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「パペット大捜査線」はバカ下品な珍品と思ってたら、ラストは意外とまともで....。


今回は、川崎のチネチッタ4で、新作の「パペット大捜査線」を観てきました。ここは中劇場タイプながら、画面が大きいので映画を観たなあっていう充実感のある映画館。

人間とパペットが共存する世界。でも、パペットは二級市民というか、何かと差別されちゃっています。パペットのフィル(ビル・バレッタ)は、元警官でしたが、ある事件をきっかけに警官をやめ、今は探偵事務所を営んでいます。そんな彼のもとにセクシーなパペットのサンドラが自分の秘密を暴くと脅迫されていると言って、調査の依頼に来ます。その脅迫状の切り抜き文字に見覚えがあったフィルは、知りあいのアダルトショップに出かけて、エロ雑誌のロゴが脅迫状にあったことを発見するのですが、そこへ何者が侵入して居合わせた連中を皆殺しにします。さらに、フィルの兄も惨殺されたことで、90年代のテレビ番組「ハッピータイム・ギャング」の関係者が狙われたのでは?と警察も動き出します。かつての同僚の人間の刑事コニー(メリッサ・マッカーシー)と再び組まされて事件を捜査することになるフィル。すると本当に番組の出演者が次々に殺され、その現場に必ず居合わせるフィルは犯人として追われる身になっちゃいます。果たして、フィルは自分に向けられた疑惑を晴らして、真犯人を見つけることができるのでしょうか。

パペットというのは、操り人形のスタイルであるマリオネットとパペットの合成語です。日本だと、初めてパペットがメジャーになったのは、教育テレビで放送した「セサミ・ストリート」ではないかしら。カエルのカーミットとかクッキーモンスターなんてのが記憶にあるのですが、日本語吹き替えでない英語放送は、子供の私には敷居が高くて、たまにチラ見する程度でした。アメリカではパペットの番組や映画が色々と製作されたようですが、日本では「パペット放送局」が半年間放送されたくらいだったように思います。これは有名な歌手や俳優がパペットと一緒にバカをやるという楽しい番組でしたが、何か打ち切られ感が強かったのが残念でした。で、この映画なんですが、パペットと人間が共存する世界で、起きた犯罪ミステリーものということになるのかな。でも、やってることはすごぶる下品。冒頭のアダルトショップの描写ですとか、パペットのフィルとサンドラのセックスシーンとかも、くだらないを通り越して「バカじゃねえの?」のレベルになっています。パペット惨殺シーンにもリアルなスプラッター描写があります。でも、飛び散るのは血肉ではなくて、中の綿なんで、何かビミョーな変な感じ。また、パペットの世界の麻薬が砂糖だとか、パペットも子を持って、その子が成長するなんていう、完全に思いつきだけ並べたような世界観が、「やっぱりバカだねー」な面白さになっています。最近のアメコミ映画やハリ・ポタ系映画が、その世界観を真面目に描こうして、面倒くさいお約束を並べてきていることへのアンチテーゼとも思えるバカバカしさは、世界観の面倒な映画はスルーしちゃう私にとっては、すがすがしいバカらしさとして楽しめました。「スター・ウォーズ」以降、映画は世界観に縛られて枝葉末節を描き込むことが「良い事」とされてるのが、面倒くさいなあって思っていた私には、こういう「細かい事はいいんだよ」というスタンスがうれしく感じられました。ただ、やり過ぎ感もありまして、私はギリ持ちこたえましたけど、人によっては結構引いちゃうかもしれません。そういう意味では、万人向けの映画とは言い難く、珍品として楽しむことができる物好き向きの映画なのかなあ。でも、公開時に、興収3位まで行ったそうですから、一応メジャーな映画になるのかと思いつつ、「ホステル」が興収1位になっちゃう物好きの層の厚いアメリカだから、こういうある意味ゲテモノ映画も作れば当たるんだろうなあ。

映画の作りは冒頭は、フィリップ・マーロウか「チャイナタウン」を思わせる渋い探偵ものの味わいなんですが、舞台がすぐアダルトショップに行くので、そこから先は、もう何でもアリな映画になっちゃいます。パペットの惨殺死体とか、パペットのドザエモンとか登場しますし、女刑事のコニーは、銃で撃たれた時に、パペットの肝臓を移植して一命をとりとめたというわけのわからない設定ですし、「細かい事を考えてもムダ」という筋が一本通った(?)展開になっています。それでも、一応は連続殺人モノからのミステリータッチの展開になって、なぜかマトモに着地するのがまた変。最後までムチャクチャやるんかと思ったら、何かパワーダウンしちゃったような気もするのですが、後半は、フィルとコニーのバディものみたいな味わいで、悪趣味度は前半が10なら、後半4くらいと、変なバランス感覚があるみたい。つかみの部分で下品度を膨張させておいて、後半で普通の娯楽映画へ落とし込むという作りは、何だか妥協の産物だよなあ。バカで下品のまま最後まで突っ走ったその昔の「ズーランダー」みたいな映画の方が稀なのかな。それとも、最近の映画は複数の国の複数の会社が出資してるから、最後は万人向けにしとかないと、グローバルな商売ができないのかも。この映画も冒頭で中国の会社のロゴも出ましたし。

そんなわけで、パペットは登場するけど、笑いは下品で、世界観は思いつき、それでもラストでいい話にまとめようとする、かなりの珍品と申せましょう。私がここ数年で珍品と思った映画には「シンクロナイズド・モンスター」とか「聖なる鹿殺し」なんてのがありましたが、こちらの方がバカ度の高い珍品と言えそうです。エンドクレジットがメイキングになっているんですが、それによるとグリーンのスーツに身を包んだパペッターが3人がかりで1体の人形を操作してます。なるほど手作り感覚の職人芸で人形を動かして、そのパペッターをデジタル処理で画面から消してるみたいです。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



フィルとコニーは「ハッピータイム・ギャング」のかつての出演者たちに会いに行くのですが、その先々でみんな殺されてしまうので、ますますフィルの嫌疑は濃くなり、ついにはFBIに逮捕されてしまうのでした。隣の取調室で、フィルへの依頼者であったサンドラが嘘八百の証言をしていたのを見て、フィルはこいつが犯人だと確信。そもそも、彼女の脅迫状の文字を調査に行ったところから連続殺人が始まっているのですもの。そして、取調室で見えた彼女がアンダーヘアの色から、かつてフィルが誤って射殺した男の娘だと気づくのでした。全ての殺人は、父親を殺したフィルに復讐するためのものだったのです。コニーが一計を案じ、フィルを銃で撃って、病院へ運ぶ途中で脱走、高飛びしようとするサンドラを捕まえようとするのですが、サンドラはコニーを盾にとって逃げようとします、かつての誤射のトラウマが頭をよぎるフィルですが、今度は誤らずサンドラの頭を撃ち抜き、その結果、フィルは警察に復職し、再びコニーとコンビを組むことになるのでした。おしまい。

コニーを演じたメリッサ・マッカーシーが出しゃばり過ぎない脇役としてのコメディエンヌぶりがお見事で、どうしても表情の乏しくなるパペットのフィルとうまいバランスを取って、最後にはフィルと和解するキャラを好演しています。またチョイ役のエリザベス・バンクスや、フィルの秘書役のマーヤ・ルドルフといった個性の強い面々も、脇のポジションで目立ち過ぎない演技で、パペットのフィルをうまく立てているようです。彼女たちのような、大芝居のコメディ演技をする女優さんたちと、パペットを共演させて、パペットが霞まないように采配したヘンソンの演出は、この映画を暴発させないでうまく着地させることに成功しています。ただ、個人的には、最後までバカと下品を貫くのも、ある種の見識だと思ってまして、そういう意味では若干刺激が足りなかったかも。オードブルでとんでもないスパイシーな味付けをしてったのが、メインディッシュではまろやな無難な味付けになっちゃったと言ったら伝わるかしら。最近のハリウッドの映画製作費高騰のおり、全世界公開してモトを取る必要があるとき、最後で映画がとんがり続けるのは難しい時代になったのかもしれません。
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「ギルティ」は舞台限定のサスペンスミステリーで意外な切り口から見応えあり、オススメ。


今回は、横浜のTOHOシネマズ上大岡4で新作の「ギルティー」を観てきました。ここは劇場の広さの割にはスクリーンの大きさが今イチなんですが、どっかでこういう映画館あったよなあって思いだしたのが、銀座シネパトスでした。あそこほど小っちゃい劇場ではないんですが、客席とスクリーンのバランスがそんな感じで。

警察の緊急通報司令室のアスガー(ヤコブ・セーダーグレン)は、市民からの緊急電話を受け付けるオペレーター。明日に何か控えていて、それが彼の気懸りみたい。そんな彼が受け付けた通報は若い女性からのもので、どうやら誰かに誘拐されているみたい。自分の子供に電話すると偽って警察に電話してきたみたいなんです。電話番号から、彼女の名前がイーベンであること、電話の基地局から、どうやら市の北部の高速上にいるらしいことがわかります。アスガーは警察本部に連絡して、パトカーが向かうのですが、イーベンが乗っている車を特定することができません。アスガーは思い切って、イーベンの家に電話すると、マチルドという6歳の女の子が出ました。マチルドが言うには、母親のイーベンを、別居中の父親ミケルが連れだしたというのです。アスガーはマチルドに弟のそばに行って、警察を待つように告げ、警察本部にイーベンの家へ警官を向かわせるように依頼します。イーベンには暴行の前科があり、ナイフを持っているということで、イーベンが危険な状況にあることがわかってきます。アスガーは相棒で非番の警官ラシードにミケルの家へ行くように頼みます。夜勤のオペレータと交代の時間が来たのですが、アスガーはそこに残り、事態を何とか収拾させようとします。マチルドからアスガーに電話があり、会話していると、電話の向こうで警官がやってきたことがわかります。しかし、アスガーはその警官の口から驚くべき言葉を聞くことになります。果たしてイーベンを無事保護することができるでしょうか。

