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「ショート・ターム」は同情とかもらい泣きはなしで、すごくステキな余韻。


今回は新作の「ショート・ターム」を109シネマズ川崎シアター9で観てきました。ここは座席に対して、スクリーンが左に寄っている劇場。真ん中あたりを取ると、スクリーンの右側になっちゃうから気をつけないといけないのです。左右の真ん中に席を取りたい人にわかりやすく座席位置を示して欲しいものですが。

家庭の事情などで、家にいられなくなった子供たちを一時的に預かる施設で働くグレイス(ブリー・ラーソン)は、所長からも信頼されている存在でした。同僚のメイソン(ジョン・ギャラガーJr)と同棲中でしたが、グレイスはメイソンに全てをオープンにできない事情があるようです。施設には、もうすぐ18歳になるので施設を出なくてはいけないマーカスや人形とずっと一緒にいて定期的に脱走しようとするサミーなど色々な子供がいます。そんな施設に、週末には家に帰るという条件で、ジェイデン(ケイトリン・デヴァー)という16歳の女の子が入所してきます。母親の死から自傷癖があるということだったのですが、彼女の心の闇は別のところにあるのではないかとグレイスは思うようになります。出所が近いメイソンは母親から虐待されていたことをラップにして、メイソンの前で歌って見せます。そして、頭を剃って欲しいとグレイスに頼み、頭に虐待の傷はないかと聞き、泣き崩れるのでした。グレイスは産婦人科で、自分が妊娠していることを知らされるのですが、即座に堕胎の予約をとってしまいます。その一方で、家に帰り、自分が妊娠したことを告げるグレイスに、メイソンは驚きながらも自分たちはいい親になると彼女を励まします。ジェイデンの誕生日でもある週末、迎えに来るはずだった父親が姿を見せなかったことで、彼女は部屋に閉じこもってしまい、グレイスたちは部屋に無理やり入って彼女を押さえつけます。反省室に入れられたジェイデンのところにグレイスがやってきて、自分の自傷痕をジェイデンに見せるのでした。部屋に戻ったジェイデンのベッドには同じ施設の子供たちからのバースデーカードが置かれているのでした。

実際にこういう施設のスタッフであったデスティン・クレットンが脚本を書き、メガホンも取った一編です。「ショート・ターム」というのは、様々な事情で家にいられなくなった子供を、行政の処置がとられるまで一時的に預かる組織です。子供のメンタルを担当するのは別にセラピストがいて、施設のスタッフの仕事は、子供たちの日々の世話をすることまでと一線が引かれていまして、そこが日本の養護施設とは違うところです。グレイスもメイソンも施設のスタッフとしては有能らしく、所長からの信任も厚いようです。二人は恋人同士で同棲しているのですが、ひたすらやさしいメイソンに対して、グレイスはちょっと壁を作っているようなところがあります。妊娠が発覚したときも何のためらいもなく堕胎の予約をとるのは何か事情がありそうです。

施設の子供たちは、それぞれの事情を抱えていまして、時として心の傷が施設の生活に波風を立てることもあります。3年もこの施設にいたマーカスは、18歳になるのでもうすぐ施設を出なければいけません。しかし、幼い頃から母親から虐待を受けてきた彼にとって、社会に出ることは不安がいっぱい。彼の作るラップには母親への恨みの言葉が満ちていました。心が不完全なままどうやってまっとうな人生へ踏み出せばいいのかわからない彼の痛みを、クレットンの演出は、対象と一定の距離を置きながら淡々と描いていきます。母親の死から自傷するようになったジェイデンも、週末だけ父親のところに帰るという何か事情がありそうな様子。マーカスにしても、ジェイデンにしても、観客が感情移入できるような描き方はしていません。ヒロインのグレイスでさえ、どこかつかみどころのない影のある感じで、共感するのが難しいキャラクターになっています。じゃあ、感情移入しにくい人ばかりのドライなドラマかというと、そうじゃないところにこの映画の味があります。彼らの事情はかなり悲惨で、安易に同情してはいけないようなものです。そういう安直な同情をさせないような淡々とした演出が、登場人物に対して一定の距離感と敬意を抱けるような見せ方になっているのですよ。その結果、悲惨な状況よりも、その先に垣間見える希望に感動できるようになっています。うまく説明しきれていないのですが、この映画、「かわいそう」という感情は控えめで、「よかった」と思える瞬間へドラマが収束していくのです。これは是非、本編をご覧になって確認していただきたいと思います。私にとっては、映画から元気をもらえたという滅多にない経験となりました。

感情的に高ぶった子供に対しては、スタッフはとりあえず押さえ込んで、落ち着くのを待ちます。そして、できるだけ子供の話を聞きます。でも聞く以上のことはなかなかできません。それでも、親が迎えに来なくて暴れた後のジェイデンに、グレイスは自分の過去を語ることで、ジェイデンの心に近づいていきます。グレイスは、恋人のメイソンにも明確に語らないことをジェイデンの前では言葉にできているようで、グレイスにとってジェイデンは特別な存在になっているように見えます。そして、グレイスとメイソンの仲も進展して、メイソンがグレイスにプロポーズ、彼女はその場でOK。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



ジェイデンから、グレイスは家庭内暴力の匂いを嗅ぎ取ります。そんな時、かわいがっていた金魚が死んで落ち込んでいたマーカスが自殺を図ります。出所を控えて不安を抱えていた彼にとって、心の拠り所であった金魚を失ったことは、とてつもなく大きなことだったようです。グレイスとメイソンが病院に付き添います。そこで、感情が高ぶったグレイスはメイソンに「子供を生めない。結婚もできない。」とメイソンに告げ、メイソンも「じゃあ、これで終わりだ」と言います。でも、メイソンがソファで寝ている部屋にグレイスが却ってくると、彼は毛布をまくって彼女を抱きよせるのでした。いいんですよね、こういう関係が、すごく普通に描かれている感じ。でも、その後ろに控える事情は深刻で、グレイスは父親に虐待され、父親の子供を身ごもって堕胎した経験がありました。そして、その事で刑務所に入っていた父親がもうすぐ仮釈放になるという知らせがきて、彼女は大変動揺していたのです。そして、マーカスの病院に付き添っている間に、ジェイデンの父親が彼女を連れていったことに、グレイスはブチ切れ状態。ジェイデンの家に忍び込んで、バットを持って、寝てる父親に近づいていたところで、ジェイデンに見つかり「何してんの? バカじゃないの?」と冷静に諭されてしまいます。そこで、グレイスは自分の過去を初めてジェイデンに語ります。それは、メイソンにも言ったことがなかったことです。そして、父親の虐待経験を持つ彼女だからこそ、ジェイデンを放っておけなかったと。すると、ジェイデンも実は父親に暴力を受けていたことを告白します。そして、二人で父親の車のガラスをバットで叩き壊してスッキリ。ジェイデンは父親の暴力をセラピストに話し、父親の呪縛から解かれることとなります。そして、グレイスは、日々の暮らしに戻るのですが、その中で新しい人生の一歩を踏み出したようなのでした。

