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「奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ」は感動はないけど、色々と学べるところが多い映画でした。


今回は新作の「奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ」を有楽町のヒューマントラストシネマ有楽町で観てきました。ここは若い人は少なくていつも年配の方でにぎわっている映画館。コンスタントに映画を観る趣味ってのは若い人の間では流行ってないってことなんでしょうね。でも、シネコンでは、若者向け映画ばかりで、大人の観る映画が少ないのはなぜかしら。

パリ郊外のレオン・ブルム高校の生徒は貧困層の子供が多くて、1年のゲゲン先生(アリアンヌ・スカリッド)のクラスは特に問題が多くて、成績もよくありません。頭を抱えたゲゲン先生ですが、ここで生徒たちに全国歴史コンクールに参加するように提案します。テーマは「ホロコースト」というヘビーなもの。生徒たちも、何となくは知っているようなのですが、くわしくは知りません。資料館やネットを使っての調査が始まります。そして、ゲゲン先生は、強制収容所の生存者レオン・ズィゲルを授業に招き、彼の体験を生徒たちに聞かせます。体験者の話は生徒たちにとってもコンクールへの大きな励みになりました。彼らは、本気で「ホロコースト」に取り組み、そしてコンクールに挑むのでした。

実話に基づくお話で、実際にコンクールに参加した生徒アハメッド・ドゥラメが、マリー・カスティーユ・マンシオン・シャール監督にそのことをメールにして送り、ドゥラメと監督が共同で脚本を書き、シャール監督がメガホンも取りました。当事者が脚本に参加するというのは珍しい話だと思うのですが、映画は日本人の私の感覚からすると大変淡々とした展開になっています。日本の問題児クラスが何か事を成すというよく見るドラマのつもりで臨むと、その期待は裏切られることになります。私はこういう題材をどう料理するのが正しいとか、好みかというのは特に意見を持っていないのですが、映画としては、一つの事実をシンプルに描こうという意図が感じられました。でも、シンプルなストーリーを囲む環境の描き方には、新鮮に感じられるところもありまして、日本人の私だからこそ、発見のある面白い映画になりました。

映画の冒頭で、学校へ成績証明書を取りに来たムスリムの卒業生が、ベールを被っているということで追い返されてしまうというシーンが登場します。学校のルールではベールはNGなんですが、元生徒がそれで追い返されてしまうというのは理不尽な気もします。そういうところで、舞台となる学校には、様々な肌の色、文化・宗教を持った生徒がいるということが示されます。キリスト教の教会のステンドグラスの地獄に、ムハンマドが描かれているのを授業で説明して、ムスリムの生徒が激怒するシーンなんてのも登場するのですが、それがキリスト教とイスラム教の対立の歴史として説明されるとなるほどなあって改めて感心しちゃいました。こういうところの気遣いは日本だと直面することが少ないですけど、歴史というのは絶対的なものではなくて、相対的なものであることを中立の視点から説明しなくちゃいけないのはなかなか大変なことです。日本の歴史だってそういう視点で語られないと、他国との歴史認識の摩擦が理解できないのですが、日本の歴史教育はそういうところは無頓着だなあってところに気づかされました。

確かに荒れた教室ではあるのですが、生徒たちはゲゲン先生には一応の敬意を持って接しています。日本の荒れた学校の描写だと、教師と生徒のコミュニケーションが成立しないのですが、そういうことはありません。生徒も高校で学びたいものを持っていて、かつ高校を卒業できないと困るという自覚があるので、日本ほどムチャクチャになっていないようなのです。その描き方がリアルなのか甘めに描いているのかは、私には判断がつかないのですが、この映画では、生徒たちがゲゲン先生のいう事を聞く耳を持っていて、かつその内容を正面から受け取る姿勢があるので、歴史コンクールへの参加が現実化していくのです。途中で辞めちゃう生徒も出てくるのですが、それでも「ホロコースト」に自然に取り組むようになっていく過程は、日本の学園ドラマを見慣れた目には本当かよって思ってしまうのですが、それが実話なら確かに「奇跡の教室」だなあって納得しちゃうところもありました。

ドイツに占領されたフランスの中にも、ユダヤ人収容所があったというのは知りませんでした。自国がホロコーストの一端を担っていたというのは、結構大きかったのではないかと思う一方で、移民の子供たちにとって、70年前の話に当事者感を感じるかどうかは微妙だなあとも思ってしまいましたが、彼らは真面目に「ホロコースト」に取り組むようになります。グループに分かれて、テーマを決めて調査を進めていくという形で彼らはそれぞれの「ホロコースト」に迫っていくのです。その描き方は、日本の小学生のグループ研究と同じだなあという印象で、意外と淡々としたものでした。

