今昔映画館

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「恋する遊園地」は、異形の愛よりも、孤独の苦しみの方に見所多くて。

恋する遊園地

今回は新作の映画ということで、川崎の川崎チネチッタ7で「恋する遊園地」を観てきました。ラブコメ風タイトルではあるのですが、プログラムも作られていない、R15+指定ということで、ちょっと不安になりつつもスクリーンに臨みました。

ちょっと内気な女の子ジャンヌ(ノエミ・メルラン)は母親(エマニュエル・ベルコ)と二人暮らし。あまり父親とはいい思い出がないみたいなジャンヌは、遊園地の夜勤の清掃の仕事につくことになります。上司のマーク(バスティアン・ブイヨン)はジャンヌに気があるみたいですが、彼女は他人に心を開くのが苦手みたいで、進展はしません。バーで働く母親には新しく恋人ヒューバート(サム・ラウウィック)ができて、彼を家に連れ込んでラブラブ。一方、家に遊園地のミニチュアを針金で作って飾っているジャンヌは、遊園地の回転アトラクション「ムーブ・イット」にだんだんと惹かれていきます。ジャンボという名前をつけて、夜中の仕事中もそこを清掃しているときは胸がときめいてきます。ある夜、誰も操作していないのに、ジャンボが光り、動き始めます。ジャンボはジャンヌの言葉に反応し、まるで感情があるみたい。夜中の遊園地は、二人だけのデートスポットになり、そして、ジャンボから流れ出したオイルが彼女の体に絡みついた時、二人は一線を越えてしまうのでした。明るくなっとジャンヌですが、彼氏を紹介すると母親を遊園地に連れていき、ジャンボを紹介しちゃったものだから、母娘の仲は険悪なものになってしまいます。そのことは、マークにも知られてしまい、周囲の大人たちはみんな彼女を非難するばかり、どうして、ジャンヌの純愛をわかってくれないのかしら。

第二班監督としての実績を持つ女性監督ゾーイ・ウィトックが、実際にあった、エッフェル塔と結婚した女性のエピソードから、脚本を書いて、長編初メガホンを取りました。人間と人間以外のものとの恋愛ストーリーというと、内気な男性とラブ・ドールの恋を描いた「ラースとその彼女」がありますが、この映画は、女性と遊園地のアトラクションが恋愛関係になるというものです。登場シーンから、ジャンヌに病的なところがあるので、どうやらラブコメにはなりそうもないとちょっと不安になってきます。特に、前半は画面も暗くて、夜中の遊園地のシーンもホラータッチなので、これは人外と人間のドロドロのメロドラマになりそうな予感です。ジャンボが勝手に動くのは、ジャンヌしかいない時だけなので、本当にジャンヌとジャンボは相思相愛なのかははっきりと見せません。精神を病んでる女の子が、逃避先として遊園地のアトラクションにしがみつく図という解釈もできる作りになっています。この発端なら、色々な解釈や展開が可能でして、日本のホラー映画なら、遊園地のアトラクションに死霊がとりついたという話になりそうですもの。でも、この映画は、そういう超自然ホラーには向かいません。むしろ、リアルな孤独とその向き合い方を描いた、真面目なドラマに落とし込むのが意外でした。まあ、リアルな人間ドラマが見えてくるのは映画の終盤なので、それまでは、「これは一体何の映画なんだろう」と思いながら、スクリーンに臨むことになります。それほど、先の展開や結末が読みにくい映画になっています。

ジャンボが勝手に動き始めるようになるまでは、ホラータッチの展開なんですが、ジャンヌとジャンボが相思相愛(らしい)になってくると、幻想的な映像が展開するファンタジックな物語となります。ジャンボがそのあちこちに仕掛けられた照明の色の変化で、ヒロインとコミュニケーションを取り始めるあたりは、「未知との遭遇」のクライマックスを思い出させるものがありました。さらに、その愛情が肉体的快感を伴うものになってくるのが、R15+指定の理由のようで、裸のヒロインに、ジャンボから滴るオイルが絡み付くシーンはかなりエロティックです。家に帰ったジャンヌが、オイル塗れの体をシャワーで洗うシーンもあるので、遊園地のアトラクションとのセックスが実際にあったものかどうかは微妙なんですが、彼女にとっては快感で幸せな事実ということのようです。

