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「デトロイト」はビグロー監督のパワフル演出が冴えていて見応えがあります。


今回は新作の「デトロイト」を横浜のTOHOシネマズ上大岡9で観てきました。ビスタサイズの映画をシネスコサイズの画面で上映するのも定着しちゃいましたけど、やっぱり、こういうの映画館がサボってるように見えちゃうんだよなあ。

1967年、アメリカのデトロイトの黒人地区で、不正酒場の摘発を行ったとき、客を表の通りに並べて護送車に乗せたことから、それを見ていた黒人市民が暴動を起こし、破壊や略奪が勃発します。他州の警察や州兵までが動員され、事態の収拾が図られるのですが、警官たちによる黒人への暴力沙汰が日常的になっていたことへの怒りが、暴動を過激化させたようです。モータウンのステージに上がるチャンスがやってきたザ・ドラマティックスのメンバーも歌う直前にショーは暴動で中断してしまってがっかり。メンバーのラリー(アルジー・スミス)は友人と一緒にアルジェ・モーテルの別館に宿を取ります。そこに居合わせた白人の美容師ジュリーやカレンと親しくなります。同じく泊まっていた黒人グループの一人が窓から競技用の銃を撃って州兵を挑発したことから、モーテルの別館はあっという間に武装した警官隊と州兵に取り囲まれてしまいます。デトロイト市警のクラウス(ウィル・ポールター)は同僚と共に先頭を切ってホテルに乗り込み、逃げようとした男を射殺。さらに部屋にいた人間を廊下に並ばせて暴行と恫喝で銃のありかを吐かせようとします。近所の店で警備員をしていた黒人のディスミュークス(ジョン・ボイエガ)や州兵もその場に立ち会うのですが、クラウスたちを止めることはできません。州兵がホテル内を捜索するのですが銃は見つけられません。白人のジュリーやカレンも殴られて怪我をするし、果たしてクラウスたちになぶられまくる黒人たちは朝まで生き残ることができるのでしょうか。

1967年に実際に起こった事件を裁判の記録や当事者の証言をもとに、「ハート・ロッカー」「ゼロ・ダーク・サーティ」の脚本家マーク・ボールが脚本を書き、同じく「ハート・ロッカー」「ゼロ・ダーク・サーティ」の監督であるキャスリーン・ビグローがメガホンを取りました。キャスリーン・ビグローという監督さんは、サスペンス演出が大変うまい監督さんだと思っているのですが、その一方で、主人公へのヒロイックな思い入れが強いので、ドラマとしては、好きになれなくて、私にとっての相性のよくない監督さんでした。今回はヒーローの登場しない、事件の再現ドラマなので、私でも彼女のパワフル演出を堪能できるのではないかという期待があって、スクリーンに臨みました。で、これ、大変見応えのある面白い映画に仕上がっていました。クライマックスの暴力の怖さはかなりのものですが、それでもドラマに引き付けられるところがありまして、2時間半弱という長めの映画ではありますが、最後までぐいぐいと観客を引っ張っていく力技の演出で楽しめました。

冒頭で、イラストと字幕で、1960年代にアメリカの都市の黒人地区で暴動がなぜ起こったのかを、説明されます。白人は郊外に逃れ、都市部の限定された区画に黒人は押し込められ、白人警官が理不尽な権力と暴力によって、彼らを虐げていたというのです。デトロイトで起きた暴動も、そんな警察のやり方が発端となりました。でも、向こうの暴動ってのは、略奪がついて回るんですよね。私の中では、怒りが、警官への投石につながるあたりまではわかるのですが、放火や略奪へつながるメンタリティが理解できなくて、グローバル化ってことは、この感情を理解しなくちゃいけないのかと思うと気が重くなるところがあります。ともあれ、歴史の事実として、放火や略奪があったわけですから、人間虐げられると何するかわからないということになるのかな。それとも、マイノリティの暴動には、普通に、放火と略奪がセットになっているのかしら。貧すりゃ鈍すってことだとすると、この先、貧困層が増え続ける日本でも、災害時なんかに略奪が起こることが当たり前になっちゃうのかなあなんてことを考えてしまいました。

一方で招集された警官は事態の収拾をしようとします。そんな中で警官のクラウスは、食料品店から食べ物を奪って逃げる黒人に向かって背後から発砲。撃たれた男は死亡し、クラウスは上司から厳重注意を受けるのですが、本人はこの状況で悠長なことは言ってられないとどこ吹く風です。そんなクラウスが、銃が発砲されたと思われるモーテルに乗り込んで、銃を探し出すという名目で、そこに居合わせた人間を廊下に壁に手をつけて並ばせ、殴る蹴るの暴行を加え、銃を向けたり発砲したりして脅します。この脅迫と暴力シーンにかなりの時間を割いていまして、嫌な見応えが腹に応える映画になっています。ビグローの演出と、バリー・アクロイドの撮影は、まるで現場にいるかのようなリアルな映像を切り取ることに成功しています。クラウスと相棒は、今にも黒人たちを殺しかねないオーラを出して、彼らを脅し続けるのですが、演じたウィル・ポールターとベン・オトゥールのリアルな熱演が、実際にいるよねこういうのという空気を運んできて、地続きの存在感を見せています。

この映画の怖いのは、クラウスの狂気じゃないキャラクターだと言えましょう。あきらかに暴走しているのですが、それでも冷静に状況を判断して行動しているようでして、黒人差別と理不尽な暴力もすべて正気の沙汰としてやっているのですよ。そういうのをまずいと思う白人もいるのですが、クラウスに正面からやめろと言える人間はいません。この映画に登場する白人のほとんどはクラウスの行動が気に入らないのですが、首を突っ込むとややこしくなるから、彼を止めることをしません。彼の尻馬に乗って、黒人を虐待しようというのは、クラウスの相棒くらいで、後は見て見ぬふりを決め込む者ばかり。でも、いじめを止められない日本人からすれば、すごく納得できるところがありまして、アメリカ人も日本人とそう大きくは違わないんだなって気づかされます。放火略奪を理解できなかった私にも、見て見ぬふりには共感しちゃいました。よくないことなんですけどね。

この映画のタイトルのトップにクレジットされているのがジョン・ボイエガが演じる食料品店の民間警備員ディスミュークスです。彼は黒人が警官と揉めそうになると間に入ってとりなしたり、州兵が来ればコーヒーを持って挨拶に行くなど、余計なもめごとを作らないように如才なく行動するタイプです。彼と州兵たちが一緒にいたところに向けて、モーテルの黒人がおもちゃの銃を発砲したことから、ディスミュークスも州兵たちと一緒にモーテルに向かい、クラウスの暴走を目撃することになります。結局、彼は警官の暴走を止めることができませんが、事件の目撃者として、観客と同じ視点に立つことになります。

ビグローは個々の登場人物を丁寧に描き分けて、群像ドラマの味わいに仕立てています。要所要所に当時の実写フィルムを挿入する演出は、映像のタッチにあまり差がなかったので、必要だったのかという気もしました。手持ちカメラで、フィルムっぽい映像で描かれる暴動シーンはリアルな迫力があって、撮影のバリー・アクロイドの「ジェイソン・ボーン」のタッチをさらにリアルに磨き上げた映像が見事でした。

それにしても、この警官が人種差別主義者であったことを置いといても、白人女性も含めて、ムチャをするところから、その権力意識の方が目についてしまいました。一方で、黒人にも人権があると言う警官も登場するのですが、当時、本当にそういう警官がいたのかという気もしちゃいました。現代の文化のフィルターを通した言い訳めいたシーンに見えてしまったのは、自分が当時を知らなかっただけなのかしら。こういう映画を観て思うことは、この事件をどう解釈すればいいのかというところです。こういう警官の理不尽な暴力がよくあったという話なのか、ここまでひどいのは珍しかったから、裁判まで行ったのだという意味なのか。ドラマの背景では、黒人が警官によってボコボコにされている映像が随所に登場しますから、そういう暴力は当たり前だったのかもしれません。一方で、警官が黒人を殺してそれを隠蔽しようというのは、さすがに稀だったということなのかな。そう考えた時、この映画は、当時の時代の空気を描くというよりも、記録に残った事件を克明に再現することに力点を置いているようです。ただ、暴動という背景が、警官を暴走させたかもしれないという視点も入っている点は注目してよいと思います。銃声に対して、警官や州兵がすごくビビるところも描いていて、日常の中に死につながる暴力が割り込んできたということを、警官や州兵は切実に実感しているけど、一般市民はそこまでの実感がないというギャップを見せたところは、私には発見でした。両者の中間の立場にいるが民間警備員のディスミュークスをドラマの主役としているのは、脚本のうまさだと思います。

