警察の人間まで怪しさ全開なので、この中に真犯人がいるのかもしれない、全部グルで彼女をハメようとしているのかもしれない(それはさすがにないかな)という気分にさせるのです。それとも、全てがジルの狂言なのか。色々な可能性を持ったまま、結構意外なところへ落とし込む脚本、演出は快調でして、サスペンススリラーのよくできた小品になっています。94分の長さに無駄なくまとめた手腕は評価されてよいと思いました。特にショック演出とか、ホラー映画的な要素はないので、ミステリー要素をもったサスペンスとして楽しめる映画と言えましょう。

演技陣では、怪しげな言動をする新任刑事を演じたウェス・ベントリーや脇の女刑事を演じたキャサリン・メーニッヒなどが印象的でした。出演場面は少ないのですが、タイトルでは3番目のジェニファー・カーペンターがヒロインの友人役でいい味を出していました。



この先は結末に触れますのでご注意下さい。



ジルは夜中に家の前にやってきた男がロイヤルホテルに泊まっていたことまでつきとめてホテルに向かうのですが、そこはもぬけの殻でした。男は、北の方へ向かうと言い残していましたが、彼女のダイナーの客にそういう男がいたのです。彼女は同僚のシャロン(ジャニファー・カーペンター)から男の電話番号を聞き出し、その男に電話をかけます。男は自分が誘拐犯かどうかは言葉を濁しながら、会おうと言い出し。ジルは男のいる場所へと向かいます。同じ頃、監禁されていた妹のモリーが家の床下から発見されます。警察は彼女を保護し、ジルの行方を追おうとしますが、居場所がつかめません。ジルが男の電話から指示に従って行き着いたのは森林公園の中でした。その場所にはテントがあって、その中には、被害者と思しき女性たち写真が貼ってあり、その写真の中にはジルのものもあったのです。そして、その先の井戸はかつてジルが閉じ込められた井戸であり、その中には別の女性の死体がありました。覗き込んだ彼女は犯人に引っ張り込まれそうになりますが、銃で応戦し、犯人は井戸の中に倒れこみます。助けてくれという犯人にジルはガソリンをかけて火を放つのでした。そして、家に帰って妹の無事を確かめると警察に向かって「行った先には誰もいませんでした。何も起こってません。私の妄想ですから」。その後、警察に被害者の写真が郵送されてきます。その中にジルの写真もありました。おしまい。

妹のモリーが家の縁の下に監禁されていたこと、そして、ジルが最後に犯人を冷酷に殺してしまうところに意外性がありました。やっぱり彼女、精神を病んでいるのかも。また、それまでの登場人物の中に犯人がいそうな雰囲気を出しておいて、別の犯人(まあ、冒頭のダイナーのシーンで後姿だけ登場しているのですが)にたどり着くのも、ちょっとした意外性でした。とにかく、警察が役立たずなので、ヒロインが一人で暴走しなきゃならなかったという展開は面白かったです。また、ジルが警察から逃げ回るのに足で走り回るシーンが多かったのも印象に残りました。

惜しかったのは、ラストでジルが警察に送った写真の中に彼女自身の写真も入っていたこと。あそこは自分の写真をはずしておかないとお話がきっちり落ちないでしょうから。でも、1本の映画しては、よくできたサスペンススリラーの小品で楽しめました。アマンダ・セイフライドがこういう役にきっちりはまるってのは発見でしたけど、それだけ巧い女優さんだということになりましょう。こういう映画ですと、全てジルの妄想でしたとか、実はジルが真犯人でしたとかいうサイコスリラー的なオチになりがちなんですが、こういう落としどころもあるのかとちょっとだけ感心しちゃいました。

「ハード・ラッシュ」は滅法面白い犯罪アクション、アイスランド映画のリメイクですって。


今回は新作の「ハード・ラッシュ」を109シネマズ川崎で観てきました。最近は映画の始まる前にパンフレットで出演者を確認する習慣がついちゃいました。最近の映画って、メインタイトルで出演者のクレジットがないのが多くて、こいつ誰だっけと気になっちゃうことがよくあるもので。

父親譲りの密輸のプロ、クリス(マーク・ウォルバーグ)は、今は足を洗って防犯設備の施工人となり、妻のケイト(ケイト・ベッキンセール)と二人の息子と暮らしていました。ところがケイトの弟アンディ(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)が、コカインの密輸をやって足がつきそうになり、コカインを海に処分したことから、依頼人ブリッグス(ジョヴァンニ・リビシ)に70万ドル払わないと殺すと脅されてしまい、クリスは仕方なく、金を作るために密輸に手を染めざるを得なくなります。計画では、元手を持って船員としてパナマに渡り、その金で偽札を買って、アメリカに持ち込もうというもの。かつての相棒セバスチャン(ベン・フォスター)の作った金を持って、5人のチームを作ってパナマ行きの船に乗り込みます。船長(J・K・シモンズ)はクリスの素性を知っていて、彼をマークし始めます。一方、お留守番のケイトのもとにはブリッグスがやってきて脅しをかけてきます。何としても金を作らなければならないクリスは、パナマに上陸してアンディとダニー(ルーカス・ハース)と共に偽札屋のもとを尋ねるのですが、紙質が悪くて、使い物にならないと判明。船の出港まで時間がない状況で、上物の偽札を持っている組織のボスのもとに向かうのですが、セバスチャンにメールで脅されたアンディが金を持ち逃げしてコカインを買いに行ってしまったもので、クリスたちは、組織のボスに絵画強盗の一味にさせられてしまいます。船の出港時間は迫っています。果たして、クリスは無事に金を持ってケイトのもとへ帰ることはできるのでしょうか。

アイスランドの監督バルサダール・コルマウクルが、アイスランドで撮った映画を、ハリウッドで自らリメイクした犯罪ドラマです。この映画のように、海外の映画をハリウッドでリメイクするときにオリジナル版の監督を呼ぶことが結構ありまして、ミヒャエル・ハネケの「ファニー・ゲーム」、清水崇の「呪怨」、ちょっと昔だとジョルジュ・シュルイツァーの「失踪」なんてのもありました。一度は足を洗った主人公が身内のドジのおかげで、再び元の稼業に戻らざるを得なくなるというお話です。そもそもの発端は、クリスの義弟アンディがコカインの運び屋をやってドジを踏んでしまったから。このアンディという若造が徹底して足を引っ張って話をややこしい方向へ持っていきます。その尻拭いで、クリスは密輸で再び金を稼ぐことになるのですが、コルマウクルの演出は奇をてらわないオーソドックスにドラマを語っていくもので、登場人物のキャラのインパクトは弱いながら、キャラ設定を丁寧してあるせいで、94分を楽しむことができました。特にキャスティングが成功していまして、ヤクの売人ジョヴァンニ・リビシの家でも銃を離さないけど幼い娘はかわいいというチンピラ悪役ぶりですとか、J・K・シモンズのコミカルな味わい、ルーカス・ハースの頼りない相棒ぶり、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズのクズ一歩手前のアホぶり、ベン・フォスターのやっぱりチビステイサムぶりなど、意外とドラマに貢献しているのですよ。特にベン・フォスターがクリスより複雑なキャラで結構目立っていました。マーク・ウォルバーグとケイト・ベッキンセールはストーリーを引っ張る役どころで、キャラの奥行きが出なくてちょっとお気の毒でしたが、それだけ脇役が目立つってのは最近の映画では珍しいかも。

冒頭のコカイン密輸失敗から、コルマウクルの演出は快調にドラマをさばいて最後まで退屈させないでラストまで見せきってくれます。密輸ってのはどうやるのかって一言で言うと、外国から安く買ってきて、自国で高く売るんですが、クリスはその荷物をばれないように運ぶスキルが高かったというわけです。今回もパナマを往復するコンテナ船の中に偽札を隠して運ぼうということになります。パナマでの偽札の手配を済ませて、船に乗り込んでパナマまで向かいます。港について荷物の積み下ろしをしている間に偽札を入手して船に戻ってくるという作戦だったのですが、その偽札の出来が悪くて、ギャングのボスに直談判に行くことになります。ところが、ブリッグスがクリスの息子の写真と共に「持ってる金でコカインを買ってこい」とメールをアンディに送って脅してきます。クリスがギャングのボスと直談判中に、アンディは元手の金の共に姿を消し、クリスはボスをコケにしたことになってしまい、輸送車襲撃の片棒を担がされてしまうことになります。

