FC2ブログ

「サンドラの週末」から見えるのは、過酷な現実に対する人間の強さかな。


今回は久々の映画鑑賞で、川崎チネチッタ4で新作の「サンドラの週末」を観てきました。初日だからでしょうか、入り口でビスケットもらいました。フランスの映画なのに、ベルギーのお菓子。いったいどういう関係があるのかしら。

サンドラ(マリオン・コティヤール)は二人の子供とダンナのマニュ(ファブリツィオ・ロンジャーネ)の4人暮らし。ソーラーパネルの工場で働いていたのですが、メンタルを壊して休職していて、そろそろ復職というタイミングで解雇を言い渡されてしまいます。彼女のいない工場で、サンドラを復職させるか、1000ユーロのボーナスを出すかという投票を工員にさせ、その結果、ボーナスを選んだ人間が過半数だったのです。しかし、サンドラの友人が社長に直訴してくれたおかげで、明後日の月曜日、もう一度無記名投票をすることになります。泣くばかりのサンドラを、マニュは励まし、月曜日に復職に投票するように同僚たちの家を一軒一軒訪ねて、お願いすることとなります。それでも、まだメンタルに弱点があるのか、薬ばかり飲んでいるサンドラ。同僚の一人一人にあたってみれば、みんなそれぞれの事情を抱えていました。16人の従業員の過半数が果たして1000ユーロのボーナスを棒に振って、サンドラの復職に投票してくれるのでしょうか。

「ある子供」と「少年と自転車」を観て、面白い映画を作る人だなあって気になっていた、ジャン・ピエール・ダルデンヌとリュック・ダルデンヌ兄弟の新作が出たということで、足を運びました。前に見た2本はすごく悲惨な環境の人間を描きながら、前向きな暖かい後味が残るところが好きでした。この映画は主演のマリオン・コティヤールの演技が評価されていてニューヨーク映画批評家教会やヨーロッパ映画際などで女優賞をとっていて、アカデミー賞でも主演女優賞にノミネートされました。今回はかなり設定が凝っているというか、シチュエーションで見せるお話になっています。ヒロインのサンドラはうつで休職していたのですが、ようやく直りかけてきたところで、解雇を言い渡されてしまいます。それも、同僚たちの投票によるものなので本人はかなりショック。そんなことがあったら、誰でも精神的ダメージを受けちゃうのですが、メンタルが病みあがりのサンドラは、ショックで寝込んでしまいます。夫のマニュが彼女をベッドから引っ張り出して、同僚たちに再投票のときにボーナスではなく、サンドラの復職に投票してくれるようにお願いして回ることを始めます。中には、サンドラの復職に投票すると約束してくれる人もいますし、金がないと大変な人もいます。それぞれの人にそれぞれの事情があり、必ずしも、サンドラの支持者ばかりではありませんが、一方で彼女の復職に投票してくれる人も出てきます。

映画は、同僚一人一人に会って話をするシーンをワンカットで撮っていて、ドキュメンタリーを観ているような気分になってきます。それだけ、リアルな人間描写になっています。でもシチュエーションとしては、こういうことがフランスではあるのかもしれませんけど、日本では考えられないようなシビアな設定です。同僚が解雇されるかどうかに従業員が投票するなんて、日本ではまず考えられず、どっかのブラック会社の追い出し部屋でやりそうなえげつない行為ということになります。そこで、解雇が決まった人間が再投票を行うからと言って、票を持った一人一人に自ら出向いて交渉するってのも、日本ではすごく考えにくい発想で、ヨーロッパの人は単に自己主張するだけでなく、そのことにタフなんだなあって感心させられてしまいました。それをうつ病が完治しきっていない女性がやるのですから、向こうの人は強いんだなあってしみじみ。強さも文化なんだなあって再認識してしまいました。

彼女の行為は、従業員にとってあまり愉快なものではありませんでしたが、でも中にはボーナスに投票してしまった同僚にはそのことに後ろめたさや後悔を感じている人もいました。あきらかにサンドラを敵対視する人、申し訳なさそうにそれでもお金が必要だという人、そのせいで親子喧嘩や夫婦喧嘩に発展してしまう人、それぞれの事情をダルデンヌ兄弟の演出は、ドキュメンタリーのようなカメラワークで淡々と見せていきます。最初のうちは及び腰だったサンドラも、自分の復職に投票してくれる人が現れるとだんだん元気を取り戻していきます。うつ病の薬を一箱飲んで病院に担ぎ込まれるなんてこともしてしまうのですが、夫マニュや友人の励ましで、訪問を続けていくサンドラ。

