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「サスペリアPART2」は映像がきれいなのが好き、殺し方はえげつないけど。


このところダリオ・アルジェント初期作品をビデオで観てきたので、ここで、その集大成と呼ばれる「サスペリアPART2」をBDをゲットして観ました。でも、昔ゲットしたDVDと同じ画質なのでがっかり。この映画は映像の美しさが命なんだよ、金返せー。と、まだ無駄遣いをしてしまいました。

ローマでピアニストをしているイギリス人のマーク(デビッド・ヘミングス)は、ある晩、街を歩いていると、酔いつぶれた友人のカルロ(ガブリエル・ラヴィア)を見かけ、話をした直後、悲鳴を聞いて、女性が窓の前で殺されるのを目撃します。急いでその女性の部屋へ向かい、女性を助けようとしますが、犯人は姿を消しており、女性は殺されていました。殺されたのはヘルガという霊媒師で、殺される前に心理学会の場で、何か邪悪な存在を認識し、それを書き残すはずだったのですが、その文書は犯人によって持ち去られていました。現場に現れたジャンナ(ダリア・ニコロディ)と知り合いになるマークですが、ある夜、ピアノの前で作曲中のマークの家を何者が訪れます。子供の子守歌を聞かせて、近づいてくるのを、寸でのところでドアに鍵をかけると、その何者かは「お前も殺す」と脅して去って行きます。自分も狙われていると知ったマークは、ジャンナの協力を得て、事件の調査を始めます。ヘルガの知人の心理学者ジョルダーニから、子供の子守歌の聞こえる家について書かれた本があると聞き、その著者の家に向かうのですが、その著者は、先回りした犯人によって惨殺されていたのでした。その著書にある、家の写真から、問題の家を探し当てたマークは、その家に忍び込み中を調べると、そこには驚くべき秘密が隠されていたのでした。

「サスペリア」「インフェルノ」のダリオ・アルジェントがベルナルティーノ・ザッポーニと共同脚本を書いて、メガホンも撮った、ジャーロ映画の頂点と言う人もいるくらいの評価の高いスリラー映画です。ローマのイギリス人マークが連続殺人に巻き込まれてしまうというお話でして、ラストで意外な犯人が現れるのですが、実はその犯人が映画の前半で顔を見せているという映画としてのトリックが話題にもなった作品でもあります。ミステリーというには、フェアな展開ではないのですが、殺しのシーンに趣向を凝らし、尺をたっぷりと取って、殺人シーンを見せ場にしていて、それが見ごたえがあるのがすごいというか、そういう映画なんです。1980年代に「13日の金曜日」以降に殺人シーンを見せ場にしたスラッシャー映画が流行るのですが、その先鞭をつけたとも言えます。まあ、1970年代のイタリアのジャーロ映画では、残酷な殺人シーンを見せ場にした映画がたくさんあったそうですから、パイオニアというわけではないようですけど。

学生の時、映画館でこの映画を観たときにすごく印象的だったのは、絵がきれいだったこと。クリアだけど潤いのあるシネスコ画面に残酷な殺人シーンが登場するのが大変インパクトがあった一方で、殺人シーン以外の絵は絵画を思わせる美しさもあって、この映画の撮影を担当したルイジ・クベイレルの名前はいやでも覚えてしまいました。ロングの絵とアップの絵の組み合わせも面白く、特に引きの絵の美しさは、血生臭い連続殺人とは対照的で、そのコントラストも見事でした。また、日本公開にあたっては、4チャンネルステレオ音響にするにあたり、オリジナルにない「ドカーン」「ビシャーン」といったショック演出の効果音をつけて、さらに観客を驚かそうとしています。さすが、東宝東和配給というべきでしょうか。当時の東宝東和は映画に色々なギミックをつけてお客さんを呼び込もうと頑張っていました。また、この映画自身も殺人シーンにギミックをほどこしていまして、なぜか子供の子守歌のテープを犯行前に必ず流すですとか、殺人前に人形が首つりにされていたり、機械仕掛けの人形がケタケタ笑いながら歩いて来たりと、何でそんなことする必要があるのと思うのですが、それによって殺人シーンが盛り上がるのですよ。アルジェントにもある東宝東和魂と言ったら、ファンの方には怒られちゃうでしょうね。

また、殺人シーン以外でも、オープニングの心理学会のシーンですとか、ゲイで飲んだくれの友人カルロですとか、問題の屋敷の管理人の不気味な娘ですとか、気になるアイテムを放り込んで、まがまがしい雰囲気づくりをしています。また、犯人の一人称カメラですとか、手とか目だけがアップになった犯人は映画の冒頭から登場し、犯人の存在感を示します。映画が犯人によって回っているという印象づけは、その分、主人公のマークの存在感を薄めてしまうことになるのですが、その演出がこの映画には、うまく作用したようです。姿なき殺人犯がドラマを引っ張るという構成は、アルジェントの「歓びの毒牙」「4匹の蠅」にもあった趣向なのですが、それがより顕著になったのがこの作品と言えそうです。

また、この映画では、音楽が大変有名になり、サントラ盤はベストセラーといたとなりました。音楽を担当したのジャズ畑のジョルジョ・ガズリーニと、プログレッシブロックのゴブリンです。テーマ曲や殺人シーンの曲は、ゴブリンによるものなので、ゴブリンの単独作品と思われがちですが、オーケストラによる劇伴音楽や、子守歌のテーマ、またゴブリンが演奏している曲の一部はガズリーニによるものです。(サントラ盤でも、A面はゴブリンの曲、B面はガズリーニの曲になっています。)テーマ曲は、チューブラーベルズの影響を受けているスリラーというよりはホラー映画の音楽に近いもので、キーボードとベースによるアルペジオから、ドラマチックに転調していくのが聴きものです。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



本の著者が殺された現場を訪れたジョルダーニは、そこにダイイングメッセージがあることに気づきます。浴室の湯で湯気があふれると鏡にメッセージが浮き上がったのです。しかし、そのジョルダーニも家で犯人の襲撃に遭い、殺されてしまいます。一方、子供の子守歌が聞こえる家が写真と変わっていることに気づいたマークは、夜、もう一度その家に向かいます。消えた窓があるところの壁を壊してみるとそこには死体が隠されていましたが、そこでマークは何者かに殴られて意識を失います。ジャンナに助け起こされたマークは、問題の屋敷が火に包まれているのを目にするのでした。屋敷の管理人の家に電話を借りに行ったマークは、そこの不気味な娘が屋敷にあったのと同じ絵を描いているのを見つけ、問い詰めると学校の資料室でその絵を見たというのでした。それは男が血を流し、子供がナイフを差し上げている絵でした。そこで、深夜の学校の資料室に忍び込んだマークとジャンナは問題の絵を見つけます。しかし、ジャンナはナイフで刺されてしまい、現れたカルロがマークに銃を向けるのですが、警察が現れ、カルロは逃走します。しかし、逃走中にトラックのフックに引っかけられたカルロは、トラックに引きずられ、最後は車にひかれて死亡。しかし、最初の殺人で、カルロと別れた直後に殺人現場を目撃したことを思い出したマークはもう一度、第一の殺人現場を訪れます。そこで、彼は現場の絵が何か変わっていたことを思い出します。それを確認すると絵と思っていたのは鏡でした。最初に現場に来た時、マークは鏡に映った犯人の顔を観ていたのでした。そして、そこに真犯人のカルロの母親(クララ・カラマイ)が現れます。カルロが子供の頃、夫から精神病院に行くように薦められていた彼女が、クリスマスの夜、カルロの前で夫をナイフで刺し殺していたのです。マークと母親は格闘になりますが、母親のネックレスがエレベーターに挟まったのをみて、マークはエレベーターのスイッチを入れると、ネックレスの鎖が母親の首を締め上げて、最後には切断。血の海にマークの顔が映っている絵でエンドクレジット。

