今昔映画館

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「ノマドランド」は現代のドキュメンタリー映画ということもできそう。希望もあるのかもしれないけど、私には寒々とした印象。

ノマドランド
今回は新作の「ノマドランド」を川崎の川崎チネチッタ6で観てきました。映画の冒頭、20世紀フォックスのファンファーレが鳴って、サーチライトのロゴが出るのですが、サーチライトフィルムの名前しか出ません。これまでなら、20世紀フォックスのサーチライトフィルムという風に名前が出ていたのに、20世紀フォックスから独立したのかしら。

2008年石膏加工の会社が倒産したとき、その会社で成り立っていたエンパイアという町が丸ごとなくなってしまいました。そこに住んでいたファーン(フランシス・マクドーマンド)は、かつては、エンパイアの町で事務作業や代用教員などをしてきたのですが、今や定住する家を持たない車上生活者です。やはり、エンパイアで働いていた夫も亡くなり、子供もいない彼女は、一人でキャンピングカーで旅をしながら季節労働者として働いています。彼女のような境遇の人間はノマド(遊牧民、放浪者といった意味あり)と呼ばれています。ギフトシーズンの時はAMAZONの配送センターで働き、アウトドアの季節は国立公園のスタッフとして働きながら、定住するところを持たない流浪生活を送るファーン。同じ境遇の人たちが集まる集会に足を向けてみれば、そこで新しい友人を得て、また人とのつながりが広がります。ある時は、人のいない自然の中に身を投げ出して心を癒します。タイヤ交換を機に知り合ったスワンキーという70過ぎの女性は、自分でノマドの生活を選んだとファーンに語ります。集会で知り合った初老のデビッド(デビッド・ストラザーン)はファーンに気があるのか、何くれとなく声をかけてきて、仕事の空いた期間に職場を紹介してくれたりもします。そんな彼のもとを息子が訪ねてきて、彼は子供たちと暮らすためにノマド生活から足を洗っていきます。車が故障して、修理費に困ったファーンは姉に借金を申し込むために姉の家を訪ねます。ファーンに一緒に暮らそうという姉に、彼女は感謝しつつ、それはできないと答えます。ファーンの旅はまだまだ続いていくのでした。

ジェシカ・ブルーダーのノンフィクション「ノマド 漂流する高齢労働者たち」を原作に、中国出身の女性監督であるクロエ・ジャオが脚本を書いて、メガホンを取りました。アカデミー賞で6部門にノミネートされたそうで、かなりの注目作らしいです。リーマンショック以降の不景気で、それまで普通に生活してきた人が職を失ったり、家賃を払えなくなったりして、定住する住まいをなくして、車で移動しながら職を転々になってしまう。そんな生活スタイルを遊牧民にたとえて、ノマド生活というのだそうです。ただ、当事者には、「ノマド生活という落ちるところまで落ちた」というつもりはないみたいで、ノマドにはノマドなりの楽しみや希望があるみたいなんです。とはいえ、詳細は原作を読んでみないとわからなそう。

アメリカの砂漠の中の道をキャンピングカーを走らせる主人公。まず、アマゾンの工場で仕事をしているのですが、これが年末限定の仕事で、次の職のある場所へと移動しながら、車の中で暮らしてるんだとだんだんわかってきます。ホームセンターで会った友人の娘に「ホームレスなの?」「いいえ、ハウスレスなの。」と答えるファーン。自分の生き方に彼女なりのプライドを持っているようです。ファーンと友人になるリンダやスワンキーといった女性も、決してこの境遇に陥ったのではなく、自分でこういう生活を選んだといいます。でも、ファーンの日々の暮らしを見ていると、寒そうだし、色々不自由してるみたいだし、車中泊ができない場所があるみたいだし、なかなかに大変そう。でも、その暮らしになじんでるし、色々と工夫して車を少しでも快適な場所にしようとしています。でも、映像はどこか寒々しているのはなぜなのかしら。

