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「マッド・マックス 怒りのデスロード」では、マックスがマッドでもないしヒーローでもない。でも面白いですよ。


今回は、「マッド・マックス 怒りのデス・ロード」を川崎のチネチッタ7で観てきました。IMAXとか3DとかDOLBY ATMOSといった特別上映版があるのはいいのですが、どれも追加料金を取られるんですよね。で、自分は、2Dの通常上映での鑑賞を選択しました。ところで、この映画、R15指定ということで、派手なバイオレンス描写や死体の山を期待したのですが、そういうのは一切なくて、どこが引っかかってR15になっちゃったのかしら。

第三次世界大戦が発生し、核兵器が使われ、荒廃した世界で人間は生き残るための闘いを強いられていました。そんな時代に元警察官だったマックス(トム・ハーディ)は亡き子供の霊に悩まされながらも生き残るために荒野を走っていたのですが、武装した集団に拉致され、イモータン・ジョー(ヒュー・キース・バーン)が統治する独裁帝国へと連れて来られます。イキのいい肉体は兵士ウォーボーイのための輸血袋として、檻に入れられるマックス。狂信的崇拝者を持つイモータン・ジョーの部下である大隊長フュリオサ(シャーリーズ・セロン)は、製油所へ行くと見せかけて、ジョーの所有物である子産み女5人とともに脱走を図ります。怒りに燃えるジョーは自ら指揮をとる追跡隊で、フュリオサの乗る巨大トレーラー、ウォー・タンクを追います。追跡隊のウォーボーイズのニュークス(ニコラス・ホルト)の輸血袋として車の前に縛り付けられたマックスですが、ウォー・タンクとの追跡中に車が横転し、フュリオサと5人の女たちと合流します。最初はお互いを信用できないでいたのですが、追手から逃れることで目的が一致し、ウォー・タンクに相乗りの逃避行が始まります。フュリオサによれば、東へ行けば緑の地があるはずでした。そして、山岳地帯を抜けて、東へと向かうウォー・タンク。果たして、マックス達は、イモータン・ジョーから無事に逃げ切ることができるのでしょうか。

メル・ギブソンの出世作となった「マッド・マックス」は、2本の続編を産みましたが、今回はその1作目から36年ぶりのリメイクとして登場しました。しかも、第1作を監督したジョージ・ミラーが自ら再度メガホンを取りました。彼は、ブレンダン・マッカーシー、ニコ・ラソウリスと共に脚本も書いています。リメイクの対象となったのは、1作目ではなく、2作目の「マッド・マックス2」の方でして、砂漠地帯を舞台に重量級のカーチェイスの見せ場をふんだんに盛り込んだ、力技の一編となっています。

とにかく、映画としては、セリフ少な目で、ドラマ展開はアクションで描かれ、シーンのほとんどが追跡シーンという見せ場だけつなげた映画になっていまして、これで2時間持たせてしまうジョージ・ミラーのパワーは只事ではないと感心してしまいました。「マッド・マックス2」で、近未来の暴走族をパワフルに描いたミラーですが、今回は、老若男女を統括する帝国の王、イモータン・ジョーという敵役を設定し、こいつの追跡をどう逃れるかというところをアクションシーンで延々と見せてくれて、しかもダレないところがすごい。追跡者を鼓舞するため、太鼓隊とギター奏者を括り付けたトレーラーが率いる追跡部隊、ダサかっこ良さがすごい。オーバー・デコレートされた改造車たちは、馬鹿馬鹿しいのを通り越して、これならありかもしれないって思わせる説得力がありました。地球は汚染されていて、ウォーボーイと呼ばれる白塗り兵士たちは、あまり先が長くないようで、崇め奉るイモータン・ジョーのために死ぬことを名誉に思っている皆さんですが、その忠義ぶりにはそれなりのポリシーを感じて、かっこいいとも思えてしまいました。「スター・ウォーズ」のような枝葉末節の情報量で、興味を引く姑息なマネはしてなくて、とにかく、一本筋の通った世界観を作り出しているところは見事でした。皮膚病の老人でしかないイモータン・ジョーが多くの臣民や兵士から熱狂的に支持されているという図にも納得させられるところがあり、お金をかけた丁寧な作りこみがドラマの世界観の統一に大きく貢献しています。

このジョーの帝国の外には、また別の勢力がいるわけで、いわゆる群雄割拠の戦国時代の様相を帯びているのですよ。そして、価値があるのは油と水です。その二つを押さえたものが権力を持つというわけです。そんな帝国の大隊長であったフュリオサがイモータン・ジョーを裏切り、彼の子供を産むために囲われていた子産み女5人とともに帝国から脱走したのです。これには、ジョーも逆上、自ら軍団を率いてウォー・タンクを追跡します。そこから先は徹底した追跡劇でして、派手なスタントシーンの連続となります。CGもかなり使われているようですが、カースタントの部分は実際に走らせてやっているようで、カンフー映画のような短いカット割りで展開するカーバトルの迫力はかなりのものですし、片腕で、ウォー・タンクを操るフュリオサがかっこいいこと。

で、マックスは? と言うと、役に立つ助っ人くらいのポジションでして、それほど頼りになりそうな感じもしないし、ホントにこれは「マッド・マックス」の映画なのかというくらい、かっこよくないのですよ。トム・ハーディという役者さんは、色々な映画に出ているいわゆる演技派俳優さんらしいのですが、この映画の中では、感情移入できるキャラにはなっておらず、かといって、ドラマを回すポジションでもないので、何だか影が薄い感じ。若い女の子(子産み女のみなさんのこと)を助けるっていうポジションとしても、いいところをウォーボーイズから寝返ったニュークスにさらわれちゃうので、何だか居心地悪そうなんですよね。これは狙ってやってるのかなあ。ニヒルなアウトローだけどヒーローの一面も持つマックスという役どころには、トム・ハーディはカリスマ性が不足しているように思いました。助けられたなかった少女がトラウマになっていて、その霊に悩まされるマックスという、人間臭いキャラを狙ったのなら、それはそれで機能していると思うのですが、そんなヤワなキャラでは、フュリオサより見劣りしちゃうし、他のキャラの強い悪役の皆様からも霞んでしまったように思いました。冒頭のマックスのナレーションが、余計目に彼のキャラを矮小化しちゃったような気がします。配給側の都合で、主人公のモノローグを後から入れた「ブレードランナー」と同じような感じになっちゃっています。「マッド・マックス2」ではラストで、マックスは伝説になるのですが、この映画ではそういうこともありませんでしたし。(伝説になるのは、フュリオサの方だね、きっと)

とはいえ、さぞかし撮影はハードだったんだろうなあって思うカットの連続でして、撮影のジョン・シール(カメラオペレータも兼任)はさぞ大変だったんではないかしら。それともスタントシーンは別班カメラマンがやっているのかな。パンフレットを読むと、砂漠地帯に1000人の撮影隊で臨んだというからすごい。一方、音楽はトム・ホルケンボルフが担当し、オケやコーラスに盛大なパーカッション部隊をつけて、スケールの大きな音楽を鳴らしています。でも、アクションシーンにヒロイックな音楽を入れられるとちょっと違うぞという気もしちゃいました。ないものねだりになるのですが、オリジナルの「マッド・マックス1&2」に音楽を提供したブライアン・メイ(故人)がやってくれたらなあって思っちゃいました。メイの音楽は、バイオレンスに特化したような吠えるようなオーケストラサウンドで、それが荒涼とした舞台に大変マッチしていましたもの。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



東へ逃げ延びたマックスたちは、かつてフュリオサのいた部族と遭遇します。しかし、緑の地は汚染されて既に存在せず、部族も女性が数人生き残っているのみでした。絶望して慟哭するフュリオサ。しかし、その先の塩の湖の向こうに何かがあるかもしれないと、生き残りの女性たちと一緒に旅立つことにします。マックスはそんな彼女たちを止め、イモータン・ジョーのいる砦に戻るほうが、まだ生き延びる可能性があると説きます。そして、ウォー・タンクに乗り込んだ、子産み女と生き残り部族おばちゃんの皆さんは今来た道を引き返して突っ走るのですが、当然のごとく、イモータン・ジョーの軍団が襲い掛かり、おばちゃん軍団も善戦するものの次々とやられていきます。最後、イモータン・ジョーの乗った車の上で、フュリオサがジョーに止めを刺します。そして、生き残った連中は、ジョーの車に乗り移り、そして、最後に残ったニュークスがウォー・タンクを横転させて自爆し、後続の追跡車を阻止します。イモータン・ジョーの死体を連れて砦に戻ったフュリオサは、次のリーダーとして皆に認められ、そして、マックスは静かにその場を去り、一人で旅立っていくのでした。