要は、過去を知られたくないカルロの母親が、それに気づいた、もしくは関わった人間を手あたり次第に殺していったというお話でして、まあ、精神的におかしくなっちゃった人の行動なので、整合性が取れないのは仕方ないのかなってところに落ち着きます。絵だと思ったのが鏡で、最初の殺人シーンでマークが犯人の顔を見ていたというのは、事実でして、最初の殺人シーンを見直すと確かにカルロの母親の顔が画面に映っているのですよ。なかなか挑戦的なトリックを使っているなあって気がします。カルロの母親も映画の中で何度か登場してくるので、突然ラストで現れたキャラでないところはうまい采配だと思います。また、ラスト近くで、カルロが犯人だと見せるあたりは、ジャンナも怪しいかのような見せ方をしているので、二転三転の面白さがありました。この映画、双葉十三郎氏の「ぼくの採点表」では「☆☆★」しかもらえていなくて、かなり評価は低いのですが、視覚的なうまさと音楽は結構いい線いってると思う、好きな映画の一本です。ドラマとして一本筋が通っているのかというと、視覚聴覚を優先した結果、物語としての説得力は今一つではあるのですが、こういう見せ方の映画もあっていいかなって思う次第です。
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「ナイトクローラー」の主人公は見た目ほどに狂ってないし冷静だよね


今回は新作の「ナイトクローラー」を川崎のチネチッタ7で観てきました。このシネコンはスタッフの教育が行き届いているところが好き。逆に言えば、今イチなシネコンもあるわけでして。

ロスで金属類のコソ泥をしていたルー(ジェイク・ギレンホール)は、ある晩、交通事故の現場に居合わせ、そこにやってきた映像パパラッチ(事件の刺激的な映像を撮影してテレビ局へ売る皆さんのこと、別名ナイトクローラー)を見て、何やら天啓を受けたように、これは俺の仕事だと思い始めるのでした。盗んだ自転車で、ビデオカメラと無線機を買い、早速、夜の街に徘徊するのですが、なかなか思うような絵は取れません。警察無線を傍受して、向かった先でたまたま、カージャックの被害者の映像が撮れたので、それを一番視聴率の低いケーブルテレビ局へ持ち込みます。ディレクターのニーナ(レネ・ルッソ)は彼の絵を250ドルで買い、「もっと刺激的な絵が欲しい。被害者は郊外の白人の富裕層、加害者はマイノリティや貧困層の事件が絵が欲しい」と言います。そこで、ルーは助手のリック(リズ・アーメッド)を日給30ドルで雇い、事故や事件の映像を撮影してニーナのもとに持ち込むようになります。そして、ある夜、強盗殺人事件の起きた家に警察より早く到着するという幸運に恵まれるのですが.....。

「落下の王国」「リアル・スティール」などの脚本を書いたダン・ギルロイが、脚本を書き、初メガホンを取ったサスペンスドラマの一編です。刺激的な事件映像を追いかける映像パパラッチ(ナイトクローラー)なる商売があるらしいのです。彼らは警察無線を傍受して、何か事件が発生すると現場に駆け付けて、ホットな映像を撮影し、周囲の住民のインタビュー映像も加えて、テレビ局へ売り込むのです。ネットに強く、頭の回転の速いルーにとっては、天職になるかもしれない仕事に思えたようで、早速、無線機とカメラを入手し、夜の街へ出ていきます。ライバルの映像パパラッチが電話で話していたテレビ局へ自分の映像を売り込んで、250ドルを得るルー。それをきっかけに、映像パパラッチのこつをつかんだのか、ニーナのニュース番組で彼の映像が何度も使われるようになります。

ニュース番組で、これこれこういう事件がありまして、我が局の独占映像でお届けしますということになるわけです。リアルで刺激的な映像って、そんなにみんなが求めているのかなあってのが、最初に浮かんだ疑問なのですが、アメリカではそういう商売があるってことは、それなりの需要があるってことなのでしょうね。ただ、刺激が強ければいいのかってところはやはり引っかかりました。需要があるというよりは、供給側が需要を先読みしすぎているってことではないかって気がして。それに、事件当事者のプライバシーだってばかにできないだろうし。

でも、映像パパラッチの皆さんはそういう倫理的なところは一切無関係に、事件映像を追い続けます。誰も、それが良いことか悪いことかと考えず、お金になることだからやるというところで割り切っているようです。個人のプライバシーを侵しても、刺激的な映像を撮ることが金になる(と思い込んでいる)社会ってのに、何かやばいものを感じてしまう私には、末端の1パパラッチであるルーなんて、小物の中の小物一匹しか見えなくて、ジェイク・ギレンホールがその異常なキャラを熱演しても、その映像を高い値段で買い取る側の異常さに比べたらちっちゃい話だなあって思えてしまいました。

ルーはコソ泥のくせに変にインテリっぽいプライドがあって、善悪の判断もあやふやな危ない奴ではあるのですが、それでも結局はもっとでかい悪の掌で踊らされているだけではないのかなって気がしました。なぜかというと、ルーの行動が、割と私の想定内だったからです。とんでもない狂気をはらんだ行動ではなく、自分の撮った映像がどれだけ値を吊り上げることができるのかという冷静な計算による行動なのですよ、彼の場合。だから、彼は自分の行動のしっぺ返しを受けることもなく、この業界の成り上がりストーリーとして、この映画は完結します。じゃあ、そういう刺激的な映像を求める視聴者こそが狂っているのかというと、私はそうとも思えない。血生臭い刺激的な映像を求めるのは、大多数ではなくて、一部のマニアではないのかって気がするからです。いやいやアメリカはそういうの好きなんだよってのもあるかもしれませんね。日本では、そういうもののニーズは少ないと思うので、映像パパラッチが金儲けをするチャンスも少ないのかなって勝手に思っています。

ジェイク・ギレンホールは目をぎらつかせて、常軌を逸した男を熱演していますが、やってることは、今のテレビならそのくらいのことはするだろうというレベルなので、キャラが先行しすぎたかなという気もしました。もっと平々凡々な男が、こっちの道に目覚めた方がリアリティがあったのではないかしら。また、相手役のレネ・ルッソは、主人公に振り回される女性ディレクターを達者にこなしていますが、メディア側の人間があんなに弱腰なのかなって意味では、やや説得力を欠いたような気もしちゃいました。映画としては面白く作ってありまして、後半のスリリングな展開など、娯楽映画としては大変よくできているのですが、題材を消化しきれてないような気がしてしまって。まあ、ルーという男の成り上がりの物語なのだから、題材の社会性にまで踏み込む必要はないと言われればその通りなんですが。



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強盗殺人のあった家に到着したルーは、カメラを持って家に潜入、車で逃げる二人の犯人を撮影し、さらに犯行現場と被害者の映像まで撮影し、犯人の映像をカットしてテレビ局へ持ち込みます。映像はオンエアされ、大反響を呼びますが、ルーは警察にマークされてしまいます。ルーはさらにスクープ映像を撮影するため、車のナンバーから犯人の居場所をつきとめ、犯人を尾行します。そして、二人が中華食堂に入ったところで、警察に電話します。警察が現れると犯人と銃撃戦となり、犯人の一人は撃たれますが、もう一人が車で逃走。それを、カメラを構えたルーとリックの車が追跡します。カーチェイスの末、パトカーと犯人の車は横転します。カメラを構えたルーが先に降りて、リックに「犯人は死んでる。その絵を撮れ」と指示し、リックが近づくとまだ息のあった犯人がリックに発砲、そして、犯人とルーが目が合うのですが、犯人はルーを無視して逃走しようとして警官に射殺されます。ルーはリックに近づき、リックの最期も撮影し、テレビ局へ持ち込みます。警察は、放送の中止を要求しますが、それを無視して放送してしまうのでした。ルーは警察に自ら出頭し、なぜそこに居合わせたのかを嘘の証言でごまかし、それ以上の追及から逃れます。かくして、ルーは助手3人と車2台を従えて、ナイトクローラーの仕事に邁進するのでした。おしまい。

