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「ピッチ・パーフェクト ラストステージ」は音楽ネタ娯楽映画としてオススメできます。


今回は新作の「ピッチ・パーフェクト ラストステージ」を、TOHOシネマズ日比谷1で観てきました。TCXという、でっかい画面が売り物の映画館なんですが、劇場が大きければスクリーンもでかくなるよなあ。

バーデン大学のアカペラコーラスグループ、バーデン・ベラーズにいたベッカ(アナ・ケンドリック)たちは卒業して各々の人生を歩んでいました。後輩であるエミリー(ヘイリー・スタインフェルド)の開いた同窓会にかつてのメンバーが集まるのですが、現役ベラーズのパフォーマンスに圧倒されちゃいます。そんなOGのオーブリー(アンナ・キャンプ)から、軍の偉い人である父親のコネで米軍慰問団のツアーに参加してはという提案を受け、現状があんまりハッピーでないみんなはその話に乗ります。かくして、ヨーロッパの米軍基地を回ることになる元ベラーズのみなさん。そこには、他のバンドもいて、どうやら有名なDJギャレットの前座を選ぶコンペでもあるみたいなんです。そこで張り切るベラーズOGのみなさん。その一人太っちょエイミー(レベル・ウィルソン)の前にかつて家出した父親(ジョン・リズゴー)が現れます。過去は色々あったけど、仲良くしようという父親に一度はほだされるエイミーですが、父親は昔悪い事してお金を稼いでいたこともあって、足を洗ったという彼をそう簡単には信用できないのでした。一方、ベラーズOGは、基地を回るツアーを他のバンドと共に盛り上げるのですが、果たしてDJギャレットのお眼鏡にかなうのでしょうか。

第1作の「ピッチ・パーフェクト」は、大学アカペラ選手権を舞台にした、アナ・ケンドリック主演の青春ドラマでした。でも、脇のバーデン・ベラーズの面々のきつめのキャラと、アカペラコーラスの楽しさが加わって、よくできた娯楽映画に仕上がっていました。で、同じメンバーで続編「ピッチ・パーフェクト2」では、世界規模のアカペラ選手権にパワーアップ。ベラーズの面々がより前面に出て、前作の主演だったアナ・ケンドリックが後ろに下がって、集団ドタバタコメディに、さらにゴージャスなアカペラコーラスを乗せたパワフルな作品になったのですが、前作にあった青春映画の味わいが薄れてしまったのが、私には物足りなかったです。まあ、要は、アナ・ケンドリック目当てで観た1作目がよかったので、続編を観たら、今度は彼女の出番が減っていてがっかりという話でもあるんですが、青春ドラマは結構好きなので(「チアーズ」とか「ルーカスの初恋メモリー」とか ← 古い!)、音楽のパワーも感じさせるこのシリーズ、3作目にもそこそこの期待を持って、スクリーンに臨みました。

シリーズ全作の脚本を手掛けたケイ・キャノンと「グッド・ガール」「スクール・オブ・ロック」のマイク・ホワイトが共同で脚本を書き、ダンサー、振付師であり、ミュージックビデオやCMの実績のあるトリッシュ・シーがメガホンを取りました。今回は、大学を卒業してベラーズOGとなったベッカたちを主人公に、前作にあった色恋沙汰をばっさりとカットして、人生の岐路に立つ女子たちのドラマに仕上げています。と、言うと何だかマジメっぽい映画みたいですが、基本はベラーズOGのドタバタが中心でして、そこにベラーズのアカペラコーラスがバンドやラッパーと張り合うという趣向が新機軸となっています。前作で、ドイツチームの究極のアカペラコーラスを見せているだけに、今回、アカペラコーラス同士のコンペにしなかったのは、ある意味成功しているのですが、前2作を楽しんだ人間からすると、アカペラコーラスの比重が軽くなっているのは、ちょっと物足りないかも。また、今回、ドラマの中心をベッカとエイミーのダブル主演という形にしたのは、青春ドラマとドタバタコメディの両立という欲張った構成を成功させています。私は、前作よりも、アナ・ケンドリックの出番が増えていたのがとりあえずうれしい。でも、第1作のカップ芸は見せてくれなかったのは残念。また2作目から参加のヘイリー・スタインフェルドがかわいくて、彼女中心の続編ができそうな予感もして、まだ続くかも(?)という余韻も残しました。

アカペラコーラスというのは、ドラム、パーカッション、ギター、シンセなどの楽器も人の声で演じて、さらにボーカルもかぶせるというもの。若い女の子がダンスを加えて歌う様子は、楽しくて盛り上がります。とは言え、アカペラコーラスそのもののインパクトは1作目より薄れてしまっているので、さらにバンドと競うといった趣向でハードルを上げることになります。そう考えると、前2作を未見の方が初めてこの映画をご覧になった方が、アカペラコーラスがより新鮮でスゴい芸だと思えて、常連さんよりより楽しめるかも。リフラフという、歌を使ったしり取りと山手線ゲームをミックスしたようなゲームが毎回登場しますが、これなんかも音楽のパワーと楽しさを実感できる楽しい見せ場になっていまして、音楽ってやっぱりすごいねえってのを納得できる映画として、オススメ度高いです。音楽のパワーを感じる映画ということでは、今年は「マンマミーア2」がありましたけど、甲乙つけがたいという感じかなあ。お話としては、どちらも今一つ難があるんですが、音楽パワーで乗り切っちゃうところが似ているという感じかしら。