今回はサンドラというヒロインを中心にして様々な登場人物の人生の断面が見えてくるという趣向で、ドラマは進んでいきます。マリオン・コティヤールという人は映画スターの華やかな顔を持った女優さんですが、ここではその華の部分を押さえて普通の女性を演じています。うつ病持ちというキャラクターよりも普通の女性の顔の方が大きい演技なので、ヒロインだけが際立って見えることなく、ある種の群像ドラマのように見えてくるのが面白いと思いました。たくさんの普通の人々を、非日常のシチュエーションに乗せたドラマ展開から、人間のホンネの部分が窺えるところがこの映画のポイントでしょう。よくも悪くも普通の人が、1000ユーロか同僚の復職かを選べと言われたら、事情はいろいろ、結論もいろいろになりましょう。アルデンヌ兄弟は、そこを誰にも加担することなく淡々と描くことで、最終的にシビアだけど暖かい余韻を残すことに成功しています。特に、彼女が休職している間も、16人の従業員で回してこれたという事実。それに対して、彼女の復職か、1000ユーロのボーナスかを従業員に投票させた社長もそんなに悪い奴という描き方をしていないところが、この話に説得力を与えています。この映画の中で明らかに悪役として登場するのは、従業員にボーナスに投票するように圧力をかけた主任だけです。この主任も、悪役扱いしない方がドラマに厚みが出たような気もしました。ともあれ、登場人物の事情には感情移入できますし、こういうシチュエーションになったときの自分の事情を再認識できる映画でもありますから、なかなかの見応えと言えましょう。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



サンドラは最終的に7人まで自分の復職に投票する人を確認できました。そして、月曜日の朝、投票となります。投票の結果は8対8と引き分けとなり、サンドラの復職とはなりませんでした。荷物をまとめて帰ろうとするサンドラを社長が引き止めます。ボーナスを支給して、さらにサンドラの復職を認めるという申し出でした。ただ、16人で工場が回ることがわかったら、契約社員の契約更新をしないと言います。サンドラに投票してくれた黒人移民の若者も契約社員でした。そして、サンドラは自分以外の誰かがやめさせられるなら、申し出は断るといいます。工場を出て夫に電話し「でも、健闘したよね」というサンドラは晴れ晴れとした表情に見えます。道を歩いて去っていくサンドラ。暗転、エンドクレジット。

結末は結局サンドラは復職できませんでした。でも、そこに至るまでの過程で彼女はかなり強くなっていたのです。それは夫マニュのおかげもあるのですが、孤独だと思っていた自分に投票してくれる人が8人もいたということの発見が大きかったのではないかしら。自分がダメ人間だ、自分は孤独だと思い込むことでうつ状態は悪化してしまうのですが、この一件で、彼女は自分の価値と力を実感できて、うつ病からの快方への一歩を踏み出したラストと読みました。
スポンサーサイト



「フッテージ」は冒頭の猟奇スリラーから意外な展開がトンデモ映画スレスレ。


前から気になっていたホラー映画「フッテージ」のDVDがアマゾンで1000円以下で売られていたので、ゲットしてみました。最近、劇場でのホラー耐性が著しく低下しているのもあって、この映画も劇場スルーしていました。

郊外のある家で、5人家族の4人が首吊りによって殺され、1人だけ娘が行方不明になっていました。そんな家にわざわざ引っ越してきたのがノンフィクション作家のエリソン(イーサン・ホーク)。この事件をネタに久々に一発当てたいと思っている彼は、妻のトレイシー(ジュリエット・ライランス)と息子トレバー(マイケル・ホール・ダダリオ)、娘アシュリー(クレア・フォーリー)には、家の事情を知らせていませんでした。屋根裏部屋をチェックしたエリソンは「ホームムービー」と書かれた箱を見つけます。中には8ミリ映写機と何本かのフィルムが入っていました。その1本を映写してみたら、最初はある家族の平和な風景だったのですが、その後に何と、この家で起こった首吊り殺人の一部始終が収められていたのです。他のフィルムを見てみれば、やっぱり家族団らんのシーンの後で、その家族が殺されるシーンが登場するといういわゆるスナッフフィルム。警察へ通報するのを思いとどまったエリソンはこの複数の殺人をネタに一発当てようと考えます。そして、さらにフィルムをよく見ると被害者以外に不気味な顔の男が映り込んでいるではありませんか。この不気味な男が一連の殺人の犯人なのでしょうか。しかし、フィルムケースに記された日付からすると、1960年代のものもあれば、2000年代のものもありました。本当に同一犯の犯行なのでしょうか。