1日30ドルでこき使われてきたリックが、大仕事の分け前を要求するようになります。もうそこで、ルーはリックを殺そうとしているってのが伝わってくるのは、狙ってやっているのか、演出ミスなのか、どっちにしても、クライマックスはどこでリックを殺すのかがサスペンスの一つになっています。面白いと思うのは、ルーを人間のクズのような描き方をしていないところでして、ロクでもない奴だけど、頭は切れるし、行動力もあり、学習能力も高い男として描いているので、見た目の異常さほどに、彼のキャラは狂っていないのですよ。大した役にも立っていないのに、大口を叩くようになったリックを殺そうとするあたりの冷静さも狂気とは一線を画しています。だからこそ、ルーは怖い男なのだということもできますが、ナイトクローラーの商売が成り立つ社会というか、世間の方がずっと怖いと思っちゃうのは私だけかした。それも、視聴者が大して望んでいないのに、メディア側が「大衆は刺激を欲している」と勝手に思い込んでいるところが怖いと思うのですが、実際のところはどうなんでしょうね。死体や事故現場を好んで見たいと思うのは本当はマイノリティなんだけど、ネットの上だと、マジョリティであるかのように見えちゃっているのではないかしら。

「4匹の蠅」は、まずミムジー・ファーマーがきれいなサイコスリラー。


録画したままになっていた映画の中から、ダリオ・アルジェント監督の初期スリラー「私は目撃者」と「4匹の蠅」を観ました。どちらも連続殺人事件の謎を追ったものですが、「私は目撃者」はアルジェント自身がボロクソに言ってることから、今回は「4匹の蠅」を取り上げることにします。「私は目撃者」は2時間ドラマレベルの内容で、盲目の元記者と姪っ子の少女が事件に巻き込まれるという面白い趣向があるにもかかわらず、映像的にも演出的にも今一つの観がありました。「4匹の蠅」は「歓びの毒牙」からつながるサイコな犯人による連続殺人ものでして、ちゃんとそれなりの理由をもった狂った犯人の犯行という、「歓びの毒牙」から「サスペリアPART2」につながる流れの1本となっています。

ドラマーのロベルト(マイケル・ブランドン)は、金持ちの奥さんニーナ(ミムジー・ファーマー)と平和に暮らしていたのですが、ある日、彼は、自分を監視する帽子にサングラスにコートを着た髭の男がいることに気づきます。仕事中も移動中もずっとその男がつきまとってきます。仕事終わりに帰ろうとすると、そこにまたあの男がいます。ロベルトはその男を追っていくと、無人の劇場に入り込みます。そして、男を捕まえて詰問すると、何のことだ、俺は知らんと言い張り、さらにナイフを持ち出します。男とロベルトがもみ合っているうちに、男がナイフで刺され奈落へ落ちていきます。と、そこでカメラのフラッシュが焚かれ、何者かに殺人の証拠写真を撮られてしまいます。家に帰って、友人たちのパーティの後、その殺人シーン写真がレコードの間に挟まっていました。翌日の新聞には、身元不明の死体が発見されたという記事があり、さらに、彼のもとに殺した男の身分証が送られてきます。どうやら、写真を撮った人間はロベルトの身近にいるようなのです。彼は友人のディオ(バッド・スペンサー)に相談し、探偵ジャンニ(ジャン・ピエール・マリエール)を紹介してもらいます。探偵は独自の捜査で、犯人に近づくのですが、結局、殺されてしまいます。一体、誰がロベルトを罠にはめたのでしょうか。

「サスペリア」のダリオ・アルジェント、「スター・クラッシュ」のルイジ・コッツィ、マリオ・フォグリエッティの共同原案を、アルジェントが脚本化し、メガホンも撮ったサイコスリラーの一編です。何者かの罠にはまり、殺人現場を撮影された主人公が追い詰められていくというお話でして、主人公のロベルトという男があまり共感できるキャラクターになってなくて、むしろ奥さんのニーナの方の感情移入してしまう展開は、この手のサスペンスとしては意外な感じがしました。何しろ、人を殺しておいても、何だか被害者ヅラしているってのは、あまりいい印象が持てないですもの。さらに、奥さんのいとことねんごろになっちゃうのは、ヌードのサービスのつもりかもしれませんけど、ロベルトってろくなもんじゃないなって印象しか残りませんでした。それでも、退屈しないでお話についていけるのは、犯人側の描写をうまく小出しにして興味をつないでいくからでして、子供の頃、精神病院に入れられていた回想カットが挿入されるなどで、どこか精神に異常を来たした犯人だということが見えてきます。

その犯人の見せ方で、アルジェントは思い切ったことをやっていまして、冒頭で、犯人のサングラスとひげをつけた顔を画面にはっきり見せています。ですから、気がつく人なら「あ、こいつは」ってわかっちゃうかもしれません。そういう犯人の顔を映画の前半で見せてしまうという趣向は、「サスペリアPART2」でその発展形が見られるのですが、アルジェントの、ああいうことをやりたいんだなってところが透けて見えるところが面白いと思いました。タイトルである「4匹の蠅」というのは、後半の殺人の被害者の網膜に最後に映ったものを取り出して、犯人を探ろうという展開があり、その網膜に映ったものが「4匹の蠅」だったということで、これはなかなか面白い趣向だと思いました。ただ、4匹の蠅の映像が出てから、犯人が特定されるまでが呆気なさすぎたのは、勿体なかったような。

フランコ・ディ・ジャコモの撮影は、ロングとアップのコントラストでスリリングな絵作りをしていまして、謎解きよりも雰囲気重視のスリラーになっています。屋根裏部屋に逃げ込んだ女性が殺されるシーンでは、ホラー映画の演出になっていまして、階段を落ちていく被害者のカットは「サイコ」からのいただきになっていたのではないかしら。また、エンニオ・モリコーネの音楽は、美しいテーマと前衛的な音楽の組み合わせで、事件の異常さを適格に描写していました。

犯人は、異常者なんですが、そうなっちゃったのにはそれなりの理由があるというのがミソでして、犯人にとってのトラウマがあるきっかけで、殺意に変わって異常な殺人に手を染めるというのは、なるほどそういうこともあるのかなって気がします。しかし、トラウマに直結しない人間も、自分が犯人だとばれないようにするために次々に殺していくことになると、うーん、それってポリシーがずれてないかという気もするのですが、この映画では、それを主人公をさらに追い詰めるためにやっているという言い訳をつけて説明しています。まあ、それほどまでに、主人公に恨みのある人物の犯行ということになるわけですが、その理由が理不尽なところが、犯人が異常だという所以でして、精神的におかしくなった犯人による連続殺人という流れになるわけです。日本の2時間ドラマだと、大体は連続殺人事件ですが、その犯人には、人殺しをする同情すべき動機があるわけですが、やっぱり理不尽な殺人という見せ方をしていまして、精神に異常を来たした犯人というのはまず登場しません。むしろ、異常者を犯人にしちゃうのは、ドラマとして安直になっちゃうという印象があります。しかし、1970年ごろのイタリア映画には、異常者の犯人が多かったようです。このあたりはお国柄の違いなのか、時代の流行なのかはわからないのですが、精神分析的な映画があちらでは色々と作られたことは事実のようです。ロベルトが、サウジアラビアでの断首の処刑の夢を何度もみるあたりですとか、犯人の動機が明らかになるところに、精神分析的な要素が、この映画にもあります。



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劇場で殺されたと思われていた男は、おもちゃのナイフで殺されたふりをしていただけでした。しかし、その男も真犯人によって殺されてしまいます。また、真犯人に気づいて、金を強請ろうとした、ロベルトの家の家政婦も遊園地で殺されます。家政婦が殺されるシーンは、結構な尺をとって凝った映像と演出を見せ、殺しのシーンを見せ場にすることに成功しています。そして、さらに犯人にきづいたいとこも、ロベルトの家で殺されてしまいます。覚悟を決めたロベルトは家で真犯人を待ち受けていると、そこへ現れたのは、妻のニーナでした。ニーナの胸に蠅の模様の入ったペンダントがあり、それがゆれて、4匹の蠅となって、いとこの網膜に残っていたのでした。ニーナは父親から男の子のように振る舞うよう強制され、父親の意向に沿えないと彼女を精神病院へ送り込み、彼女を徹底的に精神的に追い詰めていたのです。父親の死後、病院を退院するのですが、その恨みは消えず、父親にそっくりなロベルトに出会ったことで、彼女の復讐のストーリーに火がついたのでした。ニーナは、とにかく父親の化身であるロベルトを徹底して苦しめて殺そうとしていました。ロベルトの腕と足を撃ち、とどめを刺そうとした時、ディオが現れ、ニーナはその場から逃走します。そして、車を走らせるニーナの前に突然現れたトラックを避けきれずに追突し、ニーナの首がすっ飛んで、車が炎上したところでエンドクレジット。ニーナがトラックに突っ込むシーンはスローモーションで描かれていて、そこにまた映像的なこだわりを感じさせるものでした。