ドラマの展開は、ストレートで変にこねくりまわした感がないので、素直にドラマに乗れました。また、アホな義弟アンディのキャラと相棒のセバスチャンのキャラがかぶってくるあたりの見せ方もうまく、クライマックスを密輸の成否でないところに持ってくるなど、工夫して楽しませてくれます。「ハート・ロッカー」のバリー・アクロイドのカメラはざらついたフィルム感のある絵で、シネスコの画面に寄りの絵をたくさん入れていて、「ハート・ロッカー」のシャープな映像とは異なる絵作りをしているのが印象的でした。



この先は結末に触れますのでご注意ください。




ギャングの輸送車襲撃は銃撃戦になってしまい、ボスも銃弾を受け、とクリスと相棒以外はみんな死亡。でも目的の絵の強奪には成功し、結局ボスも死亡して、クリスたちは間一髪で偽札と絵を持って船に戻ることに成功します。乗ってきたバンをコンテナに積み、このまま行けば無事に帰り着く筈でした。アメリカでは、セバスチャンが組織のボスに金を払えと脅されていました。もともとのコカインの密輸は、セバスチャンがブリッグスに依頼してやったことだったのが、その先で、親友の義弟が運び屋で、しかもドジを踏むというのは計算外だったのです。事情を察したクリスは、セバスチャンにコカインは運ばないと宣言するのですが、セバスチャンはクリスが密輸をやっていると船長に電話し、港湾警察の手入れが入ってしまいますが、船から、偽札もコカインも発見することはできません。

裏事情を隠したままケイトに接していたセバスチャンですが、疑い始めたケイトと揉みあいになり、ケイトは頭を打ってダウン。まだ息はあったのに、死んだと思ったセバスチャンはケイトをコンクリートの型の中に放り込みます。無事に上陸した、クリスやアンディを待ち構えていたのは、ブリッグスたち。クリスは彼らを船長の家に連れて行きます。コカインは船長のお気に入りの掃除機の中に隠されていました。ブツを確かめているブリッグスたちですが、クリスはこっそり抜け出します。防犯装置が反応していて警察がやってきてブリッグスたち、そして船長まで逮捕されてしまいます。ケイトを探すクリスはセバスチャンを締め上げますが「ケイトは死んだ」と言うだけ。外の工事現場では、コンテナ車がコンクリートの搬入を始めています。ケイトに電話したところ、作業場の中から着信音がして、寸でのところでケイトを助け出すことに成功。偽札は、手入れが入る前に、塩を重しに海に沈めていて、時間がたって塩が溶けて浮かび上がった偽札をアンディとダニーが回収。そして、絵の積まれたバンをオークションで安値で回収。絵は、ポロックの前衛画で、見た目ただの作業用の布にしか見えないもので、誰も疑うものはいなかったのです。これが闇価格でも2000万ドルというとんでもない代物。海辺の家で幸せそうなクリスとケイト。そして、外ではアンディと息子たちが遊んでいるのでした。おしまい。

パナマに上陸してからは想定外の問題が次から次へと起こるのですが、クリスは何とかそれらを乗り切り、最後にはギャングの強奪品までゲットして、大金持ちになるという結末は一応のハッピーエンド。もともとヤクザな商売をしていたクリスが、どうやってケイトと知り合って、ケイトがその仕事をどう思っていたのかが、今一つわからなくて、そこが主人公夫婦に感情移入しにくくなってしまいました。マーク・ウォルバーグとケイト・ベッキンセールという素直な二枚目と美女が演じているせいかもしれません。もっと生活感のある、元密輸屋、元アバズレが似合う役者が演じてくれていたら、感情移入できて、素直に応援できたのではないかしら。その分、脇役が引き立ちまして、特に意外と小心者ででかいヤクザ仕事をこなすには器が小さかったセバスチャンを演じたベン・フォスターが小物感をうまく表現していました。

犯罪ドラマとしては滅法面白いというレベルの仕上がりでして、きちんと劇場で観る映画として、見せ所を押さえています。個人的な不満は、ごひいきケイト・ベッキンセールが勿体ない使われているところ。せっかくの彼女の魅力をもっと見せて欲しかったです。

「カルテット 人生のオペラハウス」はオペラ知らずの私でもそこそこ楽しめました。


今回は旅行先の山形フォーラム2で「カルテット 人生のオペラハウス」を観て来ました。40席という小さいキャパの映画館ですが、ゆるやかな傾斜の座席にキャパ見合い以上に大きなスクリーンとミニシアターとしてのクオリティが高かったです。実家のある静岡にもこういうミニシアターがあったらいいなあと思わせる映画館。

イギリスには引退した音楽家の集まる老人ホームがあるそうで、その一つビーチャムホームでは、ヴェルディ生誕記念のガラコンサートのリハーサルが続けられていました。そんなところへ新しい入居者として有名なオペラ歌手ジーン(マギー・スミス)がハウスへやってきます。それを知って動揺しちゃうのが、元からの住人レジー(トム・コートネイ)。実はレジーとジーンは結婚していた時期があったようなのですが、ジーンの方が何かひどいようなことをしたらしく、レジーはジーンを避けていました。レジーとこのホームの住人シシー(ポーリーン・コリンズ)とウィルフ(ビリー・コノリー)は「リゴレット」でカルテットを組んでいたこともあり、ジーンを加えた4人でコンサートで「リゴレット」を歌ったらどうかしらということになるのですが、気位の高いジーンは拒否。ジーンと絡みたくないレジーもやだ。シシーは時々ボケモードに入っちゃうし、ウィルフは気分だけは若くてホームのドクターをくどいたりと、果たして4人が再び舞台に立つことがあるのでしょうか。

「ドレッサー」や「潜水服は蝶の夢を見る」「戦場のピアニスト」で知られるロナルド・ハーウッドが自分の戯曲を脚本化し、名優ダスティン・ホフマンが初メガホンを取りました。美しい田園地帯に音楽家だけの老人ホームがあるってところがまずウソみたいな設定だと思ったのですが、プログラムを読んでもそれについての言及はありませんでしたから、まあこのお話のための設定だったのかも。そういう場所でコンサートを控えた老人たちがあちこちで練習しているという設定だけに、ドラマのバックには常にクラシック音楽やオペラが聞こえてきて、それが実際に演奏されているという浮世離れした世界が展開していきます。

私は音楽的素養がまったくないもので、歌のうまい人とか楽器の弾ける人には嫉妬に近い羨望の念があります。ですから、この映画の独特の音楽家だけの世界には、どうも感情移入できなくて、彼らのジョークであるとか、凡人と違うハードルの高さは、苦手でした。オペラなんて聞いたこともないですし、これからも聞くことはないでしょうし。そんな私からすると、気位の高い年寄りたちがどうやってお互いに折り合いをつけていくのかというところにドラマの興味が集中しました。まあ、共感よりはちょっとシニカルな楽しみ方になるのでしょうが、そういう年寄りの諍いと和解の物語としては、感情の振れ幅そこそこにコンパクトな小品ととして楽しめました。99分という丁度よいくらいの時間でドラマはささやかに結末を迎えることになります。

この老人ホームはどういう仕組みになっているのかはわかりませんが、それなりに財政難。コンサートのチケットが売れれば来年まで維持できるとか言ってます。コンサートのディレクター、シィドリック(マイケル・ガンボン)はコンサートメンバーに檄を飛ばして、何とかコンサートを成功しようとしています。そんなに自転車操業なのかなあと思う一方で、ホームは内も外も美しく職員もたくさんいて、すごくいい環境みたいです。そんなところへやってきたジーンはいわゆるスター。世間的には過去の人でも、ホームの老人たちにとってはスターであり続けていて、注目の的。そんな気位の高いジーンからすると、全盛期の張りのある声には届かない現状で人前で歌うなんてプライドが許しません。