エンディングは、朝早く、スタッフが集まったところでのいつもの雑談。その日の話題はグレイスとメイソンがカフェでマーカスと遭ったという話。ちゃんと仕事についていて、彼女までいたという話でみんなで盛り上がります。そこで、また奇声を発して脱走しようとするサミー、それを取り押さえようとするスタッフたち。おしまい。と、辛いこと悲しいことがあっても、どこかで救われる瞬間があり、その浮き沈みが日常なのだという見せ方がステキな余韻を残しました。心に傷を抱えた人でも、普通の人と同じ日常があり、喜んだり悲しんだりしているという当たり前のことを再認識させてくれる映画でした。登場人物に同情させる作りになってはいませんが、辛い境遇にある人が身近にいるかもしれないと思わせる展開から、他人に対して、ちょっとだけやさしく接してみようかなという気分になれるのが、うれしい映画でした。うーん、これは今年のベストかも。
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「インターステラー」は、あの方々のゲーム好きすぎにちょっと引いちゃいまして。


今回は新作の「インターステラー」をTOHOシネマズ川崎4で観てきました。TOHOシネマズは他のシネコンより、映画が始まるまでの段取りが長いような気がします。いつも「もうそろそろいい加減にしろよ」くらいのところでやっと本編が始まります。ピクミンが登場しないだけマシになったとも言えるのですが。

気候が不順で農作物は減少、世界的な食糧危機に見舞われた地球。元パイロットのクーパー(マシュー・マコナヒー)は、義父(ジョン・リズゴー)と二人の子供トム、マーフと農場を営んでいました。だんだんと作れる作物もすくなくなってきたある日から、クーパーの家に自動運転のコンバインが集まったり、マーフの部屋の本棚から突然何冊かの本が飛び出したりとおかしなことが続きます。その本の並びをメッセージだと気付いたクーパーは、そのメッセージの示す場所に向かいます。そこは、何年も前になくなった筈のNASAの基地で、そこでは、地球を救うためのラザロ計画が進められていました。土星の近くに重力の歪み、ワーム・ホールが発生し、そこから何者かが地球へ向けてメッセージを送っているというのです。ワーム・ホールの先につながる別の銀河系に人間が住める星があると思われ、そこへ向けてこれまで何度も宇宙船を送っているのですが、帰ってきたものはなく、ただ、その中の3機の宇宙船がたどり着いた惑星から信号が送られていたのです。計画のトップであるブランド教授(マイケル・ケイン)は、人間を移住させる星を見つけるために、クーパーや娘のアメリア(アン・ハサウェイ)たちをワーム・ホールへと送り出すのでした。移住できる星が見つかれば、そこへ行く為の宇宙ステーションが必要ですが、そのための重力理論が確立しておらず、人間がそこへ行けない時のために、人間の種も宇宙船に積まれていました。果たして、人類は地球と共に滅んでいくのでしょうか。

「ダークナイト」のジョナサン・ノーランとクリストファー・ノーランが脚本を書き、クリストファー・ノーランがメガホンを取りました。地球が人類が住めない方向へ向かっている時代、軍も廃止となり、全ての産業が食料生産に向けられるものの、根本となる農業も病気や砂嵐により思うような収穫は得られず、暗澹たる未来が目の前の見えてきたという時代のお話です。成層圏で事故に遭い、パイロットをやめて農業をやっているクーパーの周囲でおかしなことが起こります。どうやら、彼の娘の部屋で重力の異変が起こっているようなのです。娘マーフの言うところの幽霊は、クーパーにある座標のメッセージを送ってきます。それをたどると閉鎖された筈のNASAがあって、人類移住計画が進められているのでした。ワーム・ホールができたのも、重力異常が起きたのも、どうやら人類を救う意図のある誰かがいるらしいというのです。そのご好意に応えてワーム・ホールに宇宙船をいくつも送っているのですが、帰ってきたものはいません。ともあれ、今回はその誰かがクーパーにメッセージを送り、彼をNASAまで導いたようなのです。ふーむ、何だか「サイン」と「未知との遭遇」みたいなお話だなあ。

宇宙飛行をすることで、ウラシマ効果が生まれて、宇宙船が移住する惑星を探す2年ほどの間に、地球は20年以上の月日がたって娘のマーフ(ジェシカ・チャスティン)はNASAでブラント教授の片腕になっていました。そして、パーカーたちは信号を送ってくる3つの惑星に向かうことになります。でも、その惑星はブラックホールの影響を受けていて、宇宙の数時間が、地球の何年にも相当するので、モタモタしていると人類が滅んでしまうというタイムリミットつきなのでした。最初に信号を送っていた惑星は水ばっかで生命のいない星でした。ここで乗組員の一人が死亡。次にどの惑星へ行くかでクーパーとアメリアが対立しますが、結局、クーパーの選択した星へ向かうと、そこは氷の惑星で、着陸した宇宙船があって、その中で、ダン博士が冬眠状態で生きていました。カプセルを開けるとダンは息をふきかえし、ここの星のデータを地球へ送ろうということになります。

SF映画としての仕掛けは、輪っか状になった宇宙船ですとか、4本の直方体がくっついた形をしたロボットなどがあります。まあ、そういうので見せる映画ではないので、あまりインパクトはなかったのですが、視覚効果にはお金と手間をかけて頑張っているようです。人類が住める星が見つかるかどうかがお話の本筋ではあるのですが、それともう一つ人類をその星へ運ぶための重力理論が未解決というのが、もう一つの課題となっています。ブランド教授とマーフが研究を進めているのですが、これが解決しないと、地球の人類は救われず、人類の種だけが、生き残るということになります。このあたりがわかりにくくて、クライマックスになるまで、このサブプロットが読みきれませんでした。2時間49分とかなり長い映画ではあるのですが、それほどの長さは感じなかったのですが、ラストで「???」って感じになってしまいました。この話なら、3時間近いボリュームは要らないのではないのかな、と。演技陣は皆手堅くうまいのですが、アン・ハサウェイにいつものような魅力がなかったのは、キャラが曖昧だったのかも。ハンス・ツィマーの音楽は、パイプオルガンのような重厚な反復音楽を目一杯鳴らして、映画のハッタリに貢献しています。そうなんだよなあ、ハッタリがきつい感じなのですよ、観終わってみれば。