C・ロバート・カーギルと「エミリー・ローズ」のスコット・デリクソンが脚本を書き、デリクソンがメガホンを取ったスリラーの一編です。殺人事件のあった家に引っ越してきた一家に不思議な事件が起こるというものです。主人公は未解決事件のノンフィクションを書いてきたライターですが、処女作以外は大した作品がなく、破産状態でした。ここらで起死回生の一発を放つ必要がありました。それだけに、屋根裏部屋のフィルムを見つけて大興奮しちゃいます。これはすごい大作の予感、てなわけで、夢遊病の息子の調子が悪化してもおかまいなし、妻が家の由来に気付いても、引っ越す気にはなりません。かなり、やな主人公なんですが、イーサン・ホークが悪役演技を抑えたことで、主人公として成り立つという作りになっています。

この映画の特徴は、とにかく画面が暗いこと。コメンタリーで監督が狙ってやったと言ってるのですが、昼間のシーンでも家の中は必ず暗いところがあって、ロケシーンも曇り空ばかりで、画面全体が明るくなるのは、8ミリフィルムのシーンのみです。さらに夜間シーンが多くて、そこにノイズ系のアンビエントミュージックがかかるので、全体のトーンもかなり不気味。息抜き的なシーンがほとんどありません。映画としては、前半はスナッフフィルムからだんだんと不気味な連続殺人が浮かび上がる展開で、後半がその謎解きという形になっています。前半では、この映画がサイコスリラーに転ぶのか、超自然ホラーに向かうのかがわからないので、どっちへ行くのかってところがサスペンスになっています。殺人フィルムを観ているのが、エリソンだけなので、そのフィルムが実在するのかどうかというところが、展開の分かれ道になります。

スナッフフィルムは、家族団らんシーンの後に、凄惨な殺人シーンが登場するというもので、かなりえげつない殺し方もあるのですが、グロ描写は控えめになっていて、日本でもPG12指定になっています。監督のコメントでも直接の描写を避けて、逆に恐怖を煽る手法をとったとのことです。それはいいのですが、とにかく暗いシーンから、音やら不気味な顔を出すというショック演出が多くて、やはり劇場鑑賞パスしてよかったなって感じの映画になっていました。暗いシーンの絵作りはシネスコの画面をうまく使って絵画的な絵作りをしているので、そこはよかったのですが、すごく暗いシーンからのショック演出は勘弁して欲しいなって思いました。「エミリー・ローズ」ではショック演出を控えていたデリクソンですが、コメンタリーによると、本人は結構ショック演出を入れるのが好きらしいのが意外でした。

スナッフフィルムからお話がはじまる映画というと「8mm」とか「ブラック・サイト」などいろいろあるので、それほど目新しいものではないのですが、その映像に謎解きの鍵を隠しているあたりは、発端としては上々なのですが、落としどころがあまり怖くならないのは残念でした。さらに、1時間50分の長さはちょっと長いかなという印象でして、物語の展開が遅いのが残念でした。闇にこだわったエピソード(含むショック演出)にこだわり過ぎたという感じで、後半の謎解きがあわただしくなったという印象があります。子役も含めて演技陣はみな好演していますし、ドラマとしてもきちんとしているのですが、主人公が夜中に目覚めると何かが起こるというパターンが多すぎるのは、減点かなあ。それがドラマを進める役に立ってないのが惜しいところです。雰囲気作りは悪くないのですが、中盤はすっぱり切ってもよかったような。

全編をノイズ系アンビエント音楽が鳴ってまして、音楽担当はクリストファー・ヤングがクレジットされているのですが、既成曲もかなり使われています。ヤングの曲はサントラ盤が出ているのですが、これも全編シンセサイザーによるアンビエント音楽で、メロディラインがほとんどない音作りは、彼にしては珍しいと言えましょう。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



フィルムの映った場所や年代から、本当に起こった事件なのかを、副保安官に調査してもらったところ、どれも実在した事件だとわかります。また、殺人現場に映りこんでいた紋章のようなものを、猟奇的殺人にくわしいジョナス教授(ビンセント・ドノフリオ)に調査依頼したところ、紋章はブグール神という子供を食べる邪宗の神だということがわかります。子供を自分の霊界に取り込んじゃうんですって。さらに、彼が見つけてきたブグールの絵はそれを持っているだけで命が危なくなると信じられていたのだそうです。ある晩、物音に気付いて家の中を調べるエリソンのまわりを不気味な顔をした子供たちがウロウロします。何かが家にいると確信した彼は、フィルムと映写機を焼き捨てると、殺人現場の家を引き払います。そして、元いた家に戻るのですが、そこにもまたフィルムと映写機の入った箱が置かれていました。その中には、カットされたエンディングというフィルムが入っていて、それをつないで見たところ、殺人シーンの後、行方不明になった子供がカメラの正面に映っているではありませんか。そこへ、副保安官が連絡があり、各々の殺人事件に犠牲者が、その前の事件の犠牲者の家に住んでいて、引っ越した後事件にあったというのです。つまり、殺人現場の家から引っ越したエリソンの一家も犠牲者の条件を備えてしまったのです。その事実を知ったエリソンは、自分の飲んでいたコーヒーに薬が仕込まれていたことに気付きます。しかし、時既におそく、次に彼が気付いたときは、縛り上げられていました。そこへ斧と8mmカメラを持った娘アシュリーが現れ、エリソンに斧を振り下ろすのでした。8mmのスクリーンには、不気味な顔をした子供たちがアシュリーを見下ろしいます。そして、アシュリーの背後にブグールが現れ、彼女を抱き上げて、スクリーンの中に入り込んで姿を消すのでした。