もう一方のドタバタコメディの部分は、無理やりぶち込んだ感もあるけど、そもそもレベル・ウィルソンの存在自体がリアル青春ドラマに無理やりぶち込んだキャラなので、まあ、こういう話もありなのかなって感じ。一応、親子関係がドラマの中に何度も登場するので、それなりに映画のテーマになっているのでしょうけど、そこがこなれていないのが泥臭さを感じさせるのはご愛敬。好みの問題ではあるのですが、ベッカがヒロインの青春コメディという作りの第1作が好きだった私としては、他の賑やかしの皆さんをほどほどに、ベッカのドラマを観たかったわけで、今回は、その部分もそれなりに作り込まれていまして、ベッカの成長とベラーズの絆が音楽で描かれるラストはぐっと来るものがありました。まあ予定調和ではあるんですが、娯楽映画として丸く収まるドラマは音楽の良さも加わって、いい感じの余韻を残します。



この先は結末に触れますのご注意ください。



何と、DJギャレットの目に止まったのは、ベラーズではなく、ベッカ一人でした。そして、DJギャレットから一人告げられたベッカは、チームで選ばれなかったことで、彼の申し出を断ります。一方、エイミーの父親はベラーズのメンバーを拉致して、エイミーに銀行口座から金を下ろすように脅迫してきます。ベッカとエイミーは、父親のクルーザーに忍び込み、ベッカは捕らわれメンバーを率いて、アカペラコーラスを演じて時間を稼ぎ、エイミーはクルーザーに爆薬を仕掛けます。コーラスのナンバーが終わった時、エイミーが乱入し、メンバーが海に飛び込むと同時に爆発が起こり、父親たちは逮捕されます。ベッカは、自分だけ選ばれて断ったことをメンバーに伝えますが、メンバーは各々が自分の道を進む時だとベッカを後押しします。そして、DJギャレットのイベントで前座で登場したベッカは、自分の声を重ねて伴奏を作り出すパフォーマンスを披露、そして、そこへベラーズのメンバーもステージに上がって、大盛り上がりのステージとなるのでした。めでたしめでたし。

後半の誘拐ネタはストーリー的に無理やり感が強くて、私はあまり乗れませんでした。エイミーがやたら強くて男たちをバッタバッタとやっつけるアクションも唐突で、何じゃこりゃの気分。ラストのナンバーは、ベッカのソロから、ベラーズのメンバーもステージに上がって盛り上げるナンバーはなかなかに感動的で、ここはよかっただけに、総合点としてはまあまあかなあ。前にも書いたように、ごひいきのアナ・ケンドリックがきちんと主演としてドラマを支えている分さらに点数上乗せという感じかしら。レベル・ウィルソンは面白さは認めるけど、その存在感がクドく感じられて、もう少し全体とのバランス取れよと思ってしまいました。コメディリリーフを全部彼女の押し付けたからそうなったということもできるのですが、個性派揃いのベラーズの面々がちゃんといるのですから、集団劇の面白さをもっと見せて欲しかったところです。とは言え、音楽のパワーで最後まで楽しめるので、エンタテイメントとしてオススメできます。また、控えめなポジションでも、その存在感を見せたヘイリー・スタインフェルドは、これまでのキャリアも含めて、硬軟どっちもいける女優さんみたいなので、今後も期待です。アマンダ・セイフライドのポジションあたりにはまりそうな器用さを感じる女優さんでした。
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「search/サーチ」はパソコン画面だけで見せるサスペンスですが、娯楽度高くてオススメ。


今回は新作の「search/サーチ」を上大岡のTOHOシネマズ上大岡5で観てきました。このシネコンはキャパの割にスクリーンが小さいと文句を言ってきたのですが、さすがに最大キャパのスクリーンだとそれにふさわしい大きなスクリーンを備えてました。大画面の大劇場感のある映画館です。

大好きだった母親をガンで亡くしたマーゴット(ミシェル・ラー)は高校の1年生。今は父親のデビッド(ジョン・チョー)との二人暮らし。マーゴットが友達の家に出かけた日の夜中、デビッドに3回電話がかかってくるのですが、眠っていたデビッドは気付かなかったのですが、翌日、彼から電話してマーゴットは答えず、そのまま行方不明になってしまいます。でも、デビッドは、娘の交友関係を全然知らなくて、どうしていいかわからない。そこで、マーゴットのパソコンを開いて、アドレス帳や彼女のSNSから、彼女が友人とキャンプに行く筈だったのに来なかったことや、学校では一人でいることが多かったことなど、親の知らない娘の顔が見えてきます。警察に連絡したデビッドにヴィック捜査官(デブラ・メッシング)が連絡してきて、デビッドがパソコンから得た情報を確認しつつ、捜査を進めることになります。マーゴットは、母親から習っていたピアノの教室もやめてしまっていて、その月謝を貯金していて、そのお金を誰かに送金していたとか、別人のIDカードを偽造していたとか、色々な事実が出てきます。監視カメラに町を出ていく彼女の車が映っていたことからも、マーゴットはどこかへ逃げようとしていたのではないかと言うヴィック捜査官に、そんなことはあり得ないと強く否定するデビッド。動画をアップするサイトにも彼女は自分の姿をアップロードしていました。その中の湖の絵から、彼女はその湖へ向かったのではないかと気づいたデビッドがその位置を確認すると、監視カメラで車が確認された地点のすぐ近くだと判明するのですが、果たしてマーゴットは一体どこへ消えてしまったのでしょうか。

