今昔映画館

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「燃ゆる女の肖像」は重厚な絵と不思議なドラマで、映画的な興奮があってオススメ。

燃ゆる女の肖像

今回は昨年末に公開された「燃ゆる女の肖像」を横浜の港南台シネサロン2の最終日に観てきました。一席置きの自由席です。ここは小さめのスクリーンながら、幕の開閉をやってくれてるってところがオヤジにはうれしい映画館です。

絵の教室で、生徒たちの前でモデルになる女性、生徒がある絵を教室に持ち込みます。そこには、夜の闇の中で炎につつまれる女性が描かれていました。モデルになっていた女性が描いたその絵から、時は遡っていきます。フランスの離れ小島にやってきたのは父親が画家で自分もその後を継ごうとしているマリアンヌ(ノエミ・メルラン)。彼女は島のお邸に住んでいるエロイーズ(アデル・エネル)の肖像画を描くという注文を母親である伯爵夫人(ヴァレリア・ゴリノ)から受けていたのです。エロイーズは、自殺した姉の代わりにミラノへ嫁ぐべく修道院から連れ戻されたという複雑な事情のある女性で、絵を描かれるのは好きじゃなくて、前任の画家は肖像画を完成させることができませんでした。マリアンヌも、エロイーズの散歩のお供という設定で、一緒に散歩している時に彼女を観察して、部屋に戻ってから肖像画を描くことになります。エロイーズは、最初はあまりマリアンヌと目を合わせようとしませんでしたが、そのうちに打ち解けるようになり、そんな中で、肖像画は完成します。マリアンヌが事情を説明して、肖像画をエロイーズに見せると、彼女は「これは私に似ていない」ときっぱり言い切ります。それを聞いたマリアンヌは肖像画の顔を消して、描きなおすと宣言。伯爵夫人が島を離れている間に描きなおすことになり、エロイーズは自らモデルをやると宣言し、新しい構図で肖像画を描き始めることになります。そして海辺を散歩している時、感情が高ぶって唇を合わせる二人。関係が深まった二人はベッドで抱き合うようになります。そして、いよいよ二人が納得する肖像画が完成するのですが、それは別れの時を意味していたのでした。

私の2018年のベストワン映画「ぼくの名前はズッキーニ」の脚本を書いてて、その他「トムボーイ」などで知られるセリーヌ・シアマが脚本を書いて、メガホンも取りました。あちこちの映画祭で賞を取ってて、カンヌ映画祭では脚本賞を取ったそうです。去年、予告編を観た時は、絵を絡めた同性愛ものかという印象で、あまり食指が動かなかったのですが、その後観た「恋する遊園地」のヒロインが出ているということで興味が出て、劇場まで足を運びました。実際に観てみれば、これ面白かったです。同性愛モノだというのはその通りでしたけど、それプラスアルファの不思議な味わいで、劇場で観る価値のある映画になっていました。

お話に入り込む前から絵の美しさに引き込まれました。冒頭の島に到着シーンから海や岩場が油絵のように美しいのですよ。柔らかい光の中でくっきりとした輪郭が浮かび上がる様は油絵そのもの。驚いたことにこれが冒頭だけでなく、全編にわたってそういう絵作りがされているのです。クレア・マトンによる撮影も素晴らしいのでしょうけど、シアマ監督の絵作りに対するこだわりが感じられ、まず絵があって、絵にまつわる映画を作るための物語を紡ぎあげたという印象を持ってしまいました。まあ、プログラムの監督へのインタビューによると、撮影のための絵の作り込みはあまりなくて、主人公二人のドラマを深める方が大変だったんですって。うーん、召使いのソフィを登場させて、遠景の構図を3人の人物にして、絵に安定感を持たせたのは明らかに狙ってると思ったんだけどなあ。

勝手に映像へのこだわりを想像したら大外れだったのですが、それもまた映画鑑賞のお楽しみとしてありだと思ってます。プログラムのインタビューを読まなきゃ事実を知らずに間違った思い込みのままになっちゃうところでしたけど、作り手の意向と多少のずれがあっても、そういうことを考えるのが、鑑賞の面白さだと思っています。昔の絵画を観て、作り手の意図をああだこうだと解説しているのだって、本人に確認とってるわけじゃないから、ホントのところはわからないけど、解釈を表現することを否定したくないですし、読書会とかで、作家の気持ちをああだこうだ語り合うのも同じようなことですからね。まあ、今回は外れちゃいましたけど、それもまたよしかな、と。