物語の中心となるクラウスという警官は、プログラムによると、実在した警官3人を合成して作ったキャラクターだそうです。ですから、彼の童顔の若造というキャラも実際は違うかもしれません。そこに映画としての脚色があり、ある意味事実を映画のテーマに沿うように曲げているとも言えそうです。どこまで本当で、どこからが映画の脚色なのかは、実際の記録や証言を調べたマーク・ボールしか知らなくて、観客はそこから、事実とは違うけど、作り手が伝えたいことを受け取ることになります。実録ものの映画を真に受けられないのは前から言われていますけど、この映画のような再現映像みたいなリアルな映像には、余計目に作りての意図を意識する必要がありそうです。

とは言え、当時のデトロイトの警官が、権力を振りかざして、特に黒人に対して、威嚇と暴力を行っていたことは事実のようで、その時代を伝える映画としての存在価値があると思います。でも、この映画に出てくる白人は、黒人差別をする人間もいるけど、そうじゃないフェアな人間もいるという見せ方になっています。一方の黒人側も、略奪する黒人もいるけど、悪い事をしない善良な黒人もいるという見せ方にもなっています。一見、フェアな描写ではあるのですが、どっちが白人の多数派、黒人の多数派だったんだろうというところは曖昧になっちゃって、時代の空気感がわかりにくくなっていたように思います。当時のアメリカを知らない私が、文句をつけるのは筋違いなのかもしれないけど、歴史というものが、あちこちの顔色を伺いながら語らないといけない時代なのかなという気もしました。お金をかけた映画だから、白人黒人の両方に観てもらわないと困るよねという事情もあるでしょうしね。変な話ですが、日本を躊躇なく悪役にできる中国韓国の方が、映画表現上では自由なのかもって気がしてきちゃいました。

演技陣ではウィル・ポールターが正気の悪い警官を存在感のある演技で演じ切って見事でした。狂言回し的な役になるジョン・ボイエガの演技が、他のリアルな演技陣に比べて浮いていたようにも感じたのですが、そこは狙った演出なんだろうなって思いました。他のメンツは、被害者も加害者も感情移入を許さないリアルな存在感を示して、事件を客観的に描写するのに貢献しています。ビグローは、今回は誰かに感情移入しないパワフル演出で、社会性とエンタメ性を見事に両立させています。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



クラウスは、廊下に立たせた連中を脅すために、一人を別の部屋へ連れ込んで発砲し、殺したようにみせかけて、残りの連中からの自白を引き出そうとします。州兵の一人もそれにならうのですが、クラウスの同僚デメンスは、クラウスに同じことしろと言われて、本当に黒人の一人を殺してしまいます。しかし、誰も銃の存在を自白しないこともあって、女性二人は解放され、クラウスも事態を収めてこの場を撤退したいと考え、残りの黒人を一人ずつ呼び出し、ここでは何も見なかったなと因果を含めて解放します。しかし、そのうちの一人は、その意図を理解せず殺人があったと言い張ったので、クラウスはその若者を射殺します。そして、恐怖の一夜は明け、モーテルには警官によって殺された3人の黒人の遺体が残されました。クラウスと相棒2人は暴行と殺人で起訴されます。そこに至るまでには、ディスミュークスにも嫌疑がかかって拘留されたりといった経緯もあるのですが、裁判で、クラウスたちが自白を強要されたと主張したことで、自白が裁判で適用されず、結局、3人は暴行でも殺人でも無罪を勝ち取ってしまうのでした。ラリーは暴行と死の恐怖がトラウマになったか、白人のために歌うドラマティックスを脱退し、近所の教会の聖歌隊に志願するのでした。

恐怖の一夜の後、その事件が、関係者に多くの傷を残したことを映画は淡々と描きます。関係者のその後が字幕で流れて映画は終わるのですが、後味はそれほどにはヘビーでなかったのはちょっと意外でした。警官3人はあんな非道なことをしたのに無罪になっちゃうのですから、もっと後味が悪いものになりそうなのに、聖歌隊になるラリーのエピローグで映画が静かに終わるので、そういう事件があったんだと、冷静に歴史を見る気分になっちゃいました。アメリカという国はこういう歴史を経て、黒人差別、弱者差別を克服してきたのでしょうけど、トランプ大統領の登場で、国内がまた逆コースに向かうのかという危惧があるのかなって思わせる映画でした。キャスリーン・ビグローの映画は、これまで好きになれなかったのがほとんどなんですが、今回は、面白くてうまさを感じさせる映画として見応えがありました。
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「ルイの9番目の人生」かなり変な導入からぶっ飛んだ展開になるのでついていければ面白い。


今回は新作の「ルイの9番目の人生」を、有楽町のヒューマントラストシネマ有楽町2で観てきました。ちっちゃい映画館で、シネスコサイズの上映の時は画面が左右に広がり、上下に縮むという懐かしいパターン。でも、固定スクリーンサイズで上映する映画館よりずっといいですよ。

ルイ(エイダン・ロングワース)は、生まれてきてからやたらと事故に遭うタイプで、かれこれ8度も死にかけたことがあります。そして、9歳の誕生日、彼は崖から海に落ちて、これで9度め。死んだと思われて検死解剖にされる寸前に息を吹き返しますが、その後は昏睡状態。居合わせた母親ナタリー(サラ・ガドン)によると、父親のポール(アーロン・ポール)が彼を突き落として姿をくらましたとのこと。ポールは指名手配されるのですが、まだ見つかっていません。小児昏睡の専門家である医師アラン(ジェイミー・ドーナン)がルイを担当することになります。妻との関係がうまくいってないみたいなんですが、そんなアランに、なぜかナタリーが慕ってくるのですが、美人のナタリーにアランもまんざらでもなくなっていきます。一方、ルイは意識があって、ベッドの自分が見えてるみたいなんです。彼は、海の泥のような怪物と会話しているんですが、その中からルイの過去がわかってきます。そんな中、ナタリーの家にルイが書いたらしい手紙が届きます。その手紙では、アランがナタリーと寝たがっていて、今に悪い事が起こる、なんてことが書いてあります。一体、誰がそんな手紙を書いたのでしょう。そして、ルイが海に落ちた理由とは?

リズ・ジェンセンの原作を、俳優としてのキャリアのあるマックス・ミンゲラが脚色し、「ピラニア3D」「ミラーズ」のアレクサンドル・アジャが監督した、ミステリースリラーの一編です。生まれてからずっと、やたらと事故とか怪我とかが多いルイという男の子が、崖から突き落とされて昏睡状態になっちゃうのですが、昏睡状態の彼の周囲で妙なことが起こり始めるというお話。オープニングは、ルイのナレーションから始まり、少年の一人語りで展開するのかと思いきや、医師のアランにドラマの軸が移っていき、意外な方向へ展開していきます。予告編を観たとき、ミステリーの映画かなと思って期待したのですが、監督がグロ系ホラーのアレクサンドラ・アジャなので、そっちの方向へ行くのかなといういやな予感もありました。

実際に本編を観てみれば、変なモンスターは登場するものの、グロやショック演出は控えめで、奇妙な味わいの一編に仕上がっていました。昔、夢遊病者だった医師アランがドラマの中心となって、昏睡状態のルイと向き合っていく一方で、変に色っぽい母親ナタリーが、映画に妙な空気をまき散らすという作りは、ミステリーとしてはそこそこという感じですが、変な母親ナタリーと、それに惑わされるアランの物語として見ると、また別の顔が見えてくるというおかしさがありました。前半でとっ散らかした伏線を、ミンゲラの脚本はきれいに刈り取って、映画としてはきれいに着地しますが、それのきれいさが、ドラマをこじんまりしたものに感じさせるのは一長一短でしょうか。腑に落ちるけど、観客の想像が広がる映画になり得る題材だけに、ちょっと惜しいような気もしまして、そのあたりは、アジャの演出は、ケレン味たっぷりのお話を素直にまとめすぎてるという気もしちゃいました。

昏睡中のルイとモンスターの会話から、回想シーンとなり、ルイと父親の関係とか、父と母の仲たがいですとか、ルイが通った精神科医ペレーズ(オリバー・プラット)との会話といったものが、ドラマのカギとして、登場してきます。父親ピーターには離婚歴があり、ルイは自分をピーターの子ではない思っている節がありました。そうなると、どうも母親が変じゃない?という空気が映画に漂ってきます。実際、子供な瀕死で、ダンナが逃走中なのに、ナタリーは、どう見てもアランに色目使ってます。そして、アランはその色香にはまってしまいます。でも、アランはこの事件の部外者の筈です。ところが、アランが段々と、この事件に当事者として取り込まれていくのが、ケッタイな展開となります。

昏睡状態であるルイがいて、その一方で意識を持ったルイが海藻まみれのモンスターと会話しているという奇妙な状態なんですが、これがルイの過去を語るためのドラマとしての仕掛けかと思っていると、本当にそういう状態みたいなんです。ということはホラー風超自然ファンタジーということにもなります。映画としての全貌がなかなか見えてこないのですが、その一方で、母親ナタリーとか、全部を観ているルイとか、何か変な感じだけが積み重なっていきます。まあ、8回死にかけてこれで9回目という発端からして変でして、その設定だけだど、絵本みたいなお話なんですが、そこからミステリーっぽいお話になるので、どうも童話ではないらしい。じゃあ、何なのってところなんですが、やたらとお母さんの色っぽさが前面に出てくると、変則ファムファタールもの?という気もしてきます。