父親に復讐するために、そっくりさんのロベルトと結婚したというところはリアリティがないのですが、論理性よりも、殺人シーンを面白く見せたいという演出なので、まあ仕方ないのかなという気もしますし、ミムジー・ファーマーがきれいなので、そのあたりでモトが取れた気分になってしまいました。この映画の、殺人シーンをさらに見せ場化し、犯人を見せちゃうトリックを強化したのが、「サスペリアPART2」になるわけで、そこへ至る過程の映画として観ても、なかなか面白い映画です。1本の映画として観てみれば、サイコスリラーとして、なかなか面白くできていまして、マジメなドラマだと思わなければ、ケレン味を楽しむ映画として、こういうのもありかなって気がしました。

「歓びの毒牙」はダリオ・アルジェントの初監督作として観るとなかなか面白い。


録画してあった映画を整理していたら、ダリオ・アルジェント監督の初期スリラー「歓びの毒牙」が出てきたのでチェックしてみました。

アメリカ人作家サム・ダルマス(トニー・ムサンテ)は、恋人ジュリア(スージー・ケンドール)とアメリカへ帰る予定でした。その頃、町では若い女性ばかりが3人連続して殺害される事件が発生していました。ある夜、町を歩いていたサムは、画廊の中で男女がもみ合っているのを目撃し、かけつけるのですが、ガラス張りの内扉と外扉の間に閉じ込められてしまいます。画廊の中では、女性が刺されて苦しんでいました。やがて警察が来て、刺された女性モニカ(エヴァ・レンツィ)は助け出されます。彼女は画廊の主人ラニエリ(ウンベルト・ラオ)の妻でした。サムは犯人を目撃していたことから、モロシーニ警部(エンリコ・マリア・サレルノ)から何度も尋問を受け、パスポートも取り上げられて出国できなくなります。サムは自分の目撃したものに何か不自然なものを感じていましたが、それが何なのかわからないこともあって、自ら事件の捜査に乗り出します。しかし、次の犠牲者が出て、さらにサム自身が命を狙われることになります。最初の犠牲者が勤めていた古美術商で、彼女が殺される日、女性が殺される図を描いた絵が売れていたことを知り、その絵が事件に関係あるとにらむのですが。

「サスペリア」のダリオ・アルジェントが脚本を書いて、監督もした連続殺人もの、いわゆるイタリアのジャッロ映画の1本ということになります。彼のとっての監督デビュー作でもありました。撮影は当時はまだ新鋭のヴィットリオ・ストラーロ、音楽はエンニオ・モリコーネが担当し、かなり映像スタイルに凝った映画に仕上がっています。「サスペリアPART2」にもつながる、黒手袋黒コートの殺人鬼が登場し、作り声で不気味なメッセージを送ってくるという趣向もこの映画で出来上がっていたことを知ることができます。

映画のオープニングでは、黒手袋、黒コートの殺人鬼が登場し、タイプで次の殺人プランを打ち、何本もあるナイフの中から、1本を選び出すシーンが登場します。そして、タイトルバックでは次の犠牲者となる女性が盗撮されているストップモーションのカットが続きます。私はジャッロ映画には詳しくないので、映画の冒頭から犯人が登場するというのは、よくあるパターンなのかどうかは知らないのですが、なかなかにインパクトがありました。シネスコサイズの画面は、画面の黒味をうまくつかって印象的な絵を切り取っています。

オープニングの画廊での犯人と被害者がもみ合うシーンは回想カットで何度も登場します。さらに、牧場のようなところで、女の子が男に刺されている絵も何度も登場し、それが何か事件のカギであるようです。ミステリーとしては、フェアとは言い難い展開なんですが、サイコキラーと思しき連続殺人犯が犯行を繰り返すスリラーとしては大変面白くできています。警察とサムに犯人から電話がかかってくるのですが、その二人が別人だったという謎、そして、サムへの電話のバックで何かがきしむ音が聞こえるというこれまた謎。いろいろな謎を散りばめながら、それらをきちんと刈り取るアルジェントの脚本は快調で、謎が謎を呼ぶミステリアスな展開もマルでして、結末の意外性も、この先のアルジェントの映画を彷彿とさせるものがあります。

1968年の映画ですが、その頃の映画らしい色彩と画面設計が独特な世界観を作っていまして、今の映画とは違う映像が却って新鮮に感じられるところもあり、ジャッロ映画ってジャンルがあったんだと知ることもでき、色々と発見のある映画でした。エンニオ・モリコーネの音楽も、ジャズタッチの音から、女性コーラスや喘ぎ声を交えた音楽で、どこか非現実な世界を作り出しています。モリコーネの映画音楽にはこういう前衛的なものがかなりありますが、それが非現実なサイコスリラーの中で大変効果的に機能して、犯人の異常性を表現しています。



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サムの友人が、犯人の電話のバックで聞こえるきしみ音の正体をシベリアに住む鳥の鳴き声であることに気づきます。それは、動物園の奥で1羽だけ飼われていたのですが、その近くに画廊の主人ラニエリの家があったのです。サムやジュリアが警察と一緒にラニエルの家に向かうと、ラニエリと妻のモニカがナイフを持ってもみ合っていました。警官と格闘になり窓から落下、今わの際に自分が犯人だと告白するのでした。その騒動の最中に、ジュリアと友人が姿を消していました。ジュリアを探して、その跡を追ったサムはとある部屋へたどり着きます。そこには、問題の絵が飾られていて、友人の死体がありました。ベッドの下にはジュリアが縛り上げられていたのですが、サムは気づきません。そこにあらわれた黒ずくめの男、その正体は、犠牲者だった筈のモニカだったのです。彼女は完全にくるっていました。サムは事件で不自然に感じたことを思い出しました。それは、女の方が男(ダンナのラニエリ)を刺そうとしてたのでした。その場を逃げ出したサムですが、画廊に出てしまい、そこの彫刻の下敷きになってしまいます。モニカは笑いながらナイフでサムを刺そうとしますが、そこへ警部が現れて、彼女を取り押さえます。縛られていたジュリアが警察に電話していたのでした。そして、テレビで精神科医がこの事件を説明しています。モニカは、10年前に変質者に襲われたことがトラウマになっていました。例の絵は、その事件にインスパイアされて描かれたものだったのです。その絵を古美術商で見かけたことから、そのトラウマが呼び起され、異常な犯行に及んだというのです。夫のラニエリはそれを知って止めようとしていたのでした。そして、アメリカ行きの飛行機に乗り込むサムとジュリアが映って、エンドクレジット。

過去の犯罪の被害者が、ある出来事をきっかけに異常な犯罪者になってしまうというお話で、精神分析的な要素が入っているのがミソということにもなりますが、その精神分析は、異常な殺人を説明するための方便でもあると言えましょう。しかし、犯人のトラウマが殺人に走らせるというものは、「サイコ」など山ほどあるわけで、イタリアではそのジャンルの映画が特にたくさん作られているようです。この映画はその1本として、結構面白くできていると思います。特に画廊での犯行のシーンの思わせぶりな見せ方(アングル、編集)には、それなりの凝った趣向が感じられました。