一方で、ジーンは、過去にとらわれて彼女を避けるレジーに、「もうちょっとやさしくしてくれても」と弱気なところも見せます。どっか朴念仁なレジーとしては、マジメに拒否したいみたいなのですが、それでも彼の心の焼けぼっくいにも火がついたみたい。この二人のささやかなラブコメがドラマの中心なのですが、トム・コートネイの丁寧にキャラを肉付けした演技で、そこはかとないおかしさを運んでくるのが見事でした。相棒のウィルフがいつも女のことばかり話しているのをクールにたしなめるというどこか冷めたキャラがラストにちょっとだけラブラブになるところが微笑ましかったです。

この映画では、ホームの住人に実際のリタイアした音楽家、歌手を連れて来て、彼らに演奏、歌唱させているところが豪華ポイントになっています。それなりに音楽の素養、知識のある方がご覧になれば、その見応えを実感できるのでしょうが、音楽に何の知識も思い入れもない私には、「ふーん」てなもんでした。クライマックスのコンサートのシーンで、彼らが本当に歌い演奏するところに感動できると、結構ドラマチックな映画になるのかも。私にとっては、年寄りの気難しくなってからのラブコメの小品として楽しめましたが、それは牛肉嫌いが、すき焼きの春菊だけを「結構おいしいね」とパクパク食べるようなものなのでしょうが、それでもおいしいすき焼きだったと思えればOKなのではないかしら。



この先は結末に触れますのでご注意ください。(まあサプライズはないですが)



レジーとジーンが別れた原因は、ジーンの浮気が原因でした。ジーンは自分のしたことを後悔した結果、思い切って浮気をレジーに告白したら、結果、彼は大変傷つき、二人の9時間の結婚期間を経て離婚に至ったのでした。音楽を捨て、自分の人生を静かに終えようとしていたレジーにとって、その傷を思い出させるジーンの存在は、耐え難いものでした。しかし、年を取ってカドの取れたジーンの態度もあって、二人は少しずつ距離を縮め、コンサートでリゴレットを歌う前にレジーがぽそりとジーンに「結婚しよう」とつぶやきます。それを受け入れるジーン。観客の喝采を浴びながら二人はしっかりと手を握り合うのでした。おしまい。

クライマックスは主人公4人が「リゴレット」のカルテットを歌うシーンなのですが、ここでは歌うシーンは見せません。それまでに、ホンモノの歌唱、演奏を見せてきたので、その先人に敬意を称したのでしょう。エンドクレジットで主たる登場人物の今と若い頃の写真が並べて映され、それぞれの過去のキャリアが字幕で示されます。音楽家には音楽家としての昔の肩書きが、俳優には俳優としての若い頃が同列に紹介されるところが微笑ましかったです。

出だしの雰囲気は敷居の高さを感じさせるところがありました。美しい風景にクラシック音楽に行儀のいいお年寄り、彼らみんな音楽家っていう設定が、無風流な私にはとっつきが悪かったのですが、ポーリーン・コリンズやビリー・コノリーのコミカルな演技がその敷居を下げ、音楽インテリっぽい、マギー・スミスやトム・コートネイが段々と普通の人の顔をのぞかせてくることで、最後には笑ってほっこりの気分にさせてくれましたから、これは演出のホフマンの功績なのではないかしら。こういう題材の舞台劇ですと、オペラの素養がなくて置いてきぼりにされても、それは観る方の教養不足になってしまうのでしょうが、若干敷居の低い映画というメディアでは、私のような凡人も相手にして、そこそこ楽しませてくれないとお客が入らない。この映画は、その敷居の下げ方がうまくいった例だと思います。

「エンド・オブ・ホワイトハウス」の悪役の極悪非道ぶりがちょっと懐かしい味わい。


今回は旅行先の山形フォーラム1で「エンド・オブ・ホワイトハウス」を観てきました。ここは65席というキャパながらスクリーンがかなり大きく高い位置にあるため、ゆるい傾斜のある座席の中では一番後ろがベストポジションになる映画館です。

アメリカ大統領のシークレットサービスであるマイク(ジェラルド・バトラー)はアッシャー大統領(アーロン・エッカート)をパーティ会場へ移送中に事故に遭い、橋から落ちかけた大統領の車から大統領だけ助けて奥さん(アシュレイ・ジャッド)を死なせてしまったため、シークレットサービスから財務省のデスクワークへと異動。その事故から1年半後、南北朝鮮間の緊張が高まるなか、日韓首脳会議がホワイトハウスで行われます。会議が始まった直後、国籍不明機がワシントンDCへ領空侵犯してきて市民へ無差別に銃撃し、追跡してきた米軍機へも攻撃した挙句、ホワイトハウス近くへ墜落。大混乱となっているホワイトハウス周辺ではアジア人観光客を装った連中が隠し持った武器で、ホワイトハウスへ攻撃してきます。さらに突如現れたトラックから警護の警官やSPへ向けて機銃掃射。たちまちのうちにホワイトハウス周辺は死体の山。米韓の大統領と高官、そしてSPは地下の退避壕へと避難するのですが、韓国大統領のSPたちが突如発砲し、アメリカのSPフォーブス(ディラン・マクダーモット)も寝返ってしまい、大統領や国防長官は人質とされてしまいます。そして、ホワイトハウスの地上部分も武装集団に制圧されてしまいます。財務省の窓から国籍不明機の攻撃を見てホワイトハウスへ走ったマイクは、ホワイトハウスの中の唯一の生存者となってしまいます。大統領を拉致した男カン(リック・ユーン)の目的は何か。そして、手も足も出ないペンタゴンでは下院議長のトランブル(モーガン・フリーマン)が大統領代理として事態の収拾に努めようとするのですが、テロリスト集団に翻弄されっぱなしで、マイクに希望をつなぐことになってしまうのでした。

これが映画デビュー作になるというクレイトン・ローゼンバーガーとケイトリン・ベネディクトの夫婦コンビが書いた脚本を「トレーニング・デイ」「ザ・シューター 極大射程」のアントワーン・フークアが監督しました。ホワイトハウスが朝鮮人テロリストに乗っ取られるというなかなかに時代を反映しているというべきか。まあ、007でも北朝鮮を悪役にしたものがありましたから、過去に色々といきさつのある中東のテロリストよりも葛藤なく悪役にできる国なのかもしれません。さすがに、北朝鮮軍の特殊部隊がホワイトハウスを襲撃したという話にはなっていないのですが、テロリストの最終目標は南北朝鮮の統一ですからね。

ホワイトハウスの襲撃シーンは一気に畳み込む演出で迫力満点。機銃掃射で一般市民や警官たちが蜂の巣にされちゃう様子がこれでもかという感じで描かれます。悪役がここまで躊躇なく殺しまくって死体の山を作るってのは、2000年以降の映画では珍しいです。ホワイトハウスを占拠した後も、政府高官や韓国の大統領までためらいなく殺すは、女性の官房長官をタコ殴りにしちゃうは、極悪非道ぶりがすごい。1980~90年代のアクション映画の悪役にはこういう極悪野郎が多くて、アクション映画をある意味殺伐とさせていたのですが、最近の映画にはこういうのがほとんどいなかっただけに、若い人なんかには結構新鮮に映っちゃうかも。血糊もたっぷりの描写なのですが、クイックショットで一瞬しか見せないので、R15でなくPG12のランクに留まったようです。

テロリストに制圧された場所で、一人取り残された主人公が孤軍奮闘すると言えば「ダイ・ハード」ですが、この映画は、そのパターンをなぞっていると言えます。ただ残念ながら、ジェラルド・バトラーには、ブルース・ウィリスのユーモアとかペーソスとかがないので、キャラに奥行きが出ませんでした。その分、ハードボイルドさは増量でして、逆に捕まえたテロリストから情報を聞き出すために拷問して殺しちゃうなんてシーン(直接描写はないけど)もあり、正義も悪も、非情で本気度高いのは、なかなか盛り上がりました。でも、1980~1990年代の悪役と同じ弱点も持っていまして、それは最後の詰めが甘くて自滅的なやられ方をしちゃうことは減点。登場シーンは完璧で切り崩すのは不可能と思われる敵組織がなぜか後半は自分で変な動きをしてつけこまれちゃうのですよ。まあ、つかみとしては、最強の敵、主人公に勝ち目なしの状況にしなくちゃいけないのはわかるのですが、そこからの逆転の展開をスムースに運ぶのは至難のわざのようです。