精神科医とのカウンセリングで、ルイのキャラが見えてくるのですが、自分の死にかけ事故遭遇体質を達観していたり、自分のペットが平均寿命を超えたら飼い主は好きにしていいって殺しちゃうところとか、どこか異常な感じがして、結構やばい奴なんじゃないかというのが見えてきます。危ない子供を描いたサイコホラーなのかもという気がしてくるのですが、じゃあ母親のアランへの色目遣いは何なのかということになってきます。

演技陣では、サラ・ガドンが得体の知れない母親像をミステリアスに演じてドラマを引っ張っていきます。他の演技陣が、ルイ役の子も含めて、彼女の前に霞んでしまったように見えるのは、狙っているのか、計算違いか微妙なところなのではないかしら。後半、特別出演的に登場するバーバラ・ハーシーがその貫禄で存在感を見せてくれる以外は、サラ・ガドンの映画になっちゃっているのは、もともとそういう狙いの映画だったのかな。

ともあれ、ラストで判明するルイの境遇はそこそこ意外性あって、落としどころも納得できるものでした。でも、真相に至るまでのプロセスがまた結構ぶっ飛んでいまして、ちょっとついていくのがしんどいところもありました。そう来るなら真相ももっとぶっ飛んでいてもいいんでないかい?という気がしましたもの。まあ、設定で、「おや?」と思えて、かなり変な展開を楽しめれば、面白い映画と言えるのではないかしら。アジャがぶっ飛んだ話をマジメに演出しているので、その真面目さを楽しめるかどうかで、この映画の評価が変わってくると思います。



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アランは、ナタリーの誘惑に負けて、彼女と関係を持ってしまいます。一方、昏睡状態のルイは、モンスターに連れられて、海の洞窟に向かいます。そこには、モンスターの愛する家族の名前が書かれていました、ルイとナタリーと。そのころ、警察は、ルイが落下した崖下の洞窟で父親ポールの死体を発見していました。さて、謎の手紙は、アランが夢遊状態で書いていたことが判明します。なぜ、そんなことになったのかというと、昏睡状態のルイとアランが意識の下でつながっているんですって。そこで、精神科医のペレーズがアランに催眠術をかけて、彼を介してルイの意識とつながろうとします。催眠状態のアランに、ルイが憑依し、彼は崖の上で起きたことを語り始めます。ナタリーは、ルイに毒入りのキャンデーを渡そうとし、不審に思ったポールと口論となります。崖に向かったルイを追った、ナタリーとポールが押し問答となり、ナタリーがポールを崖下へ突き落したのです。それを見たルイは、崖を背に後ずさりして、自ら崖下へ身を躍らせていたのです。実は、ルイが何度も死にそうな目に遭ったのも、ナタリーが仕組んだことでした。ナタリーは精神的に病んでいて、人の注意や同情を引くためには何でもやる人でした。ルイを死にそうな目に遭わせたのも、自分への同情を勝ち取るためで、一方のルイもそんな母親の欲求に無意識に応えるようになっていたと言うのです。ナタリーは精神病院に収容されるのですが、彼女はアランの子を身ごもっていました。一方のルイは、昏睡状態という苦痛や不安のない安らかな人生を楽しんでいましたが、父親の声に励まされ、次の人生を生きるために再び目を開けるのでした。おしまい。

まあ、母親がずっと怪しかったから、ルイを殺そうとしたのが彼女だったというのはそれほどの意外性はありませんでした。むしろ、昏睡状態のルイがアランを操って手紙を書いていたという展開の方がびっくりでした。さらに、ルイの意識に接するために、アランに催眠術をかけて、ルイの意識とシンクロさせるというのに、またびっくり。催眠状態にして他人の意識とシンクロさせるっていうのは、その昔「エクソシスト2」でもやってましたけど、昏睡状態の人の意識に同期させるというのは、本当にあるのかしら。精神を病んだ母親が我が子を殺そうとしたというのは、すんなり入ってくるのですが、この精神の同期には、ついていけなくて、私にとってはトンデモ映画になっちゃいました。何ていうのかな、ゲームの世界だったら、こういう展開もありだと思うのですが、リアルなドラマの世界でこういうぶっ飛んだ話は、私にはきつかったようです。絵本のファンタジーと呼ぶには生臭い話なので、着地がきれいに決まらなかったと言ったらひどいかしら。

「ネイビーシールズ ナチスの金塊を奪還せよ!」前半戦争アクション、後半宝探しで、結構面白いB級アクション。


今回は新作の「ネイビーシールズ ナチスの金塊を奪還せよ!」を横浜のTOHOシネマズ川崎6で観てきました。ここは劇場の広さに応じたスクリーンサイズになっていまして、ベストポジションを取りやすい映画館。

1995年のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の終わりごろ、米海軍特殊部隊ネイビー・シールズはセルビア軍の将軍を拉致する作戦を決行します。将軍を押さえるところまではスムースに進んだのですが、退路を断たれてしまい、基地の戦車を奪って、基地から市内へ大暴れ、鉄橋から川の中に戦車ごと飛び込んで川沿いに脱出してミッション終了。この派手な暴れっぷりには上官のレヴィン少将(J・K・シモンズ)もおかんむり。とりあえず休暇を言い渡された隊長のマット(サリバン・ステイプルトン)以下6人のチーム。その中の二枚目スタントン(チャーリー・ビューリー)はバーの女の子ローラ(シルヴィア・フークス)と恋仲になります。彼女はなぜか金塊を持ってまして、それをローラに見せます。それはローラのおじいちゃんが持っていたもので、元はドイツ軍がフランスから奪った金塊だったようです。その金塊が2,000個も湖に沈んでるので、それを引き上げて難民のための基金にしたいというローラ。マットたちは彼女の心意気に共感し、作戦を練ることになります。湖はセルビア軍の領域で、将軍を拉致された将校ペトロビッチがマットたちを探し回っています。果たして金塊の引き上げ作戦は成功するのでしょうか。

フランスのヨーロッパコープのロゴが映画の頭で出ると思ったら、原案がリュック・ベンソンで、ベンソンと「ファイナル・デッドブリッジ」「イントゥ・ザ・ストーム」のスティーブン・クォーレが共同で脚本を書き、クォーレがメガホンを取った、仏独合作のアクション映画です。1960年代から70年代にかけて第二次世界大戦を舞台にした戦争アクションがたくさん作られましたけど、最近はめっきり観なくなりました。あっても、シリアスな実録ものばかりで、世界のグローバル化は、娯楽映画としての戦争映画を作りにくくしているのかなって気がしていました。そんな中で、この映画は、20世紀の終わりごろを舞台に、セルビア軍を悪役に据えて、アクション中心のエンタテイメントを見せていまして、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争でこういう映画を作れるくらいの時間が経ったんだなって気づかされます。この題材の映画というと私が観ただけでも「サラエボの花」「最愛の大地」「ノー・マンズ・ランド」「あなたになら言える秘密のこと」といったヘビーなものばかりでした。2001年の「エネミー・ライン」は突然変異的な娯楽アクションでしたけど、それは例外的なものでしたから、この題材で純粋娯楽映画を作れるようになったんだなあという発見がありました。

映画の舞台は、1995年でも、オープニングは第二次大戦終了間近のドイツ軍がフランスから奪った金塊を山の中の村に運び込むシーンから始まります。どうやら、ドイツ軍が金塊をどこかに隠したんだろうなってところで、現代へお話が移り、主人公たち6人のチームが大暴れするシーンとなります。セルビア軍の将軍に薬を打って死体袋に入れて運び出したまではよかったのですが、逃げ道がなくなって、戦車を奪って強行突破。のっけから、ド派手見せ場を繰り出すので、ヨーロッパコープの英語映画によくある大味アクションになるのかなという悪い予感がしてきました。

しかし、映画はその後、結構意外な展開をしていきます。チームの二枚目の恋人が彼らに金塊の運びだしを依頼するところから、お話はお宝さがしものになっていきます。湖の中に沈んだ村に隠された金塊というお宝をどう探して、どう運び出すかというのがドラマのメインになっていきます。とは言え、あまりドラマチックな展開にならないところがノンビリ楽しめる映画になっていまして、2年後くらいにテレビ東京の「お昼のロードショー」あたりで観たら、結構なお得感があるのではないかしら。じゃあ完全にテレビ向けの映画かというと、湖に沈んだ村の風景とかかなりお金がかかっていまして、劇場の大画面で観るための絵になっていますし、オープニングの派手なアクションも迫力あります。でも、ノリは軽い戦争アクション映画という感じ。でも、お金かかってる感が結構あるので、B級映画とも言い切れないのが微妙なところです。