オープニングは、パソコンが起動されるところから始まり、そこに3人の家族がユーザ登録され、パソコンの画面上にビデオ撮影された映像が展開されていき、マーゴットの幼い頃から、母親が病気になって亡くなるまでの様子、そして今に至るまでの映像が流れます。と、この映画、全てパソコンの画面上で展開していくのですよ。チャットの映像、テレビ電話の映像、監視カメラの映像、Webカメラの映像、SNSの画面、YouTubeの画面にニュース映像と、パソコン上で見られるメディアの情報だけで、1本の映画を作ってしまったのです。セブ・オハニオンとアニーシュ・チャガンティの書いた脚本を、チャガンティが監督した、サスペンス・ミステリーの一編ですが、パソコンの画面縛りという趣向の面白さと、お話自体の面白さでアメリカでも高い評価を得たようです。確かにこういう見せ方もあるんだなあってのは発見でしたけど、その趣向にあぐらをかくことなく、サスペンス・ミステリーとしても、大変面白い映画に仕上がっています。パソコン画面上だけで展開するドラマを映画館の大画面で観る意味があるのかと突っ込み入りそうですが、これが意外や大画面で観る絵になっているのですよ。画面の大きな映画館の方がスクリーンにのめり込めて楽しめるのではないかしら。私は大画面で観てよかったと思った方でして、パソコンの画面上で見るだけでは、感情移入もドキドキハラも半減しちゃうような気がします。

ただ、パソコンの扱いについては若干の知識がないと何してるのかわからないところがありますから、スマホなりパソコンなりの基礎知識がないと、映画についていけなくなると思います。私は、仕事でもプライベートでもパソコンを使ってますから、画面で何しているかは大体わかるのですが、オペレーションがかなり速くて、そのペースに追いつくのは結構大変。誰もがついていけたのかなあ、スマホの画面であのスピードで見せられたら私もついていけなかったかも。でも、その動きは、デビッドの思考の流れそのものになっているのですよ。パソコン画面を使った一人称ドラマとしては、かなりよくできてます。前に、カメラが車の中から絶対に出ない縛りのサスペンス映画がありましたけど、この映画もパソコン画面から出ないという縛りの趣向が面白いです。でも、その中から、見えてくるものは結構怖いものがありまして、娘のことをまるで知らなかった父親が、娘のSNSのアカウントに入り込むことで、彼女のプライベートが見えてくる展開は、誰もが自分のアイデンティティをネット上の晒している時代なんだなあってのを痛感させられます。娘のアドレス帳から交友関係がわかり、チャット動画のログから彼女が何を考えていて、彼女と親しい人間が特定できて、投稿写真サイトのログから、彼女のよく行く場所を特定する、その過程はスリリングではあるんですが、今、パソコン操作するだけで人間そこまで丸裸にできるってのは怖い時代です。でも、そのことで、娘の行方を追えたわけですから、よくも悪くもこれが現代なんだなあって思わせる映画でした。でも、私自身は、ネットに接しているのはこのブログくらいですから、私が姿を消しても、探しようがないだろうと思うと、自分は時代に乗り遅れているのかもって気づかされる映画でもありました。

また、この映画が単にパソコン画面縛りの趣向だけで見せる映画ではないのがお見事で、行方不明の娘が誘拐されたのか、単なる家出なのかがわからないまま、父親の知らない娘の姿が見えてくると、父親が娘のことを理解しようとしてこなかったことが見えてきます。娘の行方と親子関係の両方のミステリーとして観客を引っ張っていきます。デビッドのキャラが等身大で感情移入しやすいので、色々な意味でドキドキハラハラしながら画面に引き込まれてしまいます。最初は娘の情報をパソコンから必死に集めて、電話で確認を取っていたデビッドですが、事態が事件性を帯びてくると、ヴィック捜査官にそういうのは警察がやるから何もしないでくれと言われちゃうあたり、ダメなところもあるお父さんを応援したくなる展開になるのも、うまいと思います。チャガンティ監督の演出は、映すものはパソコン画面だけですが、展開されるストーリーはまっとうな誘拐サスペンスで、力量を見せてくれています。ドラマとして最後まで楽しませてくれているので、オススメ度高いです。登場人物は、デビッドとマーゴット以外は、警察にヴィック捜査官と、デビッドの弟のピーターだけ。それだけで、たくさんの伏線を散りばめて、最後きっちり回収するという、これだけのお話に作り上げた脚本もお見事でした。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



デビッドが特定した湖を調査したところ、水の中からマーゴットの車が見つかります。車の中には誰も乗っておらず、マーゴット失踪事件は公開捜査となり、多くの関係者のコメントがテレビやネットで流れるようになります。車の中の遺留物から、ピーターを疑ったデビッドが、チャットのログを調べると、二人はデビッドに隠れて会っていたようなのです。証拠のための隠しカメラを仕掛け、デビッドがピーターを詰問すると、マーゴットはピーターの持っていたハッパを父親に隠れてやっていたのでした。そこへ、警察から連絡が入ります。前科のある犯罪者が、動画サイトでマーゴット殺しを告白して自殺したのです。これで、彼女が生きてる希望は絶たれ、遺体が発見できないまま、マーゴットの告別式が行われる日、デビッドは葬儀社のHPに見た顔を発見します。それは、動画サイトでマーゴットの映像にコメントを入れていた女の子で、二人はネット上で親しくやり取りをしていたのです。ヴィック捜査官はその女の子のアリバイを調べたと言っていたのですが、その女の子はモデルで直接確認を取ると、警察が来たという話は知らないと言うのです。何かがおかしいと気づいたデビッドは、警察へ連絡し、ヴィック捜査官を拘束します。行方不明から5日たっていて、娘を谷底にいると知らされたデビッドに、ヴィックは水無しで5日は生きていないといいますが、一昨日に嵐がきていたことを指摘して峡谷を捜索すると、マーゴットが発見されます。彼女を谷底へ落としたのはヴィック捜査官の息子のロバートで、かなり前からマーゴットに目をつけていて、モデルの女の子のアイコンで女の子のふりをして彼女とネット上の友達となっていました。本当のことを語ろうと、夜に湖に行ったマーゴットに接触したが逃げられて追った結果、押し合いになった時、マーゴットを谷底へ突き落したのでした。息子からそのことを聞いた捜査官は、自らマーゴットの捜査担当に志願し、証拠をねつ造したり、握りつぶしたりして、息子の罪を隠そうとしていたのでした。そして、マーゴットのパソコン画面になり、父親とのチャットが画面上に展開します。今、音楽学校の試験結果を待っている彼女の壁紙は車椅子の彼女と父親の写真です。そして、デビッドの言葉「私はお前を誇りに思っている」の後、ちょっと間をおいて「母さんもそう思ってるよ」と出て、暗転、エンドクレジット。