この映画は、単なるシチュエーションの面白さに頼らず、なかなかに豪華キャストをそろえてドラマ部分を充実させています。大統領役のアーロン・エッカートは曲者の彼の割には無難に大統領をこなしたという感じでしたが、国務長官のメリッサ・レオ、シークレットサービスのトップのアンジェラ・バセット、主人公の奥さんを演じたラダ・ミッチェルといった女性陣の好演が印象的でした。将軍役のロバート・フォスターもベテランのうまみを見せましたし、特に緊急事態の大統領代理を演じたモーガン・フリーマンがカッコ良かったです。「オブリビオン」の時は、別にこの人じゃなくてもいいよなあって気がして、最近は映画の格付けのためにしか呼ばれてないのかなとも思っていたのですが、この作品では、彼ならではの重厚なキャラになっていまして、不安と毅然さを見事に表現していました。

この映画の予告編を観たとき、あまりにもあからさまなCGの絵に引いてしまい、観ようかどうしようか迷ったのですが、本編ではCGのクオリティもアップしていて、さらにCGのカットを短くしてあり、うまく使われていたのには感心しました。視覚効果にブルガリアのVFXスタジオが参加しているのは、製作にアヴィ・ラーナー率いるヌーイメージが参加しているからでしょうか。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



マイクはホワイトハウスの中で、テロリストを殺していき、それはテロリストのリーダーであるカンの知るところとなります。カンの要求は米軍の第7艦隊を日本海から撤退させること。それにより、南北朝鮮のパワーバランスが崩れ、北朝鮮が韓国に攻め込む可能性が増してくるのです。さらに、アメリカの核兵器を自動的に爆発させるケルベロスコードが次々に解かれて、アメリカの核兵器が自爆するかもしれない状況。カンたちはヘリを要求し、そのヘリには黒づくめの人質かテロリストかわからないまま乗り込み、その直後に自爆。これで大統領も死亡したかと思われるのですが、マイクはそれは偽装だと見抜き、地下へと向かいます。そこでは、カンがケルベロスコードを解読し、米国の全ての核兵器爆発までの秒読みが始まります。そして脱出しようとするカンたちとマイクは格闘となり、その流れ弾で大統領が被弾しますが、マイクはカンを仕留め、解除コードを入力し、核兵器の爆発は免れました。そして、大統領の演説する傍らには、シークレットサービスに復帰したマイクがいました。おしまい。

実際にホワイトハウスのセキュリティをリアルに描くわけにはいかないから、かなり杜撰な防御システムになるのはやむを得ないのですが、ドラマのカギとなる地下の退避壕の出入りの方法などはウソでもいいから説明して欲しいところでした。テロリストが退避壕と地上を行ったり来たりしているのであれば、難攻不落とは言えないんじゃないのって気がしまして。それに、核兵器が爆発寸前の地上に脱出しようとするのもよくわからないし。その他もろもろをラストに勢いで押し切ってしまったので、最後に大盛り上がりまで行かなかったのはちょっと残念。ずっとテンション高いままで走る映画で、緩急がない2時間、ちょうと息切れするタイミングで終わってしまったという感じでしょうか。

本当なら、マイクがヒーローということになるのでしょうが、彼がプロの対テロリスト職人になっているので、あまり彼自身がピンチに陥ることもなく、スティーブン・セガールみたくなってしまい、そこにエモーショナルなカタルシスを感じることができなかったのは残念でした。ともあれ、20年以上映画を観ている人には、ちょっと懐かしい味わいの映画になっているのではないかしら。極悪非道な悪党相手に、主人公も殺しまくるというお話がこれからまた流行るのかな。

「箱入り息子の恋」はずっとふわふわした話なのにいいなあって思えるのは、私が夏帆ファンだから?


今回は新作の「箱入り息子の恋」をヒューマントラストシネマ有楽町1で観てきました。

市役所の記録課に勤める35歳の天雫健太郎(星野源)は、酒、タバコもやらないし、友達もいない、勿論彼女もいない、ヒマなときはゲーム三昧という変わり者。両親(平泉成、森山良子)も心配して、代理お見合いに出席しますが、あまりいい感触はありません。ある雨の日、健太郎は、雨の中にたたずむ女の子に傘を差し出します。その女の子は代理見合いで写真を交換した一人菜穂子(夏帆)でした。菜穂子の母(黒木瞳)はその傘の名前を見て、見合いの相手の一人と知って、健太郎の両親に正式なお見合いを申し入れます。しかし、菜穂子は幼い頃の病気で目が見えなかったのです。そして、見合いの当日、会社の社長である菜穂子の父(大杉漣)は、健太郎が13年役所づとめなのに昇進もなく、社会との関わりもないことから、障害者である娘を任せられないと一蹴。お見合いは最悪の空気に。しかし、健太郎が昼休みに食事のために役所を出ると、そこには菜穂子と彼女の母親がいました。こうして、二人の昼休みデートが始まります。最初のデートは吉野家の牛丼ランチでした。二人は段々と親密になっていき、休日デートではベッドインまでこぎつけますが、うまくいきませんでした。そして、その帰り道、もっとうまくいかなくなる出来事が起こってしまうのでした。

田村孝裕と市井昌秀の脚本を、市井が監督した恋愛コメディです。ラブコメとは言わないのは、いわゆるアメリカ映画のラブコメとはかなり違う味わいだったからです。普段だったら、こういう日本映画を観に行くことはまずないのですが、予告編を観て、夏帆がかわいかったので、劇場まで足を運んでしまいました。ちょっと浮世離れした主人公のラブストーリーというところはそれほどの興味を引かなかったのですが、時々、えいやって観た日本映画が結構面白かったという実績(「赤い文化住宅の初子」とか「接吻」「百万円と苦虫女」などなど)もあるので、ま、いいかなって感じで。

お話としては、オタクにもなれない引きこもり系の堅物の主人公が、代理見合いの相手と運命的な出会いをして、だんだん仲良くなっていくというもので、主人公のキャラ設定がいわゆる朴念仁の典型になっています。あんまり共感を呼ぶタイプではないのですが、ありがちな設定から恋愛ドラマに発展するところもいわゆる王道的な展開です。相手のお嬢さんが目が不自由であるところも、あまり生活感のある描き方はされていません。菜穂子の方もピアノの上手な深窓の令嬢という設定で育ちの良さが感じられるものの、リアルな女性の存在感を感じさせません。そういう二人の恋愛模様をコミカルにふわふわ感満載で描いているところにこの映画の特徴があると言えましょう。障害者のシリアスな恋愛モノを期待すると肩透かしになりますが、そのふわふわ感に乗れると結構楽しめる映画に仕上がっています。この映画の協賛に、代理お見合い屋さんと、牛丼の吉野家が入っているので、代理見合いとか吉野家デートへのシニカルな視線はありません。むしろ、吉野家はファーストデートとクライマックス前に2度も登場しますので、かなりいい扱いになっています。

二人はお見合いの前に、傘の貸し借りの関係があって初対面ではありません。このあたりはドラマとして作りすぎかなあと思っていたのですが、この映画はリアルさよりもファンタジーの色合いが濃いということがわかってきます。8歳から目が不自由というのに、菜穂子は杖もつかずに親がかりですし、デートも母親が車で送り迎えしています。言葉の端から、過去にも何度もお見合いしてきたのですが、うまく行かなかったみたいです。一方の健太郎は、職場では13年も同じ課で、定時出勤と定時退勤を繰り返す日々。昼ごはんを食べに家に帰り、仕事が終わってもまっすぐ家に帰り、ゲームばっかりしてペットのカエルを眺める日々。二人とも、リアルな存在感がありません。そんな35歳の男と25歳の女性が思春期全開のラブラブになるというのですから、見様によっては気持ちわるーいお話とも言えるのですが、リアルさを排除したことで、不思議な透明感のあるドラマに仕上がっているのですよ。