演技陣では、主役6人はみんなお初で、知ってる顔は、「セッション」の冷酷講師J・K・シモンズと「ブレードランナー2049」の非情な凶暴レプリカントを演じたシルヴィア・フークスくらいでしたが、それもB級っぽくっていいかなってくらいの感じ。なのに、お金がかかってるように見えるのが不思議なアンバランスです。エンドクレジットで膨大な数のスタッフがクレジットされてますが、確かにそのくらいお金かかってそうですもの。ヨーロッパコープのアクションというと派手なCGというイメージがあって、それが絵の軽さになっちゃっていることが多いのですが、この映画では、夜間シーンが多いこともあるのか、ほとんどCGっぽさを感じるところがなかったのがよかったです。また、エリック・セラがオケとシンセの両方鳴らして勇ましいヒーロー音楽を作っていまして、B級っぽさも含めて、この映画にふさわしい音をつけています。サントラ盤は出ているようなのですが、日本の通販で引っかからないのが残念。

クライマックスが戦闘シーンではなく、水中シーンでの金塊探しシーンになるのが意外性がありますが、その分盛り上がりを欠いたかも。でも、CGっぽさを極力排しているのは好感が持てました。大きなタンクにセットを組んだそうで、色々な映画で水中撮影に参加しているピート・ロマノが参加しています。いつもはエンドクレジットの後ろの方にひっそりと登場するロマノの名前が、水中撮影監督としてメインタイトルの一枚看板で出たのはびっくりでしたけど、それだけ本気で水中で撮影してるんだなって、ちょっと感心しちゃいました。ストーリーは単純大味ではあるのですが、マジメなお宝さがし映画としては、そこそこの見応えがあり、オープニングの派手な戦闘アクションのインパクトで戦争映画を観たという後味もあるという、娯楽映画としては及第点の映画になっているのではないかしら。大作の風格も、戦争ドラマの感動もありませんけど、観てもとが取れる映画には仕上がっています。



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ドイツ軍は村に乗り込んで、住民を惨殺し、金塊を隠すのですが、彼らを追ってきたパルチザンが、村の上流のダムを破壊。村は一気に水に呑まれていきました。ローラのおじいちゃんは、その村の唯一の生き残りだったのです。2000個の金塊は金庫の中に入っているそうで、さらに湖のかなり深いところにあるため、運び出すのに時間がかかりそう。水面と湖底を行ったり来たりするだけで時間と体力を消耗しちゃいます。そこで、立てた作戦は、金塊をネットにくるんでパラシュートに空気を入れて浮かび上がらせるというプラン。ところが、サラエボでの大暴れのせいで、チームに急遽帰還命令が下ります。そこで、一晩で金塊を運び出そうと、湖底の教会の内部に空気を送り込んで、空洞を作り、そこを基地にして、水面との往復時間をなくそうというプランを追加して、決行となります。金庫を破壊するところまでは、うまく行ったのですが、その金庫には金塊が数本しか入っていませんでした。しかし、教会の中に隠し部屋を発見して、そこに金塊の山とご対面となります。しかし、彼らをマークしてきたセルビア軍のペトロビッチが湖面から攻撃をしかけてきます。しかし、何とかそれを凌いで、湖面まで金塊を運び出すのですが、ペトロビッチが待ち構えていて万事休す。そこへ、レヴィン少将の派遣したヘリが、ペトロビッチを粉砕します。結局、金塊はフランスに返されることになります。しかし、レヴィン少将は、その半分をパクって換金し、その1億ドル以上の小切手をローラに渡すのでした。めでたしめでたし。

最後に救援を送り、半分の金塊を親戚のブローカーに換金させてローラに渡すという、レヴィン少将がいいところ全部持っていっちゃうオチは、その軽さがこの映画らしくて、面白かったです。また、爆破によるダム決壊シーンもCGなのかどうかはわかりませんが、水の質感がCGっぽくなくて、迫力ある見せ場になっていました。マジメな戦争映画と思っちゃうと、主人公チームのムチャクチャな暴れっぷりに引いちゃいますから、まあ、仮想の国を舞台にしたマンガとノリで楽しむのがいいのではないかしら。セルビア軍をナチスやポルポト軍みたいな悪役にするのは、ホントのところは微妙だよってのを本で読んだばかりってところもあるので、歴史的な部分は目をつぶった方がいいかなって思ってます。しかし、フランス人リュック・ベッソンが、ここまでアメリカ軍万歳な映画を作るってのは、アメリカ市場に売り込みたいんだろうなあ。

「パディントン2」は社会派コメディらしいけど、そういうの関係なく楽しい映画でした。


今回は新作の「パディントン2」を横浜のTOHOシネマズ上大岡9で観てきました。ここは座席数とか座席配置は大劇場の作り(前方ややフラット、後方ゆるやかな傾斜)になっているのに、スクリーンがその劇場規模に比べて小さいのが今時のシネコンらしくない映画館。

ペルーのジャングルからロンドンにやってきた熊のパディントンは、フラウン家の一員と暮らしています。彼は育ての親である熊のルーシーおばさんの誕生日のプレゼントを探して、近所のグルーバー(ジム・ブロードベント)の店でロンドンの街を再現した素晴らしい飛び出す絵本を見つけるのですが、それは大変高価なものでした。そこで一念発起、仕事をしてお金を稼ごうと思い立ったパディントンはご近所の窓掃除など色々な仕事を始めます。彼は、自称自警団長のカリー(ピーター・カパルディ)を除いて、ご近所の人からも暖かく迎えられるようになります。そんなある日、飛び出す絵本がグルーバーの店から盗まれてしまいます。ちょうど通りかかったパディントンは犯人を追うのですが、それを警察に見咎められ、逆に彼が逮捕され、裁判で有罪となってしまいます。犯人はご近所の昔は売れてた俳優フェニックス(ヒュー・グラント)でした。その絵本は、昔の美人人気芸人が隠した宝物の秘密が隠されていたのです。そのお宝を使って、再度、スポットライトの下に立ちたい彼は、色々な変装をして、絵本にある名所を訪れて、宝物のヒントを集めます。一方、刑務所に入れられたパディントンは、そこで一番恐れられていた料理番の囚人ナックルズ(ブランダン・グリーソン)と仲良くなり、刑務所内の人気者となります。ブラウン一家は犯人捜しのポスターを張り、パディントンの無実の罪を晴らそうとするのですが果たしてうまくいくのでしょうか。

有名なマイケル・ボンドの原作を第一作も監督したポール・キングがサイモン・ファーナビーと共同で脚本を書き、メガホンも取りました。ペルーから来た熊のパディントンが、ブラウン一家に居候するようになり、そこから起こる騒動を描いたコメディと言うことになるのかな。藤子不二雄の作品で言うなら「ジャングル黒べえ」みたいなものかしら。パディントンのキャラは温厚で真面目の上にドジっ子キャラを乗せたという、あまり日本のアニメとかでは見かけないタイプです。映画の冒頭で床屋に店番をしていて来た客の頭の真ん中をバリカンで刈ってしまうというのは、ほとんどドリフのコントに近いノリなんですが、当人が至って真面目なのがおかしいというか、余計目に迷惑なキャラになっています。それでも、彼には天賦の才がありまして、それは周囲の人をみんないい人にしちゃうところ。そういうキャラが熊の主人公ですから、色んなドジをやっても彼のキャラが周囲をうまくいい方向へと導くという展開は出来過ぎなんですけど、ファンタジーの世界でなら、こういうのありです。やたら殺伐とした現代で、パディントンのようなキャラに周囲が癒されていくってのはいい話だと思いますもの。子供が楽しめるように作られている映画ではありますけど、大人でも、なんかほっこりできる展開は、私のようなオヤジにも心地良いものがありました。

でも、プログラムとか紹介記事を見ると、この映画、現代の社会問題に切り込んだ映画なんですって。パディントンは善意の移民を表していて、その彼が犯罪者に仕立て上げられるところは、移民に対する偏見や不寛容をさしているんだそうです。はあ、そうですか。そう言われたら、そうかもしれないけど、異形のものが人間生活に溶け込んで起きるドタバタを描いたコメディと言うと、日本人の私には「オバケのQ太郎」「ドラえもん」のパターンとして馴染み深いものがありますから、そんなに難しく考えなくてもいいじゃんという気になってしまいます。それとも、こういうファンタジーにも取り込まなきゃえいけないほど、移民問題が切迫しているということなのかしら。

