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「バジュランギおじさんと、小さな迷子」はベタな泣かせ演出のコメディながら、そのメッセージはなかなか重厚。


今回は新作の(とは言っても2015年の映画なんですが)「バジュランギおじさんと、小さな迷子」を、川崎の川崎チネチッタ10で観てきました。ここへスクリーン位置が高めで、前の方に座ると画面を見上げることになるのが要注意の映画館。

パキスタンに住む口の聞けない6歳の少女シャヒーダー(ハルシャーリー・マルホートラ)が願掛けにインドのデリーに母親とやってくるのですが、その帰路で母親とはぐれてしまいます。彼女がたどり着いた町では、ヒンドゥー教のハマヌーン神のお祭りの真っ最中。そこに居合わせたハマヌーン神の熱烈な信者パワン(サルマン・カーン)の後を追いかけて彼の家にまで行ってしまいます。パワンは婚約者ラスィカー(カリーナ・カプール)のお父さんに結婚を認めてもらうために頑張っている大事な時。警察へ連れて行くも引き取ってもらえず、ラスィカーのお父さんの家に一緒に置いてもらうことになるのですが、名前もわからない彼女はチキンを食べるし、テレビに映ったパキスタンの国旗にキスするしということで、インドと敵対するパキスタン人であり、ムスリムでもあることがわかって、家を出されることになっちゃいます。でも、パキスタン大使館もビザも持ってない女の子を相手にしてくれません。旅行社でもパキスタンへ行くのは無理と言われるのですが、大金をはずめば裏ルートを紹介すると言われ、パワンとラスィカーは結婚資金をその女の子のために使うことにするのですが.....。

「タイガー 伝説のスパイ」などで有名なインドのカビール・カーンが共同脚本と監督を担当し、「ミモラ 心のままに」などで知られるアクションスター、サルマン・カーンが主演したコメディ仕立ての感動ドラマです。2時間39分と長い映画ではあるのですが、そこはインド映画、歌や踊りを随所に入れて、一気に最後まで見せてしまいます。最初は、迷子の女の子を助ける話だけで、2時間半以上あるの?とちょっと不安もあったのですが、これが王道の展開で、最後まで見せ切ってしまうのにはびっくりというか、なるほどパワーあるなあって感じ。で、インドで大ヒットしたというのもうなづける面白くて泣ける映画でした。「泣ける」というか「泣かせる」映画なのかな、泣きの箇所は、スローモーションや歌を駆使して、思いっきりベタに泣かせにかかるので、あざといと言えばあざといのですが、それ以上に太いテーマをぶち込んでくるので、多少の泣かせは許せちゃうところがあります。そのテーマというのが、宗教や国境を越える善意の絆という、まあ、ちょっと普段口に出すのはこっぱずかしいこれまたベタなもの。でも、実際に現在進行形で国家間では対立しているインド人とパキスタン人が、底抜け信仰バカのおかげで、相互理解の輪がつながっていくと言う展開は、なかなかに感動的なのですよ。

主人公のパワンは熱狂的なハヌマーン神(猿の恰好した神様)信者です。ハヌマーン神を徹底的に信じ、嘘や悪いことが大嫌い。でも、世間一般の人からすると、その度の過ぎた信仰と善人ぶりは、時にはバカにも見えちゃうところがあるんですが、それでも、迷子になった女の子を見捨てることができず、自分が半人前で、婚約者の父親の家に居候している状態なのに、その家に女の子を連れてきてしまいます。でも、彼女はチキンを喜んで食べることで、どうやら異教徒であることがわかってきて、さらにテレビで、インドとパキスタンの試合を観ていて、パキスタン勝利に喜んで踊っちゃうので、敵対するパキスタン人であることもわかっちゃいます。国の宗教も違うということで、これ以上面倒みきれないとパキスタンへ送り返そうということになるのですが、それもうまくいかなくて、パワンは一大決心をして、ビザもないのに自分で彼女をパキスタンにいる親の元に届けようということになります。

この映画、後半はいかにも21世紀的な展開となりまして、パワンと女の子に偶然知り合ったジャーナリストが彼らの映像をネットにアップすることで、インド、パキスタン両国民がパワンの存在を知ることになるのですよ。20世紀だったら、親元に届けられても、途中で野垂れ死んでも、関係者しかその事情を知ることはなかってでしょうが、ネット社会は、何億という人々に彼らの存在を知らしめるのです。クライマックスは、ベルリンの壁崩壊を思わせるような展開になるのですが、なるほど現代ならではの寓話なんだなあって感心しちゃいました。また、パワンが、ムスリムに助けられるシーンとか、恐る恐るモスクに足を踏み入れるシーンがするのですが、結局、親元の女の子を届けたいという気持ちは宗教を越えて受け入れられるという見せ方は心地良いものがありました。現実世界ではわからないけど、パワンの底抜けの善意に、インド人もパキスタン人も心を動かされるというのが、いい話なんですよ、これが。この映画で悪役として登場するのは、パキスタン側の為政者だけで、パキスタンの警察官も軍人も、個人の判断でパワンを助けようとするのがなかなか泣かせる展開になっています。そんな底抜けの善人パワンが、国家という組織をある意味出し抜いてしまうというカタルシスもあり、後味はかなりよかったです。ただ、演出はベタに泣かせにかかりますから、そこは若干うざいかも。

口を聞けない少女を演じたハルシャーリー・マルホートラがムチャクチャかわいいのもこの映画の点数を上げています。子供っぽさを失わないけど、どこか大人びたところもあるというバランス感覚が見事で、自分の意思が相手に伝わったときのうれしそうな顔が絶品でした。一方の、サルマン・カーンはもともとアクションスターだそうで確かにいかつい体をしているのですが、今回はちょっとトロい(学校を10年留年してるという設定)キャラだけど、信心深い善意のキャラを熱演しています。パキスタン側に拘束されてボコボコにされるシーンもあるので、ヤワ系の俳優だったらドラマが成り立たなかったかもしれないので、ヒーロー要素のあるカーンをキャスティングしたのは成功だったようです。タフで善人のバカは無敵だよなあって納得しちゃいましたもの、って言ったら怒られるかしら。