デンマークのグスタフ・モーラーが脚本を書き、自ら初メガホンを取りました。カメラは緊急通報司令室を出ることなく、事件は、主人公の電話の向こうで展開します。アスガーが受けた緊急通信から、事件が始まります。設定としては、同様に緊急通報司令室のオペレータが誘拐された女性からの電話を受ける「ザ・コール」という滅法面白い映画と同じなんですが、こちらは、最後までカメラが緊急通報司令室を出ることなく展開するので、舞台限定ということでは、「リミット」「search/サーチ」に近い見せ方になるのですが、単なるサスペンス以上の重めの人間ドラマを設定していて、なかなかの見応えがあります。ただ宣伝文句の「犯人は音の中に潜んでいる」というのは、真に受けない方がいいです。電話の向こうの音から犯人がわかるというミステリーの要素はないですから。それでも、電話の向こうから聞こえる声と音だけで事件は描写されますので、想像力を働かせての映画鑑賞は、なかなかにスリリングです。ラストで、「ああ、そういう話だったのか。」という面白さもあり、劇場での鑑賞をオススメします。

その先の展開については、あまり語れないのですが、この映画のポイントは、主人公のアスガーがどんどん事件にのめり込んでいくこと。もともと、彼は緊急電話を受けるオペレータなので、警察本部へ事件を報告したら、後は向こうの仕事であり、アスガーは事件を捜査したり、犯人を捜す権限はないのです。にもかかわらず、彼は自分からイーベンの家へ電話して、マチルドと話をしたり、挙句の果てには犯人と思しきミケルにも直接電話をかけちゃったりして、かなりやりたい放題。彼の態度の中に、現場の警官よりも自分の方がこの事件をよくわかってると思っている節があるんですよ。だから、警察本部側のオペレータと言い合いになったり、かつての上司に何様な口を聞いて怒られちゃったりします。こいつ、警察組織の中でも浮いてる存在らしいということがわかってくると、電話の向こうだけでなく、アスガー自身も単なるミステリの探偵の立場ではなく、サスペンスの要素として、ドラマをかき回してきます。

モーラーの演出は舞台を緊急通報司令室に限定しても、ミステリーとしての展開の面白さと、ハラハラドキドキのサスペンスを両立させることに成功しています。また、ジャスパー・スパニングの撮影が、シネスコ画面で意外と落ち着いた絵作りをしていたのが印象的でした。特に舞台が限定されていると、画面が単調になるので、やたらアップを増やしたり、カットを細かくしたりして、観客を引っ張ろうとしがちなんですが、この映画では、引きの絵などオーソドックスな絵で役者の演技をしっかりと見せているのが見事でした。ほとんど一人舞台のヤコブ・セーダーグレンの演技でドラマが展開していくのですが、それでもサスペンスが切れないのは、彼の演技もさることながら、演出のうまさが光りました。この内容なら一幕ものの舞台劇にしても、面白いかも。



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イーベンの家に着いた警官は、血まみれのマチルドと、その弟の惨殺死体を発見します。それを知ったアスガーは、イーベンの身が危ないと、電話してきた彼女に、サイドブレーキを引いて車から逃げろと指示しますが、イーベンは逃げるのに失敗。ミケルによって荷台に閉じ込められてしまいます。それでも、アスガーは彼女の電話に、車が停まったらレンガでミケルを殴って逃げろと伝えます。しかし、その会話の中で「息子の中にヘビがいて、苦しんでいたから取り出した」と言い出します。どうやら、イーベンは精神に異常を来していて、息子を殺してしまい、それを知った元ダンナのミケルが彼女を精神病院へ送る途中だったのです。ミケルは弟の惨殺死体をマチルドに見せないために、弟の部屋へ行くなと指示してあったのですが、アスガーがマチルドに弟のところで警察を待てと言ったせいで、マチルドは弟の返り血で血まみれになっていたのです。イーベンは、アスガーの指示とおりにしてミケルの車から逃げ出します。よかれと思って暴走したアスガーの行動は全部裏目に出てしまい、頭を抱えるアスガー。実は、彼は容疑者の若者を射殺していたのですが、それを相棒ラシッドを巻き込んで正当防衛だと偽証していたのです。その裁判が明日に控えていた彼ですが、もう彼には嘘をつき続けることができなくなっていました。イーベンから電話がかかってきました。自分は息子を殺したのかと問う彼女は、自分の罪を認識していて、橋の上から身を投げようとしていました。何とかしてそれを思いとどまらせようとするアスガーは、息子を殺したのは事故だと説得します。そして、自分は人生がいやになって殺さなくてもいい若者を殺して、正当防衛だと嘘をついたと告白します。説得の途中で、アスガーの一報で手配されたパトカーがやってきて、間一髪のところでイーベンは保護されるのでした。事態の収拾を確認したアスガーは司令室を出て、誰かに電話をかけるのでした。その電話をかける彼のロングショットから暗転エンドクレジット。

アスガーのやったことは、ほとんど裏目に出て、事態を悪い方へと進めてしまいます。そのことを知って後悔するのですが、それまで警察本部への連絡もしないまま、自分の電話で事件を解決しようとしているあたりは、彼はかなりの問題警官です。でも、それ以上に若者を殺したことで、裁判にかけられるのが問題で、彼は嘘をついて殺人の罪を逃れようとしていたのです。それでも、彼は最後にはイーベンの自殺を止めることに成功したことで、自分の生きる意味をぎりぎりのところで見出したようで、人生やり直しをするのかな?というところで映画は終わります。一言で言ってしまえば、精神を病んだ母親が息子を殺し、それを知った元夫が彼女を精神病院へ連れていこうとしていたお話なのですが、アスガーがかき回してしまった結果、事態は悪化してしまいます。でも、最後の最後で、彼はイーベンの自殺を食い止めることに成功します。そういう意味ではハッピーエンドではあるのですが、彼は人生に絶望した結果、死ななくていい人間を殺していたのです。それでも、映画の後味が悪くならないのは、未来への希望が描けているからでしょう。アスガーの隠された秘密のミステリーと、誘拐事件のサスペンスを過不足なく描いていて、ドラマとしても見応えのあるものになりました。

「メリー・ポピンズ・リターンズ」を観て「画面がやかましい」と思ったのは、私がジジイになったからかしら。


今回は新作の「メリー・ポピンズ・リターンズ」を川崎の川崎チネチッタ1で観てきました。このスクリーンは劇場前3列は画面をムチャクチャ見上げることになる最低の席なんですが、日曜日で混雑ということもあって、前列にもお客さんが入っていまして、こういう鑑賞になるのをきちんと劇場が説明しているのか気になっちゃいました。私が知らずにシネコンでこんな席を取られたら、そのシネコンへは二度と来なくなっちゃうくらいの座席配置なんですよ、これが。ここを除けばすごくいいシネコンなので、もったいないような気がして。

1934年の大恐慌時代のロンドン。ガス灯番のジャック(リン・マニュエル・ミランダ)がガス灯を消しに回り、ロンドンに朝がやってきます。チェリー街にあるバンクス家では、妻をなくしたマイケル(ベン・ウィショー)が3人の子供と暮らしていましたが、自分の働く銀行から借りた借金の取り立てが来て、金曜日の真夜中までに金を返さないと家を差し押さえられると通告されます。でも、バンクス家には銀行の株券がある筈、そこで、マイケルの姉ジェーン(エミリー・モーティマー)も一緒になって家の中を探し回るのですが、見つけることができません。一方、朝ご飯を買いに出かけた子供たちが、凧に乗って空からやってきたメリー・ポピンズ(エミリー・ブラント)と一緒に家に帰ってきます。マイケルとジェーンは、子供の頃に家政婦として家にいたメリー・ポピンズとの再会にびっくり。だって、彼女、当時と全然変わっていないんですもの。彼女は、3人の子供をしつけるためにも私が必要だから、ここにいますねと宣言。借金で家を追い出されかけているマイケルに家政婦を雇う余裕はないのですが、メリー・ポピンズはそんなの意に介さず、子供たちをお風呂に入れるのですが、浴槽の中には広い海が広がっていて、子供たちはそんな不思議な世界にびっくり。さらに、子供たちが割ってしまった母親の思い出の壺の世界に入り込み、そこで、オオカミたちがバンクス家を乗っ取ろうとしているのを発見します。現実世界では、バンクス家で縁のあった銀行の頭取の甥っ子ウィルキンズ(コリン・ファース)が銀行を牛耳っていて、株券が見つからないことを知って、バンクス家を騙し取ろうとしています。子供たちが返済期限を延ばすようにウィルキンズに直談判に行っちゃうもので、銀行での立場も悪くなっちゃったマイケル激おこ。果たしてバンクス家は長く住み慣れた家を追われてしまうのでしょうか。