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クーパーと二人きりになったダンは、彼を殺そうとします。実は、この氷の星は希望がなくて、人類を救うための星を探さなくちゃいけないんですって。そして、宇宙艇を奪って、母船に向かいます。クーパーはアメリアに助けられて、別の宇宙艇でダンを追うのですが、ダンはドッキングに失敗して爆発、一部が失われた母船に、クーパーは何とかドッキングに成功します。後できる選択は、もう一つの惑星に向かうこと、そしてブラックホールの重力を使って、向かおうということになります。そこで、クーパーは自分の宇宙艇を分離させ、アメリアの母船を目的の星に送り込みます。クーパーの船はブラックホールの中へ向かって一直線に突入。一方、地球では、臨終の際のブランド教授は、マーフを呼び、重力理論の問題は既に解明していること、その結果、移住のための宇宙ステーションは不可能なことを告げます。もともと、人類移住計画は見せかけで、本当の目的はプランBであるはずの、人類の種の保存だったのです。それを聞いて憤るアメリア。父は娘を見放して宇宙へ旅立ったのか。ブラックホールを抜けたクーパーは、不思議な空間の中で目が覚めます。どうやら、その空間は5次元空間で、全ての時間のマーフの部屋の本棚の裏につながっているのでした。そこで、パーカーは、幼い娘のマーフに本を倒したりしてメッセージを伝えようとしますが、なかなかうまくいきません。これが、パーカーの家にもたらされたメッセージの正体だったのです。そこへ、無線で連絡してきたのは、パーカーと一緒にブラックホールに落ちたロボットのTARSでした。TARSはブラックホールで採取した量子データを持っていました。それがあれば、重力理論を立て直せると、パーカーは、成長したマーフに向かって、モールス信号でデータを送ります。それが終わると、不思議な空間が消え始めました。パーカーは、自分をここまで導いたのは神でも宇宙人でもなく、人類だと気付きます。未来の人類、五次元にまで進出した人類が、彼をここまで呼び寄せて、選ばれた科学者マーフに人類を救うデータを与えさせたのです。そして、光に包まれたパーカーが目を覚ますと、そこは巨大な宇宙ステーションの中でした。マーフによって、人類は地球から移住することに成功したのです。そして、パーカーは第3の惑星に残されたアメリアを探すために一人宇宙艇に乗り込むのでした。

え?全てのお膳立てをしたのは未来の地球人だったってこと? と、パーカーは納得したらしいのですが、それは違うだろって突っ込みが入っちゃいました。もし、未来の人類が、仕組んだとしたら、このお導きは回りくど過ぎなのですよ。そもそも、マーフにメッセージを渡すのを失敗したら、その時点で未来人も存在しなくなるというハイリスクの賭けなのに、そこに至るまでのプロセスに分岐点とかトラップが多過ぎるんでないかい。もっと、確実にメッセージを渡す方法がありそうなものなのに、未来人のみなさんは、アドベンチャーゲームのようなシナリオを組んで、パーカーやアメリアを振り回し続けるのは、なぜ? どうして? というところで、私は急に冷めてしまいました。ドキドキハラハラの演出は、ノーラン監督見事だと思うのですが、こんなオチに、3時間近く使うんじゃないよって感じ。未来人は、ゲーム好きなのかもしれませんが、自分の存在を賭けてやるゲームにしては難易度が高すぎですもの。

もうちょっと洒落たオチを期待していたのですが、これならシャマラン監督の「サイン」の方がずっと面白かったです。「サイン」なんかと比べるなと言われちゃいそうですが、メッセージのお導きというジャンルでくくれば、同じような映画ですもの。

「マダム・マロリーと魔法のスパイス」はハルストロム監督のお話の語り部ぶりが見事


今回は、新作の「マダム・マロリーと魔法のスパイス」を角川シネマ有楽町で観てきました。ここは、テアトルグループに入ったせいか、テアトル系の会員カードも使えるようになりました。映画のラインナップがなかなか面白い劇場なので、これからも期待。

インドで料理店を経営していたパパ(オム・プリ)の息子ハッサン(マニッシュ・ダヤル)はママ譲りの名料理人。選挙戦のとばっちりで店とママをうしなった一家はヨーロッパへ一家ぐるみで移住してきます。ロンドンにちょっと住んでオランダへ行こうとしていた一家のトラックがフランスの山の中で故障しています。通りかかったマルグリット(シャルロット・ルボン)にふもとの町まで案内され食事までご馳走になる一家。すると、パパがその町の空き店舗に目をつけてここに料理店を開くと言い出します。その向かいには、フランス料理の名店があり、マダム・マロリー(ヘレン・ミレン)が料理に目を光らせていました。パパは家族の反対を押し切って店を買い取り、インド料理店を開きます。インドの音楽をガンガン流して、スパイスの香りをぷんぷんとさせるその店は、マダム・マロリーにとっては迷惑で目障り。食材を押さえてしまうという嫌がらせをしたり、町長(ミシェル・ブラン)に訴えたり、それにパパも対抗するものだから、二人の仲は犬猿状態。マルグリットはマダム・マロリーの店の副シェフでしたが、ハッサンとの間に恋愛感情が芽生えてきました。ハッサンもフランス料理を自分の料理にとりこもうと勉強し始めると、彼女もそれに協力し、ハッサンの料理の腕を認めるようになります。インド料理店はお客さんが入るようになりますが、ある日、フランス料理店のシェフたちがインド料理店の塀に嫌がらせの落書きをし、さらに店に放火をすることまでやります。マダム・マロリーはシェフを解雇し、自ら落書きを消しに行きます。それを見たハッサンは、彼女に自分のオムレツを食べて欲しいと提案するのでした。