現代性のあるファンタジー要素もあるお話ですが、要所要所に歌と踊りが入るのは、インド映画の特徴なのでしょうね。この映画でもそういう見せ場がお約束のように挿入されるのですが、それでもムスリムの廊で延々流れる歌などは、ドラマの流れとシンクロして盛り上げ効果を出すといった使われ方もしていて、ドラマ展開のサポート役としても活躍しています。後、ベタな笑いとこれでもかの泣かせ盛り上げ演出がくどいけどとっつきやすくもあり、コテコテの人情コメディに乗せて伝わってくる結構重めのメッセージもあって、全体的には軽重、硬軟、何でもありの振り幅の大きい映画として楽しめるのでオススメしちゃいます。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



旅行者の男は、女の子をパキスタンには送らず、売春宿に売り飛ばそうとしていました。最後の別れをと、彼らを追いかけた行先がそういうホテルだったのを知ったバワンは大激怒、大暴れして、彼女を取り返して、自分でこの子を親元まで届けると二人で国境へと向かいます。国境越えのトンネルでパキスタンに入るのですが、パキスタン軍の国境守備隊長に、許可をくれと、わざと見つかるような行動を繰り返すバワン。そのしつこさに、呆れて入国を許してしまう隊長。でも、パキスタンの町で警官に見つかりインドのスパイと思われて拘束されちゃうのですが、女の子に危害が加えられそうになって、またしてもブチ切れて大暴れ。それを見ていたテレビカメラマンが二人に同行し、彼らの映像を放送局に売ろうとするが相手にされません。パキスタン人でも、パワンの目的を知ると助けてくれる人もいます。一方で、警察はインドのスパイとしてパワンを追います。テレビカメラマンは、撮った映像をネットに上げて、パワンの無実を訴えます。彼のカメラに偶然、女の子の母親が映り込んだことで、女の子の故郷が特定でき、そこへ向かうのですが、途中で警察の検問に会い、パワンは自分が囮になって、カメラマンと女の子を逃がし、女の子は母親と再会します。でも、パワンはパキスタン当局に拘束され、拷問で自白を強要されそうになるのですが、彼を逮捕した捜査官が裏付け調査でバワンの無実を知り、彼をインドへ送り返そうと、テレビカメラマンに頼んで、インド、パキスタンの両国の市民に、国境検問所に集まるように呼びかけます。国境の検問所には、両国から多くの人が集まり、守備隊の軍人も、バワンのために道をあけるのでした。インド側へ向かうバワンに、女の子がかけより「おじさーん」と声をかけ、振り返ったバワンが引き返して、女の子を抱き上げたところでストップモーション、暗転、エンドクレジット。

ラストの国境検問所のシーンはベタでこれでもかという演出がくどいと言えばくどいのですが、まあ、それまでに点数を稼いでいて逃げ切り勝ちといったところでしょうか。バワンが、インド人からもパキスタン人からもヒーローとしてコールされるというのは出来過ぎな気もするのですが、まあそのあたりは、私にとっては、映画の魔法としての許容範囲でした。登場した時は、足を引っ張るのかと思っていたテレビカメラマンが最後まで、バワンのために画策するというのには、意外性がありました。ともあれ、国籍、宗教よりも、人、その人柄だよね、という見せ方はうまいと思いました。人してよいことをすれば、どんな宗教の人でも受け入れられ、支持されるというのは、すごく重要なポイントだと思いますもの。違う神様を信じる人を、キリストもアッラーも許していないのに、それを人として受け入れようってのは、下手をすれば神の教えに背くことになりかねないけど、でも、人情として、いいことをする人を助けたいと思いますもの。国家間で対立があっても、人としては認めあうことで、お互いが人間として良くなることができるという見せ方もうまいと思いました。国境や宗教は、自分側と相手側を分別して、敵対させるものとして機能することがあるけれど、それに盲目的に従うのではなく、自分の目で、人間としての相手を見て、自分の良心で、判断することの方が大事だと言ってるのは、耳を傾けるに値するメッセージだと思います。それをコテコテの笑いと泣かせのドラマで示そうってところに、ちょっとミスマッチなおかしさも感じてしまいました。
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「家へ帰ろう」はホロコーストを描いた映画の新しい切り口で発見がありました。


今回は川崎の川崎チネチッタ9で「家へ帰ろう」を観てきました。久しぶりに来たら、パンフレット売り場がサンドウィッチ屋になっていて、パンフレット買いたきゃ、外のショップに行けってことになっちゃってました。何だかむっとしたので、ショップのお姉さんに不愛想になっちゃいました。お姉さんは悪くないんだけどね、

ブエノスアイレスに住む仕立屋のアブラハム(ミゲル・アンヘラ・ソラ)は、かつてのホロコーストの生き残りです。老人ホームへ行くことになった前の晩、荷物をまとめ、一着のスーツを持ってヨーロッパへ旅立ちます。行先は、かつて少年の自分が住んでいたポーランドのウッチという都市。でも、アブラハムにとってポーランドはその国名を口にすることすらはばかられる遺恨の土地です。直接、ポーランドへ行く航空便のチケットが手に入れられなかったアブラハムは、とりあえずスペインへ向かい、そこから陸路でポーランドまで行こうとするのですが、マドリッドで泊まったホテルで持ち金全部を盗まれてしまいます。途方に暮れる彼ですが、スペインに住んでいる娘を頼り、そこで1000ユーロを借りて、列車でパリへ向かいます。でも、その先のドイツはどうしても通りたくない。パリの駅で知り合ったドイツ人の文化人類学者が彼のことを気にかけてくれます。彼女の真摯な態度にドイツに対する頑なな気持ちがちょっとだけ揺らぐアブラハム。彼が会いに行こうとしているのは、終戦時、収容所から逃げてきたアブラハムを、家に入れて介抱し、アルゼンチン行きの金を渡してくれた幼馴染ピオトレックでした。もう70年も音信不通だった友人に、アブラハムは再会することができるのでしょうか。