前作の「メリー・ポピンズ」から55年後の続編ですって。ジュリー・アンドリュース主演のオリジナルは、高校生の時に、静岡けんみん映画祭というイベントで鑑賞した記憶があります。もう細かいことは憶えていないのですが、子役たちの子供らしい動きとか、「チムチムチェリー」「鳩に餌を」などのペーソスを感じさせる楽曲が印象的でした。また、当時としてはアニメ画面に実写の人間を取り込むというのがすごい技術と言われてまして、その華やかな映像もインパクトがありました。今回は、前作をベースにしていまして、マイケルとジェーンは、子供の頃、メリー・ポピンズの魔法で様々な不思議な体験をしているのですが、それは今は忘れ去られているというか、少なくとも現実にあったこととして認識していないみたいなんです。このあたり、映画の頭に前作のダイジェストでもつけてくれないと、設定がわかりにくいと思うのですが、そのあたりを説明しないので、マイケルとメリー・ポピンスの関係が飲み込みにくい観客もいるのではないかしら。「ネバーランド」「ライフ・オブ・パイ」のデビッド・マギーの脚本は、メリー・ポピンズと子供たちの関係にフォーカスしていて、他の部分はあっさり流した感じでして、ロブ・マーシャルの演出も、過去の経緯には無頓着にお話を進めています。

画家だけど、生活のために父親が勤めていた銀行で出納係をしているマイケルが銀行に借金していて、その期限もわからなくて、週末に家を立ち退かされちゃうってのはずいぶんと呑気なお父さん。奥さんを亡くしてあたふたしてたのお察しするけど、お金のことを奥さんに任せっきりだったというのは、一家の長としてはちょっと情けない。子供たちは普通に育っているのでまあ良かったんだけど、こういう設定だとメリー・ポピンズが再びやってくる理由が今一つ希薄なんですよね。昔躾けた不甲斐ない父親を何とかするためにやってくるなら、わからなくもないんですが、今回は子供が乳母を望んだわけでもないし、押しかけナニーなので、お話の設定がわかりにくくなっちゃいました。前作のように、現実の厳しさだけで子供に接しようとする父親との対立といったお話の軸がないので、メリー・ポピンズの魔法が現実逃避にもならないし、単に子供を甘やかしているだけにも見えちゃうってのはひどい言いぐさかしら。うーん、何ていうのかな、メリー・ポピンズは、子供たちも含めた貧しい人々に夢と希望を与える存在だと、前作を観て思っていたのですが、今回は「何しに来たんだろう」って感じなんです。これは、私が年を取り、子供の心を失って「メリーポピンズ」を楽しめない大人になっちゃったのかもしれませんが、どうもメリー・ポピンズの存在感が感じられなかったのが残念。

後、すごく気になったところがありまして、映像がすごくやかましいのですよ。「NINE」ではシネスコの素晴らしい絵を切り取ったディオン・ビーブの撮影が、手持ちカメラを駆使して、臨場感を出すのはいいのですが、ミュージカルシーンとかが落ち着かない絵になっちゃって、歌やダンスに集中できませんでした。カット割りもやたら細かくて、アップからロングへさらにロングでもアングルを変えてと目まぐるしく変化するので、せっかくのダンスも歌も楽しめなかったんですよ。最近のジェットコースタームービーの編集テンポをミュージカルにそのまま持ち込んだという感じ。アクションシーンの勢いや臨場感を出すのに、細かいカット割りは有効なのですが、それをミュージカルのダンスシーンでやられると、観ている方は何だかムダに疲れちゃう。せっかくの群舞もじっくり見せてくれないし、1カットが短すぎて、何が映ってるのかわからないようなカットもあり、ロブ・マーシャル監督も、アメコミ映画に感化されちゃったのかと言ったら言い過ぎかしら。

さらに、マーク・シャイマンによる楽曲も前作に比べると印象に残るものが少なくて、「チムチムチェリー」「鳩に餌を」といったしっとりと歌い上げるものがなかったせいか、メリハリを欠いてしまったように思います。前作を観たのが30年以上前なので、思い出補正がかかっているのは認めちゃうのですが、何か物足りなくない?って思えてしまったのですよ。大恐慌時代と字幕に出るのに、貧しい人々は登場せず、お金に困っている筈のバンクス一家もでかい家に住んでいるし、何かこうフワフワしているんですよ。別に貧乏くさい映画を作れと言ってるわけではないんですが、前作にあった、お金持ちの子供たちと対照的に描かれる貧乏な市井の人の存在感がないのは、やっぱり物足りなく感じちゃうのですよ。

アニメと実写の人間の合成は当然のことながら、ものすごくスムースなのですが、どうせCGなんでしょって思うと、前作のような驚きを感じることは難しいです。でも、この映画に盛り込まれた趣向は、前作でやったことをスケールアップして見せようという意図が感じられます。また、前作をかなり意識したところがありまして、クライマックスで前作の主演のディック・バン・ダイクが特別出演したり、タイトルバックの絵は、前作の特撮を担当したピーター・エレンショーのマットペインティングを元に描いたと字幕が出たりします。さらに、アンジェラ・ランズベリーがご存命でラストで登場するのもうれしい趣向ですし、そういう作り手のサービスを楽しむこともできるのですが、でも、それなら前作をもっと説明してもいいんじゃないのと思うのですが、この映画はどういう世代をターゲットにしているのかなあ。

演技陣は、ヒロインを演じたエミリー・ブラントに歌って踊れる以上の魅力を感じられなかった(好きな方にはごめんなさい)のですが、脇の面々がなかなかよくって、ごひいきエミリー・モーティマーは時として、子供のような表情を見せるときがあり、それが前作とのつながりを感じさせる名演でしたし、ピーター・ファースが、大して悪い奴ではない男を、敵役のように演じて見せたあたりもお見事でした。ジュリー・ウォルターズやデビッド・ワーナーといったベテラン勢も手堅く脇を固めました。パパであるマイケルを演じたベン・ウィショーは、前作の男の子が大きくなったという設定に説得力を与える演技で好演していますが、その分、父親としてはどうなの?という部分が良くも悪くも曖昧になっちゃったのが残念でした。とはいえ、2時間10分という長さを感じさせずに一気に見せちゃうパワーのある映画なので、ご覧になってモトは取れる映画になっています。でも、メリー・ポピンズのお話で、2時間以上を一気に見せる必要はないんじゃないのという気もしました。こういうお話なら、もっとゆっくり読み聞かせるような演出でもいいと思うのですが、それだと若い子が退屈しちゃうからダメなのかなあ。何ていうのかな、ゲームのように次々と敵やイベントが登場しないと、観客がついてこれなくなってきているのかなって気もしてきて、ちょっと考えさせられてしまいました。



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結局、株券は見つからないまま金曜日の夜を迎えてしまいます。荷造りをしてジェーンのアパートに引っ越すことになるバンクス一家。末息子が自分で修繕した古い凧を持ってくるのですが、そのつぎはぎをした紙がなんと探していた株券でした。でも、約束の期限が迫っていて、銀行へ12時までに持っていかないと家は取り戻せなくなっちゃいます。ジャックとその仲間が自転車をビッグベンへ走らせて時計の針を遅らせようとしますが、やっぱり間に合わない、間一髪メリー・ポピンズが空を飛んで時計の針を遅らせることに成功し、マイケルは、12時の鐘が鳴る前に、凧ごと株券をウィルキンズのもとに届けます。つぎはぎの紙を剥がして株券の形にするのですが、サインの部分の紙が見当たりません。もはやこれまでかとあきらめるマイケル達の前に、かつてのマイケルの父の友人であるドース氏(ディック・バン・ダイク)が現れて、甥っ子をクビにして、マイケル達の借金がかつての投資によって完済できることを教えてくれるのでした。全てが丸く収まってめでたしめでたし。一家そろって春祭りに出かけるとそこには風船売り(アンジェラ・ランズベリー)がいて、彼女が風船を渡すと、マイケルやジェーン、子供たちが空に舞い上がります。町の人たちも空に舞い上がるのでうsが、ジェンキンスだけは無理だったみたい。家に帰ってくると、桜の花が満開で、突然ドアが開いて桜吹雪が舞い上がります。その時が来たと認識したメリー・ポピンズは、再び空へと帰っていくのでした。暗転、エンドクレジット。

クライマックスは勢いで盛り上がるのですが、ジャックやその仲間が頑張って時計を遅らせようとしてダメかと思ったら、メリー・ポピンズが空飛んで、時計の針を止めるというのは、何だか拍子抜け。だったら、ジャックたちに頼らずに、最初からメリー・ポピンズ飛べよって思っちゃいました。株券のサイン部分が足りなくて、もう駄目だと思ったら、ドース氏の突然の登場で形勢逆転というのも、何だか都合よ過ぎ。脚本が息切れしちゃったような強引なハッピーエンドは、何だかうーんって感じ。ここも結末はあやふやになりがちな、ノンストップアクション映画みたいで、何か荒っぽいんですよね。細やかさが足りないって感じ。さらに、メリー・ポピンズが去っていくのも唐突で強引。最後まで観ても、今回、メリー・ポピンズは何しに出てきたんだろうってところはよくわからないまま。そういうところを一切気にさせない作りならいいのですが、この映画、そういうツッコミが出るくらいにはユルい展開なので、観た後味は微妙になってしまいました。私には、役者を楽しむ以外は楽しめるところの少ない映画だったのが残念。前述のようにせめて歌と踊りの部分が楽しめなかったのが痛かったですが、その辺りは好みの問題になりましょう。実際、他の方のレビュー拝見すると評判いいですからね。でも、私にはあまり相性が良いとは言えなかったようです。

「突破口」は70年代の犯罪アクションでオッサン対決だけど面白い。


ブログの師匠pu-koさんの記事で「突破口」を拝見して、そういえばこれ録画したきりになってたなあってことで、テレビで鑑賞しました。1973年の映画というと、46年前の映画なんですね。でも、このころの映画って、テレビの映画劇場で色々観ているのですが、その中ではなぜか未見のままでした。