リチャード・C・モレイスの原作を「堕天使のパスポート」「イースタン・プロミス」のスティーブン・ナイトが脚本化し、「ショコラ」「サイダー・ハウス・ルール」のラッセ・ハルストロムが監督しました。フランスの山の中で車がエンコしてしまったインド人一家がそこでインド料理店を開くというお話です。全体をコミカルな味わいでまとめながら、後半はちょっとした意外な展開があって、ラストはほのぼのとした後味を残します。インドで料理店をやっていた一家がヨーロッパへ引っ越してくるまでの展開を税関でのやりとりで示すオープニングから快調なテンポで展開します。車がエンコしたのは、神の思し召しだったらしく、その場で、ハッサンとマルグリットとが知り合い、町へ降りると、繁盛しているフランス料理店の前に空き家の店があったのです。そんなどこかファンタジーみたいなお話をハルストロムの演出は丁寧につづっていきます。

ハルストロム監督は「ショコラ」「シッピング・ニュース」「セイフ・ヘイブン」「HACHI 約束の犬」など、ファンタジーとリアルの狭間を描いた映画が多いです。リアルなドラマというよりは、「こういう話があってね」という語り部が語る「お話」みたいな映画を作るのが大変うまい監督さんだと思っています。この「お話」というのは、アニメ「日本昔ばなし」に近い感じでして、ウソかホントかわからない話を、さもあったかのように訥々と語るところにその味わいがあるように思います。物語の登場人物に一定の距離を置きながら、大きな抑揚をつけない語り口がハルストロム監督のうまさだと思っています。ラスト近くにクライマックスを作った「砂漠でサーモンフィッシュを」では、その語り口がクライマックスで崩れてしまったような気がしたのですが、今回の作品では、ウソみたいなお話を淡々と語る演出が功を奏して、上手な語り部によるお話として大変うまくまとまっていたように思います。ドラマチックとは一線を画す演出でいながら、その語り部の話術に惹きつけられて、最後には映画を見終わった満足感を得られるという意味で、この映画をオススメしちゃいます。

かといって、登場人物のキャラづけがおろそかになっているわけではありません。主人公であるハッサンは自分はママ譲りのインド料理も大事だけど向かいの本格フランス料理にも興味津々です。フランス人はインド料理なんか食べないという一般常識を覆すと息巻くパパとは一線を画しています。パパがフランス料理店に対抗心を燃やす一方で、ハッサンはシェフのマルグリットと仲良くなり、彼女からフランス料理のイロハを学ぼうとします。マルグリットも彼の作ったフレンチの基本である5種のソースを試食して、その腕前を認めざるを得なくなります。マルグリットは料理人としてのライバル意識を持つ一方で、二人は惹かれあっている、そんな微妙な感じをハルストロムの演出はドラマの流れを止めないけど、細やかに描いていて、恋愛ドラマとしてもいい味を出しています。このハッサンという若者の料理の只ならぬ才能、そして車がエンコしたことでレストランが生まれるあたりは、リアルよりファンタジーの色彩が濃いのですが、そこを淡々と語っていくことで、本当にあったかのような味わいを出していて、語り部としてのうまさを感じさせてくれます。

演技陣では、パパを演じるオム・プリが強烈な個性でドラマを引っ張り、ヘレン・ミレン演じるマダム・マロニーは意外や抑制のとれた控えめ演技で好演しています。ハッサンを演じたマニッシュ・ダヤルは主人公だけど狂言回しみたいな役どころを控えめに演じて、この映画の「お話」的味わいに貢献しています。マルグリットを演じたシャルロット・ルボンは美形というよりはかわいい系のお嬢さんですが、ハッサンを好きな一方で、料理人として対抗心を燃やすというキャラを好感が持てる感じで演じきり、この後の展開を期待させる女優さんです。インド出身のA・R・ラフマーンが担当した音楽は、インド音楽らしい音と、西洋映画の劇伴音楽の両方を器用に使いこなして、映画音楽家としてのうまさを感じさせています。



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マダム・マロリーはハッサンの料理の腕を認め、彼を自分の料理店で働かせてフレンチを勉強させることを提案します。最初は渋っていたパパも納得。彼はマダム・マロリーの店で下働きから始めて、すぐにマルグリットと並ぶシェフにまで成長します。そして、ミシュランの格付けで、初めてマダム・マロリーの店は星2つを得るのでした。これには、ハッサンの家族も一緒になって大喜び。その頃には、パパとマダム・マロリーの関係も改善し、なんとなくいい仲になっています。しかし、これによって、ハッサンはパリのレストランに引き抜かれていきます。マルグリットとの別れを惜しみながらも、ハッサンはパリのレストランで大活躍し、料理雑誌の表紙を飾るまでになります。しかし、ハッサンは、部下のインド人コックの料理を食べて、何かが自分に足りないことに気付きます。そして、ハッサンは、町に帰り、マルグリットに一緒にここで料理店をやろうと提案。マダム・マロリーは店をハッサンとマルグリットに譲ることを決意します。みんなが集まったところで、ハッサンとマルグリットの料理を囲んで、めでたしめでたし。

マルグリットはハッサンの料理の腕は、最終的にマダム・マロリーの店から去っていくであろうことを知っていて、好きなのを押し殺して、ハッサンを送り出すシーンがなかなかに泣かせるのですよ。二人の抑制の効いたラブストーリーが、この映画のいいスパイスになっていると申せましょう。そして、パパとマダム・マロリーの間に男女の感情が芽生えていく様子をほのぼのタッチで描いているのも点数高いです。お話の焦点がどこにあるのか、はっきりさせないまま、ハッサン、マダム・マロニー、パパ、マルグリットのドラマが一つのお話にまとまっていくところが、この映画の見所なのではないかしら。

映画の始まる前に、「タッチストーンフィルム」のロゴが出て、スピルバーグの「アンブリン・ピクチャーズ」のロゴが出ます。スピルバーグは実際この映画のプロデューサーであり、女優としても有名なオブラ・ウィンリーもプロデューサーとして参加しています。でも、それよりも「タッチストーン」ですよ。ディズニーの実写映画のブランドとして、80年代に数々の佳作を生んで、最近はご無沙汰だった、タッチストーンが復活したことを記憶しておきたいと思います。私の若い頃の信頼のブランドだった「タッチストーン」が、また佳作(傑作じゃないのがミソ)を生み出してくれることを期待しております。

「イコライザー」はヒーロー型自警市民ものとしては手堅いアクション映画


今回は新作の「イコライザー」を静岡シネザート7で観てきました。場内の案内のアナウンスがむちゃくちゃやかましいんだけど、スタッフがたくさんいるんだから、一人くらい「ボリュームでかいんだけど」って注意する人いないのかしら。バイトばっかだとこういうところが気がまわらないのかな。