後半の怒涛の展開はお見事でして、最悪の展開となったと思ったら、さらにどんでん返しがあって、それに加えて、驚きのハッピーエンドになりまして、観終わって、あ、よかった、面白かったという映画になっています。それまで、母親のことに触れるのを避けてきた父親と、母親のことを思い出すのが辛くてピアノをやめていた娘の心の溝が少しずつ埋まっていくのを数行のチャットのやり取りで見せたラストシーンもホントにうまい。また、パソコン上で示されてきた、写真や動画がパズルのピースのように、収まるところへ収まっていくカタルシスもあり、よく計算されたドラマです。でも、ゲーム感覚にならないのは、、登場人物のキャラが丁寧に描かれていて、画面はパソコンでも、ドラマは十分な奥行きのあるものになっていたことが大きいです。伏線回収のカタルシスは、最近観た「カメラを止めるな」に通じるものがあり、主要登場人物4人の低予算の映画でも、これだけの物語を面白く見せられるんだなあって感心しちゃいました。デビッドが娘のために父親として奔走してる、その裏で、ヴィック捜査官が母親として息子のために暴走していたという、親の愛の表裏一体の構成も見事で、ドラマとしての見応えも十分ありました。とっつきは、見た目の趣向で見せる映画なんですが、そこにきちんと人間ドラマとサスペンスとミステリーを盛り合わせて、娯楽映画として大変面白くできていました。確かに、現代のネット社会での、人間の在り様を見せた映画であり、今、2018年のネットと人間の関係を見せた、記録的価値のある社会派映画ということもできます。5年後には、ネットと人間の融合がもって進んでいるかもしれないし、若干の歯止めがかかっているかもしれない。その過渡期でもある、2018年を記録した映画としても、意味があると思います。とは言え、娯楽としてドキドキハラハラしていい気分で劇場を後にできる映画としての存在意義の方が私には大きくて、未見の方には、ネタばれしないようにオススメしたい映画でした。

「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」はドキドキハラハラするけど、娯楽映画としてのカタルシスが薄くて苦手。


今回は、新作の「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」を川崎の川崎チネチッタ11で観てきました。傾斜の大劇場の作りでスクリーンも大きめ、シネスコになるときは若干上下が縮まる作りです。

タイのバンコク、すごく勉強のできる女の子リン(テュティモン・ジョンジャルーンスックソン)が、有名な進学校に授業料と昼食料を学校負担といういい待遇で入学します。真面目なリンとは、真逆キャラのグレース(イッサヤー・ホースワン)という友達もできて、そこそこの学校生活を送るのですが、ある日、勉強がまるきりダメのグレースから勉強を教えてと泣きつかれて、勉強を教えるようになります。で、テストの日を迎えるのですが、頭真っ白になっちゃたグレースを見て、リンは答えを消しゴムに書いて彼女に渡します。そのおかげ成績も上がったグレースはそのことを金持ちの恋人パット(ティーラドン・スパパンビンヨー)に話したことで、パットやその友人たちへもカンニングの手助けを求められてしまいます。一人一教科3000バーツ払うという話に乗ったリンは、テストの答えをピアノを弾く指の動きで伝えることを思いつき、やってみたら大成功。そんなこを続けて、稼いでいたリンですが、成績は優秀で、同じ奨学生のバンク(チャーノン・サンティナトーンクン)と共に留学生の候補になるのですが、あるテストで、リンが答案を他の生徒に見せてたことを目撃され、そのことを密告されて、留学生の資格を失ってしまいます。一方、パットがアメリカ留学のためにSTICという国際的一斉統一試験に合格しなくてはならなくなり、さらに勉強を教えてることになっていたグレースも一緒に受験することになり、何とかしてくれと、リンは泣きつかれちゃいます。試験が、世界中で実施されることから、時差に目をつけた、大掛かりなカンニング作戦を思いつき、20人の顧客も集めて大金を儲けようということになるのですが、その実現には、バンクの協力も必要となります。しかし、彼はそういう話には乗ってきません。ところがある事件が発生して事態は変わってくるのでした。

2017年のタイ国内興収第1位となり、タイのアカデミー賞で12部門取って、各国の映画祭でも賞を取ってるんですって。アメリカのファンタスティック・フェスティバルで最優秀スリラー作品賞まで取ってるってのが解せないんですが、ともあれ、世界で結構評価の高い映画です。ナウタット・ブーンビリヤとタニーダ・ハンタウィーワッタナー、ワスドーン・ビヤロンナが脚本を書き、ブーンビリヤがメガホンを取りました。進学校に優待されて入学したリンというものすごく勉強のできる女の子が、友人にテストをカンニングされたことから、その彼氏や友人までカンニングさせることになり、結構お金も儲けるようになるというお話。最初は、そういうことをする気はなかったようなんですが、偉そうなことを言ってた学校が、親から何かと寄付金をむしり取っていたことを知り、そんなら私もと思っちゃったのか、思春期の反体制的ツッパリなのか、お金をもらってカンニングしてどこが悪いと言う気分になっちゃったみたいなんです。映画はその女の子の心の揺らぎよりも、むしろカンニングのサスペンスを中心に展開します。色味を排したクールな映像と、テンポのよい展開は、サスペンスものみたいな味わいでお話が進むのですが、ラストは結構意外なところに着地することになります。