アルゼンチンのパブル・ソラルスが、彼の聞いた実話をもとに脚本を書き、メガホンを取りました。ブエノスアイレスに住むユダヤ人の老人が、老人ホームに入れられることになるのですが、その前日に、彼は自分がかつて住んでいたポーランドへ旅立つのです。ポーランドは、ナチスドイツに侵攻された被害者側の国である一方で、ドイツのホロコーストに加担したという加害者の顔も持っています。ポーランドに住んでいたアブラハムの家族は収容所送りになり、彼らの家は、使用人だった男のものにされてしまいます。命からがら自分の家に逃げ帰った18歳のアブラハムですが、使用人だった男に追い出されてしまうのですが、その息子のピオトレックは自分の部屋に彼をかくまい、アルゼンチンに住んでいたアブラハムの叔母の手紙といくばくの金を渡して、彼を送り出してくれたのです。ドイツもポーランドも口に出すのもはばかるアブラハムですが、幼馴染のピオトレックに、自分の仕立てたスーツを持って会いに行こうと思い立ったのでした。

第二次世界大戦を扱った映画が、記録映画、劇映画含めて、最近よく見るようになりました。当時を知る人が年齢的に限界がきているってことがあるのでしょうけど、この映画も現在を舞台にして、ホロコーストの傷跡を描いているという点では、「手紙は知っている」と通じるものがあります。主人公がホロコーストの生き残りの老人という点でも同じですしね。この爺さん、結構いけすかないところもあるし、老いから来る頑固さみたいなのもあるし、あんまり同情を誘うタイプではありません。病魔に侵された右足は切断するように医者から言われているし、そんな足を引きずって、アルゼンチンからポーランドまで一人で旅をしようというのですから、なかなか大変。でも、この映画では、自分の娘はともかく、たまたま出会った3人の女性が、彼を助けてくれるのですよ。旅の中で、そういう人に一人でも出会えたら、現実世界ではものすごく幸運なことだと思うので、立て続けに3人もの親切な人に出会って、旅を助けてもらえるというところが、映画の魔法という感じなんです。そうなるとファンタジーっぽいお話なのかと言うと、これが70年もトラウマを引きずってきた主人公のヘビーなドラマということになります。

映画のストーリーだけ言うと、老アブラハムが過去のトラウマのある土地ポーランドに旅をするというだけというシンプルなもの。その間にお金を盗まれたりといったトラブルや、過去のフラッシュバックに悩まされたりするという展開です。ストーリー的には、展開はあまりなくって、淡々としているのですが、脚本、監督のソラルスは、70年前のホロコーストの傷に悩まされる人がいるということ、そういう人たちのトラウマの深さを見せるのがメインという感じなんです。ですから、自分の命の恩人である友人に会うという部分は割と淡泊に描かれています。でも、ポーランドという言葉を口に出すことも拒否、ドイツを通過するのも絶対やだという頑ななじいさんの心の傷は、日本の戦争を生き延びた人の証言ドキュメンタリー映画には見られなかったもので、私には発見がありました。一方で、今の若い人々は、戦争やホロコーストを恥ずべき歴史としてある程度客観的に捉えているので、アブラハムの頑なさにはついていけないものがあり、旅先で孤立してしまうのですが、そこに前述の3人の女性が彼の痛みを受け入れて、助けてくれるのです。まあ、そういう人がいなかったらアブラハムはポーランドまでたどり着けなかったでしょうから、そのあたりが映画にファンタジーの味わいを加えていると言えましょう。

ミゲル・アンヘラ・ソラは、頑固で金にこだわるユダヤ人のアブラハムを飄々と演じています。個人的にはあまりお近づきになりたくないじいさんなのですが、そのじいさんの過去がわかってくると、恩人に会えるといいなあって思わせる演技が見事でした。後半はすっかり感情移入しちゃいましたもの。後、フェデリコ・フシドのオーケストラによる音楽がすごくいいのですよ。淡泊な展開のドラマをぐっと盛り上げるのですよ。ラストなんかは、半分は音楽のパワーで心揺すぶられて泣かされちゃいました。でも、サントラCDは出てないみたいなのが残念。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



ドイツ人の文化人類学者の女性は、着るものを駅のホームに並べて、アブラハムがドイツの土地を直に踏まないように気遣ってくれます。そんな彼女のやさしさに、自分の足でドイツの土に足を踏み入れるアブラハム。そして、ポーランド行きの列車に乗るのですが、そこで過去の記憶がフラッシュバックして倒れてしまいます。気がつけばポーランドの病院のベッドの上にいたアブラハムに、看護婦の女性は、医師の進言で足を切らないようにしたことを伝えます。そんな彼女にこれまでの経緯を話して、恩人の町まで連れて行って欲しいと言うと、彼女は彼を車でその街まで連れて行き、恩人の住んでいた家を一緒に探してくれます。何とか路地の奥のその住所にたどり着くのですが、ドアホンを押しても答える人はおらず、近所の人も良く知らないみたい。アブラハムはかつて住んでいた家の地下室の入り口を見つけてそこへ行くと、上の窓の向こうにミシンを操る老人がいました。二人は目が会い、お互いが誰かを認識します。外に出てきた老人は幼馴染で恩人のピオトレックでした。抱き合って再会を喜ぶ二人。ピオトレックはアブラハムに「家へ帰ろう」と言い、家の中へ入っていく二人。路地奥からカメラが段々と引いていって、暗転、エンドクレジット。