クライマックスはカーチェイスよりも肉弾戦メインになりまして、それまでとは違うパターンのアクションで楽しませてくれます。棒の上につかまって、棒高跳びの要領で攻撃してくる皆さんがかっこよく、迫力ある殺陣が見事でしたが、ここでも、マックスがそれほど活躍しているように見えないのが残念。むしろおばちゃん軍団の健気な奮闘や、腹をくくったニュークスの自爆シーンの方が印象に残ってしまいました。そんなわけで、ヘビーなカーチェイスとアクションで2時間を目一杯楽しませてくれる映画に仕上がっていますが、そんな中で、唯一マックスがぱっとしないという変な映画でもありました。

フュリオサの片腕のシーンはCGによるものでしょうが、こういう絵が自然に見えちゃうように作れるんだなあって感心しちゃいます。「君と歩く世界」でも両足のないヒロインを自然に見せてましたし、CGでなんでもできちゃうような見せ方をするのは、それはそれでどうかなって気もしちゃいます。「アベンジャーズ」の予告編なんて見ても、どうせアクションは全部CGなんでしょ?って思えて、ちっとも食指が動かないのですよ。
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「アリスのままで」は若年性アルツハイマー病の進行を淡々と見せる映画。


今回は、「アリスのままで」を川崎の109シネマズ川崎6で観てきました。最近、パンフレットを買うときに、ブツを見せて「これでお間違いないですか」って聞いてくるんですが、初対面のパンフが正しいかどうかはわからないのにね。「初対面なのでちょっと」って言い返したら、売り子のお兄さんにさもありなんという顔をされました。同じこと思ってるけど、マニュアルで言わされてるんだなあ、きっと。

世界的な言語学者であるアリス(ジュリアン・ムーア)は、ニューヨークで50歳の誕生日を迎えました。夫の医師ジョン(アレック・ボールドウィン)と、結婚している長女アナ(ケイト・ボスワース)、学生の長男トム(ハンター・パリッシュ)が誕生日を祝ってくれましたが、一方でロスで売れない女優をしている次女のリディア(クリスティン・スチュワート)は、アリスの心配の種でもありました。ある日、アリスは、講義中に言葉が浮かばず立ち往生したり、ジョギング中に自分のいるところがわからなくなってしまい、神経科を訪れると、何と若年性アルツハイマーと言われて大ショック。自分の全てが失われていく恐怖にさいなまれるアリスは夜中に泣き出して、夫のジョンに慰められるのですが、それでも不安は消えません。さらに悪いことに彼女のアルツハイマー病は、家族性で、50%の確率で遺伝するのでした。症状は進み、彼女の大学の講義は、散漫でやる気がないと評価されてしまい、大学にも病気のことを申告せざるを得なくなります。アリスは、認知症介護の会議でスピーチをするように主治医から勧められ、登壇して、今の自分の気持ちを話します。「自分は闘っているのだ」と宣言し、その場にいた人たちを感動させるのでしたが、病魔は彼女から彼女であることを奪っていくのでした。



今回は結末まで一気に書いてますので、ご注意ください。



リサ・ジェノヴァの原作を、「ハードコア・デイズ」のリチャード・グラッツァーとウォッシュ・ウェストモアランドのコンビが脚色してメガホンもとりました。グラッツァーはこの映画の制作時には筋萎縮性側索硬化症を患っていて、完成後に亡くなったのだそうです。主演のジュリアン・ムーアはこの作品でアカデミー主演女優賞を受賞し、さらにはゴールデン・グローブ賞や英国アカデミー賞も受賞したというから、すごい。博学で社会的地位もあるヒロインにある日突然訪れる病魔、それに闘いを挑んでいく、彼女とその家族たち、とかいうお話ではないのかなと思っていたのですが、いざスクリーンに向かってみると、これが非常にクールでシビアな映画な仕上がっていたのが意外でした。難病ものの定番部分をあっさりと流して、ヒロインのアルツハイマー病の進行を淡々と見せていくという内容になっていまして、愁嘆場がほとんどない作りになっています。

プログラムによると、この若年性アルツハイマー病というのは、老年期のそれにくらべて進行が速いのだそうです。さらに、日本だと若年性認知症患者の3割がアルツハイマー病なんですって。へえ、若年性認知症の7割はアルツハイマーではないんだってのが発見でした。まだまだ認知症のことを知らないんだなあ、自分。この先、独居老人になる予定の私には他人事では済まされないのですが、認知症のことは勉強しておく必要があるようです。

原題の「STILL ALICE」は「アリスであり続けること」というくらいの意味になるのでしょうか。アルツハイマー病が進行しても、アリスはアリスであり続けることはできるのか。映画はそこのところを明確には見せませんでした。病気の進行に伴い、アリスは調子のよい日より悪い日の方が多くなり、意識がはっきりしない状態になってきます。夫のジョンは、そんなアリスに付き添いますが、医師の仕事でミネソタに行きたいと言い出します。このジョンという夫は、アリスのことを大事に考えている一方で、仕事を優先する傾向があり、時には「二人で旅をしよう」なんてやさしいことを言う一方で、アリスの言うことを話半分にしか聞いていないところもあります。決して、妻を軽んじてるわけではないけれど、仕事に対する情熱も隠せない夫を、アレック・ボールドウィンがリアルに演じていまして、そのリアリティを淡々と見せるところにこの映画の味わいがあります。

病状が悪化すると、ジョンとアナは、完全看護の施設に入れようかと相談したりもします。この映画の中にもアルツハイマー病患者の施設が登場します。アリスが自分のために下見に行くシーンがあるのですが、そこでは、まず患者の安全を第一に考えた措置が取られていて、預ける方からすると安心できるのですが、その分、完全に管理された患者は、自由な行動を制限されているようにも見えます。この施設や、仕事重視の夫の描き方を決して悪役のようにしていないところにこの映画のうまさを感じます。全てが完全な人間や施設なんてありっこない、いいところもあれば、そこはどうなのって思うところもある、そんな両面を丁寧に描くことで、ドラマにリアリティが出ました。

ヒロインのアリスの病状は、ジュリアン・ムーアの演技だけで描かれます。言葉に詰まったり、同じことを何度も聞き返したり、約束したことを忘れていたり。そして、それを指摘されると「ごめんね、病気のせいだから」と軽く流してしまうので、相手の方は、ちょっとむっとしたりするシーンが生々しくて説得力がありました。初期の頃は見た目も言動も普通の人と変わらないで、行動にチョンボが目立つというレベルなので、なかなか当人以外が彼女の病気を実感するのが難しいようなのです。そのうちに行動は言動が失われていき、いわゆるボケの状態になってしまうと、一見して病気だとわかるのですが、この初期の部分で、アルツハイマー病患者への無理解や差別が生まれる可能性があるなってことがわかって、一つ勉強になりました。

リアルな展開の中で、唯一のドラマティックな要素は、女優志望の次女リディアの存在でした。堅実な人生を送っている姉兄と違って、大学へも行かず売れない役者業を続けています。そんなリディアが、ロスからニューヨークへ引っ越してきて、母アリスの面倒をみると言い出します。ジョンは仕事を優先してニューヨークを去り、リディアがアリスの面倒を引き受けることになります。リディアがアリスに本を読むと、それを聞いているのか聞いてないのかも表情からわからないアリスに向かい、「この話、どうだった? 気に入った?」と尋ねるリディア、それに答えないアリスの表情のアップから暗転、エンドクレジット。