そもそも私がこの映画を観ようと思ったきっかけは、ヒュー・グラントの出ているコメディ映画だからでした。ちょっと前までは、彼の出るコメディが色々あって楽しかったのですが、最近はご無沙汰だったので、「ヒュー・グラントのコメディ」というところに食指が動いたわけです。別にコート着た熊になんか何の思い入れもないし、第一作も観ていないのですが、まあ設定はオバQみたいなもんでしょ?という気分でスクリーンに臨んで、実際、何の問題もなく映画を楽しむことができました。そう考えると、しゃべる熊のファンタジーであり、社会派コメディでもあり、ヒュー・グラントも付いてくるという見どころ満載の映画と言えそうです。実際、観てみれば、どのパートも良くできていて楽しめる映画に仕上がっていました。私のお目当ての「ヒュー・グラントのコメディ」としては、泥棒する落ち目の俳優という役どころをライトに楽しんでやってますという感じが伝わってきて、楽しめました。悪役なんだけど、それほどキャラが突出してないのは、監督が彼に敬意を表しているからのようで、エンドクレジットでもう一度登場させて、華を持たせているのがご愛敬という感じでした。

設定はしゃべる熊のいる家庭のホームコメディではあるのですが、CGによるパディントンの描写、刑務所のセット、クライマックスの列車チェイスなど結構お金はかかっているようで、フランスのスタジオカナルとイギリスのヘイデイフィルムの英仏合作映画となっています。エンドクレジットを見ると、相当な人数の人間がかかわっています。映画ってのは、今や一大プロジェクトなんだなあって感心する反面、客が入る目算のつかない映画は作れない時代になってきているんだなってのをつくづく感じます。様々な国の会社が出資してやっと映画1本作れるってことは、映画産業が国内でモノづくりする力を失っているのかなって気がしますもの。

さて、パディントンは、クマのプーさんみたいに好物がありまして、それが自家製マーマレードのサンドウィッチ。これば、刑務所の囚人のボス、ナックルスの気に入って、彼と友人になります。彼の態度を軟化させたことで、他の囚人からも慕われるようになるという展開が楽しく、刑務所の食堂をティールームのように模様替えしちゃうとか、またパディントンが誤って色物を一緒に洗濯してしまったせいで、囚人服がみんなピンクになっちゃうといったおかしさは、いかにも絵本みたいな味わいと展開なんですが、キングの演出はそれを実写でやっても不自然に見せないうまさがありました。

演技陣では、ブラウン夫妻を演じたヒュー・ボネヴィルとサリー・ホーキンスのどこかトボケた味わいが楽しく、また、ベテランのジム・ブロードベントやブランダン・グリーソンがパディントンを相手に軽妙な演技を見せて見事でした。実体のないものを相手に演技するのですから、撮影現場では大変だったのではないかしら。登場人物とパディントンが会話するのを、カメラが周囲を回りながら移動ショットで撮るという手の込んだカットが随所にあり、役者もかなり大変だったのではないかと。

アクションシーンも手抜きなく見せ場に盛り上げることに成功していまして、クライマックスはかなり大掛かりな追跡劇となるのですが、テンション上げ過ぎないほどほど感が私にはちょうどいい感じの映画になっていました。それでも、クライマックスで伏線を回収したり、最後にみんなに華を持たせるあたりのバランス感覚はお見事でして、きっちりとした映画にまとまっているところは点数高いです。誰にでもオススメできるってのもこの映画のいいところですね。ちっちゃいお友達には日本語吹き替え版をどうぞ。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



フェニックスの言動を怪しんだブラウン夫人(サリー・ホーキンス)は、子供たちの協力でプレゼントの箱で彼に家に忍び込みます。それを見とがめたブラウン氏(ヒュー・ボネヴィル)と一緒に彼の家を探ってみれば隠し部屋に変装の衣装を見つけ、フェニックスが犯人だと確信します。でも、警察にその話をしても証拠がないと相手にされません。ナックルズは、パディントンに無実の罪を晴らすために他の仲間4人と脱獄しようともちかけてきます。最初は拒否するパディントンでしたが、ブラウン一家が彼の無実を晴らすことに忙しくて面会に来なかったことで、自分は忘れられたんだと勘違いして、ナックルズたちと一緒に脱獄しちゃうのでした。洗濯物を熱気球にしての優雅な脱獄は難なく成功するのですが、ナックルズたちはパディントンに一緒に外国へ逃げようともちかけてきます。無実を証明したいパディントンはそれを拒否。ナックルズたちは用意してあった飛行機でどこかへ行ってしまいます。パディントンがブラウン家に電話をしたところ、一家と連絡が取れ、フェニックスが朝の汽車でどこかへ行くことを知ります。彼は絵本の謎を解き、その宝物がカーニバルの自動オルガンに隠されていることを知り、そのオルガンの積み込まれた貨物列車に乗り込みます。それを見つけたパディントンはその列車の乗り込み、ブラウン一家はその横にある列車レストランのSLを無理やり動かして後を追うのでした。宝はフェニックスの読み通りに見つかるのですが、そこへパディントンが駆けつけて、絵本の奪い合いになるのですが、最後にフェニックスはブラウン氏の石つぶてにノックアウトされるのですが、パディントンの乗った貨車が切り離されて暴走して川に落下、ブラウン夫人が川に飛び込んで助けようとするのですが貨車の扉が開きません。そこへ、ナックルズたちが飛び込んできて、扉を壊し、パディントンを救い出すのでした。彼の無実は証明され、ルーシーおばさんの誕生日には、近所の人たちが協力して、ルーシーおばさんをロンドンへ連れてきてくれて、おばさんとパディントンが再会して、おしまい。めでたしめでたし。エンドクレジット。

パディントンの脱獄から、走る列車でのドタバタはテンポよくお話が進んで、楽しい見せ場になっています。川に落ちたパディントンをブラウン夫人が救い出せず、もうだめだと二人が見つめあったところに、ナックルズたちが助けに駆けつけるところは思わずホロリ。うーん、いい話だねえと思っていると、エンドクレジットで、フェニックスの裁判のシーンとなり、10年の刑を宣告されてしまいます。そして、刑務所の中にスポットライトが当たり、ミュージカルナンバーを歌い出すフェニックス。そして、彼の歌に合わせた囚人と看守の群舞となって、刑務所がミュージカルの舞台になっちゃうところで、本当におしまい。最後まで、楽しませる映画に仕上がっていまして、こういう映画、いいよねえって気分で劇場を後にしました。ばかばかしいけど、バカじゃない、そういうコメディが好きなんですが、最近はなかなかお目にかかれなくて。子供向けファンタジーの設定とは言え、こういういい感じの映画を観られて、劇場へ足を運んでよかったです。社会派の部分もあるらしいけど、そういうのを抜きにして楽しみました。パディントン本人はドジなところはあるけど、いたって真面目なキャラでして、その朴訥な感じがドラマに暖かい落ち着きを与えています。

「はじめてのおもてなし」はホームコメディだけど、ドイツの状況を知る意味で勉強になりました。


2017年も明けたのですが、なかなか映画館に行けてなくて、ようやく今年の映画初めということで、銀座のシネスイッチ銀座1で「はじめてのおもてなし」を観てきました。年の終わりと始めがドイツ映画というのは、何か今年はご縁があるのかしら。この劇場は、場内がフラットで、前にちょっと座高の高い人に座られるとスクリーンが欠けちゃうという、こまった作りの映画館です。もう少しスクリーン位置を上げてくれるとありがたいです。その昔より音響は改善されているので、今度は観る方も改善して欲しいわあ。

ミュンヘンに住むハートマン家は、整形外科医のリヒャルト(ハイナー・ラウターバッハ)と元教師で今は主婦しているアンゲリカ(センタ・バーガー)の二人暮らし。リヒャルトは引退を勧められているけど、現役にあくまでこだわり、友人の美容整形医に、鼻にヒアルロン酸を入れてもらったり若さへのこだわりが半端ありません。息子のフィリップ(フロリアン・ダーヴィット・フリッツ)は企業弁護士で上海企業との大取引にかかりきりで、自分の息子パスティは放置状態。そんな息子は学校も休みがちでヒップホップとゲームに夢中です。娘のゾフィ(パリーナ・ロジンスキ)は31にもなるのに、大学を転々として自分探しを継続中。時間を持て余していたアンゲリカが難民収容施設へ洋服を寄付しに行き、その流れで難民を一人で家に受け入れると宣言、最初は言下に反対したリヒャルトも、妻の勢いに負けて、難民施設へ行きます。そこで、亡命申請しているナイジェリア人のディアロ(エリヤス・エンバレク)を家に迎えることになります。家族もなく大人しいディアロは、アンゲリカたちに多少ぎこちなくも歓迎されて、ハートマン家で暮らすことになります。彼は、庭の整理を手伝ったりして家族に馴染んでいくのですが、むしろハートマン家の方が問題山積みでして、若さに執着するリヒャルトは若い娘と仲良くしようとするし、アンゲリカは酒量が上がっちゃうし、リヒャルトはワーカホリック状態がかなり重症で、ゾフィにはタクシー運転手がストーカーしてくるし、パスティはハッパやるはヒップホップのMV撮影にストリッパー呼んじゃうしともう大変。そのとばっちりで、ディアロも何度も警察沙汰に巻き込まれ、亡命申請がやばいことになってきちゃうのでした。

