今昔映画館

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「私は確信する」の邦題がいいとこ突いてると後から気づく、ジワる映画としてお勧め度高し。

私は確信する

今回は新作の「私は確信する」を横浜のシネマベティで観てきました。そこそこお客さんが入っていて、いつもより世代も若いような気がします。映画を映画館で観る興奮ってのは、やはり代え難いものがあります。

2000年の7月、フランスのある町でスザンヌという女性が失踪します。夫のジャック(ローラン・リュカ)が殺人容疑で逮捕されますが、2009年の第一審では証拠不十分で無罪となります。しかし、検察側が控訴したことで第二審が1年後に開かれることになります。ジャックの娘クレマンス(アルマンド・ブーランジェ)が家庭教師をしているフェリクスの母親ノラ(マリーナ・フォイス)はレストランのシェフをしてますが、このジャックの裁判を大変気にしていました。自ら弁護士デュポン・モレッティ(オリヴィエ・グルメ)のところに出かけて弁護を依頼したり、かなりの気の入りよう。そして、彼が正式な弁護人になると、弁護人のサポートとして250時間もある通話記録の書き起こしもやることになっちゃいます。彼女が書き起こした通話記録は裁判で有力な証拠となり、スザンヌの愛人であったデュランデがあちこちに電話して、ジャックが殺人犯であるかのような噂を盛り上げていたことや、警察がジャックの父親に息子に自供させるよう脅しをかけていたことなどが、審理の過程で明らかになっていきます。裁判にのめりこんでいくノラは、息子のことも後回しになり、シェフの仕事も身が入らず、裁判を優先しすぎた結果、息子から嫌われ、職も失ってしまいます。裁判は、後半、ジャック本人が証言台に立つと、その証言の曖昧さから劣勢になります。それでも、彼が無罪である証拠を探そうとするノラ。果たして、ジャックは本当に妻であるスザンヌを殺しているのでしょうか。

実際にあったヴィギエ事件をもとに、短編映画で実績のあるアントワーヌ・ランボーが脚本を書いてメガホンを取りました。この映画は当事者ではない、ノラという女性を主人公にしています。ノラの設定や性格は映画用にかなり脚色されたようですが、この女性を主人公にした正義と善意について、考えさせる映画になっていまして、なかなかの見応えがあります。裁判劇のドラマを観終わった後、色々なことが頭の中を駆け巡る、いわゆる「ジワる映画」として楽しめますので、オススメ度はかなり高いです。

そもそもの発端は、ジャックの妻であるスザンヌが行方不明になったこと。彼女にはデュランテという愛人もいて、夫婦仲もよくなかったこともあり、さらに、バッグや鍵、車が残されていたこともあって、社会的体面を気にしたジャックが妻を殺したのではないかという疑いから、殺害の証拠もないのに、殺人容疑で逮捕されたようなのですよ。そして、デュランテという愛人が、周囲にジャックがスザンヌを殺したかのような証言をするように裏工作したことが膨大な通話記録の中からわかってきます。ジャックはうつ病になってしまったようで見た目生気がありません。なぜ、愛人はそんなことをしたのか、またジャックは妻を殺したのか、その辺のところはよくわからないまま、お話は進みます。通話記録から、かつての証人たちの証言が信頼できないものになっていく過程はなかなかにスリリングでして、メディアやデュランテによる扇動によって、ジャックが追い詰められていった状況が見えてきます。

