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「グラン・トリノ」に見る、アメリカの未来への希望(ちょっと大げさか)

今回は川崎チネチッタ9で「グラン・トリノ」を観て来ました。ここはビスタサイズで横幅一杯にとっているので、シネスコサイズの時はスクリーンの上の部分が縮むという作りなのは、いかにもシネコンって感じ。

妻を失った老人ウォルト(クリント・イーストウッド)は、二人の息子とはうまく行っておらず、妻と二人で住んでいた家に一人暮らしをすることになります。妻の葬式の日、隣にはアジア系の一家が引っ越してきました。ウォルトは差別主義者までいかないけど黒や黄色の肌が嫌い、若いものがチャラチャラしてるのも嫌い。良くも悪くも昔堅気の頑固者です。ある夜、彼の自慢の車グラントリノが盗まれかかる事件が起きます。犯人は隣の家の息子タオ(ビー・バン)で、悪い仲間にそそのかされたのですが、彼らとトラブルになったところを、成り行きでウォルトが助けたことから、隣の一家との付き合いが始まります。モン族の出身というタオの一家と接するうちに、段々と孤独だったウォルトに変化が起きてきます。タオの姉スー(アーニー・ハー)とも仲良くなって、タオに仕事の世話をしてやるまでになるウォルト。しかし、タオに目をつけた不良グループに嫌がらせは続き、ウォルトは実力行使に出るのですが、それは最悪の結果を招くことになります。果たして、ウォルトは自分の家族のように思えてきたタオとその家族を守ることができるのでしょうか。

クリント・イーストウッド監督の新作です。「チェンジリング」で堂々たるドラマ作家としての手腕を見せたイーストウッドが、今回は自ら主演も兼ねて、自分自身をアメリカの現代史と重ね合わせたような物語を作りました。主人公ウォルトは、朝鮮戦争で勲章をもらった元軍人で、愛する妻を失って、一人暮らしをしている偏屈な老人です。妻が熱心に通っていた教会の若い神父が、彼に懺悔するようにと勧めるのですが、そんなの鼻にもかけません。隣に引っ越してきたアジア系の一家を歓迎する気も勿論ないのですが、たまたま、不良グループがタオを連れ出そうとしている時に、彼らを撃退したことから、タオの一家に感謝されちゃうことになります。さらに、タオの妹スーがストリートギャングに絡まれているのを助けたことで、ウォルトは彼らの家に招かれ、いい感じになります。実の子供よりも、彼らと一緒にいる方が落ち着くと思い始めるウォルト、意外やただの頑固者ではなかったようです。

タオが盗みの罪滅ぼしにとウォルトの家の雑用をするようになり、ウォルトもタオに仕事を紹介してやるといった展開がコミカルに描かれます。何となくおとなしくてひ弱な感じのするタオと、活発な妹スーのキャラクターもおかしく、最初は仏頂面のウォルトも彼らを他人とは思えなくなっていきます。彼自身がポーランド系で、フォードの工場でずっと働いてきて、アメリカ人の典型的な労働者であることから、ウォルトは移民国家アメリカのある標準的なキャラと言えそうです。自警意識もあって、事あればすぐに銃を持ち出すあたりは物騒なじいさんなんですが、そこにアメリカという国を感じることができます。ですが、その典型的アメリカ人がステレオタイプから外れた行動を取るところにこの映画のメッセージがあります。



この先は結末に触れますのでご注意ください。




タオの顔の傷から、不良たちがまだつきまとっていることを知ったウォルトは、彼らに脅しの一撃をかけるのですが、それが逆効果になって、不良たちはスーを暴行し、タオの家を機関銃で襲撃します。それまで、おどおどしていたタオも復讐の念に燃えて、ウォルトに協力を頼みますが、意外やウォルトはすぐには腰を上げません。神父も心配して、ウォルトの家を訪れ、奴らへの憎しみを言葉にしつつ、復讐への暴走を止めようとします。ウォルトは、タオを地下室に監禁すると、単身で連中の家の前に立ちます。そして、彼らを挑発して、タバコの火をつけるためにポケットに手を入れた瞬間、彼らの銃が火を噴きます。しかし、ウォルトの手に握られていたのは銃ではなくライターでした。目撃者が多くいたことから、連中は全員逮捕されます。そして、ウォルトの遺言で愛車グラントリノはタオに贈られるのでした。