「ミッション・インポッシブル ローグ・ネイション」はスター映画にゲーム的駆け引きの面白さも。


今回は、新作の「ミッション・インポッシブル ローグ・ネイション」を、TOHOシネマズ日劇1で観てきました。ここは前の方に座ると大きなスクリーンが実感できるのがうれしいです。ただ、やや昔の映画館のせいか、座席の前後が新しいシネコンに比べると若干狭いんですよね。それでも、昔のスカラ座よりは広いのですけど。

IMFのエージェント、イーサン・ハント(トム・クルーズ)は、シンジケートと呼ばれる謎のテロ組織を追っていましたが、何者かの罠にはまって拉致されてしまいます。一方、IMFはこれまでの活動が評価されずブラント(ジェレミー・レナー)は査問会に呼ばれ、最終的にIMFは解体されCIAに統合されてしまいます。イーサンは拉致した連中によって拷問にかけられそうになるところを、謎の女イルサ(レベッカ・ファーガソン)に救われます。どうやら、彼女はシンジケートに入り込んでいる潜入捜査官のようにも見えるのですが、シンジケートサイドに立って行動しているので、正体がよくわかりません。しかし、イーサンが姿を消してからテロ事件が相次いで発生していました。そして、ウィーンで、オーストリアの大臣が暗殺される事件が発生、そこにイーサンとベンジー(サイモン・ペッグ)が居合わせたことから、イーサンはCIAのお尋ね者となり、彼を特殊部隊が追うことになります。しかし、実際は、イーサンがベンジーを呼び寄せて、シンジケートのボスを割り出して、暗殺を阻止しようとしたのですが、最終的に暗殺を止めることができなかったのです。イーサンはイルサを追ってモロッコへ飛びます。モロッコのデジタルバンクにシンジケートの秘密データが眠っているということで、それを持ち出すための作戦を、イーサンとイルサは実行することになるのですが。

主人公がトム・クルーズ演じるイーサン・ハントになってからの「ミッション・インポッシブル」シリーズもかれこれ5作目となります。今回は、ドリュー・ピアースと「アウトロー」で脚本、監督を務めたクリストファー・マッカリーが原案を書き、マッカリーが脚本化して、メガホンも取りました。このシリーズは今の映画の中で、珍しいスター映画になっていまして、イーサン・ハントよりも、スターとしてのトム・クルーズが前面に出てくる作りになっていまして、そのスターを盛り立てるように、お話も映像も作られています。その徹底したスターを立てる構成と展開が、面白くできていて、かつお金をかけた画面が娯楽大作になっているので、映画としての華があります。ショーン・コネリーの頃の007という感じでしょうか。コネリーは007でスターになりましたから、最初からスターのクルーズとはちょっと違うのですが、豪勢にお金をかけたエンタテイメントとして楽しめるという点では、勢いのあった頃の007と似たものがあります。

今回は、冒頭でIMFという組織がなくなってしまいます。まあ、確かにIMFってのは内輪もめばかりしてきたところがありますから、そりゃ仕方ないかなって気もします。でも、架空のシンジケートなる組織をでっち上げて、イーサンがマッチポンプみたいなことしてるって言われると困っちゃうよなあって展開なのです。以後、孤立無援となるイーサンがどうやってシンジケートなる組織をつぶすのかというのがメインのお話になります。これまでも孤軍奮闘のお話が多かったですが、今回はそれに輪をかけて、イーサンの独断先行ぶりがすごくて、それがスター、トム・クルーズの映画として成立しているあたりは、脚本のうまさでしょう。また、全編に渡って、派手なアクションシーンをぶち込んで、それもスタントマンでなく、スターが本当にやってるという見せ方がうまいというのも点数高かったです。予告編で話題になった、トムが離陸する飛行機にしがみつくスタントは、アバンタイトルで見せちゃう気前の良さで、それ以降もスター自らがアクションしているのをきっちり見せる絵作りを心掛けていまして、スタントマンの活躍が前面に出てくる007シリーズとは一線を画しています。また、視覚効果のスタッフがたくさんクレジットされているのですが、基本的にCGと明らかにわかるカットがないのも感心しました。考えてみればあれはCGだよなってのはあるんですけど、考えてみればという条件つきなので、激しいアクションの中では、CGが気にならないのですよ。

さて、お話の方は、シンジケートのボスであるレーン(ショーン・ハリス)が登場してくると、そのクールな非情キャラが際立ちます。今回の悪役はとにかく頭が切れるので、よくある自爆型悪役になっていません。イーサンとイルサの行動を読んで、自分のやりたいように操作しているようにも見えます。一方のイーサンは、いつになく攻めの姿勢で、レーンの先を行こうとしますが、なかなかレーンを出し抜くことができません。その駆け引きの面白さもあって、今回はゲームを見るような展開に見ごたえがあります。多少のご都合主義もあるものの、その先の読めない駆け引きのドラマがうまくアクションシーンとシンクロして、息をもつかせぬ展開で、2時間余を見せきるあたりは見事でした。

演技陣はみんな主役を立てるために機能しているのですが、それでもサイモン・ペッグがコミカルな味わいを見せると、ジェレミー・レナーが渋い脇役ぶりでいいところを見せ、アレック・ボールドウィンのCIA長官が凄みとコミカルさの両方を演じていて、演技のアンサンブルも見ものになっています。イルサを演じたレベッカ・ファーガソンはミステリアスな女スパイから、後半の悲劇のヒロインぶりまでをきっちりと演じて、この映画を大きな支えになっています。イーサンと恋愛関係にならないところもマルでした。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



イーサンは、モロッコのデジタル倉庫から、シンジケートの極秘情報を盗みだすことに成功します。一度はエルサに奪われるのですが、コピーをベンジーがおさえていました。極秘情報とは、諜報活動のための厖大な金の情報であり、イギリスの首相でないと開けられないレッドボックスという仕掛けになっていました。シンジケートとは、イギリスの情報局が、世界各国の工作員を集めて作り上げた組織だったのです。そして、英国情報局のレーンが、国を裏切り、シンジケートをテロ組織として再編成していたのです。エルサは英国情報局から送り込まれて囮捜査をしていたのですが、情報局長は、再度イルサをレーンのもとに送り込み、レーンとイルサを共倒れにしようとします。レーンはベンジーを人質にとり、解読した情報を要求してきました。そこで、イーサンは、英国首相をFBI長官の目の前で拉致して、シンジケートの存在を長官に知らしめた後、首相の協力を得て、極秘情報を解読し、レーンのもとに向かいます。そこには、爆弾を仕掛けられたベンジーとイルサが待ち構えていました。ここで、イーサンは極秘情報は全て自分の頭の中にある、殺したら金は手に入らなくなると脅し、レーンに爆弾を解除させます。そこで、銃撃戦となり、レーンがイーサンを追跡して、ビルの地下へ追い詰めるのですが、そこへ入った途端、上下左右を防弾ガラスで囲まれてしまい、レーンは生きたまま捕まってしまいます。そして、イーサンはイルサを逃がしてやるのでした。結局、査問会で、FBI長官は、IMFの解体を撤回し、今度は自らがIMFの長官になっちゃうところで、おしまい。

極秘情報は、英国首相の指紋と声がないと開かない代物だったことから、イーサンが英国首相を拉致しちゃおうって言い出すのには、それくらいぶっ飛んだことをしないと、相手と五分の勝負にならないくらい手強い相手だったと言うことでしょう。まあ、それのついでに、シンジケートの存在をFBI長官に信じさせるという離れ業もやっちゃうのは笑っちゃいましたけど。ともあれ、最後まで、攻めの姿勢を崩さないイーサンの活躍で、シンジケートはその実態を押さえられてしまうという展開は、スター映画らしい見せ方になっていまして、ウソみたいだけど、こういう映画なら許せちゃうという作りになっているのですよ。それに、映画を観ている間は、ずっとはらはらどきどきを楽しむことができましたし、イーサン、イルサ、レーンが次にどういう手でくるかという駆け引きの面白さもあって、娯楽映画としてはかなり点数高いと言えましょう。観ているときだけでなく、今、こう思い返してみても感心するところの多い映画でした。