飛行機の曲乗り芸人だったチャーリー(ウォルター・マッソー)は、転職した農薬散布の仕事でも食い詰めて、女房のナディーン(ジャクリーン・スコット)も含めた4人で田舎の銀行を襲う、少額強盗をすることにします。田舎町の銀行の前に車を停めて、強盗に及び、現金と証券をせしめることに成功しますが、警官に車が盗難車であることを知られた結果、一人は警備員に撃たれて死亡、ナディーンも流れ弾を受けて亡き人となります。生き残ったチャーリーとハーマン(アンドリュー・ロビンソン)は、金を山分けしようと数えてみれば、75万ドルもありました。田舎の銀行にこんなに現金があるのはおかしいと、チャーリーはこれはマフィアの金だと気づきます。銀行重役のボイル(ジョン・バーノン)は、事態を収拾するために汚れ仕事の専門家モリー(ジョー・ドン・ベーカー)に金の回収を依頼します。警察は残った死体から犯人の身元を洗おうとしますが、思うようには進みません。一方、モリーは裏の調査密告網を駆使して、国外逃亡のための偽パスポートを作ろうとしたチャーリーを特定し、ハーマンのいるチャーリーの家にやってきます。チャーリーの方も自分のヤバイ状況を理解していて、何とか追手をまこうとするのですが....。

ジョン・リースの小説を、テレビ映画で実績のあるハワード・ロッドマンと「ダーティ・ハリー」のディーン・リスナーが脚本化し、「ダーティ・ハリー」「テレフォン」のドン・シーゲルがメガホンを取った犯罪アクションの一編です。オープニングは静かな田舎町の風景が映り、そこにタイトルとクレジットが被さります。そして、銀行の前に車を停めた老人とその娘が、パトカーの警官に車を駐車場へ移動させるように言われるところか始まります。一度は現場を離れたパトカーが車のナンバーを照会して戻ってくるのと並行して銀行強盗がカットバックされるところから、シーゲルの演出は快調で、舞台はずっと田舎町なんですが、カーチェイスも迫力あるし、その後の展開もうまい。最近の映画はライド感を狙って、とにかく細かくカットを割ることが標準になっちゃってますが、この映画の頃は、まだカット割りも見せ方もゆったりしていて、どこか余裕があるのが個人的には好きです。

ウォルター・マッソーという渋めのスターで、犯罪ものを作れた時代なんだなあってのがまず驚きというか感心。さらにマッソー演じるチャーリーが、男気はあるけど、それなりのワルになっているのが面白く、ひょんなことからマフィアに追われるようになった中年男をユーモアと凄みを交えて演じているのがうまい。冒頭で、撃たれて虫の息の女運転手を見捨ててしまうのですが、その後、彼女がチャーリーの妻とわかるあたりは、ハードボイルド感たっぷりの意外性がありました。一方、マフィアの金を横取りした自分たちがヤバい状況にあるのに、ムダにつっぱる若造ハーマンに見切りをつけるあたりの非情さもなかなかすごい。一方、チャーリーを追うモリーという男も、裏世界にものすごく顔が広いらしく、その有能な仕事ぶりに、周囲の人間も敬意と恐怖を示します。どうやら、犯罪者としてのプロである、チャーリーと、彼を追うモリーの対決ものの様相を呈してきます。でも、それだけではなく、他の登場人物にも、キャラと見せ場が与えられていて、最近のジェットコースタームービーとは一線を画す、きっちりとした小説を読む味わいのある映画になっています。

登場人物がそれぞれに印象に残る演出がされているので、田舎町の保安官とか、モリーが仕事の宿に紹介された売春宿の女の子、モリーに車を奪われる黒人とか、細かいところできちんとキャラが立っているのですよ。そうそう昔の映画は、テンポは今ほど早くないけど、脇のキャラが印象に残る演出がされてたよなあっていうのを思い出しました。だからこそ、60~70年代の映画をもとに「傍役グラフィティ」なんていう名著もあったんだよなあ。(これは、当時の洋画の傍役を出演した映画とともに列挙した本で、私はこの本のおかげで色々な俳優の名前を知り、脇役に興味を持つようになりました。)そういう小さな役の俳優の演技を束ねて物語を引っ張る作りが、当時の映画の定番でした。派手なアクションや爆破がなくても、役者のうまさと物語の展開で楽しめる映画があったんだよなあ。この映画は、いわゆるB級映画と呼ぶにはスタッフ、キャストは一級なのですが、田舎町の強盗の後始末という説明をすると、今の人はB,C級映画だと思っちゃうかも。でも、これはB級映画と呼ぶには丁寧でちゃんと作られているのですよ。テレビで観ても退屈するところのない2時間弱ですから、機会があればオススメしちゃいます。ちなみに、私も名前を知ってる面々では、シェリー・ノース、ノーマン・フェル、ウィリアム・シャラート、アルバート・ポップウェルといった名前が懐かしかったです。また、「ダーティ・ハリー」でシーゲル監督とコンビを組んでいるラロ・シフリンの音楽が、パーカッションを駆使してアクションシーンやサスペンスを盛り上げているのも聴きものです。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



チャーリーは75万ドルを隠し、ハーマンに家から出ないように言って、偽造パスポートの手配をしますが、パスポート情報を裏稼業の男がたれこんだことで、チャーリーの正体が割れてしまいます。その連絡を受けたモリーはチャーリーの住むトレーラーハウスへ向かいますが、そこにはハーマンしかいませんでした。ハーマンを脅して、金のありかを吐かせようとしたモリーですが、彼が何も知らないとわかるとあっけなく殺してしまいます。その一部始終を、チャーリーはトレーラーハウスの外に隠れて見ていました。チャーリーは、ボイルの秘書シビル(フェリシア・ファー)に接近し、ボイルに連絡して、75万ドル渡すから身の安全を保証しろと持ち掛けます。飛行場で、チャーリーを待つボイル。それを遠くからうかがっているモリー。チャーリーは複葉機でやってきます。そして、ボイルに抱きつき、不自然に親しげにするチャーリー。それを遠くから監視していたモリーは、ボイルとチャーリーがグルだったと信じ込み、車でボイルを轢き殺してしまいます。さらに、滑走する複葉機とのチェイスの末、複葉機は反転してチャーリーは動けなくなります。モリーに金のありかだと言って車のキーを渡すチャーリー。モリーがその車のトランクのカギを開けるとそこにはハーマンの死体と爆薬があってドッカーン。そして、車に乗って去っていくチャーリー。おしまい。

ボイルの秘書の家に押し入ったチャーリーは、ボイルに取引を持ち掛けた後、秘書とベッドでねんごろになってしまいます。当時は男と女がすぐベッドインしても、ありの時代だったのかな。そして、クライマックスは自動車と複葉機の地上チェイスというどこかのんびりした見せ場の後、チャーリーが最後の仕掛けでモリーを仕留めます。このピリっとした結末が何かかっこいいのですよ。恨みとか因縁といったものがないビジネスライクな殺し合いが、さくっと決まるあたりが小気味よい後味を残します。オッサンが殺しあう、殺伐としたお話なのに、どこかのんびりした味わいもあり、さらに面白くてかっこよくて、後味がいいってのはなかなかないですから、最近の見せ場のぎっしり詰まった映画にお疲れの方にオススメしちゃいます。

また、本筋と関係ないところに印象にのこるものを配してあるのも楽しい趣向になっていまして、ご覧になってないと何のことかわからないかもしれませんが、「強盗の車を目撃した少年」「牧場の前での会話」「ブランコの少女」「トレーラーハウスの大家のオバちゃん」「パスポート屋の女(シェリー・ノース)とモリーのやりとり」など、妙に心に残るシーンの多い映画になっています。最近は、こういう寄り道をしつつ、映画を面白く仕上げる監督がいないのかもしれません。或いは、観客がそういう寄り道を楽しむ余裕をなくしてきてるということなのかも。

「フロント・ランナー」は実録ものだけど、色々と考えさせられるところが多くて、ドラマとしても面白い。


今回は新作の「フロント・ランナー」を川崎のTOHOシネマズ川崎1で観てきました。ここはキャパの割に画面サイズもあり、シネコンタイプの座席配置ながら、観易い映画館になっています。2週目から1日1回の上映というのは、ちょっと扱い悪くないの? ジャックマンが来日してプロモーションしてたのに、アメコミ映画じゃないとこういう扱いなのは気の毒な気も。

大統領選挙で、有力候補と言われていた民主党のゲイリー・ハート上院議員(ヒュー・ジャックマン)は、積極的な選挙活動を行っていて、彼の革新的な政策は若い国民の支持を取り付けつつありました。そんな彼の弱点としてあったのが、長年連れ添った妻リー(ヴェラ・ファーミガ)との別居問題でした。そのことについて切り込んだワシントンポストの記者に激高したゲイリーは「自分を尾行したけりゃ尾行すればいい」と啖呵を切ります。一方ヘラルド紙の記者トムはハート議員はワシントンで女と会っているというタレコミを受け、ワシントンの自宅へ向かったところ、彼が自宅に若い女を連れ込むのを目撃。トムはカメラマンを呼んで張り込みを開始、写真を撮り、出てきたゲイリーからコメントを取ることにも成功します。女性の身元も確認できていない状況でしたが、ヘラルドはそれを記事として日曜版の一面に載せます。その結果、リーの別居先にはマスコミが押し寄せ、選挙事務所は対応に追われることになります。当の本人は、この事態をさほど重大視しておらず、政策の演説の内容の方が気懸りという状況に、選挙参謀のビル(J・K・シモンズ)は時代が変わって今はそれでは通らないと言います。一方で、厳密に裏を取らずに記事にしたヘラルド紙の姿勢も批判の的になりますが、ゲイリーはこのスキャンダルについての記者会見を開かざるを得なくなるのですが、その結果は彼の支持を取り戻す決定打にはならず、彼は大統領選立候補を辞退することになってしまうのでした。