ロバート(デンゼル・ワシントン)はホームセンターに勤める中年男、朝早い仕事なんだけど、夜中になると今度は24時間営業のダイナーに座って、静かに読書しています。そこの常連である子供みたいな娼婦テリー(クロエ・グレース・モレッツ)がロバートに話しかけます。それに静かにこたえる彼ですが、彼女はどうやらロシアンマフィアの下でひどい扱いを受けているらしいです。ある夜、彼女と一緒に歩いて帰ることになるロバートの前にマフィアの男たちが現れ、客をなぐったというテリーを連れ去ります。そして後日、ダイナーの主人から、彼女がボコボコにされて入院中だと知った、ロバートは、ロシアンマフィアのアジトを訪れ、そこにいた連中をあっという間に片付けてしまいます。すると本国のマフィアは冷酷な凄腕テディ(マートン・ソーカス)を送り込んできます。テディは監視カメラを片っ端からチェックして、ロバートを割り出します。警察にもつながっているテディは、警察官もつかって、テディをマークしてその正体を探ろうとします。しかし、ロバートは逃げるどころか、麻薬精製のアジトを襲って、そこに警察を呼び込みます。ロシアからさらにプロを呼び寄せるテディですが、ロバートはそれを察知して仕事に入る前にその男を処理して、テディを逆に追い詰めていきます。果たして、ロバートは何者なのでしょうか。そして、ロバートはテディの息の根を止めることができるのでしょうか。

もともとはテレビシリーズだったそうですが、「16ブロック」「エクスペンダブルズ2」のリチャード・ウェンクが大幅に脚色し、「トレーニング・デイ」「エンド・オブ・ホワイト・ハウス」のアントン・フークワがメガホンを取りました。ホームセンターで働く男が実は殺しのプロだったという設定は、いわゆる必殺仕事人のボランティア版ということが言えましょう。アメリカ映画で言うならば、「狼よさらば」のデス・ウィッシュシリーズに代表される自警市民ものというジャンルに入ると思います。ただ、この自警市民ものは2つのパターンがありまして、法を介さない処刑人を「それってどうなの?」というスタンスで作る「狼よさらば」とか「ブレイブ・ワン」みたいないわゆる社会派風のもの、そして、逆に「どんどんやったれ」という「スーパー・マグナム」や「エクスタミネーター」のようなアクション重視のもの、この映画はその後者に属するもので、街を支配する悪を主人公が派手にやっつけるパターンです。日本の時代劇だと、こういうのはいっぱいありまして、「桃太郎侍」とか「長七郎夢日記」とか、最後に主人公が悪者のところに乗り込んでいって、法で裁けぬみなさんをばったばったと斬り殺すドラマは枚挙にいとまがありません、いや、ありませんでした。今は時代劇がほとんど作られなくなっちゃいましたからね。でかいバックボーンを持った自警市民といえば「水戸黄門」とか「暴れん坊将軍」という二大巨頭がいます。お役人も腐敗している世の中で、法で裁けぬ悪を討つというヒーローは日本だとおなじみです。法と正義を重んじるアメリカだとそういうパターンはあまり多くないようで、アメコミヒーローはボランティア型自警市民となりますが、生身の人間がヒーローってのは少ないように思います。で、この映画の主人公、ロバート・マッコールは目の前にいる虐待された少女を救うために、売春アジトを皆殺しにしたら、ロシアンマフィア全体を敵に回してしまうことになります。

ロバートはとにかく強い。売春アジトに乗り込んで、ボスを挑発し、子分たちも身構えたところで、一瞬の早業で、銃を奪い、ナイフで刺し、とにかくものすごく要領よく、皆殺しにしちゃいます。ここで、こいつ只者じゃないとわかるのですが、これがデンゼル・ワシントンが演じているのですから、映画の最初から只者じゃない感がぷんぷんしていて、「びっくり」というより、「あ、やっぱり」って感じになるのが面白いところです。でも、最初の立ち回りに至るまでに、主人公の普段の生活をかなり丁寧に描いていまして、この天下の宝刀を抜くのは、映画の中盤なのはちょっと意外でした。映画は始まってから、しばらくはロバートの静かな暮らしぶりを淡々と追っていきます。ホームセンターで仲間と冗談を言うシーンとか、同僚が警備員の試験に合格するためにダイエットしてるのを応援したりというシーンが登場します。そして、夜もおそくなるとダイナーの片隅で持参のティーバッグでお茶を飲みながら読書をしているのです。フークワの演出はこの冒頭をじっくり見せるので、結構マジメな社会派映画かなとも思わせるのですが、ロバートが動き始めると、いわゆるスーパーヒーロー系自警市民のアクション映画であることがわかってきます。

アクションシーンになると凝った構図の絵作りで、主人公の無敵ぶりがなかなかにすごい。クライマックスはテディとのタイマン対決になって、若干負けちゃいそう感も出すのですが、基本は王道のスーパーヒーローぶりでして、ある意味安心して観ていられる展開になっています。相対するテディの手が早くて頭が切れるキャラを丁寧に見せることで、手強い悪党のアピールも怠りなく、このあたりは、娯楽映画の王道を行くという感じでしょうか、手堅い演出ぶりで最後まで飽きさせません。よくよく考えてみれば、悪党側がロバート一人に振り回されすぎなのですが、観ている間はそこに気が回りませんでしたから、娯楽職人としてのフークワの腕はなかなかのものではないかしら。

ロバートの素性を調べ上げたテディは、ロバートが勤めるホームセンターの従業員を人質に取り、ロバートをアジトに呼び出します。しかし、ロバートは裏をかいてホームセンターに潜入し、見張りを倒して人質を脱出させます。そこへテディたちも現れて、銃撃戦となります。同僚だった警備員はロバートのもう一つの顔にびっくりというか、呆気に取られるばかり。ロバートがホームセンターにあるものを使って悪者を片付けていく趣向も面白く、最後に肉弾戦になるのはお約束とはいえ、きっちりアクション映画のツボは押さえています。

この映画、2時間12分というかなり長めの映画でして、主人公のキャラ描写に時間を使い過ぎという気もしたのですが、その一方でノンストップアクションとは違うドラマっぽさも感じさせてくれたので、ここは評価が分かれるところだと思います。私としては、時間を気にしないでこの映画楽しめましたから、見せ場だけの映画に食傷気味の方にはオススメしちゃいます。クロエ・モレース・モレッツ嬢が売春婦というのはビックリでしたが、「タクシー・ドライバー」のジョディ・フォスターのことを思えば、こっちの方がかわいい少女の顔も見せてくれるだけまあいい扱いなのかな、と。



