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「アド・アストラ」を珍品と思ってしまう私は読みが浅すぎるのかしら。

アドアストラ

今回は、新作の「アド・アストラ」を川崎の川崎チネチッタ12で観てきました。大画面で大劇場の作りでして、低音スピーカーを増強した、LIVESOUNDというシステムでの上映です。こういう無料オプションのサービスはうれしい限り。ここで売り物のLIVEZOUNDの方はちょっと圧が強めでスペクタクル映画だとやややかましい印象になってしまうので、この低音増強サービスくらいがオヤジにはちょうどいいです。

国際宇宙アンテナで働いていた宇宙飛行士のロイ(ブラッド・ピット)は、作業中、サージと呼ばれる宇宙の電磁気嵐による事故に遭遇し、何とか無事に帰還します。帰還後、ロイは上官に呼び出され、極秘任務につくことになります。実は、世界中に犠牲者を出したサージは海王星から出ているというのです。かつて、リマ計画というプロジェクトで、ロイの父親であるクリフォード(トミー・リー・ジョーンズ)率いる地球外生命体の探査チームが海王星へ向かったきり行方不明となっていたのです。さらに上官は、探査チームがまだ生存していて、今回のサージの原因は彼らではないかというのです。このサージが何度も発生すれば太陽系全体をも危機に陥れるとも。16年前に死んだものと思っていた父親が生きているかもしれないという事実に驚くロイ。そして、父親の生存を確認せよという任務を負うことになります。彼はお目付け役で父の友人であるプルイット大佐(ドナルド・サザーランド)と共に月の裏側にある秘密の発射場に向います。体調を崩しプルイットはロイに任務を託し単身火星へと向かいます。火星の地下基地で父親にコンタクトをとるようにメッセージを読み上げるロイですが、ほどなくその任を解かれ地球への帰還命令が下ります。落胆するロイの前に火星基地の司令官であるヘレン(ルース・ネッカ)が現れ、リマ計画で起こった驚くべき事実を語り始めるのでした。

「アンダーカヴァー」「エヴァの告白」などで知られるジェームズ・グレイが、イーサン・グロスと共同で書いた脚本をもとにメガホンも取ったSF映画です。20世紀フォックスとレジェンダリーフィルムが共同で製作しさらに中国資本も入った大作でして、主演のブラッド・ピットもプロデューサーに名を連ねています。映像的にはリアルな近未来のイメージで描かれた「グラヴィティ」に近いタッチですが、主人公のモノローグがたくさん挿入され、スペクタクルやサスペンスの要素は少なめで、静かなタッチのドラマに仕上がっています。ベネチア国際映画祭に正式出品されたそうですが、それも何となくわかる、娯楽SFとは一線を画す、やや理屈っぽい人間ドラマということもできましょう。じゃあ、形而上学的、哲学的な小難しい題材を扱っているのかというと、そうでもない、普遍的な人間の葛藤を扱っているのが面白いところでして、そんじょそこらの人が思い悩むことを、宇宙空間で見せましょうというのはかなりケッタイな映画だと私は思いました。悪くはないし、いいところも一杯あるし、役者もいいんだけど、珍品なんですよ、これが。