1988年の大統領選挙の前哨戦で、有力候補のゲイリー・ハート上院議員に女性問題のスキャンダルが発覚し、立候補辞退に追い込まれた事件を映画化した実録ものの一編です。マット・バイの原作から、バイとジェイ・カーソンとジェイソン・ライトマンが脚色し、ライトマンがメガホンを取りました。ジェイソン・ライトマンという監督の名前はこれまであまりピンとこなかったのですが、この人「JUNO/ジュノ」「ヤング≒アダルト」「とらわれて夏」「タリーと私の秘密の時間」といった面白い映画をたくさん手がけていたのに、今回、初めて意識しました。目のつけどころの面白い人だけに、実録もの以上の面白さがあるかもという期待があってスクリーンに臨みました。その期待は裏切られず、発見のある映画に仕上がっています。ただ、題材的には地味ではあるのですが。

映画の前半は、ハートの選挙事務所や、ワシントンポスト、ヘラルド紙の会議室のシーンが続きます。たくさんの人間の会話の応酬のなかから、当時の状況が見えてくるという演出はなかなかにスリリングです。この映画は一応ゲイリー・ハートが主役ではあるのですが、彼が主役らしさを見せるのは後半になってからで、それまでは群像劇のように物語が推移していきます。多くの登場人物がそれぞれ印象に残るような演出が施されていて、その時代の空気と、作り手の伝えたいことがじわじわとあぶりだされるような構成になっているのが面白いというか、うまい映画です。ゲイリー・ハートがどういう政策を持っていて、どういう女癖だったのかといったことはほとんど描かれないので、女性でしくじった政治家のお話ではありません。それより、彼を追うジャーナリズムの方が丁寧に描かれていまして、この事件が、政治家がそのプライバシーによって資質を問われるようになる転機となったらしいのです。映画スターのスキャンダルを追いかけるパパラッチが政治家をターゲットにするようになり、政治家のゴシップが国民の興味と批判の対象になり始めた時代を記録した映画ということになるのかしら。

それまでの政治家はその政治能力によって評価され、その専門分野で秀でていれば、私人の部分で、政治家の資質を問われることはなかったのですって。ケネディ大統領が誰と浮名を流そうが、それによって大統領としての彼が否定されることはなく、ジャーナリズムもその切り口で彼を責めたてることはしなかったのに、ニクソンの時のウォーターゲート事件あたりから、公務以外の行動で、その品格を問われるようになったらしいというのが、この映画のセリフの端々からうかがえるのですよ。なるほど、大統領の犯罪をジャーナリズムが暴いた時、その政治能力だけで、大統領を評価できなくなる。さらに大統領選挙がイメージ戦争になってきたこともあるのでしょうが、政治家のプライバシーが報道の対象としての重みを増してきたときに起きたのがこの事件だということらしいのです。当のゲイリー・ハートは世間の流れの変化に気づいておらず、今までの考え方で女性問題を乗り切れると思っていたのですが、そうはならない。ワシントンポストの主幹も、昔ならハート議員の女性問題をスルーすることもできたが、今はウチだって書かなければ非難される時代になったのだと言います。

ハート議員は、演説で倫理道徳を説いていましたが、そのことと自分の浮気は別物として、矛盾しないで両立していました。それまではそれで通ってきたから、今度もどうってことないやと思っていたのですが、そのスキャンダルは、彼のスタッフや支持者の失望させるに十分でした。奥さんからボロクソ言われると、殊勝に反省の言葉を口にするハート議員ですが、記者会見では結構強気の発言をしちゃって墓穴を掘ってしまうのですが、なるほど、こういうあたりの公私の線引きが昔の不文律だったんだなあと納得するとともに、大統領が個人として犯罪に加担したウォーターゲートの影響が、ジャーナリズムのスタンスを変えたんだなあってのは、結構な発見でした。

また、この映画の中では、女性が印象的なポジションに配されています。議員の奥さんもそうですが、選挙事務所の女性スタッフですとか、ワシントンポストの副編集長といった面々が男性中心の社会に対する疑問を投げかける役どころです。さらに、ハート議員の浮気相手をきちんと描くことで、今と違う時代の空気を感じさせるのがうまいと思いました。新聞にスキャンダル記事が載っちゃうと、浮気相手のドナは議員の家に軟禁状態にされちゃいますし、ハート議員も選挙スタッフも彼女のことなんか気にも留めません。女性スタッフがそんなドナへの扱いに疑問を呈するところが大変印象的でした。男性スタッフのゲスな愛人扱いの視線に、ドナが憤るシーンとかは、20世紀ってのはそんなもんだったんだなあってのが伝わってきて、日本もアメリカも似たようなものだったんだってのはちょっとびっくり。そんな時代に比べたら、今の方がいい時代だと思う一方で、この映画では、その今に対しても疑問を呈しています。

この映画のプログラムを読むと、このゲリー・ハートという人は政治能力に長けていて、この人が大統領になっていたら、対ソ政策、中東政策、経済政策などで、もっとマシな対応ができていただろうにっていうメッセージがあるんですって。今のアメリカがこうなったのには、ハート議員のような有能な政治家をつまらないスキャンダルで潰してしまったこともあるんじゃないかってことらしいです。私は彼の政治家としての実績はよく知りませんし、この映画でもそこは描かれないので何とも言えないのですが、そんなの理想を説いて大統領になって現実を対処したら、妥協をいっぱいするだろうから、そううまくはいかないと、私は思ってしまうのですが、作り手には、ブッシュやトランプよりはマシだったんじゃない?って思いがあるみたいです。それっていわゆる「もしも」の世界ではあるので、事情をよく知らない私には「ふーん」って感じで、あまり響いてきませんでした。

それでも、プライベートなスキャンダルが、その人の本業の評価をも変えてしまうというところに疑問を呈しているところは、共感できるものがありました。誰だって長所と短所を持っているので、長所の部分を認めてその部分で活躍してもらわないと、人間を有効活用できないと思いますもの。仕事のできる人がよき家庭人でないからと言って、仕事の業績を貶めるのは、私はよくないことだと思っています。逆に仕事ができない人が、よき家庭人だったとき、仕事ができないという理由で全人格を否定されてボロクソ言われるのも変。でも、人は他人の噂が大好きで、悪い噂を見つけたら、それをみんなで寄ってたかってバッシングするのも好きというところもあります。昔なら、どんなジャンルでも、いわゆる「先生」と呼ばれる人には、とりあえず敬意を表して、その人の業績に頭を下げていたのですが、今は、平等意識が行き渡っているので、同じ人間としてアラ探しをすることが正当化されてきています。それはそれで、裏で悪いことをしている人を正当に評価することにつながるので、必ずしも悪いことではないのですが、でも、大きなことを為すときに、枝葉末節にこだわりすぎることの問題も改めて再認識させる映画になっています。だから、どうすりゃいいんだという明快な回答を出す映画ではないのですが、人間(ハート議員)にも物事(ジャーナリズムのあり方)にも長所と短所があるってことを再確認する映画として、この映画は一見の価値があると思います。

群像劇を支える演技陣はみな好演ですが、スキャンダルを記事する記者を演じたスティーブ・ジシスやワシントンポストの主幹を演じたアルフレッド・モリーナがよかったです。また、特に印象に残ったのは、選挙事務所の女性スタッフを演じたモリー・イフラムと浮気相手ドナを演じたサラ・パクストンで、この二人のシーンがあったことで、映画にぐんと重みと深みが出たように思います。ベイトマンの演出は、たくさんの人で物語を描く中で、人間をきちんと描き分けたところに演出力を感じました。普段は、脇でアクの強い演技をするJ・K・シモンズが群像ドラマのパーツとしてしっかり収まっているところに、監督の見識を感じました。色々細かいところも含めて見所の多い映画なので、機会があれば一見をオススメしちゃいます。

「バハールの涙」はハードな現実を女性目線で描いたところに不思議な味わいの女性映画。


今回は、東京での公開が終了間近な「バハールの涙」を銀座のシネスイッチ銀座2で観てきました。ここはその昔は銀座文化という名画座だった映画館でした。(その前身までは知らないです。)でも、今は椅子もいいし、スクリーン位置も高く、場内がフラットでも観易い映画館です。

フランスの戦争記者マチルド(エマニュエル・ベルコ)は、同じジャーナリストの夫の死を聞いたその直後、ISと戦うクルド人勢力の取材に出かけます。そこには女だけの部隊がいました。彼女たちはISに拉致されて奴隷として売られていたのを脱出した女性たちで構成されていました。その隊長であるバハール(ゴルシフテ・ファラハニ)は、ヤスディ教の信者で、イラク西北部のシンジャル山岳地帯で、夫と息子と暮らしていました。ある夜ISの襲撃を受けます。男たちはその場で殺され、女と子供はまとめて連れ去られ、女たちは性的虐待をされ奴隷として売られてしまったのです。しかし、クルド人自治区の代議士の尽力で、脱出することに成功したバハールは自由になった後、行方不明の息子を救出するために女性だけの部隊に参加したのです。前線での取材を続けるマチルドに、バハールはここの真実の伝えて欲しいと言います。そして、襲撃してきたISのメンバーから、ある情報を得て、作戦に移ることになるのですが......。