「トールマン」は幼児失踪の都市伝説を題材にして見応えあり。


夏場といえばホラー映画ということで、以前から気になっていた「トールマン」のBDをゲットしました。予告編や紹介記事ではどういう展開になるのか想像がつかなかったというのと、ジェシカ・ビール主演ということで食指が動きました。

シアトルから車で2時間のコールドタウンという寂れた田舎町では、子供の失踪事件が連続して発生していました。町では、子供をさらうトールマンがいるという都市伝説が真しやかに囁かれていました。そんなある日、亡き夫の後を継いで、診療所を開いているジュリア(ジェシカ・ビール)のもとに、知り合いの若い娘キャロルが運び込まれてきます。どうやら、流れ者との間にできた子供が臨月になっていたのです。逆子で生まれてきたのですが、ジュリアのおかげで無事に産声をあげることができました。家に帰るとベビーシッターのキャサリンが息子デビッドの面倒をみていました。そしてその夜、ジュリアが台所へ行くと、そこにはキャサリンが猿ぐつわを噛まされて転がっていました。そして、黒ずくめの男がデビッドを抱えて、家を出ていくのを発見。トラックで逃げようとする男をジュリアは追いかけて、トラックの後ろに飛びつきます。止まったトラックから男が降りてきたのですが、格闘の末、縛られてトラックの荷台に放り込まれます。それでも、縄をほどいて、運転台の男と格闘になります。トラックは横転して停止、そこから這い出してきたデビッドを、男が抱き上げて、いずこへと連れ去るのでした。後から気がついたジェシカは足跡を追うのですがそれは森の中に消えていました。道路でうずくまっているジェシカをシアトル警察のドッドが発見し、町のダイナーへ運び込みます。果たして、ジェシカはデビッドを無事に見つけることができるのでしょうか。

グロスリラー「マーターズ」で一躍有名になったフランスのパスカル・ロジェが脚本を書き、メガホンを取ったスリラーの一遍です。アメリカでは、1年で80万件発生する子供の失踪事件のうち、1000件が手掛かりのないまま迷宮入りになっているんそうで、そんな事実から、イメージを膨らましたお話になっています。昔は炭鉱で栄えた山の中の田舎町で、子供の失踪事件が頻発しているところから映画は始まります。子供をさらうトールマンがいるという噂が町の中に流れていました。いかにも寂れた町のたたずまいとか、そこでトレーラーハウスで暮らす人々が登場し、貧しさに満ちた景気の悪そうな町です。冒頭で運びこまれる娘キャロルの妹ジェニー(ジョデル・フェルランド)は、言葉はわかるのですが、自分からしゃべらない変わった子供ですが、ジュリアには心を開いていました。そんなある日、デビッドが黒服の男にさらわれてしまいます。ジュリアが犯人を追跡するシーンはなかなかにスリリングでして、トラックを追跡して、その後ろに飛びついて引きずられるところから、車内での格闘シーンなどは、アクション映画並みの畳みかけが見事でした。夜間シーンでも見やすい映像を切り取ったカマル・ダーカウイのキャメラも映画館で観る絵を作り出していました。夜の森の中でも、閉塞的でない、広い空間を切り取る構図になっていて、その落ち着いた絵作りは、安っぽいホラーとは一線を画す品の良さを感じさせました。

怪我をして道路にうずくまっていたジュリアは、町のダイナーに運び込まれるのですが、そこの女主人の部屋には、失踪した子供の写真を貼った祭壇があり、その中にデビッドの写真も入っていました。それを見て、その場を逃げ出すジュリアですが、ダイナーにいた町の連中は、彼女が逃げたことを知って、総出で彼女の捜索を始めます。ジュリアは、パトカーの後部座席に忍び込んで、ダイナーを脱出するのですが、パトカーは以前の炭鉱施設の前で止まります。そこには誰かいるみたいで、ジュリアが中に入っていくと、そこに現れたのは、誘拐されたデビッドでした。デビッドの誘拐の背後には町ぐるみの陰謀があったのでしょうか。

ロジェの演出は、ヒロインの目線に寄り添いながら、ミステリアスに展開します。子供の失踪の裏に、何か多くの人間が関わる陰謀があるかのような見せ方になってくると、都市伝説以上のものを感じさせます。トールマンなる都市伝説が実体を持った黒服の男として現れて、さらにそのバックに町の住民がいるらしく、警察も一枚噛んでいるとなって、孤立無援のヒロインが息子を探すというサスペンススリラーになってきます。そして、映画はさらにその先で、トールマンの意外な正体を観客に突き付けてきます。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



デビッドを追いかけたジュリアは不意に現れた黒服の男に殴られて、気を失います。黒服の男の正体は、息子が失踪して精神的におかしくなっていたジョンソン夫人(コリーン・ウィーラー)でした。そして、デビッドはジュリアの息子ではなく、ジョンソン夫人の失踪した息子で、ジュリアが洗脳して、実の母親の存在を忘れさせていたのでした。彼女は、息子を探して町の中を彷徨っていたときに、ジュリアの家に自分の息子がいるのを目撃します。夫人は、ダイナーの主人に相談し、息子を奪還することを告げ、もし息子がいなかったら自分を精神病院に入れてくれと告げて、ジュリアの家に向かったのでした。町のみんながダイナーでジョンソン夫人を待っていたら、ジェシカが運び込まれてきたのでした。夫人は、ジュリアを椅子に縛り付けて、なぜそんなことをしたのか問いただそうとしますが、隙を見てロープを外したジュリアは夫人を殴りつけて、デビッドを連れて家の帰ります。明け方になり、警官隊がやってくるとデビッドは姿を消していました。家の地下室を見ると、そこは地下に張り巡らされた大きなトンネルにつながっており、子供の捜索は困難な様子。大規模な捜査が行われましたが失踪した子供は発見できず、逮捕されたジュリアも真相を語りません。すると、今度はジュリアと仲のよかったジェニーが何者かによってさらわれてしまいます。さらった男は、ジェニーを老婦人に引き渡します。老婦人は、ジェニーに新しい名前と裕福な暮らしを与えます。そして、ジェニーは全ての事情を呑み込んだ上で、新しい自分として暮らすことを決意するのでした。

ジュリアは誘拐した子供を裕福な家庭へ斡旋していたのですが、それは金儲けのためではなく、貧困な家庭で貧しいまま一生を終える子供に新しい人生を与えたいからやっていたようなのです。そして、誘拐された子供たちはジェシカに洗脳されて、与えられた新しい自分を受け入れるようになっていたのでした。ただ、ジェニーだけはジュリアに洗脳されていなかったので、全てを承知の上で、人生の選択をしていたのでした。

それまで、ジュリア目線で展開していたドラマが実はジュリアが誘拐犯だったとわかるあたりはびっくりでした。このどんでん返しが映画の中盤であって、後半は、まったく状況が変わった中でドラマが展開していきます。ジュリアは、現代社会の中で、生まれによって人生がほぼ確定してしまうことに義憤を覚えていたようなのです。だからと言って、親から子供を誘拐すること自体は犯罪でして、ジュリアはそれを正当化することはせず、最後まで口をつぐんだままでいます。不遇な生まれの子供を裕福な家庭に渡す活動の是非はこの映画は語られず、スリラーの形式で、こんなことがあったらどうする?という見せ方になっているのは、問題提起としては面白いと言えますが、映画としては後味がすっきりしないので、エンタテイメントとしては減点ということになるのかも。と、言いつつ、この映画面白かったでした。前半のスリリングな活劇調から、後半は静かな人間ドラマへと変わるのも、意外性がありましたし、そのどちらのドラマもきっちりと作ってるので、映画としての評価は高いです。ごひいきのジェシカ・ビールも、確信犯としての誘拐犯を存在感ある演技で演じ切りまして、女優としての実力を見せてくれてまして、彼女のおかげで、ドラマの見ごたえが増したように思います。