映画は、ノマド生活を送る人々を否定するのでもなく、でも肯定も賞賛もしないまま淡々と進んでいきます。生活の大変さ、不便さは、ホームレスの生活と共通点が多そうなのに、メンタリティは彼らと一線を画そうとしているように見えます。でも、病気の心配とか、家族と距離を置いている理由とか、それぞれの抱える事情は、やはり同じみたいです。それまで、普通に働いていた中間層が、職を失ったり、家賃が払えなくなったりして、車上生活者になってしまうケースが多いみたいな見せ方をしています。それなりの教養とか職歴もある人が、様々な理由でから、ノマド生活を選択する羽目になってしまったという風に見えたのですが、彼ら自身は、旅とか自然に接するとか、人生を楽しむというポジティブな理由を挙げています。悪意を持った見方をすれば、彼らはポジティブな理由にしがみつくことで、プライドを維持しているとも言えましょうし、好意的に解釈すれば、自由人という選択肢が大きくなった人たちということもできます。私みたいな小心なサラリーマンには、ノマド生活という選択肢は考えたくもないし、考えたこともありません。日々自分をすり減らしているという感覚を持ちながらも、ノマド生活にある自由への憧れもないのですよ。なので、この映画に登場する、私と同年配か、より年上のノマド生活者に、共感できるところがあまりなくて、むしろ否定的な感想を持ってしまいました。多分、映像から感じた寒々とした印象は、私が抱いた、彼らへのネガティブな感情からきているのでしょう。

ノマド生活者の集会の主催者の言葉、「消費生活とか、金中心の生活から自由になろう」というのもわかるのですが、今の時代に自給自足で暮らすのはほぼ不可能。お金を稼ぐことから逃げることはできないので、だからこそ、季節労働者としてアメリカの中を転々とせざるを得ないのでしょう。でも、映画の中で、そういう境遇に対する恨み言は出てきません。それを言っちゃうと自発的にこの生活を選択したというプライドが揺らいじゃうってところもあるのでしょうけど、自己責任の感覚が強いアメリカだから、そういう立ち位置にならざるを得ないのかもしれないと思い至りました。イギリスの「私はダニエル・ブレイク」のように、政府や社会を糾弾する映画にならないのはお国柄なのかなあって。でも、そこに、監督のクロエ・ジャオの色眼鏡が入っているような気もしてしまいました。寒々とした印象とは言え、映像はすごく抒情的で、そこにかぶさるルドヴィコ・エイナウディの音楽は美しく、かつ饒舌に感じられたのですよ。ノマド生活者を美化しているのとは違うのですが、ある一方向から強くスポットライトを当てて、陰影部分を見えなくしている感じがしてしまいました。政府批判をしてないから、この映画は社会派ではないというつもりはないのですが、ノマド生活者というある意味社会問題を扱った映画というよりは、彼らを映像詩の題材にした、アートなドキュメンタリー映画の味わいが濃いと感じてしまいました。

登場人物は、ファーンとデビッドを除いて、リンダもスワンキーもみんな本当のノマド生活者なんですって。そういう意味では、ドキュメンタリー風の作りの劇映画と言えそうです。ドキュメンタリー映画だって、作り手の見せたいものを演出するってのは、昔からやっていることでして、本人や役者を使った事実の再現とも作りこまれているんですって。そういうドキュメンタリー作家の父と呼ばれるロバート・フラハティの、少数民族の生活を題材にしたドキュメンタリー映画(「アラン」とか「ナヌーク」など)の流れをくむ一遍として観ることもできましょう。色々な切り口から楽しめて、考えさせる映画ですので、機会があれば、一見をオススメします。