アリスは最後まで、アリスとして扱われます。それが、即ち「アリスであること」と同じなのかどうかは、私にはちょっと違うとも感じられました。ただ、彼女にとって幸運だったのは、彼女を「アリスとして」扱ってくれる家族がいたということは確かなようです。病院に入って、患者の一人として、ある意味記号化されてしまうことが避けられたという言い方はえげつないかな。でも、病院に入ってもアリスであり続けることができるのかって考えると、「うーん、どっかなー?」って気になります。だからと言って、末期のアルツハイマーを家族で面倒みるべきだというつもりはありません。だって、精神的にも経済的にも大変なことですもの。それだけに、このラストはある意味、理想を描いたファンタジーなのかもしれないって気がしてきました。でも、それを感動的に描かなかったのは、そうはうまく行かない現実がたくさんあり、悩んだり苦しんでる人がいて、そういう人たちへの偏見につながることを避けたのだと解釈しました。この映画、実際のところ、ほとんどドラマ的な要素がありません。ただ、アリスが若年性アルツハイマー病にかかって、それが進行していく様子をエピソードを連ねる手法で描いたものです。ですから、構成的には、ドキュメンタリーに近いものがあります。ナレーションのないドキュメンタリーを見せられたという感じでしょうか。ドラマとしてどうこうと言うよりも、若年性アルツハイマー病への興味や理解を啓蒙する映画として、その存在価値が大きいと感じました。

「海街diary」の日本的な心地よさは一見の価値があるかも


今回は珍しく邦画「海町diary」を川崎のTOHOシネマズ川崎7で観てきました。まあ、きれいどころの揃った四姉妹は見ているだけで眼福でございました。個人的には夏帆推しなんですけどね。(←誰も聞いてない)

鎌倉の古いけど結構大きな一軒家には、それはきれいな三姉妹が住んでおりました。長女の幸(綾瀬はるか)は看護師で、妻帯者の医師と交際中。信用金庫に勤める次女の佳乃(長澤まさみ)は学生の彼氏がいます。三女の千佳(夏帆)はスポーツ用品店で働いています。そんな3人に父親が山形で亡くなったと知らせが入ります。葬式に向かった3人を出迎えたのは、腹違いの妹すず(広瀬すず)でした。父親の2番目の妻との間の子供で、今の母親とは血がつながってませんでした。そんな居場所のないすずに、幸が「一緒に住まない」と声をかけて、すずは鎌倉の家に引っ越してきます。最初はちょっとよそよそしい感じもあったすずですが、すぐに3人の姉にもなじんで、学校やサッカークラブで友達もできて、元気になっていきます。そんな間にも、佳乃と彼氏の関係は終わっちゃうし、一方で幸とお医者さんはなかなか進展しません。近所の食堂のおばちゃん(風吹ジュン)とか、突然姿を現した三姉妹の母親(大竹しのぶ)のエピソードを交えながら、鎌倉の時間はゆったりと流れていくのでした。

吉田秋生の原作漫画を、「誰も知らない」「空気人形」の是枝裕和が脚色し、メガホンを取りました。カンヌ映画祭に正式出品されましたが、特に賞はとれなかったようです。どういう映画なのかなって思ったのですが、観てみれば、ドラマチックな展開もなく、静かなエピソードが淡々と流れていく、ほっこり風味の2時間は、タイトルのダイアリーにふさわしい、鎌倉のスケッチになっています。主演4人も感情を露骨に出さない演技で、喜怒哀楽の応酬を期待すると、「なんか演技薄くない?」って気分になりますが、それは、正しい人間が存在しないすごく居心地のいい空間だと気づくと、この映画の良さが見えてきます。

長女の幸は、しっかりもののお姉さんですが、でも、自分の正しさを主張しません。自分の気持ちを強く前に出すことも少なくて、一家のリーダーという感じではありません。次女の佳乃はしっかりものの姉と対立することもありますが、それはあくまで口ケンカのレベルに抑えられています。正面切って姉にぶつかることはしません。三女の千佳は、マイペースで姉二人を距離をおいて眺めているところもある一方で、二人にうまい緩衝材になっています。そんなうまくバランスのとれた三姉妹のところに入り込むすずですが、最初は他人行儀というか、どこか引け目を感じておとなしい態度です。それがすごく健気に見えるのですね。連れ子ということで肩身の狭い思いもしてきたはずなんですが、そういう過去を一切見せず、元気に振る舞うすずは、出来過ぎないい子ということもできるのですが、それが嫌味にならないで、許容できてしまうところに、是枝監督のうまさが感じられました。

いわゆるホームドラマのような、本音をぶつけあうようなシーンはありませんで、家族だけどほどほどの距離感を置いた関係が静かに展開していきます。でも、そのほどほど感に、私はリアリティを感じました。テレビのホームドラマの本音を言い合う関係に暑苦しさを感じてきた私には、そうだよなあ、このくらいがちょうどいい温度だよなあって。言わんでもいいことを言うおばさん(樹木希林)とか、どっか間の悪い言動の母親とかが、いい空気に割り込んでくるところもありますが、それでも事が荒立つことはない人間関係のリアリティは、日本人特有の「しょうがない」という諦観につながっているところもありますが、しぶとい人間関係という見方をすれば、各個々人のタフさということもできましょう。何というか、美点とも違うのですが、日本人の特有な人間関係を描いているという意味では、すごく日本的な映画ではないかしら。

この映画は父親の葬式で始まり、食堂のおばさんの葬式で終わります。また、幸がターミナルサービスの看護師(昔で言うとホスピスのことらしいです。最後を看取るというサービス)になるというエピソードもありまして、死というものが生活の中で近しい関係にあるように描かれています。四姉妹が仏壇に手を合わせるシーンが何度も登場します。死は悲しむべきものだけど、ずっとそれにとらわれていてはいけない、でも特別なものだ、ということを看護師の幸が語るシーンがあります。死との距離感を看護師の口から語らせているのですが、それが普遍的な死生観になっているのが面白いと思いました。この四姉妹は、各々の生活を持ち、しんどいことや悲しいこともあるのですが、それらに一定の距離感をもって生きているように見えます。色々なことにクールになりすぎない、温もりを残した距離感になっているのが、この映画の居心地のよさの一因になっていると思いました。いい映画なのかどうかはわかりませんが、この映画の心地よさは一見に値すると思います。大きな波風を立てない普通の一日一日を積み重ねていくことで、人生は出来上がっているのだという見せ方には、穏やかだけど力強い何かがあると思うからです。

主演の4姉妹は、みなドラマチックな演技を控えて、日々の生活感を出すことに成功していきます。真面目な長女を演じた綾瀬はるかが一番難しい演技を要求されているように見えましたが、幸の強さや弱さを穏やかな演技で見せ切っていて見事でした。また、その存在感だけで、ドラマの中の台風の目のような位置づけになった夏帆のうまさも光っていたように思います。長澤まさみは、綾瀬はるかとの対照的な生き方をしているようで、でもよく似てる次女を堅実に演じ、末っ子の広瀬すずは、そのかわいさが演技ではなく、彼女自身と重なっているように見えたのが、儲け役とは言え、印象的でした。

菅野よう子の音楽は、出過ぎずにここというところだけ鳴るという控えめな使われ方をしているのですが、それがストリングスを鳴らす、ちょっと甘めの音のなっていたのには、残念ながら違和感を感じてしまいました。監督の要請があったのか、その音は、明らかにエンニオ・モリコーネのタッチになっていまして、音楽自身は大変美しいのですが、ヒロインたちが身の丈感覚で演じるドラマとはどこか乖離しているように感じられました。これは個人の感じ方、言い換えると好みの問題なのですが、私としては、モリコーネよりも、「おみおくりの作法」「サイダー・ハウス・ルール」のレイチェル・ポートマンの音の方がこの映画にはふさわしいと思った次第です。(←感想なんだから、好みを書いてもいいですよね。)

「しあわせはどこにある」はむずかしいこと考えずに素直に見てほっこりする映画かしら


今回は、新作の「しあわせはどこにある」を川崎の109シネマズ川崎9で観てきました。つかみどころのない映画の割に、結構お客さんが入っているのが意外でした。

精神科医のヘクター(サイモン・ペッグ)は、製薬会社に勤める恋人クララ(ロザムンド・パイク)といい関係で、仕事もそれなりに順調でした。ところが、自分の患者がちっとも幸せそうじゃないのはなぜだろうと思い至ってしまいます。それは自分が幸せとは何かわかっていないからではないかということで、幸せとは何かを探すための旅に出ようということになります。手元には、クララからのプレゼントの手帳が一つ、これに幸せについて学んだことを書き留めていくことになります。最初に向かったのは中国、ビジネスクラスの席で隣り合わせた金持ちビジネスマン、エドワード(ステラン・スカルスゲルド)と知り合いになり、彼のおごりで中国での贅沢な夜を満喫します。そこで知り合ったパーティガール、イン・リー(ミン・チャオ)といい感じになるのですが、翌日、彼女はエドワードの金で動いていたことを知って、大ショック。それでもめげずに向かった先はアフリカ。大学時代の友人はそこで医師をやっていたのでした。政情不安なところで、乗ったタクシーが過激派の襲撃に遭い、乗り合わせていたヘクターは拉致されてしまい、生命の危機となってしまいます。偶然知り合いになった麻薬業界の大ボス、ディエゴ(ジャン・レノ)のペンを持っていたおかげで、解放されるのですが、ヘクターは精神疾患のディエゴの妻の処方箋を見てアドバイスをしてやっていたのでした。そして、向かったのはかつての恋人アグネス(トニ・コレット)のいるロスアンジェルス。彼女は3人目を妊娠中の人妻で幸せそうでした。幸福関係で有名なコアマン教授(クリストファー・プラマー)の研究室で、感情の変化に伴う脳の変化のテストを受けることになっちゃうのですが、そこに、旅に出てから関係がぎくしゃくしていたクララから電話がかかってくるのでした。