主人公のロイは優秀な宇宙飛行士なんですが、あんまり人づきあいがうまくなく、妻(リブ・タイラー)ともうまく行ってません。いつも冷静沈着、感情に流されることなく物事を処理していくことを誇りにしているようなんですが、何か心の中に満たされない空洞を抱えています。仕事人間であり、地球外生命体なんいていうこの世の向こう側にこだわる父親の影響下にあるロイは、危険な仕事だからという理由をつけて人と深くかかわることを拒んでいるみたいなのですが、どうもそれも本意ではなさそう。今回のブラビはロイという人間を務めて普通の人として演じようとしている節があり、優秀で天才肌だけど近寄りがたかった父親を抱えた息子が、どうやって父親を乗り越えて、呪縛から解放されるのかというお話を丁寧に演じ切りました。そういう普遍的な親子、人間間の葛藤がメインなんですが、それを宇宙SFでやる理由は、凡人の私には理解できませんでした。この物語なら、SFでなくても、父親が天才作曲家でも、天才漫才師でも、ヒトラーであっても成り立つお話なんです。まあ、題材の組み合わせで意表を突きたかったのかも。あるいは、こういうドラマを多くの人に観て欲しいから、ブラピとSFを取り込んだとも言えそうです。SFとのミックスというと、私はオカルトとSFをミックスした「イベント・ホライズン」という珍品の佳作があったのを思い出しますが、ああいう異業種交流みたいな味わいがある映画です。宇宙旅行なのに主人公のプライベートがクローズアップされてくるのは「イベント・ホライズン」とちょっと似てるんでよね。(← かなり強引)

それでもSF映画としての趣向も盛り込んでありまして、火星へ行く途中、救難信号を受信した宇宙船へ向かったら、誰もいないというホラーミステリー的な展開ですとか、月面で基地へ移動中に略奪者に襲撃されるという西部劇風の趣向ですとか、お金をかけたリアルな見せ場になっているのですが、主人公のモノローグほどの重みが感じられることなく、車窓の風景みたいに流れていくのは演出が狙ってやっているのかしら。そういうアクション的な見せ場より、ロイが任務遂行の途中で何度も機械相手の心理テストを受けて、心理状態が閾値を超えると任務不適合にされちゃうとか、ほとんど表情を変えないロイに不意に人間的な葛藤が走るシーンなどの方が印象の残るのは、この映画が宇宙旅行よりも、インナートリップの方に重きを置いているからかしら。SF的だなと思ったのは、宇宙空間では、どんどん簡単に人間が死ぬところでして、広大な宇宙空間では人の命なんて儚いものだという無常観がSFっぽいかなって印象でした。

人間の精神の部分に重きを置いた映画なので、映像は全体的に暗めで地味。音楽はマックス・リヒターによるポストクラシカル音楽がメインで、さらに映画音楽のアンダースコア職人ローン・バルフェが追加音楽として参加(メインタイトルでちゃんとクレジットされています。)さらに追加音楽としてニューエイジのニルス・フラームまでクレジットされていまして、シンセとオケによる現代音楽が、あっちの世界というか精神世界というか哲学っぽい雰囲気で、ずっと鳴っているのですが、これはハッタリ演出ではないかいと思ってしまいました。そんな高尚な話ではなくて、「親の呪縛を克服する息子」「孤独を孤独と受け入れることで他人へ心を開く主人公」といった、ありがちでわかりやすいお話だと思っています。それを宇宙でやられると、「これって、2001年みたいな宇宙哲学を扱ったすごい映画なんだ」って思いがちなんですが、そういうお話ではないです。

ネタバレ上等で書いちゃいますけど、海王星まで行ったけど、地球外生命体は見つかりません。ひょっとしたら、その先へいけばいるのかもしれないけど、この映画の登場人物の中では、「結局、その向こうの世界へ思いを馳せてもそんなものはないんだよ」というところに落ち着くのです。何ていうのかな、ここでいう海王星は、宇宙の果てと同値であって、結局、宇宙の果てまで行っても、人間以外のものはいないんだからって悟って、人間に還ってくるって話なんですよ。あんまり科学的じゃないけど、個人の感情、個人の哲学の中ではそうクローズさせないと、ロイは人生を前に進めないみたいです。でも、どこかすっきりしないまま停滞しているのなら、科学的な検討よりもある一線での割り切りの方が大事だよっていうのは、ある意味、宗教に近いのかもしれません。そう考えると無慈悲に膨張する科学と、そこに一線を引いて人を導く何かという対立構造が見えてきて、意外と深い映画なのかもしれません。