ヒロインのリンはとにかく勉強ができる女の子ですが、離婚した父親と二人暮らし。堅物の父親なんですが、家にはあまりお金がない。ですから、あまり気の進まない有名進学校への転校の決め手も経済的な優待というところにありました。そんな彼女が、たまたま困っていた親友を助けたばかりに、有料でテストのカンニングを依頼されて、その話を割と簡単に受けちゃうところは面白いと思いました。かなりリスキーな話なのですが、こういうことがばれても、タイだと本人にそれほどのダメージにはならないかな。日本だったら、エリートコースの先の裕福な人生を想定するから、キャリアの傷になりそうなことにはあまり手を出さないです。サークルやSNSでバカをするお調子者を除けば、お金になるからと言って、カンニングに精を出す超エリートというのは、ギャグマンガでしか見かけないキャラかも。一応、わいろを取る学校への義憤めいたことも言うんですが、カンニングそのものへの罪悪感はほとんどありません。私の若い頃は、周囲では万引きへの罪悪感がすごく希薄だったんですが、リンたちにとってのカンニングも似たようなレベルのものなのかな。このあたりの微妙な倫理感とかエリート意識が、ちょっと面白いと思ったのですが、おっさんの私からすると、それがカルチャーギャップなのか、ジェネレーションギャップなのかがわからないのがちょっと悲しい。

カンニングのシーンは、スリリングな演出で、テンションあがります。次々に発生するトラブルにどう対処するのかというところが見せ場になっています。ただ、その盛り上がりがカタルシスにまでつながらないのは、リンのキャラをこっちがつかみかねていて、共感に至らないのですよ。これは、おっさんの私だからかもしれません。若い人なら、もっと素直にリンに感情移入できて、楽しめるのかも。また、ちょっと面白いキャラなのが、最初堅物秀才で登場するバンクでして、最初は真面目キャラなんだけど、友人のカンニングを先生にチクるあたりは、私世代的には、イヤなインテリタイプ。昔の、学園ドラマの典型的な敵役みたいなキャラなんですが、チンピラに絡まれて留学がパーになったあたりから、段々とやさぐれてくるのが、何だか気の毒な展開となります。共感しにくい一方で、なかなか一筋縄ではいかないキャラの成り行きもまた一興です。



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バンクは、留学試験の前日、ヤクザに絡まれて、ボコボコにされた挙句にゴミ捨て場に置き去りにされ、留学の機会を逃してしまいます。それもあってリンの計画に乗ってくるのですが、パットが口を滑らせたせいで、ヤクザがパットの差し金であることが判明、喧嘩別れとなってしまうのですが、結局、バンクは金のためにリンと一緒にシドニーでの試験に乗り込みます。リンの計画とは、シドニーで受験した結果の答えをスマホで、バンコクに送り、その答えを仕込んだカンニング鉛筆をその場で作って、他の受験者に渡そうというものでした。試験問題流出があったせいで、試験場は不正チェックでピリピリしていました。試験場にスマホを持ち込めないので、試験の休憩時間にトイレでメールを打つのですが、長い時間のトイレを疑われたバンクが試験官につかまってしまい、リンが一人で二人分の試験を解いて回答を暗記してメールすることになっちゃいます。リンも疑いの目を向けられながら何とか乗り切り、全問の答えを送信することに成功します。バンコクに戻ったリンに、バンクはもっとやって儲けようと脅迫してきますが、リンはそれを拒否。父親とともに全てを告白することを決意するのでした。その取調室にリンが入っていくところでフェードアウト、エンドクレジット。

シドニーでのカンニング作戦は、リンとバンクが試験の半分ずつを受け持って、回答を暗記してトイレでスマホから送信するというものでしたが、途中でバンクがつかまってしまい、一人でリンが全部暗記することになっちゃいます。さらに、リンも疑われて試験官に地下鉄の駅まで追跡され、それまでに答えを全て送信できるかどうかのサスペンスがなかなかに盛り上がります。やっとこ、うまいこと行ったのですが、リンは自分のやったことに後悔しちゃうってのが面白いと思いました。一方のバンクはこのビジネスでもっと儲けるんだと意気込むという展開は意外でした。事の発端を作ったリンが、結局自分の行動を悔い改めようとし、最初は真面目で完全にリンの計画に巻き込まれたバンクが、悪の道へ走ろうとする皮肉。ちょっと見、バンクが悪役に見えちゃうけど、そもそもリンやパットのせいで、こんな世界規模のカンニングに巻き込まれてしまったわけで、本当に気の毒。運が悪いってのはこういうことだよなあ。カンニングをリンにせがむパットやグレースには同情の余地はないし、ゲーム感覚で金儲けするリンにも共感できないし、金に寝返るバンクにも感情移入できなくて、お話は面白いけど、テンションが上がる展開にはなりませんでした。堅物のリンのパパの存在は、リンの良心を呼び覚ます救いになっているのですが、せめてバンクにもそういう存在を与えてくれないと、何か救いのない話になっちゃうのですよ。そう思う自分は、古い倫理観にとらわれているのかもしれませんが、十代の若者が主人公なだけに、こういう話をピカレスクロマンとしては楽しめなくって。

「かごの中の瞳」は夫婦愛のサスペンスとして面白い。これを善悪だけで判断できないのが余計目に面白い。


今回は、新作の「かごの中の瞳」をTOHOシネマズシャンテ2で観てきました。土曜日の夜の回でしたが、お客さんは30人ほどで、シャンテにしてはお客さん少な目な感じです。こういう映画にお客さんが入るとシネコンのラインナップもバラエティに富んでくるのになあ。