物語は、ヒロインの二人の心の動きに、ギリシャ神話のオルフェウスの物語を被せてきます。マリアンヌの持ってきた本の中にギリシャ神話があって、それをマリアンヌ、エロイーズ、ソフィの3人で読むシーンがあります。死んだ妻エウリディケを黄泉の国の王に頼み込んで、現世に連れ帰れることになるオルフェウス、その時、黄泉の国の王に決して振り返ってはならないと言われるのですが、もう少しで現世に戻れる寸前に彼女を確認しようと振り返ったものですから、彼女はまた闇の世界へ戻っていくというエピソードが語られます。(振り返っちゃあかんというのは、イザナギイザナミとかソドムとゴモラとか色々あるんですね。)ソフィはそのエピソードで「後少しのところで振り返るなんてオルフェウスはダメね。」というのにエロイーズは「エウリディケがオルフェウスに振り返らせたのではないの。」と言います。なるほど、どっちとも取れる話です。もし、エロイーズが正しかったとすると、それでもエウリディケの意図は、また解釈が別れます。愛する人に純粋に振り向いてもらいたかったのか、彼を愛していなかったから、わざと振り向かせたのか。ひょっとしたら、オルフェウスの愛情を確認してから永遠の別れをしたかったのかもしれません。この解釈の多様性、曖昧さがドラマの後半に効いてくるのが、なかなかに巧妙で、ラストの不思議な余韻につながります。

映画の前半では、ミステリアスがエロイーズがだんだんとマリアンヌに心を開いていく課程が描かれ、後半になると二人の感情が堰を切ったようにあふれ出て、かなり濃密な展開になってきます。一方で二人の背景に描かれるのは、召使いソフィの堕胎のエピソード。そして、祭りの夜の女たちの不思議な歌声、さらに、マリアンヌの前に現れるウェディングドレスを着たエロイーズの幻影。そして、ラストを飾るヴィヴァルディの四季から「夏」のオーケストラ演奏。こういった要素が絡み合ったドラマは映像の美しさもあって、映画的な興奮を味わうことができます。何て言うのかな、主人公二人に共感しているわけでもないのに、ドラマに引き込まれていく感じ。そこに演出のうまさというか、映画の魔法を感じたので、この映画、かなり好き。特に祭りの夜に島の女たちが奇妙な歌を合唱するあたりのエロい高揚感がすごかったです。そこで焚火を前にたたずむエロイーズのスカートに火がついてしまう映像のインパクトも見事。何かこう、この世とあの世が結びついた一瞬を捉えたような映像がパワーを感じました。それを見たマリアンヌが後にその姿を「燃ゆる女の肖像」として残したのも納得しちゃいました。また、愛し合った後、マリアンヌが、エロイーズの開いた本のページに自分の裸体画を描くシーンも印象的でした。こういう風に書くとすごいエロい映画なんでじゃないかと思われそうですが、実際にはあまりそういう感じがしないのが不思議でして、油絵タッチの映像とか、エロさを上回るヒロイン二人の愛情の濃さみたいのが、別の意味での映画的な興奮を呼ぶのですよ。これは是非、劇場でご確認いただきたいと思います。

マリアンヌを演じたノエミ・メルランは、「恋する遊園地」では遊園地のアトラクションと裸でエッチしちゃう変な女の子でしたけど、この映画も最初は普通の画家のように登場するのですが、これがかなり変わってるというか、私のようなオヤジ目線ではちょっと怖いというかお近づきになりたくない感じ。この怖さをうまく説明できないので、劇場でご確認いただきたいのですが、怖いと思ったのはひょっとしたら私だけかもしれません。私には底の見えない怖さが感じられたのですよ。一方のエロイーズはすごく繊細な女性、演じたアデル・エネルは、シアマ監督の恋人だった人らしくて、彼女に宛て書きした脚本なんですって。このヒロイン二人とも、何考えてるのかわからないところがあって、最後まで見えない部分を残して、それを余韻にしているのがお見事でした。伯爵夫人を演じたヴァレリア・ゴリノは昔はハリウッドにも進出していて、そのころ結構ファンでした。「イヤー・オブ・ザ・ガン」「レインマン」とかかわいいけどお色気のあるキャラが印象的でしたが、最近は母国イタリア映画の出演作が多くてあまり日本ではお目にかかれなかったですが、年は取ってますが可愛さと色気の共存は昔のままで、やはりいい感じ。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