ドイツのサイモン・バーホーベンが脚本を書き、メガホンも取ったドイツの今を描いたファミリーコメディの一編です。ドイツというと最近の難民事情を扱ったニュースで、積極的に難民を受け入れる国として知られています。「他のヨーロッパの国々で右派勢力が台頭してきて、難民排除へ向かいつつあるのに対してドイツでは...」という扱いをされるのをよく見かけました。メルケル首相の方針が難民に対して寛容だということがあるのでしょうけど、ドイツの国民の多くが難民受け入れをすべきこととして考えているのは間違いないみたいです。でも、その一方で、異文化に対する畏怖の念とか、差別意識とかもあって、全ての人がもろ手を挙げて賛成しているわけではないようです。この映画でも、そのあたりの微妙な感情を、かなり裕福なハートマン家の家族のリアクションとして描いて、今のドイツの空気が感じられるようになっています。もちろん、難民に対して否定的な視点で作られた映画ではありませんけど、受け入れる側としては完全ウェルカムではないところも描いています。これが労働者クラスの話になると、職を奪われるとか、住民同士の文化軋轢とかもっと生臭いお話になるのでしょうけど、ハートマン家が裕福な家庭なので、生臭さがうまく緩和されているところはあります。その分、まろやかな味わいになっていることは確かですが、それでもドイツの新しい空気を知ることができる映画だと言えましょう。私には勉強になりましたもの。「昔はいい事と悪い事がもっとはっきりしてたのに、今はよくわからなくなってきた」というのは、登場人物のセリフなんですが、日本もそのうちそういう事に悩む時が来るのかなあって気にさせる映画でもありました。

プログラムの監督へのインタビュー記事を読むと、基本はホームコメディを作るつもりで、そこへ難民という異文化を放り込んでお話を面白く回そうとしたらしいのですが、作っているうちに難民問題が社会の中で大きなウェイトを占めるようになってきて、その結果、かなり社会性を盛り込んだものになったようなのです。私も、この映画の設定を聞いた時に、ドイツ人の一家に、ムスリムの難民が同居することで起こるカルチャーギャップで笑いを取る映画だと思っていました。ところが実際に本編を観てみれば、難民であるディアロは大人しく奥ゆかしいキャラで、自分の文化を優先することなく、ハートマン家の中で自分の居場所を見つけようとしています。むしろ、ハートマン家の家族の皆さんが問題ありありで、様々なトラブルで、ディアロの亡命の足を引っぱってしまうという展開になるのが意外でした。

家長であるリヒャルトは、自分の老いを感じながらもそれを受け入れることができず、やたらと若さにこだわり、自分の間違いを訂正する若い研修医につらく当たったりしちゃいます。プチ整形して、若作りの服装で、クラブに出かけて、若い娘と仲良くしようとします。日本だと、こういうオヤジはその見苦しさで若い娘にバカにされちゃうのですが、リヒャルトはお金も見た目もそこそこいい線行ってるのもあって、若いオネエちゃんといい感じになれちゃうんですよ。一方で、奥さんのアンゲリカは、仕事もリタイアして、やりたいことも見つからずに抜け殻状態なところもあって、難民施設のドイツ語教師のボランティアを志願するも、志願者が多すぎてと断られちゃう。そんな満たされない感じが彼女をお酒に走らせてしまうというちょっと気の毒ではあるキャラクター。息子のフィリップは上海の企業との取引のことで頭が一杯で、他のことは目に入りません。ゾフィは父親から試験の勉強をやれと常に言われ続ける万年学生で、自分もこの状態はまずいという認識はあるのだけど次の行動が起こせません。

そんな状況を各々が少しずつ改善されていくのをコメディタッチで見せていきます。出てくる笑いはほのぼのというよりはドタバタコメディに近いもので、クライマックスはなぜかハートマン家の前で、右派と左派がわらわらと集まってきて衝突するなんて展開になります。そんなドイツ人のドラマの中で、難民のディアロは傍観者の立場で居続けるので、日本人観客の私は、異邦人であるディアロの立場でハートマン家の家族のドタバタを眺めることになりました。そういう作りになっているので、ああ今のドイツ人ってこんな感じなんだってのが伝わってきて、勉強になったという感じでしょうか。

カルチャーギャップの部分もちょっとだけ描かれるのですが、家長を中心にした家族の結束が当たり前のディアロが、それを口にすると、おだやかに諭されるところが面白かったです。リヒャルトは「妻は自分の所有物じゃないんだよ」と言い、アンゲリカも「自分のことは、女性でも自分が決めるの」と、ディアロの文化との違いを指摘するのは面白かったです。それが正しい間違っているのではなく、ドイツではそうなんだから、ドイツで暮らすなら、そっちも受け入れるべきという見せ方です。まあ、郷に入れば郷に従えというのは、そういうことなんですが、必ずしも、移民とか難民がそうはならずに、まとまって自分達の文化のコミュニティを作っちゃうところがあって、それが受け入れる住民との軋轢を生むことを考えると、このエピソードは全編の中はほんのささやかなものなんですが、結構、問題の本質を突いてるのかもと思っちゃいました。幼い頃から慣れ親しんだ文化を否定しろというのは酷だという一方で、先住者に合わせてもらわないと困るところもあるわけです。万が一、自分がこの先、難民とかになっちゃって、ムスリムの国へ送られて、毎日の礼拝を欠かすなとか、コーランを暗記しろとか言われたら、それはご勘弁だと思いますから、簡単な話じゃないってことは理解できますからね。それを否定しないけど、首をすくめて目立たないようにスルーしたいって感じかしら。

もともとはライトなホームコメディのつもりで作っているようで、登場キャラのコミカルな味わいとか、物静かなディアロのキャラ設定、さらにドラマチックになることを避けた演出もあって、観終わった後味は、ほのぼのとしたものも残るのですが、難民の事情がシリアス過ぎて、まろやかコメディにまとめるのは難しいかなっていう印象でした。ナイジェリアから難民であるディアロの一家は、過激派組織ボコ・ハラムに2度襲撃され、1度めで兄弟姉妹が、2度めで残りの家族全員が虐殺されていました。最初は自国の状況を語らなかったディアロが、学校を退学になりそうなパスティの研究発表の授業でそのことを語るシーンが登場するのですが、あまりの悲惨な内容に教師も生徒たちも言葉を失うというのがリアルで、腹に響くシーンになっています。また、リヒャルトにとって難民問題が、奥さんの慈善趣味の対象でしかないところを見せたり、ハートマン家の隣人が中東からの難民を目の敵にしていたり、難民に対する一般市民の視線の厳しさも見せています。一方で、ネオナチがコミックリリーフの扱いだったのには、ちょっとほっとさせるものがありました。これをシリアスにやられると映画はもうホームコメディじゃなくなっちゃいますもの。

映画はドタバタの後、一応丸く収まるのですが、その中に、難民問題はきれいに着地できてない現在進行形の課題という見せ方をしていまして、やはりライトなコメディというよりは政治的な視点が反映された映画だなという印象が残りました。このネタでただのコメディを作るってのは難しい時代なんでしょうね。こういう話題で腹から笑えるドタバタコメディが作られるようになれば、難民問題にも一つの解が出たということが言えるのではないでしょうか。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



ゾフィのストーカーは家まで追いかけてきて、そこに居合わせたディアロと格闘になり、警察沙汰になってしまいます。ストーカーはナチらしく、仲間を連れてきてディアロを監視する息巻いています。ディアロは亡命申請が却下されてしまい落胆、でも再審議を申請してそこに希望をつなぐことになります。一方で、ゾフィは、幼馴染であり、リヒャルトに目の敵にされていた研修医ダレク(エリヤス・エンバレク)と偶然再会し、いい感じの関係になります。一方、フィリップは上海行の飛行機に乗り遅れそうなって逆上、空港で暴走して、精神病院に収容されちゃいます。リヒャルトはアンゲリカと言い合いになり、一度は家を出ちゃいますが、気をとりなおして、家へ戻ります。そこへゾフイがダレクを連れて現れます。家の前のナチの皆さんは数を増やし、そこへ反ナチの集団もやってきて乱闘状態、さらにディアロをマークしていた警察が特殊部隊を送り込んできますが、最終的にディアロがテロリストだという疑いは解けます。そして、再審議の場で晴れてディアロの亡命は認められ、一家のホームパーティのシーンからエンドクレジット。

色々あったハートマン家ですが、リヒャルトとアンゲリカはお互いの至らなかったところを謝罪して、また仲の良い夫婦に戻ります。ゾフィは、ダレクという彼氏が見つかってハッピー。フィリップは仕事中毒で息子をほっぽっていたことを反省し、親子の仲も修復します。そして、ディアロも自分を気にしていたベーカリーの女の子に声をかけ、何となくいい感じに進みそう。そんな感じで全て丸く収まるハッピーエンドではあるのですが、難民問題はまだ続いてるだけどというエピローグもちょっとだけ残して終わります。ドイツという国が抱える問題と希望をホームドラマの形で見せたという点でなかなか見応えがありました。ホームコメディといえども、政治的見解から逃げられないというあたりは大変な時代になったものです。