というわけで、サイコスリラーではなく、超自然ホラーでした。話のオチはトンデモ映画(「フォーガットン」みたいな)の一歩手前くらいにぶっ飛んだものではあるのですが、それまでのホラー演出で何とか帳尻が合ったという感じでしょうか。家族全員が子供一人除いて皆殺しという発端から、後付けしたような結末な気もします。神秘的な怖さよりも、即物的恐怖が先行していただけに、この結末は無理やり押し込んだという印象を持ってしまいました。ホラー映画としては、まっとうな作りをしているのは認めちゃうのですが、猟奇殺人が先行すると、超自然ホラーの展開がぎくしゃくしちゃうんだなってのは発見でした。そう考えると猟奇連続殺人と超自然ホラーを無理なく合体させた「エクソシスト3」はすごい映画だったのかもって、今更ながら感じてしまいました。

オーディオコメンタリーによると、この映画の制作費は300万ドルだったそうで、かなりの低予算だったようです。最近のハリウッド映画は、2000万ドル台でも低予算と呼ばれるようですから、かなり安く作られていると言えましょう。ですが、映像とか音響とか作りには低予算ホラーの安っぽさを感じさせなかったところは、デリクソンの演出力によるものでしょう。演技陣の好演もこの映画のランクを上げるのに貢献しています。それだけに、唐突な超自然展開はなんとかならなかったのかしら。それでも、劇場で観たら十分怖がれる映画ですから、ショッカー映画がお好きな方にはオススメです。ラストのダメ押しショックもありますし。

「パレードへようこそ」の「連帯」に泣かされちゃった私は古い世代なのかしら。


今回は新作の「パレードへようこそ」を静岡シネギャラリー2で観て来ました。ここは、座席を前の方まで出したせいか、印象がかつての銀座シネパトス3みたいな感じになってます。ただ、こっちの方がスクリーンは観やすいし、天井も高いのですが、何となくそんな印象なんです。

1984年のイギリスでは、斜陽産業である炭鉱の閉鎖を巡ってストライキが起こっていて、炭鉱労働者が警察によって弾圧されていました。それをテレビで観たゲイのマーク(ベン・シュネッツァー)は、そうだ彼らを支援しようと思い立ち、ゲイの権利を訴える「ゲイ・プライド」というパレードで、炭鉱労働者の支援募金を始めちゃいます。有志を集めてLGSM(レスビアン&ゲイ炭鉱労働者支援同盟)を立ち上げ、あちこちの炭鉱組合に支援を申し入れる電話をかけるのですが、なかなか相手にされません。それなら、実際の炭鉱の町に電話しちゃおうとウェールズの炭鉱町に電話をかけまくるとディライスの町がOKを出してきます。ディライスの代表者ダイ(パディ・コンシダイン)がロンドンにやってくるのですが、彼はLGSMの意味をそこで初めて知ってびっくり。それでも、偏見のない態度で、LGSMの支援を受けることになります。そして、ディライスでLGSMを招こうとするのですが、男が炭鉱で働き、それを妻が支えるという文化の町では、ゲイやレズビアンを受け入れない人間も多数いました。それでも、書記長(ビル・ナイ)たちはマークたちを招いて謝意を表します。そして、LGSMの連中もディライスの町民から受け入れられるようなります。しかし、ゲイを頑なに嫌う書記長の義妹がこのことをタブロイド紙に売ったことで、ディライスの組合は組合連合から、LGSMの支援を受けないようにと言われ、彼らの支援をどうするかを決める総会が開かれることになります。そこで、マークたちはロンドンで炭鉱労働者のためのチャリティコンサートを開き、ディライスの町民も招いてたくさんの募金を集めることに成功するのですが....。