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どうしてこんなにロバートが強いのかというと、彼は元CIAの腕利きエージェントだったんですって。かつての同僚夫婦(ビル・プルマンとメリッサ・レオ)から情報をロシアンマフィアの情報を集めて、連中の先手をうつこともできたわけです。なるほど、しかしなぜCIAの凄腕がホーム・センターで働いているのかってところはわかりません。続編ができれば、そのあたりの事情もはっきりするのかもしれませんが、それほどのヒットになりそうな映画かというとそんな感じもしないので、過去は謎のままかも。ともあれ、テディとの一騎打ちで勝利したロバートは姿を消します。そして、新しい人生を歩み始めたテリーがロバートの前に現れて礼を言うシーンが入り、さらに舞台はモスクワに移り、ロシアンマフィアの大ボスの家に現れたロバートは、そのボスの息の根を止めるのでした。めでたし、めでたし。

ラストでモスクワまで出張するのにはびっくりでしたが、ここまでやるとマンガチックになっちゃって、後味が微妙な感じになっちゃいました。主人公の淡々とした日々から始まって、ロシアンマフィア皆殺しまで行っちゃうという、お話の落差はすごいものがありますが、それを1本に映画にまとめたという手腕は認めちゃうところであります。自警市民もののアクション映画としては、お金も手間もかかっているので、B級のちょっと上くらいを行く映画に仕上がっていました。ただ、続編がないと、このままでは、キャラに奥行きが出ないというのも事実でして、キャラ設定をあえて続編へ積み残したような作りには、うーんって感じかなあ、これ1本で勝負せんかい、って気分にもなりましたです。

「リスボンに誘われて」は本に想いを馳せたことがある人には納得のファンタジー


今回は新作の「リスボンに誘われて」を静岡シネギャラリー2で観てきました。タイトルだけでは、全く興味出なかったのですが、キャストを観て、「おや、これは?」と食指が動きました。

スイスのベルン、学校教師のライムントは、学校へ行く途中、橋から飛び降りようとしている女性に遭遇。自殺を引き留めた彼は女性を学校まで連れていくのですが、彼女はコートを残したまま姿を消します。そのコートには1冊の本とリスボンが入っていました。「言葉の金細工」というタイトルの本にはリスボン行の切符が入っていました。そして、その本の中の言葉に魅せられたらライムントは著者であるアマデウ(ジャック・ヒューストン)という男のことを知りたいと思うようになります。彼がその住所を訪ねるとアマデウの妹アドリアーナ(シャーロット・ランプリング)がいて、アマデウが若いころに動脈瘤で死んだこと、そしてその本が100部しか出版されていない稀本であることを告げます。ライムントはリスボンに宿をとり、アマデウについて調べようとします。壊れた眼鏡の買い替えのために行った眼科医マリアナ(マルティナ・ゲデック)は偶然にも、アマデウの友人であったジョアン(トム・コートネイ)の姪で、老人ホームにいるジョアンに紹介してくれます。アマデウもジョアンも、1970年頃のサラザールによる独裁政権時代に反政府運動をしていました。ブルジョワ出身で医師であったアマデウをレジスタンスへと誘ったのは学生時代の親友であり労働者階級でもあったジョルジェでした。ジョルジェの恋人であり、その記憶力が抜きんでていた活動家のステファニア(メラニー・ロラン)は、ジョルジュに紹介されたアマデウに魅かれるようになり、彼女とアマデウはお互いを愛しあうようになっていました。その一方で、秘密警察による彼らへの弾圧は激しさを増し、ピアノが得意だったジョアンは秘密警察のマーカスによって全ての指を潰されてしまいます。ある夜、集会を行っていた彼らを秘密警察が急襲し、組織のメンバーはバラバラに逃げるのですが、全ての情報を頭に入れているステファニアが捕まったら全ての情報が敵に渡ると、ジョルジェは彼女を殺すべく、彼女と一緒に逃げたアマデウの家に向かうのでした。

パスカル・メルシエの原作小説をグレッグ・ラダーとウルリッヒ・ハルマンが脚色し、「ペレ」「レ・ミゼラブル」のピレ・アウグストがメガホンを取りました。冒頭、主人公が雨の中を歩いていると、若い女が橋の上から身を投げようとしているという、奇妙なシーンから始まるのですが、それから、姿を消した彼女を探し、本を見つけてリスボンに向かうまでは、まるでリアリティのない不思議な味わいの展開になっています。授業中なのに、彼女を追って教室を飛び出しそのまま古本屋を回って駅に行ってリスボン行の列車に乗り込んでしまうという、地に足のついていない導入部なのですよ。アマデウの思想や哲学が書かれているその本は、主人公が考えてきたことをそのまま言葉にしたような内容で、まるで自分のようなアマデウという男がどういう人間なのか、大変興味を惹かれます。普通なら、そこで終わるところなのですが、彼は日常の教師生活を一度中断し、リスボンでアマデウという男がどういう人間だったのか、自らの足で調べ始めてしまうのです。うーん、何かすごいぶっとんだというか変わり者の主人公だなあ。でも、ある本に感銘を受けて、その著者に思いを馳せることは、誰にでもありそうな話ではあります。この映画のライムント先生は、それだけでは気がすまなくて、衝動的にアマデウを探す旅に出てしまうのでした。OLの突発的自分探しのようなお話を、50過ぎの老教師がやっちゃうというところが面白いところでして、どう見ても平凡な人生を送ってきたと思われるライムントが、何をどう間違えたのか、非日常の過去への旅に走ってしまうのですよ。冒頭の奇妙な展開は、主人公が脱日常の旅に走るためには必要だったんだなあと思うと、この映画は一種のファンタジーとも言えそうです。しかし、そのファンタジーの世界には、ポルトガルの反独裁政治運動という歴史が待ち受けていることになります。