夏帆ファンの贔屓目かもしれませんが、彼女の不思議ちゃんの入った透明感がかわいいのです、裸で抱き合うシーンが出てきても微笑ましく見えてしまうあたり、演出のうまさなのか、つたなさなのか判断つかない不思議な味わいがあるのですよ。二人の両親の描き方も各々のパートがくっきり明快になっていて、かつあまり前面に出てこない控えめさが、ちょうどよいふわふわ感につながっています。代理見合いする両親の切実さとか、目の見えない娘の将来への不安なども深入りしないで、そこそこの突っ込みにとどまっています。ある意味、浅いドラマということにもなるのですが、その浅さ、軽さが私にはちょうどいい感じに思えました。主人公に感情移入しない距離感で楽しめるという感じでしょうか。

恋愛ドラマとしては大きな振れ幅は見せないものの、泣かせるシーンもありますり、ラストはそこそこのハッピーエンドに落ち着きます。へー、そこで終わるの?という意外感もありますが、最後までふわふわ感で通したあたりは、狙ってやってるのかなあ。でも、それほど、ドラマとしてのうまさを感じさせるものではありませんでした。まあ、私が夏帆ありきで観ていたので、彼女のかわいさで全部いい方に解釈しちゃったのかも。



この先は結末に触れますので、ご注意ください。



デートの帰り道、迎えにきた菜穂子の母親をつけてきた父親に見つかってしまい、父親大激怒。土下座して「お付き合いさせてください」と言う健太郎に対しても、「一緒にいたいの」という菜穂子にも大暴れ。そんな修羅場の最中に車道の方へ向かって行った菜穂子に車が迫ってきます。健太郎が身を挺して菜穂子を救うのですが、代わりに彼が車に轢かれて大怪我しちゃいます。今度は健太郎の母親大激怒で、結局二人は会えなくなってしまうのでした。ある日、健太郎が昼ごはんに外に出てみると杖をついて歩く菜穂子を発見、彼女をつけていくと、彼女が行った先はなんと吉野家。遠くの席から彼女を見守る健太郎。牛丼を食べながらポロポロと泣き崩れる菜穂子に、健太郎も大泣き。泣いてる間に彼女は店を出て父親と一緒に車に乗って行っちゃいました。もう仕事も手につかない健太郎は、逆上して13年勤めて初めての早退。菜穂子の家に向かい、彼女にいる2階へとよじ登っていきます。カエルの鳴きまねで彼女を呼んで、彼女の部屋でいよいよ抱き合う二人。楽しそうな娘の声に気づいた両親が2階に上がってきたら、そこには裸の二人が。またしても逆上する父親にボコボコにされながら、それでも菜穂子の手を取ろうとする健太郎、でもそうはうまくいかず、2階のベランダから落下。またしても入院の健太郎ですが、ベッドで彼女に点字の手紙を書いています。一方、彼からの手紙をうれしそうに読む菜穂子。手紙を書きつづける健太郎のアップで暗転、エンドクレジット。

最後は菜穂子に夜這いかけちゃうわけですから、そりゃあご両親も逆上するわな。それでも、再会した二人がものすごい嬉しそうにしているので、どっかほのぼのしちゃうところがあるわけでして、足に地のついてない二人のラブストーリーがふわふわしたまま終わるあたりに、そこはかとないおかしさと心地良さを感じてしまうと、結構好きな映画になっちゃいました。普通のドラマとして観ると展開の詰めは甘いし、登場人物に深みはないし、もっともらしいセリフも上滑りしちゃっているんですが、その中身のないところがふわふわ感として楽しめたという感じでしょうか。そう感じられたのは、夏帆のかわいさがあってのことなんですが、そういう意味では、彼女のファンだと楽しめて、そうでない人には何のこっちゃという映画なのかも。夏帆がごひいきでない方の感想も伺いたいところです。

「オブリビオン」はどっかで観たようなお話だけど、丁寧な作りで映画として楽しめます。


今回は新作の「オブリビオン」を川崎チネチッタ12で観てきました。トム・クルーズのSFというだけでは、食指が動かなかったのですが、今年の注目映画「シャドーダンサー」のアンドレア・ライズボローと「故郷へ」のオルガ・キュリレンコが出ているということで、映画館へ足を運びました。

スカヴという宇宙からの侵略者と人類の戦争の結果、地球は破壊しつくされ、放射能で汚染された地球を捨てて、生き残った人々は土星の月タイタンへと移住し、地球には、人類のステーション基地テットと海水をエネルギーに替えるプラントが残されました。そして、プラントの監視員としてジャック(トム・クルーズ)とヴィク(アンドレア・ライズボロー)の二人がタワーと呼ばれる施設で任務についていました。地球にはまだスカヴの残党がいて、地球のプラントへの破壊活動をしていますが、ジャックや無人偵察機ボットによってプラントは守られていました。ジャックもヴィクも機密保護のため、5年前以前の記憶を奪われていましたが、ジャックの夢の中には、破壊される前のニューヨークと一人の女性が必ず出てきます。そんなある日、宇宙船が落下してきます。落下現場には、救命カプセルが散乱していて、その中に夢の中の女性がいました。そこへ現れたボットが何とカプセルを次々と破壊し始めます。何とか彼女だけは救出してタワーへ連れ帰るジャック。彼女はジュリア(オルガ・キュリレンコ)という宇宙飛行士で、目を覚ました彼女は「ジャック...」。彼女はジャックとどういう関係があるのでしょうか。

CGから映画の世界に入った「トロン・レガシー」のジョセフ・コシンスキーが書いた原案を、カール・ガイダシェクとマイケル・デブリュンが脚色し、コシンスキーがメガホンを取ったSF大作です。最初の設定だけで、かなり込み入っているのですが、それらの設定を飲み込まないとお話が理解できない展開をコシンスキーは手堅く捌いて、きちんと伏線も全て回収するという見事な演出を見せました。全部説明しきってはいないのですが、ストーリーを語るのに最低限をきっちり見せようという姿勢は感じられ、きちんと世界観が作られているのには感心しちゃいました。ストーリー的には既視感もあるお話ではあるのですが、視覚的な見せ場と先の展開への興味を積み重ねる演出のうまさで、最後まで楽しめる映画に仕上がっています。

オープニングでジャックのナレーションによって設定が語られるのですが、お話が始まるとどっか不自然な感じがありあり。地球人の存続をかけたプラントの監視人が男女ペアだけというのも変だし、侵略者がプラント破壊のゲリラ活動をしているってのもどっかおかしい。そんな違和感が冒頭から伏線として張られていたと後から気づくことになります。ジャックはほとんど荒野の地球のかすかな緑の一角に家を建てて、任務の合間に、そこで時間をすごしていました。

主人公が5年前以前の記憶を任務のために消されているというところがカギになっています。この記憶に関わるSFと言えば、何本かの映画を挙げることができます。で、実はそういう展開になってくるのですが、それでも、面白く作ってあるので、映画としての点数は下がりません。登場人物が少ないながら、演技陣も好演しています。特にヴィクを演じたアンドレア・ライズボローが素晴らしく、非人間的なようでいて、ジャックを愛しているようにも見える複雑なキャラクターを熱演しています。それが、全てドラマのピースとして収まるように作ってあるので、その複雑なキャラクターを演じれる女優が必要だったと気づくと、彼女のキャスティングが腑に落ちます。オルガ・キュリレンコは、いわゆる純愛キャラにタフなヒロインを加えて、ドラマの柱となっています。でも、ちょっと屈折した奥行きのあるヒロインを演じたライズボローが儲け役とは言え印象に残りました。この二人のヒロインに比べると、主人公のジャックはあまりキャラが立っていませんで、ジャックのアイデンティティがこの映画のカギになっているのですが、トム・クルーズのスターの存在感がジャックのアイデンティティに勝ってしまったと言う感じでしょうか。