ラストはどう処理するのかと思ったら、幼馴染が健在で、感動の再会というのは、かなりベタなんですが、そこに至るまでに、アブラハムに感情移入しちゃってるので、ああ会えてよかったと素直に泣かされてしまいました。(前述のように音楽の力も大きいのですが。)ホロコーストという過去があって、その過去が70年もその人の人生に影を落としているというヘビーなテーマを持った映画だけに、後味くらいはよくしないと、観客の心を惹きつけらないってところもあるんでしょう。やはり、これでアブラハムを放り出しちゃったら映画そのものの評価が変わっちゃいますもの。そういう意味では、エンタメ度を増したことで、現代につながるつらい過去を知ることができるけど、とっつきのいい映画に仕上がっています。ホロコーストについての映画は色々ありますが、こういう切り口もあるんだということで発見もあって、オススメしたい映画です。

2018年のベストテンです。

2018年は、後半ほとんど映画館へ行けていないのですが、それでも観た映画を並べてみたら結構いい映画が多くて、強引ですがベストテンを作ってしまいました。昨年は観た本数が少ない割にいい映画が多かったみたいです。

第1位「ぼくの名前はズッキーニ」
コマ撮りの人形アニメで、冒頭はちょっとブラックな味わいへ進むのかと思わせるのですが、親を失って施設に預けられた主人公の物語が、すごく泣かせるのですよ。ただ、泣かせるというのではなく、そこに「子供をいじめたり、捨てちゃダメ」という明確なメッセージがあって、作り手の怒りと希望が伝わってくるところがすごくよかったです。生身の人間が演じたら、痛々しくて生臭くなってしまうであろうお話が、人形アニメになったことで、その言いたいところが素直に心に届く当たりのうまさも含めて、2018年のベストワンです。ラストシーンはマジで大泣きさせられちゃいましたが、泣かせるための映画ではないところが、憎いと言うか、まんまとはまってしまったと言うか。

第2位「告白小説、その結末」
お疲れ気味の人気女性作家が、ファンだという女性と知り合い、仲良くなるのですが、段々、そのファンの女が作家の生活を侵食し始めるというお話で、ロマン・ポランスキー監督が語りのうまさで最後まで引っ張るミステリーの一編。ラストをきちんと説明しないで、観客に投げてるんですけど、それでも面白くて、観た後の満足感が高かったです。ああ、こういう展開、こういう結末でも面白い映画は作れるんだなあって感心しちゃいました。最近の映画では珍しい、知的エンタメ度の高い映画ということでここに上げてしまいました。

第3位「タリーと私の秘密の時間」
共働きで育児にお疲れのヒロインにさらに子供がうまれてグロッキー状態。そんな彼女がナイトシッターを頼んだら、これがちょっと不思議ちゃんだけど有能で、荒れていた家庭の中も明るく変わっていくというお話なんですが、これが結構シリアスな展開になるのがびっくり。日本の家庭にもあてはまる題材だけに、若いカップルにオススメしたい映画。これすごいいいところ突いてる映画だと思ったんだけど、あまり話題にならなかったんだよなあ。


第4位「男と女、モントーク岬で」
自分の過去の恋愛をモチーフに小説を書いている人気作家が、かつての恋人と再会し、ちょっとしたアバンチュールを期待するという男の身勝手視点と、過去に決着をつけたい恋人の視点が交錯するのが面白い大人の寓話のようなお話でした。二人の相容れない感じを巨匠フォルカー・シュレンドルフが丹念に描いていて見応えがありましたので、これを4位にあげちゃいます。

第5位「スリー・ビルボード」
惨殺された娘の母親が、街の入り口に警察批判の看板を掲げたことから起きるドラマは、物語として大変見応えのあるものでした。絶望と希望が交錯するドラマの中に、ぎりぎりの善意を織り交ぜていく脚本と演出が見事でした。血生臭い展開もあるし、愉快になれる映画ではないけれど、映画を観たという満足感が一番高かった映画です。

第6位「Search/サーチ」
パソコンのディスプレイ上の映像だけでドラマが展開するという、かなり奇をてらった作りの映画ながら、行方不明の娘を探すドラマがスリリング。二転三転する展開が見事で、サスペンスミステリーとして大変面白かったです。あまり内容を語れないのですが、パソコン上の映像だけなのに、きちんと大スクリーンでの鑑賞に堪える絵になっているのも点数高く、なるほど基本のアイデアの上に、色々な趣向を盛り込んでいることに感心させられました。

第7位「ロープ 戦場の生命線」
停戦後のボスニア・ヘルツェゴビナで働く「国境なき水と衛生管理団」のチームのある一日を描いたドラマです。地雷があちこちに埋まっていて、まだ武装した連中もうろうろしている中で、丸腰で頑張る国際NGOを、コミカルな味わいで描いたドラマは、日本で平和に暮らしている自分には色々な発見がありました。死と隣り合わせでも、住民の日々の暮らしが続いていく様を見せていくところも驚きでしたが、、そんな中に外国から乗り込んで行って、住民のために頑張るNGOの姿をコミカルに見せたセンスもよかったです。説教臭くなく、人の善意と勇気、そしてしぶとさを描いた映画として記憶にとどめておくべき映画と思いました。

第8位「女と男の観覧車」
ウディ・アレンの映画ですが、舞台劇のような見せ方で、役者の演技で物語を語る作りが新鮮で、ヒロインのケイト・ウィンスレットがまたうまい。元女優の四十女が、義理の娘が突然転がり込んできたことで、不幸が連鎖した挙句、最後は壊れていくという悲劇をどこかシニカルに眺めた視点で描いて、ドラマとしての見応えがありました。