エロイーズの肖像画が完成し、パリに行っていた伯爵夫人が戻ってきます。夫人は肖像画に満足し、マリアンヌに金を払います。荷物をまとめたマリアンヌが別れを告げに行くと、そこには白いウェディングドレスに身を包んだエロイーズがいました。これまで、マリアンヌが見続けた幻影が実体を持った形で現れたのです。伯爵夫人とエロイーズに別れの挨拶をし、お邸を出ようとした時、エロイーズの声がします。「振り返らないの?」思わず振り返ってしまうマリアンヌの前に、ウェディングドレスのエロイーズが本人とも幻とも定かでない姿で立っていました。そして数年後、ミラノでの展覧会で絵を観ているマリアンヌは、エロイーズと子供の肖像画を見つけます。絵の中のエロイーズの手には、マリアンヌの裸体画が描かれた本が握られていました。そして、最後の再会となったのは劇場でした。バルコニー席に座ったマリアンヌ、向かいのバルコニー席にエロイーズの姿を見つけて、彼女を目で追いますが、気づいているのかいないのか、エロイーズは彼女に視線を向けることはありませんでした。そこにビバルディの四季から「夏」がかかり、エロイーズが感極まって、涙を流し、最後は泣き笑いの表情を見せて、暗転、エンドクレジット。

お邸を去るときに振り返ってしまったマリアンヌにとっては、二人の関係は終わっていたのかもしれません。でもエロイーズにとっては、二人の愛は永遠であり、だからこそラストで振り返ることを拒否したという解釈もできるかも。ともあれ、この映画の結末は色々な解釈の余地を残していると思います。あるいは、作り手にとっては一つの解答を提示したつもりなのかもしれないけど、観る方からすると、視点を変えた楽しみ方ができる映画になっていると思います。オープニングから、マリアンヌがあまり表情を変えないので、お邸を去った後、エロイーズのことをどう思っていたのかは、こちらで想像するしかありません。ずっと愛し続けているのかもしれないし、もう吹っ切れているのかもしれない。その感情をずっと胸の内にしまい込んだまま、一生暮らしていくのかも、そしてそれができちゃう女性だからこそ、マリアンヌって結構怖いよなあって気がしたのですが、これはあくまでオヤジ見解ですね。
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コメント

pu-koさん、コメントありがとうございます。

ポスターの絵といい、映像の美しさといい、二人の心のミステリーもあって、全体的にそそる映画になっています。そそっておいて、肩透かしみたいな映画もあるんですが、これは観終わった時の満足度も高くて、何というか、有言実行な映画になってます。機会があれば、是非ご覧になってください。

意図的ではなかったのしても、観る者に絵画的なこだわりを想像させたとしたら、それは作り手の才能に違いないですよね。
衝撃的なポスターもミステリアスな雰囲気にも興味を惹かれます。
観てみたいなぁ。

木蓮さん、コメントありがとうございます。

エロイーズの幻影の意味はよくわからなかったです。ラストの振り返りの時を予見した予知夢みたいなものだったのかしら。オルフェウスの話は、「振り返らせた」ということになってますけど、ソフィが最初に言ったように「振り返った」方の問題かもしれないと思うと、オルフェウスの話を踏まえた上で、振り返ったマリアンヌの方に何か思うところあったのかもしれませんね。

余韻が凄い映画でしたね

そうなんですよ。
あまり語らないから、最後のシーンもどうなんだろうって考えちゃいますよね。
あの幻影はどんな意味なのかも気になっちゃいました。
オルフェウスの話が最後まで意味を持っているのが、おっしゃる通り巧くて、繊細さと大胆さの両方持った映画でした。
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Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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