幼い頃の交通事故で失明したジーナ(ブレイク・ライブリー)は、成長してジェームズ(ジェイソン・クラーク)と結婚。今は、夫の勤め先であるタイのバンコクの高級アパートで二人暮らしですが、なかなか子供ができないのが悩みでした。彼女の視力は完全になくなっているわけではなく、ぼんやりと光や人影は認識できるもので、その治療のための通院もしていました。そして医師(ダニー・ヒューストン)から、左目は難しいが右目は網膜移植によって回復すると言われます。幸いにも網膜のドナーが見つかり、手術した結果、ジーナの右目は視力を回復します。初めて見る夫の顔や自分の住まい。でも、彼女は思わず口にした言葉は「想像していたものと違う」でした。そして、夫婦のセックスも受け身一方だったジーナがだんだんと変わっていきます。ジェームズは彼女のために、休みを取って、ジーナの姉夫婦の住むスペインへ旅行します。性や遊びに自由な姉夫婦とジーナはしっくりいくのですが、ジェームズは何だか疎外された感じ。髪の色もブロンドに染め、濃い化粧をして、女性として自由な美しさを得ていくジーナを見て、今度はジェームズの方が「何か違う」と感じるようになったみたい。そして、ジーナの視力がだんだんと衰えていくようになります。医師はそんな筈はないと言うのですが、せっかく新しい世界へ踏み出したジーナがまた元の世界へ戻ってしまう。果たして、ジーナとジェームズの夫婦関係はどうなっちゃうの?

ショーン・コンウェイと「チョコレート」「ワールド・ウォーZ」のマーク・フォースターが共同で脚本を書き、フォースターがメガホンを取った、ちょっとミステリー入った夫婦ドラマの一編です。この監督さん「ネバーランド」撮った後、007撮ったり、ゾンビ撮ったりと、フィルモグラフィーからは職人さんのようで、「チョコレート」やこの映画では結構作家性を前面に出したクセのある映画を撮る人です。この映画では、幼い頃に視力を失ったヒロインが、それなりに平和な夫婦生活を送っていたのですが、そこで視力がよみがえることで、夫婦の間に生じる波風を凝った映像と音響効果で描いています。まったり眺めるには、ちょっと尖ったアートっぽい作りで、夫婦の行き違いがかなりシビアに描かれます。挿入されるイメージカットもかなり多め、そして、ジーナ視線のぼやけた映像も何度も挿入されるのですが、前半はそういうジーナ視線の映像が多く、それがだんだんとクリアになっていくことで、ジーナの世界で光と色が広がっていくのを効果的に見せています。また、前半の描写で、視力が足りない分、彼女に聞こえる音を強調した音響効果がうるさいほどに使われるのも、彼女の世界が変わることをドラマチックに見せることに成功しています。

ヒロインのジーナの顔は事故の傷がちょっと残っているとは言え、かなりの美人さんですが、ダンナのジェームズの方はいい人風ですが、イケメンとは言い難い感じ。視力が回復したジーナがダンナの顔を初めて観た時「え?」という顔をするのはなんとなくわかる気もします。「どうしたの?」と言われて「想像してたのと違ってたから」と控えめに言われるのですが、ダンナからすれば、これは落胆のリアクションだなってのは伝わっちゃったのではないかしら。自分の住んでるアパートにも「想像してたのと違う」という感じを持ってしまいます。そして、おどおどと自分の姿を鏡で確認するシーンも印象的です。それまでに知らなかった世界が、自分の想像していたものと違ったと感じたとしたら? また、それまでは、多くをジェームズに依存していた生活が大きく変わってきます。依存する必要がなくなることで独立心も芽生えたことで、二人の性生活が大きく変わるという見せ方は、そういう切り口もあるだろうけどと思う一方で、深いところでわかりやすいなあって感心しちゃいました。そのことに驚きと若干の不快感を感じるジェームズの在り様もリアルで説得力がありました。さらに、子供ができない原因が、自分にあると医師に告げられたことで、ジェームズはそれまでの夫婦関係の優位がどんどん揺らいできちゃいます。そのことを妻に告げないことが、また後で話をややこしくしてしまうのですよ。

その二人に間に生じた溝は、二人でジーナの故郷であるスペインに旅行した時にさらに明確になっていきます。姉との再会で羽目を外し、姉夫婦と覗き部屋へ行くという時、ダンナは外で待ってるという構図。酔っ払いに絡まれたジーナを助けたのはジェームズじゃなくて、姉のダンナだったりするのです。それまで完全な保護者で、完全依存の対象であったダンナがそういうポジションでなくなると、ダンナ以外の人間が視界の中に入ってくるようになり、彼女はそういった人々にも好奇の目を向けるようになり、そういうダンナ以外の人間の視線を意識するようになります。幼い頃に視力を失ったことで、思春期とか大人になる時期を通過できなかったせいで、性的にも抑圧されていたように見えていたジーナですが、本当の彼女はそうではなかったらしいことも見えてきます。そんな変化は、堅物のジェームズにはうれしいことではなかったようで、ジーナから「昔の私の方がよかった?」と聞かれた時に、その答えに口ごもってしまいます。一方、ジーナは犬の散歩中に、それまでプールに来て言葉を交わしただけの若者ダニエルと知りあい、男として意識するようになります。