精神科医フランソワ・ルロールの原作「幸福はどこにある_精神科医ヘクトールの旅」を、マリア・フォン・ヘランド、ティンカー・リンジー、そして「ヒア・マイ・ソング」「マイ・フレンド・メモリー」のピーター・チェルソムが共同で脚本化し、チェルソムがメガホンをとりました。まあ、一言で言えば「しあわせって何?」を問う映画でございます。ちょっと前に記録映画で「happy しあわせを探すあなたへ」というのが、幸せってのはどういうものかといういくつかの例を示していましたが、この映画では、幸せの定義よりは、どうすりゃ人は幸せになれるのかなって方向へ話が向かっていきます。

ヘクターは、大きな家に住む精神科医ですから、金銭的には成功者なのでしょう。魅力的な恋人クララとの関係も良好。でも、結婚には当分行きそうもないという関係らしいです。精神科医としては、患者の言葉を反復したり質問で返したりという教科書どおりの対応をして、そこそこうまくやってます。そんな彼が自分の患者が自分を不幸だと思い込んでいるのは、どうしてなのかなあって気になってきちゃいました。彼らを幸せにするためのサジェスチョンをできない自分にもその疑問が向かって、自分がそもそも幸せってどんなものかをよく知らないってことに気付いてしまうのでした。そこで、彼は「幸せ探し」の旅に出ることになります。疲れたキャリアウーマンの「自分探し」みたいですけど、ヘクターとしては大真面目に「幸せとは何だろなあ」の旅に出発しちゃうのですよ、これが。

中国へ行ったヘクターは、エドワードという金持ちビジネスマンから、お金のあることは幸せの一つだと学びます。でも、エドワードとしては、もっとお金をもうけたい、それを続けること、リタイアしないことが幸せだと言います。金持ちが言うと何だかいやらしくも聞こえますが、要は「生涯現役」ってことですから、それほどはずれてない、というか結構いいこと言ってます。その後、向かった山の中の寺院の老僧に聞くと何やら禅問答みたいなことになりますが、少なくとも、不幸を避けることが幸せではないということになります。ふーん、そうですか。幸せの定義の中に「不幸じゃないこと」も入ってると思ってる私としては、このあたりはふーんでスルーしちゃったのですが、幸せの定義の仕方で、幸せじゃないものを一つずつ除いていくと最後に残るのが幸せだというのもありかなって、私は思ってます。

アフリカに渡ってからは、生きてることを実感できることも幸せだと、ヘクターは悟ることになります。そういうことをいちいち手帳に書き留めていくという展開で、その内容は画面上でも文字表示されます。なるほど、旅の経過にしたがって、ヘクターの幸福のウンチクはだんだんと増えていくことになります。それと並行して、クララとの関係がだんだんとおかしくなってきます。何事も完璧を当たり前とするクララとの生活では、ヘクターはまるで子供扱いされていたのですが、そのことにヘクターが電話で文句を言ってしまったり、クララもヘクターに憎まれ口を叩いたり、お互いが距離を置いてしまったことが、変化となって、相手のやなところが見えてきてしまったようなのです。ヘクターは、この映画の中で、何度も少年の姿になって登場します。それは、ヘクターの中の子供の心が消えていないということを示すとともに、まだ人間としては不十分だということを表しています。まあ、幸せは何かを探す旅に出るなんて、いい大人のすることではありませんから、ヘクターってまだ子供ってのは納得できます。でも、いい大人がそんなばかげた旅に出ることで、子供にはできない体験をして、大人ならではの発見ができるってところにこの映画の面白さがあります。

演技陣に意外と濃いメンツをそろえて、ドラマとしてのメリハリがつきました。クリストファー・プラマーの元気なじいちゃんぶりが楽しかったですし、トニ・コレットはどんな役でもうまくこなすなあって感心、ステラン・スカルスゲルドもどんなジャンルの映画にも溶け込むなあってこれまた感心。ロザムンド・パイクは「ゴーン・ガール」で新分野を開拓しましたけど、こういうコメディの似合う女優さんだなって再確認。ピーター・チェルソムは、ドラマ性の少ない映画での雰囲気作りがうまい人だと思ってますけど、こういう物語のメリハリが強い映画だと、若干彼らしさが薄れてしまったような気もしますが、細かい作りこみをして、ドラマにライトな味わいを加えるのに成功しています。



この先、結末に触れますのでご注意ください。



クララは、ヘクターのタンスの中に、大学時代の友人マイケルとアグネスと映った写真を見つけて、このアグネスにまだ未練があって、ロスに遭いに行ったのだと思って「キィーッ」とジェラシー状態。実際のところ、ヘクターにもそういう気持ちがあったのですが、アグネスに、現実を見ろと諭されてしまいます。脳の中の感情がわかる装置に入ったヘクターのところにクララから電話がかかってきます。そして、電話で自分の気持ちを伝えて仲直り、すると、彼の脳の中にさまざまな感情が溢れてきて、脳がすごく活性化された状態になります。恐れや怒りや喜びが彼の心を満たしていくとき、彼は最高の幸せ気分を味わっていたのでした。そして、ヘクターはロンドンへと戻って、二人は結婚するのでした。めでたしめでたし。

ラストで、中国の老僧とスカイプで会話するのですが、そこで出た結論は「人はみな幸せになる義務がある」ですって。義務っていうのも面倒くさい気がしますが、「誰でも幸せになれる」以上の真実がそれなんだそうです。ともあれ、幸せになるってのは、どういうことかってことが彼の手帳には書き留められているのですが、それを見ても、幸せの定義は色々、幸せの感じ方もまた十人十色というところに落ち着くのは、なかなかいい感じの結末になっています。でも、ヘクターとクララがこの先どうなるのかは、まだわからないぞって感じがしまして、幸せはずっと続くものでもなさそう。まあ、生きるのにかつかつとしていると、幸せかどうかなんて感じる余裕はありませんから、幸せ探しは、衣食足りた人の贅沢な趣味になるのでしょうね。誰かに面と向かって「あなたは幸せですか」って聞かれたら、「はい、もちろん」と答えるのも気恥ずかしいけど、「いいえ、いいことなんか何もない」っていうのも正直でないような後ろめたさを感じてしまう。多くの人は、その間あたりにいるのだろうなって私は思っています。むしろ、「はい、もちろん」「いいえ、全然」と答えちゃう人は、何か危ういものを抱えているような気がしちゃいます。(幸せ一杯の人、ごめんなさい)

「エレファント・ソング」はミステリーで始まり、別の顔のミステリーに収束します。


今回は新作の「エレファント・ソング」を川崎のチネチッタ2で観てきました。いつも感心するのがここのスタッフはきちんとしているってこと。バイト臭さを一切感じさせない、正社員っぽい感じで通じますかしら。本当にバイトはいないのかな。

