「ブラック・サイト」にサイコスリラー以上の見応え
新作の「ブラック・サイト」を109シネマズ川崎1で観てきました。シネコンとしては広さの割りに画面が小さいような気がするのですが、まあ、観やすい劇場と言えましょう。
FBIのサイバー捜査官のジェニファー(ダイアン・レイン)は不審なサイト「killwithme.com」の調査を任せられます。猫が映っている画像サイト、そのうちに猫が死んでしまいます。それだけかと思いきや、今度は中年の男がそのサイトで、胸に傷をつけられて出血しているのが映しだされます。男には、抗凝結剤が点滴されており、傷からの出血が止まらない仕掛けになっており、そのサイトの訪問者数が増えると抗凝結剤の量が増え、ついに男は死亡してしまいます。次には元レポーターの男がコンクリで固定されて、高熱のランプでじりじり焼かれていきます。前回よりも訪問数はさらに増えて、残酷な殺人ショーはスピードアップしました。犯人はどうやら目的があって犯行を重ねているようです。そして、ついにジェニファーの同僚が犯人に拉致され、訪問者数がうなぎ上りの中で殺されてしまいます。そして、犯人の魔の手はジェニファーにまで伸びてくるのでした。
「真実の行方」という捻りの効いたサイコスリラーを手がけたグレゴリー・ホブリットがまたサイコスリラーを監督しました。主人公のジェニファーは、娘と母の3人暮らしで、子供のために夜シフトの勤務をしています。そんな彼女が担当することになってしまった「killwithme.com」という「私と一緒に殺そう」サイト。最初は猫を殺す程度のものだったのが、次は人間が殺される様を見せ、アクセス数が増えるに連れて殺人の仕掛けが加速するというおぞましい展開に、事件はFBI、市警の両面から捜査をすることになります。それでも、犯人はロシアのサーバを使うなどインターネットを熟知しているらしく、どこから画面を発信しているのか特定できないのです。(これが原題のuntraceable)
犯人は被害者を少しずつ嬲り殺しにする残酷な奴ですが、それを加速する何百万人のサイト訪問者がいます。時にはブログに「もっとやったれ」みたいな過激というかアホな書き込みも多数されているようです。どっかの変質者による無差別殺人、そして一般市民がそれに加担している(させられてしまっているのですが、その辺は微妙)事実。実際にサイトの画面には、訪問者数とそれに伴う、投入薬剤の量が表示されているのですが、それでも訪問者数は加速度的に増えていく。ホブリットの演出はこの無作為の共犯者を糾弾するのではなく、それはあり得ることとして描いています。そして、ネットの画面でそういうものを見た時、必ずしも本気で受け取る人間ばかりでないことも間接的に示唆しています。一方で、残酷な殺され方をする被害者をかなりリアルに描くことにより、本当に惨たらしい殺人がネット上に乗ることによって、見世物的エンタテイメントに変わってしまうところも見せます。つまり、見てる何百万人にとって惨たらしい殺人がディスプレイ上の娯楽になってしまうのです。このあたりの見せ方がうまいというか、怖いというか、とにかく見応えがありました。
この先は結末に触れますのでご注意ください。
そして、ヒロインの同僚が、同じような惨たらしい殺され方をするのですが、FBIや警察は何もすることができません。ただし、死ぬ前に彼はモールス信号で犯人のヒントを残しました。「our suicide」というメッセージの意味がわかってくると犯人像がさらに絞れてきます。しかし、ヒロインの家がネット上に映しだされるに及んで、彼女が犯人のターゲットになっているようなのです。ここで、警察が即動いて娘と祖母を別の場所にかくまうのです。そして、ジェニファーはついに犯人の手に落ち、芝刈り機の上に逆さ宙吊りになった姿でネット上に乗ってしまうのです。FBIも彼女の画像を見ながら何もすることができません。一方、訪問者数はこれまでにないスピードで上がっていきます。市警の刑事は画面から彼女の監禁場所を彼女の家と気付いて、そこへ急行します。と、ここで普通なら、間一髪のところで警察が乗り込んで彼女を助けるというパターンなのですが、何と、彼女は自力で犯人に一撃をくらわせ、その隙に宙吊りから脱して、犯人を射殺してしまうのです。カメラの前でFBIのバッチを突きつけるところで映画は終わります。その間もサイトにはメッセージが次々と寄せられているのです。
この映画の中心にあるのは、一般市民の好奇心です。今回は多くの人間がそれに興味を持って覗きに行く(=サイトを訪問する)ことによって、被害者の命が縮まるというえげつない仕掛けが好奇心の持つ怖さを感じさせる作りになっています。しかし、その怖さを犯人の動機にも持ってきたところにこの映画の怖ろしさがあります。犯人の父親はラッシュアワーの橋の上で拳銃自殺で死んだのですが、たまたま通りかかりの報道ヘリがそれを撮影し、さらには、テレビで再度レポーターによって放映されたのです。死んだ男の息子は入院し、やっと退院して、今回の犯行に及んだのです。これだと、ゴールデンゲートブリッジの飛び降り自殺を扱った「ブリッジ」の監督なんて真っ先に狙われちゃいそうですが、それだけ、死、特に家族の死は微妙な問題をはらんでいると言えます。この映画には、サイトに乗せられた被害者の家族の家の前にメディアが押しかけているシーンも出てきます。まだ本人は死んでいなくて、殺されつつある状況で、感想を求めるのは、映画のフィクションとしての描写なのか、本当にアメリカのメディアはこんなものなのかは判断つかなかったですが、ともあれ、一般市民の好奇心、それに無批判に便乗するメディアという構図は見えてきます。犯人は、サイコな殺人野郎ではあるのですが、キチガイになる前はかなり気の毒な目に遭っているらしいことがわかってきます。
この映画は、ラストのエピローグがなくて、犯人を射殺したヒロインがカメラに向かってFBIのバッヂを突きつけるところで終わるのですが、これも殺人ゲームを楽しんだ一般市民と、そして遠まわしに観客に突きつけたメッセージと言えましょう。そして、殺人シーンにリアルな特殊メイクを使って、その残酷さを観客に示すあたりにも演出の意図があるように思えました。つまり、パソコンでのほほんと殺人を楽しんでいる一般市民には伝わらないであろう、殺人の残酷さを観客に見せることで、好奇心の恐ろしい結末を表現しているように見えます。
映画を分類するのなら、サイコスリラーになるのですが、そのなかで、上記のような仕掛けを設けることで、観客に表立って罰することのできない好奇心の怖ろしさを伝えてきていると思います。見終わって、うまい、と思われる映画でした。ダイアン・レインは年相応の女性らしいようで、ラストで犯人を一人で仕留めるタフさを見せて迫力ありました。音楽はごひいきクリストファー・ヤングがお得意の落ち着いたサスペンス音楽で画面を支えています。