この先は結末に触れますので、ご注意ください。




ジュリアは60年間、ある任務を帯びて宇宙へ出発したオデュッセイ号の乗組員で、なぜかこのタイミングで地球に誘導されて不時着しました。フライトレコーダーを取りに行くために再度ジャックとジュリアは墜落現場へ向かうのですが、そこでスカヴによって拉致されてしまいます。しかし、実はスカヴこそが地球人の残党であり、テットこそが侵略者の基地であることをスカヴのリーダー(モーガン・フリーマン)から知らされます。そして、ジュリアの記憶の糸をたどったジャックは自分は、かつてまだ地球が廃墟になる前の地球人であり、オデュッセイ号の乗組員だったことを思い出します。地球人のコミュニティから解放されたジャックとジュリアは途中ボットの攻撃を受けて不時着しますが、そこへ現れたのはもう一人のジャックでした。侵略者はジャックとヴィクを大量にコピーとして地球攻撃の兵士として送り込んでいたのです。彼を取り押さえてタワーへと戻るジャックですが、そこでボットによりヴィクは殺され、再度、地球人の基地へと戻り、そこで、彼らのテット破壊計画に協力することになります。しかし、ジャックを追ってきたボットによって基地は破壊されて、計画は中断。ジャックは自分がテットに乗り込んで自爆する計画を提案します。一緒に行くと言うジュリアをカプセルに入れて、テットのもとに出頭するジャック。テットの中枢にまでやってきたジャックがカプセルを開けると中から現れたのはジュリアではなくリーダーでした。ジャックの持ち込んだ核爆弾によってテットは爆破されます。地球のジャックの隠れ家で子供と暮らすジュリアの前に、地球人の生き残りの集団が訪れます。その中には、過去の記憶を取り戻したもう一人のジャックがいたのでした。おしまい。

メインのお話は、侵略者の手先となっていた地球人のクローンが記憶を取り戻して特攻するということになりますが、それに色々な肉付けをして、2時間の映画にまとめあげたということになります。主人公が記憶を取り戻してどういう行動をとるかというところがミソになるのですが、そのあたりの葛藤を意外とあっさりと流しているのがこの映画の味わいになっています。ジュリアとの恋愛ストーリーもそれほど深入りしない描き方だったせいもあり、むしろヴィクがずっとジャックに片思いしたまま、それが成就しないという悲恋物語のほうが印象に残りました。儲け役とは言え、アンドレア・ライズボローのクールなキャラクターが、ラスト近くの回想シーンでジャックのそばにいたいと願うところが結構泣かせるのですよ。ジュリアの役どころは運命の女的な位置づけになっていまして、キャラクターよりもその存在感が要求される難しいポジションでしたが、オルガ・キュリレンコはかなり頑張っていたように思いました。

視覚効果の見せ場はかなりありまして、渓谷でのボットとのドッグチェイスなどは、今更な感じもしたのですが、CGそのものを見せ場にはしないという演出が成功していまして、淀みなく進むドラマを楽しむことができました。

SFとしてのアイデアは目新しいものではありませんし、それほどヒネりがあるわけでもない、ストレートな展開は、若干物足りなく思うものの、お金のかかったロケーションや視覚効果で楽しめる映画に仕上がっています。私にとってはストーリーはサプライズというよりは「あの映画と同じじゃん」という印象が強いのですが、それでも、ちゃんとお話として筋の通る見せ方をしている点で評価が上がりました。主人公が実はクローンだったとか、失われた記憶を取り戻すといったお話は、30分のテレビドラマ的な小ネタだったはずなのですが、それにどんどん世界観やらガジェットを上乗せして、2時間の大作に仕上げてるってのは最近の映画はネタ不足なのかなって気もします。昔ならコンパクトな低予算映画に仕上げたであろうネタを、スターを使って大作として作るようになったんだなあって。

「シネギャラリー1,2」は静岡の映画館の台風の目

静岡の映画館で、大事なところをまだ記事にしていませんでした。静岡シネギャラリー1,2です。

静岡の映画館は、日映が経営する静岡東宝会館と、静活の経営するシネシティザートという2つのシネコンがメインとなっています。静活が七間町に映画街を持っていたころは、静岡東宝会館とは隣接した共存関係にあったのですが、静活が七間町の全ての映画館を閉館して、静岡駅近くのシネシティザートを開館してから、七間町はかつての集客力を持たなくなってきています。その頃からか、静岡東宝会館のラインナップには、ミニシアター系の作品が少しずつ増えてきているようで、若干は映画館としてシネシティザートとの色分けを図ろうとしているように見えます。一方のシネシティザートはメジャー系オンリーのラインナップで、ショッピングセンター系シネコン色を強めていて、静岡東宝会館とシネシティザートだけでは、映画ファンの喉を潤すには十分とは言えない状況になっています。

そんな中で、映画好きの人が足を運ぶ場所が静岡シネギャラリーなのです。臨済宗のお寺さんの施設であるサールナートホールという建屋の3階に、45席のスクリーン1と47席のスクリーン2を擁しています。とにかくちっちゃな映画館でして、座席数見合いで考えてもスクリーンサイズはちっちゃいですし、座席のシネコンのようなゆったり感はありません。座席は自由定員制で、発券時に整理券を配って、整理券の番号順の入場となります。食べ物の販売はなく、ジュースの自販機があるだけでして、場内の飲食は禁止。上映前のアナウンスでは、「上映が終了して場内が明るくなるまで、席を立たないでね」というお断りもつきます。(それでも、エンドクレジットで席を立つ人はいるんですが)また、何かの拍子で、この劇場のキャパではお客さんをこなせない映画がかかるときもありまして、その時は、1階の多目的ホールで映画が上映されることになります。

立体音響とDLPの設備は入っていまして、最近はほとんどDLP上映になっています。ドルビーデジタルの設備が入っているかどうかは不明ですが、音響効果はまあまあって感じです。ただ、DLPによる上映は画質がよくなくって、他のシネコンのDLPのクリアさを期待すると残念なことになります。これは、少しずつ改善されつつはあるようなので、様子見という感じでしょうか。

ここで上映される映画は、静岡東宝会館やシネシティザートで上映されない、ミニシアター系の映画がメインというか、基本メジャーな映画は、シネコンにかかるので、そこで上映されない、アジアやヨーロッパの映画、アート系の映画、ドキュメンタリーなどはここで上映されます。昔のアートシアターミラノのポジションにあたる映画館になりましょう。ただ、「アーチスト」「最強のふたり」「世界でひとつのプレイブック」といったヒット作もここで上映されていまして、静活や日映が取りこぼした映画のサルベージをやっているという一面もあります。

最初に行った時は、なんてちっちゃい映画館なんだって思いました。私が行ったことのある映画館ですと、移転前の仙台チネラヴィータとか閉館しちゃったけど関内MGA2(関内アカデミー2と言った方が通じるかしら)や銀座シネパトス3、新宿ピカデリー4とかがちっちゃかったという記憶があるのですが、それらといい勝負って感じでしょうか。それでも、スクリーンを上目の位置に置いてあるので、前の人の頭で見にくいってことはなく、慣れてしまえば、いつものシネギャラリーってことになります。後は映像がもっときれいになってくれればいいのですが。ともあれ、映画ファンならここへ通えば、その年のベストテンは作れる、そんな感じの映画館です。

後、細かいことかもしれませんが、スタッフのお姉さんの対応がすごくいいです。シネシティザートのスタッフさんはどうもバイトっぽさを拭いきれないのですが、ここは、映画が好きでやってます感が感じられるのです。また、観客には若い人は(ほとんど)いません。ご年配の方が行儀よく映画を鑑賞することで、映画館としてのカラーが決まっていくという感じでしょうか。ただ、私が学生だったころ、こういう映画が上映されたら、せっせと足を運んだと思うのですが、20代以下の若い人に遭遇したことないのは、ちょっと不思議です。

「バレット」は懐かし風味の犯罪アクション、タイトに手堅い作り。


今回は新作の「バレット」を川崎チネチッタ4で観てきました。この映画館は、上映開始時間まで明るくて、開始時間になると画面が薄暗くなってCM予告編が始まります。開始時間前から、明るい場内でウザいミニドラマとか映画情報をダラダラ流すTOHOシネマズより、こっちの方がいいよなあ。きちんと上映時間の切れ目がないと、ずっと話し込んだり携帯いじってるお客さんがいてうっとうしい。それは、お客さんよりも、メリハリのない上映段取りをとる映画館の方に問題だと思いますです。