クリスマス前日の精神病院で、医師が失踪します。そのローレンス医師(コルム・フィオール)が最後に診察していた患者マイケル(グザヴィエ・ドラン)に、院長のグリーン(ブルース・グリーンウッド)が面談することになります。看護婦長のピーターソン(キャサリン・キーナー)は、あまり面談には乗り気ではなさそうです。グリーンは老眼鏡を忘れたことで、マイケルのカルテに目を通さないまま、失踪した医師の部屋で、マイケルと面談することになります。マイケルは、グリーンの質問をはぐらかすばかりで、なかなか失踪した医師のことを話し出しません。象のことばかり話したり、ピーターソンをバイタ呼ばわりして、グリーンをいらだたせるばかり。そんな中で、彼は3つの条件を出してきます、失踪した医師のことを聞きたければ、自分のファイルを一切読まないこと、報酬にチョコレートをくれること、この件からピーターソン婦長をはずすこと。よくわけがわからないまま、その条件を飲むグリーン。実は、その病院では、医師が患者の写真を撮って楽しんでいたというスキャンダルがあったばかりで、とにかく事態の収拾を図りたいという事情がありました。ところが、マイケルが示した、引き出しを開けてみれば、そこから出てきたのはマイケルの裸の写真、ローレンス医師は、やっぱり変態悪徳医だったのでしょうか。

ニコラス・ビヨンの戯曲を、ビヨン自身が映画用に脚色し、カナダ出身でテレビでの実績が多いシャルル・ビナメがメガホンを取りました。プログラムによると、マイケルを演じたグザヴィエ・ドランが売りのようです。私には初めての名前ですが、若くして映画を監督し、世界の映画祭で認められている人のようで、ケッタイなスクリーンサイズの新作映画「マミー」でも評価の高いいわゆる才人。その上、二枚目だから、女性受けはすごくいいのではないかしら。

映画の冒頭は、ミステリータッチです。失踪した精神科医とその謎の鍵を握っていると思われる患者。その患者と面談する院長は、患者のことをまるで知りません。老眼鏡がなくて、患者のカルテも読めない。そして、そのカルテを読んでいないことが後半の伏線となっているのです。ただ、アバンタイトルで、オペラ歌手である母親から阻害されている少年が登場するので、生い立ちに難ありらしいことは伝わってきます。人をからかっているようで、その実は、かまってちゃんキャラが見え隠れしていまして、そこはどこか子供みたい。でも、頭はいいみたいで、言葉の端々から、頭の回転のよさが伝わってきます。ドランが演じるマイケルは、得体の知れない若者ではあるのですが、医師を殺すようなサイコという感じはしません。まあ、これで実は猟奇殺人犯だったら、意外性のある展開となりますが、それは後述。ともあれ、第一印象はどっかヤンチャ坊やみたいなマイケルなんですが、人の揚げ足取るような言動ばかりするので、グリーンすっかりおこ。一方、ピーターソンは廊下から部屋の前をずっと窺っていて、何だか過剰に心配してないか。

ドラマの背景として、グリーンとピーターソンは元夫婦で、娘がいたのですが、ピーターソンと娘が湖に出かけたとき、事故に遭い、娘は亡くなり離婚していました。その後、グリーンはオリビア(キャリー・アン・モス)と再婚していたのですが、夫婦仲はあまりよくないという状況でした。グリーンとピーターソンが一度子供を亡くしているというのもドラマの伏線となっていまして、その先の展開に影を落としています。

ミステリーとしての展開は、この後、失踪したローレンス医師が、患者に性的いたずらをする変態医師ではないかという疑いが出てきます。果たして、マイケルの言うことはどこまで本当で、どこからがウソなのか、映画的には一応の白黒をつけてくれるのですが、疑う気になると、結局マイケル全部ウソついてるんとちがうかという疑問も出てくる展開になっています。このあたりは最終的に決着は観客がつけることになるのかもしれません。ただ、素直に観ているぶんには、腑に落ちる結末と言えますから、あまり疑い過ぎない鑑賞をオススメします。

演技陣はみな素晴らしく、その中では、キャラ作り過ぎたグザヴィエ・ドランが一番見劣りするくらいですから、かなりのレベルなのではないかしら。特にラストでちょっとだけ登場するコルム・フィオーレが素晴らしく、彼の演技のおかげで、ドラマに説得力のある結末がついたと言えましょう。タイトルトップのブルース・グリーンウッドが貫禄の名演を見せ、キャスリーン・キーナーの演技が、ラストで伏線を全て回収するあたりが見事でした。

さて、この映画が落ち着く先はミステリーなのか、サイコスリラーなのか、はたまた愛情に飢えた男の子の物語なのか、これは観る人によって感じ方が違うところだと思いますが、ラストの余韻は、ちょっとだけホロリとさせてくれますので、そんな感じの映画なのかなくらいにお考えください。シャルル・ビナメの演出は、役者の演技重視の演出をしていまして、その分、演者の自由度の高い映画のように思いました。特に伏線を一気に刈り取るクライマックスの演出は、舞台劇を観るような、密度の濃い演技合戦となっています。もろ手を挙げて、この映画を傑作とは呼べないのですが、それでも、見事な演技陣による、密度の濃い小品として、記憶するに値する映画となっています。




この先は結末に触れますのでご注意ください。




ローレンス医師は変態悪徳医ではありませんでしたが、本気でマイケルを愛していたのでした、ただしプラトニックに。そんなローレンスにマイケルは自分の写真を贈りました。マイケルが象の話にこだわったのは、彼が幼い頃一度だけ会った父親がハンターで、彼の目の前で象を撃ち殺したのです。そのことが、彼のトラウマになっていたようなのです。オペラ歌手の母親は服毒自殺をしたのですが、そのとき、死に行く母親をそのまま看取っていたのでした。彼は、グリーンに自分の過去やローレンスとの関係を告白します。マイケルは父親にも母親にも愛されることがなく、初めて自分を愛してくれたローレンス医師は自分に触れることもなかった、その孤独と闘い続けてきたのでした。そして、グリーンに、隠してあったローレンス医師の書置きのメモを渡します。ローレンスは、彼の姉が心筋梗塞で倒れたという知らせを受けて、姉のもとへと向かったので、失踪でも何でもなかったのです。グリーンがローレンスに電話すると、彼は無事で、姉も一命を取り留めたとのことでした。全てがわかったことで、グリーンはクリスマスプレゼント用に職員に渡していたチョコレートの箱をマイケルに渡します。その中からチョコレートを食べ始めるマイケル、何かおかしいと察して部屋に入ってくるアンダーソン。実は、マイケルはナッツアレルギーだったのです。ショック状態となるマイケルをなんとか蘇生させようとするグリーンとアンダーソンですが、マイケルは息を引き取ります。泣いて許しを請うグリーンとアンダーソン。アンダーソンはこのことこそを怖れていたのでした。この事件の審問を受けた後、グリーンは職を辞し、アンダーソンもショックから休職することになります。雪の中のベンチで寄りそうグリーンとアンダーソンの引きの絵から暗転、エンドクレジット。

ラストでは、グリーンはオリビアとは離婚していたのでしょう。かつて娘を失ったグリーンとアンダーソンが、マイケルの死をきっかけにお互いの絆を見直すという結末はホロリとさせるものがあります。医師失踪のミステリーとしては、あっけないオチということになりますが、マイケルはどこから自分の死を意識し始めたのだろうかというところが、全て終わった後の謎として浮き上がってきます。もともと、そういう傾向があったからこそ、アンダーソンはマイケルの行動をマークして、とっとと病室に戻そうとしていたようです。マイケルがどれだけ愛情に飢えていたのかということは、クライマックスまで見えてこないので、ある意味突発的な死ともとれますが、彼が最初にグリーンに提示した3つの条件からわかることは、最初から死を望んでいたということになります。彼のオーバーアクトは、絶望を隠すための芝居だったとすると、ミステリーというよりは、悲劇の様相を帯びてきます。そんな中で、ラストでちょっとだけ登場するローレンスが「彼を本気で愛していた、彼の望む形ではなかったが」という言葉に、物語の全てが集約されてきます。コルム・フィオールが1シーンだけ登場して、マイケルにとっての心の支えであったローレンス医師を説得力のある演技で演じきりました。この人、善玉も変態悪役も演じる人ですが、この映画では、紳士的なゲイの中年男をまっとうな人間として演じてみせて、このドラマの大きな支えになっています。

「誘拐の掟」は殺伐としたお話にキャラの厚みが加わって見応えあり


今回は新作の「誘拐の掟」を桜木町の横浜ブルク9で観てきました。ここは、ポリシーなのかスタッフは若い男の子ばっか。ちょっとノリが軽い感じがなじまないのは、私がオヤジ世代だからなのかな。