実際にあったことをベースに、舞台脚本家のスティーブン・ベレスフォードが脚本を書き、舞台演出の実績のあるマシュー・ウォーチャスがメガホンを取りました。1984年というとサッチャー政権の時代でして、この映画ではサッチャーのことをボロクソに言ってます。まあ、そういう立場の人たちのお話ですからね。組合の連帯を前面に出していますから、右よりの方からすると、出し遅れのアホ左翼映画ってことにもなっちゃうのかな。私、かれこれ30年サラリーマンやってますが、労働組合というと御用組合って印象が強くて、まともに会社とやりあってるところなんて見たことありません。組合なんて、出世コースの一経路、誰からも期待もされてない、会社となあなあ、なんていうイメージしかないので、この映画のような国家と対立するような組合活動が、1984年に存在したことが驚きでしたし、警察が違法に組合員を逮捕していたってのもまたびっくり。さらに、イギリスでは、21歳未満のゲイは違法だったと知ってこれまたびっくり。現代史ってのはもっと勉強しておかないとダメだなあって思いました。池上彰の番組が高視聴率を取るのも、学校で教えてくれない現代史を説明してくれるからなのかも。

マークは、最近ゲイへの風当たりが弱くなっているのは、警察が炭鉱ストの取締りにまわっているからだ。彼らと自分たちは同じ立場であると言って、炭鉱労働者のための募金活動を始めます。でも、その支援を受けますと言う団体なんて、なかなかいません。保守的文化を持つ炭鉱労働者の組合ならなおさら。ところが、ディライスの役場で電話をうけたおばちゃんがワケがわからないまま「いいですよ」って言っちゃったものだから、LGSMは大喜びで募金を送ります。受けた方の組合では役員が集まって「困っちゃったねえ」なんて話をしているのですが、ベンやヘフィーナ(イメルダ・スタウントン)は、ゲイだろうが関係ない支援してくれる人を客としてもてなすべきと言って、集会の場所にLGSMを招待します。それでも、意地でもゲイなんかと仲良くなんねえと言ってる連中もいるのですが、LGSMのマジメな態度に、町民も態度を軟化させて、お互いいい関係になっていきます。本当にこんなに簡単に仲良くなれたのかなという気もしたのですが、そこはドラマとして許容しておきましょう。少なくとも、ディライスの組合がLGSMの支援を受けていたことは事実のようなので。

この映画に何度も登場するのが「連帯」という言葉、今は正直、死語になっちゃっていると思うのですが、炭鉱労働者の連帯、ゲイ・レズビアンの連帯、そして、ゲイと炭鉱労働者の連帯。これが結構泣かせるのですよ。一人では生きられない弱い人間がたくさん集まってつながりあうことで力を持ち、理不尽な現実と闘おうという姿勢が、色々な形でこの映画では描かれます。それは他人を信頼するということであり、自分と他者の間の壁を取り除くということでもあります。石炭産業が斜陽なんだから、炭鉱組合はとっとと閉山に協力すべきだというマクロ的な話で、この連帯を否定すべきではないでしょう。映画の原題は「PRIDE」というのですが、連帯した人々へのプライドを護り、過去の石炭産業の実績に敬意を表するべきだったのではなかったのかという気がします。単に生活を守るというのが組合だというわけじゃないんだろうなってのが伺えるのが面白いと思いました。昔の労働運動も今見直すと「何してたんだろう」と思うところ結構あるのですが、こういう映画を観ることで歴史の評価がまた変わりそう。ともあれ、この連帯のくだりでかなり泣かされてしまいました。ここ最近の映画でここまで泣かされたのは久しぶりでして、自分病んでるのかなとも思っちゃいましたけど、普段感じることのない「連帯」という言葉がツボにはまってしまったようです。

私はゲイに対する偏見は若干あります。悪し様に言う気はないけど、お近づきになるには腰が引けちゃうという感じでしょうか。それでも、この映画に登場する、ゲイやレスビアンの皆様はそれぞれ生身の人間として共感できる人間として描かれています。炭鉱の関係者も、LGSMのメンバーも同じようにキャラづけされているのですよ。炭鉱関係者もゲイも同じ人間という土台の上に普通のキャラ付けがされています。こういう視点は「ミルク」にもなかったもので、ゲイも同じ人間として共感できるようになっています。まあ、これだけゲイが認められている現在で、何を今更とも言われちゃいそうなのですが、ゲイを扱った映画では、ゲイってのが一つのキャラになっちゃってることが多くて、その上にさらにキャラを乗せられることは少ないように思います。そんな中では、LGSMのメンバーのキャラが丁寧に描き分けられているところに好感が持てました。

そして、当時を知るキーワードとして登場するのが「AIDS」。不治の病、ゲイで感染する、触ると移るなど、色々とひどい言われようをしていた時代です。ある程度正しい認識がされるようになったのは、「AIDS」ではなく「HIV感染症」と呼ばれるようになってからのように思います。この映画で「AIDS」差別が前面には出てくることはないものの、ゲイ差別の理由の一つとしての扱いになっていました。映画にもなったミュージカル「レント」も「AIDS」が「AIDS」と呼ばれていたころの話だったなあって、これはまた別の話でした。