個人的には、ヒロインが、職場や集会で、知った顔から用もないのに「ハイ、ファーン」と声をかけられるシーンが何度も登場するのが印象的でした。初対面の相手にはまず名前を聞く。また顔を見たとき、名前を呼ぶ。向こうの文化なのかもしれないけど、日本の職場で、「おう、鈴木」「ハイ、玲子」とか名前を呼んで声をかけることはまずないです。名前を呼ばれるってのは、不特定でない自分に声をかけてくれてるってことですから、自分の存在を認めてもらえているということ。これまで、あまり意識してなかったけど、この映画で、名前を呼んで声をかけあうシーンが何度も出てくるのを見て、そっかー、こういう文化があると日常の孤独感がだいぶ違うのかもって感心してしまいました。私自身が友達もいないし、社交的でないこともあって、人の名前を相手に向かって呼びかけることも、呼ばれることもないので、こういうコミュニケーションの持つ重みに対して、逆に敏感なのかもしれません。人から、ああいう風に声かけられるってことは、自分にとっては、すごく特別なことなので、ちょっと感心しちゃいました。
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コメント

choroさん、コメントありがとうございます。

ファーンみたいな生活に憧れも共感もなかった私には、結構しんどい映画でした。とはいえ、そもそも映画の主人公のような生活をしてみたいかどうかなんて考えることはまずないので、そういう意味では珍しい映画かもしれません。それだけ、身近に感じられる人間の暮らしぶりにフォーカスした映画なんでしょうね。
こういう暮らしは、アメリカだからこその文化なのかもしれませんね。自動車が暮らしの一部だから、そこを住処にもでできるという感じ。日本で、ノマド生活というと、ネットカフェやマンガ喫茶を転々とする生活になっちゃうのかな。

No title

おっしゃる通りですね。
特に日本は狭いので、この映画に出てくるような放浪生活をすることはほぼ不可能に近い感じがしますが、やはりアメリカは広いな~とまずは思いました。
その広さの分、人々にも様々な生活様式があり、このノマドのような生活も一つの選択肢なんですね。

映像と音楽の美しさとは反して厳しい生活ですが、どんな生活でも自分が選んで信念を持って進むならそれでいいわけだし、私らの年代になるといろいろと考えさせられます。

それにしてもファーンは強い!自分にはマネできないので同世代としてはただただ感心してしまいました。(^^;

pu-koさん、コメントありがとうございます。す。

この映画から感じたのは、高齢ノマドを生む社会批判の意図はなさそう、かと言って、高齢ノマドの暮らしぶりを賞賛するというわけでもなさそうです。でも、映像は美しく、音のリアル感(立体感)もすごいので、ノマドを題材にしたアート映像を作りたかったのではないかしら。純粋に映像作品の題材として、ノマドに魅かれたのではないかなって気がしました。映像と音楽の雰囲気はちょっと「天国の日々」なんですよ。

木蓮さん、コメントありがとうございます。

この映画、主人公は確かに孤独だけど、友人もいるし、他人が自分を認識しているという点で孤立しているのでもなさそう。日本の方が。誰とも話さない日を繰り返してる人とかいそうで、孤独のレベルが違うような気がします。自分がこういう状況になったとき、ヒロインのようにタフに生きられるかというと、まあ無理。アメリカでこういう境遇になった人の多くがこんなに頑張っているのか、それとも、こういう生き方ができるのは一部の強い人なのかってところは気になってしまいました。

No title

おー、そういう映画でしたか。
普通に就労していたものがノマド生活になるというのは、やはり心細いのではないかと思います。
自分がそうなっても、ホームレスと一緒にされるとみじめさが加速しそうで、車を持てる間は線を引きたい気持ちになりそう。
監督が彼らを通じて何を訴えようとしているのか興味があります。

できそうもないけど、憧れる気持ちもあります

おっしゃる通り、自分が選んだと思っていないと辛いでしょうね。
惨めな境遇に酔う人も居るかも知れないけれど、ポジティブ思考っていうのは、やはりアメリカって感じがします。
映画には映っていない大変なこともたくさんあるだろうし、個人的には風呂(シャワー)はどうするんだろうというのが気になりました。
その点日本は銭湯があるのが良いですよね。
生活の大変さより、孤独さに耐えられるかがキモな気もします。
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Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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