フランスの女性監督エヴァ・ウッソンがジャック・アコティの協力を得て脚本を書き、メガホンを取りました。2014年に起きたISによるシンジャル山岳部隊への侵攻をベースに、実際に存在する女性部隊を題材にしたドラマです。ISを扱った映画ですが、その蛮行よりも、拉致された女性たちによる部隊にフォーカスしているので、残酷シーンやショックシーンを前面に出したものではありません。ISの蛮行が描かれはするのですが、作り手の視点は、あくまで女性部隊にあります。男たちの部隊も登場するのですが、その影は薄くって、ISの刺激的な映像を出すことを極力避けて、映像的に美しい絵を切り取ったりしていることから、リアルな戦争映画とは一線を画す映画に仕上がっています。一方で、女性ジャーナリストの視点を盛り込むことで、これが現実にあったことだという見せ方をしています。

ISの蛮行については多くのメディアで語られていまして、イスラム教ってヤバい宗教なんじゃないのというイメージが広がったのも事実です。イスラム教は、女性をないがしろにしろとは言っていないのですが、男性が上位にあると明確に謳っているそうなので、その延長で女性を見下したり、支配することに抵抗がないのかなという気がしています。さらに、異教徒に対する否定的な教えと、女性蔑視が結びつくと、バハールのようなヤスディ教の女性なんて、煮るのも焼くのも好きにできるくらいに思えちゃうのではないかしら。これはムスリムに対する偏見かもしれません。でも、どんな宗教であれ、原理主義者は異教徒に対してムチャするってことは過去の歴史から見て容易に想像がつきます。一方で、この映画では、ムスリムが女性に殺されると天国に行けないらしく、その分、女性部隊を怖れているらしいのですよ。日本でも、男尊女卑は制度的にもずっとありましたから、女性に負けたり、屈することは恥だと思う文化があります。ただ、宗教のような人間の首根っこを押さえる文化ではなかったことが幸いして、女性の台頭に対する抵抗は、他の国よりも少なかったのかなって思っています。あくまで、程度の違いの問題ですが、国家神道が、男性優位を明確に謳っていたら、今の日本はもっと女性にとって息苦しい国になっていたんだろうと思います。戦前の国家神道の考え方は、まだ日本の文化として根深く残っていると考えるからです。(とは言え、国家神道ってのは実は新興宗教なんですが)

戦争状態になった時、男を皆殺しにし、女を奴隷にし、子供は兵士に洗脳するなんてのは、旧約聖書の世界みたいなんですが、それが現実に起こっているという怖さは堪らないものがあります。それを知ってもどうすることもできないという正直な諦観もあるのですが。一方で、当事者であり、実際に虐待された女性たちが、対ISの兵士として立ち上がるというのはすごいことだと思います。この映画でも、女性部隊の存在に肯定的であり、彼女たちの存在は、そこに暮らす女性たちの希望となるという見せ方をしています。日本だったら、母親が銃持って相手を殺しまくるのを肯定的に捉えることはないでしょうから、歴史や文化の違いを感じる一方で、現在進行形で女性が虐待され続けていることを知ることの重要性を感じさせる映画でもありました。弁護士だったバハールが銃を持って戦闘部隊の隊長になっているということからして、そこで何があったのかを想像するのは難しいことではありません。以前、民族浄化を扱った「あなたになら言える秘密のこと」という映画で、ヒロインはずっと傷を抱えたままでいたのですが、この映画のヒロインは自ら銃を取って戦う強い女性として描かれています。どちらがどうという話ではないのですが、どちらも現代の話であり、彼女たちを虐げた人々(男たちと言い切っていいのかも)がいたということの記録になっていると言う点で、存在価値のある映画になっています。その時に重要になるのがジャーナリズムの存在でして、マチルドは「ワンクリックされるだけでスルーされる」と自虐的に言うのですが、その事実を語り継ぐためのジャーナリズム引いてはメディアの重要性を説く映画にもなっています。「あなたになら言える秘密のこと」の中のキーワード、「「レイプ、虐殺、民族浄化、みんな、いつか忘れ去られる」がこの映画にも当てはまります。バハールたちの存在を、命がけで取材するマチルダのようなジャーナリストがいなければ、それはなかったことになってしまう。事実を記録することがどんなに歴史の中で重要なことなのかは、ネットと監視カメラで世界が筒抜けになってきた今だからこそ、見直す必要があるのではないかしら。さすがに戦地でカメラを回すことはできない私たちでも、それらの記録に目を向け、事実が曲げられたり、歪んだプロパガンダに使われないように監視することは必要だと思います。

主演のバハールを演じているのは「彼女が消えた海」のイラン人女優ゴルシフテ・ファラハニで、フランス映画 「チキンとプラム」などを経て、最近ですと 「パターソン」や「パイレーツ・オブ・カリビアン」にまで出ている国際女優ですが、強い意志を持った美人さんです。この映画でも、酷い目に遭ったけど、強い意志でそれに立ち向かう女性を、兵士と母の強さと女性の弱さを共存させたキャラで熱演しています。一方の女性ジャーナリストのマチルダは、取材時に片目を失い、夫も地雷の犠牲になり、フランスに幼い娘を残してきたという、記者と母の強さに合わせて夫を亡くした女性の弱さを抱えている境遇です。この二人の似たような境遇がお互いに共感するという設定になっています。ここはドラマとして、女性を前面に出し過ぎじゃないの?って男目線では思ってしまうのですが、でも、この映画は女性による女性のための女性目線の映画ですから、そうなるのは自然の成り行きでしょう。それが悪いかというとそうは思えませんで、大体、戦争を題材にした映画は、男性による男性のための男性目線の映画がほとんどですから、戦争に巻き込まれる人間の半分が女性だとするなら、こういう映画はもっと出てきてよいと思うからです。この映画のような視点の映画が少ないのは、ホントはバランスが悪いんじゃない?ってところに気づかされる映画でもありました。

ウッソンの演出は、戦闘シーンでも、男性監督とは一味違う演出をしていまして、戦況を俯瞰的に捉えるのでもなく、兵士目線でもなく、そこに居合わせた目撃者のようなカメラワークになっているのがちょっと新鮮でした。また、ISの男性であれ、友軍の男性であれ、どこか存在感が希薄なのが印象的で、男性を背景に押しやることで、虐げられてきた女性の戦士にフォーカスが当たるように見せた演出は、どこか寓話的な印象を与えてしまうところがあって、一長一短という感じでしょうか。



この先は、結末に触れますのでご注意ください。



襲撃してきたISの兵士を捕虜にしたら、彼から敵の本部は撤退していて、学校に自爆兵と子供たちが残されているというのです。そこで、バハールが連合軍の爆撃を待たずに攻撃すべきだと進言し、作戦が決行されることになります。マチルダもその作戦に随行することになります。女性部隊が先陣を切り、捕虜に先導させて地下道を進みますが地雷が爆発し、バハールの片腕だった兵士が死亡。地下道を抜けると敵兵士と市街戦になります。そして、一晩待機して、翌朝学校へ向かいます。犠牲を出しながらも、学校へ突入した彼女たちは、そこにいた子供たちを解放します。さらに、学校の上階へ向かったとき爆発が起こり、バハールもマチルダも吹っ飛びます。そこへバハールの息子が現れ、彼女は意識を取り戻します。作戦は終了し、負傷したマチルダはトラックに乗って国へ還ることになります。バハールは息子と一緒に彼女を見送ります。走るトラックの荷台のマチルダを長回しにで捉えるところにクレジットが被さって、暗転。おしまい。

戦場のシーンの要所要所で、バハールの回想シーンが挿入され、拉致されて、性的虐待を受け、奴隷として何度も売られたという過去がわかってきます。そして、クルド人の拉致女性を支援する女性議員へ連絡をとって、彼女の手引きで同じ境遇の女性と子供を連れて脱出することになります。イスラムの礼拝の時間を使っての逃亡劇はスリリングでありますが、ここも逃亡を助ける男性の影は薄く、一緒に逃げる女性や女性議員との絆の方が協調される演出です。男目線だと、つくづく男性の存在感が薄い映画なんですが、普通の戦争映画を女目線で見ると女性の存在感が希薄で、女性にとっては共感しにくいのかもしれないってことに気づかされる映画でもありました。女性映画ということになるんでしょうけど、なぜこの映画は女性映画なのか、そもそも女性映画って区別はそれ以外は男性映画なのか、って考えると、面白い発見のある映画だと思います。

「天才作家の妻 -40年目の真実ー」は夫婦の秘密についてのスリラーなのかな。グレン・クローズの演技がすごい。


今回は新作の「天才作家の妻 -40年目の真実ー」を、有楽町の角川シネマ有楽町で観てきました。以前、シネスコサイズの映画をビスタサイズの画面のままで上映していて、もうここは来ないと思っていたのですが、この映画はあまり上映館がなくて、仕方なく足を運んだのですが、シネスコサイズの映画は、きちんとシネスコサイズの画面で上映するように戻っていて一安心。渋谷のル・シネマや恵比寿のガーデンシネマはどうなってるのかなあ。