また、もう一つのプロットとして、ジョー(ジョージ・マッケイ)という若者の成長のお話でもあります。冒頭、20歳の誕生日の日にあったゲイ・プライドに何となく参加したら、のぼりを持たされて、そのままLGSMに誘われて、断れずに参加することになります。キリスト教の信心の深い家庭に育ったジョーは、自分にゲイの素養があることを隠しておく必要がありました。LGSMがディライス訪問したときも同行し、それまで自分の知らなかった新しい世界を知っていきます。彼がゲイであることは家には隠しとおすことができないのですが、その後、意外な事実をジョーは知ることになります。

映画としてはコメディタッチを中心にした軽いテンポで進んでいくのですが、後半はややシリアスな展開にシフトチェンジし、ラストはびっくりの大感動が待っていますので、ご覧になって損になる映画ではありません。自分に自信をなくしている人とか、自分と孤独はお友達さと思っている方に、特にオススメしちゃいます。人は、一つの気持ちを共有することで連帯できるということ、その人間の可能性を実感できると、感動できる映画です。

その一方で、ちょっとしたアクセントになっているのが、LGSMのレズのカップルがLGSMの女子部を作って、メインの部隊と袂を分かとうとするところ。確かに女子ならではの気遣いができる部隊がいてもいいんですが、それは同じ集団でやればいいじゃないかと思うのですが、そう思ったところで別の団体として独立しようとする。組合系団体が分割、独立を繰り返すことにより、先鋭化したり、市民の支持を失ったりした、日本の現代史にもつながるところがあって、興味深いものがありました。まあ、LGSMでは内ゲバは起こらなかったようですけど。

演技陣はみな熱演でして、タイトルトップのベテラン、ビル・ナイ、イメルダ・スタウントンは脇役の扱いでして、メインとなるのは、マークとジョーの二人です。脇にいいキャラがそろっていまして、ゲイの俳優を演じたドミニク・ウェスト(「フォーガットン」の人)ですとか、レズビアンを演じたフェイ・マーセイが印象的でした。特に炭鉱夫の妻シエンを演じたジェシカ・ガニングが出色で、あきらかにデブなんだけど、どこか知的で魅力的なチャーミングな女性になっていました。デブと言い切っちゃうと元も子もない感じではあるのですが、デブであることが彼女の魅力を殺していないってことは特筆しておいてもいいかなって思います。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



町民の総会は、最初の予定されていた15時開始を3時間前倒しで開始されてしまい、ロンドンへコンサートに出かけていたLGSMを支援するメンバー抜きで行われ、結果、LGSMの支援を受けることは否決されてしまいます。最後の募金を置くと、LGSMのメンバーは、「全て終わった」と失意の念のままロンドンへと帰っていきます。マークはかつての恋人がAIDSだと知り、自分も感染しているのかと混乱して、LGSMと友人の前から姿を消します。ジョーは家族にゲイとの写真を見つけられて説教されて、ゲイとの絶縁を余儀なくされてしまいます。そして、ストライキは終わり、ディライスの炭鉱労働者も作業を開始することになります。その場にかけつけたLGSMのメンバーはマークとジョーだけでした。

そして、1985年の「ゲイ・プライド」の日、デモの準備をしているジョーや仲間たちの前に姿を消していたマークが現れ、謝罪し、みんなは彼を受け入れます。彼らは炭鉱労働者を支援するのぼりを揚げようとしますが、デモの主催者から、政治的な発言は控えてくれ、そういうのなら、列の最後尾へ行ってくれといいます。そこへ、ディライスからベンやヘフィーナ、書記たちがやってきます。再会を喜びあうマークやジョーたちですが、やってきたのは、ディライスだけでなく、他の炭鉱組合の面々もゲイを支援にやってきたのです。その人数たるやものすごい。一躍、LGSMは、炭鉱組合連合を引き連れて「ゲイ・プライド」の先頭の立ちます。そして、この年にゲイに対して出されていた差別法が撤回されることになるのでした。