私は現代史ってのにまるで知識がなくって、第二次大戦後のポルトガルがずっと独裁政権下にあり、反体制のレジスタンスを秘密警察が弾圧していたというのは、この映画で知りました。レジスタンスという言葉がヨーロッパで、1970年代の言葉として存在していたというのはびっくりでしたけど、そんな独裁政権を倒すべく行動していた若者たちに、ライムントは共感と好奇心をおぼえ、彼らの過去を聞き取り始めます。映画は回想形式でアマデウたちのドラマを描いていきます。アマデウは医師であるのですが、ある日、秘密警察のリーダーが負傷したときに、その命を救います。そのことで、アマデウは秘密警察に貸を作りますが、一方で市民の反感を買うことになります。反体制の意思を持った医師が弾圧する側の命を助けるというエピソードは他の映画でも観たことがあります。お医者さんというのは敵味方関係なく、命を救うの仕事ですから、内紛状態であっても、医師としてどちらかに与することはできないのでしょうね。その分、敵味方の両方からにらまれてしまう辛い立場です。まあ、この映画ではそういう医者の苦悩をメインにしているわけではなくて、どっちかというとアマデウ、ジョルジェ、ステファニアの三角関係の方がメインです。でもどろどろの恋愛地獄を描いているわけではなく、辛い歴史の中にはそういう恋模様もあったんですよ、くらいの見せ方になっています。

反政府運動の闘士たちの物語にライムントは心を動かされています。何事もなく平凡な日々を過ごす自分に比べたら、熱い生き方をしている彼らに羨望のまなざしなのです。これは、何となくわかるような気がします。自分の現状を顧みた時に、どうして彼らのような生き方ができないんだろうという一種のあせりのようなものがあるのですよ。これが変な方向へ曲がっちゃうと、日本人なのにイスラム国へ参加しちゃうなんてことにもなるのでしょうが、幕末の日本に憧れを持つ人なんかは、少なからずこういう感情を持っているのではないかしら。(← これってひょっとして偏見?)私なんかは、こういう歴史を聞くと、ああ今が平穏無事でありがたいありがたいと拝んでしまうのですが、若い人だとこういうのは少数派ではないかのかなあ。(← これまた偏見かな?)熱い時代だからこそ、熱い言葉が生まれて、後世の人がそれを読んで、また心を熱くするという流れは、ありそうな気はします。のほほんと生きていれば、人生とはとか、死の意味とか、そんなメンドくさいことは考えないものなあ。

アウグストの演出は、現代の部分をちょっとコミカルに、そして過去の部分をシリアスに描いていきます。ジェレミー・アイアンズというと、ヘビーでシリアスなイメージのある役者さんですが、この映画では、ある男の過去に胸を熱くする平凡な老教師を軽妙に演じています。眼科医のマリアナの協力を得ながら、関係者をたどっていくあたりの、ささやかなドラマの流れが面白く、そして、アマデウの人生を辿ったライムントが最後にたどりつくところも、しゃれた結末になっています。映画としての後味は見応えはあるけれどヘビーじゃなくて、お話としても面白かったというところに落ち着きます。若い女性の自殺未遂から、1冊の本が見出され、その本に取りつかれた老教師の珍道中と思えば、決して敷居の高い映画ではありませんので、機会があれば、ご覧になることをオススメします。私もジェレミー・アイアンズ主演の「リスボンに誘われて」という看板に、敷居が高い印象を持ってしまったのですが、実際の中身は、恋愛ミステリーのような歴史秘話的な味わいで、割とお気楽に楽しむことができました。

それにしてもこの映画、なかなかの豪華キャストでして、かわいいメラニー・ロランの年とった姿をレナ・オリンが演じていたり、現在の闘士たちをトム・コートネイ、ブルーノ・ガンツといった面子が演じ、さらにアマデウの恩師の役でクリストファー・リーまで登場するという、このキャスティングだけで食指が動く面々が揃っています。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



老いたジョルジュがライムントに真相を告白します。集会にやってきた秘密警察の一斉検挙から、逃げおおせたアマデウとステファニアは、荷物をまとめてベルリンから逃げ出そうとします。しかし、二人の乗った車の前に、銃を構えたジョルジェが立ち塞がります。しかし、ジョルジュは二人を撃つことができず、そのまま二人はいずこへと逃げ去るのでした。その事実を、ライムントが老いたジョアンに告げると、彼は肩の荷が降りたと安堵します。そして、ライムントは現在のステファニア(レナ・オリン)に会いに行きます。彼女はライムントにこう言います、「彼は決して自分を愛していたわけではない」と。こうして、「言葉の金細工」という本の出自をたどるライムントの旅は終わります。そして、リスボン駅でベルンに向かう列車に乗ろうとするライムントを、これまで行動を一緒につきあってくれていたマリアナが見送りにきてくれています。マリアナが「これからどうするの」と尋ねると「元の生活に戻る」と答えるライムント、そこへマリアナが「ここにいれば?」とささやくところで暗転、エンドクレジット。

壊れた眼鏡を買い替えるために尋ねた眼科医のマリアナですが、彼女の叔父がジョアンだったことから、ライムントの人探しにつきあってくれていました。マリアナはライムントに好意をもっているのがありありなのですが、ライムントはちっともそのことに気づきません。一緒に食事に出かけたときも、自分は退屈だろうと言って、ジョアンを困惑させてしまいます。それでも、ライムントの本の旅に最後まで付き合うのですからえらい。そして最後に別れの場で、彼への想いをさらりと言葉にし、その言葉を映画のラストに持ってくるという意外性が面白かったです。この後、ライムントはどう彼女にこたえるのかは、わかりませんが、映画の落ちとしては、うまいところに落としたなあって感心しちゃいました。

「フル・スロットル」の外国人から見たアメリカのイメージがすごい


今回は、新作の「フル・スロットル」を旅行先の山形ソラリス4で観てきました。54席という小さい劇場の割には、スクリーンは大きめで、かつ高めの位置にあるため、観客はみな見上げる形での映画鑑賞になります。ビスタサイズからシネスコサイズになるときは、上下が詰まって、左右が広がるという、最近はあまり見ないパターンです。

犯罪が多発するデトロイトの一角にある隔壁によって封鎖されたエリア、ブリックマンションは、犯罪者が牛耳る無法地帯になっていました。警察官だった父親をブリックマンションで殺された警官のダミアン(ポール・ウォーカー)は、ブリックマンションのボスであるトレメイン(RZA)を追っていました。そのトレメインの麻薬20キロを処分したリノ(ダヴィッド・ベル)は、トレメインに追われていました。トレメインはリノの元恋人ローラ(カタリーナ・ドゥニ)を人質にして、リノをおびき出そうとしますが、奇襲をかけてきたリノによって、ブリックマンションの境界線の警官詰め所に追い込まれます。しかし、警官のトップはトレメインに金で買われていて、逆にリノが逮捕されてしまいます。逆上したリノはその警官のトップを殺してしまいます。一方、ダミアンはデトロイト市長に呼び出され、トレメインの一味が政府の現金輸送車を襲撃、中に隠されていた中性子爆弾を強奪されたと聞きます。その爆弾は装置を開けると起爆装置が作動し、後10時間で爆発するというのです。その起爆装置を解除するために、ブリックマンションの内部に精通したリノと一緒に潜入せよという命令でした。刑務所のリノと一緒に脱走したという形で、ダミアンはリノと一緒にブリックマンションに乗り込みます。しかし、リノはダミアンが警官であることあっさりと見抜きます。そこでダミアンは事情を説明して、行動をともにすることになるのですが、何とリノは正面からブリックマンのアジトに乗り込んでいきます。果たして、街ごと吹っ飛ばす爆弾の起爆解除に成功するのでしょうか。