有名な作家ジョゼフ・キャッスルマン(ジョナサン・プライス)はスウェーデンからの電話に起こされます。そして、寝起きの彼にノーベル文学賞受賞の一報が届きます。妻のジョーン(グレン・クローズ)と共に受賞を喜ぶジョゼフ。二人は息子のデビッド(マックス・アイアンズ)を伴って、授賞式のためにストックホルムへと向かいます。行きの機中で記者のナサニエル(クリスチャン・スレーター)が声をかけてきますが、ジョゼフは伝記を書かせるつもりはないと追い返します。息子のデビッドは小説家なんですが、偉大な父親からきちんと認められていないのが不満みたいです。もともと、妻子持ちの教授と生徒の関係だった、ジョゼフとジョーンですが、恋に落ちた二人は結婚し、その後、ジョゼフの小説が売れて、一躍、現代文学の第一人者と呼ばれるようになったんですって。もともと物書き志望だったジョーンですが、当時の女流作家がまともな扱いをされない時代だったということもあって、ジョゼフの妻としてずっと彼を支えてきたのです。でも、ジョゼフは女癖がよくなく(そもそも、妻子がいたのにジョーンにちょっかい出したし)、ジョーンとの結婚後も何度も浮気を繰り返していたのですが、それをジョーンは耐えてきたのでした。それでも、ジョゼフはジョーンを必要欠くべからざる存在として認めていて、彼女も夫を愛していました。一人でホテルを出て行こうとしていたジョーンにナザニエルが声をかけ、バーへ飲みに誘います。伝記を書きたいナザニエルはジョーンに色々と聞き出そうとしますが、核心をはずして、うまくやりすごすジョーンですが、ナザニエルはジョーンにとんでもないことを言い出すのでした。

アメリカの作家メグ・ウォリッツァーの小説を、テレビの脚本で実績のあるジェーン・アンダーソンが脚本化して、スウェーデンの舞台・映画の監督であるビョルン・ルンゲがメガホンを取りました。文学者であるジョゼフとその妻ジョーンが、ノーベル文学賞の授賞式でストックホルムに行き、そこで起こる事件を描いたドラマでして、何年も連れ添ってきた夫婦の会話を中心に展開するドラマは、夫婦の間の秘密を軸にして、ミステリアスに、そしてスリリングに展開していきます。これが、大変面白くて見応えのある映画でした。主演の二人、特にグレン・クローズの演技がすごくて、色々と想像の膨らむラストまで、一気に観客を引っ張っていきます。一応夫婦愛はあるんですが、その先の想いの部分の見せ方はスリラーのようでもあり、クライマックスなんてゾクゾクするものがありましたもの。

映画の冒頭では、二人の関係は長年連れ添った夫婦として、そこそこ良好のように見えます。ノーベル賞受賞にはしゃぎ気味の夫に対して、冷静な妻ではあるんですが、あくまで夫を立てる妻のポジションであり続けます。それはストックホルムについてからも同じで、特には折り合いのあまりよくない夫と息子の間に入ったりといった良妻賢母ぶりを見せます。夫のジョゼフは、文学者としては立派なんでしょうけど、妻のジョーンが一緒でないとどこか心細く感じるところがあるようで、そんな夫にジョーンはうまく合わせているようです。若い頃は調子こいていたダンナが、年を取ったら、何だか頼りなくなって奥さんに依存しちゃうなんてのは、日本だとありがちな気がしてたのですが、アメリカの夫婦もそういう感じになるのかなってところが面白いと思いました。そこには夫婦の力関係みたいなものがあって、すごく社会的に立派な夫ではあるんですが、夫婦間でのステータスは実はそんなに高くないみたいなんですよ。そのあたりを、説明的にならずに、普通の日常会話のレベルから垣間見せるルンゲの演出は見事でして、その演出に応えたプライスとクローズの演技も素晴らしかったです。

妻のジョーンからしてみれば、過去の経緯から色々とたまっていたものがあったようで、そのイライラがノーベル賞の受賞で爆発しそうになるというお話なんですが、それまで夫婦関係はそこそこうまく続いてきたみたいなんですよ。何度も浮気を繰り返すダンナにそれを許してきた妻みたいな関係があったんですが、そこにずっと溜まっていたものが両方にあったらしいってことが後半わかってきます。奥さんが主人公の映画なので、お気楽なダンナだよなあってイメージが強いのですが、ダンナにはダンナなりの鬱屈があったということも見えてきます。だからって、浮気の言い訳にはならないから、やっぱりダンナに分が悪いのかな。ともあれ、長年ずっと当たり前のように続けてきた関係が、ノーベル賞受賞というビッグなイベントをきっかけに堰が切れてしまうのです。ノーベル賞受賞式までの数日間というドラマの中で、二人の積み上げてきた人生を垣間見せるという構成が成功していまして、要所要所に挿入される回想シーンも含めて、舞台劇を見るような濃密なドラマに仕上がっていて、見応えがありました。映画館でじっくり腰を据えて観て楽しむ映画だと思いますので、できるだけ劇場で鑑賞することをオススメしちゃいます。

ルンゲの演出は、主演二人の演技を捉える時、妻のジョーンを画面の中央に置いたり、ライトを強めにあてたりと、舞台劇のような演出をしているのが面白く、また文学者としての苦悩とか葛藤といったものを一切見せずに、回想シーンも含めて夫婦間の関係だけで映画を見せ切ることに成功しています。また、「アイズ・ワイド・シャット」の秘密クラブの音楽を手掛けて、一部の人に知られているジョスリン・プークがイギリス室内楽団を使って、マイケル・ナイマンを思わせる現代音楽で、画面を支えているのも印象的でした。



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もともとは生徒と教師の関係だったジョーンとジョゼフだったのですが、実際に文才があったのはジョーンの方だったのです。ジョゼフは着想はいいのだけれどそれを文章に組み立てるのが苦手。才能もあるし、物書きとして身を立てたいと思っていたジョーンですが、1950年代は女性が作家として名をあげることが難しい時代でした。そして、ジョゼフの書いた小説に、ジョーンが感想のありのままをぶつけたら、ダンナ意気消沈。そんなジョゼフを励ます意味も込めて、彼の小説を自分がリライトすることを提案、するとその小説が売れ、その後もずっとジョーンがダンナのゴーストライターになっていたのでした。着想はいいけど、その先をものにできないダンナに替わって、ジョーンはずっとタイプの前で執筆活動をしていたのです。ジョーンとジョゼフの過去の小説を読み、記者のナサニエルは、ジョゼフの作品がその妻の手によるものだということを見抜いていました。ダンナの浮気への怒りこそが彼女の執筆のエネルギーであったのですが、ジョゼフの方も、自分のものでない作品で、文学者としてあがめたてまつられることに負い目を感じてはいました。でも、ジョゼフはいつしかその関係に慣れてしまい、ノーベル文学賞の受賞を素直に自分のことのように喜んでしまっていました。それもあって、スピーチで妻へ謝辞はやめてくれと、ジョーンはジョゼフに頼むのですが、晩餐会のスピーチでジョゼフは、ジョーンの内助の功を褒めたたえるスピーチをしたものだから、ジョーンは切れて、会場を去り、それを追ったジョゼフとホテルで大喧嘩となります。その喧嘩の最中にジョゼフは持病の心臓が悪化し、そのまま帰らぬ人となってしまいます。スウェーデンからの帰りの飛行機で、ジョーンはナサニエルに「あなたの思っているようなことはなかった。勝手なことを書くと只では済まさない。」ときっぱりと告げます。そして、息子に「家に帰ったら全てを説明するから」と言います。一体、彼女はどんな物語を息子に話すのでしょうか。飛行機の座席、一人ほくそ笑むジョーンから暗転、エンドクレジット。

後半の怒涛の展開が大変面白かったです。ジョーンが、スピーチで自分への謝辞は言わないでと何度も頼んだのに、ダンナは妻がいたから作品を書くことができたとしゃあしゃあと言ってのけます。このスピーチの最中のジョーンの憎悪に満ちた顔が最高でして、グレン・クローズの名演技が光りました。ダンナだって、妻がゴーストライターであること、自分が妻ほどの文才がないことを引け目に感じていたことは事実なのですが、その一方で妻がどういう思いでこれまでいたのかについては、まったく無頓着だったようなのです。そこへもたらされたノーベル文学賞のニュースに、我がことのように浮かれるダンナに、ジョーンの堪忍袋の緒が切れたというふうに見えました。こういう関係で夫婦やってたら、どっちかに無理がきて、いつかは破綻しちゃんだろうなあ。この夫婦の場合、最初は妻にゴーストライターをさせることに負い目や葛藤もあったのでしょうが、長年やってるうちにそれが当たり前になってしまって、とりあえず世間的には自分が文学者なんだと、ダンナ自身が信じ込んでしまったみたいなんです。それはなぜかと言えば、そう信じた方が、周囲にちやほやされても、無駄に劣等感に悩むこともないし楽だから。さらに、世間のくれる文学者というステータスがあった方が、女性にももてるから。そんな楽な方向へ流されて行ったとき、妻がどういう気持ちでいるのかは考えたくないというエゴイズムは、不愉快だけど理解できるものがあります。妻のおかげで、いい暮らしができて、女にもてて、ノーベル賞もらえる。それを素直に受け入れてどこが悪いのか?という感じは、凡人の私には何かわかるんですよね。でも、妻の方は、浮気性のダンナへの怒りを文学に昇華してきたわけで、それを当たり前のように扱われ、さらには物書きを支えるよき妻としての謝辞を言われたら、そりゃブチ切れるわな。そのあたりの長年に渡る夫婦の機微を、数日間のドラマで見せちゃうあたりは脚本のうまさでしょう。ダンナに対して愛情もあるし、だからこそゴーストライターもやり、よき妻を長年に渡って演じてきたのですが、さすがに今回は忍耐の限度を超えてしまったようです。