第9位「恋するシェフの最強レシピ」
中国製のベタなラブコメですが、ヒロインがかわいくて、お約束の展開がすごく楽しかったので、ベストテンに入れちゃいました。大富豪の息子、金城武と天才シェフ、チョウ・ドンユイの恋愛模様は、夢のようなカップルではあるんですが、どこかどんくさい恋愛模様が何だかいとおしくなっちゃうのですよ。キスシーンすらないのに、二人が好きあっているのがビンビン伝わってくるのが楽しい一品でした。

第10位「アンロック 陰謀のコード」
CIAの尋問官であるヒロインがある事件に巻き込まれ行くというサスペンスものです。傑作というわけでもないし、とびきりのオススメではないのですが、ベテラン職人マイケル・アプテッド監督の手堅い演出で、よくできた娯楽映画に仕上がっています。最近、こういうジャンルで手堅い面白さを持った映画が少ないのであえてベストテンに入れさせていただきました。

この他では、ドラマとしての見応えがあった「バトル・オブ・セクシーズ」「ペンタゴン・ペーパーズ」、重厚な人間ドラマとしての「女は二度決断する」「ラブレス」、愛すべき小品としての「ビッグ・シック」「レディ・バード」といった作品が、ベストテンからこぼれてしまいました。2018年はあまり本数は稼げなかったのですが、当たりの映画の多い充実した1年だったと言えそうです。

毎年やってる、ベストテンには入らないけど、局所的に気になったピンポイントベスト5を挙げます。かなり無理やりひねりだした感はありますけど。

第1位 クチコミでヒットした「カメラを止めるな」がドタバタコメディでした。
低予算、ノースターの日本映画がまさかの大ヒット。シネコンでも拡大公開して、出演者がテレビにバンバン出るようになったりと、評判が評判を呼んだので、これがカルト映画なのかなと思いきや、劇場で鑑賞したら、楽しいドタバタコメディだったのにびっくり。伏線回収のうまさにまんまと映画にはまってしまいました。こういう楽しく笑える映画にスポットライトが当たるってのがうれしい事件でした。

第2位 「私はあなたのニグロではない」で自分の差別意識の根幹に気づかれてしまう。
アメリカの黒人の現代史のドキュメンタリーですが、そこで語られる「白人は差別する対象を必要としたのだ」という言葉は、そのまま日本人の自分にあてはまるなあってところが発見でした。それは同時に、黒人差別をする白人と同じメンタリティを自分を含めた日本人も持っているということになるわけで、他人事の筈の黒人差別の映画で、痛いところを突かれてしまいました。

第3位 「シェイプ・オブ・ウォーター」がアカデミー作品賞を獲っちゃったこと
ギレルモ・デル・トロ監督のオタク魂爆発の映画でしたけど、まさかアカデミー作品賞を獲っちゃうとは思いませんでした。黒人とかLGBTといったマイノリティ差別ネタが強かったアカデミー賞ですが、まさかこういうマイノリティにまで賞をくれるってのはどうなのって思っちゃいました。「ノートルダムの鐘」で最後に市民はせむしのカジモドに喝采をするのですが、それが長続きはしないであろう一時の熱狂です。それと同じように、この映画への評価、これにアカデミー賞を与えてしまった時代への評価が、この先どうなるのかなあってところが気になります。いい話だし、ドラマとしてもうまい映画なのですが、日陰だからこそ輝く映画もあるんじゃないかって言ったら怒られちゃうかしら。

第4位 「あなたの旅立ち、綴ります」のアマンダ・セイフライド
2018年の女優さんは豊作でして、「女と男の観覧車」のケイト・ウィンスレットを筆頭に、「ビッグ・シック」のゾーイ・カザン、「アバウト・レイ」のエル・ファニング、「ロープ 戦場の生命線」のメラニー・ティエリー、「ピーター・ラビット」のローズ・バーン、「バトル・オブ・セクシーズ」のエマ・ストーン、「スカイスクレイパー」のネーヴ・キャンベル、「ウインド・リバー」のエリザベス・オルセンといった面々が印象に残りました。そんな中で、特によかったと思ったのが、「あなたの旅立ち、綴ります」のアマンダ・セイフライドでして、シャーリー・マクレーンを向こうに回した演技合戦で引けを取らない実力を見せて見事でした。この人、色々なジャンルの役に挑戦していく姿勢がかっこいい女優さんだなあって思いますです。

第5位 「ラッキー」を見て、こういうジジイになりたいと思ったこと
自分の周囲の年寄りを眺めてると「こうはなりたくないものだ」と思わせられることばかりなのですが、そんな中で、「ラッキー」の主人公、ラッキーじいさんは、一見頑固ジジイのようで、経験や知識をひけらかすことなく、他人の言葉に耳を傾け、正しいと思ったらそれを受け入れる柔軟な思考の持ち主で、若い人からも一目置かれる存在です。もういい年の自分ですが、できることならこういうジジイになりたいと思わせる数少ないサンプルでした。映画としても、間のおかしさが楽しくて、ためになるジジイ映画でした。

というわけで、2019年も色々な映画に出会いたいと思っておりますので、本年もよろしくお願いいたします。

「アイ・フィール・プリティ」は面白い視点の映画だけど女性から見るとどう映るのかしら。


今回は新春第二弾として、有楽町のヒューマントラストシネマ有楽町2で「アイ・フィール・プリティ 人生最高のハプニング」を観てきました。ここは小キャパのちっちゃな劇場で、シネスコサイズになるときは、画面が左右に広がると同時に上下には詰まるという懐かしいスタイルの映画館。