裁判は基本、推定無罪の原則であるべきとされています。これは、私も昔のハリソン・フォード主演の「推定無罪」という映画で初めて知ったのですが、「疑わしきは被告人の利益に」ということで、有罪が確定するまでは被告は無罪であるということなんですって。多分「推定」って言葉がよくないと思うのですが、「Presumed Innocent」の日本語訳が適切でなかったのかもじれません。「無罪らしいと推定する」のではなくて、「有罪確定までは、前提として無罪」という方がわかりやすいと思います。疑いがあるくらいでは、その人を有罪にはできないというニュアンスもあるのかな。ともあれ、このヴィギエ事件の場合は、その基本からいうと、夫が妻を殺害した証拠がないのに、殺人で起訴されているというかなり変な話なんです。普通のレストランのシェフでしかないノラが、息子の家庭教師の父親のそういう状況に、義憤にかられたのか、弁護士に依頼をかけたり、裁判のために通話記録の書き起こしをしたりと、色々と頑張る姿が描かれます。彼女の目線で描かれる事件の状況は、ジャックが妻を殺したようには見えなくて、むしろ裏工作をした愛人のデュランテの方がずっとワルで怪しいということ。2時間ドラマなら、このノラの役どころを片平なぎさあたりが演じて、法廷ミステリーに仕上げるところなんですが、この映画は、まあ実際の事件を扱ってるということもあるのですが、いわゆる犯人捜しミステリーにならないのが面白いところです。

ドラマの中心は裁判なんですが、映画のポイントはノラの方にあるんですよね。これが映画を観終わって、後からじわじわくるんですよ。映画の冒頭で、ノラは息子のフェリクスとものすごく仲良しです。ノラの方がフェリクスにかかりきりというか、息子からすると、いつもべたべたしてくるうっとうしい母親くらいの感じ。ところが、ノラが裁判の方にどんどんのめりこんでいくと、息子はほったらかしになり、約束も反故にしたり、約束そのものを忘れていたりとかなり酷い母親になっていきます。その時々で反省することはあっても、ノラは結局裁判を優先してしまう。なぜ、そこまで裁判にのめり込んでしまうのか、その理由は映画の中では明解になりませんが、彼女の正義感がそうさせているらしいことは伝わってきます。最初は、息子の家庭教師のお父さんが気の毒なことになっているという同情ですとか、できれば力になりたいと言った善意から始まったことなんでしょうけど、かかわっていくうちに義憤の方が高まってきて、逆に義憤にノラが動かされてるという感じになってくるのです。

デュランテがジャックの評判を落とす裏工作をしていたり、証人をけしかけたりしてたことがわかってくると、こいつが、自分のやった殺人をジャックになすりつけてるように見えてきます。ノラはだんだんとデュランテ犯人説を確信するようになり、観客にもそう思わせるような演出になっていまして、これがなかなかにうまい。だって、映画の中のデュランテという男は、ほんと最低なんですもの。自分の調べた結果からの推理を、弁護人のデュポン・モレッティに語るあたりは、2時間ドラマの片平なぎさと同じなんですが、この映画では、その推理が証明されることはありません。映画は、彼女の推理にフォーカスするのではなく、デュランテ犯人説を確信するノラという女性にフォーカスしているのですよ。もともとスザンヌは行方不明なだけで、彼女の死体が発見されたわけでもなく、殺害の証拠も上がっていないのですよ。なのに、世間や警察はジャックを犯人と決めつけ、ノラはデュランテを犯人を決めつけてるのです。証拠もないのに暴走しちゃって、要はどっちもどっちという話だね、という風に見ることもできましょう。ただ、私はノラの行動がそれほと特別なことではないように思えて、その普遍性の方が怖いと感じてしまいました。

もともとは同情や善意で、ジャックや娘のクレマンスのために始めたことが、義憤とか社会的責任の方が大きくなっていき、その結果、ジャックやクレマンスのことを気にかけることより、正義へのこだわりや、デュランテへの憎悪の方が大きくなっていってしまうという構図は、身近にもありそう。宗教の勧誘なんか、そんな感じではないかしら。もともとは、いい神様だから、みんなに広めて幸せを分かち合おうという善意から始まったのに、その神様を信じない人は悪い人になっていき、挙句の果ては「信じない人は地獄に落ちる」と憎悪に満ちた言葉を吐くようになる。私は、「善意がきっかけで宗教に入っても、他人を呪う言葉を平気で吐くようになる、だから宗教って怖いねえ」って思っていたのですが、この映画のノラを観て、こういうメンタリティって、宗教だけじゃないんだと気づかされました。発端は善意でも、その流れの中で、自然に憎悪が形成されていくってのは、かなり怖いものがあります。同情や善意から始まって、誰の意図も介在せずに、ノラは自分で自分を洗脳しちゃったという感じかしら。