舞台はニューオリンズ、殺し屋ジミー(シルベスター・スタローン)は、相棒ルイス(ジョン・セダ)と一緒に一仕事こなしたのですが、その直後にルイスが別の殺し屋キーガン(ジェイソン・モモア)に殺されてしまいます。殺されたのはワシントンDCの悪徳刑事。彼を追っていた元相棒のテイラー(サン・カン)がニューオリンズにやってきて、この殺しにルイスが一枚噛んでいるとにらみ、ジミーに接触してきます。その直後、命を狙われたテイラーをジミーが救います。テイラーを殺そうとしていたのは刑事でした。そこで、テイラーとジミーは二人でこの事件の黒幕を暴こうということになります。人を殺すことに躊躇のないジミーと、法の番人たろうとするテイラーですが、テイラーは足を引っ張ってばかりであまり役に立ちません。ジミーの雇い主をたどっていくうちに、この一件には政治家の汚職事件が絡んでくることがわかるのですが、ジミーを命を狙った連中はみんな死体になっていくのでした。

「メッセンジャー」のアレサンドロ・キャモンが脚本を書いた、「ザ・ドライバー」「48時間」などで知られるウォルター・ヒルの久しぶりの監督作品です。91分という時間の中でタイトにまとめた犯罪アクションでして、それ以上の説明は不要なシンプルな作品に仕上がっています。殺し屋がやった仕事のせいで命を狙われ、同じ相手から命を狙われた刑事といっしょに自分をわなにかけた連中を殺していくというお話です。1980年代に活躍したヒルの映画だけに、その味わいは今風ではなくてややレトロ。殴り合いのシーンのカット割りが細かくてテンポが速いという点を除くと、ちょっと懐かしい味わいのある犯罪ドラマになっています。主人公のモノローグが随所に登場したり、切れ味鋭い銃撃戦などの見せ場は、ああこういうの昔観たよなあって気分になってきます。相棒となる刑事が韓国人で、黒幕のワルが黒人というのが、今風のスパイスなのかもしれませんが、その相棒がほとんど役立たずなので、バディムービーの態でありながら、バディムービーになっていないってところがちょっと面白かったです。スタローンというスターのパワーが強すぎたのかもしれませんが、最初の脚本の時点ではもっと活躍してたんじゃなかろうかと思わせるあたりに妙なおかしさがありました。

1時間半の映画なので、お話は横道にそれる暇もなく、ストレートに展開していきます。また、銃撃戦とか肉弾戦の見せ場もふんだんにありまして、最後まで飽きさせないつくりになっています。ミステリーとしての意外性は一切なく、スタローンの容赦ない殺し屋ぶりが際立つあたりは、ハードなバイオレンスものとも言えるのですが、スタローンの持ち前のヒーロー度が高いものですから、ハードボイルドにはなりきれないあたりに、ドラマとしてはやや軽くなり、その分、娯楽度はアップしました。冒頭の悪徳刑事を殺すシーンが結構ドタバタしていて、コミカルな味わいがあるものですから、ブラックコメディの方に走るのかと思いきや、ドラマが動き始めると、主人公が躊躇なく殺しまくるのは意外でした。その横でテイラーが所在なげにしているのにも妙なおかしさがありまして、普通のバディムービーなら、テイラーは徹底して足を引っ張るか、何かの特技で主人公をサポートしたりとかするのですが、別に裏切るわけでもなく、警察に勝手に連絡をとっても、自分の命を危なくすることこそあれ、ジミーを危険にさらすわけでもありません。もっと、役に立つか足を引っ張るかしてくれないと、存在理由がなくなっちゃうのですが、その居場所のない感じがちょっとお気の毒でした。

今回のワルは贈賄不動産屋のモレル(アドウェール・アキノエ・アグバエ)なんですが、大きな組織で悪いことをしてますって感じではなく、それほどのバックボーンもない、近所の悪代官みたいな奴なのも懐かしい味わいでした。昔の田舎を舞台にした犯罪アクションの悪役はいわゆるその地方のボスみたいなのが多かったのですよ。そして、ゴロつきみたいな用心棒を使って、主人公に悪さをする、そのスケールそこそこな感じがこの映画にも感じられて、面白かったです。だからこそ、一人のアウトローでも対処できるリアリティがありまして、「ダイ・ハード」系の「ありえねー」感がないのが、点数高いです。変に理屈を捏ね回さなくても、主人公が悪者を殺しちゃえば全部きれいに片がつくってところがいい感じの味わいになっています。ジミーは割と簡単に無抵抗な相手でも殺しちゃうのですが、それでもきちんとヒーローになっちゃってるのは、ヒルの演出のうまさなのでしょう。「ジャッキー・コーガン」のブラピよりこっちの方が、殺し屋ヒーローとして、きちんと完結しているのです。

また、この映画は主人公の相手役の女性ってのが登場しません。出てくるのはジミーの娘リサ(サラ・シャヒ)だけ。この娘がタトゥー屋をやっているという美形でタフな女性になっているのはよかったです。自分もタトゥーだらけで、父親の殺し屋稼業も知っての上で、ジミーに協力するあたりがなかなかかっこいいのですよ。一方のジミーも娘がかわいくて仕方がない。ハードボイルドに男女や親子の情はいらないよねえとも思うのですが、その公私の区別がハードボイルドなのかもです。(ちなみに、公ってのは殺し屋稼業のことね)もう一つ、敵役になるキーガンのポジションも今風の映画だとあまり出てこないキャラ。金よりも殺しが好きで、主人公に対しては敬意を払って1対1の対決を申し出るという、座頭市シリーズの用心棒みたいなキャラクター。演じるジェイソン・モモアはリメイク版「コナン・ザ・グレート」でタイトルロールを演じた人だそうですが、すごく強そうだけど、狂気をそれほど前面に出さないあたりのさじ加減がうまくタイトなドラマにはまりました。きちんと自分の役割をこなしつつ変に目立ちすぎないところが好印象でした。



この先は結末に触れますが、特にご注意の必要はないかも。




ストーリー的には何のひねりもなく展開します。ジミーの雇い主マーカス(クリスチャン・スレーター)が持っていた賄賂データのメモリをジミーが入手した結果、娘のリサがキーガンに誘拐されます。取引現場に乗り込んだジミーを待ち受けていたのは、モレルやキーガンたち、ところがモレルがメモリを受け取るとジミーとリサをあっさりと解放し、さらにテイラー殺しをジミーに依頼したことで、キーガンが逆上、モレルやその部下を皆殺しにしちゃいます。一方、キーガンの部下もジミーに一掃されてしまい、ついに、ジミーとモレルの肉弾一騎打ちになり、ジミーの危機一髪のところで、テイラーの弾丸がキーガンを撃ち抜きます。ジミーはテイラーを撃ち、彼に罪が被らない工作をし、テイラーはジミーのことは一切口にせず、全ては丸く収まるのでした。でもって、テイラーとリサは付き合うようになったみたい。

クライマックスは斧を持っての対決がなかなかの見せ場になっています。あっさりと黒幕が殺されてしまうとか、ラストは横から銃弾であっさりと片付いたりと、盛り上がりはほどほど、それでも個々のネタを手堅くまとめたヒルの演出でお気楽に楽しめる映画に仕上がっています。私は、懐かし気分でこの映画を楽しんだのですが、おニューな気分でこの映画に接した若い方はどう感じられたのか気になるところです。ノンストップアクションとは一線を画すキャラ重視の展開、でもタイトにまとまっているという作りは好みが分かれるかも。

「きっと、うまくいく」は笑いと涙のエンタテイメント、ボリュームたっぷりのデカ盛り定食


今回は新作の「きっと、うまくいく」を川崎チネチッタ7で観てきました。ボリウッド4本立て企画の1本目ということでミニシアター企画かと思っていたらシネコンでも上映していてびっくり。パンフレットは4本分で1冊なんですが、チネチッタの売店では、「これは4本分なので、この映画は8ページくらいしかないんです」って断ってから売っていました。このシネコンはこういう気配りができるところがさすがです。