ウォルトがタオに言います。「人を殺した気分は最悪だ」と。また、彼が神父に自分が朝鮮戦争で多くの人を殺したことの罪の意識に悩まされたという話をした時、「何より恐ろしいのは、それが命令されたのではなく、自発的にやったいたことだ」というシーンが大変印象的でした。ここには、明らかに反戦、反暴力のメッセージを読み取ることができます。しかし、一方では、ウォルトが死を持ってしたことが、本当に最善のことなのか、すっきりしないものも残ります。この先、20年30年先にまた、出所した連中がタオやスーの前に現れるかもしれないのです。暴力の連鎖を止めようとしたときに、死をもっても貫徹できないのではないかと思わせる結末に苦い後味が残ります。確かに、ウォルトにとっては、意味のある、かっこいい死に場所ではあったのでしょうけど、そうでもしなければ、悪意に対抗できないのかなと思わせられます。

暴力に対しては、暴力でしか立ち向かえないときっぱり言い切った「ランボー」シリーズで、ヒーローは徹頭徹尾孤独ですが、この映画のウォルトはタオ一家と知り合うことで、孤独ではなくなり、守るものを持ったと言えましょう。その時、一家を守るためでも、暴力(=人殺し)を拒否するという姿勢には、胸を打つものがあります。なぜなら、それは個人の経験から、自ら進んで人を殺すことを止めることができたからです。これを、アメリカという国に拡大すれば、歴史から学んで戦争をやめようということに通じるからです。それで、傷つくことがあっても、未来を守ることができるというメッセージを読み取りたいと思います。ただの頑固者だった主人公がアジア系一家に心を開くようになるというところも重要だと思いました。ウォルトのような老人であっても新しい価値観や発見に謙虚でありえるなら、世の中はより寛容になるのではないかしら。

これをクリント・イーストウッドの集大成というふうに宣伝しているようですが、私には、新しい題材に挑む姿勢が感じられます。「ダーティ・ハリー」「許されざる者」など暴力の連鎖の現実を演じ、描いてきた彼が、さらにその先の領域へ足を踏み入れたように思えるからです。

演技陣は地味な面々を揃えていますが、主人公の友人を演じたジョン・キャロル・リンチがいい味を出しています。この人、ごつい見た目なんですが、善人悪人両方とも演じ分けるバイプレイヤーで、この映画でもよくも悪くもアメリカ人らしい善意を見せて印象的でした。

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コメント

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einhorn2233
札束さん、コメントありがとうございます。右だの左だのといったときに、いつも歯切れの悪いイーストウッド作品の中では、わかりやすいメッセージを持った映画ということになりましょう。そういう意味では、楽しんで作っているって感じはしましたです。

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Schwangerschaft
クリント映画中ぴかいちでしょう。おそらく。

途中まで、銃と拳で生きてきた、解決してきたクリント君が、それまでどうりのセオリーで物事を進めていく所が、作り手と会話しながらみているみたいで大変楽しかった。

ラストで矢張りこれまでどおり銃と拳での決着で終わらすのか?ん~~~?と手に汗握る展開が凄い。

このままじゃどう見てもやられる筈だが???っと思っているとあっけなくやられた。

初老を迎えて大人しくなって銃を捨てたかと思われた「許されざる者」では、結局最後また銃を掴んで、悪者をやっつけて終わった。

この映画はその点で全く画期的。日本国憲法第9条の体現。平和憲法の体現であった。確か共和党支持だったかと思うが、銃規制にもクリント君は反対のような気もするが、全く予想外の行動と結末であった。

面白かった。作り事、ホラ話ではないだろう。アメリカン・スナイパーでは元に戻ってしまったようだが。

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einhorn2233
wxrfd775さん、コメント&TBありがとうございました。なるほど、今のタオに罪を犯させないためだと思えば、ウォルトの行動はこの時点で貫徹してるんですね。タオにとってはウォルトの死をどう受け入れるのかは難しいかも。重く背負っても、軽く扱っても、観客からは文句が出そう。そこをはっきり見せなかったのは正解だったのかな。

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wxrfd775
コメント&TBをありがとうございました!!
わたしはやっぱりウォルトの最後の決断が何よりのツボだったんですよねー。
暴力による連鎖を断ち切るとか,そういった面ももちろんあったでしょうが,20年後30年後に出所してくる連中がタオに何かをするかも,といった不確かな未来より,タオに人は殺させない,罪を犯すのはタオではないという確たる現在を選択したのだと思います。正直20年後にタオがまだ健康で生きているという保証はないわけですし。
そしてタオがこの行為をどう受け取るかを考えると胸が詰まるのです。
わたしもTBさせていただきました!!