2004年の「アルティメット」という映画のリメイクだそうで、オリジナルの脚本に参加したリュック・ベンソンが脚本を書き、「トランスポーター」などの編集をしていたカミーユ・ドゥラマーレが初めてメガホンをとりました。最近、ヨーロッパやアジアの映画をハリウッドでリメイクするのが流行っていますが、これは、ユーロコープの映画でして、一応はフランス映画のようです。まあデトロイトが舞台で英語の映画ではありますが、最近の映画って各国資本の各国言語が入り混じった映画が多いので、純粋にどこの国の映画かというのがよくわからなくなってきています。しかし、デトロイトってのは、その昔「ケンタッキー・フライド・ムービー」や「ロボ・コップ」でもネタにされていましたが、40年以上、荒れた街のイメージが定着しちゃっているのかしら。まあ、外国人であるリュック・ベンソンのイメージがずっと昔のままなのかもしれませんが。

主役の一人ダヴィッド・ベルはパルクールの達人です。パルクールってのは、街の中のあらゆるものを使ってアクロバティックな移動を見せるテクニックだそうで、かつて「YAMAKASI」「007 慰めの報酬」などでそのワザが披露されています。主人公二人のブリックマンションの中を敵と闘いながら上下左右の動き回るのが見せ場になっています。映画はほとんどアクションシーンのみで構成されていまして、ドラマらしいドラマはラストの数分くらいということになります。一番のクライマックスをアクションで締めないあたりに意外性がありました。ブリックマンションのボス、トレメインは簡単に部下を殺す、イカれた怖い奴として登場するのですが、これがラストでとんでもないことになるのは、ギャグなのか、マジなのか。まあ、「WASABI」の日本の描写と同じような、外国から見た超ステレオタイプなアメリカのギャング事情ということになるのかなあ。

ダミアンは麻薬潜入捜査官らしく、冒頭では麻薬組織に潜入してブリックマンションに麻薬を流していた組織のボスをつかまえます。ここでも派手なアクションシーンをつないだ見せ場になっています。CGじゃない、実際の人間がアクションしているのであれば、できるだけ動き全体がわかる引き気味の絵で、複数アクションを1カットで見せてくれると説得力があります。昔のジャッキー・チェンの映画はそういう体技のリアリティを見せる絵作りをしていましたが、若干テンポが悪くなるという弊害もありました。この映画では、編集者出身の監督らしくムチャクチャ細かくカット割りをしてアクションシーンや格闘シーンを見せてくれています。その分、どこまで本人がリアルにやっているのかわからなくなる一方で、大変歯切れのいいアクションシーンになっています。ただ単に1カットを短くしただけだと、誰がどう動いているのかがわからなくなることがよくあるのですが、この映画ではきちんとアクションの連続性を押さえたカット割りになっていまして、すごくよくできてる、と思う反面、ホントのアクションなのかなという疑問も持ってしまいました。監督もそこは気にしているようで、アクションの要所要所にスローモーションを挿入して実際の動きを見せようとしています。でも、アクション映画にスローモーションを取り込むと、つなぎが間延びしちゃうことがこれまたよくある(スティーブン・セガールの映画なんかそんな感じ)ので、テンポが途切れちゃう。この映画では、そういうところをうまくいい感じにバランスを取っているようで、どこまでリアルなアクションなのかは、??でも、映像として盛り上がるつながりになっていました。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



トレメインは爆弾が起動されたことを知っていて、それをビルの屋上のミサイルに縛り付け、市街地へ向けて秒読み段階です。ダミアンとリノは、トレメインの部下を蹴散らして、ミサイルの発射を止めようとします。ついには、トレメインはミサイルを発射させようとしますが、一般市民を犠牲にすることに躊躇し、発射を止めます。そこへ駆け付けたダミアンは爆弾の起動解除コードを入力しようとしますが、それがブリックマンションの郵便番号だったことから、リノとトレメインはそれは罠のコードではないかと、ダミアンを止めようとします。そして、トレメインは、ダミアンの父親を殺していない、警察の誰かに後ろから撃たれたのだと言います。そんなこんなのやり取りをしているうちにタイムアップになってしまいますが、結局、爆弾は爆発しませんでした。解除コードこそが爆発コードで、ダミアンは市長たちに騙されていたのでした。そこで、リノとダミアンとトレメインは仲間となり、トレメインの部下たちと一緒に市庁舎に乗り込んで、市長の前で、解除コードを入力しようとします。そこで、市長が全てのからくりを語り、市をよくするためにブリックマンションは消滅させる必要があったのだと言います。しかし、その様子はテレビカメラで隠し撮りされていて、市長とその一味は逮捕され、ブリックマンションを取り巻く壁は取り除かれ、トレメインは新しい市長として立候補するのでした。めでたし、めでたし。

前半で麻薬ルートを取り仕切り、極悪非道だったトレメインが、ラストで突如としていい人というか、主人公の味方になっちゃうのにはびっくり。さらに、市長に立候補って、デトロイトってのはそこまでムチャクチャな街なのか。これって、日本がニンジャとヤクザの国と思われているように、リュック・ベンソンにとっては、アメリカってのはギャングと麻薬の国なんだろうなあ。別にアメリカを風刺するつもりはない、アメリカを異国情緒として描いた珍品ということになるのかしら。まあ、全編ほとんどアクションシーンでストーリーはおまけのようなものなので、野暮な突っ込みを入れずにお気楽に眺めるのが正解だと思いますです。これが亡くなったポール・ウォーカーの最後の作品だったそうで、エンドタイトルで「ポール・ウォーカーの思い出に」というクレジットが出ます。まだアクション映画で活躍して欲しい俳優さんでした。
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einhorn2233

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Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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