ところが、せっかく戻ったジーナの視力がまた弱ってきたことで、二人の関係性が元に戻ってはいきそうになるのですが、そこでもう一波乱起こることになります。前半は、イメージ中心の尖った映像をたくさん盛ったフォースターの演出ですが、後半は主人公二人の想いを丁寧に追う正攻法のドラマになっていきます。ヒロインを演じたブレイク・ライブリーはどこか引け目のある盲目の人妻から、視力を取り戻して最初は素直に喜んでいるけど、だんだん夫婦生活に疑問を感じるようになる感情の流れを見事に演じてまして、ただの美人さんじゃない演技力を見せてくれます。一方、「ターミネーター;新起動/ジェネシス」で最高に情けない役(観て確認して下さい)を演じたジェイソン・クラークは、奥さんが盲目の間はいい人でいられたのに、彼女が視力を取り戻したら、いい人だけではやってられなくなる若干気の毒な男を丁寧に演じて見事でした。マティアス・ケーニッヒスウィーザーの撮影は、ジーナの見える世界の絵作りにアートな雰囲気を出す一方で、実際に暮らしている二人のアパートの冷たい空気感など、映像でドラマをじっくりとサポートしています。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



ジーナは視力が弱まったことを医師に相談し、使っている目薬を検査してもらうと、どうもすり替えられてたらしいことが判明。そんなことをする人間は、ダンナのジェームズしかいないのですが、ジーナはそのことを隠して別に目薬をもらってさし続けます。そんな彼女がアパートから引っ越したいと言い出し、自分で新居を探してきます。ジーナが、ダニエルの家を訪ねると、彼は自国へ帰る準備をしていました。二人は衝動的に抱き合い、関係を持ってしまいます。彼女が家へ帰るとジェームズが待っていて、彼女に新居の契約をしたことを告げます。ある日、二人のアパートに泥棒が入り飼い犬が行方不明になってしまいます。そして、ジーナが妊娠したことが判明するのですが、ジェームズは、ダニエルと妻の関係を疑いながら、自分の不妊のことは黙っていました。ジーナは杖を持たないと歩けないようになってしまいますが、新居に引っ越して、新しい生活が始まるのですが、実は彼女は夫に隠れて目薬を使っていて視力は悪くなっていなかったのです。飼い犬についてのダニエルからの手紙を見つけたジーナは、ジェームズが犬のことを隠していたことを知り、一方ジェームズはジーナの隠していた目薬を見つけるのでした。近所の女の子との自作の歌を歌う発表会の場で、ジーナは、ジェームズへの想いのたけを歌いあげます。それを聞いて、会場を去るジェームズ。そして、生まれた赤ん坊のアップからジーナのアップになって暗転、エンドクレジット。

お互いの秘密と負い目を感じながら、駆け引きを続ける夫婦の姿は、なかなかにスリリングであるのですが、最終的に二人の別れのシーンは見せず、でも終わったんだろうなと思わせる結末は、どっちが悪いというよりは、運命の皮肉を感じさせるものになっていまして、何とも苦い後味が残るものでした。目薬を入れ替えるダンナはひどいのはもちろんなんですが、別の男の赤ん坊を産むヒロインはどうなのって気もします。ただ、ジーナが赤ん坊の父親が誰かという確信を持たずにそのままにしたという気もしますので、そこは微妙な感じです。それまで、当たり前だった、妻の独占状態が崩れてしまったときと、妻の自我がよみがえったのが同じタイミングだったのが不幸だとは思うのですが、女性目線かすれば、妻を一生檻に入れて飼おうとしたダンナから、何とか逃げ切れたヒロインの勝利の物語と言うこともできましょう。というよりは、女性の自立が正しくて、かくあるべきだという文化からすれば、ヒロインの勝利の方がまっとうな見方ということになるのかな。でも、それだけの見方だと、盲目だった妻を支えた夫の愛情と費やした時間は無意味ということになっちゃうから、ヒロインの勝利だけで割り切るのもやだなあってのが正直なところです。でも、女性からすれば、映画の冒頭の夫に依存と感謝だけのヒロインは、見ていて歯痒いものかもしれないという気もしちゃうなあ。とは言え、映画の最初の時点では、ジェームズにはそれほど責められるところないってところもあって、男と女を善悪とか倫理、社会通念で割り切るのは難しいよなあって思わせる映画でした。ブレイク・ライブリーの美人さん以上のキャラが見られたことで、今後の彼女の作品が楽しみになりました。

「カメラを止めるな」は観て元気になれるエンタテイメント、おすすめ。


今回は世間の評判がすごく高い「カメラを止めるな」を上大岡のTOHOシネマズ上大岡9で、ようやっと観てきました。夏からずっと継続的に公開されているのはすごいですよね。シネコンでのロングランって映画はなかなかないですもの。世間の評判の良さは知ってても、後半の展開を知らなかったのはラッキーな鑑賞でした。

廃墟の中で、低予算ゾンビ映画を撮影している現場です。ゾンビ化した彼氏を相手にした演技がなかなかできなくて、監督にボロクソ言われるヒロイン。撮影が休憩に入って、ヒロインと彼氏役とメイク係が雑談していると何か不審な物音が聞こえます。この廃墟にはゾンビが出る噂があるとかという話をしていると、外に出た助監督がゾンビ化したカメラマンに襲われます。ちぎれた腕が3人の前の転がってきて、ギャー。そこへカメラを持った監督が「これがリアルだあ、撮影いくぞ」と狂ったような大張り切りぶり。小道具の本物の斧で武装して逃げ出そうとするのですが、車のキーをゾンビと取り合っているうちに、ヒロインがゾンビに噛まれたみたい。それを見たメイク女史が目の色を変えて、斧を振りかざして彼女を殺そうとします。逃げ回るヒロイン、追うメイク女史、さらに追う彼氏。建物の屋根に逃げたヒロインを追った彼氏とメイク女史がもみ合い、斧はメイク女史の頭にグサリ。でも女史の逆襲で、彼氏もゾンビ化、果たしてヒロインは生き延びることができるのでしょうか。