演技陣では、ブラッド・ピットが普通の人を熱演しているのですが、普通の人を演じるとカイル・チャンドラーになっちゃうんだなあってのは発見でした。トミー・リー・ジョーンズは、その存在感だけでドラマを支えていまして、最後までよく読めないキャラを、主人公の視点から演じて見せたのはなかなかの曲者ぶりでした。また、主人公が地味な分、ルース・ネッカがその好対照キャラでインパクトありました。儲け役なのですが、地味なドラマの中で、彼女だけスポットライトが当たっているように見えるあたりは演出の計算なのかしら。ドナルド・サザーランドも渋い存在感でドラマを支えていますが、主人公も同じくらい渋いので、不思議なバランス感覚になっています。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



ヘレンがロイに語るところによると、海王星の宇宙船内で地球へ帰還したがった乗組員が反乱を起こした時、クリフォードは宇宙船の一部を閉鎖して、反乱を起こしてない乗組員も巻き添えにして、事態を鎮圧したというのです。ヘレンの両親は乗組員だったのですが、巻き添えでクリフォードに殺されたのだと。一方、核兵器を積んだ宇宙船が火星基地から海王星に向けて出発しようとしていました。ロイはヘレンの協力を得て、発射寸前の宇宙船に潜り込むことに成功するのですが、彼を殺せと指令された乗組員ともみあいになった結果、彼以外の乗組員は全員死亡。ロイは一人で海王星へと向かいます。海王星の軌道上のリマ計画の宇宙船を発見したロイが、乗り込んでみると、そこにはクリフォードが一人生き残っていました。反物質エンジンが故障して、サージを引き起こしていたようなんですが、クリフォードにも修理できないでいたみたいです。リマ計画の成果は、結局地球外生命体は存在しなかったということの確認でした。それでも、外宇宙にこだわるクリフォードを説得し、地球へ連れ帰ろうとするロイ。しかし、核爆弾のタイマーをセットして、宇宙服を着せて船外に出た時、クリフォードはロイから離れて宇宙空間の中へ消えていくのでした。呆然とするロイですが、一人で宇宙空間を漂い始めた時にふと思い立ち、自分が乗ってきた宇宙船まで戻ると、核爆発のエネルギーを利用して、海王星の軌道を脱出、地球へ向かいます。再び、有能な宇宙飛行士に戻るロイですが、何かが変わったようで、妻との再会もし、新しい人生が始まるようなのでした。おしまい。

それって、SF的にリアルなの?って思うシーンもあるのですが、クライマックスは親子の再会から別れの展開となり、ロイは父親を乗り越えて、その呪縛から解き放たれたように見えます。一人きりで海王星に向かう途中で、ロイは自分が孤独であることを再認識します。(孤独だよーってナレーションが入ります。)そこまで、極端な孤独にまで追い詰められないと自分の精神状態がわからないのかとも思ってしまうのですが、そんな孤独な彼が、外宇宙への夢が果ててしまった父親と再会するという出来過ぎな展開ではあるのですが、その結果、自分の身の回りに改めて心を向けるようになるという結末は意外と普通だねという印象でして、宇宙の果てまで行かないと見つからないものでもないよなあって思ってしまったのでした。それとも、もっと深い宇宙の哲学みたいなものが描かれていたのかなあ。でも、外宇宙には何もないんだよなあ、だからそっちへ思いを向けるよりは身近に目を向けなよって話って、うーん、これって自分でも読みが浅すぎるんじゃないかという気がしてきました。何だ、この納得できそうでできない余韻は?って思わせるあたり、やっぱり珍品だよなあ。。
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宇宙の哲学は分からなかったですね。
宇宙という広大なものを相手にしながら、とても内生的な映画と感じました。
その為なのか宇宙での出来事の描写が荒っぽいというか、つい突っ込みを入れながら観てしまった自分にはもう一つ響いていないのだと思います。演技は皆さん流石でしたけど、ドナルド・サザーランドの出番が勿体無い気もしました。
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Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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