コスメ会社に勤めるレネー(エイミー・シューマー)は美人じゃないし、体型もぽっちゃりで、そんな外見がコンプレックスになっています。美形の集まる本社じゃなく、チャイナタウンの地下室でオンラインサポートという地味な仕事もつまらない。でも、仲良しの友人ヴィヴィアンとジェーンは、明るいキャラのレネーと楽しくやっています。そんなある日、ジムのフィットネスバイクから落ちたショックで、レネーは自分が絶世の美人に見えるようになっちゃいます。他の人からしたら何も変わってないのに、レネーは奇跡が起きて自分の外見が大変身したと思い込んじゃいます。コンプレックスは優越感に替わり、自分に自信を取り戻した彼女は、会社の受付に志願し、社長のエイブリー(ミシェル・ウィリアムス)の目に止まって、なぜか合格しちゃいます。ナンパされたと勘違いしたことから、イーサン(ラリー・スコヴェル)という彼氏も強引にゲットして、イーサンもどういうわけかレネーのことが好きになっていき、何だかいいことが次々に起こります。会社は、一般女性向けの化粧品を開発プロジェクトを立ち上げていて、レネーの的確なコメントがエイブリーの信頼を勝ち取り、彼女のプレゼン出張に同行するまでになります。でも、友人ヴィヴィアンとジェーンと一緒の合コンで、上から目線で下品なことを口走ってしまい、二人に絶交されちゃいます。自分が美人だと思い込むだけで人生が大きく変わってきたレネーですが、それによって得るものと失うものがあることに、彼女は気付いていないみたいなのでした。

「25年目のキス」「そんな彼なら捨てちゃえば」の脚本家コンビ、アビー・コーンとマーク・シルヴァースタインが、脚本を書いて、二人共同で初メガホンを取った、コメディの一編です。外見のコンプレックスに悩むヒロインが、頭打って自分が超絶美人に見えるようになるという設定で、一言で言っちゃうと勘違い女のドタバタコメディということになりますが、まろやかな味わいにまとめているのがうまい映画です。でも、これ、実際に外見にコンプレックスを持つ女性が観たら、どういう感想を持つのかすごく興味あります。下手をすれば、「やっぱり女性は見た目がよくないとダメなのかな。」って思われかねない部分もあり、ブラックコメディにも転ぶ可能性のあるお話なんですよ、これが。

映画の冒頭では、自分の見た目に自信のないレネーが委縮気味の日々を送っています。そして、「美しくなりたい」って願をかけると雷鳴がとどろき、翌日、ジムでフィットネスバイクから落ちたショックで、自分が絶世の美人に見えるようになっちゃいます。鏡の中を自分を見て驚きを隠せないレネー、だって人生のコンプレックスが突然解消しちゃったんですもの。でも、映画の中で、レネーの姿は何も変わらないので、見た目はただの勘違いでしかないのですが、どうやら彼女の中ではマジで美人になってるらしいのです。それまでは、美人はみんなから注目されていて、男からは声かけられてうらやましいなあって思っていたものですから、自分が美人になったら、急に変な自信がついちゃって、周囲に上から目線になっちゃうのですよ。その自信過剰な押しの強さが、イーサンという草食系男子と付き合うきっかけになり、一方で旧友との間に溝を作ってしまうのです。

さらに、見た目に自信がなかった頃はあきらめていた会社の受付嬢になることにも挑戦し、その押し出しの強さが社長のエイブリーの目に止まり、何とコスメ会社の顔として受付嬢の職をゲットしてしまいます。さらに、一般女性へマーケットを広げようとしている社長に、不美人だった頃の視点で、適格な指摘をしたものですから、社長の信頼を得て、新規マーケット開拓プロジェクトに抜擢されちゃうのですよ。不美人コンプレックスで凝り固まっていたころは、本社に足を踏み入れることさえストレスになっていたのですから、自分が美人だという勘違いがなかったら、受付嬢にもなれなかったし、社長から認められることもなかったわけです。そういう意味では、勘違いは彼女のキャリアにとってはいいことだったみたいです。でも、彼女が生まれつきの本当の美人だったらよかったのかと言うとそういう見せ方にはなっていないのが、面白いところです。

外見にコンプレックスを持っている女性がエステや整形できれいになるというテレビ番組(←「ビューティコロシアム」でしたっけ。)がありましたけど、あの番組を観て、劣等感に悩まされていた女性に自信がつくのはいいことだよなあって思っていたのですが、自信がつくのも一長一短なんだなあってのが、この映画からの発見でした。それに、化粧品会社の社長に認められるきっかけは、外見にコンプレックスのある女性目線のマーケティングを披露したからであって、トータルで考えると、不美人だったころの性格や経験が彼女を助けているのが見えてくると、「ひょっとしてこれ美人をこき下ろして差別する映画じゃね?」なんてうがった見方もできちゃうのですよ。まあ、この映画の言わんとするところは、見た目のコンプレックスから解放されたらいいよねってところなので、美醜の優劣を問うものではないのですが、そのあたり結構ギリギリな見せ方をしている映画ではないかしら。

ヒロインを演じたエイミー・シューマーは、美人だと思い込んだ後の自信過剰になっちゃうところで、嫌悪感を抱かせないぎりぎりのところを達者に演じこなしています。美人になった彼女の絵を観客に見せないので、単に勘違いしてる自信過剰女にしか見えないのですが、そこできっちり笑いを取って、いやなキャラにしないあたりのうまさは演出もあるのでしょうが、お見事でした。才能も美貌もあるけど声がバカっぽいのがコンプレックスになっている社長のエイブリーを演じたミシェル・ウィリアムスがちゃんとヒロインを引き立てながら笑いも取るあたりもさすが演技派女優の底力を見せてくれます。また、ローレン・ハットンがミシェル・ウィリアムスのおばあちゃん役として登場し、きっちりきれいな女性になっているのにはびっくり。