2017年のベストテンです。

2017年は、中盤に体調を壊してあまり映画館へ足を運べず、観た映画全部を記事にできなかったりもしたのですが、それでも、1年の総決算ということで無理やりベストテンを作ってみました。選択基準は「映画を観て発見のあったもの」でして、発見のある映画が上位にランクされています。

第1位「エル ELLE」
映画の冒頭で、自宅でレイプされたヒロインがどう出るのかというお話なんですが、一筋縄ではいかないヒロインの行動から、意外なハッピーエンド風まで、とにかく面白かったから1位です。ポール・ヴァーホーベン監督と主演のイザベル・ユペールが、ものすごいヒロインを作り出しています。エロくて面白くて痛快な映画、こんな映画、めったにお目にかかれるものではありません。

第2位「パターソン」
パターソンの町のバス運転手パターソンの1週間を淡々とつづったドラマです。ジム・ジャームッシュ監督は、普通の人の日々の暮らしを淡々とコミカルに描いているのですが、それが娯楽映画として成立しているのが見事だったので、2位にランクインです。1位も2位も「こんな話でエンタテイメント」という共通点がありまして、そっかー、こういう題材で娯楽映画が作れるんだという発見がありました。また、この映画のほのぼのまではいかないけど、ちょっといい感じというのが、うまいなあって感心しちゃったのですよ。

第3位「アイヒマンの後継者」
ミルグラム博士の行った実験は、権威と指示が与えられると、誰でも人間的に非道なことができちゃうというのを証明してしまいます。誰でもアイヒマンになる可能性があるという、誰にとっても不愉快な事実を突きつけてくる話なのですが、この映画は、ミルグラム博士の半生を描くという体裁を取りながら、アイヒマン実験を丁寧に絵解きして、この事実を思い出してというメッセージ映画になっています。キナ臭くなってきたご時世の中で、人は誰でも自分の望まない残虐行為を行える、自分自身も危ういという事実は、肝に銘じておく必要があります。戦争責任とか自己責任といったものに一石を投じる映画であり、多くの人の目に触れて欲しい映画でした。

第4位「メッセージ」
宇宙からきた巨大な宇宙船にいる宇宙人とコンタクトを取ろうというお話を、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が大ハッタリの重厚演出で見せた一編で、その見せ方には若干の抵抗を感じたものの、お話がちゃんとしたSFで、そして時間の観念が変わったらどうなるかというのをかなり真面目に絵解きしている点が高い評価になりました。「そうか、時間の観念が変わるとそうなるのか」という発見があったので、4位にランクインです。また、その変化を受け入れるヒロインがなかなか感動的で、そういう意味でも見応えがある映画でした。

第5位「彷徨える河」
コロンビアのアマゾン川上流に聖なる植物ヤクルナを求めて現地人ガイドと一緒にジャングルを進む男。二つの時間の二人の男が同じガイドと一緒にジャングルを行く物語を、並行して描くことで見えてくる現地人の生活と、それを否定し破壊していく白人の文化と宗教。映画は、神秘的な映像の中で、白人の文化がもたらすものを歴史的な視点で描いていきます。かつてはマジョリティであった被征服者から見た白人の文化という視点に発見があり、見応えのある映画でした。

第6位「わたしはダニエル・ブレイク」
イギリスの福祉の状況をストレートに批判した映画。怪我をして雇用支援手当を受けようとしたダニエルが、お役所の困った人をさらに困らせる仕事っぷりに腹を立てるというお話。食べることにも不自由しているシングルマザーが人としてのプライドをズタズタにされちゃうところなど、観ていて辛くなるシーンもありますが、人間はみな平等に幸せになる権利があるというのに、お上は困ってる人への気遣いすら否定してくる。自己責任という言葉で、貧乏人同士をいがみあわせている日本のお上のやり方に、もっと気づくべきだと思わせる映画でした。今の言論統制された(自粛の押し付け合いという意味で)日本では作れない映画ということで、ベストテン入りです。

第7位「否定と肯定」
「ホロコーストはなかったろう」論者が、ホロコースト研究者を名誉棄損で訴えたという実話に基づくお話です。裁判はホロコーストの有無を問う方向へは進まなかったのですが、下手をすれば、法廷でホロコーストの有無が争われたというかなり怖いお話。そんな時、自分がホロコーストがあったことを何をもって確信しているのかと考えると「意外と曖昧じゃね?」ということに気づいたという怖い発見がありました。ベストテンには入りませんでしたが、「沈黙 サイレンス」にもつながる自明のことが危うくなるという視点は、ちょっと目を背けたいけど、耳に痛いものがありました。

第8位「婚約者の友人」
戦死した婚約者の友人として現れた男を喜んで迎え入れるヒロインと婚約者の両親、その友人には秘密があったというお話をリメイクするにあたり、フランソワ・オゾンは後日談を付け加えて、ヒロインをさらに振り回すのでした。後半の展開に、そう来るかと思わせる作者の悪意を感じつつ、戦争のもたらす悲劇としてきちんと仕上げた物語の面白さで、ベストテン入りとなりました。意地の悪い映画だけど、そのうまさは認めちゃうという感じ。

第9位「女神の見えざる手」
凄腕のロビイストであるヒロインがいつもの金儲け関係なく、銃規制キャンペーンに手を染めたら、聴聞会に呼ばれて大変なことになるというお話。フランスとアメリカの資本で、イギリス人の脚本・監督が、アメリカを舞台にしたドラマを、面白い視点で作りました。ロビイストのお仕事ですとか、銃規制キャンペーンを張ることのアメリカでの位置づけが伺えて、発見のある映画でしたし、お話の面白さ、脇に至るまでの演技陣のよさもあって、面白くて見応えがありました。

第10位「ザ・ウォール」
イラク戦争の真っただ中、偵察中の米軍狙撃兵二人が、謎の狙撃手に命を狙われるスリラー。政治的な視点や主張を入れずに作っているところが新鮮で、イラク戦争を題材に、娯楽エンタテイメントを作れるようになったんだという発見がありましたし、心理サスペンスとしても面白くて、最後まで楽しめました。登場人物2人に、通信機の向こうに声が一人でドラマが作れるので、舞台劇にもできそう。

この他、日本人だからこその視点で興味深かった「沈黙 サイレンス」、オフビートなコメディとして笑えた「マギーズ・プラン」、重厚な人間ドラマとして見応えのあった「セールスマン」、映像詩ともいうべき「とうもろこしの島」などがベストテンからこぼれてしまったので、結構充実した映画鑑賞の1年だったのかも。特に「沈黙 サイレンス」は、「彷徨える河」と表裏一体を成す映画として記憶に残る映画でした。

一方でアカデミー賞で話題となった「ラ・ラ・ランド」「ムーンライト」「ライオン 25年目のただいま」などは、面白かったのですが、ベストテンの作品ほどには印象に残らなかったのは意外でした。年のせいで映画の嗜好が変わってきたのかも。



後、例年の、ベストテンには入らないけど、局所的に気になったピンポイントベスト5を挙げます。
第1位 子供にも見せられる映画としての「僕のワンダフルライフ」「少女ファニーと運命の旅」
最近の洋画って、アメコミとアニメとか、若い人をターゲットにしてるのが多くて、子供に見せられて大人も楽しめる映画が少ないように思います。そんな中で、この2本は大人が安心して子供と一緒に観ることができる映画でした。こういう映画がもっと公開されて、子供の映画ファンが増えるといいなあって思います。最近、若者ターゲット映画以外で、映画館で若い人を見かけることが少なくなってきているように思います。映画鑑賞が、今や、盆栽や詩吟みたいな年寄り向けの趣味になってきているのかなあ。

第2位 「幸福なひとりぼっち」に見る高齢化社会への不安と希望
この映画の主人公オーヴェは、ご近所の人間をバカだと見下して、何だかんだとイチャモンつけてる困ったじじい。それでも近所の人は何かあれば声をかけてくれてすごく親切。なぜなのかと思っていると、後半、彼の亡くなった奥さんがものすごくいい人だったからというのがわかるのですが、奥さんによる底上げがなかったら、ホントにただの嫌われ者のじじいでしかないじゃんと思うと、ジジイに両足突っ込みかけている自分としては、年を取ることが本当に不安。オーヴェを反面教師にして、こんなじじいにならないようにしなければ思わせたところにこの映画の意義があったように思います。