そして、憎悪を燃やすガソリンになっているのが「正しいことしてるという確信」だというのも、この映画では描かれています。裁判の過程で、ノラは自分が正義を行使しているという確信をどんどんと深めていきます。その正しさの裏打ちによって、ノラは正義でないものへの憎悪を大きくしていくのです。うひゃー、これは怖いぞ。正しいことってヤバいことじゃん。でも、これもよくある話だよなあ。ネットで口汚く他人を攻撃している人を見て「何だコイツ、クズだなあ」と思っていたのですが、この映画のノラと似たようなものかもしれないです。単にネットの無名性が人間を傍若無人にすると思ってましたが、彼らをバックアップする「正しさ」が強固になればなるほど、正義であることが裏打ちされればされるほど、憎悪はますますでかくなり、それがえげつない言葉になるってのは、想像がつく世界です。自分も正義に鼓舞されたら、相手に酷い言葉を投げつけるのかなあ。まあ、私は日本人なので、一神教とか一つの正義には懐疑的なこともあり、そうはなりにくいとは思ってます。欧米では、日本より正義というものが身近で現実的なものだそうです。神や正義を行動の拠り所にすることは理解できますが、そういう絶対的な価値観がなくても、周囲との和を保ったり空気を読むとかして、相対的な価値観で行動するのが文化の日本の筈なんですが、ネットの世界では欧米化が進んでいるのかしら。

ノラはデュランテへの憎悪が高まるのですが、そこをデュポン・モレッティは指摘します。「何様のつもり?それじゃデュランテやジャックを有罪にしたい連中と同じだ」と。この映画の中で、デュランテは最低のクズという描き方をされていますが、でもだからと言って、スザンヌを殺したなんて証拠は微塵もありません。でも、ノラ目線で映画を観ている観客も、「こいつが犯人じゃね?」と思った瞬間はあったのではないでしょうか。そう思わせるところに、映画の作りてはうまく誘導しているように思えます。私だって「こいつが殺ったんじゃね?」って思いましたもの。

ランボーの脚本・演出は、法廷ミステリーという設定で観客をミスリードして、実は人間の憎悪のプロセスを描いていて、なかなかの曲者ぶりです。一方で、実録ドラマでもあるので、この裁判についての批判を投げかけていまして、なかなかのボリュームの映画に仕上がっています。演技陣では、主演のマリーナ・フォイスは大熱演で正義に取りつかれた女性を演じ切りましたが、行動の動機の部分がやや曖昧になってしまったのはお気の毒でした。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



ノラは実は第一審での陪審員でした。それを隠して弁護人をサポートしていたことで、デュポン・モレッティから、関与を禁じられるのですが、それでも彼女は彼に通話記録からの証拠を渡し続け、その結果、ジャックにとって有利な展開を招くことに成功していきます。一方で、恋人からの忠告も無視してのめり込んだ結果、息子からは見放されてしまいます。さらに審議の終盤で、デュランテがシルビアを殺す動機があったことを見つけて、デュポン・モレッティのホテルに乗り込むのですが、彼から「自分の顔を鏡で見ろ、他の連中と同じで憎悪に満ちている」と言われてしまいます。デュポン・モレッティは、最終弁論でこの裁判が証拠もないまま殺人罪をでっち上げてはならない、推定無罪を踏みにじることになってはならないと論じます。最後に発言の機会を与えられたジャックは「この10年間は恐怖の中で過ごした。自分と子供の尊厳を返して欲しい。」と語ります。判決で、ジャックは無罪となります。勝利を喜ぶジャックやデュポン・モレッティ。クレマンスと抱き合うノラ。デュポン・モレッティもノラにねぎらいの言葉をかけ、そんなノラのクローズアップから暗転、この事件でこの後誰も起訴されていないと字幕が流れて、エンドクレジット。