無免許の私立探偵マット・スカダー(リーアム・ニーソン)に、断酒サークルの仲間ピーター(ボイド・ホルブルック)の弟ケニー(ダニー・スティーブンス)から、誘拐犯を探して欲しいと依頼を受けます。ケニーは麻薬ディーラーで妻キャリーを誘拐されて、40万ドルの身代金を払ったのですが、妻はレイプされ、さらにバラバラに切り刻まれて戻ってきたというのです。スカダーは最初は断ったものの、ケニーの本心を知り、誘拐犯探しを引き受けることになります。スカダーは死体のあった場所から、誘拐時の状況の聞き込みを行い、犯人が作業服を着てバンで移動しているところまで突き止めます。そして、図書館の新聞ファイルから同様の誘拐事件を探し、レイラという女子学生がやはりバラバラ死体で公園に捨てられていた事件に目をつけます。スカダーの読みとおり、レイラの恋人は麻薬の売人でした。死体の捨てられていた公園の管理人ジョナスが怪しいと目をつけると、彼は恋人のアパートの向かいのビルに住んでいて、レイラを盗撮した写真も見つかります。ジョナスを問い詰めると、彼は、ビデオショップで2人組の男と知り合い、一緒に誘拐に協力したのですが、そのキチガイ殺人鬼ぶりにびびっていたのです。ジョナスは犯人の一人の名前はレイだと告げるとビルの屋上から身を躍らせるのでした。スカダーは他にも麻薬ディーラーが狙われることを予感し、ケニーの知り合いに連絡するように告げます。一方、犯人は、別の麻薬ディーラーの娘に目をつけていました。

ローレンス・ブロックのマット・スカダーシリーズの「獣たちの墓」を「アウト・オブ・サイト」「ゲット・ショーティ」の脚本で知られるスコット・フランクが脚色し、メガホンも取りました。マット・スカダーというとジェフ・ブリッジスがスカダーを演じた「800万の死に様」という映画がたいそう面白かったという記憶があります。今回の敵は女性を誘拐して陵辱して殺すという猟奇殺人犯でして、設定としてはかなり殺伐したものですが、演技陣の好演もあって、見応えのあるサスペンスミステリーに仕上がっています。粗筋だけ言うとサイコスリラー色が濃いのですが、主人公や脇役の丁寧なキャラクター設定のおかげで、厚みのあるミステリーという印象の方が強くなりました。原作では、主人公と娼婦の関係にかなり尺を割いているようなのですが、この映画ではそこはばっさりとカットされて、スカダーの周囲に女っ気はありません。その分、ホームレスの黒人少年TJ(ブライアン・ブラッドリー)との絡みの中から、スカダーのキャラクターが浮き上がってくる展開になっていて、リーアム・ニーソンの役どころも、ジャウム・コレット・セラ監督と組んだノンストップスリラーとは違う、味のあるキャラクターになっています。

もともとは警官だったスカダーですが、そのころは酒びたりの日々を送っていました。それがある事件をきっかけに警官も酒もやめて、無免許の私立探偵というやくざな家業で稼いでいました。そこへ舞い込んだのが、猟奇誘拐犯を見つけて欲しいという麻薬ディーラーからの依頼。このケニーという麻薬ディーラーは自分では一切麻薬に手を出さず、妻と一緒に足を洗おうとしていた矢先に、妻を惨殺されてしまったのです。ケニーの兄であるピーターはヤク中の貧乏暮らしで、スカダーと同じ断酒サークルに通っていました。この兄弟のどこかねじれた関係がドラマに影を落としているあたりの展開がうまいと思いました。一方で、犯人たちは中盤からはっきり姿を見せてきます。一軒家に男二人で暮らしている様子がどこか尋常でない不気味さで描かれています。中盤で、登場する公園の管理人ジョナスも、アパートの屋上で鳩を飼っていて、屋上の小屋では下手な小説を書いているという、丁寧なキャラクターづけがされていまして、それだけに突発的に自殺してしまうシーンがショッキングです。この映画、登場人物にきちんとキャラ付けをする尺を割いていまして、その分、ドラマとしての見応えが増しています。この内容で、114分という尺にまとめたのは、脚本、監督のフランクのうまさだと思います。犯人像にもそれなりに踏み込んでいて、そこに生身のキチガイの怖さを出すことに成功しています。

内容的には血生臭いハードボイルドではあるのですが、スカダーが意外と情に厚いところがドラマに潤いを与えていまして、ただの殺し合いのドラマにはなっていません。とはいえ、クライマックスはリアル殺し合いの展開になりますから、それなりの腹応えがある映画になっていることはご注意ください。一見、クールに見えるけど、情に厚いスカダー、麻薬ディーラーのくせに妻への愛情はホンモノというダニー。後半で、娘を誘拐されるディーラーも家庭人としてはものすごくまとも、一方で、役に立たない麻薬捜査局など、全ての人間に裏と表の顔を与えて、その落差の部分でドラマを盛り上げていくあたりが大変面白く、ドラマに引き込まれてしまいました。ミステリーの意外性よりも、異常な状況での登場人物の動きをストレートに丁寧に追っていくことで、物語が進むというのがよかったのかしら。

「ヴァージニア」のミハイ・マがラメイアJrの撮影は夜間シーンでうまいところを見せ、奥行きを生かした縦構成の構図が印象的でした。音楽を担当したカルロス・ラファエル・リヴェロは、初めて聞く名前ですが、ドラマを渋く支える音楽を書いていますが、映画音楽作曲家としては、初クレジットのようです。(IMDBによると)



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犯人は麻薬捜査局の関係者のようで、捜査ファイルを使ってディーラーの情報を得ているようです。そして、スカダーの追求から、ロバートがキャリーに横恋慕して、ケニーを麻薬捜査局に売ったことがわかります。そして、その時の麻薬捜査官も、犯人たちに惨殺されていたのでした。誘拐されたディーラーの娘を救うべく、スカダーは自ら犯人との交渉窓口となります。とにかく、人質を殺させないために、生きてる証拠がなければ金は払わないと言い切ります。そして飼っている犬の名前から彼女の生存を確認し、偽札も集めて金を作り、取引場所を墓地と指定します。スカダー、ロバート、ケニーたちが取引現場に乗り込み、金と娘の交換に成功しますが、撃ちあいとなり、犯人の一人が撃たれ、またピーターも銃弾を受けて死亡。TJが犯人の車に隠れていたおかげで、犯人のアジトを確認して、スカダーとケニーが乗り込んでいきます。撃たれた犯人の一人は、相棒であるレイに殺されてしまいます。その後、食事をしているレイの前にスカダーとケニーが乗り込んでいき、手錠でつながれてしまいます。そして、スカダーは犯人をどうするかはケニーに任せる、ただ自分としては当局に引き渡すことを提案します。ケニーはスカダーの提案を拒否、スカダーはTJをタクシーに乗せて、再度現場に戻りますが、犯人レイの姿がありません。地下室へ行ってみるとそこにはケニーの死体があり、現れたレイとスカダーは格闘になります。ぎりぎりのところで、もう一人の犯人の死体のポケットのスタンガンを奪ってレイの動きを止めます。ゆっくり起き上がり「おれはただ...」と言い訳し始めるレイに向かって銃弾を放つスカダー。自分の部屋に帰ると、ソファでTJが眠っていました。そして、ニューヨークに朝がきて、エンドクレジット。

スカダーが警官と酒をやめた原因となった事件をTJに語るシーンがあります。バーで昼から酒を飲んでいると、三人組が入ってきてバーの主人を射殺し、スカダーとも撃ちあいとなります。街中へ出ての銃撃戦となり、3人とも仕留めるのですが、バーに戻ってくると通りがかりの少女の目に流れ弾が直撃して即死していたのでした。スカダーとTJと語るときは印象的なエピソードが散りばめられていて、銃を拾ったTJに、スカダーは、そんなものを持っていると、銃で死ぬことになる、今すぐ、自分を撃て、と言い放ちます。気の毒な境遇であるTJに対して、同情はしないが友人として接するスカダーの態度がいい感じなのですよ。殺伐としたお話で、救いもない結末なのですが、ドラマとしての面白さが映画を観終わった後に満足感が残ります。こういう映画に当たると、得した気分になります。バラバラ死体やレイプとかヤク中が登場するのに直接描写がないせいか、G指定になっているのが、意外でした。