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einhorn2233
Mariさん、コメント&TBありがとうございます。その昔なら、天下御免の決めゼリフだった、反戦って言葉が最近あまり聞かれなくなってきていて、一方で、核軍備しましょうって大手を振って言えるご時世なので、こういう映画の投げかけるメッセージはより貴重になりつつあるように思います。

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Jumble-Mari
映画の作り方が非常に上手で、前半の笑いを全て温かいものに変えてくれましたね。それにしても力強い”暴力根絶”の意志。未来への希望へとつなげていくのが、私たちの役目なんでしょうね・・。

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einhorn2233
irukaさん、コメント&TBありがとうございます。暴力が世界からなくなるためには、まず戦争をなくさないといけないですよね。やはり武力に訴えるのはよくないとみんなが言い出すことが大事です。一方で、ケンカや戦争が好きな人がいる、戦争でお金を儲ける人がいる。そういうのを恥じる心がないと、むずかしいです。

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iruka
この映画をきっかけに暴力というものが、世界から消えてしまったらいいのにって思いました。
イーストウッドが過去への反省をし、未来へ希望を託した。
すごいことですよね。彼の決意に拍手を送りたい気分です。
TBさせて下さいね。

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einhorn2233
じゅりさん、コメント&TBありがとうございます。私はこれまで、クリント・イーストウッド監督作品って苦手意識があったのですが、「チェンジリング」やこの映画は、とっつきやすいという感じでした。まあ、これまでの彼の映画の中では、後味がやや明るめということもあるのですけど。

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じゅり
記事読ませてもらって、作品を観た時の感情が蘇ってきました。
ほんとおっしゃるとおりだと思います。
クリントが演じたからこその…というのがあったと思いますねぇ。
やっぱり珠玉の作品でござりました(^ー^)
GW休暇だったので遅くなってごめんなさい~こちらからもトラバさせてくださいね♪

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einhorn2233
pu-koさん、コメント&TBありがとうございます。確かにこれまでの暴力因果応報の映画に多く出てきたイーストウッドからすれば、心境の変化を感じさせる内容の映画でした。「人殺しはいかん」という頑固さは、今の世界に必要なものなのでしょうね、きっと。

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einhorn2233
のびたさん、コメント&TBありがとうございます。ランボーのある意味諦観ともいうべきスタンスとは異なる希望を感じさせるラストになっていたのは映画として見事でした。ただ、復讐を良しとする文化で、彼の行為がどう受け入れられるのかは興味あります。アメリカではどうだったんでしょうね、この映画。

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einhorn2233
くるみさん、コメント&TBありがとうございます。暴力の連鎖を断つという選択は命を賭けてしなきゃいけないのかなあってところが問題提起にもなっていたように思います。アメリカの自警意識とどう折り合いをつけるのかあって。

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einhorn2233
なぎさん、コメント&TBありがとうございます。ウォルトは彼らを守るために考えに考え抜いてああいう行動をとったというのが、この映画のツボだったように思います。とはいえ、そこに大きな犠牲がないと成り立たないところに思うようにならない現実が感じられました。

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einhorn2233
恋さん、コメント&TBありがとうございます。「許されざる者」は私は苦手だったのですが、こっちの映画はコミカルな味わいの分、とっつきやすい映画になっていたように思います。確かにイーストウッド自身をキャスティングしたことで、この映画の独特の味わいが出たように思います。

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einhorn2233
Choroさん、コメント&TBありがとうございます。この映画って、色々な解釈がされていて、観る人それぞれに受け取り方や思い入れが違うところが面白いです。でも、作りの丹精さという点では、みんな納得なのでしょうね。よくできてる映画でした。

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einhorn2233
やませみさん、訪問ありがとうございます。確かに、この映画がアメリカ映画を総括したような内容だという文章をあちこちで見かけます。でも、それほどの大風呂敷を広げた作品なのかというと、私にはそうは思えないです。色々と悩んだり葛藤の末の主人公の選択は、アメリカ全体のコンセンサスにはなっていない、一つの考え方の提案のように思えました。

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einhorn2233
Cartoucheさん、コメント&TBありがとうございます。グラントリノを渡した相手がアジア人だったというのはどういう意味があったのか、確かにCartoucheさんの見解もありですね。人種のるつぼであり、差別のるつぼでもあったアメリカがどうなるのか興味あります。

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pu-ko
時代遅れとも言えそうな決着の付け方でしたが、暴力を暴力で制す映画を主演し続けていたイーストウッドが演じるからこそ、彼の心の変化に共感できるものとなりました。
人は変わることが出来る、国だってきっと変われる。そんなメッセージを感じますね。
TBさせてくださいね。

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出木杉のびた
暴力を暴力という名の正義で収めるランボーとは、対極の位置にいるようなウォルトでした。それも過去の戦争というトラウマを乗り越えての最終決断ということで、胸に迫る想いがします。
ランボーはまったく学習能力がないみたいですね。
イーストウッドは今やアメリカの良心的な存在でしょうか。
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