これは、評判どおり面白かったです。何より、観終わって元気になりましたもの。安っぽい血しぶきが飛ぶ映画なので、万人向けとは言いにくいのですが、いかにも作り物めいているので、リアルな刺激は少な目です。まあ、全体が低予算なビデオみたいな作りになっていて、ツッコミどころも多いのですが、そのツッコミが後半で回収されるという「そうくるか」の展開になっているので、理屈っぽい映画ファンは、そのツッコミが回収される快感を楽しめますし、ライトなファンは素直にその展開に乗ることができます。「低予算を逆手にとった」という表現は、B級映画をバカにしているみたいで、私はあまり好きではないのですが、この映画は「低予算(という設定)を逆手にとって」、低予算で面白い映画を作ってるのがすごいなあって感心。この映画をほめる言葉は色々と出てくると思いますが、まず「面白い」「楽しい」映画ですから、ご覧になることをオススメしちゃいます。



で、ここから先はネタバレ上等で書き進めないと、映画も感想も書き残せないので、未見の方、ネタバレはまだ知りたくない方はパスしてください。



追い詰められたヒロインは、ゾンビ化した彼氏の首を跳ね、それを喜々として撮影していた監督も合わせて惨殺。建物の屋根に血で描かれた星型の絵の中心に立つヒロインを捉えたカメラが上へあがっていくと、そこへ「ワン・カット・オブ・ゾンビ」のタイトルとスタッフ、キャストのクレジットが出ます。そして、お話は1か月前に遡り、ゾンビチャンネルというテレビで、30分生中継でワンカットのゾンビドラマを作ろうという企画が持ち上がります。監督に指名されたのは再現ドラマでそこそこの腕前という評価の日暮(濱津隆之)で、クセの強い役者連を相手に本読みからリハーサルと進みますが、その間も妥協の連続で、監督のストレスもたまることたまること。そして、いよいよ本番の日になるのですが、監督役とメイク係役の俳優が事故を起こして来れなくなっちゃいます。今さら代役を探すわけにはいかないというので、監督役を日暮自身が演じることになり、メイク係を娘と一緒に見学に来ていた日暮の妻で元女優の晴美(しゅやまはるみ)が演じることになっちゃいます。そして、生放送は始まるのですが、カメラマン役の俳優が酔いつぶれちゃったり、メイク係役の晴美が、役に入り込み過ぎて暴走しちゃったりと、段取りは思うように進みません。でも、監督としては、放送を中断するわけにはいかないと頑張って、物語を進めていくのですが、果たして望むようなドラマに仕上がるのでしょうかというお話。

で、映画の後半は、冒頭のゾンビドラマが裏方込みで再現されるという構成で、そこに思い切り笑えるドタバタをぶちこんで楽しませてくれます。単に思うようにドラマが進行しないドタバタというだけでも楽しめるのですが、冒頭のドラマで感じた、色々なツッコミどころのタネ明かしがされるので、それがまたおかしいのですよ。何か変な演出だなあとか、演出意図が不明な間があるなあとか、カメラが倒れたままになってるところは意図的なのかなあとか、そういうのが、実は進行上のトラブルだったというのをテンポのよいドタバタで見せるのですよ。ワザとらしいセリフとか、場違いな会話とかも実は苦し紛れのアドリブだったとか、そういうメイキングを見るおかしさで笑いを取ります。カメラが横倒しになったままなのは、カメラマンがぎっくり腰になったからで、その後の絵が荒っぽくなるのは、撮影助手が代わりにカメラを担いだからというあたりのおかしさですとか、急に監督役になった日暮が、これまで振り回されてきた主役二人に、アドリブ入りでマジダメ出しをするおかしさは、映画好きには余計目に笑える展開になっています。

で、最後はみんなで生放送をやり遂げたということで、色々揉めていた連中が充実感溢れた顔で喜び合う。つまり、集団で、ものづくりのお話になっているのですよ。だから、ゾンビ生放送プロジェクトXなんです。だから、後味がいい。曲者が寄ってたかって、一つのことをやり遂げるというのが物語の柱にあるから、娯楽度が高い。その一方で、綿密に作り込まれた映像の仕掛けがとんでもなく楽しい。冒頭30分がラストで種明かしされながら再現されたときにもたらされるカタルシスは、他の映画ではなかなか見られないものです。だって、安いZ級ドラマに、上から目線で、突っ込んでいたつもりが、それが全部笑いの種で、そのネタに目一杯笑わされてしまっているという、このまんまと術中にはまってしまった奇妙な快感は、なかなかクセになります。すごい映画だとか、特別な映画だとか言うつもりはないですが、この映画、まず笑えて、最後のものつくりの部分でカタルシスがあるというところで、娯楽映画として大変よくできています。夏バテ気味で元気のなかった私も観終わって元気出ましたもの。こういう映画にもっとお目にかかりたいと思います。また、評判になったおかげで私も劇場鑑賞できたわけで、クチコミあなどりがたしという映画でもありました。

演技陣は無名な人ばっかなんですが、それぞれのキャラを好演していまして、儲け役ながら、ヒロインを演じた秋山ゆずきのかわいさが印象的で、最後にブチ切れた決め絵がなかなかにかっこよかったです。後、ホラー映画作りに現場を舞台にしたというところでは、「女優霊」を思い出しましたし、同じことを二度見せて、二度目でその種明かしをするというのは、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の1と2を思い出しました。色々なところで、映画ってつながっているのかも。
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einhorn2233

Author:einhorn2233
Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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