そんなダンナが、ポックリと逝ってしまったことは、ジョーンにとっては大変なショックではあるのですが、それは長年の、自分とジョゼフが共犯関係で作り上げた呪縛からの解放でした。単に一方的被害者であったなら、もっと早くにこの関係を終わらせることもできたんでしょうけど、自分から提案してゴーストライターになってしまったので、自分からそれを暴露することもできない、でも、そのことに夫は無頓着で女性と見ればちょっかいをだしている、そんなフラストレーションをため込んでいた状況から、彼女は突然自由になりました。ラストで、彼女は自分の人生を自分の言葉で生きていく決心を決めたように見えます。自分のついた嘘によって、身動きが取れなくなっていた彼女が、新しい一歩を踏み出すことは喜ばしいことではありましょう。もともとが正直者なのでしょうね、ジョーンは。だからこそ、自分のついた一世一代の嘘に人生を食いつぶされそうになっちゃったのではないかしら。これが、根っからの嘘つきだったら、自分のついた嘘をあっさり裏切って、ジョゼフのもとから去っていくこともできたでしょうに。そう考えると「ロースの秘密の頁」と同様の、すごく気の毒な人生を送った女性が、晩年に入ってやっと救いが見えてくるというお話なのかも。

「マイル22」はCIA特殊部隊のド派手アクションに目の付け所の面白さも。


今回は新作の「マイル22」を川崎の川崎チネチッタ1で観てきました。ここは、最前列は画面が見えないのですが、普段売ってるのかなあ、うっかり買っちゃったら、チネチッタに二度と来なくなっちゃうよなあ。車椅子席も反則すぎるし。

CIAの特殊部隊が、アメリカの住宅街の中にあるロシアのスパイの隠れ家(セイフハウス)を押さえようとします。作戦は順調に進んだのですが、相手の思わぬ反撃に、スパイの確保から殺害に指示が変更され、特殊部隊側にも負傷者を出しながら、そこにいたロシアのスパイ全員を射殺します。その後、チームはアジアのインドカーという国のアメリカ大使館で、盗まれたセシウムの捜査をしていました。チームリーダーのジェームズ(マーク・ウォールバーグ)は、セシウムのガセ情報をつかまされた同僚のアリス(ローレン・コーハン)をボロクソに言ったり、かなり精神的に危ない人みたい。とは言え、6万人を殺す兵器に化けるセシウムを早急に発見する必要がありました。すると、大使館にリー(イコ・ウワイス)というインドカーの警官が保護を申し出てきます。リーはアリスにガセ情報をつかませた男でしたが、今度は本当にセシウムのありかを記録したディスクを持ち込み、亡命させてくれたら、そのパスワードを教えるというのです。インドカー当局は身柄の引き渡しを要求してきます。ジェームズはオーバーウォッチ作戦を発動させ、リーを飛行場まで運んでアメリカへ送ろうとします。アメリカ国内の某所にマザー(ジョン・マルコヴィッチ)以下、作戦の指揮、誘導をするチームが集められ、リーの移動作戦を開始することになります。一方、その状況をロシアの哨戒機が監視していたのでした。

「キングダム」「ローン・サバイバー」などでヒネリの効いたアクション映画を作ってきたピーター・バーグ監督の新作です。「ローン・サバイバー」「パシフィック・オーシャン」など、バーグとは4本目のタッグとなるマーク・ウォールバーグが主演しており、リー・カーペンターとグラハム・ローランドによる原案をカーペンターが脚本化しています。CIAのこの特殊部隊は、国内外で時として超法規的な行動をとることもあり、その時は、国家機関の肩書を放棄して臨む(相手側からすればテロリストにも見えちゃう)という、どうも汚れ仕事の専門家みたいなんです。彼らの使うオーバーウォッチ作戦と言うフォーメーションは、ジェームズたち現地部隊を、3000キロ以上離れた場所で、遠隔的に指揮を執る部隊がいて、そこにいるマザー(ジョン・マルコビッチ)以下の面々がコンピュータを駆使して情報収集、情報提供、時には遠隔支援も行うのです。今回は盗まれたセシウムの捜査のために、ジェームズ達は東南アジアのインドカーという国のアメリカ大使館に身を置いていました。

ジェームズというのは、精神的に切れやすいものを持っているのか、いつも手にゴムバンドをはめて、それで気分を落ち着かせているようなところがあり、同僚に対する口の効き方も結構ひどい。でも、いざとなると的確な判断と射撃の腕で、危機を乗り越えてきたらしいのです。そんなジェームズ達の前に現れたのが、セシウムのありかが入ったディスクを持ったリーという警官です。何を考えているのかわからないけど、相当肝の据わった男らしいリーは、ディスクのパスワードを渡すから、アメリカへ亡命させろと言ってきます。インドカーの当局の人間は彼を引き渡せと言ってくるし、リーは大使館の医務室で、そこにいた男二人に襲われます。リーは驚くべき身体能力で逆襲に出て、二人を血祭にあげるのですが、どうもリーの持っている情報は重要らしいということになり、ジェームズのチームで、リーをアメリカに亡命させるため、大使館から飛行場まで移送することになります。ジェームズの依頼でスーパーウォッチ作戦のフォーメーションが敷かれ、チームは2台の車で大使館を出発します。しかし、彼らの行動や通信内容は筒抜けになっていて、早速、バイク集団の襲撃を受け、2台の車のうち1台は爆破され、メンバーの半分が死亡、それでも残った3人でリーを空港へ届けようとするのですが、次々と武装した追手がやってきます。

仮想国インドカーの首都は、コロンビアでロケされたそうで、街中で派手なカーチェイスや爆破シーンが登場します。その一方で、インドネシア映画「レイド」で世界的に名を知られるようになったリー役のイコ・ウワイスが重量級のアクションを見せています。特に、病院内での2対1のアクションは手錠をはめられているハンディマッチなのに、相手を最後には叩き殺すまでを迫力の殺陣で見せてくれます。冒頭の状況説明の後は、アクションシーンの連続でつないでいくという構成で、映画は最後まで一気に突っ走ります。ジェームズのキャラを丁寧に説明しておく一方で、リーのキャラがなかなか読めないというところは、ドラマの盛り上げに大きく貢献しておりまして、ムチャクチャ強いけどミステリアスな男が最後までサスペンスをつなぎます。脇役のロンダ・ラウジーやローレン・コーハンといった面々がきちんとキャラが描けているのは、95分の見せ場連続の映画にしてはうまいと思うし、アクション映画の定番をちょっと外した見せ方のうまさもあり、ピーター・バーグの職人演出はさすがですが、その一方で、ヒネリの効いた視点の部分もあり、組織と個人の関係をそういうふうに見せるかという面白さがありました。特殊メイクにハワード・バーガー率いるKNBイフェクツが参加しているので、若干バイオレンスはハードかな。(あくまで若干ですが)



この先は結末に触れますのでご注意ください。(未見の方は読まないでください)



次々にメンバーを失い、車を乗り換えて逃走しようとするもさらに車をぶつけられて、近くのアパートに逃げ込むジェームズ、アリス、リーの3人、何とか逃げ道を探すマザーたちですが、追手はさらに数を増し、はぐれたアリスは巨漢に追い詰められます。こんなことになったのもお前のせいだと詰るジェームズに、「アリスを助けよう」と申し出るリー。ジェームズは彼の手錠を外し、二人で協力して追手を倒し、アリスを助け出すことにも成功します。でも、予定の時間は過ぎ、離陸しようとする輸送機の前に、彼らの車が飛び出し、間一髪で、輸送機にリーを乗せることに成功し、アリスも一緒に帰国することになります。その直後、マザーはリーの正体がロシアのスパイに気づくのですが、全ては遅く、マザーのいたコントロールチームは敵による銃撃で全滅、輸送機もリーの乗っ取られ、アリス共々行方不明になります。そもそも、セシウム盗難事件から、ロシアが一枚噛んでいたのです。それは映画の冒頭で殺されたロシアの工作員の一人が18歳の少年で、その母親が政府高官だったのです。高官は、息子の敵討ちのために、彼を殺した関係者に復讐を試み、それはほぼ成功します。しかし、実際に息子に引き金を引いたジェームズだけが生き残るという皮肉な結果となり、ジェームズはリーに対して新たな闘志を燃やすのでした。おしまい。

極限まで追い詰められたジェームズたちにリーが加担して、追手をやっつけるシーンはなかなかのカタルシスがあるのですが、最後の最後でリーがロシアのスパイと判明して、関係者はジェームズを残してみんな殺されてしまいます。リーがドラマの中盤で、ジェームズに「なぜ、こんなことをする気になったのか。」と問うと「家族の敵だ。」と答えるシーンもありますし、冒頭のセーフハウスの死亡者の中に18歳の少年が混じっていたという、伏線もあったのですが、最後までそういうことを考えさせないテンション高いアクションシーンの連続で、最後までまんまと騙されてしまいました。非情な組織によって個人が犠牲になるというのは、よくあるパターンなのですが、今回は私怨を発端にした作戦で関係ない人間(特にインドカー警察の追手のみなさん)が犠牲になっていくという図式が面白く、そういう切り口で見せてくるかあってところが新鮮でした。組織の歯車として、淡々とミッションをこなしていた筈のジェームズが、次はリーを仕留めてやると意気込むラストも、妙に生臭い後味を残します。ともあれ、迫力あるバイオレンスアクションとして見応えがある映画ですが、その上に意外でシニカルなオチを持ってくるあたりは、一筋縄ではいかない映画に仕上がってます。派手な見せ場の作り方のうまいピーター・バーグ監督ですが、それだけじゃないぞとさらにもう一つ乗っけてくるあたり、彼の次に映画にも期待しちゃいます。
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Author:einhorn2233
Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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