確かにラブドールと恋に落ちたというなら、まだ想像がつかなくもないのですが、遊園地のアトラクション(輪っか状の部分に座席がついていて、回転しながら色々と動くというもの。ライトがたくさんついていて、夜はデコレーションが美しい。)を好きになりましたというのは、常人からしたら想定外。「こいつヤバい」と思う以前に「何言ってんのコイツ?」というレベルです。自分の身内に「富士急の高飛車が恋人なの」と言われたら、最初は「ハイハイ」って聞き流すけど、「本当に好きなの」って真顔で言われたら、マジで怒るか、耳を塞いで現実逃避するしかどっちかしかなさそう。ジャンヌの母親も上司も、前者の方でして、ジャンヌを完全否定しちゃいます。周囲に理解者が一人もいなくなってしまった時、彼女はジャンボしか信頼できなくなり、余計目に愛が深まっていくのか?と思いきや、意外やジャンヌはダメージ大きく、追い詰められてしまいます。さらに、ジャンボとの関係も悪化してしまうのです。彼女は内気な女性ではあるのですが、決して自分の世界だけに閉じこもっていたいわけではないことがわかってくると、彼女の孤独がリアルに見えてきます。そうかー、彼女は、恋愛対象が遊園地のアトラクションだというだけで、それ以外は普通の感性を持った女の子だとわかってくると、彼女は外部からの救いの手を必要としていることが見えてきます。映画が、彼女の孤独へシフトしてくるのが、映画のかなり終わりの方なので、唐突な印象も受けるのですが、言わんとすることはすごく普遍的な人間の苦しみなのですよ。果たして、周囲から全否定されてしまった彼女は、どんな形で救われるのかというドラマは、最後はハッピーエンドになります。でも、これって、首の皮一枚つながったというレベルでして、現実世界ではこうはいかないだろうなと思うと、なかなかヘビーな映画ということになりましょう。ホント、ハッピーエンドにしてくれないと見てられないくらいヘビーな映画に思えましたもの。

前半は、ホラー風のフェチ映画かと思わせているのですが、後半には、「人は一人では生きられない」という別のテーマが見えてきます。ゾーイ・ウィトックがなぜ前半をホラータッチにしたのかはよくわからないのですが、ジャンボが本当に愛情を持っているのかどうかを曖昧にしたままにしておいたり、色々な意味で観客をミスリードしようとしてるのかなあ。演技陣では、ノエミ・ミルランは「燃ゆる女の肖像」でも注目の女優さんですが、パンツ一丁で遊園地のアトラクションにスリスリしちゃうヒロインを熱演していまして、かなり変な人だけど、自分の世界に逃げ込んでいないヒロインを見事に演じ切りました。また、母親を演じたエマニュエル・ベルコは、バーの店員という職業以外は普通の母親を演じていまして、その普通の感性で、娘を否定して傷付けてしまうのがリアルでした。



この先へ結末に触れますのでご注意ください。



母親から家を出ていけと言われたジャンヌは、遊園地に向かいますが、ジャンボとの関係も気まずくなってしまい、夜勤で居合わせたマークに衝動的に体を与えてしまいます。そして、彼女は遊園地の同僚の家に身を寄せることになります。遊園地で開かれた職員と近隣住民の親睦パーティの日、マークは優秀職員としてジャンヌを選出して表彰します。同時に「ムーブ・イット」(ジャンボのことね)が撤去されることもアナウンスします。ショックで倒れ込むジャンヌ。家に運ばれたジャンヌは目が覚めても塞ぎこんだままです。彼女を心配して、病院に連れていくべきだとやってきたマークに、ヒューバートが「彼女が何かお前たちに迷惑をかけたのか? 病院へ入れるとかバカなこと言うな」と声を荒げます。そして、母親に「お前には愛想が尽きた」と去っていき、泣き崩れる母親。そんな母親の前にジャンヌがドレスアップして現れます。「ジャンボに会ってくる」という彼女に「口紅くらいつけなさい」という母親。そして、二人で車で遊園地に向かうと、そこにはヒューバートが現れ、3人でジャンボのところに向かいます。ヒューバートがジャンヌとジャンボの結婚の誓いをさせようとすると、地元の若者が二人の邪魔をしようとしますが、ヒューバートがそれを抑え、母親が誓いを続けようとしますが、ジャンヌはジャンボの誓いを受け取ることができません。そこへ一陣の風が吹いてジャンヌはジャンボの誓いを感じ取ります。その一瞬、誰も動かしていないジャンボが光るのを母親は目撃。ヒューバートとジャンヌと母親が走り出すスローモーションから暗転、エンドクレジット。