そんな淡々とした展開の中で、収容所の実際の生存者レオン・ズィゲルが体験談を語るシーンは、ドラマの流れを遮るように挿入されます。映画の中で、ここだけは、実話の再現ドラマの中の、さらにリアルな瞬間として、かなりの時間を割いて描かれます。それには、生徒たちが体験したことを、映画の観客に追体験させようという意図が感じられました。実際に、第二次大戦の生存者の証言を残しておくには、今が限界だという時間的な問題があります。そういう意味で、21世紀になって、日本でも戦争の記録映画で当時を知る人の証言が多く残されるようになってきています。レオン・ズィゲルが、この映画の公開時には既に故人になっていたことからも、彼の証言の映像がこういう形で残されたことは意義のあることだと思います。

結末を書いちゃいますが、コンクールでゲゲン先生のクラスは優勝しちゃいます。そして、次の年、新しい1年生の前で、自己紹介するゲゲン先生の姿を見せておしまい。映画は、クラスのみんながコンクールを通して充実感のある学校生活を過ごせたことを感じさせて終わります。映画としては淡々としすぎていて、山場を欠いたかなという印象も残ってしまったのですが、事実を追った映画なんだと思えば、そういうのもありかなという気もします。日本の映画やテレビでこういう題材を扱うと、生徒間の対立とか和解とかあって、最後にムチャクチャ感動的なスピーチが出てきたりするというイメージがあるのですが、そういう山場のようなものが出てこないので、すごく淡泊な印象になってしまうのですよ。これって、日本の青春ドラマに慣らされすぎたのかなって気づいてしまいました。

とは言え、色々な文化を背負った人間が集まって歴史を学ぶことの大事さと難しさに気づかせてくれた映画でもあり、ホロコーストへの新たな認識を持たせてくれた映画でもあり、日本の歴史についての見方についても気づかせてくれるというなかなか得るところの多い映画なのでした。
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「イレブン・ミニッツ」は監督の遊び心を楽しみました、って監督遊んでたのかな。


今回は、新作の「イレブン・ミニッツ」を有楽町のヒューマントラストシネマ有楽町で観てきました。ここは上映サイズに合わせてスクリーンサイズを変えてくれる映画館です。それだけでも結構点数が上がるご時世になってしまいました。

午後5時、映画監督の男が出演候補の女優をホテルの部屋で待っていました。その夫、ヘルマンは妻を探しにホテルに向かっていました。元教師で保護観察中らしいホットドッグ売りの男は、店をたたもうとしていました。彼の息子が明日結婚式で、その息子と5時に待ち合わせをしていましたが息子はなかなか現れません。救急車は、産気づいた女性のいるアパートへ向かいますが、入り口が塞がれていて部屋に入れなくて困ってます。若者は友人からそそのかされて質屋強盗を行おうとしていました。別れた彼氏から、飼っていた犬を受け取った若い女がその犬を連れてホテルの前を通りかかります。ホテルの部屋でパソコンでポルノ映画を観ているカップル、男性は仕事の休憩時間のようです。川のほとりで写生をしていた老人は、空に黒い点のようなものを認めます。この黒い点のようなものは、登場人物の何人かは目にしているのですが、その正体はわかりません。そんなこんなしているうちに運命の5時11分がやってくるのでした。

1964年から映画を撮っているポーランドのイエジー・スコリモフスキが脚本を書き、メガホンも取った一品です。私は2008年の「アンナと過ごした4日間」で、この人の映画を初めて観まして、面白い映画を撮る人だなあって思って、2010年の「エッセンシャル・キリング」も観て、普通じゃない映画を撮る人なんだなって認識しています。昔の映画を一切知らないのですが、この2本のイメージを持ってスクリーンに臨みました。一応、11分の時間が描かれるドラマだという事前知識がありましたので、この映画の、様々な人間ドラマが並行して描かれるという構成にはすんなり入り込めました。その事前情報を知らないと、時制が前後する構成を飲み込むまで、ドラマのディティールを見逃す可能性がありますから、設定の事前知識があった方がよい映画だと言えましょう。そうでないと、2度観ないとよくわからない映画になっちゃう可能性がありますから。