ラストはかなり強引な締め方をするので、トータルな映画としては今一つだったのですが、それでも、設定の面白さとその設定の長所短所をきちんと描いている点は面白い映画でした。人間は、美醜で判断されるべきではないというテーマがありつつ、個人の持つコンプレックスを乗り越えるだけでなく、受け入れるべきところもあるんだよという見せ方は、いいところを突いてると思う半面、それって結局堂々巡りなんじゃないの?と思わせるところもあって、意地の悪い見方をすれば、結構ツッコミどころの多い映画と言えそうです。でも、そこまでムキにならなくても、何となくハッピーエンドならいいじゃんというお気楽な見せ方にも、捨てがたい味わいがあります。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



社長のビジネスプレゼンの旅に同行したレネーですが、旅先のホテルで頭を打ったところで、自分が美人に見える魔法が解けてしまいます。結局、あるがままの自分に向き合ったレネーは自信喪失、そのままニューヨークに戻ってしまい、イーサンとも別れてしまいます。でも、社長が一般向け商品プロジェクトに、ジムで一緒になった飛び切り美人のマロリー(エミリー・ラタコウスキー)がプロジェクトのモデルに採用されると知って、その発表会に乗り込み、自分こそが、このプロジェクトにふさわしいモデルだとプレゼンしようとします。画面に映し出された自分の写真を見た彼女は、受付嬢になる前と後で、何も変わっていないことに気づき、改めて一般向け化粧品は、多くの普通の女性に希望を与えるべきものとぶち上げて、会場の喝采を浴び、社長からも感謝されることになります。そして、再度、別れたイーサンのアパートを訪れた彼女を、イーサンはやさしく受け入れるのでした。アパートの前で抱き合う二人の絵から、暗転、エンドクレジット。

結局、魔法は長く続かず、レネーは元の美しくない自分に戻ったことに失望しちゃいます。友人に謝りに行くのですが、何を今さらと言われてますます落ち込むレネー。まあ、そりゃそうだよね、友人からすれば、突然、上から目線でものを言うようになり、合コンでは自分たちを侮辱するようなことを平気で言うような女を友達とは思えないですもの。ところが、映画の魔法で、一般向けコスメの発表会に彼女たちも招いて、割り込んでプレゼンした結果、全てが丸く収まってしまうというのは、他にやりようがなかったんだろうなあとは思うけど、かなり強引。最後には、彼氏とも和解できてハッピーエンドになるわけですが、結局、彼女は美醜にこだわる自分から解放されたのかしら?ってところがちょっと微妙。プログラムの監督インタビューーによると、ラストでヒロインは自分自身を愛せるようになったんですって。確かにそうかもしれないけど、でも、化粧品のプレゼンを見ていると、やはり、彼女は美醜の呪縛から解放されていないようにも見えちゃうのですよね。確かに映画の冒頭でネガティブだったヒロインは、自分が美人だと信じ込んだ時に、超ポジティブになり、その魔法が切れた時、リバウンドで超ネガティブになっちゃうのですが、ラストで彼女はどのレベルに落ち着いたと思うべきなのかしら。これは、女心のわからないオヤジの意見より、ご覧になった女性の方のご意見を聞きたいところです。なぜかというと、このヒロイン、美人だと思い込んだ時、すごく並の器量の友人を見下したような、思いやりのない言動をしているので、ポジティブになればいいってわけじゃないという見せ方なんですよ。

美人は得することが多い世の中ですから、美に対する羨望や嫉妬があるのは仕方のないことだと思います。一方で、何の取り柄もないけど、見た目だけはいい女性の、唯一の長所を認めてあげる度量も欲しいと思います。美醜にとらわれすぎるのもよくないけど、コスメを全否定するのも大人げないとしたら、価値観の落としどころをどのあたりに置くのが一番ハッピーなのかなあって気分にさせる映画でした。

「マイ・サンシャイン」はロス暴動を外国人の視点から客観的に描いているのが新鮮。


2018年は年末に体調を崩して、映画館へも行けていなかったのですが、2019年は少し映画のピッチを上げたいと思ってます。というわけで、年明け第一弾は、新作の「マイ・サンシャイン」を有楽町のヒューマントラストシネマ有楽町1で観てきました。

1992年のロスのサウスセントラル。この年のロスでは、15歳の黒人少女が酒屋の女店主に万引きを間違えられて射殺されたラターシャ射殺事件と、黒人男性が複数の警官に暴行されるというロドニー・キング事件で揺れていました。前者では女店主が保護観察と500ドルの罰金という軽い処分で済んで、市民の不満が高まっていました。ミリー(ハル・ベリー)は、事情があって家族と暮らせなくなった子供を家に引き取って養っていましたが、生活は楽ではありません。親が逮捕されてしまったウィリアムスを引き取ってきたことを、長男のジェシーはあまり快く思いません。実際、素行もよくないウィリアムスは空腹の子供たちを煽ってスーパーで盗みをさせたりします。そして、キング事件で、告訴されていた警官4人が裁判で無罪の評決が出たその日、サウスセントラルは異様な空気に包まれます。市民と警官の衝突は暴動にまで発展し、少年を逮捕しようとした警官ともみ合いになったミリーは手錠をかけられてパトカーで連行されようとしますが、混乱の中でパトカーから手錠のまま降ろされます。子供の身を案じるミリーに近所のオビー(ダニエル・クレイグ)も協力します。一方、ウィリアムとその友人たちはパトカーに火をつけたり騒ぎを大きくし、一緒にいるジェシーは気が気ではありません。ミリーが、やっとのことで家に帰ってみれば、子供の何人かがテレビを観て街に出かけたというのです。子供の身を案じて、再び街へ出るミリーとオビーですが.....。