第3位 「シンクロナイズド・モンスター」のアン・ハサウェイ
今年の女優陣では、美形プラスアルファのキャラで魅力的だった人が多く、「パーソナル・ショッパー」のクリステン・スチュワート、「パーティで女の子に話しかけるには」のエル・ファニング、「ブレードランナー2049」の萌えキャラ、アナ・デ・アルマス、「マギーズ・プラン」の変なヒロイン、グレタ・ガーウィグ、「フリ・ファイヤー」のブリー・ラーソン、「ダーティ・グランパ」のジュリアン・ハフなどが印象的でしたけど、その中でインパクトあったのが、珍品「シンクロナイズド・モンスター」のアン・ハサウェイでした。いつもちょっと上玉の女性を演じてきた彼女のダメヒロインぶりが、かわいくておかしくて、2017年のベストアクトレスでした。

第4位 「スキップ・トレース」の観光映画の味わいがちょっと懐かしいような
記事にはできなかったのですが、ジャッキー・チェン主演のアクションものは、主人公が悪者に追われて、結構のんびり逃げ回るというお話です。そんな途中で、中国の田舎の観光紹介のような展開になるのですが、その昔、テレビでよく放送されていた日本映画に日本各地を旅してその地方を紹介していくような構成のものをよく見かけたのを思い出しました。「××旅行」とか「××温泉」とかもろにご当地もののような映画もありましたし、普通のドラマでも地方ロケをしながら移動していくようなものもありました。中国みたいな広い国なら、まだ観光目線のカメラが入っていない地域がいっぱいありそうで、この映画のようなアクション映画の中で、地方の風習やお祭りとかを紹介していくパターンがこれから出てきそうな予感があります。

第5位 川崎チネチッタのLIVE ZOUND音響設備
川崎のシネコン、チネチッタにはそれまで低音を増強したライブサウンドというシステムが装備された劇場がありました。そして、今年は、さらに音響を強化して、16台のスピーカーと4台のサブウーファーを追加したシステムLIVE ZOUNDをスクリーン8に設置しました。迫力ある音響と腹に響く重低音の両方を実現しています。このシステムのいいところは、ライブサウンドと同じく、追加料金なしというところ。ドルビーアトモスの追加料金とは差別化して、一方で爆音上映に近い効果を出しているのがすごい。他の劇場でも、こういうアドオンのサービスを追加料金なしでやってほしいなあって期待しています。この仕掛けで観た映画では「ダンケルク」と「スター・ウォーズ 最後のジェダイ」が重低音の迫力と、臨場感がすごかったです。


というわけで本年もよろしくお願いいたします。

「オリエント急行殺人事件」は、ポワロが前に出すぎて、集団ドラマの味わいが薄いのが残念。


今回は新作の「オリエント急行殺人事件」を、静岡のシネシティザート4で観てきました。これが、2017年の映画納めとなります。

エルサレムで盗難事件を解決したエルキュール・ポワロ(ケネス・ブラナー)は、新しい事件の依頼を受けて、急遽オリエント急行でロンドンへ向かうことになります。知人である鉄道会社の重役ブーク(トム・ベイトマン)の手配で、この季節にしてはなぜか満席の一等車両に乗り込むことになります。そこで、アメリカの美術商ラチェット(ジョニー・デップ)から、彼の護衛を依頼されます。どうやら、商売でえげつないことをして脅迫されているようなのです。ポワロは悪人のためには働かないと拒否。そして、その晩、嵐の中を走る列車は、雪崩に巻き込まれて機関車が脱線しちゃいます。飛び起きた乗客の中にラチェットがいません。彼の部屋へ行ってみると、彼はナイフで体中を刺されて絶命していました。ブークは、列車が修復されて警察が介入してくる前に事件を解決して欲しい、真相を解明できるのはあなただからとポワロに依頼してきます。そこで、ポワロは乗客たちの事件の夜の様子を質問していくとハバード夫人(ミシェル・ファイファー)の部屋に何者かが忍び込んだらしく、また偽車掌が車両にいたらしいことがわかってきます。また、犯行現場に残された脅迫状の燃えさしから、ラチェットが、アームストロング大佐の愛娘の誘拐事件の犯人であることがわかってきます。その事件では娘が殺されて発見され、大佐と妻も後を追うようになくなり、そして、無実のメイドが犯人とされて自殺と多くの関係者の人生を狂わせていたのでした。1等車両に乗り合わせていた容疑者は12人、果たして、ポワロはこの事件の謎を解くことができるのでしょうか。


この先、この映画のこと、あまりよく言っていないので、この映画を堪能された方はパスしてください。


アガサ・クリスティの有名な原作を、「エイリアン・コヴェナント」「ブレードランナー2049」のマイケル・グリーンが脚本化し、「愛と死の間で」「スルース」「恋の骨折り損」のケネス・ブラナーが監督して主演のエルキュール・ポワロも演じました。今回の予告編を見て、サスペンスアクション風の作りに一抹の不安を感じていまして、「探偵・スルース」を「スルース」にリメイクしたときも、前作の優雅なミステリーの部分を削って、シャープなドライなスリラーに仕上げていたので、評価の高いルメット版とはだいぶ違う味わいになるんだろうなあって気がしたのです。で、良くも悪くも想定内だったのですが、ルメット版とはかなり違う味わいに仕上がっています。

一番大きな違いは、ポワロが前面に出てくるところ、この類のミステリーは事件が中心で、探偵は狂言回し的なポジションになることが多いのですが、この映画は、最初から最後までポワロがドラマの中心にずっと居座ってるって感じなんです。このお話は多数の容疑者のドラマをあぶりだしていく、集団ドラマ的な味わいの筈なんですが、ちょっとポワロの出番が多すぎって感じで、集団ドラマの方が背景になってしまっています。ポワロのファンにはこういうお話の方がいいのかもしれないけど、お話を知っている私には何か違うかなって気がして。予備知識なかったら、探偵ポワロシリーズの一編として楽しめるのでしょうから、観る人によって好みが分かれるのではないかしら。

ミステリーとしての部分は、容疑者がいっぱいいる中で、怪しい人物がなかなか特定できないあたりは面白かったのですが、豪華キャストを使い切っているとは言い難いのはちょっと残念。ちょっとした伏線も張っているのですが、その事実でそこまで断定するの?的な推理が多かったのは、原作もそうだったのかしら。視覚効果をフルに使って、列車の様々な絵を見せるという趣向はビジュアル的には面白かった一方で、画面が開放的になった分、密室殺人の雰囲気が薄れてしまったので微妙な感じでした。CGをフルに使った映像は、きれいすぎて時代色が出なくっちゃうところがあり、ハリス・ザンバーラウコスの室内のしっとりした映像との違和感が出てしまったのは、減点。ロケシーンと実内シーンは統一感のある映像なのに、ロングショットになると絵ハガキになっちゃうのは、今イチでした。列車のロングショットから、映画がファンタジーっぽくなっちゃうのは、人間ドラマを軽くしちゃってるのですよ。

演技陣は、ケネス・ブラナーが聡明だけど嫌なところもあるポワロを、ヒーロー然と演じているのが今イチでして、本格ミステリーの探偵がヒーローになっちゃうのはどーなのかしら。推理小説の中で、探偵のキャラが描き込まれるのはありなんですけど、2時間弱の映画で、これだけの登場人物の中で、探偵キャラだけ詳細に描きこまれてるってのは、バランスが悪いような気がして。一方、容疑者の皆さんは、皆好演でしたが、特に家庭教師を演じたデイジー・リドリーが印象的でした。この人、「スターウォーズ」より、こっちの方が全然いいですもの。あっちは、彼女を生かし切れていないんだってのがよくわかりました。また、ジョニー・デップは悪役を抑制した演技で見せて、ドラマのアンサンブルを壊さずにドラマを盛り上げたいました。それだけに、ポワロが浮いてるんだよなあ、監督・主演だとこうなっちゃうのかなあと思いつつ、「ダンケルク」でも浮いてたから、この人、集団劇には向いてないのかなあ。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



ポワロは、アームスロトロング大佐から、犯人捜しの依頼の手紙を受けていて、事件の詳細を知っていました。そして、彼は、列車の乗客全員が、誘拐事件の関係者であることを推理し、この事件は、多くの人の人生を狂わせ破壊した誘拐犯ラチェットへの復讐であることを導き出すのでした。1等車両にいたラチェットとポワロを除く全員で、ラチェットを1回ずつナイフで刺して死に至らしめたのです。それを知ったポワロは、警察には外部侵入者による犯行であることを告げて、新たな事件に向かっていくのでした。

ラストの演出で気になったのは、最後にポワロがこの映画の真相を闇に葬ることを宣言した後の、乗客(犯人)たちのリアクションを見せないまま、去っていくポワロ見せておしまいというところ。最後に、乗客のこれからの人生に思いをはせる余韻を残さないで、ポワロの大口上で終わるあたりも、群像ドラマじゃなくて、ポワロの映画なんだよなあ。というわけで、乗客が全員、ある事件の関係者で、その全員による犯行だったという原作の趣向を楽しめれば、この映画、かなり面白いと思います。でも、原作を知ってて、その映画化版を期待してしまうと、こういう切り取り方は何か違うという印象をもってしまうのですよ。
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Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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