舞台となるのは、ワルシャワの高級ホテルのある一角で、その近辺にいる人々の5時から5時11分までの11分のドラマが並行して描かれます。ホテルで女優を待ってる映画監督は彼女をモノにしようとしています。その夫は、直前に妻に言い寄った男と暴力沙汰を起こしたらしい結構嫉妬心の強い男。ホットドッグ売りの男は元教師らしく若い娘と警察沙汰のトラブルを起こして保護観察中です。そして、その息子はバイク便をやっているのですが、麻薬をやめられず配達先の人妻と不倫しちゃういわゆるクズ系の男。そして、若者は質屋強盗をしようとしていて、どうも関係者の半分以上が何かしらの罪を背負っているように見えます。じゃあ、その罪がドラマの本筋に関係あるのかと言われると、あるような気もするし、ないような気もするという感じ。歯切れの悪い言い方になるのですが、関係ないとも言い切れないのですよ。いくつものドラマが5時11分に集約されたとき、「おー、そうくるか」という感情と「えー、何なの?」という感じの両方が来ます。そのあたりは、実際にご覧になって確認していただきたいのですが、監督は、観客サービスをしているようで、観客を弄んでいるようなところもあり、つかみどころのない映画とも言えましょう。

映画としては凝ったつくりになっていまして、やたら登場人物に不自然に張り付いたカメラワークがあったり、緊張感を煽るノイズのような音響効果があったり、アートなイメージショットがあったり、妙にリアルなサラウンド音響効果があったりと、観客を翻弄していきます。観終わって、そこにドラマとしての必然性のある仕掛けだったかというとそうは思えないところがありまして、監督の遊び心なのかもしれないと思い至りました。それらの仕掛けに共通しているのは、観客をどこか不安にさせ、緊張感を煽っているというところが面白く、映画としては、監督がやりたい放題しているのに、娯楽映画としてもきちんと成立しているのは、お見事と感心しちゃいました。娯楽映画としてもきちんと楽しめたというところは強調しておきたいです。

観客としては、この先一体何が起こるのかという興味で引っ張られます。女優は監督の毒牙にかかってしまうのか、ダンナはそれを阻止できるのか、救急車のメンバーは産気づいた女性を無事に運べるのか。その一方で、ホットドッグ屋とか、犬を連れた女性や、ホテルでポルノ映画を観ていたカップルや、質屋強盗を失敗した若者などのドラマは、その先はなさそうに見えます。また、登場人物の何人かが見ている空の黒い点のようなものも気になります。最終的に登場人物の運命のようなものに、集約されるというと、結末が読めちゃうところもありますが、それでもこの映画、映画として面白かったです。

多くの登場人物の中では、タイトルトップの映画監督を演じたリチャード・ドーマーが印象的でした。また、女優を演じたパウリナ・ハプコ、ホットドッグ屋のアンジェイ・ヒラ、老画家ヤン・ノヴィツキなどが印象に残りましたが、個々のキャラクターがパズルのピースのような扱いですが、彼らを操る運命が主役のようなつくりなので、全員主役のような位置づけとも言えるのが面白いと思いました。印象的な音響効果の一部として聞こえてくるパヴェヴ・ムィキェティンの音楽が映画の中で印象的でしたが、サントラ盤は出ていないようです。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



若者が質屋に強盗に入ったのですが、中では主人が首を吊っていました。するとテレビがついて、砂嵐の画面から老人の顔が現れて「お前は何一つ悔い改めていない」と語ります。バイク便の男も届けた先のビルで同じ声を聴きます。救急チームは女性を部屋から運び出すことに成功し、病院へと向かいます。ホテルのカップルは別れ、女はバス停に、男は窓の外での溶接作業に戻ります。そして、強盗に失敗した若者と老画家とカップルの女はバスに乗り込みます。一方、映画監督は女優に薬を飲ませて眠らせ、ベッドへ運ぼうとしますが、そこへ夫がドアを破って現れます。監督と女優はもみ合うように窓に向かうと、ベランダの柵が壊れて、監督は下へ転落してしまい、女優の腕を夫がつかみます。監督が転落したさきには、作業中の男がいて、溶接のボンベごと落下。一方、下では救急車とバスが衝突し、ホットドッグ屋の親子も巻き込まれてしまいます。さらに落下したボンベが爆発して、阿鼻叫喚の光景。夫の腕にしがみついていた女優も力尽きて落下します。もうもうたる黒煙が上がる様子を街の監視カメラがとらえていて、監視センターのマルチ画面となります。マルチ画面はさらに細分化していくと、爆発のあった画面のみ黒く目立つようになり、白い中の黒点に見えてくるところでおしまい。

黒い点の正体はラストショットで何となくわかってくるのですが、それは、死の予兆だったらしいという解釈が可能です。でも、見た人が全て死亡したわけでもないし、見てない人も死んじゃってるので、どうもすっきりしません。じゃあ、罪に対する罰かというと、女優が最後に死んじゃうので、これも腑に落ちない。結局、何となーく説明がつきそうで、きれいに説明しきれない結末は監督に遊ばれてるのかなあって気もするのですが、それでも映画を観た満足感はありました。監督の遊び心みたいな部分が楽しかったという感想にまとまるのですが、監督にそういう気があったのかはわかりませんから、正しい鑑賞と呼べるかどうか。

「トランボ」は歴史への興味が湧く、エンタテイメント。意外なほど面白かったです。


今回は、新作の「トランボ」をTOHOシネマズ川崎8で観てきました。ここは座席数118の小さな劇場なんですが、シネコンとしてもスクリーンが小さめ。シネスコサイズのスクリーンのままでのビスタサイズ上映ってのは、やっぱり好きになれないわあ。

脚本家のダルトン・トランボ(ブライアン・クランストン)は、共産党員であり、スタッフの組合の指導もしていました。そんな経緯もあって、赤狩りでマークされ、議会に召喚された際に議会侮辱罪で告発されてしまい、破壊分子のアカというレッテルを貼られ、ハリウッドで仕事ができなくなってしまいます。それでも、彼は脚本を書く仕事をやめませんでした。そして、書いた脚本を友人の名前で出すようにと依頼することで、自分の脚本を映像化しようとします。それでも、彼は刑務所に送られてしまいます。出所後も仕事のないトランボは自分をB級映画専門会社のキング・ブラザースへ売り込みます。そこで彼は、ダメ脚本の手直しや、新作を作ったりすることで実績を認められます。さらに、赤狩りで干されていた友人の脚本家も取り込み、多くの偽名を使って、脚本を提供し続けるのでした。そんな中で、以前友人の名前で出した脚本「ローマの休日」がアカデミー賞の作品賞を取ってしまうのです。さらに、キング・ブラザースのために書いた「黒い牡牛」がまたしてもアカデミー賞を取ってしまいます。一方で、仕事最優先で家庭を顧みないトランボでしたが、妻クレオが夫を信頼し、家族をつなぎとめていました。そして、遂に、メジャー映画の脚本が依頼されることになるのです。

実在した脚本家ダルトン・トランボについて書かれたブルース・クックの小説を、テレビで実績のあるジョン・マクナマラが脚色し、「オースティン・パワーズ」「ミート・ザ・ペアレンツ」などのコメディで有名なジェイ・ローチがメガホンを取りました。映画人の伝記ものというと「カポーティ」「ヒッチコック」なんてのを観ました。どちらも、面白いポイントを持った映画なのですが、娯楽映画として観た場合はやや退屈なところがあり、ベストテンに入る対象にはなりませんでした。なので、あまり大きな期待はしないで、スクリーンに臨んだのですが、この映画、娯楽映画としても面白かったです。虐げられた主人公が後半大逆転をするというのは、観ていてカタルシスがありましたもの。

赤狩りの時代ってのは、組合活動をするとアカだ反米だと言われていたらしいのですが、特定の政治信条を持っていると、それがソ連のシンパ、いやソ連のスパイだと見なされていたというのですから怖いものがあります。ただ、日本の共産党がソ連共産党の指示で動いていた時代もあったようですし、アメリカの核の情報が共産主義のアメリカ人からソ連に漏れていた事件もあったので、ソ連や共産主義への敵愾心が、赤狩りにまでヒートアップしたのかなと想像することができます。今の日本では、リベラルから左翼系の人間が、アカだ反日だとネットで叩かれているので、同じようなことが日本でも起きているのかもしれません。赤狩りの頃は、ソ連の恐怖でしたけど、今の日本だと北朝鮮やISの恐怖が人を差別して喜ぶメンタリティーを作っているのかしら。それとも、恐怖の対象がなくても、日本人は他人にレッテルを貼って、見下して喜ぶ国民性なのかな。ともあれ、政治信条によって、差別されたり売国奴呼ばわりされたり、職を失うなんて、やられた方はたまらないでしょう。法に触れたわけでもないのに、ブラックリストに名前が上がり、議会に呼ばれたり、差別的な扱いをされるトランボたち。その一方にいる反共の映画人の皆さんは、そういう差別や不当な扱いを正しいことだと信じ込んでやっています。憲法が個人の自由を認めていても、場の空気の方が勝ってしまうってのは、日本の特質かと思っていたのですが、アメリカでもあったということを考えると、人間、そんなに違わないってところに落ち着くのかもしれません。

では、この映画は、赤狩りと、実際にアカと名指しされた人の政治活動を描いているのかというと、そうではなくて、赤狩りで職を失った映画人がどうやって映画に携わっていくのかというお話になっていて、そこに痛快エンタテイメントの味わいがあります。アカには意地でも仕事を回さないという反共主義者の皆さんを、どこかコミカルな悪役に仕立てているのも、この映画のエンタメ度を上げるのに貢献しています。同じ赤狩りに遭った映画人を扱った「真実の瞬間」のようなヘビーな感動はありませんが、赤狩りという恥ずべき歴史を娯楽映画として描くのに成功しているのは、点数高いと思います。そんな中では、仕事を失った結果、トランボを含む友人の名前を公聴会で密告したエドワード・G・ロビンソンのエピソードがシリアスさで印象に残りました。俳優として活動する自分には、トランボのように偽名で仕事をするなんてできない、と、トランボの前で謝罪するロビンソンに、トランボは裏切り者と冷ややかな視線を向けるのですが、これは、ロビンソンが気の毒になりました。確かに友人の名を売ったことは間違いないのですが、そうしないと映画業界に生き残れなかったことは事実でしょうから。

さて、自分の名前を使えなくなったトランボは偽名を使って脚本を書き、それをキングブラザースというB級映画会社に安い値段で売り込みます。社長の信頼を得たトランボは、赤狩りで脚本を書けなくなった友人も巻き込み、小難しくて面白味のない脚本を手直しをすることで、仕事の幅を広げていきます。家族には、電話番、タイピスト、脚本の配達などを頼んで、休日もなく、1日18時間労働するトランボの姿は、切実なようでどこか滑稽でもあります。娘の誕生日なのに、仕事場である浴室にこもって脚本を書き続けるトランボを見て、娘が泣き崩れちゃうなんていうエピソードが、悲劇的ではあるのですが、どこかおかしいのですよ。完璧な人間ではないけど、有能で家族思いでもあるトランボを、アカデミー主演男優賞にノミネートされた、ブライアン・クランストンが見事に演じ切りました。出てきた途端に「ああ、トランボってこういう人か」と思わせる説得力というか存在感があるのですよ。こういう実在の人物のキャラを取り込んでしまう見事な演技を見たのは「リンカーン」でタイトルロールを演じたダニエル・デイ・ルイス以来だと思います。実在の人物を知らない私のような人間にも、ああこの人がトランボかと思わせちゃうパワーは劇場で確認していただきたいと思います。

そんなB級映画の仕事をしていく中で、彼にも本気でいい脚本を書いちゃう時がありまして、その映画「黒い牡牛」は、「ローマの休日」に続いて、またしてもアカデミー脚本賞を取ってしまうのが面白かったです。「黒い牡牛」は子供の頃テレビで観たきりで、クライマックスで闘牛場へ白バイが向かうシーン(本当にあったのかそんなシーン?)が印象に残っています。この映画を観て「黒い牡牛」を再見したくなりました。結局、「黒い牡牛」は存在しない人間の名前で書かれたので、賞を受け取ることはできませんでした。しかし、彼のもとをカーク・ダグラスが訪れ「スパルタカス」の脚本を書いて欲しいと言います。さらに、監督のオットー・プレミンジャーが「栄光への脱出」の脚本を依頼してきます。そして、これらメジャー映画の大作の脚本家としてトランボがクレジットされるようになり、ブラックリストはその実体を失っていくのでした。とは言え、赤狩りを行った非米活動委員会は1975年まで存続したというのが不気味な余韻を残します。自由の国アメリカで、国民の国家への忠誠度を調査し、反体制、反政府活動を取り締まるための機関は、ずっと生き永らえたことは知っておいてよい歴史だと思います。日本にそういう組織が作られないようにするために。

ラストは、晩年のトランボがその業績を認められて、パーティ会場でスピーチをするシーンです。ここで、彼は「誰もがあの狂った時代の被害者で、加害者はいない。」とスピーチします。それを聞いているのは、彼がこれまでかかわってきた皆さま。そして、家族。演技陣の中では、ダイアン・レインがやっぱりきれい。アラフィフなんですが、美魔女とは違う、年相応の美しさで映画を支えています。そして、その娘を演じたエル・ファニングが「ヴァージニア」の頃より全然かわいくなっていてびっくり。また、キングブラザース映画の社長を演じたジョン・グッドマンが儲け役だとは言え、印象に残りました。ジェイ・ローチの演出は、トランボという人間を変わり者として、そして反骨の映画人として、両面から描くことに成功しています。映画としても、面白かったですし、赤狩りの歴史に興味が湧いてくる映画でもありますので、一見をオススメしちゃいます。

「ニュースの真相」は、正しければよいのかということを考えさせてくれるサンプルとしてマル。


今回は新作の「ニュースの真相」を日比谷のTOHOシネマズシャンテ1で観てきました。

2004年、CBSの報道番組「60ミニッツ」で、プロデューサーのメアリー(ケイト・ブランシェット)は、大統領選の時期に、候補者であるジョージ・W・ブッシュの軍歴詐称の問題を取り上げることにします。ブッシュの若い頃、ベトナム派兵を逃れるためにテキサス空軍州兵に入隊したらしいという情報をつかみ、さらにブッシュの上官であったキリアン少佐がブッシュの訓練不参加に対して、評価不可であるということを上申した文書のコピーも手に入れます。これは、彼の軍歴に空白があったことを裏付けるものでした。CBSの上層部もこの企画にGOサインを出します。そして、「60ミニッツ」は放送されるのですが、放送直後から、キリアン少佐の文書は偽造だという保守派のブロガーが現れ、他のメディアもそれに追随し、「60ミニッツ」は窮地に追い込まれることになります。文書の提供者である退役軍人バーケット(ステイシー・キーチ)が入手経路を明かさなかった点も問題となりました。番組の顔として矢面に立つアンカーマンのダン(ロバート・レッドフォード)は、メアリーを信頼し擁護する立場を取ります。文書が偽造である可能性は調査の経過で少なくなってくるのですが、元がコピーであったことから、正確な鑑定ができないという弱点も持っていました。他のメディアからも誤報だと叩かれまくることになり、ついにCBSのトップは内部調査委員会の設置を決定します。そのメンバーには親ブッシュの人間も含まれていました。取材メンバーはそこで審問を受けることになります。果たしてメアリーは自分たちのスクープを立証することができるのでしょうか。

2004年に実際に起こった事件を題材に、「ゾディアック」「アメイジング・スパイダーマン」のジェームズ・ヴァンダービルトが、脚本を書き、初メガホンを取った、実録モノの一編です。ブッシュの軍歴詐称問題を、証拠つきで取り上げたテレビ番組が実は誤報であったというお話です。実際、ブッシュが州兵になったこと、義務である健康診断を受けなかったこと、特別扱いをされていたことは事実のようなのです。その裏付けとなる上官であったキリアン少佐のメモが偽造だということで大騒ぎになるのです。この映画では、「60ミニッツ」で放送した内容、即ち、ブッシュの軍歴詐称は事実だという描き方をしています。その物的証拠に問題があったという見せ方をしているのが面白いと思いました。証拠があやふやだったら、事実関係は立証できてないと考えるところですが、この映画では、キリアン少佐の上官もそういうメモが存在し得ると証言していて、キリアン少佐の立場であればそういうメモを残してもおかしくないということで、基本的に言ってることは間違っていないというスタンスを取っています。

むしろ、文書偽造というスキャンダルが独り歩きをして、大騒ぎになってしまった結果、最初のブッシュの軍歴詐称問題の話はどっかへ行ってしまったというところが、あまりよろしくないような描き方になっています。勿論、入手経路不明な証拠を使ったことは、メアリーがドジ踏んだということになるのですが、だからといって番組全てが否定されるわけではないというのは、へえ、そんなものかねえ、という気分になってしまいました。彼女のジャーナリストとしてのスタンスや生き方には肯定的なので、ガセネタをつかまされた彼女が被害者のようにも見えてくるのはこの映画の立ち位置を表していて面白いと思いました。極論すると「悪い奴を間違った証拠で叩いてもよい」とでも言いたいように見えるからです。でも、それって「いい奴を間違った証拠で叩いてもよい」と同等になっちゃうんですよね。「悪い奴」「いい奴」なんて、歴史の流れの中で、どんどん評価を変えていくものですから、「いい奴」であろうが「悪い奴」であろうが、叩くのには、正しい証拠が必要なのだと思っています。保守だろうがリベラルだろうが、その一線を守っておかないと同じ会話の土俵に上がることができないでしょう。そう考えるとこの映画、保守派からはどういう評価を受けているのかすごく興味のあります。

さて、実際のところ、キリアン少佐のメモですが、その出所は最後までよくわかりません。提供元のバーケットも良く知らない人間から接触を受けて渡されたというのです。バーケットはその渡されたメモを本物と信じていて、かつニュースソースを守るためのその経緯をメアリーに隠していたというのです。もともと、バーケットは情報を渡すけど、自分が前面に出ることはやだって言ってまして、それについてはメアリーが、自分たちがバーケットを守るからと宣言していたのですが、事態がここに及ぶと、そんなのはあてにならないことがわかってきます。カメラの前に立たされて、ダンのインタビューを受けるバーケットを見て、最初から情報を渡すのに反対だった彼の奥さんが、メアリーたちに毒づくあたりは大変リアリティがありました。メディアの連中の言う事を信用したら大変なことになるってのをきっちりと描いているのですよ。この映画、メアリーたちを単に被害者として擁護する映画にはなっていません。一方で、このニセ情報でメアリーたちをまんまとはめた連中を非難したり追及するなんてこともやっていないのが面白いと思いました。あくまでメアリーを中心に起こったことを淡々と描くというスタンスを取っています。ヴァンダービルトの演出は、メアリーやダンがはめられた事実を描くのですが、その時に、彼らのこれまでの実績や、事実を追及する態度を否定的には描いていません。それでも、バーケットに不実(守ると言っておいて守れない)なことをしたことも見せることで、報道における不完全な人間な在り様を丁寧に描いて見せます。

そして、もう一つ描かれるのは、会社側がメアリーやダンを守ってくれないというところ、日本だったら、絶対うやむやにしちゃうところを、CBS自ら調査委員会を設置して、状況の調査を第三者に依頼するのですよ。うやむやにするよりはこっちの方がフェアだなあって思います。そこで事実が明らかになり、結局、メアリーは職を失う羽目になるのですが、事実だけ積み上げられることで、それまでの彼女の過去や報道へ取り組みがあまり知られないで、彼女自体が否定されちゃうのは、よろしくないのではという、作り手の視点が見えます。特にダン・ラザーに対しては、すごく同情的でして、メアリーを信頼して、結局一番貧乏くじを引いてしまったアンカーマンとして描かれていまして、ロバート・レッドフォードがある意味スターオーラ満載で演じて、彼の最後の放送シーンを感動的に盛り上げる演出をしているあたりにこの映画の立ち位置が読み取れます。そして、その番組を観るメアリーから、彼女のその後(メディアの仕事はしてないということ)が字幕で出て、エンドクレジット。

脇役にも印象に残る面々(トファー・グレイス、デニス・クエイド、ダーモット・マローニー、ブルース・グリーンウッドという個性的な皆さん)を揃えて、ドラマとしての見応えはありました。そこから見えてくるのは、やっぱりブッシュって駄目な人なんじゃないということと、「60ミニッツ」という不幸な終わり方をした番組のお値打ちでした。ある意味、「60ミニッツ」の弁明とも言える映画なのですが、それを娯楽映画としての彩りをつけて見せているので、面白く観ることができました。アメリカという国のメディアの在り様が見えてきますし、政治的に中立はあり得ないというスタンスですとか、日本なんかより厳しい自己責任の非情さなど、再認識させられるところもありました。良くも悪くも日本とアメリカの文化の違いに触れる映画としてもオススメしちゃいます。

「ヤング・アダルト・ニューヨーク」の中年からの若さへの憧憬は何だか切ないものがありまして


今回は新作の「ヤング・アダルト・ニューヨーク」を川崎の、TOHOシネマズ川崎4で観てきました。金曜の夜の回としてはそこそこの入りという感じでしょうか。映画もウィークデーの週末に観るにふさわしい内容の映画でした。

ニューヨークに住む40代夫婦のジョシュ(ベン・スティラー)とコーネリア(ナオミ・ワッツ)の夫婦。ドキュメンタリー作家のジョシュと、映画プロデューサーのコーネリアは、2度の流産を乗り越えて、今は夫婦仲は円満。ただ、ジョシュの8年越しのドキュメンタリー映画はなかなか完成しない状態です。そんなある日大学で講義を持っているジョシュが若い映像作家のジェイミー(アダム・ドライバー)と知り合いになります。ジェイミーの妻ダービー(アマンダ・セイフライド)は、新しいアイスクリームを考案して売ってます。そんな若いカップルの姿は、ジョシュには新鮮に映ったようで、すっかり仲良くなってしまいます。そして、ジョシュは、ジェイミーをコーネリアの父であるドキュメンタリー映画の名匠ブライバート(チャールズ・グローディン)に紹介してあげたりもします。また、ジェイミーがSNSで声をかけてきた旧友に会いに行くというのでカメラマンを買って出たら、その旧友は精神病院に入っていて、アフガン帰りの元兵士だということが判明。ジェイミーは彼をネタにドキュメンタリーを作ることにし、コーネリアがプロデュースし、出資者まで取り付けることに成功しちゃいます。さらに、そのラッシュ試写会に、ブライバートまで呼ばれているのを知り、ジョシュとしてはあまり面白くない。そんな不機嫌さがコーネリアにも伝わっちゃって夫婦仲まで危うくなってくるのでした。

ちょっと前「イカとクジラ」という滅法面白いホームドラマがあったのですが、その監督であるノア・バームバックが、脚本を書いてメガホンを取った、中年夫婦の危機を描いたコメディです。主人公のジョシュとコーネリアは、映画監督とプロデューサーという肩書を持つ、ちょっとアートな夫婦です。友人に子供ができたのをうらやましく思う一方で、2度の流産を乗り越えて、もう子供はあきらめの境地にいました。ある日、大学の講義で知り合った若夫婦ジェイミーとダービーに何だか心惹かれちゃうのですね。若さと自由を持つ一方で、古い文化を大事にしていて、LPレコードのコレクションを持ち、スマホに頼らない生活で、確かに、何となく時流に流されているジョシュとはライフスタイルが違うように見えたようです。そして、結果(成功)ばかり追求してしまう自分と比べると、そこに至るまでのプロセス(経過)を大事にしている(ように見える)彼らに、羨望の視線を向けてしまうのですよ。

その一方で、同年代の皆さんとは今一つ波長が合わなくて、そんな彼らを見下しこそしないけど、迎合できなくているので、ますますジェイミーがよく見えちゃうジョシュ。若さへの憧憬というのは、私もこの年になるとわからなくもないのですが、ジョシュは、ジェイミーの自分との違いを何でもかんでも「若いから」へ持っていこうとするので、そこに違和感を感じるところもありました。老若の違いではなく、個性、才能の違いまでも、老若の違いで、納得しようとするあたりが、何か惨めなのですよ。大人のようでいて、子供っぽいというのでしょうか。ジェイミーがうらやましいのを、あれは若いからできるのであって、自分はそうするには年を取ってしまった、でも、年を取るのもそんなに悪くないよねという流れになるドラマなんですが、じゃあ、自分が若い頃、ジェイミーのように生きられたのかってところがすっぽり抜けてしまっています。そんなことはない、ジョシュとジェイミーは元から違う人間なんだから、個性も能力も違うのですよ。でも、その根本的な違いを認めたくないってのがありありと見えてくるあたりが面白いと思いました。中年の惨めな自己肯定の姿をすごくリアルに見せるあたりに、バームバックの意地の悪さを感じてしまいました。一見、中年夫婦の和解がハッピーエンドに見えるのですが、それはどこか惨めっぽくて、何か悲しげなのが、切なくもあります。才能ある若者への嫉妬を「あれは若いからできること」で納得しちゃうってのは、本人たちがそれでよければOKなんだけど、ちょっと悲しくもあり、でも、それでOKで、夫婦丸く収まるのならそれに越したことはないという見せ方は、同世代の自分からすると切なくなるエンディングでもありました。

演技陣では、どんな役柄でも達者にこなすナオミ・ワッツが、今回もいいところを見せました。メイクも老けの部分をあえて隠さず年相応に見せるあたりは役者だなあって感心。また、ベテランのチャールズ・グローディンが酸いも甘いも噛分けた映画作家役を好演していまして、ジタバタする主人公に比べて、大人なポジションを飄々と演じて見事でした。また、主役も脇役もいい感じにこなすアマンダ・セイフライドが、才気溢れるダンナにちょっと無理して付き合っているという感じの妻を細やかに演じていて印象的でした。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



ジェイミーの作るドキュメンタリーはすごく評判がよくてスポンサーもつきます。ところが、SNSでの旧友との出会いから、彼がアフガン帰りだったということが判明したというところが全部ヤラセだったことが判明します。旧友というのは、彼の妻ダービーの古くからの友人で、アフガン帰りということも、ジェイミーは最初から知っていました。ジョシュが付き合わされた旧友との出会いの場は、ジェイミーによって演出されていたのでした。結局、ドキュメンタリーの発端であるところの旧友との出会いがヤラセだとわかったわけですが、それについてジョシュがすごく怒っちゃうのですよ。そんなものドキュメンタリーじゃないって。でも、その昔からドキュメンタリー映画には見せたいものを強調するためのヤラセはつきものだとあちこちの本で読んできた私には、なぜそこんところのジョシュがこだわるのかが理解できず、何かこいつ子供っぽくね?って、引いてしまいました。そんなところにこだわるジョシュに対して、ドキュメンタリー映画の巨匠である義父は「やれやれ」という顔をします。義父のパーティで遅れて現れたジョシュはジェイミーに対して正面から怒りをぶつけるのですが、ジェイミーに「それがどうした?」という顔をされちゃいます。でも、パーティ会場を出たジョシュを追いかけてきたコーネリアにちょっとだけ諭されて納得、二人の関係も修復されるのでした。そして、養子をもらうためのハイチへと向かうジョシュとコーネリアに暗転、エンドクレジット。

私が感じたのは、二組の夫婦とも、クセの強いダンナに付き合う奥さんが偉いなあってこと。自我の強い女性なら、ある意味独善的なこういうダンナには付き合いきれないだろうって思いますもの。でも、ジョシュとコーネリアがうまくいってるのはお互いに愛し合ってるからだよねという見せ方になっているので後味は悪くありません。物の考え方には子供っぽいところもあるジョシュですが、その分、若者らしいラブラブな愛情を妻に向けるのですよ。いい年こいて子供っぽいのも、悪いところばかりじゃないなって思わせるところが面白かったです。まあ、これは私が主人公の世代に近いからそう思うのかもしれません。若い方がご覧になったら、もっとジェイミーに近い視点から、迷惑中年ドラマとしてご覧になるかもしれません。そういう意味では、色々な年代の方から、感想を聞きたくなる映画でした。
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Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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