サッチャーのやり方は、斜陽産業である炭鉱産業をフェードアウトさせる必要から、一気に閉山と強硬策をとったために多くの炭鉱労働者、炭鉱労働組合から反感を買ってしまいます。一方で人間の心を持つ組合側、人の心を大事にし、連帯とその歴史を大事にすることでプライドを保ってきました。ゲイやレズビアンからの募金を受け取ることは最終的に彼らのプライドを傷つけるものにはなりませんでした。むしろ、ラストで「炭鉱労働者を支援するゲイ・レズビアンを支援する炭鉱連合」として、ゲイやレズビアンを支援することで、そのプライドを保つことになります。なぜディライス以外の炭鉱組合も、ゲイやレズビアンを支援するようになったのか。この当たりには、きっと表沙汰になっていない事情がありそうですが、ストレートに考えれば、ゲイやレズビアンの起こした行動に敬意を表したということになるのではないかしら。自分たちとは生まれも文化も違う連中だが、人間として友人となれる可能性を持った存在であり、それを労働運動と同じように警察から攻撃を受けるのはフェアじゃない。たとえ、炭鉱労働者の中に「ゲイやレズは神への反逆だ」と謳う人間がいたとしても、ゲイが理不尽に警察の弾圧に屈するのは正義じゃないし、違法であることは警察だって知っているはずです。LGSMのもたらした不当逮捕の知識は、多くの炭鉱労働者を釈放させる役に立ちました。それでも、ストライキは中止となり多くの炭鉱労働者は各々の職場へ復職することになるのでした。最終的に組合はストで負けたことになります。そういう苦い歴史の中で、ゲイ・プライドの行列の先頭を炭鉱労働者組合が歩いたということはすごい事実なんだと、ここでもまた泣かされてしまいました。ゲイであることは、人を差別する理由にはならない。そういうことをみんなで形として宣言するってのはできそうでできるもんじゃないと思いますもの。

感動して泣かされたというのとはちょっと違うのですが、人の信頼とか善意とかに弱い私は、かなり泣かされてしまいました。きれいごとばかりの世の中ではないことは百も承知していても、ある事件をある切り口からながめてみたとき、そこから透けて見える善意とか連帯とかには、泣けちゃうのですよ。日ごろの生活がすさんでるから、こういう話に弱いのかもしれませんです。(何か、トホホ)

「グッド・ライ」ドラマチックな事件から静かな展開になるところが味わい深く。


今回は新作の「グッド・ライ」をTOHOシネマズシャンテ3を観てきました。ここはインターネット予約発券機が各劇場1台ずつしかないので、中で行列ができちゃうのです。だから、普通の発券窓口で、暗証番号を言ってチケット入手しているのですが、このシステムは何とかならないのかしら。一応、TOHOシネマズってシネコンの看板掲げてるわけだし。

内戦で揺れるスーダンで、家族仲良く暮らしている部落に武装した連中が現れ、子供のマメールは両親を殺され、兄弟を連れて逃げ回ることになります。その逃亡の途中、マメールが兵士に見つかりそうになったとき、テオが身代わりになって連れて行かれてしまいます。それでも、残った4人の兄弟は、ケニヤのカクマ難民キャンプにたどり着きます。13年がたち、成人した彼らにアメリカ移住というチャンスがめぐってきます。妹のアピタルは引き離されてしまうのですが、後のマメール、ジェレマイア、ポールの3人は、職業斡旋人のキャリー(リーズ・ウィザースプーン)のもとで仕事を紹介されて、アメリカでの日々が始まります。3人の望みはまずアピタルと一緒に暮らすことでしたが、マメールにとって心残りなのは、自分の身代わりに連れて行かれたテオの消息でした。果たして3人はアメリカに無事に溶け込むことができるのでしょうか。

実際にあったスーダン内戦と難民のアメリカへの移住計画をもとに、マーガレット・ネイグルが書いた脚本を「ぼくたちのムッシュ・ラザール」のフィリップ・ファラルドーが監督しました。映画の主人公は、子供の頃、親を殺された難民になったマメールということになるのでしょうか、ドラマは登場人物に近づき過ぎず、ドキュメンタリータッチの撮り方をとしているのが印象的でした。観終わった感じも普通のドラマとちょっと違う後味が残りましたが、これは娯楽映画の展開とはドラマの流れが異なっていたからだと後で気付きました。

オープニングでは、スーダンの部落で平和に暮らす人々の様子が描かれるのですが、ここにヘリと銃の音が聞こえてきて、殺戮の場と変わってしまいます。命からがら逃げる子供たちは途中で犠牲者を出しながら、国境までを歩き通し、難民キャンプへたどり着き、そこで13年の月日が流れます。ここまで、子供たちは銃弾の下を逃げまどい、亡くなった兄弟を弔うといった大変過酷な体験を送るのですが、その描き方は不思議と穏やかというか静かです。いくらでも盛り上げられるところを、そういうことがあった事実を淡々と伝えるという描き方です。実際、これは実話ベースではないフィクションなのですが、その落ち着いた描き方から、実際にあったことのように感じられるのですよ。このドラマチックな要素を排した描き方はドラマ全般に及んでいまして、その演出タッチがこの映画に不思議な説得力を与えています。そして、4人の義理の兄妹がアメリカへ渡る人間の中に選ばれます。その時期に選ばれたことは彼らにとってラッキーでした。それは9.11テロにより、アメリカが移民を受け入れなくなるちょっと前だったのです。彼らは男と女で分けられはしましたが、それでもアメリカでの暮らしを始めることになります。