「リピーテッド」はドラマとしては見応えあるのにミステリーサスペンスとしては今一歩


今回は新作の「リピーテッド」を川崎チネチッタ2で観てきました。チネチッタの中で座席数の少ない劇場で、座席の中央とスクリーンの中央がずれていたり、一番前だと画面見上げ過ぎになって画面が観られないなんていう、作り上に難のあるのは困りモノ。

ある朝、目を覚ましたクリスティーン(ニコール・キッドマン)。横には見たことない男がいて、一体何が起こったのかパニック状態。バスルームへ行くとそこには自分と男の写真がいくつも貼られていました。男は、自分はクリスティーンの夫のベン(コリン・ファース)だと名乗ります。そして、クリスティーンは事故に遭って、記憶が1日しか持たない状態にあるというのです。夜に寝て、朝起きるとそれまでの記憶がなくなっている。それが14年も続いているって。クリスティーンびっくりなんですが、記憶がないので、とりあえず目の前の夫と名乗る男の言うことを信じるしかありません。どうやら、こういう自己紹介を14年も毎日続けているらしいのです。そして、ベンが仕事に出かけた後、電話がかかってきて出てみれば医師のナッシュ(マーク・ストロング)と名乗る男で、彼女のことを知っていて、ベンに内緒で診察したいと言います。彼の車でオフィスへ出かけたクリスティーンは、自分は事故ではなく、何物かにボコボコにされて瀕死の状態で発見されたのだということを知ります。さらに、その犯人はまだつかまっていないんですって。ナッシュは、クリスティーンにカメラを渡し、毎日、自分が知ったことを明日の自分への伝言として残すようにと言います。これによって、彼女は毎日同じことの繰り返しからは解放され、また、少しずつ記憶が甦り始めます。まず親友のクレア(アンナ・マリー・ダフ)のことを思い出すのですが、ベンに尋ねても、彼女とは疎遠になってしまったというばかりで、要領を得ません。ひょっとして、ベンは色々なことを隠しているのではないかと、クリスティーンは疑い始めるのですが......。

S・J・ワトソンの原作「わたしが眠りにつく前に」を、イギリスの新鋭ローワン・ジョフィが脚色し、メガホンを取りました。1日しか記憶がもたないヒロインを主人公にしたミステリーです。記憶が限定される主人公というと「メメント」ですとか、「50回目のファーストキス」といった面白い映画がありました。ただ、これは設定としてはかなり特殊でして、その凝った設定を上回る展開がないと、出オチ映画になってしまう恐れがありました。さて、この映画はどうだというと、それは後述。

今回のニコール・キッドマンは40歳の人妻という設定で、年相応のリアルな女性というメイクで登場します。実際、この映画の撮影時期は、45か6の時でしょうからそれでも十分若いのですが、彼女が演じてきた透明感とは違う存在感はこの映画にドラマとしての見応えを与えています。登場人物がクリスティーンとベン、そしてナッシュ医師とクレアしかいないドラマなので、ミステリーの意外性よりは、ドラマの語り口で引っ張る感じになるのですが、ジョフィが脚本と監督を兼任してしまったせいか、ミステリーとしては詰めが甘い感じになってしまったように思いました。少しずつ事実がわかってくるという展開で、要所要所で、彼女の記憶が甦ってくるというシーンが多いのですよ。せめて、何かのきっかけがあって、記憶が戻るという展開にならなかったのかしら。でも、一方で、ドラマとしては、演技陣の力とジョフィの手堅い演出で最後まで面白く観ることができました。何だか言ってることが矛盾しているように見えるかもしれませんが、ミステリーの面白さと、ドラマとしてよくできているかどうかは別物だと考えていまして、ヒロインは勿論、ベン、ナッシュのキャラ付けも丁寧でして、その存在感が説得力のあるドラマを作っています。全てネタバレしたあとも腑に落ちるようになっているあたりもうまいと思います。舞台がイギリスだからでしょうか、ベン・デイヴィスの撮影も落ち着いた色使いで、渋いドラマづくりに一役買っています。

ベンを疑い始めたクリスティーンは、そのことをカメラに向かって語りかけます。そして、クリスティーンの記憶に、ホテルの部屋とか誰かに抱かれる自分のイメージ、そして暴行され、血塗れの自分の姿がフラッシュバックします。そして夢の中にマイクという名前が登場します。マイクというのが自分をボコボコにした犯人だと思い始めるクリスティーン。ある日、ナッシュと会っているとき、彼の病院の名札が目に入ると、その名前がマイクじゃないですか。逆上しちゃう彼女ですが、どうやらナッシュが彼女と親密になるに連れて彼女の記憶に影響を及ぼし始めたのだと別の医師に治療を任せると言い出しますが、クリスティーンは彼の治療をうけることを望みます。さらに彼女には子供がいたことを思い出し、ベンを問い詰めると子供は8歳の時、病気で死んだと言います。クリスティーンはクレアの連絡先をたどり、彼女に会うことにも成功します。そこで、ベンがクレアと一度だけ間違いを犯したことを知ります。ベンは色々な過去を自分の中にしまいこんで、クリスティーンのために同じ毎日を繰り返してきたことを知った彼女は、改めてベンにジョフィやカメラのことも告白するのでした。

ここまであらすじを語ってくるとお気づきになる方もいらっしゃるかもしれませんが、この映画、クリスティーンが1日で記憶を失うという設定がほとんど生かされていません。単に、普通の記憶喪失の設定でも、この物語は成立してしまうのですよ。結局、1日の記憶という設定は出オチでしかなかったようです。原作がそうなのか、そういう脚色をしたのかは知らないのですが、ミステリーとしては今一つという印象を持ってしまいました。特に、1日しか記憶がもたないということは、観客が知ってるけど、ヒロインは知らないことがたくさん出てくるので、そこがサスペンスとしてハラハラさせてくれてもよかったのですが、そういうドキドキハラハラがなかったのは残念でした。92分というコンパクトな時間に、きちんとドラマを見せてくれたところは買いなのですが、サスペンスやミステリーとしては、どっか物足りなくなってしまいました。

後、この映画のパンフレットには、音楽担当者の名前がありません。既成曲だけを使ってるのかと思ったら、きちんとオーケストラによる渋いドラマ音楽が流れていました。エンドクレジットを見ると、音楽 エドワード・シャーマーとちゃんと出てくるではありませんか。「鳩の翼」「美しい人」「パッセンジャーズ」などで渋いけど味のある聴き応えのある音楽を書いてる人で、もうちょっとちゃんと扱って欲しいなって思いました。



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ホントのことを語ったクリスティーナをベンは突然殴りつけました。一体どうなっているのか、そのことをカメラに記録しておくのですが、翌日、その記録はカメラから消されていたのでした。そして、ベンは彼女に荷造りするように言い、彼女をホテルに連れていくのでした。そのホテルの部屋で、彼女の記憶が戻ってきました。ベンと名乗る男は実は彼女の浮気相手のマイクでした。事件のとき、浮気を夫に告白するというクリスティーンをマイクがボコボコにしたというのが真相だったのです。逃げ出そうとしたクリスティーンとそれを止めようとしたマイクが揉みあいになるのですが、彼女が手にしたアイロンで一発、逃げ出すことに成功します。マイクは逮捕され、病室にいるクリスティーンをナッシュが見舞いに来ます。その後に本当の彼女の夫のベンがやってきます。さらに成長した息子のアダムが現れ、彼女の記憶が少しずつ戻り始めるところでエンドクレジット。

アダムの病気がもとになって、ベンとクリスティーンは離婚していました。そして施設に入っている彼女を、マイクが偽の書類で連れ出して、自分の家で、彼女と一緒に暮らしてきたのです。毎日、彼女の境遇を一から説明することを繰り返してきたのに疲れたマイクは、ベンとクリスティーンという関係から、マイクとクリスティーンの関係になりたいと思ったんですって。暴力男にしては、ずいぶんと気の長いことをやってるのが面白いと思いました。コリン・ファースの好演もあって、ウソみたいだけど、どこか滑稽なキャラになっているのはうまいと感心。また、いつものような華のない(少なめ、かな)のキャラを演じたニコル・キッドマンの好演も光っていました。出来過ぎ美形で通してきた彼女のフィルモグラフィーの中で、この映画は、ターニングポイントになるかも。

「ピッチ・パーフェクト」はまっとうな青春コメディだけど、登場人物のキャラ強めなのが楽しい。


今回は、川崎のTOHOシネマズ川崎プレミアシートで、新作の「ピッチ・パーフェクト」を観てきました。新作と思ったら2012年の映画でして、配給も武蔵野エンタテイメントという聞いたことのない会社。うーん、公開にいたるまで、何やらドラマがありそうな気も。