「筑波海軍航空隊」は特攻隊ドキュメンタリーだけど淡々とした語り口が意外。


今回は新作の「筑波海軍航空隊」を、ヒューマントラストシネマ有楽町2で観てきました。ここはいつも満席なことが多い映画館ですが、今回は半分ほどの入りだったのが意外でした。やはり、地味なドキュメンタリーはお客の入りがよくないのかなあ。こういう映画を有楽町の駅前で通常上映の形で観られるってのはすごいことだとは思うのですが。

大東亜戦争も日本の敗色が濃くなってくると、有能な航空機のパイロットの数が減ってきますし、特攻隊という名の自爆攻撃をやったものですから、ますますパイロットの質は低下してきてます。そして、学徒動員が始まります。学徒出陣の海軍志願者12万人のなかから8500人が戦闘機搭乗員候補となり、さらに適性検査を受け、厳しい訓練の後、筑波海軍航空隊には120人が配属され、さらのその中の77人が神風特別攻撃隊として出撃したのでした。この映画では、この筑波海軍航空隊の生き残りの人のインタビューを中心に、実際に特攻に向かった隊員の手紙などを通して、彼らがどういう心持ちで特攻に向かい合ったのかを描いていきます。

NHKのドキュメンタリー番組などで腕を振るってきた若槻治が監督したドキュメンタリー映画です。大東亜戦争も敗色濃くなってきて始まった特攻。その特攻隊員の今も健在の方のインタビューを中心にした映画です。みなさん、もう高齢で、80代後半から90代と、実際の特攻隊員の直の声を記録するのは最後の機会なんだなあってのは実感します。戦後70年、既に戦争を知る人は80歳以上となっている今、戦争の記録を残すことの重要性は格段に上がっているのではないかしら。安倍首相が戦後総決算の総理談話するって言っても、そもそも戦争知らないじゃんってところは押さえておいてよいところだなって気づかされる映画でもありました。

この映画で印象的だったのは、特攻隊員が、生きたい死にたいという事を超越して、死を運命として受け止めていたというところでした。そりゃ死にたくはないだろうけど、特攻隊に配属された時点で、その辺の葛藤は終わっているようなのです。私みたいな戦争を知らない人間からすれば、特攻隊なんて、天皇に絶対死ねと命令された軍人さんなんだから、日本に殺された被害者のように思っていたのですが、特攻隊員から、国に対する恨みの言葉は聞かれなかったのは意外でした。特攻隊は基本的志願制だったそうですが、その対象になった人間はほとんどが志願したのだそうです。それは場の空気に逆らえない日本人の特性もあるのでしょうが、その時点で、死は既に運命として存在していたようなのです。日本人の特質でもある「仕方がない」という諦観がそこにあったのかもしれないです。客観的に考えると常軌を逸している世界なのに、そこにいる当人にとっては、異常性を指摘するのではなく、その世界観に身をゆだねているようなのです。その時代を生きてみないとわからないところも多いのですが、特攻が受け入れられてしまう世界にはなって欲しくないと心から思います。

戦争も劣勢となってくると、軍人やパイロットになるための訓練も短い期間で行われ、ガソリンの不足から、十分な飛行時間を飛ばないうちに実戦に出されてしまうことになり、それはパイロットの質の低下と言われてますが、技術や訓練の不充分なパイロットに自爆行為である特攻をやらせたわけですから、人間の使い捨て状態だったことが伺えます。実際、飛び立った多くの特攻機が敵艦に到達する前に撃墜されてしまっています。それでも、敵艦までたどり着いた機は、敵艦に重大な損害を与えることができました。しかし、それは米軍にとって、多くの兵士の無残な死をもたらしたのです。映画の中では、そういう事例として、2機の特攻機によって甚大な損害を与えられた空母バンカーヒルを挙げています。それが戦争なのだから、という割り切りをしたくない、戦争してはいけない理由の一つがそこにあると思います。元特攻隊員の一人は、後1カ月早く戦争が終われば多くの命が救われたと言います。戦争が早く終われば、死ななくていい命が救われたことをさかのぼって考えれば、戦争を始めないことに全力を注いでいれば、もっと多くの命が救われたのではないかとも言えます。

一方で、特攻隊員も四六時中、死と向き合って悩み続けていたわけではなく、そこには楽しみもあり、慰問の女子学生と文通したり、家族と会ったりといったこともあったということが述べられます。特攻隊のイメージとはちょっと外れるのかもしれませんが、そういうエピソードも当時の人から聞き出していることは大事なことだと思いました。そもそも何万名の中から、ゼロ戦乗りになることは、大きなステータスであり、そこにエリート意識もあったようなのです。でも、彼らの残した手紙やアルバムの文面は、元気そうでいて、どこか達観したところがありました。ある隊員は、自分の死が、講和の条件や、戦後の国体の役に立つことを望むという文章を残していて、その冷静な文面に驚かされました。もともと学徒出陣した人はインテリが多く、その残した文章も普通の人とは一線を画す、知性(インテリっぽさかな?)が感じられるものでした。それだけに、負け戦の中での特攻に疑問を感じた人はいたのかもしれませんが、それでも、自分の運命にあらがう人は少なかったようです。

この映画では、時々、戦争を知らない世代が登場して、特攻隊のことについて語り合うシーンがあります。それは特攻隊のドキュメンタリー映画としては、余計な要素ではあるのですが、この歴史に対して、若い人は何かを考えて学んで欲しいという作り手の気持ちを感じました。それでも、作り手の視点は、中立に徹しているようで、反戦の要素さえ、表立って登場してきません。私は、反戦のバイアスがかかっていますから、この映画から、反戦の意味を汲み取りましたが、人によっては、なぜ日本は負けたのかということに気づき、どうすれば戦争に負けなかったのだろうと考える人も出てくると思います。一つの事実から汲み取れる真実は受け取る人によって十人十色ですから、この映画から、色々なことを考えることができましょう。それを「歴史に学ぶ」と一括りにするには、相反する結論が導かれる可能性があることは意識しておく必要があると思います。こういう映画から、戦争はいけないという結論だけが出てくるとは限らないからです。

最後に、元特攻隊員が、自分が生き残ってしまったことで、戦後に生き辛い人生を送ることになったと語るシーンがあります。これは、日本人だけの話ではないとは思いますが、社会がもっと成熟して、こういう立場の人に対してフェアに接する人間にならなければいけないなと思いました。これは自分の身を振り返って、自分も正すべき点だなって実感しました。

「人生スイッチ」はトラブルにトラブルを重ねたエピソードが微妙な味わいのオムニバス。


今回は新作の「人生スイッチ」を109シネマズ川崎10で観てきました。休日の映画の日とあって、初回から満席の状態でした。

ある旅客機の中で、中年男が若い美人に話しかけます。その会話から、中年男が音楽評論家で、美人の元カレの作品をボロクソにけなしたということがわかります。その話を聞いていた老婦人が今度は、その元カレの教師で彼にひどい成績をつけたことがわかります。周囲の人間に聞いてみれば、みんなその元カレの関係者ばかりで、その元カレの恨みを買っている人ばかり。モデル美人も元カレがいたのに浮気していたのでした。さらにキャビンアテンダントが言うには、その元カレがこの機の搭乗員で、操縦席に閉じこもってるんですって。飛行機はおかしな飛び方を始めて乗客はパニック。「君がそうなったのは、両親が悪いんだ。君は被害者で、ここにいる人間も被害者だ」と元カレの精神科医が説得します。老夫婦が庭先に座っていると、遠くから飛行機が近づいてきて、一気に突っ込んで来るのでした。