3人兄弟がピザに祈りを捧げるシーンや電話の音を何かの警報だと間違えるシーンなどにコミカルな味わいはありますが、ファラルドーの演出はカルチャーギャップを笑いにしたコメディに仕立てることはあえて避けて淡々とした展開を見せています。男と長続きしないらしいキャリーのキャラクターもあえて掘り下げることをせず、物語の点景として位置付けていまして、物語を通して流れる空気感を重視した「ぼくたちのムッシュ・ラザール」と同じように、静かなテーマを点描画のように描く演出は、アメリカの娯楽映画とは一線を画す味わいになっています。スーパーでのゴミをホームレスにくれちゃうジェレマイアのエピソードも、職場に仲間とマリファナを吸うポールもそこからどうなるというドラマ的な展開を見せないで、どこにでもある普通の人のエピソードのような扱いなのです。そして彼らの日常の中から、後半になってやっと一つの物語が見えてくるのです。

冒頭の子供たちの逃避行のシーンに結構な尺を割いていて、いちおうタイトルトップのリーズ・ウィザースプーンが登場するのは映画の中盤になってからです。その後も彼女を中心にドラマが展開するのではなく、3兄弟、特にマメールを中心に物語は進んでいきます。とはいえ、彼らがアメリカでの日々になじんでいく様子にはドラマチックな展開はなく、淡々とエピソードがつづられていくのみなので、観ていてこれは何の話なのだろうという気分になってきます。そして、映画は(私にとっては)意外な展開を見せ、その意外さが腑に落ちるところにささやかな感動がありました。

小さなエピソードを淡々と並べていく演出は一人ひとりの心情に深入りしない分、脇役の印象を強める効果はあったようで、少ない出番ながら、主人公たちに職業を紹介するジャック(コリー・ストール)や、彼らの住居を手配するパメラ(サラ・ベイカー)、難民キャンプで主人公たちのような幸運に恵まれないけど、彼らに心をくだくジェームズといった面々の人生が透けて見えるような気分になれたのは、淡々とした演出あってのことだと気付かされました。特にジェームズのいい人ぶりにはホロリとさせられましたもの。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



ついにポールがトラブルを起こして警察のお世話になってしまいます。それまでに彼らに共感するようになっていたキャリーは移民局に自ら乗り込んでどうすれば彼らが妹と一緒に暮らせるようになるか動き出します。彼女の努力は実を結び、クリスマスの日、4人兄妹は一緒に暮らせるようになりました。しかし、マメールには、自分の身代わりになったテオのことがずっと気がかりでなりません。ついには、自分でケニヤの難民キャンプに出かけてテオを探そうと決心します。アフリカへ渡るにはまた困難がありましたが何とかクリアして難民キャンプへたどり着き、かつて一緒にいたジェームズに再会し、テオを探す日々になります。そんなある日、マメールの前に自分のために身を挺してくれた兄テオが現れます。ジェームズがテオを連れてきてくれたのでした。再会を喜ぶ二人、そして、マメールは自分の証明書をテオに渡し、彼をアメリカへと送り、自分は難民キャンプに医療スタッフとして残ることにするのでした。アメリカでテオとの再会を喜ぶ兄妹の一方で、キャンプで新しい日々を送るテオの姿で暗転、エンドクレジット。

タイトルの「グッド・ライ」とは、マメールがテオをアメリカへ送るためにつく嘘を指すとわかるラストで、ちょっといい話くらいの着地点となります。大感動を謳い上げるという演出にしていないのが、不思議な後味となります。ものすごいオープニングからすれば、すごくささやかなオチとも思える展開がこの映画の持ち味だとわかるところはちょっとした発見がありました。殺伐とした前半からアメリカへ舞台を移してからは、多くの人のちょっとした善意がこの物語を積み上げていることに気づくと、そこに静かな感動がこみあげてくる映画です。「ぼくたちのムッシュ・ラザール」で様々な人の想いをひと塊のラストにまとめ上げたファラルドー監督は、今回は、色々な人の善意をすくい上げて一つのラストに集約させました。その描き方はあくまで水彩画のような淡いタッチではあるのですが、その落ち着いた色使いに作者の底力を感じさせました。リーズ・ウィザースプーンは、この映画や「デビルズ・ノット」で助演者としての実力を確かなものにしていて、次回作が楽しみになりました。
プロフィール

einhorn2233

Author:einhorn2233
Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR