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「BFG」はロアルド・ダールの童話の世界を大事にした映画として好き、スピルバーグのうまさ感じます


今回は、新作の「BFG」を川崎の川崎チネチッタ4で観てきました。チネチッタの中では中堅どころのスクリーンですが、きちんと大劇場風の作りになっているので、映画鑑賞の満足度が高いです。

真夜中、ロンドンの孤児院でソフィ(ルビー・バーンヒル)は眠れぬ夜を過ごしていました。すると、街の中を歩く巨大な影が、目に入ります。急いでベッドに戻ったソフィを、その巨大な影はソフィをつかみあげると、いずこかへと走り去っていくのでした。ソフィを連れ去ったのは巨人(マーク・ライランス)で、自分を目撃したソフィがそのことを周囲に話せば、人間は巨人狩りを始めるから、巨人の国の自分の家へ連れ帰ってきたのでした。巨人はソフィを食べちゃうとかするつもりではなさそう。でも、その国にいる他のもっと大きな巨人たちは人間の子供を食べちゃうような連中です。ソフィをさらった巨人BFGは、そんな巨人たちからいじめられていました。ソフィはこの先ずっとこの巨人といることになるのに結構元気。BFGの仕事に一緒に行くとせがみます。BFGの仕事とは夢の国に出かけ、そこにあるたくさんの夢を瓶に詰め、色々な人々にその夢を吹き込んでいたのでした。しかし、ソフィの存在が人食い巨人たちに知られてしまい、BFGはソフィを孤児院へと戻します。でも、ソフィはBFGに一緒にいたいと言い、ソフィはBFGの家へ戻ります。一方、人食い巨人たちがソフィの臭いを嗅ぎつけて、BFGの夢の倉庫をめちゃくちゃにしちゃいます。人食い巨人たちは子供たちをさらって食べていることを知り、一計を案じたソフィは、女王(ペネロープ・ウィルトン)の力を借りて、人食い巨人たちを止めようと、BFGと一緒に宮殿へと向かうのでした。

予告編を観たときは、CGのファンタジーということであまり食指が動かなかったのですが、シネコンの上映中の映画を観たら、観たい映画を全然やってない(アメコミやアニメはもっと食指が動かない)ので、この映画のチケットをゲットしてスクリーンに臨みました。一応、この映画には気になる人が2人かかわっていたので、そこが気になっていました。一人は今年一番面白い映画「ブリッジ・オブ・スパイ」を作ったスティーブン・スピルバーグ、そしてもう一人はロアルド・ダールでした。私がロアルド・ダールの名前を初めて知ったのはテレビの「予期せぬ出来事」という30分のミステリアンソロジーもの。その後、「キス・キス」「あなたに似た人」といった奇妙な味の短編集を読んで、ファンになりました。「007は二度死ぬ」の脚本も書いてると知ったのはその頃でした。この人の本を読んで、他の奇妙な味の短編も読むようになり、ロバート・ブロック、リチャード・マチスン、チャールズ・ボーモントなどの作家の名前も知るようになりました。そんな彼が児童小説も書いてると知ったのはずっと後のことでして、その映画化でもある「チャーリーとチョコレート工場」も観たのですが、これはそれほどのものかなあって印象でした。でも、ダールという名前に惹かれての鑑賞となりました。

お話は真夜中の孤児院、一人だけ眠らないで起きているソフィという女の子は不思議なものを見た直後、毛布ごとさらわれてしまいます。さらった巨人はものすごい速さで、森を抜け海峡を渡り、彼の家にソフィを連れていきます。その後、ドラマの前半はソフィと巨人BFGとのやりとりだけで展開するのですが、映像の見せ方に工夫をこらして、飽きさせないあたりは、さすがはスピルバーグ演出と感心しちゃいました。この映画は、シニカルな視点とかファンタジーの暗部を描いたドラマではなく、すごくストレートなおとぎ話になっています。そのクセのなさは、子供には楽しくても大人には退屈に感じられるところもあります。そこを、見せ方や映像の美しさで楽しませる工夫をしてファミリーみんなが楽しめる映画に仕上げています。

BFGってのは、かつて巨人がさらってきた男の子が彼につけた名前「Big Friendly Giant」の略なんですって。で、その男の子は人食い巨人に見つかって食べられちゃったという暗い過去をBFGは抱えていました。その人食い巨人というのは、BFGより体がでかい9人の巨人で、BFGをいじめてばかりいました。BFGには親はおらず地球と同じくらい生きてきたのだそうです。変にリアルな設定をしないで、いかにもおとぎ話なお話と展開は、最近の映画には珍しいものがあります。最近では、アメコミもファンタジーも映画化するときに、変にドラマチックな展開や過去のどろどろの因縁話の方へドラマをシフトするのですが、この映画はファンタジーの枠を最後まで離れません。実際、ディズニーが絡んでいるせいか、続編を作ることも可能な決着にしてはいるのですが、この映画で、お話はきちんとクローズしていますし、きちんとこれで、一つの完成品になっています。1本の映画が、それだけで完成品になっているというのを特筆するのもどうかと思うのですが、最近の映画で、そういうのは意外と少ないのですよ。特にハリウッド映画は、続編やスピンオフが作られない映画はよっぽどマーケッティングに失敗したんだろうなというくらい、続編ありきの映画づくりになっています。それの良しあしは置いといて(私は嫌いですが)、この「BFG」がそれ一本で完成品になっているのは、希少価値も含めて評価したいと思います。(まあ、なんて褒めてるうちに続編が作られちゃうかもしれないけど。)

巨人はみんなCGで、演者のモーションキャプチャーはしているようですが、あえてアニメ感を隠そうとしていないのはちょっと面白いと思いました。実写のソフィとの絡みはさすがと思わせるものがあり、BFGがソフィをつかんで移動するショットをカメラがBFGの下をくぐるような動きで捉えたショットなど、おお最近のCGはこういうこともできるんだねえって感心しちゃいました。こういう映画で、撮影監督のヤヌス・カミンスキーはどこまで映像をコントロールしているのかは気になるところでして、単に実写部分の素材屋になっちゃっているのかしらなんて考えてしまいます。CG中心の映画で、撮影監督ってどういう仕事をしているんでしょうね、このご時世では。

その映像の美しさが印象的なのは、BFGが夢を取りに行く、夢の国のくだりです。大きな池と大きな木があって、そこを流れ星のような夢が飛び回っていて、BFGはそれを網で獲ろうというのですが、夢は飛び回ってなかなか思うように行きません。飛び回る夢のイメージは映画ならではのものでしょう。この映画は全体的に、童話の挿絵のタッチで映像が作られているのですが、ここだけは動画ならではの、流れるような美しい絵作りが印象的でした。今回は、ILMではなく、WETAスタジオがメインの視覚効果を担当していまして、童話の挿絵タッチを壊さない絵作りに力量を発揮しているように思いました。

この映画の脚本を書いたメリッサ・マシスンは「E.T.」「トワイライドゾーン」の脚本を書いた人で、この映画が遺作になったそうで、エンドクレジットで、「For Melissa」と出ます。音楽は、スピルバーグの前作には関わらなかったジョン・ウィリアムスが筆を振るっています。印象に残るフレーズは少なかったものの、夢の国を描写する音などで流麗な音楽を書いていまして、こういうジャンルにこの人は必要だなあって実感しました。80歳を過ぎても現役なのは、すごいことだと思います。

演技陣では、マーク・ライランスの演じるBFGがペーソスに寄り過ぎないキャラクターになっているのが、大変いい感じでした。変にキャラクターに肉付けをしていないさじ加減がうまくて、登場人物に寄り過ぎない演出は感情移入させすぎず、おとぎ話にふさわしいタッチになっています。ソフィ役のルビー・バーンビルも感動的な演技ではなく、かと言ってこまっしゃくれた感じもなくて、そのほどほど感がこのドラマにうまくマッチしています。孤児という設定にシンパシーを感じさせることなく、かわいくて楽しいヒロインに仕上げているのは、スピルバーグの演出のうまさでしょう。感動とか泣き所がないので、サラリと見てしまう演技、演出ではあるのですが、そのサラリとした感じはよく考えられて作られているからだと私は思いました。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



BFGは夢を調合して、人食い巨人が子供たちを食べちゃう怖い夢を作り、眠っている女王に吹き込みます。女王が目を覚ますと、そこにはソフィーがいて、人食い巨人の説明をし、彼女が呼ぶと、女王の前にBFGが現れます。そして、王宮の中で、BFGを招いた珍妙な朝食会となります。そこへ、軍の将軍たちがやってきて、BFGは彼らを巨人の国に案内することになります。BFGとソフィは軍のヘリを待機させておいて、BFGの部屋にある怖い夢(見ると自分の行動を後悔しちゃう)を調合し、9人の人食い巨人に吹き込もうとします。ところがBFGが夢を吹き込むためのラッパをロンドンに忘れてきてしまいます。すると、ソフィが夢を持って、眠っている人食い巨人たちの輪の中へ飛び込んでいき、そこで夢を解放すると、夢たちが巨人の中に入り込みます。すると、夢にうなされる巨人たち、彼らをヘリで吊り上げると、誰もいない秘密の島へ送ってしまうのでした。これで、人食い巨人も悪さができなくなり、めでたし、めでたし。ソフィは宮殿で暮らすようになります。BFGは巨人の国の家に帰ります。でも、ソフィはBFGが世界中の声を聴きとれることを知っていました。また、彼に声をかければ、それが彼に届くことも。

人食い巨人に悪夢を見せて、そこを捕まえて、誰も知らない島へ送っちゃうなんて、全然リアルじゃない展開なのですが、それをそういうお話なんだよという感じで、すんなりと見せきっちゃうスピルバーグの演出は見事でした。ラストのめでたしめでたしな後味も、このおとぎ話にはふさわしいものでした。観終わって気になるところが残る映画もあるのですが、こういう映画は、全て腑に落ちて、後を引かないってのが重要だと思います。この映画は、孤独な少女ソフィが、心やさしい巨人BFGにさらわれた後、友達になり、ソフィの考えたプランがBFGを救い、二人とも平和に暮らしましたとさというお話です。それ以上に肉付けをしないところが、素朴な味わいとなり、二人の友情は友達っていいよねという後味を残します。いい大人には物足りないと言えば、確かにそういうところもあるのですが、児童小説をその空気感に忠実に映画化したということで、この映画、結構好きです。子供向け映画のようでいて、初老オヤジも最後まで楽しんでしまいましたから、いい大人も観られる映画に仕上がっているという点からも評価が高くなりました。メインタイトルに「Roald Dahl's BFG」と出るのも、これは、ロアルド・ダールの世界なんだよという宣言をしているようで、スピルバーグがダールの世界を大事にした成果ではないかと思います。
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「コロニア」は凛としたヒロインのサバイバルスリラーとして結構面白い


今回は新作の「コロニア」を伊勢佐木町の横浜ニューテアトルで観てきました。この映画館は時々こういう限定公開の映画を上映するので、ラインナップにはいつも要注意の映画館です。

1973年、チリではアジェンデ大統領の社会主義政権に大して軍部のクーデターが発生しました。CAのレナ(エマ・ワトソン)は、その時、サンティアゴへのフライトで、恋人の写真家ダニエル(ダニエル・ブリュール)に会いに来ていました。アジェンデ政権へのシンパであるダニエルはアジェンデのポスターを作ったりもしていたのですが、ともあれ二人で街へ逃げ出すのですが、ダニエルがカメラで撮影していたせいで、兵士に見とがめられ、他の市民と一緒にスタジアムへ連行されてしまいます。そして、ポスター書きをしていることが密告者の証言でばれてしまい、ダニエルはどこかへ連れ去られてしまいます。釈放されたレナは、ダニエルの友人たちから彼がコロニアという宗教施設に連れて行かれたことを知ります。彼女はダニエルを助けるため、自ら志願してそこへ入所します。一方、軍部によってコロニアで拷問されたものを何とか生き延びたダニエルは、精神障碍者のふりをしてコロニアで雑用をするようになります。レナはコロニアで厳しい農作業に従事しつつ、ダニエルの姿を探し求めるのでした。

ドイツ人のトルセテン・メンツェルとフロリアン・ガレンベルガーが共同で書いた脚本を、ガレンベルガーが監督しました。これ、南米のチリを舞台にしていますが、英語とスペイン語によるドイツ・ルクセンブルグ・フランス合作という映画でして、珍しいなあと思ったものですが、プログラムによると、実はこの「コロニア・ディグニダ」というコロニーは、ドイツ人パウル・シェーファーがチリに設立したカルト集団のための集団農場でしたが、多くのドイツ人がここに移り住み、慈善を行う宗教団体という表看板の裏で、その中でシェーファーは独裁者として君臨し、ピノチェト軍事政権とも親しくしていたというのです。映画の後半では、ここでサリンや銃を作っているという話も登場します。シェーファーはそのカリスマ性と恐怖によって、私腹を肥やし、チリの政界とも通じていたんですって。という細かいところは、映画からは読み切れず、プログラムを読んで知ったのですが、そういうカルト宗教集団があったことは知っておいてよかったですし、それはドイツにとっての黒歴史になっているらしいのです。そういう意味では、ドイツでは単なるスリラーでない扱いをされたらしいです。基本的に主人公二人は架空のキャラクターですが、コロニアの設定などは事実に基いているんですって。日本人にとってはこういうコロニーが存在したということを知る歴史の勉強半分、政治スリラー半分くらいの配分で楽しむのが正解のようです。

この映画の主人公ダニエルとレナはどちらもドイツ人という設定で、レナはルフトハンザ航空のCAです。ダニエルは写真家としてチリに入国していましたが、実際はアジェンデ政権支援の政治活動をしていました。そんな彼が軍事クーデターの中で捕えられ、コロニアの地下施設で、仲間の名前を吐くように電気ショックによる拷問を受けますが、彼は最後まで口を割らず、身柄をシェーファー(ミカエル・ニクヴィスト)に預けられます。ダニエルは白痴のふりをして、コロニアで雑用をこなす日々を送ります。コロニアでは、男、女、子供は別々に分けられて生活し、基本交わることはありません。女性は、農作業と病院での作業がメインのようで、厳しい監視下で、作業します。それは、家族を構成させないで、コロニアに従属させるという心理操作が目的のようです。男性集会の場で、信仰に穢れを生じたものに罵声を浴びせて暴力を加えることもあります。シェーファーは人間の心理を巧みに操り、時に恐怖で押さえつけ、時には熱狂させ、信仰への疑問を起こさせることなく、コロニーを運営しています。その手口の詳細を映画では描くことはしませんので、カリスマとしてのシェーファーに説得力を欠いてしまったのは残念でした。なぜ入所者がシェーファーに進んで従属するのかというのは、この類のカルト集団を描く時に必要だと思うのですが、この映画はそこまで踏み込まないので、同じカルト集団を扱った「マーサ、あるいはマーシー・メイ」のような説得力というか、皮膚感覚的恐怖を描くには至りませんでした。それでも、悪の集団として位置づけられるコロニアからの脱出劇はなかなかにサスペンスフルで面白かったですし、カルト集団の異常さも伝わってくる映画に仕上がっています。

レナは、自ら信仰のためと言って、コロニアへの入所を志願するので、変わった人間として、シェーファーにマークされます。他のメンバーと違って、自分の考えを持って行動していることを見抜かれてしまいます。下手をすれば命すら危ないことに身をさらすヒロインの説得力は微妙なところもあるのですが、エマ・ワトソンの凛とした佇まいが何となくそうなんだなって納得させられてしまいました。一方のダニエルは写真を撮りまくることで足を引っ張っちゃうお坊ちゃんなところもあって、かっこいいヒロインの引き立て役になっています。

ガレルベンガーの演出は、コロニアを悪の巣窟のように描くことで、ヒロインのサバイバルスリラーとしてお話を盛り上げることに成功していまして、コロニアでの入団者への虐待ぶりなどをクローズアップすることで恐怖感を盛り上げることに成功しています。その分、なぜ多くの人間がコロニアに入団してしまうのかといったことは描かれませんので、入団者の一部の犠牲者のみが被害者であるという見せ方になっているのは、突っ込みが浅いと言われても仕方ないかも。ただ、こういうカルト集団が政治力を持って、平気でのさばってしまう怖さは伝わってきます。映画の最後の字幕で、この組織の存在が世界に知られるようになってからも、コロニアは存在し続けたと説明され、シェーファーは幼児虐待の容疑で逮捕されるが、関連した政府要人が告発されることはなかったそうです。



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ピノチェト大統領の視察を迎えるタイミングで男女は一緒に集められます。その時、エマとダニエルは再会します。夜勤のエマの元を、場内の監視要員を志願したダニエルが訪れ、彼らはコロニアの地下に地下通路が張り巡らされていることを発見します。一方、軍部に納めるサリンの人体実験に白痴のダニエルが使われることになり、コロニア脱出は一刻を争う状況になってきます。人体実験を翌日に控えた夜、エマとダニエルは地下通路を使っての脱出を試みます。エマと仲が良く、妊娠していた看護婦のウルセルも連れ、地下通路から、敷地外への脱出に成功したものの、ウルセルは森の中のトラップに引っかかって銃殺されてしまいます。エマとダニエルはドイツ大使館へ駈け込んで、チリを脱出することになります。エマの航空会社へ連絡し、ドイツ行きの便に乗せてもらうことになり、空港へ向かうのですが、二人は地下の部屋へ案内されて待たされます。そこへシェーファーがやってきます。ドイツ大使館員もシェーファーとグルだったのです。エマとダニエルは部屋を脱出して、間一髪離陸直前の飛行機に乗り込みますが、管制塔から離陸取り消しの指示が来ます。機外にはシェーファーたちが待ち構えています。しかし、事情を呑み込んだ機長は強引に離陸して、チリを脱出するのでした。おしまい。

助かったと思ったのに、ドイツ大使館もシェーファーとグルだったというのは意外性がありました。でも、そこで機長の判断で、二人の命は救われ、ダニエルの撮影した施設内の写真は陽の目を見ることになります。しかし、後日談の字幕では、そんなことではコロニアは閉鎖されることもなく存続したことが示されるので、不気味な余韻を残します。軍事クーデター下のチリの、カルト集団の存在という設定が、逃げ場なしの怖さを盛り上げることに成功していますので、サバイバルスリラーとしては成功していると思いますし、エマ・ワトソンの熱演もあって、面白い映画に仕上がっています。

「リトル・ボーイ 小さなボクと戦争」は穏やかでコミカルで反戦映画で説教臭くないのが好き。


今回は新作の「リトル・ボーイ 小さなボクと戦争」を、有楽町のヒューマントラストシネマ有楽町2で観てきました。ここは小さな映画館でスクリーンも小さめなので、ちょっと座高の高い人が前に座ると画面が欠けることがある、作りとしては古めの映画館です。

第二次大戦中のカリフォルニア州の小さな漁村、8歳のペッパー(ジェイコブ・サルヴァーティ)は背が低いのでリトル・ボーイと呼ばれていました。でも、父親(マイケル・ラパポート)とは相棒みたいに仲良しでしたけど、兄のロンドン(デヴィッド・ヘンリー)が志願兵に落ちてしまったことで、父親が代わりに戦争に行くことになってしまいます。相棒を戦争に取られて意気消沈のペッパーですが、日系人のハシモト(ケイリー・ヒロユキ・タガワ)の家に兄と一緒に石を投げて警察沙汰になっちゃいます。オリバー司祭(トム・ウィルキンソン)に眼から憎しみが消えるように、次のことをしなさいというリストをもらいます。その中には「ハシモトと友達になること」も含まれていました。いやいやながら、ハシモトの家を訪れて友達になろうとするペッパーですが、最初は相手にされません。それでも、ペッパーは食い下がり、彼と親しくなります。そして、彼の協力を得て、司祭からもらったリストをこなしていくことになります。しかし、敵国のジャップは町では嫌われ者、兄のロンドンはペッパーにあんなのとは付き合うなと言います。信念があれば山も動くと司祭に聞いていたペッパーはそんな兄に食い下がり、山に向かって念を送ると偶然に地震が起こり、ペッパーは町の有名人になっちゃいます。一方父親はフィリピンで日本軍の捕虜になったという知らせが届きます。ペッパーは戦争が終われば兵隊も帰ってくるのを知り、毎日、海辺に立って、日本に向かって念を送るようになります。そして、日本に原爆リトル・ボーイが落とされたというニュースが届き、ペッパーの思いは現実となったように見えたのですが....。

メキシコのペペ・ポーティーロとアレハンドロ・モンテヴェルデが共同で書いた脚本を、モンテヴェルデが監督した、第二次大戦を題材にした人間ドラマです。主人公のペッパーは、背は小さいけど元気な普通の男の子として登場します。日本と戦争中ですから、日本人を見ると「ジャップだ」と言って大騒ぎし、兄にそそのかされて、日系人の家に石を投げてガラスを割ったりしたりしちゃいます。一方で父親が大好きで、マジシャンでヒーローのベン・イーグルの大ファンで、彼のショーで舞台に呼び出され、ペッパーの念でビンが動いたものですから、自分にそういう力があるのかもと思ったり、でも司祭の前でやったら全然動かなくて、「ボクってバカみたいだね」なんてことも言う男の子。そんなペッパーがオリバー司祭にもらったリストに書いてあることを次々に実現させることで、望みがかなうと信じます。

この映画のいいところは、信仰であれ、人間であれ、白黒を簡単につけないこと。全ての物事は多面的で、一つの言葉で表現できるものではない、でも、そこにこそ希望と真実があるのだという見せ方はすごく共感できました。カソリックであるオリバー司祭と無神論者であるハシモトは決してお互いを否定しないで、お互い敵国人なのに仲が良いです。ハシモトを目の敵にする町の男にしても、息子を真珠湾で失っていて、その怒りの矛先が彼に向いてしまうのにもそれなりの理由があります。ペッパーの母(エミリー・ワトソン)は、夫が日本の捕虜になっていて、日本憎しの気持ちもあるのでしょうけど、敵国人のハシモトが息子の友達だと知ると、彼を家に招き入れます。ペッパーが山に念を送ったときに起きた地震を街の人々は偶然だと知っていても、あの子が起こしたことにしてもいいじゃないかというくらいの気持ちを持っています。よく見れば、みんないい人なのに、それでも偏見や憎しみを抱いてしまうという図式は、これは優れた反戦映画だという事もできます。実話ではないですし、寓話的な味わいの濃い映画なんですが、それでも人間の自然な在り様は善であり、それが戦争によって歪められてしまうことを見せるあたりは見事だと思いました。日本に原爆が落とされたことを街を挙げて大喜びする一方で、ペッパーが夢で、焼野原の広島で灰になった父親を見つける夢をみるエピソードは、アメリカ人だったら作らないでしょうけど、メキシコ人監督のモンテヴェルデは、アメリカ人も日本人も客観的な視点で描いていまして、そこが日本人から見ても不愉快にならない映画に仕上がっているのだと思いました。

プログラムによると、この映画の脚本を書き始めてから、日系人の強制収容所とか原爆の愛称とかを知ったそうで、反戦を主体に作った映画ではないのだそうです。なのに、この映画には、最初から最後まで、戦争のなす悪が影を落としています。そんな時代に、ペッパーはチビだからいじめられることもあるのですが、元気に育っています。もともと日本人と仲良くなるつもりなんて、これっぽっちもなかったのですが、オリバー司祭にやることのリストをもらったばかりに、嫌われ者のハシモトと仲良くなります。ハシモトは、父親が不在で、かつ色々なことを信じやすいペッパーの事が気掛かりで、司祭に相談をかけたりもするのですが、司祭はそれは最終的に神の意思が決めることだろうと言います。その言葉の裏には、神への信仰が、ペッパーを良い方向へ進ませるであろうという希望があります。この映画では、神様は必ずしもその人にとっていい事ばかりはしてくれないけど、信仰という精神状態は、その人をいい人にするのではないかという見せ方は面白いと思いましたし、その信じる心の起こす奇跡のファンタジーとしてこの映画は結末を迎えることになります。

演技陣はみな好演で、エミリー・ワトソンはこの時代の分別ある女性を普通に演じて見せました。この映画の演技陣の見事なのは、みんな各々のキャラクターを普通の人に見えるように演じているということ。主人公やハシモトをいじめたりもするし、主人公の祈りが実現したと喜んだりもする町の人々がみんな普通の人に見えるというのは、彼らを客観的に演出したモンテヴェルデの力量によるものが大きいと思います。彼らが普通に見えれば見えるほどに、その時代の残酷さ、戦争のもたらす悲劇が浮き彫りになるのですよ。この普通の人の描写によって、この映画は反戦映画になり得ていると言えましょう。とは言え、この映画は愁嘆場で盛り上げたり、声高に戦争反対を訴える映画ではありません。全体としてのトーンは、コミカルに、ペッパー少年の起こす奇跡を追ったファンタジーという感じで、大人から子供まで楽しめる映画に仕上がっています。



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息子を真珠湾で亡くしたサムが、ロンドンと一緒になって、ハシモトの家に入り込み、帰ってきたハシモトに暴行を加えます。サムはその場から逃げ去りますが、重傷を負ったハシモトを、ロンドンは放っておけずに病院へ運び、警察につかまってしまいます。そんな時、軍からペッパーの母へ使者がきて、父親の遺体が確認されたことの報告が来ます。遺体はなくても、ここで葬りたいと願う母親の意向で葬儀が営まれ、ハシモトもサムもそこに列席するのでした。しかし、戦場で、ペッパーの父親の靴を盗んだ男が死亡したため、それについていた認識証から、彼が死んだものとされていて、本人は生き延びていたのでした。しかし、精神を病んでいて病院にずっと収容されていました。その事実を知り、病院へと向かうペッパーたち。ペッパーの「相棒」の声に答え、彼を抱きしめる父親。めでたしめでたし。

後半は、かなり駆け足の展開になっちゃうのがちょっと残念ではありましたが、それでもペッパーの父親の死の報告から葬儀への流れの抑制の効いた見せ方は見事で、不本意ながら泣かされてしまいました。ラストの強引なハッピーエンドは意外性がありましたが、作り手のどうしてもそうしたいんだという気持ちが伝わってきたので、後味はいいものになっています。主人公がこの先、普通の大人に成長していくのだろうなと思わせるところが、私には点数高かったです。この子がこの先、親日派の知識人になるとか、どこか秀でたものを持った人間になるといった見せ方ではなく、特別なこともない普通のアメリカの子供として育っていくんだろうなあと思わせるのが、この映画のテーマに合っているように感じたからです。それは、普通の人なら、この子のようになってほしいなと思わせるものがこの映画にあったからということも言えます。別に、人間かくあるべしと語る映画ではありません。むしろ、普通の子供であるペッパーが色々なことを学びながら成長していく物語なのですが、ここでペッパーが知り得たことは、全ての子供に共有して欲しいなと思わせるものがありました。そういう意味では、読み聞かせしたい絵本のような映画だとも言えましょう。その一方で、オリバー司祭とハシモトのさりげないやり取りの中にある、自分と異なる者に対する許容と敬意は、大人にも一見の価値のある映画だと言えるのではないかしら。

「グランド・イリュージョン 見破られたトリック」は面白くできてるんだけど、前作を楽しんだ私には期待外れでした。


今回は新作の「グランド・イリュージョン 見破られたトリック」を、日比谷のTOHOシネマズMIYUKI座で観てきました。小さな劇場というコンセプトで作られてはいるのですが、場内の広さの割にスクリーンが小さいのが難点。また、スクリーン位置が高いところなので画面と向き合おうとすると座席が後ろの方になっちゃう、そうなると今度は画面が小さくなっちゃうというベストポジションの難しい映画館。

前作でジャック(デイヴ・フランコ)は死んだことになっていて、他のホースメンのメンバー3人も姿を隠していました。マジシャンの秘密結社アイの指令で身を隠していた、ダニエル(ジェシー・アイゼンバーグ)とマッキニー(ウッディ・ハレルソン)とジャックに、FBIのディラン(マーク・ラファロ)から招集がかかります。ディランは彼らに新メンバー、ルーラ(リジー・キャプラン)を紹介し、携帯電話事業で個人情報を集めようと企むオクタ社の不正を暴こうとします。オクタ社の新商品発表会に乗り込んだダニエルたちは、CEOを操って悪事の暴露をするのですが、その直後、何者かが、ホースメンの正体を暴くプレゼンを始めます。これは罠だと気づいたメンバーは、屋上のシューターから脱出するのですが、シューターから出たら、そこはマカオになっていてびっくり。マッキニーの双子の弟チェイスたちによってペントハウスに連れていかれた彼らを待っていたのは、オクタ社の元共同経営者で死んだ筈のウォルター(ダニエル・ラドクリフ)でした。ウォルターの望みは、あらゆる暗号を解読でき、地球上の全コンピュータに侵入できるチップを盗み出すこと。やらなきゃ殺すぞと言われて、ダニエルたちはチップを盗み出すことに同意します。しかし、裏でアイとの接触を試み、盗んだチップを渡る段取りをつけます。そして、チップをまんまと盗み出して、アイとの接触場所に向かうのですが、そこに現れたのはウォルターでした。一方、行方不明のホースメンを探していたディランに刑務所からサディアス(モーガン・フリーマン)が接触してきます。自分を刑務所から連れ出せば、ホースメンのいるところに連れていくというのです。そして、ディランもまたマカオの向かったのですが。

「グランド・イリュージョン」の続編でして、前作の脚本も書いたエド・ソロモンと「あなたは私の婿になる」のピーター・チアレリによる原案を、ソロモンが脚本化し、「GIジョー バック2リベンジ」のジョン・M・チュウがメガホンを取りました。キャストはほぼ全員が続投しているのですが、前作のアイラ・フィッシャーとメラニー・ロランが不参加で、彼女たちの醸し出すある種の余裕というか優雅な感じがなくなっちゃたのは結構痛いかも。巨悪の悪事を暴いて、金をかすめ取り、被害者に配るという義賊のストーリーを華やかにかつ優雅に見せた前作に比べると、今回は犯罪映画の趣が強くて、遊び心のような部分がなくなっちゃってるのですよ。それに、アイとかいう、マジシャン版フリーメイソンの都市伝説が登場するので、さらにうさん臭くなっちゃいました。マジシャンによる犯罪映画という見方をすれば、結構楽しめる映画に仕上がってはいるのですが、前作にあった巨悪をあっと言わせる義賊という設定はあまり生きておらず、豪華さ、華やかさという点では、期待を裏切るものになっていたのは残念でした。もともと前作ではホースメンはマジシャンのチームであり、それが巨悪の悪事を暴くというところにカタルシスがあったのですが、今回は最初から、悪事を暴くホースメンとして登場してくるのが、結構息苦しい設定になっちゃっているのですよ。ホースメンに優雅さを欠くというか、何かやりにくそうな感じが漂う展開でして、その上、悪党に命を狙われて、コンピュータチップを盗むというのも、義賊的展開には程遠く感じられてしまって、どうも今一つという印象になっちゃいました。前作では、ルイ・レテリエがとにかく華やかな絵作りをして、全編をショーアップしていたのですが、今回のジョン・M・チュウの演出は、この題材でアクション映画を作ろうとした節があり、そのマジな展開は、前作とはかなり趣を異にするものになりました。

冒頭で、ディランが幼い頃、彼の父親がサディアスの挑戦を受け、金庫からの水中脱出を試みて失敗して亡くなるシーンが出てくるところから、登場人物の因縁話になっちゃうのですよ。前作では、登場人物の設定が後半のサプライズへつながるトリックになっていたので、キャラの掘り下げはしない作りになっていて、その分、軽快な展開と、お金のかかった豪華な絵作りが楽しかったのですが、今回はディランとサディアスの過去の因縁がドラマの軸になってしまっているので、何というか、無駄に重いという感じになっちゃったのが残念でした。前作の、いろいろあったように見えたけど全部ウソだよーんという軽いノリの見せ方を気に入っていた私としては、前半から、これ何かイメージと違うという思いを強くしながらスクリーンと向き合うことになっちゃいました。カードマジックのテクニックを駆使して、コンピュータチップを盗み出すくだりは楽しい見せ場になっていましたが、そこから先、ウォルターと部下のギャングとの攻防になるともう普通のアクション映画になっちゃうのですよね。そして、さらに黒幕の大富豪トレスラー(マイケル・ケイン)が登場して、捕まえたディランを殺そうという展開になっちゃうと、前作の軽いけど華麗なテイストとは別ものになっちゃうのですよ。金庫に入れられて沈められちゃうディランをダニエルが助け出すのですが、そこから先も、ホースメンの結束が強まったとかいう話へ持っていかれるので、そんな主人公たちのシリアスドラマはいいから、スマートな仕掛けで騙してくれよと思ってしまったのでした。

ヒットした作品の続編で、主人公の因縁話へ話がシフトするというのは、「スター・ウォーズ」の続編の「帝国の逆襲」がヒットしてから定番のパターンになっちゃったように思うのですが、それって1作目を楽しんだファンからすると路線変更なわけですよ。因縁話が好きな人はいいのですが、オリジナルの持つ面白さを期待している私のような人間からは、期待外れになっちゃいます。特に「グランド・イリュージョン」は登場人物のキャラに踏み込まないで、華麗な映像と巧妙な仕掛けで見せる、ショーを楽しむような映画だっただけに、落差が大きかったのかなあ。特に、秘密結社アイなるものの存在まで出てくると、何かついていけなくて。

そんな中では、ドラ息子っぽいダニエル・ラドクリフが頑張っているのですが、結構賢いキャラになっているのですから、あんまり簡単に騙されて欲しくなかったわあ。また、前作で、珍しいペシャンコにされる悪役というポジションに意外性があったマイケル・ケインとモーガン・フリーマンが再び登場するのですが、彼が悪役でなくなっていくのは、折角の面白かった設定をチャラにしているようで、ここも減点になっちゃいました。ラストのトリックもテレビの「スパイ大作戦」で子供の頃観たネタだしって、えらいけなしようだなあ、この映画楽しんだ皆さんごめんなさいね。ここで書いてるほど、ひどい映画ではないんですよ。前作のキャラクターに深みが出て、ドラマとしての奥行きが出ているのは事実なんですが、前作を楽しんだ私には、そっちの方向へ進んで欲しくなかったので、こんな記事になっちゃいました。好みをストレートに書くとこんなもんです。そんな中では、前作から引き続き参加のブライアン・タイラーの音楽がドラマチックな音を鳴らして、ドラマを豪華に盛り上げていたのが印象的でした。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



ウォルターたちに囲まれたダニエルですが、その場をディランが救います。ダニエルは逃げ延びたもの、ディランは捕えられ、港へ連れて行かれます。そこで待っていたのはウォルターの父親でもあったトレスラー(マイケル・ケイン)でした。ディランは、父親が死んだ金庫に閉じ込められて海に沈められてしまいます。しかし、ダニエルたちに助けられたディランは、ホースメンによって逆転を仕掛けます。まず、大晦日の24時のホースメンが巨悪を暴くと宣言、世間の目をそこに集めます。FBIやトレスラーも彼らを押さえるべく罠を仕掛けます。ロンドンのあちこちで持ちネタを披露して、追手を煙に巻くホースメンですが、トレスラーたちによって捕えられ、彼のジェット機に乗せられて、さらにそこから落とされてしまいます。しかし、ジェット機は空を飛んでおらず、テムズ川に浮かんでいたのでした。テムズ川を囲む群衆の前で、全ての種あかしをして姿を消すホースメン。そして、グリニッジ天文台へ向かった彼らを待っていたのは、マジック道具店の老婆と孫で、彼らもアイのメンバーだったのです。そして、そこに姿を現したのがサディアスでした。マジック暴きで、ディランの父親と対立していたというのは表向きの顔で、実は彼らは同じくアイのメンバーだったのでした。サディアスは、ホースメンをアイの後継者にしようとしていたのでした。で、お話は続く、という感じになっておしまい。

何か「イリュージョン・サーガ」の始まりだよーんという感じの結末は、「あ、もういいです、そういうの。」という気分になっちゃいました。映画のシリーズ化をするにはそういう展開が一番いいのかもしれませんが、「スター・ウォーズ」以降、そのパターンは一番安直に思えちゃうのは私だけかしら。むしろ、スパイアクションというパターンのバリエーションで勝負した007シリーズ(最近の主人公の自分探しパターンは別ね)の方向へ進んで欲しかったんですけどねえ。毎回、ペテンとイリュージョンで楽しませるシリーズってのは難しいのかなあ。

「ゴーストバスターズ」はお金をかけたバカ映画としては手堅い、って褒めてるのか貶してるのか。


今回は、静岡の静岡東宝会館CINE1で、新作の「ゴースト・バスターズ」を観てきました。ここはスロープ十分の見やすい映画館で、スクリーンサイズも上映サイズに合わせて変えてくれる映画館。

コロンビア大学の物理学の教授エリン(クリステン・ウィグ)は、かつて高校時代の友人アビー(メリッサ・マッカーシー)と洒落で書いたゴースト本が今も購入可能な状態でびっくり、幽霊屋敷から調査依頼も来ちゃいます。さらに、それがもとで大学をクビになってしまいます。アビーに苦情を言いに行くと彼女も大学に籍を置いてジリアン(ケイト・マッキノン)と一緒にゴースト研究中。アビーに丸め込まれたエリンは、彼女と一緒に幽霊屋敷に出かけると、そこには物理的な実体を持った幽霊が現れてびっくり。エリンとアビーの書いた内容が本当になっちゃいました。さらに地下鉄の駅にもゴーストが現れて、ジリアンの発明したプロトン光線で撃退。それが縁で、駅員のパティ(レスリー・ジョーンズ)もエリンの仲間に加わり、4人でゴーストバスターズを結成することになります。実は、ゴーストが次々に現れるようになったのは、エリンの本を読んで啓示を受けちゃったローワン(ニール・ケイシー)があちこちにゴーストのパワーを高める装置を置いていたから。そして、彼は、あの世とこの世をつないじゃおうとしているのでした。ゴーストバスターズは果たしてこの世のゴーストが解き放たれるのを阻止することができるのでしょうか。

オリジナルの「ゴーストバスターズ」が公開されてから、かれこれ30年以上も経っているのかってところがびっくりだったのですが、オリジナルの監督アイヴァン・ライトマンや脚本を書いたダン・エイクロイドらがプロデューサーとして参加して、「ブライス・メイズ」のポール・フェイグと「デンジャラス・バディ」のケイティ・ディッポルドが脚本を書き、フェイグがメガホンを取りました。オリジナルの公開時は、競合作品として「ゴジラ」「グレムリン」があって、「3G決戦」と呼ばれたのを覚えています。当時は特殊効果をSFXと呼ぶのがブームで、そのSFXを駆使した3作品が同時公開でしのぎを削っていたのです。オリジナルの「ゴーストバスターズ」は、オプチカルの視覚効果とミニチュアを駆使した華々しい仕掛けの大味なコメディという感じでした。主人公たちよりもクライマックスの敵のラスボスのマシュマロマンの方が印象に残り、後はビル・マレーのボケが面白かったくらいの映画でした。

基本的にオリジナルのリメイクという位置づけになるのですが、オリジナルと趣向を変えたのが、主人公4人を全員女性にしたということ。これが30年前だったら、男性キャラを女性に変えるというのはすごいインパクトがあったのですが、このご時世では、それほどのことではなくなってしまいました。あらゆるジャンルの映画の主人公に女性が進出している時代では、ゴーストバスターズが女性になるのは、むしろ時代の趨勢という気がしますもの。ですから、予告編で、この映画の存在を知ったときにはあまり食指が動きませんでした。他の方のブログの記事を拝見して、評判がよいことから劇場に足を運びました。

映画から得た印象は、大味な印象だったオリジナルよりは、にぎやかな映画に仕上がっていました。やはり、おっさんより女性が主人公の方が華があるということも言えるのですが、全体の映像を明るく仕上げたロバート・イェーマンの撮影がよかったのかも。ドラマとしては、それほどの盛り上がりもない、笑いもまあまあという感じで、ポール・フェイグの演出は、「ブライス・メイズ」ほどの毒も下品さもないですが、視覚効果をうまくコントロールした手堅さは評価されていいのではないかしら。クライマックスは、ゴーストバスターズのマークのゴーストが極悪化&巨大化して暴れまわるのが見せ場になっており、オリジナルを思い出させるのですが、アメコミCG映画を観てきたこちらとしては、オリジナルを観たときほどのインパクトはなく、数多あるCG映画の1本というレベルになっていたのは、ちょっと残念。それだけ、映画というものが30年で良くも悪くも変わったんだってことなんだよなあ。

そんな中で収穫だったのが、ゴーストバスターズの秘書ケヴィン役を演じたクリス・ヘムズワースでした。「ラッシュ」や「白鯨との闘い」でシリアス主役を張り、「マイティ・ソー」でスーパーヒーローを演じているのですが、そのマッチョな二枚目だけど、頭空っぽぽいという見た目でもありました。ここではバカ全開の秘書ケヴィンを怪演して、キャラのインパクトでは女性陣を食ってしまいました。エンドクレジットでも一番出番が多くて笑いをとってしまいましたから、この先、こういう路線を伸ばしていけば、ラブコメにも進出できるかもしれません。

後、もう一人、サタデー・ナイト・ライブ出身のケイト・マッキノンが、変わり者の発明ネエちゃんを演じて印象的でした。主人公4人の中では、一番ドラマ要素のないキャラクターなので、セリフも多くないし、演じどころも少なめなのですが、登場シーンはやたら多いのを、リアクション芸を駆使して、存在感を誇示しているのが面白かったです。いわゆる、テレビのワイプ芸とでも言うのでしょうか、クリステン・ウィグやメリッサ・マッカーシーの濃い演技の横でそのリアクションをしているのですが、それが結構面白い。4人の中で見た目が一番美形でかつかっこいいってこともあるのですが、下手をすれば、印象に残らないままになっちゃうポジションで、しっかりとインパクトを残したというのはお見事でした。彼女の出る映画はマークする必要があるなって思っちゃいましたもの。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



あの世とこの世をつなごうとしていたローワンですが、そのスイッチを入れようとしたところへ、彼の正体を見抜いたゴーストバスターズの4人が急襲。すると、彼は電極に両手を置いて自殺してしまうのでした。これで、もう大丈夫だと思ったのですが、実はこれもローワンの計画のうちで、幽霊となった彼は、最初はアビーに憑依し、さらにケヴィンに憑依し、自分の作った装置のスイッチを入れると、あの世とこの世がつながり、ゴーストたちがニューヨークの街を跋扈するようになります。新兵器も装備したゴーストバスターズが、ローワンの憑依したケヴィンのいるホテルに向かいます。警察も軍隊もケヴィンの術で硬直状態にされているところに到着したゴーストバスターズの4人は、ゴーストたちとの闘いに勝利を収めるのですが、そこでローワンのゴーストがゴーストバスターズのマークに変身して巨大化。ビルを破壊しながら大暴れするローワンに対して、4人は車に積んできた核兵器をあの世側へ放り込んで爆発させると、2つの世界をつないでいた穴が塞がり、ゴーストバスターズはからくもローワンとゴーストに勝利を収めるのでした。めでためでたし。一応、エンドタイトル後に続編を予想させるシーンも登場するんですが、アメリカでは、評価興収ともにダメだったようなので、続編はなさそうなのでした。

まあ、お気楽に楽しむぶんには、何の問題もない映画でして、こういう馬鹿話に大金をかけるアメリカ映画って、バカでいいなあと思えれば、それでOKというところでしょう。その軽さが最近の映画の中では、希少価値なのかもしれません。アメコミ映画がスター投入&重厚化でお客を集めている現状では、この映画のようなノリの軽さは結構新鮮にすら感じられます。視覚効果に振り回されずに、そこそこ笑えるコメディを手堅く仕上げたフェイグの演出は考えてみれば、よくやってる部類に入るのかもしれません。

オリジナルのメンバーでは、ビル・マーレイ、ダン・エイクロイド、クリフ・ポッツ、アーニー・ハドソン、シガーニー・ウィーバーといった面々が顔を見せています。でも、それよりも、クリス・ヘムズワースとケイト・マッキノンを見て楽しむのが、私にとっての正解でした。

「アスファルト」は3つの好意の物語がすごく心地よい逸品でオススメ。


今回は、新作の「アスファルト」を有楽町のヒューマントラストシネマ有楽町1で観てきました。この映画は今は珍しいスタンダードサイズなんですが、上映時にスクリーンがちゃんとスタンダードになったのはお見事。こういうのをちゃんとやってくれないと足が遠のいちゃうんだよなあ、恵比寿の「ガーデンシネマ」とかさあ。

フランスの某団地の一角。2階に住むスタンコヴィッチ(ギュスタン・ケルヴァン)は、自転車マシンに乗ったきりで意識を失った結果、車椅子生活になっちゃいます。でも、棟の人間でエレベータの修理をしようという時、修理費を出し渋ったこともあって、人気のないときを狙ってエレベータを使う生活。病院の自動販売機のスナックを買いに出かけた時、夜勤の看護士(ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ)と出会い、そこで自分はカメラマンだなんて嘘ついちゃいます。それから、カメラや写真を持って、夜中の病院に通うようになります。学生のシャルリ(ジュール・ベンシェトリ)は、向かいの部屋へ越してきた中年女性ジャンヌ(イザベル・ユペール)と親しくなります。彼女は、結構有名な女優らしいのですが、今あまりぱっとしてないみたい。かつてヒロインを演じた舞台が再演されるということで、演出家に会いに行ったのに玉砕して荒れているところを、シャルリに90歳の老女の役はどう?と言われて、ちょっとその気になってみるのでした。一方、息子が刑務所に入っているマダム・ハミダ(タサディット・マンディ)の部屋をノックする者がいました。ドアを開けると入ってきたのはNASAの宇宙飛行士ジョン(マイケル・ピット)でして、宇宙船からの帰還で誤って団地の屋上に不時着しちゃったとのこと。すぐに迎えに行けないからということで、ジョンはマダムの部屋でしばらくお世話になることになっちゃいます。言葉も通じない二人なんですが、それでも、お互いいい人らしいという認識の元に、いい関係を結んでいくのでした。

「歌えジャニス・ジョプリンのように」で知られるサミュエル・ベンシェトリが原案を書き、ガボル・ラソフと共同で脚本を書いて、メガホンも取りました。フランスの老朽化しつつある団地を舞台に、3組の男女の出会いをほのぼのと、そしてコミカルに描いた小品です。ドラマチックな要素はないのですが、どこか非日常な不思議な味わいがあり、各々の男女の関係にほのぼのというかほっこりさせられるところもあって、すごくいい味わいの映画に仕上がっています。あまり、予備知識なくスクリーンに臨んだので、前半は何だこの映画はと思わせられもしたのですが、すぐにどこかオフビートな笑いに引き込まれ、ラストはいい映画を観たなあって気分で劇場を後にすることができました。そういう意味では、映画館を出た時の後味の良さは、今年のベストではないかしら。愁嘆場とかハッピーエンドみたいなメリハリのあるドラマを期待すると物足りなくなっちゃうかもしれません。でも、どこかおかしいけど、何だか憎めない人たちのささやかなドラマは、映画館で観るに大変心地よいものになっています。テレビで言うなら、深夜ドラマでほっこりできた時のお得感と似たものがありました。

映画の冒頭で、団地のある棟の住民が集まって、故障したエレベータの修理費をみんなで出そうという話し合いをしているのですが、その中で、一人2階に住むスタンコヴィッチだけは、「俺エレベータ使わないんだけど出さなくちゃダメ?」と場の空気を読めない発言をして顰蹙を買い、結局、金を出さなくていいから、エレベータ使用禁止を言い渡されちゃいます。このシーンの妙な間と、スタンコヴィッチのキャラがおかしくいのですが、この映画にはあちこちにクスリと笑えるネタを散りばめてありまして、そのおかしみが不思議な温かみにつながるところが、いい感じなのですよ。このヒゲもじゃ小太りのスタンコヴィッチが、車椅子の身になって一人でジタバタするシーンも気の毒さよりも笑いが先に来ます。昼間だとエレベータを使う人間がいるから、外に出られなくて、夜遅く買い物に出ると店はどこも閉まっています。仕方なく、病院の自動販売機でスナックを買おうとすると、途中でスナックがひっかかっちゃうとか、妙にずれた笑いの後、休憩中の看護婦と出会うことになります。何してるの?と聞かれて、カメラマンでロケハンをしてたとウソをついちゃうのです。スタンコヴィッチは、その翌日から、彼女にいいところ見せようと、家でポラロイドカメラを取り出して、空とかテレビ画面を撮影したりするのがまたおかしい。看護婦は若くなくて、自分の人生を負け組だと思っているようなところがあります。彼女は、スタンコヴィッチのいう事を信じて、羨望の眼差しを向けるのですが、それが彼にはうれしくて仕方ない。何とも奇妙な出会いではあるのですが、二人はどうなっちゃうのかしら。

一方、母親と二人暮らしだけど、あまり母親の愛情を受けているように見えない、学生のシャルリは、向かいの部屋へ引っ越してきた中年女性ジャンヌと知り合いになります。女優だという彼女の映画を見せてと頼むシャルリに、ジャンヌは30年以上前の主演映画のビデオを見せます。アートっぽいモノクロの映画でしたけど、シャルリはそれが気に入ったみたいです。劇の演出家に会いに行って会えなかったジャンヌが酔っ払って帰ってきたときは、シャルリはやさしく介抱してあげます。親子ほど年の離れた二人ですが、そこにささやかな絆が生まれていくのをさりげなく見せます。翌日、90歳の役のプロモーションビデオを撮ろうと言い出すシャルリに、だんだんとやる気の出てくるジャンヌが微笑ましく見えます。

それと並行して描かれるのが、空から降ってきた宇宙飛行士ジョンとアルジェリアからフランスに来たマダム・ハミダのエピソード。何かの間違いでフランスの着陸しちゃったけど、NASAからのお迎えがなかなか来ないものだから、ジョンはマダムの部屋にお世話になります。言葉は通じないけど、食事をごちそうになり、マダムの息子の服を借りて、ジョンは快適な団地の2日間を送ることになります。この団地では、時々、音楽のような、動物の叫び声のような不思議な音が聞こえています。人によっては動物の声だとか、悪魔の声だとか、子供の叫び声とか色々と言うのですが、本当のところはよくわかりません。この音の効果もあって、この団地でのお話がリアルさよりファンタジーの色合いを濃くしていきます。

スタンコヴィッチと看護婦、シャルリとジャンヌ、ジョンとマダム・ハミダの3つのカップルは、それぞれの出会いから、お互いに好意を持つようになります。出会いは不自然なのですが、その好意の積み上げの自然な成り行きが心地よいドラマを作り出します。笑いのスパイスこそ加えていますが、6人の抱く好意のプロセスがドラマチックなものではないだけに、観客にほのぼのとした好感を与えてくれるのですよ。相手に何も求めない純粋な好意という描き方の心地よさは劇場で確認して欲しいと思います。スタンコヴィッチは、明らかに看護婦に恋愛感情を持ってジタバタするのですが、その感情が好意のレベルをはみ出さないのが、おかしくて、ほんのちょっとだけホロリとさせるものがあります。それを受け止める看護婦のぎこちなさの醸し出すユーモアは、ちょっとだけ切なくて、でもどこかおかしくて、そのほどほどの温かさが心地よいのですよ。シャルリとジャンヌの関係は恋人同士のような親子のような不思議な関係ですけど、お互いを思いやる気持ちはやはり好意なんだよなあ。ジョンとマダム・ハミダは異文化交流における旅人同士の出会いとでも言いましょうか、純粋な人間と人間の好意が描かれるのが、やはりいい感じなのですよ。監督はどんなつもりでこの映画を作ったのかは知りませんけど、私は「人と人をつなぐ好意の寓話」としてこの映画を楽しみました。そう思ったのは、普段の人間関係がよっぽど殺伐しているのかしら、私。でも、個人的にはオススメ度すごく高い映画です。

演技陣はみな好演で、シリアスになりすぎない、でもふわふわ浮き過ぎないキャラクターを丁寧に演じて、ファンタジックな味わいだけど、人間のいい意味の可能性を感じさせることに成功しています。そんな中でも、ヴァレリア・ブルーニ・テデスキの不幸そうで臆病そうな、でもいい人なんだろうなって思わせる演技が絶妙だったと思います。夜勤の休憩時間にタバコを吸いに来る看護婦という設定だけで、あれだけキャラクターを膨らませたのはすごいなあって感心しちゃいました。


この先は結末に触れますのでご注意ください。



スタンコヴィッチは、看護婦と次の夜に彼女の写真を撮る約束をするのですが、出かける時になってエレベータが故障して中に閉じ込められてしまいます。彼は、無理して車椅子から立ち上がり、エレベータをこじ開けて、よたよたと病院へ向かうのですが、夜は既に明け、夜勤の看護婦は帰るところでした、そんな彼女に写真と撮らせてくれと至近距離まで迫っていくのですが、彼女は彼を拒みません。そして、スタンコヴィッチは、自分はカメラマンじゃないし、近所に住んでる只の男で、カメラにフィルムも入ってないと告白するのですが、彼女はそれを黙って聞いているのでした。そして、団地へはNASAのヘリがやってきます。別れと感謝を告げるジョンにマダム・ハミダは自慢料理のクスクスを渡すのでした。すると、また、あの不思議な音が聞こえてきます。それは団地の中庭のゴミ入れの蓋が風で開いたり閉まったりするときに出すきしみの音だったのでした。めでたしめでたし。

スタンコヴィッチと看護婦のエピソードは、二人とも互いに好意を抱いているのを見せつつも、ラブシーンもないし、愛の告白も見せません。でも、登場シーンは二人ともぱっとしない感じの中年男女が、ラストは結構魅力的な人間に見えてくるのがうれしい余韻となります。シャルリとジャンヌはお互いの心の隙間を少しだけ埋め合う関係を築いたように見えます。ジョンとマダム・ハミダは言葉が通じなくて、お互いを理解し得るところまで至っていないのに、相手に対して好意を抱ける関係を説得力を持って描いて、別れのシーンまできれいに着地しています。どのエピソードも人間に対するすごくオプティミスティックな視点が心地よく感じられるのが、うれしい一品でした。
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Author:einhorn2233
Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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