最後にヒューバートがジャンヌの愛の存在を認めてくれることで、母親も行動を改め、ジャンヌに笑顔が戻ります。もし、彼がいなかったら、誰からも拒否された彼女は立ち直れなかったでしょう。ジャンヌに必要だったのは、愛情よりも、自分の存在を認めてくれる人だったというところがこの映画のキモでした。愛されないことよりも、孤独の方がつらく苦しいことだという見せ方には意外な発見がありました。内向的で人嫌いに見えたジャンヌなのに、他人から否定されることには耐えられないってのは、一見「孤独はお友達」みたいな人でも、「一人では生きられない」んだなあって感心。考えようによっては、人付き合いが悪いのに、全否定されるのが嫌だというのは、わがままにも思えてしまいます。でも、そう思う私も、友達が少なくて、人付き合いが苦手なくせに、こういうブログ記事をアップして、誰かに存在を認めてもらうと嬉しく思うので、人間って勝手なのは仕方ないかもって気がしてきました。自分がそうだからってのは、ずいぶんと自分勝手な言い分なんですけど。

この映画の読み方としては、確かにモノに惚れちゃった人の落ち着く先も無視できないとは思うのですが、それについては、あまり示唆するものがありませんでした。確かに、遊園地のアトラクションとセックスしちゃうというのは、すごいことだと思うのですが、大人のオモチャとどこが違うのかというと、大差ないように思えます。また、遊園地のアトラクションと一緒にいると幸せというのも、子供が赤ちゃんの頃からの毛布を離さないというのと似たような、原初的な快感と似たものが感じられました。人間以外のものと会話や意思疎通するというのも、人間とペットの動物は昔からやっていることです。そう思うと、ジャンボと恋に落ちて、エッチまでしちゃうというのは、人間がこれまでやってきたことから、大きく逸脱はしてないのかもしれません。でも、それらの要素を遊園地のアトラクションに統合しちゃうと、精神が病んでいるように思われてしまうのは、今更ながらの発見でした。この映画の中で、ジャンヌを否定しちゃう母親とマークが悪意の塊ではなく、むしろ善意の存在なのが厄介なところです。だって、「彼女は病気だから、ちゃんと治療を受けさせるべきだ」ってのは至極まっとうな意見ですもの。でも、その言い分が通ってしまったら、彼女はラストの笑顔を取り戻すことはできなかったでしょうから。
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コメント

pu-koさん、コメントありがとうございます。

これは意外と面白かったですよ。記事の最後の段落を書いてたら、「一緒にいて楽しい」のも「コミュニケーションをとる」のも「エッチする」のも、全部、普通の人間だって「人間以外を相手にしてやっている」ことだと気づきました。誰でもやる「人間以外を相手にやっていること」なのに、遊園地のアトラクションだから、全否定されちゃうってのは、差別とは言わないけど、何か気の毒ですよね。ヒューバートがヒロインを病院に入れようとする上司に「彼女がアンタに何か迷惑かけたのか?」と啖呵をきるシーンがあるのですが、そのあたりが線引きの落しどころなのかなって気がしました。師匠もご覧になって感想を教えてください。

すんごい変わった設定ですね。
ファンタジーととっていいのか精神世界ととっていいのか。
なんにせよ孤独な女の子の物語を最後にどう落とし込んでいるのか気になります。
いつか観てみたいので後半部分は読まないでおきます。
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Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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