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「約束の旅路」は波乱万丈、でも、正直重いです

また、新作の「約束の旅路」を岩波ホールで観て来ました。220という座席数の割りにはスクリーンは小さく、奥まったところにあるのはいいのですが、位置が低いので、前にちょっと座高のある人が座ると画面が欠けてしまいます。もう少し、画面位置を上にして欲しいところです。音響はドルビーデジタルが入っているのですが、今回は映画のせいかあまり立体感が感じられませんでした。

エチオピア難民キャンプに、イスラエルのモーセ作戦が実施され、ユダヤ人だけがイスラエルへ移送されることになりました。9歳の子供が死んだユダヤ人の子供になりすまして、その中に紛れ込みユダヤ人としてシュロモという名前を与えられ、イスラエルの里親一家に養子として引き取られます。イスラエルの中でも左派に属する義父ヨラム(ロシュデイ・ゼム)と養母ヤエル(ヤエル・アベカシス)は、黒いユダヤ人ということで差別されるシュロモを守り、彼は一家の中ですくすくと育ちます。しかし、実の母親への想いを絶ちがたいシュロモは、テレビで観た宗教指導者ケス・アムーラのもとを訪ねて、母のいる難民キャンプへの手紙の代筆を依頼します。そんな彼にサラという彼女ができるのですが、なかなかお互いの想いを伝えることができないのでした。果たして、シュロモとサラは結ばれるのか、そして、実の母と再会することはできるのでしょうか。

オープニングは難民キャンプへイスラエル軍がユダヤ人だけを移送すべくやってきます。その列の中に自分の子を潜り込ませようとする母親。毅然として「行きなさい」と9歳の息子を追いやります。「その時が来るまで戻ってくるな」と息子に命じ、「泣くな」ときっぱり。思い切ったことをする母親ですが、息子はそれに従い、イスラエルへ移送される列の中の子供を失った母親の手を握ります。そこで、子供を失った母親とその子供を看取った医師が無言の協力をすることで、彼は無事にイスラエルに送られるのです。この映画は、このように主人公を助ける人々がいろいろな形で登場します。それらの人々に支えられて彼は無事に成長することができるのです。ですが、最初に入れられた寄宿舎では問題児として持て余され、よくしてくれる里親のもとでもなかなか心を開きません。

なぜ、母親がそうまでして息子を手放すのか、そして彼がなぜ心を閉ざすのか、映画の後半でその理由が語られます。イスラエルに来るまでのシュロモの過去が語られるのですが、あまりにも壮絶で悲惨な過去は言葉で語られるだけなので、余計めに想像を絶するものがあります。死が隣り合わせの中で希望のない日々を送っていたら、微かな光が射した瞬間を逃がすわけにはいかないのだということがだんだんとわかってきます。また、シュロモの心の負い目の部分も語られるのですが、幼い子供がそんな重いものを背負わなければいけないのか、それをずっと胸の奥にしまっておかなくてはならないのかというところは、胸が締め付けられる思いがします。しかし、それは彼だけではないことも見えてきます。生きていること即ち生き残っていることなのだ、そんな世界が今もあるのだということは知っておくべきだと思いました。映画の冒頭で、シャワーを浴びたときに彼がなぜ「ぼくのせいじゃない、ぼくのせいじゃない」と叫んだのか、それは劇場で確認していただきたいと思います。

この映画では、もう一つ、民族のアイデンティティの問題にも触れています。ユダヤ人であるとはどういうことか、ユダヤ教の信者が必ずしもユダヤ人だとは言えず、ユダヤ人の中でも宗教に熱心でないものもいて、ユダヤ人の中でも白人と黒人では差別される。自分をユダヤ人だと偽っているシュロモはそれを負い目に感じているのですが、自分がユダヤ人になろうとすればするほど、エチオピア系ユダヤ人の扱いに憤りを覚えてしまう。自分が何者なのかを証明しなくてはいけないのに、自分のあるべき何者がわからないという状況。その時、彼は実の母親に想いを馳せるのです。なぜなら、母親は自分の存在を確かなものにしてくれるから。

後半で、シュロモがイスラエル軍の軍医として戦場にいるシーンは、先日観た「パラダイス・ナウ」を重ねてみると複雑なものがあります。この映画では、和平を望む左派という立場をシュロモの義父母はとっているのですが、それもあくまでイスラエルの立場からであり、パレスチナから見た和平との違いはありましょう。義理の祖父がシュロモに「全てのものは皆が分けあうべきだ」というのは、ある意味、希望でもあり、それこそが紛争の火種だということに歴史の持つ重みを感じてしまいました。

重い内容のドラマの中で、シュロモとサラの恋愛模様だけがコミカルな味わいで描かれます。サラがモーションをかけてくるのにちっとも乗っていかないシュロモ。サラは自分の家族を棄ててもシュロモと一緒になりたいと思っているのに、それに応えてやらないのは、やはり自分がユダヤ人を偽っている問題があるからなんですが、そもそも肌の色とか出自に関係なくサラはシュロモに魅かれているのになかなか気付かないのです。義母の一押しでやっと結婚にこぎつけるあたりはヘビーな物語のなかの数少ない微笑ましい瞬間でした。

2時間半の大河ドラマの中で、実の母親と義母の存在、彼女ら二人の注ぐ愛情が、シュロモに生きる力を与え続けます。そして、多くの人がシュロモを支えているのが見えてきます。そこには、周囲の人間の行動があってこそ、シュロモは義母と出会い、母親との再会への道が開けることも示されます。それらの多くの人間の行動の流れが、ラストに結実するのが感動的でした。しかし、やはり母親の愛の強さを痛感する物語だと言えます。そして、その愛情は二人の母から、シュロモ、サラ、その子供へと引き継がれていくところを示唆して映画は終わります。

ルーマニア出身のラデュ・ミヘイレアニュが、原案、共同脚本、監督を担当し、ベルリン映画祭で賞を取った作品です。アフリカ難民の中のエチオピア系ユダヤ人という視点は、私にとっては新鮮で、また、難民キャンプという普段ニュースで聞き流してしまう言葉を見直させる映画でもありました。波乱万丈の展開は映画としてよくできてると思うのですが、やはり重いなあと感じてしまうのも正直なところです。しかし、学ぶところの多い映画でもあるのでした。

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No title

くるみさん、コメント&TBありがとうございました。確かに世界には色々な紛争があることを知らされる映画でした。主人公が自分が誰であるかを問うほどに、その紛争の核心に近づいて、紛争にからめとられそうになるところが考えさせられました。

No title

遅くなりましたが、アップしました♪
世の中にはいろんな紛争があるんだなぁ~と。。。知る映画でした。
心の美しい人が登場して、たくさんの愛がありました。
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einhorn2233

Author:einhorn2233
Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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