大学時代の同級生、ファルハーン(R・マーダヴァン)とラージュー(ジャルマン・ジョージー)は、大学時代の同級生チャトゥル(オーミ・ヴァディヤ)に呼び出されます。チャトゥルは、ファルハーンとラージューの親友ランチョー(アーミル・カーン)との10年前の約束を果たそうというのです。それはどっちが成功しているかを比べようというもの。しかし、ランチョーは大学卒業後、行方不明になっていました。しかし、チャトゥルは彼の居場所を知っているようで、これから彼のところへ向かうことになります。彼らは、名門の工科大学ICEの同窓生。大学はよい就職のための優等生を作る場所になっていて、学業を修めるという空気ではありませんでした。学生たちは、親からの期待を受けてこの学校に来ており、留年確定した生徒は自殺してしまうという、そんな空気が支配しています。ランチョーはそんな学校の状況に明らかに不満で、その自由奔放な発言や行動は厳格な学長(ボーマン・イラニ)としょっちゅう衝突していました。その一方で、ランチョーは偶然知り合った学長の娘ピア(カリーナ・カブール)と恋仲になっていたのでした。ランチョーは反骨の精神を持つ一方で成績は常にトップで、彼の自由な生き方にファルハーンとラージューは敬意と羨望のまなざしを向けていました。さて、ランチョーのいる町へと向かったファルハーンたちですが、そこで意外な事実と直面することになるのでした。

2009年のインド映画です。ラージクマール・ヒラニ、アビジャートー・ジョーシー、ヴィドゥ・ヴィノード・チョプラの共同脚本を、ヒラニが監督した、2時間50分の作品です。原題は「3 idiots」でして、まあ3バカトリオって意味になるのでしょうね。インド映画というと、ラジニカーントの映画を何本か観ているのですが、この映画は、アクションものではなく、学園ドラマ仕立てになっていまして、その合間にミュージカルナンバーが挿入されています。さらに、恋愛ドラマに社会派のスパイスも入れて、笑いあり涙ありの大エンタテイメントに仕上げてあります。泣かせどころの盛り上げ方は日本のテレビドラマのノリに近いものがありますが、泣かせてさらに泣かせをかぶせるドラマをいやらしく見せないあたりのうまさは、こっちの方が上かもしれません。また歌の部分は、単に登場人物が踊り歌うだけでなく、登場人物の心象をバックの歌に流すという使い方も多く、ドラマの解説みたいな形で歌が使われています。群舞としての見せ場はなかったのですが、それでも結構、歌の部分に尺を取っていまして、なるほどこれがインド映画のお約束なんだなあって再認識しました。映画は、大学卒業して10年たったある1日の出来事に、大学時代の回想シーン(尺としてはこっちの方が長いのですが)が入ってくるという構成になっています。そして、学生時代に何があったのかがわかってくるところが、現在のシーンがシンクロしてくる脚本が見事でして、若干のミステリーの趣向も入れて、観客をぐいぐいと引っ張っていきます。

インドは今や技術者大国と呼ばれていますが、この映画では、そのエンジニアを育成する最先端の大学が舞台になっています。ファルハーンとラージューは、家族の期待を背負って入学してきたのですが、ファルハーンは本当は写真家になりたかった夢を捨てて、この大学にやってきていましたし、ラージューは自分に自信がないのかお守りとか礼拝とか神頼みがひどい状態。二人は学年中でも最下位とブービーのコンビでした。学生たちへのプレッシャーは半端ないらしく、自殺者も多いのだという話が出てきます。親の希望とか、世間体とかに、若者がかなり振り回されているらしいのです。そんな状況でも、ランチョーは権威の象徴である学長へも言いたいことを言う自由奔放キャラで、さらに成績優秀でもあるというスーパーヒーローキャラ。この感じ、1970年代の学歴社会に反発する青春ドラマを思い出してしまいました。若者の変に屈折したドロドロを描かず、ストーリー優先のドラマ運びは観ていて楽しく、社会派の問題提起もわかりやすくて、娯楽映画としての点数はすごく高いです。最終的に悪役が出てこないというのも後味の良さにつながっています。前半は敵役である学長が、中盤から三枚目となり、さらにはラストではいい人に落ち着くあたりの設定もうまかったです。

映画を1本貫く大きなテーマというのはないのですが、さまざまなネタを丁寧にお話に盛り込んでありますので、映画館で観るのに十分なボリュームがあります。そこには映画の魔法といいますか、ありえない偶然ですとか、奇跡といったものも登場するのですが、「そんなのありえねー」と突っ込む隙のないスムースな語り口が成功しています。昔の映画だって、あり得ない偶然とか、奇跡的な展開は山ほどありましたが、そこを気にさせないドラマのテンションや語り口のうまさがありました。最近の映画は、同じことやっても、観客の牽引力が弱いのか、突っ込みが入りやすい作りになっているのです。この映画は、ありえない話をあったかのように見せて、それをドラマチックに盛り上げてくれます。どこか、懐かしい感じがしたのは、単に題材がかつての日本の青春映画の雰囲気を持っているだけでなく、素直に観客の感情を取り込んで盛り上げていく、昔の娯楽映画のうまさがあったからだと、観た後に気づきました。

「きっと、うまくいく」というのは、ランチョーが困難に直面したときにつぶやく魔法の言葉です。主題歌でも歌われているこの決めセリフが、生まれても息をしてない赤ん坊を蘇生させたり大活躍。楽観的なようですが、現実との距離感を取ることで、何とか乗り切っていくというリアリティのある言葉として扱われているのが、すごくいい感じでした。泣かせどころでは、くどいほどの演出をする一方で、さりげなく放り込んでくる人生への向き合い方がバランスよく描かれていて、全体としてすごくいい感じの映画に仕上がっていました。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



現在のファルハーンたちが、ランチョーの家を訪ねてみれば、そこにいたのは別人でした。でも、工科大学の卒業証書はあるし、顔のすげ変わった卒業写真までありました。ファルハーンたちは、そこにいたランチョーを問いただしたところ、実は、ランチョーは大金持ちの息子だったのですが、勉強が得意でなく、庭師の息子を替え玉受験させ、替え玉のまま卒業させたのでした。そこで、ホンモノのランチョーに会いに行こうということになるのですが、恋人だったビアにも連絡を取ったところ、何と丁度その日は彼女の結婚式。ファルハーンとラージューは結婚式場に乗り込んでビアを説得し、彼女を連れ出してしまいます。ホンモノのランチョーが教えてくれた偽ランチョーの住所は山の中の小学校でした。

さて、学生時代に話を戻すと、ランチョーら3人組は酔っ払って学長の家に忍び込んで門のおしっこしちゃって、学長に顔を見られたラージューは退学を言い渡されてしまいます。さもなくば、ランチョーを退学にすると脅されたラージューは窓から身を投げますが、何とか一命を取りとめます。ファルハーンは、ランチョー(学生時代の偽者の方ね)の後押しもあって、自分が写真家になりたいこと父親に告白し、父親の許しを得ることができます。ラージューも就職面談で自分の全てに正直に向き合う姿勢を認められ、大企業の職を得ます。しかし、その前に、卒業試験が控えていました。学長はわざとラージューの苦手な問題を作成して、彼を落第させようとしますが、前日にランチョーとファルハーンが問題用紙を盗み出し、ラージューに届けますが、彼は一瞥もしませんでした。しかし、ランチョーが学長室に忍び込んだことが判明、彼は退学にされちゃいます。そして、その夜、大雨で道が浸水してしまったとき、ビアの姉が産気づいてしまうのですが、病院へ行けない。病院のビアとネットで結んで、遊技場の卓球台の上で、ランチョーが赤ん坊を取り上げます。それを見て、学長も退学を取り消し、無事に卒業するのでした。

で、現在にお話を戻すと、小学校でかつてのランチョーは教師をやっていました。そして、400の特許を持つ工学博士だったのです。かつてのランチョーを見下すつもりだったチャトゥルはがっくり。そして、ビアとの愛情を再確認してめでたしめでたし。

クライマックスとなる、洪水の日の出産シーンは泣かせる盛り上がりを見せますし、その後の学長とランチョーのやりとりも泣かせます。そして、結婚式場から、ビアを連れ出すドタバタは間のおかしさで笑わせてくれました。特に、ビアを連れ出したはいいけど、今もランチョーが未婚かどうかは確認してなかったというのには笑いました。ラストは予定調和ですが、全ての伏線をきちんと回収して腑に落ちるハッピーエンドにしているあたりはお見事でした。
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Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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