大学アカペラ選手権の決勝にまで進出したバーデン大学の女性アカペラチーム、「バーデン・ベラーズ」はソロのオーブリー(アンナ・キャンプ)が本番で緊張からか、ゲロをぶちまけてあえなく敗退、バーデン・ベラーズの評判も最悪に。そして新学期が始まって、「バーデン・ベラーズ」も新入部員を募集するのですが、これまでとは違って個性的なルックスのみなさんが揃ってしまいます。音楽プロデューサーになりたいという夢を持つ新入生ベッカ(アナ・ケンドリック)も、「バーデン・ベラーズ」のナンバー2、クロエ(ブリタリー・スノウ)に歌声を聞かれて、オーディションに誘われ、何となく入部してしまいます。バーデン大学には、実力人気ともにトップの男性アカペラチーム「トレブル・メーカーズ」がありまして、「バーデン・ベラーズ」とは犬猿の仲。ベッカに好意を寄せているジェシー(スカイラー・アスティン)は「トレブル・メーカーズ」に入部し、お互いに?惹かれながらも敵対関係になってしまうのでした。さて、個性的新メンバーで「バーデン・ベラーズ」もアカペラ選手権目指して練習を開始するのですが、オーブリーの選曲は古い歌ばかりで、どうもパンチが足らないのか、部員たちも今一つ乗り切れません。オーブリーはそんな部員の想いにはおかまいなしなので、まとまりも今一つ。それでも、地区予選に臨み、かろうじて入選。そして、地区大会に進出するのですが、ここで、「トレブル・メーカーズ」ともう1チームに明らかに負けていたのを感じたベッカが、古めかしい曲にアドリブを入れて何とか聴けるところまで持っていくのですが、あえなく敗退。そして、勝手にアドリブを入れたベッカにオーブリーは逆上し、さらにジェシーとの関係もきまづくなってしまうのでした。もう、このシーズンは終わりだと思っていたところに、「バーデン・ベラーズ」を破ったチームのリーダーが大学生でないことが判明して、失格となり、棚ボタ式に「バーデン・ベラーズ」が全国大会への切符を手に入れるのですが.....。

ミッキー・ラブキンによる大学アカペラ模様のドキュメンタリーを原作に、ケイ・キャノンが脚本を書き、テレビや舞台で実績のあるジェイソン・ムーアが初メガホンを取りました。大学のアカペラ選手権が熱い、という基本設定を飲み込めれば、いわゆる青春スポ根系ドラマの一編。でも、オープニングからゲロ大噴射。これは、タダの展開は見せないぞと思っていると、クセの強いキャラクターのみなさんが競演しつつも、バラバラから団結、敗退、再団結という、この類のドラマとしては王道の展開を見せてくれます。一応、ヒロインのラブストーリーも入っていますが、それはあくまでサブプロット。メインとなるのは、アカペラ合戦、よりも、キャラの面白さの方が強いかな。それでも、アカペラ大会はなかなかの迫力、向こうの歌は全然知らないのですが、それでも音楽のパワーを感じさせる演出で、その部分でも見応えがありました。オープニングは、ユニバーサルのマークが出て、ジェリー・ゴールドスミスのテーマ曲が流れるのですが、これがオーケストラではなくて、ヒューマン・ジュークボックスで演奏されているのですよ、そして、画面が変わると、「トレブル・メーカーズ」のステージという趣向も楽しく、その後のゲロ大噴射で、「?!」の気分となります。

そこでお話変わって、大学の新学期でクラブの勧誘シーンとなります。アナ・ケンドリックがこの映画の撮影当時は26,7の筈ですから、なかなかの若作りになっているのですが、彼女も色々な役をやるもんだと感心。演技派女優がこういう役というと、キルスティン・ダンストの「チアーズ」を思い出しました。彼女は、音楽プロデューサー志望の女の子で、いわゆるかわいい好い子ちゃん的なキャラになっています。その一方で、「バーデン・ベラーズ」の面々のキャラが濃くて面白いのですよ。デブキャラのパワファイター、エイミー(レベル・ウィルソン)、セックス依存?なステイシー(アレクシス・ナップ)、一癖あるレズキャラ、シンシア(エスター・ディーン)、猟奇的不思議ちゃんリリー(ハナ・メイ・リー)といったみなさんが、ゲロキャラのオーブリーとあいまみえてなかなかに壮観。でも、ベッカとジェシーのラブストーリーはつつましく展開するとか、一度はバラバラになりかけた「バーデン・ベラーズ」が再び団結するあたりのベタな展開は、青春ドラマのパロディかとも思わせるのですが、ムーアの演出はきちんとベタなドラマを盛り上げていて、濃いキャラ軍団にドラマを持っていかれないあたりのさじ加減はお見事だと思いました。

アカペラ選手権というのは、伴奏からリズムから歌までを全部人間の声で表現するというもので、結構人気があるんですって。最近の音楽って打ち込みのデジタルサウンドが全盛だから、その反動なのかもしれません。徹底的に人間の出す声にこだわったところが、今の音楽シーンへのアンチテーゼとなっているのだ、というのは、全然知ったかぶり発言ですが、それでも、人間の奏でる音楽はいいよねっていう視点は好きです。みんなのチームワークが大事な競技だけに、チームの団結がドラマのポイントになるあたりはなかなかうまいと感心。実際に演じられるパフォーマンスは演技者が実際に演じてるそうで、その頑張りぶりも楽しめます。「ラスト5イヤーズ」でも歌っているアナ・ケンドリックは歌えるヒロインぶりがなかなかに板についています。全体的に予定調和でもあるのですが、それを気持ちよく観られるあたりはムーアの演出力によるものでしょう。ブラックな笑いも織り込んでいながら、アカペラシーンで素直に盛り上がれるのは、娯楽映画の王道を行ってるからだと思います。とは言え、オープニングだけでなくクライマックス前にもゲロがまた登場するので、そういうネタに耐性のない方にはオススメしません。でも、多少のことなら笑いとばせる人なら、濃いキャラの面々と、アカペラパフォーマンスでかなり楽しめる映画だと思います。

今時の映画にしてはビスタサイズというのも珍しいですが、ジュリオ・マカットの撮影が、暗くなりがちなステージシーンを明るく見せて、印象的でした。また、この大会の解説者役で登場しているエリザベス・バンクスがプロデューサーとしても参加していまして、この映画の続編では監督もしているんですって。今年の公開ってことは、アナ・ケンドリックは三十路で女子大生を演じてるのかしら。



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棚ボタ式に決勝のステージに上れることになったベラーズですが、オーブリーは、勝手なアドリブを入れたベッカだけは呼ばず、他のメンバーで練習を始めるのですが、メンバーはベッカがいないことに反発、オーブリーはそれに逆上と、チームはバラバラ状態。そこへベッカが現れて、みんなに謝罪し、オーブリーも彼女を認めて、ベラーズは一致団結。ベッカが選曲とアレンジをしたナンバーで決勝に進出、トレブル・メーカーズを押さえて優勝するのでした。そして、ベッカとジェシーも仲直りのキス。ってところで暗転、エンドクレジット。

ベラーズがラストで見せるパフォーマンスはなかなかの迫力で見応え満点、アカペラとは思えないパワーがお見事です。一方のトレブル・メーカーズもメインボーカルがプロに引き抜かれたおかげで、ジェシーがメインボーカルとなって、それまでとは一味違うパフォーマンスで見せ場を作っています。各々の曲の歌詞も意味もわからないけど、何だか勢いがあるので楽しめるのですよ。音楽ってのは勢いで盛り上がるもんだなあって再認識しました。中盤で登場する、アカペラチーム対抗の尻取り歌合戦といった趣向も楽しく、音楽が楽しいってのは、映画にとって重要なことなんですよね。後、ここだけの話ですが、アナ・ケンドリックは脇役顔だと思っています。主役よりも脇に回るほうが光るタイプなのではないかしら。ですから、こういう映画で、キャラ弱めの主人公になっちゃうと、他の個性派のみなさまの引き立て役にされちゃうような気も。それでも、好きなんですけど彼女、生意気じゃないかわいさがいいです。
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einhorn2233

Author:einhorn2233
Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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