トルコ出身で、フランス、アメリカで育ったという「裸足の季節」のデニズ・ガムゼ・エルギュヴェンが脚本を書いて、メガホンを取った一編です。フランスで長く暮らしているのにフランス人扱いされない彼女が、パリで起こったパリ郊外暴動事件をきっかけに、ロス暴動を題材にした映画を作ろうと思い立ったのだそうです。実際にサウスセントラルで取材して脚本を書いたそうですが、どこか引いた視点で、ロス暴動を描いているのが、アメリカ映画とは一線を画す味わいになっています。フランスとベルギーの合作で中国資本まで入っている無国籍な映画ですが、そのグローバルな作りが映画にも独特な視点を与えていまして、ロス暴動の夜を幻想的な美しい映像で切り取ったり、警官側の恐怖と憤りもきちんと描いていたり、単に黒人目線でなく、歴史の1コマとしてのロス暴動を群像ドラマとして描いています。

映画の冒頭では、黒人の女の子が、酒屋の女主人に射殺されるというショッキングなシーンから始まるのですが、ここで、女の子が万引きしているようにも見えるあたりが、単なる無垢な少女が差別意識で射殺されたのではなさそうに感じさせるのが面白いと思いました。韓国人のおばさん店主に、少女が射殺されたことは事実なんでしょうけど、そこから様々な枝葉がイメージ付加されて、それらがまるごと事実となっていく感じが描かれているのは、当事者では描けない視点だとちょっと感心してしまいました。ロス暴動というのは、ニュースで知っていたのですが、そこの住人にとってどういうものだったのかは、よくわからなかったのですが、当事者になって暴動の先陣を切っちゃう人もいれば、わけもわからず巻き込まれた人もいて、その空気の尻馬に乗っちゃう人もいたようで、様々な立場な人がいた騒動だったという視点は、それまでの「警官による黒人差別に対する市民の反抗」という紋切型でない奥行きを感じさせるものでした。

また、ロス暴動を題材にした映画でありながら、シリアスな部分だけでなく、コミカルなエピソードを盛り込むことで、そこに住む人の生活感を出すことに成功しています。特に荒っぽい隣人を演じたダニエル・クレイグがちょっと場違いなキャラだけど、黒人住民対警官の図式の外のポジションで、騒動に巻き込まれるおっさんをコミカルに演じて見せたのがおかしかったです。一方で、暴動の当事者になるウィリアムやジェシー、そのガールフレンドのニコールといったキャラクターのシリアスなドラマが、ちょっとリアリティを外した寓話的な見せ方になっているのが印象的でした。その結果、暴動という突出した行動に出るのは一部の人間で、それを止めようとする人間もいるし、むしろその勢いに乗っちゃうお調子者の方が多いという、騒動の実相が見えてきます。何と言うのかな、全ての黒人市民が、全ての警官からひどい暴力を受けているような見せ方だと、実感が感じられないけど、この映画のように、突出した人間の行動に、多数の人間が引きずられちゃって、無法状態になっちゃうというと、自分の身近で起こり得る事件として、真摯に受け止めることができるのですよ。自分の事として感じられる方が、映画から学ぶ点が多くなるというのは、観る方の勝手な都合ではあるのですが、私個人としては、たくさんのことを感じ取れる映画の方がいい映画だと思っているので、そういう意味では、この映画の評価高いです。

ロス暴動という特殊な事件を、外国人の視点から見直すことで、こういうことがアメリカのロスだけでなく、どこででも、どんな理由でも起こり得る事件として描きなおした映画ということができると思います。そういう視点で描くことで、遠い世界に住む人も、人間としては、自分たちとそう大きな違いはないということに気づくきっかけになる映画ではないかしら。文化とか宗教とか貧困とかそういうのを超越して、人情と暴力を描いた映画なのかなって気がします。ずいぶんとざっくりした言い方になりますけど。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



ウィリアムとニコールのカップルに嫉妬を感じていたジェシーは、無差別に白人市民を襲撃しようとするウィリアムを止めようとして、彼をガラスで刺してしまいます。虫の息のウィリアムを盗んだ車に乗せて、病院を探し回るジェシーとニコールですが、結局、ウィリアムは還らぬ人となってしまいます。ミリーは、子供たちが略奪されているスーパーで荷物を運び出しているのをテレビで観て、オビーと一緒に子供たちを連れ戻そうとするのですが、スーパーの前で警官に略奪者と思われ、街灯の柱に手錠でつながれてしまいます。ミリーとオビーは、協力して街灯のてっぺんまで登って手錠をくぐらせて、脱出に成功し、子供たちを連れて、家に帰ります。そこには、ジェシーの運転する車が停まっていました。中を見ると、ウィリアムの遺体があったのでした。車の中を覗き込むミリーの姿から暗転。この映画のための取材時に監督が知りあった少年の映像が映ります。この少年はその直後に理不尽な死を遂げていたのでした。さらに暗転してエンドクレジット。

幼い子供たちがテレビの略奪の報道を観て、自分たちもスーパーに行って、荷物を運び出しちゃうところは笑えるシーンではあるのですが、この騒ぎの実相を突いていて、笑うに笑えないという感じでした。映画の前半で、彼らがウィリアムにそそのかされてスーパーで食料を盗むシーンも登場するのですが、それって倫理的にまずいと思う一方で、治安がコントロールできなくなると、略奪が始まっちゃうのは文化なのかなあって気もしてきます。日本だったら、寄ってたかって店のものを持ち出すようなことは基本的に起こらないでしょう。でも、「衣食足りて礼節を知る」「貧すれば鈍する」という言葉がありますし、この先、日本でも貧困層が増えていけば、略奪文化が生まれていくのかなって危惧感はあります。(こういうことを言うと怒られちゃうのですが、私は「清貧」という言葉を信じてません。そういう人は突出した、ほんのごく一部の人間だと思ってます。)
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Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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