人生におけるちょっとしたエピソードをブラックな笑いで描いたアルゼンチンの映画です。アルゼンチンでは年間ランキングの1位になった大ヒット作で、さらに、アカデミー賞の外国語映画賞にノミネートされたんですって。ダミアン・ジフロンが脚本を書き、メガホンを取りました。映画の形式としてはオムニバス形式で、6つのエピソードが順番に描かれていきます。最初のエピソードは、姿を現さないある男の復讐譚をコミカルに描いたもので、その結末は結構ブラック。他のエピソードもちょっとしたことが発端で事態がどんどん混乱していって、何とも言えないオチへ着陸するというもので、その描き方はシニカルで、ハートウォーミングなオムニバスを期待すると肩すかしを食わされることになります。登場人物を見るクールな視点に同調できると、人間のおかしさとちょっと悲しい部分が見えてきて、この映画を楽しむことができると思います。いわゆる極端なキャラは登場せず、そんじょそこらにいそうな人が特殊な状況に陥って、その運命に翻弄されたり、運命を呑み込んだりするおかしさを楽しむ映画と言えば、この映画の面白さ、伝わりますでしょうか。個人的には、事故を起こした息子の後始末をする父親の話がおかしかったです。後、日本とアルゼンチンの文化の違いも、この映画の面白さと言えましょう。全体的に熱いというか血の気の多い文化なんだなあってのが予想とおりとは言え、発見でした。



この先は各エピソードの結末に触れますのでご注意ください。




次のエピソードは、深夜のダイナーにやってきた男が、ウエイトレスの父を自殺に追いやり、母を誘惑した高利貸だったというお話。コックのおばちゃんはそんな男は猫いらずで殺してしまえと極端なことを言い出し、実際に男の料理にまぜちゃったらしい。どうやら、おばちゃんはムショにいたことがあるみたいで、そんなクズを殺すのは世のためだと言い切ります。そこへ、男の息子が入ってきて、同じ皿をつつきはじめたので、ウエイトレスは料理を下げようとするのですが、男ともみ合いになってしまい、そこへおばちゃんが後ろから男を包丁で刺して殺してしまいます。朝、パトカーで連行されるおばちゃんの姿でおしまい。何というか、運命のパズルがおかしな形にはまってしまった結果の殺人劇という印象でして、巡りあわせ次第では最悪の結果になるとも言えますし、息子が無事なので、最悪とも言い難い、奇妙に居心地の悪い落としどころになっています。

3つめのエピソードは、山に囲まれた1本道を新車で走る男が、前をチンタラ走っているボロ車に暴言を吐いて追い抜いたところから始まります。しばらく車を走らせると新車のタイヤがパンクしてしまいます。何とかタイヤ交換しているところへ、さっき追い抜いたボロ車がやってきて、その車の運転手が、新車の前に車を止めて、男を威嚇してきました。びびって車の外へ出られない男に、運転手はフロントガラスを叩き割り、大小便をひっかけてきます。だんだんと怒りがこみあげてきた男は、去ろうとするボロ車を押して、川の中に落としてしまいます。そして、逃げようとしたら、運転手が上がってきて「お前の顔とナンバーを覚えたぞ」という言葉に、さらに逆上、車を引き返して、運転手をひき殺そうとするのですが、今度は男が運転を誤って川の中へ落ちてしまいます。するとスパナを持った運転手が車の中に入ってきて格闘となり、一進一退の攻防の末、もみ合ったまま、ガソリンに引火して車は爆発。抱き合った焼死体を見た警察は、痴情のもつれの心中かな?ですって。これは、スピルバーグの「激突」のアルゼンチン版とでも言うものですが、小心者ががんばったら、事態の収拾がつかなくなるという展開が、ホモ心中に落ちるところが面白かったです。車を追い抜いたところから殺し合いにヒートアップするまでを説得力ある演出で見せてるところがうまかったです。

4つめのエピソードは、爆薬でビルを解体する技術者の男が、娘の誕生日のケーキを買っていたら、車をレッカー移動させられてしまいます。そこは駐車禁止じゃない筈なのにと係員に言っても、駐車禁止の記録があるのだからと相手にされず、娘の誕生日には間に合わず、妻との関係も悪化。さらに罰金を払う窓口で暴れたものだから、職を失い、妻とは離婚となって親権を取られてしまいます。男はぶちきれて、自分の車に爆薬を仕掛け、レッカー移動された先の車置き場で爆発させて逮捕されてしまいます。でも、彼の怒りは、もっともだという世論が起こって、レッカー会社の運営にもメスが入ることになり、彼の誕生日を刑務所で祝う中には愛する妻と娘の姿もあったのでした。めでたし、めでたし。アルゼンチンでは、レッカー会社が民営化していて、レッカーで運んだら、レッカー料と駐車料を取られ、さらに警察に行って罰金を払うことになるようなんです。だから、何でもかんでもレッカー移動しちゃう傾向はあるみたいで、一度、運ばれちゃうと、それが間違いだと指摘することもできないし、証明できても相手にされないようなのです。レッカー料や罰金を払う窓口の係員に抗議しても、抗議が上がるルートがないという不合理な仕掛けのようで、そりゃあ主人公は怒るのも無理はないと納得できちゃいます。まあ、爆弾しかけるのは罪だろうけど、そうでもしないと彼の言い分の正しさが誰にも伝わらない社会の歪さがブラックな笑いを呼びます。

5つめのエピソードは、金持ちの息子が妊婦をひき逃げし、母子ともに死亡というのが発端です。父親は弁護士を読んで、事の収拾を図ろうとします。そこで、庭師の男を息子の代わりにひき逃げ犯にしようと思いつきます。庭師も50万ドルという金額に納得します。そこへ警察が来て、車を調べると、乗っていたのは庭師よりも大柄な男だということを見抜かれ、父親は刑事も買収することになり、さらに100万ドル払うことになります。そして、こんなやばい仕事には特別手当が必要だとさらに50万ドル要求され、父親も金の話にうんざり、息子が自白すると言っているので、もうそれでいいじゃないかと言い出します。そこで、弁護士や母親が間に入って金額を調整して、全部で、100万ドル出せば、すべてをまるく収めるということになり、庭師が逮捕されて、家の前から連行されようというところに、被害者の夫がハンマーを持って庭師に襲い掛かるのでした。バカ息子がひき逃げして、その後始末をすることになった父親が金の話にいい加減うんざりして、もう全部やめにするって言い出すところがおかしく、それを周囲のみんなが金額を調整して、何とか代理犯人の話をまるく収めるところがさらに妙なおかしさを運んできます。

最後のエピソードは、結婚式の場で、新郎の浮気がばれるというお話。新婦は、新郎が会社の同僚の女と付き合っていたことを知って逆上。式場のビルの屋上で泣いていると休憩中のコックに慰められ、なぜかそこで抱き合ってコトに及んでしまい、その最中に新郎が新婦を探しに屋上へやってきて、現場を押さえられてしまいます。愕然とする新郎に、あんたの資産は全部自分のものにしてやる、寂しくなったら別の男をやればいい、あんたが死ぬ時が私の望みが成就するときだと言い切り、新郎もダメージ大。式場へ戻った新婦はダンスミュージックをかけさせ、みんなで踊りを盛り上げると、浮気相手の女の腕をつかんでぐるぐる振り回して、鏡にぶち当てて、浮気相手は血塗れ状態。新郎は、母親の入れ知恵もあって、新婦を訴えてやると言ってみるも、最後は母子で泣き崩れちゃいます。そんなこんなで結婚式はぐちゃぐちゃになっちゃうのですが、新郎が新婦に手を差し出したら、新婦がそれに応え、二人は抱き合って濃厚なキス、式の客はあきれてみな式場から去っていくのでした。結婚のグロテスクな顔をデフォルメしたところが面白いエピソードですが、新郎も新婦もどっちもどっちもクズなのがおかしく、それが割れ鍋に綴じ蓋という結末になるあたりは、日本人でも理解できそうだなって納得しちゃいました。

どのエピソードも、トラブルが発生した後、結局そのトラブルは解決しないで、より大きな混乱に発展してしまうというお話です。悪いことが起こると、さらにより悪いことが起こるというのは、ありがちなことではあるのですが、登場人物にリアルな存在感を与えているので、最後の落としどころがすっきりしないというか妙な居心地の悪さを感じさせるところが、この映画の味わいになっているように思います。ただし、1つめのエピソードは別ものです。最初のエピソードだけは、リアリティをすっとばかした、ぶっ飛んだお話になっています。他のエピソードより明らかに浮いているのですが、だからこそ最初に持ってきたのかも。
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einhorn2233

Author:einhorn2233
Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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