それまで、自分の思うところを一切話さなかったジャックが最終弁論で語る言葉には重みがありました。そして、ノラ目線で物語を追ってきた観客(私も)が、「あ、一番つらい人のことを全然考えてなかった」と気づかせられるあたり、ランボーの脚本は見事でした。裁判の証人の信憑性とか、デュランテが犯人かどうかといったところにばかりドキドキハラハラしてきた自分がなんとなく恥ずかしくなると同時に、裁判ミステリーの観客として、この映画を楽しんでしまうと、事件の渦中の人間を見失うことになる、すなわちノラと同じになってしまうんだなあって気づかせる映画でした。

映画は判決のところで終わります。その後のノラがどうなったのかという後日談は出ません。でも、判決の出た後、関係者が盛り上がってる中で、どこか疎外感を感じているノラの姿が印象的でした。何ていうのかな、結局、最善の結果が出たのに喜びきれない感じ。それは、正義というものに真向から付き合おうとしない社会への疑念なのか、自分のしたことは結局正義の実現につながったのかという疑念なのか、はたまた正義のために自分の人生おの一部を捧げてしまったことへの後悔なのか、様々な見方ができると思います。客観的に見れば、ノラがいなかったら裁判で勝てなかったでしょうから、ジャックから見てもデュポン・モレッティから見ても、彼女は大恩人になる筈なのに、それほどの賞賛も受けているようではなく、この先も評価されることがなさそうな予感があります。何か気の毒ではあるのですが、でも、ノラのした事を誉めるにはちょっと腰が引ける気もします。ちょっとやるせない後味が私には残ったのですが、これは観る人それぞれの感じ方だと思います。観終わってみれば、「私は確信する」という邦題の意味がじわじわと効いてきました。正義の思い込みで暴走してしまったノラを指す言葉になるわけで、この映画はやはりノラを描いた映画なんだと再確認させられました。裁判が終わって、彼女が正義の呪縛(=自分にかけた洗脳)から解放されて、息子や恋人との良好な関係が戻ることを祈るばかりです。
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コメント

The Comedianさん、コメントありがとうございます。

カナダにお住まいでしたか。まだ映画館が封鎖状態というのはつらいですね。日本も昨年の前半はそんな感じでしたが、他の施設に比べると映画館は、割と早めに営業再開となりました。座席を一席置きにしたり、換気を強化したりしての営業で、コロナ前より良好な鑑賞ができています。個人経営の名画座が閉館してしまうのは残念です。家のテレビでブルーレイや配信の映画を観るのもいいのですが、劇場鑑賞の習慣がついてしまうと、家での鑑賞は集中できないし物足りなく感じてしまいます。今の若い人はスマホで映画を観たりするみたいですが、私のような年寄りには信じられない時代になってきているみたいです。早く世界中のコロナウィルスが沈静化して、映画館が復活するのを祈るばかりです。映画を、家やスマホで鑑賞することがニューノーマルになりませんように。

うらやましいです。

旧静活の写真を探していて、貴殿のブログにあたりました。古い書き込みは、静岡市出身である私にとって大変懐かしいものでした。一件だけ、コメントを入れておきました。東映パラスの回です。ところで、私は1992年以来、カナダに在住しているのですが、このCOVID-19のせいで、映画館は封鎖になっています。ものすごいストレスになってます❗️年間平均100本の映画を、映画館で観ている私にとって、昨年から、映画館に行けない状態は大変苦痛です!一旦開館した時もあるのですが、また封鎖しています。「Tenet」の時は開館していたので、2回観ました。映画館の開いている日本がうらやましいです。地元の名画座は、集客が出来ずに、永久に閉館してしまい、とても悲しい思いをしています。Blockbuster でない映画をいつも上映していたので、本当に閉館が悔しいです。
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Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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